縮刷版2013年3月上旬号


【3月10日】 酷い頭痛はいよいよもって花粉が凄すぎるというのか。スカイナーAL錠でもってとりあえず沈静化を図りつつも、頭痛に寝られず起きたりの繰り返しの中で迎えた朝にかろうじて症状も収まったんで、支度をしてとりあえず東京国立近代美術館へとフランシス・ベーコン展を見に行く。名前は割に見るんだけれど大系だってどんな画家かを言えるほどではないという、そんな境界線上にこちらがわの認知としていたけれども並んでいた画家の絵を見てなるほどこういう方面かと刻まれるぐらいに、その特徴が感じられた点はマックス・エルンストとはちょっと違うかも。エルンストも横浜美術館で前に見たけどこれならばエルンストだって掴める感じがなかったのは、その活動が絵を描くってことより行動するってことに重点があって、見ていろいろと考える必要があったからなんだろう、多分。

 そういう意味でならフランシス・ベーコンは、見れば何とはなしに共通するフォルムというかメソッドも見えてそこにある描くことへの思想と描く物との結びつきが、割と感じられる画家だったって感じ。基本的には具象の人で描く物が人体なら人体だったりスフィンクスだったらスフィンクスだったりとちゃんとそう見えるようにはなっていて、それがベタッと塗られた背景の上に乗せられているという、フラットな感じの作品だけれど、人体だったら大きく丸められ歪められ固められたような形になってそこに描き出されていて、人間の示す外側だけから受ける印象とはまた違う、歪み怯え悩み憤るような内面までもがそこにくわっと現れるような絵になっていた。そこが多分見る人に外見の美をいくら求めても消せない内面って奴を感じさせ、引きつけて止まないんだろうなあ、なんて考える。なおかつそうやって歪められたビジョンがまた、フォルムとしても美しいから嫌になる。

 最後の手前の部屋なんかは、3点をちょっとづつ違った形で描いて並べる絵がいっぱいあって、見比べながらそこに何を示したかったのかを考えてみたくなった。1つに絞らず3点とかに並べて描いたのは何だろう、人間の持つひとところには治めきれない揺らぎみたいなのをそこに見せたかったんだろうか。とはいえストーリーを描くかとうとそれは拒絶しぐるぐる回るような感じになっているのもフランシス・ベーコンの特徴らしく、生々流転とかいった感じよりも、やはり瞬間でありながらも揺らぎ重なる多様性って奴を示してみたかったのかも。要研究。透けるスフィンクスとかも何点かあってどうしてスフィンクスをモチーフに選んだのかってことも気になったし、それをどうして透ける感じで描いたのかも知りたいけれど、図録とか重いし置く場所もないんで今日は遠慮、またいつか行って買って読もう、東京国立近代美術館は何度行っても落ち着いて良いんだ、景色の良い部屋もあるし。

 別の展示ではいよいよもって招致活動も本格化しはじめた2020年の東京五輪に合わせたかのように、1964年の東京五輪に関連して繰り出されたデザインに関する展示があって見た感想は一言、昔は凄かった。いやもちろん今も日本のデザインセンスは最高なところもあるけれど、当時の終戦から20年も経っていない中で街はそれこそ今問題となっている中国くらいに建設ラッシュもあって、公害だって問題にされていただろう中で、あれだけモダンでハイセンスなデザインを、高いコンセプトワークのもとに繰り出せたってことが驚きだし、そのセンスを今なおはたしてどれだけ越えているか、分からないくらいに頂点を極めていたことも驚き。なおかつそうしたデザインを手がけた人は、田中一光さんにしたって永井一正さんにしたって宇野亜喜良さんにしたってまだ30代とかだった訳で早熟な上に天才だった人たちが、21世紀になっても日本の第一線に立ち続けたってのもよく分かる。今も現役な人だっているし。

 でっかい日輪の下にゴールドの五輪が置かれその下に文字が書かれた有名な亀倉雄策さんのメインポスターを筆頭にして、競技が何かがひと目でわかるアイコンから、街にある公共施設を案内するピクトグラムまで、どれととっても現代を超えるくらいのモダンぶり。っていうか決定的だからこその公共財な訳でそれをまた、作り直す意味なんてないんだろうけれどもきっと2020年の東京五輪が決まれば、そうした方面に金を叩き込むべく蠢動する人たちが、新しさとは名ばかりの大げさでわかりにくいものを作って投入してくるんだろうなあ。いやそこから次代のデザイナーが産まれてくれば良いんだけれど、常に素晴らしいことより新しいことだけを目的にした昨今の風潮では、ただ使われ使い潰されていくだけになるんだろうなあ、そして誰の記憶にも残らないと。どこからこうなってしまったんだろうって、1964年のデザインが決定的過ぎるだけに強く思った次第。煙草はしかし宇野亜喜良さんがデザインしていたのか、そういうこともする人だったんだ、でも現代で煙草は鬼門だろうなあ、あの文言をも含めた完璧なデザインなんてあり得ないから。その意味でもデザインは活躍できる大きなフィールドをひとつ、失ってしまったってことなんだなあ。健康のために仕方がないとはいえ。

 そして渋谷へと回ってBunkamuraミュージアムでルーベンス展を見物、いやあルーベンスだった、って別に何がそうだって言うこともなくキリスト教とかローマ神話とかがモチーフになった絵を描いていた人っていった経歴をそのまま現した展覧会で、見ていて荘厳な気持ちになったけれどもそうした絵から受ける印象以上に、やっぱりルーベンスといったらネロがパトラッシュとともにずっと見たがった絵といった情報が先にたって、その命を引き替えにしてまで見たい絵ってのがどんなものかを確かめに会場に脚を運んだ人もすくなくないんじゃなかろーか。でもって絵はなるほど人物は精緻な上に肉感もあってまるで生きているかのよう。キリストとかやせ細って今にも倒れそうな聖人って感じでもなく復活したキリストはしっかり筋肉も発達していて喧嘩したら僕では勝てそうもないくらいな印象だった。キリストって背丈どれくらいあったんだろう。天使とかも描かれていたりして荘厳なことは荘厳で、このリアルさこの大きさを教会で見たら子供が打たれ引かれるのも当然か。でも命を引き替えにするほどでは。見せてあげれば良かったのに教会も。そんな会場の外ではパトラッシュが座って募金のお願い。盲導犬のために是非に。ネロのように身の不幸に悲しむ人を減らすために。

 そしてチケットを握りしめて東京ドームへと向かいワールドベースボールクラシックの第2ラウンドでこれに勝てば日本がアメリカの準決勝に進めるという試合を見に行く。豪打でもっていろいろなチームを蹴散らしてきただけにこれはあるいは日本もと思ったけれども流石に野球大国とそして欧州の新興国では格が違ったというか、相手のレベルが日本にとってちょうど良い感じに練習相手だったというかもうポンポンと飛び出すホームラン。これが1本でも最初の台湾戦で出ていれば楽勝できたのにそうでなかった打線がどうしてって思ったけれど、そこが多分オランダのピッチャーの純真さって奴なんだろう、他にはそれが通用しても日本にはちょうどいいくらいに思えてしまうといった。それでもマエケンが降板した後に出てきたピッチャーが打たれ7回コールドの目が一瞬、消えかかったのには冷や冷やしたけどそこでチームメイトの苦境を救おうと坂本選手が満塁ホームランをぶち込みリードを10点差以上に広げて迎えた7回裏をどうにかしのぎ、晴れてコールド勝ちでもってアメリカ行きを達成した。おめでとう日本。

 しかし過去、あれほど韓国との試合を繰り返し繰り返ししてアメリカに渡りそしてアメリカでも韓国との試合ばかりだったのが今回は、それを経験することなくアメリカに渡りそしてアメリカでもすでに敗退した韓国との試合はなし。アジアで1、2を争う強豪でありながらもそれらが出そろわない今回はそれだけ周囲の成長があったということか、あるいは韓国がやや出遅れたのか、分からないけれどもひとつの形として目新しい。とはいえ台湾戦で間違っていれば続くキューバとの試合でとてつもない経験をさせられたかもしれないと思うと立場は似たようなもの。結果から語るよりも過程をもっとふり返り、これから始まる本当の戦いに備えてみるのが良いんじゃないかなあ、オランダ戦だってマエケンがいたからこそのああいう試合だった訳だし。そういう検証が出来るチームかは知らないけれど。監督は評論家だもんなあ。そして初戦の先発まで予告しちゃうというというあっけらかんぶり。これでは勝てないよなあシビアな戦いでは。さてどうなりか。


【3月9日】 あれは2000年7月15日の原宿あたりで開かれた、インディーズムービー・フェスティバルの受賞作なんかを上映する「インディーズムービー・フェスティバルサミット2000」というイベントで、まるで情報とか知らずに見た作品にこれはいったい何だと驚き、こんなにとてつもない作品を撮れる監督が日本にいるんだと知ってからかれこれ13年とかそんなもん? 檀上にずらり並んだ痩身でワイルドな風貌の男達とあと女性も含めた面々が作り出したその劇的空間の格好良さが、今なお続く北村龍平監督への信頼と支持に繋がっていたりする。

 たとえ途中にいろいろ言われようとも、作品について語られようともそれは絶対に揺らがないものとして心に刻まれているから、ここしばらく様子が見えずもう終わってしまったんだろうかと言われながらも絶対に、上がってくると信じて疑わなかった、かというとちょっぴり心配はしてたかな、「ミッドナイト・ミート・トレイン」が全米でちょろしとしか興行されず日本では劇場にかからずパッケージすら売られていない状況とか見て。でもご安心、日刊スポーツのインタビューに登場した北村龍平監督が、いよいよもって4月27日に日本での公開が決まった「NO ONE LIVES」について喋っている。

 その姿は前と変わらずそして自信も未だたっぷり。「スカイハイ劇場版」に「あずみ」と来て「ゴジラ FINAL WARS」へと至った日本での監督歴をぜんぶおっぽりだすようにしてアメリカに渡りいろいろ仕掛けたりしつつも撮れたのって1本くらいでそれも日本では未公開。そんな状況にありながらも少しずつ、着実にキャリアを重ねていった果てにちゃんと1本、こうやって仕上げなおかつもう1本、予定もあるようなのはもちろん、着実な研鑽もあったからなんだろうけれども元からの実力ってものもちゃんとあって、それがラインに登ってきたからなんだろう。まずは目出度い。次もきっとやってくれるだろう、ってニコラス・ケイジは降りたのどうなの?

