縮刷版99年12月中旬号


【12月20日】 うひゃひゃひゃひゃひゃ、ってなメールに仰天しつつ本当の自分なんぞでいーの? と悩むなんてことはせずチャンスと思って飛びついたのは言うまでもないけど、しかしなあ、今とトキメク彼がなあ。なんて謎なコメントの謎が解明されるのはおそらく来年に入ってからだろーからそれまで「素晴らしいことが起こる」とだけ予言しておいて、こっちも素晴らしい事が起きそーだってことを教えてくれた日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作の「BH85」(森青花、新潮社、1300円)を一気呵成に読む。何しろ養毛剤が爆発的に効くって話だもん、養毛剤の今でこそお世話になってないけど「効かない」ってことだけは断言できるくらいに大量の養毛剤を5年以上も使い続けた人間として、読まずに捨て置く訳にはいかないよね、そーだよねって誰かに念を押そうと思ったら回りに同類がほとんどいない事に気が付いた。ちょっぴり哀しい。

 とにかく「生える」ことだけを目的にマッドな若手研究者が開発した「バイオヘアー」の威力たるや、数日で数センチは伸び千畳敷の額は京間の1畳以下へとせばまるとゆー優れ物。ただし髪の色が若干緑色なのと、切っても伸びるし切り捨てられた毛が後々に大変な事態を引き起こしたって点がネックとなって、決して市販もされなかれば量産もされなず、甚だ残念と思った次第。まあ放っておいてもやがて世界中の生物とゆー生物が毛で覆われやがて地球までもが毛だらけになってしまったんだから、遅かれ早かれ自分もかつての「美少年(自称)」だった時代を取り戻せたはずだろー。但し取り戻した途端に同じ「チューバッカ」の道を歩みやがては巨大なマリモへと進化を遂げてしまったんだろーけど。

 言ってしまえば生命のある毛が人間を乗っ取り生命を乗っ取りくっつけ合わせてしまうとゆー「生物都市」めいたストーリーなんだけど、あるのは悲壮感でも恐怖感でもなく快活で明るく有意義な未来像。何故なら某巨大お姉ちゃん成層圏でクビちょんぱアニメで描かれた、自我をぶち破った人間が融けて黄色い液体になって完全なる群体として世界を包み込むシチュエーションを、別の形で再現して見せてくれていると言えなくもない。

 1人ぼっちでぴりぴりとして、その実傷つくことが怖くって閉じこもっている勇気のない人間が、手っ取り早く「トモダチ」になれる方法として大いに惹かれる。「BH85」というタイトルに隠されているもう1つの意味を知ると、なるほど肉体があり人間でいることの素晴らしさは感じるが(その際には条件としてW58という数字が加わる)、どうせはなっから得ることのできないもの。それよりは群体としていっしょになれる方が楽ちんだ。最近とみにお誘いの少なくなった(髭面サングラスって風体の悪さがネックになってるんだろーか)おっさん稼業の身の上として、惹かれる部分が多々あるのです。

 にしてもブンガク的な「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」(宇月原晴明、新潮社、1600円)とは対極のエンターテインメント性たっぷりな(何しろイラストが吾妻ひでおさんだもん)小説で、とても同じコンテストに応募されて授賞した作品とは思えない。こーゆーフトコロの広さが、間口の広さとなって大勢の読者の関心を引きつけ、かつ複雑怪奇な現代を描く上で有効に働いているのだとしたら、決して悪いことではない。選考委員の左右上下へと揺れまくるモノサシには同情もするけれど、感性を鈍らせずブンガクエンタメの違いなど気にせずどんどんと面白いファンタジーを、SFを発掘・育成していって欲しい。もちろん既に授賞した人たちもサボらずガンガンと新作を書いていって下さいね。ねっ。

 しかしなおさらに1人とは。うーんと頭を抱えるのは経営者だけではなく現場でも同様で、それが結構忠義に厚そうに見えた人たちばかりだから、病根は深いだけじゃなくすでに手遅れなのかもと身震いしつつ黙考する。があんまり考えてばかりもいられないので、某某な某の仕事が回って来たこともあって、一気に6人ばかりの中堅がドバッと抜ける煽りで飛ばされる日のことを考慮に入れて、SOHOな仕事に就かざるを得なくなった日の来ることをリアルな未来として考慮しつつ、必要となるだろープリンターを秋葉原で仕入れて帰る。もちろん名刺を刷るためです。

 前にインチキなアップルの古いプリンターで刷った時には360×360の荒い文字でお叱りも受けたけど、今度のHPのプリンターは何と2400×1200の超微細画質なんで、小さな文字も輪郭がギザつかず霞まずちゃんとプリントされる。USBで接続してドライバもインストールしてどうにかセットアップも完了してテスト刷りしてちゃんとプリントできたのには、かつてマッキントッシュでさえも難渋した記憶のある周辺機器の導入が、こうも手軽に出来てしまうよーになったのかってな思いも浮かんで感無量。キカイの進歩には驚くばかり、人間だけが進歩しないで退化していくんだなー。

 ってなことを突如テレビに登場していた宮崎駿さんのコメントに思う。この返せないまでに積み上がった国家の借金は、ハイパーなインフレの到来すなわち戦争状態への突入を意識するとせざるとに関わらず想定しての仕業であって、つまりは人間の気持ちのなかにそーいったシニカルな滅亡への気持ちが顕在化しつつあるんじゃねーのかってな、覚えてないけどそんなよーなことを話していたよーで、相変わらずの辛辣さ身も蓋もなさに未だ駿ちゃん健在なりとの思いを強くする。

 先だっての東宝の番組スケジュールに宮崎さんが撮る新作の2001年の公開も組み込まれていたよーで、さてこーゆー誰もが未来に希望を持てずシニカルに考えちっとも前へと進まない時代に、宮崎アニメがどんな希望を与えてくれるのかが今から楽しみで仕方がない。ディズニーが今度も資本参加してくれるのかは不明だけど(「山田くん」の惨敗、「もののけ」の海外での惨状を見れば考えざるを得ないよな)、儲けた金を注ぎ込んで今度こそラストってな意気込みで付くって戴きたいものですね。儲けが新橋のあぶくと消えてなければの話だけど。


【12月19日】 疎外されている、置いてけぼりにされているよーな気分ってのは、単なる被害妄想と日頃の付き合いの悪さと引っ込み思案の性格が複合的に入り交じって発生するもので、言うなれば完全なまでの自業自得なんだろーけど、それは脇に置いといて、日本ファンタジーノベル大賞を授賞した「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」(宇月原晴明、新潮社、1600円)をやっとこさ読了、信長は両性具有者だったとゆー設定を、204年に生まれシリアで少年皇帝となったのものの18歳で殺害されたヘリオガバルスも両性具有者だったとゆー逸話と重ね合わせて、第2次世界大戦前のパリを舞台にアンナトン・アルトーが紡ぐ物語ってな感じになっている。

さらにもう1人の偉大で残虐な王を引き合いに出して洋の東西時間の過去未来を超えた結びつきを描いているってな辺りはなるほど関心。天魔王として既存の宗教をぶち壊し最後は裏切り者の手によって死を迎えた信長を、ヘリオガバルスから先立つこと200余年の例の大工の息子とも重ねて語ってみせる展開は、さながら歴史パズルのピースをちゃこちゃことはめて行くよーで面白い。ただし言われてなるほどそうかもね、ってな程度の驚きしか覚えないのは、20年前ならいざしらず現代の世には両性具有の物語なんて山と溢れていることも去ることながら、偉人の転生の繰り返しみたいな設定もまた結構あって圧倒的な意外性を覚えるほどではなかったから。

