4th [1994.10~1995.03]


  • 1994年10月 パソコン通信の仲間がスタジオで録音セッション。年齢・職業に関係なく、好きな音楽を中心に集まるこの場所で、佐々木が佐藤雅美(さとうまさみ)と出会う。佐藤は佐々木の近所に在住で、六弦ベースを着実なテクニックで弾きこなす人物であった。「もしメンバー増やすなら、ぜったいにベースからっっ!」と常々言っていた佐々木は、この人物にかなり興味を持つ。

     録音セッション終了後、kamado-uma?次回のライヴまであと2週間という所で「1曲でもいいから一緒に弾いて」と佐藤に依頼。残り1週間の所で「せっかくだから全部弾かない?」ともちかけ、無理やり承諾させる。
  • 1994.12.17 at Potato House
     佐々木の強引な誘いで佐藤がゲストプレイヤーとして参加。パソコン通信で知り合ったお客様も多数来店、久々に大入りのライヴとなる。このライヴ終了後、佐藤雅美が正式に加入する。
  • 佐藤 を加えパワーアップしたkamado-uma?は再度フォーバレーにブッキングを依頼。年が明けた3月に予定を組んでもらう。新加入の佐藤はオリジナル曲をNift-serveに発表しており、CDにもなっているとの事。その曲は今までのkamado-uma?には無い美しいバラッド。是非ともメニューに組み入れたくなった佐々木は早速準備に入る。

     余談だが、この時期までkamado-uma?の練習は佐々木の六畳間であった。3人の男が六畳間に膝を突き合わせている様子は、微笑ましいというよりは暑苦しい。
  • 1995春 ライヴの告知をパソコン通信上でする事に。佐々木と佐藤で手分けして告知文を書き込むが、数日後佐々木の所へ佐藤から相談メールが届く。「バンドに入れて欲しいという様な内容のメールが届いているのだけど?」。それは渡辺良和だった。1992年にフォーバレーで対バン、佐々木が冷たくした男、渡辺良和である。当時と違い生楽器によるアンサンブルに興味の出ていた佐々木はライヴを見に来てもらい、その結果まだ渡辺に参加する気持ちがあるなら改めて話をする事にした。
  • 1995.03.30 at FourValley
     三人になって2回目のライヴ。佐藤のオリジナルを加え、メニューにもバリエーションが。このライヴ終了後、渡辺の提案で三人の演奏に渡辺がドラムを重ね録音する形式の「オーディション」が行われる。数日後、佐々木の手元に送られてきた渡辺の演奏は、とても初めて合わせるようには聞こえないものであった。三人は早速ミーティングを開き、渡辺に参加してもらうことで意見を一致させる。
  • update~1997.07.26

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