ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲ニ長調 CDレビュー U



U.  1970-1989年録音
    ♪シェリング♪バレンボイム♪グリュミオー♪スターン♪クレーメル♪ズーカーマン♪キョン・ファ・チョン♪
    ♪ムター♪パールマン♪コーガン♪クレーメル♪ミンツ♪ツィンマーマン♪キョン・ファ・チョン♪
    
ヘンリク・シェリング(Vn) ハイティンク指揮  ダニエル・バレンボイム(Pf) バレンボイム指揮  アルトゥーロ・グリュミオー(Vn) C.デイヴィス指揮

◆ シェリング(Vn) ハイティンク/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦団(1973年4月PHILIPS)★★★☆☆
 豊かな響きで威厳溢れるベートーヴェンの音楽がまず聴こえてきます。録音も優秀。しかし、安定しすぎていてワクワクするような感じはありません。シェリングのソロはゆっくり丁寧ではありますが、どこか四角四面な印象を受けます。しかし、高音の美しさ、中低音域での深々とした響きと力強い発音は格別で、ヴァイオリン演奏の模範のようです。軽量化が著しい昨今の演奏からすると何とも時代がかった鈍重さが批判の対象になりそうですが、健康食ばかり食べさせられているとたまには脂っこいものが懐かしくなるのと同じようにこんな演奏を聴くと何だかホッとします。旧録音で気になったポルタメントはほとどんと姿をひそめています。立派な演奏に違いないのですが、いつまでも遅いテンポが続くと単調さを覚え、もう少し起伏がほしくなります。ヨアヒムのカデンツァでも和音を丁寧に弾いていて前に進む感じがしません。

 第2楽章でもオーケストラの音楽が流れ出しません。シェリングはフレーズの最後の音を長く拍以上に伸ばして余韻に浸り、切れ目のない弓の返しによって音符にテヌートかけ限りなく美しい音を聴かせてくれます。第3楽章も遅いテンポで進みます。しかし発音は鋭角的であるためにどの音も明確に聴き取ることができます。それはそれでいいのですが、やはり単調に陥るときもあります。音楽的にはロンド楽章としての軽快さはなくあまり褒められた楽章ではないのですが、ヴァイオリンとしては理想的な音程、音色、響きであることは間違いありません。 


◆ バレンボイム(Pf)バレンボイム/イギリス室内管弦楽団(1973年7月GRAMMOPHON)★★★★☆
 ベートーヴェン自らがピアノ独奏用に書き直したこの曲の最初の録音ではないかと思われます。実によくできた編曲(作曲者自身ですからあたりまえ?)で、ヴァイオリンの譜面をピアノに書き換えるにはこうすべしというお手本みたいです。上向スケールや分散和音は上がりきったままではなく下に降ろす、長い音符は分散和音を追加する、など演奏上の合理性や場面に応じた音楽性の高さに感心させられます。しかも、ヴァイオリンの原曲にはカデンツァを書き残さなかったのですが、このピアノ版には長大なしかも実によくできたカデンツァを書いていて、ティンパニがカデンツァに加わるという、もしかしたら音楽史上初めての試みまでされ、しかもそれが極めて大きな効果を上げています。クレーメルやリッチなどがこのカデンツァをヴァイオリンで演奏していますが、弾きたくなる気持ちはよくわかります。

ベートーヴェンの5つの番号付きのピアノ協奏曲があれほど頻繁に演奏されるのに、この曲があまり取り上げられないのはとても残念です。バレンボイムの他にベレゾフスキー、オピッツ、デュシャーブル、スク・カン、ムストネン等のCDが出ています。日本では仲道郁代がコンサートで取り上げていて、最近ピアノ協奏曲の録音を開始していますのでもしかしたら録音するかもしれません。

 さてバレンボイムのCDですが、曲を完全に掌中におさめた大家然としたピアノは言うまでもなく、弾きながら指揮してるイギリス室内管の伴奏も見事の一言です。バレンボイムは同じ時期このオケでモーツァルトの協奏曲全集を録音中で息があっているのは当然とはいえ、ベートーヴェンの音楽をこれほど立派な姿に再現している演奏はそう多くはありません。イギリス室内管はベートーヴェンの曲にふさわしいしっかりしたサウンドと緻密なアンサンブルを、バレンボイムは正攻法による格調の高いピアノを聴かせています。第2楽章では後半にあるシンコペーションのところで原曲とは大きく異なる印象を与えてくれます。右手で弾くソロのメロディに左手が分散和音をつけているのですが、これがとてもによくできた音楽で、ベートーヴェンは実はこのかたちを先に作曲又はイメージしたのではないかと思うほどです。第3楽章の旋律は明らかにピアノに向いたものであり、オーケストラとの掛け合いを聴くと音量や音質的なコントラストがつくためにピアノの方が圧倒的にいい効果が上がっています。この楽章でヴァイオリン独奏が勝てるところは2つの音をピチカートで弾くところだけかもしれません。


