縮刷版99年5月上旬号


【5月10日】 テレビ東京ぢゃない千葉テレビ(関東ぢゃあとテレビ神奈川とかでも)で放映中な「To Heart」は下心のない親切に美少女がポッとしてしまう男的にはなんて嬉しいっちゅーか羨ましい相変わらずのシチュエーションで、こーまで手を広げて浩之いったい最後をどー落とすんだってな怒り憤りに震える。あれだけコナかけても最後はやっぱり神岸あかりってオチにしかなり得ないのがリニアなアニメの弱点なんだけど、ギトギトさのカケラもない浩之の態度は出来すぎにしても見苦しさがなく、何とも不思議なバランスの上に作品の温い心地よさを作り上げている。6話まで来てもとりあえずは水準を保っている絵にオー・エル・エムの底力を感じ小林七郎さん高橋久嘉さんら美術スタッフの実力を見る。でやっぱりマルチはちゃんと出るのかどーゆーシチュエーションで出るのか謎謎謎な残り話数に日曜深夜の心は釘付け。をを「超神姫ダンガイザー3」のCMなんぞをやっとるやっとるいつ発売じゃもー発売か。

 もちろん昨日の森本晃司さん×前田真宏さんの対談は載ってないけど富野由悠季監督を含めて「逆Aガンダム」に山ほどのページを割いている「GaZO」を買う。表紙が香取慎吾にとって1番か2番のハマらな役っぽい「甦る金狼」なんでイマイチ乗れない事は脇に置き、のっけから「だんご3兄弟」について聞いてしまうインタビューとかアフレコでの指導とか氷川竜介さんによる金魚の解説とかを満載した大特集には、本誌「アニメージュ」では量的にも質的にももはや限界に来ている部分を乗り越えての、趣味の雑誌教養の雑誌としての存在感だけは存分に溢れる。高橋良平さんがホストっぽい役で登場の「スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」関連記事もたっぷりで情報入れたくない人は読み飛ばすのが吉。でも今号での1番記事は誰が何と言おーとカプコンが誇る”春麗”社員こと浦沢賀奈さんインタビュー。だっちゅーのはしてません。

 さても「アニメージュ」は「第21回アニメグランプリ」が発表。「ルリルリ」が1番はしょうがないけど3番の「キャナルbyロスト・ユニバース」ってのはちょっと解らん。単に見てなくって思い入れのない作品から選ばれていることへの個人的な違和感なんでファンな人は起こらないでね同じことは「シャオリンby守って守護月天」とか「ライムbyセイバーマリオネットJ TO X」にも言えます。をを「クリーオウby魔術士オーフェン」が11位だそんなに人気者だったのか。20位まででは「岩倉玲音bylain」の顔だけがとてつもなく特異。これが18位に入っている事実はキャラ萌えじゃなくって作品自体のパワーがあった事を現していると見ていたファンとして思い入れたっぷりに喜ぼー。

 なんと「AX」は「十兵衛ちゃん」が表紙。連載中だからフィーチャーぶりも当たり前っちゃー当たり前だけど中の対談でもこの春スタートのアニメでイチオシ的扱いになっているから当然の扱いと言えるでしょー。折り込みのマンガ付録に安倍吉俊さん描く「ちびちびlain」の4コママンガが掲載されているんでファンならチェック。あと山岸真さんと水玉螢之丞さんが組んでSF作品について語りイジるコーナー「ホンのお読見」が「グッドラック」じゃいないけど神林長平さんの「戦闘妖精・雪風」で、他に例を見ない芸風を発揮している山岸さんの文章に、文字どおり「わかりにくすぎるネタ」なバッタ姿の冬樹蛉さんが”賛! アニメ誌初登場(だったかな)”なんでファンならチェックだ、って山岸ファンなの水玉ファンなの神林ファンなの冬樹ファンなのどれなのよ。水玉的「雪風」解釈は秀逸、やっぱサポートするシルフィードはカワイくなくっちゃ。

 なんだこれはと仰天な朝日新聞5月10日付夕刊「私が愛した名探偵」にご登場の森村泰昌さんが高村薫さんの創造した合田雄一郎を演じた「合田雄一郎になった私」。といってもほらあの女優なりきりシリーズに名画入れ込みシリーズで名を馳せた森村さんだけに、廃墟のような部屋の中で全裸で足に白いスニーカー、頭に鳥打ち帽だけと身につけバイオリンを弾く姿で「合田雄一郎」と言い切る至芸を見せてくれている。その趣味の高踏さ、でもってどこかなめかかしい皮膚感は決意を秘めつつ「レディ・ジョーカー」ですべてのファンを唖然とさせるラストを見せつけてくれた合田をまさに表現し尽くしているよーな。今後ミステリーな人で合田をコスプレする人は、なべて森村さんに従い裸に白いスニーカーに鳥打ち帽にバイオリンの姿で演奏しながら闊歩すべし。毛臑はちゃんと剃ろうね。


【5月9日】 やっぱ、ほら、アレな人間としては見ておかなくっちゃまずいだろーってことで先日死去のキューブリックから幾星霜、ヘアヌードも解禁された割には児童ポルノは取り締まりが強化されつつある時代の節目にリメイクなったエイドリアン・ライン監督の「ロリータ」を、はるばる恵比寿ガーデンシネマまで見に行く。ロビーには見るからにアレな長髪だったり肥満だったりショルダーバッグだったり靴ノーブランドのズックだったりな人々があふれて、外見はともかく内面においてはは鏡に写った自分を見ている、そんな思いに若干の精神的なひきつりを感じるも、ほかにアベックだったり女性だけの団体がいたりしてつまりはそーゆー人たちでも十分に観賞して楽しめる「お芸術」な映画なんだよ僕もそっちの人なんだよってなフリをしてアレな人たちとは内的に一線を引く。傍目には一緒に見えたかもしれないけれど。

 さてもスタートした「ロリータ」はなるほどロリータ役のドミニク・スウェインの魅力でとりあえずは途中まで引っ張っていってくれる。設定どーりの14歳かどーかはともかく胸ぺっただし仕草はガキだし歯列矯正用の金具をはめてたりするし母ちゃんが死んだと解った途端に泣きじゃくるし気分屋だし爛漫だし、とにかくあらゆる「少女」の要素をどちゃっと詰めて仕上げた感じの人間になっていてアレな人にも十分過ぎるくらいの楽しみは与えてくれる。まー西洋の映画なんで成人限定の黄色い楕円が付いた日本のマンガほどには直裁的な描写もなければバストトップどころか背中もお腹も含めた裸は一切見えず、時に白いパンツが1カ所程度、それも瞬間見えるくらいしか楽しみがない。にも関わらずその一瞬だけにDVDなりLDなりを買ってしまおーかと考えているあたりに、やっぱり根っからのアレだってこと気付かせてくれるって点で、とてつもなく深い意味のある映画なのかもしれないなー。

 ロリータにのめり込むオヤジの最初の呆然ぶりとか挟まれるコメディタッチのシーンとかに「お芸術」的深遠さが阻害され、「純愛」が哲学へと昇華されないアレ的な人にとって一切の免罪符とはならない映画ではあるけれど、むしろそのコメディぶりが最高に発揮されるエンディング近くのロリータをさらった罪でおやじに撃ち殺される劇作家、キルティの死に様だけはパンフレットに内田春菊さんが書いているよーに「惚れた!」の一言。豪邸の中を駆け出し背中を1、2発撃たれたにもかかわらず、ピアノの部屋へとかけ込み「ジャン、ジャジャジャン」とあれはドビュッシー? ムソルグスキー? ラフマニノフ? シベリウス? 浅学なんで知らないけれどよく聴く音楽を素っ裸の上にガウンを羽織っただけの姿で(死にかけてるのに)演奏し始める姿はとにかく得体のしれない迫力を放つ。このシーンだけは「お芸術」なファンもアレな人も指さして笑おう大声で。「刺客が来たらピアノ演奏だ」by春菊の声に従い怨まれてる人妬まれてる人はヤクザな親分さんもストーキングされてる芸能人も政治家も、迷わずピアノを買ってその日を待とう。

 親会社の光琳社が12億2000万円で子会社の光琳社出版が約9億9800万円の負債を抱えて自己破産を申し立てたらしーとの報に、本屋を回って買い逃していた光琳社の本を買いあさりたい気分になったけど、いかんせんド高い本ばっかり出してて(それが原因で売れずに潰れたって声もなきにしもあらず)手持ちの金が持たないため、とりあえずは木村伊兵衛賞を受賞したホンマタカシさんの最新作ともいえる分厚い百科事典かイミダスのよーな写真集「TOKYO SUBURBIA」(6500円)だけ購入する。街撮りな作家の多くが荒木経惟さんや森山大道さんの模倣のよーにごちゃた街をスナップってるのと比べると、おそらくはゴツいカメラを抱えて団地とかってなどこか乾燥した雰囲気のある対象をはっきりくっきりと写すホンマタカシさんのよーな街撮りは珍しく、決して好きじゃないけど買って見る分には絶対に損はない、むしろ趣味が一方向に固まるよりもタメになるんじゃなかろーかってな所感をホンマタカシさんには持っている。無くならないうちに是非。

 ほかにも荒木さんの上海を撮った写真集とかが出ていたり、HIROMIXと並んでかつて話題になった東京ガールズフォトグラファーな長島友里枝さんとかの写真集も出ているけれど今は金がないんでパス。同じ荒木さんでもウィーンでの展覧会を収めた写真集はすでに購入済みなんでオッケー。ベストセラーになった「宙の名前」とかにははじめっから興味がないからパスするとして、しかし若手ベテランを含めて結構名の通った人の意欲的な写真集を高額ながらも地道に出してた出版社が、こうもアッケ無くいってしまうとは世の中やっぱり「お芸術」を越えた資本主義が強いのかも。「お芸術」でもないのに売れず資本主義に媚びよーとしてもバリューがないから果たせずにいるプライドだけお高い潰れそーな新聞社が某所にあるけどね。

