縮刷版2016年8月上旬号


【8月10日】 女子の方でもメダルを、とは思ったもののアメリカ中国ロシアといった超大国には届かずリオデジャネイロの体操競技女子団体の日本代表は4位に。それでも前回ロンドン五輪の時の8位よりは遥かに上だしそもそもこうして団体として決勝に出ていることの方が驚きであり素晴らしいこと。男子のように長く君臨していながら衰退期があって復活してきた訳ではなく、徐々に力を着けて1歩づつしっかりと前に進んでいる感じで、この流れを汲んでいけば次の2020年東京五輪で待望のメダルへ、ってことになってくれると嬉しいかな。鶴見虹子選手のような絶対的エースといった選手がいない中で全員がしっかりと演技をして重ねていった得点でここまで来たなら次は全員が絶対的エースとなって躍進を。

 たたずまいが良いなあ、柔道男子の73キロ級で金メダルを獲得した大野将平選手は前屈みになって足技を逃げるでもなく手を払って相手に掴ませないでもなく、立ち姿からしっかりと相手を握っては1本を取りに行くという柔道らしい柔道って奴を見せてくれた。軽量級だともっと速度が上がるし重量級だと掛け合いから崩れてしまうような場面が見られる中で、真っ向勝負から体術を繰り出し合って一瞬の隙を作り狙うという“真剣勝負”が見られた感じ。ボクシングでも中量級がスピードと迫力を兼ね備えて世界で人気なのと同様に柔道でもそいうしたバランスの良い階級があるのかも。無差別級なき今はそんなカテゴリーで柔道の神髄、味わおう。でもまだ金は1個か。銅は多いんだけれど決勝に及べ内何かがある。そこの解明と解決も今後、課題になってくるのかな。

 そんなリオデジャネイロ五輪の合間に「ブレードランナー ディレクターズ・カット(最終版)」が放送されては懐かしいビジョンを途中くらいまで鑑賞。見ればだいたいの流れは覚えているけれど、最初からデッカードが出ていたんじゃなくて別のブレードランナーがいて襲われてそれでデッカードがふたつで充分なものを食べようとしているところを拉致されて、レプリカント探しにのめり込んでいったんだってことを改めて了解した。好きという割には「カリオストロの城」みたいにすべてのシーンのすべてのセリフを覚えている訳ではないんだなあ。

 というか公開時に見逃して、その後ずっと見る機会を失っていたんで東京に(千葉だけど)出てきて最初に買ったVHSのディレクターズ・カット(最終版)くらいしか実は見てなかったりするんだった。家にはアタッシェケース入りのシリーズだいたいがDVDであるけれど、それも埋もれて出来ないんで今だ見ていないという。2007年の「ファイナル・カット」も見てないし。なので早川書房の1階にあるクリスティで出された「デッカ丼」が本当にそういう食べ物かも実は映像では見ていない。本当にあれで良かったのかはともかく、味としてはちゃんと食べられたんであれということにしておこう。また食べられる機会は来ないのかなあ、来年が映画公開35年ってことで、是非にまた「PKディック酒場」の再開を。

 奇妙だなあ、と思ったのは経歴が甲府支局とそれからレイアウトなどを担当する編成部しか書いてない点で、いわゆる経済部だとか社会部だとか文化部だとか政治部といった記者として取材に出ていろいろな人を接して記事を書いてきたという意味での“新聞記者”とはちょっと違った人が、どーゆー経緯から小池百合子東京都知事と知り合って、特別秘書に抜擢されたのかがちょっと想像が付かない。これが猪瀬直樹元都知事の時に特別秘書に起用された、自称するところの全国紙の記者の場合は東京都庁に詰めて都政なんかを報じている過程で知り合った感じで、経緯も理解できる。猪瀬さんが都知事を辞めて職にあぶれるかと思ったら、ちゃっかり元の鞘に収まっていたりするところがアメリカ流の回転ドアな感じだけれど、今度の小池都知事の特別秘書の場合は、入り方からしてちょっと不明。その辺り、週刊誌なんかが追いかけてくれるかな。

 ガンプラが大集合するイベントが池袋のサンシャインシティで開かれるってんで内覧会を見物に。毎度個性的なガンプラが揃うガンプラサポーターズの展示の中に乃木坂46の鈴木絢音さんがいて、何を出すかと思ったらユニコーンガンダムを乃木坂カラーの紫でもって飾ったのを出していた。そして落合福嗣さんも登場していてやっぱりユニコーンで、そして本郷奏多さんもユニコーンとユニコーンが大人気。ありがちなデザインではない上にあのスリットがあいて見える部分をどう塗るかで、スタイリッシュにもクールにもバーニングにもなるところがガンプラビルダーを引きつけるのかも知れない。そんな中で国鉄とのコラボとやらを出してきた市川紗椰さんがガチで素晴らしい。逸材だなあ。池澤春菜さんも負けていられないなあ、今回は見られなかったけど。

 大和魂だとか美しい国だとか謙譲の美徳だとかいって、この国の自己犠牲も厭わず博愛でもって社会に向き合う精神を讃え世界に冠たると自慢しがちな右側方面の人間たちに向けて記事を書いている新聞があるんだけれど、そんな新聞が中国の大使を呼んで尖閣諸島あたりでの公船の領海侵入に抗議したという記事をこう書いていてちょっと憮然。「日本政府は9日、再三の抗議を無視する形で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で領海侵入を繰り返す中国側に対し、抗議のレベルを上げるとともに、“非礼”で遇することで無言の怒りをぶつけた」。

 相手がどれだけ無礼であろうとそれに非礼をもって返すようなさもしい国民だったのか日本人は。そして日本という国は。「あからさまな主権侵害を続ける中国への不満を最大限伝えるため、わざと“外交非礼”を演じたのは明らかだった」というなら、そうした非礼が大和魂に照らしてちょっと嫌らしい、たとえ相手が無礼でもここはおおらかに大人ぶっていくのが日本だろうと言えば良いのに、一緒になって相手が無礼なら非礼も当然といった態度を見せる。読んで子供たちは何を思う? 相手が悪ければこちらも悪くて当然と思うんじゃないのか。それは日本人の美徳か。大和魂か。相手を叩きたいとなると他のそうした考え方はすべてネグって非礼も歓迎するスタンスが出た感じ。相手が申し訳ないとは思わなくても、世界が相手の申し訳なさを感じるような空気を作る。それが大人なんじゃないのかなあ。甘いかなあ。そんな甘さが大和魂なんだけどなあ。

 やっぱり面白いよ「境界線上のホライゾン」のテレビアニメーション。サンライズフェスティバル2106満天でもって第1期と第2期から2話づつを上映するイベントがあってのぞいて来たけど、どちらも途中の連続する2話ですでに完璧に知っているのに次にどんな映像が繰り出され、そしてどれだけの頑張りが見られるかって思うと手に汗を握ってしまう。第1期からだと葵・喜美と本多・二代との相対でもちろん高嶺舞の喜美が二代を吹っ飛ばすんだけれどそこに至るまでの喜美の優雅にして尊大な態度にこれは叶わないとひれ伏してしまいそうになる。2期だとウィリアム・セシルの重力を気にせず進む場面。敵に聞かれても教えない理由を見方に聞かれてあっさりとバラす狂いっぷり、その裏にある自分への確信が見ていて強さってものへの憧れを感じさせる。なりたいなあ、あそこまでの人間に。

 ネシンバラがまだいらない子じゃなく脚本家として戦闘面の指揮を執り、またシェイクスピアを相手に物書きとしての力量を見せつける場面は今となっては貴重か。恋心を思い出して大罪武装を差し出したシェイクスビアは可愛かったなあ。あとアデーレも第1期では防御、第2期では武蔵の操艦で頑張っていた。最新刊でもついに機動殻の拘束移動に成功していたし、無役の一般生徒でも強い方なんじゃないかなあ、ってあのクラスは全員がそんな感じだし、ズドン巫女に触れさせない喜美とかを越えることは無理かもなあ。ってな感じで楽しかった「境界線上のホライゾン」。続きが見たくなったけれど家にあるBDで見るよりやっぱり映画館で観たいなあ。情報量多すぎてデカいスクリーンじゃないと追いつかないんだ。あとはやっぱり第3期。そして第4期。そこまで言って武蔵の再生がかなう訳で、是非に作られて欲しいなあ。10年経っても良いから。


【8月9日】 眼鏡っ娘ではない石川佳純選手がザンネンに思えた時期もあったけれど、痩身に細面な中から繰り出すスマッシュの切れ味に、S的な何かを感じてこれも良いなあと思っていたら、リオデジャネイロ五輪の卓球女子に登場しては、1回戦で負けてしまってこれまたザンネン。だったらと登場した福原愛選手が安定した勝ちっぷりを発揮して3回戦を突破し準々決勝に進んだみたい。一時は石川選手らに追い抜かれて時代は終わったと思われていた節もあったけれど、底力はやっぱり確かだった。というか子供の頃から神童呼ばわりされて来てどうして今なお第一線で輝き続けられるのか。そこにこそ真価がありそう。

 早熟なスポーツ選手は過去にも現在にも数知れず。バルセロナ五輪での金メダルが今となっては最盛期だった岩崎涼子さんとかいたりするけど、福原選手は最初に出たのが2004年のアテネ五輪で以後も北京にロンドン、そしてリオデジャネイロと代表に選ばれ出続けているのがまず凄い。つまりは未だ日本トップクラスってこと。メダルにこそなかなか縁がなかったけれど、ロンドンで団体の銀を獲得して悲願を達成。あとは世界卓球選手権も含めて未だ手にしていない金メダルをつかめれば、その人生にも大きな彩りが出来るだろう。団体がまだあるとして、石川選手が退場してしまった今、個人で近いのは福原選手。ここは是非に勝ち続けてその手に金をもたらして差し上げていただきたい。

