シューマン : ピアノ協奏曲イ短調 CDレビュー II




II.  1970-1989年録音
    ♪オグドン♪ルプー♪リヒテル♪ペライア♪アルゲリッチ♪
    ♪ブレンデル♪ツィメルマン♪シャーマン♪シフ♪
    ♪フランツ♪オルティーズ♪ヤンドー♪レーゼル♪ダヴィドヴィチ♪

◆ジョン・オグドン(Pf)ベルグント/ニューフィルハーモニア管弦楽団(1971年12月 EMI)★★☆☆☆
 1960年ブゾーニ・コンクール優勝、1961年リスト・コンクール優勝、1962年第2回チャイコフスキー・コンクールでアシュケナージと1位を分け合うという華々しい経歴のオグドンは、1975年から神経障害で演奏活動を中断、復帰後まもなく心臓病で他界するという活動期間の短いピアニストだったことになります。このシューマンは病気に侵される前の最も脂の乗りきった頃の録音ということになりますが、どこか覇気が感じられない演奏に聞こえます。タッチは全曲を通じてソフトで、音の響きを確かめながら細部をきちんと弾いています。音質は柔らかで軽く、音の流れはなめらかに感じられます。多少、余分な響きが混じるのが気になるところではあります。オ−ケストラもソロに合わせて起伏もなだらかで、細部まで神経の行き届いた演奏をしています。Andante espressivo における低弦の動きには思わず耳をそばだててしまい、木管のソロもそれぞれ味わいのある歌を聴かせてくれます。オグドンのピアノも静かでしっとりした音楽に徹しています。展開部後半では小気味のよいテンポに乗って伴奏とのバランスがよくとれたかたちでスイスイ進みますが、もう少し踏み込みがほしい気がします。総じてオグドンはよく弾けているのですが、シューマンの悩みを表現することを避けていながら(それはそれとして悪くはありません。)、溢れるばかりの喜びも表現していないという、中途半端なスタイルであると言えます。シューマンの音楽にしては起伏に欠け、軽く、しかも優しすぎるところに問題があるようです。

 第2楽章はリラックスしたいかにも間奏曲といった感じで弾かれています。オーケストラのアンサンブルは細部までよく磨かれていて好感がもてますが、中間部のチェロの音色が軽く、ソフトすぎてどこかムード音楽のように聞こえるのが残念です。第3楽章。終始安定した余裕ある落ち着いた雰囲気が曲を支配します。ピアノは決して激することはなく、音符を確実にものにしていきます。録音のせいか時々音の通りが悪く、高音の抜けるようなところがないのが残念です。オーケストラはソロを見事にサポートしていますが、もう少し主張があってもいいかもしれません。コーダに入っても雰囲気は変わらず、迫るものに欠けます。技巧とパワーで鳴らした人とは思えない優しいシューマンがここにあります。


◆ラドゥ・ルプー(Pf)プレヴィン/ロンドン交響楽団(1973年1月 DECCA)★★★☆☆
 いきなり冒頭でスフォルツァンドの次の音で音量を落すという荒業を見せてくれます。そればかりか、ルバート、ポーズ等意表をつく小技をあちこちで披露するといった一筋縄でいかない演奏です。オーボエの少し変わった音色に続いて提示されるピアノの音にはガラスのようにひんやりした肌触りが感じられます。その後は一転して速めのテンポで混沌から浮き上がってくるように、やわらかい音で旋律ラインと伴奏とを絶妙に融合させています。また、下降アルペッジョのうねるような弾き方も思わず耳を奪われます。強奏での打鍵と響きはすみずみまでコントロールされていて節度が保たれ、しかもフットワークのよい軽い動きで流れるような音楽を作り上げます。Andante espressivo でもソフトなタッチで抒情性豊かに歌います。くりかえしの音型でハッとさせるような変化を付けているのが印象的です。カデンツァでは繊細さに加えて、技巧的な面や力強さといったところも披露していますが、シューマン特有の音の塊を連続的に叩くところは少々単調に聞こえます。オーケストラとの息はピッタリですが、オーケストラ自身の音色の魅力は今ひとつです。

 第2楽章は「千人にひとりのリリシスト」ルプーの独壇場といえます。フレーズに即して一音一音タッチを変えて弾く、恐るべき表現力が発揮されています。しかし、決して自分だけの世界に浸ることはなく、音楽も停滞することはありません。第3楽章はほんの少し遅めで無理なくすべての音を響かせるテンポを採用しています。ルプーは相変わらず節度ある打鍵に徹していてどの音も美しく鳴らしています。低音から高音までバランスの取れた粒立ちのいい発音が魅力です。スリリングなところや興奮するところはありませんが、シューマンのある面は限りなく美しく演奏されています。オーケストラはもう少し積極性があってもいいと思われます。