 前日に続いて「パルコギャラリー」へと出向き今日は「森本晃司×前田真宏×村上隆」のトークショウを聞く。まるでファンモードでほとんど喋らず喋ってもボソボソと質問にならない言葉を放つ村上さん。仕方なく出演2人のアニメ監督の近作をビデオで見せる場面へと移り前田さんは「青の6号」のゲーム向けに作った(何故かドリキャスのマークが最後にドン)とゆー、第1話と第2話の場面をザ・スリルの音楽に乗せて繋いだカッコ良いビデオを上映し、森本さんは森本さんで先だっての「文化庁メディア芸術祭」でも賞か何かをとってた「とき玉」を上映。「青6」はすでに作品として何度も見ているから別として、「とき玉」の方は3次元のCGを2次元っぽい質感にしてけれども回り込みとかは3次元でってな不思議な映像で、「トイストーリー」や「バグズライフ」とは違うニッポンの3DCGアニメの最良の姿を見せられた思いになる。

 続いてこれが本邦(内緒で)初公開らしーGLAYの「KAIKANフレーズ」とはまったくもって無関係な「サバイバル」って音楽のプロモーション映像をしげしげと見物。いかにも森本さん的な顔立ち動きの女子高生が登場し、歩き倒れ動き跳ねるシーンの満載に「これのどこがGLAYやねん」と思いつつも、短いながら最後まで圧倒的なドライブ感あふれるシーンに酔いしれる。飛び上がった女子高生を下から煽る場面でしっかり写る「白」。それが2回もあって「ロリータ」での見えなかったことへの憤りもシュポーンと沈み「ぜったいに買うぞこれがビデオで発売されたら」と堅く心に誓う。後のトークで本当だったら「東中野」とかって具体的な中央線的地名も入れたかった森本さんだけど、「GLAYはそんなとこに住んでません」と言われて引っ込めたとか。そーか渋谷じゃなかったのかと思ったりしれそれはそれで正解だったのかなー。チープな地名が産み出す奇妙な違和感も面白かったかもしれないけれど。

 2人の上映が終わった途端に喋りだしたのは前田さんで「街並みのオブジェクトはいくつ作ったんですか」「光のあたってる感じがいいですね」といった質問を矢継ぎ早に発し答えて森本さんも「背景は板ポリ1枚だったんだけど」「6割7割は3D空間」「次はもっとダークになるかも」「ズーミングはつまらない」とかって喋って、端で聞いている村上さんも、あるいは観客の大半を占めているであろーアートな人もサッパリ解らない会話がしばし繰り広げられる。村上さんは冒頭で「ほとんどは森本さんや前田さんのファンでしょう」って言っていたけど、僕が見るにどう考えてもアニメ映画の上映に初日とワンフェスの会場前とかに並んで来ているよーな風体の人はほとんどいなかったんだよなー、この辺り村上さんが考えている「オタク」のイメージが僕とはちょっとズレてる気がしないでもない。

 同じ違和感は例えば前田さん森本さんの作品をして「オタク的じゃないよね」って言ってしまうあたりからもヒシヒシと。まあ確かにいわゆる目の大きな美少女も眼鏡っ娘も戦闘合体ロボットもなにも出てはいないけど、後で2人が「アニメが好きでこっちの方に進んだオタクですよ」「ファン上がりだし」「20代でアニメが好きっていってることがもうすでに」と言っていたくらいだし、どっちもオタクの延長にある個人のクリエーターの、今持っている感性がメインストリームなオタクとはちょっぴり違った部分で出ている作品なんだろー。カッコ良くってインターナショナルに通じるビジュアルがあるからといって、オタク的じゃないと思ってしまうところが、オタクになりたくってなれなくって憧れている村上さんの勉強熱心さが原因の、ロジックでオタクを分類してしまう傾向が表れたものなんだろーと好意的に見るとして、やっぱりオタクは勉強じゃなく直感あるいは感性の、つまりは東浩紀さんじゃないけど「キャラ設定みて解んなきゃ」ってな魂の部分で構成されているものなのかもと改めて感じる。

 今後の仕事だと前田さんは「青の6号」を今年いっぱいやりつつ自分の次の仕事をしゃこしゃこと。森本さんは「とき玉」つくったトリロジーで次は松本大洋さんの「鉄コン筋クリート」あたりをフルCGで作ることになるんだそーな。2002年なんて先の先なんで未定だけと聞けばこの会社セガ・エンタープライゼスなんかが出資したりしてるんで、今の大変な状況を考えるとあるいは数多く存在する浮かんでは消えていった企画にならないとも限らない。とりあえず完成の近いパイロットフィルムが国内のみならず海外でも受けて資本主義的に困らない状況が出来るだろーことを願う。こればっかりは秋元タラし込んでも大川さんダマしてもイリさんイリさんと媚びても無理だろーからね。

 対談の模様はそのうち発売される徳間書店の「GaZO」が取材に来てたみたいなんで掲載されるでしょー。渡辺編集長もいたけど別に知り合いじゃないから挨拶もせずにそのまま帰宅。本当は「パルコ」1階の角にある「ISSEY MIYAKE」のショーウィンドーのスカートが風でまくれあがってスコートが見える下半身だけのマネキンの写真を撮りたかったんだけど恥ずかしいから諦める。あと道ばたでチラシ配ってた「バドガール」ならぬ「ハーゲンダッツガール」のボディコンミニスカも撮りたかったけど蹴られると不味いんでパス。帰りの電車では朝松健さんの震撼「夜の果ての街」(光文社、2400円)を延々と読みつぎ結構な面白さに傑作との確信を持つ。最後にコケるかもしれないけど。科学法則の生きている「こちら」と魔術が幅を利かせる「あちら」の世界が10月31日に重なり合う、その前のドタバタの激しく淫靡で、その先に見えるビジョンの暗黒に幻想的なことよ。題名にちなんだピアソラのCDでも買って来て聴きながら読むか。


【5月8日】 歴史小説か何かの賞を受賞して「修羅の跫」(学習研究社、980円)でデビューした富樫倫太郎さんの最新作が徳間からちょっと前に出ていたのを買ってようやっと読み終える。題して「陰陽寮 壱 安倍晴明篇」(徳間書店、1300円)は読めば瞭然稀代の陰陽師こと晴明が登場して式神飛ばしてバトルし合うパターンといっちゃーパターンな「晴明物」に属する1冊と言えるけど、ほかがガキだったり美青年だったりするのと比べるとこっちゃの晴明は齢70歳を越えている、とゆー設定で顔を白いマスクで覆って姿を見せない謎の人物ってことになってて、そっち系なウツクしい晴明を楽しみたい人はちょっとガッカリするかもね。

 もっとも「修羅の跫」の方でも示唆されてるよーにどーやら富樫さんの描く世界には通常の人間と平行して永遠に近い命を持った生命体が存在し、それが人前に表れて名前を名乗ったら適当な年齢になったところで消えて別の人間になって現れる、ってな展開が共通項のよーでちなみにこの「陰陽寮」の晴明も顔を隠している辺りと当然のよーに怪しいと感じて頂いて間違いはない。お話事態もそーゆー晴明を前にも書いたよーに「火の鳥」の火の鳥自身かあるいは猿多彦的バイプレーヤーとして描いている節があって、物語はどちらかとゆーと渡来人らしー青い目をした人々が暮らす村から浚われた娘を助けに村を出た男やらその娘を死んだ妹と思って大切に扱う浮浪児たちや晴明に破れて衰退した蘆屋道政の係累たちの跳梁といった点が中心になっている。

 その意味でいけば、とてもじゃないけど小松和彦さんが書いている煽りのよーな「かつてこれほどの凄腕の呪術師として安倍晴明が描かれたことがあっただろうか」ってほどの活躍は見せてくれません。岡野玲子さんの漫画の方がそりゃ何10倍も凄いです。まあ壱ってことは弐があり参があってと「晴明篇」も続いてその中で正体も含めてありゃこりゃ示唆されるし活躍もあるんだろーとは思うけど、むしろ興味は晴明や渡来人の村の長らしー米利王須(べりおす)ら、およそ人間離れした奴等がどーして存在しまたどこ行こーとしているのか、どーして人間社会に深く関わってはいけないか等などの秘密が明らかにされる点にあって、著者がどーゆー答えを出してくれるのかが楽しみっちゃー楽しみかな。伝奇に止まらず「SF」的な解決も期待できそーなんでその意味で「SF」な人もちょっぴりでいーから関心を持って見ていてね。裏切られる可能性もあるけどね。

 渋谷へと出て「パルコギャラリー」で開催中の村上隆さんの展覧会で開かれるトークショーのチケットを購入した後、時間があったんで向かいの「シネマライズ」で「ワンダフルライフ」を見る。すでに試写でも見ていて是枝裕和監督自身の手になる「小説ワンダフルライフ」(早川書房、560円)も読んでついでに小田エリカさんの写真集まで買っていたりするんだけど、小説を読んだ時にも感じた活字だからこその説明が本編の映像でも伝わっていただろーか、って点を確かめる意味もあってもう1度劇場で見てみたかった。でやっぱりスクリーンの小田エリカさん演じる里中しおりは吉野紗香さん演じる中学生に親切からスプラッシュマウンテンを選んだのは1年で30組もいるよーって言ってるよーに見えた。紅茶かミルクか何かを届けてまでイジワルしているとは最初見た時に思えなかったってのもあるんだろーな。

