縮刷版96年8月中旬号


【8月20日】 久美沙織さんの「青狼王のくちづけ」(新潮文庫)を読んでいるうちに、なんの呪いか急激に睡魔に襲われてばったり。目が覚めたら朝の4時になっていて、テレホーダイ・タイムになったらアップしよーと書き置いていた19日分の新聞をあわててアップする。そのままつらつらとホームページを回ったり、「ASAHIネット」のサロンをのぞいたりしながら夜が開けるまでの時間を過ごす。

 8月の上旬あたりだったら、5時を回れば日が昇って部屋の中の温度も急激に上がって来たのに、なぜか今日はいつまでたってもヒンヤリとしていて過ごしやすい。近所の自販機に罐珈琲を買いに行ったら、てんで外の方が涼しいので驚く。テレビの天気予報を見て、今日の最高気温予想で東京28度、札幌30度となっていて、いったいどーなってんだと2度驚く。寒暖激しいなかを布団も被らずに寝てしまったため、風邪をひいたらしく喉が痛いが、仕事が入っていたので休むわけにもいかず、だらだらふにゃくにゃと準備して家を出る。

 仕事とはいっても、11時から始まる発表会に出るだけのことだから、少々の風邪でも平気っちゃー平気。さてその会見、ゲーム担当記者のピンチヒッターで、CSKベンチャーキャピタルとかゲームアーツとかが出資して作ったゲームの総合プロデュース会社、エンターテインメント・ソフトウエア・パブリッシング(ESP)が、本格的に仕事を始めるって話で、広い会場だったのにも関わらず、結構な数の記者やら編集者やらでいっぱいになった。

 この会社、よーするにゲームタイトルに開発資金を融資するってゆーのが仕事で、それなら郵政省とか通産省とか金融機関とかが既にやってるじゃないって話になるけれど、そーいった所にゲームソフトの価値なんかを判断して融資を是非を決められる人なんていないんじゃない、だったらゲームの解ってる僕たちが売れるゲームかどーかを判断して、お金とか人とか技術とか宣伝とかを支援しましょうってことになったのだそーな。身内ゆえの判断の甘さとか、逆に身内ゆえの判断の厳しさとかいった不安要素を、この会社がどのようにクリアしているのかは解らないけれど、ことゲームの善し悪しに関する判断力は、金融機関の融資審査部門なんかより持っているだろーから、面白そーなゲームを出してくれそーな気はしている。

 ちなみに最初の製品は、ゲームアーツのRPG「グランディア」。車の名前じゃないよ。デモ映像を見た限りでは、CGの方はしっかりしていたし、草薙琢仁(ちょっと字が違う)さんのデザインしたキャラもまあ可愛い。ゲームにはトーシロなので確実じゃないけれど、そこそこはいきそーなソフトだと思った。しかし、いっしょにもらったチラシにあった、竹本泉さんの「だいなあいらん」の方に、「グランディア」よりも心惹かれてしまったのは何故だろー。

 本屋でヨナス・リーの「漁師とドラウグ」(国書刊行会)を買って読むが、暗いのなんのって便所にぶら下がった40ワットの裸電球の比じゃない。とりあえず2編ばかりを読んだけど、あまりの暗さに、電気を消して布団を被って豆電球で読みたくなるくらい、落ち込んだ気持ちになった。もしかしたら他に明るい話が入ってるのかもしれないけれど、それでも玄関の100ワット電球にはほど遠そう。訳者の中野善夫さんは、どうやってノルウェーの暗い海が醸し出すマイナス1万度の冷気にからめ取られずに、最後まで訳したんだろー。「ドラウグ」は「トラフグ」ではないと、中野さんのホームページにあったよーに記憶しているが、どこかの書評ではきっと誤植されるだろーな。でも最初にやるのがフジサンケイだったら恥ずかしーなー。


