縮刷版99年8月下旬号


【8月31日】 いくらパクったとは言ってもここまで立派にかつ完璧にパクられると浮かぶのは微笑みでしかない。よく読んでないから実在する商品なのか単なる冗談広告なのかは判然としないけど、実際にあったとしたら使ってきっと心地よさの上に先端を行ってるってな満足感も加わって、イボでもフクザツな振動も花心に触れる突起も必要とせずに最高級の快楽を与えてくれることだろー、残念にも使用不可能なこの身が悲しい、本物なら誰か買って使用レポートを書いてやっちゃーくれまいか。

 パクったパクられたでは喧嘩一歩手前の静けさにあるコナミが始めた業務用ゲーム機を巡る特許係争は、「ギターフリークス」にそっくりだと「ギタージャム」を訴えられたナムコが、実に嫌味にも度が過ぎる製品を9月にも発売することが判明して、さてはてコナミとしてはどー出るか出られるとしたら心底心臓の毛がフサフサじゃないかと考える。ナムコが売り出す業務用ゲーム機はその名も「ウンジャマ・ラミー」といって、例のソニー・コンピュータエンタテインメントが発売した「パラッパラッパー」に続くロドニー・グリーンブラッドが手がけたプレイステーション向け音楽ゲーム第2弾。ナムコはこれをロドニーの世界もそのままなボディーによる業務用ゲーム機に仕立て上げた。

 ゲームだとラミーちゃんがギターをベチベチ叩いてリズムに合わせて音楽を刻んでいくんだったと記憶しているけれど、プレイはPSのコントローラーに限られていた。ナムコではそれをゲームの世界もそのままに、ラミーちゃんのギターを人間が触れられるコントローラーにして本体前に2機備え付け、プレーヤーはそれを手にとり画面上のボタンか何かに合わせてペチペチ叩いて遊ぶとか。色とか形はともかく遠目に見たプレースタイルはまんま「ギターフリークス」、かつ音楽に合わせてボタンを操作するスタイルは「音楽ゲーム」そのままで、コナミが「真似だ」と言って決して不思議じゃない。けど当の「音楽ゲーム」の元祖と目されているのがPSの「パラッパラッパー」で、その続編とも言える「ウンジャマ」が業務用ゲームになったからと言って訴え出たら、さてはて本家はどっちだ論争に一気に火が着く可能性があってややこしい。

 それでもやるならコナミの本気も解るってものだけど、かといってプラットフォームホルダーとして絶大な力を持ってコナミとしてもあんまり喧嘩したくないソニー・コンピュータエンタテインメントのソフトが始めて業務用にライセンスされたってこともあって、果たしてすんなりと前に出るかどーかが見えにくい。ナムコとジャレコ以外はセガもその他のメーカーも一切相手にしよーとしないって点が恣意的と見られて文句も言えない現状があるだけに、そーゆー相手の顔色を見ながらの係争のターゲットにSCEIを含められるのか。外してナムコと戦い抜くのか。さても9月9日開幕の「アミューズメントマシンショー」では両雄の1つ屋根の下での激突もある訳で、受けること請負の「ウンジャマ・ラミー」を離れた場所からコナミがどーゆー目で見るのかを、強く深く観察したい。しかしやってくれるよなー。

 光琳社出版が潰れて行き場を失っていた一種のタウン誌なんだけどスケールも内容もデザインもすべてが世界的な雑誌「TOKION」がレゾナンス出版から出るよーになって迎えた2回目だか3回目だかの最新号は、前に聞いていたよーに「マクドナルド」を全編にフィーチャーした見よーによってはPR誌とも撮られかねない体裁。色が赤で文字が黄色で表紙に写るはドナルド君だから当たり前っちゃー当たり前だけど、かといって中身は宣伝くささもあるにはあるけどむしろ「マック、格好良いじゃん」と心底惚れた人間が集まり自分ならではのマックを語る「リスペクト雑誌」って言った方が正しいみたい。

 歌舞伎町にあるマックを24時間追いかけた連載の次から次へと来店し食べたり寝たりする老若男女の姿には、不夜城となぞられられたあの街の活気が1つの視点から伺い知れる変格ルポルタージュになっている。挟み込みなマックリスペクターによるマンガも、有名か無名かはともかく大勢の人がそれぞれの視点からマンガを描いて寄せていて、人に愛される、あるいは貶される、いずれにしても強い関心を持たれるマックって存在がグワンと浮かび上がって来る。全国のわが町のマックを淡々と写していったメイン記事の、逆説として画一的な風景を全国に築き上げてしまったマックの底知れない恐ろしさも感じられたりして、新しい発見を幾つも与えてくれる。税込み980円はお買い得なんで見かけたら手に取ってながめてみよー、目印はドナルド。


【8月30日】 「アニメージュ」は「ムズかしい本を読むと眠くなる」の大森望さんに「AX」は「ホンのお読見」の山岸真さんと、「電撃アニメーションマガジン」は不肖私めの銅メダル争い団子レース3兄弟アニメ雑誌(「ニュータイプ」「アニメディア」は2頭抜けてて金銀確定)に本を紹介するコーナーを持っている人が偶然にも一堂に会した「DASACON2」が始まるもしも以前に、羨ま悔しくもゆーぴーとの邂逅にヤニ下がりコワれていく野尻抱介さんのことを知っていたなら、「そんな羨ましい場に居合わせサインを差し上げるなんて僥倖に恵まれた野尻の『私と月につきあって』を書評に取りあげてはいけませーん!」と嫉妬心も露な提案も辞さなかったと思うけど、すでに終わってしまった後の名古屋祭りは3英傑の練り歩き、なんで今回はあきらめ代わりに仙台エリ嬢の写真をすべてこちらああにも回すよー野尻さんに土下座してお願いしたくありおりはべり。

 それは冗談としても「月つき」と重なるよーに折良く下巻が出た「人類月に立つ」(アンドルー・チェイキン、亀井よし子訳、NHK出版)や、来月が第1巻発売の「週刊少年サンデー」連載中の石渡治さん描く何とかってマンガや、「コミックガム」連載中の「星界の紋章」風な宇宙に出てはいけません的制約を宇宙人から加えられた人類が「宇宙戦艦ヤマト」系シチュエーションで羽ばたこうと頑張るマンガや、永劫の宇宙への思いが若干なりとも込められた山岸さん訳グレッグ・イーガン著「宇宙消失」あたりをとりまとめて、人類が決して捨てられない宇宙への思いってなあたりを横軸に今はまとめられないものかと画策中。これとジャンルを決めず横断的にあらゆるジャンルをつまみ食いできる、マイナーな存在故の役得を活かせるってのが自分の多分強みなんで、今後も思いつきと思い入れで本を紹介していきますんで、「電撃アニマガ」みんなで読んでね「ブギーポップ」マンガの後で構わないから。

 仕事に向けた試作として「機動戦士ガンダム」の300円プラモの2つ買ったうちの1つを粗組みしてみる。一体成形されたパーツの完成度の高さが胸腰あたりのパーツに存分に現れていて、かつ接着剤を使わず完璧なまでに組み立てられるバンダイならではの技術力も相まって、とても300円とは思えない、ってもこの値段が多分に奉仕価格なんだけど、造形にしても可動にしても完成度を誇っていて流石はバンダイ静岡工場とそのポテンシャルを深くふかーく認識する。もう1つは時間を見つつ隙間をパテで埋めて全体を白く塗り上からトリコロールの3色パーツを順に塗り分け使命を果たす所存、とは言え精神体力ともに限界に来ているから、「電撃ホビーマガジン」所収のカラーシールでごまかす可能性も未だ高い。勝つのは手塗りかそれともマスプロなシールか。とりあえずシール、貼ってみよーっと。

 マンガの本を何冊か。近く連載再開らしー榎本ナリコさん「センチメントの季節」(小学館、876円)は相変わらずの使い勝手(何に、なんてのは言わずもがな)の良さもさることながら、物語の上では割と簡単に最後までイってしまう描写が男に強い期待感を抱かせつつ、根底の部分では別のフクザツな感情が流れているんじゃないかと感じてしまう。これってただ自意識過剰なだけなのか。巻末の典型的な根暗のガリ勉が勢いで閉じこめてしまった少女と最後までイってしまう「2人の世界」の、出来すぎのシチュエーションの裏には舌出して「そー簡単にイくかよ」ってな女性の舌を出す顔を見てしまうのなんてその典型。ああやっぱり「もてない男」論争を聞いておくべきだったぁ。

 「ピアノの上の天使1」(新書館、524円)が美形の男にショタロリ心をそそる少年少女のオン・パレードでまずまずだった尾崎かおりさんの新刊「メテオ・メトセラ」はタイトルの「メトセラ」でSFな人ならピンと来るよーに主人公はとてつもなく(っても600年程度だけと)長命の男。「天使をたべたから」(「エンジェル・スリンガー」?)ってな理由で死なない体になったらしー「メトセラ」を狙って賞金稼ぎがつきまとう中に、長くメトセラをおいつつも果たせず人間なんで死んでしまった賞金稼ぎの孫娘が、意志をついでメトセラに迫るって場面から幕を開ける。

 2人ができてしまうのはお約束として、長身で眼鏡をかけて長命な主人公ってのが「トライガン」のヴァッシュっぽいとか「イートマン」のボルト・クランク風とかってな話はさておいて、今のところは600年前に起こった何かがメトセラをして死なない体にしてしまったその謎解きへの期待を抱かせる。説明不足な割には謎めいてもおらず思慮深さもないキャラがいて、「スペシャルマッチ」のよーに場当たり的展開もあって全体に密度の薄い感じがするけれど、ラストに登場して来た変態する少女の正体も含めた深い設定が見えてくれば、動きの良くなった絵柄がさてはて如何なるアクションシーンを見せてくれるのってことも加わって、次巻以降への興味が募る。テトみたいな見つめの兎猫かわいい、けどかみつかれると痛そう。