 光秀も秀吉も虜にされてしまう程の圧倒的な美しさを魅せる信長も、世に具体的に刺激的な物語が溢れてしまっているため、ビジョンとしての美しさは認識出来ても、脊椎を貫くほどの刺激はそれほど得られなかった。まあそれも馴れてるかどーかによって人それぞれなんで、読む人によっては美しくも妖しい信長の虜にさせられるかもしない。そーでない人も、物語としての官能よりも構想をつなぐ技への感嘆は存分に得られるから問題はない。鈴木光司さんが指摘するほど「妄想に満ちている」とは思えず、理知的な計算の上で文献を探り、点を線でつないで紡ぎ上げた、金糸銀糸に宝玉がふんだんに散りばめられた極上のタペストリーのような小説。出来売ればタイトルの元ともなったアルトーの「ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト」も読んで本歌取りの部分なんかも知りたいところです。

 シンクロニシティーって訳でもないけど、「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」に、暗いドイツ人おっさんの秘書として登場したアルベルト・シュペーアって若者が、たまたま偶然今朝方早いってーか昨日の深夜のNHK狂育、じゃなかったNHK教育テレビの再放送に「ヒトラーの側近」として取りあげられたばかりだったのは、信長とヘリオガバルスの結びつきじゃないけど、世の中には不思議な事がいろいろあるもんだと改めて感じる。単なる偶然とも言う。ヒトラーおかかえの建築士としてニュルンベルグの党大会会場を設計するなど荘厳にして冷徹にして居丈高なナチス様式とも言える建築物を数多く手がけ、戦争末期には軍需大臣も務めたシュペーアを、何故にヒトラーが重用したのかは同じアーティストとして気持ちが通じる部分があったのかもしれないけれど、あるいは小説になぞらえてもっと別の尾篭な結びつきでもあったのかもと、読み終えた今だからだろーけど考えてしまった。とはいえちょび髭の刈り上げ野郎とじゃー燃えんわな、宇月原さんの本の表紙の髭面な信長像に燃えられないのと同様に。

 西炯子さんの「三番町萩原屋の美人」の最新刊はどこが萩原屋の女やねん御隠居も出てへんがなってな看板への反論はさておいて、晴れて英国へと留学した金森島田のコンビが何故か花のパリにて繰り広げる大騒動が全巻を通じて描かれて、弥次喜多の時代より面々と流れる珍道中物に新しい1ページを加えている、ってのは大袈裟かな。パリへと逃げて官費は使い込み貴族が主催する仮装パーティーには大岡越前の格好で乗り込む傍若無人な振る舞いの格好良さ、それがときどきフッと真面目に変わり、巷を騒がす義賊「白いカーネーション」の正体に気付きながらも見逃しついでに説教とさらには「はあと」までをも奪っていくニクらしさ等など、島田の凄さで全巻あふれた痛快にして浪漫ティックな1冊。過去の話を覚えつつ読めば解る事も多いけれど、知らなくったって得体の知れない大物と真面目なメカ好き青年との凸凹コンビの活躍譚と見れば素人さんでもオッケーだから、ベアトリス嬢の14歳にしては立派な胸と共々是非ぜひ堪能してやって下さいな。


【12月18日】 目覚めたら10時だったんでムリムリと起きて本八幡へ。「中国ファンドは山一証券」なんて書かれている持っていれば国宝天然記念物になるかもしれない緞帳の降りた場末感漂う本八幡スカラ座だかゆー映画館で、会社勤めに押しつぶされそうになり物質ばかりを追いかけるカタログ生活にやるせなさを感じて精神的な場末感にはまっていた人間が爆発する映画「ファイトクラブ」を見る。結構な大きさのある「マトリクス」の時にはちゃんと7割は入っていた劇場が、天下のブラピ様の映画なのにわずか5人くらいのほとんど貸し切り状態になっているのは映画はド派手な特撮もなければヒーローもアクションもない、小説はともかく映画だと一応の娯楽度の目安になる「SF」じゃない、フツーの映画だと思われていたからなのか、やっぱり石鹸配んなきゃいえけなかったよね観客全員にあのピンクの脂肪石鹸お肌がツルツルになとかゆー。

 映画は殴り合って夕日を見上げてゲラゲラと笑って友情に目覚める男たちのサワヤカな映画、だったらどれほど良かったかと思えるくらいに人間の閉じこめられていた衝動が暴き引きずり出されてまとめあげられ、怨念のよーな目的に向かって動いていく様が描かれ見ているとハマってしまえば楽だとゆー誘いと、あーはならない自分は主体を持って生きるんだってな気持ちがせめぎあってなかなかに苦しい。地位を超えて裸の人間どうして殴り合うことでスッキリしたつもりになってた男たちが、蹂躙されている社会への復讐を果たすためにプラピとかに服従していく様に、人間って結局流されやすい生き物なんだねってな皮肉がこめられているのかなー。

 結末は……まあそれは見てのお楽しみとして、自分の始めた事が自分の意思を超えて突っ走り始め、やがて自分の知らない場所で大事が起きているってな展開は筒井康隆さんのまるで「新宿コンフィデンシャル」だなーとか思ったり、ってことは「ファイトクラブ」もSF映画と言っていーじゃんバトルもアクションもCGIも使われてるし。あと面白かったのは、冒頭の、悩みを抱えた人たちがお互いに悩みを打ち明け会って泣く人たちのグループをハシゴして歩くエピソード。間もなく公開なジョニー・デップ主演の「ノイズ」にも妊婦たちのサークルがあってお互いに話をしてた場面があったけど、外国ってどーしてあーもたくさんの「オナヤミ相談クラブ」があるんだろーと考える。もとより悩みを内向きに純化して昇華しよーとする武士道で葉隠な(ちょっと違うか)日本人は、泣いてスッキリするなんてメンタリティなんぞなかったのかな。

 よーわからんけど、泣いてスッキリしてよく眠れるよーになる主人公とかの姿を見ていると、そのエッセンスが抽出されてるよーに見える、お互いにワルクチを言い合って心の壁をぶち壊す自己啓発セミナーが、なんだかんだと言われてもそれなりに蔓延る理由も見えて来る。しかし睾丸の癌でタマタマ取っちゃった男たちだけが集まる会合なんてものまであるとは。新宿とかタイとか行くと悩みじゃなくって自慢話を言い合う会合が成立しりそー。日本だとあと”事故”で左手とかの小指(人によっては両手)失ってしまった男たちが悩みを打ち明け会いに集まる会合なんかもありそーな。関西弁やら広島弁やらが飛び交う会合はなかなかに……怖いかも。

 抜け出て本八幡から最近開店なったニッケルコルトンプラザの「バージンシネマズ市川」へ。途中のまだきっとミゾグチられてない(蹂躙されていない、の意)古本屋をのぞいたら、河野典生さんのハードカバーとかが1500円程度で並んでいたけど金の持ち合わせがなくって買えず。レムの「エデン」とかも。シマックの「マストドニア」が800円もするのには驚き、今読んでもそれなりに本当に楽しめる本なのに、こーゆーのが絶版品切れとなってしまっているのはやっぱりSF状況としては(それとも出版状況として?)あんまり良くないのかも、文庫本をネットで提供するサービスと角川新潮徳間文春中公光文集英とあと1社どこだったけ? 確か8社が来春にも始めるよーだけど、個人としては翻訳物のSFの文庫をデンデンと入れて頂けたら嬉しいなー。やれよ早川創元。

 同じことを「ヴァージンシネマズ」で公開なったディズニーアニメの最新作「TARZAN」と連動して文庫本の「ターザン」シリーズのフェアでもやってる所があるかと思ったけど、あんまり見かけないんだよなー。それともどっかでやってたっけ? さて見た「TARZAN」はディズニーアニメならやっぱりこっちだよねな日本語版。だって字幕より断然楽しめるんだもん無理矢理歌詞を載せた歌とか、知名度でしながらも実にピッタリと雰囲気に合っしまう、どこぞの王子様を起用して外した薔薇アニメとは違った妙が光る声優選びなんかが。「TARZAN」もその妙手が発揮されていて、ジャングルでゴリラに育てられただけあって人間の言葉なんて全然喋れなかったターザンが、カタコトから次第に適当な段階まで流暢に、けれども決して完璧ではない人間の言葉を喋るよーになる様を実に見事に演じている。さすがだ金城武。

