縮刷版97年11月下旬号


【11月30日】 突発性な体調の悪化で朝が起きられず、ムリヤリにラーメンを詰め込んだ後でふたたびベッドでトロトロ。再び目覚めるとすでに午後の2時になっていた。今日は早起きして千葉か銀座まで「東京日和」を見にいこーと思っていたのに、これではちょっと出かけるのも億劫なので、家を出て近所の百貨店をブラブラする。玩具売場はクリスマス前だからなのか日曜日だからなのか、子供たちがわんさとでばっていて大混雑。間をかき分けて新製品をチェックすると、かの「デジタルモンスター」の新色がカゴにはいって山積みにされていて、そうかバンダイ年末に向けて需給をゆるめてきたかと類推する。欲しかったけどお金もないしすでに2つ持ってるし、おまけに戦う相手もおらずいつもナメクジモンになって間もなく完全体にもならず息絶える連続なので、自制して買うのを手控える。完全体見たいよー。

 日本経済新聞で森下一仁さんが松尾由美さんの「マックス・マウスと仲間たち」(朝日新聞社、1700円)について書いている。「十代から四十代まで、世代によって読み方が違ってくる小説だろう」という言葉に従えば、比較的主人公たちと世代の近い僕にとって、この作品はまさしく時代の「気分」を現してくれている作品だったけど、もっとさらに上の世代の森下さんが抱いたのは、提示されているテーマへの否定だったのか肯定だったのか、その辺りが短すぎる書評では明らかにされていなかったのが、ちょっと物足りなかったかな。でも発売されて1カ月以上が経っているのに、他の雑誌や新聞なんかで書評を見たことがなかったから、今月の1番ってな感じて取りあげて頂いたのは、読んで結構好きだと思った身にとって、甚だ有り難いことです。「小説推理」の書評コーナーでどーんと取りあげてくれないかな。

 イトーヨーカ堂でガシャポン。エヴァの新作が投入されていて、あちゃこちゃやってやんきー座りする量産機と、片手片膝ついてアメリカンフットボールのワイドレシーバーよろしく身を低くしてる初号機と、鞄を頭に手を腰に、威張りんぼってすっくと立つアスカを手に入れ組み立てる。個人的にはこのシリーズ、前のパソコンマヤちゃんとか、パン食い綾波みたいな珍し系のキャラクターを投入して欲しかったんだけど、全体に作りが大きくなっていたのでとりあえず良しとして、隠れキャラは次のシリーズへの期待としておく。残すは羽根を広げた初号機と綾波とえっとペンペンシンジ付きもあったかな。劇場版の膨れ上がった綾波とか、融合したシンジと綾波とかってのは出ないんだろーか。

 キネマ旬報の「動画王」最新号は予告どーり「1996−1997アニメーション総決算大研究」。って割には作品の紹介が中心で分析評論にはそれほどの行数がさかれておらず、カタログとしての価値は尊重するものの、前2冊に比べてあんまり読みごたえがない。似たようなムックが宝島とかアスペクトとか角川書店からどんどんと出ているご時世だけに、スタンスとして作品の紹介に特化したのは正しい道なのかもしれないけれど、すでに終わったテレビシリーズが見開きだったりする割に、今もちゃんと売られていたりレンタルショップに並んでいるOVAが、見開きに4作品で中身の紹介オンリー、それもホメ系とあって、買うなり借りる参考にはあんまりならない。書評で徹底したホメ系をやっている人間が言うセリフじゃないのは承知、でも本と違って結構根の張るビデオだけに、買ってみよーかって思いこませるなり、絶対見るもんかと決心させるなり、徹底した主張が欲しかった。次号は「侵略テーマSF大研究」。でもSFアニメってたいていがどこか「侵略テーマ」だったりする訳だから、つまりはなんでもアリってことなんだろー。さてどう料理してくれるか。1500円は高いぞ。

 古本屋で「世界SF全集」のヴォクトの号を買う。実は読んだことなかったんですモモby小泉今日子じゃないけれど、以外とSFの古典を読んでいないことに「SFマガジン499号」のオールタイムSFベストを読んで気が付いて、これでは批判も絶賛もできんと再学習に務める決心をした、その最初の一歩ってことに今した。だって偶然見つけただけなんだもん、「SF全集」を。仮に今「SF全集」を編むとしたら、前回みたいに32巻で完結させることは可能だろーか。日本人だって10冊、20冊は軽くいってそーだし、90年代だけで重要な何冊かが発売されている訳だから、ほとんどが40年代とか50年代とかの古典ばかりだった「世界SF全集」が、今なら100巻あっても足りないに違いない。それじゃー駄目、32巻にしなさいと言われたら、編者はきっと困るだろーね。下手に「月は無慈悲な夜の女王」を入れて「夏への扉」を落とそうものなら、きっとファンから袋叩きに会うからね。

 この古本屋、なぜか新本格のノベルズに文庫が揃っていて、森博嗣さんに清涼院流水さんに西澤保彦さんに摩耶雄嵩さんに二階堂黎人さんに竹本健次さんにほか多数、ノベルズがほぼ全冊揃っているのは驚きで、いったい誰が売っぱらったんだと首を傾げる。こーゆー新本格って割とコアな人が買うはずでしょ、んでも売っちゃうんだねって本を売れない身として不思議に思う。文庫の方も充実の度合いはものすごく、島田荘司さんも我孫子武丸さんも綾辻行人さんも法月倫太郎さんも北村薫さんもたいていの作品が揃っている。北村さんなんて最新巻の「覆面作家は二人いる」まであるんだもん、やっぱり誰が売ったんだって、ファンの人なら怒りたくなるでしょ。場所はイトーヨーカ堂の側だけど、解りにくいので行きたい人は迷って下さい。


【11月29日】 千葉のシネマックスに雨宮慶太監督の新作映画「タオの月」を見に行く。上映時間を知りたくて、耳の巨大な佐藤藍子さんが表紙になった第2号の「TOKYO1週間」を買って映画館のページを調べたら、なんとゆーことだどこにも「シネマックス千葉」の上映スケジュールが載ってないじゃないか。神奈川とか埼玉の映画館はちゃんと載っているのに、千葉は千葉市はおろか東京のほんのお隣の市川だって「東京都ディズニーランド区」とまで呼ばれている浦安市だって紹介されておらず、ああそうなんだしょせんは千葉は千葉であって東京じゃないんだとゆー当たり前の事実を、今さらながらつきつけられた思いがして滂沱する。田舎から出てきて千葉に住む者どもよ、ゆめゆめ田舎に帰って「東京の暮らしは」なんて言うべからず。あなたは(俺もだ)断じて東京都民ではない。

 シネマックス千葉は現地の興行会社が米国なんかに行って研究を重ねた上でつくったどこのチェーンにも属していない純国産(ってのもヘンか、真似したんだから)のマルチプレックス・シアター。「ワーナー・マイカル」のよーに平面に幾つも部屋を作っている訳ではなく、エレベーターでそれぞれの部屋まで上がらなくっちゃいけないところが、ちょっとだけ効率の悪さに繋がっているけど、場所が場所だから、まあよほどスゴい映画じゃない限り、エレベーターの前に長蛇の列が出来るってこともないから、とりあえず2軌のエレベーターでなんとか成り立っているみたい。1階ロビーに漂う甘いポップコーンの香りがいかにもアメリカーンな雰囲気だけど、ひとりでポップコーン貪り食うのも侘びしいので今回はパス。次回があるのかなんて突っ込むなよな。ご慈悲だから。

 ベーターで上がって部屋に入る。封切り初日のそれも最初の上映だから、きっとある程度は賑わうんだろーとは思っていたら、170人ほど入る部屋はガラーンとして人の気配がほとんどない。いっしょにエレベーターで上がって来た2人に加えて、上映間際に2人ばかりがかけ込んで来たくらいで部屋が暗くなった時に座っていたのはわずかに5人。その昔「攻殻機動隊」の凱旋試写を1人で見せられた記憶はあるけれど、それから某「ヘルメス」を試写室で3人ほどで見たトラウマがあるけれど、さすがに映画館でそれも封切り初日で5人って経験はないぞ。どーしたんだいったいそれほどまでに珍しい映画なのか。ちょっとわくわくしながら予告編を経て後に上映が始まるのを待つ。うーん「MIB」最高。

