縮刷版98年4月中旬号


【4月20日】 おっと吃驚ってーか言われてみればそーかもしれんと人相格好及び芸術面への才能から十分に納得できるんだけど、やっぱり驚いたよなあの「パーフェクト・ブルー」の今敏さんと今井美樹さんとかのツアーやアルバムでギターを弾いてる今剛さんがご兄弟だったなんて。お兄さんが剛(つよし)さんで弟が敏(さとし)さんで韻は踏んでるし剛直と俊敏で対称的な意味もありそーでなるほど並べて考えるとこれはピッタリはまる。

 人様の名前で遊ぶのは不謹慎とは想いながらも例えば柔よく剛を制す、の倣いから弟の敏さんが柔(やわら)さんだったら、その名が現す体がさて一体どんな職業に就いてどんな人生を歩んでいたことでしょー。ヤワラちゃんとか呼ばれて柔道やってたらそれは不思議にナイルなトトメスだったかもしれないけれど(意味不明)、とりあえずは期待の新作も動き始めているよーだし敏で良かったって思いまーす。

 すげえぜ「十兵衛ちゃん ラブリー眼帯の秘密」は見かけのハッピーで脳天気な描写にはさまって重く激しいセリフがポコポコ。眼帯をはめて柳生十兵衛となった時の気持ちを聞かれて「重い生理になった時みたい」と答えた菜花自由こと十兵衛ちゃんの、その心境をワタクシ男なんで全く持って体感できないんでありますが、さても大地丙太郎監督はいかな体験を持ってしてこのセリフを十兵衛ちゃんに吐露させたのかに興味ある。これぞ作家的想像力の賜か。

 相変わらずも前半のヌーボーとした展開に対して十兵衛に変身した後の画面に走る緊迫感のもの凄さ。目にも止まらぬ殺陣の素早さに3週続けて驚いたけど第3話はどーやらお館様とは違ったみたいな竜城寺少年の竹刀ならも突きの素早さにちょっとカンドー、君きみ一体ナニモノなの? 少女隊1999のシングルも出たみたいだし後は復活ライブでもやってくれれば大地さんならずとも大喜び。思えば大学ん時にタダ券もらって見に行ったっけ一心同体少女隊。懐かしさに眼を濡らしながら来週への期待にスイッチを消して前日のサッカーワールドユース早朝観賞のツケが回って途端に眠る。ぐうぐう。

 出掛けに駅で珍しい物が売っていたんで騙され半分で買う。かたや「遠足シート」と名付けられこなた「ピクニックマット」と名付けられたつまりはビーチマットでも茣蓙(ござ)でもいーけどつまりは敷物ね。それを何でまた買ったかといえばデザインがアニメのキャラだったから。やっぱりと溜息を付く君、あきらめなさい僕はそーゆー奴です。1枚の「遠足シート」はセガのブランドで絵柄は「怪盗セイントテール」。もう1枚の「ピクニックシート」はバンダイの製品で絵柄は「セーラームーンSS」。ちょっぴり(どえりゃあ)古いけどまー古いから580円なんて値段で売られてたんでしょう。

 別にパンツも水着も写っていないただの1メートル×1・8メートルもあるビニールシートを買ってじゃあどうするかって言われれば、さてどうしようってのが買ってしまって何時も陥る自己嫌悪。でもまあ今年はガングロを夏のテーマにしよーかなんて無茶な事を思っているから夏場の例えば三浦海岸に広げて上で寝るって時に使えるかもしれない。あるいはイベントへと持っていって自分の陣地取りに使うとか。とりあえずは直近に「SFセミナー」が控えてて、とりあえずは参加申し込みの金も払い込んだんで出席は確実なんで、持っていって旅館の部屋に広げてアニメの部屋の雰囲気を人の迷惑顧みず増強するってのも手か。「おジャ魔女どれみ」のペンダントぶら下げてこっと。

 実はスクリーンで初めて見る大林宣彦監督作品だったりする「新・尾道三部作」の第3弾「あの、夏の日」を京橋のメディアボクス試写室で見る。ヒロミチ・ナカノさんが最前列1番隅の指定席にいたのを久々に見たなあ。ボケ始めた祖父を半ば監視するために尾道の実家へと送り込まれた少年の夏の体験、ってのが大まかな物語らしく、人ん家に上がり込んでは仏壇の白玉を貪り食う小桂樹さん演じるおじいちゃんのボケっぷりに恥ずかしさを覚え、本来は残酷な老いを無邪気と称揚する背中がムズムズするよーな物語へと発展しかねないと感じて「マズったなあ」と思ったのも最初のうち。意外や物語がファンタジックな方向へと進み初めて後はずっとスクリーンに惹きつけられっ放しとなる。

 幼い日々にしでかした事件が心にトゲとなって残っていたらしい祖父といっしょに、少年は過去へと帰って懐かしい尾道の自然に振れ、祖父の心のトゲを抜く。過去へと戻る演出がいかにも大林らしいと言えてそこいら辺りに赤面の名残はあるけれど、飄々とした少年を演じた厚木拓郎くんの持ち味に、気むずかしそうで厳格な面を持ちながらも孫には子供っぽい所も見せるおじいちゃんを演じた小林桂樹さんの圧倒的演技力が重なって不思議と恥ずかしさを覚えない。むしろスンナリと現実と過去とが錯綜する不思議な世界に引きずり込まれて、2時間3分の日本映画にしては長尺な時間をあっと言う間に感じさせる。

 コミカルでノスタルジックでセンチメンタルな不思議な映画。ジャック・フィニイを想起させる過去の思い出と今の暮らしの因果をとき解していく物語のエンディング近くでは不覚にも目頭にジンワリと涙が浮かんで来る。周りじゃーグズグズと鼻水と啜る音が。別に昔の思い出に浸っている老人ばかりでもなく若者も結構多かった試写室が、コミカルな描写への笑いの中でセンチメンタルな展開にシンミリとなった所を見ると、これは相当に手応えのある作品なのかもと思えてくる。それほど見た事のない大林作品でも傑作の部類に入るのかも。SF者は一応見とけ。

 「婿殿」な菅井キンがフツーのおばあちゃんを演じててやっぱり実力のある人との感を抱く。石田ひかりは瞬間した出てないんで評価不能。超絶グラマなボディで海から登場するヒロイン、小林ミカリを演じる勝野ファイト1発洋&キャシー中島が娘、勝野雅奈恵ちゃんの肢体はとにかくまぶしいぞ。水着の上に白いシャツだけ羽織って自転車を引っ張るシーンとか、見えないんだけどシャツの下の水着の下のボンボーンに頭が官能で染められる。主人公の少年の姉役として選ばれた佐野奈波は眼鏡っ娘っぷりがキュート。肺病で幼くしてなくなった少女を演じた宮崎あおいちゃん、山本晋也カントク演じる浜茶屋でバイトする少女を演じた芥川志帆ちゃんほか少女に不自由のない映画なんでそっちに興味のある方もいざ参られよ。7月上旬公開予定。


