縮刷版2012年月上旬号


【7月10日】 ちらっと「AERA」と見たら杉井ギサブロー監督が「現代の肖像」に出ていたけれども、話されている内容は語り下ろしの新書「アニメと生命と放浪と 〜『アトム』『タッチ』『銀河鉄道の夜』を流れる表現の系譜〜」とかに語られていたり、ドキュメンタリー映画「アニメ師・杉井ギサブロー」で本人やその周辺によって語られていたりして、そっちを読んだりこれから見る人は割と重複も多そう。ただし映画「グスコーブドリに伝記」についての重大なネタ割りあり。それを知って見るとなるほど分かりやすいけれども驚きは減ってしまうので、読むなら見た後に。っても自分、去年の夏にすでに杉井ギサブロー監督から、その話とそしてラストの展開をすべてバラされていたのでありました。それでむしろ作品にのめり込めたんで、案外に悪いことでもないのかな。

 あと「AERA」の記事では、「グスコーブドリの伝記」を作るに当たって、前の「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」では杉井ギサブロー監督が、スタッフを相手に1日に何時間も宮沢賢治について語り考える時間を設けたものを、今回は江口摩吏介さんが中心となって、若いスタッフを相手に宮沢賢治の読み込みを行ったって話は、ちょっと目新しかった。技術と魂は受け継がれているってことで。作画監督も女性でそれなりに若そうなんだよなあ「グスコーブドリの伝記」って。若いスタッフはちゃんと着実に育ってきているんだよなあ。その活躍出来る現場があることがだから重要になって来るんだろうなあ、これからは。お手伝いをした「フミコの告白」で「rain town」の石田祐康さんは次に何をてがけるんだろう。

 結城蛍の面前で沢木直保を「ダーリン」呼ばわりするとは西野円、半端ねえ。というか止まった造り酒屋の実家で果たして円と直保との間に「ダーリン」という言葉を裏付けるような行為はあったのか。父親ですら黙認なり公認のその関係をさらに積極的に押し進めようとする眼鏡っ娘の女子高生のアタックに、普通だったらなびかない男子なんていないはずだけれどもそこは日頃から蛍相手に美しい者を見慣れていたりする直保。なおかつ平凡さとはちょっと違った関係性にも身を染めていたりする関係から、円のその肉体によるアタックでは直保も容易にはなびかなかったかも。「ついてない」とか言い出して。いや本当に蛍にはまだついているんだろうか。ときどき既に切り落としちゃったんじゃないかと思うよ。アニメの第2期の方は斎賀みつきさんの演技か声が男子寄りになっているけれど。っていうか前もあんな声だったっけ。

 そんな「もやしもん」が看板となった「イブニング」で、割と楽しんできた小野敏洋さんの漫画「ブッシメン」が完結。若い仏師がフィギュア作りだなんて正反対の世界に飛び込んでいったいどうなるかって思わせてくれた作品も、形を表現することを追い求める仏師の技がフィギュアにまず出て喜ばれ、けれどもフィギュアという大量生産の造形と仏像というひとつひとつがオーダーメードの造形の間に持ち上がる、魂を入れるの入れないのといった問題が最後にわき上がっては悩ませそして答えを出させる展開は、同じ”フィギュア”でありながも違い、けれども重なる部分も少なくない両者の特質を目の当たりにしてくれて勉強になった。できればもうちょっと続いて美少女仏師の古都偲ちゃんの行く末とか、見てみたかったけれども、浅倉サクラのはちきれそうな胸を手ブラで見られたからまあ良いか。次はどんな連載が始まるかなあ。アシスタントのがん闘病記とか軽そうで思い連載も始まったけれどもどうなるかなあ。

 誕生日た誕生日だ晴れがましいお誕生日が来たので日本で1番高い建物の「東京スカイツリー」にのぼって満天下を睥睨してはごの愚民どもめ俺の支配下に入るんだと呟くことにする、って思い立ってすぐに行ける場所ではまだなく、7月10日までは日時指定の予約が必要。それをしばらく前に1日1000枚だか追加で売り出すことになった時に、誕生日会わせで買っておいたのを今回行使することにしたもの。準備がなければ天下だって取れません。スカイツリーにのぼればとれるものでもないけれど。しかし朝の8時からいったいどれだけの人が上るんだろうと見ていたら、それなりの人数が並んでそれから、別に団体さんものぼってまずまずの賑わい。といっても回廊展望が人並で押されっぱなしってこともなく、自分が1人くらいしかいないような空間も作れたりと、混んでる時の東京タワーも及ばない、静かな環境で見られたんじゃなかろーか。

