プッチーニ:『蝶々夫人』

第9章 『蝶々さん』歌姫列伝-14
アンナ・モッフォ

 
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  アンナ・モッフォ


アンナ・モッフォ( Anna Moffo : 1932年 - 2006年 )
一夜にしてスターに

 アンナ・モッフォは、米国のイタリア移民の家にペンシルベニア州ウェインで生まれました。フィラデルフィアのカーティス音楽院で学んだ後、1954年にフルブライト奨学金を得てイタリアに渡り、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミーで学びます。1956年にイタリア放送協会(RAI)のテレビ番組で『蝶々夫人』を歌って一躍スターの座に駆け上がります。このあたりの事情について1963年1月に書かれたカール・シグモンによる記述を一部ご紹介します。

 「アンナ・モッフォの歌声はガッリ=クルチに、その美貌はエイヴァ・ガードナーに例えられてきました。イタリア人は彼女を最も美しい女性10人の一人に選び、『L’Exotica(ザ・エキゾチカ)』や『La Diva Imperiale(帝国の歌姫)』と呼んでいます。最近彼女に会ったとき、『私はいつも今のような私ではなかったの。ひどく内気で、デートも化粧も許されなかったのよ』と言われたので驚きました。 (中略) 舞台は1956年のローマ。蝶々さん役のテレビオーディションの機会でした。歌う前に、監督は彼女が日本人らしくないという理由で不合格にしたのです(彼女はヒールなしで身長170cm)。しかし、他に適任者が見つからなかったため、監督は彼女にオーディションを受けさせたところ、その歌声に圧倒されたのでした。彼女は役を勝ち取り、一夜にしてアイドルとなったのです。彼女の恥ずかしがり屋な性格は完全に消え去ったのです。イタリア人の熱狂は計り知れませんでした。『コリエーレ・デッラ・セラ』紙 は彼女の歌声を”天上の甘美さと輝きを湛えた声”と称賛しました。イタリアの主要な歌劇場での公演が続き、ヨーロッパ全土でも同様のことが起こったのでした( ALL-AMERICAN PRIMA DONNA: ANNA MOFFO by Carl Sigmon, Musical America )。

 さらに、『エキゾチックで理屈に合わない娯楽』という Web サイトにもモッフォの衝撃的な登場を次のように語っています。

 「”一夜にしてスターになった(overnight sensation)”という表現は、ジャーナリズムにおける最も安易で陳腐な決まり文句の一つと言えるでしょう。通常、ある演奏者が”一夜にして”見出されるまでには、何年にもわたる修練や下積みの期間があるものです。しかし、もしこの言葉を誰かに当てはめることが正当化されるとすれば、それはソプラノ歌手のアンナ・モッフォかもしれません。1956年1月当時、彼女は23歳の歌手でした。フィラデルフィアのカーティス音楽院を卒業後、声楽の研鑽を積むためにフルブライト奨学金を得てローマに渡っていたのです。彼女のプロとしてのオペラ・デビューは、そのわずか数ヶ月前、ローマ近郊の小さな街スポレートでのことでした。そこで彼女は、ドニゼッティの『ドン・パスクワーレ』のノリーナを歌ったのです。ところがその後、演出家のマリオ・ランフランキが、プッチーニの悲劇『蝶々夫人』のテレビ制作にあたり、この無名の歌手を主役に抜擢しました。1956年1月24日にイタリア放送協会(RAI)で放送されると(少なくとも音声のみの録音にはその日付が記されています)、蝶々さんを演じたモッフォの歌と演技は、彼女を――まさに ”一夜にして” ――国際的なスターへと押し上げたのです( Anna Moffo as Madama Butterfly, Exotic and irrational entertainment )。」

