縮刷版96年6月上旬号


【6月10日】 今さら珍しくもなんともない新聞社のホームページにあって、朝日新聞と情報量でぜんぜん並び称されない産経新聞のページで、なんと現役記者の日記が始まってしまった。その名も「新米記者日記」。千葉総局に配属された新米記者が、日々のうっぷん、じゃなくって日々の仕事ぶりを紹介していくとゆーページは、産経新聞唯一の「公認日記」だけあって、グラフィックを多様した立派なものに仕上がっている。産経新聞系列子会社唯一の「黙認日記」たるわが「"裏"日本工業新聞」など足下にも及ばない。
 おまけにこの新米記者、インターネット方面ではつとに有名な「SFC」の出身で、「JAVA」はおろか「HTML」だってろくすっぽ知らない小生など、はなっからたちうちできるワケがないのである。駄馬はしょせん駄馬なのか、サラブレッドにはかなうべくもないのか。こうなれば、記者クラブでいっしょだった千葉総局のデスクにそっと手を回して、ハードな仕事をあてがってもらい、日記など書けないくらいに疲れさせてしまおうか。いかん、いかん、卑怯はいかん。莫迦はいいが間抜けはいかん。やはりここは正々堂々と、ケツをまくって逃げるに限る。戦わなければ負けはしない。これが小生の人生哲学、小生の人生訓。やっぱオレって卑怯。
 出版社系の映像制作会社にビデオCDの話を聞きにいく。老舗出版社なので、最初はそんな最先端の仕事をしている関係会社があるとはとても信じられなかったが、実際に目にしたビデオCDタイトルの数々は、米国のエンコーディング技術を使ってビデオ以上のクオリティを出していて、ビデオCDもまだまだ捨てたもんじゃあないなあ、と思わせてくれた。秋から冬にかけてきっとDVDが話題になるけれど、莫迦高いハードを買わなきゃいけないことを考えると、ビデオCDのアダプターの付いた32ビットゲーム機でも買って、どんどんと安くなっていくビデオCDをいっぱい買った方がいいのかもしれないなあ。アダルト物のビデオCDもたくさんあるし。でも流行もん好きだから、DVDに行っちゃうかも。やっぱオレって日和見。

【6月9日】 曇天の日曜日を家でダラダラと過ごす。駅のキオスクに新聞を買いに行き、本屋に新刊を買いに行き、百貨店に朝飯と晩飯の材料を買い出しに行き、酒屋にバーボンウイスキーを買いに行ったほかは外出もなし。新聞を読んで新刊を読んで朝飯と晩飯を食べてバーボンウイスキーを飲んだら夕方だ。テレビはみないし電話もこないし手紙は日曜日だから届かない。静かな生活、至福の日々。1生こんな暮らしが続くのかと思うと、ときどき愕然としないでもないが、とりあえず不自由はないので、すぐさま考えを改めて、ダラダラとした生活に耽溺する。
 買った新刊は、とり・みきさんの「とり・みきの しりとり物語」(角川書店、1300円)。角川の雑誌「月刊ニュータイプ」に88年から7年にわたって連載されたエッセイをまとめたもので、オール描き下ろしのイラスト39点もついた、ファン待望の最新作。「愛のさかあがり」や「くだんのアレ」のような、事実半分虚構半分の「エッセイ風漫画」とはまた違った、よりリアルな自分を出している気がして興味深い。あと、ソニー・ミュージックエンタテインメントおかかえアーティスト第1号「明和電機」のライブ用メカを制作したのが、坂村「TRON」健さんの「電脳都市」(冬樹社)で素晴らしい未来都市のイラストを見せてくれた張仁誠さんの会社とあって驚いた。SFはあらゆるところに潜んでいる。
 買ったバーボンウイスキーは「I.W.ハーパー」(2180円)。ホントは池澤夏樹さんの「マシアス・ギリの失脚」でケッチとヨールの2人組が1日1本空けていた「12年物」の方が欲しかったんだけど、こっちは4000円近くするので、ボーナス前の身にはキツイ。味の違いが解る歳でもないし通でもないのに、雑誌や書籍に影響されるあたり、やはり自分も、「ポパイ」や「ホットドッグプレス」で流行をお勉強した「マニュアル世代」に属しているのだろう。もっともスパゲティをゆでながら本を読んだり、ビールをのみながらピスタチオをつまむほどには、「ムラカハルキ」に耽溺していないから、そこのところは注意して、できればお中元には、ピスタチオとビールのセットではなく、「I.W.ハーパー」の「12年物」を贈って下さい。

