縮刷版2014年4月上旬号


【4月10日】 そうかやっぱり小林清志さんが演じることになったのか、「REDLINE」の小池健監督が手がける「ルパン三世」のスピンオフ映画「LUPIN THE 3RD 次元大介という男」での次元大介の声を。そりゃあまあ当然の流れだけれど同じ小池さんがキャラクターデザインを手がけた「LUPIN the third 峰不二子という女」でもつい最近の「ルパン三世vs名探偵コナン THE MOVIE」でも、初登場からだんだんとこなれていった感じもあるだけに、調子が出るまでしばらく声を出してもらってそしてピークに来たあたりで収録を初めてくれないかなあ、なんてことを失礼ながらも思ってしまう。ルパン三世を演じる栗田貫一さんがもうルパンとしか思えない声を出せるようになっているだけになおのこと思ったりする。

 まあでもそこは超ベテランな小林さんだけにしっかりと声を整え挑んでくれていると信じて上映を待つこととして、映画としてはいったいどんなストーリーが繰り広げられるのかに興味の矛先を向けることにしよう。たぶん「峰不二子という女」に近いシリアスな感じになると思うけれども脚本は岡田磨里さんではなく高橋悠也さんだから、そのまんまの雰囲気ではなく次元としての筋を通すような男臭い話になるのかな。それから音楽。実写版の方では大野雄二さんの起用が見送られたみたいだけれど、おわゆる大野節を導入しなくても菊池成孔さんでもルパンの世界は形作れることを「峰不二子という女」で示すことができた。だったら今回も菊池さんなのかそれとも違う人なのか。それは実写版とどういうニュアンスの違いを醸し出すか。夏に向けて続くルパン祭りから目が離せない。

 ハードディスクレコーダーも満杯になりつつあるんで消せるものから消していこうと「咲 −Saki− 全国編」を最新の話数から遡るように見始めたけれど何か大昔に見ていたころに比べて怪人度が増したというか、神様も出ていれば妖怪も出ていて咲は一種の超能力者だし前に本物の超能力者も出ていたりして普通のプレーヤーではもはや勝てないような状況になっている感じ。さすがは全国大会、って言うべきなんだろうけどそんな神様でも妖怪でもベスト8に残れないんだから厳しいというか、それ以上の学校にはどんな怪物たちが揃っているんだというか。変わらないのは原村和の巨大な胸くらいだよなあ、あとは宮永咲の嶺上開花みだれ打ちといった感じ。まあ清澄の面々はずっとそのままなんだけど。

 それにしてもアニメーションとしては技術が上がっているなあと感じたのは、カンとかポンをした雀稗を並べてパツンと雀卓の角にぶつける時の稗の挙動が本物っぽいこと。おそらくは3DCGでモデリングしたものをそこに使っているんだろうけれど、どういうテクスチャなり色づけなりをしているのか、別段に浮き上がって見えず雀稗の質感を保ちながらもセルっぽい2Dの絵になじんでいる。それとも雀卓の上だという状況が2Dな絵との違和感をあんまり感じさせないだけなのか。どっちとも言えそうだけれどこれを手描きでやっていたら絶対に出せなかった本物感。初期の頃の「咲 −Saki−」がどうなっていたか思い出す術もないけれど、5年で確実に進歩しているってことは確かだろう。そのうちキャラクターまでも3DCGで描かれ違和感もなくなるようになるのかな。「咲 −Saki−」が作った技術革新。ちょっと楽しみ。

 なんだたったの815ページか、って毎度毎度思っていたらたぶんいけないんだけれど、慣れてしまったんだからしょうがないし、実際にそれくらいあっという間に読んでしまうんだからやっぱり足りない川上稔さんの「境界線上のホライゾン 7中」(電撃文庫)。あとがきで川上さんがセルフ突っ込みしてたいように次ぎは下巻でとか上巻のあとがきに書いてありながらの中巻は、そのあとがを書いていた時に中巻を終えて下巻にとりかかっていた関係で気持がそっちに乗っかっていたからってことらしい。まあでも最初っから関東解放だなんて大展開が2冊で終わるとも思っていなかったから、これはこれで順当。むしろ伸びて上巻に中の上巻から中の下巻と来て下の上巻中巻下巻だなんてならなかったことを良しとしよう。それでも存分に受け止める自信はあるけれど。書く側が大変か。

 でもって上巻から始まった長太奪取作戦をとりあえずメインにしながら進む中巻は細川ガラシャがイラストとなって登場したけど何というか自爆テロ上等といった感じでこんな女性を長岡・忠興は好きになってそれで一緒になっていったい何をどうされるのかがちょっと楽しみというか、いろいろ楽しみというか。あとイラストでは人狼なんだけれどネイト・ミトツダイラより胸の大きな糟屋・武則が入らすとになって登場してはやっぱり胸の大きなところを見せている。その胸でいったいどれだけの重量になるのか、それは戦闘に不利じゃないかとネイトは負け惜しみのように考えるけれどもそんなネイト1人分くらいありそうな胸を突けた人狼女王が平気で暴れ回れるんだからあんまり関係ないというか、人狼女王を基準で物を考えない方が良いというか。実際に凄まじい戦闘ぶりをみせるからなあ、人狼女王。ハッサンも最上・義光もよく勝った。いや最上・義光なら本性解放でも互角に戦えるのかな。

 淡々と「艦隊これくしょん」。建造したら愛宕ができたんで据えつつよくわからないけどこれまで出てきたのを並べつつ作戦海域を広げてはいるけれど、やっぱり火力が足りないというか駆逐艦がいっぱいの編成では限界があるのでここはあんまり大外海になんか出ず、近場でしこしことレベルアップだけをやりながら楽しんでいくことにしよう。とくに作戦とかいらず向かえば撃沈また撃沈で勝った気分を味わえるんだからこれはこれで。新しい艦娘が出てくるタイミングも分からないし、合成をして失敗するとどうなるかも分かってないけどひとつ、大破から撃沈だけは避けたいなあ。だから大破が出たら基本撤退。それで良いんだ僕の場合は。ほかの人はそれでも勝利を目指して突き進むんだろうか。擬人化ってそんなところが悩ましい。捨てると非道。でも捨てないと入れ込み過ぎ。どっちが正しいんだろうなあ。

 ニコニコ超会議3の超アニメだっけ何かの出し物を紹介するニコ生の収録があったんで見物に行く。出し物自体はアイマスだとか進撃の巨人だとかいった作品に関する何かがあるってことでそれはそれで重要だけれど、興味深かったのは収録の自在さ。スタート時間が若干押してもそして終わる時間が延びても数分ならそんなに気にせず進めていけるのはネット番組ならではの自在さだし、カメラも大型のテレビカメラじゃなくってハンディタイプのちょい高めのビデオ機器を何台か並べてそれを使って撮っていて、それでも結構な映像クオリティが出ていたりする。

 これがテレビ番組だったらどれだけの設備でどれだけのカメラを並べスタッフが行き来し時間も厳密に進めなければならないか、って考えた時にそういう緊張感から生まれる品質もある一方で、自在さが醸し出すユルいけれども身近な楽しさってのもあるもので、そしてネット時代には後者が好まれるんだってことが分かってきた。昼間に始まったお台場なテレビ局の番組は、そんなユルさに近づこうとしているんだけれどテレビというメディアの巨大さに引っ張られて自在さが出せていないし、テレビにはそんな自在さは求められてもいないというどっちつかず。だからあの惨状ってことになっているんだろうなあ。ともあれ見ていて未来はどっちにあるんだろうか、って考えさせられた収録現場。テレビ局の地盤沈下はこれからますます進んでいくことになるのかな。


【4月9日】 エントリーしてもなかなか入れないって噂の「艦隊これくしょん」にエントリーしてみて夕方にサーバーの解放があるからってんでのぞいたら鹿屋サーバーが開いてたんでクリックしてみたら何かそもままゲームに入れてしまって、これはラッキーなのかサーバーの増強もあって最近は普通のことなのか、分からないけどとにかくとりあえず噂の艦これって奴に乗ってみる。といっても面倒臭がりなので逐一何かするってよりは開いた時間にちょこちょこと出撃をしては周辺警備で経験値稼いでいくって感じ。それだけでもまあ結構な数の艦娘って奴が集まったけれど誰が誰だか分からない。雷と電って違うのか。そりゃあ違うだろうなあ。今ははじめての演習での勝利を目指してレベル上げに勤めよう。

 って今の大久保篤さんってああいう絵になっているの? それともアニメーション化にあたってキャラクターデザインの人が頑張り過ぎちゃったの? って誰だって思うだろう「ソウルイーターノット!」のテレビアニメーション。先週にそのまんまの「ソウルイーター」が放送されててオープニングの超スタイリッシュな映像と超ノリノリなT.M,Revorutionの歌によるオープニングを見たあとだけあって、ふわふわな家庭からべたべたな学園へと流れる展開がとても「ソウルイーター」に見えなかった。でも原作はちゃんと大久保篤さんが描いているからきっと今はそういう絵柄でそういう芸風なんだろうなあ、真ん中に武器になれる少女がいて両脇を天然の女の子と上から目線だけれど本当は寂しい女の子が固めて奪い合いながら高め会っていくというストーリーも含めて。

 まあ個人的には小見川千明さんが出ていればそれで傑作アニメだと思っているし小見川さんがマカ=アルバーンを演じるだけでもう十分なんだけれどその上に、庶民の生活が知りたいだなんて言ってはいるけど本当は友達が欲しいアーニャ・ヘプバーンのうるうるとした目なんかが重なってもう最高。ああいった心理状態の上下左右への移動をうまく表情とか仕草で表現されるとやっぱり見入ってしまう。動きなんかも全体に良いし。どうやら本編とはちょっと時代が遡ったあたりが舞台となっているようで、このあとの凄絶な戦いなんかには至らないまま学園での日常なんかが描かれていく模様。でもそれだけだと普通のドラマと変わりないからどこかに闇が潜んで誘いかける「ソウルイーター」ならではのエッセンスも混じってくるんだろう。見続けよう今シーズンの推しアニメとして。

