縮刷版97年4月下旬号


【4月30日】 富士通パソコンシステムズがプレイステーション用のゲームソフトを初めて出すとゆー話を書く。「プリズムコート」という名のそのゲームは、女子高のバレーボール部の監督になって、選手を鍛えてインターハイ優勝を目指すという「スポ根育成シミュレーション」。チームプレーが信条のバレーボールという競技だけに、1人のキャラクターに気を配っていれば良い一般的な育成シミュレーションと違って、チームの6人全員に気を配らなくてはならない。1人を贔屓して鍛えてめちゃくちゃ強くしてもいーんだけど、それで勝てるほど甘くないんだろーね、バレーとゆー競技は。

 富士通というカタい名が冠された会社には似合わない内容、おまけに富士通グループではおそらく初めての自社開発PS対応ソフトとゆーことで、何よりも内容の出来不出来に関心が向かう。テーマは面白い。キャラクターデザインは「逮捕しちゃうぞ」や「らんま1/2」の作画監督を務めた中嶋敦子さんで、これがなかなかいーんだわ。声優は「エヴァンゲリオン」の伊吹マヤちゃんでお馴染みの長沢美樹さんに冬馬由美さん、丹下桜さん、久川綾さんと主役級を揃えているからまあ安心。プロデュースやシナリオを社内で行ったとゆーのが、ちょい不安をかきたてる要素だけど、なんでもこの企画をたてた人は、かつてどっかの会社でメガCD向けソフトなんかの開発に携わったことがあって、FPSに移籍後もグラフィック関連のツールなんかをやりながら、ゲームソフトの企画を通す日を虎視たんたんと狙っていたとか。もっともプレイしてみてナンボなのがゲームだから、結論を出すのはゲームが発売される秋以降にしとく。

 同じ富士通からCGを使ったチャットサービス「ハビタット2」を韓国にライセンス供与したとゆーリリースが届く。すでにアメリカでは「ワールズアウェイ」の名称でサービスが始まっていて、日本とはチョイ違うキャラクターとか背景とかが動いていると聞いていたから、韓国版では集合場所は焼き肉屋で、デパートに行けば床が抜け、橋を渡ればケタが崩れ、マップで北の方を選んで進むと戦争やってたりするって、そんなことはまったくなく、背景なんかにやや韓国的な要素が入るくらいだとか。確かに日本の「ハビタット2」だって、集合場所は茶室じゃないし、背景には富士山も鷹もナスビも映っておらず、女性はゲイシャの格好をしていない。日本的な要素を期待して、アメリカからインターネット経由でアクセスして来る人は、きっとガッカリするんだろーね。

 1937年に消息を絶った女性飛行士、アメリア・イヤハートを主人公にした「アメリアの島」(ジェイン・メンデルソーン、小沢瑞穂訳、1200円)を買って読む。といってもアメリアの伝記ではなく、人気絶頂ながら心に寂しさを抱えていたアメリアが、世界一周の旅に出て太平洋上で消息を絶った時、実はある島に不時着していて、航空士のナーンともども生きながらえ、彼との交流を通じて心を取り戻していくという一種のファンタジー。予定調和すぎる嫌いはあるが、アメリアのようにせいいっぱい羽を伸ばして虚勢を張っている人が多い世の中だけに、そのストレートさが一服の清涼剤となって心を和らげる。

 飛行機好きには結構有名なアメリア・イヤハートの名前を、僕は実はふくやまけいこさんの漫画「ゼリービーンズ」で知った。主人公の名前が確かアメリア・イアハートといって、管理された未来社会でアウトサイダー的な生活を送っている女性だったが、後書きでふくやまさんが、女性飛行士のアメリアからその名前をとったことを明らかにしていた。ふくやまさんは今も「まぼろし谷のねんねこ姫」のよーな作品を描いたりして、しっかり活動を続けているけど、メジャーかというと決してそうではないみたい。きっと10人のうち9人は知らないって言うだろーね。「アメリアの島」が話題になって、映画化までされちゃったら、アメリアの名前ももとの飛行士の「アメリア」に取り戻されてしまって、「ゼリービーンズ」に登場した都会で突っ張って生きている女性「アメリア」は、そのまま忘れ去られていくんだろー。ちょっと寂しー。

 「少女革命ウテナ」は前回からの続き。慣れたのか改善されたのか絵がぜんぜん気にならなくなり、薔薇がくるくるまわるギミックにも、違和感を感じるどころか好感さえ持つよーになっている自分に気が付いた。苦手だった決闘シーンで登場する「絶対運命黙示録」の歌も、あの場面に相応しいと感じるよーになってしまったから、そのハマリ度はなかなかの粘度。もはや抜けられない所まで来てしまったよーだ。GW中に時間があれば、第1話からビデオで見返してみよー。新しい発見があるかも。来週は先週の「でんでんむし・青大将・生たこ」のシーンで、ギャグキャラとしての要素をいかんなく発揮してくれた七実ちゃんが、またまた大活躍してくれるみたい。絶対見ねば。しかし単行本の1巻は相変わらず売ってないなー。


【4月29日】 「ポンキッキーズ」を見る。別に毎朝見てるから珍しくはないんだけど、会社に行かなくたってせき立てられるよーな気持ちで見なくていーのが嬉しい。でも「ミュージック・ファクトリー」の「スチャダラパー」の歌はアニの歌がよく聞き取れないし、普段はうまいボーズもなんかズレてる。レコードじゃないから仕方がないのかなー。よく解らなかったのはボンネットバスにぎっしりつまった(たぶん)大蟻喰の集団。ぬいぐるみだけどあの長い頭はちょい異様で、それが全員ベースボールシャツを着ていてとってもヘン。バスから降りてグラウンドに立って野球を始めるだけって、そんな起承転結もないストーリーを、大蟻喰とゆービジュアルで見せている。シリーズになるんだろーか。でも大蟻喰ならやっぱ吾妻さんのコミックに登場するヤツが好きなんだがなー。

 エンディングは濱田マリ唄うところの「ピピカソ」。いつも思うのだが、「シューシュシュシュシュッ、シュールも」のところで青地に白い雲が描かれた鳥が踊っていているアニメを見て、どのくらいの人がマグリットを思い出しているんだろーか。たぶんこれってマグリットの「大家族」から題を取ってるんだよねー。描いているのは現代美術で人気急上昇中とかゆー「MAYA MAX」とゆー人らしーけど、いわゆる「ヘタウマ系」のイラストレーターとどう違うのか、未だによく解らない。

