縮刷版98年1月上旬号


【1月10日】 西澤保彦さんの「幻惑密室」を読みながら気を失い、気が付たらもう朝。残りの50ページくらいを一気に読み終えてあれやこれやの伏線潰しに頭を悩ませ本当にこの結末で良いのかどっかに引っかけがないのかを思案しつつまた寝る。起きたら時計は正午を回り、仕方がないのでムクムクと起き出して駅前でちくわうどんを啜り、本屋で発売中の「アニメージュ」と「ニュータイプ」を仕入れて帰途に着く。二階堂黎人さんの「人狼城」はやっぱり後回し。だって第2部の発掘がまだ終わってないんだもん。

 しかし売場で違和感ありありだった「アニメージュ」。実写の映画が巻頭の特集に持って来られて、おまけに実写の俳優スタッフが表紙に来たのって、「アニメージュ」創刊以来過去に幾度かあったんだろーか。中央に腕組みして立つ庵野秀明監督(新人)にラブポガールズ4人組は、それだけ見ればまるで「スクリーン」か「明星」か「ザ・テレビジョン」。大ヒットした「エヴァ」の監督が撮った作品ってだけで、実写でそれもアニメ作品の主要対象者は見られないR指定の映画を大特集して表紙にまでしてしまうのは、アニメ雑誌としてのアイデンティティーってーのかレゾンデートルってーのを自ら否定しブチ壊している気がしないでもないけれど、そのあたり予防線なのか特集の冒頭で作品の中、監督の意識における「エヴァ」および「アニメ」との関連性云々を主張しているから、多分確信犯なんだろー。

 ただし特集の内容は他の媒体よりも100倍濃密。それこそ角川書店から発売中のムックなんかより10倍は読みごたえがある。出演女優4人のインタビューやら対談を経て、真打ち庵野監督と野火ノビタさんとの対談へと続き、村上龍さんのコメントやプロデューサーの南里幸さん、演出補の摩砂雪さんに撮影を手がけた柴主高秀さんまで、新聞より細かい活字でビッシリとページを埋め尽くすインタビューを掲載していて、そこまでたどり着くだけでゆうに30分とか1時間はかかってしまうし目も痛くなる。なるけれども例えば庵野監督の対談なんかは、他媒体で見る気取りとか照れとかがないように思えて、それはやっぱり自分のフィールドで話していることの安心感なのかなあなどと手前勝手に憶測って見る。

 人前で恥ずかしくないものを作ろうってのが「エヴァ」での留意点で、一例として「セーラームーン」をダイビングに行った先で理由付けなくして見られなかったとのエピソードを紹介していて、だったら会社で新聞でそれも産業専門紙で「エヴァ」やら「はれぶた」やら今度はたぶん「センチメンタルグラフティ」なんかをドッカーンと取りあげてやろうなんて画策している、あたしゃいったい何やんねんって気分になるけれど、まー人間捨てて出世も捨てて金儲け、これはちょっと諦めてないけれどとにかく「異質」のレッテル貼られ済みの人間なんで、編集局で堂々と「エヴァ」やら「ウテナ」を見てられたんだろーな。回る薔薇がいーでしょーとか言って。

 巻末のOVA時評で「フォトン2」は堂々の星5つ2人、星4つ3人。厳しいあさりよしとおさんでも4つ付けてるこの作品が、一般での認知度結構低くってセールス面でもキッツイ状況にあることは前述したとーりで、やっぱこれはいっぺん動きを見てもらわなくっちゃ解らないからドシドシと宣伝して店頭ピーアールなんかしてタダでプロモビデオを配れば良いのにと江戸川橋に向かって念波を送る。大森望さんの書評コーナーに最近読んだなかではお気に入り度の高い谷山由紀さんの「天夢航海」(朝日ソノラマ、490円)登場、普段は売場であんまり目立たないソノラマ文庫だけにこーゆー場所に登場したことでちょっとはセールスに繋がるだろうって、西葛西に向かって頭を下げる。2柏1礼1拍。

 「ニュータイプ」を読み飛ばして森博嗣さんの「夏のレプリカ」へと移って半分くらい読み終えたところで意識を失い、気がついたら夕刻。慌てて残りを読み進み、これまで結構ホノボノ路線で来ていた犀川と萌絵のシリーズが、このエピソードだけやけに深刻で重たくって残酷で、落ち込んで落涙しつつカレーを食べる。辛かった訳じゃなく、人間って生きているとどんどんと世の中が見えて来るけれど、相対の中で目が1つのことへと集中し、かえって他のことが見えなくなってしまうんだってことに気づかされるて哀しくなった。「笑わない数学者」並みにあれやこれやと意見百出しそーな予感。トリックは相変わらずの冴えを見せるけれど、それだけに謎解きの場面に漂う空気は重く、萌絵の哀しみが激しく胸を射す。


【1月9日】 ゆんべは滅亡していたJRは今日もやっぱり半死半生で動きが鈍く、総武線の各駅で西船橋まで行きたくってもホームがいっぱいで上がれない。仕方がないので総武線の快速に乗って品川駅まで一気呵成、それから一応動いていた山手線で目黒駅まで乗り継いで、えっちらおっちらを坂を下りてアルコタワーに参拝する。いまや飛ぶチョコボを落とす勢いの会社、どんなんだろーとフロアにおりると調度品も雰囲気も他のフロアとまるで違う。具体的には2フロア下にあるブエナビスタ・ホームエンタテインメントとは空気がまるで違っていて、あっちが比較的オープンでアメリカーンなガヤガヤ感があって、かつキャラクターの醸し出すメルヘンでポップな雰囲気があるのに比べると、先鋭的なインテリアにパリパリスーツの受付嬢、トイレまで便座にヒーターが通っていて座ると暖かく、とってもゴージャスにしてノーブルな気分を味わえる。

 会議室にかかっていたのは多分天野喜孝さんのリトグラフあるいはシルクスクリーン、100番の1とナンバーがはいっていて、買えばきっとウン10万、アール・ヴィヴァンだったらお姉ちゃんに「絵好きっ?」とか声かけられて引きずり込まれて、100万もしかすると200万とか払って売りつけられても不思議じゃない。前日訪れた某国営航空会社は応接の入り口にレオナール・フジタこと藤田嗣治のエッチングだかリトグラフだか掛かっていたけど、ファンにとっちゃーフジタって誰やねん、アマノの方がカッコえーやんってなことになるんだろーな。剥がして持ち帰るには大きすぎたので我慢がまん、途中横目でみながら近況などを聞き、映画はちゃんと出来るのとか8はいつでるのとか聞いても詮無いことをお約束的に聞きただして、愛想笑いしながらメッカを後にする。

 東海地方ではお馴染みの「COCO壱番屋」が展開しているちょっと違ったカレー・チェーンでかつカレーをかき込んでから山手線で渋谷へ。本屋に寄って仕事絡みの写真集なんかをゲットし、ついでに新刊の講談社ノベルズから西澤保彦さんの「幻惑密室」、森博嗣さんの「夏のレプリカ」、山田正紀さんの「新曲法廷」をがばがばっと購入、でも二階堂黎人さんの「人狼城の恐怖 第3部」は重たそーだったので後に回す。そーいえば第2部、どこに埋まっているんだろーか。まだ読んでないのに第3部が出ちゃってちょっと困ったなー、週末か来週の休日に始末するか。ほかにもついでに文庫を探索、表紙が気に入った葛城稜さんの「亜妖精物語」(電撃文庫)を購入し、さらに近くの平積みから「禁断の摩淫玉」(ナポレオン文庫)を購入する。レジが女店員であら恥ずかしい。