 ううん、揉んでる感じにあんまり柔らかさがないなあと思った「健全ロボダイミダラー」。何か要素を持っているバンカラな男子がどこからともなく現れた女子に誘われついでに何者かに狙われた挙げ句にロボットに乗るように言われて乗ったけれども動かない。だったらと脇にいる女子の胸をもみしだくとこれは不思議というかある意味当然というか、むわむわとふくらんだリビドーだか何かが少年から発せられ、ロボットを動かし強敵のロボットをあっさりと粉砕する。その際の胸をもむ感じがあんまりいやらしくないんだよなあ、自分が揉んだ場合に手にいったいどんな感触がくるか分からない。何かちょい弾力のある袋を揉んでいるような感じ。それとも胸ってそういうものなんだろうか。揉んでみたことがないからちょっと分からない。誰か正確に胸を揉むとどんな風に手は動き、それにつれて胸はどうへこむのかをアニメに描いてくれないか。それを見てダイミダラーが傑作かどうかを考える。しかしほとんど出オチみたいな展開で、来週以降ちゃんと続くのか。違う場所とか揉んだりするのか。ううん。

 おお、遂に明らかになった北村隆平監督による実写版「ルパン三世」のキャストのビジュアル。その中では銭形警部を演じる浅野忠信さんがもうどこまで行っても浅野忠信さんという雰囲気を醸し出していて、しゃべればどんな感じで動けばどんな感じかってのが映像にならなくても何となく浮かんでくる。つまりはそれだけ個性の強い役者さんってことで、これなら誰がやろうとしても物まねにならざるを得ない銭形警部って強烈なキャラクターを、自分色に塗り替え染め上げてしまってくれているかもしれない。それが銭形警部かって言われてすぐにそうだとは言えなくても、見ていれば必然的に銭形警部だと思えるようになる。そんな映画になっていると信じたい。でもって次元大介はビジュアルあけなら相当に行けている感じ。銃器をどうさばくかってところかな。石川五エ衛門はちょっぴり隠し芸な雰囲気があるかなあ。峰不二子はまあ誰がやっても。

 そしてルパン三世。小栗旬さんがただでさえ痩身なところをさらにダイエットして50キロ代にまで落として演じたってことらしく、ひょろっとしていながらもふてぶてしいルパンをビジュアルだけなら見事に再現してくれている。もみあげがないのが気になるところだけれど、あれも無理につけるとやっぱり隠し芸になるから、そこそこ見えればいいってことで。トレーラーが出てくるのはいつになるのかなあ、それでまたいろいろと毀誉褒貶起きるだろう。でも映画の要点はそこじゃない、アクション、そしてストーリー。そこを北村龍平監督がどうさばいてくれているか。楽しみになって来た。音楽が大野雄二さんじゃないって話が悲観的な理由として語られているけれど、何もかもぶちこわしてギャグにする「ルパン音頭」も絶対に流れないんだと思えば気にならない。そしてファーストルパンの山下毅雄さんの音楽がっかるかもしれない可能性を思い浮かべれば。どうなるか。プロデューサー氏の発表を待とう。又さんなら裏切らないと思うし。うん。

 やっとこさ東朔水さんの「ひぐらし神社、営業中」(ポプラ文庫)を読んだら面白かったよ。貧乏な学生がアルバイト先のバーのマスターに逃げられバイト代を踏み倒されてしまった上に、急にアパートを追い出されてしまい、行き場に迷った挙げ句に辿り着いた神社で出会ったのが瀧子さんという美人。ジーンズにTシャツで口も悪いけど、どうやら千年生きた龍神さまらしく、学生に当座の引っ越し代や生活費になるお金が当たる宝くじを当てさせる代わりに、あることを頼む。それは誰も来なくなって寂れてしまった瀧子さんお神社に何人かお参りする人を連れてこいという話。学生は近所を歩いて困っていそうな人をいろいろ引っ張ってくることになる。その信心で瀧子さんが神様としての力を取り戻すって話なら、割とライトノベルにもあるような感じ。

 ただ「ひぐらし神社、営業中」の場合は、瀧子さんに神頼みをしたくなるのが母親を失った男の子であったり、気弱で借金まみれで逃げたバーの店主であったりと割にリアル。父親のいない子を産もうとしている女性もいるし、父親が借金の肩代わりをしてしまい、それで母親と喧嘩しているうちに、アパートを経営していた祖母が倒れてしまって悲しんでいる少女がいたりと実にシリアス。社会に暮らす人々の持つ悩みを描きそれを神様でもどうしようもできない可能性を示しつつ、それでもえいやっと頑張る神様の頼もしさを見せてくれたりする。ぐずぐず言ってた大学生も、そんな神様を見て気を入れ替え頑張ろうって気になったみたい。良い話。続くかな。


【4月8日】 モー様こと萩尾望都さんに拝謁できる機会があるならこれを逃す手は絶対にないと、思い身支度を整えてご光臨される場所に行く途中に本屋に寄ったら「本屋大賞」って書かれた冊子がワゴンに並んでて、そうかもう発表になったんだなあ気が付かなかったよどれどれ今回は何だろうと開いたら、和田竜さんの「村上海賊の娘」が1番になっててやっぱりなあと思いながら冊子を閉じて書店を出て後、夕方になってニュースとか見てたら本屋大賞が発表になりましたとの報。なんだまだ発表されていなかったのかよ。冊子を買って内容とかぶちまけたらスクープになったんじゃないかと思った一方、本屋さんがみんなで盛り上げるべく、発表まで口裏あわせておく訳では決してないのかとも分かってちょっぴり愉快。

 特定の書店あたりとか盛り上がってるところだけ盛り上がっているのを横目に見てコンチクショウとでも思ったのかな、あるいは商売のネタならフライングだって辞さないぜって意識があったとか。そのあたり神田村は流石。出版社の締め付けに屈しない心意気ってものがまだあるから。それとも単純に知らず出してしまったのかな。分からないけど結果としてやっぱりそれなりに売れてる作品が入ってきたのは本屋大賞の性格というか仕方がないところなのかも。個人的にはそろそろ万城目学さんにも何か賞をと思っていただけに「とっぴんぱらりの風太郎」でとって欲しかったけど、まあこれは山本周五郎賞の方で頑張ってもらおう。候補ってそろそろ出るんだろうか。

 そして我らがモー様のご尊顔に拝謁。毎度のことながら劇団スタジオライフが5月24日から東京は紀伊国屋ホールで「トーマの心臓」の8度目の舞台化ってものに挑むそうでその制作発表に登場されたという次第。過去に幾度か同じスタジオライフの舞台がらみでお目にかかってインタビューもしているんだけれど、何度お目にかかってもやっぱり神々しいというか、国宝級の存在に接しているんだとう自覚が沸いて出てなかなかに緊張する。今回はインタビューはなかったけれど、劇団の演出を担当している倉田淳さんとの対談がたっぷりあったんでお言葉は十分に聞けたんで良しとしよう。それすらも滅多なおとではかなわない御方だから。って静岡の日本SF大会で見たっけ。そういうこともある。

 さて今回の倉田さんとの対談によれば「トーマの心臓」、連載が始まった当初はアンケートで最下位をとってしまったらしく担当の編集からどうしようかやめようか「ポーの一族」と入れ替えようかなんて話もされたそうだけれど、そこは最初に1年という約束もあったはずだからとにかく1カ月は続けさせてとお願いしつつ週に2回とか編集部にも通い原稿を持っていったりしたとか。その時ですら来週も続くんですかと言われたそうだけれど、同じ時期にあの「ポーの一族」の単行本が発売されて3万部が即完売になったことを見てこれは行ける、あとは浸透だけだと判断したのか編集もゴーサインを出した結果が、世界の漫画史に残る作品の誕生へと至ったとか。あそこでうち切られたら他に持っていくことなんて出来ない時代だもんなあ。運もあったし偶然もあった。けどやっぱり底力は実力。それがじわっと広まったんだろう。

 そんな「トーマの心臓」が最初に舞台になったのって1996年くらいのことだっけ、もうとてつもない昔でよく最初、オッケーされたなあという印象だけれどそこから何度も回を重ねてついに8回目という上演。これだけ何度も舞台化を許可されるというのはつまりそれだけ作品を気に入っているってことなんだろう。対談で萩尾さんは「私は『トーマの心臓』はスタジオライフと倉田さんに出会って開花した、ものすごく幸福な作品だと思います」って話してた。「漫画はだんだんと読者層が離れていく状況だったのに、舞台等のジャンルで別の方向に組み立てていただいた。河内さんが選んでいただいた美しい音楽と倉田さんの厳しい演出、躍動感がある役者さんたちが一団となって、毎回舞台を作り上げていく。こんなに幸福なことはない。次の舞台を楽しみにしています」。

 こと「トーマの心臓」に限って読まれなくなることはない、って信じたいけどそこは手塚治虫さんの漫画だって池田理代子さんの漫画だって竹宮恵子さんの漫画だって、時代とともに読まれなくなっていく。そんな折にアニメーション化があったり展示会なんかがあって、ようやく再認識されて漫画が読まれまた次の世代へと受け継がれていくとしたらもう20年近くも舞台化という機会を得て、作品の存在が世に知られ読み次がれていくことを萩尾さんが嬉しく思うのも当然か。なおかつ舞台がまた良いらしい。もとより男性しかいない劇団で、男性だけの世界を描いた「トーマの心臓」は実によくマッチしている。美しさがあり儚さもあるその世界を再現するにふさわしい劇団を得たこともこうやって、「トーマの心臓」が長く親しまれている背後にあるんだろう。そんな舞台はいったいどういうものだ。取材はしててももしかしたらまだ見たことがなかったかも。今回は絶対に行こう。何としてでも。仕事なんて放っておいても。どうせろくでもない仕事だし。うん。

