縮刷版99年9月上旬号


【9月10日】 昔も今もタイプはセイラ・マスと言い切る「電撃アニメーションマガジン」編集長に1票。はさておき電撃文庫からなぜに今時な中井紀夫さんによる新刊「呪痕の美姫 アナベル・クレセントムーン」(メディアワークス、590円)を読んでうなる、うーんこーゆー話ですか。街で噂の美人剣士がお城の御姫様だったんだけど臣下の謀反で家族は捕まり自分は魔法で頭にのろいの痣をつけられ逃亡の身に。直すためには遠くにある場所へ魔法のクスリを探しに行かなくちゃならないんだけど剣士だった彼女の一目惚れした美形のチンピラ魔法使いが彼女と知らずお姫さまだとゆー訳で追って来るって展開に、たとえ伝統的形式にのっとったイデアたっぷりの作品と言われてもなかなかに感情を入れ込むことは難しい。

 話はシリアスなのに腰の軽いイラストだと超絶美形のチンピラ魔法使いが最後まで役柄として希薄てどーも損をしている気がするし、主役の御姫様も街を離れると病が増すため最後に行くに従いやっぱりキャラが薄くなる。でもって魔法が一部に使われ始めた世界の実は真相は、ってな種明かしの部分で見せるアナベルの態度が後の慎重さと矛盾する部分も感じられてちょっと悩む。作者の本意を無礼とは知りつつ無視すれば、徹底的にギャグな話へと買えて御姫様は爆裂な正確の美人だけどちょっとドジって死にそーなの、死なないためには世界が滅びたって関係ないわ風のジコチュー娘で彼女に恋するちんぴら魔法使いも立場によってヒラヒラと態度を買えるお気楽野郎であってくれた方が個人的には楽しめたかもしれない。

 自分に向上心が無いからなのかもしれないけれど、謀反を起こす臣下の気持ちがなかなか理解できないのも辛い。結構良い地位にいて別に虐げられてもないんだから謀反を起こして面倒な地位に付くよりは、信じ切ってる上を騙して実権を手にするくらいの所で十分じゃんと思うんだけど。本編の謀反を起こした魔法使いが最終的に目指したものがアレだったのなら、別にわざわざそーゆー場を見つなくっちゃいけないよーにアナベルたちを追い込む前に、とっとと自分で「お国のため」とか言って出かけてちゃっかり秘密を手中に治めれば面倒なくって良いじゃん、ねえ。イチャモンはこれくらいにして、イラストのいのまたむつみさんはカラーの表紙と折り込みのグラビアがオッケー、たぶん花でいっぱいの舟ん中だかでネルムアナベルの眠そーな目が、折れそうな鎖骨が、熱に上気した顔がとてつもなくエロティックでついつい頬寄せて舐めたくなる。あと金髪の髪も。セイラ・マス以来の金髪好きがここにも根強く残ってますナ。

 「噂の眞相」は記者クラブ問題の記事であれやこれや。経団連の機械クラブ分室として出来て今は機械クラブもまるごと乗っかった感じになった自動車工業界記者クラブの記述が、日本工業日刊工業のマイナー紙しかいなかったってな(マイナーは確かだけど)認識になっているけど、この何10年か自動車が世界に冠たる日本の産業になって以来、あそこのクラブってのは産業担当でも結構花形じゃなかったっけ? もちろん大蔵省日銀の金融に通産省ってな経済官庁あたりがその上を行ってはいるんだけど、些末なアラが気になっちゃうのが本論までをも含めた否定につながりかねないのがこの雑誌の脇の甘さでもありまた、イケイケな迫力でもあるんだよね、誘導尋問的じゃない場合に限っては。

 とはいえ記事自体は、既得権益に胡座をかいてスペースを占有しているって感じの最近の反記者クラブ記事の流れに沿ったものでそれはそれで文句も言える筋合いはない、ってゆーか既に文句を言えないくらいにメディアが社会の木鐸から離れて商業主義になっているってのが僕のスタンスで、都合の良い時だけ権力の監視に必要とかってな耳障りの良いことを持ち出したって通用なんかするものか。国民の知る権利の代弁者として役所の中に入り込んでは取材し記事を書く場所を与えられている訳であって、その為には自らの媒体のためとか他紙を出し抜くためってな卑近な仕事なんかしてちゃいけない、にも関わらず紙面は自社関連の事業の宣伝だったり1党の為にする記事に発表資料のオン・パレード。本当だったらいったい幾らになるんだろー家賃も払わない場所で知る権利の代弁者として集めた情報で書いた記事を引用してはいけないなんて商業主義に染まったメディアの、この態度こそを「ダブルスタンダード」を言わずして何と言おう。

 記者クラブ問題だと最近では農水省の大臣会見だかに日の丸を立てるか立てないかって事で築地の記者が入り口に立ちはだかったってな記事も「週刊新潮」あたりに乗ってて、それを記者個人がいかなる信念でやっているのかは知らないけれど、社として社説だったかで「自分たちの仕事場に云々」とかって言って旗を持ち込もうとした役所の態度に難癖つけてるのを聞くと、をいをいおまーら家賃はらってるのかいや、ってなごくごく当たり前の疑問が口を付く。日の丸を尊重しろとか国旗だからってな思想的な面を議論することへのいささかの疑念はないけれど、こと記者クラブ問題についてはどーしてメディアが役所にスペースを与えられてるのかってな理由を考え、その理由に相応しい態度なり仕事を個人じゃないメディア全体としてちゃんとやってるのかってことを考えないと、正論も空論を越えて虚勢であり暴論としかとられず結果として不利な立場へとその身を追い込むだけだよ。

 もちろん実際には党内あたりを向いての示威行動に過ぎないにも関わらず、目立つだろーと思って会見ごときを公の行事と主張して旗を持ち込もうとする平目大臣がいるってのも問題だけど。自分が歩いて動いて行く場所はすべて大臣としての国事なんだからお付きの人にでもパーティーでの社長よろしく頭の上にくす玉ならぬ旗でも掲げて歩くってのは、どう? もちろんSPは全員日の丸入りのハチマキして、お昼はみんなで「日の丸弁当」食べるのさ、おいおいだめだよ梅干し嫌いだからって1人タラコを真ん中に丸く詰めてちゃ。

 ニー・ギブン、ショウ・ザマ、ドレイク・ルフト、トッド・ギネス、ジェリル・クチビ、バーン・バニングス、シルキー・マウ、キーン・キッス、ガラリア・ニャムヒーってなフルネームが画面を見ているだけで次々を頭に重い浮かび上がって来るのはただいま千葉テレビで再放送中の「聖戦士ダンバイン」を見ているからでだけでもない、ビデオを持っていなかった時代に毎回の放送を目を皿にして見入り関連のムックの設定資料や各話紹介を何度も何度も読み返して楽しんだ、今の飽食の対極にある飢餓感ばかりにせっつかれた「アニメ人(あにめ・びと)」たちに共通の技でありましょー。ひさびさにリアルタイムで聞いたぞ「オーラ力(おーら・ちから)」に「地上人(ちじょう・びと)」って言葉。セイラさんも良いけど戦闘服に身を固めて女王様風なキツ目の眼差しを見せるマーベルもまた自分にとってのファム・ファタル、「重戦機エルガイム」のガウ・ハ・レッシーに「Zガンダム」のハマーン・カーンに並ぶ富野アニメの女性キャラトップ5に入ります。全員に嗚呼、踏まれてみてー。


【9月9日】 午前の2時に寝て8時に起きて仕事に出かける僕って何て立派なの? って言えるはずもないけどこーゆーパターンが続くと時々朝何時までだって寝ていられるフリーになってみてーと思う、が代わりに夜は延々と起きてなくっちゃいけないからどっちもどっちで且つ金がなく物食べられずお腹の虫に夜も眠れなくなる可能性も大なんで悩ましい、ああ悩ましい。某有名ネットアイドルの紹介で日刊スポーツだかが「個人としては脅威的」とかってな感じの見出しで「1日2000件」とかってアクセス数を紹介しててそれだったら僕もトップアイドルじゃんと思ってはみたものの、寝不足のむくんだ顔を朝の鏡に映して「どの口がアイドルなんて言うかー!」と自分で突っ込みも入るから、やっぱり当分はアングラなままでシコシコと読者サービスに勤しもう。そのうちいーことあるだろー。