【8月19日】 新聞を開くと丸山真男氏の死去の報。岩波から全集を出してる人だなー、ってくらいの認識しかない人で、若い世代にとっては沢村貞子さん以上に縁もゆかりもない爺さんなのに、新聞はどこもこぞって大見出しで扱っている。戦後政治史の重鎮、とゆーよりは進歩的文化人の代表格って具合な取り上げ方。保守を行く産経と読売は、礼賛ばかりでなく批判的な人間のコメントも寄せていて、こーゆー時ばかりはバランスの取れた紙面作りをしている。正論賞なんかを受賞した保守の文化人が死去した時にバランス取れた紙面作りが出来ればホンモノだけど・・・・。

 しかし真男氏の記事の中で、父親で毎日新聞で活躍したジャーナリスト、故幹治氏のことはたいていの新聞が触れていたのに、弟で2年前に没したフリーのジャーナリスト、故邦男氏のことに触れた新聞はなかった。マスコミ志望の人間だったら、真男氏の文章よりは邦男氏の文章の報により慣れ親しんでいたはず。それなのに、邦男氏が死去したときはどこも小さな扱いだった。進歩的政治学者の東大名誉教授とフリーの左翼ジャーナリストじゃー、こうも扱いが違うのかと、別に右翼でも左翼でもないけれど、ジャーナリストの尻尾にぶら下がっている身として悲しく思う。

 読売新聞のマルチ読書面に名前が出る。森雅裕さんの「推理小説常習犯」(KKベストセラーズ)に関して「YOMINET」に書き込んでおいた話が採用されただけのことで、図書券も新聞購読券も肩たたき券ももらえないから、採用されたからってどーとゆーことはない。それにしても年に10回は名前が出ているのに、誰からも「見たよ」と言われないのはどーしてなんだろーか。掲載されているのが東京本社版だけとはいっても、こっちの新聞なんかとは違って、数100万部は出ているはずなのに。やっぱり読書欄って読まれてないんだね、取材相手になるよーなおじさんたちとか、取材じゃないところで相手して欲しい若い女性たちには。

 ソニー・ミュージックエンタテインメントの会見。中間期と通期の収益見通しを大幅に下方修正するって話で、すわドリームズ・カム・トゥルーの西川事故の影響か、などと東京証券取引所の記者クラブ中が色めき立ったかとゆーと、そーゆーことはあまりない。芸能担当記者がいたら大変だったらどーけどね。ホントの理由は、新人とか中堅とかで売れそーな人だけにお金と人をつぎ込むことにして、売れそーもない人とか、まだ機が熟してない人とかのレコードは発売を延期または中止することにしたから。これに浜田省吾とかNOKKOとか九宝瑠璃子とかエアロスミスとかシンディ・ローパーとかバーシアの新譜が、下期へと発売がずれ込んだからたまらない。中間期に予定どおりの収益なんて、とてもじゃないが上げられない。

 通期でも、年度末に出る予定だったドリカムの新譜が、ボーカル吉田美和のソロ活動が長引いていた関係で、来期に発売がずれ込むから、さっきの人たちのが下期に発売されても追いつかない。Puffyじゃーまだドリカムのカバーはできそーもないし。それにPuffyのヒットに気をよくしたのか、奥田民生のプロデュース作品をもっと増やしたいってことで、奥田本人の新譜も来期にずれ込むことになった模様。あっちとそっちが「TK」でくるのなら、こっちは「TO」で行こーってことか。


【8月18日】 罐珈琲を飲みながら日刊スポーツを読む。名古屋グランパスエイト圧勝。6点のうち復活の小倉が2点をゲットしていたのが嬉しい。アトランタに行っていたらきっと・・・などと思っても詮無いことなのだが、城1人では薄かったアタッカー陣に、きっと厚みが加わったことだろー。ナビスコ杯はどーも調子悪そーなグランパスなので、このあたりで弾みをつけて、リーグ戦の方で立て直して欲しい。しかし77分から出てしっかり点をとってる森山。走るばっかの岡野より、こーゆー運のいー奴を是非とも代表メンバーに加えて戴きたいものである。

