縮刷版2013年11月上旬号


【11月10日】 そうか3週間続けて見ているってことは予告編と本編との間にあるマナーCMの「物語」シリーズ編は袖から手が出ていない忍野扇といつも元気な中学生2人組のファイヤーシスターズとそしてかんでばっかりだった八九寺真宵の3組をとりあえず聞けたってことになるのか、そして次は戦場ヶ原ひたぎの登場なんでやっぱり見に行くという、自分ほか。巧いなあそういう誘いの戦略が、毎週替わるグッズの配付とも会わせて。

 ってか何でまた「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」で違う作品が出しゃばって来るのって、思う人も少しはいるかもしれないけれども新保昭之作品でそしてシャフトが共に手がけているってことでオッケーってなる人が大半だって判断が作り手には働いて居るんだろうなあ、そういう“馴れ合い”の連鎖で広がっていくアニメ市場ってのが着実にあったりする訳で。真面目にとらえるとネタバレ禁止とか余計なお世話も甚だしい上に無関係のキャラ共が喋る前振りの何が嬉しい? ってことになるけれどそれも時代だ、仕方がないってことで。うん。

 そんなマナーCMを見た時にもらったフィルムをしげしげと見てもまるで何が映っているか分からない。ただでさえ老眼で目を寄せても見えない上に黒々としたものが渦巻いてたりする絵はいったい映画のどのあたりになるのかすら判別不明。映画が始まる前にもチラと見て置いてどこなんだろうと探したけれどやっぱり分からなかったものが、見終わった後で分かるはずもないのであった。人によってはキャラアップとか何人ものキャラが映っていたりとかしていて嬉しいことこの上ないんだろうけれど、まあ別にそういうのが当たっても売るわけでもなければ買う訳でもない。持ってたって拡大して上映できる訳でもないからね。

 映像として作られた作品である以上、価値のすべては映画という本編にあってそれを第1に劇場で観ることこそが最大にて最高の味わい方であり、若しくはパッケージ化された時に家で存分に楽しむというのが次善の楽しみ方。キャラクターを愛でるのも結構だけれどそんなシーンの1つを切り取ったようなフィルムを手に入れ愛でたところで作品のすべては見通せない。愛着を示すグッズに過ぎないと考えるなら何が来たってそういうものだと受け入れるのが、作品そのもののファンなんじゃないか、なんて負け惜しみを言っておこう。キュゥべえの顔アップは今回もあったみたいだなあ、前回がまさにそれだった、あれはあれで良いものだ、見ていると心が溶けてくるから。

 自分のところが経営しているオンラインショッピングサイトのテナントで誤表示どころか詐欺に近い表示が行われていたのをまるで感知せず勝手にテナントがやらかしたことだと言って開き直っている人間が、こと薬品の販売においては安全安心は確実に守られますから全部解禁してくれと言ったところで信じる世間がどこにあるのか、ってあたりを本当に分かってないのだとしたらもう人間としてどこか形が崩れているとしか言えないよなあ。デパートがテナントとして入れている飲食店とかが表示をちょい誤っていたからということでデパートの代表者が管理不行き届きでしたと謝る世間が正しいとは思えないけれど、食べて確かめる訳にもいかない飲食物と違って見れば明らかに誤表示の域を超える誘導を、チェックもせず気づかないままテナントとして並べてしまうのはやっぱり拙いだろう。

 それはそれ、これはこれとして薬のネット販売についての議論をするとしても、既に市販されている薬ならどこで売ったって安心だろうという言い分はあるにせよ、発売からまだしばらくという薬だと何か予期していなかった事態も起こり得る。そういうケースを見計らって大量に頒布可能なネットを絞っておくというのも考え方としてはありな訳で、そこを突き崩してまでネットの安全性を声高に言って、だから認めろと訴えてしまうとすべてが自分のところに跳ね返ってくる。そのことがどうして分からない? 目的の前にすべてが正当化されてしまう人になってしまったということなのか、それが成功するということなのか。寂しい話だなあ。

 玄関先が埋もれてしまってヒーターを使えない状況になっていたので多少は改善しようと溜まっていたゴミを集めて捨てたら硬貨がぞろぞろと出てきて1000円とか超えたのには驚いた。そこでズボンを脱いだりもするからポケットから落ちた小銭が知らず貯まっていったんだろうけど、そういうものが部屋のそこかしこにもあるのだとしたら全部掘ったら100万円くらいのお金が出てくるんじゃないかなんて期待も膨らんだり。いやそれ以前に絶版本とかフィギュアとかいったものも出てきて売ればそれなりになるんだろうけれど、問題はそこに辿り着くまでの発掘作業がエジプトの王家の墓どころの話じゃないってことか。いい加減どうにかしたい、せめて書斎を玄関から部屋に戻したいとは思うけれどもそれには時間と体力が。どっちも衰えつつある現在、このまま埋もれていくしかないのかなあ、そして気がつくと体まで埋もれてそのまま……。

 疲れたので遠出をしないで喫茶店をか梯子しながら鎌池和馬さんの「ヘヴィーオブジェクト 亡霊達の警察」(電撃文庫)を読んだらやっぱり面白かったよ。オセアニアあたりで続く紛争に世界中から軍事力を持つ国家が集まり独裁政権を倒して今はその共同管理下に。正統王国からも人が行って状況を監視する中にあの学生で機会オタクのクウェンサーと貴族の跡取りで軍功を挙げて相続を有利にしたいヘイヴィアもいて案の定、仕事を命じられて最前線へと送り込まれる羽目になる。発端は単なる模擬戦だったけれどもそれが終結した矢先、仕切る金髪巨乳のフローレイティアのところに「娘を誘拐した」という電話が1本。すかさず「私は処女だ」と答えるフローレイティアは侮辱されたか喧嘩を売られたと感じたか、誘拐犯を追いつめ人質を奪還するよう命じてそこに2人も駆り出される。

 そして向かった先で少女は無事解放。体中に爆弾を巻き付けられていた危機もクウェンサーの機転でしのぐあたりにやっぱりその特別な才能って奴を観たくなるけどそれでヒーローになれるほど戦場は甘くない。少女からもっと大勢の人間が誘拐されていたと聞き、人身売買が行われると分かって救出に行くべきか軍人の範疇じゃないから退くべきかと迷う彼らだったけれどこそは諦めないクウェンサーに引っ張られて向かった先で見つけた人質たち。あとは奪還するだけというところに別の国家が直接ではないけれど黙認という形でその人身売買に絡んでいたことが分かり、戦争覚悟で奪還すべきか否かという問題が持ち上がり、そしてその先に待っていた戦争、さらにはオセアニアの裏側でうごめいていた勢力の決起といった具合に連鎖し覆い被さるように事件が起こってクウェンサーとヘイヴィアの2人を痛めつける。

 マッハの速度で迫って手法を発射し離脱する猪突猛進型のオブジェクトをどうやって止めるとか、ビームを鞭のように全方位へとしならせ発射しオブジェクトすら破壊する秘密組織が自前で作ったオブジェクト様兵器をどうやって無力化するとか、考えると頭が痛くなりそうな難題でもそこは過去に徒手空拳で数々のオブジェクトを無力化してきた2人。今回もそんなアイディアの乱舞を楽しめ、そして戦場という場所で起こる戦争のその背後で、様々な思惑が動いている様子ってやつを描いて世界の残酷さを見せつける。それでも人は戦わなくてはいけないし、生きて行かなくてはいけない。難儀な世界にあってクウェンサーの純情まっすぐな正義はいつまで保つなろう。信じたいけそでもなあ、どんどんと黒幕は世界そのものになって来ているしなあ。フローレイティアに良き人が訪れるときは来るのかなあ。


【11月9日】 もちろんロートルであってもオタクなのでフィルムがもらえるという上映には這いずってでも行くのだと決めて午前9時から新宿ピカデリーであった「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」の今日第1回目の上映へと入ってプレゼントのフィルムをもらったけれども何が映っているかまるで分からないよ。まあでもそういうのは一種イベントとして参加することに意味があるし、映画をまた見るための動機付けでもあるんで中身がどうでも実は案外に良かったりする。前なんてでっかいキュウべえの顔が並んでたし全コマに。