 さあ始まったぞ「タオの月」。時は戦国とある尾張地方にある小国の武将「タオ」が七難八苦を与えたまえと月に祈って幾星霜、鍛え上げたその肉体と磨き抜かれたその小棒で、あたるをさいわいばったばたっとなぎ倒し、小国1から大国1の武将と讃えられ、いよいよ年間最高勝率をかけた戦いが行われる「ぐらうんど」なる戦場へとたどり着く。されど敵もあっぱれなもの、自らは戦場に赴くことなく、いっさいの敵を「タオ」の前に現さず、ひたすら逃亡を繰り返しては時間が過ぎるのを待つ戦法に出たことよ。哀れ「タオ」の国は戦いに勝って天下を平定はしたものの、「タオ」の記録は伸びることなく、結局現れなかった敵の武将、その名も「ケンドー・ナガサキ」の後塵を拝することになったとか。めでたしめでたし。

 などという話では絶対になかったのだが、などという話であった方が良かったよーな気がしないでもない。詳しくはとてもそらおそろしくて心臓にも血管にも悪いので書けないが、ただ1つ声を大にして言っておこー。「吉野紗香”だけ”見にいく価値はある」ってことは。まあちょっとだけ趣味に偏りがある奴のゆーことだから、あんまり信じてもらっては困るけど、とにかく前あわせの薄手の着物を裾におりこんでピッチリと体に張り付けた紗香ちゃの、そのほころびかけた蕾のよーなうっすらと盛り上がった胸のなんとソソることか。張り付く着物のその向こうで、走っても揺れない胸がこすれてほのかな痛みを発しているなどと、ああ想像するだけで気持ちが高揚する。ちょうちんブルマーのよーなそのパンツから、にょきっとのびた真っ白な足も最高で、そんな足が野山をかけまわる痛々しさに、おもわず近寄って手を添えてさすってあげたくなった。ついでに頬摺りも、ずりずり。

 「ゼイラム」な森山祐子さんはタンクトップじゃなかったのがちょっと難だったけど、それでも足をずごがっと上げて敵をケチらすアクションとか、つなぎルックの衣裳をしてなお盛り上がるその胸の巨大さとかを、想像し楽しむことは十分に可能だからファンの人は是非みよー。ほかにはえっと、モブシーンで破裏拳竜さんとか開田あやさんが出ているそーなので、気がむいたら2回3回と見直して見つけてやっちゃーくれまいか。最初は野武士と聞いていたデジタローグの最高経営責任者にして顔はやっぱり野武士な江波直美さんは、なんとまああのガチョーンな谷啓さんの側近右として立派な衣裳に身を包んでご出演あそばされておられました。ラストシーンなので見たい人は途中で席を蹴らないこと。えっ、「タオ」ってなに? CGの怪獣で有名だけどどんな具合だった? 永島敏之と阿部寛の演技はどう? ぐうぐうぐうぐう。

 見終わってなんとなくそのまま自転車屋によって、バネ仕掛けでチンコーンと鳴らす警笛を買い込みたくなったけど、理由は見た人ならきっと解るよね、だってあんな凄い効果があるんだもんね。解らない人は是非とも「タオの月」を見て訳をさぐって下さい。気を失いさえしなければ、月をバックに山水もさもありなんとゆー松がしげった小高い岩山が美しく生えるビジュアルイメージに感嘆し、ハリーハウゼンもさもありなんとゆー動きがキュートな怪物との戦闘シーンに気を失うことも飛ばされることも殺がれることもなく、立派に地球を救うお道具を手に入れることができますから。最後に吉野紗香ちゃんが映画の中で発したセリフでこの映画を讃えましょう。「そんなもん、作るなっ」

 漫画をあれこれ買い込む。出ていたとはついぞ気が付かなかったなあ、遠野一実さんの「天使の羽あと」(集英社、500円)。美形の漫画家さんと編集者との壮絶な闘いを描いた表題作に、あの「水晶宮」の後日譚めいた短編もいっしょに入った作品集だけど、情報不足でせいぜいが1日に2回くらいしか本屋にいかない怠惰ぶりでは、とてもあらゆる漫画の本を確かめ選り分け買い込むなんてことはできはしない。それでも見つけられたのは運が良かったことと、さっそう買い込み読み込み感動する。今日はじめての真っ当な感動。じゃあ「タオの月」は。聞かないで。

 それから安永航一郎さんの「超感覚アナルマン」(メディアワークス、550円)を買う。いままで数多くの怪人およびヒーローを生み出して来た安永さんにして、おそらくこれが最大最お下劣なヒーローだろー。ちなみに最大最お下劣な悪役は「バケモン デカチュウ」で最大最お下劣なヒロインは次巻登場予定の「薔薇族の花嫁」<キャラクターボイス:渕崎ゆり子(希望)>だっ。読み進むたびに笑いで股間もユルユルになる傑作。今日2度目の感動を得ることができた。だったら「タオの月」は。聞くなっちゅっとろーが。


【11月28日】 そろそろスタッフ疲れてきたのか止め絵が多かったよーな気がする「VIRUS」第9話。さもありなんな絵を何枚も出して、さもありなんな会話で間をつなげていくなんて、まるでセル省略と斬新な演出の一石二鳥を狙った「エヴァ」のよーだと思っていたら、バーチャルな空間に現れたエライさんたちが何やら陰謀めいたものを繰り広げていたりして、これじゃまるでゼーレじゃねーかと真似しんぼーを憤る。物語自体は未だ全貌が見えていないけれど、レイヴェンがいつも話していたドナとネットの中に現れてサージと呼びかけたドナとがちょっと違う存在だったこととか、倒されたはずのブレイン・リザードが実はまだ存在し続けていたりとか、あれこれ重要な要素を含んだ回だったよーな気がする。後でもう1返見直してみるか。しかしバリアブル・ギアとまとったレイヴェンなかなかカッコよかったねえ、鈴置洋孝さんのヒーロー姿とゆーかヒーロー声、なんか久しぶりに聞いたなー。

 「Jリーグプロサッカークラブ2」をしゅくしゅくとプレイする。2年目に入ってちょっとお金が入ったは良いものの、監督が無能なのか監督まかせで練習していたらちっとも勝てず、ファーストステージはなんと最下位の屈辱を喫してしまった。おまけに相変わらずケガ人が多く、すでにチームはサブに回す人がおらず、このままでは第1回目と同じよーに人数が足りずチームが維持できないって理由でゲームオーバーになるかもしれない。そーでなくてもあんまり弱いとリーグからたたき出されてしまうかもしれず、今はとにかく一流じゃなくてもいーからちゃんと試合に出られる外国人選手の獲得に躍起となっている。今のところは分身プレーヤー2号は好調なよーで、前回みたくケガして退団ってことにならないよーに、真綿でくるんで育てていこー。早く攻略本出ないかな。

 90年から92年にかけて兜町の記者クラブにいたことがあって、その終わりがけに「ブルームバーグ」って米国の金融専門通信社が加盟をしきりに求めて来て、みんなであれこれ相談した上で結局先送りにした記憶があった。なんでも入り口に陣取って決算のリリースを片っ端から持っていく強硬手段に出たそーで、それがどうにも秩序を乱す態度ってとられたらしー。結局その後いささかの紆余曲折を経て、今ではブルームバーグだけじゃなく主要な外国通信社が兜倶楽部だけじゃなく官庁なんかのクラブにも加盟しては会見に出たり資料を持って帰っている。兜での強行手段が結果的には蟻の一穴だったってことだね。

 そのブルームバーグを設立から20年を経ずして世界的な金融通信社からニュース通信社へと押し上げたマイケル・ブルームバーグの自伝「メディア界に旋風を巻き起こす男 ブルームバーグ」(荒木則之監訳、東洋経済新報社、1800円)が登場、読むとなんでもあのときの強硬手段は、割と意図的に騒ぎを起こして注目を集めて、日本の記者クラブは参入障壁だんなんてガイアツを引き出すことすら視野に入れた、割と恣意的計画的な行動だったってことが分かる。結果は前述のとおりだったから、これだけでもブルームバーグって人の凄みが分かるね。