 いやあ凄い凄い「ニコニコ超会議3」が凄い。どんなコーナーがどんな感じに出るのかを最終的に発表する会があったんで六本木はニコファーレに行ったらいきなりダイオウグソクムシだっけ、あれを使ったスマホケースなんかが売られたりするというからもう爆笑、っていうかそういうコーナーがあるんだ。いったい何やってくれるんだダイオウグソクムシたちは。でもって超うたってみたやら超踊ってみたやらいつもどおりのコーナーがいつも以上のパワーで繰り広げられる上にあのふなっしーまでもが参戦して踊ったりうろついたりするらしい。実は船橋に住んでいながらまだ見たことがないふなっしー。果たして出会えるか。人もいっぱいだろうから無理かなあ。偽物とかいっぱいいそうだけれど。

 そうしたユーザージェネレイテッドな祭りも楽しそうだけれど、そこはニコニコ超会議ならではのスペシャルなイベントも盛りだくさん。その筆頭が大相撲超会議場所。最初はその話を聞いたときに人気力士が何人か出て土俵に立って立ち会いを演じたり子供たちに胸を貸して転がして遊ぶだけかと思ったら、全幕内力士が参加してのトーナメントとかをあそこで開催してしまうとか。今回は白鵬関に日馬冨士関に鶴竜関と3人になった横綱がどこよりも早くそろい踏み。トーナメントのどこかで当たれば対戦もあるってことで相撲ファンならずとも見ていたくなるだろう。そしてそこではわんぱく大相撲なる子供あいてのぶつかり稽古も行われるとかで、あのひろゆきにホリエモンも参戦して関取の胸を借りるという。まあ負けるだろうけど、それでもどんな風にこてんぱんにされるのか、ちょっと見てみたい。

 アニメのブースなんてのも立ち上がってそこでは野水伊織さんとブリドカットセーラ恵美さんが司会を務めつつ様々な作品を紹介するとかであの「テラフォーマーズ」に関する発表もあるらしいけどそもそもあれをアニメにして良いのかとかってところが悩ましい。Gだものなあ、巨大な、そして人もガンガンと死ぬ、面白いのかなあ。あとはホリエモンがプロデュースしたカレーが食べられるところか。プラス石破幹事長のカレーも。ホリエモンのはごろりと飛騨牛が入っている上ににんじんとじゃがいもも溶かさずゴロゴロと入っているとか。そりゃ美味しそう。石破幹事長のはちょっと不明。どっちを食べるだろう。去年はホリエモンのプロデュースした刑務所弁当を食べたっけ。でもホリエモンも行っていたけどあのコーナーで真っ当な食い物がそれしかなかったから売れただけで今回は他も強いって言っていたから連覇は難しいかも。限定メニューは王虫のオムライスに気が向くなあ。食べないけど。

 とにかく盛りだくさんで歌ってみたに参加したり相撲を全部みたいと思ったり無料でプロのミュージシャンやシンガーをみられるコーナーで入り浸りしたいと思ったらそれで1日が過ぎてしまう感じ。そういう集中もいいし、内を見るでもなくあちらこちらをふらふらしながらあいてる場所で時間をつぶしつつ、普段はネットという場でカテゴリー事に独立しているさまざまなジャンルが一同に介した場でこんなものもあったんだ、あんな人がいたんだって発見をするのもひとつの楽しみ方。リアルな空間が持つ意味ってのはそこにある。だから行くしかない。幕張メッセ近いしね。どんな出会いがあるかなあ、今から楽しみ。もちろん誰か美少女と出会って仲良くなるなんてことはあり得ないけど。それは確実。ちょっと寂しい。神社に詣でようかなあ、誰かと縁結びしてくれるそうだし。


【4月7日】 そして気が付くと女子サッカーのなでしこリーグでINACレオネッサ神戸がシーズンスタートから2連敗していた。ちょっと吃驚。だって去年負けたっけ。その前の年に負けたっけ。それくらい負けとは縁遠いチームが去年は今ひとつだった浦和レッズレディースに負け、そして強いけど中の上くらいのベガルタ仙台レディースに負けてと信じられない敗戦を喫している。何でだろう。選手層はとにかく分厚くU−20女子ワールドカップで大活躍した田中陽子選手も仲田歩夢選手もリーグ戦ではなかなか出られなかった。その出番がようやくまわってきてさあこれから、ってシーズンを出足でつまづくとはいったいどういうことだろう。ちょっと分からない。

 いやまあ確かに得点力のあったチ・ソヨン選手が抜けたり大野忍選手が抜けたり守備と攻撃の要ともいえる近賀ゆかり選手が抜けたり得点力がずば抜けていた川澄奈穂美が抜けたりと大きく戦力は変わっている。でもそれで衰える戦力ではなかったはずで、いったい何が起こったのか、って理由を探るとやっぱりたどり着くのはガイナーレ鳥取をどん底へとたたき落としたあの人が、監督としてやって来たことになるのかなあ、やっぱり。そもそもがどうして迎え入れられたのかが理解不明だった訳だけれど、こうやって連敗を喫するとやっぱり迎え入れられたこと自体も理解不能だったってことになる。ここからどう修正してくるか。そのまま行くのかそれとも。次の試合のアルビレックス新潟レディースは伊賀に勝ちベレーザに引き分けて来ただけあって手強そう。3連敗となれば動くだろうかどうだろうか。試合の行方から目が離せない。

 シネコンが増えるからといってどんな映画でもかかるようになる訳じゃないと言っていたのは、もう10年以上も前の角川歴彦さんだったりしたけれど、現実にシネコンが増えてあらゆる場所で映画が見られるようになったところで、あらゆる映画が見られるようになった訳ではなくむしろ、売れる映画が長くかかって売れない映画は規模が小さく時間も悪くそして期間も短い中でどんどんと過去に追いやられていてしまう。映画にとっては受難かもしれないこの時代に、福音となるのは単館なり二番館三番館と呼ばれる独自の興行を行っている映画館なんだけれど、そこどんどんと減っているってのが一方にある現実で、施設的な問題もあればはやる映画しか見に来ない人の心理もあって観衆が少なく、収入がおぼつかないまま廃業へと追い込まれていく。そういえば吉祥寺バウスシアターも仕舞ってしまうんだよなあ、理由がどこにあるかは分からないけれど。

 だから地本草子さんの「路地裏テアトロ」(ぽにきゃんブックス)にあるような、街にある二番館で未だに映写機でもってフィルムをかけている映画館が、ちょっとやそっとの存続運動で1回2回を満杯にしたところで、存続がかなうってことはたぶんない。シネコンでデジタル上映が増えていってフィルムが少数しか作られなくなるとなおのこと、街の映画館に新作話題作がまわってくる機会は減って興行的に劣勢を強いられる。これはもう保たないってことになって閉館へと追い込まれる。有名な劇場が懐かしまれながら姿を消すならまだ救いもあるけれど、そうでない誰も気にもとめない劇場が消えていく寂しさは、そこに通った近隣の人の中にしか生まれないんだろう。でもそれは近隣の人にとってかけがえのない思い出。そしていつか自分にも訪れるかもしれない思いでもある。

 可愛い女子高生がいたからと、古びた映画館でアルバイトをはじめた大学生の主人公。さいしょは安易に考えていたけれど、そしてわがまま勝手な気持ちでいたけれど、女子高生が真剣に映画のことを考え、そして館主で映写技師でもある少女の祖父が現実を観て映画館を閉鎖すると言い出したこともあって、主人公は何とかしてその映画館を残したと考えるようになる。文中に語られるのは映画産業が置かれた状況でありそれはシネコンの帯刀でありデジタル化の進展であり鑑賞機会の多様化でありと、努力ではどうしようもない変化ばかり。それこそ斜陽が言われ始めた昭和30年代後半から40年代に起こった問題が、今もなお続いているも言える。

 けれどもだからといって映画がなくなる訳ではない。そして古き良き映画の興行が消えてしまって良いものでもない。どうなっているのか。どうすれば良いのか。そんなことを改めて考えさせようとした物語。なのかもしれない、この「路地裏テアトロ」は。読み終えてさて、このあとどうなったかは気になるところだし、主人公に好意を寄せていた同級生の女子大生の巻き返しなんかがあったかも気になるところだけれど、それはまた別の話。巻末にモデルになった映画館として「川越スカラ座」が挙げられていて、聞くとその映画館も結構な苦闘の果てにNPO法人が運営する形になって今に存続しているとか。そういう可能性を世に教え、頑張ろう映画って気にさせてくれる小説とも言える。映画が好きで映画館が好きな人は読んで思おう、映画という文化、映画館という資産を残し伝える方法を。

 ロボットだロボットだタカラトミーがロボットの発表会をするってんで淡路町まで歩いていっていつの間に出来ていた巨大なビルの中にあるカフェでタカラトミーのロボットを見物する。入り口にはずらりとトミー時代に主に作られたロボットたちが。玩具の大回転するロボットなんてのはたぶん子供の頃に玩具店とかテレビCMとかで見たものだけれどその他のロボットとなるととんと記憶にないのはたぶん、ロボットが相当に高価な玩具でそこに無縁な生活を送っていたからだろう。「omnibot」って呼ばれる一連のシリーズなんて本当に巨大でなおかつ効果。聞くとカセットテープからプログラムを読み込んで稼働させるそうでほとんどコンピューターみたいなものが玩具として作られ売られていたってことになる。日本の玩具メーカーって先進的だなあ。

 というかテクノロジーや素材の進化とともに玩具はあるって感じで木から金属へと映り樹脂へと変わっていく中で玩具も軽くなり丈夫になっていった。そしてビデオゲームのような技術が生まれればそれを取り入れた自動で動いたり反応したりする玩具が作られるようになった。コンピュータもしかり。そしてそれが本物よりは安価に手に入って家で楽しめる。横井軍兵さんが「枯れた技術の水平思考」ってよく言っていたけど玩具は世に出てこなれた技術を安価にそして容易に使って作られることによって、誰もが遊べて誰もが楽しめて、そして少しだけ驚けるんだってことなんだろう。トミーの玩具群はそんな玩具メーカーの技術と科学へのスタンス、そして遊びと娯楽のスタンスの両面を見事に表している。そんな感じ。