◆スヴャトスラフ・リヒテル(Pf)マタチッチ/モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団(1974年11月 EMI)★★★☆☆
 最初の和音が豊かな響きで鳴り渡ったとたん、一抹の不安が頭をよぎります。ピアノのモノローグは高音を美しく鳴らした完成度の高い表現ですが、オーケストラと共にテンポを上げていくと硬質なタッチは紛れもないリヒテルのものではあるももの、何かが違うという印象が拭えません。響きが多すぎて中低音がモヤモヤしているのはやむを得ないとして、リヒテルの演奏に覇気がないというかこじんまりした感じを受けます。オーケストラが奏する主題も焦点がぼやけていて捉えどころがありません。トゥッティによる強奏でもバランスの悪さはもちろん、弦はガサガサ金管はバタバタとがっかりさせられます。響きが多いせいかリヒテルのテンポも遅めで、細かいパッセージの打鍵も心なしか力を加減しているようにも聞こえます。全体に霞みがかかった雰囲気はそれはそれとしてひとつのスタイルと言えますが、それだけではシューマンは表現できないでしょう。Andante espressivo の前でようやくオーケストラが堂々としたトゥッティを聴かせますが、Andante espressivo に入ると主張のない伴奏に終始し、クラリネットのソロも自信なさげです。テンポは遅く、リヒテルのピアノも穏やか過ぎてインスピレーションに欠けます。続くピアノの跳躍においてリヒテルの鋭いタッチの片鱗を窺うことができますが、やはり響きが豊か過ぎて迫るものがありません。Piu animatoでは厚みのないオーケストラに乗って高音をなぞるだけのように聞こえ、中低音の細かい音符はほとんど聴き取れません。ここでもこじんまりした印象派拭えず、最もリヒテルの特質が活かされるべき個所なだけに残念です。再現部でやっと、重みのある打鍵が聴けるようになります。カデンツァは堂に入ったもので、やや重いところはありますが、スケール感の大きな演奏に仕上がっています。コーダに入ってもオーケストラは鮮明さに欠けますが、リヒテルのパワーは垣間見ることが出来ます。

 第2楽章。ここでも響きの多さがかなり影響しています。リヒテルの柔らかいタッチがこの響きによってやや現実感を失っているのと、中間部でのチェロとヴァイオリンの音がオブラートに包まれているように感じられ、ムード音楽のように聞こえてしまいます。第3楽章は、突然人が変わったようにリヒテルはその本来の持ち味を発揮させます。落ち着いたテンポながら、堂々とした音楽を重くならずに弾むようなリズムで展開していきます。最初の和音の連続も恰幅よく見事に弾き通し、重心の低い音の塊をこうまで歯切れよく演奏できる人は他にはいないでしょう。細かいパッセージではテンポをアップさせますが、タッチの重みを失わずに歯切れのよさを獲得したその弾き様はさすがリヒテルと唸らせるところです。3拍子のところで2拍子系の旋律を奏するところでの緊迫感もよく出ていて、相変わらずモヤモヤしたオーケストラですが伴奏はよくつけています。コーダに入ってもリヒテルの興奮はおさまらず、テンポをグンと上げて突っ走ります。装飾音の細かい音符をまるで時が止まったかのようにテンポの中で確実に弾くところは魔術でも見るようです。途中、歌謡性のある旋律を弾くところでガクンとテンポを落とすところは思わず耳を奪われます。しかし、直ぐさまテンポを戻し、活きのよい打鍵を繰り広げつつ一気にクライマックスへと持って行きます。この楽章では、シューマンの音楽としてはやや力で押しきるだけのスタイルであるため物足りなさはありますが、リヒテルのピアノを堪能するには十分な演奏と言えます。


◆マレイ・ペライア(Pf)C.デイヴィス/バイエルン放送交響楽団(1978年1月 CBS)★★★★★
 速めのテンポながら雑にならず、過剰な表現を避けた爽やかな演奏です。ペライアのピアノは全音域にわたって無駄のないクリアな響きに特徴があり、スケール感はありませんが力強さを持っています(モーツァルト弾きとして鳴らした頃のイメージとはだいぶ趣を異にしています。)。速いパッセージでの打鍵は鋭すぎず、軽すぎず、一音一音に活き活きとした躍動をも感じさせます。とりわけ下降アルペッジョをこれほど見事に弾かれている例は他にないかもしれません。オーケストラはピアノにぴったりと寄り添い、木管のソロもその音色、歌いまわしなどピアノとよく呼応しています。トゥッティでは丁寧で控えめな弾き方ですが、細部まで神経が行き届いた演奏になっています。Andante espressivo でのオーケストラはなだらなか起伏をつけつつ、微妙な緩急と洒落たアクセントでピアノといっしょに息づいています。木管の音色にもう少し主張があってもいいかもしれません。ピアノはディヴィスの作り出す音楽にゆったりと身を委ね、旋律ラインと伴奏部の絶妙なバランスのもとにシューマンの切ない感情を歌い上げます。展開部後半ではフルートとピアノのピッチが見事に合っていて聴いていて心地よさを覚えます。テンポ、バランス、伴奏部のクリアさなどあまりに完璧すぎて面白味がないくらいです。ペライアのピアノで多少難があるとすれば、ピアニスティックなところが前面に出てこないということでしょうか。それと、もう少し張り詰めた厳しさがあるといいかもしれません。しかし、オーケストラは素晴らしく、決してでしゃばるこをせずきっちりとした音楽を作りあげるディヴィスの棒には最大の賛辞を呈したいと思います。

