マーラーがパクった? 〜 ロットからマーラーへ
 

 
                Mahler

マーラーの交響曲第1番
 ハンス・ロットの第3楽章冒頭の分散和音に続くテーマが、マーラーの交響曲第1番の第2楽章の冒頭とよく似ているということはよく言われます。筆者も初めてロットのこの曲を聴いたとき、確かに似ていると思ったのは確かです。しかし、譜面を見ると音符3つ、わずか1小節だけが同じでその後の展開は全く異なりますからこれで似ていると言っていいものかどうか・・・。実際に弾いてみても曲調が違うせいか、あまり似ているようには思えませんでした(マーラーの場合はややのんびりしていて長閑な雰囲気がありますが、一方のロットは活気に満ちた推進力のある音楽といった違いがあります。)。
                                                                 Mahler-Rott

 既に述べた通りロットがその第3楽章を書いているときにマーラーがその譜面を見た可能性は低いこと、マーラーがロットの交響曲第1番の全曲のスコアを借りたのは1900年になってからであり、マーラーの交響曲第1番はその12年前には完成されていることからすると、これをマーラーの「パクリ」と見做すのは短絡すぎるのではないでしょうか。

 また、1900年11月にマーラーが自作の交響曲第1番をウィーン・フィルハーモニーで指揮した時にこの曲について語ったことをナターリエ・バウアー=レヒナーが書き残しています。

 「トリオのすばらしい踊りのリズムは、特筆に値する。マーラーはいつか言っていたように、“すべての音楽は舞踊から生じるからである。ここでの最初の二小節は、僕の記憶が曖昧だったために、ウィーンでよく知られたブルックナーのある交響曲と似てしまい、このことを理由に、皆は僕のことを泥棒とか独創性のない人間として非難することだろう!”(マーラーはこの開始部を、演奏の直前になって少し書き改めた。) 」 (ナターリエ・バウアー=レヒナー著 『グスタフ・マーラーの思い出』 p.385)

 この「トリオ」と書いたバウアー=レヒナーはたぶん交響曲第1番の第2楽章の冒頭のことだと思われます。第2楽章のトリオは優雅なレントラー風の曲となっていて、マーラーが言う「すばらしい踊りのリズム」というにはむしろ第2楽章の冒頭の方がふさわしいからです。これが、「泥棒」と言われそうなので「書き改め」る際に20年以上前に見たロットの譜面のメロディーを思い出してそれを失敬するというのは考えにくいことではないでしょうか。

 これは想像なのですが、音楽院時代にマーラーとその友人たちは誰かの住まいに集まって一夜を過ごすことがよくあったそうで、そんな時に皆で歌うなどしていたメロディーのひとつがマーラーとロットの二人の記憶の中に残っていて、無意識にそれぞれが自分の曲に使ったという考えはどうでしょうか。また、1990年にこの曲がウィーンで演奏されたときに、「マーラーの交響曲第0番、それともロットの交響曲第1番?」という質問に「ロットとマーラーの二人の学生は、音楽的なアイデアについて親密な交換を楽しんだ」というやりとりがあったことがウィーン国際ハンス・ロット協会のサイトに書かれています("Do not laugh, gentlemen ..." by Thomas Leibnitz 2000 )。

 或いは、当時巷間でよく歌われ踊られていた曲の断片を二人がたまたま借用したということもあるかもしれません。マーラーは同じ曲の第3楽章で当時流行っていた「マルティン君」という曲をコントラバスで弾かせていて、初演のときに聴衆から失笑を買ってしまったことはよく知られています。当時誰もが知っているメロディーを曲に取り入れたマーラーには何らかの意図があったとしても、そういうメロディーを曲に使うことにそれほど抵抗はなかったということもわかります。