 サービスは今日開幕の「アミューズメントマシンショー」の概況など。とりあえずは走ったコナミのブースで見たのはラップを題材にした最新の音楽ゲーム。手にはめる天花粉を塗るスポンジってゆーかボクシングのパンチを受けるミットみたいだけど、それほど大きくないデバイスを手にはめ叩き合わせるなり振るなりすると、何らかのデータ入力が行われる仕組みになっていて、成るラップとかに合わせて叩いたり振ったりしてタイミングだかリズムだかを取っていく。ビートマニアのスイッチ&ターンテーブル代わりにミットが付いたって言った方が解りやすいかも。あとは「ドリカム」つかったDDRだとかいろいろ音楽ゲームがあったけど、ブースの奥を仕切って係員が案内しないと入れませんってな意味の看板が掲げてあってプレスとは言え行くと入り口で面倒臭そうな雰囲気があって中には入らず、なんでこーも自ら敷居を高くすんのかと過剰さも垣間見える自意識にちょっと首を傾げる。誰も取って食べないのに。

 そのコナミとがっぷり4つで音楽ゲームを投入して来たのが例の「ウンジャマラミー」のナムコ。まるでゲームから抜け出てきたかのよーにロドニー・グリーンブラッドの世界がボディーのデザインに再現されていて、ギターの形状も含めてこれなら「ギターフリークス」はちょっとってな女性でも平気どころか積極的に手に取ってガンガンと遊んで違和感はない。一緒に小型のギター形コントローラーがついた「日光堂」と組んで出したマシーンは入っている曲が最新も含めたJポップで、耳に慣れた音楽に合わせてギターを弾く(つもりになれる)楽しさを、改めて現場で見て強く感じる。ジャレコだとこれが音楽に合わせて立っているマイクスタンドに向かって本当に唄うマシーンとなっていて、これも悪くはないけど果たして人前で音程を要求されるゲームに挑める勇気を持った人がどれだけいるのかと……たくさんいるか、じゃー心配ないや。

 カプコンはAOUの「春麗」袋が圧倒的なキャッチさで人を大勢集めたことに倣ったのか、今回も同様の大型な袋を用意して開店早々から配りまくる。あるいは伝統になっていたのかまっ先にかけつけて来る人も多く、しばらく経ってのぞくと「配布は午後1時から」の張り紙が出ていて悔しそうに通り過ぎる人も結構いたみたい、で僕はってーとやっぱり真っ先にかけつけゲットしたけど、「春麗」じゃなくって「SPAWN」だったのがちょっとねえ。いや別に嫌いじゃないし格好良いんだけどはっぱり美人が好きってのが健全なる男子の欲求って奴で。代わりっちゃーなんだけど今回イチオシのナムコのシューティングゲーム前に並ぶコンパニオンを遠目で眺め、「ラミーちゃん」の縫いぐるみをかかえたミニスカのコンパニオンの写真を撮って我が身(どこやねん?)をグオンと奮い立たせる。立った立った。

 けど今回の最大の集客はやっぱりバンプレストのブースにズラリと並べられた「おどってピカチュ」でしょう。ゲームセンターとゆーよりはショッピングセンター内のゲームコーナーに置いて遊ぶのが正解のよーな小さいボディーのガラスケースの中にいるのは縫いぐるみのピカチュウ。けれども手前のボタンをテコテコ押してみると、中のピカチュウが手を挙げ脚を上げていろんな動きをしてみせてくれる。子供の操作がピカチュウにダイレクトに反映する、それもゲームのようなテレビの中じゃなく目の前の立体のまるで生きている、よーに子供には見えるだろーピカチュウに伝わる訳でこれは喜ばない子供とそれから一部かもしれないけれど大人も(僕だよ)いないはずがない。巨大なピカチュウのディスプレーといっしょに会場の華になってるんで週末の一般公開日にはきっと子供連れの元ゲーマーなオヤジはビデオゲームに行きたい気持ちを子供の爆発的ピカチュウ熱に引っ張られて1日を潰すことだろーとここに預言しておこー。

 1時間で見て45分で有明から大手町の会社まで上がって「AMショー」とほか2本ばかりの現行を突っ込みだいたい150行ばかりを1時間ででっちあげる技術はたぶんフツーの新聞社では培えないけど別に覚える必要もないから無理に来なくって良いです来年受けよー(今年は多分終わったはず)と思っている学生諸君、でもって再びとって返した今度はお台場でソニーがフジテレビの向かいに作る「メディアージュ」って「ゆりかもめ」の発射基地横にはる会社のアニメ雑誌と似てるけど全然違う名前の都市型アミューズメント施設の概要発表を聞く。

 13スクリーン3100席のマルチプレックスシアターにアトラクションがガシャガシャと入る概要はそれ自体に目新しさはないけれど、ソニーとゆー元来ハードがメインの会社が器のみならず中の企画と運営までをも面倒を見る会社を作って事に当たるとゆー以上は、ソフト面だって今までにないものを作るぜってな覚悟があるんだろー。勝てるか「ジョイポリス」「ネオジオワールド」。でも勝ち負けじゃなく住み分けによる相乗効果を狙うってのが1番なんだろーから、硬派で鳴るセガもSNKも血ぃ上らせずにそれぞれのコンセプトを明確にして、お台場をトータルで「毎日がお祭りの街」にするくらいの度量とそれをささえる企画を見せて頂きたい。いっそ治外法権でカジノもオッケーな「エンターテインメント・アイランド」にしちゃえば、公営ギャンブルのどこかくすんだイメージの微塵もない、新しい税収源になりそーな気もするけれど、ねえシンタロー。

 戻って回されて来た電話を取ると”築地の先生”の声が流れて来て腰を抜かす。僕のお陰じゃぜんぜんなくって「謎ジパング」が文庫4刷りまで行ったのは、あたり前だと思われていることへの懐疑心を常に失わず膨大な知識を注ぎ込んで裏から横から上から異次元から見る「複眼思考」の大切さと面白さを、この本が読者に与えてくれるからです。完璧な理論は事実なのだよ。しばらくご無沙汰してご心配をおかけしたかもしれませんので近く顔出しますのでご教授下さい。とか恐縮しつつ早売りのアニメ雑誌をパラパラ、我が「電撃アニメーションマガジン」は某「アニメージュ」では連載が終わってしまった北久保弘之さんがリレー的に連載していたらしー「カーボンハート」ってコラムを発見、思わず「カーボンハート救済の謎を終え」宛に手紙を出したくなる。Fさん真相は?

 しかしステムがチネリでサドルがセライタリアとは自称素人の割には通過ぎて、作品をまるで発表してない(現在1本制作中らけど)アニメーション監督のどこにそーゆー豪遊が許されるだけの収入があるのか悩みまくる、っても自転車の部品なんてフクザツなディレーラーだってコラム1ページ分の原稿料で買えてしまうものだから、きっと「電撃アニマガ」のコラムで次はバーとかポストをイジって第8回当たりの再登場時に自慢しまくってるんだろー。もしかして静岡な会合のお金がアラヤのリムに消えたのか。ちなみに我が家のマウンテンバイクは台湾製だけど根っこはイタリアなビアンキで、体力もスタジオからほとんど出ないアニメな人たちに比べて外回りしている分上回っていると思うから、サンツアーのフルセットってなマイナーなパーツのマシンでもドラッグレースで勝てるかな、機会は永遠になさそーだけど。


【9月8日】 とゆー訳で(どーゆー訳だ)野尻抱介さんには当方の睡眠不足から来るタイプミスを正夢とすべく「大宇宙の簒奪者」なるハードスペオペを書いて戴ければ勿怪の幸い法華の太鼓。それはさておき「こちら郵政省特配課」(朝日ソノラマ、530円)は作者の小川一水さんが宇宙作家クラブのメンバーな割には宇宙にあれほどまでにすさまじいものを最初は月にまで飛ばすってゆーか放り出そうとしてしまった描写を読んで政治的にはともかくロケット魂的に正しいのか正しくないのかがちょっぴり引っかかった次第。名古屋じゃ別のマンガで化け猫たちが爆発させよーと張り切ってたりするから何か遅延があるのかも。でも浜岡原発ってそーゆーの取れたっけ? 1つ包んで来れといっても包んでくれそーにはないけれど、SF作家クラブの時代のよーには。