【8月29日】 28日は幕張から帰ってビールを飲んで3時間ほど寝てから後楽園経由で「DASACON2」へ。邪魔になっていた「DDR」関連の器具を1式商品にでも使ってもらうために拠出したけど大きさといいプレイする場の制約といい一歩間違えると嫌がらせにしかならないタイトルなんで、当たる人によっては遠方からでかつ山ほど本を買いあさった人に当たったらそれは何ともマーベラスなことよとイジワル心でほくそ笑む。ほかにも山と適当なソフトを付けておいたから当たった人はきっと100日は寝ずにゲームをちょっぴり古いのも入っていたけど楽しめることでしょー。ダイエットにも、良いぞ。ダイエットが、必要なら。

 到着するとすでに8分の入りは出席率の高さと曖昧さゆえにあからさまな犯行もない結束力故のことなのか。近所で挨拶をしつつ開会を待って持っていった「ビーニー・ベイビーズ」を自慢したけどただのUFOキャッチャーのおまけだと思われたらしく注目されないのは、つまりはそれだけの商品力だったって事でしょー、どーする電通PR。そんなこんなで開会式も終わり挨拶、紹介に続いて東雅夫さんと作家の寮美千子さんの対談がスタート、実は読んだことのない作家で「ノスタルギガンテス」「星兎」なんてタイトルと少年が主人公の児童文学の人だと聞いていたらかたおやかで触れると飛びそーな薄幸の文学少女を創造してたら案の定、じゃない意外にも豪快姉ちゃんでありました、笑い声が高らかに響くっぽい。天沢退二郎さんが近所で高校の先輩で呼ぶときに「天沢とすれ違ってさあ」風喋りをすることからも性格その他を想像できるかも。

 外務省で事務をしたけど体質に合わず止めて草思社だかで管楽器関連の広告のコピーライターを務めた果てに物書きになろーと童話大賞に応募。数度の応募でも通らずこれはと一念発起して傾向と対策を練ったら見事に合格したのはしたれど、以後頼まれるのが本来は書きたかったものではない傾向と対策の果ての作風ばかりで辟易したって話は文芸を志す人ならば参考にもなるし反面教師にもなる言葉だったと、おそらくは何人か交じっていただろー作家志望者及び現役滑り出し間もない作家の人たちは喜んだことだろー。

 最近の作品では少女の分身が逃げて追いかける寮さんには珍しいらしい少年じゃなく少女を主人公にしたファンタジー(15日分を書き記すのに5日で400枚とか、大著必死、出版元募集中!)とかで、聞いた話の面白さ度は近年稀なる国産ファンタジーの金字塔になりそーな気がする。あとは今はもー衰退の一途を辿りつつある「セイント・ギガ」向けに書いた詩とか。ちなみに寮さんかつて「ユリイカ」に詩を送って巻末に掲載された経験があるとか。ここでも「どんな評価を受けるのか知りたくって、応募したら通っちゃったから、もう送らなかった」と発言する豪毅さを披露。どんな人かと胸躍らせて来場した文学少女(がいたかは不明、自称はたくさん)の憧れが、ガラガラと音を立てて崩れる音が文京区界隈に鳴り響いたことは言うまでもない。

 その後は「架空書評勝負」が粛々と進行、会場で読み上げられた候補者の内容がその場で確認できず何となく手を挙げる人が多かったため、本来の公開バトルに応援団の演説といった付き物の盛り上がりが今ひとつだったのはもったいない。次回はリングを用意し中でセコンドを付けて「口激」し合う趣向を是非ともこらして戴ければ面白いかも。ちなみに1等賞この作品で有り難いドクター中松仕様のFDをもらって帰られました、まだ醤油チュルチュルの方が役に立つね。

 以後は古本オークションやら「もてない男」を挟んだ恋愛観(だったの?)の吐露合戦とか本を買いに行って全部買い占められて悲しいカードゲームとアニメイントロ当てクイズとかが粛々と進行、何故かあさりよしとおさん描く「ジョンくん」のイラストが目に入って突発的に買ってしまった、北久保弘之氏が裏表紙を書いて中に樋口真嗣さんも開田裕次さんも紀行しているジョン・カーペンター監督のファン同人誌とか、サンディエゴ・パドレスのファンじゃないけど名前だけは聞いてて興味のあったトム・リーミィの「サンディエゴ・ライト・フット・スー」を競り落として高かったんで勝利宣言はしないけどそれはそれで幸福な気分に浸る。大枚儲けた人も何人かいたけどどーせ本の救出に消えると思えば損したって気分にならないからね。

 果たしていったい幾つに見える競技では若さナンバー1の東洋大のカオリン・田中香織さん(メイス・ウィドウの頭あったよ)が挑戦しては日下三蔵さんを39歳くらいに位置付けていてやっぱりそー見えるのかと納得(してどーする)、あとは三村美衣さん小浜徹也さんさいとうよしこさん水玉螢之丞さんあたりの年齢が錯そうしてて、未だ現役でファンダムの最前線でガシガシ言わしている人々の、強さと若さにきっと目も眩んだんだろーと傍目に勝手に想像する。僕はそれなりな年齢、でもちょっと若かった感じ、それはそれで有り難いけど、帽子被ってたからなー。仰天はやっぱり火浦功さんの「60歳くらい」発言で、これだけホントに長い間仕事が目立って来ていないと、やっぱり人々から長老扱いされてしまうんだってことを如実に示す結果を見る。あるいはクレイジー・キャッツを讃えている雰囲気からそー思ったか? けど個人的にもすでに40歳の大台に載っていたのかと自らの読者歴に重なる火浦さんの20年近くの活動を振り返り……もっと書けよと憤ったのはもちろん集まっていた人に共通の思いだったことはこれまた言うまでもない。

 「笑う角には夜来る」といった有り難い教訓も頂き閉幕、迷惑1番な「DDRセット」は最年少の田中さん家に引き取られて行き、おそらくは後輩SF部員の体力強化の為に踊りながらSFしりとり100連発とかってな強化合宿メニューに使われることだろーと後進の為になっただろーことを喜ぶ、是非やりなさい。「京フェス」ではらやなよーに。心臓破裂しますから。記念撮影もなくダラダラとで払って解散し、途中「村上春樹と日本の『記憶』」(井上義夫、新潮社、1800円)とか「北京芸術村 抵抗と自由の日々」(麻生晴一郎、社会評論社、2200円)なんかを読みながら帰宅する。

 後者は北京の現代アーティストの最先端を、その生活ぶりや考え方も含めて網羅的にルポした画期的な1冊で、禿頭絵画の方位均や美女変化の馬六明さ海外でも知られた作家のみならず、これから期待のコンピュータを使ってセルフポートレートをコラージュする森村泰昌っぽい王慶松なんかを紹介していて勉強になる。文化大革命は終わり改革・開放のバブルにはやや早すぎた世代の拠り所なき完成が学生運動が終わりバブルには学生だったんでハマれず社会に出たら景気下がりっぱなしで価値の置き所身の処し所に悩む自分の世代なんかと若干の共通する部分もあって、そんなシラけた感覚が生み出す芸術の姿がすごく気になる。とはいえ流石に中国だけあって作品への毛沢東風刺、近代化しても裏は路地ってな取り繕い振りへの批判といった精神も込められているから、見よーによっては鼻につく部分もあって時代および社会背景への理解も要求されるから難しい。ともあれ貴重な1冊、著者の労力を讃えたい。

 でもって徹夜明けのままこれから千葉市美術館へと出陣の予定、後進は後刻。ぐうぐう。と電車で眠っていたら千葉に着いたんで千葉市美術館までてこてこと歩きつつ途中のゲーセンで夏仕様の団扇付き「たれぱんだ」を200円で1つゲット、風船詰めのサービスも行っていたけれど、「オパンダコパンダ」の巨匠の前にパンダを連れて行く訳にも行かず鞄の中に収めて沈黙してもらう。その高畑勲さんの講演の会場となった千葉市美術館では、今月10日からスタジオジブリが主催して高畑さんの本なんかに趣旨を合わせて絵巻物とアニメーションとの関係を云々する展覧会を開催中で、講演が始まるまでの時間を説明過剰な札を読みつつ「どーですアニメぽいでしょ」ってな本末転倒っぽい説明に、アニメを日本の絵巻物で権威付けよーとする意図でもあるのかと穿ってなんだか気が滅入る

 けれども午後の2時から始まった高畑さんの講演会では、最後の質疑応答の部分で12世紀の極めて限定された時代の貴族社会とゆー閉鎖的な空間で、それも「信貴山縁起」と「伴大納言絵巻」の2つについて顕著な現代の映像文化を髣髴とされるカット割りやらパンフォーカスやらカットバックといった手法を見出して、なんか似てるよねって言った程度に過ぎず、それが決して大勢ではないけれど1部には確実に日本人の血肉なり特殊な言語に依拠する部分があって、現代の日本に特徴的なアニメーションやマンガへと繋がってるんじゃないかって、聞き方によっては実に謙虚な話っぷりがあって考えをやや改める。とはいえ根っこの部分では頑固に12世紀の2つの絵巻について強い意識を持っていることも同時に伺え、なかなかに策士との印象も受ける。