◆ グリュミオー(Vn) C.デイヴィス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1974年1月PHILIPS)★★★★☆
 ソリストの演奏スタイルを予告するようにオーケストラは明るく落ち着きのあるサウンドで曲を開始します。ゆったりしたテンポと奥行きのある響きの中、フレーズの最後の音を少し長めに弾かせることで幸福感に満ちたベートーヴェンを提示します。グリュミオーのソロはそれに答えて穏やかな表情で旋律をたっぷり歌わせます。息遣いは常に自然でわざとらしは全くありません。しかし、音の輪郭は常に明確で左指が指板を確実に叩いていることは十分感じ取ることができます。しかも、起伏のある音楽つくりでちきんとクライマックスを作り上げることも忘れていません。技巧や力強さとは対極をなす美しさを自然なかたちで聴かせるという、ヴァイオリン演奏のひとつの理想像を示してくれています。クライスラーのカデンツァでは豊かな響きで重音を鳴らし、しかも淀みなく音楽を進行させます。控えめな演奏ではありますが、聴かせどころのツボを外すことはありません。

 第2楽章。かつてTVで観たグリュミオーの姿を重ねて聴くと、どうしてあのような無造作なボーイングでこんなに美しい音が出せるのだろうかとただ呆れるばかりです。ヴァイオリンからこれほど自然に美しく繊細な音を出す奏者は他にはいないでしょう。第3楽章では軽やかさを前面に打ち出し、オーケストラも明るく反応します。テンポはこれまで同様ゆっくりしているためにベートーヴェンの厳しさを聴くことはできませんが、ヴァイオリンの持つ柔和な側面を追求した演奏と言えます。しかし、コーダではテンポを上げて大きな盛り上がりを築き上げています。

アイザック・スターン(Vn) バレンンボイム指揮  ギドン・クレーメル(Vn) ネルソン指揮  ピンカス・ズーカーマン(Vn) バレンボイム指揮

◆ スターン(Vn) バレンボイム/ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団(1975年5月 SONY CLASSICAL)★★★☆☆
 オ−ケストラは腰を落として静かに開始されます。音場が広い録音のため残響が多い上に各パートが離れて聞こえます。少々しまりのない音、求心力のない音になっていて、ピアノ版を演奏したときの引き締まったバレンボイムとは別人のようです。スターンは録音のせいか低音がこもり気味で高音がやや金属的な響きがしますが、胸のすくような跳躍、クリアな発音、切れのいいアタック、音を取るときに指板を叩く左指の音、ノイズを恐れない力の入ったボーイングとスターンならではのヴァイオリンを聴くことができます。音をずらすときに少し時間をかけたりリズムの変化をそれとなく際立たせるなどソリスティックな魅力に溢れ聴き手を飽きさせません。しかもクライマックスへの持って行き方はさすが堂に入っていて大きな頂点を築いています。このように協奏曲としての性格を強調しつつベートーヴェン音楽の多彩さを巧みに表現しているユニークな演奏と言えます。ニューヨーク・フィルという慣れないオケのせいかバレンボイムの指揮は今ひとつ冴えません。クライスラーのカデンツァでは、細かいパッセージがクリアに際立つ弾き方で集中力のある演奏を聴かせていますが、フォルテの重音や後半にある2つの主題を同時に弾く箇所ではもう少し艶のある音がほしいところです。

 第2楽章の冒頭はバレンボイムはかなり音量を抑えた静寂な世界を用意しています。しかしスターンはあまり弱音に拘っていません。トリルも明るく演奏しています。オーケストラだけになると大きな抑揚をもって開放的な音で弾かれ、続くソロがシンコペーションになる箇所では速めのテンポで響きを殺すなど、楽章の中で様々な試みをしているのがわかります。第3楽章のソロは軽快で極めて歯切れのいい演奏を展開します。起伏も十分大きく、推進力に溢れています。速いパッセージで音に艶があるといいと思います。一方、オーケストラは少々ノリが悪いところがあります。バレンボイムはスピト・ピアノやクレシェンド・ディミニュエンドを強調するなど少々小細工を弄しすぎるきらいがあります。指板を叩く音が全曲にわたって収音されているのはヴァイオリンを弾く人にはいいとしても普通の聴き手にとっては雑音以外の何者でもないでしょう。特に第2楽章では鑑賞の邪魔になります。ピアノでペダルの音が入るのと同じようなことですから。