 西澤さんの新刊は「小説メフィスト」所収の短編なんかですでにお馴染みの「チョーモンケン」シリーズ長編第1作。袴姿の超能力者問題秘密対策委員会出張相談員・(見習)神麻嗣子(かんおみつぎこ)が相変わらずのジタバタぶりを見せてくれそーで読み終えるのが今から楽しみ。イラストは水玉螢之丞さんでこれはノベルズ初登場か、さらには神麻さんの同僚の猫がその名も「アボ(アーノルド・ボルシチ)」とやっぱりアボさん初登場、「フリーゾーン大混戦」で犬となって出そうで出なかった仇を取ったぞって別に出たくもなかったんでしょーが、アボさんは。関係ないけど神麻さんはアボを頭にのっけて帽子と言い切って歩くそーな。猫を頭の上に載せると気持ちいーんだけどでも怖いんだぞ、ズリっていった時にニョキって出てそれが顔面にメリッと食いこんだままチーッと下がっていく様を想像すれば解るよね。

 会社に寄ってあれやこれやとアポ取りをしてから、抜け出して浜松町に参拝。お届けものをしてお茶をごちそうになたあと、開発企画部に立ち寄って部長さんに挨拶、ついでに何かネタになりそーな話を探ると「だったら」と言って段ボール箱を持って来て、あけるとそこには山ほどの「女子高生ゴリコグッズ」が入っていた。「持っていってよ」と言われても流石に「女子高生ゴリコ」、なまはんかな男の色目なんか受け付けないから、ぶら下げて歩くだの小脇に抱えて佇むだのなんてとうて出来ず、それでも無理矢理ペンケースとリップケースを持たされて、お礼を言って退散する。数は少ないけれど都内には20カ所くらいに「ゴリコフレーム」のシールプリント機があるそーで、見つけたら是非ぜひ遊んでやって下さいな、ちょっとは扶桑社も潤うもんで、ってことはこっちにも毛ほどは跳ね返ってくるから。

 珍しくコンビニに入っていた「寿がきや」の生カップきしめんを啜りながらおにぎりをかじりながら「大運動会」を久々に見る。ギャグ満載だった最初の印象からすると才能の残酷さ、人間の気持ちの複雑さなんかをこれでもかって具合に見せつける、まさにドラマになっていてちょっと驚く。最近はたまに見るとあかりが北海道に帰っていっちゃんが迎えに来たりとか、名前忘れたロシアだか出身の姉ちゃんが国が潰れてあきらめるとか、いっちゃんも足を痛めてリタイアするとかいった苦しい残酷な回が多い。巡り合わせがそーなっているのか、それともそーゆー話ばかりになっているのか。後者だとしたらブルマのどアップに適度なギャグで安心なアニメってな印象を、すこらっと変えなくっちゃいかん。でもまだ残りが何カ月かあるし、とりあえず最後まで来て最終的な判断を下そー。あかりハウスはもー出ないのか。


【1月8日】 なんか起きたら死ぬほど寒いが眠ってもいられず電車に乗って天王州まで行く。引き継ぎ前の仕事の流れで某国営航空会社の偉い人にインタビューして日本の空の権益を護ろうとか米国に譲歩なんかしちゃいかんとかゆーとってもナショナリズムで高踏な会話を交わした後で、モノレールからJRを乗り次いで市ヶ谷へ。一口坂スタジオとかゆーところで開かれていたこの冬スタートするアニメの新番組「B(ボンバーマン)ビーダマン爆外伝」の制作発表に出席して、アニメ雑誌の人たちとか芸能マスコミとかの人たちに混じって出席者が登壇するのをしばらく待つ。なんかすっげーギャップ、でも天王州にいる時より落ちつくのはやっぱり血中ヲ濃度の高さ故か。

 新番組は2月7日から毎週土曜日午後5時にテレビ朝日系列で放映される予定・・・・っておい待てその時間帯ってかの「機動戦士ガンダム」を筆頭に数々のサンライズのロボットアニメを放映していた時間じゃないか、それがどーして「ビーダマン」なんだ、おまけに制作会社もサンライズじゃなくってマッドハウスだぞ。これが事実なら(事実なんだが)何かきっと巨大な陰謀がテレビ局スポンサー対して働いたに違いない。そうだきっと米国が巨大ロボットの技術を独り占めしよーとしている米国が、概念についてはぬきんでた実力を誇っている日本の巨大ロボット産業を衰退させるべく、圧力をかけたに間違いない、おおなんとゆーことだ。

 とゆーのはまったくの妄想としても、「ガオガイガー」なんかは迫力出すぎでストーリー複雑で大きいお兄さんには人気だけど子供の人気は今ひとつ、んでもってスポンサー様にはとっても重要なおもちゃも、巨大化して高額化して買いづらくなってしまい、安くて簡単に楽しめるおもちゃ大人気になっているよーな、子供の遊びの質の変化なんかに対応できていなかったのかもしれない。真夜中のアニメなら狭いターゲットレンジに作品もグッズも集中投下して全部買ってもらう方式でも通用したのかもしれないけれど、あまねく広い層にアピールしなければならない夕方のアニメでは、作品面でもおもちゃ面でも巨大ロボット物はもはや通用しなくなってしまったのだろーか。何かが変わり始めているよーな気がする。

 番組表を見ると土曜の夕方は「がんばれゴエモン」に「コジコジ」に「忍ペンまん丸」に再放送だけと「YAT!安心宇宙旅行」に「あずきちゃん」。これに「ビーダマン」が加わわって、「烈火の炎」と「キューティーハニーF」がやや高めとはいっても、相対的に対象としている年齢層がぐぐっと下がって来たよーな気がする。おじさんなアニメファンとしてはちょっぴり寂しいけれども、やっぱりアニメは子供の物、せめて夕方の時間くらいは、アニメを子供に返してあげてもいーだろー。「YAT」に「あずきちゃん」なら見てても楽しいし、それに俺たちには夜がある。ある・・・あるう?