【4月19日】 高見広春さんの「バトル・ロワイアル」(太田出版、1480円)はこっちの課題図書だったりするんだけど、そうでなくても「某新人賞選考委員全員から、あまりの内容の過激さゆえ、揃いに揃って拒絶、落選させられた噂の問題作」とある帯を読んだら誰だって買うよね。内容はといえばやっぱり帯にある「中学生42人皆殺し」のまんまで孤島に閉じこめられた中学生が残り1人になるまで殺し合っていくストーリー。もちろんそうなるような時代的社会的歴史的背景もちゃんとあって、昨日までのクラスメートがお互いを信じられない境遇の中で繰り広げる殺戮の様は、いささかカリカチュアライズされてはいても現実の騙し騙されな大人の社会の醜さを暗喩しているよーで胸にグシグシ来る。

 個人的には時代的社会的歴史的背景に必然を完璧には感じられず、とにかく衝撃的な状況を作り出さんが為に強引に持っていった感じがあって評価をどうすべきか悩んだけど、昨日の友は今日の敵、誰もが信じられない環境の中で純粋無垢で可愛い生徒たちが血みどろの抗争を繰り広げて頭をぶち抜き背中を貫き毒を持って爆破する、そのシチュエーションの痛快さがあれば他に何もいらないって気にもなるから人間ってなーやっぱ残酷な生き物だね。美人だけど不良で心に傷を持つが故に人を信じずポンポンと殺していく女子生徒に惹かれた辺りに自分の内なる残酷さが垣間見えるか。さても自分だったらどうしただろう。やっぱ殺っちゃうかな。少なくとも会社がまとめて運ばれたとしたら呵責もなしに殺りまくるね。

 ちょっとだけ眠り午前の3時前に眼を醒まして見たぞワールドユースサッカーを。貧乏なんで衛星入ってないんでTBSで見たけど衛星だって同じ時間に見てたんだから入ってるメリットないじゃんとちょっぴり溜飲を下げる。そんな自分がちょっと寂しい。1人で明け方に見るユースサッカーをまず悲しめよ、ってな意見はこのさい一切却下だ。さても流石にメキシコは足下でのボールの扱いは中南米らしく巧みだったけど、始まってから30分くらいまでの日本のプレスの強さと前線へのボール運びの巧みさにはついていけなかったようで、マークを外したところに飛び込む選手の頭にドンピシャリのセンタリングが飛ぶ見方的には綺麗な、反対に立てば何とも不甲斐ないプレイであっけなく2点を先取しベスト4進出への期待が大きく膨らむ。

 後半に入ってもヤバい場面は幾つもあったけど向こうが焦りか疲れからか解らないけど外しまくり、こっちも外しまくりはしたけれどフル代表みたくフカしたりヘロヘロだったりするシュートは皆無で打ったらたまたまキーパーが戻っていたとかいった惜しい辺りがとにかく続出。ゴール前へと運んでシュートを打つことすら稀なフル代表にそのプレイを煎じて飲ませたいくらいの衝動を覚えるほど、点を取ろうとする形が見えたことが明け方のテレビ鑑賞をとても楽しいものにしてくれた。もちろんフル代表のディフェンスがユースのメキシコみたくゴール前へとボールを持っては活かせてくれないことは承知。それでもプロなんだから見て眼の醒める試合を代表にもこれからは期待したい。もちろんユースにも。次はブラジルじゃなくってウルグアイ。勝ってスペインと決勝だ。リマじゃ見る力が湧かんのよね。

 「あなたの人生の中で大切な思い出をひとつだけ選んで下さい」がキャッチな名作傑作秀作映画「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督)に里中しおり役で出演してけだるそうで意地悪そうでそれでも可愛い美少女を演じている小田エリカさんを大御所横須賀功光さんが8×10なんて超大型のカメラで隅々までピチッと撮った写真集「odaerika」(新潮社、3200円)を気の迷いから買う。リアルを狙って日常生活をモチーフに撮った写真も無駄にクッキリと写る大判で撮ったせいか逆にツクリモノ感が出てリアルさが薄れてしまう。とはいえ剃った脚の毛穴と剃ってない割かし毛足の長い腕がハッキリ見えてしまってそこに妙ななめまかしさを感じられるのが有り難い。

 自宅かどーかは不明だけど自宅っぽいワンルームでくつろぐ姿を撮った写真はパンツ見せ放題だったりハンガーからブラがぶら下がったまんまだったり部屋の隅のテーブルに下着積み上げ放題だったりしてのぞき見している感覚を味わえる。何せ本当の年頃の女性の部屋なんて入ったことが無いんでこーゆーものなのかどーなのか知らないんです誰か見せて1度で良いから決して匂いは嗅ぎません。ヘアもなければバストトップもないにも関わらずの発散する肉の艶っぽさは後の大活躍を期待させる。「ワンダフルライフ」で掴み損ねた感があったその色気が後の作品でどう発揮されるのか。「ワンダフルライフ」の再見も含めてこれからをありゃこりゃ考えてみよー。


【4月18日】 前日の午後8時に仮眠を取ったら目覚めたのが翌日の午前7時だったりする辺りに意志の弱さを感じてみたり。それでも日曜の早起きは有り難いとばかりに手始めに「救急戦隊ゴーゴーファイブ」から始まるお子ちゃま街道を突っ走る。みやむー出ておらず半ば残念な「ゴーゴーファイブ」もピンクの救急隊員だった時代の先輩が普通の人間なのにピンクの能力を吸い込んだだけで途端にアクティブになって変身こそしないけれども他のメンバーと一緒に必殺技まで繰り出してしまっておっと吃驚。普段着だからとちょっぴり期待したけど流石にお子ちゃま向けなんで「ヴァニーイクスプロージョン」ほどの迫力は見せてはくれませんでした。

 だったらとロビーナちゃんに期待して見た「燃えろ! ロボコン」も生憎と今日は宅急便ロボットの早とちりにスポットが当てられたエピソードで、カエルのロボットと縄地獄で苦しむロビーナちゃんの悩ましげな格好も見られるには見られたけれどそれほどの朝っぱらの官能はくすぐられない。とはいえ来週はどーやらロビーナちゃん大活躍の回みたいで、走り回るロビーナちゃんの美しき姿態がたっぷりと拝めそーだから前日がどうであっても早起きして絶対に見ると心に決める。ただし喋ると結構ポカだったりするからそのあたりを物語なりビジュアルでどこまでカバーしてくれるかにとりあえず注目だ。