 あとブルームバーグは紙ではない別の仮想の「紙」すなわちディスプレーに”印刷”される「新聞」が今後主流になると予想していたり、どう伝えるかではなく何を伝えるのか、つまりはコンテンツの部分が大切なことを主張していたりと、大変貌を遂げつつある今もメディア市場に極めて示唆に富んだ発言を行っている。こーゆー本を読むと、ああなんて素晴らしいとこなんだろーって思えてくるけれど、だからといって就職先を選ぶその勉強のためにこの本を買ったんじゃないってことは、ぜひぜひご理解賜りたく存じます。本当、だよ。

 おやややや。菅野彰さんの「モダン・タイムス」シリーズの第2巻が並んでいたんだけど、どこか様子が違う。うーんと考えてハッと気が付いたのは表紙のイラストが第1巻の西炯子さんじゃなかったこと。シリーズ物のそれもごくごく初期でイラストレーターが変わるなんて不思議とゆーより他に言葉が見つからない。それにあの鯔背な主人公のキャラクターが、その趣味も含めて結構好きだったりするから、ちょっとショックがあったけど、第2巻から起用されたのが、西さんにも決して劣らないほどに大好きな今市子さんだったから、これはこれで良いなーと納得することができた。

 イラストが途中で変わったって点では、平井和正さんの「幻魔大戦」(角川文庫版)で最初は生頼範義が担当していた情念バチバチィな表紙が、映画化を経て映画でキャラクター設定なんかを手がけた大友克弘さんに変わったりした例とかを思い出す。「グイン・サーガ」も加藤直之さんから天野喜孝さんに変わって今では圧倒的に天野さん派が多いみたいだし、いっそさいしょの20巻も、すべて天野さんに差し替えたら統一性が取れていーって思っている人も多いよーな気がするなー。

 「モダン・タイムズ」もどーせだったら今さんバージョンで第1巻も再版して頂きたいものだと思っているけど、そこまでやってペイするほど売れるとは思えないし(欲しい人はもう買ってるよな)、とりあえずはこれからもずっと変わらずにシリーズが積み重ねていかれることを願う。今さんのイラストでは、187ページで地面に踏ん張っている振り袖姿の千尋さんの表情とか姿勢が一生懸命で良いですね。第3巻は道原かつみさん、その次は高河ゆんさんてな具合に、新書館で活躍している漫画家さんが巻変わりでイラストを担当してみるってのもトライアルとしては面白いかも。あるいは今さんが活躍している「ネムキ」系から「観葉少女」の川原由美子さんを引っ張って来るとか。女装系ってことで「前略 ミルクハウス」との共通項もあるし。


【11月27日】 自分的にはヤスケンの一連の本で知っているジャパン・ミックスだけど、どうもこっちは社長の人の趣味らしくって、本業はパソコンとかゲームとかの本をメインに作っているらしい。例えばゲーム攻略本とか、サルがパソコンを発明するムックとか。そんな業容をさらに拡大するかのごとく、ジャパン・ミックスが近く創刊を考えているのが「スリーディー・グラフィック・アンド・アニメーション」って雑誌。中身まんまのタイトルで、おそらくはCG関係のツールとかハードとかがぎっしりと紹介されていたり、CGの作り方なんかが解説されているんだろーけど、昨日行った「デジタルメディアワールド」で配っていたのは創刊準備号で、中身のほとんどが真っ黒のダミーだったから、全体のトーンがどんな雑誌になるのかは正直分からない。

 表紙のレイアウトはなかなかにセンスがよく、判型とか紙質とかはどこか「WIRED」っぽくって気分的には悪くない。ただしデジタル文藝春秋な「WIRED」と違って、ある程度ジャンル特化している雑誌だけに、載る記事によっては自分とは無縁の雑誌となることだろー。期待があるとすれば「デジタルアニメ」に関した記事がばんばん載ったり、ゲームのCGとか映画のCGとかについての解説記事がずんずん載ったりすることで、このあたりどんな雑誌を指向しているのか、創刊が近くなったら誰かをつかまえて聞いてみよー。でもいったいいつ頃創刊されるんだろー?

 早くも載っている広告で面白い品物を発見。福岡のエクス・ツールがガイナックスと共同でつくったってゆーこのソフト「E.G.F」は、その名をフルで読めば「新世紀エヴァンゲリオンジオメトリックフィギュア」となるよーに、エヴァの初号機とか武器とか使徒とかを3次元データで収録している品物で、アクションを決めて背景画像を組み合わせると、自分だけのこだわりのエヴァ・シーンを作り出すことができるんだとか。カメラもライトも思うがままで、作例として載っている画像を見ると、それなりに高いクオリティーの「エヴァ・シーン」が、実に見事に再現されている。ウィンドウズ95/NTとマックのに対応していて価格は5800円。でも平面フィギュア作る以外にどうやって楽しむんだろー、このソフト。

 おおなんと。元電脳アイドルにして現社長とゆー”肩書き”のタレント(?)千葉麗子さんが「SPA!」にも登場しているではないですか。今週は冒頭の「AERA」に週刊ポストの表紙と露出が続いていたけれど、あれだけ芸能界を嫌がっていたチバレイのことだから、2誌だけならきっと偶然重なっただけなんだろーと信じていた。なのにこうまで重なると、なにやら誰やらの作意的なものを感じてちょっと心がササくれ立つ。持てる商品価値を最大限活用するのは商売の常道、別に一向に構わない。とはいえご都合が先に立たれるってのは正直かなわんと思うんで、今回の「SPA!」登場もあくまでも本業、つまり社長業の一環として所属のタレントを売り込んでますってな意味での出演だと、事情を斟酌しておこー。あくまでもとりあえず。

 いーなー「ココちゃん」。等身大のガレージキットをアートと称して世界に売りまくる村上隆さんのインタビューが「エッジな人々」のコーナーに掲載されていて、現代アートの最先端をちょっぴりオタクはいってるけど総じて真っ当な「SPA!」の読者に見せつけている。オタクを採り入れて人目を引きながらも、「『日本はアートも音楽もなくて結局アニメの国だ』みたいなオタク的論法にそのままハマっちゃう」と心配しているところが、アニメをやりたくっても結局東京芸大で日本画の博士号をとっちゃうくらいにアカデミックな村上さんらしーといえばらしー。金田伊功さん的ギミックのカタマリのよーなアニメ作品を作りたがっているそーなので、見たい人はハガキに「村上隆のアニメがみたい」と書いて、えっとどこに送ろうか。

 矢作俊彦さんの書き下ろし大長編「あ・じゃ・ぱん」(新潮社、上2400円、下2800円)を100ページほど読む。どーやら日本が西と東に分断されていて東はどうも北朝鮮っぽい国になっているようで、そんな状況に米国からCNNの特派員としてやって来た男が、あれやこれやの大冒険に巻き込まれていくってストーリーらしー。ちょっと昔のSFっぽい設定だけど、フィクションにこめた現代批判がふんぷんに香って来て、ただ漫然と楽しみながら読み通すってことができない。外国の様子がどーなっているのかもあんまり詳しく書かれていないので、最初と最後だけ読んで設定を理解するって芸当が使えず、とにかく最初から最後までじっくりと、言葉を広い設定を埋めながら読み進めていくしかないみたい。でも分厚いんで読了はよくて日曜日の午後。高村薫さんお新刊と瀬名秀明さんの新刊も控えていて、嬉しい悲鳴ってのはまさにこのことか。財布は嬉しくない悲鳴をあげているんだけどね。


【11月26日】 むしりとった衣笠byR・田中一郎って訳で、今日から幕張メッセで始まった「デジタルメディアワールド」を冷やかす。通産省が所管するマルチメディア・コンテンツ振興協会(MMCA)が主催してやっていた「マルチメディア」ってイベントと、今はマルチメディア・コンテンツ振興協会に吸収されてしまったCG協会が主催していた「ニコグラフ」に、今年は郵政省の所管団体でソフト会社がいっぱい集まったマルチメディア・タイトル制作者連盟(AMD)の主催する「デジタル・コンテンツ・フェスティバル」までもが一緒になってしまったのが、この「デジタルメディアワールド」ってことになる。