 可愛い女の子が主演しているとゆーことだけ(爆!)で、岩波ホールに行って映画「フィオナの海」を見る。会場が会場だけに文芸映画かと思っていたら、意外やこれがなんとも面白おかしいファンタジー。ってゆーと「どこがおかしいんじゃー」と怒る人がいるかもしれないから説明すると、揺りかごごと海にさらわれた弟がアザラシに育てられて生きているかもしれないと思ってる女の子の話なんだけど、女の子の見る幻想とゆーか妄想かと思っていたら、実はマジだったんで驚いたとゆー次第。狼少女の話とかターザンの話とかがあるからいーんだけどね。でもいい映画。女の子も可愛いし(爆々!!)、あと3度くらいは見たいねえ。

 波間からアザラシが顔を出す場面が、岩波の本で読んだ「海のおばけオーリー」(ホーリーぢゃないよ)の表紙みたいで可愛い。アザラシが短いひれをバタバタさせて砂浜を走り回る姿が、畳の上でバタフライをしているよーでおかしい。フィオナのじーちゃんは舟越桂さんの彫刻にありそーな顔している。全編を通じて映し出される、どんよりと曇った北の海は、カメラ「CONTAX」のパンフレットにある見本写真のよーで、陽光降りしきる夏のノーテンキな海よりも好き。アザラシの皮を脱いだ女の人と結婚するって話、日本の民話かなんかでも読んだよーな記憶がある。いや、海外の民話だったっけか。記憶が死んでいて思い出せない。

 神保町から秋葉原まで歩いて「アキハバラデパート」でバーボンを1本買って帰る。「I.W.ハーパー」は高くて買えなかったので「フォア・ローゼス」にする。今晩もゆで卵をサカナに酒盛りしよー。二日酔いにはならない質だし。明日は助教授の原稿は来るだろーか。秋葉原の駅前では、牛柄のTシャツを着た人たちがパンフレットを配っていた。前に行った時に見た、ダーティーペアみたいなホットパンツ姿の電話売りはいなかった。ちょっと残念。

 やっぱりうだらうだらしてると夕方。パスタを茹でて「パスタドゥ」の「カルボナーラの素」と混ぜて食べる。ベーコンをカリカリに炒めろとレシピに書いてあったけど、カリカリのベーコンってどーも苦手なので半焼きにしておく。卵は卵黄だけを混ぜるのだが、こーゆーとき、余った卵白をどーすればいーのかいつも悩む。捨てるのはもったいないので、フライパンで焼いて「白目焼き」にしてパスタといっしょに食べる。卵焼きの味がするって、当たり前か。


【8月17日】 7時に目が覚め9時に寝る。次に目が覚めると正午少し前で、駅前に出て新聞を買って昼御飯を食べて本屋を巡回して家に戻る。罐珈琲を飲みながら坂口尚さんの「石の花」(講談社漫画文庫)についての感想文をつらつらとつづる。助教授の原稿は今日も届かない。

 レコード屋に行って悩む。「天地無用!」のラジオドラマを収録したボックス使用のCDが売れ残っていて購買欲をくすぐるが、いっぽうで「スレイヤーズNEXT」の「サウンドバイブル1」も並んでいて、主題歌を完璧に覚えるために買うべきだとゆー天の声が聞こえてくる。チェロ奏者の溝口肇さんが音楽を担当しているとゆー「エスカフローネ」のCDも2枚目まで出ていて、いったいどんな音楽を作っているのか聴いてみたい衝動にかられる。だんだんとフツーの音楽が聴けなくなっている。ラックに並ぶアニメのCDをながめながら、今週はじめの日経産業新聞に出ていたスターチャイルド制作部長へのインタビューで、「攻殻機動隊」が「甲殻機動隊」となっていたことを思い出す。バカだねえ。

 内田美奈子さんの「BOOM TOWN」(竹書房)を1巻から読み返す。主人公の朱留って、最初の頃は太っとい足してたんだあー。いまじゃースラーっとしているもんね。太い足といえば、徳間書店のアニメージュコミックスから単行本を出していた「粉味」(だったっけか?)とゆー人の漫画の主人公が、やたら頑丈な足をしていたことを思い出す。最近の女子中学生とか女子高生とかも、結構頑丈な足をしてるけど、ちょっと頑丈すぎて(とゆーか長さが足りなくって)、漫画の中の女の子のよーにはカッコ良くない。現実の残酷さに涙する。それにしても「粉味」(違うよーな気もするなー)さん、いったいどーしてるんだろーか。