 面白かったのは事前に配った「カリカチュア」に関する説明を列記したペーパーを踏まえ、その言葉にあるニュアンスとしての「風刺」なり「滑稽」といった「イヤ」な線での誇張とは違う、日本ならではの記号化が絵巻物なり浮世絵なり現代のマンガにはあるって点で、それが「カリカチュア」と何が違うかと言われると、実感がそこにはあって記号的で面白いけどリアルさも備えているってな点を主張してたのが強く印象に残る。例えば「ホーホケキョ となりの山田くん」で見せた、いしいひさいち的なデフォルメされたキャラながら、生活の実感をそこに持たせた絵に仕上げてみせた、とゆーよりもともとのいしいひさいちの絵にそれが存在したんだと言われる可能性もあるけれど、いたずらな風刺でも揶揄的な誇張でもない、実感を伴いながらも面白味のある絵巻に見られたキャラクターの姿こそが、高畑さんの言う「カリカチュア」ではない日本的な表現方法ってことなのかもしれない。

 質疑応答の時間では、「という見方なのか」と聞かれた問いには「あなたはそう思っているんでしょうがそれは1つでしかない」といった、断定はしないけれど独善を嫌う強い口調で反論していたのが印象的で、それはおそらく評論家なんかが成果物だけ見て断定を下す手法への、フクザツな感情を経た上での結果であるところの作品を、一方的に評価されることへの反発心がやはり強くあるからなのかもしれない。来場していた「ホーホケキョ」大丈夫な藤津亮太さんが絵巻とアニメの「パンフォーカス」の関連について聞いたら一言の元に「ありません」と答えられたのは、それまで反論しながらもいろいろと説明していた高畑さんにしては不親切な1面を見た思い。ひょっとしてジブリの悪口でもどっかに書いた?

 前にゴールデンウィークの展覧会でのイベントで、東浩紀さんとの対談で高畑さんの絵巻はアニメだ的研究本のことを「もしかしてトンデモ本かも」と言っていた村上隆さんが実は会場に来ていて、もしかして激しい対決が見られるかもと期待したけど、遅く来たからなのか後ろの方で立ってたみたいで、質疑応答の時にもちゃんと手を挙げたものの、人を見るに敏な場内の人にどうやら高畑さんの敵っぽいオーラでも感じとられたのか、質問は出来ず。何だかんだと言っても東京芸大で日本画を学び日本画の意匠的、記号的な絵を作品にひんぱんに採り入れている村上さんならではの考え方を、静的な絵画および動的な物語が合成された絵巻を強く評価する高畑さんにぶつけて、例えば高畑さんは否定しがちな日本画の記号的な、あるいはデフォルメなり誇張なり「カリカチュアライズ」された表現が、実は位置階に否定できるものなのか別にもっと時代的社会的文化的背景があって成立したものなのかってな点を議論して欲しかったなー。

 しかし言って言いっぱなしじゃなく、ちゃんと遠路はるばる千葉市美術館まで足を運んで様子を伺う村上隆さんの、アーティスト魂をそこに見た思いでちょっとカンドーする。同行してたのは「美術手帖」の人らしー住倉良樹(?)さんで、こっちは村上さんの顔も仕事もよく知ってはいるけど、「ワンフェス」での1度の名刺交換じゃー覚えてないだろーから挨拶は省略して観察に止めておく。これぞ無名ならではのストーキング的楽しさよ。9月4日はいよいよ本番の「伴大納言物語」に関するサントリー美術館だかの人との対談で、いよいよ絵巻物のアニメーション的な価値付けに迫ってくれるだろーから、今日は遅れて来た村上さんも、次回は是非是非最前列に陣取ってバシバシと質問をぶつけて高畑さんをうならせてやって下さいな。

 とはいっても村上さんが美術界の東大なら高畑さんは本当の東大なんで勉強の出来さでは高畑さんのランクは上。専門性でも長年実地で映像の勉強をして来た高畑さんのキャリアの重みはあるわけで、歴史的な評価をのぞいた絵として、表現としての絵巻への評価とゆー点で村上さんが高畑さんを博士として論破できるか否かには、個人的にもすっげー興味があります。ので関係者の人は4日も村上さんが千葉まで遠路はるばる行けるよー、仕事を選ばせ暇を作って送り出してやって下さいな。ステルス系ライターなあたしゃやっぱり柱の陰から何を話してたのかを聞き取るだけなんだけど。


【8月28日】 うだうだとどーするか思案しつつも起きたら朝だったんでやっぱり行ってしまうのが”出没系”を名乗る悲しさよ。とはいえ流石に蒸し暑い地下道を2時間も並ぶのはシンドいと、意表をついて千葉そごうにあるソニープラザへと向かって「ビーニー・ベイビーズ」3週連続売り出しの最終回に挑む。尻上がりの人気にこっちも1時間は覚悟と決めて言ったら建物の正面玄関へと駆け付けたものの行列のカケラも見あたらず、もしかして全国でも少ない「ビーニー」売らないソニー・プラザかと一瞬悩む、が窓に張り紙があって北側へと回れとあって、なーんだ行列はそっちかと思っていったらやっぱり微塵も見あたらず通り過ぎてしまった。戻って並ぶ場所を確認し、まだ良いかと近所の自販機で1000円札でジュースを買っておつりを見たら500円玉に刻みがあって表面がツルツル、ををこれは変造コインではないかとその偶然性に思わずラッキーと、言う訳ゃないわな。どーしよこれ。

 戻って1時間前。さてそろそろ行列も出来ているかと言ったらやっぱり人の姿も見えず、しばし時間を潰していたらセロテープで工作した看板を持ったお兄さんが登場したので早速行列、したかったけど1人で行列にもなりやしない。3分ほどでアメコミ系のヒーローTシャツを来た兄ちゃんが列の後ろについて9月3日の「スーパーフェスティバル」のチラシを見ながら携帯かけている様を横目で見つつ、15分経って4人の行列を前に手持ちぶさたなソニプラの兄ちゃんと先週先々週の様子についての情報交換を行い、それだったらさっさと千葉に来てれば楽だったのにと思った事は言うまでもない。まあ銀座でもちゃんと欲しいの買えたから良かったんだけどね。

 1時間待って集まったのはせいぜいが30人程度で、そのまま進んで会場へと回7、8人づつを入れて自由に選ばせる形式でスタート。今回は現行品が中心とゆーこともあって意欲もあんまり沸かなかったから、とりあえず目当てのサンタと犬と押井さん好きそーなレトリーバーとブチ犬とアシカなのかオットセイなのか解らないアザラシと蟻食いと嘴の長いこれはキウイ? ってな鳥とおそらくはハリモグラとやっぱりな灰色の猫の合わせて9匹「程度」に購入を押さえてレジで支払って引き上げる。蜘蛛と蟹と七面鳥がやっぱり余っていたのは銀座も同じ。別に可愛くない訳じゃないけど皆が忌避するとやっぱりそーなのかと思ってしまうのは心理なんでしょーね。今日も蛇と蠍が可愛かったけど、買わなかったからなー。

 そのまま蘇我から京葉線に回って幕張本郷から「NINTENDOスペースワールド」の2日目。昨日と一転してプレスは少なく客の増える展開に、場内をグルリと見終わった後でとりあえずプレスルームへと引き上げ広報の人たちと雑談、米国での「ビーニー」状況なんかは何度も出かけている人たちの方が詳しく、流行ってるんだけどねーってな感じで指導を受ける。京都ってことで知り合いも多いのか「GUNPEY」なコトの人もいて挨拶、「電撃アニメーションマガジン」編集部とか講談社あたりで流行っている旨告げると「まだ売れてるんですかー」と言われてしまったのは、あるいはゲームが初速便りの商品へと変わってしまったことへの忸怩たる思いなんかが込められた言葉だったのか。

 とはいえ会場でも1月発売の「スマッシュブラザーズ」が圧倒的な人気で子供たち3時間待ちとかゆー状況になっているのを見ると、初速勝負のゲームじゃない永遠の親しみを持ってもらえる半ば定番としてのソフト作りの大切さなんかもヒシっと感じる。「ビーニー」が来週以降のイベント性が失われた先で展開していく時に、どーしても値段とかレアさとかって点がクローズアップされてしまうこともある意味玩具の本質から外れた不幸なことで、それでも良いってな態度でメーカー側ものぞむのか、やっぱり縫いぐるみは本来子供の手に、そして情操を豊にする一助にってな姿勢の快復を目指すのか、すでにして大人のコレクションと化してしまった感のある日本とは違う本家米国での出方がとっても気になります。

 しかし感じるのは男の子が多いとはいっても交じった女の子の姿の多さで、これは前から感じていたことだけどいわゆる「コンピューターゲーム」がかつてはゲームセンターの「インベーダー」しかり携帯型の走りにあたる「ゲーム&ウォッチ」しかり、ほぼ男の子の独占だったものがいつの頃から女の子が平気で違和感も抵抗感もなくプレイできる「玩具」に変わって来たって点。とりわけ「ポケットモンスター」の人気は見るだにユニセックスで、性的な分化をそれほど感じていないとはいっても男の子は男の子の、女の子は女の子の玩具が別にあった従来の玩具業界のある種キメごとみたいなカテゴライズを越えて、普及していることが会場を歩くと良く解る。こーした子供たちが10年後に、果たしてどんなエンターテインメントの文化を生み出すのか、マッチョでもフェミニズムでもない何かが生まれる可能性なんかを実は密かに期待してるんだけど、どーだろー。