 石渡治さんのロケットボーイ漫画でネタを拾おうと買い始めた、のは後付けの理由で本当は2週続けて載った「炎の転校生」を先週まで読んだ流れで買っただけなんだけど、肝心の「パスポート・ブルー」はさておき遂にあの永遠に続くかと思われた「GS美神怒暗く大作戦!!」が終了、思えば一体いつから始まったのか記憶になく、途中テレビでアニメが放映されてそれは毎週見ていたけれど連載はほとんど読んだことがなく、果たしてどーゆー層の人気が連載を支えていたのか今さらながら不思議に思う、ってゆーなら「H2」の連載を支えているファン層の方がもっと見えないと思うんだけど。もしかして「タッチ」がまだ続いていると思っているとか、それとも「みゆき」「スローステップ」「日当たり良好」……は流石にないか。あと「虹色とんがらし」とかってのも。長さでは「H2」が後を次ぐ形になったけどストーリー知らず設定不明でドカベン以上に山場のないまま試合の続く漫画だけに「美神」を抜くのも確実か。その記念すべき時でさえも何時抜いたのか不明なままだらーっと続いてるんだろーなー。

 名門テレビ局のCBSが新興メディアコングロマリットのバイアコムに買収されちゃったって話が某工業新聞でカケラも振れられてないのは僕のせいじゃーありません。前のディズニーによるABC買収ん時は大騒ぎした編集幹部も今回はピンとこなかったのか気力体力が死滅していたのかピクっとも動かず、とりあえずは非担当ながらも(ABCん時だって放送担当じゃなかったよ)何か埋めろと言われるかと思って面倒だなーと思っていた気分が肩すかしを喰らった感じ。もっとも買収の主体となったバイアコムがいかな会社かって言われてもピンと来ないくらいに知らない間に巨大企業に成長していた感があって、なるほどアメリカって国はそーゆー活力が形となって付いてくる文字どおりの「アメリカン・ドリーム」の国なんだと甚だ実感させられる。

 正確じゃないけどバイアコムにおるCBS買収って日本で言うとどーなるんだろーリクルートによるTBS買収? そんな良いもんじゃなくって東急ケーブルテレビジョンによるTBS買収?? ちょっと不明だけど少なくとも現時点でのバイアコムが参加に持つ企業はMTVもそーだしパラマウント・ピクチャーズにサイモン・シェスターといった映画、出版の有力企業が目白押し。そこに加わるかつてはエド・マローそしてウォルター・クロンカイトを経てダン・ラザーに繋いで一世を風靡しつつも、今は一体誰が「アンカーマン」なんだろーか解らない位に存在感が希薄になっていた3大ネットワークの1角が、NBCのGEなりABCのディズニーといった解りやすい形じゃなく下克上的にパクリとやられてしまう現実は、やっぱり「アメリカ的」な典型に見える。

 現時点では規制があって既得権益に溺れ勝ちな日本のメディアにも遠からず訪れだろーから、対岸の火事を見逃さずに意味を計り展開を予想するくらいのことは記事にしなくたってメディアで禄をはむものとして、考えていかなくっちゃいけないんだけど、相変わらずの平目記事ばかりが目立つ紙面を眺めると、遠くの危機感より今の飢餓感を何とか満たそーと擂り鉢に胡麻を入れてゴリゴリとやってる雰囲気がひしひと伝わって来て心底ブキミ。でもそーゆー事を今自分やってるメディアが果たして他の産業なりから関心を持たれるはずもないから心配なんかする必要なんてないのかもしれないなー。ともに沈むだけなんだけど。

 数奇な運命を辿った人の話を聞きに恵比寿へ。数奇な運命だけに兄弟喧嘩の狭間に揉まれたりハードな暮らしをしていて、知識見識も豊富でいろいろと勉強をさせてもらう。最後の幻想にまつわるいろいろな話とか、ハワイに関連する常識を越えた出来事とかの話はなかなかに刺激的で、粉骨砕身を会社ごと実行して立役者だった人の文字どおり「最後の幻想」にかけるその根性の座り具合を、単純に奇天烈大百科だと笑って良いものなのかそれとも有言実行シュシュトリアンだと讃えて良いのか悩みまくる。あんな人そんな人こんな人も今頃パイナップル畑の真ん中でサトウキビをかじりながら椰子の実でも取っているのかと思うと羨ましいけど寂しくもあり悲しくもあり。

 寄った皺が結果として今の国内でのアニメ衰退の遠因になっているとしたら、でもってミリオンに行くステップとして必ずは通らなくてはならない数10万ってなオーダーのタイトルが軒並み不要とされる業界の未来を摘みかねない事態の原因となっているとしたら、万骨枯れて1将成っても果たしてどれだけの意味なり価値があるのか解らない。その1将すら成るとは断言できないだけに不可解な思いはなおさら募る。最近では立体な人までが素人であっても山と持っていかれるらしく、アニメやCGばかりじゃなくモデラーの国からも立ち入り禁止令が出されかねないかっぱぎぶりが喧しいそーで、そーまでペンペン草も生えない感じに国内のクリエーター市場を荒らしまくった挙げ句に例えば「G.R.M」、あるいは「パトレーバー3」みたく噂先行現実停滞な事態に陥ったら、これはもー世間が許しても美少女仮面ポワトリンは許しませんってな風潮が沸き起こってくるだろー。出来上がってもそれはそれで「ジャージャー」の1つも越えて立派な物に仕上がっているのか心配だし(無理だろーな)、転回点を越えて深宇宙へと突っ込み始めた探査船が向かう先に今は宇宙船の墓場がチラチラと覗いているのが見えて来た。明日はどっちだ。


【9月7日】 女の子になってしまった楽しさを全然味わおうとしないのが見ていてもどかしい葵ちゃんの正義感もカラ回りな「宇宙海賊ミトの大冒険 2人の女王様」は、初代女王こと陽怒の超越的な存在感が明らかになってだったら全てをひっくるめて変えちゃえば良いのに心だって思い通りに操れるんだろー全部自分で作ったんだからと不思議に思える部分も出て来たけれど、体が帰って来ないとゆー辺りにまだ別の謎もあるかもしれずどうオトシマエと付けるのかに残り数回の展開への期待もちょっぴり。銀河系で最大の敵と戦った訳だから仮に第3部があったとしたら敵のインフレーション理論(ウソ)に乗っ取り多元宇宙の彼方から来る超越者と戦うってことになるのかな。あるんだったら次くらいはちゃんとミトに大冒険をさせよーね。

 「週刊プレイボーイ」の「魁!ナンパ塾」が選んだ会場はコミケのコスプレ広場。最近のコスプレ界はライトな人が増えプロも交じっているから男馴れしてるらしー。そもそも目立ちたい人が来るから話しかけても逃げることはなく、またコスプレーヤーの女の子にとってコミケで同人漁ったりカメラで撮りまくってる男子はダサく見えるから、普通の格好をした普通の男子で十分にナンパできるとか。古谷一行息子みたく頭ツイストパーマでヒゲを伸ばしてヘッドホンからビートを聞かせて「チェケラッチョー」と叫べばオチるってあるけどそーゆーもんなの? そーなら冬にみんなしてやるけど西4屋上で。何にしても好奇なメディアがいかにもやりそーなテーマになっててこーゆーメディアがあるから普通に文化としてのコスプレを取材したいと出かけても、警戒心を抱かれる羽目になるんだよなー。まっどっちにしたって他者にしか過ぎないんだけど。

 SCEJへ。中野坂上って名前だけ見て商店街でも連なる下町っぽい雰囲気を想像して地下鉄丸の内線の駅を降りると、見上げるは3辻に立つ高層ビルにコンビニ、ジョナサン、マクドナルドに文教堂といったクリエーターさんたち御用達なお店の数々に、赤坂でもなく青山でもない曖昧にして面倒な場所からよくぞ引っ越したものだと副社長な人を誉める。入り口にある建物の模型に付いていた、免振壁が入っているから揺れないんだってな説明をするボタンをついつい押してしまうのは白川公園にあるプラネタリウムも付いている名古屋市科学館に行った時には、展示物に付いているあらゆるボタンを押して回らなくては気がすまなかった子供の頃から自分がちっとも変わっていないことを顕著い示す。とはいえ途中までしか聞いていられず模型が本当に揺れるのかどーかは謎、なんでSCEJの皆さん明日は暇なら1度エレベーター脇のあの模型を試して確認して下さい。誉めてあげます。

 文教堂で何冊か本を。パソコン用の18禁ソフトも売ってる不思議な本屋だったけど筋向かいがSCEJだから仕方がないか、って何が仕方がないんでしょー。買った本は(ソフトは買わない買うものか)「女殺借金地獄」(角川書店、1200円)でその稼ぎ振り以上の浪費ぶりを世間に見せつけた中村うさぎさんが、河岸を特メジャーな「週刊文春」に移して連載して来たコラムがまとまった「ショッピングの女王」(文藝春秋、1238円)。だいたい読んだことのある話だけど改めて読んでもやっぱり凄い。こんなに儲かるんならジュニア小説家になりたいって人が出たって不思議じゃないけど、中村さんは確かに稼ぎ頭だけど借金もきっと山なんでそのあたり間違えないよーにしましょー若人たちよ。