 うだらうだらしてると夜。冷やし中華を作ってエビスビールといっしょにかき込む。決しておなかの調子が良くはないのだが、ほかになんにもすることがないと、どーしても食べる方、飲む方へと興味が向かってしまう。具の方は卵焼きとキュウリと豚肉。錦糸卵なんか作るだけの気力も良く切れる包丁もないから、おおざっぱにぶつ切りした酢昆布大の卵焼きが上にトッピングされることになる。ビールを飲んでも酔わない。調子がいいのかもしれない、もしかしたら内蔵がアルコールを吸収できないほど弱っているのかもしれない。夏も終わりに近いのか暗くなってぐっと涼しくなって来た。食中毒のシーズンもそろそろ終わりだろう。夏休みはまだ取っていない。

 先月末に買い込んだ久美沙織さんの「ソーントーン・サイクル」(新潮文庫)シリーズにようやくにして取りかかる。第1巻の「石の剣」は、いまや絶版となっている幻の書。山一情報システムの社長さんちにインタビューに行った帰りに古本屋で見つけた本だけど、笠井潔さんを始め未読の本の地層が出来ていたため、今まで後回しになっていた。山一情報システムの社長さんの話も月曜日ごろには掲載される(今まで書かずにため込んでいただけなんだけど)見通しで、これで心の重荷(大げさだねえ)が1つ取れ、晴れて「ソーントーン・サイクル」に挑むことができる。

 最初の印象は悪くない。絶版となったからには、きっと売れなかったんだろーけど、どーして売れなかったんだろーか。新潮文庫から出したのがいけなかったのだろーか。角川スニーカー文庫とか富士見ファンタジア文庫とかコバルト文庫とかから出ていれば、今ごろ版を重ねて久美さんにさらなる印税をもたらしていたかもしれない。こんなことゆーと、新潮社で頑張った編集者の人が報われないから、やっぱり絶版になってしまった「決戦! スタジアム」(ってありましたよね)とか、「スターシップ」(でしたよね)あたりのアンソロジーともども、一生懸命このページで宣伝することにする。「久美さんは何を読んでも絶対に面白い」(獏さん風)。


【8月16日】 劇場映画「天地無用! in LOVE」のフィルムブックが出ていたので買う。ホントは今月後半に出るレーザーディスクが欲しかったんだけど、LDプレーヤーを持っていないから買っても見られないので仕方がない。新宿の映画館で試写を見たときは、座ってる場所があんまり良くなかったから、フィルムブックでもう1度、ストーリーやカットを確認して行き、そーかこーゆーストーリーだったのかと、今になって納得する。清音さんのサービスシーンのカットが少なくって悲しい。そこだけで2ページ使ってくれていたら、倍の値段だって買ったのにぃ。

 とゆーわけで、カバーガールを劇場版「天地無用!」に登場した柾木阿知花(まさきあちか)に変えてみました。長い髪の毛がとっても難しくって、マウスでは全然うまく書けません。ファンの人ごめんなさい。LD買ったら見せて下さい。ご飯を作ってあげますから。

 新刊ではないが目にとまった、しりあがり寿&西家ひばり夫妻のエッセイ&コミック「いっしょぐらし」(光栄、1400円)も合わせて買う。漫画家の夫婦では例えばいしかわじゅんさんのところとか、柴門ふみさんのところとか結構ある(ってこれだけか?)けれど、しりあがり寿&西家ひばりとゆー組み合わせは、絵柄の凄さも相俟って、ひときわ邪悪な光りを放っているよーな気がする。さぞや暮らしぶりもすごいんだろーなーと思って読み始めると、結婚式の仲人を弟妹にやってもらったり、義父のお葬式にキンパツで出たりしたこと意外は、ごくごくフツーの家庭だったので驚くっておいおいどこがフツーなんだ。従姉妹の結婚式に頭を縛って出た僕が、ずいぶんとまともに見えて来る。