 団体での金メダルを一足早く獲得したのが体操の男子で、見てなかったけれども内村航平選手が全種目に出て引っ張りつつ白井健三選手が得意の跳馬とそれから床でもってひねりまくって高得点を叩きだし、6位から始まった日本を最終的にはトップの金メダルへと導いた。もちろん出場した全選手がそれぞれの種目でめいっぱいに働いたからこその総合得点。内村選手と白井選手だけが突出していた訳く、誰を欠いてもとれなかった金メダルだとは思うけど、それでも抜群の安定感を27歳にして見せる内村選手、とにかく飛んでひねって着地を決める白井選手の目立ちっぷりは凄まじい。あれ見ちゃうと種目別の床で勝てるなんて思わないよなあ、他の選手は。

 内村選手も男子総合でならロンドンで金メダルを獲得しているけれど、そこでは銀に終わった団体での金メダルがやっぱり欲しかったのかな、ひとりでは絶対にとれないメダルだけに。それはかるたの高校選手権の団体優勝にも似た栄誉。晴れて獲得して後、モチベーションを維持できるのか、ってのは3000本安打を達成してしまったイチロー選手と同様に心配事として浮かんで来る。次は東京だけに出たいだろうけれど31歳の肉体に耐えられるのか。かといって白井選手は床と跳馬やよくてもパワー系の吊り輪と鞍馬は無理だし。傑出したオールラウンダーの次を誰が受け継ぐか、ってあたりもこれからの課題になっていくんだろう。ともあれ今はゆっくりと。そして総合2連覇へと。向かっていって欲しいもの。今度はちゃんと見たいけど、放送あるかな。

  応援上映なんてもののブームに何か勘違いでもしたのか、「シン・ゴジラ」の上映に合わせて自由に声を出して良いですよ、サイリウムを振っても良いですよ、コスプレもありですよって上映会が開かれることが決まって売り出されて7分で完売に。いったいみんな何を期待しているんだ。というか何を言えば良いんだ。やっぱり咆哮に合わせて「あーん」と叫んだりするのか。赤から白熱に変化する放射に合わせてサイリウムの色を変えるのか。爆弾の炸裂とともに「どっかーん」と叫ぶのか。登場してくるキャラクターに合わせて「らんど〜」「ひでき〜」「かよこ〜」と声をかけたりするのか。まったくもって先が読めない。

 平泉総理代理がラーメンを食べる場面では「おいしいーっ?」って聞くべきなんだろうか。米軍機の爆撃食らった時にはゴジラに向かって「大丈夫ーっ?」っ声をかけて労ってあげるべきなんだろうか。原因となったらしい島本和彦さんによる庵野秀明監督への嫉妬を再現するために「庵野ーっ、やめろーっ!」と叫ぶのがひとつの作法みたいな気はするけれど、それだけで埋まる時間でもないしなあ。ここはだから特撮映画の伝統を引き継ぎ、劇場に集まった三倍段の特撮マニアたちを再現するべく特技監督とかの技を讃えるように「庵野よしっ!」「樋口よしっ!」「尾辻よしっ!」ってひとりぶつぶつとつぶやくべきなのかもしれない。あとは矢口蘭堂のシャツに向かって「良い匂いーっ」。どんな阿鼻叫喚になるか今から楽しみ。

 明けて天皇陛下の退位を望まれると推察されるお言葉を受けた意見があちらこちらから出ているけれども、従前から退位はダメ絶対と言い続けてきて、摂政なりを置くべきと主張してきた人は曲げずにそのままの見解な様子。皇室を崇めて古い日本を取り戻すんだってな雰囲気をまとった団体に寄りかかっている人が、どうしてそこまで今上天皇の思いをくみ取らないのかが謎だけれど、考えるなら今上天皇のように戦後をリベラルに染まった人では宜しくなく、もっと国のトップとして権勢を振るいつつ世界に君臨して欲しいと思っていて、そのためには退位して位を誰かが引き継ぐような流れができては宜しくなく、憲法を改正してでもその地位を絶対のものとしつつ、強いリーダーシップのもとに付き従いと考えているのかもしれない。

 そんな人が見解を寄せる新聞とかでは、必要もない憲法改正が必要かも知れないとささやいて、世論調査で言質を取ろうとしていた。受けて政治がそうした見解の人たちによるグループを作って、憲法改正から絶対王政への流れを作り出しつつついでに戦争も出来る国へと作り替えていきそうな予感。まさかと思うなかれ、すでにして憲法違反すら叫ばれた安保法案は通ってしまった訳で、目的のためなら虎視眈々と状況を作りつつ上っ面を整えて情動を誘って世論を煽り、そういった国が出来るように誘導していく道筋も見えている。取り急ぎ、安倍総理は誰をいったい天皇陛下のお気持ちを考えるようなチームに入れるのか、そこに今の政権の腹づもりって奴が見えるだろう。要観察。でもそうなって誰かが声を上げてひっくり返るとも思えないからなあ。さてはて。

 泣かせの神を筆に宿したからてさんが、あの滂沱必至な傑作「マカロン大好きな女の子がどうにかこうにか千年生き続けるお話。」(MF文庫J)にも並びそうな長編を送り込んできた。「押し入れの中のダンジョンクラフト」(MF文庫J)は寮で一人暮らしをする椎名透という少年が、ある夜に自室の押し入れに入るとそこにはダンジョンが広がっていて、奥にひとりの少女が眠っていた。それはまだ子供だったころに離ればなれになり、再会の機会を目前にして事故で死んでしまったものの遺体が消えてしまった妹のあーちゃんだった。また会えた喜びに透は学校から急いで帰っては押し入れへと入ってあーちゃんのところへ駆けつける。最初はとまどいながらも接していたものの、やがて互いを兄妹と認めたようで、ダンジョンの中に現れる奇妙なモンスターやスライムをいなしつつ誘いつつ、2人は幸せそうな時間を過ごしていた。が……。

 そこに現れた狐面の人物。一方で学校では真緒という名の少女が転校して来て、透や幼なじみの結美由美とふれ合うようになる。そんな日々がしばらく続いて透の体に変化が起こり始め、そしてあーちゃんがいるダンジョンの謎が明かされる。それは透に決断を迫るものだった。死別した者との再会は嬉しく、けれども背景にある脅威を世界は受け入れられない。それでも兄として妹を守り続けるべきか、世界のために見捨てるべきか。後者なんてあり得ないけれど、前者も困る状況に板挟みになりながら透が選び真緒が選ばせ由美が導いた道。そこへと至る逡巡と慟哭にじんわりと涙がにじむ。さまよい続ける真緒にも、会えないけれどいなくなった訳ではないあーちゃんと透にも、そして由美にも幸せになって欲しい。そんな日が来ることを願ってページを閉じる。


【8月8日】 石川佳純選手が卓球の女子シングルスで1回戦負け。カットマンタイプの北朝鮮の選手を相手にちょっとづつリードしながらも引き離せないままゲームを奪われていった挙げ句にフルゲームとなったことが足のつりとか呼んでしまった感じ。最初からたたみかければ突破できないでもない気がしたけど、カットマンというのはそれでも食らいついてくるからなあ。本当によく粘っていた北朝鮮の選手。一方で柔道は銅メダルが2つ。1本勝ちを続けていた海老沼匡選手だったけれど準決勝で負けて3位決定戦で。そこで1本を奪い勝利したけどやっぱり金には届かなかった。2つめの銅でも嬉しさはやっぱり足りてないだろうなあ。だからこそ目指せる次がある。頑張れ。

 勝てないなあ、サッカー日本代表。コロンビア相手に2点をリードされて、そこから追いついたけれどもナイジェリアと同様に守備に課題を残す試合となってしまった。というかどうしてそんなにポンポンと先制されるんだ。点は奪えなくても奪われないのが日本のサッカーって感じだったのに、この2試合はちょっと歯車がズレている感じ。それとも手倉森ジャパンの手倉森魂による手倉森守備はザルがデフォルトなのか。うーん。あんまりそうした戦術を重視する監督じゃないからなあ、魂とか普段から言っちゃってるし。そういうモチベーターではなく戦術を仕込み規律を仕込める監督がやっぱり欲しいなあ、ジェフユナイテッド市原・千葉にも。愛媛相手に引き分けで10位でプレーオフ圏内まで勝ち点10差。今年もやっぱりダメそうだ。やれやれ。

 150年の歴史で30人。つまりは5年に1人の3000本安打達成者が出ているってことを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだけれど、過去にいったいどれだけの打者としての大リーガーがいたかってことを考えると、何万人か何千人かはともかくとして決して高い確率では3000本安打達成者が出ていないことは感じられる。つまりはやっぱり偉業であって、それを日本で26歳まで過ごしてから渡った大リーグで、たったの16年で達成してしまった凄さをやっぱり大リーガーたちは知っているってことなんだろう。

 マイアミ・マーリンズのイチロー選手がなかなか出なかったヒットを放って2016年8月7日のコロラド・ロッキーズ戦でついに大リーグ通算3000本安打を達成。地元のマイアミで達成できなかったのはちょっと気分的にも球団にとっても残念だったけど、敵地でありながらも大勢の観客が拍手でそのプレーを讃えたところに全米のどこに行っても野球好きならイチロー選手のことを理解し、敬意を示しているんだってことが伺えた。今年初の本塁打になるかもと思われたくらいの打球だったけど、フェンスに当たって3塁打となりひとつ、そして大切な3000本目となる安打を記録した。

 なんと3塁打の通算でこれも日本人の記録を抜くものだったらしいというのはさておいて、決める安打を自分のベンチ前で決めるところがイチローらしい。おかげでベンチから見方の選手たちがぞろぞろと出てきては3塁の上にいるイチロー選手を祝福していた。イチメーターで知られるエイミーさんもマーリンズのベンチに近い場所にいてボードを掲げていたようで、ベンチに変えるイチロー選手と接触はともかくアイコンタクトとかはあった感じ。アルバイトを辞めてネットで資金を募り7月中旬くらいからチームを追いかけてきた成果がやっと実った。ただそういう立場にいて良い人だと、世界が認めて資金を提供するくらいにエイミーさんは本気でイチロー選手を応援してきた。頑張る人がいて讃える人がいる。そんな関係がカラッとした雰囲気の中で築かれる。アメリカってやっぱり面白い国だ。