 美術出版社から出た「ジャパニーズ・エンターテイメント」(2200円)はタイトルだけだと日本のアニメやゲームやマンガや特撮のイラストを特集した本に見えたけど、中を読むとだいたいほとんどがアートをリトグラフとかシルクスクリーンとかってな高級アートに仕立て上げて展示したり売ってる「GoFa」って団体なのか会社の活動紹介になっていて、ちょっとだけダマされた気分になる。描く時の秘密とかって書いてあると思ったのに。あと、なるほど確かに綺麗で価値もあるよーに見えるけど、しょせんは物語があってこそのキャラクターでありシーンなのに、そーした文脈から見栄えだけを抜き出して綺麗にデザインして「アートでござい」とやる「GoFa」への、天野さんを大々的にプロデュースして版画とかを高く売ってるアール・ヴィバンに対して抱いているのと似た警戒心と反発心が浮かんで拭えない。

 でもまあ「SPAWN」とかってなイラスト1枚がカッコ良いアートとして出回っている現状に、世雨宮慶太さん麻宮騎亜さん高田明美さんといった世界に冠たるアニメゲームマンガ大国日本から生まれた最先端を良くクリエーターを、アーティストとして世界に紹介して欲しいってな気持ちもあって、村上隆さんのガレキ界隈が抱いただろーものと似た「オタクを食い物にする奴だ」ってな排斥の感情はあまり起こらない。セレクトがいかにも過ぎて食指が伸びないけれど、ツボにハマる作家の作品とかが出たらやっぱり買っちゃいそーだなー。写真も経歴もついてないんで解らないけど「GoFa」を設立した良園道都さんって誰で何をしてた人? それによって活動に納得出来るかもしれないし出来ないかもしれないんだよね。


【9月6日】 夜も涼しくなって来たんで読み逃していた本とか雑誌の短編とかを漁る日々、ってことでとりあえずは仕事に関係しそーな「SFマガジン9月臨時増刊号 星々のフロンティアへ」から野尻抱介さんの「太陽の簒奪者」なんぞを読んでみる。タイトルからしてきっと宇宙の果てから来襲したナメクジ星人当たりを相手に、宇宙空間をヘルメット1つでジェットスキーさながらのジェットバイクを操り亜光速で走り抜ける偉大なる正義のひーろーが戦う、ってな話を勝手に妄想したけれど、たとえ趣味は女子高生声優であっても小説では常にハードさを忘れない野尻さんがそんな30年代パルプフィクションなスペオペもどきをやるはずもなく、太陽をグルリと取りまく謎のリングを破壊しに行く人類の期待を一身に背負い、死も覚悟して太陽へと赴くクルーたちの強い意志に、生きる為にはいたいけな瞳の羊だって食べなきゃならない人類の葛藤も描く、プレ・ファーストコンタクト物としても優れた一編でありました。

 「私と月につきあって」でも思ったことは、人類が地球の紛争とか福祉とか飢餓とかってな切迫した問題を乗り越えて、莫大な費用がかかる宇宙へと再び脚を踏み出すために必要な要素は、1つにはナショナリズムに根ざす競争意識だったりもするけれど、今時のナショナリズムは自らのパンを捨ててまで人類を月にすら送り込むだけのパワーはない。だとすればやっぱり「大宇宙の簒奪者」なみに人類全体の危機をどーにかして拵(こしら)えてあげないと、人類が宇宙へと出る合理的なきっかけは得られないんだろー。とはいえ現実問題「ウイ・アー・アローン」な人類がこの先宇宙からの侵略者をたたき出しに月なり火星なり水星へと旅立つ日が来るとは思えず、せいぜいが毛利さん向井さん並の宇宙っぽい場所での散歩に我慢するしかなさそー。後は願うだけか、来ないかなーガミラス、落ちて来ないかなーマクロス。

ガンダム  仕事の為に作った1/144ガンダムのプラモデルと、手近なモビルスーツ(?)の縫いぐるみを掛け合わせて撮った写真は題して「ガンダム危機一髪! ジェットストリームアタックをかわせ!!」。思い返せばスカンクにパンサーにネコの3つを持ち出して「黒い3連星」ってやれば場面も映えたけど、黒に白じゃー対比が在りすぎてガンダムが目立たなくなるからこの辺りで押さえておいてよかったかも。けど何でガンダムが白いままじゃー、とお怒りのモデラーもきっと多いと思うけど、理由は「ゲーメスト」とは違って来月も多分ちゃんと発売される、かもしれない「ゲーム批評」の好評なのか不評なのかちっとも反応が無い「ノットデジタル」のコーナーで明かしますので本屋で読んでね。たいした理由じゃないんだけど、ってつまりは不精なだけなんだけど(言っちゃった)。

 何時の間にやら間に「T」の時が入っていた「叫ぶ詩人の会」のリーダー、ドリアン・T・助川さんが初めて刊行した短編集「げろりん」(集英社、1900円)なんかを仕事でペラペラ、叫ぶ詩人がドリアンの独白ならこっちはサラリーマンとかタクシードラバーとかバスガイドといった普通一般の庶民ながらもどこか切れてる人を主役に1人称で語らせた「語る市民の会」的小説がいっぱい入ってて、読み様によっては庶民に気持ちを仮託して語るドリアンの警句かもと思えてくる。とりわけ色濃いのが「遠洋漁業」って題された、ドリアンのバンドがファンクラブを連れてヨーロッパを回った、その参加者が書いたとされる文章で、最近もテレビ番組で取りあげられた「テレジン」ってナチのユダヤ人収容所に入っていた子供たちの残した絵を見た時の衝撃が語られ、熱さに結構ジンと来る。

 300歳が平均寿命になった世界で税金のために働き続けるタクシードライバーの独り語りで仕立て上げた「タクシードライバー」は高齢化社会への皮肉ともとれる内容を持った一種のSFで、こーゆー作品もあの生真面目そうに教育を語る頭から出て来るのかと思うと結構ドリアンって才能あるじゃんと、僭越にも思えて来てしまう。ほかも筒井康隆さん的シチュエーションのスラップスティックともスペキュレイテブとも(全然違うやんけ)とれる不思議な味わいの作品が入っていて、読んで頭はどろりんとして胃袋はでろりんと下がり毒気にげろりんとなって来る。大槻ケンヂの才能も凄かったけど、ミュージシャン作家としてSF方面から見た場合に、結構な収穫となる、かもしれない。

 「アエラ」あたりで大臣の記者会見時に会見室に日の丸を掲げるか掲げないかで記者と省庁が争っているってな記事が出る。たかだか会見を国事行為とみなして日の丸を掲げようとする大臣の、その実目立つことして上に媚びたいってな意志がミエミエな辺りに、本質的な意味を見失って実施率とか斉唱率が一人歩きしがちな「日の丸・君が代」問題の抱える事態の錯綜振りが伺えてやるせない。私事で言えば僕が育った家では日の丸が普段はタンスに黒白のポールに金の玉といっしょに閉まわれていて、祭日の朝に取り出し玄関脇のスタンドにさし込み祝うってのが付き合い方だった。神聖とまではいかなくてもハレっぽい日に恭しく扱うべきものと認識していたから、一種の報告会に過ぎない大臣会見ごときに持ち出すのは、かえって「日の丸」の権威を貶めているなじゃかろーか、それが目的ってんならオベッカ野郎と言わずに見直してやっても良いんだけれど。

 相手がのべつまくなしに「日の丸」を持ち出して来るなら、記者も例えば全員が日の丸も鮮やかなハチマキを絞め、手には日の丸の描かれた金色の扇を持って337拍子のかけ声もよろしく「ちゃっちゃっちゃ」と振り回し、昼時だと言って巨大なアルマイトの弁当箱に詰めた白飯の上に小さく梅干し1つってな「日の丸弁当」を食べてやれば、記者側の「日の丸」への敬愛の情が大臣に伝わりきっと感動を抱いてもらえると思うんだけど、って単なる嫌がらせでもあるんだけど、決して日の丸を粗略になんか扱ってないからね、伝統に従ってるってこともあるし。