 今週いっぱいは夏休みの会社が多いみたいでリリースが少ない。そんななかで、FAXで届いた「THE CITY」とゆーインターネットサービスの話を書いてお茶を濁す。会員制ホームページに英語版を作るって話だけど、なにせ中身がアダルト情報だから、果たしてデスクが載せてくれるかどーか解らない。オープンの時はAV女優がポーズを決めた写真もいっしょに載せたけれど、ベタだった。同じ日に日経が3段で載せていたのを見て、AV女優の色気では勝ったけど扱いで負けたと思ったが、あれからデスクも変わったから、もしかしたらボツってしまうかもしれない。オニっ子だからなー、わが「エンターテインメント面」は。

 記事を書きながら「こどものおもちゃ」と「スレイヤーズNEXT」を「聴く」。たまに絵が付いたのを見て、何てセリフの多いアニメだと思った「こどものおもちゃ」だったけど、これほどまでに間断なく、セリフが続いていたとは思わなかった。サナちゃん実によく喋る。ラジオだとそのあたりがハッキリ解る。いっぽう「スレイヤーズNEXT」は、主人公くらいしか名前と声が一致しないから、誰が誰で誰のセリフを喋っているのか、ラジオだとさっぱり解かんない。「文字」だけの画面がたくさん出てきた「新世紀エヴァンゲリオン」に比べれば、ストーリー自体は追っかけ易いんだけどね。


【8月15日】 木曜日提出予定の影の仕事を朝早く起きてこなす。台風が通り過ぎているのか風が強くて五月蝿かったが、太陽が高くまで上って来ると、すっかり風も収まって、蒸し暑い夏の1日が始まっていた。健康を損ねかねない仕事なので、寝不足ではちょいと辛いものがあったが、こればっかりは仕方がない。お金には決してならないけれど、カタメの記事しか載らない新聞で仕事をしている人間にとって、これでなかなかヤワラカメの文章を書く修行になるのです。柔らかすぎるって話もあるけれどね。否定はしません。

 電車の中で読書。ケヴィン・J・アンダースン&ダグ・ビースンの「星海への跳躍」(ハヤカワ文庫SF、上下各660円)を読了へと持ち込む。いきなり「ソ連」っていわれちゃー、興味も何割か削がれてしまうとゆーものだけど、宇宙空間を漂うクラゲかエイかって生き物のイメージが素晴らしく、星の降る夜に空を見上げて、あっあれが「セイル・クリーチャーだ」なんて言ってみたい気分にかられた。

 ナショナリズムの対立とか生き残るための苦渋の選択とか、けっこう類型的な描写が多くて辟易させられる場面もあったけど、全体として実に少年の冒険心をくすぐられる。こーゆー小説は汚れちまった日和見で優柔不断で小心者の大人ではなく、純粋で未来に希望をもっていて冒険心に凝り固まった少年に是非とも読んで欲しい。高校生や大学生が昔ほどにSFを読まなくなったって心配してるくらいなら、その下の子供達に童話でもないファンタジーでもない本格SFを、読みやすくリライトして読ませてやったらどーなんだ、H書房。不摂生で早死にしそうな30代、40代を相手にしているよりは、よほど将来性があると思うよ。

 世界文化社から雑誌「Begin」の最新号が届く。「ハンディ電脳アイティムの賢い選び方」って特集で、なんとなく最近の「DIME」っぽい内容だった。東芝のリブレットがいいか、NECのモバイルギアが使いやすいかって特集を読んでいると、電子メールで記事を送稿している新聞記者には、どーもモバイルギアの方が便利って気がしてきた。すると欲しくなるのが人情ってもんだけど、さすがに安くたって8万円じゃーお小遣いでは買えません。ノート型パソコンなんて夢のまた夢だから、出張なんかの時でも、しばらくは会社備品の薄型(旧型)ワープロを持ち歩くしかなさそー。