 この1956年に制作された『蝶々夫人』の映像は YouTube で観ることができます。舞台セットに置かれた花瓶に「日本」という漢字が上下逆さまだとか出演者の所作が日本人からすると違和感があるなどの批判があります。しかし、ヴェルディの『アイーダ』や『ナブッコ』を日本で上演する際、そのセットに古代エジプトの象形文字や古代バビロニアの文字を書くことがあった場合、果たして内容と向きを正しいかたちで提示できたでしょうか。またその登場人物の動きをそれらしく再現できたでしょうか。日本人は見たってわかりませんからこうしたことの正確性はあまり重要ではないはずです。この直前に制作された八千草薫主演の日伊合作オペラ映画『蝶々夫人』(1955年)は、セットは日本から空輸して、日本人役の登場人物は八千草薫以下すべて日本人ですから較べたら敵うわけありません。それより、1956年という時代に全く日本の知識がないにも関わらず懸命に日本らしさを出そうとしたスタッフの努力を評価すべきと思います。
MADAMA BUTTERFLY - Anna Moffo - 1956 television - Restored DES STEREO


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       アンナ・モッフォが歌う『蝶々夫人』のDVD(1956年)とCD(1957年)


 モッフォの映像作品への起用は『蝶々夫人』に留まりません。同じ年の1956年にベッリーニの『夢遊病の女』のアミーナとヴェルディの『ファルスタッフ』のナンネッタにも抜擢されます。同じイタリア放送協会(RAI)のミラノのスタジオで収録された『夢遊病の女』と『ファルスタッフ』の映像は YouTube で観ることができます。
La Sonnambula (1956) "Bellini" - Anna Moffo. RAI TV-Film. SUBS
Falstaff - Giuseppe Taddei - Anna Moffo - Luigi Alva - Tullio Serafin - 1956 - SN Restored 2024 - 4K

 さらに、同じ年の6月にはロンドンで行なわれたヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮する『ファルスタッフ』のレコード録音でもナンネッタを歌うことになります。ファルスタッフはティト・ゴッビ、アリス・フォード夫人はエリザベート・シュヴァルツコップでした。翌1957年8月にはほぼ同じキャストでザルツブルク音楽祭でも歌うことになります。また、マリア・カラスがミミを歌う『ラ・ボエーム』のレコード録音にもモッフォはミラノ・スカラ座に呼ばれてムゼッタを歌っています。デビュー1年目の若い歌手が大スターたちと肩を並べてオペラ全曲の映像収録とレコード録音に次々と起用されるという事態は、後にも先にも起こりえないことであり、そのことだけでもアンナ・モッフォの名は歴史に刻まれていいのではないでしょうか。

 翌1957年7月には米RCAが、モッフォをタイトルロールに据えて『蝶々夫人』のステレオ録音を敢行しました(エーリヒ・ラインスドルフ指揮ローマ歌劇場)。長きにわたる歳月を経た今も、そしてその素晴らしい録音品質のおかげもあり、この『蝶々夫人』の録音は、依然として絶対的な規範となる名盤の一つであり続けています。この演奏は YouTube で全曲を聴くことができます。
Madama Butterfly; Moffo, Valletti, Cesari, Elias, Corena & Leinsdorf; 1957

 この後、1959年9-11月にロンドン、キングズウェイ・ホールで行なわれた『フィガロの結婚』のレコード録音にスザンナ役で参加しています。カルロ・マリア・ジュリーニの指揮、伯爵夫人はエリザベート・シュヴァルツコップ、フィガロがジュゼッペ・タッデイでした。


米国デビュー
 その2年後の1957年10月16日、シカゴで『ラ・ボエーム』のミミを歌ってとしてデビューを果たします(ロドルフォはユッシ・ビョルリング)。さらに翌11月までにトマ作曲の『ミニョン』、『フィガロの結婚』のスザンナ、『ルチア・ディ・ランメルモール』、翌1958年には『ファルスタッフ』のナンネッタ、『トーランドット』のリュー(ビルギット・ニルソンとジュゼッペ・ディ・ステファノと共演)、『ジャンニ・スキッキ』のラウレッタ、『リゴレット』のジルダも歌っています(ユッシ・ビョルリングと共演)。ジュゼッペ・ディ・ステファノと共演した『ランメルモールのルチア』では、ルチアの「狂乱の場面」の演技で、モッフォは10分間のスタンディング・オベーションを受けたとされています。さらに1959年3月、ローマ歌劇場に『椿姫』のヴィオレッタを歌ってデビューしています。なお、この年のヴィオレッタはモッフォの他にアントニエッタ・ステッラ、ガブリエラ・トゥッチが名を連ねていました。