 だから席について宣伝だとか予告編が始まった中を手にフィルムを持ち、スマホか何かにオークションのサイトでも写したかしてシアターの中をちょろちょろと歩き回ってフィルムの買い取りだか売り付けだかをしていたガキはこの世界から消滅して欲しいというか、呪いによって尿道からぶっというどんが毎朝5メートルづつ出てくる呪いがかかれば良いとかそんなことを感じてみたり。映画を見に来たんだから映画を観ろよ。映画はグッズのおまけじゃねえんだよ。そいつは上映が始まるとそそくさと会場を出ていって、そして上映が終わった外の通路に立ってやっぱりフィルムを買い取るか売りつけるかしよとしていた。良いのかそんな“商売”を場内で許して新宿ピカデリー。とっととつるし上げてあの高くて遠い最上階へと階段で往復30回の刑に処して戴きたいもの。あるいは出入り禁止とか。

 さて3回目となる「叛逆の物語」はもはやオープニングを見るだけで涙が滲んでくるレベルに。嬉しそうに楽しそうに踊るマミさんさやかに杏子とまどかに囲まれるようにして跪くほむらの寂しそうな表情、そしてまどかの手を取ったとたんに砂のように崩れ落ちるその姿。場所は荒野。そこから想像される展開はまさしく真実となって観客を襲いハッピーエンドと期待させた地点からはるか彼方へと連れて行く。見かけは明るい空に包まれ、誰もが楽しげに学校に通っていても、一皮剥けばある個人の欲に満たされ暗黒にまみれ、深い闇が続くだけの世界へと。

 そんな結末を3度めとなればもう驚かないで見てはいられるんだけれど、でもやっぱりそこは相当に悲しい地平として哀しみとともに見えてしまう。なるほどそんな世界を司る人間(?)にとってはそれが最善であって、そして考えれば誰も損はしてなさそうに見えるけれどもでも、そんな世界の外側にあって円環の理によって浄化されるはずだった他の大勢の魔法少女たちはどうなるんだ? って問いに答えは出ていないし、きっとその答は決してハッピーなものではないだろう。だからこそ必要となる快復の物語。あるいは調伏の物語。描かれるか。描かれて欲しいけれどもそれだとキリがないかなあ、永遠のハルマゲドンが続くだけかもしれないしなあ。

 なんとも居心地が悪い悪い話というか、お台場に新しい国際観光施設を作るってことで鹿島と三井不動産とそしてフジテレビを傘下に持つフジメディアホールディングスが手を上げたってことで、そこにはどうやらカジノの導入ってのも入っているらしい。でもカジノってつまりはギャンブルで、日本語で言うなら賭博場な訳で射幸心こそが稼ぎの種になっている場所。それを公正にして中立にして健全性と倫理性が激しく強く求められているる報道機関を傘下に持つメディアグループが、果たしてやっていのかと言われてどう答えるんだろうフジメディアホールディングス。

 テレビ事業者として課せられている公正で中立な立場を堅持するから大丈夫といったところで、続出しているやらせ番組問題に対して誰がメニュー偽装のホテル業界並に会見をして頭を下げたって話は聞かないし。というか、もしも本当に日本でカジノをやろうとして、本場ともいえるアメリカの業界が黙って見ているはずもない。運営についての長年のノウハウを持って解禁を求めてくるはずで、そうなった時にアメリカの表向きには超厳密な運営のレギュレーションを、よく言えば緩くて曖昧でだからこそ儲けられる人は儲けられるようになっていたりするパチンコ業界の基準に下げようとしたら、確実に文句を言われるだろうなあ、ズルはするなって。

 アメリカだとカジノって運営はもとより遊技機を提供するのもとてつもない中立性と公正性が求められていたりする。それこそFBIが役員の親族まで洗って闇の勢力と繋がりがないか調べ上げる。そうしないと入り込んでくるから、闇の勢力が確実に。けど日本は最初っから、政治と経済とが裏で手を組んでいるような印象。調べられたらいろいろと言えないことも出てきそうなだけにアメリカの横やりは断固としてノーと拒絶し、日本だけでカジノ設立をやろうとするんだろう。排除された世界的な企業はそこでアメリカ政府を動かすなりして本気のFBIと本気のNSAがいろいろと裏を探って口には出せないようなことを調べ上げ、ちょいと電話1本かけてくる、なんてことはあるのかな、あったりして。

 それでも頑として聞きいれなければ世界だってそういう場所には足を踏み入れたくないと、誰も観光にやって来ないという虻蜂取らずの一丁上がり。なんだかなあ。しかし臆面もないというか、時の政権による政策とまるで一蓮托生のように構想を進める様がどうにもあからさまに見えるって、周囲にそう勘ぐられるのも厭わないでカジノ構想にがん首を並べて邁進するってあたりにもはや、なりふり構ってられないお家の事情なんかもあったりするんだろうなあ、テレビ局の癖して。ただでさえ免許業種として貴重な電波を与りその上で独占的な商売をして、中立公正を守れるだけのお足を戴いている業種なのにそれを利用してカジノを運営して喧伝して寺銭まで戴こうってのはちょっとハッピー過ぎやしないか。

 現在でもテレビ業界って電波独占でため込んだ資産を使って不動産事業に出たり、電波を使ってイベントを仕掛けたり映画を撮って宣伝したりといった具合に、本業のテレビ事業とは関係ない分野に進出してしこたま稼いでいたりして、それをいろいろ言われるのによりによってカジノでは、ちょっとやりすぎだって事で、今は同床異夢だとイベントや映画について何も言わない他のメディアグループが、攻撃に回ってくることだってあり得るかも。そこで退くのか意地でも貫きいろいろと得てそして失うのか。失った果てに及びそうな影響ってことを想像するとゾッとするけど、それ以前に既に後退の並にさらわれかけているからもはや、成り行き任せなのかなあ、あるいは精いっぱいに応援するのか新聞系は。参ったねえ。

 日吉へと行く用事があったんで脚を伸ばして横浜美術館で横山大観。「生々流転」で使われている朦朧体が今や代名詞になってしまっているけどそれは随分と後期の話で、はじめはちゃんと輪郭線がある絵を描いていたんだなあってことが分かって面白かった。あと海外に見せる屏風は空白を作って余韻を感じさせるような絵では分かってもらえないと、隅々まで空だの花だのを描き込んだ屏風とか。一途に貫くんじゃなくちゃんと絵のことを分かって見る人のことも考えているところが偉いというか、芸術家であると同時に職人でもあったというか、絵師ってのはそもそもそういう立場だからなあ、見られることが前提の。しかし美術館には少しづつはいって何枚か見られる横山大観がこれだけ揃うってのはなかなか貴重。関わりの深い日本画家も並んでいてあの時代の雰囲気ってのをたっぷりと味わえる。画壇とかで権威を作り作品より居場所が重んじられる今とは違う、絵の力だけが拠り所だった時代の雰囲気が。

 元気だなあ慶應大生。あのきゃりーぱみゅぱみゅを日吉に迎えての三田前夜祭は講堂だっけに満杯の来場者が始めっから全員総立ちとなって音楽に合わせて踊り腕を振り上げライトを降って叫び拍手するといった具合にツアーに負けない乗りっぷり。むしろ恒例とかに関係無しにめいめいがやりたいようにやるってこともあって叫び腕を振り上げ飛んだりする人が多くいてパワフルな印象を受けた。去年の早稲田も行ったけれど当時はこれからいよいよといった時期の顔見せで、今年はずっとメディアに出続けた果ての凱旋と立場にも違いがあったのが雰囲気に現れたって感じ。楽曲では「もったいないとらんど」のステージ上での完成度がどんどんと上がっていてキラキラとして楽しくそしてちょっぴり切ない雰囲気が浮かび上がってくる。良い歌なんじゃないのこれ。全体はコンパクトだったけれども密度は濃かった三田前夜祭。次は大宮でツアーのラスト。盛り上がるだろうなあこれも。


【11月8日】 大友克洋さんの新作短編アニメーション「火要鎮」を核にして、4つの短編アニメーションが集まったオムニバス映画「SHORT PIECE」の中で、前に「コイ☆セント」とか「FREEDMOM」とか作った森田修平さんが手がけた「九十九」っていう短編アニメーションが何か米アカデミー賞の短編アニメーション部門候補作に近づいたって話が流れて来て、観たら残り10作の中にその名前が入り込んでいた。大友さん自身の「火要鎮」とか同じ森田さんが演出を手がけた「武器よさらば」とかではなくこの「九十九」ってところがひとつ、短編アニメーションへの味方なかを考えさせてくれてちょっと面白い。