 第2楽章では弱音の指示にあまり拘らないでしっかりとした音で弾かれます。装飾音で音楽に動きを与えているのが印象的です。中間部でのチェロの旋律は感傷的にならず、おおむねピアノがリードしています。また、オーケストラ全体のバランスや音色がよくコントロールされていて、特に後半における静寂さと確固とした安定感がこの楽章に格調の高さを与えています。その静けさがあるがゆえに、第3楽章へのブリッジでの盛り上がりは見事で、第3楽章に入る直前のフルートの突き抜けるような響きにも思わず耳を惹きつけられてしまいます。ペライアの叩き出す和音は豊かに響き、速いパッセージでは力強さと粒立ちのよいクリアな音が弾けます。すべての音域にわたって鮮明に鳴らされるペライアの打鍵には仄かな緊張感と節度あるスピード感があります。オーケストラは相変わらず見事なサポートで、スリムでカッチリした伴奏はこの楽章に最も相応しいものと言えます。コーダに入ってもピアノの勢いは衰えることなく、正確無比なオーケストラの合いの手を伴って次第に音楽を高揚させていきます。途中テンポを緩めて鍵盤を這うように弾くところは圧巻でペライアのピアニストとしての閃きを感じさせるところです。ピアノもオーケストラも共に極めて水準の高い演奏と言えます。


◆マルタ・アルゲリッチ(Pf)ロストロポーヴィチ/ワシントン・ナショナル交響楽団(1978年1月 GRAMMOPHON)★★★★☆
 アルゲリッチのピアノは低音から高音まで硬質なタッチでバランスが良く取れています。フォルテにおける引き締まった音、ここぞというときの輝かしい音に魅力があります。ただ、ピアノが下降アルペッジョを弾く時に低音に降りるにつれて粒立ちを失うのですが、わざとペダルでぼかしているのでしょうか、ここは硬い音がほしいところです。オーケストラは主題を激しく起伏をつけて演奏し、時にピアノソロを被い尽くすことがあります。しかし、トゥッティに向けて盛り上げていくピアノの激しさは凄まじく、オーケストラと一体となって頂点に登りつめるところはなかなか感動ものです。また、この盛り上がるきっかけとなるのがチェロによる下降半音階なのですが、さすがチェロの大家、ロストロポーヴィチはこの個所を見逃さず、思いきってチェロを歌わせます。しかし、頂点でピアノがオクターヴで上降音階を勢いよく弾ききった後にオーケストラが落ち着いてしまうのがなんとも惜しまれます。Andante espressivoでは淡々と音楽が進みます。ピアノの左手の動きが抑えすぎているように思えますが、フレーズ毎に感情を表に出していき音楽的に大きなクライマックスを作り上げます。続く Animato ではアルゲリッチにしては大人しすぎるのか、興奮度が伝わらないのが残念です。しかも、コーダではオーケストラが頑張りすぎてここでもピアノを優ってしまうところがあります。最後の音はきっぱり弾ききっています。

 第2楽章でのアルゲリチはさらっとしていて自然な音楽を作っています。しかし、オーケストラは厚みのある音で弾いていて遠慮はしません。中間部では感傷的にならず速めのテンポで進みます。さすがロストロポーヴィチ、ここでも抜かりなくチェロからいい音を引き出しています。ピアノは少し動きすぎでぎこちない印象を受けます。終わりのあたりでオーケストラがピアニッシモを無造作に弾いているのが惜しまれます。第3楽章。粒立ちのはっきりした打鍵、力強いアクセントにフレーズ毎のメリハリのある弾き分けと、アルゲリッチの持ち味が発揮されています。3拍子なのに2拍子の音楽になっているところでは、オーケストラといっしょのところは快速かつイン・テンポで弾きつつ驚くほど細かいニュアンスをつけています。常に安定した堅実さは逆にまじめ過ぎる印象を覚えます。相変わらずオーケストラが出しゃばるところがありますが、フーガなどきっちり丁寧に弾かれていて、そこでの弦楽器の刻みが明確に聞こえるのも好感が持てます。この楽章でのオーケストラはノリがとてもよく、ピアノとの掛け合いも見事です。第1楽章のピントずれたオーケストラとはまるで別物のようです。コーダでもあまりテンポを上げずに落ち着いた弾き方になっているため、もう少しスリリングな演奏を期待したいところです。ただこの楽章では、ピアノ、オーケストラとも波長の合った素晴らしい演奏と言えます。


◆アルフレード・ブレンデル(Pf)アバド/ロンドン交響楽団(1979年6月 PHILIPS)★★★☆☆
 冒頭のオーボエの音色が少し変わっていて、その後に続く音楽と隔たりがあるような気がします。ブレンデルのピアノは硬質で透明感に溢れていて、速いパッセージにおける切れ味は鋭く、込み入った個所もクリアに聞えます。熱気もこもっていて、オーケストラとクライマックスをめざして駈け上がるところは胸のすくような爽快感を覚えます。また、硬質な音とはいえ、同じ音域でもその硬さに変化を与えたり、時にはやわらかい音も聴かせます。また、高音を響かす時のタッチも工夫が凝らされていて非常に粒立ちのよい音を作り上げています。ブレンデルらしい隅々まで考え抜かれた演奏といえます。それに較べるとオーケストラには色々と問題があり、木管の音色には全く工夫が感じられず、Andante espressivo でのクラリネットにはセンスの無さが気になるところです。トゥッティでは勢いは見事でもブレンデルの緻密さとの距離は大きく、歌いまわしや音色面での連携がうまくいっていないようです。ただ、展開部後半においてピアノの旋律ラインにオーケストラの一部のパートが入れ替わり重なるところがありますが、ここでは見事なアンサンブルを聴かせてくれて音楽の仕組みがよくわかる演奏になっています。