 実はこの類似については、マーラーの別の曲についても見ることができます。マーラーの交響曲第1番の第2楽章の冒頭は、1880〜1881年に書かれた『若き日の歌』第1集の第3曲目の「ハンスとグレーテ」のピアノ伴奏部によく似ています(ライブラリー『マーラー : 交響曲第1番』参照)。まさにその同じ時期にハンス・ロットが発狂して精神病院送りになり、そのことをマーラーが手紙の中で言及していることから、マーラーは自作の交響曲第1番ではなくこの歌曲でロットの第3楽章を借用したのではないかとも考えてしまいます。しかし、他愛のないこの曲の歌詞につける音楽に悲惨な状況にあったロットの曲を使うよりは、友人たちと騒ぎながら歌っていた曲や当時流行っていた曲を参考にしたと考えるのが自然ではないでしょうか。
 * わかりやすいように同じ調に移調してあります。
             
        Mahler-Song            
             
             
マーラーの交響曲第2番『復活』
  この類似はまだあり、マーラーの交響曲第2番『復活』の第3楽章の中間部の主題にもとてもよく似ています。2小節間のリズムが共通していますので、マーラーの交響曲第1番よりも似ているかもしれません。マーラーの復活交響曲はロットの死後4年後の1888年から1894年にかけて作曲されていて、この曲も作曲するまでにマーラーがロットの第3楽章の譜面を見た可能性は低いと思われるため、1番の時と同様マーラーの音楽院時代の記憶に残っていたお気に入りの旋律を使用したものと考えていいのではないでしょうか。
 
              Mahler2
             
  さらに、ロットの第4楽章の序奏でホルンに続いてオーボエが奏するモティーフが、マーラーの第2交響曲の終楽章の冒頭の部分(43小節以降)に似ているという指摘もあります。楽器の組み合わせや三連符がモティーフの主体になっていることなどからそこに多少の共通性を感じさせるところではあります。また、実際演奏してみると、例えばこの序奏の94小節から103小節までの三連符の連続する箇所ではマーラーの『復活』が頭のどこかで鳴っている感じがします。音符の配列が同じではないので、譜面を見たりCDの演奏を聴いたりしてもマーラーのかけらも聞こえてこないのですから不思議です。

 先に述べたように、マーラーがロットのスコアを借りたのは1900年のことで、『復活』交響曲は1894年に完成していますからマーラーがロットの第4楽章を見て真似をすることは不可能です。1880年9月にロットがブラームスにこの曲をピアノ弾いて聴かせた時にはマーラーはバート・ハルの劇場で指揮の仕事をしていたので、ロットの交響曲に触れる機会はなかった思われます。遡ってロットが第4楽章を仕上げた前年の秋以降にそのスコアを見たかもしれませんが、第2章でも触れましたように、マーラーとロットの関係は疎遠になっていたことを考えるとその可能性も低そうです。

 マーラーの友人ナターリエ・バウアー=レヒナーによるマーラーの「彼は僕と心情的にとても近いので、彼と僕とは、同じ土から生まれ、同じ空気に育てられた同じ木の二つの果実のような気がする。(『グスタフ・マーラーの思い出』)」という発言を信じるとすれば、音楽院に入った最初の頃におけるロットとの交流の中で二人は様々な音楽上のアイデアを共有していて、それらを二人が独自のやり方で自作に取り込んだと考えるのが自然ではないでしょうか。
            

マーラーの交響曲第3番
 マーラーの交響曲第3番の第6楽章(終楽章)の冒頭の主題がロットの第2楽章とそっくりという指摘があります。その部分の譜面は下記の通りです。