 ARATA演じる望月が渡辺さんの見ていたビデオの女性に目を奪われたシーンでのしおりの目の動きってのはなるほど複雑な女心を実に的確に表現していてこちらは気持ちが十分に伝わってくる。むしろ屋上で積もった雪を徹底的に踏み荒らしすっ転んでも立ち上がり縁から雪を落とす行動が、極めてシンプルに感情を表していて映像ならではの迫力と情報伝達力を感じる。小説版のあとがきで是枝さん自身は映画では極力心理描写を避けると書いているけれど、その割には決して言葉による表現じゃないけれど明らかに登場人物の心理にまで踏み込んだ演出を行っているよーに感じる。まあこれは異例のこととしても、小説と映画、作品と描く上でのふたつの態度(スタンス)の違いを会得した是枝さんがさて次に取り組む作品でどんな変化を見せてくれるのかって、新しい楽しみも生まれた訳で寡作な人だけど次への期待がはや膨らむ。小田エリカさんの目線がとにかく面白いんで余裕があったら観察してみよー。

 とって返して「村上隆×椹木野衣×東浩紀」のメンバーが話すっていったい何だろーと興味でいっぱいだったトークショウを満員の観衆の中で聞く。博報堂の雑誌「広告」で「コーネリアス」と「EVA」を共通項で括る無理さを訴えていた東さんに「広告批評」で「コーネリアス」や「EVA」や「HIROMIX」を共通項で括ってプロモーションしていた村上さんとのすり合わせからスタートし、村上さんが持つアーティストとしてよりはプロモーターでありアジテーター的な資質からこーゆー括られ方も出てくるっぽい話が聞けて、その延長線上で日本のすっげーアニメが貧乏な中でしこしこ作られているのはたまらんから、ロジックによって米国でどかーんと資本を注入してもらってなおすっげーアニメを作るんだってな気持ちが吐露され、別に無理に「ビューティフルドリーマー」とか解ってもらわなくたっていーじゃんと言っていた東さんも、そーゆー経済的な側面でのプロモーションには一応の納得を示す。

 最近の「DOB君」に目がやたらを増えていることに並々ならぬ関心があるらしー東さんは、そこからカメラを意識しない図像の台頭と氾濫へと話を及ぼし漫画的なるものとアニメ的なるものの誰も言いそうで言わなかった事へと思考を巡らし今後の活動でもそーいった辺りが突き詰められる、その口火ともいえるトークショーになったみたいで東ファンな人は見て大喜びしていたかも。肝心の村上さんも最初は「目を増やさないと間がもたなかったし、鬼太郎の百目が好きだったから」と目を増やした理由とこれは本当だと思うけど喋って東さんの指摘を身も蓋もなくしたけれど、そこからそれでもそーゆー考えがあるかもと気付き今後のプロモーションの上でロジックとするなり、創作の上でのインスピレーションとするなり先への展望が開けそーでその意味でも貴重なトークショーだった。

 美術が本職の椹木さんがとにかく話を美術に戻そーとしても喋り続けて喋り倒し喋りを奪って喋りまくる東さんが「ナデシコ最高」「パタピー最高」と話をディープなオタクジャーゴンに引っ張り爆走気味。「ポップカルチャー」という言葉を専門家たる椹木さんの前で軽い意味で使って突っ込まれる場面があったり、漫画やアニメで80年代頃から起こって来たカメラ視点の消滅も既に具象画が抽象画へと変化した時点で起こっていることだと言われたりして、それぞれにそれぞれの思いがぶつかりあって緊張感もあったけど、ラスト近くに竹熊健太郎さんも参加してのトークになると話は宮崎駿さんの「ナウシカ」がどーしてあーも読みにくいのか、大友克洋はアニメ的かマンガ的か(映画的だと逃げる竹熊さんを東さんが追い込むあたりは年齢の差も関係なしのオタク手腕が炸裂って感じ)といった命題の提起とか、結局はそっちへと話が流れて今後の著述で見ましょうとゆー椹木さんのコメントで閉まる、かに思われたところを何度か東さんが喋りだしてさらに話が続いてしまう場面もあったんだんだけどね。

 遠目に見た東さんは僕の経験から言えば髪ヤバそー。いやそれはいーとして何故か「マイメロディ」を「帽子を被ったキティちゃん」と言って場内の受けをとったり(ワザとじゃないって勘違いだって)、今最高なオープニングは「天使になるもん!」と言って一部な知ってる人のウケをとったり、「キャラデザ見て話がわかんなきゃ」と声高に断言して村上さんの高笑を誘ったりして、なるほど哲学な方面で知られてそっちの権威を引っ張っての評論だからってことで一部スノッブなメディアから重宝がられている節があっても、本質は根っからのアニメ好きな兄ちゃんだってことが解って親しみが持てた。オタクから遠く離れてしまった今は書く事言う事が難しくってついていけないって思う人も結構いるけど、例えば冒頭で「(米国人が日本のアニメを)わかんなきゃわかんないでいいんです」と言い切り、「ナデシコが好き」「パタピーが好き」と叫ぶその魂からの言葉をもうちょっと読んでみたり聞いてみたい気がしてる。しかし何故に「アキ電」なの?


【5月7日】 「グッドラック 戦闘妖精・雪風」(神林長平、早川書房、1800円)の支離滅裂な感想文を上げたりしているうちに時間になったので「ベターマン」。うーんやっぱり火乃紀ちゃんの胸は形がサイコーだなんて本筋とはまったくもって無縁の感慨を抱きつつも、一方ではどこに行ってしまうのか解らない展開に真夜中の惚けた頭が一段と霞の底へと沈む。が、まーいー見るものは女性キャラだと決めてとりあえずは見る番組、ストーリーなんてオマケみたいなもんだと割り切り後でビデオで補完することにして、インドの山奥アジャンターの石窟を舞台に繰り広げられるド派手なバトルと赤緑白な髪型で統一された火乃紀一家の過去へと迫る展開に、ゴールデンウィークを過ぎてだんだんと暑さを増す午前1時15分からの30分をゾクゾクしながら楽しませて頂こー。

 ろくろく寝ないうちに朝になったんで早めに出立して銀座へ。マクドナルドでソーセージエッグマフィンをかじった後で向かうは東映試写室での「鉄道員(ぽっぽや)」マスコミ向け試写。どーせ午後の2回は午後様なギョーカイの人でいっぱいになると予想して、午前の部のそれも9時20分頃に1番乗りして席を確保。早すぎたかと思ったら程なくして席は埋まりやっぱりそれだけの期待値が高い作品なんだろーとの結論に達する。何せ94年だかの「四十七人の刺客」以来の高倉健さん主演作、でもって学校にも行かず仕事ばっかりに勤しんでいる天晴れな勤労学生(なわきゃない)広末涼子ちゃんの「20世紀ノスタルジア」に続く久々な映画出演とキャストだけでも豊富な話題に加えて原作の「鉄道員(ぽっぽや)」(浅田次郎、集英社、1500円)は直木賞受賞作の大ベストセラーとあって、どこを切っても話題の砂金がこぼれ落ちる。紹介する人も話題が多すぎて困っちゃうんじゃないかなー。

 さても「ざっぱーん」な東映マークを経てスタートした映画は山林を抜けて走る1両だけの電車がやがて到着した駅に、1人佇む佐藤乙松こと高倉健さんのかっこいいこと渋いこと。まさに「鉄道員(ぽっぽや)」の世界をその絵1枚で表現しているかの如きハマリ具合に最初の目頭灼熱化がスタートする。畳み掛けるよーに駅のホームで雪の上を構わず走る小さな女の子が1人。すでにして原作を知っている身としては、その女の子の正体も熟知しかつどーゆー結末を迎えるかも完全に頭に入っていることが逆に結末の悲しさを引っ張って来て涙腺を押し広げて涙をジワジワと滲ませる。似た人もすでに大勢居るみたいで試写室ではあちらこちらで鼻をグズグズやる声が。ネタバレを嫌って一切の情報から身を断つ人も少なくないだけに、全部知っているが故に感涙が増幅されるっちゅー作品ってのはちょっと珍しーよーな気もする。

 意固地なまでに実直で何事にも一途で真面目で融通が利かなくて自分の仕事に強い誇りと責任感を持ってる、ってなイメージのある健さんが演じる乙松も一面ではそーゆーところがあるけれど、一方では駅長として住民に親しまれ利用客があれば話しかけ飄々としたところも乙松にはあって、そんな難しい役所をこれが健さん流石に日本の大スター、最初から乙松は健さんをイメージして書いたとした思えないくらいに見事に演じきっている。「不器用ですから」なんて言葉も嘘みたいに感情を言葉や仕草に込めてちょっとした間合いもちょっとした動きもすべてが完璧なまでに映像と物語にマッチしてる。正直これより前もこれから先も健さんの代表作に、「網走番外地」シリーズを差し置いてでもなるんじゃないかってそんな気さえしてるけど、さて健さんファンは何と言ってくれるだろー。

 広末涼子ちゃんはまあ可愛いけど、個人的には2番目の珈琲牛乳でチュウしちゃう(詳しくは映画で)女の子も結構な好み、って単なる年下趣味が爆裂しただけやんけ。まー良いでしょう。志村けんも奈良岡朋子も小林稔侍も吉岡秀隆も田中好子もほかいろいろな共演者もとにかく上手い人ばかり。そしれ何より乙松の死別した妻を演じる大竹しのぶが相変わらずの天然系な童的演技で、乙松を好きで好きで仕方がなく、娘ができないこと辛く思い出来た娘を失ってしまったことを悲しみ嘆く様を全身を使い魂までをもなりきって演じる。よくぞこれだけの適役を集めかつ、よくぞこれだけリアルな駅舎を作り、よくぞこれだけ厳しい自然の中で撮り上げたもんだと鉄道にかける「ぽっぽや」ならぬ作品の成功にかける「活動屋」の魂を全編通じて見せられた思いになる。