 この後にイチロー選手がどこまで数字を伸ばすかは分からないし、もはや目標とすべき人も見えない。歴史に名を刻む選手という意味でリッキー・ヘンダーソンの3055本があり、ついに引退を発表したアレックス・ロドリゲス選手の8月7日時点での3144本を目指すといった生き方も可能だけれど、それも1つ1つ塗りつぶしていくような記録であって頂点を狙うものではない。とはいえもとより1つ1つ進んでいった結果としての今を感じているイチロー選手なら、毎日を目標としてプレーを続けていく気力があるうちは、現役を続けてそしてその結果としてのAロッド超えもあるのかもしれない。しかしアメリカの新聞はAロッド引退とイチローの3000本安打のどっちをトップに据えるのかな。やっぱりAロッドかなあ。

 一方でイチローに続く3000本安打が出るとなるととりあえず、残り120本くらいに迫っているテキサス・レンジャーズのエイドリアン・ベルトレ選手が有力かなあ、年齢もまだ37歳で、それでいて年間100本以上は打てる逸材。今シーズンだけで120本くらいを積み上げている訳で、今シーズンの残り試合とそれから来シーズンの初頭の活躍でもって到達となりそう。その後にいるのはロサンゼルス・エンゼルス所属のアルバート・プホルス選手でやはり去年から100本前後を積み増してあと230安打ってところまで来ている。年齢は36歳で今のイチロー選手まで6年くらいあるしAロッドまでだって5年はある。それだけあれば3000安打もそして600本塁打も達成して大リーグの歴史に名を刻むだろう。何年に1人かの記録。でもその凄さをその他大勢のメジャーリーガーと、さらに大勢のマイナー選手、さらにはすべての野球に勤しむ者たちが感じている。たいした奴らが繰り広げる大層なお祭りが続いていくことを願いつつ,底に加わる日本人選手がまた現れる日を夢みたい。誰かいるかなあ。

 象徴天皇には象徴天皇としての役割があって、けれどもそれを務めるには体力も必要なんだけれど、うした体力が年齢とともに衰えてしまって象徴天皇としての勤めをなかなか果たせそうもない。だったら摂政を立てれば良いという声も出ているけれど、摂政は摂政であって天皇ではなく、天皇自身が象徴天皇としての勤めを果たしていることにはならないのでちょっと宜しくない。だから今のうちに退いて天皇という地位に新たに就いた誰かが、象徴天皇としての勤めをしっかりとまんべんなく果たせるようにした方が良いんじゃないの。って感じのニュアンスになるのかなあ。天皇陛下による自身の進退に関するご発言。ネットからNHKのラジオ経由で聞いていたけれど、言われていたように生前の譲位をどうにか果たしたいといったニュアンスを醸し出しつつ、それを応援してくれる社会の理解を求めていた。

 わざわざ天皇陛下ご自身の口から、自らの老いとそれに伴う職務上の不備を吐露させるような場を設けさせなくても、世間が意図を汲んでそうした方向へと持っていくべきなんじゃないか。なんてことも考えたけれどそうしたことを“不敬”と捉えてやいのやいのと言ってくる勢力を思うと政治の側でその地位を云々することは出来ない。かといって権能を持たない天皇陛下が自らの裁量で何かを決めることもできないこの状況で、それでも取り得る最善を選んだ結果が天皇陛下ご自身の口から状況を説明し、あとは任せたどうにかしてといった空気を作ることだったという、そんな感じか。それもやっぱりお労しい話。でもこうして綸言として出た以上、引っ込めることはもはや不可能で、あとは世間が、そして政治が粛々とその望みを受け入れる方向へと、制度なり法律なりを進めていくことになるんだろう。

 ただ政治の側にどうにも生前退位だとか、あるいは皇室の拡充といった方向で何かを検討したくない節があって、しうした見解を示しては政権を後押しする勢力もあってこれからの巻き返しがあったりしそう。天皇陛下がわざわざ「皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」とハナされて摂政を置くことを牽制しても、それを主張して来た勢力は引っ込めず見方のメディアを通して喧伝していき、政権もそれに引きずられて判断を迷っている間に、時間ばかりが経っていく、なんてことも起こりかねない。天皇陛下にひとり、気苦労をかけさせて平気な政治が愛国を語るこの矛盾を何とかしないと。気付くかなあ、政治。


【8月7日】 広島の平和公園にある「ポケモンGO」のステーションが削除され、そしてポケモンの出現もなくなったと聞いて平和公園ってそんなに平静から鎮魂と慰霊と追悼と謝意に満ちた厳粛な空間ななんだろうか、なんて思ったりもしたけれどもそういう場所でもなく、普通に人が歩いて出店も出て縁台将棋なんかもやっている人がいて、広島市民球場なんかがあった時代は観戦客でごった返して今後スタジアムがもしも出来たら、やっぱりサッカーのサポーターが歩き回る場所になったりするんだろう、そんな場所で「ポケモンGO」だけが忌み嫌われて、電子の世界にいるポケモンたちまで追い払われてしまう。なんか不思議な気がする。

 結局のところそれはそこに集まる人たちの意識を世間がどう見るか、ってだけの話で野球だサッカーだお祭りだ休日だなんだと来る人はよくても、ただ流行っているゲームのために来る人は良くないといった意識がどこかににじみ出る。騒ぐとかは論外だし違法駐車が増えたのも問題だけれどそれだっていつまで続くことやら。一騒動が終わった後、そこにひっそりと現実に重なるよういして暮らしているポケモンたちがいて、それを見に来た人たちがふと見上げた原爆ドームや慰霊碑に、あの8月6日を思うような“出会い”があっても良いような気がする。でもそれもなくなった。もったいない気がしないでもない。

 群馬県高崎市の方では市の施設でもって「ポケモンGO」に限らずゲームをしてはいけないとかいったお触れが出たそうで、市民の日常的な娯楽を市は奪うのかといった気分がわき上がる。そりゃあ美術館に来て展示室でポケモン探しをやられたら迷惑だろうけれど、前庭辺りで人がやって来て歩きながらポケモンを見ていて何が悪いんだろう。目的外の来場を禁ずるというなら、ふらりと立ち寄って見ておもしろそうだからと鑑賞するとか利用するといったフローの出会いがまるでなくなってしまう。親には用事があっても無関係に連れてこられた子どもがロビーでDSで遊んでいたら市はたたき出すのか。「ポケモンGO」でうろちょろされるのが迷惑なら、「LINE」を操作しながらとろとろ歩いている人だって迷惑千万。でも取り締まらない。そういう風が起こってないから。

 そう風。取り締まれば評価されるんじゃないか、あるいは文句が減るんじゃないかとう思いつきの思い上がりを受けての振る舞いに過ぎず、そこに将来、ARだとかVRだとか位置情報システムだとかを使ったITによる情報提供みたいなサービスへの意識がまるでない。観光案内めいたものをARで配信しようとしたって、館内でスマホを使ってはいけない空気が漂う中で誰がいったい利用する? そういうサービスをやろうとした時に、絶対反対する人も出てくるだろう。将来を見越して利用できる技術とみて、問題点は是正しつつも生かす道を考えるのが未来を預かる役人たちの仕事なんだけれど、今が大事で大過なく過ごせればという頭に、そうした可能性への配慮はまるでないんだろうなあ。仮想空間が滅却されたこの国に未来は? やれやれだ。

 最終日は行けなかったけれどもMaker Faire Tokyo 2016にはバーチャルドローン以外にも面白そうなVRがいろいろあって、たとえば超技研ってところが出していた「お絵かきスプレーVR」は手にしたスプレー缶をプシュッと押すとVRヘッドマウントディスプレイをかけた目に見える壁にスプレーから絵の具が発射されていろいろと落書きをしていける。缶を振ると色が変わったりもする仕掛け。缶自体がコントローラーになっていて、センサーが仕込んであって位置とか衝撃を感じて仮想空間に編かをもたらす。リアルでは絶対に無理なグラフィティ描きもこれなら自由自在。描いたものがプリントアウトできたら楽しいし、ARで現実空間に仮想レイヤーで落書きできたらもっと楽しいかもしれないなあ。そういうゲーム、あるいはシステム、出さないかな。

 凄かったのは九州工業大学が出していた電気自動車で、AE86トレノを外観はそのままにA4Gエンジンをとっぱらってモーターを置いてクランクシャフトにつないでFRの電気自動車を作り上げていた。車にとって心臓とも言えるエンジンをまるごと置き換えて、いったいどういう審査を経て車検をとったのかが不思議だったけれど、そういう方法もちゃんとあるみたい。あとは陸運局と話し合いながら1歩ずつ作り上げていった感じ。高速道路を走れるように時速70キロかそれ以上は出ないといけないらしく、平地ならそれくらい出せるようになっている。走れる距離は40キロぐらいだそうだけど、学生なんでお金がなくて重たい電池を積んでいるからでこれがもうちょっと軽い蓄電池になれば、100キロを越えて時速100キロで走れるようになるのかも。エンジン音も排気音もなく音もなく近寄ってくるトレノ。藤原とうふ店のあれより怖いかも。