 大友キャラクターを動かして見せた「FREEDOM」を経てこちらは完全に萌えキャラっぽい美少女を動かしてみせた「コイ☆セント」なんかでひとつ極めたセルルックによる3DCGアニメーションを、「九十九」ではもうちょっと進めて、見た目はセル超ながらも動きとか展開にCGならではの味ってのを加えていたのがこの「九十九」。人によっては人物の動きがちょいぎこちないとか思いそうだけれどもそこが逆に海外での、動きを意識して作られているという評価をあるいは呼んだのかもしれないし、日本の山奥にあるお堂で古い品々が化けて出ては甦らされるという展開も、日本趣味を喚起しつつリサイクルといった主題への歓心を誘ったのかもしれない。その点で「火要鎮」はやっている凄さが絵巻風という言葉に押しこめられてしまうし、「武器よさらば」は普通に戦闘アニメーションだもんなあ。「GAMBO」はちょい、ハード過ぎるか内容が。

 世間ではセルルックの3DCGアニメーションっていうとどうもサンジゲンが手がけた神山健治作品の「009 RE:CYBORG」にばかり注目が集まってしまうけれども、それよりかなり先にセル調で3DCGのアニメーションを作れないかを模索していたのがサンライズの荻窪スタジオであり森田監督でありその出身母体ともいえる神風動画。とはいえ映画という場所で華々しく作品を見せていなかったこともあってか世に知れ渡って折らず、片山一良監督が「いばらの王」なんかで荻窪スタジオの技術を取り入れ映画を作ったことがあったけれどもそれも世間には広まらなかった。残念に思っていたところにこの朗報で森田修平監督やサンライズの技術が世に知れ渡り、秀作「コイ☆セント」にも注目が集まると嬉しいんだけれど、でも道はちょっと険しいか。

 10作を見渡すとカナダ国立映画制作庁で「ライアン」を手がけたクリス・ランドレスの最新作「Subconscious Password」とかが入っているし、同じカナダ国立映画制作庁のテオドール・ウシェフによる「Gloria Victoria」なんかも入っている。おまけにディズニーが満を持して送り込んだミッキーマウスの短編アニメーションも。初期のモノクロ風ミッキーが今の技術で動き回る作品だけにアメリカ人の心のふるさととして注目され支持されてしまうんだろうなあ。そんな強敵を相手に最終的にノミネートされるか「九十九」は。気にしていきたい。そうでないなら他の映画祭でも是非に賞を。それとは別に商業ではない短編アニメーションが日本からまた呼ばれることも願いたいけど、果たされるのかなあ、カナダ国立映画制作庁みたいな機関が、積極的に関与していかないと無理なのかなあ。

 水江未来さんに湯浅政明監督に「リトルウィッチアカデミア2」と世界に向けてキックスターターで支援を求めて成功する日本のクリエーターたちが相次いで、クールジャパンとか政府がとりもちやってるよりもこうした制度を活用しつつそれを世界に知って貰う術を考えた方がより実用的なんじゃないかと思い始めた昨今、新たにまた1人、日本のクリエーターがキックスターターに討って出た。すでに日本では知らぬ者のない造形家、竹谷隆之さんが「nikne−kamuy」なる左右非対称の鬼の造形を披露してはこれを世界に見せるため、支援を求めていたりする。その額2万1800ドルは果たしてどらくらいの規模を実現させるものか分からないけれども観るからに異形の鬼はそれだけで世界をアッと言わせそう。

 縄文と弥生が入り混じった顔立ちに、アイヌの言葉をまじえた造形から伝わるのは日本の技術だけでなく、日本の文化でありそれは征服と被征服をも含めた複雑にして真摯なもの。だからこそ成功して欲しいけれども支援者には造形物が贈られるという展開から、金額が最低でも190ドルとなっているところが人によっては棚になるのかどうなのか。DVDとかいろいろついて220ドルから260ドルというコースもあってむしろそっちにしちゃおうって人を誘うのか。分からないけれども手持ち不如意な今はとりあえず判断保留。勢いを見つつ冬の金銭闘争の行方を見つつ入れるかどうかを判断したい。これで世界に討って出た後で竹谷さん、どこへ向かっていくんだろう。それを想像するとなおいっそう、推したくなるけど果たして。

 まずもって言葉の表層から“誤解”に“誤読”を呼んでいる東浩紀さんの福島第一原子力発電所観光地化計画とやらだけれど、それに輪をかけて毀誉褒貶の誉めて褒める方がまるっと抜けた評判が立っている福一原発ガチャポン化計画。批判を覚悟で商業ベースに載っけて世論を喚起するって意味合いもあるんだろうけれど、それすらも下品であり不謹慎といった言葉が乱れ飛んでいて袋叩きのサンドバック状態になっている。まあ当人も覚悟の上でやっていることなんだろうけれど、そうした覚悟を忖度するならガチャポンという立体物をより広範囲へと届けられるメディアを使って、福島第一原子力発電所の現状を見知ってもらおうとうジャーナリスティックな意図があり、一方でただいたずらに危険視されて悪い意味での聖域化してしまいかねない原発周辺を、いつか来るべき平穏でなおかつ警鐘をはらんだ“観光地”として、感じて貰う目安として手に取り触れられるガチャポンを作ってみた、といったことになるのかな。

 考えたいのは気に入らないことには梃子でも動かないあの海洋堂が話を聞いたってことで、それが前向きなのかただ話を聞いただけなのかはちょっと今の段階では不明だけれど、ひともうけしたいとか炎上を起こして話題になりたいといった程度の論理で説得できるような人たちではないことは確か。もしも引き受け何かを作るのだとしたら、そこに東浩紀さんの意図を感じ取り、そして自分たちの造形に対する考え方も重ね合わせてそれをやることに意義を感じ取ったって言えるのかも。その意味では結果に注目。前に村上隆さんのアート作品をフィギュアにした時も、何千万円ってフィギュアが数百円のフィギュアになって全国にバラまかれることの面白さって奴を、感じて引き受けた海洋堂だけに。さてはて。


【11月7日】 神保町のお祭りで買ったサイン本は親戚に回すとしてその前に買ってあった西島大介さんのエッセイ的漫画の「All those moments will be lost in time」(早川書房、1200円)をペラリと読んで思ったことは「空が黒いなあ」ということ。そういう手法をいつくらいからとっていたのか、手元に他の本が見あたらないというか埋もれて出てこないので調べられないんだけれど、この本に限っていうなら折角東京から広島へと移って美味しい空気を目一杯に据える環境にありながらも、黒く塗られた空がそうした明るい気分を覆って何か不満とか不安がやっぱりあるんじゃないのって思わせる。

 想像するならやっぱりそうした不安はどこまでもつきまとっていて、現実の収束を見せない福島第一原子力発電所の事故に伴う放射能の漏れ出しであったり、全国に散らばっていて広島からでも西に長崎があって東に若狭湾なんかもあってそれが福島といつ同じ状況にならないとも限らないという不安であったりがない交ぜになって、ああいった心象を見せていたりするのかも。加えてアベノミクスだ何だといっても現場の景気はなかなか好転しない上に消費税の引き上げだ何だで崩壊の懸念すら浮かんでいる。

 外交もアジアの国々との関係は悪化するばかりでそっちからブロック経済化して世界に互していくなんてことが不可能になっていて、そうした先行きへの不安も心象を黒く染めていたりするのかも。本当のところは分からないし単なる技法としてのチャレンジなのかもしれないけれどもそれは読む側がそう捉えたってことで、自在な読者の半ば特権として聞いて貰うしかない。あと思ったのはやっぱり原発こそが、って感じになってしまっていることに、3・11の本質がどこか薄れてしまっていないかなあ、見落とされてしまっていないかなあといったことか。

 もちろん原発も大きな問題だけれど3・11で最も大勢の方々が亡くなったのは東北の海岸における大津波。そこからの復興も未だ途上にあるにも関わらず、不安の種を原発だけに求めてしまうと、見過ごされてしまう何かがあるんじゃないかなあ、なんてことも考えた。あるいはいずれ綴られる漫画の中で、描かれるのかもしれないしそうでないのかもしれない。西島大介さんという漫画家の問題意識からは外れていて、それは別の誰かが描けば良いだけの話かもしれない。ただ、こうして3・11の一端に取り組む以上は津波がもたらした破壊とそこからの再生にも、気を向けて欲しいなあとは思った。影響力のある漫画家だ。きっと大勢が励まされ、勇気づけられるはずだから。