 最初の一撃ですでにめちゃめちゃに破壊された涙腺は、後半へと至るにつれてさらに緩まり具合が拡大したのか試写室にはすでに鼻をズルズル啜る音がいっぱいに響き、隣りのどー見たって業界人じゃないサラリーマン風背広姿の青年までもがポケットティッシュを取り出して眼鏡を外して目尻をゴシゴシ拭いている。狭い部屋にしてこれだけの喧噪となると果たして上映中の映画館じゃーどんな阿鼻叫喚(は大袈裟か)が響きわたるのか、それを見に行くだけでも再度再再度と劇場に足を運ぶ価値がありそー。もちろん全編を通じて圧倒的な存在感を見せつける健さんの演技を見る楽しみ、白いトレンチコートを脱いでセーラー服姿になる時の広末りょんりょんのほのかな色っぽさを見る楽しみなど見所はたくさん。赤字ローカル線の廃止なんてそれほど有り難くもないテーマの映画に全面協力したJRグループの英断にも拍手を送りたい。「アルファ・トマム」の宣伝っぽい辺りはちょっと止めていただきたかったけどね。

 帰宅して見たと「逆Aガンダム」は馬術の馬みたく目に赤い遮蔽物をつけた兄ちゃんは別にどーでも良いけれど、お話は落ちた主人公の少年が男にしか解らない痛みを感じて呻吟したり、走っている男がモビルスーツの足に顔をぶつけてひしゃげさせた後にすっ飛び倒れたりするムカシっぽい演出があって大丈夫かな富野さん、途中で一気に「ザブングル」なギャグ混じりワールドへと転換していっちゃわないかなー、別にそーなってくれたらくれたで面白いけど、なんて事を思ってちょっぴり心配する。ストーリー的には一応はつながっているけど、毎回のエピソードがどこか平板で山に乏しいよーに感じてしまうのは作品への愛、富野への愛が足りないからなのか。まあ主人公に月だって地球だって同じ人間なのにどーして殺し合わなくてはいけないんだ、なんてイジイジと悩み倒されてばかりいるよりは、平板でもアクションがあってギャグもあって楽しめる方がいーんだけど。どーなっちゃうのかなー。


【5月6日】 はやってるっぽいんで多分「ジョジョ」のイタリア編が始まったあたりが最後だったよーに記憶している「少年ジャンプ」連載漫画のコミックスになる「ヒカルの碁 第1巻」(原作・ほったゆみ、漫画・小畑健、390円)を買って読む、をを面白いじゃん流石噂になるだけのことはあってド素人が天才肌秀才肌をばったばったとなぎ倒していくバトルの楽しみを、囲碁とゆーそれほど一般的ではないモチーフを使いながらも存分に与えてくれる。といっても既に同じ形式だと例えば将棋では大昔ならつのだじろうさんの「五5の龍」、最近だと「月下の棋士」に後はときどきながらも10年以上は読んでいる「週刊将棋」の「ヤンケの香介」に始まる連載漫画(最新の奴なんてサブキャラだけど眼鏡っ娘の生徒会長が出てくるんだから男の子にはタマらんのよ)で慣れ親しんでるから、その囲碁版だと思えばさほど違和感はない。

 それでも衰えたとは言え未だ大部数を誇る「少年ジャンプ」の漫画だけあって、過去の将棋漫画にはない過去の天才棋士の霊がとりついて少年を囲碁の天才にしてしまうとゆー設定が面白く、かつそーした亡霊の思惑をも超えて主人公のヒカルが潜在能力を爆発させていく展開も予想されるなど楽しみがまだまだ先に待っていそー。流石に囲碁なんで打った途端に電撃が走って碁盤が四散する必殺技の応酬とか、古代の恨みを今に背負って1000年の長きに渡って隠れ里で修行を積んで来た戦う囲碁集団の果てしなくエスカレートしていくバトルとか、中国韓国といった囲碁の強い国とは無関係に世界中から馬に乗った騎士とかナチスドイツの格好をした棋士とか腰簑にヤリを持った棋士とかが登場するといったド派手でありがちな展開になっちゃう心配はしなくて良さそう。とはいえ同じく別の霊がとりついた棋士の山ほどの登場に、代理戦争っぽい展開がやがてエスカレートしていく可能性も考えられない訳じゃないからなー。表紙のヒカル、下に長袖上にTシャツなんて流行の格好してやがるぜ真似しよっかな。

 気分は年中ゴールデンウィークだったりするけど仕方がないから仕事を適当に。届いていたリリースはあれほど大流行していたのに最近はSF方面でのハマり具合が弱まっているよー(に見えるだけなのかも)な「マジック:ザ・ギャザリング」の簡易版って感じになる、対戦型のトレーディングカードゲーム「ポータル三国志」ってのが15日から発売されるとか。得体の知れない妖怪やら妖精やら魔法やらを扱って戦う「MTG」よりゃ分かりやすさでは人形劇でも漫画でもゲームでもそれからもちろん小説の方でも馴染みの深い「三国志」の方かもって気はしないでもない。

 ことアメリカ発なカードゲームだけにアジアな雰囲気がどこまで正確に絵の方に出ているのかってあたりがちょっと気になるけれど、その辺ちゃんとアジアのアーティストを使っているから安心していいのかも。中国史なら昔とった杵柄だし(っても卒論はインドだったりするんだけどね)、面白そうでこれならやってみたいって気も一瞬だけ浮かんだけど、ほら何しろ知り合いの少なさでは人後に落ちない僕なんで、交換できずに泣いた「ポケモン」、救命できずに死んだ「たまぴっち」と同様、1人で2役になってデッキを崩しながら対戦のフリして遊ぶことになるんだろー。それはそれで楽しいかも。いややっぱり見苦しいよな。

 オピニオン誌からドタバタあれこれ。買って精読してないんで上っ面だけで言えばまずは朝日新聞社の「論座」で宮崎哲哉さんが小林よしのりさん西部萬さんからの攻撃に対して逐一細かく難しい漢字の言葉を使って反論していて面白い。「斜断機」に実名で登場している山崎行太郎さんを三流文芸評論家とかってド厳しい言葉で糾弾してたりするのもマジ切れしてるっぽい気分が感じられてこれからのバトルに興味を誘う。でもなあこう書いている頭に小林さんの描く頭でっかちな宮崎さんの似顔漫画が浮かんじゃうあたりに小林さんの「戦術」が奏功しているって事をジンジン感じちゃうんだよなー。

 もう1冊は文藝春秋の「諸君」でこっちはもうじき閉鎖されるNTT内の記者クラブ「葵クラブ」を巡るドタバタ。民間企業にクラブがあるなんて変だし昨今の記者クラブの閉鎖性への弊害指摘もこれありで閉鎖への道を辿るのもやむなしってのが偽らざる心境だけど、この後に及んでもなお「我々が監視しないと悪いことするかも」なんて言ってクラブの正当性を主張する記者がいるんだから笑っちゃう。そういう記者クラブに浸ってた記者の1人でも「リクルート事件」関連でのNTTルートを見抜けたの? 指摘したの? 分割によるNTTの弱体化を推進したい郵政省側の陰謀だなんて言ってはばからない人がいるって辺りに「属議員」ならぬ「属記者」の跳梁ぶりが伺えるし、そんな人を組織的に優遇するメディアの不思議さが伝わって来る。しかしまだ生きてたんだな榊原亀之輔(だれやねん)。


【5月5日】 ちょっぴり下の方に「SFセミナー」ん時にショットを1枚入れましたんで暇なら見てちょ。決して「純朴なSF青年がいかにもな古手SFヤンキーに囲まれ煙草の火による根性焼きを入れられ熱いんで手を振ってる図」ではないので悪しからず。たまたま会場から出てきたSFな有名人を撮っただけですによって。それはさておき壁の血糊は一昨年(おととし)の、指を切った手で触った後だったりするから別に成長のあともなにも感じられない子供の日。「ネムキ」で連載されているにも関わらずヒット出版社ってところから発売されている定広美香さんって人の「ラ ヴィアン ローズ」(876円)を買って読む。

 拙い知識で言えば竹宮恵子さんっぽい絵柄の人が描くホラー短編集って感じの内容は、人間を吸収してしまういわゆるヴァンパイアの系譜に属する女性の姿からインスパイアされて音楽を作り始めた青年の物語とか、オカルト趣味のある中年の大学教授が、生徒の青年にその性格を見込まれ青年の学生結婚した性格最悪とかゆー妻の体に心を写されてしまいあれこれといったホラーなんだけどもちょっぴり下半身も擽る物語とか、竜宮城に連れられて死ぬ歳を予告された2人の少年が医師となってその日に備えた挙げ句の悲劇を描いた物語が入ってそぞれがそれなりに楽しめる。東京という街の申し子と自称する少女との交感を描いた「東京りんだ」は恋愛SF短編にあるよーな不思議な味わいの話。恋の告白も相手を見ないと大変なことになるってことですか。

 サインももらった(下にサイン中の写真も入った)神林長平さんの最新刊「グッドラック 戦闘妖精・雪風」(早川書房、1800円)を読了、その1行読み飛ばすのすらもったいない密度の高い禅問答っぽいジャムと人間と機械に関する考察が、やがてただの機械でもただの人間でもない機械と人間が複雑に補完しあった複合生命体の誕生へと及ぶに至ってなるほど人間ってーのもまだまだ捨てたもんじゃなく、また機械ってーのも危ないばかりじゃないってことが解って「自然に帰れ」な原始への回帰でも松本零士さんがときどき描く完全に機械化されたデストピアでもない未来への道が開けて希望の火が灯る。

 特殊戦がどたばたに巻き込まれていく展開の、ジャムという敵を挟んで懐疑と信念が交錯する中で行われる情報軍なりFAF全体との駆け引きはとにかく圧巻。「実はこんなこともあろうかと」的先手必勝なドンデンの楽しみもあって楽しめる。ラストはまるで新型ギャオスの大群に立ち向かう「ガメラ3」にも似た様相を呈してくるけど、神林さんは第3部を執筆する意志が皆無じゃないことを示しているからきっと何とかなるんだろー。と考えてとにかくこの迫る危機をどう乗り越えて、雪風および特殊戦が最後のフェーズへと駒を進めていくのかを想像しつつ、次なる展望が開けるその日を頭を薄くして待つとしよー。また14年後かい?