 自動車ではなく自転車だとクロモリフレームのデ・ローザが飾れていてフロントフォークとチェーンステーがメッキになっててとてもとても美しく、近寄って写真を撮っていたらカンパニョーロのディレイラー良いでしょうと声かけられた。知っている人なら知っているその美しさ、って奴なんだろうなあ、1970年代から1980年代にかけてのロードレーサーは本当に美しかったんだ。って別に自転車の品評会ではなく、@ちーむというところが出していた自転車用電動アシストロボット「ハムすた〜」は後輪にモーターを取り付けるようなものではまるでなく、前輪のそれも前側にフロントフォークとかに固定されずタイヤにはめ込むような形で装置がついている。そんなものすぐに下に落ちてしまうだろうと思いきや、落ちようとする力で前輪を回しつつ上に上がろうとする力も働いて、同じ場所でずっと止まっているという。

 下に落ちようとする力が前輪を回しつつ位置を読み取り水平から下に下がるようなことはなく、遅くなると上に上がって止まるような感じになってアシストを解除するというから不思議な装置。原理を説明されても分からないし説明しようもないけれど、何となく新しいなあとは思う。さすがにロードレーサーに取り付け走るような装置ではなさそうだけれど、後から自転車を電動にできる仕組みであり、車イスのようなものに取り付け走りをアシストすることも可能な仕組み。Maker Faire Tokyo 2016で見かけたどこかの自転車屋さんが取り入れて、新機軸の電動アシスト自転車として売り出すなんて可能性を模索していたけれど、果たして成果はあっただろうか。今後が気になる装置。それにしても美しかったなあ、デ・ローザ。いつかお金が出来たら古いフレームと古いパーツでロードレーサーを組みたいなあ。

 観艦式だ観艦式だ、「艦隊これくしょん−艦これ−」の世界をステージ上に再現する「第参回『艦これ』観艦式」があったんでパシフィコ横浜まで行って見物。15人の声優さんが登場して紹介した艦娘の人数が確か100人は越えていたところに声優さんが持つ力量の凄さって奴を改めて思い知る金剛型戦艦4姉妹をたったひとりで演じ訳ながら紹介していく東山奈央さんとかもう達人の域。本人の中でよくこんがらがらないと思うけれど、それが出来るからこその声優さんなんだろう。他も1人で何役も掛け持ちしている人たちばかり。それでちゃんと雰囲気を感じさせてくれるところに、この作品の面白さって奴もあるんだろう。11月26日に「劇場版 艦これ」の公開も決まってまだまだ人気は続きそう。ずいぶんとグラフィックが変わってしまった艦娘もいるけれど、今はまだしょぼい自分のレベルだと、昔なじみの顔に出会えるんでそのあたりを噛みしめながら、またちょっとずつ進めていくことにしようかな。提督になれるまであと何年。


【8月6日】 サンライズフェスティバル2016での「機動戦士ガンダム」第1話と第16話の16ミリフィルムでの上映で、氷川竜介さんが教えてくれたフィルムならではの、というかデジタルリマスターされてぴかぴかに洗われてしまう前の見所が幾つか。「ガンダム、大地に立つ」でシェルターの外に出たアムロ・レイがザクを初めて見たシーンで、アップになるアムロの顔の色がパッと変わってしまう。どういう理由があったかは判然とはしないながらもフィルムを見て氷川さんが気付いたのは、コマが足されているとうことでそれもあらたにセル画を撮影したものを挟んだのではなく、前後のコマを複写して入れたみたい。だから色が違ってしまったというか。

 それだってコストのかかることをどうして敢えて色が変わってしまったのも構わずやったのか、ってことで第1話を完璧なタイミングで描こうとした富野由悠季監督が、そこにそのコマ分の間合いが必要だったと判断して入れたとかって話を聞いてなるほど徹頭徹尾、無駄のないエピソードってのがそういうところにも現れているってことみたい。出渕裕さんもそんな第1話が好きみたいで、最後のところでシャアが乗るムサイから発射されたミサイルが、飛んでいってサイド7に触れても爆発する前でスパッと終わるその斬新さに打たれた様子。あとはセルの置き間違いだとかサラミスの色違いとか、作り手として気になるところを挙げていたのは、プロになるとそういう細部にまで目が行ってしまうってことの証明。そういう立場で見るアニメって大変そう。ただのファンで良かったなあ。

 第16話の「ジオンの脅威」で言うなら初登場のランバ・ラルとクラウレ・ハモンのたたずまいから2人の関係が伺えるとか。そう聞いてみると入ってきた2人のうちのハモンがラルに譲るようにして脇に立ったりして何かとっても愛人っぽい。中学生の頃は2人が普通に夫婦かと思ったものだけれども姓がいっしょじゃないところから、愛人か事実婚か何かと理解していったんだっけ。悪女っぽいのにそういう感じでもなく聡明だけれど冷徹じゃない。そんな女性だからこそイセリナとは違った形でラルに殉じて散っていったんだろうなあ。そういう人が多すぎるんだよ「機動戦士ガンダム」って。そこが気に入らない所でもあり、それでもガンダムらしいところでもあり。難しい。

 そうそう、最後にリブートが決まった「機動警察パトレイバー」について出渕さんが氷川さんからの問いかけについて答えていて、最初は「日本アニメ(ーター)見本市」の中で何かできないか、って話しだったけれどもタイミングが合わず流れていたところを、新たに出来そうって話になって出渕さんがつないで決定したものを、特別編として造ることになったとか。でもって監督は自分が「宇宙戦艦ヤマト」が大好きで、それだからこそファンが見て納得のリブート作品「宇宙戦艦ヤマト2199」が作れたように、「パトレイバー」が好きな若いクリエイターを起用するってことで手を挙げてくれた吉浦康裕さんが抜擢されたとか。ただ中身については不明で、PVは出渕さんが編集したけど本編がどうなるかも未定みたい。メタにずれるかベタで通すか。声もあの2人以外に出るのか。公開が待ち遠しい。

 たとえ左手の方で事業めいたことを展開していて、そこでいろいろと規制をかけないとうまく回らないことがあったとしても、新聞社なんだから知る権利の遂行はあらゆることを上回って貫かれるべき社是であり、存在するための最低条件だろう。にも関わらず朝日新聞社という主語でもって甲子園に登場して話題になった女子マネージャーへの取材を禁止するという通達を出したとか。同じ題字を持った左手の言論の自由に迫る暴挙を普通だったら右手の編集局がそれはダメだと撤回させつつ、穏当な言い回しへと持っていくところなのに、そうはならなかったのは編集の力が落ちているからなのか。編集が渋い顔をしようとも逆らえない存在への配慮があったのか。つまりは高校野球連盟。あそこが悪者にはなりたくないと言って、主催であるところの朝日新聞社が責任を被ったと。それでもやっぱり表現の自由であり知る権利の尊重を足蹴にする通達を出した意味は思いよなあ。炎上するかなあ。

 絶対に面白いものがそこにある、って感じのイベントで個人制作ではありながらも雑貨やファッションがメインのデザインフェスタとも、同人誌が中心のコミックマーケットとも違う「Maker Faire Tokyo 2016」が東京ビッグサイトで始まったんで見物に。とりあえず前にCEATECでも見たことがある、腕に巻いてその筋肉の動きなんかを読み取って無線でゲームに伝えるコントローラー「UnlimitedHand」が製品となって登場していたんでデモを見に行って試してみて、本当に指を曲げるとちゃんと画面の中の拳銃が発射されて驚いたというか。指先にセンサーを取り付けるたいぷの腕型コントローラーならあるけれど、ベルトを巻くだけっていう簡単さで、腕をコントローラーに変えられるのは画期的。指ぱっちんが魔法の発動とかになったらファンタジーゲームなんかにも使えそうだけれど、そういうことは可能なのかな。

 指ぱっちんといえば手袋のそれぞれの指の先に電極をつけて、親指とそれ以外の指が接触すると電気が流れて手首に取り付けられたベルがなる装置なんかも面白かった。人差し指中指薬指小指と4本あるから4つのベル。両手につければ8つのベル。音階になって演奏とかも出来そうだけれど、ベルの重さだけはちょっと気になるかなあ。頑張って鍛えると手首が太くなって今度ははいらなくなるかもしれないしなあ。それでも1発アイデア勝負。それを同じ人が出していたフライス盤マウスにはただただ爆笑。見た目はミニチュアのフライス盤なんだけれど、そこに取り付けられている、台を右とか左に動かすダイヤルをくるくる回して位置を決め、レバーを下げるとそれがクリックしたことになるという。接続されたモニターではそうした動きに合わせて絵がちゃんと描けていた。でも絵しか描けないし円形とか難しそう。使い勝手の悪さはともかく、そういうアイデアを形にしてみせるパワーが菜による凄い。MakerのMakerたるゆえん。頑張って欲しいなあ。

 そんなMaker Faire Tokyo 2016で最大くらいに気に入ったのがズームス・ラボってところが出していたバーチャルドローン。VRヘッドマウントディスプレイの前にカメラがついていて、かけるとそこから見える周囲の景色がちゃんと目に映るけれど、同時に拡張現実っぽく円形のマーカーが出たり敵機が飛んでいるようなCG映像が重なってくる。そして傍目には何も置かれていないテーブルに目を向けると、そこに置かれたコードに合わせてドローンが現れ、手にしたコントローラーを操縦するとそれが上に上がって左右に動く。でも傍目にはドローンなんて飛んでいない。1人だけのドローン。それが現実と重なってリアルさってものをひしひしと感じさせる。

 法律が出来て現実の世界でドローンを自由に飛ばせなくなっている状況で、それでも実際の風景をバックに練習しようとした時に、このARでVRなMR(統合現実)を使えば誰でもいつでもどこでだってドローンを飛ばして練習できる。コントローラーはなかなかにシビアで、本物を操縦しているような操作感でそれゆえにドローンを飛ばし慣れた人が触ると、簡単に的を狙って飛ばしていける。外国人がやっていたのを見たけどほんとうにすっとドローンを動かしていた。そうなるための練習が、実はこのバーチャルドローンならできる。僕も最初は戸惑っていたのが、だんだんと慣れて行けたから。それだけリアルで、なおかつゲームとしても面白い。今すぐにだってVR施設におかれてほしいシステムだけれど、そうなるまでにはまだ時間がかかるのかな。今後の展開に注目。