 いやね、とりあえずこの冬スタートしたアニメの1つ「AWOL」を見たんだけれど、謎のテロリストが星に降りてきて町を破壊し制圧に乗りだしたところに、特殊部隊が乗り出して鎮圧に向かおうかってな物語に惹かれつつも、どこか古くさい絵にのめりこむことができず、ちょっと頭を抱えている。「VIRUS」みたく途中で心の琴線に触れる部分が出て、ぐぐぐっと惹かれていかないとも限らないから評価は保留。とか言っていると「星方武侠アウトロースター」が始まった、おおこれはいけそーだ。これからは夜のサンライズに期待せよってことなのかな。

 しかし気がつかなかった桑島法子さんて「ほうこ」って読むんですね。「ビーダマン」の主役「白ボン」を担当する桑島さん、白い頭巾みたいなのを被って登壇し、初めて男の子の声をレギュラーで主役でやることに、とっても嬉しそうな顔を見せていた。主題歌を唄うはオーロラ輝子、じゃない本当は女優の河合美智子さんで、スタジオの中にある歌唱ブースで主題歌をナマで披露してくれた。やっぱり上手いわ、プロの歌手は。もう1人エンディングを唄う女性の歌手が登場、知らないレコード会社の所属だなって思って資料を良く読んだら、あの光栄が作った会社らしかった。タカラはもともとアニメやってたけど、それにハドソンが加わりレコードは光栄と、ゲーム系がアニメの分野に本当に幅を利かせて来た。「ゴエモン」も「まん丸」もゲーム系。やっぱり何かが変わり始めている。


【1月7日】 夜のお仕事でカコカコとキーボードを叩いてメールで送信、直しチェックの嵐を恐れて布団を被って丸まっていると、1部を直せばオッケーとの有り難いお言葉を頂き、仰せに従ってケコケコとキーボードを叩き、メールしてから床に付く。何せ明朝早起きしてはるばる出かけなくてはならず、もしも明け方まで直しラッシュに暮れ開けたら、寝ずにそのまま出勤しなくちゃいけないところだった。実際前に朝の5時だか6時まで、直しては戻しては直しては戻してはを延々繰り返した経験があったし。ともかくもスムーズに片づいて有り難いありがたいと海岸に向かって合掌、パンパン。

 無事起きて電車に乗って蒲田方面。途中品川で乗り換える時に、その朝の6時までかかって這々の体で仕上げた成果を本屋で買ってチェックして、辛かった日々を思い出す。ちょっと後ろのページでゲーム紹介記事の筆者として福井健太さんの名前を発見、そーいえば確かコミケの時にミステリーな人たちの中に福井さんがいて、2週に1ぺんだかの割合でゲームのレビューをやることになったって聞いていたっけ。最低でも1面クリアとか2面クリアとかしないと、レビューが書きづらいのがゲーム、後書きとか帯の惹句だけでも書けないこともない(やらないけど)本と違って知力体力いるからなー。いや仕事の参考にさせて頂きます。

 やっぱ欠かせないのが蒲田詣で。矢口の渡しで降りて茶色のビルまでテコテコと歩き、1階フロアに入ってひょいと横を見るとおおなんと。「テイルズ・オブ・ディスティニー」でキャラクターを描いたいのまたむつみさんの直筆原画が額に入れられてイーゼルに立てかけられているではないか。かっぱらってまんだらけ辺りに持ち込めば、いったい幾らになるんだろーかと勝手な妄想を膨らまし、一仕事終わって広報の人たちに50万円くらいにはなるかもしれませんよと言ったら、エンターテインメントの業界にいる人たちでさえも、ちょっと驚いた顔をしていた。普通の人にはただのゲームの原画でも、特定の人たちにとっては100万円が200万円でも支払いを厭わないお宝ってのがいわゆる「おたく」のマーケット。それをさも当然の如く語るとやっぱり奇異な目で見られてしまうので、これからはあんまりはしゃがない事にしよーと決める。

 そーいえば偶然にも雑誌はオタク商売についての特集を組んでいて、まんだらけにメッセンオーに聖コスプレ学園にメディコム・トイにブロッコリーの王道を行くオタク企業を総まくり。好調すぎる売り上げ規模を書き記しては、「寝食と同等とも言えるニーズを読み解くことがいかに大事か、そのことをオタク市場は教えてくれているのだ」と指摘している。マスプロでは難しい機動性とこだわりがあってこその成功だけに、日本経済を大きく動かすムーブメントにはなれないしなってもらっても困るのだけど、少なくともエンターテインメントの業界に関しては、細分化されるニーズの中でイケそーな分野を攻め抜いて見るってのが、虻蜂とらずな中堅あたりの企業には必要なのかも。でも財布は限られているから競争は厳しいぞ。

 会社に戻って何本か原稿をでっち上げてから今度もやっぱり欠かせない羽田参り。こないだまでは取材対象だった京急に乗って蒲田から羽田線に乗って大鳥居で降り、早かったので時間を潰すために本屋に入って新刊近刊を物色するもめぼしいものがなく、なかで目にとまった星野ぴあすさんの「次元特捜EXERON」を購入する、って聞いたことないぞそんな作家も作品もって方は、是非ぜひ明日本屋で美人の女店員に向かってでっかい声で注文して下さい。「ナポレオン文庫の星野ピアスの次元特捜EXERON下さーい!!」って。ぜったいに受けます。さすがにレジの女性にそれだけ出すのも恥ずかしかったので、コミックの棚を物色して「小麦畑の三等星」を昔泣きながら読んだ萩岩睦美さんのちょっと前に出た「水玉模様のシンデレラ1」(集英社、476円)を発見、ふーんこんな絵になっていたんだと驚きつつ、いっしょに重ねてレジへ出す。もっとヘンな奴って思われたかもしれんなー。

 羽田では近況現況状況について意見交換、まったくもって業界に詳しくないのが露呈され、応対に出た方々を呆れさせてしまった。やっぱりここんとこ何カ月間に出そーなソフトのタイトルなんんて立て板に水とまくしたてるんじゃなかった。どっか違っていたんだろーなー。ちゃかぽこと挨拶をしてから大鳥居を後にして帰社。戻るとタカラから新商品の案内と一緒に、アニメ番組の記者会見のお知らせが入っていて、時間があったら取材に行ってと言われたので、メンバーに入っていた桑島法子さんの名前が気になって、嫌々ながら行くことをオッケーしてしまう。もしいたら笑ってやって下さい。ナポレオン文庫は流石に手には持ってませんが。

 新春スタートのアニメの先陣になるのか「万能文化猫娘」。OVA版あたりの説明を一切省いてしまっているのか、いきなりの猫脳ロボット・ヌクヌクが学校に転校しては大騒動を巻き起こすストーリーは、いかにもアニメ的な文脈で安心はできるものの驚きはそれほど感じなかった。安定して安心して見ていられる作品、だろーな。夏目晶子さんことブラッディ・アキコが悪の組織の女幹部姿で走る場面で揺れる乳に大感激、それだけが毎週映ればきっと毎週見るだろー。声は島津冴子さんかー、今でもアイドルですね、僕にとっては、林原めぐみさんよりも。今晩も新作が2本スタートするけれど、明日も早いからもー寝ます。録画だけしておいて明日夜にでもチェック、「エルハ」は今度も面白いかなー。


【1月6日】 風邪で早く寝てしまったため「吸血姫美夕」の2回続きの後編を見るのを忘れてしまって朝方ショックで青ざめる。「あなたはLDを買うしかないようです」なんて御影教授の声も聴こえてくるけど、ただでさえ「エヴァ」のDVDに当の「ウテナ」に「VIRUS」に「フォトン」とLD、DVDの連ちゃん購入が始まっているため、財布が思うに任せない。幸いにも「エヴァ」のDVDはとりあえず休憩に入ったけれど、代わりに「KYE」のDVDリリースが始まっていて、どうやら頭はそっちを向いているため、やっぱり「美夕」には手が回りそーもない。こーなればスポンサーの伝を頼って見るしかないかと、恵比寿の方に向かって手を合わせる。パンパン(柏手)。