 ついでだ読書の春だ和田はつ子さんの「魔神」(角川春樹事務所、1900円)を一気に読んで幻冬舎から去年だかに刊行された同じ日下部遼助教授を主人公にした「かくし念仏」(2200円)とはまた違った、蘊蓄もたっぷりに食文化を語りつつも”母性”なんて男性には伺い知れない部分についての考察を、食文化とも関わりに深い環境ホルモンの問題やらと絡めて描く剛腕ぶりに感嘆する。ページ数も「かくし念仏」にくらべれば圧倒的に短いけれど中身の濃さは同等で投げられるテーマは人によってはそれ以上かも。とにかく日下部の家に押し掛けては日下部の作った料理を食べつつ文句も言ってかつ一緒に事件を解決する水野薫刑事の存在が、西澤保彦さんのシリーズに登場する能解警部になんか似てる。果たして現実に美人で美味しい食事に目のないキャリアの女性刑事なり警部がいるのかどーかは知らないけれど、いたら是非ともお手紙下さい我が家でよければ手料理ご馳走いたします。

 もういっちょ読書はあさりよしとおさんの数ある作品でも迷作の部類に入る「ただいま寄生中」(白泉社、505円)。ちょっと注意しとくと今夜食にうどんとか素麺とか麺類を食べている人は読むのは食べ終わってからにして下さいね。閑話休題この「だたいま寄生中」は文字どおり(どこがだ)寄生虫によってスーパーヒロインになった女子高生が世界を征服しようと企む寄生虫軍団と戦う話。設定だとそのヒロイン、幸村いずみの胎内に宿ったさなだ虫を筆頭に回虫、蟯虫、十二指腸虫、アニキサス、日本住血吸虫、肝吸虫、肺吸虫、トリパノソーマetcがいざという時コーモンより体外へと出ていずみの全身をくるむパワースーツを形成し、その持てる超能力によって世界を支配しよーとする寄生虫に乗っ取られた人間たちと倒していく。

 最初は苦痛が何度も使われ開発された結果快感へと変わってしまったのか、パワースーツを纏う直前の表情になんともいえない艶っぽさが見えてしまうんだけど、客観的にはつまりは下からドシドシと虫を出してる訳でそんな姿を美しいと思えてしまう自分にあるいはスカトロな趣味があったのかとちょっぴり慄然としてみたり。愛があるなら虫なんて平気、ピンセットでつまんでいくらだってとってあげるよと有機肥料華やかかりし明治大正昭和初期の若い男女が、ベッドの上で公園の芝生でお互いの尻を向け合いはみ出た虫を引っ張り合って楽しんだかどーかは歴史家じゃないから解らないけど、意志がありかつパワースーツも形成してしまう戦闘用寄生虫、かつ可愛い幸村いずみの恥ずかしい場所から出てくるものなら喜んで受け止めてあげようドンブリに。夜食のうどん美味しいですかー?


【5月4日】 篠田節子さんの発想の爆発ぶりとかいろいろ書き残した部分も多い「SFセミナー」だけど、おそらくは誰か別の出席した人が補完してるだろーし他力本願だけどそんな感想ばかりを集めたリンク集が出来るだろーからそーした方々のご尽力にお任せするとして、こっちはこっちの仕事を。ってもたいしたものじゃないまずは録画してあった「To Herat」を見ることで、噂にあった来栖川綾香先輩のブルマーなのに黒い靴下ってなゆーとーせー的服装に官能の目覚めを感じ、脱がせて香りを嗅いでみたいと願ったりする。くんくん。

 のは流石にちょっぴり倒錯し過ぎてるから思うだけに止めつつも、これまで主人公の浩之が出会って来た女性陣が再登場して、それぞれにほのかに淡い心を見せる展開に妬けまくる。下心のない親切心でも彼女ゲットできるならこれほど素晴らしいことはないけれど、事実はもっと残酷で親切が逆に下心と見られて忌避されるのがオチだもん、せめてゲームやアニメの中だけでも純粋にいー奴として好かれたいよな、って思うあたりにすでに下心が覗いてる。どーでしょーやっぱまだるっこしいこと抜きに純粋に欲望ぶつけた方がいーんでしょーかall女子。

 ついでに録画しておいた「十兵衛ちゃん ラブリー眼帯の秘密」の第5話を見る。うーん敵のお姉さんが綺麗と思った次の瞬間に既にして人妻と解り淡い恋心は脆くも砕ける。明らかになったドレッサーの引き出しの中には母親の写真が入っていたのか、もっと別の想像するだに女子は赤面男子は興奮な物体がギュッと詰まっているかもと思った自分がちょっぴり恥ずかしい。何色のが多いとか水玉があるとかリボンは付いてるとかってそーゆーのがいっぱいとかってね、男だったら考えるじゃないっすかやっぱさ。

 お話の方は敵がパターンを変えて襲って来てそれを討ち果たす展開もそろそろ飽きて来たなーと思ったら、次週はいよいよ十兵衛と四郎との対決が待っているよーで新たな1つの展開が見られそー。とは言えそこで無事討ち果たした後に今度は本家が出てきてされどーなるのかと考えた時に、やっぱりインフレーションしていく敵をただ倒していくだけなのかもってな懸念もあるけど、そこを単なる実験アニメな手法に逃げて場繋ぎするだけじゃない、ドラマとしてもカンドー出来るものを作って下さいと今はスタッフの方々に心よりお願いしたい。

 思い立って北の丸公園にある科学技術館に「スーパーフェスティバル」を見に行く。「ワンダーフェスティバル」の半分を占拠しつつあった中古玩具のブースがそのままそっくり、とゆーよりプロっぽくパワーアップされて並べられたよーな展示会で場内に入るとそこはキャラクター関連のトイやフィギュアが山と積まれて大混雑。ちょっぴり懐かしいキャラクターグッズやらアメリカンなフィギュアやら最近人気の国産キャラのフィギュアやらを買い求める人たちが目当ての品や掘り出し物を探して技術館をグルリと囲んだ部屋を行ったり来たりしてた。外国人もいたなーアニメのグッズを買ってたなー。

 僕的には特別に入れ込んでそのキャラなら何だって欲しいとゆー対象を生来の浮気症っぷりから持てずにいたため、無理に探してそれをゲットするなら何万だって払うってな行為をせずにいられたけれど、人によっては巨大な袋を2つ3つを抱えて勇んで会場を後にしていたところを見ると、中古玩具のこーしたディーリング場もやっぱりあってしかるべきなのかもと納得する。「セーラーマーキュリー」の大きめのフィギュアとか、見て一瞬欲しいかも、と思ったちょっぴり前の玩具とかもあったけど、ほらこれって履いて(何を?)ないんでそこが欲望に歯止めをかける。

 あと「ジェニー」とか「バービー」といった人形系とかん中では目についた「PAFFY」の最初のバージョンが、場所によって2万円とか3万円で売られてて、しまった出た時買っときゃー良かったとちょっぴり悔やむ。珍しいところでは今度の映画じゃ主演な「アナキン・スカイゥオーカー」がオヤジになった幻とかゆー人形が、ブリスターに入って1つ5000円で出ていたのが旬っぽくって心を惹いたかな。

 「ワンフェス」でも見た「吸血姫 美夕」のフィギュアは16000円で美しかったけど持ち合わせがなく断念、「メディコム・トイ」が出してる「キラーコンドーム」のトコトコ人形も多分そのうち「1/6計画」で買えるだろーから今んところはちょっと引く。5日もやってるみたいなんで仕事だけど朝方にチラリと覗く予定。三船人形とか、出てるかな。

 行きは竹橋からだったんで帰りは九段下からと思って初めて日本武道館の側まで行って脇を抜けて門を潜って九段下へ。いつの間に建ったのか覚えていない「昭和館」とゆー建物の前で「戦中・戦後のお菓子と子供」とゆー展覧会をやっていたのを見つけて無料だったんで中に入ると狭い中にも例えば初期の缶に入った「ビスコ」とか、「グリコ」とか「アポロチョコ」とか「XOチョコレート」とかいろいろなお菓子が展示されていて懐かしさを誘う。あと「グリコ」のマラソン兄ちゃんとか「ペコちゃん」とか「キョロちゃん」とか「カールおじさん」の絵柄が刻まれたスタンプが置いてあってちぎって帰ったらレアアイティムになるかもと、一瞬ワルいことを考える。だって来場者とっても少なかったんだもん、「キョロちゃん」なんてマニア多いし持っていったら売れたかも、森博嗣先生とか。