【8月14日】 GAGAの試写室に行ってメル・ブルックス監督の「レスリー・ニールセンのドラキュラ」を見る。お盆休みのまっただ中だとゆーのに六本木は人、人、人の波。さすが「若者の町」(死語)。大手町や丸の内界わいとエライ違い。さて「ドラキュラ」だが、トランシルバニアからロンドンへと出て来たドラキュラ伯爵(レスリー・ニールセン)が、精神科医の家に住んでいる女性たちを追い回し、それを仇敵ヘルシング教授(メル・ブルックス)が邪魔をするって話だけど、あのレスリー・ニールセンにしてこのメル・ブルックスありだから、とーぜんホラー映画ではない。冒頭からラストまで細かいギャグのオン・パレードで、にまにましながら見ているうちに、上映時間の1時間31分があっとゆー間に過ぎてしまった。

 映画の感じは、そうお正月の「新春隠し芸大会」で毎年必ず演じられる「英語劇」のよーなノリ。チープな仕掛けににはっきりした発音のセリフとオーバーなアクション、そして真顔で繰り出されるボケとツッコミの数々を見せられたた後で、「10点、10点、10点、10点、9点、10点、8点・・・・・94点!」(ひゅー、どんどん、ぱふぱふ)とゆー司会者の声が聞こえてくるよーだった。来年のお正月当たりで、井上順をドラキュラ役(とゆーかレスリー・ニールセン役)で演ってみたらどーだろー。しかし出てくる女優陣がみーんな大きな、それこそスイカか毬かバスケットボールのよーな大きさのムネをしてたから、「英語劇」ではぜひとも雛形あきことか細川ふみえとかの「巨乳系」アイドルに演じて戴きたい。

 お盆なので本屋に行っても新刊が入らなくて寂しい。仕方がないので今週は、買い置きの本の山を取り崩して片づけていくことにする。ケヴィン・アンダースン&ダグ・ビースンの「星海への跳躍」はようやく上巻を終了して、いよいよ下巻へと取りかかるところ。1両日中にはカタが付くだろー。実は同じ作者の「無限アセンブラ」をまだ読んでなくって、「星海への跳躍」が終わり次第、そっちにも取りかかろーと思っている。ディレイニーの「アインシュタイン交点」は夏でボケた頭にはちょいとツラいから、読書の秋のお楽しみ。ぼやぼやしてると8月末から9月にかけての新刊ラッシュに巻き込まれて、いよいよ積ん読の山が限界を超えて高まってしまう恐れがある。予想では加門七海さんの新刊に誕生日いっしょの村山由佳さんのエッセイ、太田忠司さんの「新宿少年団」の第3巻あたりが来月にかけて出版される見通し。清涼院流水とゆー人の本も予定に入っていたぞ。これじゃやっぱり、山は低まらないなー。


【8月13日】 お盆休みなのか企業からのリリースがほとんど届かない。前に届いていたリリースを書類の山から引っぱり出しては書いていく毎日で、針のむしろの上にいるよーな居心地に悪さに、だんだんと胸焼けがひどくなる。お腹の調子はよくないし、天気も晴れてたり雨がふったりとはっきりしない。オリンピックを見た後では高校野球など児戯にも等しい。あー、面白い本が読みたい。浮き世の憂さをパーッと晴らしてくれるよーな面白い本が。

 「スレイヤーズNEXT」のテーマソングが耳について離れない。コムロっぽいイントロの部分に始まってBメロからサビへと向かう部分のテンポの良さに魅せられてしまったようで、このままだとCDを買って、神坂一さんの文庫本を揃えて、関連ムックを揃える事態へと発展しかねない。しかし肝心の映像だけがビデオがないため見られないとゆーのも、去年に春にかかった「天地無用病」、今年の始めにかかって今もかかっている「新世紀エヴァンゲリオン病」と一緒。これでビデオとかLDに向かうよーな事態になれば、お小遣いがいくらあっても足りなくなるので、とりあえずは病気が財布の死に至る病でないだけ、幸いであると自分を慰める。