 しかし相変わらず奇妙なのが元大阪読売の大谷昭宏さんの「記者たちが頑張らないと、ポールに掲げられた日の丸を引きずり下ろすだけで罪に問われかねない」ってな趣旨のコメント。思想心情や法律への主義主張はともかく持ち主でも主催者でもなく勝手に「日の丸」引きずり下ろせばやっぱり犯罪になるんでしょ? 器物損壊とか住居不法侵入とかで。文藝春秋の「諸君」も書いていたけど社旗が「旭日旗」な朝日が「日の丸」を目の敵にするのはどこかに論旨の破綻が潜んでいそーだけど、それをおいても人様の所有物への攻撃を示唆するコメントを正論として載せてしまうあたりに、なりふりかまっちゃいられない是が非のスタンスが見えてちょっぴり首を傾げる。戦うなら堂々と、ね。


【9月5日】 「ETV特集」か何かで前に放映されてた、早稲田の吉村作治教授がエジプトでピラミッドを掘る番組の再放送を明け方にかけて見る。衛星写真で2メートルだか5メートルの解像力で地上をざっと舐め、地質なんかを分析できる衛星なんかも使い、さらにはナイルが氾濫した場合をパソコンでシミュレートして得た結果から掘る位置を割り出す手順に今の”科学万能の時代”なんかを妙に実感してみたり。とはいえさしもの科学も金の匂いに敏感な盗掘者たちの本能に、とっくに先を越されてたんだけど。まあ今ほど砂漠が広がってなかった時代には遺跡の頭くらいは見えてたんだろーから掘られてて当然って気もするけどね、天皇陵みたくよほどの心理的制約が働かない限りは。

 それでも完全に埋もれてしまっていた遺跡をほぼピンポイントで見つけられる技術はやっぱり科学の勝利と言って良いのかも、応用すればピラミッドじゃない別の地域の遺跡発掘に役立てられるかもしれない、例えば赤城山とか、ってそれはないか。なるほど確かに遺跡らしきものを見つけて掘り進み次へ次へと期待をつなげる番組構成は、某民放が半年だか1年以上にわたって期待を散々煽りつつ山の大穴を開けただけに終わった「徳川埋蔵金発掘番組」に雰囲気こそ似てるけど、掘れどくらせど土しか出てこなかった赤城山に比べると、エジプトじゃー見かけた護符でも召使いの像でもすべてが3000年とかってオーダーの歴史を持つ貴重な遺物。そう思うとあの赤城山でショベルカーまで動員した発掘に使った金をエジプト方面に回せば、好奇心も満たせて世界も驚く発見がまだまだ出来そーな気がするんだけどなー。でも発見した石棺を初めて開ける場面を中から撮ってたりされてもヤだしなあ、やっぱ民放は赤城山でも掘ってなさい。

 しかし胡乱に見えて博士号をヘンな所で取ったと週刊誌に非難されてクイズ番組でヘマやってハナマルキの宣伝でバカやってタレント道をまっしぐらに見える吉村教授もあれで本業ではなかなかに実績のある人なんだろーね、ヒエログリフちゃんと読めるみたいだし。掘り出されたもので印象に残ったのは何をおいても石棺の足の方だかに描かれていた色付きのイシスの絵。チラとしか写らなかったけどエジプト風に横向きになった顔の結構美人で胴体スレンダーで胸膨らんでて美しさに輝いていたよーな気がした。記号的装飾的な絵でも女性だったら色気を感じてしまうくらいに人間として落ちぶれているのかって指摘もあるだろーけど、引き目鉤鼻の平安絵巻なおねいちゃんにすら最近は色気を見てしまうくらいの心理状態なんで、スレンダーさで上をいくエジプトならなおさらってことですな。

 とはいえやっぱりリアルな方が良いと買ってから10日目にしてよーやく観賞できた「星方天使エンジェルリンクス」の李美鳳の双房に思う、って何かい結局アニメかい。すでにWOWOWでの放映も終わり学研からムックも発刊されてすべてがネタばれしてしまっているから、終盤にかけてのおそらくは相当な盛り上がり(なんてあった?)もリアルタイムで見るワクワク感はきっと覚えられないだろーけど、5月の「SFセミナー」あたりでは温さを指摘されていたストーリーのなるほど第1話あたりではその傾向が見えないでもないけれど、フラッシュバックする幼少期らしー時の記憶が後への大きな伏線になっていると知っている身として、しばし続く温さいっぱいな物語の中でもそーゆー味付けを楽しむ余裕があるのはせめてもの慰めか。ブンブンと揺れる乳ばかりじゃない物語を、DVDの完結までの間しばし楽しませて頂きましょー。

 ついでによーやっと見られた「カウボーイビバップ」の最終2話。おそらくは並を通り越して警戒厳重な太陽系を牛耳る広域犯罪組織の本部ビルに、たとえ元若頭級の大幹部だったとしても親分継承問題で混乱があったとしても、たった1人で乗り込みボスの部屋までたどり着き指し違え最後は組織を壊滅させられるものだろーかと沸き立つ疑問もあるけれど、こーゆーストーリーってのは健さんの時代から王道中の王道なんで大目に見るといたしましょー。劇場版も動き始めてるってことで気になるラストの果たしてどうーなってるの? ってな疑問には、消えた星の輝きとモノトーンになった安らかな顔にやっぱり無理かと思う一方で、傘を振り回して雨中へと歩き去った黒いスーツにソフト帽なモジャモジャ頭のベスパ大好き探偵じゃないけど、あるいはラインバッハの滝で宿敵モリアーティ教授とともに落下しながら後に復活した探偵じゃないけど、いくらだって話の繋げよーはあるしなあ。インターミッション的エピソードが事後譚でも新作映像見られるんならどっちでも良いや、フェイいっぱい出してね。

 さらに「ToHeart」の第3巻は微温ぶりが芸術の域にまで高まって赤面しつつ鳥肌たてつつ心臓を鷲掴みにされて見ながらベッドの上でのたうち回りながら見た記憶のある体育祭の会を収録、知り合った女の子たちに下心もなく近づきながらも確実に「胸キュン」(絶滅語)させていく展開は、そーゆーシチュエーションを夢見つつも縁遠かったあの若かりし時代を思い起こさせ脳が煩悩に破裂しそーになる。リレーのシーンでフヌケぶりが一転してホワイトナイトなるシーンのカット&音楽はやはり秀逸、「ポケモン」騒動に揺れたオー・エル・エムが総力を結集し原作のチームが全力を尽くした奇跡のアニメだったと今にして思う、「下級生」なんか見ちゃった今はなおさら。

 直接は関係ないけど現役女子大生がSF関係な人の直接間接な印象から妄想した年齢で40歳の大台にあと1歩まで迫られてしまった日下三蔵さんも、古本通ぶりだけじゃなく一昨年だかの「ToHeart」全盛期のコミケで企業コーナーに出ていたリーフのブースに3時間並んだってゆーリーフ通ぶりをアニソン通ぶりなんかと会わせて「SFセミナー」で見せてあげれば、なーんだ本当はとっても若いんだってことを理解してもらえるのにい、僕なんて普段がこーで頭あーなのに年齢そーだから。でも40近いオヤジがアニメにハマってやがると敬遠される可能性も否定出来ない訳じゃないからなあ、って他人事じゃないか実年齢がバレてる自分が未だにこーなんだから。


【9月4日】 8月27日の「NINTENDOスペースワールド’99」のプレスルームで隣りに一瞬座ってた人が渡辺浩弐さんだったってことは気付いていたけど流石に声かけられませんでした有名人だし、ってことはさておき先週に引き続いて千葉市美術館へゴー。途中でソニー・プラザに立ち寄ると、数も種類も少なくはなっていたけど一時期のクモにカニにサソリの平べったい系不人気「ビーニー・ベイビーズ」じゃない、余り物ながらもそれなりに見栄えのする縫いぐるみが結構な数出ていたんで過去3回の売出しで買いのがしていたものを何体か仕入れる。

 まずは「Batty」って名前の蝙蝠。良くは知らないけれどマダラ模様に染められた奴は結構貴重って噂も聞いてたんでこれまでのカワイ系路線とはちょっと外れていてもとりあえず仕入れる。豚っ鼻で不細工な顔だけど愛嬌があってこれがなかなかに心を擽る。流れでこれはイグアナなんでしょーかな「Iggy」って奴を1体。目玉が黄色の1色でブキミさでは過去に買った奴でもピカ1なのに、短い手足が胴体に張り付いている様がどこか寸詰まりの印象を与えて健気さを感じてしまう。うーんハマってるハメられてる。

