シューマン : ピアノ協奏曲イ短調 CDレビュー I




T.  1940-1969年録音
    ♪ギーゼキング♪リパッティ♪リヒテル×2♪フライシャー♪イストミン♪
    ♪バックハウス♪フィッシャー♪アンダ♪ルーヴィンシュタイン♪

◆ヴァルター・ギーゼキング(Pf)フルトヴェングラー/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1942年3月3日 GRAMMOPHON)★★★☆☆
 旧ベルリンフィルハーモニーにおけるライヴ録音です。ギーゼキングといえば一般的には即物主義者として知られていて、フルトヴェングラーに代表される19世紀後期のロマン主義と相容れない奏者の代表格と言われています。しかし、このように共演をしているというのも事実ですので、この両者の関係とかその真相とか是非とも知りたいものです。なお、両者の共通点といえば、ナチスに協力したということで戦後演奏活動を一時停止させられたということが挙げられます。この演奏は放送用に録音されたノイズと雑音の多いもので、観賞に耐えられる演奏とは必ずしもいえませんが、戦前戦中定評のあったフランスのコルトーが弾くシューマンに対抗するものとして、ドイツの威信をかけたシューマン演奏の一端を窺い知る貴重なものといえます。

 冒頭のオーケストラの「ジャン」という強奏を聴くだけでまさしくフルトヴェングラーの音とわかるだけでなく、とてつもない大曲が始まったことを思わせるほど、最初の和音とその次の2つの和音に込められた決意とか気迫といったものが強く感じられます。ギーゼキングは音をひとつひとつ確かめるように主題を奏します。続くヴァイオリンの主題では最初は慎重な構えを見せるものの、直ぐに熱気を帯びてきて、フレーズの頂点めざして早くもフルトヴェングラー特有のとどまることを知らないアッチェランドとクレッシェンドの爆発を迎えます。ギーゼキングのピアノもその高揚感を受け継ぎ気迫の打鍵を見せますが、静かなところでは時には立ち止まり、時にはテンポを揺らすといった姿も見せます。Andante espressivo ではその直前の激しいトゥッティとは打って変わって情感タップリに歌われます。しかし、録音が悪くその美しさは想像で補うしかありません。続く Animato では感情の起伏の激しい演奏となっていて、打鍵のミスもなんのその全身が火の玉になった体当たりの熱演を聴かせてくれます。昨今では正確な演奏をめざすあまり安全運転に終始して音楽の必然的な流れを損なうケースが多いだけに、ミスを犯してでも音楽に忠実であろうとするこの時代の演奏家の姿勢には心打たれるものがあります。

 第2楽章はとても遅いテンポでしっかり弾かれます。中間部のチェロをはじめとする弦楽器は厚みのある音をベースに大きな息遣いで頂点を築きます。その間ピアノが鋭角的で粒の立った音を叩いているのが印象的です。第3楽章はピアニストとオーケストラと指揮者の三者に漲る気合いを強く意識させる演奏です。終始音楽の勢いは衰えず、躍動感に溢れ、速いパッセージでは憑かれたように突っ走ります。細部をきちんと鳴らすことより音楽の流れを常に大切にしているように思えます。フレーズの持つ熱気を感じると直ちにアッチェランドをかけて爆発させるところとからだを小さくして密やかな音楽を語るところのコントラストがよく活かされています。コーダに入ると速いパッセージでの強弱のコントラストも強調されていてとても面白く聴けます。ピアノとオーケストラとが一体となって盛り上げて興奮度を高め、たたみかけるように頂点を目指していくところは余人をよせつけないものがあります。


◆ディヌ・リパッティ(Pf)カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団(1948年10月 DECCA)★★★☆☆
 ルーマニア出身の夭逝したピアニスト、リパッティによるこの演奏は長らくシューマンの名演奏盤として親しまれてきました。しかし、今回聴き返してまず思ったのは、あまりに音が悪すぎてピアノの良さが伝わってこないということです。ヴァイオリンなど弦楽器と異なりホールの床までも含めた総合的な音響をとして聴かれるピアノは良質の音で記録されないと、そのピアニストが工夫する様々な打鍵やペダリングのテクニックを聴き取ることはできません。この音質から評価できることは、感傷的なロマンティシズムとは無縁な当時にしては斬新なスタイルと猛スピードで演奏される圧倒的な技巧の冴えについてであり、シューマンの音楽としてどれだけの表現がされていたかはなんとも言いようがないと思われます。