 今回もそんな技術と娯楽の両面からアプローチして最適な解ってやつを出したってことになるんだろうか。カナダのそれぞれ別の会社が作ったものだけれども6月7月に相次いで投入するロボットは、ひとつが脚に車輪がついて回転しながら進む上に止まっても倒れず立っているという直立センサーのカタマリのような「Hello! MiP」で、もうひとつがテン年代的なAIBOへの回答とも言えそうな犬のロボット「Hello! Zoomer」。MiPの方は手のひらをかざした方に引っ張られるように進んだり、逆に手のひらを押し戻すと後退したりとセンサーが働くようになっている上に、スマホのアプリ上から操作もできるようになっていて、あらかじめ線をひいておくとその線のとおりに走行するらしい。何台か並べてシンクロさせて踊らせることも可能。手の上にお盆をのせてそこに350ミリくらいの缶なりペットボトルを乗せるとちゃんと運んで、そして取っても倒れない。センサーが重心を判断して即座に傾きなんかを修正するみたい。

 これが古来からあるお茶くみロボットなら土台は安定していて、お茶碗をとったところでお盆が跳ね上がるだけで足回りには影響しない。MiPは支えているのが丸い2つの車輪だけ。普通だったら重い荷物をとったら背中側にかかっていた重心が行き場を失い倒れるものだけれど、そこでおそらくは前に体を傾けバランスをとろうとするんだろう。これがあれば食卓の上で冷蔵庫からとったビールを乗せてお父さんの前まで運んでもらうことだって出来るけど、それをやられて嬉しがるお父さんっているのかな。まあでも食卓がとかくぎすぎすしがちな昨今、何か話題ってものを作る上で役立つし、子供がまだ小さければそういうところから科学や技術への興味を持たせることもできる。1万5000円で科学教育。そう想えば安いかも。

 犬型のZoomerの方はすでに海外では発売されてて年間の玩具の最高賞なんかもとったことがあるとかで、なるほどよく動いてよく鳴いてよく懐く。実に本当に犬みたい。話しかければ聞き分けてそのとおりの動作をするし、触らないでおくと鳴いてすりよって来たりする。座りもすれば伏せもするし寝転がりもする、そんな動作を自在にスムースにやってしまうところはなかなか。AIBOなんかだとそのあたり、どうしてもぎくしゃくとしていたからなあ、そこがまたロボットらしかったんだけれど。動きに関してはだから10余年の進歩が確実にあって10分の1以下の値段で同じようなことを実現してしまう。知能だってやろうと思えAIBO以上のことをやれるんだろうけれど、それで3万4万となってしまうと玩具の域を超えてしまう。遊んで楽しくそしてちょっぴり知的。そこのラインが1万5000円って値段に落ち着かせたんだろう。

 ちょっぴり残念なのは、どちらも海外の製品を日本向けにローカライズしたってことで、過去に「omnibot」を世に出しそして最近もi−sobotを世に送り出してタカラトミーのロボット事業ここにありってところを見せていたのが減退しているところ。自前で部品から開発してソフトも仕込んで製品に仕上げるには時間もかかればお金もかかる 。実験的なプロジェクトではない商品として世に送り出すとなるとコストも抑えなくてはならない。だから得意な会社に任せて日本向けに十分かどうか、耐久性なり安全性なりを考慮することに特化するのが1番だってことは分かるけど、ほかに玩具メーカーが少ない日本で業界の1、2を争う会社にはやっぱり、玩具のロボットに挑み続けて欲しいもの。幸いにしてi−sobotの次世代を作る動きは進んでいるようで、いずれその形って奴を世に問うてくれるだろう。また二本脚歩行のロボットロボットしたものになるのか、もうちょっと洗練されたものになるのか、分からないけれども期して待とう、その登場を。


【4月6日】 やっとこさ見たテレビアニメーション「鬼灯の冷徹」の、これがとりあえず最終回になるのかな、地獄のお祭りというか現世でもお祭りのお盆の時期に、亡者が現世へと戻って手の空いた獄卒たちが、骨休みにと屋台で遊んだり盆踊りをしたりといった賑やかで楽しげな風景の中に、地獄ならではのアイテムを混ぜつつ、これまでのエピソードに出てきたキャラクターを盛り込んで振り返ったりと大団円的、あるいはエピローグ的な雰囲気を出している。ずっと見ていればそんなキャラクターもいたっけか、鬼灯に虐められていたなあ、ってことを思い出す懐かしくも楽しいエピソードだけれど、漫画で読んだらどんな感じか気になるところ。淡々としているものなあ。

 それは閻魔様を鬼灯がいじる後半も同様で、疲れた閻魔様との間でひたすら会話を繰り広げてや怪しげなジュースを出して飲ませて吹かせたり、驚かせたりする展開は、大きな動きもなくってその場だけで進んでいく。実に淡々。漫画だとほとんど会話劇だけで成り立っていそうだけれど、それがどこまで面白い感じになっているか、ちょっと想像がつかない。「マンガ大賞」で前に「鬼灯の冷徹」がランクインして来た時に読んだ感じも、描写は微細でも展開は淡々としているなあ、って印象だったから票はほかのに入れた。でもこうやってアニメになったものを見ると、会話の間のちょっとした所作まで描かれていて画面から目が離せず、そして会話も耳に入ってくる。そこが面白い。

 漫画版もきっと、ずっと熱心に読んでいればたとえ淡々とした流れでも、コマとコマとの間に自分で動きを見いだしキャラクターたちの会話の裏側に関係性を感じることによって、深く濃く感じられるようになるんだろう。けれども、そこまで到達できていない人でもアニメ版を見ることによって、あの世界観のユニークさが分かるようになった。ここから漫画版へと戻ると、きっとそれぞれのキャラクターに声がつき、動きが見えて感情が分かるようになるのかな、どうなのかな、読んでみないとそれはまだ判断できないか。結論とすれば、これは良いアニメ化。絵だけを連ねて再現するんじゃなくって、奥行きを持たせ動きをつけ派手に行くにしても静かに流すにしても、オチをちゃんとつけて見たなあって気にさせてくれる。スタッフの人たちに拍手。第2期もあると良いな。

 1人を除いたクラスの全員が暗殺者で、そしてターゲットは残るクラスの1人という設定が現実的にはあり得ないけど、それが成り立つのがフィクションの世界、ってことで新番組として始まった「悪魔のリドル」は10年黒組ってところに集められた少女たちが学園生活をしながら殺し合うといった感じのストーリー。原作漫画もあって「月刊ニュータイプ」に連載されているそうだけれど、「ファイブ・スター・ストーリーズ」は熱心に読んでいても「悪魔のリドル」は何か飛ばし読みしててストーリーとかまるで覚えていなかった。そんなのあったんだ、的な。単行本もまだ2巻しか出てないみたいだけれど、それで1クール保つのかな。ちょっと気になる。

 んでアニメーションは、暗殺者の少女たちが集うにしては昼間の教室が妙に明るく、それがかえって裏側の不穏な空気を感じさせて、これからの展開への居住まいを正させる。いったい何が起こるのか。晴って少女はどうして狙われているのか。漫画を読んでないだけに誰がどうなるかもまだ不明。足とかにぐるりとついた傷なんか彼女にこれまであった何かを想像させるけど、それでこうやって生き延びているんだから意外に結構なタマなのかも。おそらくは自分が狙われていることを知りながらも、明るく振る舞いプレゼントまで渡しているんだから。そんな性格が誰かに助けなきゃって気持ちを起こさせる? 実はそれが異能の力? いろいろ想像も浮かぶけどとりあえずは先を見ていこう。単行本を読むのは終わってからかな。

 「サマー/タイム/トラベラー」とか「サイハテの救世主」について書かなくちゃいけなかったりして仕事場を求めて神保町へと出てとりあえず、書店に入ったら高千穂遙さんの新刊が出ていたんで買う。「ケイリン探偵ゆらち 女流漫画家殺人事件」(小学館文庫)ってタイトルそのままに、ガールズケイリンの選手という大星由良が女流漫画家の殺人事件の謎を追って東京近郊を走り回るってストーリー。そして主人公の由良ことゆらちが元々は、ODAIBA60って国民的アイドルグループのセンターで、大人気だったんだけれど自分が本当にやりたいことを求めて引退し、叔父が競輪選手だったこと、そしてデビュー前から自転車に親しみマウンテンバイクの選手だったこともあって、ずっとやりたかった競輪の世界に飛び込んだという。

 それだけでもキャラ付けの要素は十分な上に、叔父が競輪のことを教えていた女流漫画家が何者かによって殺され、その日にたまたま漫画家に呼ばれて吉祥寺にある300坪の豪邸を尋ねていたこともあって疑われてしまったのを憤り、自分が犯人を見つけるんだといって現場に飛び込んでいく旺盛な好奇心が乗ってとキャラクターの濃さがさらに増す。もうてんこ盛り。そして現場では叔父を疑う警部が実はゆらちのファンで会員ナンバー3ケタという古株で、ゆらちの捜査に協力を惜しまなかったり女流漫画家のアシスタントも古くからつき合いがある友人の漫画家もゆらちのことを知ってて捜査に協力してくれる。何とも都合の良い話だけれどでも仕方がない、ゆらちなんだから。

 つまりはキャラクター性の勝利。元アイドルで競輪選手で探偵好きな少女って設定を作り上げたことで、そうでないキャラクターには無理な行動が可能になった。でもってそんな都合が幾重にも積み重なったキャラクターがあり得ないかというとそうでもない。SMAPでも人気だった森且行くんは、これから絶頂って時期にSMAPを抜けてオートレースの世界に飛び込みS級というトップクラスの選手になった訳で、それが競輪の世界で絶対に起こらないとは限らない。あとは探偵好きかってところだけれど、そこにも叔父が疑われているという理由が乗る。何でもかんでも首を突っ込んでいく訳じゃない。