 残りはサル系を2つ、どー違うのかは尻尾のあるなしで判断するしかないんだろーね1つは茶色の多分ゴリラな「Congo」でもー1つは尻尾があるからチンパンっぽいけと違うかもしれない薄茶色な「Bongo」。大きさと手足の長さと人間風の形状は「ビーニー」で人気1番なベアと並んでると思うんだけど、「シュタイフ」の時代からベアは縫いぐるみの王様なんでサルは幾ら愛くるしくっても格が1つ2つ落ちてしまうんだろー。これで保有は総計で27種類。1月も経たない間におそらくはSF関係で(アニメ関係で)(サンケグループ関係で)もトップクラスのコレクターになったと勝手に妄想しているけど、勝ってるって人ってどっかにいる?(新井素子姫は殿堂入りなんで除外)

 テコテコを歩いて千葉市美術館は高畑勲監督の「伴大納言絵巻」を巡る講演の第2回戦。前回が絵巻に見られる表現のアニメ的な部分に焦点を絞った内容だったとすると、今回は相手に絵巻を所蔵する出光美術館の黒田泰三学芸員を迎えての絵巻に秘められた謎についての解説が中心。まずは黒田さんが通して絵巻を見せつつ、最大の謎とされている上巻の後半に登場する絵巻が流れる方向とは逆を向き屋根らしきものを遠望する男性が誰で、次に登場する縁側っぽい部分で中の2人の男たちの会話に耳そばだてる男性が誰なのかって点を、過去の所説も踏まえてあれこれ解説する。

 ここで高畑監督が注目したのは遠望されている屋根を焦点にして流れている霞で、男性の上部分にうっすらと残る柱らしき絵からどーやらこの男性は屋根を遠望しているんじゃなく、屋根からフキダシ状態に広がったスペースの中は実は屋根の下をクローズアップしたものでそこを男性は歩いて退席しよーとしているんだと分析し、故にこいつは讒言をして帰る伴大納言その人だと主張する。でもって縁側の人はまた別の藤原良相って人らしー。服装一緒で顔も似ている2人が異時同図じゃないってあたりは、2人の間に1枚失われた絵かあるいは文章があったってことが解った今は否定されるのが主流とか。ここで「屏風か何かにされてた時期があって邪魔だから切られた」って説とそれから「文章の部分に実は真犯人かもしれない藤原良房の犯行を臭わせる一文があって後に切られた」とゆー説が挙げられる。

 絵巻の主題となった応天門炎上から300年を経て描かれただけに、当時の権力構造とは違って藤原氏に媚びる必要もなく真犯人を示唆できる環境にあったってのが良房を犯人と類推させる文章があったって理由で、それが削られたのは再び後に権力基盤が揺れた時に権力に媚びる人がやったかどーかってことになるらしー。事実か否かは検証が必要だろーけど、何時の時代にも上にデラデラと媚びて歴史的な価値とか使命とかを無視どころは否定する輩が出るってのは変わらないらしー。例えば戦争を鼓舞した新聞を後で見られないよーにしてしまうとか。でもってこーゆー過ちを過去に幾度も繰り返しながらも、やっぱり可愛い我が身を守るべく人は媚びてしまうものなんだよなー。別に深い意味はありませんって。

 良房犯人説には別に絵巻が貴族の教育に使われたって背景から、指で頻繁に触られた可能性があってそこから見ると最後に牛車に載せられ引き立てられる伴大納言の服の塗料の落剥が目立つ以上に、宮中で天皇と会見する良房の服の塗料の落剥が目立つ。顔の部分が落ちてないところを見ると事故とかってことじゃないと解るから、これは教えている時に「犯人はコイツなんだぜ」って指して教えた名残なんじゃないかと黒田さんは言う。検証がこれもまだなんでハッキリしたことは言えないけど、聞いているだけで歴史の遠い向こう側に消えた謎の真相がうっすらと見えて来て気持ちがワクワクしてくる。これだから歴史ミステリーっていつの時代も大いに人気、なんだよねー。

 絵巻がアニメ的かどーかも含めて一連の展示と講演を通じて見えて来たのは、高畑勲さんって時間の経過を伴う映像表現に主として携わる人間が、そのキャリアなり身につけた方法論で同じ時間の経過がそこに否応なく生じる絵巻とゆー表現形式の中から、同じ”映像作家”として当時の画家の意図を読みとり、結構な部分で成功しているんじゃないかって点。と同時に、無駄のほとんどない絵巻の意図をくみ取れるだけの厳密過ぎるくらいな理論を持って、すべてのシーンを高畑さんが映画の中に入れてるんじゃないかってことも思い浮かぶ。としたらあの冗長で説教臭い「ホーホケキョとなりの山田くん」のすべてのシーンに意図があるはず、と思うと何としてももう1度くらいはあの映画を見ておいて損はないかもと思えて来たけど、逆にいえばそーまで思わないと見る気力が起きないってことで、うーんなんか薮蛇。でもあと1度くらいなら見てもいーかな、あの訥々とした人柄に免じて。

 前回と違ってアニメな人っぽい姿はなく村上隆さんも来ず。読売の石田汗太記者っぽい人がいたけどちょっと不明。しかし自社の重要な部門が抱える看板監督の講演に3人4人のスタッフを送り込んで出席している人からコメントを取り「となりの山田くん」の宣伝に結びつけよーとなんてサラサラ思っていない「アニメージュ」はなんだかんだいっても矜持がちゃんと保たれてます、ってゆーかそれが当たり前の姿なんだろーけど、表紙にも「ののちゃん」使わなかったし。だからどーして映画の宣伝に絡めてそーゆジャーナリズムの矜持をことさらに何日にも渡って指摘し続けているかってゆーと、やっぱり別に他意は全然ないとしかここでは言いよーがないんだけど、これとて「伴大納言物語」以上の謎めいた言葉なのかもしれないんで、後世の歴史家は1次資料(新聞のことだな)に当たりつつ真実を探るのが訓練になって良いでしょー。面倒だって人は会ったら聞いて下さい100分は軽く喋りますからワルクチを。


【9月3日】 現在発売中の「SPA! 9月8日号」の51ページに登場する椅子とか机を使ってストレッチをしている背広姿の耳が大きな一見「さらりまん」な人がちょっと謎めいてまーす、ってのはどーでも良くって、読み切れてない本が山とあっても買ってしまうのが「DDR」のプレイをすでに困難とする本地層本ゲレンデ本雪崩の中に暮らす本野郎に共通の性向、なので見かけた京極夏彦さんの「巷説百物語」(角川書店、1900円)と久美沙織さんの「電車」(アスペクト、1800円)のハードカバー2冊をまとめて買ってしまったのも仕方がないと言えるでしょー。

 「電車」は本と電車にまつわる不思議なエピソードが重層的、入れ子的に積み重なっていく不思議な構成が特徴で、電車を毎日利用して本を毎日読む人間にとって心にピンと突き刺さる話も交じって結構ゾクゾクさせられる。自分の読んでいる本を隣りの人が読んでいると意識してしまい、ページをめくる速度にまで注文をつけられている気になって自我を崩壊させていく様は、過剰な自意識を抱えた身にとても迫るものがある。途中までなんて内容も展開も現時点では未定だけど、同じアスペクトから出た「偏執の芳香」(牧野修)とはテイストは違えども恐さで並ぶ作品になりそーな雰囲気。

 京極さんのは先に回して別にマンガ版「天地無用」シリーズの奥田ひとしさんが絵を描き原作は叉もこいつかなあかほりさとるさんの「陰陽探偵少女遊 RANTO魔承録」(角川書店、580円)をペラペラ。地味な格好を願ってど派手な格好になってしまう感性の奇妙な能力者が探偵となり周囲に不思議な力を持った人々を配置して、巷に起こる不思議な現象と戦わせるまあありがちな内容の「霊界バトル物」だけど、主人公が女装して可愛かったり隣人の美容師とその助手たちが謎めいてたり主人公のTシャツになぜか魔物がぴょん吉よろしく張り付いてたりと、受け取りでもありオリジナルでもある要素がまぶしてあってそれなりに楽しめる。1巻は遠しで学園を脅かす謎の魔物と戦う話で少女遊の秘密もまだ見えず、今後の展開と少女遊の女装具合に期待がかかる。小説版も始まるそーだけど、あかほりだしなあ。

 やっぱりメディアワークスではいくら会長な人が製作陣に名前を連ねていたって「金融腐食列島【呪縛】」の記事は一般のレベルを越えて紹介するなんてことはないとか。それがメディアとしてジャーナリズムとして当然の姿勢だし、最近の利口になった読者にまるで自己PRとバレバレな関連グループの作品の紹介をすれば、あからさまにやってやがると思われかえって反発を買うって解っているからね。それでもやるってゆーならそれは、作った人へのアピールでしかないんだけど、アピールされる側も実はあからさまな自己PRが逆効果って知ってたりするから、アピールはやぶ蛇でしかないんだけど、それでも突き進むってあたりがやっぱり悲しい人間の空を飛びたい心理って訳で。だから一体何のことなんだって聞かれても、別に大した意味なんかないから(爆々)意味がよく解らなくっても気にしないで下さいねー。「SPA!」なんて公開中に毎週連載するんだろーか?