【6月8日】 「倫敦! 倫敦?」(岩波文庫、820円)は、大阪朝日新聞の特派員として英国に滞在した長谷川如是閑の見聞録、とここまで書いて、「にょぜかん」と打ったら「如是閑」と1発で変換したことに驚いた。大学で4年間も漢文をお勉強したのに、如是閑の意味がよく解らないのはご愛敬としても、ATOKっていったい、どんな基準で辞書を作ってるんだろーと頭をひねる。さて「倫敦! 倫敦?」だが、1910年(明治43年)に新聞に連載された時のタイトルも、このままビックリマークとハテナマークの付いたものとなっていたそーな。テレビ欄のワイドショーの予告タイトルに、ビックリとハテナが踊っている今でこそ、目新しくもなんともないが、明治時代の新聞の企画タイトルとしては、結構斬新なものじゃなかったかと思う。
 如是閑先生、倫敦で見るもの聞くものすべてを食いつくさんと、足繁くあちこちに通い、人に会い、わずか数カ月の滞在期間であるにも関わらず、実によく当時の倫敦の様を書き記している。外国に行った日本人が陥りがちな、日本を西洋に比べて低く見るとも、逆に西洋に比べて高く見るともせず、ただただ己の好奇心の赴くままに体を動かし、ペンを走らせていて、読んでいてまったく肩が凝らない。最期に収められた1文で如是閑は、「日本人となると、ちょっとかかる高い所から四方をのぞめば、直ぐ本能的に天下国家を論じて、外国人には内所の話だが、無暗に其処ら辺を自国の将来の領分に入れてしまう」と、日本と西洋を対立の図式の上に置きたがる日本人の性分を指摘した上で、「大和魂」なるものを外国に向かって喧伝する日本人を「元来門外不出の家の宝は秘し置くべきもので、倫敦の真中などで解剖されてはたまらない」とけん制する。
 「それで僕はやむを得ずんば大和魂の骨を抜いて形式を立派にして小笠原流の大和魂、瑞典式の大和魂というようなものを作って、それを外人に伝授する事にした方が好かろうと思ったのだが、既に如才なく2、3その輸出向の大和魂が売り出されているのもある、今後もその方針で願いたい」と結ぶ当たり、今の新聞記者に決定的に欠けている、良い意味での「揶揄」の精神にあふれていて楽しい。自分もこんな文章が書けるよーにと、巳年にちなんで、いっそ名前を「谷口如露々」とでも変えてみるかと思ったが、きっとボツにされるからやらない。
 千葉テレビで再放送中の「Zガンダム」はハマーン・カーンとミネバ・ザビとシャア・アズナブルが邂逅。ヘンな髪型のパプティマス・シロッコも絡んで、いよいよくんずほぐれつの大乱戦へと向かう、はずだったよな。最期に見てから10年近く経ってるからよく覚えていない。あと「セーラースターズ」は、ついにとゆーかお約束の展開で、オトコの胸板をした星野クンが、あっとゆーまにダーティーペアもどきのセーラー戦士へと変身する。絵をパッと切り替えただけで、変身のプロセスを詳しく細かく描かなかったのは、健全な青少年の視聴者に配慮してのことなのだろーけれど、不健全な中年の視聴者は、そこが肝心と手に汗握って食い入るよーに画面を見つめていただけに、何か肩すかしを食った感じ。