◆ クレーメル(Vn) ネルソン/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(1975年9月 MELODIYA)★★☆☆☆
 クレーメルは1980年に亡命していますので、その5年前の録音ということになります。小節と小節の隙間がかなりあるほどのゆったりとしたテンポでしかも立派なサウンドでベートーヴェンの音楽が展開されます。ソロが登場するところを聞いても誰が弾いているかはわかりませんが、その後の分散和音の頂点で弾かれるファルテでの鋭いスタカートを聴くと紛うことのないクレーメルがそこにいます。しかし、全体的にはエチュードを弾くように淡々と模範演奏をしつづけます。クレーメルらしい力強い発音ではありますが、さすがに変化のないテンポや抑揚の少ない進行では面白みはありません。クライスラーのカデンツァの後半にある有名な箇所ではなんだか早く終わらせたいのかさっさと弾いています。

 第2楽章も立派なオーソドックスなベートーヴェンになっていて、バランスも録音もこの時代にしては優秀です。一点のキズもないクレーメルの演奏にも拘わらず、何も起きないだけに面白みはありません。第3楽章も豊かなサウンドで遅めに弾かれます。常に丁寧でここでも優等生ぶりを発揮していますが、切れ味鋭い見事なスピカートを随所にちりばめるところはクレーメルならではといったところです。もしクレーメルが西側に来なかったら、師であるオイストラフの後継者として、オイストラフをコピーした円満なスタイルの奏者として大成したかもしれない、などと考えながら聴いたCDです。この演奏はオイストラフのスタイルに通じるところがあるのは確かです。しかし、クレーメルはそれを捨てることを選び、今日のスタイルを確立したのです。このCDはクレーメルの歩んだ軌跡を見ることができる貴重な演奏と言えます。なお、カップリングは1970年第4回チャイコフスキー・コンクールで優勝した際のチャイコフスキーの協奏曲が収録されています。


◆ ズーカーマン(Vn)バレンボイム/シカゴ交響楽団(1977年GRAMMOPHON)★★★☆☆
 長閑な雰囲気で開始されるオーボエをはじめとする木管楽器のバランスの素晴らしさや弦楽器のソフトな響きを聴くと、若きバレンボイムがオーケストラを完璧に支配しているのにまず驚かされます。音楽が次第に熱を帯びてくるとアンサンブルの乱れも厭わずオーケストラを煽り立てるところも憎いばかり、強奏になるところで4分音符をテヌート気味に弾かせるところもユニークです。29歳のズーカーマンは、後年の演奏に較べるといくぶん線が細いところがありますが、切れ味のいい全音域にわたって均質でバランスのとれた発音でどんな音型に対しても歪みも濁りもない響きを聴かせてくれます。ベートーヴェンの音符に対して細工や誇張をせず、見得を切ることもせず無心に音楽を進行させ、カデンツァでもスタイルを変えず、安定した余裕のある演奏を続けます。

 第2楽章ではソロとオーケストラは息の合った一体感を聴かせ、第3楽章では落ち着いたテンポでの室内楽的な親密さを感じさせます。ズーカーマンのヴァイオリンは若々しさに温和さをたたえ、バレンボイムはオーケストラだけになると手綱を引き締めることで音楽に適度の緊張感を付加しています。コーダに入って初めてズーカーマンはテンポを上げソリスティックな跳躍を聴かせます。当時、恐るべき若者だった彼らのこの演奏は今でも色あせることはありません。


  

◆ チョン・キョン・ファ(Vn)コンドラシン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1979年9月 DECCA)★★★★☆
 ソビエトの大物指揮者がアムステルダムで亡命しその指揮者による録音でしかもその2年後に亡くなったということで話題になっていたのと一部の評論家が大絶賛していたために、あまり真剣に聴かなかった演奏です。しかし、ここで聴きかえしてみるとこの時期のベートーヴェン演奏にしては随分時代を先取りしたことろがあるように思えました。ベートーヴェンだからと構えたり肩に力が入ったりすることなく、ひたすら自分の世界に浸って弾いているところは、最近の演奏家のひとつの傾向だからです。しかし彼らとの大きな違いは、チョン・キョン・ファには「ひとりよがり」「自分勝手」がないところです。