 相変わらずの素晴らしいシナリオ&演出な「おジャ魔女どれみ」に堪能した後「デジモン」「ヤマモトヨーコ」はすっ飛ばして上野へ。昨日開幕の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」展を見に東京都美術館を久々に訪ねる。最近課題図書で読んだ若林直樹さんの「近代絵画の暗号」(文春新書、690円)で取りあげられていたくろーど・モネの「日傘の女」が出てたっけ、と思い描かれていた印象派に特徴的な光の描き方でも勉強すっかと行ってみたらおやまあなんと。出ているのは確かに日傘を指した女性の絵だったけれど脇には子供らしき人物が描かれ明らかに「近代絵画の暗号」で紹介されている絵と違う。

 あるいは本の口絵の方が部分的にカットしてあったのかと自宅に帰って確認して、指した日傘と婦人の影との角度が新書の方は真っ直ぐ一致しているにも関わらず、展覧会に出ていた「日傘の女性 モネ夫人と息子」との説明があった絵の方はどう見ても日が射している方に傘が向いていない。資料によれば確か展覧会の方の絵は75年だかの制作で、一方若林さんの紹介している絵は86年の制作。考えようによってはモネは75年に描いた絵を元に86年のピンで女性の写っている絵を描いたのだとも考えられる。

 にも関わらず、新書だとそーゆー説明をいっさい省いて、単に苦労のうちに79年に死んだ夫人を思いつつも義理の娘をモデルに86年の絵を描いてるんだと言っている。知って省いたか知らず省いたかは問題じゃなく、こーゆー事実に一切の説明がなされてないのは正直信頼を欠く態度と言ってよく、となれば他に描かれてる説明も信じてよいものなのかと酷く悩む。だってそーゆー説明信じて新書の紹介しちゃったんだから。

 同じ本に紹介されているフェルメールについては新書では紹介されていない「手紙を書く女性」が12年ぶりに公開されていて、なるほど緻密な描写は他の作品に共通するものではあるけれど、「室内画二十八点は、すべて窓ガラスを通した淡いゆらぐような光のなかにあるからだ」という新書での若林さんの記述に反して、「手紙をかく女性」はどう見ても窓ガラスを通した光は感じられず、また窓ガラスを通して聞こえて来るという路上の喧噪もまったくもって聞こえてこない。

 もちろんそうかもしれないけれど、だとしてもちょっぴり筋立てに強引さは否めず、あるいは自分の信じた理論を裏付けるために材料を都合良くピックアップしてるんじゃないかとも思えて来る。まあこっちは素人であっちはプロだ。言い合ったら負けるだろうけどせめて素人が絵を見ただけで浮かんで来るような疑問が起こらないよーな配慮をして頂きたかったもんですなあ。展覧会だとあとはサム・グレコの回し蹴りが、じゃないエル・グレコの聖母子を描いた作品が秀逸。ポッチャリモッタリなご婦人が多いなかでスリムな面立ちで微笑むグレコの聖母は今に通じる美しさ。展覧会の常でだんだんと混み始める予感があるんで人だかりが必至なグレコやフェルメールをゆっくりじっくり見たい人は早めに行こう。

 上野の雑貨屋にたぶんインチキな「だんご3兄弟」のグッズが山積み。Tシャツとかライセンス受けてるバンダイがまだ出してないにも関わらず並んでいるしビニール風船も出来てるし。そうまで勝手に作れるものなら例えばどうだと考えたのがビニール風船にタイプは近い子供たちが水を入れてどこまで膨らむんだろーかとニヤニヤしながら遊ぶ例のゴム風船に「だんご3兄弟」の絵を描いて出せないんだろーかって事。商品名はそのままずばり「○んこ3兄弟」。当然ながら先っぽに長男中央に次男根本部分には3男が来るって感じになりますか。

 でもってただ3兄弟が描かれているんじゃなくって、それぞれが描かれている間がギュッとすぼまるって仕掛けになってて、つまりは3段絞りなゴム風船って事になってこれだと男性はちょっと大変だけどその分世界を幸せに満たせる可能性は大きいんだから我慢しな。但し。普通は誰もが「3兄弟」なのに中には次男までしか再現できず3男部分は根本でクニュクニュと丸まってしまう人が出る可能性だってあるから使用前にサイズはしっかり確かめよう。Sサイズでも長男だけ、ってのは正直情けないけどだったらお前はと突っ込まれると「僕んちひとりっ子政策を遵守してるんです」なんてウロたえて答えなくっちゃならないからこの辺で。


【4月17日】 真夜中に録画してあった「コレクター・ユイ」を見る。第1話を見逃してるからどーして彼女が変身を、でもっていったい何と戦闘を、といったお約束な設定への理解は壊滅してるが「そういうもんだ」と思えば「CCさくら」が「ジャンヌ」でも同じなんで関係ない。で同時期放映のこれらに比べて「ユイ」がどうかと言えば評価は「そうか」くらいの今んところは可もなく不可もそれほど見あたらないまあ標準作。「ナデシコ」「サイレント」「蒸気」と次第に色濃くなっていたよーに思った麻宮ぶりが再びカケラもなくなっていたよーに思ったけれども世代的に麻宮を外しててその絵柄その物語が魂に擦り込まれてないんでよー解らん。モニターん中の先生可愛い。格言諺標語が毎週出てくるのはやっぱETVだから? 元が衛星の「CCさくら」はやおってるのにぃ。

 まま「千年王国三銃士ヴァニーナイツ」を見て今週も先週と同じバンクの「バニーイクスプロージョン」にそろそろ訓練だでもって新技だおっぴろげジャンプ、は違う人の技だから無しにしてせめて3人いるんだからジェットストリームアタックよろしく3人がスカートをヒラヒラさせながら突っ込んで来る技でも披露して戴ければと、そんな要望の手紙を真夜中に書こうと思ってハガキがないから諦める。次こそは。第1話がラッキィ池田で先週は忘れたけれど今週はえっとあれは「ゆーとぴあ」の片割れ? 止まっていてはダメなんですもっと動け動けそして働け働けでゴムぱっちんの眼鏡の方が演じるリストラされて毎日喫茶店でカレーと珈琲で粘って帰宅して勤め人を装う元サラリーマンが怪人役を勤めてて、つまりはリストラされかかってる芸人を怪人に再雇用するってな暗喩がこめられているんだと言ったら失礼か。パンツは洗う前に匂い嗅げ。それが男ぞ人間ぞ。