 そもそもが何を基準にして、アーティストとイラストレーターが分かれるのかが解らない。どっちだっていーじゃんと思うのだが、作り手側の矜持ってもんがあるのかなー。あと世間的評価とか。アーティストとして世間的評価が高くなるとイラストの仕事が減って食えなくなる? ってのはちょっと悲しいぞ。シナジーワークスから「MAYA MAX」さんの作品を収めたCD−ROMが出ているから、時間とお金があったら見てみたいけど、荒木経惟さんの「旅少女」も欲しいしなー。うーん。

 河内屋酒販でバーボンを仕入れる。プレハブ作りの仮設店舗になってから、あれだけ揃っていたバーボンの在庫ががたっと減ってしまったよーで、珍しいかったりバカ安かったりするものがなくちょっとがっかり。「ジャックダニエルズ」とか「I.W.ハーパー」とか「フォア・ローゼズ」なんて前に飲んだことがあるのを買っても面白くないので、棚に何本か残っていた「エライジャ・クレイグ」とかゆー坊さんの名前をとったバーボンを1本仕入れて帰る。角瓶でも丸瓶でもない紡錘形の瓶に、プラスチックでも金属でもないコルクのフタがはまっている。うまいんだろーかまずいんだろーか、って味も解らない人間のゆーことではないな。アルコールさえ入ってりゃー、ホントはなんでもいーんだもんな。

 会社によって仕事をしてから、神田神保町の三省堂書店で開かれた筒井康隆さんのサイン会に行く。新宿での第1ラウンドを終えてかけつけた筒井さんはパリっとしたスーツ姿。「復活第一作」と大きく表紙にまで入った「邪眼鳥」(新潮社、1300円)に、筆ペンで1冊づつ、丁寧にサインを始めた。順番待ちのために、三省堂の隅にある非常階段を2階まで登って最後尾につくと、後から後から人が集まってきた。結局いったい何階くらいまで繋がったのか解らなかったけど、ネットの方で何時間かかろうとも最後までサインするからと宣言していた筒井さんだから、それを見て遅く行っても安心と思った人もいただろー。もしかしたら終業時間を過ぎてもサインし続けていたのかも。ご苦労さまです。

 しかしさすがは役者の筒井さん。サインする一人ひとりの顔をみて、「やあ」とか「ああ」とか「おお」とか「ありがとう」とか、そんな声をかけて親しげな表情を見せていた。自分の方は筒井さんを読んだり見たりしていたけれど、向こうがこっちを知っているわけはないよねって思っている人にとって、たとえ演技でもいいから嬉しそうな顔を見せてくれるのは、なんとも嬉しい限り。僕自身は記者会見で2度、パスカルで2度、ほかにイベントなどで数度、筒井さんのナマモノを見たことがあるけど、インタビューなんかしたこともなく、会見では質問もしなかったので、向こうがこっちを覚えているはずはない。にも関わらず、やっぱり「ああこれはどうも」と言ってくれて、なんだかトクした気分になれた。サイン会はやっぱサービスだね。

 平和堂でクラークスのデザートブーツを買って帰る。簡単な仕組みの靴なのに、履き込むほどにしっくりくと足に馴染んでくるデザートブーツが大好きで、ホントだったら全色そろえてズラリ靴箱に並べておきたいと思っているくらいのファンなのだ。これまではスウェードのしか買ったことがなかったけど、今日は若干オフィシャルな場でも履けるよーにと、黒い普通の皮のを購入する。サイズは7で、最初はちょっち小さくキツイけど、これがだんだんと伸びてきて、やがて足型にピッタリくるから不思議。週末はこれ履いてあっちこっち出かける予定なので、見かけた人は是非一声(って解るはずはねーよなー)。

 帰って「新・天地無用!」を見る。単独のアニメとして見れば、絵は悪くないし、キャラの崩れもシナリオのだれも減って来て、それなりに楽しめる作品になったけど、でもやっぱりOVAの「天地無用!魎皇鬼」を知っている世代には、明らかにパロディーから派生したと認識できる「プリティーサミー」と違って、ほぼ同じ設定のキャラクターたちが、ただいたずらに騒ぎ立てているだけの「新・天地無用!」は、やっぱり寒い作品に見えるんだろーなー。「光の皇子」だった柾木天地がまったく活躍しないんだもんなー。やっぱ頭を切り替えて楽しむしかないんだろーなー(とかいーつつ、ずーっと見ているオレって何なんだ?)。


【4月28日】 眼鏡を買う。レイバンのウェイファーラーと同じ形をしているのに、レンズの代わりに黒い板が入っていて、瞳の正面あたりに5つ、真ん中と上下左右の計5つ穴があいている。それって眼鏡じゃないじゃんて人はきっと経験のある人ですね。そうこれは眼球の筋肉を鍛えて近視やら遠視やらを直してしまおーとゆー「視力矯正眼鏡」。本屋なんかに行った時、勘定場とかに袋にはいったアイマスクタイプのを見かけたことはあったけど、眼鏡タイプのをたまたま丸善で見かけたので恥ずかしいのも省みず、ついつい買ってしまった。

 小さい点でもしっかり向こうが見えるのは不思議とゆーか当然なんだろーけど、でもマニュアルに従って左右上下と眼球をグリグリ動かしていると、とたんに眼が疲れて痛くなって来る。かえって眼を悪くしてしまいそーな気がしてならない。それでも我慢して5分、10分とつけているうちに、眼球の筋肉が腕立てをやったときの上腕の筋肉とか、腹筋をやったときの腹の筋肉のよーにピクピクし始めて、おー効いてる効いてるって気になってきた。このまま毎日続ければ、やがて眼鏡いらずとなる、のかどーかは解らないけど、これで直れば本当のレイバンのウェイファーラーがかけられるから、とりあえず頑張る。筋肉痛になったら「エアー・サロンパス」ってそれは絶対無理だけど。

 日販から届いた週報を見ていて、「攻殻機動隊」のスーパーグラフィック・コレクションとゆー商品が欲しくなる。B3ポスターを10枚セットにした写真集とゆーかポスター集で、5大付録として「フチコマ」のペーパークラフト、「草薙」ジグソーパズル、切手式草薙シール、「フチコマ」カラフルシール、作者の解説が掲載されたB5版ブックレットが付くとか。初版はすべてナンバリング入りで、テレホンカードを原価で購入できる権とか銀剥がしカードによるオリジナルグッズプレゼントとか、まーいろいろな得点が付いてくる。ほら欲しくなって来たでしょー。でも値段が9000円ってとこがちょいネック。同じ頃プレステ版のゲームも出るからそっちにお金を突っ込む可能性も高いから、これでボーナスの行き先の大半が決まってしまったよーなもんだ。