 第2楽章ではブレンデルの透明な音色によって、澄みきったシューマンの世界が美しく歌われます。単純な音楽によけいな衣装を纏わせず、スタカートを効かせたシンプルな表現には説得力があります。しかし、中間部のオーケストラはどうも四角四面といった印象を受け、ピアノの素朴な感じとしっくりきません。終わりのあたりでフレーズの最後の音を処理する時のブレンデルの集中力は凄まじく、聴いているこちらも息が止まりそうになります。第3楽章は、相変わらずよくコントロールされた打鍵から生み出される端正な音楽に特徴があり、決して攻撃的になりません。硬質ではありますが、クリスタルのようにキラキラと輝く歯切れのよいタッチには思わず引き込まれてしまいます。テンポは安定していてブレンデルの装飾音がきちんと聞こえる速さになっていて、常にクリアで明晰な音によって明るい雰囲気を出しています。行進曲風のところではただ軽やかさだけでなくリズムを強調するといった工夫も見られます。ただ、あまりに平穏無事といった演奏なのでもう少し起伏とか熱くなるところとかがあってもいいかもしれません。これは指揮者のアバドにも言えることで、安全運転でピアノに付けることばかりで終わっているような気がします。アバドは後にこの曲を3回も録音するのですが、シューマンの交響曲はまだ録音していなかったと思います。シューマンは苦手なのでしょうか。


◆クリスチアン・ツィメルマン(Pf)カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1981年9月 GRAMMOPHON)★★★★★
 1975年のショパン・コンクールで地元ポーランド出身の18歳の美少年が並み居るソビエトの猛者を押さえて優勝をかっさらったシーンをテレビで見たのがもう四半世紀前とは感慨深いものがあります。あの少女のように美しいツィメルマンの弾く姿は今でも鮮やかに蘇ってきます。このシューマンの演奏はコンクールの僅か6年後、帝王カラヤンに抜擢されての録音です。両者はこの後もしばしば共演していて手元には84年のルツェルン国際音楽週間で同じ曲をウィーンフィルと演奏したテープもあります。ツィメルマンはこの録音の前にジュリーニとショパンの2曲の協奏曲、この後にバーンスタインとブラームスの2曲の協奏曲とベートーヴェンの3曲の協奏曲を録音しており、いずれも巨匠ばかりと大曲を手がけていて、まさに飛ぶ鳥を落とす破竹の勢いだったと言えます。さらに最近はブーレーズとラヴェルの協奏曲を入れ、ショパン・イヤーの昨年は自らポーランドでオーケストラを作って協奏曲を弾き振りするなど活発な活動を行なっています。

 このシューマンの演奏は特に何を強調するということはない、正攻法で取り組んだものと言えます。冒頭のオーボエは滑らかに流れてピアノによる美しい主題提示を促します。このあたりの自然な音楽作りはさすがで、シューマンの世界に思わず引きこまれていきます。ツィメルマンのピアノは24歳とは思えない恐ろしく成熟したもので、音符の隅々まで気持ちが込められていて、曲想毎に説得力ある表現を聴かせてくれます。また、旋律ラインと伴奏の音型とが見事なバランスを保っていてどちらかというと不器用な伴奏部のバタバタした感じと旋律部でありながらどこかためらいがちになるシューマンの複雑な感情の現れを上手に表現しています。オーケストラは濃厚で輪郭のはっきりした音楽を作り上げ、やや腰が重いところはありますが、常に堂々とした貫禄を見せます。Andante espressivo でのクラリネットは意外と素朴な味を出していてピアノと美しく絡み、感傷に溺れることもありません。展開部に入ってからの木管楽器はピアノとの息もぴったりで、流麗にして上品な音楽を聴かせてくれます。再現部の少し前でアクセントを強調するところがありますが、この楽章の演奏で唯一ピアノとオーケストラが音楽を動かしている個所です。それ以外はシューマンの書いた音楽を自然に流していくといった感じで、全体にテンポの変化は少なく熱くなることがないので多少物足りない面もあります。