 しかし画期的かつ超絶的な動きの技がぎっしりと詰め込まれているOVA「フォトン」が、第1巻はともかく第2巻で意外なほどに売れていないとの話をスターチャイルドの人から聞いて、どーしてなんだーと心の中で強く叫ぶ。だって周囲は日本レコード協会の賀詞交換会、いわゆる普通の音楽業界の人たちがぎっしりと立錐の余地なく詰めかけている中で、アニメだなんだと騒いでいたら気味悪がられるでしょ。実際悪がられてる訳だし、だからこっそり心の中で叫んだって訳で、表だっては「それは残念、宣伝があんまり行き渡っていないからでしょう、評判は高まっているからアピールすれば売れますよ」と淡々と答えておく。「もっと金かけて宣伝せんか!」などと怒鳴ったりはしない。

 「エヴァ」「エヴァ」と言われ続けて食傷気味なのかスターチャイルド、「ナデシコもありまっせ」「ウテナも調子よーおまっせ」と別のタイトルをしきりにピーアールしたがっているけれど、あまりにもケタ外れのマーケットに育ってしまった「エヴァ」を抜いては、収益もイメージも語れない所があるよーで、次なる一歩をどーやって展開していくのか、今が思案のしどころとゆー。例えば夏当たりから大盛り上がりを見せたものの、テレビ放映は既に終わり、後はビデオやLDが訥々と出ていくだけの「ウテナ」を、次にどーやって盛り上げるかってのがスターチャイルドの勘所らしー。ミュージカルは既にやったから残るは映画ってことになるんだろーか、それとも実写テレビシリーズとか。とりあえず春のゲームが次なるメディアミックスの布石になるけれど、大スクリーンで不必要に胸をはだける暁夫の姿を拝める日が来るのか。乞うご期待。

 それから「ナデシコ」。一足先に映画化が発表されて現在着々を制作が進んでいるよーだけど、これだけ大量にアニメが制作され放映されるご時世に、案の定起こって来たのが制作の遅れとかで、果たして公開に間に合うのか、今からとっても心配になって来る。まさか「夏ナデシコ」「冬ナデシコ」と分ける訳にも行かないし、かといってタイミングを逃すと旬が過ぎてしまいかねず、さても迫る公開日にこれから大車輪の制作業務が続けられることになるんだろー。問題は「フォトン」で、これほどまでに手がかけられたアニメ作品が、果たして採算に乗っているのかと思われる水準でしか売れていない現実に、たとえ制作スケジュールがぎりぎりで、崩れる作画に止まる絵と、そして起承転々々なシナリオが爆裂したアニメでも、テレビで放映された方がよりピーアールになるのかと、矛盾いっぱいこの世界に正直愕然とする思いがする。頑張れ「フォトン」。例え「天地無用!」に似ていても。

 賀詞交換会は右も左も業界人ばかりだけど、横のつながりが大切かつ唯一とゆー世界だけに、一介の産業新聞記者がすんなりと入り込めるはずもなく、ほんの数人見知っている人だけ(スターチャイルドとかね)を頼りに時間を埋めつつ、並べられた豪勢な料理をせっせと胃袋へと運ぶ。開場してから1時間ほどして白い頭のおっさんが登場、今や実質的なソニー・ミュージックエンタテインメントのトップになった丸山茂雄御大の来臨に、会場内の音楽業界の重鎮たちもたちまち周囲へと集まって、挨拶やら握手やらを始めてしまう。ナイキのバッシュにリーバイスのジーンズ、白いポロシャツの上から青いジャケットを羽織ったその出で立ちは、復活なった心の軽やかさを象徴するかの如き明るさ&躍動感をたたえている。群がる日経記者をしっしっと振り払って場内を渡り歩くその態度の何と自信に満ちたことよ。近寄っても歯牙にもかけられない業界紙記者は、そんな姿を遠巻きにしてローストビーフを貪り食うのであった。

 会社に帰るとバンダイからリリース。なんでも「ガンダム20周年プロジェクト」と「デジタルエンジン・プロジェクト」を開発本部に設置したとかで、そーか「ガンダム」も早20周年、今年はきっと記念のガンプラなんかもたくさん出すんだろーなーと想像する。20分の1サイズとかだったら買って組み立ててみたい気もするけれど、箱だけで1メートルを楽に超えそーなのできっと作られはしないだろー。おっと「デジタルエンジン・プロジェクト」のトップには鵜野沢伸氏が就任だ。バンダイ・デジタルエンタテインメントで幻の「ピピン・アットマーク」に関わり、天国(があったかはどーかは謎)と地獄を見た鵜野沢さんだけど、アニメと関わりの深い分野に戻ったことで、「パトレイバー」なんかのプロデューサーとして辣腕を振るった経験を、発揮してくれることになるのかな。もっとも「デジタルエンジン」から登場するアニメは99年とか2000年とかって話だから、それまでいったい何をするのか、機会があったら聞きにいこー。


【1月5日】 年が明けて今日が正式な仕事始め。昨年中に申し渡されていたとーり運輸省担当をクビになって元いたエンターテインメント・グループへと復帰し、今度はそのド真ん中のゲーム業界やアミューズメント業界なんかを担当することになったため、いつもだったら茅場町で乗り換えていた地下鉄を半年ぶりに大手町まで乗り続けて、会社のあるサンケイビルへと向かう。駅を降りて目に飛び込んで来たのがテイジンのポスターで、水着のねーちゃんが微笑む2種類のポスターに朝まだ眠い頭をズッゴーンと直撃され、ついでに別のところも刺激されて、歩む足どりもついついゆっくりとなる。チラ見た限りではポスタープレゼントの案内が掲載されていたよーで、夜中まで残業して最終間際に剥がして逃げるなんてことをせずとも、手にいれられるのだったらこんなに嬉しいことはないと、帰宅時に応募方法なんかをメモしておこーと心に決める。

 噂口コミ風評テレパシーなどで見知ってはいてもゲーム業界、これで一筋縄ではいかない人たちばかりと聞いていたので、ビクビク物で初日の仕事にとりかかる。っても正月明け早々の仕事はどこの部でも仕事始めにあたっての社長さんの挨拶集めが中心で、とりあえず京都とか羽田とか蒲田とかいろいな会社のトップの挨拶を集めて見比べる。うーんすごいぞ京都、家庭用ゲーム機の衰退粗製濫造にありと口ぶりも厳しく切り捨てて、自らの「ポケモン」にバンダイの「たまごっち」などを例示してこーいったゲームの楽しさが見直されたことを考える必要があると説き、テレビなどと連動した「ポケモン」などの開発に取り組んでいくぞーっと結んでいる。抱負な金融資産に絶対のブランド力を持つが故の、焦りなど微塵も感じさせない独歩ぶりには頭が下がるが、下手な鉄砲数打ちゃの例えにもあるよーに、99%のゴミの山の中から1%の革命が起こらない可能性も決して否定できない。どちらが正しくどちらが間違いとも言えない中で、例えば1年後、さらには21世紀、どんな答えが出てくるのか今から楽しみで仕方がない。