 冒頭からウィーン・フィルの魅力満載の演奏を堪能することができます。バランス、テンポ感のすべてにおいて完璧で、穏やかな表情づけにもかかわらずメリハリを失わず、テンポがもたれることもありません。合いの手で入るトランペットやティンパニ、ホルンなどもこれ以外ないという程ツボにはまった演奏を聴くと、昨今の古楽器演奏におけるエクセントリックな楽器使用にどんな意味があるのかあらためて考えさせられてしまいます。チョン・キョン・ファのソロは出だしはやや気負いが勝っていて、テンポを少し落としたために音楽が停滞気味になります。しかし、徐々に調子をつかんできて、粒立ちのいい発音と楽器そのものを響かせる弾き方が耳に心地よく入っていくようになります。ウィーンフィルが相手ということを意識してか彼女の歌いまわしには恣意的なものは全くなく譜面通りの自然なスタイルを堅持しているのも好感が持てます。むしろ指揮者のコンドラシンが譜面にないスビト・ピアノをかけてちょっかいを出しています。クライスラーのカデンツァでは遅いテンポでやや陶酔しすぎなところはありますが、見事なテクニックを披露しつつそれだけでなくクライスラーの抒情的な面もきちんと聴かせています。
 第2楽章でもウィーン・フィルはその艶のある弦楽器の魅力を最大限ふりまいています。彼女のヴァイオリンはそれに美しく溶け込み、まるでオブリガード楽器のように振舞います。そこには何かを特別なものを表現しようという意図はありません。その弓先まで続く息の長いボーイングからこぼれる響きを聴くと、ここでも彼女は楽器から木の香りをひき立てることに徹していることがわかります。また、音階を弾くときの柔らかい左指の押さえと運びはヴァイオリン演奏のひとつの理想的な姿と言えます。第3楽章も落ち着いたテンポで丁寧に弾かれます。やや凸凹したボーイングが気になりますが、それが意図したものとしても何か効果があるわけではないように思えます。テンポが遅い分、オーケストラは軽快さを維持すべくスタカートを強調していますが、このフレキシブルな反応は見事です。また、ファゴットのソロもすばらしくこれほど雄弁な演奏は他にはないでしょう。コーダに入ってからのソロは線が細いせいかいつもの彼女の切れ込みの良さが感じられません。カデンツァも大人しすぎてベートーヴェン特有のフィナーレでの輝きに花を添えることができないのが残念です。


◆ ムター(Vn)カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1979年9月 GRAMMOPHON)★★★☆☆
 冒頭のオーボエの豊かな響きに導かれて、分厚い低弦に支えられた立派なベートーヴェンが開始されます。ムターのヴァイオリンはどの音域でも艶のある音色で隅々まで鳴りわたり、ベルリンフィルを向こうに回わして全くひけをとりません。ソロが入ってから遅めのテンポとなり、ムターは女王様のように常に上を向いた姿勢の音楽を堂々を奏し続けます。フレーズが求める前向きのテンポを抑えてじっくり鳴らすために、やや単調に感じられます。ベルリンフィルだけにたいへん見事クライマックスを築き上げますが、そこにいたるテンポがまったく変化しないのには少々苛立ちを覚えます。オーケストラだけになってからカヤランがもう少し巻いてくれればよかったかもしれません。トランペットとティンパニが遠くで鳴る箇所はかなり遅いテンポとなり、それはそれでいいのですが、ソロばかりが前面に出ていて単に遅いだけという結果になっています。その後もテンポは遅いままというのも問題があります。カデンツァ(クライスラー)でもムターの弾き方は変らず、技巧的な面を我慢して抑えているような印象を受けます。来日公演の際、カラヤンの指揮でこの曲を演奏したときはカデンツァで何か不満を爆破させるような激しい弾き方をしていたのを思い出します。

 第2楽章ではソロとオーケストラが渾然一体となった美しい世界を聴かせてくれます。ムターのヴァイオリンはとてもよく鳴っているのですが、高音で時折、力が入りすぎて音に艶を失うことがあります。シンコペーションの箇所で弦楽器のピチカートがいかにも大オーケストラのように鳴るのはとてもユニークです。第3楽章では一転して精気溢れる速めのテンポで開始されます。しかし、ベルリンフィルの重心の低い伴奏はどうもこの楽章には不向きのようです。ムターのヴァイオリンはどんな局面でも自らのスタイルを崩しません。艶のある音色の魅力は最後まで薄れることはなく見事に弾ききっています。カデンツァでは彼女のテクニシャンとしての輝きを存分に発揮しています。このとき彼女は16歳くらいですからやはり驚くべき演奏と言えます。