 「神秘の世界エルハザード」がアマゾン的には「コードギアス 反逆のルルーシュ」の続編的にブルーレイボックスとなって発売されることになってアニメーションの脚本家としての月村了衛さんの仕事に、接しやすくなるなあと思っていたら何とさらに月村さんの代表格とも言える「NOIR(ノワール)」が、来年にもブルーレイボックスとなって発売されることが決まったそうで、梶浦由記さんが奏でる神秘的でエキゾチックなところも漂わせるサウンドと、そして少女たちが奏でる重の音に酔いしれた深夜の思い出が、新たに高品質の映像とともに楽しめることになる。あるいは「機龍警察」が売れに売れている月村さんのバリューを今こそ活かすべきって判断がパッケージメーカーに働いたのかな。

 といってもテレビシリーズを見ていた時にDVDを買おうと思い立ちながらも、最終回を見てどこか気が抜けてしまってDVDを揃えなかったりしたことも事実。いったいどこに気落ちしたんだろうかと、今に思い出すことがちょっと難しいだけに、ここはやっぱりブルーレイボックスを買って見返すべきなのかもしれないなあ。真下耕一監督を筆頭にしたスタッフも最高だし、音楽も僕が本格的に梶浦サウンドを意識した作品ってこともあって深く耳に染みこんでいる。だってサウンドトラック買ったもん。今公開中の「空の境界/未来福音」も「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」も音楽は梶浦さん。つまりはヒットの最前線を突っ走る作曲家のある種の原点とも言えるメロディーとサウンドを、これを機会に味わい給え。どうせならサントラも付ければ良いのに。

 行きたいなあ、行けるかなあ、多摩丘陵辺りで毎年開かれている多摩映画フォーラムの今年のプログラムに「新海誠監督特集」ってのがあって11月30日午後、多摩のベルブホールってところで開催される。プログラムは「秒速5センチメートル」から「星を追う子ども」と来て「だれかのまなざし」「言の葉の庭」と近作がそろっていて「秒速…」と「言の葉の庭」では現代の社会にあって挫折したり悩んだり夢を抱いたり出会えて嬉しがったりする心情って奴を感じさせてくれるし、「星を追う子ども」では壮大な冒険ストーリーを楽しませてくれる。「だれかのまなざし」は猫がかわいい。4時間とか行きそうなプログラムだけれどでも、昼間にこういう企画ってなかなかないから見ておけるのなら見ておきたいなあ。裏でやってる松田龍平さん特集よりやっぱこっちかなあ、アニメの国の人だからなあ、自分。


【11月6日】 チェックは難しいのかもしれないけれどでも、視聴者が見て指摘できるんだったらやっぱりどこかにおかしいところがあったんだろうなあ、四万十と都内の水元公園では明らかに風景も違う。そんな場所に現れるカワセミを映したんだったら、やっぱり見て違いも現れるんだろうけれど、それを知ってか知らずか四万十のものだといって水元公園のカワセミを映した映像を、テレビで放送してしまったBSフジの番組が嘘を指摘されてあえなく放送打ち切りになってしまった。

 中華料理では半ば慣習としてバナメイエビを芝エビと言っていたようなことを、テレビも新聞も筆を振り上げ拳を降るってイケナイ事だと責めたてているにも関わらず、そんなメディアのお膝元のテレビ番組でまるっきりの産地偽装を行っていたことを、本当だったらもっと重要視して責めたてるべきなんだけれど、やらないのが人情ってものなのかなあ、誰も頭を下げないままで番組だけが終わっていく。探せば他にもいっぱいあるんだろうなあ、四川省のパンダと言って上野動物園のパンダを流していたとか。それはないか。色が違うもん上野はもはや白黒じゃなくって灰色だもん。

 もちろんまだ決まった訳ではなくって、一種の予備エントリーみたいなものだけれどもここに挙がっていなければ上に行く資格はないって意味で、やっぱり重要なのかもしれない米アカデミー賞のアニメーション部門1次ノミネート。日本からは当然のように宮崎駿監督の「風立ちぬ」がエントリーされているけれど、それに加えて沖浦啓之監督の「ももへの手紙」が入って、そして驚くべきことに公開されたばかりの「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」が入っているという。まあとれるかどうかっていうと「モンスターズインク」あたりも並んでいるから候補にすらならないんだろうけれど、ちょっとした快挙ではあるしファンとして嬉しくもある。

 とはいえ確か米アカデミー賞って基本的に米国で既に公開されていることが受賞の前提になっているはずで、それを考えた時に宮崎監督の「風立ちぬ」ってもうアメリカで公開されていたんだっけ、そして「まどマギ」の最新作ってアメリカでも公開されることになっているんだっけ、ってあたりが気に掛かる。そこを勘案するとあるいは名前だけ入って実際は外れたりもするかもしれない。それにしても「まどマギ」かあ、他にもいっぱいアニメーション映画はあったのに、そして続編でしかないのになぜなんだ? キュウべえによるぬか喜びが落胆に変わるエナジーを相転移させたいがための釣りじゃないことを祈ろう。

 落ち1発でよくぞ毎回保たせられるものだと思う「ミス・モノクローム」。前週は時宜にかなったハロウィンをネタにして、子どもたちが扮してトリック・オア・トリートと叫び回って家々を襲う妖怪変化を勘違いしたモノクロームが、トリック・アンド・デスサイズといった感じに包丁を持って子どもたちを追いかけ回す「なまはげ」を持ち出して薄い笑い。そして今週はテレビ番組におなじみの寝起きどっきりに参加したモノクロームが、起き抜けの姿を消してしまって驚かれて放送すらされない事態になってしまう、ってモノクロームは別に実体がある訳じゃないのか、何か電気的な信号が立体視の形でそこに存在しているだけなのか。でも火事からルーちゃん持って逃げ出したしなあ。案外に高性能なテクノロジーが使われているのかも。それでいて間抜けというギャップ萌え。どこへと落ちるものやら。あとしばらく見ていこう。楽で良いんだ5分アニメは。

 たぶんそうなんだろうなあ、つまりは良いところ取りという奴で、自分たちが主張したい部分を抜き出して並べ立ててはいそのとおりでしたと訴えてみる。原典が簡単に参照できるものではないこともそうした牽強付会に近い工程を平気で取らせてしまうんだろうけれどもこのネット時代、探そうと思えばたとえ外国にある英語の文章であっても探し出して当たることができる訳で、例えばとある新聞が例の従軍慰安婦問題について、とある報告書を元にしてあれは職業的な売春婦であって、自分から率先してそうした仕事に就いてなおかつ兵隊さんよりも何十倍も高い給料をもらっていたんだぞといったことを、堂々と記事にして書いていたりするけど、本当はどうも違っているらしい。

 そうした言説を逐一検証しているサイトによれば集めた時にも割と強制はあったようで、それは軍とか政府が直接的に関与したものとは限らないけれども、そうした集団に送り込むことを目的として斡旋業者が誘いをかけたという意味で軍に従する形で存在していたといった記録が、当の文章にしっかりと残っていたりする。また、大金をもらっていたという部分も調べるとそれは業者がもらっていた分であって当然のようにさっ引かれ、生活費食費なども抜かれて残る分は決して裕福ではなかった兵隊さんにも音って困窮していたといった報告が、同じ文書にしっかりと残っている。

 でも触れない。だって触れたら論旨がまるっきり壊れてしまうから。もちろん完全なまでに日本を悪だと決めつける意見が完璧に正しいとは限らない。そこにはいろいろあったんだろうけれどただ、調べれば分かるだろう恣意的な抜粋と論旨の捏造を、堂々とやってしまうのはやっぱり新聞として宜しくない。それでは敵対して勝手なことばかり言うと批判している相手方と同じかそれ以上にみっともない態度をさらしてしまうことになるから。大事なことを言う時には慎重に、そして丁寧に。それが全てなんだけれどもまるで逆だからなあ、拙速にしれ乱暴に。そして露見する嘘。結果として起こる衰退が何をもたらすか……ってのは昨日と一緒か、嗚呼。

