ブラームス : 『ハイドンの主題による変奏曲』 作品56a

    
 この作品はブラームスによる最初の本格的な管弦楽作品(セレナード2曲、ピアノ協奏曲第1番は既に作曲済)で、「石橋を叩いても渡らない」というほど慎重なブラームスにとって交響曲第1番の準備にあたる作品とされています。

 出版社ジムロックに渡された決定稿のタイトルは「ヨーゼフ・ハイドンの主題、コラール聖アントーニによる管弦楽のための変奏曲」となっていましたが、印刷譜では「コラール聖アントーニ」は削除され、「作品56a」が追加されました。なお、決定稿の最初のページに「コントラファゴットはやむを得ない場合には、主題と終曲でそれをチューバで代用する」という記載がありましたが、これも印刷譜では削除されました。しかし、ブラームスはこの印刷譜に対して若干の訂正を加えているため、1926−1928年にかけての全集編纂時に校訂されてブライトコプフ社から今日の形で出版されました。お手元のパート譜にはその出版社の名が記されているのはご確認できると思います。

 さてこの変奏曲の主題は、ハイドンが仕えていたエステルハージ家の軍楽隊のために書かれたとされる6曲の「フェルトパルティーエン(野外あるいは戦地のための組曲、又はディヴェルティメント)の第6曲(Hob.U-46)の第2楽章からとられています。編成は、「オーボエ2、ホルン2、オブリガード・ファゴット2、ファゴット1、セルパン1」ですが、この曲をブラームスにもたらしたウィーン楽友協会のライブラリアンで音楽学者のフェルディナント・ポールはクラリネット2本を追加しています(但し、第6番ではなく第1番として)。なお、後にライプチッヒで出版されたときは「ディヴェルティメント」と題され、編成も「オーボエ2、ファゴット3、コントラファゴット1、ホルン2」に変えられ、さらにロンドンでの出版では「フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各1」という木管五重奏の形にされました(管弦楽器の方はこの編成で演奏したことはあると思います)。なお、セルパンはヘビのようなかなりグロテスクな形をしていてまして、当時のプレイヤーたちは様々な彩色を施していたという記録があります。戦地ですから視覚的にも効果を上げたことでしょう。

 しかし、この曲自体ハイドンの作かどうかは議論がありまして、ハイドンの弟子プレイエルのものとする説などがあります。また、ハイドンの楽譜の第2楽章にも「コラール聖アントーニ」と記載されていますが、この由来についてもよくわかっていません。古い巡礼歌であるとか、ハイドンの時代に良く知られた旋律であったともされ、事実バロックから古典派にかけての何人かの作曲家がこの旋律を使っているとのことです。

 ところで、この曲の作品番号が「56a」となっていますが、その「a」の意味は何でしょう? それは作品「56b」という同じ曲の「2台のピアノのための」作品をブラームスは同時に書いているからです。ブラームスはジムロックへの手紙の中で「これはもともと管弦楽のための変奏曲だ」としながらも「2台のピアノ用を編曲とみなす意見を好まない」と書いていて、どちらが先に書かれたかは知られていません。ただ、「a」、「b」という表記にブラームス自身が関わったことは確かなようです。なお、両者にはテンポや表情に関する指定に若干の異同があります。是非機会がありましたら、ハイドンの原曲とブラームスの2台のピアノ版も聴いてみてください。


マーラーとブラームスの邂逅

            *『ハイドンの主題による変奏曲』はマーラの交響曲第1番の前プロとして演奏されました。
 両者の最初の出会いは『マーラー:交響曲第1番』でも触ましたが、音楽院を出たマーラーがコンクールに出した『嘆きの歌』は審査員ブラームス(当時はウィーン音楽界の重鎮)らによって落選させられたことに始まります。これによってマーラーは作曲家としての道を閉ざされ、地方の歌劇場での指揮活動に入ることになります。きっと恨んだことでしょう。おかげでマーラーは一生「休日作曲家」という身分から抜けることができなかったわけです。

 しかし、ブダペストの歌劇場でマーラーが指揮するモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を観たブラームスは「本当のモーツァルトを聴くにはブダペストに来るべきだ」と絶賛したとされています。一方、マーラーは学生時代、ワーグナー派とブラームス派に分かれて対立していた当時のウィーン音楽界にあって、ワーグナーに心酔していました。さらにはその一派とされていたブルックナーの講義を聴講し、ブルックナーの交響曲第3番を2台のピアノ版に編曲もしていました。にもかかわらず、マーラーはのちに弟オットーに対してブルックナーとブラームスを較べて「ブルックナーへの尊敬は変わらないが、ブラームスのほうがより偉大だ。」と言い、その上ブラームスの作品が様々なジャンルに渡る点も併せて指摘しています。両者とも派閥を超えて、お互いの本質を見抜いていたということでしょうか。

 最後の出会いはマーラーが1896年イシュルに滞在するブラームスを訪問した時のことです。この時の様子をマーラーは友人宛ての手紙に「イシュルは素晴らしかった。今回、ブラームスは特に親切で、これまでなかったことだけど、僕に今年出版された交響曲第2番を送って欲しいといった。僕は明日送ろうと思う。」と書いています。この時、マーラーは4手に編曲した第2番の交響曲『復活』の楽譜を送ったとされています。

 なお、マーラーが生前ブラームスの作品を指揮したのは以下の通りです。交響曲第1番(2回)、交響曲第2番(1回)、交響曲第3番(6回)、ピアノ協奏曲第1番(1回)、『ハイドンの主題による変奏曲』(1回)。

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