 寝て醒めて東京都現代美館へ。今日が開幕の荒木経惟の展覧会を見物、館内の至る所で炸裂する荒木ぶりにちょっぴり最近ダウな精神では太刀打ちできず敗北し次回への再起を誓う。荒木って言えば写真で写真なら東京都には写真美術館が恵比寿にあるけどあっちは恐らくいろいろあって荒木の個展なんて開いてもくれないんだろー所を、流石に村上隆だって漫画だって展示してしまうMOT。ただプリントを並べるだけじゃなくゼロックスだかキャノンだかの巨大プリンターで引き延ばしたカラーのプリントをただでさえ高い天井に届くくらいまで壁面にベタベタを張りまくり、下がってみれば絶景かな、近寄ればそれこそケケ・ロズベルクも吃驚なモジャモジャぶりが目に黒く、こんなんやっちまって大丈夫かいなと心配したけどそこは「ウィーンでも」「ドイツでも」「フランスでも」と言い切れば納得の権威社会、ルノワールが登場した時ほどの問題もなく騒動もなく粛々と開幕を迎えられたみたい。

 個人的に注目は「人妻エロス」と「男の顔面」って最近の荒木の仕事を互い違いにまぜこぜにして巨大なプリントで壁面を天上まで埋め尽くした一室。方や職場とゆー線上で日々肉体と神経をすり減らしながらも妻よ子よお父さんは頑張ってるだぞーとばかりに張り切る男たちが荒木のカメラに家で待つ家族を思ってニッコリと微笑むその上下左右で、妻はアラーキーのカメラの前にその肉体のすべてを晒して妖艶に淫靡に微笑んでる。まさに亭主元気で留守が良すぎるその光景こそがニッポンの夫婦の象徴とばかりに見せてしまった、これには荒木本人かそれともキュレーターがの頑張りかは解らないけど喝采を送ろう。ポラロイド写真をヌードも風景も何でもある光景のままギャラリーにおったてた柱の4方の壁面に天上近くまで張り上げた作品も秀逸。良にも驚くが巨大な写真も荒木ならそのポラロイドの手のひらサイズの写真もやっぱり荒木と解る腕前に、なるほどただのおっさんやないとの意を改めて抱く。1枚かっぱらって帰りたいなー。

 売場で見かけたヒステリック刊行の巨大写真集が2万円もしやがって金の持ち合わせがなくって断念。でも欲しい欲しい欲しいから食事を抜いても今度買おう。珍しいのでは来週あたりから同じ現代美術館で個展がスタートする草間彌生さんとアラーキーがツーショットでプリントされたTシャツ。ともに超絶個性的な顔立ちだけに迫力満点で着て道を歩けば子供は泣きだしお婆さんは卒倒する異色のデザインになっている。欲しい欲しい欲しいから仕事を受注してその金で買おう。しかし初日は気分がダウで敗北した今展覧会に次に来る時ってのはおそらくはなおいっそうパワーたっぷりな草間さんの展覧会も一緒に見るだろーから、こりゃ並大抵の元気じゃー再びの敗北は必至。仕事の憂さを吹き飛ばすくらいの元気をどこで拾おう。やはり眼前の悪を倒さねばならんか。

seiryou  ふらふらと神田神保町の三省堂書店。「カーニバル」の発売なった清涼院流水さんのサイン会は開始の30分も前には隅の階段は3階4階へと伸びる行列が出来ていて、おまけに並んでいるの人たちのほとんどそれこそ9割8分が女の子で、一部に全身黒づくめだったり白いレースがフリフリヒラヒラで、んな女の子たちに周囲を取り囲まれてワアワアキャアキャアと喧しい声が飛び交う中でおじさんとっても赤面する。感じ京極夏彦さんの時以上に客層が若いような雰囲気で、行列の後ろに並んでいたのはきっと高校生? 「中学入試ん時の成績が維持できないから学習院にいくわ」「わたしは京大」なんて話してやがってこの贅沢娘どもがと首根っこをひっとらえて階段下へと放り投げ上からニードロップ&エルボードロップをくらわしてやりたい衝動にかられたけれど犯罪になるから心で舌打ちするに止める。チッ。

 近づくにつれて歓声なおも巨大化してすっげえ五月蝿い。なかでサイン会につき合って来ていただけらしー学習院だか京大だかを志望の女子が偵察から戻って来て「もういいやって感じ」と言ったのにこれは何事と思いつつ行列が進むのを待つ。やがて到着したサイン会の場で本を差し出すと黒っぽいスーツにデカ襟の開襟シャツを当然外に襟を出して着込んだストレートでさらさらな漆黒のヘアの青年が、一所懸命にこちらの名前まで入ったサインをしてくれる。ペンを置き「ありがとうございます」と顔を上げたその瞬間(以下抹消)。かくして世界は滅亡した。ってのはあくまでもキラキラ目な羨望のフィルターなき、むしろやっかみ半分妬み半分のネガティブな視線でほんの一瞬だけ垣間見ただけの印象だからあくまでも清涼院は九十九十九が竜宮城之介かもしれないと信じている人は24日のブックストア談京都へゴーだ。決して長髪のやくみつるじゃないって確認できるから。


【4月16日】 なおも幾人かの難破船から逃げ出す鼠の発生を予感しつつ乗り遅れ、じゃなかった降り遅れはマズいとばかりに自己ピーアールもかねて読書感想文のページを4日間ほど爆裂更新したものの、いよいよ力尽きたみたいで今日はお休み。それでこっちだけは適当にネタを掘って更新に励む。それでも読書は継続中で今日は17日からいよいよ劇場公開される「幻の光」で一躍名を挙げた是枝裕和監督の最新作「ワンダフルライフ」を土台にした是枝監督自身による「小説ワンダフルライフ」(早川書房、560円)を2日かかって読了する。

 すでに試写で中身を見ている身には映画が映像で説明していた部分を活字によって心理描写も含めて再度理解できたのが有り難く、とりわけ謎めいた行動ばかりする女性の面接官、しおりの嫉妬と自己嫌悪を文章として読めて再び劇場でその演技を見て試写ではくみ取れなかった心理を表情や仕草から拾い出してみたいと強く思う。同じく試写で見終わっている「天地無用! in Love2 遥かなる想い」は女性陣の切なくも甘い想いの強さにジンとしたし、「逮捕しちゃうぞthe movie」も劇場版ならではの果てしないアクションにドキとしたけど、ゴールデン・ウィークの映画じゃやっぱり「ワンダフルライフ」が一頭抜けてるよーな気がするな。また行こ。