 銀河万丈の悪役も最高、ジェーンの声やってた人も超上手かったんだけど脳髄の声優リストではあんまり見なかったなー、ってもすでに誰だったのかってな記憶が鳥頭なんでないんだけど。どーゆー人なんだろ。絵的には3次元のマップを縦横に駆使して2Dの(2Dなのかな)キャラをはめて動かす手法がとてつもなくものすごく、これまでの横スクロールだったアクションに奥から手前への移動が加わって、木々生い茂るジャングルを縦横無尽に飛び回る様をスピード感たっぷりに表現している。日本のアニメは世界いちぃぃぃぃぃ、とか言ってたバブルな時代もあったけど、表現とテクニックはやっぱり世界の銀河の宇宙のディズニー流石です。

 ポカポカやらムラムラやらと続いた問題アリアリなディズニー不細工ヒロインも、今回はこっちの感性がオヤジったのかディズニーの感性がジャパニメったのか見ていて可愛いと思えるキャラになっていて、これならキャラクタードール買っても良いかもと思ったけど、美人の誉れ高いナタリー・ポートマンをあんなにしてしまうアメリカ・ドール市場だからなー。マテルすなわちバンダイさん、劇場版ジェーンをちゃんと写した人形を出して下さいませませ、ゴリラの母ちゃんはいりませんがー。

 「サイゾー」2000年1月号、なんだかんだと言われよーと雑誌の世紀とも言われた1900年代を山ほどの創刊廃刊をくぐり抜けて生き残った、偉大なる雑誌の1つとなったことに賛辞は惜しみません。けどなあ大塚ギチさんのゲームコラムは見えないし成宮岡田の連載も前の号から消えてるし、山形浩生さんも言ってるけれど株やってまっせ系の記事が増えてるしアニメ雑誌を紹介する記事には「電撃アニメーションマガジン」を落としてやがるし中央部分にデカデカと高塚光の広告は入ってるし、これで包茎と豊胸の広告でも入り始めた日にゃー実話系雑誌として晴れて世間の認知度も上がるかもしれない。ちなみに高塚光の広告はここんとこ連日「サンケイスポーツ」にも入ってて、一体何があったのか謎めいてるんですけど高塚さん高橋さんを実は超えかけてるんじゃないですか。


【12月17日】 で見たけど「ジオブリーダーズ File−X ちびねこ奪還」のDVDはオープニングとかが別枠になっててLDで見た時と気構えがちょっと変わる。例の「ネコげんき」の大嘘CMも特典映像の方になってるからお笑いの後のシリアスなドラマってなLDで慣らされてた気分のタイミングがやっぱりズレる、が3話分を途中で音楽とかに気分を逸らされることなく一気に楽しめるって良い点もあるから相殺ってことで。資料写真は街とか海とかってのはなくもっぱら戦車と戦闘機と銃器で、本編を見てなるほど成果は存分に出てると実感する。DVDの特徴なのか黒がツブれ気味になるのはちょっとなあ、閉じこめられたまやをクビに手を掛け吊す場面とかバックとの境が見えにくいもんなあ。今でも画質は十分だけど、第2シリーズは30分で1枚づつになるからレートを上げて画面とかもっと綺麗になるのななあ、どっちにしても待ち遠しい、ちゃんと出るかな。

 虎ノ門の「フォト・ギャラリー・インターナショナル」で三好耕三さんの写真展。浅草の仲見世とか原宿の竹下通りとか吉祥寺のサンロードとかいった雑踏を道路の真ん中に立ってクッキリと写したシリーズに、どこの街にもある車も走れないよーな狭い通りに大勢の人が溜まって来る日本の風景の典型が読みとれる。100メートル道路だなんて威張ってる名古屋でも、大須に行くとそっくりの風景が見られるもんなー、しばらく行ってないけど。館内の掲示板で銀座のギャラリーで開催中の今道子さんの展覧会情報を発見、魚で作った帽子とかってなグロテスクなのに美しい作品を撮った写真で知られる人、だったけど今もあんまり変わってなさそー。明日にでも見に行くか。

 ほかICCが23日に国立代々木競技場で開催する「サヴァイバル・リサーチ・ラボラトリーズ」ってところの「世紀末マシーン・サーカス」の案内をはっっけん、ジャンクから作った巨大なマシーンやロボットを戦わせたりするパフォーマンスって聞くだに面白そうだけど、パンフレットを見ると代々木のナマもiccでの中継も先着順ながら無料ってあるからこれはいかずにおかれまい。開場午後6時は代々木競技場もしくは初台のICCにGO!だ。

 沈静化したはずなのにたまにのぞくと微妙に言葉が変わってたりしてやっぱり現在進行形なのかもしれない堀井雄二さん逆噴射後の後始末。最初の頃にあったご免なさいの分だと記憶では延期はなさそうってなニュアンスだったけど、最新のバージョンでは「完成までは今しばらくかかりそうですがそう遠い未来ではないはずです」と読みようによっては結構含みのありそーな一文へと変わってる。「今しばらく」から「遠い未来」の間ってさてはて何時なんでしょー。

 あとこの堀井さんメルトダウン事件に関連して読売新聞の17日付夕刊でゲームアナリストの平林久和さんがジョン・レノンとかの例をあげてアーティストが主張するよーになったとかってな文章を書いていて、事件を取りあげたのは偉いとは思うけど「アナリスト」とゲームの世界に経済なりを持ち込んだ人が、夢を与えるアーティストの我侭ばかりを取りあげ経営者(取締役だからね)の責任について一切を触れないってのはちょっと悩む。雑誌への情報提供の仕組みなり仁義なりについてもまんざら知らない人じゃないんだから、今回の1件で単純にエニックスの先走りだったのか、それとも激しい競争下にあるゲーム雑誌どうしのフクザツな事情のもとに「少年ジャンプ」ばかりが突っ走る(突っ走らざるを得ない)状況が現出したのかってな辺りも解説して頂けたら有り難かったんですが。

 2日続きの「ロフトプラスワン」では宮台真司さんに宮崎学さん保坂展人さんと今井さんだったかな交通警察と戦ってるジャーナリストの4人が登壇しての99年の回顧を披露。主に宮崎さんが明日にもパーティーを開いて立ち上げる「電脳突破党」なる正当に絡んでインターネットと政治の関係について言及、宮台さんがネットワークの持つ将来における可能性を指摘しつつも現状の10%に届くかってな普及率の元でどうやってユーザーと政治を結びつけていくか、ってな話をしていた辺りからネットの政治への利用方法なんかへと頭をめぐらせる。どの議員が何をしたか(或いは何もしなかったか)を克明にリポートしてくれるサイトなんかあれば便利なんだけど現況それがないってあたりに逆にやって受けそーな要素が見える。でも有料で運営できるよーなだけの、それが情報提供をなし得るんだろーかってな疑問もあって、ならばやっぱり金もらって紙売ってる新聞なりのメディアがやってしかるべき、なんだろーけど生憎とそーゆー反体制はしないのが新聞なんで無理だろーなー。

 回顧では総じてシステムが緩んでいるあたりをJOCにしろ銀行の合従連衡にしろ音羽幼稚園にしろあるってな辺りを指摘してたけど、眠いのと頭悪いのが2乗に重なった関係で4人がどんな話をしたのか既にして記憶から抜けてます。集まっている何故か不思議と20代前半っぽい観客の若者たちが、誰のファンで話を聞いただけで十分満足しましたってなだけじゃなく、真面目に前向きに政治なり社会について考え初めているんだとしたら日本もまだまだ捨てたもんじゃないかなー、なんて思ったけど「盗聴法で国論を2分するところまではいけました、負けたけど」って脳天気に保坂議員が語っていたあたりに、疑問がパーッと浮かんで抜け落ちない。