 連載を持ってる「ニフティ・スーパーインターネット」って雑誌でホームページ批評に絡んで細田均さんインタビューまで敢行した何かと話題の記者・大岡みなみさんが3回シリーズの最終回で触れているのは言明はしてなかったけれど多分コモエスタ坂本さんの「嬲リンク」で、ネット黎明期にネット界を結構賑わせた騒動が、ネット増殖期のこっちは週刊誌まで乗り出して大賑わいの事件が喧しい折に懐かしくも掘り起こされるって事への、たった4年ほどの間に起こったネット環境の激変を感じてみたり。大岡さんのスタンスは身辺雑記8月27日付でも明言されているから本屋に見あたらない人はそっちを見てみるのが良いでしょう。

 反応としては「反嬲リンク」な人でも極めてストレートな部類に入るもので、コモエスタ坂本さんとしても過去に十分に聞いただろー意見だから、ここから始まる事件の経過説明とページ開設のスタンスを読めば双方の言い分はだいたい理解できるだろー。解らないのはすでに閉鎖されているリンクをおそらくは義憤にかられて取りあげた大岡さんが、けれどもそれ自体が相手ページの宣伝になるからといって画像も具体名も紹介していなかったことで、なるほど「正当な評論・批評の範囲」を逸脱したページだからという理由も挙げられててはいるけれど、当該のページがどういったものなのかが読んでいる人が解らないままでは、本当にそーなのかを確かめよーがない。

 とかく名誉毀損の係争ってのは、言われた側が感じた痛みと言った側が与えた痛みの主観客観の差があるもので、なおかつ常に「正当な評論・批評の範囲」という主観客観の境界線が曖昧な基準を元に争われるために一方的な主張ではどうしても判断のしようがない。「嬲リンク事件」とは明言していないまでも、経過を知っている人が読めばそれが何を指すのか解ってしまうだけに、決して一般論に敷衍してネット上での「誹謗・中傷」を戒めたのではなく、特定ページを作成した特定個人に対する「評論・批評」を、ホームページという公へのアピールと未だ言い切れない側面をかかえた場ではなく、思想の開示を明確に示す出版物の上で行った以上は、相手方からのアクションも覚悟の上でのことだろー。何か展開、あるかな? 関係ないけど誤解かもしれないけれど新聞記者の僕が例えば会社にあったメモ帳やらボールペンやら目ん玉入りの大学ノートを誰かにあげたらどーなるんだろう?


【8月27日】 朝刊を見て昨日のコナミの「遊戯王」大会が大騒ぎになっていたことを知って、しまったずっと居れば子供たちに交じって世間を騒がすコナミに、どさくさに紛れてケリの1発も入れられたかもしれないとちょっとだけ残念がる。けど偉い人たちはきっとドーム内の安全なところに逃げていて、現場に残っていたのはアルバイトとかの警備員に社員でもヒラとかの若手だからイジめるのは可愛そう。いっそ群衆を率いる自由の女神よろしく、役員とかが溜まっていそうな部屋にめがけて若い衆を引き連れ乗り込むくらいの蛮勇を、現場で板挟みにあってキレた若手社員とかが奮ってくれたら光景としては面白かったかもしれない。後で聞いた話だと背広姿で寄ったマスコミの人が子供から詰め寄られたってゆーから、その殺気立ちぶりも伝わって来るねー。

 個人的には子供たちが集まる会場がいくら騒いだからといって官憲を入れたのは対応としてマズかったと思うけど、新聞なんかを読むと中の来場者が電話で110番通報したってあるから、お礼参りの生徒にタコ殴りにあってる校長先生が警察に応援を頼んだのと、ケースとして違うかもしれない。どっちにしても印象として「コナミは都合が悪くなると警察の力で粉砕するんだ」ってことが、読者なり来場していた子供たちに植え付けられてしまったのは痛いことだろう。

 すでにして業務用ゲーム機の特許侵害したな事件とか、野球ゲームのライセンスを独り占めしちゃったぜ事件なんかで、「情」より「理」を優先させるコナミの現行体制がつまびらかになっているだけに、それがなおいっそう強まったとの印象を一般に与えかねない。むしろ相手が子供だったって点で企業のような立場として対等な相手じゃない、弱者をも蹴散らす”独善”体質ととられかねない懸念もあって、今後に果たしてどうフォローしてくのかに信頼回復の成否がかかる。例え損しても来場した人には名札送ってもらえば代わりにカードを送るってなことをするのが対策として綺麗なんだけど。でもやらないよなー。

 しかし子供たちっの感情のストレートな発露ぶりってのは恐ろしいもので、例えばコミケなんかだと2時間並んで同人買えなくっても「並んだのが遅かったから」ってあきらめ返るだけの共通認識が来場している大きなお友達にはできているから、ってサークル入場した人間が開場と同時に行列して買ってることへの忸怩(じくじ)たる気持ちは例えあっても抑えてる面もあるけれど、仮に昨日のよーな万単位の人間が入った会場で限定品を順番に売ったら、押し寄せる子供たちおそらくはパニック状態になって怪我人が出たこと必至って訳で、そもそもの読み違いとシミュレーションのまずさ、そして対応のまずさはそれとして反省と糾弾の対象にはしなくてはならないけれど、結果として怪我人を出さずにおさめたことを良しと考えなくっちゃならないのかも。いずれにしても後のフォローで会社への評価が固まるってことで、とかく業界からも世間からの何かと厳しい目で見られているコナミの今後の出方が見物ですねえ。

 1000人以上が並んだとはいっても「NINTENDOスペースワールド」は通路も広く試遊台も豊富で、とりたてて怪我人が出たり機動隊が出たり怪獣が暴れ……てはいたんだ「ポケットモンスター」たちが舞台の上でどんちゃんと。いやこれは別に危険じゃないから良いとして、さすがに過去何回も場数を踏んで来た任天堂に仕切りが電通だっただけのことはある。怪我人が出た時死人が出た時のたとえ主催者に責任はなくっても救いようの無いダメージを受けることへの理解が、将棋倒しやら熱中症ってな事態を始終注意しているイベント屋さんには、じゅうぶん過ぎるくらいにそなわってるってことでしょう。餅は餅屋で買いましょう、ってことで。

 見物はやっぱり「ポケットモンスター金・銀」なんだろーけど散々っぱら発売を先送りされてたんで今更発売予定が9月から11月21日にずれ込んだくらいで全然驚きもせず、むしろ発売日が確定したってことの方をニュースと思って僥倖と喜ぶ。年末商戦もこれでゲームショップさんは一息が付けることでしょー。9月はちょっと厳しいけれどね。「NINTENDO64」対応では「ドンキーコング64」がただでさえ凄いレア社のCGが64でも存分に発揮されてる優れ物で、10月放映のCGアニメ以上のなめらかさでコングが動く様を見ると、映像を越えるインタラクティブってな考え方がすでに現実のものになりつつあるんだって実感できる。「ゼルダ」の外伝とかってのは何? って感じがあって他に「カービー」「マリオRPG」「パーティー」「MOTHER」ほか続編者が多数なのはPSでも同じ状況か。いやそれでもPSには「どこでもいっしょ」「ぱねきっと」ってな新しい顔が登場してるし任天堂にもキャラに頼らず続編でもない、画期的決定的なタイトルが1つ欲しいところでありましょう。

 その意味で「シーマン」がドリームキャストで果たした役割を担えるのかが期待で不安な「巨人のドシン1」が初登場、巨大なビニール風船の人形をバックにプレーヤーが画面の中のドシンドシンと歩くドシン(ベタなしゃれ)を操作している様を見ると、かつてハイエルダールがミクロネシアの人々の海洋旅行を再現するためコンチキ号で南太平洋に乗り出したのを同じくらいの、歴史が実証される瞬間の感動を覚える、って何かい「ドシン」はすでに歴史と化していたのかい。ちなみに「シェンムー」は歴史を越えて遺跡となりつつあったりしちゃったり。

 けど解らないのは「巨人のドシン1」の「1」って数字。「横須賀編」とついた某ほどじゃないにしても、未だ発売されていなソフトに続編を期待させる数字をつけるのってのはよほどの自身の現れなのか、すでに一枚じゃおさまりきらず2、3、456……と作られることが決まっているのか。そーいえば「ドリームキャストマガジン」の表2、3見開きで入った「D2」についに12月23日発売の文字が。今年の12月なんだろーな地球の太陽歴の12月なんだろーなと言われたって未だに信じられる気持ちが沸いてこないけど、広告なんかに描かれているローラの足が茶色いストッキングになっていたりするのを見ると、寒さ対策も万全に冬の発売にのぞんでいたんだってことが伺える(違うと思うぞ)。「ポケモン」出た後で男の子の財布のお金がすっからかんになってる可能性は大だけど、でもって「次世代PS」のためにお年玉の行方すら決まっているのは確かだけど、隙間を縫ってどこまで伸ばせるのかは本当に発売するのかって最大の問題の次くらいに来る疑問だな。頑張っては頂きたいもんです。

 最新号でもやっぱりルビがあった「ファミ通」の連載「天からトルテ」にちょっと前から登場してたスライム状の生き物で、イジめられてた不幸な過去を乗り越え新しい友達を得てようやく幸せを掴みかけた「ナンバー7676」通称「ナムナム」ちゃんが、元の飼い主の天使によってあっけなく粉砕されてしまったことに私は心からの哀悼を示し、その復活を求めて作者の近藤るるるさんに強くつよーく抗議する。ってなこととは無関係に朝日新聞夕刊で村上隆さんが相変わらずの「青の6号」に登場する美少女(?)ミューティオへの賛辞を炸裂させてて、あーゆーのが好みだったらどーしてKO2ちゃんなんて作るかなー、とか思ってみたりしちゃったり。いやでも最新の第3巻に登場するミューティオは、遭難した速水にお魚くわえて持って来てくれる場面の上目遣いな顔とか魚をくわえた口とかが爆裂的にキューティーで、その表情としなだれかかる生臭いかは不明だけど柔らかそうな肢体を見るにつけ、村上さんの言うことにも心から頷ける。