 そして1959年11月14日、モッフォは『椿姫』のヴィオレッタを歌ってメトロポリタン歌劇場デビューを華々しく飾ります。『ニューヨーク・タイムズ』紙は彼女を「世界最高のリリック・コロラトゥーラ・ソプラノの一人」と称賛しました。『ワールド・テレグラム・アンド・サン』紙には次のような評が掲載されました。

 「土曜日の午後、ヴェルディの『椿姫』でヴィオレッタ役を歌ったアンナ・モッフォのメトロポリタン歌劇場デビューは、ここ数年でも屈指とも言える気概に満ちたもののひとつでした。ソプラノの役柄の中で、ヴィオレッタほど新人――いや、誰にとっても――難しく、危険を伴う役はそうそうありません。歌手がこの役に挑むとしても、たいていは円熟味と自信を身につけたキャリアの後半になってからです。しかも私たちの耳には、つい先週この役を歌ったばかりのヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスのあの魅惑的な歌声がまだ残っていたのです。さらに状況を厳しくしたのは、モッフォ自身があの大アリアで高音の変ホ音(Eフラット)を出すことに挑んだことでした。

 土曜日の午後、最初に抱いた印象は、背が高くすらりとした、とても美しく優雅な若い女性というものでした。彼女は第1幕の華やかな喧騒の中でも、全く物怖じしていないように見えました。外見だけではありません。彼女の声は軽やかで心地よく、その使い方も心得ていました。また、言葉と音楽の両方に意味を込める表現力には確かな芸術性が感じられました。例の高い変ホ音については、あえて挑戦しないほうが賢明だったかもしれません。彼女は音を外してしまい、その甲高い音はまるで場違いな闖入者のように耳障りに響いてしまいました。それでも、あえて挑んだその度胸は大したものでした。そこにいたのは、優れた音楽的感性と演劇的才能を併せ持ち、基礎もしっかりと身につけた、意志の強そうなアメリカの女性歌手でした。彼女は、圧倒されるような大舞台の雰囲気に少しも動じる様子を見せませんでした。(中略) プレッシャーのせいか時に声の響きが細く硬質に聞こえる場面もありました。声質や声量の面で、飛び抜けて素晴らしいというわけではありません。しかし、彼女にはスターとしての資質とそれを支えるスタミナが備わっています( The World Telegram and Sun )。」

 デビュー7年後の1966年にニューヨークのリンカーン・センターに新設されたメトロポリタン歌劇場のこけら落とし公演として上演されたアルフレッド・ラント演出の『椿姫』は、アンナ・モッフォのために特別に制作されたものでした。しかし、当時の新聞評によると演出も歌唱もそれほど高い評価を得えられなかったようです。

 モッフォはメトロポリタン歌劇場では1959年から1976年の間に201回舞台に上がり、18のオペラに参加しています。『椿姫』のヴィオレッタ81回、『リゴレット』のジルダ10回、『トーランドット』のリュー10回、『ラ・ボエーム』のミミ5回、『ファウスト』のマルグリート11回、『マノン』10回、『ルチア・ディ・ランメルモール』26回、『魔笛』のパミーナ8回などを歌っていますが、『蝶々夫人』はわずか4回しか歌っていません(1967年と1976年)。しかもその4回の出演はいずれも、同劇団のニューヨーク市近郊の公園での公演で、その4回目の公演は彼女のメトロポリタン歌劇場での最終オペラ公演でした。


野球帽をかぶった蝶々さん
 その4回のうち1976年6月19日の公演はニューヨークのヤンキー・スタジアムで行なわれる予定でした。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「『バタフライ』、スタジアムで無料公演」と題した記事をその前日に書いています。