Mahler3

 確かに音符に「ドレミ」を当てはめて並べると、

    ドーシラソラシドレーミレ :ロット
 (ソ)ドーシラソラシドレーミレ :マーラー

となってこの部分は完全に一致していて、さらに共に下がって上がっていくところも同じです。しかし、この一致をもってマーラーがロットからアイデアを拝借したという説はありえるのでしょうか。音楽院のコンクールに提出されたロットの第1楽章の譜面にマーラーが接する可能性はあったかもしれませんが、既にそれほど親密ではなかった両者の関係からして、コンクール後に書かれた第2楽章(下書きに1878年9月という日付がある)のスコアをマーラーが見たとは考えにくいのではないでしょうか。しかも、マーラーが交響曲第3番の第6楽章を作曲したのは1895年の夏であり、17年も前に見た音符を憶えていてそれを自作に採用するとはいうことはなさそうです。ロットが入院してから亡くなるまでの間、つまりその遺品がレーアの手元に管理される前に見る機会があったとしても14年もの月日が流れているのです。マーラーがロットのスコアを見たのは1900年だとすると、それ以前に作曲した3番にマーラーがロットの旋律を借用した考えるのは無理があるような気がします。

 同じくマーラーの第6楽章コーダ(251小節以降)のトランペットが主導するコラールが、ロットの第2楽章のコラール(120小節)に類似するという指摘もあります(イェンス・マルコフスキー著 「セバスティアン・ヴァイグレ指揮ハンス・ロット:交響曲第1番」CDのブックレット)。しかし、ロットの第2楽章はブルックナーやバッハを意識した本気のコラールであるのに対して、マーラーのそれはコラールというよりトランペットがこの楽章の冒頭の主題を静かに繰り返し、そこを起点に次第に盛り上がっていって曲を閉じていくシーンととらえるべきで、雰囲気がロットのその箇所に似ているという程度のことではないでしょうか。なお、ロットのこの箇所はトランペットの動きをヴァイオリンによる弱音のトレモロとオーボエ、フルートがなぞっていく全曲中で最も美しいところと筆者は思っています。また、このトランペットに対して弱音指定(ppppp)がなされているにもかかわらず「ベル・アップ」という謎の指示が書かれている箇所でもあります(第5章参照)。



マーラーの交響曲第5番
 マーラーがハンス・ロットのスコアを借りた翌年に作曲を開始した交響曲第5番には(1901年)、ロットの曲から直接影響と受けたと思われるところがあります。その第5楽章のフガートのパッセージはロットの第3楽章のそれと非常によく似ています。譜面づらは似ていませんが、実際に弾いてみるとその類似性は明らかです。モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーといった偉大な先人たちが交響曲に取り入れたフーガの伝統をいかに引き継ぐかは作曲家にとって極めて重要な課題であったと考えられ、マーラーはこの5番においてそれを試す際にロットのアイデアを借用したことはありえるかもしれません。しかし、ロットは交響曲第1番では、その第3楽章ではなく、第4楽章で明確に「 Fuga 」とスコアに記して壮大なフーガを展開していまして(265小節)、マーラーが何故そこに注目しなかったのかは疑問が残るところです。                                           
                                                                                 Rott-Mahler_Sym5mov5    

 5番にはまだ似た箇所があるという指摘があります。5番の第3楽章136小節目から始まるファースト・ヴァイオリンによるグリッサンドを効かせた蠱惑的な箇所です。ロットの同じく第3楽章の71小節の譜面と並べてみましょう。

Mahler5

 確かに似た音型に見えますが、わすが2小節だけのことですので何とも言えない箇所ではあります。しかし、マーラーのこのフレーズは、この楽章の冒頭のホルンの掛け声の後にファースト・ヴァイオリンによって奏される付点四分音符+八分音符3つによる音型の変形と見ることができますので、必ずしもロットの模倣とは言い切れないのではないでしょうか。また、ロットの方はこの楽章の冒頭からの Frisch und lebhaft という活気を持って演奏されるのに対して、マーラーでは「静かに」という指示しかありませんが、通常はゆっくり演奏されますので雰囲気はかなり異なってきます。なお、ロットのこの音型はこの楽章の中間部の主題として受け継がれます(第177小節から)。しかし、テンポは Sehr langzam となって極端に遅く演奏されるところとなっていて、これまたマーラーの音楽とはかけ離れたものと言えます。




 


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