 面白そーな本では5月下旬にとり・みきさんの対談集「マンガ家のひみつ」が徳間書店から発売される見通し。対談相手は永井豪さん、江口寿史さん、青木光恵さん、永野のりこさん、吾妻ひでおさんなどバラエティーに富んでいる。とりわけ吾妻さんとの対談は、時代をはさんで屹立する2人の同類の異能が何を語るのか、とってもとっても興味がある。同時代に屹立する唐沢なおきさんとの対談も興味津々。イラストとかは入るんだろーか。ほかには京極夏彦さんの「嗤う伊右衛門」が5月25日とか、鈴木輝一郎さんの「はぐれ五右衛門」が5月中旬とか、そんなところ。今市子さんの「百鬼夜行抄」も第3巻が出るみたいで、これで5月も給料の大半が本に消えることは決まった。

 ディズニー・インタラクティブ・ジャパンからリリース。家でディズニーキャラクターが付いた便せんとかポストカードとか名刺とかを簡単に作れちゃうソフト「プリント・スタジオ」のシリーズに、本命であり真打ちともいえるキャラクター「ミッキーマウス」のバージョンがいよいよ投入されるとゆー話。ディズニーといえばキャラクターの著作権に五月蝿いことにかけては世界一ともいえる会社。そしてキャラクターの世界を守ることに一生懸命な会社。そんな会社が、家で自由にキャラクターを使った封筒やら便せんやらを作ることができるソフトを出すなんて、やっぱり不思議で仕方がない。

 デジタルの画像データだから、あれこれいじくれば「サザエボン」なんて眼じゃない、「ミッキーダック」とか「バックスマウス」(WBと混じっちゃった)とかいった、ありゃりゃこりゃりゃなキャラクターだって作れちゃうんだろーけど、まー商売物にしたとたんに、全世界でかかえる数万人(は大袈裟だけど)の弁護士がどどっとやってきてぴーぱー言い始めることは確実なので、購入者の方々は、ゆめゆめ脱線はなされぬよーに。

 特別な仕事の方は今週が掲載日。とりたてて問題もなく進んでいるよーなので、早めに仕事を上がって、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」を銀座の松竹で見る。東映での試写とあわせてこれが3回目の観賞。新しい発見もなにもないけれど、何度見ても「デス」編のキレた編集には頭をぐりゃぐりゃにされる。声優さん総出演のアスカ絶叫シーンは何度みても誰が何番目なのかさっぱり解らず、耳の悪さ音感のなさを痛感する。でも眼を鍛えていたおかげで、インサートされる「陵辱」とかいった文字ははっきり見ることができた。鍛錬重要。

 「リバース編」は携帯かけながら通路を奥に向かって歩いていくミサトさんのシーンが大好きで、今回もこのシーンと、シンちゃんの例のシーンを見にいったよーなもんだった。しかしあと1週間で終わりとゆーこの時期の最終回に、100人くらいは入っていたとゆーのは結構なもんだと思う。銀座だからかもしれないけれど、同じ銀座で見た「攻殻機動隊」なんて、金曜日とはいえ昼間で数十人しか入っていなかったから、やっぱ「エヴァ」は社会現象化してたんだなーと納得する。でも「Bart」の特集は時期をハズしてるよな、やっぱり。


【4月27日】 筋肉痛。30を幾つか過ぎると当日よりも2日目、3日目の方が痛みが激しくなりよーで、今日はまだしもきっと明日は、ベッドから降りるのも億劫になることだろー。次善の策としてラモスを冷やすために開発された「エアー・サロンパス」を足とふくらはぎに塗ると、さすが表面温度6000度の熱い漢(おとこ)ラモスを瞬時に冷やすだけのことはあって、すいーっと染み込んで痛みがおさまり、なんだか足が軽くなって来た。けれどもスプレーをかける時に大腿部の付け根の方に薬剤がまわってしまったよーで、ふにゃふにゃでシワシワな「き○た○」にも少しかかってしまい、すいーっと染み込んであとは七転八倒のクルシミが。

 プリントに出していた写真を取りに近所のスーパーに行ったのが運の尽き。ついでにと思ってさほど期待せずにのぞいた玩具売場で「汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン量産機」つまりは「ウナゲリオン」の「LM−HG」を見つけてついつい購入してしまう。いきなり複雑な「初号機」を作るよりは、量産機だけあって形が単純化された「ウナゲリオン」で練習してからの方が良いと思ってのことだけど、いざパッケージのフタをあけると真っ白な部品がうじゃらうじゃら出てきて、とたんに気後れしてしまう。

 昨日買った「E計画」の企画では、バンダイの人が「初号機」の「LM−HG」をわずか28分で仕上げてしまったそーだけど、慣れない上に妙なところで慎重な僕では、たとえ練習台代わりの「ウナゲリオン」でも、ニッパーは田宮のオリジナルでカッターはもちろんオルファ、んでもって腹の隙間を黒く塗るのはやっぱりマジックが最高などと、ウケ売りの知識に縛られてなかなか手が出せず、1年経っても2年経ってもパソコンの上で、「初号機」ともどもホコリを被ったままにしておくんだ。きっと。たぶん。絶対に。

 今いちばん流行っているものを知っておくのが新聞記者の役目だと思って「SPEED」の写真集を買う。今いちばん流行っているのが何かを知るための「資料」として買ったもので、決して撮影者が加納典明さんだからきっとそれなりにキワドイ写真がいっぱいあるんだ、こないだまで小学生だった島袋寛子ちゃんをアップでしっかり見たいんだ、なんてヨコシマな気持ちで買ったのではありませんから絶対に。

 しかし加納典明ってて割にはつまんねー写真が多くって、バストトップどころかフトモモすら見えてねーじゃねーか、おいこらこん畜生。粒子は粗いしピントは甘いしアングルは最低だしポーズは陳腐、こんでよく写真家なんていってられるな、典明さんよ、って「SPEED」のファンの人ならきっと心から思うでしょうが、何しろこちらはあくまでも「資料」として買っただけのこと、決して怒りはしねーからよ、次は頼むぜ典明さんよ。「ザ・テンメイ」ってな感じにバッチリやっちゃってくれよな。