 「明日夜8時30分、ヤンキー・スタジアムで行われるプッチーニの『蝶々夫人』の無料コンサート公演、モッフォ嬢のほか、エンリコ・ディ・ジュゼッペとリチャード・フレデリックスが出演し、ヤン・ベールが指揮を務めるこのキャストは、今夏、市内の他の場所でも同オペラを上演する予定です。ヤンキー・スタジアムではロックやジャズのコンサートは開催されていましたが、ロバート・メリルの『星条旗』の演奏を除けば、クラシック音楽やオペラが上演されたことは一度もありませんでした。そして、オペラ団側も、これまで主要なスポーツ・スタジアムで公演を行ったことはなかったのです。”公演の前後どちらかで、野球帽をかぶったアンナ・モッフォにオープンカーに乗って闘牛士のように観客席を一周してもらう予定で、彼女はキャデラックから降りてステージに上がり、力強い歌声を響かせるのです”と事務局長は語っていました( The New York Times )。」

 しかし、当日の天候が雨と予報され急遽会場はヴァン・コートラント・パークに変更となりました。ヤンキースの経営陣は、雨によって改修されたばかりの市営野球場の芝生に被害が出る可能性があると述べ、54トンもの新しい音響シェル、高さ40フィートの音響機器タワー2基、その他オペラ用の重い荷物を積んだトレーラートラックが、雨でぬかるんだグラウンドを横切って移動すれば、グラウンドは今日中に試合ができる状態には戻せないというのが理由とされたのでした。6月21日付けの『ニューヨーク・タイムズ』の見出しは「ヤンキースがメッツを完封。『バタフライ』はパークへ(Yanks Shut Out the Met; 'Butterfly' Moves to Park)」でした。地元ではメトロポリタン歌劇場のことをメット(Met)と呼ぶことから、歌劇場を締め出したことをライバル球団の「メッツ(Mets)」を完封したことにかけ、さらに蝶々は公園に飛んでいったという見事な見出しと言えます。

 モッフォはメトロポリタン歌劇場では1967年に初めて『蝶々夫人』を歌いましたが、その3年後の1970年3月13日にフィラデルフィア・リリック・オペラで『蝶々夫人』に出演しました。その時の全曲の録音が YouTube にアップされています(おそらく客席からの隠し録音)。咳やノイズ、プロンプターの指示が盛大に入っていますが、ライヴにおけるモッフォの歌唱は十分楽しむことができます。
PUCCINI - MADAMA BUTTERFLY. Anna Moffo, Campora. LIVE: PHILADELPHIA 31.03.1970 (FULL OPERA)


ミラノ・スカラ座の ”代打” ヴィオレッタ
 1960年10月にモッフォはサンフランシスコ歌劇場に出演し、『夢遊病の女』、『椿姫』のヴィオレッタ、『ラ・ボエーム』のミミ、翌1961年には『ルチア・ディ・ランメルモール』を歌っています。ミラノ・スカラ座でのオペラ・デビューは1957年3月、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮する『ファルスタッフ』のナンネッタでした(ファルスタッフはティト・ゴッビ、アリス・フォード夫人はエリザベート・シュヴァルツコップ)。

 モッフォが再びミラノ・スカラ座に登場したのは同年の1964年12月20と22日、『椿姫』のヴィオレッタでした。この『椿姫』の指揮もヘルベルト・フォン・カラヤンで、12月17日の初日にミレッラ・フレーニが歌ったものの、マリア・カラスのファンが天井桟敷から大ブーイングを浴びせたため、その後の公演をキャンセルすることになりました。いわゆる『マリア・カラスの呪い』と言われるスキャンダルとして知られていますが、その代役としてモッフォに白羽の矢が立てられたのでした。この時の様子を『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のように伝えています。

 「イタリア・ミラノ(12月21日)— 米国のソプラノ歌手アンナ・モッフォは、スカラ座からの緊急の要請に応じ、昨日、ヴェルディのオペラ『椿姫』新演出のヴィオレッタ役として極めて印象深い歌唱を披露しました。モッフォは、イタリアのオペラ歌手ミレッラ・フレーニの代役として舞台に立つことになったのですが、ローマから呼び寄せられたのは開演の24時間前を切ってからのことでした。フレーニの不調は、木曜夜に行われた同オペラの初日に対する賛否両論の反応が原因とされ、スカラ座の発表ではフレーニは神経衰弱を患っているということでした。この新演出を手掛けたのは、イタリアを代表する演出家の一人であるフランコ・ゼフィレッリで、彼はシェイクスピアの『ハムレット』を現代風に演出して高い評価を得ていました。