 そんな「VERSUS」は渋谷パンテオンで開かれた東京ファンタンスティック映画祭とかで見たりしてやっぱりすげえと思いDVDも買って見直したりもしていたんだけれど最近ちょっとご無沙汰気味だった中にこの4月に、スクリーンで見られるという情報があって調べたら何と「VERSUS」で体を張ってアクションを見せてくれたあの坂口拓さんという俳優が、引退してしまうという「坂口拓引退興行 〜男の花道 最後の愛〜」ってイベントの中での上映だった。ちょっとビックリ。ボクサーみたいに引き締まった体で圧倒的なアクションを見せてくれる役者、って印象があって北村龍平監督作品のみならず、多くのアクション映画に登場していながら何で? 年齢だってまだ38歳とかそんなもんで若いのに、って思ったけれども決めたことなんだろうかr仕方がない。実は北村作品以外で坂口さんの監督作品も含めあんまり見てなかったんでこれを機会に「VERSUS」も含めいろいろ見てみようかな、でも見ると惜しくなるんだその引退。

 天気もいいので舞浜に行ってネズミの王国でメルヘンに浸ろう、なんてことはなく舞浜に行ってもネズミの門とは逆方向のイクスピアリを抜けて舞浜アンフィシアターへ。ふうんこうやってたどり着けるようになっていたんだ。でもイクスピアリっていうのはあくまでオリエンタルランドの施設であって、ネズミの王国とは別のもの、そっちへ行った人が帰りに寄ることはあってもそれが目当てで行く人は少なく、ましてやその奥に出来たシアターへと出むいてサーカスというかシルクドソレイユを見る人もそんなにいなかったことが災いしたのか、せっかくの日本初のシルクドソレイユ専用シアターが大盛況になるってことはなく、大震災の影響で舞浜方面への客足も鈍ったこともあって、3年を待たずに店を閉めてしまったのは少し残念。

 最近になってシルクドソレイユを紹介する映画なんかも公開されて、日本人の間にサルティンバンコだのクーザだのといった演目ではなく、総体としてのシルクドソレイユが認知され始めていただけに、頑張ればもうちょっと行けたかもしれない。でもやっぱり無理かなあ、あそこはやっぱりメインコンテンツが巨大過ぎるから。まあだからこそあそこが舞浜アンフィシアターとしてリニューアルされ、珍しい半円形の劇場でステージを見下ろすように客席がぐるりとかこんでいて、そして後ろからでもそんなに遠くない感じでステージを見られるイベントには最適のシアターがが登場したんだからそれはそれで意味もあったのかもしれない。

 そんな、ファンと役者やタレントが触れあうには最高の空間、ってことでのぞいてきた「ときめきメモリアル Girl’s Side」のイベントも、詰めかけた99・999%は女性といったファン層と、登場する声優さんたちとの距離感も良ければ雰囲気もアットホームに暖かい雰囲気を持った良い感じに仕上がっていて、野次馬な男子でも結構というか心の底から楽しめた。今日は最初の1本から3キャラクターとそして2作目から3キャラクターが登場して彼らとのデートを楽しむって内容。進んでいくゲームを眺めるような感じになっているんだけれど、こっちを向いていろいろ喋るキャラクターたちの美声とそして甘い言葉に観客はきゅんきゅんしっぱなし。鈴木千尋さんの声で「アンドロメダ姫」だなんて言われたら、もう女子でなくって男子だって心が踊り出す。

 日常会話でまともに聴いたらナニコレ的な言動も、ゲーム発でなおかつそのファンたちがいっぱいという空間では、お約束的に受け入れられるってこともあるんだけれど、それ以上にやっぱり誰もがドリーミーな世界を求めていて、それがかなう時間を少しでも堪能したいって気持ちがあったればこその、お互いがお互いを求め合うような雰囲気が場内を包んで、居心地の良い温かくって優しいイベントになっていた。このあたりは、無理に突出して目立とうとしたり自分の世界に閉じこもって周囲を見ないファンもたまにいたりする、男子のファンが圧倒的なイベントとはちょっと違うかなあ、もちろん大半は男子も女子も関係なく、まとまって良い空気感を作り出しているんだけれど、それだけに1人でも悪目立ちするととても気になってしまうんだ。そしてそれが全体を象徴するものとして見なされるこの悩ましさ。自覚するしかないんだろうなあ、あるいは全体の温かい空気感にひとり突出できないような気分を抱かせるか。

 2時間ちょっとで値段的に折り合うか、っていうと分からないけどでも家でひとりでゲームをしながら、好きなキャラクターの攻略に勤しんでいるのとは違う、大勢でこのキャラクターが好きだ、この声優が好きだ、このゲームが好きだっていう気持ちを共有できて、そして一緒になってきゅんきゅんできる機会というのはやっぱり貴重。それを作り出してくれたって意味での価値を感じて帰った人もきっと多いんだろう。1回が2000人でそれが計4回、うち初日と2日目はゲームが代わりそれぞれ1回目と2回目でゲスト声優も少しづつ入れ替わるようになっているから好きな人は全部見たたもしれない。そんなイベント、男子向けのゲームソフトで今できるかなあ、アイマスだったら可能だけれどもどちらかというと声優さんの顔見せ興行的な感じで、キャラとの一体感を味わうっていう風になるかっていうと。その意味でもひとつ、貴重な体験ができた感じ。長く続くといいな、この人気。


【3月8日】 せっかくだからとのぞいてみたヨドバシAkibaの8階にあるペッパーランチのメイドカフェぶりは、なるほどそれっぽい店員さんがうろちょろしていたけれども普通にアンナミラーズ的な可愛い衣装ってだけで、別にハンバーグの上にソースでハートマークとか描いてくれそうもないから急いで試すこともなさそう。むしろテーブル席が増えてカウンターが減って1人だとちょっと入りづらそう。時間を外してもテーブルは1人客とかで埋まりカウンターもいっぱいなんてことが起きやすいんだよなあ、こういう配置って。メニューはちょい変わって肉塊なハンバーグとかが増えたのは気になるけれど。300グラムかあ、食べ応えありそう。でも今の内臓だとちょっとキツいか、歳も歳だし。

 そしてツイッターから名前で検索していて本家のVIZメディアのツイートでトーレン・スミスさんの訃報を追悼していたのを見つける。日本の漫画がアメリカの漫画産業において重要な位置を占めることになると信じて活動して来た彼は正しかったと讃えている文章と、そしてVIZメディアの立ち上げに大きく貢献したことへの御礼からは、トーレン・スミスという人がいなければアメリカにあの時代に日本の漫画市場は立ち上がらず、またラインアップも今に至っているようなものとは違うものになったかもしれなって想像が浮かぶ。別のコミックスアライアンスってとこにも追悼記事が出ていて、そこには士郎正宗さんの一連の作品とか、高千穂遙さん原作による漫画版「ダーティペア」の表紙なんかも並んで、何をどれだけどうやったかが分かるようになっている。本当にいろいろなことをやっていたんだなあ。

  講談社と共同出資で押井守監督の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を作った英国のマンガ・エンターテインメントによる追悼記事も出ていて、こちらは詳細にその生い立ちから経歴までをも追いかけてあってちょっと驚き。あの「トップをねらえ!」に登場したスミス・トーレンってキャラクターの画像まで出ていてどれだけの影響をアニメーションの世界に与えたのかが見て取れる。もしも初期の士郎正宗さんを紹介する活動がなかったら、欧米で士郎さんが今ほど知られることにはならず「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」もマンガ・エンターテインメントが出資せず作られないまま欧米に紹介されず、押井さんの名も広まらずそれをウォシャオスキー兄弟やジェームズ・キャメロンが見ることもなく「マトリックス」は作られない歴史ってのが、あったかもしれないと思うとやっぱり偉大な人だったんだなあ、トーレン・スミスさん。改めて瞑目。

 さあてアルガルベカップだ、ってテレビを着けたら多摩市陸上競技場が移ってた、メインスタンドはあっても反対側は土手になっているという、例の。いやそんなことはないんだけれどもポルトガルではあってもすべてがサッカー場って訳でもなく、そもそもが避寒地に集まりトレーニングがてら試合をするような大会でご大層なスタジアムが使えるはずもない。そんな大会を金科玉条の如くに讃え崇めて勝てよ進めよとあおり立てるのは愚の骨頂。むしろどれだけの人が戦力になるかを見極めつつ、普段は集まれない選手たちの連携を計っていくのが目的と決めてもっと若手を使えば良いのに相手がドイツで中継もあるってことで佐々木監督迷ったか、9人もワールドカップのメンバーを入れて体裁を整えてみせた。それで1点を早々と失い追いついても突き放されて敗戦ではちょっと。攻撃は形になっても得点を奪えない体質はやっぱりなかなか改善しない。ならもっとディフェンスを鍛え中盤を鍛えるようにしないと。次はだからそういう目的で選手を使おう、もちろんゴールキーパーは山根恵里奈選手だ、対岸のカサブランカからも見えるという、巨大な。