 けなげさではイメージしたのが「ジオブリーダーズ」に登場する化け猫の「まや」ちゃんで、相変わらずけなげに「ねこげんき」をパクつくながらもカルボナーラスパゲティを作り最近はレパートリーも増えて海老フライも作れるよーになり、インターネットからレシピを取り出し”さいばあ”なネットジャックも試みる八面六臂の大活躍ぶりが最新巻の第5巻には描かれている。何だかわからない名古屋はセントラルパークにある針金船によく似たオブジェの上から、テレビ塔によく似たタワーを狙撃して最後は爆発させてへし折ってしまう、名古屋市民が聞いたらその魂の拠り所たるテレビ塔を破壊されたに等しいシーンもあって何とも楽しいたのしい(自虐が名古屋人の特徴なのです)。出動して孤立してしまった成沢の化け猫とのバトルシーンは迫力もので、蘭堂さんの激しいアクションも織り交ぜながらのスピード感たっぷりな展開に、最初はざっと流し次に物語を噛みしめ最後に1コマ1コマに登場する蘭堂さんの乳の膨らみ具合梅崎のパンツの見え具合なんかを確かめながら、これまでの巻と同様に何度も何度も読み返そう。第6巻は遠いなあ。


【8月26日】 「ファミ通」はいい加減ルビ止めた方が良いんじゃないのいつまでも読者子供じゃないんだし編集長も長いよね、って僕が言った訳じゃありません「シーマン」が言ったんですってホントだよ。それはさておき建設以来実は1度も入ったことのなかった「東京ドーム」に関係者席から堂々と入って3塁側の監督応接室っぽい部屋にズケズケと入ってかつフィールドに降りて内野から外野までをかけずり回る栄誉に浴する。「東京ドーム」を会場に、なんとまあ実に4万人もの来場者を集めて開かれた「遊戯王」絡みのイベントは、昼時になってもグルリと囲んだ来場者が中に入れずてんやわんやの大騒ぎで、今さらながらに160万本を売ったソフト、何万何千万枚を売ったカードゲームのパワーを感じる。

 北上一三常務の「ニューヨークに行きたいかー!?」ってなノリの良さとは正反対のマジメに御礼申し上げてた感じな挨拶の後でプレイステーション版「遊戯王」のソフトの発表とかもあって、ますますの「遊戯王」への期待のかけ方が伝わって来る。最初はこれほど売れると思ってなくって「ゲームボーイ」版の第1弾だって予定外の売れ行きだったとかで、「ポケットモンスター金・銀」の発売がズルズルべったりと遅れている間に「GB」での主力ソフトの座を「ドラゴンクエストモンスターズ」あたりと2分するだけの地位を確保はしたけれど、さても明日からの「任天堂スペースワールド」での結果如何で秋はやっぱり「ポケモン」となるんだろーかどーなんだろーか。

 特許権の侵害を盛んに訴えてはジャレコとかナムコってな業務用ゲーム機メーカーを牽制しているコナミだけど、トレーディングカードゲームってアイディアは「マジック:ザ・ギャザリング」あたりからの踏襲って訳だからこっちでは逆をやってる訳で、それでも鷹揚なのかウィザーズ・オブ・コースト社はポケモンカードも遊戯王デュエルモンスターズもモンスターコレクションもどうこうするって気配はない。ナンバー1の余裕かそれとも全体が盛り上がる中でこそ先駆者が輝くんだと知っているからなのか圧倒的な面白さは誰にも越えられないと自覚しているか。それは企業の風土でありポリシーだから別に見習おうって言うつもりはないけれど、コンシューマーゲームでのパクり合いだって日常茶飯事なゲーム業界騒げばやがてどこかでしっぺ返しも喰らう可能性を常に考慮にいれつつ、それが正義と言うならとことん正義を貫き通して頂きたいものですね。

 昔っから取材とかに行って社長の人の派手な言動に期待と懸念を抱きつつ眺めていたデジタル映像のスタジオ「ビルドアップ・エンターテインメント」が2年くらい前に聞いていたギャガ・コミュニケーションズとの仕事をいよいよ完成させたみたいでその試写に臨む。「D」とゆータイトルの30分物3本の映画シリーズは、かのバーホーベンですら「スターシップ・トウルーパーズ」ではあきらめ虫ムシ大行進にせざるを得なかった「パワードスーツ」の使用を、1体でかつ夜が中心ってな条件面での利点も織りまぜつつ登場させた点が画期的とゆー触れ込みで、試写室の前に飾ってある実物の「パワードスーツ」がさて画面でどう動いているのかを期待しつつ、始まった映像を1時間半に渡って見続ける。

 なるほどCGでは「サクラ大戦」のCG部分で光武なんかを動かしているビルドアップだけあってお手の物らしく、実写との合成とゆーゲームとはまた異なる条件をものともしないで、夜ってな条件だけは入れつつ現実社会にリアルに「パワードスーツ」を潜り込ませている。隕石にのってやって来たとゆーアメーバ状の怪獣が、人とか鶏のDNAを吸収してそれっぽく変態して巨大化して新宿やらよみうりランドを闊歩する様も、真っ昼間にのフルCGキャラクターって事で、テカテカした感じに他のキャラと決定的に違う質感、動く感じを克服できず戸惑った「タオの月」の「マカラガ」よりは目に優しく見ることができた。鶏怪獣の腹が吹き飛ぶ場面とかは昼間のCGだけど実写のグチョグチョも合成したったのか迫力満点。食事の後(とくに鶏料理)の後では決して見ないで下さいたぶんエヅきます。

 さてそもそも何でまた「パワードスーツ」かって聞かれて答えれば、旧ソ連で開発していたスーツを開発担当の日本人科学者と日本から飛び出て世界で活躍していた傭兵が盗み出したってことらしー。ついでに盗んだ金とか貴金属でパワードスーツは維持しているけれど、主人公の元傭兵がどうにも頭に血が上った野郎で「パワードスーツ」を身に纏い強い奴と戦いたくってしょうがない病にかかってる。そこに現れた”人類の敵”な「隕石怪獣」(身も蓋もない言い方)と新宿を舞台に戦うんだけど、さすが東洋でも屈指の繁華街だけあってヤジ馬も大勢集まって、主人公はそんな中で少々の犠牲もやむを得ないと感じたか田舎は知らないけれど、発泡して40人以上の怪獣に食べられたとは違うフツーの人を殺してしまう。

 「ウルトラマン」がビルを壊しても誰も死なないってのは「お約束」と言えば「お約束」な設定で、そんな形式を嫌ったのか流石は岡部社長ってところで、「D」の第1話には大勢の見物人を死なせて死刑を宣告されて刑務所に叩き込まれる。ヒロインっぽく登場した女の子の末路の哀れさも前代未聞で、こーゆー取り繕わないシナリオには、まんま岡部暢哉社長のポリシーが詰まっていそーな感じを持つ。どーして科学者が主人公に協力し続けるのかは謎だし7割の隕石が日本を直撃するってな設定にも合理的説明はないし、力尽きるのか1番の目玉とも言える「パワードスーツ戦」も決して多くなくってラストには冗長な印象もあったけど、ボトムズがガサラキよろしく目にスコープを当てて索敵して戦闘する描写はCGならではの重量感の乏しさが時折のぞくものの面白さはそれなりにあって、あとは性格設定が今ひとつ分かりにくくセリフもキマり過ぎているのを何とかすれば、娯楽作品として楽しませてくれそーな気がするんだけどなー。試写の予定はまだあるみたいなんでSFな関係者はとりあえず見ときましょー。


【8月25日】 落雷の影響で止まってしまった総武線の代わりに昨日も乗って返った都営地下鉄浅草線から京成電鉄船橋駅までのルートを逆にたどって船橋駅から浅草へ。都立産業貿易センター台東館で開幕する東日本玩具見本市は9時半のスタートと同時にカタログをもらってまずはトミーとタカラのあるフロアへと上る。トミーでは夏場に期待だった「エピソード1」関連がまだ並んでいたけどとりわけ目新しいって商品はなし、一時期の人気沸騰ぶりを今後の展開にどーつなげていくかの過渡期にあるだけに、パワーを入れるよりは残りをいかに売っていくかの段階に入ってるんだろー。劇場へと客を呼んで話題をとれる1つのきっかけが有ればなー、「タイタニック」を越えたとかってのが最善だけど。「山田くん」に勝利したじゃー、ねえ。

 トミーで見かけた製品で1押しは「たれピカチュウ」。正式名称は「おっきくなったくたくたピカチュウ」で、名前のとおりに40センチくらいあるサイズのまんまで、くたっと平べったくなっていて、目を優しげにつむった表情が何とも気持ちを和らげてくれる。そんなピカチュウが2つ積み上げてあって、あまりの可愛さに目の前にすると誰しも口元がほころぶ。仰向けになって腹に載せて顔を見ながら寝るのが正しい遊び方、でしょう個人的には。しかし立体だと丸いピカチュウも平たくなるとイカみたく顎が角ばってくるのは不思議な気がしないでもない。他のキャラクターで平たくしたら売れるって言ったらやっぱりカビゴンか。普段からつぶれてるしね。