 ついでに課題図書でそれとなく面白そーと言ったら送ってくれた例のインターネット青酸カリ事件を臨床心理士の矢幡洋一さんが、残されたというより実のところは事態の中心的な役割を占めていた人物にメールを送って答えてもらたった話をまとめた「Dr.キリコの贈り物」(河出書房新社、1300円)を一気読む。自殺を煽ったとばかりにメディアが悪逆非道の権化の如く指弾していた「ドクター・キリコ」が実のところは責任感が強く曲がった事が嫌いな性格で、青酸カリも飲んで死ねというんではなくむしろ自殺を思いとどまらせようとして送っていた話とかが拾ってあって目を啓かれる思いに至る。

 親切に振る舞い知識を集めて披露することで自分の居所を見つけたかっただけなのかもと「ドクターキリコ」の行動を全肯定は出来ないけれど、考えてみれば僕だって毎日更新するのも一部に「すごいんだろ?」ってな自慢っぽい意識が決してないわけじゃなく、つまりはそーゆー普通の人でかつ責任感のめっちゃ強い人だったからこその末路なんだと理解できる。彼が自殺したのも青酸カリで自殺者が出てしまったが故の責任感の発露であって逃走ではないとするあたり、言われてみればなるほどってな気になるからね。

 だとしたらあの事件を悪逆非道な若者の暴走と自滅ってな雰囲気で騒ぎ立てたメディアは、事件の実体への推理をすべて間違えていたのか(事実雑誌などでは一報の後で検証が進んでからは本書に近い立場での記事が増えていた)との認識に達する。その上で未だ訂正も検証もせずおそらくは「ネット=おそぎゃー(方言)場所」といったステレオタイプな発送に凝り固まった輩が権限を持って、高飛車に振る舞いそーした方程式でもって全てを鋳型にはめよーとしているんだろーと考えると、以後も似たよーな事件が起こる度に新聞なんかが騒いでネットの悪口ばかりを書き立てる可能性は極めて高いんじゃなかろーか。


 見たぞ月蝕歌劇団は次回公演「少女革命ウテナ 魔界転生黙示録編 麗人ニルヴァーナ来駕」の案内に同封されていたキャストの写真を。当たり前だが全員が黒い頭でピンクもオレンジもブルーも赤もいないのがアニメに慣れた目にちょぴりさみしかったりするけれど、根が暗黒な月蝕だけに華やかにするよりゃまんまで良いのかもと納得しておく。おそらくは主役の天上ウテナは最近の公演で主役ばかりをはっている一ノ瀬めぐみが勤めるみたいで、決してド派手ではないものの芯の強さを持った役柄だけにそれはそれでピッタリかも。ちょっと目がチッチャイけどね。

 姫宮アンシーは宣伝用の写真を見る限りだとコミケあたりで山といた中の1人(中の上程度)のコスプレーヤーっぽい雰囲気があるけれど、舞台ってのは演じてナンボの世界なんで実際に見てみないことには結論は出せない。いくら写真のアンシーの、ノースリーブの赤い服からのぞいた上腕がスタン・ハンセンでスカートからむき出しになった脚がザ・デストロイヤーであろーとも(共に意味不明)、すべては舞台の上で踊り唄い蝋燭を振り回す様を見てから評価を出そう。斉藤レイさんは冬牙かな? 暁生は美里流季さん? 創刊前の某「サイゾー」で連載中なんて紹介されてる成宮観音さんはえっと樹里でいーのかな? ゲネプロは時間が平日の昼間なんで行けるか未定だけど別の時間でいーですかその辺。


【4月15日】 大宮ソフトを訪ねた伊集院光じゃなくって連れの女性の、歩けばユラユラと波すら漂うそのボンボーンぶりに脳天から血を吹き出しながら「ゲームWAVE」を見た流れで、録画してある第1話をすっとばしてリアルタイムで第2話を見たぞ「A.D.POLICE」は「バブルガムクライシス」と似た世界を舞台にしながらも雰囲気はまるで「VIRUS」って感じのハードボイルド電脳怪人退治物。だけど物語に今のところあんまり深淵なテーマが感じられなくって深夜って時間もあって目がショボショボる。

 ブーマってもっと凶悪にして強靭だったよーに「バブル」を飛び飛びながらも見ていた時には思ったけれど、救急車の中に現れたブーマは別に暴れまくる訳じゃなく、ヘロヘロとイソギンチャクみたくクネって挙げ句に退治されてしまう体たらく。一般のポリスと違うんだろーなな主人公たちも格好こそ気取っちゃいるけど能力にどれほどの違いも感じられず、おまけに「バブル」みたく女性でもないんでおじさんどこに感情を移入すればいーのか悩む。看護婦さんっぽい人のスタイルの良さにウェザーブレイク前に出る絵の女性の可愛さと見る所もあるからとりあえずはしばらく見て結論を出そう。流れで見る為にも「ゲームWAVE」にはさらなるボンボーンを期待。解ったなアスキー。

 パルコギャラリーよりごあんなーい。「TAKASHI MURAKAMI&HIROPON SHOW」と題された展覧会のうちの「村上隆展」は、4月23日から5月24日の日程で東京は渋谷のパルコギャラリーでの開催の予定。「ふしぎの国のDOB君」ってなサブ退路津もあっていろんなDOBがバルーンやら絵やらで展示されるとか。加えてトークイベントとしてあの「インヂビジュアル・プロジェクション」のデザインで世の男の関心を集めた常盤響さんやらジト目の子供の絵が大ヒットの奈良美智さんやら今が旬過ぎる東浩紀さんやら6号が青い前田真宏さんやらが日替わりで登場してはありゃまこりゃまと語ってくれる。

 でもってもう1つの渋谷パルコパート1は地下1階のロゴスギャラリーで開催される「HIROPON SHOW」には村上隆の仲間たち、くノ一でアルプスの少女なミスターやら、フィギュアの王様BOMEさんやらの作品が展示されては「ポック(ポップとオタクの造語、らしー)」って何ってな疑問の答えを目の前に顕現してくれるはず。トークイベントには氷川竜介さんにあさのまさひこさんにファクトリーの面々がやっぱり日替わりで登場。おたくの牙城「ワンダーフェスティバル」の場で炸裂したあさのまさひこさんとBOMEさんを交えたトークショウが今度はアートの牙城で第2ラウンドとしゃれ込んで、果たしていかな言葉が導き出されていかな反響が会場から巻き起こるのかにちょっち注目。キレるかあさの。弾けるかミスター。