 まず思ったのが本当に国論は2分されて盛り上がったのか、ってこと。いんや違うネットの周辺とか都心部の若い兄ちゃんたち姉ちゃんたちが束の間の興味を持っただけ、会った数人が知ってればそれはもう世紀の大流行と感じてしまいがちな、狭く近いつながりしか持たない人たちの、狭く近い範囲で言及を受けた物はすなわち全国区での大流行だと感じてしまう気分がそう見せただけなんじゃないかと、考えているんだけど当事者たちは盛り上がってるからそうは決して思わないんだろーなー。世間、言います「盗聴法」への関心そんなにないです。政治の微力さも当然ながらあるけれど、世論に働きかけられなかった政局とか利権物とかはしゃかりきなのに体制から反感を買いそーな話はお茶を濁してさっさと終結させてしまう嫌いがあるマスコミの、やっぱ大きなんだろーなー。

 面白いと思ったのは、保坂議員が国会議員として持つ「国政調査権」の大きさについて。フツーの市民が言っても滅多に出ず出ても黒塗りだったりするよーな文書が国会議員だと言ってファクスを送ると、逆に本質を見え難くするよーな大量の文書が宅急便で届けられるんだとか。「1人で500人分」と保坂議員が言うのもなるほどその通りで、けれども議員は1人しかおらず請求したすべての大量な文書を精読してあら探しするのはやっぱり困難だったりするから、そこいらへんのギャップを埋めて保坂議員を介在した国政調査団なんて作ってしまえば、より合理的に迅速に国政へと迫れるよーな気がしてきた。けど保坂さんをダシにするみたいな雰囲気もあるし下手に追いつめると今度は「1人の議員が請求できる1人の件数」すらない制約、例えば回数制限とか、何日以内に調べられないよーな請求は却下するとかいった無茶が出て来そうな雰囲気もあるからちょっと怖い。保坂さんあたりをポータルにして国政調査権をタテに情報あつめまくってネットを使って分配し一般の知恵なり労力を頼って精査する、ってな仕組みが可能だったら相当にいろいろ出来そーな気もするなー。ベンチャーさん、次は政治ポータルでっせ。


【12月16日】 「ほかほかごはん」を食べられるシアワセを思い出させてくれた内容にカンドーしてしまったので秋葉原のゲーマーズ本店まで出向いてシアワセ一杯な表情の「デ・ジ・キャラット 招き猫」2000円なりを購入、ワゴンの中とかレジカウンターの陰とかに結構な数が残ってたっぽいから未購入者もまだ間に合うぞ、って限定の2000個が瞬く間に売り切れない状況は、周辺で大流行しているよーに見えてその実極めて内輪な限定された”大流行”に過ぎない最近の傾向を体現していると言って言えないこともない。5000円とかの袋入り尻尾付き「コゲどんぼ画集」はどの位売れるんだろー。「招き猫」は意外な大きさがあって頭の後ろにスリットがあってつまりは単なる貯金箱なんだけど、デカ頭の福々しさと対称的な看板に書かれた「世界征服」の文字のギャップが、それでも狡猾な「でじこ」のキャラを現してると、言って言い切るあたりがメタレベルから真正へと「萌え」が移行している現れか。にょ。

 DVDで発売なった「ジオブリーダーズ File−X ちびねこ奪還」をついでに購入、LD3枚とも持ってるんだけどマシンがぶっ壊れてて毎朝新聞見られないんで買っちゃいました大日本絵画の仕事もちゃんと通ってたみたいだし(買ってね「モデルグラフィックス」、しかしやっぱり何故わしに?)、顔モザイクな”まや”ちゃん大集合の大傑作大嘘CM「ネコげんき」も繰り返し見たかったし。まだ再生してないけど取材写真ってことはつまり綾金あたりを撮りまくった写真ってことかだったらだいだいの場所は思い付くだろーとは思うけど、昭和も確か70年あたりの綾金ってのは行ったことも居たこともないから見ても或いは解らないも。昔は「ビレッジ・ヴァンガード」って植田と緑区と駅前の「アピタ」ん中くらいしかなかったんだぜ、今じゃあ全国区の雑貨&本のお店に大出世しちゃったけど。

 「昭和70年」と言えばロフト・プラスワンで開かれた米光一成さんと平和島ミチロウさんが古い懐かしいファミコンのソフトを持ち寄って集まった観客をよそにひたすら遊び倒すとゆー羨ましくも我侭なイベントで、ゲストとして登壇した今もまだある徳間の「GAZO」とか最近だと「SPA!」のゲーム記事で活躍している柿崎俊道さんが持って来た、箱入りビニール袋マニュアルほか完品の「ファミリーベーシック」で遊んでいた時に、占いのコーナーで今の年を1999年と入れたら、聞き返して来た時に確か「S74」とかってな文字が出て、その時はまさか昭和天皇が亡くなるなんてと、もちろん思ってはいただろうけどそーしたことは考慮せず、それとも来るべき2000年問題をかわすために、元号を便利に使うことにしたとかってな製作者の判断があったのかもと、考えさせられたけれどさて真実やいかに。

 にしても繰り出されるファミコン用ソフトの実に1本も知らないことよ。集まっている人たちが口々に「懐かしー」「面白かったよなー」とかってな感嘆を上げる声を聞きつつ、ゲームだ何だと書いていながら本当は「ファミコン」「スーパーファミコン」の1度も触ったことのない身であることがバレやしないかと、会場の1番前の目立たない場所(嘘)で相変わらずのコロナビールを飲んで小さくなっていましたです。背後から聞こえて来る女性っぽい観客が、流れるソフトのほとんどを「綺麗」「懐かしい」「可愛い」と反応していたのにも驚くばかり、おじょーさん貴女は米光さんのナニですか(誤解を招きそーな言い回しだなー)。迷作と名高い「たけしの挑戦状」で銀行のカウンターに並ぶ生首とかを見れたし、シャーロック・ホームズがヒントをもらうために理不尽も道で出逢う人のすべてを蹴り倒していく様も見れたのが勉強になりました、明日から出逢った人は質問する前に蹴りますから答えとかちゃんと教えて下さいお願いね。

 本とか買う。「日本ファンタジーノベル大賞」の「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」(宇月原晴明、新潮社、1600円)は美貌のふたなりって信長のことを書いている割には表紙の信長が不細工なおっさんで似合わない、こーゆーのは耽美な小説のイラストを描いてる人たちが上手いんだろーけど、それだと権威が下がるとでも思ったんだろーか謎。両性具有で歴史物ってのは例の茶髪ピアスな平野啓一郎さんの「日蝕」でも触れられた記憶があるけれど、あっちが純な文学として芥川賞を授賞する一方で、エンターテインメントっぽさが出自のこっちがだって読むとなかなかに硬派な小説であるにも関わらず、平野さんほど知られもしなければ読まれもしないんだと思うと、文学の価値基準ってのは誰がどこでどーやって決めてるのってな疑問も浮かぶ。もちろんフーマンチューが決めてるんです。残り1冊は新井素子さんの「絶句」か草上仁さんの文庫本じゃないかと思ったくらいな吾妻ひでおってる表紙の「BH85」(森青花、1300円)。ををイラストまで付いてるぞなんて贅沢な1冊だ。週末にかけて読みます楽しみだー楽しみだ。


【12月15日】 午前3時くらいまでペキペキをパソコンを叩いても妙案が浮かばずフリーセルに逃避して時間を潰すもやっぱり思い浮かばず眠って午前6時に起きてブチャブチャとキーボードを叩いてとりあえずでっち上げた原稿をメールで送ったもののレスポンスがないってことはそーか没だな25日発売らしー雑誌に今から置くって間に合うのかなって気分もあるけどもしからしたら載っているでしょーちなみに「SFマガジン」ではありません「SFマガジン」とは縁もないし当然ながら「ミステリマガジン」でもありませんモケーな奴です大日本絵画です。やっぱり没だな慣れないガンダム仕事だったし。