【6月7日】 昨日行った大手出版取次会社に次ぐ、日本で2番目の大手出版取次会社の決算発表を聞きに、本社のある神田駿河台へと向かう。書籍は相変わらず伸び率が低迷し、いっぽうで開発商品(つまりニューメディア)は2ケタの勢いで伸びている。もっとも今流行りのCD−ROMだとかはまだまだ少なく、CDやらビデオやらが牽引役になっている模様。首都圏に住んでいて、CDはメガストア、CD−ROMはアキバとかで容易に手に入れられる身には、なかなか実感できないことだけど、地方では本屋は、文化情報の発信基地として、まだまだ命脈を保っているのだそーな。そして、日本中に網の目のように貼られた取次と書店のネットワークにはあなどれないものがあり、そこに大手出版取次会社のニューメディア商品が、伸びる余地があるのだろー。
 駿河台といえば神保町って、ちょっと距離があるけどまあいいや。神保町に行って本を漁り、坂田靖子さんの自選作品集第2弾「ハリーの災難」(文春文庫、600円)を買う。比較的初期の作品が多いみたいで、いくぶん絵が少女漫画している。日本を描いた「村野」が、坂田さん得意の特異なキャラクターが出て来て、いちばん楽しめた。表題作の「ハリーの災難」は、死体をめぐって、主人と夫人と執事が心配しあう構図が面白いことは面白いんだけど、死んでしまったモデルのアーサーが、浮かばれなくって可哀想。不幸せな人をあまり書かなくなった最近の作風に、いちだんと魅力を覚えた。
 神保町から同じく神田の今度は須田町へ。山手線のガードと中央線のガードが合流する3角形のブロックにある、ギャラリー「デルタ ミラージュ」(須田町2の2の3 ITC神田須田町ビル4F)に入って、マリオ・Aとゆー人の写真展「プレリュード・ア・ラ・ジャポネーズ」を見る。ショーケンと水谷豊が出演していたドラマ「傷だらけの天使」に出てきた、岸田今日子演じる女ボスの事務所のような、豪華な調度品の数々が置かれた部分と、こうこうと照らされた明かりのなかで、写真が壁にズラリ並べられた部分とが半々となった、世にも不思議な光景に驚く。そしてギャラリーにいた、稲川淳二に似た口ヒゲの男が、撮影者のマリオ・Aと聞いてまたまた驚き、どー見ても外国人のマリオ・Aが、ペラペラと流ちょうな日本語を話し始めたのを聞いて、驚きは頂点に達した。
 柔らかい光のなかで、シーツにねそべって手をつなぐ3人の少女の写真や、パゾリーニが殺されたイタリアの海岸で、着物を脱ぎ捨てていく日本人の少女の写真などが展示されていて、その1枚1枚に作者があれこれと解説を付けてくれた。何と豪華な展覧会。無料が多いギャラリーにあって、ここは1000円とゆー入場料を取るが、ドリンクを1杯飲ませてくれるので、とりあえずはよしとする。会場だけで売られている1000部の写真集には、松浦理英子さんが序文を寄せている。1冊求めると、マリオ・Aがドイツ語でサイン、日本語で落款を入れてくれたので、ますますもって驚き卒倒する。展覧会は7月6日まで開催中。日曜休み。10日の月曜日には、作家の島田雅彦さんを招いてのトークショウが、午後7時半から開かれるとか。3000円は高いけど、のぞいてみたい気もある。月曜日の気分次第だな。

【6月6日】 芝公園にある大手広告代理店のマルチメディア事業局を訪ねて、マルチメディア関連事業の話をあれこれと聞く。あれこれといっても目立った活動はまだしておらず、電通のようにソフトバンクといっしょになって、バーンと新会社を立ち上げるよーな派手な動きはしばらくなさそう。なにしろ部長さんが、朝の9時から翌朝の5時までとゆー「変則9to5」の仕事をしないと追いつかないくらい、仕事があって人手がいない。
 意外だったのは、高城剛さんとこのフューチャー・パイレーツが作った「チキチキマシン猛レース」のCD−ROMの企画に、この代理店が当初から関係していたとゆーこと。実際にウィンドウズ版は、この代理店から出ている。マルチメディア事業の仕事を説明するためか、このことを社内報に書いたら、3DO版だったかを仕切った電通が、企画したのは自分とこだと信じて、クレームをつけてきたとか。これは筋違いの勘違いとゆーもので、電通では後日、クレームを撤回したそーな。大電通ならではの、いかにもありそうな話。
 会社に戻って、その辺に届いていたリリースをバキバキとワープロに打ち込んで出稿し、とるものもとりあえず次の仕事に向かう。なんか昨日と同じスケジュールを過ごしてる。ちなみに今日は、新宿区とゆーか、飯田橋と江戸橋の間にある大手出版取次会社の1社に行って、決算発表を聞くとゆーもの。本を読む人が減ってるとか、漫画ばっかり読んでるとかゆー話がある割には、書籍の売り上げは伸びてるし、コミックの売り上げは減っている。説明では、コミックの売り上げ減は、コミック雑誌の売り上げ減なんかとリンクしているそーで、ここにもジャンプ凋落(ってもまだまだ圧倒的だけど)の影響が出ている。
 決算では、返品率が上がっているのを問題視していたけれど、大手出版社の扱いを減らされたくないために、どーでもいい雑誌をどんどんと配本して、挙げ句売れなくて返品になるってゆー状況も指摘されているだけに、返品率を下げるように努力する過程で、どこかにシワ寄せが出る可能性がある。書籍にしても、売れているのは「ソフィーの世界」とか「松本」とかだろーからなあ。ちなみに「ソフィーの世界」は初版第1刷を持っていて、買って1年になろーってのに、まだ10ページくらいしか読んでない。ベストセラーリストから消えたらよもーかな、って思っていても、まだリストに入ってるから恐ろしい。徳間から出た「カードミステリー」なんてカゲもカタチもないのに。これだから出版ってムツカシイ。