 流石というか中日ドラゴンズの落合GMが抱えている選手たちとの契約交渉に臨んでは、ほとんどが減額という厳しい契約を続々とまとめてしまっている。井端選手だけは流石に下げられすぎだと起こって出ていってしまったけれど、他の荒木選手に和田選手といった名のある選手たちが皆、この成績なら仕方がないとい、なおかつそれでも必要とされているとこうことは有り難いと判子をついて残留を決めた。これってつまりすごい信頼があるってことの現れで、必要とされていると言われてもシーズンが始まったら干されてしまう可能性だってあるのに、こと落合GMの場合は本当に必要とされていることとイコールで、その期待に答え専心すればちゃんと結果は出て、そして来期の年俸に跳ね返るといた確信を持っている。過去の監督時代にずっと、そういう態度で接してきたことが今、利いているんだろうなあ。態度は曲げない。そして嘘はつかない。それだけが信頼を得るすべて。見習いたいなあ。都合よく言葉を曲げるなんてサイテイだぜ、なあおい。


【11月5日】 10.3%とはまたギリギリのところまで来た「安堂ロイド」の視聴率だけれどでも、改めて言っておくならここまで下がりながらも第4話はしっかりと物語を進めて謎も加えて次回への期待もつないだ回。ただ空回りして間抜けっぽさしか見せていなかった安堂麻陽にようやくドジっ娘属性が乗り始めてまあ良いかと思えるようになったし、本田翼が演じるサプリはカメラ目線で爆殺されかかった刑事の治療現場で何やら画策。その結果か何かで次週にいろいろあるらしい。桐谷美玲の謎の美少女も悪巧みを巡らせているようで登場人物たちが絡み始める中で孤高を貫くキムタクの安堂ロイドは一体どんな活躍を見せるのか。ほら何か観たくなて来た、ってことで来週は上がるぞ視聴率、11%台には乗って来るぞ、ってそれじゃ拙いかなあ、やっぱり。

 文学フリマでは見本誌のコーナーにあってひときわ表紙絵が気になったMistic Blueってサークルの「トランスポーター」シリーズを5冊まとめ買い。1冊が300円だから5冊買っても1500円でそれで5種類の表紙絵が観られるんだからこれはお買得、って思えるくらいに良い表紙なんだこれが。んじゃ中身はっていうと鉄道輸送管理官という職業があってそれに就いている男性が、何か荷物を預かると中に帝国のお姫さまが入っていたとかそんな感じにファンタスティックでレトロフューチャーな雰囲気って奴を醸し出している。CD−ROMのマルチメディアタイトルの「GADGET」だっけ、鉄道をめぐる物語があったけれどそこに美少女キャラも乗った感じ? まあ違うけどでも面白そうなんで時間を見ながら読んでいく。1冊にまとることはあるのかな。

 せっかくだからとレコード屋に行ってきゃりーぱみゅぱみゅ「もったいないとらんど」を1日早くフライングゲッツ。今回はミニ写真集付きの大判は出さない代わりにジャケットをちょい替えたDVD付きって奴を出しているみたいでもちろん買ったのはそっちだけれど、中身はまだ見ていない。ダンスのお手本が入っているのかな、でも「もったいないとらんど」って場面がぐるぐると変わるからあんまりダンスってイメージがなくって、むしろ途中に一瞬だけ挟まるらっパルさんが手がけたエフェクトバリバリなアニメーションパートがもっと長ければいったいどんな空気になったんだとか、そっちの方が気になった。商業アニメーション的な動きと爆発を個人アニメーション的な作りでやって来た人? でも最近は商業にも参加しているからその辺りは曖昧になって来ているのかな。これで注目されて1本監督を、って吉浦康裕さんみたいになっていくのかな。まずは石田祐康の段階かな。

 楽曲についてもめまぐるしく変わっていくとう感じで、冒頭のメインなメロディーから本文といったところに入って奏でられる不協と同調とが繰り返されるような不思議なメロディーをまずはよく外さずに歌いこなしていると感心。そんな繰り返しからドラマティックな展開へと持っていって最後に収束させる楽曲にはひとつのストーリーがあってひとつのオペレッタのようでひとつの作品を聞いたなあって気にさせられる。そういうところが作り手の凄さだし、きっちりとやってのける歌い手の凄さでもあるだろう。カップリングの「すんごいオーラ」は何かシンプルでその分可愛らしさが滲んでた。「にんじゃりばんばん」はエキゾチックなアレンジをガラリと変えてメロディだけを抜き出しても良かったかなあ、と。本当はあの曲、とってもメロディアスなんだって分かるから。カードは外れというか普通バージョン。赤いのって本当に入ってるの?

 そんなきゃりーぱみゅぱみゅの新譜のセールスも気になるワーナーミュージックジャパンでは、大御所の山下達郎さんが名盤の「クリスマス・イヴ」でオリジナルのジャケットを作れるサービスを展開中。それこそ結婚式の引き出物じゃないけれど、とりみきさんが描く御大の横、ノエルの輪っかの中にカップルの写真をはめ込んだジャケットなんかを作れるらしい。いやもうクリスマスのプレゼントにぴったりだね、贈り合う相手がいればだけれど。そんなものは当然ながらいない僕が出来るのは、芸能人様と撮ったツーショット写真をどうにかこうにははめ込んで自分だけの想いでにすることくらいだけれど、それもまた虚しい話ではあるよなあ。どうしたものか。どうするものであるか。

 おいおい勘弁してくれ、誰よりも情報源の取り扱いに注意を払わなければいけないはずの新聞社で言論を司る論説委員長が、言うに事欠いて「米・独・仏『お互いさま』の通信傍受」だなんて見出しをとられるような記事を書いている。アメリカのNSAが中心となってドイツとかフランスといった各国の要人や機関を相手に盗聴しまくっていたって話を受けてのものだけれども、そこで「諜報、情報活動は、平時であろうと戦時であろうと、国家の政策決定に欠くべからざる手段だ。国益のためなら、相手が同盟国であっても、おかまいなし。それが国際政治の現実ではないか」とまで言っている。ってことはだ、国益という時に政権個人の利益とすり替えられかねないもののためなら、新聞社であっても取材源の秘匿を疎外されても構わないってことなのか。そんな新聞社にいったい誰が情報提供をしようと考えるのか。そう受けとられかねない心配が浮かび上がる。

 絶対って線引きはあって当然のところをまるで守らず、最初っから胸襟を開いてしまっているって取られかねない、ちょっと言論機関とは思い辛いスタンスが、何をもたらしているか、って言えばつまりは結果をご覧じろってことなんだけれど、その結果って奴がまた……。しかしちょっと吹き出した末尾。ドイツのメルケル首相宛。「首相がすべきことは、米国にねじ込むことではなく、携帯電話に盗聴防止機能を施すことだ」。NSAの技術力を舐めているのか、そんなことしたって盗聴できてしまうのが今の技術なんだよ、やりだしたらきりがないんだよ。そして書いたその日に日本も盗聴されていたことが判明。どーすんだ? 同盟国、いや属国ですから盗聴されて当然、いやいやもはや盗聴ですらなく全面的な提供ですとでも言うのか。言ったりして。


【11月4日】 そしてまー君は台湾で行われるアジア各国とそれから今回はイタリアの代表も混ぜたアジアシリーズという大会には出場しないという。そりゃああれだけシーズンを通して投げてきた選手であり、そして日本シリーズでとてつもない連投をした選手がこれからまだ投げなくちゃならないってなると少々、体の方が気になってしまうんで出場辞退もやむを得ないとは思ったりもする。それを承知で今の名誉を得るためだけに監督が投げさせることを了承したなら、それはそれで誉められた話ではないけれど。

 だってそれって日本が散々っぱら要求しているワールドベースボールクラシックへのメジャーリーグの真っ当な対応、すなわちちゃんとメジャーリーガーを出場させろよポストシーズンだからって怪我が怖いからって出さないなんてそりゃ大会への冒涜だろ、って主張を、そのままアジアの各国から返されても文句がいえないこと。日本にとってメジャーリーグが未だ大いなる目標でありひとつの到達点であるように、アジアの各国にとってやっぱり日本のプロ野球は憧れであり目標でありいつか辿り着きたい地平。そこが全力を持って全霊をかけて最高の試合を最高の選手たちで繰り広げることをしなければ、アジアの野球ファンにとって日本は自分たちを見下した国、侮辱した国として受け止められてしまいかねない。

 日本がWBCでのメジャーリーグの対応をそう感じているように。だからやっぱり最高の「おもてなし」とやらを会場こそ台湾であっても行って欲しいんだけれど、一方にはやっぱり選手たちの事情もあるからなあ。これが日本での開催だったらファンも舐められないからと最高の選手を用意して挑んだに違いないんだけど。いつかのロッテも日本ハムも中日も、真剣に挑んでそして勝利しアジア1に輝いた。その歓喜を東京ドームで今一度、見たいけれどもそういうのにお金を出すスポンサー、もういないのかなあ。