【8月5日】 名古屋が舞台ならそれでオッケー、とは思いたいけれども出てくるの名古屋的なタームが名古屋大学とコメダ珈琲店くらいでは、ちょっと足りてないような気もしないでもない夏川鳴海さん「ゴーストフィルム 〜古森先輩の、心霊動画でも撮りに行きませんか?〜(メディアワークス文庫、610円)は、イケメンで運動もできて成績も良かったのに、女性に振られたことから、伊佐屋古森という青年が自信を失い引きこもり生活にはいってしばらく。親から親戚のブラック企業に押し込まれそうになって、慌てて逃げ出し妹が大学に進学した名古屋に行ってその部屋に居候を決め込む。

 とはいえ働きもしない兄をどうにかしないと考えた妹は、すぐにでも稼がないと親に連絡をすると告げる、これは困ったと古森は何かをしようと考えたものの、対人恐怖症が出てうまくしゃべれないためバイトは無理。かといってもう逃げられない身でかろうじて、名古屋に進学していた高校のバレーボール部時代の後輩を見つけ出し、彼が動画を撮ってネットに発表していたのを知って自分もネットに動画をアップし一攫千金を狙おうとする。撮るのは心霊動画。そこで名古屋でも評判の校外にある廃墟を訪れると、そこに先客がいて降霊術をやっていた。

 参加して何も起こらず帰ってアップした動画は別の意味で評判になり、少しのお金は稼げたものの生活するにはまだまだ。そこで何か奇妙な出来事があれば行って相談に乗りつつネット動画も撮るといったことを始めたら、そこに現れたのが狐の麺を被った少女で家に幽霊だかバケモノだかが現れるからどうにかして欲しいと依頼してくる。骨董市で買った能面に何か付いているらしいという話。そして成功を願いながらも道半ばで死んだ女性の怨念。諸々が浮かび上がった先に訪れる恐怖。でもそれでネット動画に大勢集まるほど世間は甘くない。大変な目に遭いつつ動画を撮りつつ世間と関わりを広げていく古森の成長を楽しめる作品。でももうちょっと名古屋モノをちりばめて欲しいなあ、マウンテンとか。寿がきやとか。

 観客動員が100万人を超えたものの、ここから先、「シン・ゴジラ」がジブリ映画並に一般の観客も確保して大きく興行収入を伸ばして100億円超えを達成するには、やはり一般にも届くようなPRが必要で、それはディズニー映画だとかピクサー映画だとかいった洋画において行われているような、日本版イメージソングの提供だったりする。すなわち「シン・ゴジラ」においては東日本大震災を思わせるそのテーマ性から、EXILEが東日本震災からの復興を祈るために作り歌った「RisingSun」を改めて使わせてもらいながら、その歌に合わせて長谷川博己さんや市川実日子さんや塚本晋也さんら巨災対のメンバーが、ゴジラをバックにスーツなり防災服なり軍服なりといっためいめいの格好で踊るPVを、上映後に流せばみんな大喝采しながら一緒に踊り回るだろう。そんなムーブメントが欲しいけれど、やってはくれないだろうなあ。当たり前か。

 キックオフされたなあと思いながらネットを開くとすでに2対2になっていたというリオデジャネイロ五輪のサッカー日本代表対ナイジェリア代表。アトランタから飛行機が飛ばず現地に到着したのがキックオフから7時間とか6時間とかいったほとんど直前で、そこからスタジアム入りして練習をしたところでコンディションの不調は否めず、また出るの出ないのといった状況におかれて心理的にも参っているだろうから日本は楽勝といった見方が漂っていたけれどもどこがコンディション不良だよ。しっかり最前線からチェックに行って飛び出しもあってトラップからの素早いシュートで得点をしたり、ファールを犯さざるを得ないほどの走りでPKを奪ったりとナイジェリアのやり放題。逆に日本代表の方が守れずパスも滞る重さがずっと漂っていた。

 同点に追いついてからもさらにナイジェリアに突き放されて最終的には5点を奪われるというていたらく。試合終了間際に1点差まで追いついたところでそこから頑張ってもようやく同点。不調の相手に買って後の試合を楽にする、なんてことがもはや不可能になってしまった。4点を奪ったところでそれこそ相手のコンディション不良からの後半の体力低下につけ込んだだけで、それでも追いつけない攻撃力であり奪われた守備力をこれからいったいどう立て直すのか。それこそ監督の手腕が問われるんだけれど、自分のチームを「手倉森ジャパン」って読んじゃう人だからなあ、まっとうな歓声があれば自分の名が冠されたチームをそう呼ぶことはしないだろうに。浮かれてたのかなあ。ともあれ残る試合を頑張って、這いつくばっても決勝トーナメントに進んで欲しいもの。次は勝とう。どことだっけ。

 サンライズフェスティバルで「機動戦士ガンダム」の第1話「ガンダム、大地に立つ」と第12話「ジオンの脅威」を16ミリフィルムで上映する企画があったんでテアトル新宿へ。多分永瀬唯さんとかサンライズの人とかガンダムイベントの周辺で見かける方々も大勢客席にあって、散々っぱら見ているだろうガンダムを何故に今またと訝る向きもありそうだけど、ガンダムは何度見ても良いのがまずひとつと、そしてこれは僕より少し上の16ミリ借りて自主上映をやって作品の情報や経験を得てきた人にとって、16ミリでの上映という形態に見逃せない何かがあったのかもしれない。

 これはゲストで登壇し各話の解説をした氷川竜介さんも話していたけど、アニメーションが、あるいはガンダムが16ミリでの上映される形こそが、色味であったり透過光であったりが最もよく出るものになっているそうで、家ではもはや不可能な形態での鑑賞を行える機会として、参集したのかもしれない。あとはやっぱり出渕裕さんもまじえてのトークに懐かしさを感じるためというか。いやもう飛び出す固有名詞の懐かしいというか凄いというか。僕にはもはやレジェンドとして聞こえる人たちの、現場で当時どう関わって何をしたかが同時代を見て経験してきた人たちの口から語られる。

 ガンダムという作品について何を思ったか、なんてことはムーブメントの中で何となく見ていた人間とは違う、前の作品からの流れで想像しつつも、作り手の周辺から情報を洩れ聞き想像を固めていって、それでも驚かされるという状態は、あの時のあの瞬間にそこにいた人だけの特権。羨ましいとしか言いようがない。と同時に、今もそうやって作り手が試行錯誤し驚かせようと色々仕込んでいる作品に対して、どう接しているだろうかといった身の処しかたへの警句にもなる。どうせそうだろうとかいった楽観、あるいは裏切られた時に感動より驚きより違和感を前に出して疑問を唱える態度で良いのか。そうとしか対応できないものもあるだろうし、原作者の場合はそもそも世界観に驚きようがない。

 とはいえ予告編の映像と作り手のキャリアからしか想像できなかった「シン・ゴジラ」が繰り出してきた驚きの描写や展開に、たとえ長い歴史を持って固定観念も染み付いている題材でも、工夫はできるのだと分かった。ならばアニメーションにも類例からの差異化にほくそ笑むだけではない驚きを持った作品が生まれてくる可能性はある。その瞬間を逃すまい、あるいは遅れても良いから驚きをキャッチして一緒に驚きたいと思うのだった。あとは10代でアニメーションや特撮の現場に学生のファンとして接近し、働きながら学んでいけた状況への羨ましさも浮かぶ。

 そうするしか作品の源流、作られる現場の息吹に触れることができなかったからそうしただけで、今みたいに設定集があふれ版権イラストもいっぱい描かれグッズも出てスタジオに行かずとも情報に触れられる今、そうする必要はないのかもしれない。スタジオだって押しかけられては大変だろう、好事家が今ほど多くなかった時代だから受け入れられたってこともあるだろうし。ただ、そうしたなかばオフィシャルな情報に、製作委員会とやらのお墨付きを得た情報だけをもらうようにして触れ、統一見解の中で楽しむことが普通になってしまった状況から、作品作りの行程にまで踏み込んでクリエイターの意図を汲み取り、ものを書きものを新たに作ろうとする次代が生まれてくるのか、といったあたりがちょっと気になる。

 作品の物語面からの批評はいっぱいあって、それが語ることになってしまいがちな雰囲気の中、絵から、演出から、音響から、それらの総合としてのフィルムから解説し、面白さの真髄へと誘ってくれる若い案内人は生まれてきているか。いるのかもしれないけれど、その活躍を受けての側に受け入れるだけのリテラシーがあるのか。そんなことを思ったのだった。それにしてもガンダムはやっぱり面白い。何度見たって音が割れてたって面白い。その面白さを語る言葉が新たにもらえたイベントだっただけに、比較的多かった年配者だけでなく、若い人にも見て欲しかったイベントだった。またやってくれないかなあ、今度はどの話数が良いんだろうか。「テキサスコロニーの攻防」かなあ、セイラさん的に。


【8月4日】 安心感、とでも言うんだろうか。見ていてああこれだよこれこれ、怪獣映画でゴジラ映画はこれなんだって気が湧いて仕方が無かったテレビ東京で放送の「ゴジラ FINAL WARS」。理由もなく怪獣が出てきては暴れ回るのを地球の組織が立ち向かい政治が動き謀略が巡らされ宇宙人が絡んでくんずほぐれつの展開となって、そしてゴジラが屹立してはすべてをなぎ倒すようにして暴れ回るかたわらで、人間ドラマが進んでヒーローが活躍しヒロインも活動しては敵が退けられて大団円。そして去って行くゴジラ。すべてが予定調和の中でかつて見てきた怪獣バトル、ゴジラの咆哮が繰り広げられる。