 第1楽章は終始速めのテンポで弾かれていて、力強い打鍵による輪郭のはっきりしたピアノが印象的です。スタイリッシュなオーケストラの流れるような音楽に乗ってピアノは何の衒いもなく純真そのもので旋律を歌います。細い表情の変化をつけながらテンポはあまり揺らさずに前へ前へと進んでいきます。最初のクライマックスに向けて盛り上がっていくところも歯切れのよい打鍵でオーケストラと一体となっています。Andante espressivoでは一転してたっぷりと時間をかけますが、クラリネットの清楚な歌いまわしに合わせて感傷的にはなりません。展開部後半では猛烈なスピードでピアノとオーケストラがせめぎ合います。録音が悪いせいか旋律ラインばかりが強調されて中低音による伴奏の音型が聴き取れないのが残念です。

 第2楽章では音量に拘らず比較的しっかりした打鍵で演奏されていて男性的な厳しい音楽になっています。オーケストラもピアノに合わせて発音のはきりした音で演奏しています。第3楽章は恐るべき快速なテンポで弾かれていて、その韋駄天ぶりにはただ唖然とするばかりです。オーケストラも必死に食らいついていて、なかなか立派な伴奏を行なっています。曲想に応じて異なるタッチで弾かれているように思えますが、その点はこの録音ではあまり効果的には聞こえてきません。しかし、確かな打鍵からくる粒立ちのいい音には常に勢いがあってシューマンのこの楽章のある面を見事に表現しています。カデンツァが見当たらないのとその分コーダが長大でピアニストにこれでもかと弾き続けさせる第3楽章は、このリパッティの解釈こそシューマンが望んだものに近いのかもしれません。リパッティはコーダに入っても元気さを失うことはなく、そればかりか一層アクセルをふかしてまさに天馬空を駆けるが如く自在に弾きつづけ、興奮のうちに曲を閉じます。余談ですが、「ウルトラセブン」の最終回でシューマンのピアノ協奏曲が使われていますが、演奏はこのリパッティのLPだったそうです。


◆スヴャトスラフ・リヒテル(Pf)ガウク/国立放送管弦楽団(1954年 MONITOR CLASSICS)★★☆☆☆
 ライヴ録音ではなさそうですが、放送用に録音されたものと思われます。しかし、伴奏するオーケストラの演奏水準は極めて低く、とりわけ弦楽器は録音の悪さも手伝って情けない音を出しています。リヒテルは無駄のない硬質なタッチで胸のすくような演奏を繰り広げています。ピアノだけで弾くところはゆっくりと落ちついたテンポで弾かれますが、オーケストラといっしょになるや容赦ない猛スピードで疾走します。展開部後半でオーケストラとせめぎ合うところでは、これ以上ありえないくらいの速いテンポで弾かれます。ここは旋律線を右手の小指または薬指で叩きつつ残りの指で伴奏を爪弾くのですが、その伴奏部分がとてもクリアに聴こえていてその硬く切れ味鋭い打鍵には唖然とするばかりです。ただ、ここは流れるような音楽の中にシューマンがオーケストラに何度もため息をつかせているところで、その辺が全く表現できていないのはどうかと思われます。しかし、カデンツァではゆったりと弾かれていてしみじみと語りかけてくるところが意外です。やっと、鬱陶しいオーケストラが黙ってくれて安心しているのかもしれません。ただ、フレーズの歌い方がシューマン的というより、ヴィルトォーゾ風の風格が感じられるのが気になるところです。

 第2楽章では淡々と音楽が進められ、感傷的にならないところはいい感じを出しています。しかし、中間部のチェロは8分音符のアウフタクトが短く聞こえるせいか忙しい印象を受けます。この8分音符をきちんと歌いこまないとシューマンの音楽にはならないと思います。第3楽章は記録に挑戦するかのごとく猛スピードで演奏されます。よく回る指には感心させられ、若い頃テクニシャンで鳴らしたというリヒテルの伝説を髣髴とさせます。しかし、オーケストラはあちこちで音をこぼしたりぶらさがったりでついていくのが精一杯、フーガでも崩壊寸前です。さすがのリヒテルも時々音をすっ飛ばしたり、アルペッジョのひと塊を全部外したりと万全ではないようです。こういう演奏はライヴでは熱気が溢れていて手に汗握る興奮を聴き手も共有できますが、録音されて何度も聴くには少々つらいものがあります。コーダにおける速いパッセージを軽やかに弾き飛ばすところは爽快感があっていいのですが、楽章の開始からコーダまでテンポにおけるコントラストがあまりないので、全体に平板な印象を受けてしまいます。この後、リヒテルは2回もシューマンの協奏曲を録音するわけで(必ずしもシューマン向きのピアニストとは思えないのですが)、きっとこの録音が納得いかなかったのでしょう。


