彼女の歌声は音楽的で情感に富み、哀愁や色彩、そしてユーモアが込められているため、オーケストラ席の最前列から最上階席(ファミリー・サークル)の最後列に至るまで、聴衆を包み込むような歌い手であり、あらゆる価格帯の席に座る聴衆にとっての『歌姫』と言えるでしょう。水曜日の夜、『ある晴れた日に』を歌い終えた彼女に対し、観客は今シーズン、あるいは昨シーズンを含めても最大級と言えるほどの盛大な喝采を送ってその思いを伝えました。スコットとニューヨークの聴衆との間には、瞬く間に愛が生まれたようです。(
The New York Herald Tribune )。」
今回の公演にあたり、スコットはスカラ座から蝶々夫人の衣裳を借り受け、死の場面の演出については主にマリア・カラスの解釈を取り入れていましたが、そのいずれもが効果的でした。ゴロー(チャールズ・アンソニー)を脅すのに使った短刀をスコットが見つめるその眼差しには、やがて自らの命を絶つためにその刃を突き立てることになる運命が予兆されており、これは『トスカ』でテーブルナイフを見つけた際のカラスの名演を彷彿とさせていました。スコット演じる蝶々さんは、台本がそれとなく示唆するような衝立の陰ではなく、カラスのスタイルに倣って黒髪をほどいて腰まで垂らした姿で、フットライトに向かって舞台の前面で自害します。自害の際、子供の「トラブル」(アレクサンダー・マイヤーズ)はスズキ(クラウディア・カターニア)に連れ出されていて部屋にはいません。幕が下りるのと同時に父親に連れられて戻ってきますが、ピンカートンが「蝶々さん!蝶々さん!蝶々さん!」と最後の叫びを上げる中、家屋の外に立つ二人の姿がシルエットとして浮かび上がるのでした。(中略)
演出家からこれといった見せ場を与えられなかったケイト・ピンカートン役のダイアン・ケスリングは、その指示通り彫像のようにただそこに佇んでいるのみでした(
The New York Times )。」
「『蝶々夫人』の演出が再考されました。かつてこの表題役の最高の歌い手のひとりであったスコットは、今シーズン同役を歌うだけでなく、1958年の青山圭男による古典的な演出を再構築し、メトロポリタン・オペラでの演出家デビューも果たしました。(中略)
ニューヨークの聴衆は、プッチーニのヒロインとして初登場の渡辺葉子の歌を聴きました。彼女の銀色に輝くような美声は、わずかな震えによって揺らぎかねない危うさもありましたが、それでもスコットの全盛期以来、この地で聴かれた中では最も美しく歌われた蝶々さんでしたた。(中略)
スコットの新しい演出は、物語の整合性を保つために不可欠な細部を忠実に踏襲していました。また、蝶々さんが自害の際に白い衣装に着替え、歌舞伎の悲劇的なクライマックスさながらに黒髪をほどくという演出上の工夫は、ともすれば壮大さに欠けがちなこのオペラに、威厳と重厚さを加えていました(
The Village Voice )。」