 ハード関係の多い前2団体とソフト会社が中心のAMDのイベントがいっしょに開かれるのは、車の両輪が揃ってるって意味では合理的な共催だけど、規模および出展企業数から言えばMMCA傘下の企業の方が圧倒的に多くって、どうにもAMDが呑み込まれているよーな印象を受ける。去年までイベントを支援していた新聞社も、MMCAのイベントが日本経済新聞でAMDが産経新聞だったから、呑み込まれたってイメージはなおさら強い。あんまり他人事じゃないんだけどね。

 とはいえ一癖も二癖もあるAMDのメンバー、隅っこに配置されたこぢんまりしたブースでも、偉い人たちが先頭に立って来場者に自慢のソフトをアピールしてはウケをとっていた。例えばボイジャーの萩野正昭代表取締役なんか、開場前に開かれた開会式なんて知らん顔してサボタージュして、自分のブースでマシンの調整に余念がない。とくに目新しい品物はなかったけど、ネットのウェブにある横書きのテキストをローカルに持っているエキスパンドブックのブラウザで、強引にタテ書きにしてしまうソフトを見せてくれた。僕のページなんか膨大な横書きのテキストがあって、結構読みにくかったりするから、希望があれば是非ボイジャーのページでどんなものか調べて導入して下さい。

 萩野さんとは同じ”輝き組”に属するデジタローグの江並直美最高経営責任者も、相変わらずブースの店頭に立ってあれやこれやと呼び込みやらピーアールやらに務めていた。ボイジャーにデジタローグとくればAMD四天王とも目されたシナジー幾何学にオラシオンだけど、かつては4社で「パブリッシャーズ・フロント」なんてものを結成してマルチメディアタイトルのプロモーションに余念がなかった間柄が、どこかギクシャクしていて気になった。すぐそばに店を開いているシナジー幾何学のブースを見ながら「あいつらなんか」と厳しい言葉を口にする江並さん、表情こそニコニコしながらもどこか口振りは冷ややかで、一時は流通までいっしょにやろうっていっていた両社とは思えないくらい、バチバチと火花が散っていた。いったいなにがあったんだろー。分裂の危機、なんて煽ると怒られるかな。

 オラシオンもどちらかといえば、「JAFCO」から資金を受け入れた点でシナジー幾何学とは同種の拡大を目指す会社と目されているけれど、江並さんは少なくとも品物だけは認めている節がうかがわれた。とことことブースまで歩くと、三野社長が郵政省だかの役人様とあれやこれやと話していて、とくに中島みゆきさんの「なみろむ」をしきりにピーアールしていた。後で聞くと軽く5万枚は出荷本数が達していて、20代、30代のみゆきファンに強くアピールしてるってことらしー。森高千里さんの「渡良瀬橋」もセガ・サターン版で5万枚くらいはけていて、CD−ROM版と合わせてなんとか10万枚数にいったそーで、数千から1万がやっとってなCD−ROM業界のなかでは、なるほど周囲を納得させるだけの数字をちゃんとあげている。

 おまけに「なみろむ」をやった効果は絶大だったとかで、すでに11もの大物アーティストのプロジェクトが進行しているのだとか。そんなに日本にビッグ・アーティストがいるわけじゃないから、およそメジャーなアーティストがほとんどオラシオンでCD−ROMをつくるってことになるみたい。谷村有美さんのCD−ROMも面白そーだし、シャ乱Qもやっぱり楽しそーだし、積み重ねた実績が着実に物を言わせつつあるってことでしょー。しかしビッグアーティストっていったい誰だろー。個人的には山下達郎さんあたりを作って欲しーんだけど、キャラクターがちょいフォトジェニックだから辛いかなー。三野さんにはSPEEDを作ってと趣味まるだしでお願いしておく。職権濫用ぢゃないだろ、宇宙人ヒロコをはじめとするSPEEDのファンよ。

 しばらく場内をウロウロ。「英雄降臨」がスコポンで結構辛い立場にあったアルファ・オメガソフトが満を持しての新作を展示していて、結構楽しめそうだったので社長の人になんとかなるでしょbyトーマス兄弟みたいな励ましをいれておく。新作の1つはかの一条ゆかりさんがアドバイザーを務めたコリー犬の育成シミュレーション「欄丸君のごきげんステータス」。ただショップで売るだけじゃなく、ペットフードの会社とタイアップしてペットショップとかで売ってもらえるよーになっていて、あれで佐々木社長、なかなか商売を覚えてきたみたいと感嘆する。もう1本はイスラエルの会社が作った「DEMENTIA」ってソフト。いわゆる3DCGの世界のなかを冒険していくインタラクティブソフトなんだけど、婆さんが主人公だったり、ぐにゃりと広角で見たよーな部屋を移動しながら進んでいくストーリーだったりと、極めて異色なソフトでハマると結構のめり込みそーな印象を受けた。CD−ROM5枚組ってのは結構キツいものがあるから、出来れば早い段階でDVD−ROMとかで出して頂きたいもんです。

 去年に続いて出展のビルドアップ・エンターテインメントのブースにいくと、イベントなんかヘンってな感じだった社長の岡部さんがブースに据え付けられていた椅子に腰掛けて来場者に挨拶なんかしていたから吃驚仰天。なんでも心を入れ替えて営業とかにも力を入れているそーで、CGとかクリーチャー作りに絶対の自身を持ってはいても、しがらみの多くて結構難しい日本でのビジネスにも、どーやら本腰が入って来たみたい。バンダイビジュアルが運営しているデジタル・エンジンにも絡んでいるみたいなので、これかもちょくちょくチェック入れていきたい。でも朝8時に来てはご勘弁願いたいもんですね。

 バンダイの山科誠会長が理事長を務める団体だけあってAMD、今回の出展でもバンダイグループの会社が4つだか5つブース展開をしていて、義理人情に堅い人だと山科さんのことを改めて見直す。ウソです。いつもながら奇天烈なグッズで世間をアッと言わせるビームエンタテインメントからは、名(迷)作「エヴァZIPPO」に続く画期的なグッズ「エヴァリストウオッチ」が来年1月に登場する予定。エヴァ風のベルトが付いていたりとファンにはたまらない品物で、もしかするとZIPPO並に予約段階でハケてしまうかもしれない。

 来月中旬に発売される品物では「エントリープラグ型ボールペン」が結構ホシまりな品物かな。直方体のクリスタルガラスの中にレーザーで綾波レイの姿を立体で描き出した「クリスタル・アート」は、価格9万8000円となかなかの暴利を貪っているけれど、レアとゆー点ではもしかすると何年かのちに爆発的な人気で迎えられているかもしれない。でも騰貴っぽいから予約もしないし買わない。浮き出てくる立体像が裸のミサトさんだったら買ってもよかったのに、ね。

 冷やかしを終えて帰途につき、クラブで仕事してから店じまいをして本屋に飛び込む。ボーナスも近いしせいぜい本を買い込むかと、漫画やら単行本やらをどちゃっと抱えてレジへと向かって威張って万札を差し出す。来月の末にも同じ態度ととれるかは絶対無理と断言しておこー。本屋では西炯子さんの「わたしのことどう思ってる?」(新書館、505円)とか、若菜将平って人の「仮面天使」(講談社アフタヌーンKC、457円)とか、矢作俊彦さんの書き下ろし大長編「あ・じゃ・ぱん」(新潮社、上2400円、下2800円)を購入。ただでさえ読んでいない本が山なのに、この期におよんでまだ本を買うなんてちょっと自己嫌悪に陥るけれど、とりあたまなので次の瞬間にはサッパリと忘れて、ヘラヘラと買った本を読み込んでいる。「あ・じゃ・ぱん」はなんだかとっても面白そー。ちょい期待。


【11月25日】 連休明けでおまけに「吸血鬼美夕」を見てから寝たので朝がとっても辛い。辛いけれどなんでか朝の9時50分なんて新聞記者にとっては早朝も早朝、まだ未明ともいえる時間帯に大臣様の記者会見があるとゆーので、むりやり目えこじ開けて服を着替えて家を出る。11月も末だとゆーのに外は凍てつく寒さとは無縁の小春日和なインディアンサマー、っていっしょの意味だけどとにかくまだまだコートなんて必要ないのがありがたい。スーツだけの軽快な姿で電車の飛び乗り美人を見つけて前に立ち、朝まだ眠いのか首をぐりんぐりんさせている美人を見ながらああ隣りに座りたかったなーと残念がる。なんてオヤジな通勤風景。