 映写室では「アーモンドグリコ」の「一粒で二度おいしい」を紙人形が演奏するCMとか「ビスコ」だったっけ? お母さんの手って暖かいなー的シチュエーションのいかにも高度成長期なニッポンのファミリー層を描いた世代的には極めてリアルタイムなCMとかが流れていて、そーしたシチュエーションや舞台となっている場所の絵柄、及び最近のギャグやら冗談やら皮肉やらが交じったCMじゃないストレートな表現などから、当時の文化的社会的背景が浮かんで来て短いCMでもいろいろと解ることがあるもんだと感嘆する。

 同じ部屋では何故か「鉄腕アトム」のモノクロ版がCMの合間に、というよりはむしろ「アトム」の合間にCMが放映されているくらいの頻度で流されていて、「ルナ」って今見ても美人のロケットになる女性やアトムたちが1番のロボットを競うエピソードや、アトラスて悪いロボットが出てきてアトムと戦うエピソードを見ることができた。手塚的とゆーかアメリカ的なギャグの畳み掛けなど後になって堪らないと思わせる演出はあっても、当時はそれが斬新だったし純粋に面白かったのかもしれず、また同席していた子供たちは結構飽きもせずに見ていられるところから類推するに、本来は子供の番組を大人が斜めに表することがやっぱり間違っているのかも、とも思えてくる。

 動かないけど動いているよーに見え、物理法則科学知識から外れていたって楽しめるのは、「B級学【マンガ編】」で唐沢俊一さんも言っているよーにストーリーよりも大切なものがあるってな指摘とも相通じる。とにかくもタダでそれなりに楽しめるイベントなんで5月30日までの開催中にフ足を運んでみたってバチはあたらないよ。5日は2階の広場でお菓子の無料配布も実施中。「ペコちゃん」もいて手を振ったり一緒に写真を撮ってくれるけど、こいつときどきベンチに足おっぴろげて座って休んでいるから見たら注意してあげましょーね「はしたない」って。

 まま電車を乗り継いで「大森ベルポート」で開催中の「ガメラSFXスタジオ」ってなイベントをのぞく。映画「ガメラ3」で使われたもんをそのまま再現したよーな特撮セットが並べてあると聞いたから、てっきり例の京都駅ビルなんかも再現されているかと思い実際ポスターなんかにも使われていたから信じていたら、中に入るとあったのは渋谷のごくごく一部とギャオスが巣を作った東京タワー、イリスが立ち上がった奈良山中、イリスの幼生体そしてレギオンだかが立ち上がった「リンガハット」のある光景ほか中途半端な出来のセットに映画で使われた小道具類で、これで1200円も取るのかとちょっぴり憤る。

 渋谷のシーンなんて備え付けのカメラから撮った絵を迫力あるよーに見せるために一番手前にスカイラインのR32が置かれてたんだけど、そのフレームからははみ出るものの傍目にはしっかりと見える明らかにスケールる異なる車の模型が道路に枯れ木も山の賑わいとばかりに置かれていて興を殺ぐ。ギャオスのタワーを見通す道路で電柱にぶつかた、こりゃいったい何時の時代の車だよ。よほど好きならまー来場を止める権利は僕にはないけど、行ったらいったん2階に上がってテラス際の茶店から暗幕ごしに中をのぞいてから決めるのが良いでしょー。使えるんなら職権濫用してでも撮影中のセットを見るのがなおお勧め。でも次って果たしてあるんだろーか。


【5月3日】 日付が変わってしかし今春のアニメで最大ナイスは「D4プリンセス」。ドリルでルンルンクルルンルンと平ぺったいギザギザCGの人形が踊るそのテーマソングは見て聴いた瞬間に脳天をドリルミサイルで突き破りドリルキックで大穴を明ける超弩級の衝撃モン。いったい世界では何事が起こっているのだろーか。日本にはまだまだ不思議な事が起こるのです。

 「神八剣伝」のオープニングの良さも良さだけど聞くとこれが実に「代々木アニメーション」がスポンサーに入っているだけあるのかないのかまるで卒業制作とも言えそーな出来とかそーでないとか。見たことはないけど同じテレビ愛知でも「突撃パッパラ隊」が不抜けた味を出していただけにさて一体何事かと訝りつつも土曜日なんで絶対に見ない。「モンスターファーム」もテーマソングは超カッコ良いのになぁ。以上見かけと中身は絶対に一致しない的今春アニメの傾向と対策、でした。

 四散していたネットな人が集まった第4時間目は全員が頭にハンドル名とページ名を書いて張るお約束の中でひとり司会の森太郎さんだけがはめていなかったことに後で写真を見て気付く。有言不実行シュシュトリアン。ネットの特異性を打ち出したい側とネットなんて既存のメディアの延長じゃん的発想で理解したい側との意見が交錯しつつもまとまらない展開は去年の合宿と同様。少なくともインターネットでページを開いて、あるいは他のページをのぞいてセミナーに参加した人が少なからず居るって事実は踏まえて考えてみなくちゃって思う。

 あとパソコン通信が発展した「だけ」、同人誌がネットを使って便利に出したり見たりできるようになった「だけ」という延長線上で見る傾向もそーした「だけ」の部分へと踏み込むその心理的な壁の高さ物理的な溝に深さを考えた時に、超えてしまうテクロジーたりえたネットの力をやっぱり過小評価は出来ないと思う。特殊とも思われたくないけどフツーってのもヤってな天の邪鬼の考えなんでまー皆さんはお聞き流し下さいな。

 でもってオークションにマイクル・ビショップが出ていた的気分を感じつつ予感がして企画部屋に良くと始まっていたのは我が家では視聴不可能だった「WOWOW」で好評絶賛放映されてたらしー「星界の紋章」全13話一挙プロモーションのためのサンライズによるお墨付き大公開そ、れも森岡浩之さんの解説付きってな豪華な企画。これは残りの朝まで生森岡、頑張って見るべーと座席を確保しジントがラフィールと空港で出会うシーンの入った言ってしまえば話が転がり出す重要な話からを見続ける。

 思ったよりも気にならないあの独特の顔形、でもって意外とピッタリな川澄綾子さんの「であろ」声に良しを入れつつジントを載せた小さな船でゴースロイへと向かおーとするラフィールが操縦席に着こうとする瞬間の正面から足だけ映したシーンに秘密の花園への夢を感じ、ゴースロイのジントの部屋だかでベッドに腰掛けたラフィールを上から見下ろした際にくっきり膨らんだ時めきの双丘への愛を覚える。そんなところが流石に最高とは森岡さんには言えなかったけど。

 寝姿のクリシェ艦長も色っぽくってご馳走様。巡察艦を抜けたラフィールとジントがたどり着いた小さな領地での「だっちゅーの」ポーズでのアンミラ軍団のお出ましに、森岡さんの「赤井さんの趣味が出たエピソードへと突入」的な解説を聞いてなるほどそーなのかと、思いつつその目に突き刺さる白い谷間に子供があまり見られない「WOWOW」での放映も正しかったんじゃないかと納得する。「ドリルでルンルン」は別の意味で子供にゃー見せられなかったりするけれど。免疫のない子供だとその衝撃に頭いきなり「スキャナーズ」しちゃうからね。つまりはドカンと。

 明け方までかかって一気に13話までを見終えてなるほど原作を読んでこちらの至らなさを踏まえつつ、今一わかりにくかった戦闘シーンでの勘所がビジュアルになってやっとはっきり頭に描くことができた。流石に疲れもあって(こっちがじゃないぞ制作陣がだぞ)第13話はドーンと打ち上がったロケットの煙がすこーしづつ広がっていくシーンに長い会話を被せてごまかしてみたり、バンクに回想で新しい絵を極力作らないよーにしてみたりと苦心の後が見られて涙に鼻をかむ。で「星界」って例えばDVD版とかビデオ版とかで修正とかしてくれるんだろーか。最終話なんか実はして欲しかったりもするけれど、これでも整合性はとれているから良いとも思えて解らない。とにかく全部見てなおも欲しいと思わせる作品。原作苦手でも見れば解ります多分。

 エンディングを終えてマクドナルドで朝御飯を食べてから分かれて地下鉄と徒歩で秋葉原へ。ゲームもDVDもとりたてて必要なものはなく、残るはフィギュアでもと向かった海洋堂のホビーロビーで「DAICON4」って大阪で開かれた日本SF大会のオープニングアニメに登場したバニーガールのフィギュア(ソフビ)が5000円とかの値段で出ていて、これが安いのか高いのかは相場師じゃないんではっきりとはしないけど、結構出物のよーな気がした。けれども残念にもフィギュアはスキルアップが伴うまでは封印しておく気分でいるから、あきらめて本当に欲しい人に譲ることにして店を後にし、6階にある「ヴォークス」のショールームで5万円を超えるちょっと大きな少女人形の見本を見て目は嫌いだけど体つきの雰囲気は良さげてどーしたものかと悩む。悩むなよいー歳してさ。

 秋葉原デパートで本などを購入。「コレクターユイ」(岡本慶子、NHK出版、490円)を読んでアニメと同様の温い展開にただでさえ徹夜明けの目が眠くなり,平井和正さんとは因縁浅からぬ平井摩利さんんは「火宵の月」(花と夢、390円)の第6巻を買っていったいどこまで話が進んだのかの記憶の補正にしばしの時間を求めて最後にこれは一体何だろー大塚真さんて人が書いた「夢幻紀行 ゼロ視界下の遊戯者」(東京図書主幹会)は、表紙だけを見るとまるで電撃か朝日ソノラマかと思わせる、かもしれないよーな雰囲気を出している。中身については未読だったりすることもあって触れよーがないけれど、どうだと思う人はまず出版社を探すところから始めましょー。まー迷惑だとは思うけど。