イツァーク・パールマン(Vn) ジュリーニ指揮  レオニード・コーガン(Vn) パーヴェル・コーガン指揮  ギドン・クレーメル(Vn) マリナー指揮

◆ パールマン(Vn) ジュリーニ/フィルハーモニア管弦楽団(1980年9月EMI)★★★★★
 思わず襟を正したくなるほど、極めて厳しい姿勢に貫かれた演奏です。序奏だけでこの曲の全体像がピッシっと確立して眼前に聳え立つかのようです。しかし耳に届く響きに威圧感はなく、楽曲はよどみなく流れ、常に推進力を失いません。パールマンはジュリーニが作り出す音楽の場面場面にピッタリ収まるスタイルを堅持し、ストイックなまでに遊び心や無駄な飾りを排しながらも、自らの持ち味である絶妙な右手のコントロールから生み出される切れ味のいい発音、クライマックスに向けて弾けるような跳躍などによってこの曲にスリリングな活気を与え息もつかせぬ演奏を披露します。全曲を通じてこれほど構造が明確で見通しのいい演奏はなく、オーケストラの堅牢なサポートに乗ったパールマンのヴァイオリンには起伏豊かな歌に満ち溢れています。クライスラー作のカデンツァでは、パールマンにしては大人しすぎるところもありますが、感傷に浸らずそれまでのスタイルを崩さずこの楽章をしめくくる最後の山場を築いています。
 
 第2楽章でもこれまでのスタイルは堅持されます。パールマンのヴァイオリンは曲想に応じた色づけを行なっています。とりわけ高音の美しさは比類がなく、どのフレーズでも細かなニュアンスを変えながら歌います。第3楽章はパールマンの持ち味が十分に発揮されています。その切れ味鋭い発音、フレーズ毎に使い分けられる多彩な奏法、張りのある高音、低音における深く力強い響き、ここぞという時の気迫あふれる弾きざま、緊張から弛緩への自在な変転、シームレスなテンポの揺れなど、あらゆる局面に完璧に順応し聴き手の期待を裏切ることをしません。ジュリーニのサポートもパールマンを引き立てかつ音楽の方向をしっかりと示し続けます。パールマンの気合いのこもった足踏み付きのカデンツァから終曲へと緊張を高める音楽づくりは見事で、エッジの立ったヴァイオリンの走句が激しく高揚したオーケストラを突き抜けていくさまは痛快そのものです。


◆ レオニード・コーガン(Vn) パーヴェル・コーガン/USSR国立アカデミー交響楽団(1980年11月26日YEDANG)★★★☆☆
 冒頭から硬質で決然とした音、推進力に満ちた分厚い弦楽器、細部までコントロールされたアンサンブルなど、きわめてオーソドックスなベートーヴェンが聴けます。生誕の地であるドイツなどでは軽い颯爽としたベートーヴェンが流行る一方で、東西冷戦の壁の向こうでは伝統的な重厚で威厳溢れるベートーヴェンが演奏されているというのは面白い現象と言えます。コーガンは登場の瞬間から強靭なボーイングから張り詰めた音を繰り出してきます。ややテンポを落として弾き飛ばすことをせずにじっくり構え、フレーズの始めと終わりにほんの僅かテンポを揺らします。コーガンのヴァイオリンは水晶のように透明さと硬さを持っていて、どんな時でも確固とした音程と確実な発音を維持しています。まるで仁王立ちしているかのような堂々としたソロにオーケストラはやや萎縮したのか生気がない上にアンサンブルの乱れも生じています。カデンツァはヨアヒムの第2版を使用していて、力強く圧力の高い弓で深い音を余裕を持って鳴らします。しかし緊張を強いる演奏で聴いていて少々疲れます。

 第2楽章でも鋭角的なヴァイオリンは変らず、通常はピアノで弱く演奏されるところも音量は全開で弾かれています。静かで穏やかな楽章にしようという意思はないようです。シンコペーションの箇所ではレガートにポルタメントをからめたユニークな演奏をしています。第3楽章ではソロもオーケストラも歯切れのいいリズム感で溌剌と演奏します。コーガンのヴァイオリンは鋼のような音で相変わらず力強いソロを展開させます。しかしこの楽章のソロの譜面からすると音色的にもっと変化がほしい気がします。 