 そんな裏でワールドベースボールクラシックがあったり日本アカデミー賞があったりと忙しいチャンネルザッピング。とりあえず眺めていた日本アカデミー賞は主演男優用にローマ人が輝いたりしてちょっと珍しかったけれども裸じゃなかったのは残念。あとアニメーション賞はやっぱりな「おおかみこどもの雨と雪」でこれはしゃあない、毎日映画コンクールとそして東京国際アニメアワードも制して冠を増やしつつある。他に何かとってたっけ。これが日本アカデミー賞全体の作品賞と肩を並べるならさらに嬉しかったんだけれど、それでもやっぱり賞をとった「桐島、部活やめるってよ」にはかなわなかったかなあ、決して世間的に話題になった訳じゃないけど、しっかりと突き刺さってロングランを記録し、そういう劇場ではとてつもない動員も見せた。インディーズっぽさを漂わせながらもしっかりメジャーの作品というその存在は、ドラマの延長めいた大作風の映画ばかりがはびこる風潮をぶち壊してくれるかな、来年の動向にも期待。

 とか言っていたら裏では野球が大変なことに。まず負けていて、それも2点を先行されてどうにかこうにか追いついたと思ったら逃げられて、そして9回の裏でかろうじて追いつくというギリギリの戦いなかを見せてこれはあるいはもうダメかもなんて思わせてくれた。負けたら次はなぜかオランダに負けて後がなくなったキューバが相手でキューバ猫を噛むじゃないけど本気のキューバを相手に戦う羽目となって当然にして破れ、2連敗で退場という憂き目を見る可能性も高かった。だからよくぞ追いついてみせた。井端選手よくやった。その後に決勝点の4点目を北海道日本ハムファイターズの中田選手が犠牲フライで入れたそうだけれどもやっぱり殊勲は井端選手だよなあ、山本浩二監督ですら上回る。っていうか山本監督、大丈夫なのかって気がさらにむくむく。あそこでマー君使って点を奪われるなんて。調子が悪いんだから無理しなきゃいいのに。まあ良いそれでも勝てた訳で次は野球界隈では珍しいオランダとの対戦。いったいどんなサッカー、じゃなかった野球をしてくるんだろう? やっぱりサイド攻撃がメイン? 野球のサイド攻撃って何だろう? 見るぞ確かめるぞこの目でしっかり。


【3月7日】 明けてやっぱり評判はあんまり良くないみたいなアルガルベカップのサッカー女子日本代表だけれど日本に五輪招致のスピーチでもさせるためかそれとも世代交代を見据えてか、核となる澤穂稀選手を残しつつさらに次代を担うはずの宮間あや選手まで置いて誰が何をどうするか、まるで分からない状況の中にこれまたお互いを知らない若手選手をぶち込んで、さあ戦えっていったってそりゃあ無理、誰がどこでチェックにいってかわされたら誰がカバーに入るか分からない中で自分がやるしかないとひっついていって、そこでかわされたらもう後がない。そんな感じに2発を奪われた選手達に反省しろったって出来るものか。監督なりコーチなりピッチ上のキャプテンがそうしたメークをして統率すべきだったんだけれど、それもないままただ失敗でしたじゃあ選手達が可愛そう。まあ監督もその辺りは承知の上だと思うから、続く試合でも堂々と若手を起用しボロボロにされながらも連携を学ぶような展開にしてくれたら将来に期待も浮かぶんだけれど、ドイツだもんなあ次の相手。試すとか言ってられないよなあ。

 人造人間18号を作る者の上に栄冠を、とそうつぶやいたのが2年前。「造形天下一武道会」ってドラゴンボールをテーマにしたフィギュアを原型師たちが作り競い合うバンプレストのイベントがあって、そこに登場するに相応しいキャラクターというものを思いまっさきに浮かんだのが人造人間18号だった。まず綺麗。そして強い。なおかつ性格までもが強靱で剛胆。けれどもちょっぴり優しいところもあったりするそのツンツンデレツンデレツンツンなキャラクターは、連載の登場時もそしてアニメーションへの出演時も、万人を虜にしてなおあまりあるパワーがあって今なおその強烈な印象は強く語り継がれている。人造人間18号のリアルな登場を待ち望まれている。

 だからこそドラゴンボールがテーマの造形で人造人間18号が栄冠を得るのは当然だった。ただ今まで誰も挑んだ者がいなかったこのジャンルに、3回目を迎えた「造形天下一武道会3」でもってあの寒河江弘さんが挑んでみせた。もう始まる前から優勝は間違いなし、って確信していたかというとやっぱりそこは広い世間が相手になるコンテストだけあってブルマとかビーデルとか出てきたらどうなったかって心配もあったけれども、1次予選で牛魔王の娘のチチを破って決勝へと臨んだ寒河江さんの人造人間18号は、出だしこそ亀仙人のパワーに負けていたものの、その膝蓋骨が入りまくっている足の凝った造形に、デニムならデニム、レザーならレザーといった質感をしっかり現す表現力でもって関心を集め、得点も集めて亀仙人を上回って、そして1カ月に及ぶ戦いの後半をリードしたまま最終日を迎え、そして遂に栄冠を勝ち取った。おめでとう寒河江さん、そして人造人間18号。

 思えば2002年のワールドカップで大阪までトルコとセネガルの試合を見に行った帰りに寄った京都で開かれていた、芸能プロダクションのアミューズが何を思ったか始めたアートアーティストオーディションの展示会に立ち寄った時にそこでいわゆるフィギュアでありながら、キャラクター系ではなくリアル系のフィギュアを並べていた寒河江さんを見て興味を抱いたのがほとんど最初くらいの接触。聞けば実写版の「ブギーポップは笑わない」のフィギュアなんかも手がけていたりして、その後も数々の特撮系ヒロインとか特撮プロップなんかを手がけてそっちの方面では堂々たる重鎮になっていた。そんな寒河江さんでも去年はクリリンでもって臨んだ造形天下一武道会2で1回戦敗退という苦衷を味わった訳で、認知度とか腕前とかだけではない人気へのアピールという部分が必要なんだと思わせた。だからこその人造人間18号。選ばれたキャラのパワーとそしてぶち込まれた技術の粋が、大勢を感嘆させて今回の栄冠へと至った。必然でありながらも偶然も含めた様々な要素の集合体。そんな成果を手に入れられるものなら手に入れたいけれど、どいういう形で製品化されるんだろうなあ、クレーンゲームの景品だけってことはないよなあ。

 ただ知るのは名前ばかりでどれだけのことをやり抜いてきたのかは詳細として知っている訳ではない。それでも日本のアニメーションや漫画といった、今でこそクールジャパンの尖兵と呼べそうなそれらを未だ知られない時代から、アメリカへと持っていっては翻訳して世に紹介して、今に続く下地を作った人間としてトーレン・スミスさんという人の業績は永遠にたたえられるべきだろう。桜坂洋さんの「All You Need Is Kill」がハリウッドでトム・クルーズの主演で映画化されることだって、たどればその小説をアメリカで出した版元が、立ち上がる際にトーレン・スミスさんが少なからず力を発揮していた。ほかにも多くの影響を残し後に続く人たちを送り出してきて、なおかつこれからも多くの力を発揮してほしかったのに、急な訃報が届いて悔やむこと多大。ポッカリと空いてしまうその仕事をいったい、誰が継ぎどうなっていくのかといった迷いも浮かぶけれど、今は静かに悼みたい。有り難う御座いました。

 CDショップ大賞に袖を引かれたもののやっぱりアニメの国の人間だからと、スカイツリータウンで開かれた東京国際アニメフェアの直前記者発表会を見物に言ったら江口拓也さんが来ていた長身でとってもイケメンだったのにこれがテレビになるとサルと呼ばれDTと呼ばれて踏みつけられ虐げられるんだから不思議というか、本人的にはどう受け止めているんだろう、嬉しいんだろうか。そんな今年の東京国際アニメフェアはテレビアニメ50年を記念する全アニメのパネル展示とかコスプレコーナーの設置とか盛りだくさん。学生が企業研究に来られるようにとビジネスデーでも入場可能なチケットを売ったりしていてそこは、ビジネスの場としてのアニメフェアの意味をちゃんと理解した内容になっていた。いわゆる新作アピールの展示会ではこういうことって出来ないから。コスプレサミットなんかも開かれるらしくってそれに合わせて去年の優勝者とか、まどかとほむらのペアとか来ていた。現地でも見られるかな。着替えとか大変だけれどそんな辺りをアニメフェアがどう包含して膨らんでいけるのか楽しみ。来年は一本化、して欲しいけどなあ。無理かなあ。