◆スヴャトスラフ・リヒテル(Pf)ロヴィツキ/ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団(1958年10月 GRAMMOPHON)★★★★☆
 冒頭からピアノとオーケストラの気迫に圧倒されます。リヒテルのピアノは切れ味十分で最初から絶好調です。録音が古いこともあってオーケストラの音は貧弱ではありますが、スリムな響きでピアノにピッタリつけています。リヒテルのピアノは全音域にわたってバランスがとれた打鍵に貫かれ、高音の輝きと低音の力強さは目を見張るものがあります。テンポは速めながら余裕さえ見せつつ、動き出したら止まらないリヒテルの指はその勢いを減ずることなく鍵盤を縦横に駆け巡り、いっぱいに詰まったシューマンの音符をひとつも漏らさず弾きまくります。木管の音色にもう少しの魅力と、ヴァイオリンに艶があればいのですが、オーケストラは常に歯切れのいい伴奏をつけています。Andante espressivo ではクラリネットの音が直接的過ぎますが、引き締まった音楽を作っています。リヒテルのピアノは伴奏でありながらも木管の旋律にからみ、強い意志を持って舵取りをしています。Piu animato に入ると、緊張感が高まり、オーケストラとピアノが一体となった力強い音楽が作り上げられます。リヒテルの強靭な打鍵には圧倒されますが、オーケストラの音色がもっとよければと悔やまれてなりません。コーダでは一気に駆け抜け、胸のすくようなキッパリとした和音で楽章を閉じます。

 第2楽章でのリヒテルは一転してロマンティックな表現をとり、微妙なルバートを多用した自由なスタイルになっています。中間部のチェロはやや素っ気無いところはありますが、起伏を大きくとった演奏です。第3楽章では再び速いテンポで押しまくります。スリムな響きに活きのよいリズム感で、速いパッセージではつま先立っていながら低音部はしっかりと大地を踏みしめた安定さを聴かせます。3拍子なのに2拍子のように聞こえるところでは韋駄天のごとく猛スピードの中を自在に駆け巡りますが、リヒテルはここで音量を落して弾くという他のピアニストには見られない独特なスタイルを取っています。しかもこうした息もつかせぬ張り詰めた中を一音たりともこぼさずに弾きつづける様は圧巻と言うしかありません。オーケストラも貧弱な音ながらピアノにピッタリとつけています。コーダに入ってもリヒテルの勢いは衰えることを知らず、精密機械のように一直線にゴールを目指します。一ヶ所、歌謡風の旋律が出て来るところでブレーキをかけますが、とてもいい効果を上げています。


◆レオン・フライシャー(Pf)セル/クリーヴランド管弦楽団(1960年1月 CBS)★★★★☆
 速いテンポの中、鋭角的で激しいシューマンの姿がここにあります。細かいパッセージなど驚くほどの速さで駆け抜けるところは、録音が良ければさぞかしと悔やまれます。フレーズの形に影響を受けてテンポが緩むこともありません。オーケストラも引き締まった響きでピアノにぴったりとつけています。Andante espressivo では一転してテンポを落とし、舐めるようにレガートをきかせた演奏を行ないますが、ムードに流されることはなく、木管の音色には緊張感が漲っています。その後のピアノの跳躍は、あまりの激しさに鍵盤が壊れるのではないかと心配するくらいです。そのままPiu animato になだれ込にみ、凄まじい気迫を撒き散らしながら演奏され、オーケストラも嵐のような伴奏をつけます。何もこんなに激しい音楽にしなくても、と思いたくなりますが、シューマンのある一面を表わしていることはまちがいないでしょう。カデンツァも荒々しく一気呵成に通り抜け、コーダでも恐るべきスピードと迫力で見せつけ、最後の音をビシッと決めて楽章を閉じます。