 そして展開の方では、現役の競輪選手という部分がちゃんと活かされている。たとえ銀座でも奥多摩でも自転車を使って走り移動して聞き込みにまわったり解決へと向かったりする。クライマックスでも大活躍。そんなことがあり得るかという部分では、自ら自転車に乗って走り回っている高千穂さんの経験が生かされているんだろうなあ、銀座から石神井公園あたりまでプロの脚なら20分とか。車でも渋滞だとたどり着けず電車でもそれくらいかかる距離を自転車ならすーいすい。そんな機動力も展開にしっかり行かされている。自転車って便利だなあって思わせてくれる。

 事件の方でも外面は良く人気もあってファンも多い女流漫画家が、アシスタントたちを絶対的に支配して自分を裏切ることを許さない頑なな性格をしていて、それを息苦しく思っているアシスタントがいたり、編集者時代に女流漫画家をプロデュースして大人気にさせ、夫の座におさまりながらも次第に女流漫画家と対立して離婚され、編集プロダクションを開いたものの今は閑古鳥がないている男がいたりと、漫画の世界ならではのエピソードを重ねて事件が起こり得る可能性を示している。

 誰も彼もが疑わしい。とはいえ誰も彼もにアリバイがあったりする状況をいったいどう崩す? そこにゆらちがどう絡む? そこが読みどころ。警察だけでは解決し得ない状況を、元アイドルでガールズ競輪の現役選手だからこそ突破できた部分がなくては、彼女が探偵を勤める意味がないからね。もしも続きがあるならやっぱり、ゆらちが絡む必然って奴がやっぱり必要かも。のべつまくなし事件に巻き込まれるような都合だけは乗せないで欲しいかな。それにしても事件の合間にしっかり練習しているところが凄いなあ、トラックを流したりバンクを駆け下りたりロードに出たり。探偵である前に元アイドルですらなく競輪選手なんだって自覚を持っている。そこが好感。師匠も見習わないと。


【4月5日】 ふと気が付いたらヤングなでしこことサッカー女子日本代表U−17が世界大会でスペインを撃破して世界一になっていた。いやっほー。すべてのカテゴリーのサッカー日本代表で世界一になったのって確か女子フル代表のなでしこジャパンが2011年のワールドカップで優勝したのが最初で最後で、その前のU−17もその後のフル代表による五輪も準優勝止まりだったんだっけ。これで2つのカテゴリーでの日本一が果たされた訳で、なおかつ下の世代での優勝は上のなでしこジャパンにとっても強化につながるから大歓迎、って言いたいところだけれどもここしばらく、見ていて下の世代がごそっと入ってきて上がごっそり抜けるってことがないんだよなあ、それこそ2006年のアテネ五輪あたりから。

 いやそれは言い過ぎだけれどでも4、5年は確実に変化に乏しい。上が強力すぎるのか下が温すぎるのか。今度のU−17を直接に見たわけじゃないから分からないけど、そうだとしたら今年始まる来年のワールドカップ出場に向けた予選に大きな力となってくれるとは限らない。でもって再来年のリオデジャネイロ五輪も今と変わらないメンバーが続きそう。そうでないとしたらここは帰国してそれぞれのチームで最高のパフォーマンスを見せてレギュラー陣に食い込み、そして一気になでしこジャパン入りして大活躍って奴を見せて欲しいもの。期待しよう。それにしても監督が高倉麻子さんでコーチに大部由美さんが確か入っていたんだっけ、2000年代以前のなでしこジャパンを支えた2人がこうして巡って下を教える時代になって来た。それだけ積み重なった歴史を途切れさせることなくさらに積み上げていて欲しいもの。感謝とともに期待しよう。

 さあ「パトレイバー」の始まりだ、絶対に面白いという確信を持って散々っぱら叫んでいたけれど、本日をもってそれが真実であることが満天下にも認識されたことだろう。ってことで朝も早くから電車に乗って行こう行こういつもの新宿三丁目、ピカデリーへとたどり着いたらあんまり人が並んでいなかった。午前7時半から「THE NEXT GENERATION パトレイバー」の劇場版第1章の公開に合わせて発売されるブルーレイディスクの整理券が配られるってんで早くに行ったんだけれど、まだその時間をちょっと過ぎただけなのに外に行列ができていない。

 これが「宇宙戦艦ヤマト2199」だったら果てしなく続く行列がまだ靖国通りの奥まで伸びていただろうに……。そこが40年の「ヤマト」と25年の「パトレイバー」の年期の差というやつか、いやもっと根本的な違いがあるんだろうけれど。だって「ヤマト2199」はアニメで監督は出渕裕さんでテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」への多大なリスペクトを込めてリメイクするって企画。対して「パトレイバー」はあの押井守監督がいろいろ毀誉褒貶はなはだしい実写でもって昔のまんまではない「パトレイバー」を撮るというから、誰もが不安を抱かないではいられない。仮に急いでBDを買ってそして本編を見てアジャパー! となった時に気持ちを持っていく場がないとすると、どうせ余るだろうから後で見てから買えばいいやと思って、朝に並ばなくっても仕方がない。

 いやそんなことはない、見ずとも傑作であると僕が吠えていたから信じてもらえれば良いだけだったんだけれど、それだけのパワーも信頼もないし……。まあでも見終わった人たちにとってはそれが間違いではなかったと分かってもらえるだろう。今頃はどの劇場でも飛ぶようにBDが売れて、予想以上にお金を使ってしまってピンチだという押井守監督の舞台挨拶に答えるようにいっぱいBDを買っていることだろう。

 そう押井監督、1度ならず2度までも最初の舞台挨拶の中でお金を使いすぎたって話してた。でもそれは絶対に無駄づかいではない。お金をかけなくてはいけないところにかけただけ、すなわちセットであるとか雰囲気であるとか、そういったところに徹底的にお金をかけて本物らしさを出したことが、漫画やアニメの世界ではありえた巨大な二足歩行のロボットがその辺にいるというビジュアルを、実写でもありえると思わせ、そこで警察官というルールに従ってしゃちほこばって真面目に働いている人たちの姿を浮ついたものにしないことに成功している。

 誰もが真剣。何もかもが本物。だからこそこの世界とのギャップって奴が感じられて真面目なんだけれど面白がれる。そして笑える。それを狙ったからこその無駄づかい……じゃない有効なお金のかけかたをしたんだろう、押井守監督は。仕方がない。とはいえやっぱり予算は足りない。どこで埋めるか。それは見た人が押井監督やスタッフやキャストの人たちの真剣を感じ取って、BDを買い劇場に何度も足を運ぶしかない。たぶん自然にそうなるとは思うけど、それでも残る不安はこうして面白さを件でんすることによって少しでも払拭させたい。それがオシイストってものだから。うん。

 さてストーリーはといえば、テレビ版のアニメに出てきた初代が抜けて誰の記憶にも残っていない二代目もいなくなって今は三代目のメンバーになっている特車二課。2班体制は消えて6人が1つの班で3人づつのシフトに別れて勤務しているという過酷な状態な割には、誰もが漫然とその日常を送っているという状況。それというのもパトレイバーなんて二本足で歩くロボットが出張って何かを解決するって機会もそれほどなく、レイバーという存在を他の分野で運用するための実験としても、他で運用する可能性が乏しい状況では必要とされない。つまりはお荷物。そんな状況だからこそ隊員たちは寄せ集めのような感じに二課へと送られ、まずない出動に備えながらカップラーメンを食べたり炒飯を食べたりゲームをしたり鶏を育てたりしている。

 そんな三代目たちの怠惰で漫然とした日常って奴が、エピソード0となった整備班の面々の熱意だけはたっぷりある日常、それを満足とも不満足ともいえない不思議な気持ちで見つめ昔を語り今を語る、整備班長のシバシゲオさんの独演でもって描いたあとにエピソード1として語られる。そうかだいたいこんな日常か。そしてこんな奴らか。篠原遊馬ならぬ塩原佑馬は現代風の若者で、泉・野明ならぬ泉野・明は割と自分勝手で佑馬から友達いないだろうと散々っぱら突っ込まれる。仲良くなさそうだなあ2人。ただし明、レイバーだけは好きな様子。山崎ひろみではなく弘道は背が高くて優しくて鶏の世話が大好きで、進士幹泰ならぬ神酒屋真司は家庭が崩壊して離婚されてギャンブルに狂っているおっさん。太田功ならぬ大田原勇に至っては正義はあってもすでに酒で焼けてしまったアル中というていたらくで、緊急時に酔っぱらってて出動すらままならない。

 香貫花クランシーになぞらえらえるカーシャは細身の黒いカットソーがエロいけれども、下手に手を出すと銃剣で貫かれそう。そんな異常な面々を束ねる後藤喜一隊長ならぬ後藤田継次隊長が、昼行灯というより仕事に真面目なようでいて仕事に心を入れてなさそうな感じ。真面目な顔して妙なことを吠えまくる。いったい何? 違いすぎない? そりゃそうだ、だって三代目なんだから。前と同じなはずながい。前の面々が見たいなら前の作品を見ればいい。これは新しいパトレイバー。新世代のパトレイバー。だから新しくそしてこれから作られていく。舞台挨拶に立った真野恵里菜さんも、前の作品は見ず自分自身を出そうとしたと話してたし、筧利夫さんも後藤さんとは違う後藤田という役を目指したって話してた。

 重ねて見たら違うけど、その違いがすぐ気にならないくらいにそれぞれの個性が出た役になっている。1年が経って何度も見込めばそこには前なんて気にならない、忘れてしまうくらいの三代目たちが存在するようになるだろう。だから見続ける。真野恵里菜さんのお尻を。いやそこじゃないけど。でもそこなのか。2回目の舞台挨拶ではまだ上映前ってことで見所を聴かれてみなさん、ネタバレは言えないからと真野恵里菜ちゃんのお尻を挙げていたようだし。いや案外に本気で見所と思っていたのかも。実際そうだし。あとはカーチャの胸とか、整備班にいる女性陣のちょっぴり汚れているけど意欲満々な顔かなあ。そんな映画。もう1度2度劇場で見たいなあ、次回の予告も含めて。今度は本気でレイバーが動きそうだし。ってか何だ「鉄拳アリス」って。