【3月6日】 やっと見た「戦勇。」は冒頭で電話に向かって叫んでるアニメーション制作会社かどこかの女性の喋りがしろーとっぽかった。関係者か。でもって1枚ぴらりと実写の細面の人間が出てきた。ヤマカンか。ヤマカンだって。そういう辺りの自分いじりも楽しいけれども本編も快調の本筋すっとばしてずっと入りっぱなしの脇をやってて未だに牢屋から出られず冒険の旅にも出られない。まあすぐそばに魔王はいるから終わっているのも同然だし、偉そうな奴らも勝手に集まってくるから動かなくたって何とかなるんだけれど、それは逆に展開の少なさを居ながらにしてカバーしなくちゃいけないってことで、だからこそ冴える会話劇の妙味であり細やかな演出。それをちゃんとやり遂げているところがこの作品を、ヤマカンじゃんってことだけから来る妙な罵倒から守っているんだろう。実力で跳ね返せってことだ。

 そしてやっと見た「THE UNLIMITED 兵部京介」は裏切り者のせいでイルカの脳みそは奪われるは船は爆破されるわ仲間は怪我するわ、子供たちは危険な目に遭うわ少女はさらわれるわともう大変。あまつさえ兵部京介まで力を振り絞りすぎて倒れてしまっていったいこれから誰が戦うんだって話になりそうだけれど、そこは兵部京介しっかり自分を立て直しては何か得体の知れない、そしてどうやら昔の知り合いらしい敵に向かって立ち上がり突き進んでいくことになるんだろう。そんな傍らで裏切り者は心から居たたまれない気分を味わうことになるんだろうなあ、誰も死んでるように見えないから良いんだけれど、それでも兵部にとって敵であり自分にとってはかつて仲間だったはずの兵士たちを乗せた戦艦とか、なぎはらわれて死者とか出ていそうだし。協力さえしなければ失われることのなかった命に対してどう恐れ戦き、そして何をするのか。背負わされた十字架の重さを噛みしめ行動することになるんだろう。それはどんな。いよいよもってお楽しみ。

 やっと読んだ「BLEACH」の最新刊では山じいがユーバッハによってぶった斬られた上に光線みたいもので粉砕されて後も残らず、そしてまとめて死神たちが滅ぼされようとしていたところに駆け付けてきた黒崎一護が、滅却師ことクインシーの一党をどうにか退けたというか、時間切れで帰ってしまったというか、ともかくいったんは収まった戦いの中で傷ついた面々が天から降ってきた零番隊によって引っ張っていかれてまずは体に効くというお風呂へ。実は裸で入ると治りすぎて大変とかいう風呂にだったらルキアとか、どうして素っ裸で浮かんでたりするんだろうって疑問もあるけど治りすぎる前に治りきってないから大丈夫ってことなのか。一方で瀞霊廷では山じいの次の総隊長に京楽春水が収まりどうにかこうにか立て直し中。また流魂街にやってきたばかりの奴らの背中がどう見たって完現術者(フルブリンガー)だったりしてこれからの戦いに加わってきそう。とはいえ連載は治療も住んだものの斬魄刀は治らなかった一護が現世へと返されそして親父から母親のことを聞かされている最中。予想通りの展開だけれどそれがどういう意味を持つのかはまあ、今後の展開の中で。卯の花隊長はどーなったんだ。

 そして読み終えた米倉あきらさんによる「『インテリぶる推理少女とハメたいせんせ」い』(HJ文庫)はひでえタイトルそのままに唖然呆然のライトノベルというかメタミステリというか、いずれにしても言えることは「太田が悪い」。いや本文中にもそんな言葉が出てくるし。衝撃的で挑発的なタイトルでありイントロからその強姦という行為を書くことの是非、ミステリが意味する正当を求めることの可否を語り流して尽くした茫然の1冊。第1章を読んだ時点で脳がピキピキ痙攣し始めこりゃあ凄いと思い始めるけれども、何がどう凄いか説明できないくらいにに凄い。文芸部の女子中学生を強姦したい先生が妙にくそ真面目な女子生徒とやりとりするって内容。そう聞けば誰だって脳がピキピキしてくる。強姦がいけないのか愛ある関係を放って浮気するのがいけないのか足コキは良いのか先っぽまでなら許されるのか。そんなやりとりもあってまるで要点も着意点も見えない展開に、先を読むのも躊躇われるけど、そんな中に繰り出される推理少女の「このご時世にあえて物理トリックを使えば超斬新扱いされるんじゃないですか。わたし『六枚のとんかつ』を読んで思いついたトリックがあるんです!」という叫び。こりゃあ読み通すしかないと思わされる。

 でもって第2章あたりでさらに脳天が爆ぜそうになって来る。すべてには理屈があると信じる少女は強姦にも理由があると勝手に憶測を妄想でふくらませてせんせいを擁護に回るというこの変態さ。「古典部シリーズ」の「気になります」娘な千反田えるの生真面目さが斜めに突出して幻惑させる感じ。アニメ化されたら声は同じに先生は神谷浩史さんで掛け合えばもう凄い演技が聞けるんじゃなかろーか。そんなこんなで読み進めていって野球をやったりバスケをやったりと意味不明な展開にも負けず読み通して抱くのは、衝撃的で挑発的なタイトルであり行為そのものの可否より行為があったかなかったかの是非を言葉で追いつめるロジカルな内容を持った作品であり、強姦が殺人より凶悪で忌み嫌われるものとされる世の風潮ミステリ界の感覚を抉る壮絶にして饒舌な1冊だってこと。これそのものもミステリな人を瞠目させそうだし、ライトノベルな人は唖然としそうだけれどこの着想この軽快に見えて内実執拗に粘り連ねていく文体は、別の文芸形式でも結構な作品を生み出せるんじゃないのかなあ。「左巻キ式ラストリゾート」の海猫沢めろんさんみたく。ちょっと追いかけてみよう。でも1作で消える可能性も。どうなんだ。

 そして見た女子サッカーのアルガルベカップはプレシーズンの国際的な練習試合だけあって日本代表のなでしこジャパンも新しく加わった選手を試してみようとして得点を奪われ、そこでふんばって見せれば自信になったんだけれど何を臆したかそれとも評判を気にしたか、鮫島彩選手とかレギュラークラスを入れてどうにか試合を持ち直させて0対2というスコアのまんま試合を終わらせる。チーム全体の志気を気にして負けない試合に持ち込んだってとれなくもないけれど、一方で引っ込められた若手の失った自信もちょっと気になる。そこから這い上がれるかなあ。まあでも喫緊に重要な試合なんてない訳で、それまでに回復してこその真のなでしこジャパンってことで今は落ち込んでも帰ってチームで頑張り、取り戻した自信を代表でぶつければ良いだけだと、開き直って頑張って欲しいもの。この調子なら山根恵里奈選手も使ってもらえるかなあ、見たいなああの巨大さを、対岸のモロッコからでも姿見えるという(見えません)。


【3月5日】 「ONE PIECE」は単行本の69巻が発売となって、ベイビー5が登場してはいきなり腕を鉄砲にして、ドフラミンゴを大きくまたいで威嚇どころか発砲しようとしては飛ばされ撃たれて退散。そんな連載での初登場時にはいったい何者って思った一方、そのにょっきりと伸びる脚の綺麗さにもっと一杯見たいなあと願っていたら、パンクハザードでの決戦終わりになって駆け付け、そして今もなを出番をもらってドフラミンゴとの関係なんかを話してた。そうか惚れた相手がことごとくドフラミンゴに殺されるのか、そんなダメんずに惚れちゃう性格? それともドフラミンゴの要求が厳しすぎる? とはいえそれでも自身はドフラミンゴの側近として動き命を狙われるとドフラミンゴにその地位を捨てさせるほど。ファミリーなんだなあ、だから惚れた相手がクズかどうかを心配してヤバいと殺してしまうとか。分からないけどでもしばらくそのおみ足を拝めそう。

いいないいなこれいいな  鹿児島経由の風に誘われ六本木ヒルズにあるテレビ朝日横のギャラリーで始まった「きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ」へ。言わずとしれたあのきゃりーぱみゅぱみゅがステージで着用した衣装なんかを展示するイベントで、入る時に音声ガイド付きを選べるみたいでどうですかと言われ1度は断ったんだけれど単純に、解説が流れるだけじゃないみたいだんったんで悔い改めて装置を借りたらヘッドホンにリボンが付いていた。わお。それを頭につけて歩かなくてはいけないんだけれど恥ずかしがる年でもないし、周囲はそんな恰好ですら認めてくれるきゃりーぱみゅぱみゅのファンばかり、そう思い頭につけて中を歩いていろいろと見て回る。なるほどプロモーション映像なんかで見た衣装がそこに。「ファッションモンスター」とかPVの場面を再現したような展示でそこに入り込んだような雰囲気を味わえる。耳からはきゃりーぱみゅぱみゅの声も聞こえてくるし。

 ほかにも多彩な衣装だけれどもそれらを見て回る間に何かマークを探して最後のクイズに答えましょうって簡単なアトラクションもあって、よくわからないけどマークがくっついているのを確認してから最後のコーナーににいってあれは紅白歌合戦で最初に着ていたもこもこの衣装だっけと思いながら音声ガイドを聞いてそして、質問に従ってボタンを押したら何とくるりと回って別の衣装が現れた。これも紅白歌合戦で来ていた奴かな、肩に目玉がくっついた。そんな衣装の煌びやかさと、音声ガイドから流れてくる屈託のない済んだ声でもって決して広くない場内を、存分に楽しむことが出来た。展示場を出たところではグッズも売ってて去年の日本武道館のライブでも売られていたTシャツとか、今回の展覧会のためにデザインされたTシャツなんかがあったけれども着る機会もなさそうなんで、PVのシーンをくりぬいた缶バッジを3個ばかり購入。外に出たら親子連れが入っていく姿にファン層の広さを改めて感じる。久々の全世代アイドルって感じ? 突っ走って行って欲しいなあ。