 蒲田へと散歩してマルチメディアな団体のトップになった人と歓談する。マルチメディアな団体の話が途中でそれて映画の話になるのはご本人が無類の映画好きでついには映画会社の再建に取り組み初めてしまったとゆー経歴からも致し方のないこととは言え、年輩の人々にとって映画とゆーコンテンツの持つ価値なり知名度なり信任が、その市場規模とはおよそかけ離れて高いものとして認められているとゆー現実を目の当たりにするとともに、だとしたらゲームでもCD−ROMでもインターネットでもおよそマルチメディアと呼ばれる表現が映画と同じだけの価値、例えていうならスポーツ新聞の文化面の頭を連日晴れるくらいのバリューを持つ日が来るのか来るとしたらいつ頃なのかと考え込む。

 今のゲーマーが大人になって爺さんになってその子供が社会の先頭に立って引っ張るくらいになった時、ゲームの制作発表にワイドショーが必ず入りゲームの発売日には店頭で出演者なりクリエーターの挨拶があり、「CESA大賞」はテレビのゴールデンタイムに中継されて翌日の新聞では1面トップを飾るのかな。もちろんその日の為には黒澤小津といった映画の巨匠に匹敵するクリエーターの登場なり、誰でもその名を知ってる有名人の出演なりがゲーム業界で果たされている必要がありそうだけど。あとメディアの意見を仕切る人たちの世代交替とかも。大ソニーがデジタルエンターテインメントを事業の核に据えよーとして、満天下に大号令をかけているにも関わらず、ゲームなんて報道する価値がないなんて言い出す輩がポップが身上のテレビはまだしもお高くお堅いだけが取り柄の新聞には山と巣くっているからね。蒲田のおじさんには映画もいいけど本業の凄みを団体活動を通じて満天下に見せつけてやって頂きたいねー。


【4月14日】 青木光恵さんのOL4コマ漫画を集はめた「ささみストリート」(チャンネルゼロ)なんかを買って世界一化粧ばえするOL古田亜矢子28歳の途端にファンになってみたりしたのはさておき、割と普通の本屋でも見つけましたよあの激動の12月からわずか4カ月のインターバルを置いて少しばかり名を変え中身はほとんどそのままに復活なった「カラフル ピュアガール」(ビブロス、590円)を購入し、マックな環境ではおよそ無縁なエロゲーの紹介にそれでも「何故に眼鏡っ娘ばかりなんや」と感動半分懊悩半分で「終末の過ごし方」のページを舐めてみたり、黒星紅白さん描く表紙の女の子がたぶん小さな胸にギュッと抱きしめる黒猫を同情半分羨望半分で眺めてみたり。次は年越ししたいねー。

 いつ以来の小説では新刊になるのやらな加門七海さんの「あの風に訊け」(角川書店、1600円)を買って読む。岡崎武士さんが表紙絵ってのも凄いけど装丁があのCLAMPってのがよく解らんけど何か凄い。お話はもっと凄くで何が凄いってろくすっぽ進んでないにも関わらず、本書を持って文字どおりの「一巻の終わり」となって後へと続いてない。何故にそーなったかと言えばおそらくは作者の怠慢? と言うのは可哀想だから香港の中国返還といっしょに作者のエネルギーも失われてしまって止め置かれたと認識し、せめて本として出してその尻切れ蜻蛉ぶりを世に示した以上は、「これで終わり?」と言うであろーファンのためにもとりあえずは次の巻へと筆を進めてせめて男だけど可愛い蕾月ちゃんの復活なり、子持ちだけど美人な祥子さんの活躍なりを見せて頂きたい。イラストもだから彼女(だから蕾月は彼だってば)たち中心にお願い岡崎さん。

 頑なに拒んで来た、訳じゃなくただ行く機会も相手もなかった「東京ディズニーランド」にオープンから10余年を経てかつ近郊に住んで9年を経て初めて潜入する。もちろん仕事だそんでもって男1人の入場だ。理由は15日からいよいよもってオープンする、スターを夢みて果たせずナンバー2(ミニーも入れればナンバー3か)の地位に誕生以来65年の長きを甘んじて来たドナルドダックが、せめて65歳を迎える年くらいはスターになってもいーんじゃないかってな世界的配慮によっ作られた、「ドナルド・ワッキーキングダム」ってイベントの取材。従ってビッグサンダー何とかとか、スペース何とかってなアトラクションには乗るどころか近寄る余裕も時間もなく、いってシンデレラ城の前にある花壇で自由の女神よろしくポーズを取った金色のドナルドダックの写真を撮って、回って来たドナルドが出演するパレードを見てすぐさま引き上げる、まっこと味気色気のない初体験となりました。2度目はきっと無いな。

 しかし1カ月も経たない前に行ったフロリダは「ウォルト・ディズニー・ワールド」の「マジックキングダム」は同じ平日でもまた午後の4時過ぎどころか8時9時でもゴッチャと大人から子供までが詰めかけ大賑わいだったのと対称的に、「東京ディズニーランド」は人こそ多いけれどアベックだったり女性ばかりの集団だったり制服姿の修学旅行生だったりってな客層が圧倒的で、やっぱりニッポン親が平日に休暇をとって子供も平日に学校サボらせてレクリエーションをするってな習慣が、醸成されてないって事を如実に見る。あとやっぱり黒っぽい制服集団ってのは奈良の寺院ならともかくも、あの明るいアメリカーンな空間では一種異様に映るなー。別に制服嫌いじゃなかったけどせめてあーゆー場所にはどんな服装が似合うかって事を、将来に向けたセンスの醸成って意味も含めて勉強できるよー普段着にしてあげたらーいんじゃない。


【4月13日】 金を払わないんで止められることはしょっちゅうあっても、落としたり無くしたことはなかったPHSが昨日辺りから姿が見えずもしかしたら無くしたかもと、心配して家から会社から何度もPHSに電話をかけると何度か留守電サービスにつながり何度か未着信のままぶち切れる音がする。となれば誰かに拾われてラホールとかダッカとかテヘランへと国際電話をかけられている恐れはないと安心するも、じゃあどこだと思い会社の埋もれた資料をひっくり返すと、向かい側の机に積まれた資料とこちらの机に重ねられた紙切れとの、間に落ちているのが見つかり嗚呼良かったと安心する、のも束の間実はそろそろ料金を支払ってないんで止められる可能性がチラリホラリ。連絡のある人は早めにしたないと届かないよ、でもプライベートな電話なんて1度たりともかかって来た事なんて無いんだけど。俺なんでもってんだろ、それも未だに「たまぴっち」をよ。