 妙に気取らずリアルさなんて蹴飛ばして、ただただ娯楽大作を目指したって感じな上に北村龍平監督が、スピーディーなアクションを役者にも怪獣にも取り入れ見ていてテンポ感のある映像を作り上げた。カット割りの細かさで「シン・ゴジラ」も評判になっているけどテンポの良いカットワークなら「FINAL WARS」もなかなかのもの。一瞬たりとも飽きさせる暇を与えずラストまで持っていくところがアクション映画で鍛えた監督ってことを感じさせる。あるいは編集が良かったのかな。掛須修一さん。北村監督の出世作とも言える「VERSUS」でも編集を手がけてスピーディーな映像を作り上げた編集者から。

 1960年代から70年代にかけて生まれた人にとって、1954年の「ゴジラ」なんて過去のもので見たことすらないかもしれない。そしてゴジラ映画といえば三大怪獣だとか怪獣大決戦だとかいった具合に巨大怪獣が暴れ回る中で謀略が巡らされ、恋愛もあったりしながら進んでいく楽しくて面白いアクションムービーだった。そんな思い出を2004年の技術と役者で見事に再現してのけた手腕。見てきたものでありそこで見たかったものを作ってくれた作品として、やっぱり凄かったんだろうなあと思うけれども退潮気味だったブームの中で集客は伸びず興行的には失敗。「シン・ゴジラ」の人気でさらに批判も出そうだけれどそんなことはない、これはこれでゴジラ映画のひとつの究極だったんだということを、改めて喧伝しておこう。また撮らないかなあ。撮らないだろうなあ。

 そんな「ゴジラ FINAL WARS」で最も目立っていたのがX星人を演じた北村一輝さん。北村龍平監督にも幾つか出ていた役者だけれどその資質をもしかしたら最大限に生かすために、あんな怪獣総進撃的なストーリーを作り上げたのかもしれない。ガイガン起動とかマグロ食ってる奴はダメだなとか、見せ場たっぷり。そのセリフとその表情を何度でも見たくなって映画館に通う人を生み出しかねないインパクトを持っている。そんな凄まじくて濃い演技をする北村一輝さんが、もしも「シン・ゴジラ」に出たら果たして収まったんだろうか、というのが目下の興味。誰1人として自分をさらけ出すような演技をしていないあの映画に、ちょっと置く場所はなさそう。

 いやいや「帝都物語」で加藤を演じた嶋田久作さんだって臨時の外務大臣に収まって普通に政治家をやっているし、ふんどしいっちょうで舞台を練り歩いても平気な古田新太さんだって警察庁長官に収まっている。あの演出の中で誰もが自分を見せつつしっとりとした場に馴染んでいたからには北村一輝さんだって……とは思うけれども顔自体が濃すぎるからなあ、やっぱりハマらないかなあ。それを言うなら発声からしてもう普通の現代劇には絶対に合わない野村萬斎さんが出ているのが不思議だけれど、「シン・ゴジラ」の中で最も外連味のある演技が求められる役を演じていたから務まった。そういう意味ではベストキャストかも。もしも次に「シン・ゴジラ2」があってそこで人間型ゴジラなんてのが登場するなら、その時こそ北村一輝さんがフェイシャルキャプチャーとモーションキャプチャーで出演して欲しいもの。期待してたりしていなかったり。

 例の「人生に、文学を」とやってはアニメじゃないよ文学だよと叫んで大顰蹙を買っていたサイトが反省したみたいで、ごめんなさいといいつつ目立つコピーを取り下げこれからやることを記述したおとなしいサイトになっていた。アニメを馬鹿にしたつもりはないよ、って言い訳はしているけれど、あそこで気になったのは文学がアニメより上にあるって思わせたことだけでなく、「読むとは想像すること」で、「想像しなければ、目に見えるものしか知りようがない」し「想像しなければ、自ら思い描く人生しか選びようがない」と思わせたこと。だから言い訳でアニメにだって想像力を喚起させるものがあるんだよと誰かが言っても、そうだとは信じられなかった。撤回はしたみたいだけれど、根底にそういう気持ちがある以上は再出発してどういう展開を見せるかに不安も漂う。まあ改善するだけの心意気はあるってことで、展開を見守っていこう。でもって文学賞は芥川賞と直木賞だけなの? 本屋大賞も入れているけどそれだけなの? そこがやっぱり気になるなあ。

 普門館、というのが野球で言うところの甲子園と同じ存在として、学生の吹奏楽における重さを持って憧れを集めていて、青春の代名詞として昨日していたけれどもそんな感覚も既に過去のものとなりつつある感じ。岬鷺宮さんによる「踊り場姫コンチェルト」(メディアワークス文庫)という、高校の吹奏楽部をテーマにした作品で、「吹奏楽連盟主催『全日本吹奏楽コンクール』で、全国大会出場」を目指す静岡県立伊佐美高校が願っているのが「なんとかして全国の舞台、名古屋国際会議場センチュリーホールで演奏してみたい」ってことだと書いてある。

 2011年3月の東日本大震災を受けて高まったホール施設の耐震への関心で、強度不足が指摘されて中学と高校の吹奏楽コンクールの舞台から外れ、2012年からは名古屋にあるセンチュリーホールが使われるようになった。それ以後の小説、ってことなんだろー。原作は読んでないけどアニメーションになった「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」の場合は、画面に映る全国大会の会場がセンチュリーホールになっているらしく、その意味では“今”の作品って感じらしい。一方で「ハルチカ」は始まったのがまだ普門館が使われていた時代なんで、アニメーションもそっちが登場するとのこと。違うって指摘もあるけれど、原作準拠なら仕方が無い。

 2010年に刊行された山本寛監督の小説「アインザッツ」も目指す場所は普門館。これからしばらく時間が経って、中高生の吹奏楽部ものが作られる時に、その辺りの描写が時代を感じさせる要素になて来るんだろう。甲子園のように思いを永遠につなげられる代名詞がない、ってのは寂しい気もするけれど、それも時代だろうなあ。まあ重みが付きすぎて、高校野球の中心地というレッテルからそこでの行動のすべてが規定され、伝統化されてしまっている甲子園を見ると、普門館というタームに引きずられ、そこでの立ち居振る舞いが要素として絡められて大音量でないと受けないとかいった逸話が載って、本来の演奏から離れたものになってしまうのも良くないんで、仕切り直しで中高生の吹奏楽を描く象徴として、センチュリーホールがなっていけば良いのかな。いつまで使うんだろうセンチュリーホール。

 物語の方は中学時代からトランペットをやっていた主人公の少年、梶浦康規が階段の踊り場で踊っていた少女を見かけ、それが吹奏楽部に所属して音楽を作り指揮もする藤野楡だと後で知り、彼女が作った音楽を聞いてこれは天才だと思ったもののその指揮ぶりを見て愕然とする。自分勝手なテンポで振り回しては誰も付いてこられなかったり、雰囲気を無茶苦茶にしたりとまるで音楽になってない。それでも吹奏楽部は彼女の音楽の才能を信じて指揮も執ってもらおうとして、そんな彼女の指揮ぶりを改善するために、時計屋に生まれ育ったからかテンポに厳しく音楽がどことなく固い康規をあてがう。

 そうして始まった2人の接触は、音楽作りに関する興味の部分で惹かれ合い、歩み寄るような感じもあったもののそれでも自分がやりたい音楽しかやろとしない楡の指揮は改まらず、吹奏楽部は彼女を外すかどうかという決断に迫られる。どうして楡はそこまで自分だけの心地よさを追求しようとするのか。それが彼女の音楽なのか。なんてことが問われるけれども音楽作りの才能がある人間であり、それを周囲が認めるくらいなら、その指揮から生まれる音楽だって周囲を納得させるものになって不思議はない。なのに指揮を執ると勝手になるのがちょっと分からない部分。気分屋なのかどうなのか。そんな彼女を引き戻し、誰かのためにと思わせることが解決の道だけれど、それがだったら天才の音楽なのかもちょっと謎めく。まあでも傍目には自由と規律の中間にあって、それでも両者が良いと思える音楽が良いってことになるのかな。彼らは全国大会に進めるだろうか。そんな続きがあったら読んでみたいかも。


【8月3日】 48作あった「男はつらいよ」シリーズが観客動員数の総計で7985万1000人らしく、200万人には届かなくても150万人は越えているアベレージにやっぱり凄い映画だったんだなあと思うことしきり。そんな寅さんに日本映画として真っ向、挑んできた「ゴジラ」シリーズが1、954年の第1作から数えて28作目となった「シン・ゴジラ」で観客度運数1億人を突破したとか。アニメーションでは「ドラえもん」のシリーズが映画としてすでに達成しているけれど、実写では日本初となる快挙で、ゴジラが寅さんと並んで国民的なアイドルなんだってことが裏付けられた。あんまり可愛くはないけれど。それをいうなら寅さんもか。フーテンだし。愛嬌はあったけれど。

 予定では、12年前の「ゴジラ FINAL WARS」で1億人の壁を突破し、それでしばらくオクライリだったんだろうけれど、そういう状況に追い詰められていただけあって関心は向かわず71万人ほど届かなかった。っていうか100万人くらいで止まってしまった。それも立派な数字だけれど、宮崎駿監督のアニメーションがそれこそ「千と千尋の神隠し」で2350万人、「FINAL WARS」と同じ年の「ハウルの動く城」で1500万人を集めているんだから物足りないといえば物足りない。ジブリ映画は足せばもちろん1億人は越えているし、宮崎駿監督1人で「男はつらいよ」くらいは集めている。「シン・ゴジラ」がどれだけ稼いでも1000万人はやっぱり行かないだろう。