 年頭所感ばかりでは埋まらないとゆーことで、キーチェーンゲームの草分けであるヒロから発売された「電車でGO!」の記事をえっちゃこっちゃとでっちあげる。えっ「電車でGO!」って確かバンダイが出してたよねって浜松方面から知った人もいるだろーけど、ヒロに聞くとどっちもちゃんとタイトーからライセンスを受けている真正品で、例えば「テトリス」のよーな危ない状況にはなっていないとか。で両者の違いといえばまずバンダイは値段がちょっと高い、けど代わりになんかブルブル振るえるよーになっているとかで、体感派には気持ちが良いかもしれない。一方ヒロは体感はできないけれどお値段は1000円と極めて低価格。それでいて結構なインジケーターが表示される液晶画面を見ながら操作する感覚は、結構本物に近いのだそーな。1路線8駅で総計199路線楽しめるとゆースペックがいかほどのものかは検討がつかないけれど、1000円だったら雑誌3冊買うつもりになって、キオスクあたりでちょろっと買ってみたいと思えるかも。さてどっちが売れるかバンダイorヒロ。

 ペタペタとワープロを叩いていると通信社から「星新一死去」の報が配信されてひっくり返る。ただ死去したならまだしも実は昨年の12月30日にすでに死去されていて、身内だけの密葬もすでに終わっていたとゆーではないか。それを新聞各紙が今日まで書けなかったのは、よほど厳しく情報を絞って知らせないよーにしていたんだろー。それでもSF関係者は風聞していたらしく、後でのぞいたアサヒネットで筒井康隆さんが朝一番で死去の旨を書き込んでおられた。お正月に無理に知らせて帰省先からかけつけたり休みを返上してかけつける人たちが出るのを避けたいと思った上での配慮とも、類推はしてみるものの真相は依然不明。聞くと以前から相当にお加減が悪く病床にあったらしく、そんな姿をいっしょに競い合い高めあった仲間たちに見られたくなかったのかもしれないと、勝手な想像もしてみる。

 新潮文庫の100冊に入っていた「ようこそ地球さん」だったか「ボッコちゃん」だったかが最初の星さんへの接近遭遇。旧来ジュブナイルには親しんできたプレSFファンが、いわゆるアダルトも楽しんでいるSFに出会った最初の作家が星新一であった。同時遭遇に小松左京さん、筒井康隆さんがいるけれど、一番手軽にペラペラと読め、けれども心にジグジグと染みる味なり毒を持った作家として、他の人とは違う意味で生涯忘れ得ぬ存在となった。およそ刊行されている作品は目を通したつもりだが、そうなるとかえってあの新鮮な驚きをなかなか味わえなくなるのがつらく、再びの驚きを求めて新刊新作を待ち望みつつ、いたずらに歳を重ねて来てしまった。何年か前、ショート・ショート1000編を記念する作品が「SFマガジン」などを飾ったことがあって後、再び聞かなくなった星さんの消息に、次に出会ったのが訃報とは悲しんでも悲しんでも悲しみたりないものがある。

 およそほとんどの文庫が絶版状態となっている小松さんと違い、たぶん星さんの著作は今もしっかり刊行され続けているよーで、訃報に接してその偉大さを振り返りつつ作品を手軽に懐かしむことができるのが、不幸中の幸いといえるだろー。欲をいうならすべてのショート・ショートも短編も長編もエッセイもノンフィクションも普通小説も含めたすべての膨大な作品を、すべて再読できるよーな大全集なりを編んでもらえたら、これほど嬉しいことはない。偉大にして絶対、空前にして絶後、完全にして無欠なショート・ショートの、SFの、小説の、日本のそして僕自身の神様の死を今は心より悼む。そして名字そのままに星となって後も、永劫においてその作品が読みつがれ、業績が讃えられることを切に願う。

 いずれにしても星さんはもういない。手塚治虫、藤子・F・不二雄に続いて失ったSFの巨星、まだこれからも続くのかと思うと気分はいっそうめいるが、それだけ長い期間にわたって日本のSFが蓄積され育まれて来たのだと取れば、決して悲しくはなく、むしろ誇らしいとも言える。そしてその蓄積を消耗させないために、失わせないために何かしなくてはとゆー気持ちにいっそうかられる。可能な限り、力許す限りSFを読み、そして語ろう。


【1月4日】 理不尽にも正月明け最初の日曜出勤が回って来ていて、世間が最後の休日を家に雑踏に謳歌している中をトコトコと会社まで出かける。出勤といっても座って新聞でも読んでゲラが出たらチェックしてってな簡単なものだから、空いた時間に読む本でも探そーと出勤前に神田神保町の三省堂書店を散策するも、新刊の類は未だ入荷していないよーで、狙っていたノベルズの新刊も当然の如くゲットできず、とりたてて食指の伸びる新刊も発見できなかったので何も買わずに店を出る。

 入り口付近でLD−BOXを安売りしていて「ジャングル大帝」とか「トイ・ストーリー」とかが並ぶ中で、映画版「サンダーバード」のBOX定価15000円也が半額の7500円で並んでいて心動く、が買ったはいーけど見ていないLDビデオが増えていることも気になって、結局買わず終い。後になって悔やむのは、慎重その実優柔不断な人間がすべてにおいて後手に回って失敗するって典型、ですね。

 正月明けの恒例で部員あてに届いた膨大な年賀状を仕訳して、自分の分がどれだけの高さに積み上がるのかをチェックする。思い出すのは家族に届いた年賀状の、当然父親が一番多いとしても、双子なのに社交的で明朗とゆーまるで正反対な性格をした弟が適度の山を築くのとは対照的に、正月の新聞のチラシより薄い数しか集まらない、自分宛の年賀状の平原(山ではない)を見て、人とはなるほどなかなか分かり合えないものだと、深く達観した記憶が懐かしい・・・・って全然自慢にはならない。それでも長く仕事をやっていると、それなりに山は積み上がるよーになるもので、仕訳した後の山は、他の人と比べてもそれほど遜色がないくらいに積み上がっていて、被った仮面の大切さに、今さらながら気づく。

 東宝ビデオの年賀状は3月にビデオ化する伊丹十三監督の「マルタイの女」のポスターがデザインされていてちょっと笑えない。年明け早々のイチオシ商品ってことでハガキに使ったんだろーけど、まさか年末に逝っちゃうなんてハガキを作った時点では想像もしてなかったんだろーね。直接取材に訪れたことはないけれど、前に「快傑のーてんき」の写真を多分新聞協会所属の新聞では初めて掲載した幣紙を贈呈しておいたのが奏功したのか(そーなのか?)、ガイナックスからも不思議と絵ハガキが届いていて、このページで紹介されているのと同じ、摩砂雪さん描くところの可憐で美麗で色っぽい綾波がプラグスーツを着て半身で構えたデザインに、今年もガイナックスは「エヴァ」を引っ張るんだとゆー決意を想起する。引っ張り稼いでそれを「蒼きウル」にそそぎ込んでもらえれば、こんなに嬉しいことはないけれど、”グリンプス”化の噂も耐えない作品だけに、さてもファンとしての心配が募る。

