石の花


 「民族」という自覚がない。そもそも「民族」という概念が解らない。肌の色で分けるのなら、東アジアの人々は、濃さの程度こそあれおしなべて同じような色をしている。言葉で分けるのなら、僕には鹿児島弁と名古屋弁と津軽弁が同じ日本語には思えない。宗教で分けるにしても、日本には神道、仏教、キリスト教、イスラム教、新宗教、新々宗教などなど数え切れない種類の宗教があって信者がいる。だから「民族って何?」そう聞かれても、「さあ」としか答えられない。

 「日本人」−これなら何とか説明が付けられそうだ。「日本国籍を有する者」と考えればいい。古代からこの列島に住んでいた人たちや、明治以降、この列島に連れてこられた半島や大陸の人たちのことを思えば、そう簡単に言い切ってはいけないのかもしれない。だがそれでも、「日本民族(大和民族)」といった分類よりは、「日本国民」という分類の方がまだ自覚しやすい。

 ただし「日本国民」という自覚が、そのまま「日本国」への「愛国心」に結びつくかというと、まったくそういったことはない。自覚はたんに「行政区分」としての「日本国」への所属意識に過ぎず、それは「都道府県」であり「市町村」であり「学校」であり「会社」といった、より細分化された「単位」への所属意識と、大きく変わるものではない。税金を収めてサービスを得る、労働の対価としての賃金を得るといった、ギブ・アンド・テイクの関係でしかない。

 そんな意識の持ち主にとって、「民族紛争」という問題を、血肉に迫る問題として理解することは難しい。同じ村の隣りの家に住んでいた異なる「民族」の人たちが、どうしてある時を境にして憎しみ合い殺し合うのだろうか。ユーゴスラビアや旧ソ連邦やアフリカ各国で発生し、今も続いている「民族紛争」の様子を新聞や雑誌で読みテレビで見て、いつも「どうしてなんだろう」と考え込む。

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 つい最近まで激しい内戦の続いていたユーゴスラビアは、その歴史の中で幾たびもの「民族紛争」をくぐり抜けてきた。岩波新書からこの春に出版された、柴宜弘さんの「ユーゴスラヴィア現代史」にその経緯は詳しいが、そこから想像できたのは、「支配する民族」と「支配される民族」という対立構造があって、それらがお互いに立場を変えながら、営々と歴史を積み重ねてきたという背景があるのだという程度でしかない。「民族」がどうして「支配者」と「被支配者」に別れてしまうのか。ここを「解る」ようになれるのは、永遠に先のことかもしれない。

 日本人の坂口尚さんが、どうして第2次世界大戦次のユーゴスラビアに興味を持ち、漫画に描こうとしたのか、坂口さんが亡くなった今となっては確かめようがない。あるいはナチス・ドイツに立ち向かったパルチザンの国としての興味が惹きつけたのかもしれないし、そのリーダーだったチトーに関心があったのかもしれない。だが、前出の柴さんをブレーンにユーゴスラビアの対独抵抗運動の歴史を調べていくうちに、ユーゴスラビア王国とナチス・ドイツという国家どうしの対立とは別に、同じ王国に属していた地域が対立し戦い殺し合うようになっていった歴史に直面したのだろう。

 やがてコミック・トムで始まった坂口さんの連載「石の花」で描かれたのは、ナチス・ドイツに立ち向かった少年の英雄譚などではなかった。突如として崩れた平和。昨日まで隣りどうしで仲良く暮らしていた異なる民族が、憎しみ合い殺し合うようになってしまった状況のなかで、悩み苦しみながらも戦わなくてはならなかった少年の姿であり、国家とか民族とかいった枠を越えて人々が理解し励まし合いながら生きていくことへの強い憧憬の念だった。

 テレビでは飛び交う砲弾と逃げまどう市民を映し出すことはできても、人の心の葛藤までを映しだすことは難しい。漫画は文字と画像によって、風景と情景とを同じ画面に描き出すことができる。平和な世に慣れ、国家とか民族とかいった意識がどんどんと希薄になっていく世代に対して、坂口さんは漫画というメディアを使って、戦争と平和、国家や民族といったものを見せてくれた。

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 パルチザンに入った少年クリロは叫ぶ。「やられたらやり返すしかないだろ! ひどい目にあっても黙ってろというのか!!」。そんなクリロも、果てしなく繰り返される戦いのなかで、次第に変わっていく。

 「味方が殺られるのはくやしい、くやしいよッ。ドイツ兵を殺したい、おれ達が苦しめられているように、あいつらを苦しめてやりたい!!」「でも・・・・やりきれないんだ、やりきれない・・・・」「ドイツ兵にも脱走したくなる人間はいるんだ・・・・」「誰も戦争は好きじゃないはずだ・・・・。何だかわからないものにひきづられていいるような気がする・・・・」「いったい何だろう・・・・」

 戦いを経てたどり着いたクリロと同じ気持ちに、戦いを知らない人たち、民族が解らない人たちが、やすやすと近づけるとは思わない。戦争と平和、国家や民族の持つ意味が心底理解できるとも思えない。しかし半歩でもいい、ほんの爪先だけでもいいから、坂口さんが「石の花」で描こうとしたものに近づきたい。

 第2次世界大戦中にも増して凄惨な対立を経て、ユーゴスラビアはとりあえずの平穏を迎えたようだが、世界にはほかにも、「民族紛争」に根ざした対立が続いている国・地域がある。「石の花」が今、ふたたび店頭に並べられた意味は決して小さくない。この漫画が、たんなる坂口さんへの追悼という意味だけではなく、戦争と平和を考えさせるバイブルであり教典であり教科書であり指南書として、2度と絶版にならず、永遠に出版され、読まれ続けることを切に願う。


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