 テレビが日本シリーズの東北楽天ゴールデンイーグルス初優勝で沸いていたその裏で、ドラマの「安堂ロイド」は大きな転換点を迎えていてあのアンドロイドキムタクにいよいよ名前が付けられた。その名も「安堂ロイド」、ってやっとかよ、やっとなんだけれどそれを安堂麻陽から聞かされたキムタクの返事が「駄洒落か」には笑った。分かるんだ駄洒落。嘘は着けないけれど駄洒落は分かるし肉の味も分かるようになっている。なかなかの高級っぷり。けどこの回ではそんな味覚をめぐってかつて自分に味覚をインストールしてくれたアンドロイドかサイボーグかが現れ一悶着を起こす。

 消去したはずの記憶が額に指をあてて思案したり攻撃されて腹をぶち抜かれたくらいで復活するはずはないから、ああしたいまわの際の思い出語りはそれがお互いに納得できる形だからという理解のもの、そう演じているか演じさせているのかもなあ、なんて考えたりもしたけれども一方でドラマとしちゃあそういうのがあった方が盛り上がる。厳密な科学と曖昧な文学の差異をどうやって埋めていくかは、SF物にとって永遠のテーマなのかもしれない。そしてロボットに心が芽ばえ始めるという設定も。

 それは命令がぶつかりあってコンフリクトする中で見せる曖昧さが感情めいた逡巡と思われるだけだと言えるのかもしれないけれど、でも人間だって考えれば仕組みは同じ。表面に現れる逡巡をただの迷いか、それとも感情かと判断するのが人間の側である以上、思いたい方向へと流れていくのも仕方がない。あとはそれに作り手がどういう意味を乗せるかだけど、「安堂ロイド」の作り手はロボットにだって感情があって良いじゃないか的な設定を貫くのかな。それとも最後に演算の上での迷いであり、バグだとかいって感情を否定して去って活かせるのかな。どちらにしても本番はこれから。サプリちゃんの今後も気になるし、しばらくは展開を追っていこう。

 雨が降ったり止んだりする中を折角だがからとセイバー背負って「文学フリマ」へ。春のニコニコ超会議で開かれた「超文学フリマ」に行けなかっただけにほぼ1年ぶりとかになってしまうけれども会場は相変わらずに表現したい人たちで盛況な様子。流通センターのホールに2つのフロアでブースを並べて来場してくる人たちを待ち受ける。そんな中でひときわ長い行列ができていたブースがあって近づくと、名古屋大学のSF研究会が田波正原稿集というのを出していた。つまりは殊能将之さんが学生時代に書いた原稿を集めたもので根強いファンが集まり行列を作って買い求めたもの。せっかくだからと1冊買ってぐるりと周り戻ったら売り切れていた。人気だったんだなあ。それだけに訃報が惜しまれる。

 そんな行列に隠されてしまうようにSF関係のブースがあったんで、SF作家クラブの50周年を記念して作られたというクリアファイル5枚セットを購入、ダーティペアが美しいけどでもやっぱり、最初の文庫本の表紙絵みたいなのが僕は好きだったなあ、可愛くて。あと行列の反対側にあった足達淳さんと石川誠壱さんの世田谷ボロ市では「笑っていいとも」に芸人として出たことがあるらしい石川誠壱さんによるタモリ論のコピー誌を購入、樋口毅宏さんが書いてベストセラーになったりもした「タモリ論」へのいろいろが書いてあって面白かった。人にはそれぞれにタモリ論があって当然、ただし「タモリ伝」ならそれは他の人には書かせたくないという石川さん的な思いがいつか、実現する時を願おう。

 上智大学紀尾井町文学OB会のブースではライトノベル作家で研究家で本当は近代日本文学の研究者で最近は短大の先生もやっている大橋崇行さんがおられて1冊戴くと中に一宮あたりにあった遊郭と、そこにいた遊女が別に文学をやっていたかもしれない話がどこか私小説風に綴ってあって面白かった。史実とは多分離れているんだろうけれど、史実から推測できる部分でもあってそういう思索から膨らむ世界観がリアルを追うのに忙しいエンターテインメント小説とは違った沈思の時間をもたらしてくれる、かな。近く彩流社から新刊も出るらしいのでそっちにも注目。幻想っぽい話になるらしい。なお注目。


【11月3日】 デザインフェスタではそうそう、アトリウムにあるブースで早売りされていたフクサコアヤコ+Photo’s Gate「アンダーグラウンド イベント 東京」(芸術新聞社)を買い著者のフクサコアヤコさんにサインももらう。開くとそこは東京アンダーグラウンド、ゴッホ今泉さんが主宰して様々な人が集まり饗宴に勤しむと巷間、言われているイベント「デパートメントH」とはじめ東京ゲイナイトとか東京デカダンスとかダイヤモンドカッターとかいったセクシャルにフェティッシュなイベントが並んで日本のカルチャーの表だっては見えていない側面というものを写真も豊富に紹介してくれている。よくニューヨークとかロンドンとかいろいろな場所でのアングラが凄いとか評判に登るけれども日本だって負けてあいんだなあ。

 そしてユニークなのは、そうしたアンダーグラウンドなイベントとに並立してデザフェスやコミケが取り上げられていること。ああそうかあ、なんて感じにそうした並立をポジティブに感じる人もいる一方で、どうして? って不思議に思い白日の下で繰り広げられているイベントがアンダーグラウンド? って訝る人もいるかもしれないけれど、元よりコミックマーケットというのは止むに止まれぬ表現への思いを形にして頒布するために始まったという場所で、そこには真正面からの批評もある一方で、自分の中のもやもやとした思いを綴っていたりするものもある。いわゆる二次創作というものは著作権上のボーダーを行きつ戻りつしながら表現の自由という一線にすがり主張を貫こうとする態度でもあってそこにはある種のアングラ感が漂っている。

 コスプレも同種で町中では当然できない姿を見せられる場所としてコミックマーケットに集まり縋る人たちが大勢居る。中にはジェンダーを超えて自分の中をさらけ出す人もいたりする場所は、深夜のクラブに集うアンダーグラウンドにフェティッシュな人たちと並立させて不思議はない、なんて判断がそこにあるような気がする。とはいえ昨今のコミケやデザフェスの一般化大衆化大規模化は、当初にあったそうしたアングラ意識を希薄化させて、好きなキャラが集まり群れ集う場所であてそれを求めて何が悪い? なんて真っ直ぐな感情ばかりが表に立って、足元の不安定さを省みない心性を真似ていたりもする。

 それはある種の必然なのかもしれないけれど、かといってマイナだったりレジストだったりアングラだったりする意識を皆無にして、陽の当たる存在になるべきかというと違うような気もする。だから今、こうして並立させてとらえた視点は貴重だしとても必要なものではなかろーか。そんな「アンダーグラウンド イベント 東京」ではコミックマーケットの準備会より安田さんと里見さんという方々が著者のインタビューに答えているので同書に所収され得る存在であるところのコミケ性を考えてみると良いのかも。でもややっぱりビジュアル的にはゴッホ今泉さんかなあ、そういう姿をしている人だったんだと、インタビューのカットを観てちょっと驚いた。いや似合っているし美しい。1度くらい見てみたいなあ、でもやっぱり怖いぞデパートメントH。歌舞伎町のリアニメーションならのぞけるかなあ。

 せっかくだからと朝1番の京成ローザで「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」を観賞、2週目のプレゼントは原画ポストカードでやっぱり色紙と同じほむほむだった。ある意味で正解なのかも、この作品については。1回目を観て結論を知っているとやっぱりあのオープニングは心にズシンと来るなあ、踊るマミさん杏子にさやかとまどかの中央でひとり茫洋とするほむら。それは1回目の時も目について気にはなっていてそして全体を見通してなるほどと思ったりもしただけに、2回目ともなるとなおいっそうその存在の悲しさて奴が滲んでくる。寂しかったんだろうなあ。寂しすぎたんだろうなあ。だから……。そうなってしまった以上はだから「快復の物語」なんかが用意されて今1度のリセットを期待してみたくもなるけれど、誰も彼もが幸せに終わる結末なんてあり得ないとしたらやっぱりこのままで行くんだろうかそれとも。アナウンスがあるのを待とう、いつまでも。