 某大手企業に連れていってもらう予定だった中国行きがポシャって悲しい。手配してもらっていた取材活動を行うための報道ビザがとれず、かとって観光ビザで入国して取材活動をしたのがバレると後々に禍根を残すこともあって、記者の招待を取りやめることにしたらしい。3年前に1度行った北京で、また美味しい(といっても香港ほどではない)中華料理が食べられると思っていたのに。しくしくしく。免税店でI.W.ハーパーの12年物を買い込んでこようと思ったのに。げしょげしょ。こーなれば何か別の物でも買って、購買欲を満たすほかはないってことで、何買おうかを思案中。第1候補はNIKEの「エアズームフライト」、第2候補はまだ刊行中だけど中上健次全集ひと揃い、第3候補はZIPドライブ、第4候補は待望のビデオテープレコーダー。ホントに買うかは未定だけど、考えているだけでも楽しく(後で虚しく)なるからいいや。

 ケヴィン・アンダースン&ダグ・ビースンの「星海への跳躍」を途中まで読む。いやー、なんだ面白いじゃないか。まだ出だしだけと、ピリピリする感じが伝わってくる。話がすすむに連れて、もっと緊迫してくるんだろーと思うと、読むのが楽しみでもあり、読み進むのがもったいなくもあり。それにしても2人の最初に日本で発売された文庫「臨海のパラドックス」が、すでに目録落ちになっているとは。あとカンデルの「キャプテン・ジャック・ゾアディック」も。どちらも持っているからいーけれど、これだけの回転の早さを目の当たりにすると、中身の善し悪しは別として、とりあえず出た青背(ハヤカワ文庫SF)は、とりあえず買っておかなくちゃいかんのかなと思えてくる。お金もないのに、うーん困った。FTやJAもどんどんと在庫が切れているよーだし(宮本昌孝さんの本なんて残ってないもんね)、いよいよSF本家もどんがらがっちゃんの兆しか。


【8月12日】 96年上期の芥川賞を受賞した川上弘美さんの第1短編集「物語が、始まる」(中央公論社、1100円)が店頭に並んでいたのを見る。どうせ芥川賞の作品、つまんねえだろうなと、新人作家へのやっかみも半分混じった気持ちで通り過ぎようとするその時、うず高く積まれたその後ろに「著者直筆サイン本」と書かれたノボリが立っているのを見つけてきびすを返す。

 僕は付加価値に弱い。サイン本とあれば知らない著者の本でも買ってしまうし、サイン会があると聞けば、知らない作家のサイン会でも並んでしまう。もちろん全てではなく、少しは興味があったりする作品だったり作家だったりするけれど、その意味で川上さんの著作には、朝日ネットが主催したパスカル短編文学新人賞の出身者であるという点で、やっかみと裏返しの興味があった。

 肝心の中身だが、つまらないとはいわないまでも、どうにもざらざらとした読後感に囚われて仕方がない。男の雛形(あきこぢゃないぞ)を拾ったり、トカゲを貰ったり、婆に会ったり、祖先の墓を探しにいったり、これは入っていないけど蛇を踏んだりと、日常の中に突如あらわれる非日常を描いているから、幻想小説だと思われるかもしれない。しかし僕には「妄想小説」のように思えて仕方がない。日常から抜け出したい、逃避したい、跳んで生きたいと思っている登場人物(作者ではない)の妄想が生み出した幻想的な非日常。登場人物と同じように現実に不満を持っていながらも、何もできない僕の小心を見すかされているようで、ざらざらと感じるのである。

 同じサイン本でも、こちらはたぶん2重丸。まだ読んでいないけれど、何しろ作者が漫画界に芥川賞があったら絶対に受賞しているであろうしりあがり寿さんの活字本「多重人格アワー」(中央公論社、1500円)なのだから。新人作家らしく実直な川上さんのサインと違って、すでに何冊も単行本を出しているしりあがり寿さんのサインは、のびのびとして、おまけにちょっとしらイラストも入った逸品。へなちょこ具合では、前に書いてもらった沢野ひとしさんの似顔絵入りサインとか、マーク・コスタビの柄付き吸盤入りサインに勝るとも劣らない。