 一仕事終わって本屋に買い出し。25日といえばさらりまんにとってこんなに嬉しいことはないbyアムロ・レイな日で、銀行のCDコーナーに飛び込むのももどかしく万札を何枚か引っ張り出し、その足で本屋に飛び込んで新刊やら買い逃していた旧刊やら雑誌やらを漁る。まんず見つけたのは「廃都」(吉田富夫訳、中央公論社、上下各2200円)に続く賈平凹さんの新刊「土門」。日本が誇る絶対スナップな写真家の土門拳さんを主人公にした熱血写真家一代記ではなく、漫画「ドカベン」で山田太郎のライバルとして登場する剛腕の土門を主人公にしたスポーツ根性物でもない、って当たり前か中国人の作家なんだからなんてベタなギャグはやめよー。つまりは中国の農村と都市とが入り混じる「路地」を舞台に近代と現代との間で人々が解け合いつつもせめぎあう様を描いた作品らしー。楽しみですね。

 それから話題の「SFマガジン」499号。厚いけど立たないのはえーっと400号だったっけ30周年記念号よりは薄いってころになるのかな、でも499号は500号とセットってことになるから足せば厚さは2ばい2ばーいで立つだけじゃなく立派に凶器になりえる。重ねて持てば握力だって鍛えられる。日頃運動不足のSFマニアの体力増進までをも考えた造本に遅くまで少ない人数で頑張って取り組んでいる神田多町編集部の方々のご苦労をしのぶ。中身の方はこれからじっくり読み込むとして、気になったのが「オールタム・ベストSF座談会」と「90年代SF座談会」の写真が、モロ同じ場所同じアングルで時間だけちょっと動かしたおよそ雑誌らしからぬ写真で、なるほどそこまで不景気は浸透しているのかと涙ぐむ。なんかどっちも全体に暗いし。

 あとは多分今年のSF・ファンタジーでベスト1になること多分確実なジョン・クロウリーの「リトル、ビッグ」を2冊まとめてよーやくゲット。これで週末がお楽しみが増えたって訳だ。でもまだ池上永一さんの「風車祭(カジマヤー)」も読み差しだし、年末進行で山と本が発行される今この時期に全部をこなすのは至難の技だから、本当に読めるのはきっと来年になるんだろーなー。それから「教科書が教えない小林よしのり」も平台山積みから1冊所望、時間があったのでウロウロしているとおおなんと、かの「小説たけまる」が「小説すばる」とか「小説新潮」とか「情況」ってな雑誌と同じ場所同じ棚に背中だけを見せて射し込まれているではないか。ああやっぱり本屋さん間違えたんだなー、でもこの装丁ならこっちが似合ってるなーと、しばしの間書棚の前であれこれ思いをめぐらす。

 銀座の山野楽器で「はれときどきぶた」のビデオを発売されている4巻分まとめて購入する。2話入って税別で1980円ってのは相当にバーゲンな値段だと思うけど、アニメを制作している会社の人の思惑では、たとえば「ピングー」とか「ウォレスとグルミット」とかいった同じソニーグループのビデオ作品と同様に、軽く楽しめる作品カタログの1つとして投入したかった訳で、その意味では立派に客を誘い込む可能性を持った値付けではある。他のTVシリーズのビデオ化を考えているソフト会社があれば、ぜひぜひ「はれぶた」を見習うべし。ゆめゆめ2話で6000円なんて暴利は付けるべからず。プロモーションがちょっと弱いのが心配だけどね。それにしてもケースをあけて取り出したビデオにカセットのシールすらセルフってな作品は、過去に見たことがなかった。あれこれ凝ってるなあ、やっぱ白川隆三さん(誰だ)の趣味?

 小山登美夫ギャラリーから展覧会の通知。おおあのちょっぴり三白眼だけどでも可愛いキャラクターの作品でめきめき人気急上昇中の画家、奈良美智さんの作品展が12月5日から27日の日程で開かれるそーではないかいな。6日の午後2時からはなんと角川書店から絶賛好評発売中の画集「深い深い水たまり」のサイン会も開かれるとか。でもこの日はたしかニフティのイベントがあってベルファーレへいかなくっちゃいけないみたいで、残念だけどサイン会はパスするしかあるまい、うーん残念。でもオープニングパーティーには出たいなあ。それが無理でも会期中には必ずや顔を出し、可能ならば1枚2枚3枚と作品を購入してあの三白眼のキャラとガンのつけあい飛ばし合いby横浜銀蝿をして遊ぶんだ。きっと幸せな気持ちになれるだろー。場所は東京都江東区佐賀1の8の13食糧ビル2階。開場時間は11時から19時で日曜月曜祝日はおやすみ。わりと近いところに山一証券なんか立っていたりするから、東京見物がてら展覧会を見に来た人は側まで行って竹野内豊のポスターといっしょに記念写真を撮ろう。社員から殴られる覚悟があれば、だけど。


【11月24日】 横浜美術館で「ルイーズ・ブルジョワ展」を見る。1911年にフランスで生まれた女性アーティストでなんと今も現役。ジャンル的にはシュール・レアリストに属することになるんだけど、浅学な僕はこーゆーアーティストがいることを最近までとんと知らなかった。実はマックス・エルンストと仲の良かったとゆーレオノーラ・キャリントンのこともフジテレビあたりで展覧会やってるロベルト・マッタのことも、同じシュール系のマグリットとかダリに比べれば知識はほとんどゼロに近く、世の中にアーティストってのはホント星の数ほどいるんだなーと感嘆する。まあルイーズ・ブルジョワの場合は日本でこれほどまでに大規模の展覧会が開かれるのは初めてとゆーことだから、これと前に見たレオノーラ・キャリントンと会わせて女性シュール・レアリストってのをとい勉強してみよー。男性との違いってものちょい気になってるし。

 とりわけルイーズ・ブルジョワの場合は、女性アーティストってなイメージをふんだんに発散する作品を幾つもつくってくれているから、見ていて解りやすいとゆーか、ここまであからさまに「女」をぶつけられると、男が見ていていーもんだろーかとかえって混乱してくる。たとえば「部屋」と名付けられたシリーズには、古ぼけたドアを何枚も円形につなぎあわせてなかにベッドを置き、上から女性の服とか下着とかがぶらさげられていたり、のけぞる男性の像が置かれていたりして、見ているとなんだか「監禁」「牢獄」ってなイメージが湧いてきて、嗜虐の臭いを感じてしまってひどくとまどう。なんでも子供の頃のイメージを噴出させた作品ってことらしーけど、だとしたらルイーズ・ブルジョワ、結構厳しい(経済的にではなく精神的に)幼少時代を送って来たんだなーと思いを馳せる。色がないんだよね、部屋のなかには子供らしさも女性らしさもいっさいの色が。

 「少女」と名付けられた作品は、切り取った巨大な陰茎と陰嚢が鉤針で天井からつるされていて、悪意とゆーか憎悪とゆーのを感じてしまって股間がちくちくと痛くなる。「ヤヌス」のシリーズは両脇に垂れ下がったペニスと女陰がつなぐってなイメージがあるし、ほかにも床からペニスめいた円柱がにょきにょき生えた作品がある。これなどは草間弥生の作品に通じるところがあって、そーいえば草間も脅迫観念とゆーか追いつめられた精神の限界からイメージを絞り出す作品で有名だった訳で、時代を越えても同じ女性アーティスト、通じる部分があっても不思議じゃないと歴史の繰り返しに驚きつつも納得する。草間はテクニカラーの極彩色の夢を見ているよーだけどね。やっぱ育った時代の違い、かな。