 新しい年の紙面から「創刊65周年」と入っていたのにちょっと吃驚、いや別に自分の会社がこんなに長い歴史を持っていたことに驚いたんじゃなく、確かに「日本工業新聞」は65年前に大阪で創刊されているけれど、その題字を持った新聞は西日本の業界紙を統合して後に「産業経済新聞」と名前を変え、途中「産経時事」とか「サンケイ新聞」とかあれこれ題字を変えながら、今は「産経新聞」として、その正論を天下国家に向かって喧伝している。でもって「日本工業新聞」の題字を現在使っている新聞は、昭和33年に産経の子会社として復刊したものであって、正確には昭和8年に創刊された新聞の血統を辿っている訳ではない。平成2年に第3種郵便物認可を受けた雑誌「EYE−COM」の血統を辿る「週刊アスキー」とは別の会社が「EYE−CON」って雑誌を出したって、誰が10年近い歴史を持つ雑誌って考えるんだろー。

 これを「創刊65周年」と言ってしまうと、同じ「65周年」を名乗っている本紙「産経」とガチあって、ややこしいことになるんじゃないかと心配し、また血統的にも名乗って大丈夫なんだろーかと考えるものの、たとえベンチャースピリッツが行き渡ったとはいえ、創業100年200年なんて企業に妙に信頼感を置いてしまうニッポンだ、創刊周年だって多いに超したことがないんだろーと、ただでさえ影の薄い新聞が自己主張する手段として選択した今般のアピールを、とりあえず前向きに受けとめる。ホントのところは知らない。

 帰宅して寝て起きて読書。気合いが乗らないと手もつけられなかった桜井亜美さんの「14歳」を風呂に入りながら一気読みして帳尻を合わせる。タイトルどーり例の神戸での事件を題材に、”少年はいかにして殺人者となりしや”を桜井さんなりに類推して書いたノンフィクション的なフィクションで、まずはその生々しさが今も残りタブー視すらされている事件に、よくも果敢に挑んだものよと素直にその意志の強さを評価する。結果の見えている例の事件の、けれどもおよそ理解しがたいプロセスを想像した時、思い浮かんだのはやはり世間からの遊離感であったよーだけど、浮き上がって超越者として高みから下した行為なのか、埋没した暗闇から差し伸べた手が引っかかった挙げ句の行為なのか、その辺りで桜井さんの想像力が逡巡していて興味深い。

 少年が自らを無理矢理高みへと押し上げて、漂う感覚の中で犯行を重ねていったその心の描写に、学校なんかなくなってしまえば良いと思った昔を重ね合わせて、結構惹かれるものがあったため、事件の要因を自身を認めようとしなかった者たちへの復讐心へと帰結させてしまった展開に、「納得できるでど納得しなーい」(BY魎呼)と心の中で叫んだけれど、そう思わせるだけの心理描写情景描写が成されているということは、作者自身が体験のなかで、あるいは作家的想像力のなかで山を乗り越え折り合いを付けたんだろー。だからこそ後書きの部分で、高みから超越者然と振る舞う少年に降りてこいと呼びかけるのではなく、「シェルター」という言葉を使って、心を閉じこめた殻を壊して出ておいでと呼びかけているのだろー。便乗本ではない。


【1月3日】 早々と帰京したのもすべてはこのため、って訳でもないけれど、富田靖子が出演しているとゆーだけで見てみたかった香港版「キッチン」を見に、寝過ぎで惚けている頭を無理矢理覚醒させてえっとこやっとこ渋谷へと繰り出す。人の数こそ平時の週末にとうてい及ばない渋谷は、それでも結構な人出で「109」前あたりは開店街の人だかりなんかも出来ていて、もしかしたら映画もすでに定員いっぱいで見られないのかもしれんなーと、急ぎ足で東急本店向かいにあるシネ・アミューズへと向かう。

 シネ・アミューズでは現在「キッチン」とそれから「ブラス!」ってゆー炭鉱町のブラスバンドをテーマにした映画がかかっていて、入り口に張り紙によれば何でも「ブラス!」が大人気になっているそーで、チケットはお早めにお買い上げ下さいってな案内が出ていた。一方「キッチン」の方は上映からもう4週目くらいに突入しているせいなのか、それとももともと人気がないからなのか、張り紙もなく人だかりも出来ておらず、4階のカウンターで1時間前に購入したチケットの整理番号も、4番とひとケタ台で拍子抜けしてしまう。

 時間つぶしに途中にあった「STARBACKS」に向かうも、カウンターに群がる人波に座れそうもないと思って「PRONT」で我慢。珈琲の値段で「PRONT」とか「ドトール」の倍はする「STARBACKS」が最初に銀座の松屋裏に出来た時、早速のぞいて珈琲の味の良さには感銘を受けたものの、値段の高さに果たして流行るんだろーかと心配した記憶があるけれど、意外や日本人これで味にも五月蝿くなっていたのか、それとも誰かがどこかで大推薦でもしているのか、赤坂に渋谷となかなかなロケーションに出店しては、それぞれに結構な賑わいを見せている。世事に敏感とゆーか流行に左右されやすい性向の民族だから、いつまで保つかは解らないけどね。

 流石に八重洲の地下街に発見した時は、向かいの100円バーガーなマクドナルドと見比べて、何でまあこんな所にとは思ったけれど、安サラリーマンが憩う八重洲の地下街にしてこの賑わい、喫茶店よりは幾分か安い、それでいて味はしっかりした珈琲が飲めるってことで、働くおじさん買い物するおばさんにも。そのコンセプトが受け入れられたってことなんだろー。それでもフトコロ寂しい時は、やっぱり「PRONTO」「ドトール」に行っちゃうことから考えると、ますます厳しくなる景気に、果たしてどこまで耐えられるのかちょっと心配。地方でも流行っているんだろーか。

 時間が来たのでシネ・アミューズに戻って「キッチン」観賞。うーん富田靖子は徹頭徹尾富田靖子でありまして、笑わない顔の可憐なことよ、笑った顔の愛くるしいことよと「アイコ16歳」「BUSU」「さびしんぼう」以来の(隠れ)ファンとしては、もーそれだけでオッケーを出してしまいたくなる映画であった。ヌードも性描写なくその辺りを勝手に期待していた身には残念なところもあったけれど、下着姿にTシャツだけって格好でソファーで暴れ回るシーンで、鶴田謙二さん描く「チャイナさん」よろしく見せまくってくれる白に、ヌードよりも直裁的な性描写よりも一段の官能を覚えてしまう、僕はなんてお手軽な奴なんだろー。

 しかし「キッチン」、実は吉本ばななさんの原作を読んだことはあってもどんな物語だったかうっすらとしか記憶がなく、森田芳光監督の映画も川原亜矢子(だったっけ)って巨大な女の子が出ていたなーってくらいのことしか覚えておらず、香港版が原作や日本版とどう違っているのかも、富田靖子と川原亜矢子との女優としての比較もまったく出来ない。あえて香港版だけで話すなら、兄と死別した少女が兄の友人の青年とその母親(とゆーか父親)との暮らしで快復していく物語と、母親(とゆーか父親)を殺害された青年が疲弊して放浪の果てに今度は少女によって快復していく物語に、人間ってのはどーしても肉親の死を乗り越えないと成長できないんだろーかって疑問が浮かんで来る。