 ポール・マッカートニーを見てザ・ローリング・ストーンズを見たからには、やっぱり見ておくかとおもいつつ最初は遠慮してチケットを申し込まなかったら何か急に追加公演がそれも土曜日にあるってことで、申し込んだら当たったんでボブ・ディランを見にダイバーシティのZEPPに行ったらボブ・ディランを聴くイベントになっていた。だって見えないんだもん舞台。平場に背のでっかい男が満ちるともう何も見えなくなるスタンディングのステージって法律で禁止すべきだと思う。あそこは椅子席も時々置くからあまりステージを高くできないのかなあ。まあでも隙間から本人は見えたんで良しとしよう。全体にブルーズな感じの曲を多くやったって感じで、シャンソンめいて語りに抑揚がつく感じがなかなか。知ってる曲は1曲もなかったけど、枯れてなお響き渡る声だけ聴いていても結構楽しめた。2時間に満たない時間でもMCとかなくぶっ通しで1時間近く歌って、10分休憩してまた歌ってといった感じにみっちり。知ってる人が観たら割と楽しめたんじゃなかろうか。これで御三家を抑えてあと誰を見れば20世紀をコンプリートできるだろう。マドンナかなあ。来てくれないかなあ。


【4月4日】 実を言うと「ヤングキングアワーズ」の連載はどこか間合いが違うというか感覚が合わないというか、素材はとっても美味しいんだけれどどこに焦点を絞ればいいのかがあんまり分からず追いかけていなかったりしたんだけれど、こうやってテレビアニメーションが始まって見てみると「僕らはみんな河合荘」、シンプルに少年が意気軒昂とばかりに一人暮らしを始めた先の下宿にいたのが変態だったり酒乱だったり剣術使いだったりと不思議な奴らばかり。そんな中でも逃げ出さず落ち込む暇なんてなしになし崩し的に同窓の生活を始めるといった展開になっていそうで楽しんでいけそう。

 城崎ってルームメイトは変態で学校でみかけた美少女の律は無口というより無愛想で、そして河原で飲んだくれていた麻弓さんはエロいボディに下品な思考とそれぞれにしっかりキャラが見えている。それらが順繰りに出てくることによって混乱もせずキャラクターを覚え主人公との関係性を作っていけるから1話を見終わってどうにかこうにか人間系を把握できて、これからのエピソードを見ていく心構えができた。続いて同じ河合荘に住んでいる彩花さんとか加わって管理人さんの住子さんもいれた主要メンバーは出そろって、そこからいろいろとエピソードが積み重なっていくんだけれど、どんな話があったっけ? アワーズずっと読んでる割には印象がないんでそこは毎回を新鮮な気持ちで見ていくことにしよう。しかし麻弓さんエロいなあ、ローライズのパンツで地べたに座った腰にお尻の割れ目がしっかりのぞいていたもんなあ。描いた人に喝采。

 もしも近藤喜文監督が存命だったら、スタジオジブリのラインアップももう少し変わったものになっていたかもしれないし、スタジオの位置づけ自体も変わっていたかもしれない。宮崎駿監督に高畠勲監督の2本柱に並び劣らない3本目の柱となって「耳をすませば」に続く傑作アニメーション映画を撮っていたかもしれないし、テレビの方へと出てシリーズなんかを作ってジブリを映画専業ではないマッドハウスとかのようなスタジオへと発展拡大させる力になっていたかもしれない。徳間康快さんが存命だった折、CSチャンネルなんかへと出資してチャネルの拡大なんかを画策する中でジブリの持つ制作能力を組み込もうって腹づもりもあった。それに答える体制を整えもっといろいろな作品に挑戦する有力スタジオになったかもしれない。

 それが近藤喜文さんの死去でがらりと変わってしまった。それともやっぱり映画中心でいったから大きくは変わらなかったのかな。少なくとも「ゲド戦記」の宮崎吾朗監督や「借りぐらりのアリエッティ」の米林昌弘監督は登場がもうちょっと遅れたかもしれない。あるいは細田守監督がちゃんとジブリで「ハウルの動く城」を撮り挙げてその結果、「サマーウォーズ」や「おおかみこどもの雨と雪」は生まれていなかたかな。やっぱり歴史は大きく違っていただろう。それほどの逸材だったんだけれど47歳で死去、って今の僕より若かったんだ。ちょっと驚き。そしてやっぱり募るもったいなさ。詮無いことだけれどでも、ずっと思い続けるんだろう、スタジオジブリがある限り。

 そんな近藤喜文監督の仕事を振り返る「近藤喜文展」ってのが7月4日から8月31日まで、新潟は朱鷺メッセのそばにある新潟県立万代島美術館で開催。何で東京で、東京都現代美術館でやらないんだって憤りはあるけれど、そこが近藤喜文さんの故郷だから開催されて当然か。行けるか分からないけど極力行きたいなあ、だって僕は「耳をすませば」が大好きなんだ。きっと関連の展示がいっぱいあるだろうし、「赤毛のアン」や「ルパン三世」「未来少年コナン」「魔女の宅急便」といった作品に絡んだイメージボードとかイラストとかも見られるだろう。宮さんが描いた躍動感がややあるものとはまた違う、楚々として美しい少女たちを間近に見られそう。これはやっぱり都合をつけて行くしかないかなあ、日本SF大会に参加するお金を回せば交通費くらいにはなるものなあ。悩ましい。

スチームパンクで職場に行ったら何言われるかなあ  阿佐ヶ谷が地元にアニメーション関連の企業が割とあるってこともふまえてJRの高架下に阿佐ヶ谷アニメストリートを造って地場産業的に盛り上げようとしている傍らで、池袋も乙女ロードがあったりアニメを上映する映画館が割とあったりすることから、アニメ映画の街として盛り上げようってことで池袋シネマチ祭ってのを6月6日から8日に開催するらしい。いったい何をやるんだろう、どんな映画がかかるなろう、ってことはサイトからだとまるで分からないけれど、開催を報じた新聞によれば「機動戦士ガンダムUC」とか「NARUTO」とか「魔法少女まどか☆マギカ」に関連した上映やらイベントがあるそうで、その時期にあんまりそうした作品に触れられないこともあって結構賑わいそう。新文芸坐なんて毎週のようにアニメのオールナイトをやっているから、この時期はさらに強化して24時間アニメ上映なんてことをしたりするのかな、しないかな。ちょっと気になる。

 せっかくだからと原宿のラフォーレで1日から始まったKamaty Moonさんの期間限定ショップに2度目の見物をしゃれ込む。春休みの金曜日だけあって午後の原宿はすご人出。でもってそんな原宿でもおしゃれの殿堂にあたるラフォーレ原宿の1階出入り口付近に設営されたブースには、ひっきりなしに人が立ち寄りフィギュアを見たり買ったりしていた。結構な美少女とかがチェシャ猫のフィギュアを買っていったり鎌田光司さんが現場で粘土をこねてフィギュアを作る様に見入ったりと、ホビーなのに女性受けがめちゃめちゃ良いのはやっぱりその可愛らしさがあるからか。ワンフェスでもキャラクターフィギュアの洪水にあってしっかりとファンを得て、そしておしゃれが並ぶ原宿でもしっかりとファン層を得る、その両面性が場所を問わない人気の秘密なんだろうなあ。2008年頃から追いかけて6年くらい。どんどんと大きくなっていった。そして造形も巧みさを増していった。頑張ったんだなあ。僕も頑張れば良かったなあ。

 男は度胸で女は愛嬌の間で最強を叫んだファイターエンブレムを祝す日なのかそれとも結城蛍のような存在に喝采を浴びせる日なのかやっぱりマツコ・デラックスさんをデフォルトに存在を感じ取る日なのか、いろいろ悩んだそんな日。どーして3月と5月はあって4月はないんだ、衆道は古来から日本にもあっただろうって思ったけれど、6月だって世界的にはオーメンでも日本的には何もなく、8月だってお台場のテレビ局が騒ごうとも世間的には平穏無事。一方で7月は織り姫と彦星が接触し9月は菊を酒に浮かべて一献といく。11月をのぞいた奇数月のぞろ目には何かがあっても偶数月はないって決まっているんだから4月4日が女や男に混じらない存在のための節句にならなくっても仕方がない。じゃあいつ祝うのか。3月も5月もどっちも祝えば良いんだよ、それがトランス、壁も何もかもぶちこわす。


【4月3日】 経緯とかよく分からないけれども南極海における調査捕鯨への横やりは、やっぱり調査捕鯨とかいいつつ鯨が食べられなくなるのは日本の民族的に悲しいことだといった意見を出してしまったことでやっぱり調査捕鯨じゃないじゃんという突っ込みを招いてしまったことでもはや反論の余地がなくなってしまったというか、それを言ったら恥ずかしいというか。あまつさえ敗訴を受けた自民党の偉い人たちが、それでも鯨を食うんだといって集まりもりもり食べている様を世界に見せつけ、何て野蛮な国なんだろう、裁判であれだけ非難されてもなお行為を正当化させようとしているんだろうと思われた。恥ずかしいなあ。けどそれをやらないと自分たちのプライドが保てない人たちなんだろう。こうしてプライドを守るためだけに世界を相手の独り相撲が始まって滅びへとひた走る。暗い未来しか見えない。

 少年がご町内を守っている戦隊ヒーローに入りたいと希望したら枠がピンクしかなくって変身するとピンクの女の子ヒーローになって戦う道を選ぶというトランスな設定の「ヒーローの秘密」(少年画報社)がとっても面白い上にエロくもあった今村陽子さんがまたしてもそんなエロくて可愛い女の子(見かけ上)が出てくる漫画を出してくれた。その名も「ひとよひとよに乙女ごろ」は軍人だけれど貧しい家庭の出で上官の命令には絶対な立場にあった男が、強化兵になるよう求められて実験台にされて気が付くと体が女の子になっていたという、良くあるけれどもあんまりない展開。