 「フロンティア、ナウ」から何故か読んで読み続けている野崎雅人さんの新作が出たけど熱気とノワールな雰囲気があった過去作とはちょい変わって展開の広がりとユーモアと、そして何より前向きなメッセージが伝わってくる話だった「“Nice to see you”とジェフは言う。」(日本経済新聞出版社)。冒頭で孤島に樽詰めのお姫さまが置き去りにされる、んじゃなく袋詰めの男が置き去りににされる場面から始まったと思ったら話は大阪へ。いったいどこへ向かい何を語る? って興味をまずぐっと引く。映像コーデックの方法を開発して収益を伸ばしたら、それが著作権侵害のツールになっていると言われ映画会社なんかから訴えられて文無しになった若きIT企業の社長の青年が、ネットカフェを泊まり歩きながらもう死のうと思いつつ、孤島から「nice to see you」といって語りかけつつ、人生相談なんかをする男のネット中継にそうメールして紹介され、世界中から何だそれはとたしなめられて思いとどまる。

 青年はメンテナンス会社に居場所をみつけ、墓掃除をする仕事をしながら何とか生きていくだけの気力を取り戻す。そんな青年が気にかけた言葉のひとつが、死ぬなんて安易に言った青年を怒った看護士の言葉。その彼女は、難病の少女の看護に関わっていて、治療も受けられず回復もしない少女のどうしようもない状態に悩みながら、孤島から発進し続けるジェフの話を聞かせ、生きる支えになろうとしていた。もっともそれも果たせないまま落ち込んでいた、そんな看護士と墓掃除の青年が繋がる。無人島から中継していたジェフが消え、その行方を名うてのハッカーたちが追うことになって、そのうちの1人としてメンバーに入ったMDと呼ばれる美少女が、手がかりのあるらしい日本へとやって来る。服装は常にゴスロリ衣装。食にうるさく日本に来ては繊細な和食に喜び、青年が働くメンテナンス会社の近くにあったお好み焼き屋のお好み焼きが気に入って何枚も囓る。歯に青のりをつけながら。ちょっと可愛い。

 そんなMDのほかにも、諸々のハッカーたちが青年を巻きこみ看護士を引き込みジェフの探索にむかうストーリーは、ジェフが島に置き去りにされるプロローグから徐々に重なり繋がっていき、ひとつにまとまっていく展開の楽しさがあり、そこから家庭に不幸な人たちの伸ばす手が見えてくる。少ない手がかりからハッカーたちが天才的な頭脳と腕前でジェフという男の行方を捜すステップは電脳エンターテインメント的。一方で、身にいろいろ抱える物たちが手がかりを求め手探りで歩み差しのばされる手をつかんで光の下へと向かうという、人間の再生を描く物語でもありそう。読めば誰もが思う。会えて良かったと。誰もが感じる。繋がっていて嬉しかったと。その先にたとえ厳しい現実が戻ってきても、くぐり抜けた心は崩れず折れないだろう。辛い人、迷う人は野崎雅人のこの小説「“Nice to see you”とジェフは言う。」を読んで感じよう。この物語こそがジェフの言葉になるはずだから。会えて良かった。そんな言葉に。

 キャラクターではしかしMDってゴスロリの美少女がやっぱり追いかけるのに相応しい存在感。まず美しい。そして冷酷。相棒にザッハトルテがたべたいからとモナコからウイーンに買いに行かせるし、目的のためなら手段を選ばないところもあって命を救う仕事をしていた看護士と衝突する。一方で食べ物には目がなく日本食を関空について頼むんだけれど出てきたあれは茶碗蒸しに入っていた苦い物に驚く姿がまた可愛い。そんなに苦いかとは思うけど。子供の頃はたべられなかったものなあ。今は好き。まおかつMD、ハッキングん時は服とか気にせず下着姿になったりすることも。目に嬉しい。そしてスカート姿のまんま逆立ちしては旋回して板をぶち割る格闘術にも長けている。何者だ。そんな立ちっぷりの良いキャラをメインにすえず脇を走らせるところがまた憎いなあ、いつかスピンオフした作品を出して欲しいなあ。


【3月4日】 日曜日に寄ったら整理券が夜の分しかなくって、それでもあるだけましだったけれど流石にその時間までは漂えないと家に帰って月曜日に出直して見に行った、米澤嘉博記念図書館での「魔法少女まどか☆マギカ 等身大原動画展」はやっぱり整理券が出る盛況ぶりだったけれども良い時間のを手に入れ神保町をぐるりと回ってから入場。なるほど原画動画の類こそ「キーアニメーションノート」に収録されているものを見る方が良いって感じではあるけれど、そこからそれぞれのキャラクターについて動きのある部分を抜き出しては等身大に拡大し、並べ動きをそこに現出させるという展示方法でもって、その場に来てみる楽しみってやつを感じさせてくれる。

 例えばまどかはオープニングで走る部分から抜いてかけていくまどかを並べ目で追えるようにしてあって、その背景にそのシーンの動画を並べ横で映像も見せることによってそういうシーンがどれだけの絵で構成されていて、そして動くまどかはどんな感じになっているかを立体的に掴めるようになっている。これは巧い展示かも。そこから後、マミさんとかさやかとか杏子とかほむらについてはそれぞれに1シーン、動きのある部分をピックアップしてそこから3枚のキャラクター部分を抜いて拡大して奥へと重ねて並べる感じにして、目で動きをとらえられるようにしてあった。

 そこにiPadか何かで映像部分を見せつつ何枚かの原動画も並べていくのは共通。さやかのあれは変身か何かする部分は動きも激しくって迫力もあるのを絵とパネルとそして映像で掴めるようになっていてああこう描けばこうなるんだってことが瞬間に理解できる。原画だけならそれこそ「キーアニメーションノート」を買ってめくれば十分だし、動きならアニメのDVDなりブルーレイディスクを見ればいい。それを1つの場所で複合的に見せる意味って奴を、味わうにはやっぱり現場に足を踏み入れるしかないんだけれど、人気みたいで整理券の出るのも早いからなあ、午後を潰す覚悟でいくか、夕刻から夜にかけてを狙うか。頑張って出かけてやって下さいな。

 そして迎えた吉川英治文学新人賞では先に「機龍警察 自爆条項」で日本SF大賞を受賞したばかりの月村了衛さんが第3作目の「機龍警察 暗黒市場」で受賞を果たしてこれで個人としては2つ目の栄冠。同じシリーズで別の作品がそれぞれに違う賞をとる、ってあんまりなさそうだけれど調べると吉川英治新人賞は大沢在昌さんが「新宿鮫」で受賞していてそして大沢さんは「無間人形 新宿鮫4」で直木賞を受賞といったステップを踏んで一気に大作家への道を突き進んでいった。これに倣えば次に出る「機龍警察」シリーズ最新刊は直木賞とかにノミネートされて不思議はなかったりするのかな、っていつ出るか分からないんだけれど。

 シリーズ物で果たして直木賞がとれるのか、ってところもあるけれど「新宿鮫」だって取っているし奥田英朗さんも「イン・ザ・プール」じゃなくって2冊目の「空中ブランコ」で直木賞をとっているから、ようはシリーズ物であってもそこに頼らないでキャラクターの位置づけをしっかりと示した上で、繰り広げられる事件をしっかりと語れば、その面白さによって受賞するってこともあり得るんだろう。ならば可能性は大あり。気になるのは登場人物たちがそれぞれに深い過去を背負っていて、それを例えば問題があったからキャリアの座から滑り落ちて新宿署に回されしがない生活安全課員をしているといった説明だけで済ませることが難しい点か。あるいは妙な精神科医の先生であるといった。そこも含めて差配しつつ読んで面白い作品になれば。だから早く読ませて欲しいなシリーズ最新作を。

 毎日新聞の夕刊が何かでっかくライトノベルを扱っているんってんで読んでみた。なるほど扱ってはいるんだけれど基本は三上延さんの「ビブリア古書堂の事件手帖」が売れているって話とあと、桜坂洋さんの「All You Need Is Kill」がトム・クルーズの主演でもってハリウッドで映画化されるっていったくらい。具体的にタイトルが登場しているのものその2つで、大ベストセラーの登場とそしてハリウッドでの映画化をもって現状のライトノベル市場の活況ぶりを現そうとしている無茶ぶりに、ちょっぴり頭が痛くなる。せめて三上さんを紹介するならそれを生み出したメディアワークス文庫がどういう経緯から生まれたレーベルで、ライトノベル直球というよりはそれを卒業した世代を狙い生まれたもので、だからもとより20代から30代へと読者層を広げるために作られたもの。だからそうした層に届き始めたのは不思議でもなんでもなく、狙って行われたことなんだって言わないと、偶然に当たったみたいに思われてしまう。それじゃあメディアワークス文庫を立ち上げたアスキー・メディアワークスが浮かばれない。

 「All You Need Is Kill」の映画化について触れるなら、それ以前にアメリカでライトノベルやSFが注目されていて、少なくない日本の小説がそうした傾向のレーベルから翻訳されてそれなりな評価を受けているっていった、グローバル化について触れておかないと意味がない。なおかつアメリカではライトノベルだから売れたというよりはミリタリーというジャンルでタイムループ物という仕掛けがあって興味をそそったと行っておかないと、日本のいわゆるラブコメだとか異能バトルだとかいった本流ともいえるライトノベルの存在、そしてそれが圧倒的に売れているという現実が見落とされてしまう。「All You Need Is Kill」はそりゃあ売れたけれども今の日本で売れているのは「ベン・トー」であり「カンピオーネ」でありそして何より「パパの言うことを聞きなさい」と「迷い猫オーバーラン」の松智洋作品。それが何故売れどう広がっているかといった分析なしにライトノベルのことを書かれても、って気はしないでもない。