◆ クレーメル(Vn) マリナー/アカデミー・オブ・セントマーチン・インザ・フィールド(1980年12月PHILIPS)★★★★★
 1980年に西側に亡命した直後に録音した演奏です。室内オーケストラとしての緻密なアンサンブルとバランスよさに曲全体の構成を見通せる力強い推進力を併せ持つ見事な開始で、ソロの登場へ大きな期待を抱かせてくれます。この曲の基本動機となる連続した4つの4分音符における弦楽器の発音も理想的で、しっかりした低音に支えられたフォルテはベートーヴェンの音楽を表現するのに十分な厚みがあり、室内オケであることを忘れさせもします。クレーメルのヴァイオリンは弓が弦を噛む瞬間のエッジの立ったときが魅力的で、その鋭角的であると同時にちゃんと響きを作っているところが見事です。つま先立ったり、中空に浮かしたり、威厳を持って決然としたりと同じ8分音符に対してもフレーズが異なればそれなりアプローチを駆使して聴き手を飽きさせません。弓やポジションの都合によるリズムの緩みやポルタメントは一切なく、多くの箇所でスラーを取り除くことでより心地よいリズム感を出しています。言いたいことをいっぱい言いながらも完璧なサポートをするマリナーと共にベートーヴェンがつくった音楽に求められる十分な起伏と大きなクライマックスを与えることを忘れてはいいません。とりわけアカデミー室内管が奏する16分音符の刻みはまさしくベートーヴェンのそれであり、最近のベートーヴェン演奏であまり聴けなくなっただけにぞくぞくさせられます。

 シュニトケによるカデンツァはバルトークの2番(1番とする文章をよく見受けますがそれは間違い)、アルバン・ベルク、ブラームスなどの協奏曲の断片が顔を出すユニークなものですが、ここではシュニトケの多様式主義者としての古典的・ロマン派的な要素を前面に打ち出してしているために違和感はありません。そればかりかこの曲の動機を巧みに織り込んだ曲作りはさすがでヨアヒムやクライスラーのそれに匹敵する出来と言えます。技巧ばかりに走る最近のヴァイオリンの名手によるカデンツァにありがちな冗長さは全くありません。終わり近くに加入するティンパニはベートーヴェン自身がこの曲のピアノ版のために書いたものほどのインパクト(重要性)はなく、このCDが発売された当時そのことばかり大騒ぎしていた批評家諸氏の見識のなさには呆れてしまいます。

 第2楽章でのクレーメルは引き締まった響きでアカデミー室内管との親密なアンサンブルを展開します。違和感のないダイナミクスにごく自然なフレージングに心がけ、しっかりしたフォルテでのコントラストも忘れません。挿入したアドリブはややくどいような気がします。各パートのバランスはとてもよく遠く鳴るホルンもファンタジーに満ちています。カデンツァは少々長すぎるかもしれません。第3楽章、考えに考え抜かれた弓使いで隅々まで完璧にコントロールされているクレーメルのヴァイオリンは聴き手を全く退屈させず、しかもベートーヴェンの音楽を損なうような独りよがりのことも一切しません。随所に協奏曲としての醍醐味を忘れずにちりばめクレーメルならでは響きを堪能することもできます。オーケストラも常に軽快さを失わず、活き活きとした楽章に仕上げています。シュニトケによるカデンツァは、多様式主義者としての前衛的な面がようやく姿を見せます。第1楽章の主題を回帰させるところで飄々としたシュニトケの語法が姿を現わしたかと思うと突然オーケストラのヴァイオリンも加わってトーン・クラスター風のサウンドでとどめを刺します。構成もしっかりしていて長さも適当でそれなりに楽しむことができます。


イツァーク・パールマン(Vn) バレンボイム指揮  シュロモ・ミンツ(Vn) シノポリ指揮

◆ パールマン(Vn)バレンボイム/ベルリン・フィルハーモニア管弦楽団(1986年9月 EMI)★★★★★
 序奏からベルリン・フィルの底力を見せつけています。これ以前の録音では、ズーカーマンとスターンをソリストに迎えさらに自らのピアノ・ソロも兼ねてこの曲を指揮しているバレンボイムにとって、目をつぶっても指揮できるといわんばかりの余裕が感じられます。大きなカンバスに壮大な風景を塗り込んでいく一方、弦楽器の弾き方に対して細部まで神経を行き届かせ、フレーズ毎、一音一音異なるキャラクターが与えられているなど大いに聴き手を楽しませてくれます。しかも、音楽には生気が溢れ推進力を失うことはありません。