 第2楽章では驚くべきことに構成感を強く感じさせる演奏になっています。最初のスタカート付きの8分音符から、次第にオーケストラの厚みが増し、レガートのかかった旋律の断片が見え隠れし、ついにはチェロが朗々と息の長いフレーズを歌い出すといった具合に、常に見通しのはっきりした音楽作りがなされています。その頂点における厚みと潤いのあるチェロの音色にはただ圧倒されるばかりです。この間ツィメルマンは響きを殺した音から柔らかい音まで極めて変化に富むタッチを披露し、しかもその音のすべてが各情景にピッタリあてはまるよう周到に考え抜かれています。静寂と音の動きが計算されたように配置され、この短い間奏曲がいつのまにかシューマンのロマンティシズムの一面を雄弁に語るピアノ付きの立派な管弦楽作品になっていることを思い知らされます。まさにカラヤンの魔術と言うべきですが、それにしてもツィメルマンの幅広い表現力には感心させられます。第3楽章では若さをアピールする活き活きとした軽やかさと力強さに満ちています。ここでも隅々まで神経の行き届いた演奏を繰り広げていますが、音の勢いは失われていません。細かいパッセージにおいても変化のある打鍵で弾かれていて、平板な演奏に陥りがちなシューマン特有の繰返しの多い譜面からも多彩な音を引き出しています。オーケストラはトゥッティではスケールが大きいものの伴奏にまわると少々控えめ過ぎるところもあります。コンサートマスターの安永氏は後に、この録音ではオーケストラはカラヤンの棒を見ないで室内楽に徹したと証言していますが、確かに室内楽的な伴奏ではありますがこの楽章におけるメリハリのあるリズミカルな雰囲気とは少々ズレがあるような気がします。しかし、コーダに入ると音楽に熱気が加わってテンポもアップし、おとなしかったオーケストラも活気づいてきます。フルートの澄んだ響きも効果的で、ツィメルマンのピアノも時折ヴィルトォーゾ風に華麗に鳴り響きます。恐るべき演奏です。


◆ラッセル・シャーマン(Pf)シルヴァースタイン/ユタ交響楽団(1983年5月 PROARTE)★★★☆☆
 指揮者のシルヴァースタインは長年ボストン交響楽団でコンサートマスター兼副指揮者をつとめた後、このユタ交響楽団で振っています。自らヴァイオリン協奏曲のソロを弾くCDの余白にブラームスの序曲を振っているのを聴いたことがあります。さて、シャーマンのピアノは明確なタッチと明るい音色に特徴があり、低音部での濁りもありません。テンポは最初から遅めです。オーケストラが主題を奏してピアノが伴奏するところでは丁寧にかつ陰翳が効いていて、強奏のところではメリハリある音楽を聴かせてくれます。木管の音色は今ひとつですが、オーボエはピアノによくつけています。細かいパッセージでのピアノはその中音域がやや軽く潤いに欠ける音ではありますが、全音域にわたって歯切れと粒立ちのよい、均質な打鍵で弾かれています。Andante espressivo では情緒綿々と歌われる中をピアノが見え隠れするバランスのいい演奏になっています。クラリネットにもっと色気のある音で吹いてくれるといいのですが。Piu Animato は少々真面目ではありますが、旋律部をくっきりと際立たせています。テンポがあまり速くない分、ノリは今ひとつです。音質も明るいということもあってシューマンらしさが出ていないようです。オーケストラは全般によくピアノにつけていて、コーダも見事な音楽を作り上げています。

 第2楽章。ここでも遅いテンポが採用され、明るく明解な音楽が展開されます。オーケストラもよく鳴っていて、それぞれの役割をきちんとこなしています。中間部のチェロはその清楚な歌いぶりに好感が持てます。フレーズの頂点での音にもう少し潤いがほしいとは思いますが、全体としては水準の高い演奏を聴かせてくれます。一方ピアノは与えられたスペースを自由に動き回っていった趣でユニークです。第3楽章も遅いテンポで、すべての音をきっちり丁寧に弾いていますが、決して重々しくはなりません。細かい音の歯切れのよさ、全音域にわたるバランスのとれた音と、もっとテンポが速く、或いはテンポを動かせばもっとエキサイティンクな演奏になったのにと思ったりもします。オーケストラはフーガのところでもしっかり弾いていながら、ピアノとの絶妙なバランスを維持しています。オーボエが相変わらずよく鳴っています。コーダに入ってもテンポは上がりませんが、重くはならず、かえって躍動感を感じさせる打鍵で弾かれています。切れ味もよく、音量をセーブしたり思いきったルバートをかけたり、メリハリをつけつつ曲を閉じます。


◆アンドラーシュ・シフ(Pf)ドラティ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1983年7月 DECCA)★★★☆☆
 ハンガリー若手3羽ガラスのひとりアンドラーシュ・シフはちょうどこの頃バッハの鍵盤作品を集中的に録音していました。シフは、1977年の来日の際にシューマンのピアノ曲を録音していましたが、その後シューマンのピアノ曲を録音するのは1995年になってからです。シフにとってシューマンは必ずしも得意なレパートリーではなかったと言えるかもしれません。この協奏曲はその2つの録音のちょうど中間の時期に行なわれたわけですが、非常にユニークな演奏になっています。この曲は当初単一楽章の「ピアノと管弦楽のための幻想曲」として作曲されてあとから第2,3楽章を追加されたという変わった経歴をもっていますが、シフのこの演奏は協奏曲というより、まさしく「管弦楽団のためのピアノ付き幻想曲」とでもいえるものです。同郷の大先輩ドラティのアイデアかどうかはわかりませんが、モーツァルトやバッハを得意としていたシフにとっては自分のスタイルに合っていたのかもしれません。