 メディアワークス文庫の紹介ついでに「ドラフィル」が人気の美奈川護さんを紹介し、ラブコメで松さんやほかの大勢から誰かを紹介しつつ、新規レーベルとしてのオーバーラップ文庫を入れ、立ち上げから2年くらい経った講談社ラノベ文庫を入れ、講談社BOXなり星海社FICTIONといったサイズの大きいものも並べた上で、そこから生まれ文芸へと行く人、逆に文芸やSFの世界でデビューしてそうしたレーベルに来て、いろいろ書いている人といったクロスオーバーな状況を紹介することで、現状の文学シーンにおけるその存在感、その盛り上がりっぷりも見えてくるってものだけれども、そういう目配りを事情も知らない文化学芸のエリートな人たちに求めてしまうのも酷かなあ。でも30行でまとめるんじゃなく7段200行近い分量をもらって紹介するのは2冊ってのはやっぱり無意味。ここを切り口にしていろいろと紹介していく気構えを持って欲しいなあ。無理だろうけど。

 いくらコンパクトにしようとページが2割以上減ればそれだけ載っている情報量は減るわけで、それで値段が据え置きだというのはやっぱりどこかに無理が生じてくるだろうし、カラーだったものがモノクロになればそこにやっぱり何らかの劣化を見てとって、にも関わらず据え置きだったりすることに違和感を覚える。すぐに何か行動には向かわなくても蔑ろにされている感覚を覚え次第に遠ざけていくような、ゆっくりとした動き。それがそおかしこで起こって束になって見えた時に、人は大きく後退している事実に気がつくんだけれど時は既に遅いのだ。現況、大きく改善する可能性が構造的に見えない以上はその後退は終わりの始まり以外の何者でもなく、それをあからさまにしてしまった以上は周囲よりの刺激もさらに増すだろう。耐えられるのか。無理だろうなあ。そして経済誌の指摘するような事態へと至る、と。どうなっちゃうんだろうなあ。正念場かなあ。


【3月3日】 おこしもんの日、といっても知られているのは愛知県界隈くらいで東京とかではおこしもんといってもそれが何か、分かっている人はごくごく稀。米をベースにした餅をついて型にはめて抜くと、扇とか恵比寿とかいろいろ目出度い形になっていて、それを作りたてならそのまま砂糖でもつけてたべ、硬くなったら焼いて醤油でもつけてたべるととってもとっても美味しいのだけれど、たいていがそれぞれの家庭の手作りで、売っていても愛知県界隈のパン屋さんに並ぶくらい。関東でも、おそらく関西でもたべることはかなわない。これが恵方巻のようにコンビニエンスストアの力で全国区になったりすれば、3月3日に向けて店頭にいろいろ品物も並んだりするんだろうけれど、そういう動きは見えないからなあ。型をたとえばポケモンとか、ニャンコ先生とかにすれば絶対受けるのになあ。動けサークルKサンクス。

 何かJ2が開幕したっぽいけど寒かったのでフクダ電子アリーナ方面に足を向けるのは遠慮して、新宿へと出てバルト9(ばると・きゅう)で「アニメミライ2013」を見ることにする。完成披露試写と合わせて2回目。正午からの上映は中くらいの劇場でだいたい7割は入っていたっけ。いわゆるアニメ好きな人もいればそうでない普通の若い人とかもいたりとバリエーションに富んだ客層を見るにつけ、アニメミライってブランドの徐々にだけれど着実に浸透しているっぽい様を感じる。まあ新宿って地の利もあるんだろうけれど、それにしたって日曜正午、ほかにいっぱい見て楽しい作品もある中で、それを選ぶ人がそれだけいるんだってことはやっぱり凄い。東京で新宿だからかなあ。

 決してマニアックとはいえず、かといってキッズ向けでもない作品たち。それでも見てみたいというのは何だろう、アニメミライというプロジェクトから生まれた作品が面白いという認識が広まって、ならばと足を運ぶ人が増えているからなのか、広報大使の西川貴教さんがあちらこちらに存在をアピールしてくれているからなのか。いずれにしても嬉しい話。1年目とか遠く大泉での上映で、それも決して多くが集まった訳ではなかったんだよなあ。なおかつ震災で最終日の上映はストップだったか。けどでも2年目があり3年目の今回と来て、その次となっていったいどこまで広がるか。いやまだその前に今回の上映の成功を。でないと来年また規模が小さくなってしまうから。

 まあ作品については既に見ていろいろ言ってもいるんで詳細は省略。とりあえず語るならゴンゾが手がけた「龍 −RYO−」は猫がかわいい、とってもかわいい。どこでいったい坂本龍馬が拾ってきたのか知らないけれど、いつの間にか懐にいれててにゃーとないてはRYOといっしょに寝たりしていたあの猫が、斬られたのは誰がどうしてやったのか。そんな辺りの間の物語がちょっと見えないのが勿体ない。薩摩でいっしょだった黒だっけ、そのその後なんかも、途中でチラッと出てきたような気はしたけれど、詳しくは描かれていないし。薩摩の家々とか最後のあれは咸臨丸だろうか、土方歳三とRYOが向き合った船の甲板にほか誰もいないのは作画の上で仕方がないことだろうから、そんな辺りも加えて大きな物語へと仕立て上げてくれたらなあ。だからやっぱりパイロットってことで。

 「アルヴ・レズル」はなるほど人によっては高い評価もあるし、人によっては評価できなかったりもしたりと毀誉褒貶、やっぱりストーリーが途中でぶったぎられていて、完結していないってことが評価に関わってきているのも仕方がないか。そういう人にはだから講談社BOXから出ている山口優さんの小説を読んで欲しいとお願い、本当にいろいろなキャラが出て、そして設定も細かくって凄まじいんだから。でもこれを全編アニメにするとなるとあと4本くらいは必要か、映画だったら2時間半? 端折って2時間の映画にやっぱり仕立ててあげて欲しいけれど制作会社のゼクシズにそれだけの余力があってそして、スポンサーになる会社もあるんだろうか。あくまでだから小説のプロモーション映像として受け止めておくのがこの場合は良いのかなあ。いっぱい乳も見られるし。結局はそこか。

 やっぱり面白かったマッドハウスの「デス・ビリヤード」は、とりわけ「ひとーつ」「ふたーつ」と数を数えるバーの女の声と口調とその表情が素晴らしい、どこか怠惰でダレた雰囲気がとても血気盛んな「ちはやふる」の綾瀬千早や、冷静沈着な「輪廻のラグランジェ」のランちゃんと同じとは思えないんだ瀬戸麻沙美さん、着実に芸域を広げいてるなあ。お話の方はといえばビリヤードを終えた老人と若者のその後、って奴がやっぱり気になったけれども次のゲームだからといって入ってきたのを迎えた女の声からするに……って想像も浮かんでちょっと楽しい。それが続きなのかリセットされたものなのか。含みも多いだけに後に噛みしめる余地がる。それもまたこうした短編の味わい方。正解はひとつじゃないってことで。

 それにしても見えないなあ「リトルウィッチアカデミア」のスカートの奥は。きっと絶対にまくれ上がっても奥が見えない魔法がかかっているに違いない、「問題児たちが異世界から来るそうですよ」の黒ウサギの衣装といっしょで。箒にまたがりぶら下がったりしてそれで空中を乱舞したってまくれもしなければ見えもしないんだからこれはもう。それとも秒間に1コマとか挟んでいるのか、いやいや人間の眼はそれすらも見抜く、それで見えないんだからやっぱり魔法が……描かれていないだけって話はなし、寂しくなるから。しかしやっぱりよく動き、そして何よりストーリーラインがしっかりしている。憧れの魔女は商業主義で嫌われ者、でも自分は好きだと貫きそして得られたひとつの力。信じる気持ち、純粋な憧れを認めてくれる嬉しい展開は多くの子供たちに、そして大人にも勇気を与えるだろう。シリーズ化して欲しいなあ。ちょっとだけ赤髪になった先生の正体とかも気になるし。

 せっかくだからと都営新宿線で神保町に回り米澤嘉博記念図書館に寄ってまどマギ展を見ようとしたらいっぱいだった。整理券はまだ出ていたけれど夜の7時半からではちょっと待てないんで明日出直そうと退散する。とはいえ春休みに入って元気な諸氏はきっと明日も早朝から並んで大混雑とか予想されていたり。平日だって松戸だってまどマギカフェには何時間待ちの大行列が出来たんだから、都内の図書館に人が来ないはずがないんだ。まあそれならそれできゃりーぱみゅぱみゅの衣裳展を見にいくさ。仕方がないので本とかいろいろ買って帰宅、紅玉いづきさんの本はそうかハードカバーか。でも新刊の前に岩井恭平さん「サイハテの救世主2」から読了、天才と期待されるのは辛いけど、まるで期待されないのも寂しい、その狭間でいったい人はどうすればいいか、己の信じる道だけを歩ける人間になりたいなあ。でも気になる周囲の目。どうにかしなくっちゃ。