 8月に日本初上陸となっていよいよブーム爆発かと目されていた米タイ社のお手玉縫いぐるみ「ビーニー・ベイビーズ」が何と12月31日をもってすべてリタイア(製造中止)にされるとか。いやまーこれまでも定期的に「リタイア」の縫いぐるみを衝くってファンのコレクション心理を煽り、プレミア市場を盛り上げて人気を持続させて来た経緯があるけれど、いきなりの「全てリタイア」って文句はあまりにも衝撃的で、日本でのブームに大きな影響を与えるだろーことは想像に難くない。とはいえプレミア市場の存在を知ってからの差益派がいっぱいいそーな日本の市場にとって、米国のニュースはそもまま発売即プレミアってな幻想を生んで人気爆発にさらに一役を買う可能性も大。と考えるとこの低迷期に入ったタイ社がアジアでの起死回生を狙う戦略として理にかなってるよーな気もしてくる。

 それでも通な人によればこーゆー戦略はタイ社が度々とって来たもので来年からは生産がなくなるって訳じゃなく多分ちゃんと発売され続けるらしく、人気薄から店頭に山を余っているカニとクモとサソリの平べったい系3種類の「ビーニー」に、突如としてプレミアがついて飛ぶよーに売れるって状況にはなりにくそー。とか言って米国の発表が日経に出た直後にこっそりソニー・プラザへ行って余っていたスカンクとシマシマネコと買い込むあたりに、典型的プレミア狙い野郎の下心が見えて割れながら嫌になる。でもってネットで現在の価値なんかを探って安さに舌打ちしてたりするから下心も救いようがないくらいに低劣なんだけど。明日あたりも再販物が出るとかで、こっそり駆け付けよーかな、千葉市美術館へと行く途中にソニー・プラザへと。


【9月2日】 メディアワークスさんあたりがどう思うのか聞いてみたい謎が1つ。今度角川書店が東映や産経新聞といっしょになって作る映画に「金融腐食列島【呪縛】」ってのがあって、まあそれなりに話題にはなっている映画ではあるんだけど、これのPR記事を例えば角川書店とは関係はあるけど一応は別法人のメディアワークスの、実写映画とはほとんど関係のない「電撃アニメーションマガジン」で果たして大々的に展開するんだろーか。それもレギュラーな誌面を割き、少ない編集部員を総動員して映画の感想のコメント取りなんかに走らせて、おまけに別に角川書店がPRを頼んで来たんじゃなくって編集長が天上の高みに位置する角川書店に良い顔をしたかったからって理由で。

 あのフランスで千駄ヶ谷でも生き抜いて来たワイルドな「アニマガ」編集長がそんな理不尽きわまりない事をしでかす筈もないから、別の「電撃ホビーマガジン」でも「電撃王」でも構わないんだけど、とにかくそーゆー図式で果たして本来の業務を袖にしてでも上の受けを取りに走るものなんだろーか。少しは他の記事より大きめにして掲載することもあるだろーとは思うけど、例えば来年の角川映画を電撃の雑誌が公開まで毎回密にフォローして宣伝に一役買うとはとても思えないし、やったらやったで角川以外の別の多くの映画製作会社から反発を喰らうのは必至。ゲームでもアニメでも宣伝めいた記事が多いといってもそれは業界全体に敷衍している訳で、あからさまに自グループの作品を何をおいても紹介するなんて、格好良い言葉で言えば「ジャーナリズムの死」を選ぶよーな真似はしないよね。

 だいたいが旧態依然とした企業社会の中で上意下達的な環境に圧死しそーになった人たちが、これではいかんと立ち上がって正義の快復に務める映画を、まるで旧態依然とした企業社会にありがちな、上しか見ないやり口で自家発電に励むなんて構図自体が、強烈な冗談としか思えないしね。 で、何が言いたいかってゆーと別に言いたいことは全然無くって(爆)、仮にこれほどまでに漫画的なシチュエーションが実在したとしたら大変に面白いことだろーし、そんな状況に身を置いていられたとしたら多分楽しすぎてお腹がよじれて腸捻転から脳捻転になっただろーって想像しただけ、なんでここに挙げられたメディアワークスの人も別に気を曲げずに我が身に借りにそんな漫画的シチュエーションが降り懸かった場合を想起して、オモシロさに腹をよじれさせて下さいな。げらげらげら。

 うーん郵便スペオペなんかじゃ全然なかった(知ってたよ)小川一水さんの「こちら郵政省特配課」(朝日ソノラマ、530円)は、民間企業との競争に勝って役所の中でも発言力を増すために郵政省が採算度外視の配達組織を作りヤバげな物から巨大な物まで切手1枚で配達してしまうって組織があって、そこに属する男女を主人公にした小説だったんでちょっと吃驚。どっちかってゆーとSFっぽかったりファンタジーっぽい作品が大勢を占めるソノラマ文庫で、かつ過去の作品がそーゆー傾向だった小川さんが、まさかこーゆー現実の政治や行政を活写する作品を書くとは思わなかった。ドタバタでハチャハチャに進むあたりは表紙を代えて中間小説系統の雰囲気で出してもそれなりに受け入れられそーな感じ。キャラクターの立ちっぷりはこーゆー傾向の文庫向きではあるけどね。

 ただフクザツなのはこれが果たして単純に頑張る郵便屋さんを讃えた小説なのかって点で、見ようによっては融通が聞かず職務に忠実過ぎるって意味ではまるで官僚的なキャリア採用の女性特配課員を主役級に配置することで官僚の組織をからかっているよーにも見えるし、依頼者の為とはいっても結局は省益を前提に採算度外視の環境が作り出されている官僚社会の欺瞞性を衝いているとも見える。作者がさてはてそーゆー警鐘も込めて物語りを書いているかは定かじゃないけど、圧倒的な権力をバックに理不尽であろーと無茶であろーと一直線に突き進む面白さは、天下の副将軍を例に出すまでもなく確実に溜飲を下げさせてくれるもの。かつ可愛い美女がそーゆー人間だったら言うことを聞いてあげても構わないって気になるのも当然で、今はまだ純粋なまでに真っ直ぐな彼女と彼(主人公はこっちなんだけど)の活躍に惹かれてる。後書きで言う次があったら直面するだろー立場の難しさをどーかわすかも個人的な興味の置き所なんで、単発だった過去の2冊にならわず次巻を是非書こう。

 突然の呼び出しにホテル・ニューオータニへ。任天堂が何かと話題をふりまくコナミと次世代ゲームボーイ「ゲームボーイアドバンス」向けとか携帯電話とつながった「ゲームボーイカラー」向けのソフトを開発・販売する合弁会社を設立するって内容に、なるほど野球に止まらず「音楽ゲーム」に「Jリーグ」の権利までをも手中に収めよーとしているコナミが次に狙うは任天堂の次世代GB向けソフト市場かとまずは想像する。現実には別にこの「モバイル21」ってベタな名前の新会社に独占的に作らせるって訳じゃなく、作りたいならサードパーティーもどうぞってな姿勢は任天堂でも崩してないみたいだけど、ハード面でどこよりも圧倒的な知識を当然持っている任天堂がスタッフを送り込むだけに、新会社を経てコナミ側に伝わる情報の質や量は他のサードパーティーに比べて格段上のものとなるだろーから、先行メリットは大いに得られコナミをますます有利にすることだけは間違いない。