 第2楽章も速めのテンポですが、大きめの音量でしっかり弾かれています。中間部のチェロも歌いすぎることはないものの、スケール感の大きな演奏を聴かせます。第3楽章。冴え渡る鋭いタッチと力強い打鍵で目の覚めるような演奏を繰り広げます。響きの少ない乾いた音は細かいパッセージを際立たせ、ダイナミクスの大きな幅の中で装飾音までもくっきりと浮かび上がらせます。オーケストラはガッチリと骨太の音楽を作り上げ、あたかも交響曲であるかのように演奏します。また、3拍子なのに2拍子に聞こえるところで弦楽器がつける伴奏(ピアノと合わせるのが非常に難しい個所ですが)においては、細かな抑揚をつけるなど余裕しゃくしゃくです。このリズム感の良さ、バランスの良さ、力強さ、元気のよさ、健康さは果たしてシューマンの本質かどうかは疑問ですが、ひとつのスタイルとして聴き応えは十分です。コーダでは徐々にテンポを上げて興奮度を高めていきます。ピアノもオーケストラもそのパワーと胸のすくような切れ味は衰えさせることなく高い頂点めざして一気に駆け上がって曲を閉じます。終わる少し前の一箇所だけテンポを落しますが、そこでのオーケストラの反応には驚かされます。少々疲れますが名演です。


◆ユージン・イストミン(Pf)ワルター/コロンビア交響楽団(1960年1月 CBS)★★★☆☆
 この時代の録音としては極めて優秀ですっきりした音でとられていて、とりわけピアノの音がとても自然な感じに聞こえます。無駄な響きもなく、爽やかなシューマンの音楽を楽しめます。妻クララに対する思いや幸福な感情とがストレートに表現されていると言えるかもしれません。思いつめたところや、悩みを抱えたり、消沈しているシューマンの姿はここにはありません。イストミンのピアノは低音から高音まで均質で引き締まっていて、しかも打鍵は確実でバランスがよくとれています。技巧をあまり感じさせず、難しい個所も事も無げに弾き流すところには好感が持てます。ワルターは一部の隙もない見事なアンサンブルでピアノソロの雰囲気を壊さずに見事なサポートを行なっています。難点といえばオーボエやクラリネットのソロが少々素っ気無いところでしょうか。

 第2楽章はいかにも間奏曲といった風情の静かで室内楽的な音楽になっています。中間部におけるチェロの音色にはがっかりさせられますが、全体的にオーケストラは控えめで常にピアノがリードしています。第3楽章は遅めのテンポで丁寧に弾かれていて、そのためかフレーズ毎に微妙な表情付けが効果的行なわれています。オーケストラとのバランスもとても良好で、どんな場面でもすべての音がクリアに聴くことができます。特にピアノの高音の粒立ちがよく、中低音部でのシャープで透明感のある打鍵は濁りや無駄のない響きを作り上げています。込み入った音型がクリアに聴き取れるのは、確実な打鍵もさることながらペダルの使用を極力抑えているようにも思えます。際立った特徴のある演奏とは言えませんが、シューマンのある面を見事に捉えた秀演と言えます。


◆ウィルヘルム・バックハウス(Pf)ヴァント/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1960年1月 DECCA)★★★☆☆
 ピアノの爽快な弾き始め方からするとオーボエの吹き方はいかにも古風でチグハグな感じを受けます。続くピアノは淡々と速めのテンポで音楽を前に進め、フォルテをガンガン叩くよりはていねいに弾く律儀なスタイルを取っています。右手による旋律ラインは軽々と歯切れのよい音でどちらかといえば明るい雰囲気を出しています。低音から高音まで安定した打鍵ですが録音のせいか低音はやや不明瞭なところもあります。立ち止まったり逡巡したりすることなく前へ前へと音楽を真面目に紡いでいく姿は、シューマンの音楽を持て余しているのか、バックハウスの本来の姿ではないような気がします。オーケストラはいつしかバックハウスの音楽に呼応して無骨さ丸出しのトゥッティをはじめ近年のウィーンフィルと違う素朴な味を出しています。Andante espressivo でのピアノはひたすら静かに弾かれていますが、オーケストラはどのパートも大きめの音で演奏され、おおらかな雰囲気を出しています。展開部の後半ではゆっくりめに弾かれているせいか少し音楽が重く感じられるのが残念です。カデンツァではほとんどイン・テンポで弾かれていて、テンポを揺らして見得を切ったりしません。あまり巨匠風でないため鍵盤の獅子王と呼ばれたバックハウスのイメージとはずいぶん遠い演奏になっています。