【5月2日】 早起きすると良いことがあるとの神のお告げを信じて早起き。先週も先々週も見逃していてお陰で4月が暗黒大星雲だった「おジャ魔女どれみ」を久々のリアルタイムで観賞、8級の試験を受けにいく時の試験問題への対処に浪速の商人の英知を見る。あと3人はづきちゃんのうちの2人の偽物なはづきちゃんがボーゼンと答案用紙を見おろしていたシーンが、見た目間抜けですっげー好きだったのを今もくっきり覚えています。保健室の先生はいつ見ても美しーけどメインで活躍する話とかってあるのかな。とか言ってるうちに残り10分の鮹と烏賊のラブラブが果たしてどーなったかを見極めることなく、早起きすると良いことがあるとの天のお告げを頂きにゴールデンウィークは恒例の全逓会館へと「SFセミナー」を覗きにいく。覗いても着替えは見られなかったけどね。

 到着して午前10時を前にしてのあまりの込みよーにちょぴり愕然。決して多くはない出席回数だけど去年よりは確実に数が増えてるし、1年おいてその前の「新世紀エヴァンゲリオン」が衝撃のラストシーンを迎えた直後の初めて庵野秀明監督が人前で喋って岡田斗司夫さんがSF者の面目躍如をし梅原克文さんが公衆の面前で「梅原の法則」を大言壮語した3年前の伝説のセミナーよりもはるかに出足が良い。これはおそらくネット系な人たちが知り合いも増えたことだしちょっくら覗いてみましょーか、ってな勢いでどんどんと出てきたことを絶対的に無関係ではないと自分のケースも含めて類推しつつその辺りの分析は夜のイベントへと任すとして、とりあえずは早起きをするとあったとゆー三文どころか1万ドルの得とは何かを確認する。どひゃー。

 それは何となんと何とかの神林長平さんが久々に刊行した「雪風シリーズ」待望の続編「グッドラック 戦闘妖精・雪風」(早川書房、1800円)を現場で購入したとゆー人に、著者ご本人から直々にサインが戴けるとゆーもの。なにせ「狐と踊れ」が刊行される直前より「SFマガジン」を読み始めて以来の同年代デビュー作家では圧倒的な僕的フェイバリットな作家様。これぞどーして逃せようかと機会を捕まえアナウンスを聞いて勇んでカウンターへと駆けつけ、おつりももらうのを忘れて本をゲットし整理券番号「1番」をゲットする。1番だからって別にサインが大きくなる訳でもアプロのイラストを描いてもらえる訳でもあったら良かったけど現実にはなかったけど、それでも眼前でサインを戴ける幸運至福ハッピーラッキーはおそらく今年1番の大当たり。この時ばかりは「SFセミナー」へと出られる土地に環境に気分にさせてくれたすべての要素に感謝のリンボーダンスを心の中だけで踊る。よっほっほい。

 どりゃどりゃと満員に詰まった会場でスタートした昼の部は1時間目が「文庫SF出版あれやこれや」で早川書房の込山博実さん、東京創元社の小浜徹也さん、角川春樹事務所の村松剛さんとゆー名前だけだと醒めた炎な右より学者っぽい人を含めた3人に、加えて高橋良平さんが司会を務めて議事進行。つまりは最近の文庫SFの実状と対策と傾向を話し合い。結論はないけどそれなりに実りのはる話を伺う。いくつか挙げれば面白かった本はやっぱり重版がかかるし口コミよりは出版社が意図的に復刊フェアなりを仕掛けてイベント感を出した方が動きが良いし創元から間もなく刊行の「火星のプリンセス」3冊分の合本が売れると次が何かは知らないけれど何ががあるって事あたりかな。

 角川春樹事務所の話では例えば例のおっさんの昔取った杵柄は皆無ではないけれど決して圧倒的ではないそーで、ほとんどがやっぱり現場サイドの意志なりリサーチで何を再録するかは決めているみたい。あと希望みたいだったけど書き下ろしの刊行を出来たらいーなーって事らしく、文庫で小松左京半村良光瀬龍山田正紀ほかいろいろな人の名作傑作を復刊するのもーそーいった事態に向けた一種の基盤作りとしての意味も含むとか。仮に新人賞を募集するなんてしてもドラッグな小説おか経済人が迷ってハマって堕落していく小説は果たして合格できるんでしょーか、ってな気分を持ちつつ休憩してから次の時間へと駒を進める。

 2時間目は今やニッポンのスペースオペラ界を背負って立ってるみたいな森岡浩之さんをゲストに迎えて大宮信光さんを対談相手に選んでアニメ設定な人の堺三保さんが仕切る「スペース・オペラ・ルネッサンス」の始まりはじまり。いわゆる独裁国家が崩壊して民主主義の勝利が言われた時代がまた過ぎ去って次第に帝国主義的な始まろうとしているのではないかといったフランスだかの偉い人の意見を引きつつ大宮さんがそーゆー時代にアーヴとゆー帝国国家を主役に据えた「星界の紋章」シリーズが登場した意味を考えると、とりあえずは全然意識もしていなかったと森岡さんが喋る見た目聞いた耳噛み合っていない会話に含蓄を探りつつ展望を注視する。

 「ヒーローは自由人でなくっちゃならん」し「ワープみたいな超高速は男らしくないんでやっぱりエンジンパワーで勝負しよー」ってな2つのスペースオペラの要素を披瀝しつつ、森岡さんがヒロイックなスペオペがなくなり群衆劇のよーなエピックとしてのスペオペが多いよーな感触を指摘。「リナ・インバースはスペオペには出しにくい」ってな話もしつつ宇宙を股にかけたヒーローが大悪人たちと戦うヒロイックなスペオペが、魔法が出来るとか剣の腕が立つとかいった特徴で成り立つファンタジーとは違って宇宙では戦艦の操縦がうまいとかっていても全体に地味で、そのあたりを理由に成立しにくくなっている実態を話してくれてなるほどしたりと膝を叩く。ぽぽん。

 話は人が果たして心底から宇宙に出たがっているのかとゆー「星界」シリーズにも通じるテーマが大宮さんから示されていて、最近の学者の言質を引いてこれだけ地球の環境汚染が言われているのに誰も地球脱出なんて言い出さない点を指摘しつつ、人類はもう発展に疲れてんじゃないんだろーかってな意見を出して、そーしたシチュエーションを超えて人を宇宙へと連れ出す理由にもなる、地球を汚さないために人は宇宙へ行くんだってなスペオペが成り立つ1つの手がかりを示唆して占める。森岡さんもアーヴが将来起こり得るであろー事態を回避する手段を持っていてそれがお陰で帝国も長続きするってな設定を明らかにしつつ今後の展開に乞うご期待でちょうどの時間を終える。

kanbayashi  さても待望の神林さんは牧眞司さんが聞き手で「『雪風』また未知なる領域へ」。ファンモードで聞き入ったためにメモもなく話は老人力だけど、おおよそ覚えている範囲で言えば神林さんはやっぱり猫が好き。その自分との近さあたりが理由だったのかどーだったかはウロ覚えだけどとにかくシャツがカールへルムの猫模様だったあたりにも猫好きたる面目が躍如されておりました。ちなみにえっとあれは古沢嘉通さん? だったかも同じシャツを来ていてつまりは結構有名なシャツなのだったかも。今年も売ってる品かどーかは判然としないけど機会を見たら探して買うぞ猫シャツ猫パンツに猫ジャケットに猫ネクタイに猫革靴(残酷ぅぅぅぅ)に猫三味線を。ベベン。

 雪風とか「魂の駆動体」に出てくる鳥人とかを引いて見おろす感覚が好きなんでしょと聞いてどっちかってーとスピード感と答えられたり、機械好きと猫好きって一緒の部分があるんですってな感じで聞いて猫と機械は違いますよーと答えられたりして牧さんもちょっぴりわさわさと揺れた対談だったけど、とにもかくにもスタートして閉幕した雪風シリーズのこの次についても簡単な構想が聞けてそれはちょっぴりラッキーな1日でした。

 あと「あなたの魂に安らぎあれ」「帝王の殻」に続く火星3部作の最後の1編の完璧なアンドロイドと人間の違いっていったいななろーってなそれだけ聞くとディック的でもありモロ神林的でもあるテーマの小説の構想があったりそろそろ復活な「アプロ」のシリーズ「敵は海賊・昨日の敵は今日も敵(仮題)」への示唆があったりしてもう大満足な講演でした。直後に始まったサイン会ではやっぱり戦闘に並んでサインを頂いた5月10日頃に発売予定の「グッドラック」が、間近に刊行予定かもしれない梅原さんの「カムナビ」と、さてSF関係ミステリー関係を含めた賞取りレースでいかな展開を繰り広げるかって辺りに、SFの魂と維持の見せどころがあるよーな気がするなー。