 サイン本はほかにも村山由佳さんとか佐藤亜紀さんとか荒木経惟さんとか船越桂さんとか高千穂遥さんのを持っているけれど、聞くと古本市場ではサイン本は、決してありがたがられないのだとか。よほどの作家のよほどの本でない限り、サインによって価値が上がるということはなく、ともすれば汚れ扱いされることもあるとゆー。さて僕が持っている中で、いずれサインが付加価値となる作家は誰だろーか。そうそう平井和正さんのサイン入り英語版「狼の紋章」とか、筒井康隆さんの直筆サインいりコピー肉筆原稿「最悪の接触」ってのもあった。


【8月11日】 明け方までかかってレイモンド・E・フィーストの「フェアリー・テール」(ハヤカワ文庫FT)を読了。スティーブン・キングかダン・シモンズかってゆーよーなアメリカの田舎町を舞台に、怪物とかゾンビとかじゃなくって妖精、それもケルトの妖精達が暴れまくるとゆー設定にしばし唖然。しかし面白い。期待をもたせて次へ次へとページをめくらせ、気が付いたら上巻を終わって下巻へと入っていった。後半、ケルト神話の妖精達が出没してくる当たりになると、「モダン・ホラー」っぽかった前半の雰囲気がまるで吹っ飛び、まさに「フェアリー・テール(妖精譚)」となる。読みやすく、安っぽくすることでファンタジーのなんたるかを見せよーとした「メタ・ファンタジー」なのかもしれない。

 木場にある「東京都現代美術館」へ。都市と芸術に関する展覧会が幾つか開かれているとかで、都市マニア(っておーげさなもんでもないけど)としては暑かろうが眠かろうが、是非とも見ておかなくてはならないと思い、寝不足で霞む頭に気合いを入れて見にいって、よけい眠くなって帰ってきた。たしかに「近代都市と芸術展」という看板にいつわりはない。街を描いた絵や、建物の設計図やら模型やらを並べているんだから。しかし核のようなものがなく、全体に冗長で散漫。ただ絵と模型とを時代順にだらーっと並べてあるだけで、これで何を言いたいのか、これから何を感じさせたいのかってのが伝わってこなかった。キリコもあります、カンディンスキーもあります、ムンクもあります、ル・コルビジェもあります。でも、有名な画家の有名な作品が並んでいれば、それがいい展覧会だとは限らない。都市が持っている生命のようなもの。それが絵のなかで、あるいは図面のなかでどのように描かれているのかを見せることで、都市の活力、生命力といったものを感じさせて欲しかった。

 その点で、同時開催の「未来都市の考古学」は、都市の残留思念や怨念のようなものを図面や模型やCGから見せようという意志が感じられて楽しめた。今では崩れ掛かった姿しか見られないコロセウムを再現した模型や、古今東西の建築物を同じ画面上に描いた図面、ヒトラー政権下で計画された大ベルリンの図面等など、消えてしまった都市、生まれることの出来なかった数々の都市が、見る者に何かを語りかけてくる。順路の最後では、映画「ブレードランナー」冒頭の、スピナーが都市の上空を飛ぶ場面がモニターに映し出されていた。時代が現代に近づくにつれて、次第にシンプルになっていった都市が、映画の中の未来都市では、再びごちゃごちゃとしたものとして描かれている。水清ければ魚住まず。都市は猥雑なほうがいい。部屋も散らかっていた方がいい、ってこれは単に不精者の言い訳だけど。

 日曜日なのに「スレイヤーズNEXT」がやっていて驚くが、そーいえば金曜日の放送の時に、さかんにテロップが入っていたよーな気もする。ストーリー展開上、結構重要な回だと思うけど、こんなイレギュラーな時間にやって、見落とした人が暴れだすんじゃないかと心配する。もっともとちとら「スレイヤーズNEXT」なんて月に1度くらいしか見たことがないんだけど。しかし2回続けてみると、そのアニメにハマっちゃいそうになるのって、僕もなかなか因果な性癖してるなー。


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