 これは吉本ばななさんの最新作「ハネムーン」でも感じたことで、祖父の死に父親の死に兄弟の死ってな死の流星拳を受けてズダボロになりつつも、青年が彼女といっしょに前向きに歩み始める物語に、確かに感銘は受けたものの、一方で感覚的に実に分かりやすい命題に(もちろん実際に経験した人にとってみればそうでない人の理解など薄っぺらなものでしかないんだけど)、ほんの少し興ざめする思いがした。篠山紀信が荒木経惟の写真に感じた「お涙ちょうだい」な心情にも通じる、死をもって人の心を動かそうとするその分かりやすい展開に、惹かれつつも反発心を覚えたのかもしれない。

 しかしまあ、こればっかりは経験してみないことには何ともいえない物なんだろー。感覚として映画なり小説なりで先取りしておくことで、いざとゆー時に意外と冷静にふるまえるのかもしれないし、あるいは映画なり小説なりの場面を思い浮かべてよりいっそう取り乱すのかもしれない。どっちにしたって僕にはキッチンで寝起きするよーなナイーブさもなければ、何もかも捨てて放浪の旅に出るよーな甲斐性もない。ともかくも映画のなかでそれぞれの肉親の死を乗り越えたカップルが、時間的なズレによって生じたスレ違いの果てにたどり着く一段の高みに、未だ成長せざる己を省みつつ映画館を後にする。入り口の看板に目をやると「ブラス!」は3回分が完売状態、人気あんだねー。

 秋葉原へと出てショップを散策するもめぼしい新作はもちろんなく、掘り出し物を探す気力も失せていたためそのまま秋葉原デパートに行ってパスタやらパスタソースやらを買い込んで帰宅。肉親が死んでも悲しみのどん底にあっても、やっぱり食べることからは逃げられない映画「キッチン」で描かれた人間の性癖を思い出しつつ、ミートソースを作ってゆで上げパスタにかけて食べるとおおなんと、落ち込んでいた気もはれ幸せな気持ちになって来たではないか。ビールを飲んだらこの世に怖いものなんて何もない、上司がなんだ会社がなんだと気ばかりが膨らんで収集がつかなくなり、やがて空腹になって酒もきれた時の反動の落ち込みを恐怖して、さらにアルコールへと手が伸びるのであった。グビグビグビ。


【1月2日】 初夢ってんでしょーか、なんだか訳の解らん夢でいったい今年は何が起こるんだろーかと思案する。どーやら舞台の上で順番を待っているよーで、それはどーも手に持った本を順に朗読していく舞台のよーで、これで結構発声と声質に自信があるためか、すでに朗読している奴を下手だなーと思い、早く順番がこないかなーと思って気ばかりが焦ってる。さあいよいよ自分の番が来たと思ってすっくと立って読み始めると、何故か仮名混じりの活字ばかりだった台本が漫画に変わっていて、アフレコよろしくフキダシを一生懸命追っかけては、セリフをつっかえながら読んでいる。

 どーやら大正時代を舞台に兄と病弱な妹が喫茶店かどっかで会話している場面のよーで、ってもこれが正解だったのかあるいは別の夢と混同しているのかもしれないけれど、ともかく最初は快調だった朗読が、次第に難しい漢字やら訳の解らない記号やらが混じって来て、1度ではとてもスムーズに読めない。つっかえたり間違えたりする割合も高くなり、内心とっても焦るのだが、会場はブーイングもなくなぜか静かで、その中で「あれっ」とか言ったり「むにょむにょ」と声を小さくしてごまかしたりしながら、必死で台本を読んでいく。この夢の意味するところを勝手に類推すれば、アニメファン講じて勝手に声優デビューなんぞをして、でも現場でウロが来てどつかれるってことなのか。1年が終わってみて改めて検証しよー。

 しかしプロの声優の仕事は流石なもので、それがたとえスッポコな素人の作ったアニメでも立派に声をあてては立派な作品へと変えてしまう。SMAPの香取慎吾と中居正宏の2人が夢を叶えるとゆー番組で、かつてアニメ声優の経験もあるからなのか香取慎吾、自分でアニメを作りたいなどとゆー無謀な夢を実現させるべく訪れた先が神をも恐れぬスタジオジブリ。鈴木敏夫プロデューサーから「CG使うから明後日の朝までに100枚絵を描いて来て」といわれて早速とりかかり、絵コンテからキャラ造りから原画描きに色塗り(なんで原画で色塗りなんだろー?)まで終わらせて、ジブリのCGルームへと持ち込んだのであった。

 さてジブリの奮闘もあって出来上がったフィルムに声をあてるは野田圭一さんに野沢雅子さんとゆー超が100コついても足らないくらいの大物声優2人。原画段階ですらスッポコなイラストにいったいどんな声をあててどんな作品にしてしまったんだろーと、不安たっぷりに番組が進むのを待っていると、現れたのはおおなんと、立派に動く香取慎吾製作のアニメ「シンゴマン」であった。アニメっても止まった絵を何枚か用意してパカパカを切り替える紙芝居のよーアニメで、これなら原画が100枚でも十分に作品として成立するはずだ。香取慎吾の描いた絵もそれなりにヘタウマ入っているから見られないこともいけれど、それ以上にフィルムにした時のキャラクターの動かし方やら光らせる演出やらモーフィングやらが効いていて、とりあえず見ていて退屈しない映像に仕上がっていた。流石はジブリ。

 もちろん声は立派にベテランで、香取慎吾自身も「チャチャ」でとった杵柄が多少は物を言ったよーで、「ポンキッキーズ」の中で5分だけアニメとして流したって1回くらいならそれなりにウケそーな印象を受けた。しかしこれってやっぱりジブリのアニメってゆーんだろーか、ってことは第2期「ジブリがいっぱい」LDコレクションに収録されるんだろーか。もしもこのまま消えたとしたら録画したビデオは結構なレアアイティムになるかもしれんなー。ポケモン37話とどっちが闇で価値が出るだろーか。デジタルで録画しておけば良かったかなー。

 育て中の「デジタルモンスター」が、軟弱な「ヌメモン」になったのを期に鍛えねば鍛えねばと別の「デジモン」と徹底的に闘わせ、圧倒的な勝利を収めさせる。まー相手はよーやくバトルが出来る段階まで育ったばかりだもん、勝つのは当たり前だよね。で、だいたい勝率どれくらいなら完全体へと成長できるのかと考えて、およそ70%前後だと勝手に憶測、傷つきながらもかろーじて73%の勝率を維持して待つこと(とゆーか放ったらかすこと)数時間、名古屋から東京へと戻る新幹線の中で、軽快な音とともにこれまですべて全滅の憂き目を辿っていた「ヌメモン」が、おおなんと可愛らしい熊のヌイグルミに変わってしまったではないですか。