 怒りを沈めて(僕が怒っている訳じゃないからね)、メルヴィン・バージェスとゆー人の「メイの天使」(石田善彦訳、東京創元社、1400円)を読む。「蒲生邸事件」(宮部みゆき、毎日新聞社、1700円)を思い起こさせるタイムトラベル物だけど、予定調和なハッピーエンドに終わらないところがいかにもイギリス的ヒネクレ方。けれども現実から乖離した夢を見せるよりは、厳しく哀しい現実に直面させた上で、これから何をしたらいいのかを考えさせるにはうってつけの物語であり、排除されることのつらさを我がものと思わせて、他への慈しみを覚えさせる物語として、これからの世界を担う子供たちに、是非とも読んでもらいたいと思った。

 読了語、ひとりぼっちで50年の時をさまよった人がいたことだけは、ちょっと許せないと思いつつも、始まったばかりの主人公たちの未来が幸せなものであることを、心から願わずにはいられない。去年のスーザン・パルウィック「いつもの空を飛びまわり」(安野玲訳、筑摩書房、1545円)のよーに、今年のベスト・ファンタジーにたぶん入るだろー1冊。国内では既刊とゆーデビュー作「オオカミは歌う」(偕成社)も、是非探して読んでみたい。


【4月26日】 宝焼酎の「プラニパ」を飲みながら「むつかしいこと」を考えてしまったので、脳味噌の程度がジャン・レノ演じる肉体(だけ)派の「レオン」のよーになってしまって、ばたっと気を失ってしまった。気が付くと今朝。日記の更新が遅れてしまい、急いで「むつかしいこと」にケリをつけてアップする。そのまま支度をして電車に乗り、サッカーの試合へと向かう。特別な仕事に関わっていた関係で、土日も会社に詰めていなけりゃいかんのかなーと思っていたけど、早め早めに原稿を書き上げて担当の方に出してしまったのでヒマになった。楽をするために苦労するなんて、なんだか西澤保彦さんの「瞬間移動死体」のコイケさんのよーだなー。

 代々木でサッカーショップに立ち寄ってサッカーボールを買う。昔日銀の記者クラブにいた時に、クラブ内の自販機の紙コップに付いているシールを貼って投票するとヴェルディのサッカーボールが当たるってキャンペーンがあって、見事ボールを当てたことがあった。でもそのボール、4年も経った今ではすっかり空気が抜けて、ふにゃふにやでシワシワな「○ん○ま」のよーになってしまって、蹴るとぶにょぶにょにょっと音を立てて飛んでいく。これじゃー使えないので、新しいのをと思ってタナを見ても、どれが良いサッカーボールでどれが悪いサッカーボールか解らないので、「セレクト」とゆーブランドのスウェーデン代表仕様セール品2900円なりを買う。

 子供の頃はサッカー部にて毎日サッカーをやっていたのにサッカーボールを買ってもらえなかった。なのに30過ぎて2カ月に1回くらいしかサッカーをやらないのにサッカーボールを持っているのって、人生においてとってもムダな資源配分をしているなーと妙にしんみりしてくる。もし子供の頃にサッカーボールを買ってもらっていたら、毎日のように蹴って遊んでうまくなり、今頃Jリーグで大活躍していたかもしれない。今手ともにあるサッカーボールがブラジルの小さな町の子供たちのもとにあったら、そこから10年後、20年後にワールドカップでハットトリックを決めるサッカー選手が出て来るかもしれない。

 けれども現に今この足下に2カ月に1度しか蹴ってもらえないサッカーボールがあるわけで、資源というものは欲しい人のところにはいかないもの、欲しい時には手に入らないもの、とかく人生ってままならないものだなあと嘆息する。ワープロがあったら作家だあといってワープロを買い、作家になるならパソコン買わなきゃといてマックを買って、結果連日駄文をネットに垂れ流している意志薄弱な人間がごくごく身近にいることは、ここではあえて触れないでおこー。

 試合は1敗1分。だって相手にはストイコビッチみたいな外国人(でも日本語しゃべる)がいるんだもん、んでもって華麗にセンタリングあげるんだもん、かなうわけがない。でもそのチームには引き分けたから、とりあえずは良しとしよー。しかし昔みたいに点をぼかすか取られなくなったのはいーけれど、守備にかまけすぎて中盤を開けてしまい、前線がボールを持ったまま孤立したり、中盤を相手に制圧されてしまって点を取れないのは相変わらずだった。

 大量得点で負けると気力が一気になえるが、最小得点差で負けるってのは神経が一気に疲れるのでやっぱりイヤ。中盤の組立と前線での仕事ができるストイコビッチみたいな外人を、ウチも1人スカウトするか。ユーゴに行って日本語を教えて日本の大学に通わせて日本工業新聞に入れる。それだけで(どれだけだ)我がチームにピクシーが1人誕生だ。でも仕事先で「まかせてちょーよ」と安請け合いばっかしそーだしなー。コロンビアでバルデラマみたいのを育成するか。ちょっと会社回りはさせにくいけどね。あのヒゲと頭では。

 特別な仕事が片づいたら作ろうと思って買っておいたものの、今はパソコンの上でホコリを被っている「新世紀エヴァンゲリオン初号期輸送台仕様」を、特別な仕事が片づくメドがついたので、いよいよ作り始めよーかと思って、角川書店から出た「E計画 新世紀エヴァンゲリオン模型製作読本」を買う。主にバンダイの「LM−HG」シリーズについての作り方テクが、写真をいっぱい使って紹介されていて、これさえあればジャケ写のよーな美しく華麗なエヴァを、僕だって作れることができるんだと勇気がわいてくる。あとはニッパー買ってヤスリ買ってピンセット買って、エヴァカラーの塗料買って筆買ってエアブラシ買うだけだーって、道具とマニュアルに凝って凝って凝りまくる癖は相変わらず直んねえなあ。んでもって出来上がりは子供に負けるんだ。情けない情けない。


【4月25日】 洋書屋の銀座イエナ書店で「デススター」の形をしたポップアップ絵本を見かける。ビニールがかかっていて試せなかったけど、ウラの説明を見るとどーやらパカンと開いた時に、レイアだかルークだかソロだかモフ・ターキンだかダース・ベイダーだががポコンと立ち上がり、んでもってデススターのモニター部分とかコンソール部分とかがバカンと立ち上がって、「デススター」の司令室、収監室、ごみ箱ってな具合に変わっていくものらしい。確かめた訳じゃないけど。ちょっと欲しまるが、3000円超の値段を見てその場はあきらめる。

