6th [1997.07~ 1999.05]


  • 1997年7月 とりあえず残った三人でレコーディングを続けることになる。が、また佐々木のさぼり癖が勃発。ずるずると時が過ぎていく。ホームページなんかも更新しつつ、ここら辺の状況はこのページ見てきた人はそのままである。秋頃にはラーメンにはまってる。
  • 1997年.冬 須田と二人で曲をいじりはじめる。佐々木の提唱する「今度のkamado-uma?は骨太でJAZZでシンプルだけどテクノだぜいっ」な奴。いろんなイメージをやたらめったら須田にぶつけ、須田が音に表していく。数回この作業を繰り返す内、徐々に形が見えてきた。同時に須田は今までとは違ったプレイスタイルを(というか、ライヴでは見せなかっただけで、以前からそういったものが基盤ではあった)充実させる為に、メセニーや香津美さんなんかもかじってるらしい。佐々木はあいかわらずバイオハザード(爆)。渡辺はとりあえず鈴木ただやすバンドで忙しいので良し。
  • 1997.11.29 鈴木ただやすバンドのギタリストが入院。急遽、須田がトラで弾くことになったライヴ@四谷フォーバレー。久々に仲間の演奏するする姿を目の当たりにして佐々木も沸々と気持ちがもりあがってくる。
  • 1998年.正月の三日 HAPPENINGとACCIDENTで活動してる六弦野郎・加藤丈典から佐々木宛にメールが来る。kamado-uma?のホームページの記述ミスを教えてくれた。そういえば前年の秋の終わり頃、現メンバーが佐々木の家に集合した際「ライヴとかやるんだったら、グラちゃん(加藤丈典の愛称)ぐらいしかいなよね〜(談・佐々木)」「うんうんうん(談・須田、渡辺)」ってやり取りあり。そんな事思い出しつつ、ちょろっとした気持ちで「今度サポートやんない、kamado-uma?の」と佐々木が返事のメールを出す。「土日の練習でサポートなら演る〜」とあっけなく承諾。98年の活動は「正規メンバー3人+スペシャルサポート」で決定となる。
  • 1998.02.28 (sat) 吉祥寺で加藤丈典を交えた全員でミーティング。今後の録音方針の確認及び加藤に対してkamado-uma?の活動についての具体的な話をする。
  • 1998夏 大幅に時期をずらしつつもスタジオに入る。加藤を交えて今後のアレンジや演奏方向について話をする。この時、すでに佐々木と須田の頭には完全に次のサウンドイメージが出来上がっていた為、それを他のメンバーに伝える必要があった。
  • 1999.05.09 kamado-uma? meeting。須田の勤務する教室で楽譜と音を突き合わせて録音前の最終打ち合わせ。
    この後、各々のスケジュールを確認し、ドラムはスタジオを予約。ベースは加藤宅で録音。ギターも須田が自宅で録音し、最終的に佐々木の家で編集することとした。多数のトラックの必要性などから「PCベースのHDレコーディングシステムも欲しいね」と佐々木と渡辺。
  • update~19990608

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