 やや速めのテンポで、ピアノは繊細かつコンパクトな響きで弾かれます。ffでも激しくならず、高音から低音までクリアな音が鳴らされます。オーケストラも引き締まった響きで、アクセントを効かせた歯切れのよい音で演奏されていて、そのあまりの意思の強さにまるでソロが合わせているかのように聴こえます。とりわけ、木管が旋律を歌うときのピアノは霞みっぱなしで、ソフトな音で鍵盤を舐めるように弾かれています。カデンツァでは繊細なタッチでフレーズ毎にニュアンスを変えた美しい演奏を披露しますが、強音で和音が続くところはシフに向いていないようです。コーダではシンフォニクな盛り上がりを見せキッパリと終わらせるところも立派な管弦楽作品を思わせます。第2楽章は弱音を活かした室内楽的な演奏で、細やかな色づけが印象的です。テンポが緩んで音楽が停滞することはありません。第3楽章でも切れ味するどいオーケストラをバックに、ピアノが落ちついたテンポで一音一音丁寧に弾いていきます。華やかな技巧を楽しむことはできない演奏ですが、シューマンの音楽は十分に楽しむことができます。


◆ユストゥス・フランツ(Pf)バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1984年2月 GRAMMOPHON)★★★★★
 1984年にバーンスタインがウィーンフィルとシューマンの交響曲全集を録音した時に、ついでと言っては失礼ですがピアノ協奏曲とチェロ協奏曲(ソロはマイスキー)も収録しました(すべて映像も収録されていますが、ピアノ協奏曲のは音と画像がずれていて見ていてつらいものがあります。)。その中にあって、何故かピアノ協奏曲の演奏はあまり注目されていないようです。フランツという地味な演奏家だったからかもしれません。フランツは現在ヨーロッパのどこかの音楽祭の監督をしていたかと思います。ピアノの本業はどうしているのでしょう。最近はあまり話を聞きません。筆者が最初にフランツの名を知ったのは、確か1971年のザルツブルグ音楽祭で、カラヤンが第4ピアノと指揮を兼ねてバッハ作曲4台のためのピアノ協奏曲を演奏した際に、ポミエ、クリーンに混じってソロを担当していたのをFM放送で聴いた時でした。ステージにグランド・ピアノが4台も並ぶ壮観な光景を想像しながら興奮して聴いていましたが、演奏がどうだったかは記憶にありません。

 さて、このシューマンの演奏に話しを転じます。フランツのピアノはウィーンフィルの柔らかな音に対して硬質なタッチを披露していて、広い音域にわたって均一でクリアな音に特徴があります。速いところは溌剌とした律動や小気味良さを感じさせ、遅いところは時間をかけて綿々と歌い込むといったコントラストを強調しています。熱気に満ちていながらどこか愁いを引きずっているところがいかにもシューマンといった風情があります。この辺はバーンスタインの音楽作りの巧みなところかもしれません。最初のトゥッティの盛り上げ方はバーンスタインの独壇場で、Andante espressivo に入る前のチェロの素晴らしい合いの手はウィーンフィルの特質がよく出ています。Andante espressivo に入ってからは息の長いフレージングで情緒タップリに歌われ、テンポを大きく動かしてほとんど止まりそうになるくらいですが、不思議と嫌味はありません。バーンスタインがむせびながら指揮をする姿が目に浮かびます。展開部後半では速めのテンポでフルートをはじめ勢いのある音楽をつくりあげますが、オーケストラが優っていてピアノのメロディーライン以外がよく聞こえません。全体としては明解な印象を受けるものの、シューマンらしさがないとも言えます。またそのピアノの音色が鋭角的で音色に魅力がないために単調に聞こえるのが残念です。

 第2楽章の前半は感傷を排して淡々と音楽が進められますが、中間部は待っていましたとばかりウィーンフィルのチェロをはじめとする弦楽器群がおもいっきり美しく歌い出します。ピアノはほとんど霞んでしまっています。へたに張り合っても勝てる勝負ではないのでフランツのオブリガードに徹した演奏はいい選択だった言えましょう。第3楽章は低音から高音まで切れ味鋭い確かな打鍵が光ります。第2楽章の夢見るような雰囲気を吹き飛ばす男性的でパワー溢れる演奏です。また、fからpまでいろいろなタッチを使い分けるという繊細さも忘れていません。オーケストラもピアノの透明度の高い和音に合った響きを作り上げています。3拍子なのに2拍子のフレーズになっているところでは、弦楽器が弦に触れるだけで音を出して爪先立った雰囲気を演出しています。終始熱気に溢れていて、コーダに入ってからも一層活気ある演奏を繰り広げます。しかし最後まで端正さを失うことはありません。