 でもやっぱり凄い数字。積み上げてみたものがあり、失わなかった支持がある。「ドラえもん」のように常にテレビで新しい番組を見られ、そして漫画を読んで新しいファンが入って来るキャラクターとは違って、そうした回路を持たない「ゴジラ」は時々の関心とそれからノスタルジーな興味にすがることが多いんだけれど、そうはいっても70年近く経てば人は老いるし関心の向きも変わる。それでも引きつけ続けた存在感、あるいは畏敬の念を受け入れる土台ってのがゴジラにはあり映画としての「ゴジラ」シリーズには存在するんだろう。果たしてどこまで伸びるのか。そして次はあるのか。そんな関心も浮かべつつまずは今、この作品がどこまでの広がりを見せるかに注意。あと何回、見ておこう。

 「シン・ゴジラ」といえば、音楽を手がけている鷺巣詩郎さんが「シン・ゴジラ」のサウンドトラックと同じ日に発売した、エヴァンゲリオンシリーズで作った楽曲の別テイクを集めたCD「OUTTALES FROM EVANGERION」を買ったらライナーノートに今だ続きが見えない「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」に繋がりそうな記述が。「日本アニメ(ーター)見本市」の1作として発表された、どこかダイジェストっぽい映像の「until You come to me.」がもともとは「ヱヴァンゲリヲン劇場版:Q」に連なるべき内容だったとかで、音楽もそのために作ったのだけれど今だ続きは作られないまま楽曲は短編として作られた作品に当てられることになったという。

 映像の公開も終わっているためどうだったかははっきりとは分からないけれど、崩壊した新第三東京市の風景とか、「Q」のラストで天空かららったしてきた巨大な物体が遠目に見える風景なんかがあったと記憶。そして荒廃した街に「Q」の黒い綾波や、昔からの制服を着た綾波なんかが切り替わりながら映し出され、アスカは旧劇場版でスカートを翻しながら現れ、意識を失いベッドに横たわって心電図をとられ、そして新劇場版へと撃つって片方の眼を眼帯で覆ったりした姿へと変遷していくといった具合に、新旧がごちゃ混ぜになって走馬燈のように切り替わっていく映像だった。

 それが新劇場版に混じるとなると、やはりサードインパクトで滅びシンジとアスカだけになた旧劇場版からやり直された新劇場版の世界で、また新たなやり直しが始まる話になるのか、なんて思いたくもなるけれども真相は不明。ただ前とは違った展開を迎えるだろうことは想像できるし、明るいエヴァンゲリオンだった序と破が一変して暗澹とした展開になった新劇場版がハッピーエンドを迎えるとも思えない。世界そのものを俯瞰しループする中で誰かが犠牲になってでも、誰かの求める世界を生み出そうとする企みが、繰り広げられることになるのかな、ってそれだとまどかのために自分を悪魔に変えたほむらを描いた「「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」と一緒じゃないか。それだから続きが作れなくなったのかな。分からないけれども「シン・ゴジラ」で息をつき、これから動いてくれるだろうと信じて待とう、鷺巣さんの音楽を聴きながら。

 白井カイワさんの原作で出水ぽすかさんが絵を担当する「約束のネバーランド」って話が「週刊少年ジャンプ」で連載スタートして、読んでみたらこれがなかなかにシビアでシリアスで時にグロテスク。「ジャンプ」の巻頭を飾って良いのかって思ったりもしないでもないけど諸星大二郎さんとか載ってた時代もあるし荒木飛呂彦さんだってあれでなかなかにグロかった時もあった。「北斗の拳」なんでたわばがあべしでどっかーんだから、それを思えば絵は綺麗な分、「約束のネバーランド」の方がましかもしれない。ただし物語事態のグロテスクでスリリングな展開がそれで帰って際立つことにもなるけれど。

 どこか孤児院らしいところですくすくと成長している3人が、いよいよ施設を出て行って誰か幸せな人のところにもらわれていくらしい仲間を祝福しつつ夜、そっとそとに出てみたら出て行ったはずの子どもがとんでもないことになっていた。どうやら孤児院は子どもを育てて送り出し幸せになってもらう施設ではない。むしろもっと悲惨で非道な場所だった。そんな設定に加えて同じ人間ではない生命を混ぜて人類が置かれた切実な状況めいたものも想定させる。これが同じ人間だったらグロさもさらに際だったけれど、違う生命が相手なら価値観も違う訳で、そうした状況に置かれた人類事態の反抗の話として読んでいけるかもしれない。ただし人間相手と違って勝利ポイントは相当に高くなりそうだけれど。

 読んで浮かんだのはやっぱり沙村広明さんの「ブラッドハーレーの馬車」か。あるいは映画の「エコール」かそれと原作を同じにする「ミネハハ」といった辺り。内での幸せが外で絶望に変わるかもしれないというギャップで読ませたけれど、だからといって内にばかりもいられない残酷さ。一方でライトノベルだとるーすぼーいさん「白蝶記」があって地本草子さん「子どもたちは狼のように吠える」があってどちらも孤児院めいた収容施設が出てくるけれど、そこでは子どもたちは虐待をされて幸せではなく、かといって外に出れば広がっているのは煉獄でやっぱり不幸が続く。そう思うとせめて施設でも幸せを甘受し運命を受け入れる「約束のネバーランド」の方が良いのかなあ、なんて甘美な誘いが。それは自分がそうじゃないから言えること。そうなってしまった少年少女はどんな未来をその手で開く? 読みつつけなくてはいけない漫画が増えた。


【8月2日】 土曜日にSFファン交流会へと向かう途中で西新宿に寄ってお昼ご飯を食べる場所を探していたら、ふっと目に入った「三是食堂」がなかなかにボリューミー。とんかつ屋さんなんだけれどもミックスフライとかもあってチキンカツと牛カツとあと何かが乗ったランチを頼んだら1分経つか経たないかのうちに出てきては、ちゃんと美味しく揚がってた。牛カツはどこまでも柔らかくチキンカツも中はふわふわ外はサクサク。この揚げ方ならトンカツとか頼んでもちゃんと美味しく最後まで食べられるんじゃなかろーか。メンチカツもあるみたいで次にいどみたいところ。出来てまだ1年。西新宿はどんどんと変わっているなあ。

 ニュアンスがどうだったか、口調はどんな感じだったのかも加味して考えるべきなのかもしれないけれど、それでもにじみ出てくる責任から逃れようとする雰囲気。例の東京都都知事選での小池百合子さんに対する尊大な態度が、結果としての敗北を招いたことについて自由民主党の東京都連の誰かが責任をとらなくては収まらない状況になっている。筆頭が会長の石原伸晃さんで、次点に例の言論弾圧にも近い党員とその家族への拘束文書に名を連ねていた内田茂・東京都連幹事長が挙がるけど、その当事者中の当事者の石原伸晃さんが、責任は党本部にあってつまりは谷垣禎一幹事長にあると言ったらしい。

 いやいやいやいや。最初の段階から小池百合子新都知事に対して不遜な態度を取って離反を招いたのは石原伸晃さんだろう。谷垣幹事長はそうした判断を尊重しただけで、なおかつ選挙戦の途中で自転車事故に遭って入院し、その後は表舞台に出てきていない。幹事長職すら降りざるを得ない重傷かもしれないと言われているのに、そんな人に全責任を押しつけ自分は悪くないといった態度を見せれば、そこに何らかの妥当性があったとしても世間は卑怯者で臆病者だと思うだろう。そういう簡単な理屈も分からないくらいに、周囲が見えなくなっているのか、もとより責任とか男気といったものには無縁の神経の持ち主なのか。

 妙なのはそんな人をまた、経済再生担当大臣に再任しようとしている安倍晋三総理。国政と都連の運営はまた違うと言えば言えるけれど、無責任ぶりを露わにした人に国を任せるのってアリ? って世間も思いそう。そうしたことへの配慮が出来ればとっくにポストを外しているけれど、出来ないしやる気がないからこその再任なんだろうなあ。おまけに経済産業相には官房副長官から世耕弘成さん、防衛大臣にはタカ派というよりもむしろ極めて右端に経っていそうな稲田朋美さんを起用。日本軍の過去について異論をぶちまけている人を、組織は違うとはいえ国防であり軍事を司る組織のトップに据えて世界はどう思うか。そういう配慮もだから出来ないんだろうなあ、お友達可愛さに。やれやれ。

 「ワンダーフェスティバル2016[冬]」で結構見て回ったつもりだけれど、それでもやっぱり大幅に漏れていたようで、出展していた企業が集まって出展物を見せる展示会をのぞいたら、あれもあったこれもあったと気付くことしきり。ラグビー漫画としてこれから2019年に向けて盛り上がるだろうラグビー人気を下支えして引っ張り上げそうな漫画「ALL OUT!!」の登場キャラクターがずらりフィギュア化されていて、見るとほんとうに漫画から抜け出てきたようなリアルさを持っていた。なおかつ絵ではただ描かれているだけの筋肉が、太ももも胸板もそしてお尻までもが盛り上がってとっても強そう。抱きしめたくなる完成度。ラグビーに興味がある訳じゃないけどちょっと欲しくなって来た。

 あとは例の都市のジオラマ作りに使えそうなGEOCRAPERからエアポートシリーズが登場する見通し。滑走路があってコントロールタワーがあって屋上が駐車場の建屋があってといった感じでつなぎ合わせると空港っぽい雰囲気になる。とはいえ本格的に作るなら広い場所に滑走路部分だけを何十と並べて隅っこにコントロールタワーを置く必要がありそうで、結構な出費を求められそう。海みたいに4枚セットとかにならにかなあ。そんなGEOCRAPERが何かエヴァンゲリオンとコラボをするそうで、案内だけは出ていたけれど詳細は未定。出来るならゴジラとのコラボなんて見たかったけれど、東宝はそのあたり権利も厳しそうなんでここはカラー1社で済むエヴァとコラボして、第三新東京市を作り上げて欲しいもの。使徒相手に決戦仕様に変化するとなお良いけれど。