 会場を出て新しくオープンしたえっと「クインズ・スクエア」だったっけ、んな名前のモールをうろうろする。1人で。寂しい。巨大なモールはアベックと家族連れでいっぱいで、見るとはなしにあちらこちらの店を回っているよーで、なかでもひときわきらびやかな一角に近づくと、なんとそこには「スヌーピー」のショップと「ディズニー」のショップと「ワーナー・ブラザーズ」のショップが向こう3軒両隣ってな感じで並んで立っていた。まるで「ロッテリア」と「マクドナルド」と「モス・バーガー」を並べて配置するよーなもんで、よくぞまあこーゆーテナントの入れ方を大家も店子も承知したもんだと首をひねるが、お客さんにとってみればあれこれ見比べながら品物選びが出来るわけで、正直こっちの方が足がくたびれなくって正解だと確信した。

 ちなみにこのビルには別の棟の3階に「L・L・ビーン」が入っていてそこからエスカレーターで上がった4階に「エディ・バウアー」があって、まるで競争するかのよーにお客さんの取り合いを行っている。値段も品物もそれほど違いはないし、ユーザーだって「ナイキ」と「アディダス」ほどには違いを気にしているとは思えないから、上下に入っていたって関係ないんだけど、本国じゃーたぶん相当に意識しているライバル企業だと思うから、こっちはよくぞ承知したもんだと仰天する。「マイクロソフト」と「アップル・コンピュータ」が関連製品をごっそり集めて店を出したとしたら、思いっきりフロア面積に格差が出るから、やっぱりそーゆーことにはならないだろーね。

 しかし3軒比べて見ると「ワーナー」がセール品を結構置いてあってちょっと抜けてるって感じ。例えば取っ手付きのビアジョッキキャラクター付きがセール価格で900円だったり、巨大マグカップが半額の1250円だったり、全長20センチはあろーかとゆーバットマン人形とかロビン人形とかが2800円くらいだったかな、ほかにもバックスバニーの15センチくらいの人形が900円とかで並んでいて、隣のディズニーで目ん玉飛び出たお父さまお母さまがせがむ子供に「はいこれでいーでしょ」ってな具合に買って与えるってまあ、そんな光景が目に浮かんで来る。ビアジョッキが欲しかったけど重たいので今日はパス。銀座の方でもセール品って置いてあるんだろーか。明日にでものぞいてみよーっと。

 別のお店でみつけた面白いものが「100円ピンズマシーン」。いわゆるガムボールマシーンの中にガムの変わりに円形のプラスティックボールに入ったピンズがいっぱい装填されていて、100円を入れてコックをひねると1つだけコロン、とプラスティックボールが回りながら落ちてくる。パカンと割ってあけるとそれなりに立派なピンズが1つ。買えばそうだね、300円とかはしそーな品物で、それがいっぱいそれも100円で売られているからなんかトクした気分になれる。入ってるのもほとんど全部違う種類で、5回やったら5コ違ったピンズが出てくる可能性が極めて大。このヘン3回やって3回「アイリス」が出てきた「サクラ大戦」のガシャポンとはユーザーサービスが違うぜ、ってそれは僕の運が単に悪いだけなんだけど。「ナデシコ」は重複が「ユリカ」だけでちゃんと「ルリルリ」も手にいれられたのになー。いらない「ユキト」もまだ出てないし。つまり運ってなー日とか場所によって変わるってことでしょー。

 帰りの電車で「AERA」読む。あの千葉麗子さんが「現代の肖像」で取りあげられているってのを広告で見たから、どんな紹介のされかたをしてるのか興味があっただけなんだけど、前半部分は「元アイドルがインターネットやマルチメディアで頑張っていて産学官からニーズが高い」って感じの、一般で語られているトーン以上のものではなかった。つまり「具体的にこーゆー商品をつくっていてこーゆーセールスがあって」って部分が欠けているってこと。会社設立からもう2年になるんだから、その間繰り返し流布されて来た「頑張る社長チバレイ」のイメージを、再度確認するだけのルポなんて飽きるくらい呼んだ。「元アイドルの美人社長チバレイ」ではなくれっきとした「チェリーベイブ社長千葉麗子」としての今を語りたかったのなら、この2年間の成果を具体的な数字とか商品なんかで見せて欲しいと思った。

 あるいは書くべき実績がなにもなく、だからこそルポの終わり部分で「肉体的にも精神的にもかなり無理をしているように見える」と書き、昔とおなじ「とらわれの身」になってしまったと指摘し、いずれ芸能界に帰っていくのではとゆーマネージャーの談話を紹介しているのかもしれない。家族とのいさかいを取りあげた後半部分に至って、前半の持ち上げようーとはガラリかわって冷徹に「チバレイ」を切り刻んでいく筆致には、過去あまたの雑誌が掲載してきた「チバレイ物」とは一線を画した、辛辣な毒を感じた。そーいえば今週号の「週刊ポスト」の表紙はなぜか「チバレイ」。同時期に雑誌に露出が増えるのはただの偶然なのかもしれないけれど、あるいはなにかが始まっているのかもしれない。ってんで期待しよー再び「チバレイ」がちょっぴり大人になった「プリンセス・メイ」となって、ブラウン管狭しと大活躍してくれる日が近いことを。


【11月23日】 中国から帰国して以来、どうにも内蔵の調子が悪く、電車にのれば次の駅はまだかと冷や汗をかきながら括約筋に力を込め、美術館で絵画を見ていても、静寂の展示室なかで「きゅー、ぐるぐるぐるっ」と響く音に耳そばだてる若き乙女の冷たい視線に、バツの悪い思いをしながら展示室を去らねばならず、ますます精神的圧迫から内蔵への負担が増えていく。これでは映画「失楽園」のごとき出会いは不可能だと嘆くも、もとより美術館で女性に声をかけるなどという甲斐性は持ち合わせていないので、別にどうってことないんだけどね。強がりもこめて。

 しかし内蔵が悪いとご飯も全然美味しくないのが玉に瑕。普通だったら駅でカツ丼のいっぱいもかきこむ休日の昼食を、「ぽるとがる」で買ったメロンパン1コに薄めたコーヒーでごまかすとは、なんとも冴えない連休中日である。せめてメロンパンにカレーパンを付けてコーヒーも濃いめをマグカップにたっぷり楽しみたかったもんだ。どっちにしたって1人で食うのには違いはないのだが。ああまた精神的負担が増えていく。

 「Jリーグプロサッカークラブをつくろう2」をプレイする。最初は大垣で2回目は豊橋をホームタウンにチーム作りを頑張ろうとしたんだけど、なぜか選手がバタバタと怪我で対談をしていってチームが成立しなくなってゲームオーバー。毎日練習されているのが悪いのか、それともグラウンドの整備を怠っているのか分からないけど、とにかくみんな体力がないぞ。これくらいでヘバっていてはとてもじゃないが甲子園は勝ち抜けない。ホント最近の若いやつらはプンプン。

 しかし毎度似たよーなことになるのも癪なので、頻繁に休ませてケガだけはしないよーに気を付けたりして、ちゃんと1シーズンを勝たなくてもいーから戦えるだけの戦力確保をしなくては。試合ごとにローカルニュースになるのがうざったく、選手の数が3人も足りてないのに「勝てる」とコーチがいってみたりして、なんだかなあと首をひねる。ともかくも文句はJリーグで上位に食い込めるまでの実力をつけてから。ああ本を読む時間がどんどんとなくなる。

 とはいーつつしっかりと本だけは買っている。まずは「小説たけまる増刊号」。中間小説誌仕立ての体裁をとった我孫子武丸さんの最新短編集ってことになるけれど、その凝りよっうたらホラーに読み切り短編にルポにグラビアに対談にコラムまで、およそ中間小説誌には不可分の要素を集めて足りない分は補って、完璧なまでに中間小説雑誌のテイストを再現している。1900円は雑誌と思えば高いけど、書き下ろしエッセイもたっぷりに撮りおろしもたっぷりのグラビア、さらには語り下ろしの1人対談(ってなんだ?)までついて、短編の収録本数は通常の短編集の倍付けとあってはまるでお買い得な値段であろー。

 目次に並ぶ我孫子武丸の名前の連呼は壮観、えっとだいたい30コはあるのかな。短編につけられたイラストもいかにも中間小説誌っぽいテイストを醸し出しているけれど、同じ人が続けて書いているのはさすがにコストを考えればいたしかたのなかったところなのでしょう。おっと最近の中間小説誌につきものの漫画がないぞ。こればっかりは流石にご遠慮したんだろーか描けないといって本人が、あるいは載せられないといって編集が。カバーをはがすとさらに吃驚の展開。抜かりがないねえ。