 レスポンスに乏しいと言えば某「SPA!」な「髭でじこ」のレスポンスも1つ位しかないのはやっぱり写真を見た人が戦慄の内に悶絶したからでありましょー。見たら確実に狂気へと至る「人間リング」な写真だもんな。だったら自分で自慢すべーと雑誌を持って骨肉の争いと傍目には見られがちな某玩具メーカーの骨肉で争ってるらしー人に取材、その昔あったハーティーシリーズを手がけてミュージ缶とかも作ってたらしく、今の音やら光やらのセンサーに反応する人形の隆盛(キティもトトロもピカチュウだって動くんだぜ)を見つつ、あのまま続けていればなあってな後の祭りを見物する。がそこは復活の狼煙を上げつつある会社らしく、昔とった杵柄でもって餅つきを始めて家庭へとバラまく戦略を構築中。期待は3月の玩具ショーでさてはて何を見せてくれるかな、喋る「変身サイボーグ」とかだったら却下だ、でも愛してると言ってくれる「ジェニー」だったら嬉しいかも。向井真理子さんの声だったらちょっと却下だ。

 こっちは別の玩具の会社で懇親会、ジャンボマシンダーとか超合金とか仕掛けた御大の登場にこれが「スーパーロボット大戦でご祝儀と言って無茶な設定を無理矢理実現してしまった人かー」と、「SPA!」の裏ベストテンつながり(でも会ったことない)な伊集院光さんが「ゲームWAVE」で喋ってた人の実物に見えて、まるほどバイタリティーと進取の気風に溢れた人ってな印象を抱く。だってネクタイがバックスバニーだったもん、バンダイとは全然関係なさそーなキャラクターの絵柄のついた。期待の商品は「デジモン」絡みで米国への進出も虎視たんたんで「セーラームーン」の夢をも1度なスタンスでもって米国展開を進めていくことになりそー。でもって「サウスパーク」が「チンデカモン」とかってなキャラクターを出したパロディを早速作って放映するんだ。嗚呼恐るべき哉米国アニメ、のおっさん向け。

 正式に2人の退社が決定、30代後半の中堅社員がまとめて辞めて、これで1月からの退職者は経済部長に30代の記者が1人、2人、3人続いて40代のデスクが9月に相次いで退社して今回の2人、でもってさらに2人だか3人だかの脱出が見込まれるとかられないとか。去年の夏からだといっしょにやってた兵隊が1人に受け持ってもらってたデスクが1人に中堅だった40代の記者が1人、でもって所属は違うけれども管理部門から何人かがバタバタと抜けていったとゆー、これまたおよそ築地では考えられない事態が発生しているにも関わらず、世間の関心ってものの浅さを見るとどっかの某工業新聞ってのはよくよくメディアの中でも知名度が低いってことが解る。社員の1割が2年の間に辞めてるよーなマスコミって他にあったら教えてくれー、だったら話題にならなくったって我慢するから。にしてもすっげー会社。来年は歩ぞろいの大家将棋だ空自信の果ての大敗北だ。

 「ほかほかごはん」を夢みつつの「でじこ」の横顔の不安定さはさておいて、いつものシュールさとはちょっと違った儚げながらもジンと来るエピソードが散りばめられていて「デ・ジ・キャラット」を見ながらちょっぴり涙ぐむ。「ゲーマーズ」の掃除にゲマもぷちこも連れず1人で寒い中を出かけて行ったその健気さは、狡猾との噂を補って余りあるセールスポイントになり得るだろー。地球でケナゲに生きて行ってるだけのしたたかさは持ってるらしく、バイトは休まずぷちこにはもう少し寝ていろとゆー優しさも魅せた第9話は、「ほかほかごはん」への思い入れなんかも滲んでいて、ごはんを食べられる幸せな生活の有り難さを改めて感じる。ぷちこが部屋の隅にしゃがんだポーズで寝ているのは、前に腕ラリアットを横に寝ていて喰らった反動で、被害を最小限にくい止めるための処世術の1つなのか。それにしてもあの手もあの足も衣装だったのには仰天、てっきり宇宙人なんであれが皮膚だと思ってなんかはいないけど、ブーツであり手袋だったってのにはちょっと驚いた、せめて尻尾くらいは自前のを使って欲しかったのに。


【12月14日】 うーみゅ。でじことぷちこが円盤に乗って秋葉原に降りて来た得体のしれない生き物だったってことは、放送の第1回目を見て分かっていたし、ライバルとなるうさだひかることラ・ビアン・ローズは、単純に人間が扮装しただけってことも知っていたけど、いざ平服でぶりぶりな衣装もさいころも付けずに登場されると、案外フツーの女の子だったってこが分かってちょっと好きになりそー、だったけど語った身の上両親の性格なんかを聞いていたら、やっぱり奇妙な人だった。どーしてサイコロなんっしょ。

 あと、10円安みたいな声の少年が陥っている苦境に接して、かつてこれほどまでに切羽つまったキャラクターがあっただろーかと同情する。神経が細くて緊張するとお腹に来る性質があって、電車に乗っているだけでもピリピリとしてしまう性癖故に塗炭の苦しみを数知れず味わって来た身には、少年の直面している状況の悲惨さはよく分かる。それとも制作スタッフに胃腸のキビしい人がいるのかな、2夜連続してハライタ話が登場したし。ちなみに秋葉原だと真っ先に飛び込むのはヤマギワの地下にある家電製品の売場の奥のトイレで、そこがいっぱいだったらラオックスのザ・コン辺りで耐えてます。万世橋の傍らに出来たラオックスの塔だとトイレ、空いてるかなー。

 最新号の「SPA!」に掲載されている「最新社内イジメ事情」って記事で、怖そーな先輩たちからこづき回され、ジャンプ傘を持ってトボトボを道を歩き、果てはマンションだかの通路から下を見下ろし今にも飛び降りよーとしている人の、実にテーマと似合ってるぶりに驚嘆する。うーんすばらしいキャラクターだまるでホンモノだ。ってことはさておき、某シンクタンクからだと1番くらいに近い場所かもしれない、軍艦みたいに細長いビルの中にある本屋を探しても見あたらないなー「新教養主義宣言」(山形浩生、晶文社、1800円)。仕入れてないのかなー。

 単に探し方が悪いのかもしれないけれど、霞ヶ関あたりが官の巣窟だとすれば一応は日本の民の中心とも言える土地柄たる丸の内大手町界隈で、是非に読まれなければならない本が見あたらないってのは決して美しいことではない。それとも既にして民の中心は新宿副都心なり赤坂青山渋谷ビットバレーへと動いていて、嗚呼伝統の丸の内大手町界隈に残っているのは、年功序列終身雇用に安穏としている、教養なんぞをは必要としない”にっぽんのさらりまん”ばかりって事なのか、まあ自分みたいなのが10年近くも大手町に通っていられるってことが、大手町に限って言えば、既に知のエスタブリッシュメントな土地柄じゃないって事を証明しているんだけどね。

 とか何とか言って、本日より絶賛発売となった「SPA!」で毎年年末に恒例となっている「ジャンル別裏ベスト10」のコーナーで、半ページに1人の選者が掲載された巻頭ページをめくった所にある、見開きに2ページで3人しか掲載されなくって、その後ろは1ページに2人づつの掲載だから、世間の感心って意味では結構重きを置かれているよーにも取れる場所に、向かって左側に登場している歌人の枡野浩一さんと1人を挟んで対局に位置する場所に写っている、ヘンテコ猫耳帽子野郎のニヤけた髭面を見れば、この程度の人格見識でも大手町に10年だって巣くっていられるってことを、如実に感じて頂けるんだけど。注文を受けて慌ててネットやら直感やら気分やらを駆使し、呻吟した挙げ句に選び出したキャラクターなんだど、皆様お気に召して頂けましたでしょーか。ちなみに衣装は自前です。