【6月5日】 渋谷は初台にある話題の会社が、半期に1度開いている決算説明会に行って、話題の人物が喋る姿を、1番前の席に座ってじっくりと見る。決算説明会とはいっても、集まった記者の関心は、どーしても役員辞任とか買収問題とかへと向かってしまう。そのことが解っているから、エライ人も開口1番、「内乱の多い会社といわれているけど、それは違う」と、自分からそっちの話題を持ち出して、新聞記者や雑誌記者をけん制する。
 辞めてしまった3人の出版担当役員について、エライ人は「ほんとうに帰ってきて欲しいですよ」と、その心情をとつとつと語る。しかしいっぽうで、「帰ってやるって発言してもらっては困る」という当たり、自分は正しいとゆー確信に満ちあふれている。買収を意図した「ご本尊」については、相変わらず厳しい意見をばしばしと連発。あまりに恐ろしい意見だったので、聞いたその場で忘れてしまいたくなった。しかし依然として「薮の中」状態が続いていて、誰が本当のことをいっていて、誰がウソを付いているのか、未だはっきり解ってこない。「真実は立場の数だけある」とはどこかで聞いた名言。しかしまあ、「真実は1つ」ってのが常識だとすれば、今月中か今年中か今世紀中かは定かではないが、いずれ真実は明らかになるだろう。
 会社に帰って初台で見聞きした話をバキバキとワープロに打ち込んで出稿し、とるものもとりあえず次の取材へと向かう。勝鬨橋のそばにある「東京映像アーカイブ」とゆー会社に行って、産経新聞出身の社長さんとか、銀行や民間企業から集まって来ている役員、幹部らの話を聞く。デジタル映像のアーカイブを作るとゆーその目的やよし。しかしどれだけの映像を集められるのか、集めた映像がどれだけ利用されて、どれだけの収益を挙げられるのか、まだまだ見えていない部分は大きい。郵政省絡みの会社(通信・放送機構が3分の1を出資)ってのも、何やらワケあり風で気にかかる。大きくなるか大コケするか。差し障りがありすぎて、とても僕には賭けられない。

【6月4日】 市ヶ谷にある角川書店のソフト事業部に行き、マルチメディア関係の話をいろいろと聞く。9階でエレベーターを降りると、スレイヤーズやら劇場版天地無用やらのポスターが壁にばしばしと貼られ、段ボール箱の中にはスレイヤーズもムックが山と積まれている状況に、何て幸せな環境なのだろーと羨み、どこで交差点を曲がり損ねて真っ当な工業新聞で働くようになってしまったのだろーと考える。アニメとコミックと縫いぐるみに囲まれた素晴らしい会社生活。と、ここまで考えて、机の上にはフランキーの縫いぐるみと葉月里央奈の小型POPが建ち並び、机の脇には記事を書く参考資料と本心を偽って買って来た「金田一少年の事件簿」の最新刊が積まれている今のデスク回りと、それほど大差がないことに気付く。仕事でやるよりただのファンでいたほうが楽でいいのかもしれない。
 会社では、ゲーム業界を担当している人間が横に座っている。外部から見れば楽しい仕事に思われているかもしれないが、横で見ているとホント大変な業界のよーで、心の底から同情する。さっきも、ゲーム業界の大変な人と、ゲーム業界のものすごい人と、ゲーム業界の恐ろしい人と、ゲーム業界の素晴らしい人と、そのほかゲーム業界のなかなかの人たち(順不同、特定無用)が集まっている場所に行きあわせて、話を聞いていると、ゲーム業界がいかに大変でものすごく恐ろしい世界であるかがわかって、部外者でありながらブルブルと身震いがしてきた。仮に将来ゲーム業界の担当を仰せつかったとき、「オレはまだ死にたくない」と叫んで、局内を走り出さないかと、今から不安でしょうがない(この辺誇張あり)。
 角川書店では「エヴァ」のCD−ROMがどーして売れているのか、とゆー話になって、とりあえずは人気アニメの絵がたくさんはっているからじゃないですか、と答えておく。最初のバージョンを買った口としては、決して手放しでほめたくはないCD−ROMだけど、もとの素材(つまりアニメ)にCD−ROMを買わせるだけのパワーがあったことも避けられない事実で、このあたり内心忸怩たるものを感じる。2と3がどんな内容だったかは買っていないからわからないが、そこそこ売れているところをみると、アニメのパワーもまだそれほど衰えていないみたい。それと角川は本気で「エヴァ」の映画化を進めたい考え。しかしSFセミナーで監督の庵野氏は、どーなるかわからないといった旨を広言していたから、このあたりのスタンスの齟齬が、今後どの程度まで埋められていくのかに興味がある。