 「ファービー」に特別限定版が出るとかでファンは注目。けどやっぱり売り切れちゃうんだろーね。挟んでタカラのブースでは「キョロちゃん」関係が爆発中。ケタケタと走る小さなゼンマイ仕掛けの人形は28日から発売の予定で5つくらい買って競走させるのがやっぱり男の遊び方でしょー。小さいキーホルダーサイズの「リカちゃん」は全国の制服バージョン(実際にはるものかは不明)ってのを続々と発売してく予定で、ほかに阿波踊りバージョンバスガイドバージョン琉球バージョンと「ご当地物」が出てくるなかでコンプリート狙いのファンも結構出て来そー。ただしすでに阿波踊りバージョンは完売状況なんでネットでプレミア付きを探すのも大変かも。小さいから自分で制服作るってのも大変だけど布は少なくってすむから挑んでみては如何、ドレス職人の方々。

 タカラのブースを何故か視察に歩いていたバンダイの高須武男社長に挨拶しつつ7階のバンダイブースへ。「デジモンアドベンチャー」関係の人気をどこまで拡げかつ引っ張れるかにかかっているって感じがあって、本家キャラクター玩具会社としては結構厳しい場所にいるってな印象を受ける。とはいえ「ガンダム」関連では1000円のシリーズの「グフ」「ドム」関連の出来が良くってファンに売れることは必定、後はニューマテリアルってな触れ込みの「逆A」が番組の尻上がり的な面白さ(コメディタッチが板について来た感じ)もあって結構良い線を行くかも。シリーズで展開しているリアル系フィギュアの「人造人間機械ダー」のシリーズに「ハカイダー4人衆」が出るんでファンならコンプリートは必至でしょう。脳味噌がグロくて良いです。

 キャラクターでは継続シィウ品が多く目新しいものがないけど代わりに「アクティブトイ」系統では新製品が続々、何より肉体ガンガンな黒い人が演じて見せた「ジェイプロープ」つまりは”縄跳びが”やりよーによっては格好良いスポーツになるってことで、メディアなんかをノせられれば良い線を行く可能性あり。とにかくチャンピオンの人は凄くって仰向けになったまま尻か背中の筋肉でジャンプして、片手で地面スレスレに回すロープをぴょんぴょんと飛んでしまう。家狭くでできないけれど大広間のある「DASACON」開場だったら大丈夫かな(迷惑だよ)。あとは空気エンジン付き「ハイパーウィング」の亜流でやっぱり出たかの「ロケット」は、空気のほかに水も使う「ペットボトルロケット」のブラッシュアップ版って感じ。空気エンジン付きのバギー車ってのもあってまっすぐにしか走らないんだろーけど(タイヤ曲げておけば曲がるか)格好の良さもあっって広場のある町では楽しめるでしょー。

 オタク系統ではエポック社で見た「SPAWN」でお馴染み「マクファーレン・トイズ」謹製の「メタルギアソリッド」関連フィギュアが新製品も交じってなかなかの出来。某特撮映画シリーズ第1作関連の、顔が命の人形にしては命が入ってなかった製品に比べると気合いの入れ方手間のかけ方が全然違う。珍しくも嬉しいところではコールドキャスト彩色済みのフィギュアが何体か登場、そのラインアップたるやよくぞ選んだよってな拍手物で、まずは「D4プリンセス」の瑠璃堂どりすに「菜々子解体新書」の秋刀魚っまーな「菜々子」そして電撃文庫が誇る世紀末ヒーロー(ヒロインだよ)「ブギーポップ」&「宮下藤花」が登場の予定。ワンフェスで出ていた製品を買い逃した人もこれなら作る手間炒らず塗る面倒もなく、顔立ちもバッチリ雰囲気たっぷりな「ブギーポップ」を手に入れることができる。値段は不明だけど12800円くらいかな、発売未定だけど期して発売を待とう。

 さらに「セガ・トイズ」から未だ価値を判然とできずにいる迷番組「コレクターユイ」のドールが登場、値段割と安くって顔立ちが結構良かったから出たらきっと買うね。恥ずかしいから持ち上げて履いてるかどーか色は白かの確認はできず、そーゆーところが重要なんだとバイヤーなら平気でやるんだろーけど、ほか一応は真面目な会社員なんで某地方の経済新聞の記者みたくプールで赤外線盗撮なんて真似だと思われるんでできません。「指輪物語」のトレーディングカードゲームとか各社から発売される「おじゃる丸」関連玩具とかもそれなりに注目。しかしぬいぐるみがどれも近寄ったり話しかけたりするとぬくぬくと動くのは、流行りとはいいえ都会に独り暮らす寂しさをぬいぐるみの動きで紛らわせたい最近の人の性行が反映されているよーで、不思議さと不気味さとを同時に感じてみたり。100個集めると部屋きっと壮観だろーなー、帰って明かりを付けて「ただいま」といった途端に壁際一面のぬいぐるみがいっせいにギシギシと動き出すんだから。

 秋葉原でDVDまとめ買い、いよいよ最終回の「カウボーイビバップ」に最新刊はミューティオ大活躍らしー「青の6号」に人によっては毀誉褒貶だけと胸あるから全然オッケーな「エンジェルリンクス」にグローブ&ブルマーがキュートな「To Heart」に待望の第5話収録の「星界の紋章」。地上波で流れたのが「To Heart」のみってなラインアップはそれだけアニメが衛星放送のコンテンツとして重宝がられてる現れでもあり、地上波ってなマスを相手にした商売ではとんと成り立たなくなっている現れでもあって、喜びと懸念が同居するフクザツな感情を抱く。ビデオ撮り可能な割には現在「ミト」しか録画していない地上波って面で放映されても永久保存用としてソフトを買わせるだけのパワーに地上波のアニメが満たされていないって面も半ばこれありで、秋の新番組のスタートも控えてさてはて悔しいけれども財布のヒモを緩めさせる作品がどれだけ交じっているのか、やっぱり期待と諦観が入り交じる錯綜した感情が高まり始めてる。9月10日売りのアニメ雑誌で激怒するか歓喜するか。激怒が勝ちそーだなー某某な某の作品なんか特に。


【8月24日】 「シーマン」はカエル化して尻尾もなくなり素性を語って外に出たがる武田鉄也野郎もいたりと順調な兆し。「パネキット」はグライダーを適当に作ってはいるものの遠くへの飛びが悪く酷いと「鳥人間コンテスト」の最初の組っぽく真下に転落して海の藻屑と消えてしまう状況で、なかなかに難渋してるがそれはそれで楽しかったりするから始末に終えない。

 パネルを張って機動実験をして実際に飛ばして飛ばずランディングが悪いのかフラップ操作が甘いのかと試行錯誤してもやっぱり飛ばず気付くと午前4時ってまでにハマれるのには正直言って驚いた。手を汚さず頭をシェイクできるデジタルソフトの今っぽさもあるんだろーけど、根底にあるホビー心は人間にいつまでも共通の心理、それを巧みに鍛えつつデジタルに耽溺する大勢の中より1人でも2人でもリアルな世界への窓を見つけられたらきっと、未来は素晴らしいことになりそーな気がする。僕がヘッポコだからリアルもバーチャルもお呼びじゃないみたい、うーん500メートル飛ばないよー。

 それはさておき現場では往年の名選手の次代を担う若手選手の大活躍もあって盛り上がったみたいだけど、録画して見たテレビ中継は前の「オールスター」の中継の酷さへの怒りも未だ収まらぬテレビ朝日が担当しただけあって、ハーフタイム後の後半がスタートして5分は経って佳境に入っている段階で、延々とCMを入れるわ川口チェアマンやレッズ小野や和田アキ子へのインタビューを入れるわで、試合そっちのけで絵づくりにだけに邁進するそれは酷い内容だったよ「ラモス引退試合」。

 まあCMについてはこの不況時に今でも抜群の人気を誇るとは言え1選手の引退試合を中継するリスクも考えれば、よくやってくれたと誉めて差し上げても良いけれけど、「カリオカありがとう」インタビューなんてものは試合の合間にまとめて放映すれば良い筋合いのもの、本当に引退を祝う気持ちがあるんだったらその勇姿を少しでも多く見てもらいたいって願っているだろーから、試合に被るインタビューをむしろ嫌がったんじゃないかと思うんだけど。

 顔出しの有名人と騒いでる間に画面では得点シーンが流れていたりでいかに凄いプレーをしているかなんて解説もそっちのけ。サッカーを愛して芸能人にもならないラモスの引退試合が芸能ショー化している矛盾が、あの大フィーバーから今の苦境へと日本のサッカー情勢をジェットコースターみたく上げ下げしてるんだね、企業もマスコミも自分のよーなにわかファンも含めて。やがて来る2002年、テレ朝にだけは中継させたくねー。

 「しまったーっ、OSもCPUもはるかにメジャーな製品を使って性能は段違いなのに世界規模ではマイナーなシェアしかとれないメーカーから販売の差し止めと損害倍賞を請求されてしまった、やっぱり似てまーした」ってな戯れ歌をきっと大勢の人が考えただろーSOTECのスケスケデザインなパソコン「e−one」に対する仮処分申請をアップルコンピュータが東京地裁に申し立てたってなニュースを聴いて。

 なるほどパソコンでのあーしたシースルー素材の採用って意味ではアップル確かに早かったけれど、こーゆーものをマシンに使おうってアイディアは随分と前からあった訳で現実にゲーム機なんかでもスケルトンボディとかってのが存在してて、どこからが意匠権になるのか法律に疎くいまいち争点が分からない。アイディアはフリーでも何か具体的なカテゴリーに適用した段階で発生するってことなんだろーか。シースルー「ギタージャム」なんて作ったらナムコ、コナミとアップルの両方から訴えられちゃうかもしれないね、それはそれでゴージャスなんで是非ともやってもらいたいです話題作りのためにも。