 ペーパーバックの棚でK・W・ジーターの「ブレドランナー3」を見かける。日本では去年の夏にようやく「2」が出たばかりなのに、アメリカではもう「3」が出ていたのかと思ってわくわくしながら手に取るが、2、3ページめくっただけですぐに棚に戻す。だって解らんないんだもん、英語。たぶん「2」の続きの世界なんだろーと思うけど、しかしいったいどんなストーリーになっているのか皆目検討もつかず、この時ほど英語が読めないのがすっげー悔しいと思い、明日から駅前留学するぞーっとはりきるも、とりあたまなので翌日にはケロリと忘れているに違いない。しかしいつ出るんだ日本語訳は。朝倉久志さんもー取り掛かっているのかな。洋書屋ではあとジョック・スタージスの写真集をみかけて、「デススター」よりもっと欲しまるが、どーしてなのか理由はちょっと説明できない。まあ実物見れば一目瞭然、ってヤツなんだけどね。

 「SFマガジン」で「SFクズ論争」の第2弾。巽孝之さんと小谷真理さんにタッグでやられた森下一仁さんは、御両人の事実誤認の部分に絞って反論することが主だから別として、高野史緒さんが寄せている一文には、納得できるけど納得しない(by魎呼@天地無用!魎皇鬼)部分も幾つかあって、読みながらうーんと頭を抱える。例えば「時としてブンガクを軽蔑する風潮さえ感じられる」とSF業界のことを書いている点で、これなどは20年近くSFを読んで来たSFプロパーでありながら、自分にはまったく身に覚えのないことだ。

 だって基本じゃないですか、小説として、小説作法が稚拙じゃなくって文章が雑じゃないってのは。小説作法が稚拙で文章が雑なら、いくら手法としてのSFが面白くったって、はっきり「クズ」と読ぶ。SFにかぎらずミステリーだってホラーだってアクションだって時代だって、ジャンルである以前に小説なんだから、いくらそれぞれのジャンルのモノサシで測った結果が立派でも、小説という土台がしっかりしていなかったら、読んでいるあいだに崩れちゃう。

 「SF的な手法や道具立てにケチをつけられ『たいしたことのないSF』というレッテルでキズものにされた文学レヴェルの作品」という言葉にも、いまいちピンとこない。『たいしたこのないSF』という言葉は、作品のSF的手法という1面についてのみキズをつけるのであって、その作品が持つ文学性をも含めて全否定しているのではない。ほかに「キャラクターが良い」とか「描写が上手い」とか「テーマが重厚」とか、評価する基準はいくらもあるわけだから、キズものにされたなんて思う必要は全くない。

 「SFとしてキズがある」ためにSF業界内部で「たいしたことのないSF」と見なされた作品が、よしんばSF業界からパージされたとしても、どうして主流文学から「文学性のないクズなSF業界でさえ評価されなかったくらい下らないSF」と見なされることになるのか。「下らないSF」が「すぐれた文学」である可能性だって多分にあるわけだから、たとえSFのレッテルが張り付けてあったとしても、そしてSFの業界でその文学性を評価できなかったとしても、主流文学の方が主流文学の要素をピックアップして、主流文学として評価すればいいではないか。SF度を測るモノサシを持って読んだ上で、「たいしたことのないSF」と評するSF業界側よりも、文学的モノサシで測ることなく「下らないSF」と決めつけて鼻も引っかけない主流文学の方が、よほど罪が深いと思う。

 とはいえ、現実にSFというジャンルを「むずかしくてわからない」「下らない」と思って読まないでいる人は多いわけで、読まれなければいくら作家が頑張って文学的努力をしても、その成果は絶対に伝わらない。できれば大原まり子さんのように「SF」というジャンルを意識しつつも「どうダマすか」に腐心して、外部の読者を引きずり込んでいって欲しいんだけど、そんな苦労(やっぱり苦労するんだろうね。いったんレッテル貼られると)はしたんくないんだと高野さんが思うのなら仕方がない。たとえ文学のレッテルが貼ってあっても、SF業界の側でSFのモノサシで測らせて頂くだけのことで、文学の側ではそんな異次元のモノサシなんか気にしないで、文学のモノサシで測って評価して下さい。しかし文学のモノサシってどんな目盛りが付いてるんだろう。

 「スレイヤーズTRY」は敵のボスキャラが登場。これが魔族でとっても強いゼロスでさえも頬をピクつかせるくらいの大物で、とりあえず顔見せだけして去っていったボスキャラをリナたちが見送る場面に、おもわず亀仙人の声で引きのナレーションをいれたくなった。「NEXT」までの世界で頂点を極めちゃったリナたちに再びドラマを演じてもらうには、外の世界で未知の勢力に出会わせる必要があったってことだろーけど、これをやりすぎると、歯止めがきかなくなって崩壊していった「ドラゴンボール」みたいになっちゃうぞ。


【4月24日】 秋葉原で取材。時間があったのでコーヒースタンドで朝食を取っていると、その取材先のバッチを付けて、青い大きなバッグを下げた一群がどたどたと入って来て、お茶し始めた。バッグに入っているのはカレンダーの見本らしく、どーやらその会社では、新入社員に商品サンプルをもたせて売って歩いてこさせるみたい。時間的にはとうに始業時間を過ぎているから、とどのつまりはサボリってこと。当の本人たちもそのことを解っていて、「この時間だって金もらってんだよな」ってなことを喋り合っていた。

 これからその会社の一番エライ人に合うことを黙って会話を聴いていると、「美容院に行ったんだけど急がしくって話を聞いてくれないんだよ」と情けなかったり、「これから病院に行って知り合いの人に売るの」と勇ましかったり、人によって千差万別なとらえ方をしていることが解って面白かった。あとでその会社の古手の人にきくと、この研修はどーやら伝統的なものらしく、「売れるはずがありませんけど、中には1人、2人売ってくる人もいるんですよね、飛び込みで」と言っていた。言葉も歩みも勇ましかったお姉さん、果たして手応えはどーだったのかな?