 初日の観客の一部は、第1幕終了後にフレーニの歌唱に対して不満を示しましたが、多くの批評家は彼女の演技を称賛していました。ペンシルベニア州ウェイン出身のモッフォは夫のマリオ・ランフランキと共にローマに在住しています。現地の報道によれば、彼女は昨日の午前4時に電話を受け、この役を引き受けるよう依頼されたとのことでした。ミラノの新聞『コリエーレ・デッラ・セラ』は、彼女のこの突然の代役としての歌唱を『透き通るように明快で洗練され、印象深いもの』と評しました。彼女は明日の夜も同役を歌う予定です。

 ゼフィレッリによるこの演出は、ソプラノ歌手にとって至難の業とされる作品であり現代的なスタイルで上演され、回想シーンの手法も取り入れられています。音楽監督はオーストリアのヘルベルト・フォン・カラヤンが務めています。初日の観客が異議を唱えたのが演出に対してなのか歌唱に対してなのかを判断するのは難しかったのですが、どうやら後者であったようです。

 昨日の2回目の公演後、『コリエーレ・デッラ・セラ』紙は次のように報じています。『全体として、観客の反応は非常に温かいものだったが、ヘルベルト・フォン・カラヤンに対しては激しいブーイングも聞かれた。しかし、劇場を支配していた緊張した空気は、舞台が進行するにつれて次第に和らいでいった。』と。これは初日の夜の光景とは対照的でした。初日には歌手やゼフィレッリ氏がカーテンコールに姿を現した際、劇場内の観客の一部から口笛やブーイングが浴びせられたのです。もっとも、フレーニに対するこうした反対​​行動は、彼女のライバルたち――とりわけ、ルキノ・ヴィスコンティ演出の舞台でこの役を有名にしたマリア・カラスのファンなど――によって扇動されたものだと言う人々もいました。(The New York Times, Dec. 22, 1964)。」

 モッフォはミラノ・スカラ座ではその後、1968年4月に『ランメルモールのルチア』を歌っています。また、ローマ歌劇場では『椿姫』でのデビュー以降、『セヴィリアの理髪師』のロジーナ(1960年2月)、『夢遊病の女』のアミーナ(1963年2月)、『マノン』(1965年3月)、『連隊の娘』(1968年1-2月)、『ルチア・ディ・ランメルモール』(1972年11-12月)を歌っています。1967-68年にはモッフォが歌う『椿姫』の映像がローマのスタジオで収録されていて、YouTube で観ることができます(アルフレードはフランコ・ボニゾッリ、ジュゼッペ・パターネ指揮ローマ歌劇場管弦楽団)。
La Traviata (1968) (Moffo, Bonisolli, Bechi, Micheluzzi)


         Moffo
 
                
        
 ウィーン国立歌劇場にはミラノ・スカラ座と同じヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で『ファルスタッフ』のナンネッタ(1957-58年、6回)でデビューした後、1958年6月に『カルメン』のミカエラ(1回)、『リゴレット』のジルダ(1962、64年、5回)、『椿姫』のヴィオレッタ(1963-64年、69年、9回)、『ファウスト』のマルグリート(1964年9月、3回)、『ラ・ボエーム』のミミ(1964年11月、1回)、『マノン』(1972年1月、1回)を歌っています。また、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場では、1964年2月に3回だけフランコ・ゼフィレッリ演出の『リゴレット』でジルダを歌っています。指揮はゲオルク・ショルティでした。モッフォは『蝶々夫人』の優れた映像やレコード録音を残しながら、メトロポリタン歌劇場以外の大劇場では歌わなかった、しかもそのメトロポリタン歌劇場でもわずか4回しか歌わなかったということになります。それも4回とも劇場ではなく公園の特設ステージ(演奏会形式?)だったのです。

 

*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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