 アメリカはケンタッキー州で高校生が起こした銃乱射事件により娘を失った親たちが、犯人はゲームとかエッチ画像で触発されて事件を起こしたんだってんで、日本の大手ゲーム会社やらポルノ画像を流しているネット会社やら25社を相手にまとめて156億円だかの損害賠償を求める裁判を起こしたんだとか。なるほどテレビの暴力シーンの影響とかゲームの残虐シーンの影響とかが事件がある度によく引き合いに出されてその度に熱烈なファンから違うといった声が起こって色々な議論が巻き起こるけど、こうも実際に訴えが起こされかつアメリカーンな裁判につきものの巨額の賠償金を求められた例ってあんまり聞かないんでちょっち成り行きに注目してる通称ナリチュウ。

 もしも認められてしまったら、次から次へと似たよーな裁判が起こされて山とかっぱがれる、なんて想像するだに恐ろしいとゲーム会社は今ごろ思っているに違いない。例えば未来の宇宙との交流が進んだ時代において、宇宙人は侵略者なんだと思いこんでピコピコとミサイルか何かを放って攻撃し殺害した地球人は、実は「スペースインベーダー」の影響を受けていたんだとゆー判断のもとに、被害を受けた宇宙人の遺族がタイトーを訴えることが出来るんだろーかと、考えても実感が伴わないからこれは却下。穴を掘って埋められたのは、とエイリアンが訴えるってのもやっぱり却下しておいて、ともあれリアルになり過ぎたゲームがリアルを浸食していくだろーそう遠くない将来を視野に、ゲームの姿ってのを多分もうちょい考えなくっちゃいけない事態が来るんだろー。さても一体どうなることやら。

 2回目にしてすでにコワれまくっているぜ「十兵衛ちゃん ラブリー眼帯の秘密」は大地丙太郎さんのパワーが隅々にまで行き渡って1瞬たりとも見逃せない。ギャグの畳み掛けに突如として変わるキャラクターの等身表情といった展開は、古すぎるけれど鴨川つばめさんんは「マカロニほうれん荘」の狂気と紙一重なテンションの高さを感じてそのままだと崩壊へと道を突き進むんじゃないかと心配するけど、いざラブリー眼帯を着けた途端に自由ちゃん改め十兵衛の真剣な顔にスラリと伸びた等身そして眼にも止まらぬ剣技の冴えが、コワれかけた心をキリリと引き締めてそえからホノボノとしたエンディングへと誘って次回への期待につないでくれる。嗚呼なんという計算尽くの爆裂ぶりよ。2回目にして先生が毎回変わって十兵衛に挑むってなマンネリな味も見えて来たけどそこは天才・大地の予想を軽く成層圏をも上回る高さで超えて行き、怒涛の物語へと視聴者を巻き込んでくれる、んじゃないかな多分きっとおそらく絶対。


【4月12日】 「Yonda?」が欲しい、ってんで新潮文庫を務めて買おーと心に決める。狙っているのは30枚分の三角コーナーを集めたらもらえるキャラクター人形で本屋の店頭なんかに見本が鎮座しているのを見た人のきっと多いだろーことから、そのすっとぼけた愛嬌のある顔立ちポーズに惚れて同じ事を考えている人もやっぱりたくさんいるだろー。まあ抽選じゃなくって応募すれば必ずもらえるって事らしーから君たちは別にライバルじゃない、ともに頑張り同じ「Yonda?」キャラクター人形をゲットしよーぜ。1人張り切って100枚集めたらもらえるディディベア風「Yonda?」(「老人と海」の豆本付き)を狙う成金な奴なんか嫌いだー。同じ100枚な太宰川端漱石カフカの顔入りソーサー&カップを狙う奴よりゃマシだが。

 とりあえず新潮文庫からは須賀敦子さんの「トリエステの坂道」を購入。すでにハードカバーはもっているけれど湯川豊さんの解説と未刊長編の先駆けになった単行本見主録のエッセイが読めるから損したって気分にはならない。だいたいが既にして須賀さんの著作の大半が山と積まれた本に埋もれて読みたい時に出てこないから、文庫で枕元に備えておくのがやっぱりファンとして正しい道なのかも。けど「コルシア書店の仲間たち」は文春文庫で買っても「Yonda?」はもらえないから多分買わない、ってあたりにファンと大口を開けて喧伝できないさもしい性根が見えている。さても須賀さんならこんな性根の自称ファンをなんと辛辣に批判してくれることか。その言葉すら叶わない今をやっぱり悔しく思う。合掌。

 なんだか先週の課題図書だった「第四の母体」(スタンリー・ボティンジャー、高見浩訳、2700円)と関連を持たせたとした思えない、夏樹静子さんの新刊「茉莉子」(中央公論新社、1600円)を読む。不倫相手の子を生みたいと願った京は祇園の芸妓が選んだ道がもたらす、1人の女性が直面するその存在する意味への疑問が読み手に今の生殖を人間が自由に扱える状態への懐疑を植えつける。それでもと臨む人の愛をさて、認めてしまっていいのかそれでも神の摂理に反すると批判すべきなのか、ド素人でかつ愛の結晶を臨む以前に愛の対象すらない我が身ではまったくもって解らない。こんな課題図書を続けて与える編集部、だったらせめて愛の対象となりえる美女の1人でも紹介してくれー。

 PS版の「VIRUS」はエリカでも適当にヘリオラブでドナを打ち倒して地球へと帰還してエンディングに。残ったミッションがあってそこをクリアすると一体何が起こるのかが未だに解らなかったりするけれど、データベースのコーナーでの特典映像もとりあえず開いて全部見られるよーになったし、対戦だけを行うモードでもいちおー全てのキャラクターが開けるよーになったから、なおも頑張ってすべてのミッションをクリアしよーとゆー気がちょっと失せてる。あるいはハードなモードで完璧に開けきった時に、特別なエンディングでも見られるのだろーかどーなんだろーか。やっぱりその辺りを解説してかつ大張さん渾身の新作映像も細かく紹介してある本が欲しいところだけど、さてもやっぱりマイナーなソフトなんで果たして出してもらえるのか、そこんとこ誰かよろしくお願いしちゃいます。せめてエリカのチャギな場面がポスターになって付いてるんなら、ファンだったら高くたってきっと買うぜ。

 待望、なのかは知らないけれど話題ではある平野啓一郎さんの第2長編「一月物語」(新潮社、1300円)が刊行、中世のヨーロッパを舞台にした先の芥川賞受賞作「日蝕」から一編して紀伊半島の山を舞台にした男と女の不思議にして奇妙な運命の交錯を描いた物語は、胡蝶の夢とも通じる今が誰かの夢なのかもしれないという、歪み薄められ朧となる現実感を読者に与え、それでも幽冥の世に生きたいと思わせるだけの熱く激しく美しい、恋を描いて読者を深く感じ入らせる。