【3月2日】 とか言ってたら、揺れ動きは日本SF大賞だけでなくって日本SF作家クラブの方にもあったみたいで、東野司さんに新会長を引き継いだ瀬名秀明さんがその足で日本SF作家クラブまでをも退会。ああそれで日本SF作家クラブの50周年を記念するサイトから「私とSF」っていうエッセイが削除されたのか、もう会員じゃないからなあ、なんて思うかっていうとうーん、昨年の5月にすでに渡していたにも関わらず、アップされたのが今年の2月27日で、そして掲載わずか3日にして削除というのはいくら何でも展開としてウサイン・ボルト過ぎて何が何だか分からない。つまりはハイスピード。人間の眼ですらとらえるに難しい光速でもって何かが動いているとしか想像するしかない。

 それにしても就任してわずか半年後に、既にエッセイにああしたことをしたためるようになっていた、ということがひとつにはショックで、それは早々に難題にぶち当たって、どうにかしようと頑張るも足らず、懊悩していた現れでもあったりするんだろうけれど、にも関わらずいろいろな企画の立案から実行に至る尽力をして、この時まで務め続けたのは、やっぱり凄いことなんじゃなかろーか。10月には池袋のジュンク堂でもって、日本SF作家クラブの50周年を記念する行事なんかをつらつらと語るトークイベントまで開いていたりするんだから。その時には既にいろいろ思うところがあったのかもしれないけれど、言葉には出さず顔にも見せないで、ちゃんとイベントを勤めあげ、サイン会にも応じてた。もうすぐ始まるプラネタリウム企画でも、日本SF作家クラブと五藤光学を結びつけたりと企画立案に奔走。その成果を見ることなく退任というのはやっぱり、何かモヤモヤとした事情があったと類推されても仕方がない。

 ぶっちゃけ浮かぶことはいろいろあるけれど、とりあえず僕が何度か瀬名秀明さんにインタビューしたり話したりした経験からするなら、とても実直で真面目でロジカルな人で、曲がったことを好かず歪んだことを認めずなあなあな馴れ合いを好まないって印象。そして何よりSFが好きで、SFといううジャンルのために何かできると思い引き受けたんだろう日本SF作家クラブの会長職を、1年と少しという期間で任期半ばにして辞任したということをさて、内にある人たちはどう受け止めているんだろう。ざっと見ると一般のSF読者な人からは驚きの声が上がっている。でも内からは……。それはだからぶっちゃけ浮かぶいろいろなことに含まれるんだろうけれど、それが続いているうちはやっぱりいろいろ抱えたまま、歩んでいくことになるんだろうなあ。時の氏神とかいないのかなあ。

 そんなSF界隈とは隔てられてハードボイルドな界隈は素晴らしい新鋭作家を迎えてますます発展していく印象。大藪春彦賞を受賞したのは柚月裕子さんという女性作家で喋ると声が無茶苦茶かわいくって聞いているだけで心が癒される。ご当人も見目麗しくそのビジュアルインパクトでありボイスタイフーンでもって世の中に強く存在感をアピールし、そして内より描く小説でもって強く本好きの間に浸透していく可能性を秘めていそう。直木賞とか受賞したら会見で見て大勢ファンもつくだろうから是非に。年齢なんて僕と3歳くらいしか違わないのに若々しいのが羨ましい。何をたべているんだろ? そういう問題でもないか。

 でもそんな柚月さんは、東日本大震災で犠牲になったお父様をお持ちだそうで、受賞の檀上から直前に見た夢の話をして「大震災で亡くなった父が夢に出てきました。父は夢の中で東京會舘に来ていました。父はなんとなく泣きたそうな、なんとなく笑いたそうな顔でニコニコしていました。私が父に来て欲しかったのか、父が来たかったのか。亡くなった父も喜んでくれているようです」って話してあの出来事への思いを強くしてくれた。「父はデビューの時に、書いていくことが作品を評価してくださったご恩返しになるのだと言った。遺言になってしまった父の言葉を胸に、書き続けていきます」。たくさんの悲しみを背に大勢の人たちが今を生きているのだ。間違えないよう過たないよう身を引き締めよう。

 「エトランゼのすべて』」星海社FICTIONS)で一人の女性を取り巻く不思議を描いたと思ったら、「ウタカイ」では短歌の内容を実体化させて戦う女子高生たちの愛と青春のストーリーを描いて多彩さを見せつけた森田季節さんの作品は、現代に生きる少女が外界にに抱く違和感を伝奇的設定の上に描き出したミステリー。家事も何もかも完璧なんだけれどどこか人間らしくないという部分があって、そんな母親が狐かも知れないと思っている少女が主人公。彼女が早くに家に戻って妙な奇声を聞いた夜を過ごして翌朝、父親が突然母親が家を出てしまったと告げる。彼女は人間ではないらしく北山で出会ってそして結ばれたんだとも。

 それは本当か。少女は神社などに行った時に知り合った、謎めいた少女に脅され背中を押されるように山へと行って母親の痕跡を探し回る。そうしないと自分が狐になってしまうとも脅される。狐たちが暮らす集落に迷い込んで不思議な経験をする少女。そして現世に戻ると母親に並々ならぬ愛情を感じていた兄がやって来て、ともに母親の痕跡を探して回る。伝奇として読んでもスルリと読める内容。一方でこれがもし、少女の多感な心理が見せた一種の幻想なのだとしたら、母親はいったい何でそしてどうなったのか。途端に現実的なひとつのストーリーが浮かび上がって平穏に見える家族に渦巻く情愛だけでないそれが余って浮かぶ憎しみも含んだ関係が見えてくる。果たしてどっち。そして正解は。考えようあと何度か読み返して。

 将棋界の1番長い日が終わってみればやっぱり強かった羽生三冠。勝利して名人位への挑戦権を獲得してさあ始まる名人戦に去年は届かなかった返り咲きを果たせるか、それとも名人位だけは強い森内名人が守りきるか。4月からがとっても関心。一方で残留争いは谷川浩司九段が負けてこれで首の皮1枚のところで高橋道雄九段が敗れて降級が決まり、順位の差で谷川九段はA級に踏みとどまった。これで連続在位記録を結構な数に伸ばしたんだっけ。でもあれだけ強かったはずの谷川九段がこうやって板一枚の差で危うかったりするのはひとつの時代か、高橋九段の陥落も含めた世代交替の波が最強のところにも押し寄せて来てしまっているのか、単純に会長職への就任もあって忙しさが増してしまったのか。分からないけれどもともあれ来期に再起し今何度目かの名人戦へと登場となって奪取する羽生名人(予定)と戦う姿をまた見たいなあ、やっぱり将棋の格調が違うもん、この2人だと。


【3月1日】 開幕してまだ間もない去年の11月だかに行った時なんて、土曜日の朝1番だったにも関わらず館内は閑散としていて、来て歩いていたのは1室に1人とかそんなもん。例えるなら東京都現代美術館の常設展にも及ばない閑散ぶりで、例の18禁の部屋なんて、30分くらい1人でいても誰も入ってこずに、巨大フジ隊員とか人犬とか声ちゃんのすっぽんぽんを独り占めできた。これでいったいどこが世界に名を売る会田誠さんの展覧会なんだろうかとも思ったりしたんだけれど、3月1日付けの朝日新聞に載った記事によると、今は1日に平均で4000人とかが来る超人気の展覧会になっているとか。平日は多分少ないだろうから土日なんて1万人を超える人が入っていたりする日もありそうで、それがあの18禁の部屋にぎっしり入って、巨大フジ隊員とか人犬とか声ちゃんのすっぽんぽんを眺めているのかと思うと、どうにも不思議な光景。そこに混じる勇気は僕にはちょっとない。

 どうしてそんな事態になったかといえば、先月ああたりから展覧会が人々の俎上に登る機会が増えてきたからで、ひとつには、飾ってある絵がいわゆる児童ポルノじゃないかって意見がどっかの団体から出て、それがネットで広まり新聞沙汰にもなったことがあるけれど、前にも書いたように絵はそもそも児童ポルノではないし、写真作品や映像作品もモデルはとうに20歳を過ぎた人で、18禁にする意味はあっても摘発されたりするような謂われはない。もちろんそう考える人がいることには納得で、だから敢えて部屋を分けてゾーニングをしていたし、展覧会の告知サイトからその絵が見られるようになっていたことにも、一応の制限は付けて配慮した。つまりしっかり対処した。

 あとの1つはツイッターに並んだ東日本大震災後の原発事故なんかを巡るツイートをピックアップして並べまくった作品があって、それが著作権云々とかいった当たりで引用された人の関心を引いて議論が撒き起こったことで、まあこれはアーティスト側のモラルの問題として意見交換が続いていたりする感じだけれど、観客を大勢導引するような性格のものではない。つまるところはエロそうな絵が飾ってあってそれが問題にもなるくらいだから見てみたい、って情動から出た好奇心が展覧会場へと足を運ばせている感じ。人間ってその意味で正直な生き物だ。

 ただ、見る人にとってはそれがアートがエロでもポルノでも面白ければ良いんだけれど、そうした状況を伝えるメディアがいたずらに扇情的になるのはやっぱりいただけない。だから朝日新聞が3月1日付けで乗せた記事をきっかけにして、そこにいろいろな突っ込みが起こっているというのが、今日になって会田誠展に関するざわめきが強くなっている状況への説明になる。そんなざわめきを呼び起こしているのは、館長の南條史生さんが出している言葉。「日本では少女を題材にした性的表現のマンガがあふれている。会田索引は現実を反映する鏡。社会が見ないふりをしている問題のフタを開け、議論が生まれることに展示の意味がある」と話している。読んでそこに、作品には児童ポルノ的な要素があるしそれが日本の状況なんだけれど、だからこそアートとして見せる意味があるんだといったニュアンスを感じ取って、芸術側の上から目線を非難する声が起こったりしている。