 こんな文字通りの猫かぶり野郎を飼っていたからこそ会社が傾いて、とてつもなく偉い人が偉くなくなっちゃいそうってな、築地とか竹橋とかすぐ隣にある大きな会社で仮に起こったら、関係者一同が吃驚仰天して週刊誌だて放ってはおけないよーな事態が起こったのかな。ちょっとした騒動になかなかサスペンスフルな事が起こりそうな予感もあるけど、よくよく考え詰めれば、それで何かが変わるかってゆーと実はそれほど変化ないってことが解って来る。置かれた状況を踏まえれば、貧乏な会社は貧乏なりにプライドも正義もかなぐりすてて、お金儲けに走り続けるだろーことは明白。ってゆーか飛車角金銀を落とした挙げ句に、拾った歩で埋めた将棋盤から玉が遁走し、代わりにチェスのキングが置かれた盤面を持たされた状態になっただけで、考え様によってはなお一層の悪化ってことになるんだろー。大変なのはこれからで、だからこそ兵隊は気が滅入り、溜まった憂さをみょーなところでバクハツさせてみるんだな。ネコ耳野郎への巫山戯た仕事のご用命は当方まで、おでんわおまちしーてーいまーすーララララ。


【12月13日】 電通様さま様な調査だけあって世間は多分「ご託宣」とかって重宝するんだろーけれど、1999年の流行商品を踏まえて2000年のトレンドを予測する「生活インサイト2000」ってな発表を聞いて感じたのは、何だって流行ったものをズラリと羅列した後に、気分を象徴するよーな8つばかりのキーワードでそれぞれを括っただけで、ほら立派な報告書になりましたってなお手軽さ。でもって「反転突破−自分裁量で抜け道発見−」ってなキャッチを付ければ、途端にそれっぽく時代を象徴してるっぽく見えてくるから、看板とネーミングが果たす役割の大きさってのがよく分かる。従来の価値観をぶち壊したビジネスとか、路上のへたくそな歌野郎がデビューしていく状況とかを括って「くるりと回って抜け出そう」的現象が起こってるんだ、って主張はなるほど、言われてみれば確かにそーだもんなー。

 当方だってそんなこたぁ「気分」って曖昧模糊とした中から見出すベクトル(それとも直感)のレベルでは十分にで感じていたことで、パーソナルであったり細分化されたメディアが繰り出す小さな流行の羅列がこじんまりしたトレンドを生み出しているなあ、だから決して超メジャーじゃないけど周囲の数人が知っているから広く知られているんだなあ、とは思っていた。あと、東浩紀さんがよく引き合いに出す遠くと近くばかりあって間がないってな意見も知っていたから、言われて何を今さらとは思った。けど、だからってそれを言葉にして出した訳じゃない。それを定量分析だか観察だかヒアリングだかを行った結果を踏まえて傾向を出して来るあたり、伊達にネーミングとか流行作りで何十年も食べて来た会社じゃないってな感嘆を改めて抱いた。言葉は出さなきゃ伝わらない、ってのは恋もビジネスも同じなんだね、僕は言ったことはないからダメだったんだ、恋もそれからビジネスも。

 面白かったのはむしろ発表を聞いているメディアのスタンスで、例えばここから来年じゃあ何がヒットするの? とか商品のランキングはないの? とかってな見出しなり記事にしやすい言説を引き出そうとする質問が投げかけられている場面なんて、自分がいざ記事にするんだったらやっぱりそー思うよなってなイメージが浮かぶ一方で、来年たってたかだか来月のそのちょっと先でしかない短いスパンでいったい何が変化するの? と考えしょせんは今のトレンドをある程度精査した上で状況に合ったトレンドが拡張されるなり増幅されて残るんじゃないの、とせっかちなメディアを牽制したくなる気持ちも浮かぶ。もちろん書く時はもちろん大袈裟に嘘を交えた紛らわしい記事になるんだけど、僕だってほら、端くれとはいえメディアの一員だから。

 あと研究員っぽい姉さんの喋る口調が「なになにでぇー」と最後の「でぇー」にアクセントのかかる典型的な今風口調で、訥々としたおっさん主任研究員の説明にそれが割り込むものだから、もしかしてこの人はとてつもなく優秀で主任も一目を置いていて、だから喋っている横から言葉を差し挟まれても文句が言えないのかな、とか思ったり。そーゆー身近な場所から、「馴れ馴れしさ」が尊ばれる、中間のすっぽ抜けたトレンドを語ってみても、電通さま様なかなかにオモシロイ話になったんじゃない? しかし様々な意見が出ているのが今のトレンドなんだってことを説明しているにも関わらず、そこに何らかの統一性なり傾向を見出そうとする行為をしてしまうぎこちなさが、曖昧と流れていくことに我慢できず、どこかに拠り所を見つけたい人間の気分を著しているよーで興味深い。「いろいろありましたが、これからもいろいろあります」ではやっぱ、商売にならないからね。

 あと、やっぱり「いろいろあります」じゃあいろいろあった場面場面で消費され、喰い尽くされて後に残らないって心配もある。いろいろあったそれぞれから、何でいろいろあったのかを考え繋げていく作業が、人間の気分にピンと筋を通して前向きに物事を進められるようになるんじゃないか、ってな話がさてはて語られているのかいないのか。山形浩生さんの、山ほどある訳書をのぞけばほとんと初めてに近いよーに思える著書「新教養主義宣言」(晶文社、1800円)を読みながら、いろいろ有りすぎるいろいろなことに面白さを感じさせるようなフックを与える機能を、自身もやっていければなあと思えて来た。にしては活動の場が少ないし、請負仕事が中心なんで自身の主張を声高に語る場はここくらいしかないのが辛いけど、ここってホントに読まれてる? 電通のトレンドを分析して示して見せるエラい人とかには知られてなかったからなあ、頑張ろ。

 場所と言えばアニメ誌での本の紹介コーナーもあるけれど、この表紙のシブさではちょっちキツい。すでに出ていると聞いて本屋で探して見つからず、何故か出版社の方より著者謹呈の短冊入りで送られて来た物を有り難く査収して、箱を拡げて中身を取り出し思ったのは「平野甲賀じゃねえ」ってこと。参考書は馬のマークで教養書はサイのマークの晶文社、その本のイメージと言えばザラザラとした質感のカバーいっぱいに配置された切り紙によって作られたよーな独特のフォントが目立つ平野甲賀さんの装丁、だもんなあ。これが例えば48歳の用済みでしつこいばあさんでも、10代の少女(20代には見えませんぜ)に見せかけただけで本屋の店頭で目立ってしまう「飛翔せよなんとかかんとか」(by大森望さん)だったら、載せれば誌面に映えるもんなあ。

 まあ見つからなかったのは、無意識のうちに「甲賀デザイン」を思い浮かべて探していたからじゃなく、知ったのが昨日今日で探す暇がなかったってこともあるけれど、一方ではこの本が、経済が教育かマスコミがメディアかフェミニズムか哲学か歴史か文学が家計簿か、いったいどんなジャンルに属するのか中身を読んだだけではいまいち不明で、どの書店のどのコーナーのどの棚のどのあたりに置かれているのかを買う側が想像することは勿論、売る側も困ってしまったからのよーに思えるけど、書店に人たちどーでしょー? 「教養」とゆー「ジャンル」あるいは「概念」の欠落してしまった状況を憂慮した内容の本が、その「教養」とゆー「ジャンル」それとも「概念」の欠落故に人々に届かない、かもしれないとゆー滑稽さは、なるほどこれが日本の病理ってことなのかも。

 「ハリー・ポッターと賢者の石」(J・K・ローリング、松岡佑子訳、静山社、1900円)が表紙にデカデカと掲載された「週刊日販速報 12/20・27号」の「hotitem」のコーナーに、最新刊の「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」が初日でアメリカで6万1206冊売れたってな細かい数字のどーやって掴んだかってな疑問はさておき、この数字の多いのか少ないのかってな判断に悩む。日本でだって初日に数十万部が完売するヌード写真集があるからなあ、けど子供向けとは言え、ってーか子供向けのファンタジーが初日にこれだけ売れるって状況は、やっぱり教養を尊ぶ土台があるってことなんだろー、本を読むって教養が。