◆クリスティーナ・オルティーズ(Pf)フォスター/ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団(1987年2月 RPO RECORDS)★★★★★(★)
 ブラジル出身の女性ピアニスト、オルティーズは、日本であまり知られていませんが、海外では録音も多く、ベートーヴェンやショパンなどの名曲はもとより、クララ・シューマンやヴィロ・ロボス、ステンハマーの作品等と幅広いレパートリーを持っています。冒頭のピアノ・ソロは早く先に行きたくてうずうずしているといった感じの初々しさを湛えています。弦楽器による主題呈示につけるピアノの伴奏部の歯切れよさや、オーケストラのトゥッティの前後での力強さに耳を奪われます。高音は明るく輝き、中音部は引き締まった音で、低音部は柔らかく、響きの多いホールにしては見事なバランスで録音されています。 Animato で急にテンポを落とすのはやや違和感を感じ、オーケストラが重々しく聞こえますが、重量感のある下降アルペッジョやオーボエとの力強い打鍵を伴うロマンティックな掛け合いには驚かされます。しかも、クライマックスへ向けての盛り上がりは、派手さはないものの見事にツボを押さえていて、オーケストラと相俟って立派な頂点を築きます。Andante espressivo に入って最初に奏されるクラリネットはまるでオーボエのような音色で情感豊かにピアノに応えます。その後のクラリネットは直接的すぎて今ひとつですが、ピアノは音楽全体の輪郭を力強くなぞります。続く Piu Animato ではフルートが気負いすぎて、オーケストラ全体も重く響き、引き締まった音で軽やかに弾かれるピアノの足を引っ張っているのが悔やまれます。再現部のAnimato のテンポはそれほど違和感は覚えません。音楽も重くならずに自然に流れ、オーボエとの掛け合いからクライマックスにかけてのピアノの束の間のモノローグ、チェロの導入、ピアノの強靭な打鍵、そのバランス感、テンポ感、すべてがピタッとはまった素晴らしい瞬間を演出します。カデンツァも見事な演奏で、フレーズの処理をある程度予測させつつ、時に期待を裏切るといった閃きをも感じさせます。コーダにおいてもがっちりしたオーケストラに支えられて、ピアノが常に鮮明な打鍵を維持しながら、決して単調にならない剛と柔を併せ持った自在な音楽をつくりあげます。名演です。

 第2楽章。スタカートにはテヌートがつけられたような弾き方をしています。テンポは速めで、どんどん先に行くといったけれん味のなさを感じさせますが、繊細さを欠くことはありません。中間部のチェロは速めのテンポの中を存分に歌い上げ、ヴァイオリンは美しい音で仕上げを行ないます。この間のピアノはくっきりとした音で弾かれていて爽やかさを覚えます。再現部ではスタカートを曲想に応じて弾き分けています。第3楽章。少々響きが多いのが気になりますが、細部までくっきり弾くスタイルは変わらず、やや前のめりながら中庸なテンポで開始されます。3拍子なのに2拍子のように聞こえる個所でのピアノは細かなニュアンスを交えて開始よりやや速めに弾き通します。花火が弾けるような粒立ちの良さと輝かしさとをこの大変な個所で表現しています。また、この曲のほとんどの録音でオーケストラはここで曖昧な伴奏をしているのに対して、フォスターの指揮するロイヤルフィルは、単に縦が合っているということを通りすぎて、音楽的にも完璧と言える演奏を披露します。しかも、続くフーガにおけるオーケストラの自己主張には目を見張るものがあります。確かメータの助手を務め、パールマン、ズーカーマン、デュ・プレ、バレンボイム等がシューベルトの鱒を弾く映像で譜めくりしていたり、先日NHKで再放送されたシェリングの弾くベートーヴェンの協奏曲で、NHK交響楽団を指揮していたりと今ひとつ風采の上がらないフォスターがこのような見事なシューマンを演奏するとは思いもよりませんでした。オルティーズのピアノはコーダにおいてもその勢いを緩めず、しかし決して弾き飛ばさず、オーケストラとの絶妙なバランス、とりわけフルートが素晴らしい、を維持しつつ力強くかつ繊細に何時までも続きそうなシューマンの音楽を紡いでいきます。とびきりの名演です。


◆イェネー・ヤンドー(Pf)リゲティ/ブダペスト交響楽団(1988年3月6日 NAXOS)★★☆☆☆
 第1楽章。速めのテンポで押しまくる演奏でなかなか爽快感はあるのですが、録音のせいか、ピアノのせいか中低音がモヤモヤしていて細かいパッセージがはっきり聞えません。ヤンドーの右手は鋭角的なのですが、左手が響きの多いややソフトな打鍵に聞えるのも理由かもしれません。速いところのキレは見事です。しかし、ここというところの和音がそっけなく、ドライに響くのがシューマンの音楽から少し離れている印象を受けます。Andante espressivo 前のピアノの派手な個所もきちんと弾いているのに激しさより乱暴さを感じてしまいます。オーケストラのトゥッティはあまり整理されていない感じで、木管のソロや合いの手からは気持ちが伝わってきません。Andante espressivo でも旋律の断片を受け持つ各パートの音楽に統一感がありません。ヤンドーのピアノは技巧的にもなんら問題がないのですが、カデンツァで気付いたのは、そのピアニスティクな歌いまわしや表現からはシューマンというよりリストの音楽に近いような気がします。

 第2楽章。鍵盤を常に大きめに叩き、荒削りながら感傷に溺れないスタイルには好感が持てます。オーケストラともう少しアンサンブルができているといいのと、ヤンドーのタッチに曲想に応じた変化があるといい演奏になったことでしょう。第3楽章。丁寧な弾き方で開始されますが、直ぐにテンポはアップします。ヤンドーのピアノは歯切れもよく、淀みもありませんが、オーケストラの腰の重みはどうしようもなく、ピアノの勢いについて行けないようです。それにつられてか、時にピアノも重くなることもあります。やはりこの楽章でもピアノとオーケストラのアンサンブルが微妙にずれているのと、ヤンドーのピアノが一本調子なのが気になります。