 第2楽章は一定のテンポで大げさに歌ったりせず淡々と進みます。中間部でもチェロを始めとしてオーケストラはしっかり弾きながらも歌いすぎず引き締まった音楽を作り出しています。単純な音を素朴に鳴らすだけで立派な音楽しているところはさすがです。第3楽章ではこれまでと違って、男性的で力強い演奏を披露します。フォルテの打鍵には密度の濃い音がつまっていて、録音のせいかあまり美しくは響きませんが、骨太のがっちりした音楽をきかせてくれます。磨かれたタッチではないものの、どの音もきちんと弾かれています。しかし、この点がシューマンらしくないという気がしないでもありません。力強く弾けば弾くほど単調な印象を受ける個所もあります。しかし、クライマックスへ向けて作り上げられる音楽は、その重心の低い音質によってより一層スケールの大きなものになっています。コーダでは歯切れのよい熱気溢れる音楽が展開され、途中からテンポをグイッと上げていくところはなかなかの効果を挙げています。しかし、ベートーヴェンやブラームスで聴き馴染んだ堂々としたバックハウスの姿はここにはありません。この時74歳という年齢もありますが、シューマンのこの曲との相性もあるのかもしれません。


◆アニー・フィッシャー(Pf)クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団(1960年12月 EMI)★★★☆☆
 この頃の演奏としては非常にいい音で録音されています。巨匠クレンペラーの指揮ともなるとさぞやと思って聴くと、どうしてピアノの存在感があまりに大きく、指揮者の存在をも忘れてしまうほどで、アニー・フィッシャーの太く逞しい打鍵はこの演奏をパワーと重量感あふれるものにしています。静かなところと激しいところの落差が極めて大きいのも特徴です。また録音のせいか、あるいは使用している楽器のせいか中低音域の音色が変わって聴こえます。両手で弾くと左右が違う楽器を叩いているような錯覚にとらわれ、中低音で速いパッセージを弾くと素朴で歯切れがいいわけではないのに、決して濁らずに勢いのある音がくっきりと際立ってきます。ペダリングのテクニックなのか、日頃聴きなれている楽器とは異なるメーカーのものなのでしょうか、現代的な音ではないようにも感じられます。いずれにせよ、この不思議な響きによってシューマンの複雑にからむ音型が鮮明に弾き分けられつつも決して単純な姿にならずに深い味わいを呈しています。Andante espressivo ではたっぷり時間をかけて静に歌い、その後は一転して激しい音楽を展開させます。伴奏部の音型もすべての音を弾き飛ばさずにくっきり際立たせますが、例によって普通のピアノとは異質な音色であるために独特な雰囲気を作り出しています。

 第2楽章もこのピアノの特徴的な音色、左手のくぐもった感じの音、が十二分に活かされています。明るい日差しが時々しか届かない森の中にいるように、重心の低い音を基調に音楽が進められます。中間部のチェロを始め弦楽器は控えめで、あくまでピアノが主体となっています。第3楽章は遅めのテンポですべての音符を舐めるように弾き尽くすといった感じです。遅いながらも随所でテンポを揺らしたり突然走り出したり、ダイナミクスを激しく変化させたりで、そのユニークさにおいてはどの演奏も敵わないくらいです。また、低音から高音までどの音域でもフォルテではめいっぱい大音量で鳴らしますが、澄みきってはいないけれど混濁のない音が印象的です。やりたい放題の演奏ながら、細かな表情付けも忘れていませんので単なる思いつきの演奏にありがちな平板な音楽にはなっていません。オーケストラは終始遠慮がちでひたすら女王様にかしずいているといった演奏です。しかし、3拍子の中で2拍子の音楽を演奏するとろで極端に遅いテンポを採用していますが、ここでようやくクレンペラーの存在を思い出させてくれます。また、フーガのところで気付いたのですが、ヴァイオリンを両翼に配置しているようです。こんなことを書くと音楽学者や古楽器奏者に非難されるかもしれませんが、こういう音色の自由な演奏が作曲当時のスタイルだったのかもしれないと思ったりもします。