 軍人にしたのは男尊女卑的なマインドに凝り固まった男子が女子になったらどうなる的なギャップでもって、読む人を身もだえさせようとしたんだと思うけれども実際に軍人から女の子になってしまった主人公、歩き方もしらずがに股になってしまって草履や下駄だと足がはみ出てしまうから洋靴に足を通すよう言われ、それでも開いてしまう裾からまだ着けていたふんどしがのぞいてしまうというギャップぶり。それが上官の家に引き取られてそこにいる妹といっしょに暮らし女学校にも通うように言われてぼろは出せないと女の子になりきろうと頑張る健気さがまた可愛らしさを増幅する。

 乙女と名乗って女子を始めた主人公がいっしょに暮らし始めた日向子さんは軍人の家の娘として楚々としているよう求められつつ実は結構なおてんばで、家からカーテンかなにかを垂らして逃げ出そうとして窓から落ちたところをまだ男だった主人公に助けられていた。そんな時に双方が抱いた思いが、主人公が乙女になったことですれ違うようになり、成就しない状況に陥って双方が悶々。そんな感じの関係性がどうにかこうにかお互いを向くようになってエンディングとなるけれど、どうもそれは一時的な状況で、以後はやっぱり見た目“同性”が続くんだろう。前とは違って知ってしまった互いの心と体。でも前と同じような状況に置かれていったいどんな言動をとるんだろう? って辺りを読みたいけれどもどうやら1巻で終わりのようなんで、そこは想像しよう、身もだえを身じろぎの中で歩み寄る2人の関係を。

 「流星たちに伝えてよ」とか「女王蟻」といったSF作品が描けるんだけれど世間では「おくさん」とか「ちいちゃんのおしながき」といったエロっちかったりほのぼのとしていたりする作品の人だと思われている大井昌和さん。どっちもそれだけ描けるって凄い才能なんだけれど、でもやっぱりSF寄りの方が読みたいなあと思っていたら「起動帝国オービタリア」なんてアクションSFが出て、そして今回「モトカノ☆食堂」なんてリリカルなSFが出た。例えるなら「深夜食堂」の宇宙版といった感じの「モトカノ☆食堂」は、小さい島みたいな星にある「もとかの食堂」を尋ねてくる人に、思いの深い料理を出していくといった話がさまざまなバリエーションで描かれていく。

 狭い部屋にいっしょに暮らしてマグロの缶詰がセールだったからと買い込んで料理を作り食べさせていた彼が姿を消してどこにいったと探した少女の前に現れた彼には彼女がいた。憤り嘆いて密航までした少女だったけれど捕まりそうになって「もとかの食堂」に入るとそこに2人がやって来て、そして少女は店の棚にあったマグロの缶詰を使って料理を元の彼とその彼女に出してあげるという。それで記憶が戻って彼は戻ってきたか? ってのはひとつのお楽しみ。あとは違法のショーなんかをして回っている女が「もとかの食堂」で休みながら、娘に昔ラーメンを作ってやったと話してると、官憲がやって来て女を捕まえようとする。ここは食堂だからとたしなめた女主人が官憲の女に出したのは薄い合成肉のチャーシューとクローン卵の目玉焼きが乗ったラーメン。それは官憲の女が子供の頃、家を捨てて出ていった母親に最後に作ってもらった料理だった。

 すれ違いながらも出会った2人の間にたまっているだろうわだかまりはいったい溶けるのかそれともよりいっその憎しみに変わるのか。分からないけれども憎みながらも思っているその気持ちが再会を経てふくらめば、許しへと向かっていってくれるんじゃないかと思うしそう思いたい。徴税のために星に乗り込んできた役人の息子が、徴税を受ける側の娘と仲良くなりながらも徴税が行われて役人は圧制し娘の父親は憤死したことで、ヒビがはいった息子と娘。長じて役人となったその息子が星へとやって来たらやっぱり長じた娘はテロを画策していて息子を脅す。そこは役人だからときっぱり断り処刑されるのか。自分は申し訳ないと思っていても、相手は仇の息子のようなものでそう感嘆には許せない。分かり合えない。けれどもそこで本気の思いが貫かれ、新たな展開へと向かう。食堂の存在と思い出の食事がつなぐ縁、蘇らせる過去。読めばほっこりしてくる漫画だ。自分ならどんなメニューが出てくるかなあ。

 買ったけどまた観ていない「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新篇]叛逆の物語」のブルーレイディスクには、何ともう1枚ディスクが入っていてそこにはほむほむのアフレコの1stテイクが収録されているらしい。絵がまだ完璧にはできあがっていない時点でシナリオを読んで作り上げた役が、絵がついてストーリーが完全に見えるようになってくるとどこか違ったものになっていて、そのために絵柄に合うように録り直した結果が劇場でのあの迷いながらも最後は振り切り暴走から堕落へと向かうキャラクターになったんだけれど、そうでない暁美ほむらはいったいどんな演技をしていたんだろう、って誰もが思い聴きたいなあと願ったことを、かなえてしまった製作陣ちょっと凄い。リテイクはリテイクでダメなものはダメだから聴かせないのが普通だけれど、こうやって演技の違いを見せることによって声優さんのお仕事の凄さを分からせ、そして映画自体持つさまざまな可能性を感じさせようとしたのかも。そんな苦労の精髄を落ち着いて観られる時は来るのかなあ、どうにも最近気ぜわしい。本気で辞めたくなって来てる。


【4月2日】 越谷オサムさんの「陽だまりの彼女」が超絶ベストセラーになった理由の大半は作品そのものの良さだとは思うけれど、結構な成分を西島大介さんのポップでキュートな表紙絵が担っていることもまた一方では真実だったりする印象。だからなのか続く「いとみち」でも文庫版では西島さんが表紙絵を担当してピンキッシュにキュートな三味線少女でもって店頭を飾り大勢のファンを引きつけた、と思うけれども「陽だまり」にはまだ届いていないだろうなあ。やっぱりアニメーション化なりテレビドラマ化が必要か。いっそ実写の映画化ってのも思ったりするけれど、津軽弁で奥手でなおかつ三味線が弾ける美少女ってハードル高いよなあ。いつかそうなることを期待。

 そんな西島大介さんが表紙絵を担当したってことはおかもと(仮)さんによる「空想少女は悶絶中」(宝島社文庫)もきっとミリオンを突破するベストセラーになったりするんだろうかどうだろうか。帯に「映像化原作収録!」だなんてデカデカと書いてあっていったい何がどこでと思ったら「世にも不思議な物語」でもって前に1駅5分で読めるシリーズに発表した表題作がそれらしくって、何とあの「あまちゃん」こと能年玲奈さんが電車の中で戦国時代を空想しつつ身を戦国武将になぞらえつつ、目の前に立った老女に席を譲るべきか否かで迷う少女を演じるらしい。言葉だとそのあたりは空想を暴走させて記述する形で表現できるけれど、映像だと電車の中から戦国時代へとビジュアルを変えなくちゃいけない訳で、それを演じて鎧兜を身につけた能年さんは大変だったんじゃなかろうか。見てその変換が綺麗になっていたらきっと面白い映像になるんじゃないかなあ、うん。

 しかしうらやましいなあおかもと(仮)さん。「伝説兄妹!」でもって「このライトノベルがすごい! 大賞」から世に出ていろいろと作品は書いてきたけど、とりたててアニメ化されるとかいったメディアミックスはなくって印象としてはひっそりとしていた。それがいきなりのドラマ化、なおかつ能年さん主演でのドラマ化という誰も彼もが夢見るシチュエーションを実現してしまった訳で、おそらくは「あまちゃん」にどっぷりとハマり未だ「あまロス」に身を焦がしているライトノベル作家10万人の羨望と嫉妬をこれから受け止め戦っていかなくちゃいけなくなりそう。

 だってあの谷川流さんだって上遠野浩平さんだって時雨沢恵一さんだって成田良悟さんだってそんな僥倖には恵まれていない。っていうか実写化なんてこの中だと上遠野さんくらい? ブギーポップ。だからやっぱり異例の出世ぶり。この幸運をだからおかもと(仮)さんはバネにして、その作品を「ソードアート・オンライン」までは届かないとしても「ビブリア古書堂の事件手帖」くらいまで伸ばして宝島社の社員の臨時ボーナスを与えるくらいになっていただければ「このラノ」編集部も潤うんじゃなかろーか。こっちはまるで関係ないけど。

 個人的には同じ「空想少女」シリーズでも書き下ろしの「空想少女は潜伏中 腐れ維新」をドラマ化して欲しいかも、って思ったけれども戦国ならぬ幕末の志士に空想が及んで返信した果てに腐れた本をめぐって丁々発止するという展開を、いったいどういうビジュアルでもって表現すれば良いのやら。ただページを写すだけではもったいないと、イケメン俳優を呼んでビーエルさせつつ幕末の志士と新撰組とが切り結ぶような不思議きわまりないドラマになったんじゃなかろうか。それを能年ちゃんが演じられるかというと難しいけれど。茶髪で腐女子でなぜか喋ると土佐弁になるというかそう空想で聞こえてしまう少女なんて誰が演ればハマるんだろう。まあそうも立て続けにドラマ化される訳じゃないだろうけど、これをきっかけにシリーズ化して連作短編となればあるいは月9でも。それはないか。いやあったりして。日曜劇場でも良いよ。

 原宿のラフォーレで昨日からKamaty Moonさんが期間限定ショップを出店しているってんで見物に行く。入り口を入ったすぐ横にいつもデザインフェスタで見慣れたブースを設営しては、レオパくんやら不思議の国のアリスやらといった造形物をわんさか並べてすごい迫力。いつものブルードラゴンもいたなあ。ワンフェスとかも含めて感度の高い人が観て好きになる作品ではあるんだけれど、ラフォーレというファッションの殿堂で果たして造形物がどれくらいの賑わいを魅せるんだろう? って思いもあったものの、見ていると割と多くが通りがかっては作品に目を近づけ感嘆してるからやっぱりその造形、そのビジュアルにファッションの最先端と通じるものがあるんだろう。スチームパンク系のメカニカルなアイテムはもろファッションなんでそういうのが好きな人が買っていきそう。7日までやっているんでまた見に行こう。