◆ペーター・レーゼル(Pf)マズア/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1989年 Ars Vivendi)★★★★☆
 ベルリンの壁崩壊以前の東ドイツ音楽界の中心として、またこの曲初演を行なった街として並々ならぬ意気込みを感じさせる演奏です。冒頭のオーボエはこの曲に格調高い香りを与えています。ピアノは全体にガッチリしたスタイルでありながら荒々しく弾かれることはなく、細かい音の処理にも神経が行き届いています。音色も太く逞しいことから、オーケストラの重厚な響きによく溶け込んでいます。また、低音に向けての重量感ある打鍵は素晴らしいものがあります。開始早々ピアノの細かい動きをバックに弦楽器が流れるような主題を奏するところで、8分音符で動くその2回目で長いスラーを外して弾かせています。その直後にピアノがマルカートで上降下降音階、オーケストラのトゥッティと最初のクライマックスを迎えるわけですが、繰返しが多い割りにはその音符上での表情付けに乏しいシューマンの音楽をこのような形で補っているものと思われます。トゥッティでのオーケストラは実に立派です。Andante espressivo におけるクラリネットを始めフルートの短い合いの手も情感豊かに歌われます。展開部後半でのフルートはテンポ感、勢い共に見事でピアノの歯切れのよい動きによく反応しています。再現部で再びオーボエの音を聴くと、この曲がかつてこれ程堂々と立派に演奏されたことはないと感じられると同時にこれでいいのかという疑問も生じてきます。シューマンの悩みや愁い、感情の爆発は何処へいったのか?それにピアニストの個性は?しかし、シューマンのこの曲としてあるべき音を端正に聴かせている演奏は稀であり、それはそれとして見事であると言えます。

 第2楽章は速めのテンポで素朴な感じを出しています。弦楽器は厚みのある響きでピアノの音色によく合っています。第3楽章に入る直前のフルートによる太く大きな音に驚かされますが、よく聴くと第3楽章の随所で似たような音域の吹き伸ばしがあり、意識して吹いているように思えます。第3楽章に入ると相変わらず充実したオーケストラの演奏に乗って安定したピアノを聴かせてくれます。低音から高音までバランスの取れた打鍵で弾かれ、とりわけ高音が心地よく鳴ります。細かいパッセージも力感を伴った見事な切れ味を見せます。全体的に安定したテンポで弾かれ、コーダでややテンポ・アップされます。欲を言えば時にはスリリングなところがあってもいいかもしれません。録音の質、バランス共非常に優れていて、シンフォニックでスケールの大きな演奏を求める方にお薦めです。


◆ベラ・ダヴィドヴィチ(Pf)シュワルツ/シアトル交響楽団(1989年 Delos)★★★★☆
 アゼルバイジャン出身のダヴィドヴィチは、1949年に再開されたショパン・コンクールで1位(グランプリがポーランドのシュテファンカ。グランプリと1位があるという変な表彰は政治的な意味合いがあったようです。誰が聴いてもダヴィドヴィチの圧勝だったとか。)になりながら長年ソビエト国内で不遇(?)の音楽活動を強いられ、1979年50歳にしてようやく米国に移住。そのベールの包まれた演奏に接することができるようになったわけですが、もし戦後すぐに西側に出てきたらリヒテルもギレリスも今とは違った評価を受けていたかもしれないと筆者はひそかに想像しています。スタインウエィの華麗な音を見事に鳴らすそのテクニックはホロヴィッツに通じるものがあるというのは言いすぎかもしれませんが、その確かな技巧と気品あるスタイルはロシアのピアニストの本来あるべき系譜に繋がるものと思われます。

 さて、このシューマンは彼女が60歳を過ぎてからの録音で若々しさや熱気というものに欠けることはありますが、隅々まで神経の行き届いた演奏となっています。第1楽章は遅めのテンポで一音一音丹念に弾かれています。曖昧さのない明解な打鍵に支えられつつ、歌うところはたっぷり時間をかけ、細かい表情付けも見事です。速いパッセージにおいても、例えば下降アルペッジョでは最後の音まで生きた音で弾かれ、しかもそれに続くフレーズの頭の音を丁寧に掴むことも忘れないなど心憎いまでの繊細な演奏を披露します。しかも音楽は淀むことはなく、明晰な和音と強音におけるクリアな響きによって明るい雰囲気を作り上げています。ただ、歌いまわしがやや古いところがあるのと、旋律ラインと伴奏型がはっきり別れていて音がすっきりしすぎているところが(キーシンに似ている)シューマンらしくないと言えるかもしれません。オーケストラは室内楽的でいいのですが、もう少し前に出てきてもいいかもしれません。第3楽章では、軽やかさと力強さを兼ね備えた打鍵で、強音の時に音が弾むような感じでベタッと固まらないところが魅力です。短い響きを伴うことで鍵盤を強く叩いた時に音が一瞬たりとも立ち止まることがないとでも言いましょうか。オーケストラのトゥッティは派手過ぎず立派過ぎず程よいスケールに好感が持てます。弦楽器に艶は感じられませんが、木管の透明な響きがピアノのクリアな音色によく合っています。ただ、全体に遅めのテンポに終始していてやや単調さを感じることもあります。この辺はシューマンの弱点でもあり、似たようなパッセージの繰返しを退屈させずに聴かせるのは非常に難しいところです。コーダでは僅かな起伏を付けながら装飾音をきちんと鳴す丁寧な弾き方が印象的です。



Copyright (C) Libraria Musica. All rights reserved.