 昼の番組にオタキング岡田斗司夫さん登場、流石に会社で原稿書いてる時に横目で見てたんで話していた内容までは分からなかったけれど、冒頭の人形について「デフォルメしてもそっくり」と自賛なのか韜晦していたコメントと、途中に上映された「DAICON3」のオープニングアニメは確認、とりわけアニメは16、7年は楽に経ってる名古屋は植田のホールで実施された「愛國戦体大日本」なんかも含めた「DAICONフィルム上映会」上映会に早朝から「ミンキーモモ」を見られない悔しさを噛みしめつつ3時間は楽に並んで見た時以来(誰か行った人手を挙げて)、だった気もして懐かしさに涙ぐむ、成長してねーって自戒も込めて。ダイコン型ロケットの操縦席にデフォルメしてもそっくりなオタキングと横は某同人誌で線が惹かれていなかった「のうてんき」らしき人を見かけてこっちは時の流れの早さにしんみり。人はかわれるものなのよ。

 タイトルがいつも懐かしい東城和実さんの「黒いチューリップ」シリーズ最新刊は「天使の誘惑」(新書館、505円)が登場、かまってあげたくなってしまう美少女が登場しては「黒いチューリップ」こと圭介を誘惑する少女が圭介の朴念仁さ故に野望を果たせずキレる表題作の結末は、およそそーゆー人への反感を覚えている人に壮快感と開放感を与えてくれるだろー。タカビーな奴がいたら居酒屋のトイレで試してみよー但し最近の婦女子は力強いんで逆にかえされる可能性も考慮には入れて。「美しすぎて」に登場する新型ロボットはタカラが画策していたロボット人形「ハッピーたまちゃん」にちょっとそっくり、でも社長交代の余波で果たして発売されるんだろーか今ちょっと不安なんで、明日から始まる東日本玩具組合の展示会で確認してこよー、リカちゃんドールにジェニーに変身サイボーグ関連もまとめて。


【8月23日】 ファックスの上に無造作に積み上げられた”西洋たれぱんだ”こと「ビーニー・ベイビーズ」の中から適当に見繕ってコアラと潰れ犬を知り合いん家に里子に出す。きっと彼女とかのプレゼントに使うんだろーけど、今時な婦女子が縫いぐるみを見て可愛いとかって喜ぶかは彼女いない歴2万6000年な自分には不明なんで分かりません、むしろ「プレミア付き」とかってなファクターの方が内的にポイントが高いのかもしれんと、それはそれで不幸なこととは思いつつ、里子に出した「ビーニー」が実はお宝だったりする可能性を考えて、慌てて値段表を見返したりする自分の、実は婦女子以上に功利的だったりする性格がもの悲しい。まあどーせそのうち飽きるんだけどね、「ファービー」なんて寝たまま3カ月くらいになってるし。

 グレッグ・イーガンの「宇宙消失」(山岸真訳、東京創元社、700円)を購入、純粋文系な当方にとっては、量子力学云々のバリバリなハードSFであっても魔法的お約束がいっぱいのファンタジーとさほど意味を違えず、むしろ理屈っぽい分苦手意識がグンと増すのも事実だけど、今に始まったことじゃないから気にせず「なんだかすごいんだなー」的理解の仕方で突き進む。MODと(モッドで仮名で書かれるとイメージちゃうなあ)並んで物語の重要な設定になっている、太陽系だけを残して宇宙が消失してしまった現象についても、それが科学的に説明可能かどーかってことよりは、むしろ太陽系に閉じこめられてしまった地球人が、閉塞感から自滅行動に走ったって点に興味深々。どーして行けもしない宇宙に夢を馳せるのかって人間の探求心、好奇心の1つの答えがそこにあるよーな気がするから。

 もちろん太陽系なり今住んでいるこの地球の成り立ちなんかを理解する上で、宇宙の星々の観測が必要だって理屈は分かるけど、それとて現実の地球で撒き起こっている数々の問題を前にした時に、重要度で上位に来るとは思えない。にも関わらず星空を見上げる人が多くいて、小説のように消えてなくなった暁には不安にいたたまれなくなる人が出るってのは、たとえ0の下に0が小数点以下無限に続くいて最後が1ってな確率であっても、この宇宙に自分たち以外の何者かが存在している可能性を否定したくないからなんだろー。可能性ではずっと高くなるとはいえ、現実には進んでいない「月探検」を夢みる人たちとも共通する心理かもしれず、たまたま刊行の近かった野尻抱介さんの「私と月につきあって」に描かれる、月に人が馳せる思いと共通する部分なんかを探しながら、どーして人は宇宙(そら)を見上げるのかを考えてみたい。

 仕事半分で「パネキット」をさくさく。とりあえず途中をすっ飛ばして最後の島へとたどり着いて空を飛ぶ楽しさを味わったんで、戻って途中のミニゲームを潰していく作業へと移る。だたしこーゆー隙間埋めのよーな作業が決して作業ではなく、与えられた乗り物を適正な形へと改造して始めてクリア可能なゲームを配置することで、試行錯誤を繰り返しながら1歩1歩前身していく楽しさをユーザーに与えている点が、決して並じゃない「パネキット」の価値を裏付ける。全部のマシンを出しても、無限大の可能性を持つ自前の乗り物作りが待っているだろーから、凝り出すと半年が1年でも遊んでいられそー。パーツはいくら買って家の中は絶対に狭くならないし、外で広い場所を確保する必要もないデジタルの特性と、作り込むホビーの楽しさを足すんじゃなくって掛け合わせたソフト。しかしどーやったら500メートルのグライディングって成功するんだろー? 2時間かけてもまだクリアできないぃ。


【8月22日】 2世代目に入っておたまじゃくし化した「シーマン」は手足が生えた後で6匹がお互いに血を吸い合って2匹まで減少しておそらくはこれが成長して交尾して3代目へと発展していくんだろー。言葉も結構覚えて来たけど会話がはずまないのはこっちの語彙の少なさとゆーよりも相手のねじ曲がった性格のせいと、本当は鏡のよーな存在の相手に向かって天唾的暴言を吐いて自分を正当化する。

 青虫も適当に育っていて安定感が増して来たんで後は2代目をちゃんと産卵までもっていく努力に1日10分を割こう。あと平行してやっていた「どこでもいっしょ」は本津波雑誌雪崩の下に「ポケットステーション」が行方不明となって2代目のうさぴょんがそろそろ死んだかなって感じ。発掘する気力も薄れ「プレイステーション」は「パネキット」で飛行機を飛ばして遊ぶ方に手一杯なんで、2週間ほど休ませてから再び挑むつもりなんで「DASACON2」での名刺交換は難しいかも。しかしどこ行ったんだろー6畳1間のこの部屋で?

 うーむ恐るべき哉ネットの底力。検索していて見つけた東浩紀さんと漫画家の砂さんの深くて濃い対談「砂と東のこれが答えですか!?」を読んで、フツーの雑誌ではフォローしきれず多分する気もないものを、飲み込み咀嚼してしまうネットのフットワークの軽さをちょっぴり羨ましく思う。5月の村上隆さんとの対談ではあれほど褒め上げていた「天使になるもん」はそーなのかテンション落ちて来ているのか、「アキハバラ電脳組」の絵の酷さはやっぱり誰もが感じていたことなのか「D4プリンセス」はやはりチェックすべきなのか、とかって話は最近「アニメ力」(あにめ・ちから)の落ちてる身には羅針盤となって有り難い。

 あとキャラ立ちとキャラ萌えってのは根本的に違うものなのか、ってないろいろな勉強をさせてもらったり。3次元CGが全盛となりつつある今でもセル画調の平べったいキャラが日本人に受けてる背景に言葉にならないけれども関心を持ってる東さんがさてどういった答えを出して来るのかにとりあえず注目。言語化する装置がないそーあんでやるかどーかは知らないけれど。あと作画的には抜群だった(IGだもんな)劇場版「アキ電」をどう見ればよいのかと東さん砂さんあたりに聞いてみたいねー折角なんで。おまけ話でもエッセンスとして「アキ電」のトんでた部分が詰め込まれていたよーに思ったけどさてはてどーだったんでしょーか。勿論見てるよね初日に並ぶとかして。

 西炯子さんの新刊が出ていたんで買う。その名も「真夜中のMidnight」(小学館、505円)って白馬に乗馬的言葉の重複が見られるタイトルでいったい何かと悩んだけれど、読めば真夜中がMidnightだったことが分かってなるほどとタイトルについては納得、けれどもここんところギャグが走ってた西さんには珍しいダークな話と、そのサイコスリラー的なサスペンスタッチの作品に意外感を抱く。口絵からしてとにかく仰天な迫力だもん単行本が初見で表紙を開いて見た人は、一体なにごとかって思うよね、これじゃあ。

 人間の感情の高ぶりがそもまま派手な身ぶり手振りになって浮かび上がって来るよーな作画は相変わらずとして、ときどき記憶が抜け落ちる少女が目を釣り上げてニタリと笑う場面(って書けばだいたいどーゆー設定なのかは9割の人が分かっちゃうんだろーな)のド迫力にも、「三番町」「ローズメリーホテル」といったギャグとも、その前に描いていた「水が水になるとき」他の耽美な雰囲気が漂っていた過去のしっとりとした作品とも違う、西さんの新しい1面を見る。美少女のスカートからパンツ丸見えな絵もいっぱいでそれはちょっと嬉しい。不謹慎だねえ相変わらず。