 オーソン・スコット・カードの「消えた少年たち」はますます年末のベスト10選びを混乱させそうな逸品。短編バージョンが話題の巽孝之さんの編纂したアンソロジー「この不思議な地球で」(紀伊國屋書店、2500円)に収められているんだけど、長編バージョンは短編の主題となっている家族の絆の部分とか、米国でおこる幼児虐待のような暗部をえぐりだす部分とかを、長いストーリーのなかに折り込んで”物語”として見せてくれている、と思う。だってまだ呼んでないんだもん、「Jリーグクラブ」作りに忙しくって。

 同じモルモン教徒の斉藤由貴さんが、同じモルモン教徒だからってなそんな理由で依頼されたものを、怒りなんてことをせず、同じモルモン教徒が日本で頑張ってんだから応援せねばってな感じで引き受けたという説明から始まる解説も巧みな文章が面白い。「消えた少年」が醸し出すある種の毒を認めつつ、それを正面から非難することなく認めてさえしまう寛容さには、裏返しとしての彼女自身の信仰の確かさがあるからなのだろう。それよりも斉藤由貴さんが”物語”としての”面白さ”を重ねて強調しているところに、この本を読む価値があるような気がする。んだけど読むのはたぶんもうちょっと後。だって「Jリーグクラブ」が崩壊しそうなんだもん。

 とかいいつつ「少女革命ウテナ」のLD第4巻を見る僕であったのだが、あらためて見返してみると「生徒会編」のなんと純情可憐で豪華絢爛だったことか。決闘の意味も世界の果ての正体もわからず、ただ何者かによって動かされている出演者たちの行動を、一種のメタフィクションとして見ていた自分のなんとおろかだったことか。続く「黒薔薇編」の暗い情念たぎされた展開と、その後に続くセクシャルな描写あふれる展開に気が付いた時には、もう「ウテナ」から離れられなくなっていた。見事にひっかけられたって格好ですね。TVはいよいよ終幕へと近づきつつあるよーだけど、これだけマニアレベルで話題になりつつも、一般メディアでは一切触れられていないなんて、やっぱり現実はアニメなんてマイナーなんですね。ポスト「エヴァ」なんてゆめゆめ考えない方がいいってことを、早いとこ理解した方がいーですよ、商社とか代理店の人たちは。

 なんてことをやっていたら督促の電話が来て慌てて原稿をでっち上げてメール。うーんいつもながらヘンな文章になってしまった。明日は休みだし天気がよかったら横浜美術館あたりに出かけてみよーかなー。展示室で「きゅー、ぐるぐるぐるっ」とやっている丁髷な髭がいても、決して逃げないで下さい。お願いですから。


【11月22日】 土曜日なのに早起きして立川へと向かう。あの「王立宇宙軍オネアミスの翼」のサウンドリニューアル版が今日から上映されるとゆーので見にいったもの。東京をはるばる横断してたどり着いた劇場の前で、何度かイベントですれ違ったことのあるバンダイビジュアルの社員らしき人を見かけて、なるほど全社で動員かけてるのかたまたま担当だから来ているのかと憶測する。どちらにしても休日出勤ごくろうさんです。

 第1回目が10時からでそれには当然間に合わず、12時45分からの第2回目の切符を買ったんだけど、なぜかその時点でも第1回目には空席アリの緑丸がついていて、あんまり入ってないのかなーと考える。当然第2回目は余裕で緑丸。ビデオとかLDで見ている人も多いから、サウンドリニューアルっても流石に劇場までは足を運ばないんだろーか。実際、入り口で並んで待っていた時に出てくる人を数えたら、第1回目で入りはだいたい6分か7分ってことみたいで、入場してからぐるりと周囲を見回した感触からすると、第2回目もだいたい同じくらいの客の入り。攻殻機動隊の凱旋上映の時の入りに比べればそれでもはるかに多いんだけどね。

 けれども冒頭から例えば「王立宇宙軍」の本編とはまるで明るさとゆーか暗さが違うパイロットフィルムとか、押井さんとはちょっぴりテイストが違うけどクオリティーの高さは折り紙付きな「パトレイバー3」の予告編とかが見られる上に、ストーリーはなんだか良く解らないけれど画面だけは圧倒的な森本晃司監督の「音響生命体ノイズマン」まで付いてくるとあっては、立川まで足を運んでも決してムダにはならない。3DCGの背景とゆーか舞台のなかをキャラクターがグリグリと動き回る様子ってのは見ていて船酔いするくらいに迫力がある。カメラの移動もデジタルにありがちな計算尽くって感じではなく、アナログの動きをデジタルをつかってどう表現するかってあたりに、結構気をつかってかつ成功しているよーに思えた。で結局「ノイズマン」ってのはなんだったんだろー。

 サウンドがリニューアルされたって「王立宇宙軍」だけど、言われてみればキレと臨場感が増しているよーに思えたものの、どちらかといえば動きとか音楽とかじゃなくって、ストーリーそのものに感動している口なので、サウンドがリニューアルされたらすっげー、とゆーよーな印象は持たなかった。途中も結末も全部知っていて、なおかつ映画館にまで足を運んで見てしまうってのはつまり、結末へと向かうプロセスとそれから結末に何度も感動したいって訳で、いったんはあきらめた打ち上げが成功した場面ではやっぱりとっても嬉しくなるし、軌道上からシロツグが演説とゆーか語りを始める場面でも、ちっぽけな、くだらない、だけど頑張って生きている人間のけなげさに打たれてやっぱり胸がジンとなる。

 サウンド関係では1カ所、発射場で鏡に向かっているシロツグのヨコから仲間が声をかける時に、本当は場内の左側に立っている人が喋ったんじゃないかって思える場面があったくらいかな。音楽の迫力もビデオで見たときより随分と増しているよーな気がした。あとは大画面で見る意味ってのを、例えば発射の時に氷の破片が散らばる場面とかで感じられたのが良かったねー。赤井孝美さんとかも含めて、たびたび舞台挨拶があるみたいなんで、ファンの人もそーでない人もちょっと(ものすごく)遠いけど頑張っていきましょー。

 幻灯舎ノベルズの新刊あれこれ。まずは佐藤大輔さんがゲーム業界を舞台に書いた「虚栄の掟」は、ミステリーとゆーよりはゲーム業界人間模様っていった趣で、才能のあるクリエーターたちの我の張り合いとかプラットフォーム選びやジャンル選びが左右する会社の運命とか才能もないのに空威張りする奴の醜態とかを散りばめつつ、そんな中でのし上がっていこーとする若者の野心うずまく様を、架空の会社を借りて描き出している。それはたぶんフィクションだけど、どこにでもあてはまるノンフィクションなのかもしれず、日常茶飯事にそんなことが起こっている世界に身を置く人たちの、心の強さ図太さに恐れ感心する。

 それから雨宮早希さんのエンバーマーシリーズ第3弾「顔のない女」は、福田和子の話題を巧妙に取り込んだ過去2作に比べるとちょっとお手軽な一品。それでも登場する超悪女の心の機微を思うと、なんだか心打たれるところもある。ストーリーテリングのうまさはもう尻上がりで、ちょっと間をあけてじっくりと大作を書けば、季刊ペースで作品を出してはそこそこその実績をあげて会社に貢献するプログラムライター(って言葉があるのかどーかは別として)の域を抜け出して、後世に語り継がれる逸品となること間違いない。

 その点、山田正紀さんは高い刊行ペースながらも「妖鳥」「螺旋」と異なる作風設定ストーリーに挑戦し続けていて、最新刊の「阿弥陀」でも風水火那子とゆー新しい探偵役を登場させて閉鎖されたビルって設定を作り上げて、その中で起こる失踪事件をきっかけに、1つのビルに生息する俗物どもの奇妙な生態を暴き出し、なおかつ当たり前を当たり前に考えられないミステリー読者を嘲弄するかのよーな結末を突きつけて来る。薄くて分かりやすいのが前2作と大きく違うところで、その点ちょっぴり不満(長い話が好きなんですよ格闘してる感じがあって)だったけど、分かり易い内容で読むのがとても楽しかった。次はどんな奇跡を見せてくれるのか。ホントはSFを書いて欲しいんだけど、でもミステリーも楽しみにしてますから、どんどん書いて下さいね。