 パールマンはやや速めのテンポで意気込んで登場します。さすがに艶が欠けるときがあるものの(ライヴという条件のせいもあるかも)決めどころでの音の伸び、粒立ちいい発音でどんな単調なパッセージでも聴い手の耳を掴んで離さない魅力に満ちています。ジュリーニとの録音と基本的には同じストイックなスタイルですが、こちらの方がリラックスしているように感じられます。ソロとオーケストラとからむ箇所でも両者の息はピッタリで、合わせようとする動きはそこにはなく常に自然体で音楽が進行します。オーケストラだけになっても我々を裏切ることはしません。音楽を停滞させることなく力強さと端正さを維持しています。カデンツァはクライスラーを使用しています。美音よりも気迫を前面に打ち出し、感傷を廃してこれまでの音楽の延長上に華麗な技巧の冴えを披露します。

 第2楽章は心地よい響きと落ち着いたテンポで開始されます。パールマンはベルリン・フィルの木管の名手たちによる妙技を邪魔せずしかし華やかなオブリガードを聴かせます。決して思わせぶりな節回しで歌うことをせずここでも端正な音楽づくりに徹しています。ソロがシンコペーションで奏するところで、伴奏をするオーケストラが遠慮しすぎる節もありますが、これはライヴ録音せいかもしれません。第3楽章とのブリッジにあるカデンツでのパールマンの爆発せんばかりの輝かしさにはただただ唖然とするばかりです。

 第3楽章でも力強さと端正さが同居する理想的な演奏が聴けます。パールマンの絶妙な弓のコントロールは健在で、思わず聞き惚れてしまいます。オーケストラは決して重くならず、弾けるパールマンの動きによく反応していて、ベルリン・フィルの凄さは団員の一人一人が音楽を知り、ひとつひとつの音符をどう演奏するか常に意識しているからだということが伝わってくるほどです。最後のカデンツァではパールマンの持てる力を全開させます。恐るべきスピードで軽やかに弾む弓の動きを聴きいっていると別世界に吸い込まれそうになるほどです。コーダに入って自在に駆け巡るパールマンに終始寄り添うバレンボイムの棒は大きなクライマックスの間でもソロを立てながらもしっかりと音楽を引き締めています。名演です。


◆ ミンツ(Vn)シノポリ/フィルハーモニア管弦楽団(1986年9月 GRAMMOPHON)★★★☆☆
 ミンツの持ち味は、右腕の完璧なコントロールによって得られる弓が弦に吸い付いた切れ目のない見事なレガート奏法にあります。8分音符の連続では素足でペタペタ歩くような印象を受け、曲想の変化に応じて多少発音の変化がほしいときもありますが、音楽に潤いと幸福感をもたらすこともあります。ここでのミンツはこれ見よがしの派手な立ち回りや、自らの響きに酔いしれることはなく、すべての音符を確実に捉えつつ、常にゆっくりめのテンポで実直すぎるほどの淡々とした演奏を繰り広げます。哲学者のように思索にふけりながら弾く風貌を想像しながら聴くと、これもベートーヴェンの音楽に挑むひとつのアプローチとして評価できそうです。クライスラーのカデンツァでのミンツはストイックなまでの堅実さを貫いていますが、少々窮屈そうに聴こえます。遠慮せずにもっと大胆に振舞ったり、遊びを持って自慢のテクニックを披露してもいいのですが・・。シノポリはめずらしく熱くならずに落ち着いた音楽運びに徹し、ミンツの音楽にそっと寄り添うように、極めてバランスのいい、しかも流れを失わない見事な伴奏をつけます。オーケストラだけの箇所ではいくぶんテンポを上げてテンションを高めることも忘れていません。

 第2楽章では何も特別なことをせずにひたすら譜面を正確に再現しています。ミンツはレガートの極地を極め、シノポリは得意の緻密さを発揮し共に美しい世界を創りだします。何時までも続いてほしいと思うほど至福のひとときを味わうことができます。第3楽章もその幸福感は変わらず、心地よいテンポに乗った明るい雰囲気が支配します。しかし、高音で駆け回るところではミンツのレガート奏法が足枷となって軽やかさと輝きに欠けるきらいがあります。全体に落ち着きすぎたところがあり、シノポリも少し煽るくらいのエネルギーを爆発させても良かったのではないでしょうか。カデンツァでもやや重い感じがあり、コーダに向けて盛り上がりが今ひとつです。第1、2楽章の充実さからすると少々物足りない終楽章と言えます。


フランク・ペーター=ツィンマーマン(Vn) テイト指揮  キョン・ファ・チョン(Vn) テンシュテット指揮

◆ ツィンマーマン(Vn)テイト/イギリス室内管弦楽団(1987年11月 EMI )★★★☆☆
 ムターに続く期待の天才少年は、派手さはないものの安定してオールマイティなレパートリーで着実にそのキャリアを築きつつあります。この演奏は彼の6枚目にあたるCDでわずか22歳での録音です。