 キリンジの「牡羊座ラプソディ」って歌は歌詞がヘンだけど曲が綺麗なんで通して聴いてみたいと唐突に思いつつ村上隆さんの新作時計の案内をば。前にシチズンの「インディペンデント」で「DOB」くんのケース入り時計を出したワーカホリックが、今度は縫いぐるみ「DOB」くんのケースに入ったやっぱり「インディペンデント」をベースにデザインした村上さんの時計を9月に限定1999本で発売するとか。文字盤にはうっすらと「タイムボカン」のドクロベーな雲が立ち上ってる村上づくしの時計に仕上がっていて、ガレージキットよりは手にはめて使うってことが出来るし値段も安く無理な文脈の思想ものっかっていない分、使う時に理論武装する必要がなくって気分的には楽でしょー。

 「ドクロベー」で思い出した奥瀬サキって人の「星の夜月の空」(新書館、870円)って短編集が、大友さんと吉田秋生さんと上条淳士さんとほかありゃこりゃな細い線を持った作家を想起させる絵柄で青春やホラーや麻雀やらってな脈絡ないけど不思議なテーマのマンガがいっぱいで面白いんだけど、中にボロボロになったレザーのレオタードやマントなんかを着たまんまで3人乗りの自転車をこぎながら砂漠を誰かの視線を感じつつ走る夢を見る女性の話があって、それはつまりそうなんだねってことで一定の年齢を経た人には心が突き刺された気分を与える。これ読むだけでも自分には価値のあった作品集、かつ数学的麻雀漫画も緊張感があって楽しく得した気分を味わう。滅多に売ってなさそーだけど見かけたら気にくらいは止めよー。


【8月21日】 待望久しい野尻抱介さんは「ロケットガール」のシリーズ最新刊「私と月につきあって」(富士見ファンタジア文庫、580円)が登場して、夜中に帰宅してから一気読み、美少女(美醜は関係ないんだろーけどスポンサー向けにはやっぱ美少女が良いってこと、なのかな)の宇宙飛行士が日本のみならずフランスにも登場して、一緒に月を目指すってなこれまでとは1段階ミッションのレベルが上がった展開になっていて、ドタバタな要素を含みつつもより厳密でかつシビアな環境におけるドラマが緊張感を感じさせ、言い様のない解放感を与えてくれて読後感がとっても良い。ちょっぴり都合良すぎるんじゃねーかと含み笑いを浮かべた「天使は結果オーライ」に比べると、個人的には筋の通り具合で「月つき」の方が好みかも。イラストも全体にぷりんぷりんのぼんぼーんで最高っす。

 考えてみると人間が月に行ったって話に実は結構なおっさんであるにも関わらずテレビでリアルタイムで接した記憶がなく、ってことは僕より下の世代はさらに人間が本当に月に行ったってことを知らないかもしれないんじゃないかと思ったり。むしろ宇宙がらみの話では自分のだと「スペースシャトル」の大爆発の方が宇宙的事件として強い記憶に残っているからなー、あと「ボイジャー」の木星接近あたりか。ハレー彗星は渥美半島の根本にある太平洋に面した真っ暗な赤羽の海岸でうっすらと流れる尾を真冬の寒さにふるえながら見たっけか、男たちばっかりだったけどね。

 最近思うのが、現実よりも仮想の小説やアニメで人が月を平気で歩いたりしている様に接しているから、仮にしばらくして再び人が月に歩を進めた時には感慨よりも既視感の中で冷静に状況を見るんじゃなかろーか、ってこと。情報過多の中で感動が鈍っていやしないか、現実からの遊離感が進んでやしないかと色々な事件が起こる度に感じてるんだけど、それでも現実の興奮が上を行くなら人間の感動の導火線ってのはまだまだ湿っていないんだろー。「月つき」読みつつ本当美少女が月に行く日を夢みつつ、その日の味わう感動のシミュレーションをしては、如何。

 寝たのも束の間起き出して”出没系ライター”のネタを仕込むために(ってそれが理由か?)再びのソニープラザ銀座店へと向かって「ビーニー・ベイビーズ」の日本発売第2弾に臨む。メディアでの騒ぎからおそらくは出足も早くなるだろーと前回の10時より1時間近い早い午前9時15分頃に店の前に到着すると、すでに前回を上回る人出で日本人の情報を吸収する早さと流行物に飛びつく瞬発力の強さに改めて感嘆する。それでも何とか70番目くらいにつけて2時間を読書して待機。これまた待望久しく久しすぎて首の長さがが麒麟を越えてしまった日下部匡俊さんの、「呪法宇宙 カルシバの煉獄」(富士見書房、639円)の直接ではないけれど同じ時間軸線上に属する久々の小説「呪法航紀 星船たちの歌」(アスキー、650円)を読む。

 すでにしてどーゆー話だったかうっすらとしか記憶がなく、自分で書いた感想文を読み返して続きへの期待度の高さを思い出しつつならばと読んだ「星船たちの歌」は、同じ時間軸線上とはいっても記憶にある冒頭からの緊張感い溢れたハードなバトルに目を惹かれた「カルシバの煉獄」とは全然違って、ほとんどが航宙士としての強い能力を持つ人種に生まれながらも致命的な欠点を持つ少年のドラマを軸に展開する。それは少年の成長物語としても読めて面白く、隠された能力と隠蔽されたテクノロジーとの邂逅が果たしてこれからの宇宙にどんな変化をもたらすのかとゆー、頻繁に見るけどそれだけに魅力も高い設定への今後の期待も高まる。かつ人知を越えた「ネザー・ガイスト」との闘争がどう展開していくのかにも関心はあるけれど、前作の直接的な続編が出ず今作の将来への保証もない現実で、撒いた餌に集まった僕ら読者を作者は、出版社は本気で釣り上げる気があるのかと叱責の意を込めつつ問いたい。責任とってね。

 熊と蛙とハスキーと縞猫と羊とライオンと茶猫とカンガルーとコアラとダルメシアンの計10個を購入してしめしめと退散、前回の6個と合わせてこれでおそらくはフジ・サンケイグループでもベスト10くらいに入るだろー16個もの「ビーニー」コレクターになったかもしれないと勝手に妄想する。取材に来るなら受けまっせ。今回はどれが値打ち物か良く知らなかったけど、後で買わなかった蝙蝠が色の面で結構なプレミア物だったらしーと聞いてちょっと悔やむ、けど可愛くなかったんで可愛さを第1義としてプレミア性はオマケととらえる我がスタンスでは、買わずにおくのがやはり正解だったからいーや。来週も売出しだけどさてどーするか、集中する傾向が見えて来たんで田舎の店へと回った方が楽かなー。

 銀座線を乗り継いで浅草へと回って「アキハバラ電脳組」と「少女革命ウテナ」の劇場版の2本立てを観賞、まるで昭和30年代な浅草ブロードウェーを抜けた先にある東映の劇場は、まるで昭和30年代な作りの古い設備で新宿の東映パラスにも似た急傾斜の座席になってて、大きく綺麗で音響の良い劇場にかけてもらえない作品への配給元の作品への期待の低さにタメイキを付く。「アキ電」は声優さんの力量なのか高すぎる声のトーンのせいなのか冒頭の激しい喋りが聞き取り難く、「ウテナ」の方もせっかく「THX」で作っていたのに音響の立体感のカケラも感じられず、どこでも良いから音響の良いシネコン系で上映して頂きたいもの、どっかでやってたらまた見にいこーと心に決めるがさてどこかでやっていたっけか。千葉はどーだったっけ?

 テレビ版ではその質の粗さが先に目に入って辟易として飛ばし飛ばしでしか見られなかった「アキ電」は劇場版だけあって綺麗になっててよく動き、ギャグな場面の無駄なキャラの画面を騒がす演出も堂に入ってて、情報量の多さに脳味噌が処理しきれず目がクラクラとしたけれど、段取りをわきまえられたらそれはそれで物語の間をつなぐ欠かせない要素として受け入れられるよーになって来た。「パタP」の可愛さも映画で始めて理解できたのが収穫。物語としては本編の事後譚に過ぎず本編もキャラの関係もほとんど理解できない人には辛いかもしれないけれど、不思議な力を持った少女たちが何かやらかす話ってなお約束的設定を理解していれば、それなりに分かるってのはまた日本のアニメの欠点とウラオモテにある利点でもあろー。つばめちゃん水着胸スカスカに萌えれる奴は買いだ。はとぴょんのPOP欲しー。

 「ウテナ」は総体として人が自分を閉じこめている殻の中で温かい寝床にくるまれている状況から、厳しいけれども無限に広がる世界へと飛び出していく、テレビ版と同じ展開なんで意外感はなかったけれど、テレビ版よりはアンシーに加えてウテナ自身の外へと向かう強い意志が現れていて、メッセージとしては直接的に強く訴えて来るものがある。その分ありきたり性も増しているから好みじゃないと反発する人もいるかもしれないけれど、その分ビジュアル面がテレビに輪を掛けて爆発しているからテレビとは同じベクトルを持った」テイク2」的展開として楽しむのが姿勢として良いのかも。ロココってーかアール・ヌーヴォー調だった美術が、今度は機械文明の発達を意識した未来派的な構造物が画面にあふれていて目新しい。赤が強く浮き出た画面そしてエロティックさを増した展開も含めてテレビ版とは異なるテイストを別の1つの解として受け止めよう。


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