 擬古調の漢字遣いが物語とは無関係と先の「日蝕」でも攻める新都知事みたいな人もいたけれど、「一月物語」に描かれる凛としてけれども熱く純粋な愛の世界を描く上で、その居住まいを正させるような文体漢字遣いは多分有効に働いている。最初はちょっぴり癪に思って疑問も投げたけど、物語だって目から入る情報が頭の中で構成されて生まれるものだから、その中身を伝えるインターフェースともいえる文字の持つ重要性はやっぱり忘れちゃいけないのかもと、最近思えるよーになったこれってやっぱり権威に媚びてる現れなのかな。


【4月11日】 「プラネットハザード」(ジェイムズ・アラン・ガードナー、関口幸男訳、上下各620円)はギャグでいーんですねおーもりさんと、「本の雑誌」5月号を読みながら思いながらさらにPS版カードバトルゲーム「VIRUS」をプレイ。懸案だったレイヴェンのハルシオン・ブラックを打ち倒し、宇宙へと上がってミイラなドナも粉砕してどーにか最初のエンディングを迎える。

 12個あるミッションのうちの2つが残ってしまったのが心残りだがまー良い、そのうちモードをより強い奴へと替えた時に挑もう。続けてエリカに主役を替えて1からプレイを再開、おー新作のアニメだと、実にオトコ心を擽られるコスチュームで登場し、アルティメットなリングの中で脚振り上げるエリカの姿にジッと見入る。これやっぱりゲームん中だけじゃー勿体ないからやっぱり未来計画&ポリグラム、総集編の中に盛り込むんでも良いし別に加藤ちたかさんのノベライズを土台にした「STAND結成編」でも良いから作りましょうよ新作を。

 撮ってはいたものの見ずにおいてあった大地丙太郎さんが贈るノンストップ忍者アクション「十兵衛ちゃん ラブリー眼帯の秘密」を真夜中に見てゲヘゲヘと笑う。無駄によく動く絵といー、屈託なんて微塵も無いところが逆に屈折しているよーに見えるキャラといー、この春に始まった新番組の中でもトップ級に位置する作品かも。って実んところは「天使になるもん!」「コレクター・ユイ」ほか見逃してる作品がたんと(方言?)あるんで言明はまだ出来ないんだけど、それでも3月まで同時刻にやってた「宇宙海賊ミト」に決して負けない高テンションに、加えてお色気も満載で嗚呼また火曜日朝の仕事がキツくなる予感がしてる。さあみんなもその「ぽちゃぽちゃのぷりんぷりんのぼんぼーん」ぶりに真夜中のココロを熱く燃やせ。エンディングの唄うは少女隊1999「フォーエバー」にオールドなファンは泣け。

 「広告批評」の4月号をふと買う。「TOKYO POP」とある特集を読むと、何かと世間をお騒がせな村上隆さんが中心になってフューチャーした、庵野秀明さん樋口真嗣さん奈良美智さんHIROMIXさん常盤響きさんほか多数の、今イチオシなアーティストたちが紹介されていて、その超弩級硬派なアートでもなく超最先端な音楽でもない、どこかオタクなシーンをクロスオーバーしている自分にも理解可能なアーティストだったりすることに、世間的にもここらあたりが注目されるよーになって来たんだと、半ば嬉しく思いつつ半ば世の中大丈夫なんだろーかと心配する。

 だってほら、いくら何でもアリの世界だからって町野変丸さんが世界の表玄関に立つのって何か違うと思いません? 町野さんに限らず他に紹介されている人たちも含めて、迫害されよーと糾弾されよーと裏口で絶大な人気ってのが「TOKYO POP」の気分なんだけど。影があってこそ光が目立つってゆーか、すべてが光輝いて影のなくなってしまった世の中って、楽しいけれどやっぱり窮屈だもんね。

 ハケ口があって初めて気持ちって癒されるものだから、とっておきの所を見せてやりたいって気持ちも解るし個人的にもそーしたい気持ちがあるけれど、せめて「広告批評」レベルで止まっていて欲しいよーな。まあいくら何でも朝日新聞が「ブースカ」に続いて例えば「BOME」さんのフィギュアとか、町野さんのエロ漫画とか村上さんの「マイロンサムカウボーイ」とかを駅貼りの、大ポスターに起用するなんて事はないだろーから大丈夫だ。だってほら、朝日が紹介した時点でブームが終わるって言い伝え、あるからね。

 真夜中にやっていたNHKが前に放映した「ソールズベリーの中国」ってな感じの番組の再放送を見る。言うまでもなくハリソン・ソールズベリーは米国が誇るジャーナリストで、晩年は主に中国について精力的に取材を重ね、例の天安門事件の時にもすでに確か80歳近い高齢だったにも関わらず、最前線に立って精力的に取材を行い報道してた。解説に登場した確か当時の北京支局長だったNHKの園田さんが、隠そうをしている事を暴くことに喜びを見出す真のジャーナリストってな評価をしていて、権力あるいは資本家が伝えようとしてる事を積極的に伝えることに喜びを見出す人たちとは、絶対に相容れない人物だったんだろーと、その活動をの源泉になった本人の反骨精神もさることながら、その活動を支え支持し80近くまで場所を提供し続けた米国の、或いは世界のメディアの未だ衰えざるジャーナリスト魂に感じ入る。

 番組の内容もまた示唆に富みっ放しで、それは革命後の中華人民共和国が、最初の農民たちに土地を開放する政策で一気に盛り上がったのも束の間、大躍進に人民公社に文化大革命と今にして振り返れば指導者すなわち毛沢東による明かな失政が続いたにも関わらず、人々がその権力の前にひれ伏しあるいは信じ込み、反対者は退けられゴマすりな奴等ばかりが周りを囲んで善政と持ち上げ、故に権力者はさらなる失政を重ねていく構図が、今の世間とどうにも重なって仕方がない。

 如何に人が志を高くもって世間へと出て行っても、権力と金力とゆー甘い汁を吹い心地よい布団にくるまれているうちに、感性を麻痺させて同じ穴蔵のムジナと化す、例えば最近で言えば官僚が、あるいはどことは言わないけれど本来は中立公正で李下に冠を正さずが当たり前な世の木鐸となるべき企業が、一般常識で考えれば明らかに間違っていることを平気で堂々と行ってしまうのだ。当たり前なはずのソールズベリーが仕事をした環境が羨ましく思えてしまう日本の社会あるいは会社に、21世紀なんて来ないし絶対に来させちゃいけない。


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