 とはいえ現実、美少女の割に扇情的なグラフィックが街にネットに氾濫していていて、それが外国から奇異に見えていたりもする訳で、そんな状況を美術評論家として客観的に語った言葉として、南條さんのスタンスはそれほど外れているものではない。ただ冒頭、見出しが「アートか『児童ポルノ』か 挑発的な美術展」となっていて、なおかつ書き出しが「東京・六本木の『森美術館』の展示をめぐり、『児童ポルノ』批判が起きている。市民団体が作品の撤去を求める一方で、挑発的な美術展は連日大入りだ」となっているのがひとつ問題。展覧会自体が“児童ポルノ”っぽさを醸し出しているような印象を与え、それに与する声はすなわち児童ポルノ的なものがそこにあることを追認したものだと思わせている関係で、南條さんの言葉がああした作品をそうしたものだと受け止めているように感じさせてしまっている。「連日大入り」になっているのも、そこに“児童ポルノ”があるからで、だからこそ市民団体も憤り撤去を求めているんだといった印象を読む人に浮かばせる。何か誘導的。

 これが普通に「会田誠展が盛況だ。日本が誇るポップカルチャーを巧みに取り入れた点や、戦争、皇室といったタブーとされる題材にも挑んだ作品として、強い関心を集めていることが要員だが、一部の作品に“児童ポルノ”との批判も起きている」と書けば、読む人が受ける印象は変わって来る。それもそれで、今まさに議論となっていることの本質から目をそらすという意味で、“児童ポルノ”と煽る記事とは裏腹なものなのかもしれないけれど、何もないところに無理矢理火をおこして煽る方よりは、何もないところで何もないままやり過ごす方がよほど健康的で健全。なおかつ問題の所在を書きつつそれが問題にあたらないと持って行ければなお良いんだけれど、そういう器用さを媒体なり、そして載っている面からするに社会部なんかが持っているとも思えないからなあ。難しい。それにしても会田誠展の記事で「観賞した美術大学2年の女性(21)は『ネット広告でも同じような過激な絵があるのに、この程度で「18禁」なんだ』と意外だったという」とあるのが意外。ネット広告は流石にいろいろ見え方を考えてるでしょ広告だし。それが会田誠の18禁部屋と一緒に見える美大生ってば。その目はいったい。

 森川智喜さんの「スノーホワイト 名探偵三途川理と少女の鏡は千の目を持つ」(講談社BOX)をやっと読み終える。極悪探偵の三途川理が登場するミステリとしては「キャットフード」に続く第2弾、っていうけど「キャットフード」が人間を缶詰にする工場を孤島に作りそこに人間をおびき寄せたものの1人だけ、猫がばけた人間が混じっていたため計画はストップ、猫は猫を殺せない掟をくぐりぬけてどう企みを実行に移すかが問われた話ってことは覚えていながら、その三途川がどんな悪どいことを見せたか覚えてないので、今回の一件との比較はちょっと出来ない。単純に言うなら今回はとてつもなく悪辣。何しろ探偵のくせに殺人事件を画策するくらいだから。

 別の世界の女王の血を引くとは知らずこちらの世界で生まれ育った襟音ママエには聞けば何でも答えてくれる鏡があって、それを使ってママエは探偵となり鏡に質問をすることで、推理もなしに解答を引き出すことで有能な探偵との評価を得ていた、というのが大まかな設定。ところがそこに立ちふさがったのが三途川理。ある殺人予告への対応を頼まれ襟音ママエと三途川理とさらにもう1人の探偵が呼ばれた家でママエは三途川が自分の名声を高めるために仕組んだ殺人を止めてしまい、それで彼の怨みを買う。そこに付け入って来たのが異国からママエを殺害することで次の女王の座を明確にしようとやって来た女性。彼女も持っていた何でも答える鏡を三途川理に渡すことで綿密なママエ殺害計画が組まれもう絶対に逃れられないという段になりながらも偶然があり、ママエを守る小人の働きもあって事態は進まない。

 それでも鏡を巧みに使って、未来の正解を次々に引き出しママエを追いつめていく三途川理。どう質問を投げかければどう答えが返ってくるかを明晰な頭脳で理解し鏡を使いこなすその冴えっぷりにはたとえ悪党でも感心。比べて別の世界から来た女が単純なことしか聞けず単純な答えしか得られないことともあって、同じ道具でも人によってまるで変わるものになるんだって思わせる。加えて三途川が鏡を使ってしでかそうとしたとてつもない事態。そんな応用力があるならもっと頭を巡らせてちゃんとした事件を解決し、ちゃんとした有名人になっていけば良いのに。そこが曲がった方向に行ってしまうのが性格なんだろうなあ、彼の。事件が起こってから理屈を繋げる名探偵の行動を、先取りして描いてそうすればそうなるという推理を先に見せつつ、その裏をかくにはどうすれば良いかを推理させる重層的な仕掛けもあって、頭脳を駆使させられる作品。3冊目も出るそうだけれど、どうするんだ、カエルにされちゃった三途川理は。

 大藪晴彦賞と日本SF大賞の授賞式だったけれどもまずは一大事、日本SF大賞を立ち上げずっと後援して来た徳間書店が第33回の今回を持って後援を降りると発表、すでに日本SF新人賞を辞めてしまって次どうなるんだろうって予感はあったけれども、決定してみるといろいろ思うところも浮かんでくる。だってこの賞を続けるメリットを、SFの側が徳間書店に示せていたとは思えないもん。そりゃあ賞っていうのはそういった功利的なものばかりではなく、理念に沿って文学の振興というものにつながればといった大局的な見地から行われているものだってあるけれど、それにしたってSF大賞の受賞作から誰か徳間書店のどこかで何かを書いてもらえるって感じになっておらず、賞を続けるかどうかを二者択一する段になれば、やっぱりもう良いかなって思わせてしまう。没した人に大賞を出し、やっぱり亡くなった先達たちに特別功労賞的なもの出してそれは確かにひとつの貢献。でも……となってしまうことを予測して、何か動いておけなかったのかなあ、なんて思ってしまう、多分に外野的な考え方だろうけれど。

 徳間が出している「問題小説」なり「アサヒ芸能」なりに何か書ける人、てなるとやっぱり大藪晴彦賞の方が現実的。だからこちらは続くみたい。遺族の方々も賞に参加しているってこともあるし。でもSFは……。もともとは徳間康快さんが日本のSFの振興を狙いSFアドベンチャーを立ち上げつつ創設を引き受けた感じが見える賞。日本のSFの牙城を自認していた早川書房の方で作家といろいろあったりしつつそれが影響したのかどうか、日本人作家が早川以外のところでいろいろ書くようになったところを徳間がキャッチし広げて行く中で、SF大賞も徳間に貢献しつつ一方で「童夢」とか「吉里吉里人」とか小説でSFなものではない方面にも目配りをして、SFというフィールドを外に広げ撃ちに育んでいった所がある。アニメーションにだって特撮映画にだって賞を出した。驚きつつも嬉しかった。僕の好きなものたちがSFとして認められたんだって喜んだ。

 そこには大映が作った「ガメラ」だったりアニメージュって雑誌的に展開可能な「新世紀エヴァンゲリオン」だったりも含まれていて、お互いに利益を分けあい伸ばしていこうってスタンスが端には見えた。それは純粋さって意味からすればちょっとどうなのって意見も読んだけど、でも結果としてそれらのいずれもが時代を象徴するもので、選択に間違いは無く結果もついて来た。けれども……。理念は変わってないだろうし選んでいるものに間違いがあるとも思ってない。でも完璧だったかどうかとなると分からない。徳間書店の刊行する物事態にも変化が起こっている中で、相手が望むものをもはやSFとして提供しづらいって状況もあるからSFの側が一方的にネガティブだったとは言えないけれど、ここまで併走してきていながら結果として切られてしまったことを、SFはやっぱり考えてみた方が将来のためにもなるんじゃなかろうか。日本SF新人賞から出た作家が今、徳間書店でベストセラーを連発していたらどうだったか、なんてことも含めて。

 しかし気になるのは来年からどうするんだろうってことで、立ち上がりの時だけでなく、第1回目の受賞作も含めていろいろあった早川に頼むって訳にはなかなかいかないだろうし、早川だってミステリーでアガサ・クリスティー賞を立ち上げそして演劇の悲劇喜劇賞も作ってと連発しつつ日本SF作家クラブとは日本SF評論賞をやっていたりするため、もう1つ増やすってことも大変なんじゃなかろうか。一緒にやれば合理的、って見えないこともないけれど、評論賞って授賞式とか本当に日本作家クラブの人たちがメインでやっていたりして、書評をやってるだけの日本作家クラブとは無縁な人間がのぞきにいったり出来るような場所じゃないんだよなあ、かといって日本SF作家クラブの内輪になれる訳でもないし。他の出版社を見渡してもそぐうところはなさそう。ならばいっそキックスターターみたいなところと組んで日本SF大賞支援プロジェクトとか作ってそこで5000円払えば1次へのノミネート権利を得て、1万円なら授賞式に参加出来て3万円なら受賞者との懇親会が開かれて、そして10万円だと日本SF作家クラブへの特別会員になれる、なんてことにすれば100万円だってすぐに集まる、んだろうかどうなんだろうか。やれば話題にはなるけれど、うん。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る