【6月3日】 ひょんなことから1カ月早い人事異動を迎えることになった"表"日本工業新聞は、デスクや担当記者も何人か異動になって、慣れない仕事をこなすデスクや記者をフォローするために、異動から外れた記者が無い知恵を振り絞って、紙面を埋めるために奔走する。月曜日からテンションを高め、電話をかけたりかけられたりしたから、夕方には切れかかった血管がずきずきと痛み、アドレナリンが満ちた全身がぶるぶると震え、頭と違って毛がびっしり生えた心臓もばくばくと鳴り響く。1カ月はこんな状態が続くかと思うと、正直嫌になってしまうが、普段は気楽なサラリーマン稼業はなかなか止められず、しばらくの多忙を我慢する。ボーナスも近いしね。
 震える手足を引きずって、一ツ橋の如水会館で開かれたセガ・エンタープライゼスの会見に出向く。直接の担当ではないんだけれど、セガ・サターンがインターネットにつながった姿を是非ひとめ見てみたいと思って、素知らぬ顔をして会場に潜り込んだ。会見終了後、横の部屋でデモ兼パーティーが開かれたが、狭い部屋に300人近くがどっと繰り出したため、身動きすら十分にとれない。インターネットにつながったセガ・サターンの前には、黒色(一部茶色)の山ができていて、その隙間から朝日新聞社のホームページを呼び出す、セガ・サターンの姿が垣間見えた。
 感想はといえば、ホントつながってるんだー、といった程度。セガ・サターンに15000円をプラスして、インターネットをはじめてみたいと思っている子供やお母さんやお父さんがどの位いるのか、僕にはさっぱり検討がつかない。「ピピン」を買うより安いのは確かだけど、セガ・サターンユーザー向けの専門番組があるでなし、とりあえずは対戦ゲームを楽しむインフラとして、利用されるよーな気がしてならない。
 東京都現代美術館でアンディ・ウォーホル展を見た余波で、フレッド・ローレンス・ガイルズが書いた「伝記 アンディ・ウォーホル パーティのあとの孤独」(文藝春秋、3800円)を読み継ぐ。久々に堪能できた伝記。メトロポリタン美術館の館長だったトマス・ホーヴィングの自伝「ミイラにダンスを踊らせて」(白水社)と並んで、近年まれにみる面白い伝記だった。そーいえば最近は伝記が流行っているよーで、ゴルバチョフの回想録に堤康次郎の評伝に坪内寿夫の伝記といった具合に、さまざまな人物の様々な伝記が店頭に並んでいる。ビル・ゲイツ本なんてそれだけでコーナーが出来てしまう。ひねた大人の打算的な眼からみても、巧成り名遂げた人物の生涯をたどるのは楽しい。早く自分も、伝記を書かれるような人物にならねばって思っているけど、多分(絶対!)誰も書いてくれないから、自分で自分史を書いて自費出版して配り歩いて、顰蹙を買うのがオチなんだね。