 夕刊紙にMRTAのセルパ容疑者の遺体写真が載っていて、そーかやっぱりみんな殺されちゃったんだなーと納得する。昨日の時点ではどこも遺体も映さなかったから、もしかしたら今回の突入は、人質の無事な解放を条件に、実はMRTA側と綿密な打ち合わせの上に行われたもので、すでに犯人グループは地下トンネルを取って全員脱出していて、警察は空砲をバラまいた上に火を着けて、全員死んでしまったよーに見せかけたんじゃないかと空想していた。あるいは占拠そのものがフジモリ大統領の3選を実現するためのヤラセだったとか。実際には世の中そんなに陰謀はないらしく、普通に占拠して普通に射殺(爆殺)されていったみたいで、そー考えると事実はあんまし小説ほどには奇じゃないなー。

 会社の1階でにわかな人だかり。オレンジジュースを買いにいったついでにのぞいてみると、おーあれは総理夫人、じゃなかった総理夫人を演じている鈴木保奈美さんではないか。背もちっちゃいけど顔がとにかくくちっちゃくて、そのまま鞄に入れて持ち歩きできそーな気がした。今度機会があったら頼んでもよー。「顔下さい、持って歩くんで」。どーやら芸能人づいてる日だったらしく、夕方から東京国際フォーラムで開かれたブエナ・ビスタ・ホームエンタテイメントの「おしゃれキャット」発売記念イベントに顔を出すと、そこには芸能人うじゃらうじゃらと歩いていて息がつまりそーになった。芸能人の吐いた炭酸ガスを僕が吸ってるんだって思うだけで・・・別になんともないか。

 会場にいた芸能人を知ってるだけ挙げれば、去年の今頃、荒木経惟さんの写真集で多忙を極めていた藤田朋子さんとか、チームが好調で鼻高々のヤクルト野村監督の奥さんとか、お尻評論家の山田五郎教授(芸能人か?)とか、映画評論家の水野晴郎さんとか、マジシャン引田天功さんとか、石田純一さんの奥さんの松原千明さんとか、それはもうテレビや雑誌で見たことのある顔、顔、顔が、それほど広くない会場のそこかしこで見受けられた。おっと忘れちゃいけない、「キャット」といえば江戸屋猫八、子猫親子が和服姿で演壇に登場して、サカリの猫の真似に始まって、こおろぎにウグイスにほかいろいろを目の前で演じて見せてくれた。

 「おしゃれキャット」の主人猫はダッチェスとゆー子持ちの美猫。そのイメージにぴったりとゆーことで、モデルの緒川たまきさんが壇上に上がって、代表者の星野康二さんからディズニービデオの詰め合わせパックをもらって喜んでいた。ピンクのドレスで、猫のエサである魚をイメージしたとかで、スカートの部分にウロコのよーなビラビラがいっぱい付いていた。その後で、猫好きのイベントの掉尾として、猫のエサが2匹、拍手に迎えられて登場、愛嬌を振りまいていたって、つまりはミッキーマウスとミニーマウスが激励に駆けつけたってことだけど、いくらディズニーを代表するキャラクターだからって、猫の映画のイベントに、何も鼠のキャラクターを呼ばなくってもいーのにね。

 メルヴィン・バージェスとゆー人の「メイの天使」(石田善彦訳、1400円、東京創元社)を買う。あとがきによれば英国ではヤングアダルトとして出版されている本で、これがどーして日本では一般文芸書になるんだろーかと頭を悩ませる。ついこの間、向こうでは大人向けのファンタジー(っても大の大人が読んでいるのかは知らないけれど)であるスプレイグ・ディ・キャンプの作品が、日本でヤングアダルトとして翻案出版されて、ファンタジー好きの顰蹙を買っていたけど、その逆ってのも結構あるみたい。アゴタ・クリストフの「悪童日記」がアメリカではヤングアダルトのシリーズに入っているとは知らなかった。

 でも「あとがき」によれば、ヤングアダルトを一般書と区別する条件が「主人公が若者であること」「残虐な暴力描写がないこと」「濃密なセックス描写がないこと」とあったのにはちょっと驚き。だったら日本でヤングアダルトと言って売られているもののほとんどすべてが、外国では一般向けの本ってことになる。ってことは日本人はみんな大人向けの本を子供の頃からしっかり読んでいるんだ、活字文化ってのはこれでなかなか繁盛してるんだって、そー勇気づけられ・・・は・・・しない・・・よね。


【4月23日】 「UNO」を買う。もはや買う行為自体がお笑いあるいは冒険とも雑誌だが、期待(どんな期待だ)に違わず6月号でも相変わらずのポン酢ぶりを見せていて、そのつまらなさに1ページめくってくふふふふと吹き出し、10ページめくってぬふふふふとほくそ笑み、100ページめくってげへへへへと笑い出す。あの花田紀凱が編集長でトップの大特集が「ダイエット」だぜ。普通の女性誌だったらそれでもいーけど、「あの」が3つ4つついても不思議じゃないスーパーエディターがダイエットを特集するなら、せめて「3カ月食べずにやせるアウシュビッツ式ダイエット」とか、「宮沢りえ式拒食症ダイエット」でもやってくれい。宮沢りえさんは確かに取りあげているけれど、なんか気をつかってるんだよなー。中身も女性誌の引き写しっぽくて新しくないし。

 結局読むのは相変わらず快調なペースで邪悪なオーラを振りまいている西原理恵子さんの「有限会社とりあたま」と、いしかわじゅんさんの「判決」と、ほかに幾つかのコラムだけ。前回も皮肉たっぷりの描写があった西原さんは、今回も失敗を挽回しようと勝負に出て泥沼にはまって立ち直りがきかなく例として、「文春をやめてアサヒに行って本をいっぱつあてる」ことをあげている。発売日のちょい前まで前の号や本屋に山とつまれていいる所をみると、やっぱ売れてないんだろーねー、この「UNO」は。勝手な憶測では10万部ってとこか。もしかしたら10万切ってるなんてことは・・・ない・・よな、うーん。

 気を取り直して「SPA!」を買う。今時珍しく「新世紀エヴァンゲリオン」特集。インタビューのトップに来た宮台真司さんが、最終話について「クイックジャパン」のインタビューを引用して、『庵野秀明は自ら「テーブルをひっ繰り返した』と語っている」と書いているけど、大泉実成さんの奥さんが”ちゃぶ台ひっくり返し状態”になったことや、庵野監督が視聴者を「ちゃぶ台をひっくり返すような感情に持っていった方がなんかスッキリするだろうし」と喋ったことは記載されていても、監督自身がちゃぶ台をひっくり返して大ドンデン返しを狙ったようには書かれていない。なんだかなあと思う。