 注目の新刊で面白そうなのが吃驚なタイトルの「ロケットボーイズ(上)」(草思社、ホーマ・ヒッカム・ジュニア著、武者圭子訳、1800円)。もちろん重量を軽減するために半ズボンのショタ入った小学生を宇宙飛行士に仕立て上げて衛星打ち上げビジネスを手伝わせるってな話じゃなく、現役のNASAの技術者がスプートニクに魅せられた少年時代にロケットを作ろうと夢みた思い出を綴った本だから、中身は「パスポート・ブルー」(石渡治、小学館)に近いのかもしれない。映画化も近いとな。既報の小学館による「アッパー・コロコロ」な雑誌「GOTTA」の一部内容が判明、けど「PS2鉄拳漫画化」はともかく女に溺れて失敗した「柳沢敦物語100ページ」に無免許がバレてこれまた沈滞の「美容師バトル」じゃーなー。それとも宇宙からの侵略者たちに「カリスマ美容師」が己の技量と美へのこだわりによって撃退する話なのか? 「天下一美容会」とかて開かれるんだ。


【12月12日】 本買いまくりの日々。「幻想の感染」ってタイトルに惹かれて青土社から刊行中のスラヴォイ・ジジェクの本を買ってはみたものの、ラカンもデリダも東浩紀も読んで読み切ない人間には何がなんだか良く分からない。がまあ「ひとは幻想なくして生きられるか」とゆー帯の言葉を頼りにしつつ、人が生きていく上で拠り所にしている、人くらいにしか通用しない種族維持とか生存本能とか行ったものを超えているであろーなにものかを探りつつ、そんな鬱陶しいことを考えられる人間って存在そのものを考えられたら良いってことにしておこー。無理だろーけど我が脳髄では。「幻想」って言葉で思い出したのが、大昔に古本屋で仕入れたまだ「河出書房」から刊行されていた吉本隆明の「共同幻想論」って本。結構早い時期から幻想って言葉を使って人間たちの営みを切ってたって意味でやっぱり名著、なんだろーか、今は単なる人生相談爺さんになっちゃってるけど。

 高瀬彼方さんは「天魔の羅刹兵」(講談社、880円)の2の巻を買って即座に読了、モビルスー戦ってやっぱ燃えますねー男の子だから。雑賀衆の駆る羅刹20騎近くを狗神で倒していく場面は劇エヴァでアスカがエヴァシリーズを1つひとつぶっつぶしていった場面を思い出させて頭に目がイっちゃってるアスカの顔が浮かぶ。アスカは倒しても復活するエヴァシリーズに食べられちゃったけど。松永弾正の駆る昆虫型の平蜘蛛って羅刹兵は表紙の絵だけ見ると胸に目があって何だか「デビルマン」のゼノン風。これがまんまって訳じゃなく単なる弾正の顔を重ね合わせたイメージカットなんだけど、悪の想念をまき散らしてバトルする平蜘蛛を意識ある人が見ればこんな風に見えたのかも。2の巻で一応の第1部完結となりさてはて第2部があるのかは分からないけど、一応は主役な穴山小兵太はいずれ滅び去る運命の明智光秀の配下にいるってことで先行きどーなるのかが楽しみ、ですね。

 歴史は無数の選択肢を持ったチャート式の占いみたいなもので、1カ所で選択肢を違えれば着地点も大きく現実をは違ってしまうんじゃないかってな気持ちがあって、それを想像でもって推察してあり得たかもしれない歴史を描くんだったら面白いと思うけど、人間はどーにも都合でもって歴史を良い方向に引きつけよーとする癖があって、まずご都合主義的な結果があってそこに至るよーに歴史を変えてしまおうってニュアンスがあるから、「架空戦記」が時に政治的だ右よりだと批判されるんだろー。まあそれはそれで人間の気持ちに適っているから悪くないんだけど、そうあって欲しいってな「結果ありき」を隠してプロセスを1つひとつ正当化して行こーとしているのが見えると、やっぱり眉に顰みが出てしまう。歴史は変えないって言明する著者は、その意味で理性的で懸命だとは思うけど、だったら現代に「羅刹兵」の延長になる「巨大人型ロボット」が存在しない理由をどー決着してくれるのかって点への疑問が同時に浮かぶ。まあ何かちゃんと考えているんだろーって事で、とりあえずは楽しませてくれた話の続きを是非と期待しつつ、平野文さんの声で「責任とってね」と言っておこー。

 月森雅子さんて人が「サスペリア」に連載している「ダークバタフライ」(秋田書店、514円)を購入、鬼門に寝かされていたからって赤ん坊が魔の世界の住人たちと仲良くなって霊力が付くとは思えないんだけど、そーゆー事が仮にあったら赤ん坊は長じてどんな性格になるんだろーってな興味はある。その答えが主人公の蝶子で、魔の世界で妖気を吸って育ったため現世でも魔に属するものが見えてしまい、その度におかしな言動を取るといってパージされてしまう。転校して来た学校でもその気が出てしまったんだけど、たまたま担任になった先生が不思議と魔を身に引き寄せてその悩みを解決しよーとしてしまう優しい人間だったため、方や魔を退治する美少女、こなた魔を鎮めよーとする教師ってな関係の中で起こる事件を解決していくパターンが出来上がった。

 倒して見方に付けた飛縁魔って女の妖怪が現代風に全身をレザーの衣装で包んで再登場し火焔放射器を振り回すってな展開の爆烈具合とかってのは今までにあまり見ないパターン。パソコンが鬼門に置かれているからって溜まってしまった妖気が生んだ新しい妖魔って設定なんかを見ると、和風洋風にこだわって百科事典を繰るよりは、社会の隙間なりズレなりを見極めそこに自分なりの妖魔を設定していこうって感じの作者なのかな。本来だったら主役の蝶子と妖魔との派手なバトルを差し置いて、先生による癒しと鎮めをエピソードのエンディングへと持って来るのは著者の気持ちの優しさ所以か。甘いとは思うけどそーゆー徹底的な甘さを許せてしまうのは、やっぱり世の中が余りに荒み過ぎているからなんだろー、せめて本くらい現実から逃避したいじゃん。それとも中年にありがちにあトーニョーの気でもあるからなのかな。

 しかし最近は普通の本屋で売ってるんだね「コミックマーケット57」のカタログを近所の本屋でゲット、マスコミな人間として準備会が取材への心得を説くページを読みつつ、今日日の誰もがホームページを立ち上げデジカメにハンディビデオを持って自由に撮影し自由に情報発信できるよーになった時代に、たとえ大手のメディアが制約の元に準備会の定めるところの「健全」な取材をしたところで、一般参加者がどしゃどしゃと動き回って「日記」と称して会場の模様を伝え内容を紹介し批評する行動をどこまで牽制出来るんだろーか、ってなことを思う。役割を代替されてしまって情報を統制することで権威をお金を得てきたマスメディアには決して手放しで喜べる事態じゃないけれど、正当であれ侮蔑揶揄誹謗であれ一切の批判を受け付けませんってな状況は、対象者を保護する余りに生じてしまえば結果として「パロディ」なりで権威と戦ってる自らの表現活動をも制約しかねない。かといって侮蔑揶揄誹謗を受ける側の迷惑ってのもある訳で、結局は「人の嫌がることは止めよう」ってな情によって判断するしかないんだろー。難しいなあ。