 千葉中央から千葉を経由して新木場へと出てそしてりんかい線から東京ビッグサイトへと回ってデザインフェスタの2日目。ザリガニワークスこと太郎商店へと行くと「土下座」 のソフビフィギュアが何と600円という大バーゲンで出ていたので買ったけれども今、これを観る人はやっぱり何か流行りに乗ったんじゃないかって思うんだろうなあ、でも圧倒的にザリガニワークスの方が早いんだけれど、もうかれこれ何年くらい? まさかここまで世間の話題になるとは思わなかったに違いない。話題になり過ぎて陳腐化してしまうとも。だから出血大サービス? あとはコレジャナイロボとか出ていたけれどほかに透視眼鏡ってのがあってかけると全部丸見えに……なりません、ならないの? ならないってば。残念。

 あちらこちら観察して和装侍系音楽集団MYST.が歌っているのを観て「夢を見る間に抱きしめて」ややっぱり名曲過ぎると感嘆。その周辺を歩いていた得たいの知れない着ぐるみが持っていた看板を元にカンブリ屋ってブースにいってカンブリア紀の生物アノマロカリスのぬいぐるみを買う。2000円。高いのか安いのか。可愛いのか気持ち悪いのか。そんな狭間にある品がこうやって売られてかえるとゆーのがデザインフェスタの魅力。いくらメジャーになってもそれは変わらない。だから僕は通い続けるんだ新しい出会いと発見を求めて。でも以前ほどパッと観てグッと来るのが減ったような気が。それは自分に新しいものと出会おうとする意識が足りなくなっていたりするからなのかなあ、ちょっと最近、出不精だものなあ、ちょっと頑張ろう、頑張り直そう。

 まー君に最後を飾らせるなら、昨日は途中で降板させておくべきだったかなやっぱり。160球を投げた翌日にたとえそれが当人の希望だったとしても投げさせないのが指揮官たるもの、なんだけれどもそういう浪花節を見せることで選手から信頼されるというのがプロのアスリートの世界なのか? それともやっぱり合理を重んじ非合理なこといには違和感を覚えるのか? 選手としてはひとつにまー君ではない自分は信頼されていないと思うのかもしれないし、無茶をさせられるのかもしれないし、勝てる試合を落としかねない不安に体が鈍るのかもしれないのかなあ、やっぱり。勝てたから良かったけど、あそこで1点、返されてたらどうだったか。結果オーライは怖いねえ。そして某ネット企業ではこれから「今月あと1週間あるのにもう160時間仕事してるんですよ」「まー君を観ろ」という会話が盛んに行われるのであったという、そんな夢を見た、悪い夢だ、夢ならば。


【11月2日】 秋田禎信さんの「虐殺機イクシアント」と神坂一さん「巨甲闘士グランアース」は世にも珍しいシェアードキャラ&シチュエーションな巨大ロボットライトノベル。少女とその父とマッドな博士を中心に巨大ロボを動かし敵と戦う話だけれど、秋田さんは宇宙を舞台に敵星と戦い神坂さんは地上で異次元からの敵と戦う。秋田さんでは少女は星系を仕切る一族の令嬢で名を挙げるために父に引きずられロボットに乗せられてていて、周囲の犠牲も引き受けなくてはいけないその辛さが響く。そのシリアスさをセクハラ科学者がやや緩和。彼の発明したロボットの凄い装備のアイディアとかがちょっとSF。あと人工知能ミサイル。頭良いけどその分融通が利かなかったり。だから倒せるんだけど。

 戦場の場で活躍を求められる少女の悲劇と、ロボットの持つ秘密のパワー、宇宙での戦闘というシリアスさ、いざとなったら戦艦が見方がいるのも承知で全方位を焼き尽くすパルスだかを出す戦いの無慈悲さなんかが響く秋田禎信さんの「虐殺機イクシアント」。対して神坂一さん「巨甲闘士グランアース」も軽そうに見えて案外真面目。そりゃあ「スレイヤーズ」の神坂さんだからロボットを操縦する少女もその友人たちも賑やかだし、博士のセクハラも度合いが凄まじいけど、異世界から来る敵ロボットは街もビルもなぎ倒す、その過程で大勢が死んでいるんだろうと少女に思わせる描写もある。そこに幸運はない。だから少女は戦う。戦い続ける。

 高速で迫る武器なり兵器はロボットの周囲に張られたシールドみたいなものが粉みじんに切り刻むという敵ロボットの装備のアイディアがなかなか。移動すると逆に周囲が高速で移動していることになって切り刻まれるから考えて移動しないとけない。じゃあどうやって倒すのか。上空から落下傘つきミサイルを降らせるとかいった展開にアイディアが見える「巨甲闘士グランアース」。敵はいったん退いたけど戦いは続くってことで。いずれもロボットアニメの初期バトルといった戦いで、本当にシリーズ化されるなら相当にシリアスだったりテクニカルな展開も期待できそうだけれど、そういう可能性はあるのかな。更に別の人が同じキャラ同じ設定で違う物語とか描くと面白いんだけれどそこまでやるか富士見書房。

 ああ絵が戻った、というか前週はあの作画にするためにわざわざそれ用のキャラクター設定を作ったというから気合いが入っている「キルラキル」。それをあげつらって作画がどうとか言い出す輩がいたりするのが分からないというか、分かってやっていることを知ってか知らずとも崩壊だと騒ぎ立てる言動の何と野暮なことか。以前の「フリクリ」とか「天元突破グレンラガン」とか観ていれば、そういうのが“味”であることは分かりそうなものなんだけれど、それを視聴者ではなくライターが知らないふりしてあげつらってアクセス稼ごうとする性根がどうにもささくれだつのであったという、そんな「キルラキル」は纏流子の纏う鮮血を脱がそうと男が乱入、どうやら教師と同じヌーディストがどうとかいう一味らしい。でも服来ているじゃん。

 そして本能字学園からは文化部担当の四天王、蛇崩乃音が本格的に出馬しては文化部を集めて流子と反制服ゲリラの黄長瀬紬が戦っているのを追いつめていくけれど、そこはやっぱり相当な手練れということで紬には逃げられた模様。まあまた出てくるだろうけれど。「言いたいことが2つある」でいろいろとセリフを考えてそれなりにカッコ付けさせるのって大変だったろうなあ、脚本の人も。でもそれが決まると実にバッチリ。ラストもすごくハマっていたしそういう面からも評価できそうな「キルラキル」。でもあんまり鬼流院皐月さまが出てこなかったのが残念といえば残念か、あの恥じらいもなく神衣をまとい食い込む股間をさらけ出してくれる姿が好きなのに、おまけに白いし。そこもこれからに期待。

 せっかくだからとデザインフェスタへ。行くとモンヂャックが割と良い場所にあったりしてあの抽選外れからの復活当選とはいったい何だったんだろうとか少し思った。おまけにフィギュアのKamaty−moonも入り口付近のとても良い場所にあってやっぱり落選からの敗者復活ってどういう意味があったんだろうかとやっぱり考える。常連の人気サークルに対するサーヴィス? でもいったん出られないと知らされた時の予定の立たなさぶりってのは凄かったからそうやって揺らして嬲るなんてことはしないだろうし。やっぱり謎。次回はまた応募の感じが変わるんだろうか。出られるかどうかで悩んでいる人にはいつも大変だろうなあ、でもこうやって常連さんにまた出会えたのは僥倖。そうでなかった人もいたけれど次回は是非に。東京へ。名古屋のクリエーターズマーケットも悪くはないけどね、1度行って見てみたいなあ、その熱気。

 Kamaty−moonでは瓶に入った小さいドラゴンのツメを買ってそれから周辺を散策、奇怪さと可愛らしさがまぜこぜになった不思議な造形と色彩を持ったあみぐるみを作り出す横道佑器さんが全開に続いて今回もデザフェスに登場していて不思議な味わいのパペット的あみぐるみを見せてもらう。今回はアコーディオン奏者の人のライブイベントに登場してパフォーマンスを見せた割と大きめのあみぐるみも展示してあって、そうかそういう方面でも作品が展開できるんだと気がついた。文楽の人とかが扱えばなかなな動きとか出せそうな。あとちょい大きめのドラゴンというあみぐるみも見せてもらったけれど角ではなくまあるい頭になっていてそして舌が引っ張ると飛び出てくる。仕掛けも造形もユニーク。そして当人はとっても純朴。そんな横道さんの作品を、展開するにはやっぱり映像での利用かそれともアートとしての認定か。道あいろいりありそうだ。