 トウジとケンスケの名前を借りた村上龍さんに話を聴いたのは面白い企画だけど、「エヴァ」に時代の閉塞感を見て、援助交際するコギャルの悩みや頑張りを重ね合わせてみようとする試みはちょっとありきたり。とゆーかオタクとしてオタク的要素のパッチワークを楽しんだ人間だから、ここまで社会的、思想的背景を秘めたアニメだなんて考えは、頭のどこにもはじめからない。そこまで難しく考えなくてもいーじゃんと、ついツッコミを入れたくなってしまう。東浩紀さんは「ユリイカ」あたりからアニメの評を活発にやり始めたよーだけど、庵野さんがそーしないよーにシナリオとかに手を入れて作りあげた「トップをねらえ」を、「完全なオタクのためのパロディ作品」と言い切ってしまう点にちょっと引っかかり、「攻殻機動隊」を「世界的な評価=わかりやすさ」の一群に「となりのトトロ」といっしょに入れてしまう分類にも首をひねる。

 個人的な考え方かもしれないけれど、オタクが一般週刊誌の「エヴァ」特集に求めるのは、一般週刊誌や新聞が取りあげることによって得られる社会的な認知であり、何が書かれているかなんて実はたいして意味がない、むしろ権威付けとゆー側面から、誰がしゃべっているかの方がより意味を持つんじゃないかと思っている。これまで幾度も「エヴァ」について喋って来た宮台さんや香山リカさんといったいかにもな人たちがいかにもな文章を寄せていても、もはやウンザリとゆー気しか起きず、どーせだったら「SPA!」らしく、「エヴァ」をウラからナナメから扱き下ろして、みんなでなぶって楽しむくらいのことをやって欲しかった。タイミングといー人選といー、ちょいハズシてるんだよなー。やっぱ落ち目、なのかなー。

 六本木のヴェルファーレで船井電機の発表会。「放課後倶楽部」とゆー街頭の端末でインターネットのホームページが作れちゃうシステムを使って、オーディションやらレースクイーンの募集やらをやってしまおうって内容の発表会で、レースとも、また船井電機とも関わりのある元レーサーの鈴木亜久里さんが登壇して、とりとめとまとまりのないことを、あれこれ喋って帰っていった。そうこうしているうちに発表が終わり、壇上に設置した「放課後倶楽部」の脇に女子高生をそえての、写真の撮影会が始まってしまった。モデルの女の子がホントの女子高生かどーかは恐ろしくてとても聞けなかったが、頑丈でしっかりして微動だにしないあの足は、まさしく女子高生以外の何物でもあり得ないとの結論に達した。でも最近の子は成長が早いから、高校生と思ってももしかしたら中学生、ってことはないわな。いくらなんでも。

 ビデオで録画しておいた「少女革命ウテナ」を見る。絵は相変わらず動かなかったけど、今回はその分シナリオで魅せる内容となっていて、畳み掛けるような繰り返しのお約束ギャグに、喉から吹き上がる笑いをこらえながら、画面を食い入るように見つめていた。好きな男の子が好きな女の子に、ついついイジワルしてしまうって設定は、やっぱりありきたりの物だけど、イジメられる側の姫宮アンシーが、静かな顔して「イジメなんてケッ」ってな感じのキャラクターだから、話がどんどん普通じゃなんなって行く。

 あと眼鏡っ娘といえば秀才ってイメージがあったのに、姫宮アンシーは数学のテストで赤点を取るくらい普通の人。そんな彼女がどーして「薔薇の花嫁」になったのかの説明は、今に至るまで一切ない。次第に解き明かされる世界の謎にわくわくしながら、毎週毎週見続けることになるんだろー。もう作画動画は問わないから、最小限の動きで最大限のドラマを見せるよー、シナリオとか演出面で頑張ってテンションを維持していって欲しい。ホント今日の回は最高だった。アヤシサはちょい減っちゃったけどね。


【4月22日】 神田神保町をうろうろして、新刊を割引価格で売っている本屋に行って荒木経惟写真全集の第16巻「エロトス」と第17巻の「花淫」を買う。1割引だから400円くらいしか得しないけど、400円あれば立ち食い蕎麦屋で天ぷら蕎麦が食べられるから、給料日直前の極貧期には実にありがたい、てだったら本なんか買わなきゃいーんだけど、本とご飯とは出ていく財布が別なんだよね、女の子の胃袋といっしょでさ。

 「エロトス」は昔出た写真集とほとんど同じ内容だけど、たぶん官憲を気にしたんだろーか収録されなかった、とってもエロい部分をどアップにした写真が、全集の方ではしっかり入っていてぐぐっと来た。どこが来たって恥ずかしいからちょっと言えない。こーゆー写真を見てまず思い出すのが、確かマッケローニとかいった写真家の女性器のどアップ大全集。ビラビラしてたりピッタリしてたりプックリしてたりと千差万別の女性器を、接写してのばしてずらり並べた写真展が開かれて、官憲の手入れを受けたとかいった話を前に聞いたことがある。

 荒木さんの方はどアップどころか何やら挟まっていたりニョッキリ生えていたりする写真をどアップで撮っていて、間違えればそれこそウラ本にも通じるエロさを持っているけれど、そこはそれ芸術家として世界中からひっぱりだこの荒木さんだけに、エロさの中にも生命感とか躍動感とかが感じられて、見ていてとっても勇気づけられる。ついでに某所も力こめられる。

 「花淫」は花をアップで撮った写真集。やっぱり思い出すのがメイプルソープで、花と性器との関係を凛然としてシンプルな画面に定着させた写真集が、今も高い人気を誇っている。荒木さんの方も花と性器との関わりが如実に感じられる写真を満載しているけど、生け花のよーなピンと張りつめた緊張感はあまりなく、むしろドレリンとしてグニョリンとしてゲニャリンとした花の写真から感じられるのは、生まれて育ち死んでいく花の生きた証のよーなもの。今まさに生きているんだとゆー生命感。荒木さんってやっぱ天才、だわ。

 日本経済新聞社からなにやら手紙が届く。マルチメディア・コンテンツ振興協会(MMCA)がやっている「マルチメディア」「ニコグラフ」とゆー展示会と、マルチメディア・タイトル制作者連盟(AMD)がやっている「デジタル・コンテンツ・フェスティバル」とゆー展示会が、今年は日経の仕切で合同開催されることになったそーな。片や通産省、片や郵政省の認可団体で、親どうしの中の悪さから展示会の合同開催は難しいと思っていたが、海外の団体を招いたりする時に、2つも団体があるのは不便とゆーこともあって、2年前に「DCF」が始まった時から、合同開催の可能性もあると聴いていただけに、驚きもそれほど大きくない。