◆ゲザ・アンダ(Pf)クーベリック/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1963年9月 GRAMMOPHON)★★★★☆
 よく鳴るオーケストラに負けじとガンガン弾く演奏です。速めのテンポに乗って、粒立ちもよく、力強い男性的な音で弾かれています。しかし、弾き飛ばすことはなく、速いパッセージの最後の音を丁寧にまとめる余裕もあります。和音を強奏で連打するところのパワーは凄まじく、オーケストラがフォルテで鳴ってもピアノが霞むことはありません。Andante espressivoでは木管がここぞとばかり自己主張をしていますが、ピアノも負じとヴィルトォーゾ・オーケストラを向こうに張って対等に渡り合っています。展開部の後半でフルートとユニゾンで旋律を歌うところでの高音の輝きは見事で、ピッチが完璧に合っているのにも驚かされます。コーダで木管楽器が忙しい旋律を吹く時のピアノの伴奏はつまらないせいか他の演奏ではほとんど聞こえませんが、アンダは機関銃のようにバリバリ弾きまくっていてとてもユニークです。ただ、録音のせいか弦楽器の高音がつぶれて聞こえるのが残念です。

 第2楽章では冒頭の主題にスタカートを付けていません。オーケストラはバランスに優れていて頭ひとつ抜け出たフルートがいい感じで響きます。中間部のチェロとヴァイオリンがベタッとテヌートで弾かず僅かな減衰と隙間で清楚な音楽を作り出していて、呆れるほど美しい世界を演出します。ピアノは弱音に拘らずにしっかりと弾かれています。第3楽章は、やや落ちついたテンポで装飾音符をきちんと弾くと同時に和音を豪快に鳴らしています。細かいパッセージでは少しテンポを上げますが、総じて遅めのテンポが採用されていて繊細さが強調されています。また、曲想に応じて軽やかさから重厚さまでタッチを使い分けていて、速いところでは弾き始めから僅かにクレッシェンドとアッチェランドをかけ、弾き終わる直前にディミュニエンドとリテヌートで収まるといった考え抜かれたフレーズの処理を行なっています。高音で軽やかに舞った後、低音から突然のフォルテでアルペッジョが爆発するところでは何故か弱音のまま弾いているところがあります。他の演奏ではほとんどフォルテッシモに近い大音響であるため、ここでは弦だけのオーケストラが奏する合いの手が聞こえないもが通例です。それを考えるとアンダの判断にはそれなりの理由があることになります。コーダでも軽やかさを失うことなく、力に頼らない演奏を繰り広げます。第1楽章のパワー溢れる演奏と打って変わって第3楽章は細やかな弾き方をしていますが、いろいろなことをやりすぎて焦点がぼやけている気がしないでもありません。しかし、近年甘口の演奏が多いとお嘆きの貴兄にはお薦めの演奏と言えます。


◆アルトゥール・ルービンシュタイン(Pf)ジュリーニ/シカゴ交響楽団(1967年3月 BMG)★★★★☆
 冒頭に吹かれるオーボエの引き締まった音が印象的です。ピアノはオーケストラにつける時は流れるように、フォルテでは確かな打鍵からくる輪郭のはっきりした音を作り出します。細かな表情づけを行ないながら一歩一歩踏みしめるように進むと思えば、クライマックスに向けて一気に緊張を高めて豪快に弾ききるなどすべてを知り尽くした巨匠ならではの演奏といえます。木管楽器の音色がややストレートではありますが、弦楽器は充実していてがっちりした揺るぎのない音楽でピアノを支えます。開始早々ピアノの細かい動きをバックに弦楽器が流れるような主題を奏するところで、チェロの対旋律風に動く部分がクリアに聞こえてくるのは他に例がありません。Andante espressivo でのピアノの歌い方はさすが余人を寄せ付けない堂に入ったもので、華やかな木管を引き連れてあくまでピアノが主役とばかり音楽をリードしていきます。

 第2楽章では背筋のピンと伸びたピアノと張りのあるチェロによって明解な音楽が語られ、弱音になっても生気を失うことがありません。第3楽章の手前で見せるオーケストラの最弱音は見事です。第3楽章ではメリハリが効いてキチッと弾かれるオーケストラをバックに華麗なピアノを楽しむことができます。ルービンシュタインの音は無駄な響きがなくスリムでありながら決め所は豊かに鳴り響きます。高音は軽やかで装飾音は完璧に聴かせてくれます。全体的に落ちついた変化の少ないテンポで弾かれていますが、コーダの途中において装飾音付きの付点音符のリズムを効かした歌謡性のある旋律を弾くところで、一瞬ブレーキをかけていますが、このあたりは聴き手をアッと驚かす術を心得たキャリアの重みを感じさせます。最後はもっと激しい盛り上がりを作って欲しいとも思いますが、この時ルービンシュタインは80歳であったことを思うとそれは無理な願いでしょう。


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