日本への序曲
展覧会名:日本への序曲 マリオ・A写真展
会場:デルタ ミラージュ
日時:1996年6月7日
入場料:1000円(ドリンク付)



 居酒屋とパチンコ屋とカラオケボックスがひしめく神田、電気街というよりは電脳街といった方が相応しい様相を呈している秋葉原。山手線で1駅の距離の、ちょうど真ん中あたりにある3角形をしたブロックに、そのギャラリーはオープンした。

 「DELTA MIRAGE(デルタミラージュ)」−ブロックの形状からとったのか、あるいは他に違った理由があるのか解らない。ともかくオフィスと商店がひしめくそのブロックに、産声を上げたばかりの「デルタミラージュ」で、来るべき次代を予感させる写真家の、美しい写真を見ることができた。

 マリオ・アンブロスィウス(=マリオ・A)は、ドイツ人を父に、イタリア人を母に持つ写真家だ。ベルリンを撮った写真集が、日本とドイツで出版されているというが、寡聞にしてその活動を、あまり多くは知らなかった。しかし、雑誌「リテレール」の特集「写真集を読む」の中で、偶然目にした、暖かい光のなかで体を寄せあった3人の女性の写真を見て、その静けさに心ひかれ、「デルタ ミラージュ」で開催中の展覧会を見に行くことにした。

 マリオ・Aについては、もう1つ、情報を加えておく必要がる。それは、彼の妻が日本人であるということだ。ドイツとイタリアと日本という、かつて世界を破滅へと導いた組み合わせには、ここではさしたる意味を持たない。もっと純粋に、父母の2つの国籍と、妻の国籍の狭間で、彼自身のアイデンティティはどこにあるのかを探し求める旅に出る。それがこの展覧会「プレリュード・ア・ラ・ジャポネーズ(日本への序曲)」のテーマになっている。

 敷かれた白いシーツの上に横たわり、腕をからめあう3人の女性は、ドイツ人とイタリア人と日本人、らしい。部屋の中には、ドイツ在住の作家、多和田葉子の本と、「ニッポン」いう名前のドイツの菓子と、ヒョウの置物と、鳴子のこけしと、衝立と、火鉢と、皮のジャンパーと、湯飲み茶碗が置かれている。国籍の違う3人の女性が、国籍が入り交じった部屋の中で戯れあう光景から、私たちはマリオ・Aの、アイデンティティへの憧憬を感じる。そして、空気のようにまとわり付いている、普段は見えない日本人としての自分を、再認識させられる。

 ボディコンのワンピースに身を包み、ラークと100円ライターを脇に置いて寝そべっている女性が居る場所は、寺山修司の墓の前だ。着物を引っかけ、カバンを持ち、カサを地面に立てた女性が居る場所は、パゾリーニが死んだオスティアの海岸だ。日本とイタリアの異端の作家・映画監督に、マリオ・Aが抱いた感情は何だったのだろうか。入り交じった自分の国籍が発したアイデンティティへの欲求? それとも、真のコスモポリタンへと向かう彼のアイデンティティへの訣別? 日本という国に縛られた目では決して見えない、東洋らしさと西洋らしさの象徴を、それぞれのモティーフに見出したのかもしれない。

 松浦理英子は書いている。「マリオ・Aは、西洋を標準とし、東洋(=日本)をそれからはずれたものと見倣すような、西洋対東洋(=日本)という対比の図式からは自由であるように見える。そればかりか、自分を西洋の側に属する人間と感じていないようにさえ見える」。西洋的なものにあこがれる東洋(=日本)人と、東洋(=日本)的なものにあこがれる西洋人とが混在した存在は、やがてそのどちらをも等しく愛するようになった。

 愛する者たちを従えて、マリオ・Aは探求の旅に出た。旅の途中のスナップが、この展覧会だとしたら、旅を終えたマリオ・Aが示してくれるアイデンティティは、どんなモティーフによって描かれるのだろうか。未だ切り放すことのできない、自分の日本人としてアイデンティティが、マリオ・Aの旅のアルバムによって、大きく揺さぶられる日を夢見て。


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