 もっとも他人事と聞き流せないのは、マルチメディア・タイトル制作者連盟の「DCF」は産経新聞とかフジサンケイグループがずっと応援していたからで、日経に仕切を取られたってことは、あまりの仕切の悪さに業を煮やしたAMDに産経が切られたんじゃないかと、そんな心配を抱いた。早速AMDに電話すると、いっしょに開催するといってもブースの配置で別の展示会のよーな感じを出して、「DCF」の方は産経新聞が特別協賛で付くことになっているとか。もっともMMCAと日経のベッタリ具合に比べると、AMDと産経の結びつきはまだまだ浅く、通産省あたりがギョーセーシドーに乗り出せば、郵政所管のAMDとて親方日の丸通産省及び御用新聞日経の軍門へと下り、哀れ産経蚊帳の外、などと成りかねない。心配だ心配だ心配だ。

 「新・天地無用!」をビデオで見る。どーして神代佐久耶さんはあれほどまでに天地にまとわり付くのだろーか。第1回からずっと見ているのにその辺りの説明がまったくなくって、ストーリーの基盤となる設定に、いまいちリアリティーが持てない。ドラマのテンポもシナリオも結構まとまって来たから、見ていてそれほど苦痛はないけれど、いかんせん音楽が画面の雰囲気とほとんどまったく合ってなく、引き込まれそうになった瞬間に無理矢理我に返される。音楽で雰囲気を盛り上げるってのもあんまし好きじゃないけれど、合ってないよりは1億倍ましなので、どーか製作している皆さんには、OVA版「天地無用!魎皇鬼」みたいなピッタリしていてジックリ聞ける音楽を、作ってアニメに付けて下さい。明日は「ウテナ」だな。


【4月21日】 丁髷(ちょんまげ)がのびてきたので工作用のハサミで半分くらいにちょん切る。風呂場は髪の毛だらけになり、排水溝につまって水が流れなくなってしまったのでマズイと思い、摘んで集めて手のひらにのせると、猫の額だったら十分にカツラになるくらいの毛がとれた。これが丁髷の先っぽじゃなくって頭のてっぺんとか額の生え際(もはや生え際と頭のてっぺんは同義語となりつつあるのだが)に生えてくれれば、医薬部外品とか医薬品とかに無駄なお金をつかわなくっても良かったのにと鏡を見ながら溜息を付くと、洗面台にパラパラと落ちていた毛クズがぶわっと舞い上がる。春なのにちょっとセンチな気分。

 本当だったら今朝は、埼玉県にある凸版印刷の川口工場を視察する天皇陛下を見物に行く予定だったが、かくれてバクダンを作っていた経歴ば宮内庁にバレたのか、凸版印刷から来てくれるなとのお達しがあって時間が開いてしまった。どうせ宮内庁が宮内庁詰めの記者を謀って自分たちだけを最優先に参加できるようにしたためだろー、宮内庁に入っていない弱小新聞でもっとも胡乱(うさんくさいの意)な記者と呼ばれる小生など、工場の向こう10里は立ち入り禁止になって当然であった。正直なところを言えば、朝っぱらから川口なんぞに行って、嫌なチェックを受けてまで何時間も閉じこめられるのはかなわないと思っていたので、閉め出されたのはラッキーこの上なかったのだが、しかし差別は差別としてその恨みは末代までの恥であることには違いないから、生涯をかけて償わせる所存である、って宮内庁にか? それとも凸版に?

 「WIRED」の6月号は表紙がすっげーカッコ良い。真っ黒の地に慮側をかじられたマックのリンゴのマークが1コ。内容を表す文字が1つもないけれど、マーク自体が内容をでっかくアピールしているから、もはや余分な言葉などいらない。こーゆーデザインの雑誌って、中身をどーのこーの考えるまえにまず手にとって買っちゃうからな。某「DE」とかって、やってることは近いのに、表紙にあんまし魅力がないから、ちょい手が出ないもんね。いっそ某情報誌を見習って、DK96でも表紙に起用してみたらいかがかな。勇気があればローラ(「E0」)でもいーかも。

 で「WIRED」の方はとえいば、スティーブ・ジョブスのインタビューとかは別として、チャールズ・プラットやデイヴィッド・ブリンといったSF作家の人が、本業なのか副業なのか解らないけどクローンとか環視社会についての記事をかいていて、おいおい「WIRED」はSF雑誌だったのかとちょっと驚く。あと今月号から押井守さんの連載コラムがスタートしていて、のっけから「アニメ監督論」なんかをぶっていた。

 「ごく一部のカリスマ的な監督さん」が誰をさすのか解らないし、誰もさしてはいないのかもしれないけど、こと自分に関して冷静に、客観的に分析している点が印象に残る。こんなに冷めた人が、隅々までテンションを行き渡らせたアニメを撮れるんだろーかと不思議に思うが、のめりこみすぎて時間がなくなって顰蹙をかいつつも情けにすがるよりは、冷徹に冷静に客観的に俯瞰的に状況を見定めて着々と達成に向けて進んでいく方が、よほどファンとしてはありがたい。そんで出てきたものが最高なら、何も言うことはないってことで、現在制作中とかの新作に期待。

 小説版「天地無用!魎皇鬼」の最新作は長谷川菜穂子さんの「ハワイの休日」(富士見書房、460円)。去年の末に「よいこの生活編」が出たばかりで、こんなに早いペースで大丈夫かとも思ったけど、フヌケたテレビ版「新・天地無用!」のすさまじさに毎週接する(接してしまうんだよなー天地者だからオレって)苦しみを和らげてくれるのは、オリジナル版「天地無用!魎皇鬼」の世界を受け継いでいる長谷川さんのノベルズのシリーズくらいしかもはやなく、半年に1冊のペースが3月に1冊でもいーかと思えるくらいに、「天地無用!魎皇鬼」に飢えている自分に改めて気が付く。

 おまけに「ハワイの休日」は、天地の優しさと葛藤する(優柔不断ともゆーが)心が巧みなシチュエーションで描かれていて、鷲羽さんの活躍ぶり、かいがいしい働きぶりと相まって、ちょっぴり哀しいけれどホッとするストーリーに仕上がっていた。砂沙美ちゃんがあんまし活躍しなかったり、美星さんのボケが目立たなかったりと、ちょっち残念なところもあるけれど、これだけの大所帯を1巻でまんべんなく目立たせるのはもはや不可能だから、1冊1冊積み上げていくなかで、それぞれのドラマを見せていって欲しいと思う。さしづめ次は可哀想な清音さん、かな。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る