 「クロムクロ」展に行って青馬剣之介時貞になろう。ってな感じで東京アニメセンターで始まったテレビアニメーション「クロムクロ」に関連した展示は、主人公で過去から眠り続けてきた侍が手にしている刀のレプリカが飾ってあって平日だと1日3回くらいの時間割で、手にとって記念写真が撮れるようになっている。さぞや頑丈でがっしりしたものかと思って手にしたら、柔らかい素材で振り回すとぽっきり行きそうだったんでおっかなびっくり。手に持ち刀身に手のひらを添えるようにして持ち何枚か撮ってもらったけど、気付かず誰か振り回して壊してしまいそうな予感。アニメーションの方は姫がダムの底に消え円錐みたいなパーツは見つかりいよいよ本格的な侵攻もありそう。助けも来たけど正体は不明で、そんな謎がだんだんと明らかになってく展開がちょっと興味。ずっと見ている少ないアニメだけれど、これは最後までリアルタイムに追っていこう。

 神事であって、伝統としての女人禁制が息づいている土俵の上に今なお女性が上がることが許されない状況を、是と非とするかは難しいけれども理由として当の女性も含めて、納得できないものではなさそう。けれども甲子園のグラウンドで、女子マネージャが学校の練習に参加してボールを渡しているだけで、制止されるというのはいったいどういう理由からだろうか。それは正当化できるのだろうか。大会規定とやらによれば、危険だからというのがひとつの理由になっているけれど、それなら同じ高校生である男子だって、危険な場所に立たされているってことになる。プロでもない成長の途中にあって未熟さ喪有る高校生の男子を、そんな危険な場所に立たせて平気な高校野球の規定って何だ。問われて返せる言葉もない。とはいえそこは高野連を中心にした高校野球ギルドが、それならと女子にも開放するとは思えない。日頃から男女同権を歌っている主催の新聞社だって、これについては書きも触れもしないだろう。欺瞞に溢れた大会。それでも支持され続ける不思議。人間って複雑だ。


【8月1日】 小池百合子さんの東京都知事選当選に、自由民主党から出ようとした小池さんを認めず別に増田寛也さんを候補を立てては、小池さんを応援したら自民党の関係者ならたとえ家族の行為であっても除名だといったペーパーを出して、その思想に対する弾圧とも言える態度を誹られ、肝っ玉の小ささを嗤われていた石原伸晃自民党東京都連会長が、いったいどんな釈明をするのかと注目された選挙後の対応で、予定されていた記者会見をすっぽかして逃げたというからこれはいったいどういう了見だと、さらなる苦笑が立ちあがったというか。すいません力及びませんでしたと一言でも言えば収まるところだけど、それすらも認めたくないんだろうなあ。

 やっぱり東京都議会における自民党のドンとして名前が挙げられていた、自民党都連幹事長の内田茂さんも増田さんの選挙事務所から逃げようとしたものの記者たちに取り囲まれ、とりあえずコメントは出したものの、自分自身の責任についてはやっぱり口にはせず。とはいえあれだけ増田候補を推しに推しつつ、投票日を目前にして改めて、実質的には除名だと口走ったもののだったらどうして本当に除名となってないんだと突っ込みも食らった石原伸晃さんだけに、自民党本部からの追求もいよいよ増してくるだろう。

 それというのも小池百合子さんが都知事に決まった以上は、政府与党であるところの自民党と連携していかなくては政策も動かないし東京オリンピックだってまとまらない。だからいずれ手打ちだって必要なものを、そうやって入り口をふさぎ退路を断つようなことばかり言って選択肢を狭めている。存在自体が厄介きわまりない。3日にも予定されているという内閣改造で経済再生担当大臣の任を解かれたとしても、諸々の役職は残っていてそれなりに地位は保たれている。でもそれだと責任は取れていない。そんな相手がいる場所にいじめられたたき出された格好の小池百合子さんが、笑顔を向けられるはずもないし自民党本部だって協力してとは言えないだろう。

 ここで例えば安倍晋三総理が小日向文世さん演じるところの「真田丸」の豊臣秀吉だったら、石原さんに内田さんとあと、萩生田光一内閣官房副長官の首を斬っては会議室に並べ、自身は土下座でも何でもして「許してちょ」「いっしょにやっていこみゃー」と言って功利に走るんだろうけれど、そういう融通が利くような性格でもなさそうな安倍総理。石原さんに負けず間違いを認めたくない性格で上から目線で臨んでは、さらなる不興を買う、なんてことになるのかな。まあでも小池百合子さんも間抜けではないから、はいはいとききつつ譲歩も引き出しつつ連携しながらしばらくを都知事で過ごし、やがて国政に戻って本気で総理を狙いに行くのかも。稲田朋美さんに先を越されるかどうなるか。どっちにしたってやれやれだなあ。

 九重親方というよりはやっぱり千代の富士関と呼びたい名横綱が死去。膵臓がんとは今敏監督と同じで気付いた時にはもしかしたら手遅れだったのかもしれないけれど、それでも軽いと見せかけ1年くらいを大相撲の前線に親方として立ち続けたのは、それだけ職責に誇りを持っていたからなんだろうなあ。理事長のポストすら狙っていたなんて話もあったけれど、自分の体調を知っていたらそういう職責に付けるとは自身も思ってはいなかっただろうか、今年3月の理事選に出ることはなく、もちろん理事長にだってなろうとはしなかった。

 それでも貴乃花親方が理事長になるのはやっぱり阻止したかったのかどうなのか。互選で後輩にあたる八角親方が理事長となって九重部屋としては高砂一門の牙城を守れたってことになるんだろう。そんな千代の富士関は、現役時代は圧倒的にパワフルな肉体を駆使して力強くてスピーディな相撲を取る力士として一時代を築き、昭和末期の相撲人気を支え平成になって起こった貴花時代へとつなげる役割を果たした。国民栄誉賞を力士として初めて受賞したのも当然の活躍ぶり。戦後における横綱中の横綱として、大鵬さん北の湖さんと並び賞される存在だ言っても良いだろう。

 引退後には週刊誌を中心に起こった八百長疑惑の中で星を買っていたんじゃないか、なんて話も取りざたされた。違う本当に強いけれどもその強さをガチンコでぶつけたら相手は壊れる、それで負けるなら感謝されて負けた方が良いって思わせただけななって話もあって、強さ自体が否定された訳ではないって可能性も。真相は不明だけれどあの筋肉は一朝一夕で作れるものではない。努力があり鍛錬があって強さもあって、その上で勝利の確立を高めようとした、知的でビジネスライクな横綱だったのかもしれない。大鵬さんが2013年になくなって、北の湖さんも2015年に死去してそして千代の富士関。ちょっと続くけれどもこれで大相撲は終わった訳ではない。白鳳関ほか強い力士がいて日本育ちの力士もまだまだ生まれてくる。いつかまた、圧倒的な強さと人気を誇る力士が出てきて、あの興奮をまた味わわせて欲しいもの。千代の富士関には本当にありがとうございました。

 もしもナツキ・スバルが「DAYS」の柄本つくしだったら、最初の村で1万回くらいループしてもへらへらと笑いながら状況を切り抜け、そしてロズワール邸でも襲ってくる魔獣や呪いを相手に12万回くらいループしながら諦めず歯を食いしばってしがみついてやっぱり切り抜け、さらに魔女教団と白鯨による襲撃も130万回くらいループを繰り返そうとも心折れることなく時に泣きながらそれでも笑って突破していったんじゃないかなあ、なんてことを思ったりした「DYAS」のインターハイ予選。出場してろくにボールも蹴れないつくしが、それでも頑張って走ってチームを鼓舞してどうにか勝利。2回戦へとコマを進めた。

 自身はハンドでPKを与えたことを悔いているけど、出ていなかったら負けていたかもしれない可能性を考えるなら気にする話でもない。ループできない場所で精一杯を見せて突破していく強さ。それがナツキ・スバルにもあれば切迫した状況にどうにもならないとぶち切れて、説明できないもどかしさもあって陰険さを丸出しにして周囲を傷つけまくるようなことはなかっただろうに。単なる元引きこもりがループの能力で状況を見通せるようになったからといって、そこで考えもせず突っ走っていくだけで頭を使おうとしない様がどうにも苛立つ。じゃあ考えれば切り抜けられるか、っていうとそれも微妙だけれど、もうちょっとやり方あるんじゃないか、って思いは抜けない。まあでもそこで反省して自分を取り戻したみたいでここは切り抜けていくんだろう「RE・ゼロから始める異世界生活」。。でもその次ぎの試練は……。柄本つくしなら1300万回をループしても笑って切り抜けていくかな。ナツキ・スバルはどうなるかな。

 2003年6月28日の日記にミズマアートギャラリーで2分の1サイズのエンジンもついていない機体を阿蘇で飛ばす実験をしていた映像を見てから13年。「風の谷のナウシカ」に出てきたメーヴェのような乗り物を実際に作ろうとする八谷和彦さんのプロジェクト「Open Sky」がひとつの到達点ともいえる、一般の前で人が乗って離陸しては旋回し、降りてくるという独力での飛行を成し遂げた。それがどうなる、といった疑問についてはだって面白いじゃないか、といった言葉で存分に反論できるけれど、だったらどうするといった部分でエンジンを探し空力を整え、一方で法律をクリアして人が載り飛ぶ航空機を作るという、もしかしたら公道を走れる自動車を作る以上に難しことを個人のアーティストが成し遂げた。

 どれだけの努力があったんだろう。苦労があったんだろう。思えばきりはないけれど、そうした苦労を出さずに成果を見せて喜びを分かち合おうとする八谷さんの明るさ前向きさが、もしかしたらすべてが利益に走りがちな今の世の中を変え、閉塞感にある日本の経済や産業の状況を変える突破口になるかもしれない。これからも続けるのか、ひとまず置くかは分からないけれど、ジェットボードを終えて13年、挑んできたことに成果が出たからには次の夢ってやつも見せて欲しいもの。本人がやらなくても後に続く人はきっといるだろうから。


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