 第4時間目は篠田節子さんに山岸真さんが聞く内容で、怖そーな話の多い才女がツンとおすましあれはだあれ? ってな話をするのかと思っていたらまったくのガラっぱちな口調こそ丁寧だけど端々にフランクでブロークンな口調が交じる、それはそれは楽しい講演になっていてちょっと驚く。八王子市役所にいて文筆で飯が食えたらと思って入ったカルチャーセンターでプロの先生に根性鍛え直されて書いたってのが小説への道を歩んだきっかけらしく、その決して純粋じゃあないあたりにとてもとても親しみを覚える。書いて半年寝かせた第1稿を直して再び半年くらい寝かせて手を入れてってな感じで書くのが癖らしく、そーした作業の度に圧倒的な悪者が出るなんて陳腐な狭い世界観じゃない、悪くて良い人が大勢出てくる(らしー、嫌読んだことないんで)篠田さんならではのリアルさと奥深さの秘密が隠されている、のかどーかは実はよく知らない。とにかく何か1冊読まねばなー。歳はともかく美人だったし篠田さん。

sfseminer  ネットの中の島々じゃない人々とご飯を食べてから徒歩で移動した「ふたき旅館」は合宿プログラムの始まりはじまり。オープニングを終えて最初に潜り込んだは間もなく全米でも公開の「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」を元「スターログ」の渡辺麻紀さんが語る部屋で、悪いジェダイの話とかレイアのおかあちゃんの話とかルークのおとうちゃんの話とかになるってな情報の流出にピュアな気持ちで新作を見たい柳下毅一郎さんなんかがすすっと退席。どうせあーなるんだって解り切っているストーリーをさてどやって持っていくのかを一種のパズルみたいに楽しむ作品として考えているだけに第1作を見た時のよーな純粋な驚きは多分得られないだろーけれど、それでも予告編の迫力とかを見るとそれはそれで楽しめそーな気がしているのは、やっぱり世代ならではの「魂のスター・ウォーズ」だから、なんでしょー。

 第2時間目も同じ部屋で今度は「真夏の前のホラーの部屋」。作家の倉坂鬼一郎さんに編集者の東雅夫さんに大森望さんにほか何人かのスーパーナチュラルなホラーを信じてモダンホラーやらサイコホラーの扱いに窮する本格的なホラーを好きな一群の存在を実ん所は初めて知り、いわゆるキングやクーンツやマキャモンやシモンズあたりの扱いってどーなってるの? どーもなってないよ扱ってないもん的な領土問題がかくも熱く展開されているかを知って安着に感想文に「ホラー」なんて言葉を使えなくなるよってな、自らの勉強不足を棚に上げた悩みを抱く。梅原さんの投げ合いや瀬名さんの投げ合いなんかも見ていて、それぞにそれぞれのジャンルを愛する集団の参加しているイベントらしさが出ていて面白かった。で結局「ホラー」って何?

 第3時間目はアニメの部屋で今春スタートのアニメからオープニングをエンディングをとりあえず一気に紹介。とにかくやたらとカッコの良いOP&EDにニッポンのアニメ界も安心だなんて思ってしまったら大間違い。例えばとにかく迫力の「天使になるもん!」はほっぺ揺れがキュート過ぎて超絶ハートはビンビンだけど(滅亡フレーズ)、本編がどーだかは実は全然知らなかったりするしやっぱりカッコ良さでは似たり寄ったりの「コレクレターユイ」も本編はホニャララ(壊滅フレーズ)だったりして以下同文。救いもあって戦闘シーンのモロ「エヴァ」を覗くと微笑ましい天地の世界が広がる「デュアル ばられルンルン物語」とかは日下三蔵さんも推しててナイスな感じ。「To Heart」に衛星用と地上波用のEDがあるとも解ってそれは勉強になりました。そんなこんなで(3日に続く)


【5月1日】 録画しておいた「ターンAガンダム」を第えっと何話だったか知らないけれど始めてゆっくりと見るふむふむ。おおよそ納得の展開は主人公の兄ちゃんが月から2年も昔に送り込まれたスパイかどーかは不明ながらも色々と知ってて当然の人間だってことが判明。加えて埋まっているのは白ヒゲくんだけじゃなくラストに丸っこい奴が何体も地下から発見されていよいよもってロボット戦の幕開けかと、次週への期待を持たせて終わるあたりに稀代の”物語師”たる富野由悠季総監督の年季を見る。文明がいったん後退した世界での自然の中でのモビルスーツ戦は「ザブングル」思い出して懐かし装置発動。まー意図せざるエロさはあってもギャグにはなりそーもないキャラに筋だから後は未だ判然とせずどっちを応援したら良いにか旗幟不鮮明なテーマを探ってしばしのお付き合いとさせていただこー。

 届く「ハイパーディアブロ」に苦心しつつ「おジャ魔女どれみ」の「どれみタップ」で遊ぶ。ハ長調のドから上のドまでが8つのボタンを推すと鳴る、それだけじゃなくってそれぞれのボタンを推し続けると「ピアノ」「リコーダー」「ギター」「ハーモニカ」「木琴」「郭公」に何故か「いぬ」と「ねこ」の音が音程変わって鳴るとゆー摩訶不思議かつ贅沢無比な楽器玩具。シャープにふらっとが使えないのを我慢すれば簡単な「かえるのうたが」とか「チューリップ」といった辺りの音楽くらいは演奏できてしまう性能に、複数の人間を集めて音色を変えたり和音を作って「どれみタップ」のアンサンブルを演りたいなって思って来たけど、髭面のオヤジが8人ならんで「どれみタップ」を手に演奏している光景ってなー、それは醜いもんだろーから本人は希望しててもビジュアル的に却下だろー残念。でもやるもんね参加者はいるかい?

 ニフティの書店売りインターネット雑誌なんかにもコラムを書いているどっかの新聞記者らしー大岡みなみ(ととろぺん)さんの「身辺雑記」4月30日付けに崩れる新聞社で悩める新聞記者の激白が。コメントすれば第1線の記者が局間移動でトバされて営業とか事業とかってな業務部門すなわち金儲け部門へと行かされるってケースは過去に幾らだってあるし珍しいことではない。だってウチの会社じゃーごくごく最近まで大蔵省とか通産省とかって経済記者にとっちゃー第1線中の1線を担当していた記者が管理職でもないのに子会社の雑誌の営業に出されちゃったんだもん信じられるかい? だいたい僕自身が「編集局員兼事業局員」なんて前代未聞話題沸騰枝葉末節空前絶後(この場合不適切な熟語はどれでしょー)の人事を発令されて、未だに身分的にはそーゆー事になってるんだから大爆笑だよまったくもう。

 しかるに局間移動とやらでどこかの業務部門すなわち金儲け部門に完全に異動した時点で魂はともかく身分は「記者」ではなくなるわけで、そこにいる人が例えば広告のコピーを書こーとも、或いは「企画特集」との前提であらかじめ広告だと解る形で掲載される記事で提灯記事を書こーとも、編集の独立性が損なわれる訳ではたぶんない。異動は文字どおりの異動であってすでに無関係になった人間が何をしたところで独立性なんか損なわれやしないって上は馬耳東風と聞き流す。

 むしろ編集局で管理職までつとめて影響力のある人が業務部門で編集への影響をチラつかせながらお金儲けをしている実態の方が問題じゃない? そういったエラい人の圧力を跳ね返せない編集局ってのがもちろん一番の問題なんだけど。社長がトップセールスして取って来た話を大きく扱えとかエラいさん所に持ち込まれた話だたら取材に行けとかってな実態があったとしたらなおのこと、ね。

 これが例えば編集局の記者として「知る権利」を付託されて情報にアクセスする権利をもらい伝える義務を負って記事を書く身分のままで金儲けをやらされるってんだったら話は別。いわゆる「トリ屋」雑誌と大差がない、というよりむしろ「中立公正」の幻想をふりまいて一応は信頼を得ているメディアだけに一段とタチが悪い。

 あくまでも例として挙げると、明らかに提灯だと解る内容でかつ、お金までもらっているのを隠して編集紙面に大連載が「記事」として掲載される事態が仮にあったとして、それが発覚したらその新聞社は新聞社としての中立性公正性に泥を塗る裏切り者だと新聞協会を除名されたって文句は言えない。今のところは不思議と「事業局員」としての一切の注文を受けていない僕にイベントの小間を埋めろなんて指令が来たら、たとえどマイナーな媒体でも「記者」としての身分が相手に威圧感を与えて結果中立性公正性信頼性を損なうであろー行為だとして拒否するね。

 真面目に仕事をしていたのにトバされる。編集幹部の言うことを聞かず彼らが行っている不正を糾弾すると報復を受ける。こっちの方が「身辺雑記」を読む限りでは問題のよーで本人の同意のない異動も言語道断横断歩道、徹底抗戦もやむなしっていったところでしょー。が、権力に溺れて上しか見ない平目が巣くい誰もが我が身可愛さで保身に懸命な組織と相手に戦ったところでなかなか勝てるもんじゃーなく、かといってスプリガンじゃないけど「戦って、死ね」とも言えない以上は嫌ならヤメる、ヤメて「記者」としてあり続けるしかないんじゃないかってのが、自分も含めた今後の身を振り方を考えている時点での結論かな。

 だって「記者」は「記者」であって「○○新聞」の社員じゃない。そりゃー看板があった方が便利でどこにだってスーッスッと入っていけるパスポートになり得るから便利だけど、今だって媒体名を知ってる人の少なさに辟易としているし、看板とは無関係なところでささやかだけど面白がってもらえるよーになったから、潮時と見ればそれこそタイタニックを逃げ出す鼠、ジャンボジェットを抜け出すゴキブリとしゃれ込む覚悟はあるからね。逃げても北極海の冷たい海で凍え死ぬ? 落ちて太平洋の藻屑と消える? うーん誰か救命ボートor安全ネット下さい。

 それにしても僕を本当に新聞記者だと信じている人ってホントにいるだろーかと思う昨今。どマイナーなメディアでかつオタクな野郎ってこともあるけれど、開設してかれこれ3年2カ月に50万のアクセスを得ているにも関わらず、「新聞記者になりたいんですけどどーやったらいーんですか」なんて学生の質問、受けたことないもん。フツーとはかけ離れてまともな答えが聞けそーにないと思われたってまー当然なんだけどね、日々の活動を見てればさ。とりあえずアドバイスをしておけば「試験を受けて合格しなさい」。的確でしょ? 役立たずだけど。


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