 まるで「ポスペ」の熊みたいな軟弱テイストの肢体に、これは弱いキャラかと思ってカラオケ番長であるとろこのデジモン番長にお伺いと立てたところ、「ヌメモン」より変じる隠れキャラでかつ最強のキャラクター「モンザエモン」であることが判明、これならおよそすべての「デジモン」どもをケチらして、王者の地位を確保できるはずだと周囲を見回しても誰も「デジモン」持ってない。「モンザエモン」の寿命がどれくらいかは知らないけれど、いくらなんでも1週間も2週間も生きているとは思えず、せっかくの最強キャラも哀れこのまま闘わずしてその命を終えるのかと、悲しい思いにとらわれる。せっかくなのでもう1台の「デジモン」と闘わせて、圧倒的な勝利をくれてやることにしよー。お相手しましょーかデジモン2番長様さま様。


【1月1日】 寝て起きて寝て起きてしてたら紅白歌合戦も終わっていたよーでSPEEDもSMAPもアムロも見逃した、仕方がないのでそのまま部屋でうとうとしていると、午前の4時44分とゆーおよそ前代未聞かつ人跡未踏の時間帯にPメールが入って、なんでも花園神社での初詣が終わってこれから帰って寝るとかゆーことで、「そーですか」を返事を出してやっぱり寝る、ってしっかり起きてたんじゃねーか俺も。そーやって寂しい年明けは過ぎていったのであった。ごーん、ごーん。

 昼頃に起き出してサッカーの天皇杯をテレビで観戦、鹿島が点を取るシーンだけはパスが行ったり来たりするうちにスコーンとシュートが決まってカッコよかったけど、あとはロングボールやクリアボールが空中をふわふわとさまよい、スルーパスは途中でカットされてそれがまた取り返されてって具合の、あんまり迫力のない試合で途中で見るのをやめる。どちらのチームもまとまっているんだけど、「超スター」ってプレーヤーがいなくって、この人のプレイだったら釘付けで見てたいって気にならない。鹿島の柳沢だってまー1点はとったけど、ドリブル突破の迫力とゆーかここぞの1発ってゆーオーラとゆー点では、まだまだ役不足のよーな気がするし、横浜Fに至っては誰やねんて選手ばっかり。これがグランパスだったらピクシーはケガで休んでるし小倉もやっぱり出られないからおんなじか。うーん結局代表のそれも中盤から前の選手がいるチームに一般の関心は集まってしまうんだろー。平塚戦取りにくくなるねー。

 実家にいると使える雑誌が1冊もないと解っていたので前日に買い込んでおいた「モデルグラフィックス」をペラペラとめくって仕様に耐えうるか確認するものの、表紙こそGGGのスワンさんだけど、上半身しか映っておらずもちろん白もピンクも黒もなし、中のフィギュア特集も全体におとなしめのキャラばっかりで、唯一キャプターの桜か智世なら耐えられるかと思ったけど、硬質な感じがしてしまって気が萎える。こんなことなら「ペントハウス」か「宝島」でも買っておけば良かったと悔やむ夜なのであった、ってをいおいおまえ「モデルグラフィックス」を何の雑誌だと思ってたんだ?

 仕方がないので別に買い込んでおいた小説版「フォトン1」(黒田洋介、富士見ファンタジア文庫、520円)を開けたら大正解、いきなり口絵からびんびんと来るものがあり、中のイラストに至ってもうぴくぴくとして来て、これなら十分に使えると早速・・・・。具体的に解説すれば口絵の2枚目のアウン・フレイヤ、根っからの凶暴な性格を遺憾なくイラストでも発揮していて、ナナダン号から発射されたホバーの中で青ざめるパパチャを後目に、しっかを足ふみしめズバーッと指を指しているポーズで見えるのですよ白が。いや設定では何歳だったかしらたしか小学生くらいの歳だったよーに記憶しているアウンちゃんでもそれなりに発達しておりまして、キャミソールの下側からのぞく丸とともに、ふくらむ白が結構来るのですよどうですかそうでしょう(求同意)。

 しかしビデオのフォトン・アースは黒目のぶすったれたガキなのに、小説版のイラストは白目も描かれたお目目ぱっちりのショタに人気出そーなガキに描かれていて違和感ありあり。ビデオ版はこれなら絶対に活躍しそーもないヌーボーとしたガキが大活躍を演じるから驚くんであって、お目目ぱっちりの少年が活躍したって当たり前にしか思えないもんね。たしか元の設定がお目目ぱっちり系の少年だったからそっちの案を踏襲したのかもしれない。物語自体はビデオといささかの変化もなく、アウンが逃げてフォトンが追ってキーネと出会ってアウンは振られてパパチャと会ってくんずほぐれつ大戦闘、亜法機動兵は破壊つくされていよいよこれから大冒険、ってな第1巻と第2巻を合わせたところで小説も1巻の終わり。おっと次回につながるラシャラの脱走ってのがちょっとだけ描かれておりまして、これが引きってやつでしょーか。ともかくも小説、ビデオともに先を期待させる展開で、今から月末の発売日が待ち遠しいのでありました。

 「モデルグラフィックス」に戻って冒頭のヘッドラインでかの世界的なアーティスト(にしてしまおー)村上隆さんが作った巨大フィギュアの「ココちゃん」が、なんと5分の1サイズの正真正銘のガレージキットとなって「ワンフェス」で販売されるとあるではないか。原型製作が有名なボーメさんとあればそっちのファンの人たちにも人気が出ること請負で、限定50コはオープン直後に売り切れるだろーと思い、並んでまで買おーなんて殊勝な態度とは縁遠いぐーたらは早々にゲットをあきらめる。未来の巨匠のアート作品の1つであり、「イルカ」と「クジラ」の付いた「イルクジ」モデルだってんだから、ゲットしとけばきっとプレミア間違いない。しかしワンフェスに集う筋金入りのフィギュアの人たちって、村上隆さんのことをいったいどー思ってるんだろー。

 フィギュア界に嘴を突っ込んで来ている勘違いな現代アートのおっさんなのか、フィギュア界を世間一般に認知させよーと努力しているアート界のエラい人なのか。後者でいうところの努力は確かに認めるけれど、どーやらフィギュア界とりたててにアートの人に引っ張ってもらわなくたって一般世間に認知されなくたって、立派に一人立ちしてやっているよーで、傍目には両者の目指すベクトルの違いが気になって仕方がなかった。そこに思い至ったのか、最初はオタクの世界を「現代美術の方向へとねじ曲げて、アート世界でのコンテクストへ置き換える」と頑張っていた村上さんも、最近では見方を変えて「アートのさらに先に位置するもの、それがオタクなのではないか」とゆー仮説を立て初めているよーで、これならいっさい手を加えず思想も加えずありのままのフィギュアが、放っておいてもそのままアートとしても認められるとゆー一挙両得が成立する。

 ってことで1月3日から米国・ニューヨークのアートギャラリーで始まるボーメさんの個展の成否に大注目。報告会が25日のワンフェス会場イベントスペースであるよーなので、アートも好きだけど純粋無垢にフィギュアも愛でたい身の上として、是非とも村上さんによる報告を聞かねばならぬと思ってる。午後の2時かららしーので、それまでは会場内をウロウロとして米国での評価を踏まえつつ、果たして村上さん言うところの「オタクと純粋芸術はイコールの存在である」との仮説が正しいのかを詳しく観察したい。3万円も持っていけば足りるだろーか、って買うつもりだなああ買うつもりだよ。


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