フロンティア、ナウ

 景気は先行きどうにも不透明。足下の経営はもはや崖っぷちからさらに半歩踏み出し、ピアノ線だか透明のガラス板の上に立って、空中浮遊だと驚かせている状態。緑ジャケットのルパン三世だったら、即座にタネを見破って、指から火も噴き出して、社員ごと奈落の底へと葬り去るだろう状況に日々、おびえを感じながらも抜けるに抜け出せないでいる人たちへ。

 ちょっとした金が手元にあって、それから映像を編集したり、コンピュータを組み立てる技能でもあれば、タイのバンコクあたりへと出向いて有り金で住処を確保して、それから簡単な事業を興して生活費を稼ぎつつ、生きていった方が良いんじゃないか。と、そうささやきかけてくれる物語が現れた。野崎雅人の「フロンティア、ナウ」(日本経済新聞出版社、1300円)だ。

 大阪の船場にあった勤務先がつぶれてしまった男が、日本にいるのも面倒と、流れ着いた先がタイのバンコク。当座の暮らしを確保しながら、日本にいた時に覚えたパソコン組み立ての知識を生かし、近所のパーツ屋で買った部品を組み立てパソコンを自作し、売ったらまずまずの金になった。

 それをしばらく生業にしながら暮らしていたら、仲間ができていっしょにポルノ映像の配信サービスをスタートさせることになった。最初は違法にポルノのDVDをコピーして流していたけれど、米国から著作権違反で手が回りそうになって終業。代わりに誰かが持ち込んできた自主制作ポルノを流すと、これが世界で大受けして、安いタイの物価の中で王侯貴族のような暮らしを送れるようになった、そんなある日。

 ヨーゼフというドイツ人が持ち込んできた映像を仲間に渡して、アメリカにあるサーバーから発信してもらったところ、それにスナッフビデオ、つまりは実際に人間が殺される映像が映っていたからもう大変。アメリカのサーバーは当局に抑えられ、現地にいた仲間は乗っていたフェラーリが半分黒こげになって発見されて、本人は行方知れずになってしまう。

 タイの方はそれでも平穏だったけれども、いつ手が回るかもしれないし、消えた仲間も気になるからと、ビデオを持ち込んできたヨーゼフを探してタイの街へと繰り出した。ヨーゼフと付き合っていたらしい女性に話を聞こうとしたけれど、彼女はヨーゼフから顔を縦横に切り裂かれ、男性不信からムエタイを極めて自分に勝たなければ話さないと頑なな態度。ならばと男はボクシングを学び挑んだけれども、相手が1枚上だったのかリングに意識を沈めさせられる。

 日本から消えた旦那を捜しに来たという、温泉旅館の若女将と出会い逢瀬を重ね、それから性転換してとてつもない美少女になっていた、若いレディボーイと再会しては体を重ねる主人公。その合間にヨーゼフの手がかりをさがして歩いていた先で、爆破事件が起こって命を危険にさらされる。どうやら相手はナチスドイツが計画した天才児の生産計画「レーベスボルグ計画」によって生み出されたらしく、天才と紙一重なところにあって、何やらよからぬことを企んでいるらしい。

 いったい何処に行けばヨーゼフに会えるのか。仲間は無事か。自分は大丈夫なのか。謎が渦巻き危険も相次ぐ中で男が知恵をめぐらせ、人脈をたどってヨーゼフへと迫るドラマが、世界に残ったフロンティア、タイのバンコクを舞台に繰り広げられる。

 しがないエロ画像配信業者と、ナチスドイツの遺産とが重なり合い、世界を脅かし駆けない陰謀までもが絡む荒唐無稽な設定。もっともバンコクという“何でもあり”の場所が舞台となると、あって不思議はないような気がしてくる。

 タイのどこかにあるらしい、ロアナプラという海辺の街を舞台に、世界から流れてきたマフィアに三合会、スペツナズにCIA、ネオナチにコロンビアのカルテルにほか有象無象がバトルしていて何の不思議さもない、広江礼威のコミック「BLACK LAGOON」(小学館)という先例を前にすれば、「フロンティア、ナウ」はむしろおとなしいといって良い。

 もっとも、完全なるフィクションの上に、エンターテインメント性を何層にも重ねてトッピングした「BLACK LAGOON」と比べることが無理なのだ。「フロンティア、ナウ」でも十分に、バンコクは良いところであり、恐ろしいところでもあり、けれどもやっぱり楽しそうなところだと感じさせられる。

 読めば身に迫る崩壊から、遁走するべく貯金の額をながめ、退職金の額を数え、バンコク行きのチケットを探してみたくなるだろう。行ってそこで何が起ころうとも、あとは自分の責任なのだという覚悟だけは必要だけれど。


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