 心配したのかたまたま近くでコンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)の理事会が開かれていたのか、光栄の襟川恵子社長にエニックスの福嶋康博社長にコナミとは敵対関係にあるナムコの常務とかが、会場の入り口にどでんと陣取って中で開かれている記者会見をのぞいていて、とりあえずサードパーティーの締め出しはないと安心したものの、新会社が採用する社員に株式を分け与えて早期の株式公開によるキャピタルゲインを餌に人を集める手法には、すでに抱えているクリエーターをかっぱがれるってな不安も当然持っただろー。表面上は安心顔で「良いことじゃないの」と言ってた福嶋さんも、自社でクリエーターを抱えない弱みが新しいプラットフォームに新しいインセンティブを餌にしたコナミの思惑によって露呈する可能性も無じゃないから、内心は安心もしてられないだろーなー。

 会見ではとにかく圧倒的なパワーで喋りをカマした任天堂の山内社長で、とりわけ今回すごかったのは「重厚長大なゲームはダメ。ゲームはもっと軽薄短小じゃないと」とゆーセリフ。リスクを山とかけ人間をわんさとつぎ込んで作り上げる映画的なソフトが果たしてどれだけの利益を得られるのか、あと何年もそゆーソフトがもつのかって疑問の果てにたどり着いたのが、ゲーム本来の楽しさを追究したソフト、100人が何カ月もかかるんじゃなくってそれこそ数人が数カ月で作る楽しいソフトがこれからの主流になるって考え方らしー。プラス携帯電話が5000万台に達する時代に、ネットワークを使ったゲームがもっと流行るって意見も言ってたっけ。

 これが目黒にあるあの会社を直接指しているかどーかは怖くて聞き返せなかったけど、それはそれとしてなるほどゴテゴテの厚化粧のよーなCGが延々と出てくる割にはゲーム性に乏しいソフトが過去に幾らもあったことは事実で、そーゆー作品を尻目に世界観とゲーム性で世界中にファンを作った「ポケットモンスター」の存在を意識した時に、山内社長「軽薄短小」を強く礼賛することの意味も形になって見えてくる。コナミの「遊戯王」があっとゆー間にミリオンを越えた現実からも、美麗なCGではなくゲーム性及びゲームを媒介にしたコミュニケーション性が大きなバリューを生み出している事実は伺えるしね。

 ただ果たしてそれ一辺倒なのと言われればそんなことは絶対になく、一方で映画的とゆー上下関係を想起させる言葉がもはや適当ではない、新しいカテゴリーに属するインタラクティブ性を保持しながらも画面は映画以上に美麗なコンテンツが生まれつつあることも紛うことなき事実。今後進むだろーハード性能の向上、及びそれと反比例しての価格の低下といった環境の中で、より幅広い企業から、それこそ巨万の資本力を持つハリウッドから、そーゆーカテゴリーへの参加が相次ぎ世界に市場を拡げる可能性もある。「軽薄短小」を標榜する任天堂は、そーゆーハードの進歩や市場の拡大から傍目には背を向けているよーに見える。

 これは多分に山内さんとソニー・コンピュータエンタテインメントの久多良木さんのスタンスの違いによるもので、昔から一貫して「ゲーム」を作り続ける任天堂と、「ゲーム」を否定し「コンピューター・エンターテインメント」の創出に全勢力を傾けるSCEIのスタンスの違いと言い換えても構わない。そしてどちらにも確実に市場はあってユーザーも大勢居る。同じカテゴリーと思って比べるよりも、違う方向性を目指す2つのエンターテインメント関連企業があり、それらが業界を上から下から右から左までを住み分けつつもトータルで支配する構図を見た方が正解なのかもしれない。13日には「次世代プレイステーション」の発表もあることだし、双方の意見を聞いた上でお手並み拝見っていきましょー。えっ「ドリームキャスト」はどこにいるかって? うーんまた別の次元にあるんじゃないでしょーか、シェンムー界とか裕界とか。


【9月1日】 夏目房之介さんが最新刊の「マンガの力」(晶文社)も含めて最近のマンガ評論の仕事で編集の小形克宏さんたちと試みていたのが、評論にあたっての図版の引用で「正当な引用」に当たっての尺度なりを計ることで、実際に「マンガの力」ではすべての図版で出典を明記し改変する場合は自分で描いてコピーライトの表示を付けている。図版は本人から借りたか刊行物からスキャンしたのか確かめるのを忘れてしまって定かじゃないけど、スキャンにしても印刷にしても小形さん曰く「ハウツー本が書ける」くらいノウハウの蓄積があるそーで、作家本人が著作権をたてに貸し出しを拒否した場合でも、出典明記で批評中心の「正当な引用」のスタンスを崩さない限り、スキャンによる評論をやってのけるだけの覚悟と技術があるみたい。

 今朝付けの新聞各紙が取りあげていたのは、マンガ批評における「正当な引用」の範囲について初の司法判断が出たってことで、夏目さん小形さんたちが取り組んで来たことへの法律的な裏づけが出来たって格好になる。今回の裁判は「ゴーマニズム宣言」からマンガを無断借用されたってことで作者の小林よしのりさんが「ゴー宣」批判の本を訴えたってもの。判決によれば批評本のマンガの取りあげ方は引用の範囲であり、絵と文章が一体になったマンガでマンガ抜きに文章だけを引用するのは不可能であり、薬害エイズ訴訟で活躍した人を後に小林さんと仲違いしてから描いた絵に引用の際に目線を入れたのもやむを得ないってことらしー。

 割と慎重な検証の上での判決は、小林さんや小島功さんらが一般論として懸念する、引用と言って図版をたっぷりと無断使用する「便乗本」の頻発もなるほど気にはかかるけど、そーした本がたとえ出ても範囲を逸脱したものとして制限を加えられる気がして杞憂と思う。ただし属人的に振れやすいこーした文化的な物事への判決で、かつまた「正当な引用」の範囲も使う側の願いと使われる側の痛みとゆーお互いに相容れない可能性の残るものだけに、今後いろいろ紛糾しそーな予感はある。もちろんマンガに評論が必要なのは明白で、そこで作家の恣意性を廃して合法的に引用を行える下地を作るるためにも、今回の裁判は検証されて行かなくっちゃならない。

 しかし不思議なのは小林さんの弁護士がコメントしてた「引用は本文だけで十分」ってな趣旨の主張。被告となった人が評論するのは絵も含めたマンガであり、例えば敵対する人物を醜く誇張して描くとかいった小林さんの作品に頻出するマンガ的テクニックを除外しては、批評は絶対に成り立たない。そして小林さん自身が送り出しているのも、マンガ的テクニックを駆使した絵柄とそして文章を合わせたマンガそのもの。そこで繰り出される主張ってのは、トータルで初めて成り立つもののはずなのに、裁判の主張では文章だけで批評は成し得ると作家側が言ってしまうのは、主張における絵の役割とゆーマンガ家にとって最大の武器を、自ら否定することになってるよーな気がして仕方がない。断然控訴の構えみたいなんで今後しばらく続く裁判での絵の役割についての主張を今後ちょっと注意して見ていこー。まずは「SAPIO」の「新・ゴー宣」でのキレぶりに注目なんだけど。

 やっとかめ立ち上がったアスキーイーシーの電子商取引サイト「e−sekai」。本当だったら7月30日にはオープンのはずで華々しいカウントダウンまでやった挙げ句のオープン延長は、青木光恵さんのバニーちゃんイラストを見られて半分ラッキーだったけど、あれだけ派手な前宣伝をしたにもかかわらずオープンさせられなかった辺りに、沈む初台のイメージを世間に強く印象づけてしまったのも事実。それだけに1カ月の遅れを取り戻すべく、きっとこれからの展開では超安売り商品とか超珍品商品とかってのをボカスカ出してきっと世間の話題をさらって暮れることだろー、そーだよな玉舎サン?

 何故か本のコーナーからたどれる本読みリンク集に僕ん家の感想文ページなんかも入れてもらえたんで、1カ月の遅れの間にちょっと夏休みオタクイベント目白押しから来る精神的な疲れ(金銭的な疲弊)でおぼつかなかった更新を20日ぶりくらいにしてみる。うーんコワれた女子高生好き作家さんでも作品には罪はないってことで、ぽちゃぽちゃのぷりんぷりんのぼんぼーんなむっちりむうにいさんのイラストにも免じて堂々の「e−sekai」発動第1弾は野尻抱介さんの「私と月につきあって」(富士見書房、580円)と相成りました。けど某「パネキット」観察記とか「ガンダム」製造記録ってな仕事も目白押しで次なる更新が何時になるのか現時点では未定。小川一水さんの郵便スペオペ(ウソ)な「こちら郵政省特配課」(朝日ソノラマ、530円)も買ったけど読み始めるには時間が足りず保留中、なんで気が向いたら適当な本で適当な感想を載せて行きますよろしゅうに。


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