All those moments will be lost in time

 夜でもない空を黒く描く。そこに、もしかしたら、「All those moments will be lost in time」(早川書房、1200円)という漫画に、西島大介が滲ませようとした何かしらの思いが、あるのかもしれないと考える。

 透明な空気に混じる澱。それは、物理的に実在しながら、小さくて見えないものかもしれないし、心理的に内在していて、自分の心にだけくっきりと映っていものかもしれない。それを絵に描こうとした時に、筆は迷うだろう、どう描けば良いのかと。

 見えないのなら点でも線でも描けないし、心で見えたとしても形にならない。だからといって、描かない訳にはいかない、あの日、あの瞬間から漂い始め、降り積もり、重なり合ってこの国に満ち、心に溢れた澱を、西島大介はだから、夜でもない空を黒く塗りつぶすことで、そこに表そうとしたのかもしれない。

 真意は知らない。尋ねる機会もないだろう。ただ、そう捉えることで漫画から伝わってくる苦みや痛さ、迷いや悩みがあることだけは確かだ。あと何年も、あるいは何十年も明けそうにない黒い夜を、どこまでも歩き続けていかなくてはならない思いに、この漫画を読む者たちは知らず引きずり込まれる。

 とても個人的な内容が綴られた「All those moments will be lost in time」は、広島県広島市西区にある高台の住宅地から始まる。東京の西に暮らしていたはずの西島大介が移り住んだ先。なぜ広島に、という問いは不要だろう。2011年3月11日。地震と、津波と、そして原発事故という出来事が、西島大介と家族を東京から離れさせた。

 その行動の是非は問えない。大げさだとも当然だとも言えない。人それぞれに感じる気持ちは違い、取れる行動の形も違ってくる。西島大介は広島行きを選び、そこに家を構えてイラストを描き、漫画を描き、音楽も作ったりして暮らしている。暮らしていけるとも言える。それは西島大介の生き方で、他の誰が何を言えるものではない。

 ただ、東京を遠く離れて、空は晴れたはずだったし、空気も澄んだはずだったのに、描かれる空は、夜でもないのに黒いままなのはなぜなのか。それは、壊れて今もなお放射線を出し続けている福島第一原発への不安が、塗りつぶさせた色なのかもしれない。福島だけでなく全国にあって、今は止まっていてもいつか動くかもしれない原発たちへの恐れが、染めた色なのかもしれない。

 そう感じるに足る理由が、西島大介にはある。彼の妻の父が暮らしていたのは、福島県の中通り。爆発した原発から10キロ圏内という場所から、西島大介の義父は車に親族を詰め込み、ガソリンを手で入れながら必死で逃げて来たという。本人の経験ではなくても、身近なところから伝わるリアルな恐れや戦きは、さらに大勢のリアルな恐れや戦きを想像させて、聞く者を縛り誘う、より安全な地平へと。

 だから、西島大介は東京へとは戻らず、今も広島に居続けて黒い空を見上げている。同じように広島に移って来た義父がいったい、元いた場所に戻れる日は来るのかと考えればなおのこと、塗られる空の黒さも濃さを増すだろう。

 それは何十年という単位。もしかしたら何百年かもしれない単位。1945年8月6日に人類史上初の原子爆弾を落とされ、けれどもしっかりと復興を果たした広島に居ながら、福島の未来を同じと想像することは難しい。だから空は黒く塗られたままなのかもしれない。

 そんな、放射線という物理的な圧迫とは別に、この国を覆って包み込んでいる明日の見えなさも、空が黒いままになっている理由なのかもしれない。放射線そのものの影響は科学的に切り分けられても、崩れてしまった安全への信頼や、中身が伴っていない復興の状況は、不信を招き不満を大きくさせて、人の心を不穏へと引きずり込む。

 子供たちが大きくなって、自分たちの暮らしは落ち着きを見せても、そんな国ぜんたいを覆い包む不穏からひとり、抜け出ることは難しい。人はひとりでは生きていけない。不穏が招く停滞や沈黙の影響は、どこに居ようと確実にその身を浸す。逃げ延びることはかなわない。だから。

 少しづつ西島大介は向き合い始める。東京へと赴き、福島にも脚を踏み入れて、そこに暮らす人々の今を見ようとする。

 届いた。福島でそう西島大介は感じ取った。自分の携わった仕事が、福島の人々に伝わっていることを認識した。何かが解決する訳ではなく、むしろ何も変わってはいないのかもしれないけれど、沈みこむばかりの心に少しの支えはあげられた。そう西島大介は感じ取ったかもしれない。

 そして、この「All those moments will be lost in time」という漫画が出来上がった。今へと届ける言葉をひとつの形として紡ぎ上げられた。

 この先、どうなるのかは分からない。西島大介は広島で暮らし続けるだろうし、空もしばらくは黒く塗られたままだろう。そんな日々でも、どこかに何かを届けたいという思いは、消えず衰えることもなく、抱かれ続けるはず。そこから生み出される漫画であり、イラストであり音楽が、漫画のように真っ黒な空に、人の心にいつか星を灯し、太陽を輝かせる日が来るに違いない。

 そんなことを今、心から願っている。そして、永遠に願い続ける。


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