【11月21日】 で「VIRUS」だが第8話を終わってなんとなくやっぱりな謎が見えて来た。サージはなんとかって博士のクローンらしーって、きっとその博士がアレでレイヴェンあたりと昔きっとツルんでいたんだろーなー。問題はそもそもな「VIRUS」ってなにってことで、このあたり静止軌道上のなんとかって衛星に乗り込んで、インキュベーターがどーたらってところと熱いバトルを繰り広げる、のかな。シリアスで始まった割には作画での遊びが増えて画面にメリハリが効いてきた。粋すぎるとヤバいけどこれくらいの崩れならまあ許せるってところで。LDを買うかどーかは思案のしどころだけど、特典映像とかがついてくれば考えてやらんでもないんで、そのあたりポリグラム(なのかな)さん宜しく。聞いてねーよな。

 しかし「WIRED」も罪な雑誌だねー。銀銀銀の表紙に鉄腕アトムのイラストでカッコいーじゃんと思ってページをめくろうとしたら耳になってて開かない。不思議に思って反対側を開くとぺらぺらページがめくれるではないか。まるでボンネットをあけたらエンジンが盗まれていてトランクをあけたらエンジンがつんであったってなフォルクスワーゲン・ビートルみたいなギャグですが、「WIRED」の場合はいつもだったら右側を開く横書き主体の雑誌だったものが、何故かこの号に限って左側から開く縦書き主体の雑誌になってる。なってる癖にコラムなんかは横書きだったりするからもー読みにくって仕方がなく、「週刊アスキー」(新だよ新の方)で外注編集Oとして西さんなんぞをチクチクやってる小形さんが、「編集者として許せん!」と怒るのも実によく解る気がする。あるいは「編集後記」に「ヨコ組みとたて組みで表裏別々の表紙でいくんだ」ってな言葉があるところを見ると、んでもって中の記事で某「F」誌から内容証明が届いた話を受けて逆に切り返している特集を見て、もしかしたら「週刊アスキー」(旧だよ旧の方)へのアテつけを雑誌のかたちで示してみせたなんて、まさかいくらなんでもそこまではやらんよな、ミニコミじゃねーんだから。仮に本当にこのまま縦書き主体でいくんだったらせめて横組みのコラムは右から書いてね、その方がほら、アラビア文字っぽくってトレンディー。なんかまずいこと言ってますオレ?

 山名一郎さんの「CD−ROM」に関する記事は、シナジー幾何学とオラシオンとデジタローグとヴォイジャーのCD−ROM四天王を、前2者と後2者に分けて考えている点がとっても面白いとゆーか、ちょっとだけ業界かじった自分にも実に良く解る切り分け方になっている。粟田政憲さんと菊地哲栄さんと江並直美さんと萩野正昭さんと言い換えても良いんだろーけど、この4人いずれも「AMD」(マルチメディア・タイトル製作者連盟)って団体の立ち上げに尽力して理事までやってるいわば日本のCD−ROM界を黎明期から支えた大立者だち。当然ふだんからのつき合いもあって仲もたぶん悪くなかったとは思うんだけど、いつの頃から(実は最初の頃からそーだったんだろーけど)作る作品のスタンスに路線の違いが見えてきて、今では前2者はよりマスに、後2者はよりミニにマーケットを見いだそうとしている。

 4社はかつて「パブリッシャーズ・フロント」を形成して、マックワールドなんかで共同ブース展開をしていたんだけど、去年はとうとうデジタローグとヴォイジャーだけになっちゃってた(新潮社も入っていたっけか)。シナジー幾何学とデジタローグはいっとき統一レーベルを作って共同プロモーションを張っていこーとしてたけど、それもすぐさまついえてしまった。理由を聞いた時には江並さん「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」と言って笑っていたけれど、やっぱり路線の違いってゆーか精神の違いってゆーのが、同じ空の下で統一戦線を張って闘うってことを難しくしたからなんだろー。考えるに個人的には後2者の路線に共感を覚えていて、それは写真集が好きでアートが好きで本が好きってな嗜好をマルチメディアで体現しているタイトルを、両社が作ってくれているからなんだと思う。決して後2者の人たちが僕にとって親近感あふれる「輝き」を持っているからじゃないぞ。ほんとだぞ。

 もちろん4社とも本当に真剣にCD−ROMってメディアの現在と未来を、考えて考えて考え抜いた上で、それぞれの道を選びそれぞれの知恵を結集してタイトルを作り、だからこそそれぞれがそれなりに成功を収めているんだと思う。問題はそんな人たちが切り開いている道をブルドーザーなりスポーツカーなりで荒しまくって去っていこうとする人が多いこと。大量に溢れかえる店頭のCD−ROMの山のなかでは、いくら優れタイトルでも埋没し忘れ去られてしまう。「だからこそプロモーションの能力を付けたい」とメジャーを志向する前2者と、クオリティーによって埋没を許させないヴァリューをつけようとしている後2者の、行き着く先はどちらが天国でどちらが地獄か。どちらも天国ならいーがどちらも地獄ってことに、なりかねないのが今のCD−ROM市場だけに、ハラハラドキドキしながらも微力ながら応援し続けていきたい。とりあえず来週の「AMD」のイベントに、皆さん行ってやって下さい。

 さて「ラブ&ポップ」だが、監督庵野秀明(新人)はやはりタダモノではなかった。小型のCCDカメラらしきものを額とか足の付け根とかに取り付けて撮った映像を多用したり、電子レンジの網ごしとか扇風機の回転するプロペラごしとかに撮った映像をつなぎあわせていく手法などは、アニメでもたびたび見せた作画の文法に近いものがあると思う。ともすればそんな凝った、凝りすぎともいえる映像に辟易して、途中で席を立ちたくなる気持ちをおさえて、4人の女子高生を軸に展開されるドラマを見続けていると、映像という目眩ましの向こうから呼びかけてくるメッセージに気がつく。それは背骨に焼け火箸を突っ込まれてかき混ぜられるるような、実に不愉快な気分だが、やがて不愉快に思った理由が、自分の心の疚しい部分、劣等感、罪悪感が映画の中に映し出されていたからなんだと気がついた瞬間、画面から押し寄せてくる強大なパワーに圧倒されている自分がそこにいる。

 男にとって、特にコミュニケーション不全の男にとって「ラブ&ポップ」の世界は劣等感のショーケースだが、主人公たちと同世代の女子高生にとっても、やはり劣等感を写す鏡になるんじゃないかと思っている。ダンスに熱中している同級生、大人の恋をしている同級生、インターネットに凝っている同級生に混じって自分には何があるのと悩む主人公の女子高生は、普通であることに素晴らしさではなくつまらなさを覚え、優越感ではなく劣等感を覚えてでもどうしたらいいのかわからない、わからないなりに何かしようともがき苦しむ今のすべての人たちを、体現した姿なんじゃないだろーか。男にも女にも子供にも大人にも、等しくなんらかのメッセージを伝える映画。1時間50分の針の筵(むしろ)の後で見る、街の光景はまぶしくてけれどもどこか虚ろだ。

 手話ができてヌイグルミに話しかける浅野忠信(いーぞー、好演だあ)の豹変は、優しさのステレオタイプなイメージをものの見事にひっくり返し、エンディングに流れるへたくそなカラオケの「この素晴らしい愛をもう1度」は、フォーク世代のサンクチュアリを嘲弄すると同時に唄う女子高生自身の嫌がりながらも金のために自分を売る姿も糾弾する。幾重にも複雑に重ねられた意味の1つひとつを時ほぐすには、なんど見ても解らない、なんど見ても新しい発見のある「エヴァ」以上に何度も見直す必要があるのかもしれない。でもそのたびに針のムシロに座るのはかなわんしなあ、ホンマ罪な映画や。しっかし「撮影日記」にあった南の島でのロケ場面、どこに使ってあったんだろー。もしかして全部ボツ? やりかんねんからなあ、庵野サンなら。1月10日公開。「北京原人」よりは必見。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る