 人恋しい女神様は好きですか? って問われて好きだとすがるのが男だと思うんだけれど一方で、ぐっとこらえて弱くて甘いところも見せないのが男って意見も一方にはありそう。稲葉義明さんの「ルガルギガム(上・下)」(ファミ通文庫)の主人公で高校生のソーヤはどちらかと言えば後者の性格で、現代からなぜか遠くバビロンの時代へと飛ばされてしまってそこで身体に改造手術を受けながらも怪物にならず生き延び、逃げていたところを現れた1人の少女に助けられる。彼女こそがその街を統べる女神ラクエル。普通だったら傅かれ敬われて神殿の奥にいるような存在だけれど、なぜか「運命の相手」とソーヤを呼んでつきまとったりして街の噂になっている。

 ソーヤはといえば門をくぐって現代へと戻りたいという“未練”があってラクエルの思いに答えることがなかなかできない。美少女で権力者で実力者でなおかつ自分のことが好き、そんな少女が目の前に現れてどうして靡かない? 傅かない? って誰だって思いそうだけれど、過去にひとりぼっちで身を沈めるっていうのはやっぱりなかなかな決断がいるんだろうなあ。神様といっしょになって5000年を生き延び現代に還る、なんてことも出来そうもないし。なんでソーヤは改造手術で得た能力を生かしつつ遺跡の探索なんかをする仕事もしつつアルバイトもして暮らしていたんだけれど、そこに現れるいくつもの影。ラクエルを恨む別の神様が送り込んできた刺客もいれば、ラクエルに好かれたソーヤを邪魔者扱いする人間もいて迫る危機。そこでもラクエルに助けを安易に求めないで自身の力で切り抜けようとするところに、素直じゃなくって見栄を張りたい男の矜持って奴が見て取れる。でもそれで女の子を泣かすのは最低だし。難しいね虚勢って虚栄って。


【4月1日】 何が何だかさっぱり分からないSTAP細胞をめぐるあれやこれや。4月1日だなんて誰もが嘘をいっているとしか思われない日に、理化学研究所が小保方晴子ユニットリーダーをほとんど名指して捏造とかして論文を作った張本人だと言ってのける会見を開いた一方で、小保方さんはそんなことはないし、3月6日には訂正論文をネイチャーにも提出してあってそれは著者全員の名義になっていると反論文書を発表して、思いっきり不服を申し立てている。これまでの経緯からより信頼度合いの高い方に靡くなら、やっぱり理研が言ってることが正しいって思うのが筋だけれど、内部に小保方さんという人を抱えその捏造を認めた組織が言うことだから、どこかに感情的な部分もあるかもしれないって想像が浮かぶ。責任を1人におっかぶせて逃げようとしているんじゃないかという想像も。

 あるいはこの期におよんでまだ自分の正義を信じる小保方さんのその信念に、どこか信じるに足るところを感じたいという意識も残る。あれだけ手のひらを返され怪しいところも明らかになってなお信じるのはよほどのドMか遺伝子レベルの割烹着ファンしかないって言われそうだけれど、1人の科学者が何か新しいことを成し遂げようとするときに既存の概念なり枠組みとは対立するもの。ガリレオ・ガリレイだって最初は異端者だったな、なんてことまで言うつもりはないけれど、どこかに信じたい信じてみたいという気持ちが残っているのも事実。それだけにネイチャーに送ったという訂正論文がどれくらいの確度を持ったものなのか、それをネイチャーがどう扱うかってところで結果を見てみたい気が。どう転ぶかなあ。そして本当に実在するのかなSTAP細胞。夢はいつまでだって見ていたいんだよ。

 どうせまた赤いんだろうなあ。なんて声が日本中の300万人くらいの心に浮かんだ日だったんじゃないのかなあ、エイプリルフールとはまったく無関係に。むしろ「白いよ」なんてアナウンスがあったらそれこそエイプリルフールだからと疑ってかかってに違いないくらい、あの会社のあのタイトルに対する信念には揺るぎないものがあるように見える。ここまでブルーレイディスクを出さなかったことに、何か理由があってDVDでの一件でほとぼりが冷めた今なら素知らぬ顔で雲は白く海は青い映像を堂々発売したかもなんて期待もちょっとはあったけど、HDスターされた映像がテレビ放送された時の色を見てアカイアカイチヒロアカイと呪詛のようにつぶやいた人の数が200万人くらいはいただろうことから類推するなら、やっぱりそのまま発売されてしまうんだろうなあ。揺るぎない。

 という訳で宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」がブルーレイとDVDになって発売されるのと同時期に、過去の宮崎作品もBD化して集めたボックスなんかも出るようで、それこそ「ルパン三世カリオストロの城」のBDとか出て結構しばらく経っているだけあって、どんなHD映像となっているかってところが話題になりそうだし。何より最近は影絵のようなパッケージに統一されてしまったスタジオジブリ絡みのブルーレイディスクが、ポスターのようなジャケットに一部戻されセットにされるってことでそういう方面からのファンも誘って結構売れそう。ただ今回が初BD化となる「千と千尋の神隠し」については、果たしてどんな映像になるのかってとこで興味を誘うことは確実で、すでにテレビ放映を見て諦観の域に達しているだろう人も少なくない中を、どんな英断を見せるかやっぱり信念に凝り固まるか、そんな辺りが見てみたい感じ。だからといって買わないことはないんだけれどね。それがファンってものだから。「風立ちぬ」は単品とボックスで買ってしまう気もするなあ。

 「職員全員が信頼や期待を積み重ねていったとしても、たった1人の行為がNHKに対する信頼のすべてを崩壊させることもあります」って言葉を外部にいる有識者なりが言ったならそれは当然だって昨今の情勢なんかを鑑みて思っただろうけれど、誰あろう籾井勝人会長が新しく入ってきた局員に向けた訓辞で喋ったとなるとなかなかにシュールというか。それを自覚的に自虐的なニュアンスも込めて言ったのだとしたらなかなかの傑物ってことになるだろうけれど、そうした意識が皆無の中でみんな気を付けろといったのだとしたら、よほどの大物かそれとも事情が理解できない無能かってことになる。さてどっちなんだろう。そして聞いていた新入局員たちはどんな完走を抱いただろう。いっせいに指さして「あんたがゆーなー」と叫んだらNHK、これからの発展も期待できるんだろうけれど。無言で指さすとかでも構わないけど、そこで「ん?」と後ろを向いたらますます籾井会長の大物ぶりが際だちそう。さてもどっち。

 誰だったっけ、って経歴を読み返して角川学園小説大賞で「なしのすべて」という作品を応募して優秀賞に輝き、それを改題した「“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕」(角川スニーカー文庫)を刊行してライトノベルにしては異色のミステリーとしてそれなりな評判を得た人だと分かって少しばかりの懐かしさに捕らわれる。あったなあそういう作品。それを原題で読んで推した時代もあっただけにこうしてハヤカワ文庫JAから「演奏しない軽音部と4枚のCD」という作品を出すに至ったことを嬉しく思う。そりゃあ角川スニーカー文庫でデビュー作のような異色に不思議な構造のミステリーを出し続けてくれれば良かったんだけれど、そういうレーベルでもなくなって萌えシフト異世界シフトも著しいだけに、居場所の無さも感じていたに違いない。そこに現れたミステリーにも強い版元。ここからよいり広いフィールドへと進んでいける可能性も高いんだけれど、それにはまずは「演奏しない軽音部と4枚のCD」が評判にならなくてはいけない。

 んでどうだったかというと、これはとっても面白い。音楽という要素をひとつ軸に起きつつその音楽がマニアックで一般ではまるで知らないバンドだかミュージシャンを材料にして推理のきっかけを作りあげているところがひとつの特徴。それこそ架空のミュージシャンじゃないのか、なんて思ったほどだけれど冒頭の「ザイリーカ」って作品に出てくる4枚同時にならさなければならない音楽CDってのが実際にあるそうで、そんなCDを1枚だけ選んでよこしながら無くなった叔母の働いていた中古CDショップを尋ねていった姪の少女と、彼女の学校に通う音楽の知識が豊富な少年が、秘められていた叔母さんからのメッセージを解き明かしてその無念というか思いといったものを明るみに出す。叔母さんの境遇としては結構シビアで不幸で悲しすぎる気もしなく、もっと早くどうにかしてあげられなかったのかって憤りも浮かぶけど、そこで誰にも頼らなかった強さが驚くべき謎の提示につながったと思うと、むしろ気丈さを讃えたくなる。よく頑張った、って。

 さて本編では文芸部の部長さんが書いた小説の原点を巡る騒動でやっぱり音楽が絡み、学校で相次ぐぼやにドアーズの名曲「ハートに火をつけて」が絡みそこでは初期と後期とで違ってくる音楽のテンポなり質への言及があってと相当な音楽通ぶりが披瀝される。古書にまつわる知識が謎解きに関わる三上延さん「ビブリア古書堂の事件手帖」の音楽版って言えば言えるかも。ギターのCDなんだけれどノイズっぽい演奏とおもえない音が入っているCDの存在が絡んでくる1遍では、主人公の猪突猛進で強者知らずの少女、楡未來の強靱で優しい心根にちょっと感動。そんな彼女だからこそ音楽に詳しいナイーブそうな面倒くさがりやっぽい塔山雪文少年もやれやれと腰を上げて解決に協力したんだろうなあ。

 ってか全体に女子のキャラクター強すぎ。訳でも文芸部部長の廿日市先輩の憎い相手はネットを駆使して誹謗中傷の海に沈めるケケケケケって感じの性格は、美少女っぷりと相まって凄絶な印象を醸し出す。そんな先輩に詰めより話を聞いてくれなさそうだと見ると読んでいる漫画のネタをばらすぞと脅す楡未来も相当なタマだけど。そんな強烈なキャラクター性はなるほどライトノベル出身者ならではの特徴なのかもしれないなあ。でもって事件は超知識的。面白く読めて凄まじく学べるミステリとして、ちょっとした評判になっていくんじゃなかろーか。続きも是非に。


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