 その意味ではジョンハサウェイ(JH科学)さんなんてデザフェスにも出ていたしアートフェア東京にも出てギャラリーでの企画展にも作品を寄せていて今は神戸のビエンナーレにも呼ばれているとか。でもってコミックマーケットにも出れば海外のオファーに答えて作品を持っていったりもするという八面六臂の活躍ぶり。そこにはアートであるとかイラストであるとかいった垣根はなくって良い物は良い、面白い物は面白いのだからどこでだって受け入れられるんだという作り手の自信があり、また受け手の感覚がある。分け隔てをして入れたり落としたりすることの勿体なさ。それに気づけることが新しい感覚を持ったクリエーターを受け止めていくために必要なことなのかもしれないなあ。などと。

 だからこれもどっちと評価しないでおくのが楽しいのかも。コスプレ衣装を普段は作って着たりもしれいるらしい澤田あかねさんが造形を担当して、イラストレーターのイーベルさんが描いたキャラを立体化した「EXF−05A IRIS」というこれは単体では等身大フィギュアとしてのインパクトはあっても、それを買ってどうするって訳にはいかないけれどもこうやって、ひとつ形に出来るんだということを見せることによってひとつに造形家としてのキャリアを広げられそうだし、一方でデザイナーとしての才覚を強いインパクトによって大きくアピールできそう。ユニットとしてこうした等身大ロボ娘を幾つも作っていくというアートとしての展開も可能かも。一般的だけれどキャラクターとして世界観の上でいろいろと展開していくことも。そんなとば口としてネットとは違うリアルな展示の場としてデザインフェスタを活用したってことで、ここからどういう出会いがあってどういう広がりを見せていくのかがちょっと楽しみ。追いかけて行こう。とはいえ次もデザインフェスタでは物足りないなあ、SF絡みのイベントとかに置いて観て貰うとか出来ないかなあ。


【11月1日】 栗本薫さんの没した後をスピンオフ的な作品群が発表されてファンの乾きを埋めていた「グイン・サーガ」のシリーズがついに本編再開となる模様で五代ゆうさんらが執筆してこれまでのストーリーが続けられることになったとか、って言われても実のところ絶筆までどんな感じの展開になっていたのかまるで分からず、いきなり読み始めてもちょっと大変そう。自分的にはいったいどこまで読んだのかも思い出すのが大変で、多分80数巻あたりまでは読んでいたけどそこでいったい何が起こっていたのかも、今となってはちょっと思い出せない。

 記憶だとアルゴスの黒太子ことスカールはノスフェラスで大変な目にあって相当に弱体化していたし、イシュトヴァーンにはアリってグイン・サーガ界にあって珍しい不細工の軍師がついてメキメキと勢力を拡大していてアルド・ナリスはモンゴールの皇女アムネリアとの婚礼が取りざたされながら殺害されてアムネリアは泣く泣く引き返しそしてナリス復活となってリンダと何かあったりしつつ一方でレムスはどんどんと根暗になっていったなあ、なんて感じ。それもたぶん50巻とかそんな辺りでそのあとに何が起こったか、何より肝心のグインがどこで何をしているのか、って記憶が飛んでしまっている。

 まさか戦場に立ったグインが貧しい人たちを前に自分の豹頭の首をポンと渡して「これを売って美味しい物でも食べなさい」と言いつつ自分は山へと分け入っては野生の豹を倒して首を切りそれを自分の頭に乗せ換えたりはしていなかったよなあ。もうまるで分からないけどひとつ、言えることがあるとしたらグインはいずれ狷介な美少女のお姫さまと結婚をしてあんまり目立たない立場になる。それは外伝で既に明らかになっていることなんで、そこへと向けてどういう話が繰り広げられるのか、そしてグインの正体と記憶の中身にどういう説明が加えられるのか、なんて辺りを楽しみに読んで行くことは出来そう。イラストも含めてちょっと様子を見ていこう。イシュトヴァーンってずっと根暗なままなのかなあ。陽気な兄ちゃんに戻って欲しいよなあ。

 一瞬「魔性の子」と空目した入江君人さんの「魔法の子」(ファンタジア文庫)は、冒頭から少年が手にしたナイフで幼女を切り刻んでいたりして、ちょっとえっと思わせたりした後で時間が少しとんで、そこで人間は生まれた瞬間から魔法が発動するようになった世界で、歳を重ねるごとに何割かの子供から魔法が消えていくという設定が示され、そんな世界で国の監視の元に魔法が残る少年少女が集められた学校に、かつて消滅したはずの魔法がなぜか復活した少年が戻される。そこで妹と再会した少年は、同級生の少女と口げんかしたりしてラブコメディ、かと思ったら少女の過去が今に災厄となって現れ似た悩みを抱える少年を迷わせる。

 子供はすべて魔法というか一種の超能力を持って生まれてくる。だからタイトルも「魔法の子」。とはいえ動物に等しい何も知らない赤ん坊が、周囲の人間も状況も気にせず派手な魔法を発動させては甚大な被害をもたらしていた時代もあって、中にはその凄まじさから大勢を焼き殺してしまったような赤ん坊もいたらしい。それでもだんたんと様子が分かるようになって、被害も魔法の力で抑制が可能になって赤ん坊も安心して生まれて来られるようになったんだけれど、一方で魔法を持った子供をさらい海に連れて行く怪物も発生。冒頭で少年はかつてそれに襲われ妹ともども危機にあったという。その怪物の謎も含め続きが気になるところ。多彩な異能のバトルともども楽しんでいこう。

 なるほどスティーブ・ジョブズの伝記映画は彼らの狂気にも似た熱情をリアルタイムにおいかけ、あるいはマシンを通して触れてきた人たちにとっては本物を超えられない寂しさがつきまとっているのか、人間が実在の誰かを演じる以上はやっぱり実在の誰かに似せられはしても超えられない、その壁を突破するには一種の虚構へと落としてそこで大袈裟でも何でも可能なようにセッティングするしかない。だからピクサーはスティーブ・ジョブズもスティーブ・ウォズニアックもジョン・スカリーも誰も彼も猫で描いたアニメーションを作るべきだ。猫ならちょっとの大袈裟なアクションでも表情でも描写が可能だし種類によって使い分ければジョブズみたいな天才肌でもウォズのような泰然自若でもスカリーのような切れ者でも特徴を出して描き分けられる。ただし最大のライバルとして立ちふさがったビル・ゲイツだけは人間キャラで。なぜって喧噪のシリコンバレーで幻想と狂気の中を生きたジョブズたちとは違って絶対の功利と完全な合理で生き抜いた野郎だから。観たいなあ、そんな映画。

 なんか「かぐや姫の物語」が公開される前に日本テレビで高畑勲監督の作品が放送されるみたいだけれどそこでどうしてジブリ縛りにしてしまうのかが、分かっちゃいるけど気に入らない。だいたいが「火垂るの墓」なんて8月の終戦記念日が意識される時期に必ず放送しては戦争の悲惨さが浮かび上がる内容に世間をうーむと言わせるべき作品なんだけれどその時期には数字が欲しい宮崎駿監督作品を流してしまう。けど今、この時期に「火垂るの墓」を見せられてそれで高畑監督すげー「かぐや姫」ぜってー見に行くなんて人がどれだけいる? 関係性がない上に内容が内容。脚が竦んで目が滲んで立てやしない人が大半なんじゃなかろーか。「おもひでぽろぽろ」も同様。あれは実写映画と並び論じられる作品で、「かぐや姫」の持つ少女の成長と幻想のストーリーはむしろ宮崎作品との対比で語られるべきだろー。

 その意味ではまだ楽しげな「平成狸合戦ぽんぽこ」とか、観ていると以外と馴染む「ほーほけきょ となりの山田くん」が良いんだけれど「ぽんぽこ」はもう放送してしまったし。だからここはジブリを外してでも「赤毛のアン」なり「アルプスの少女ハイジ」なりをダイジェストで流すか「太陽の王子ホルスの大冒険」を流すかするのが高畑作品への共感なり映像が持つ迫力への感心を大きく高められるんだけれど、フジテレビの名作劇場を日本テレビが流すわけにはいかないし、「ホルス」じゃ古すぎるし、だもんなあ。だったらあるじゃないか「じゃりん子チエ」が。あれこそほのぼのとした空気感の中に強く生きる少女の主張がぐっと浮かび上がる話になっていた。見せるべき、なんだけれどやっぱり無理か、ジブリじゃないし、関西物だし。勿体ないなあ。


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