 しかし決して見方と認めてもらわなくっても、徹底して敵としてメディアを見なさないで欲しいと思っているのに、こっちがメディアに属しているからなのか、言葉の端々にメディアへの過剰な敵愾心を感じてしょうがない。ってのは350ページに入ってる「同人版恨ミシュラン 番外編 コミケの初日の徹夜なんぞに並んでみました」って実録漫画を読んだためで、ここで徹夜組がぞろぞろと大移動している場面を取材に来た某TBSに対して「このとき来ていたテレビ局は準備会には何の申告もせずゲリラ的に中継していたそうだ」ってコメントがあって、読むと何だか取材がとってもイケナイ事のよーに思えて来る。

 けれども、そもそも「徹夜」って行為事態が準備会によって禁止されていて、徹夜組を並ばせるスタッフも「あくまでも民間の有志」であって準備会とは無関係、ってことはつまりは徹夜自体が「ゲリラ的行為」であって、それを取材するのにどーして準備会の申告なんぞせにゃならんのか、ってな考えがストレートに浮かぶ。もちろん撮られる側の権利ってのもあるから「撮るな」と主張するのは構わない、けど禁止行為であるにも関わらず、その様を取材されて「ゲリラ的」と訴えた言説をカタログに載せるってことは、さてはて一体どーゆー了見なんだろー。結果として徹夜のノウハウを伝授してるって意味でも矛盾を感じてしまったけど、こーゆー融通の効く曖昧さを仲間内には許容するってゆーのなら、外側に向かってももーちょっと気持ちを緩めて頂きたいものです、こちらだって(つまりはメディアだって)融通が効かず権威を振りかざす思いこみの激しい直情バカばっかりじゃないんだから、そーゆーのも多いけど。


【12月11日】 「たれぱんだ」づいてる今日この頃、みなさんきょうもよくたれてますかー? 「たれてまーす」と大勢が一斉に答える「たれぱんだ教」なるものが生まれてどっかに巨大な寺院を建てて、庭に仁徳天皇陵くらいある巨大な「だいだれぼっち」なんかを建立してたら入信しちゃうかも。間違えたえっとまずはバンダイの「ワンダースワン」対応の「たれぱんだのぐんぺい」で久々の「GUNPEY」に耽溺する。ゲーム自体はバリエーションも含めてオリジナルとの違いはないけれど、出てくるグラフィックの形色使いが見事にイラストの「たれぱんだ」と同じテイストで、かつ移動にしても9・5匹が積み上がる場面にしても動いたら実際にこーかなーって思うそのままに動いてくれるから、ながめていてもー実に目がほのぼのとさせられる。数あるバンダイ製たれぱんだの中でもテイストの再現ぶりではイマイチな物が多い立体物(2万円ぬいぐるみをのぞく、あれは偉大だ)を退けてピカ1の勲章を与えよう。

 続いては「たれぱんだのぼうし」をクレーンゲームでゲット。したのは実は昨日の「ファミ通」のパーティーで、今はまだトんでいないSNKがお台場でやってる「ネオジオワールド」の3階4階を借り切って大々的に開かれた浜村御大を讃える会で、知り合いの誰1人もいないにも関わらず大勢の人間たちが集まる状況に、ゲーム業界の底深さ幅広さ関わる人間の多さを強く実感する。借り切ってる割には下のゲームセンターは基本的には料金こっち持ち、だけど最近よーやく債務超過を脱した会社に無理を要求する訳にもいかないから、1000円札をくずして(って東京でも使う表現?)100円玉にして、目当ての「たれぱんだのぼうし」に200円づつ3回投入して穴から下へと落とすことに成功する。被れば暖かい帽子には、背中部分に小さいたれぱんだもついたなかなかの傑作プライズ品。あったらいいなと思っていた商品をちゃんと用意してくれるあたりが、シグマの「ゲームファンタジア」では延べで1万個も出て今回の土日に記念イベントも開かれてるとゆー人気グッズだけのことはある。次は「たれぱんだのふりーす」だ、作れユニクロ。

 さらに神保町から小川町へと歩いて行く途中にあったゲームセンターですごろく形式のプライズマシンで100円1発でグッズをゲット、鎖のついた中に物が入るタイプの小さなぬいぐるみには、小さい使い捨て懐炉がついているからどーやら懐炉用ケースってことらしー。懐炉ってんだから懐とか背中とかに入れて使うってことは、あのキューティーな「たれぱんだ」の姿を外に見せて自慢するってことが出来ないってことじゃん残念ざんねん。しかしこれほどまでに山ほどの大ヒット商品と作り出したサンエックスが次に一体何を送り出すのか注目しているのに、フルフルと震える「ぷるぷるどっく」が博品館だと同じ棚に入っているのに今1つ注目を集めないってーか全く評判になってない。あのいじけたっぽい目とかが何だか「エクセルサーガ」のメンチみたいで大人の残逆心はあおっても愛護心は全然くすぐらないんだよなー。やっぱ非常食扱いしてイジられキャラでも良いから名前を売るしかないのか。

 ガンダム仕事向けの資料とかを漁りに神保町の本屋を散策、三省堂書店で平台に山積みされた「ハリー・ポッターと賢者の石」(J・K・ローリング、松岡佑子訳、静山社、1900円)に一体何がここまでこの本を押し上げているのかちょっと悩む、書評とかで紹介された機会は決して多くないのに、すでにしてランキングでは2位くらいに入っているし版も3刷くらいが店頭に並んでいる。版元のマイナーさとは対照的なこの書店でのプッシュぶりって背後に一体何があるの? 取り次ぎあたりの大展開でもあるのかな。三省堂書店では原書と並べての展示で1冊目を日本語で読んで続きが早く読みたいってな人は原書で読んで寂しさを紛らわすのが吉かと。僕は待つのに慣れているから急いで原書なんて読まないよ、って言い訳が原書なんか読む力の皆無であることを実は全然包み隠してないんだけど。勉強はしないよりしておいた方が良いです得するから。

 同じ最近話題のファンタジックな本でも東京創元社のフランチェスカ・リア・ブロックの「ウィーツィ・バット」(金原瑞人・小川美紀訳、東京創元社、980円)シリーズは展開もあんまりされてないのが不思議ちゃー不思議だけど、未成年の未婚の母に同性愛のカップルって「子供が読むものじゃありません」ってなPTAのパージを食らいそうな食らいに今をリアルに捉えた本だから仕方がないか。2巻が出ていて3巻以降も面白そうって利いているから楽しみたのしみ。「電撃アニメーションマガジン」でもちゃんと紹介してまーす、誰もあんまり読んでなさそーな連載だけど、「怪猫奇談」とか紹介してるのに反応とかほとんど皆無だし。ちなみに「ハリーポッター」は来月の予定、年末進行で締め切りが前倒しになっててすでに原稿アップしちゃってるんで時間差攻撃になるけどその時にはきっと絶対「ソフィーの選択」なんめ目じゃないくらいの大ベストセラーになっているだろーから良いってことにしておこー。

 郵便受けに入っていたとか知り合いが送りつけて来たとかってな話が全国各地から聞こえて来る西尾幹二さん著の「国民の歴史」(扶桑社、1800円)を、社長が何を思ったか社員の全員に手紙をつけて配ってくれちゃっててちょっとメイワク。いえ別にもらうのが否だって訳じゃないんですよ、ほら優秀で忠実なグループ社員としてすでに発売の当日に初版第1刷で「国民の歴史」を買ってしまっているから、決して軽くコンパクトな本じゃないだけに家に置いておくのはスペース的に頭を悩ませてしまうんですよ。会社には机のあちらこちにらに5冊、10冊と積まれていて、そんな様を見ながら片手に2冊両手で4冊持って走れば健全な魂を宿す健康な日本国民の育成につながり本の趣旨を実現出来ると思ったり、積み上げてコンクリートで周囲を固めれば通気性の良い素材を使った壁材になって健全な家庭生活を安価に提供することが可能になると感じたり。考えれば他にも立派な使い方が可能なありがたい本を200冊程度だから卸値で仕入れてそうだね20万円くらい? をポンと投げ出す奇特な社長に心からカンシャだ。


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