【6月2日】 大枚払って「NIKE」のサッカーシューズにしたおかげで、60分間走り回った翌日なのにあんまり足が痛くない。2年前にサッカーを始めた頃は、翌日から1週間は足が痛くて階段が上れなかった。結構体力が付いたのかもしれないが、体重も増えているから健康になったとは言いがたい。体毛は逆に減ってしまった。加齢は容赦なく肉体を苛む。
 痛くない足で家を出て、東京都現代美術館へと向かい、「アンディ・ウォーホル 1956−86:時代の鏡」を見る。当代1の人気作家だけのことはあって、普段の東京都現代美術館からは考えられないほどのにぎわいを見せていた。といっても、ゴッホ展やバーンズコレクションの時みたいに、黒々とした来場者の頭の隙間から、やっとのことで絵の1部分がのぞき見えるよーな状況にはほど遠く、広々として天井の高いゆったりとした空間を、行ったり来たりして楽しむ余裕は12分にあった。出展されている作品も、キャンベル缶やマリリンから、エルビス、ジャッキー、最後の晩餐といった具合にウォーホルのエッセンスは外していないし、素描やら電気椅子やら牛柄の壁紙やらヘリウムガスの詰まった「銀の雲」やらも出展されていて、改めてその多才多芸ぶりに驚かされた。凝った装丁の分厚い図録がたったの3000円とゆーのはありがたい。
 展覧会に行ったら、3回に1回は図録を買って帰ることにしている。本物を見るよりはるかに品質が落ちることは間違いないんだけれど、本屋で売ってる大出版社の作った画集より、はるかにクオリティの高い印刷の画集を、安い値段で買うことが出来る機会は逃したくない。もしかしたら何10年か経って、古本屋にいい値段で売れるかもしれないとゆー期待もあるんだけれど、古本屋でときどき見かける図録の多くが、2足3文で叩き売られているのを見ると、あまり期待はしないほーがいいのかもしれない。それでも、90年の夏に幕張メッセで見た、とってもおバカ(誉め言葉)な展覧会「ファルマコン」のカタログは、今でも当時の値段で古本屋に並んでいるから、もしかしたらとゆー淡い期待だけは持っている。

【6月1日】 舞浜は今日もアベックと親子連れでおおにぎわい。遠くに見えるはシンデレラ城、森の中を走るは何とかマウンテン、フェンスを越えればそこはメルヘンとファンタジーの世界が待ち受けてるってゆーのに、今日もやっぱりそれらを横目で見ながら、浦安市民グラウンドへと向かう。
 「S(産経)リーグ」開幕戦の相手は、ここまでたくさん試合をして買ったり負けたりの産経社会部だったから、今日もいい試合ができるんじゃないかと思っていたらおおまちがいで、始まっていきなり1点をとられ、それからも点を積み重ねられて、前半を終わって3対0の差を付けられてしまった。いつもに比べて動きがいいなを思って見ていたら、いつもは見かけない人が何人か混じっていて、それらがみいんなうまいうまい。もしかして社会部、助っ人を頼んだなと思ったが後の祭りで、後半はとにかく早めのチェックとしっかりしたマークを心がけて守備につく。カウンターによる得点があってゼロ封は免れたけれど、終わってみたら5対2の得点差を付けられて敗退。つづく「Sリーグ」出場チームの試合を見ていると、ほんとにしっかり「サッカー」の試合をやっていて、これは次も勝てないわ、と弱気になる。こうなればこちらも助っ人を頼むしかない。昔担当していたつてで、日興証券の女子サッカーチームのメンバーでもお願いするか。きっと(絶対)僕よりうまいはずだから。
 加門七海さんの新刊「鬼哭(上)−続、晴明。−」(朝日ソノラマ、480円)を読み継ぐ。京を護る陰陽道の神にまつりあげられた28歳の晴明が、けれども自分の内にある闇の力に突き動かされて悩み苦しむストーリー。晴明物では夢枕獏さんの「陰陽師」(岡野玲子さんのコミック版もあるね)が真っ先に思い浮かぶけど、ひょうひょうとした「陰陽師」の晴明とは違って、内面の葛藤をあらわに見せる晴明が登場する。登場人物には存在感があり、ストーリーにメリハリがあって、読んでいて全然あきない。加門さんは、書いているうちにどんどんと長くなってしまうタイプの小説家らしく、書くつもりのなかった続編をかき、あまつさえ1冊に収まらなかった。下巻は近く出るとゆーことだが、もしかして中巻、下巻の3巻物になってしまうなんてこと、あるわけないか。でもあって欲しいな。これだけ面白いんだから。


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