 室内オーケストラらしからぬがっちりした音でややゴツゴツしたアンサンブルで開始されますが重々しくなかなか前に進まないためにソロの登場への期待感が沸いてきません。また、冒頭のティンパニの音に音楽性が感じられないのとフォルテでホルンが突出するのに違和感を覚えます。ツィンマーマンのヴァイオリンはさすがに自信に満ち溢れていながら気負いが全くなく、流麗でくせのない歌いまわしに好感が持てます。決して単調にならず、それどころかさりげないルバートや自然な起伏など、この若さで身に着けるにはあまりに成熟したスタイルといえます。高音が滑らかすぎてそのまま聞き流してしまうきらいはありますが、これは贅沢な注文かもしれません。ただ、弓を弦に押し付けて細かい音符を弾くときにカタカタ鳴る音(弓が弦を噛む音)は聴く人によっては気になるかもしれません。しかし、せっかくソロがテンポを速めてクライマックスを築こうとしているのにオーケストラがブレーキをかけてしまうのはなんとも残念なことです。フォルテでは田舎のベートーヴェンよろしく退屈な音型の繰り返しになってしまい、ベートーヴェン特有の弦の刻みも機械的に聞こえて生気が感じられません。クライスラーのカデンツァではストラディバリを豊かに響かせ、余裕のテクニックでゴージャスに歌います。

 第2楽章ではヴィヴラートをたっぷりかけて楽器そのものの響きが鳴るように自然と歌われます。相変わらずオーケストラがザラついた感じに聞こえるのは何故でしょう。ツィンマーマンの左指が指板を叩く音がフレーズによっては雑音に聞こえることが時折あります。第3楽章はかなり遅いテンポです。明るい音色、豊かな響きでまじめにきちんと弾かれるのはいいのですが、ノリの良さが欠けていてはこの楽章が要求する音楽からは距離があるように思えます。ここでもオーケストラが足を引っ張っていて、カデンツァが終わった後にチェロ・バスがなんとも気が抜けた、椅子の背に寄りかかった感じで入ってきます。せっかくカデンツァが緊張のトリルでコーダへと音楽を導こうとしているのに、これでは台無しです。ツィンマーマンは最後まで優等生ぶりを発揮してクリアで確実な演奏を聴かせますが、もう少し崩れそうな危うさ、スリリングな瞬間がほしい気もします。


◆ キョン・ファ・チョン(Vn)テンシュテット/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1989年11月29,30,12月1日 EMI )★★★★★
 冒頭のオーケストラは厳しさはなく、ゆったりしたテンポでより調和の取れた平和で自然な音楽の流れを聴かせます。ソリストが入ってくると一層ソフトにしかしメリハリを失わず丁寧に伴奏をつけます。キョン・ファ・チョンはこれまでの演奏に見られた過度の緊張を強いることなく、彼女特有の曇りのない発音と溢れるばかりの艶を湛えた音色を聴かせてくれます。心やすまる余裕のテンポで弾き飛ばすことをせず無理のないダイナミクスの変化をつけつつ、フレーズの終わりで独特のこぶしをごく僅か織り交ぜます。この音符に真正面に取り組む姿勢からは彼女のベートーヴェンへの畏敬の念が感じられ、聴く人誰もがこの偉大さに納得させられる演奏です。しかも美しいヴァイオリンの音色、心地よい技も同時に楽しむことができます。クライスラーのカデンツァでも作為のない自然なスタイルで威圧的にならず、技巧性よりは曲の美しさを強調することで楽章全体の調和を作り上げることに成功しています。これまでの彼女の演奏では東洋人が西洋音楽に挑戦し征服するといった姿勢が見られることがありましたが、この演奏では全くそれはありません。

 第2楽章では、ヴィヴラートを完璧にコントロールしつつ息の長い弓使いからこの楽器だから出せるという最上級の音色を聴かせてくれます。その響きといい発音の完璧さといい、これ以上ものがないくらい理想的な演奏と言えます。オーケストラもこの神がかった彼女に見事に応えています。第3楽章はこれまでと一転して軽やかさを前面に出し、ロンド楽章の性格をしっかりと示しています。ベートーヴェンの曲としてはやや安定しすぎていて、欲を言えばもっと冒険と爆発があってもいいかもしれません。しかし、彼女の姿勢は第1楽章と変わらず策を弄することはありません。カデンツァ初めて彼女の技巧を冴えを見せて細かい音符を快速で駆け抜けます。3日間の演奏会からの編集とはいえ、細かいキズは多少あるもののこれがライヴ録音とは信じがたい名演です。



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