ピアノの上の天使
MY SWEET ANGEL ON THE PIANO

 同じ日のほとんど同じ時刻に生まれた双子でも、戸籍の上では必ず「兄」と「弟」に区別されてしまう。紙切れの上でのことに過ぎないと、言って言えないこともないのだが、長い「家」制度のくびきから、未だ逃れることが出来ないためか、育てる側の意識がどうしても、「兄」と「弟」を区別してしまう。

 育てる側の意識は、知らず双子にも伝わり、自分は「兄」だから、「弟」だからといった自意識となって、それぞれの人格形成に小さからぬ影響を及ぼす。「兄」は「家」のことを思い「弟」のこを気にかけて、ために時として自らの欲望を押さえ込んだまま、鬱屈した思春期を忍従して過ごす。「弟」は周囲の忍従を知ってか知らずか、己が欲望を第一に置いてその達成のみに生き、爛漫な思春期を屈託なく過ごす。

 「兄」の忍従は、両親にはきっと解ってもらえているだろうという、そのことのみを救いとして、普通は爆発することなく心の底にしまい込まれている。堪え忍ぶ必要などなかった、天真爛漫にやれば良かったと気が付いた時には、人生は半分以上が過ぎ去ってやり直しのきかないところまで進んでいて、あとは鬱屈を後悔に変えて、残りの人生を漫然と怠惰にやり過ごし、死んでいく。今の自分がそうであるように。

 けれども時として、ともすれば爆発しそうになる心のたがとなっていた両親の理解が、傷つきやすい思春期のうちに崩壊し、失われてしまったとしたら、「兄」の解き放たれた怒りは、いったいどこに向かうのだろう。それがいっぱいの愛情を受け、屈託なく生きている「弟」へと向かうであろうことは、想像に難くない。例えば尾崎かおりのデビューコミックス「ピアノの上の天使」(新書館、505円)に登場する双子、男やもめのピアノ弾きという弟の「トカゲ」に、幼い頃分かれた兄の「バギー」がとった行動のように。

 「ピアノの上の天使」は、母を失った娘と妻を失った男の、すれ違っていた心が重なり合った瞬間を描く、ほんのりと暖かいラブストーリー(家族愛、という意味での”ラブ”だが)である表題作で始まる。トカゲという名のピアノ弾きが営むバーは、マスターが気にいった客しか入れないため、いつも閑古鳥が鳴いていた。おまけに父親は日がな一日ピアノの前に座りっぱなしで、店は娘のアザミが切り盛りしていた。そんなピアノバーに、「葬儀屋」と呼ばれる青年・ミワは時間があれば入り浸り、不思議なトカゲとアザミの父娘と、家族に近いつき合いをしていた。

 ある日のこと。アザミは父親がスライドで女性の姿に見入っているところを発見し、父親の新しい恋人だろうと邪推して、可愛い嫉妬の炎を燃やす。スライドを持ち出して、ミワに誰だと問いただすと、ミワは彼女こそが死んだアザミの母親だと告げ、アザミは自分では置き換えられない父親と母親との愛情の深さを知ることになる。そして母親の命日にあたるクリスマスの日、ミワに教えられた母親が埋葬されている場所に行ったアザミは、雪に埋もれた姿をトカゲに発見されて死線をさまよう。その間トカゲは死んだ妻のシイラを想い、シイラに託されたアザミを思って眠れない夜を過ごし、還って来たアザミを見てお互いの絆の強さを確認する。

 短編が1本、ショートストーリーが2本間に入って、「ピアノの上の天使」は愛と憎しみの狭間で葛藤する双子の兄弟の話、「カドリール」へと遡る。それはまだ、トカゲが12歳だった時のこと、養ってもらっていた叔父の店でピアノを弾いていた彼を見て、シイラという歌手が声をかけて来た。何年か経って、天才ピアニストと賞賛されるようになったトカゲは再びシイラと巡り会い、喉が悪いのかもうすぐ歌えなくなってしまうというシイラから、最後に唄う歌を作ってくれと依頼される。

 最初は頑なに拒んでいたトカゲだが、しつこく付きまとうシイラにしだいに惹かれていき、歌を作ることを決心する。しかしそんなトカゲのところに、子供の頃に離ればなれになった双子の兄のバギーが現れて、父親が死んだことを告げた。元ピアニストの父親に、乱暴されながら育った2人の双子の兄弟のうち、弟のトカゲだけが、10年前に父親から逃げ出した母親に連れられて家を出た。残った兄のバギーは、荒んだ生活をする父親の虐待に耐えながら、父親と、自分を連れていかなかった母親と、母親に選ばれた弟のトカゲに対する複雑な感情を醸成していった。

 子供の頃、父親の虐待から自分を守ってくれた、強く優しい兄との再開を純粋に喜ぶトカゲとは対称的に、どこか油断ならない雰囲気を秘めたまま、トカゲとシイラとの交流に割り込んで来る兄のバギー。幼い頃に心に刻み込まれた「置いてけぼり」の寂しさが、再開の喜びも束の間、トカゲとシイラとの結婚によって再び沸き起こったのだろうか。兄の心に灯った昏い焔は、やがて悲劇となってトカゲの最愛のものを燃やし尽くす。

 「ピアノの上の天使」へとつながる、長いプロローグとも言える「カドリール」のエピソードによって、トカゲとアザミの不思議な父娘の関係や、ミワがどうして二人と家族づきあい出来るのかなどが明らかとなる。悲しみを経て微笑みを手に入れたトカゲとアザミの父娘だが、悲劇をもたらした兄のバギーは、行方知れずとなったまま、満たされることのない思いを胸に生き続けているに違いない。

 だから今は悲しむ時ではない。そして微笑む時でもない。鬱屈しつつもあきらめてしまった双子の兄である一読者として、幸福でなくても良い、恐ろしい破滅の道でも良いから、未だ満たされないバギーの心に、何かしらの決着をつけてやって欲しいと、ただひたすらにこいねがう。


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