廃都

 一等作家は政界寄り、お役人にくっついて幕僚となる。
 二等作家は宗旨替え、企業のお手伝いで広告作り。
 三等作家は裏道家業、エロ本出しては札束稼ぎ。
 四等作家は原稿書き、ひもじい思いで清貧気取り。


 中国の現代作家、賈平凹(チア・ピンアオ)の「廃都」(吉田富夫訳、中央公論社、上下各2200円)に登場する幾つもの俗謡のうち、これが一番、作品の内容を表しているような気がして引用した。西安、かつての長安をモデルにした「西京」に暮らす、作家や評論家や書家や画家や、その他諸々の文化人たちの生態を描き出す中に、文化人が政治体制に組み入れられて、尊敬もされるが利用もされる、中国という国の在り様を見て取ることが出来る。

 企業に頼まれて、お金をもらってルポルタージュを書く作家は、中国に限らず日本にだっているだろうし、政府に頼まれて委員になったり、政策を支持する文章を書く作家だって大勢いる。ただ中国の場合、書けなくなった作家、描けなくなった画家をいつまでも厚遇することはないようで、本書の最後で書けなくなった(書かなくなった)作家を、市長はあっさりと切り捨てる。

 「官倒」というのだろうか、中国のコネ社会の現状にも、本書でつぶさに触れることができる。官僚はいうにおよばず、裁判所長や火葬場の従業員に至るまでコネが通じる。人々はコネをもとめて権威に近づき、一度つかんだコネは絶対に離そうとしない。利用したコネに報いるべく、別のコネを利用しているうちに、作家はどんどんと身動きのとれない状況に陥ってゆく。

 帯にある、「紅楼夢」や「金瓶梅」をしのぐ性描写という文句に惹かれて買う人も多いだろう。自分だってそうだった。しかし一読あれ。性描写などほんの息抜きに過ぎず、登場人物たちの個性の強さに圧倒され、次から次へと出てくる豊富なエピソードに翻弄され、中国社会の面白さに堪能させられる。牛の視点で頽廃的な都会の様子を語らせたり、老婆に先祖の霊が日常的に降りて来くると騒がせたりと、マジック・リアリズムにも似た幻想的な雰囲気も味わえる。

 冒頭の俗謡には続きがある。

 五等作家は尾羽うち枯らし、てめえでこすってせんずりかき。

 会社では企業のニュースリリースや自社イベントのパブ記事を書き、家ではパソコン通信に一文にもならない感想文を書く、そんな僕は何等だろう。

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