見下ろせば遥か下界の愚民ども!  クレジットカードでチケットを出してもらってエレベーターでまずは天望スカイデッキへ。速い速い超高速でエレベーターがのぼっていくからまるでストレスにならない。耳抜きすらしている暇がないほど、って本当にそれくらスピーディ。んでもって降りてまずは向かった天望回廊への入場券。ここで混んでいると何時間か待たされることもあるんだけれど、朝1番では数分でチケットが買えてそのままエレベーターでさらにゴー。シースルーになっている部分もあったけれどもあまるの速さで外を見る眼も追いつかない。それこそ高所恐怖症の人が症状を忘れるほど。でも上に上がればそこは450メートルだかの超高層。とはいえがっしりとしていることもあってあまり高さが気にならなかった。そういう配慮が去れているのかなあ、設計の段階から。

 どうも久々の快晴らしくって朝だから東は太陽にかすんでいたものの、西や北は日に照らされてくっきりと向こうの方までよく見えた。雲が出ていたから富士山までは見えなかったけれども冬場になれば雲も飛んでそこに綺麗な山が浮かぶことになるんだろうなあ。でもあんまり超高層過ぎて、逆に比べるものもなく富士山の大きさが分かりづらいかも。そんな展望回廊の最も高いところで自分撮りしてそれから350メートルの天望デッキに戻って周囲を睥睨。この高さでも十分高いけれども同様に恐さを感じない。それは場所の広さってものもあるんだろうなあ。本当にゆったり。そしてがっしり。こういう設計を例えば高さにのみかまける他の国々の施設もできるんだろうか。上海の東方明珠にはやっぱり1度、のぼっておきたいなあ。真下まで見える場所になって高さを味わいそれから下へ。速い速い。ソラマチはまだ開店しておらずかといって「庵野秀明館長 特撮博物館」に行くのもはばかられたんで朝の散歩は打ち止め。良い誕生日祝いになりました。ひとりで祝うものなのか。そういうものだよ人生は。


【7月9日】 何かしゃかりきっていうか、とある争点があった選挙でもって、その争点に賛意を示す候補が当選したことになって、その候補を応援した人とか、争点があった選挙そのものに行かなかった人とかを指して、争点に反意を示している人がおかしいと嘆きどうしてなんだと叩く風潮って奴が見え隠れして、どうにも隔靴掻痒と言うか、あるいはもっと言いえて妙な言葉だったりとか、使ってどうしたものかと思ってみたり。ルーズなドッグが何とかするといった言葉のことね。

 結構反対もあったんですとかいったところで、負けた事実には変わりがないし、そうした争点によって最も被害も被るだろう人たちが、それでも得られる利益を求め賛成を示したとも言える状況に、当該の有権者ですらない外野が何をいったところで届かないし変わらない。けど言うことが何かステータス、って空気があったりしてどうにもやりきれない。これは何十万人とか集まったって言われるデモも同じこと。参加する意義を認めつつそれ以上に勧める方策を、示さないといずれ形骸化して運動のための運動と化して乖離してくだけなんだけどなあ。困ったなあ。

 なんか唐突に帰還する場面から始まっていたけど原作はどうだったのか既に覚えていないアニメーション版「はぐれ勇者の鬼畜美学」。異世界に飛ばされ活躍して帰ると何やら異世界で得たスキルがまんま、使えてしまうってことで学校に隔離されることになってその際に、異世界で倒した魔王の娘もいっしょに連れて帰ってしまった主人公に起こるあれやこれや。けどテレビCMなんかで「セクハラファンタジー」だって何だっけ、そんなことを言っているように第1話ではメイドさんたちの下着が乱れ飛び、第2話でも“聖水”だなんて言葉が飛び交う模様。そうした愉快な描写の向こうに生徒会長のおそらくは企みとかが明らかになって、主人公による止むに止まれない戦いなんかが始まるんだっけどうだっけ、原作覚えてないから分からない。読み返すか。そもそも読んでたっけ。

 そして「織田信奈の野望」もやっぱり唐突に戦国時代で主人公の少年が、現代からタイムスリップをしてそこは何かの合戦場、自分を守って倒れたおっさんこそが後の豊臣秀吉だったと分かって歴史が変わると焦る少年の前に変わるどころかまるで違った歴史が現れた。織田信長がいなかった。というかいるにはいたけど織田信奈という美少女だった。どういう訳だ。そこは戦国、油断をすればすぐに食われてしまう弱肉強食の世界にあって男子だ女子だといった分け隔てなんかしていたら、すぐに国が滅びてしまうと長子だったら女子でも家督を継がせるようになっていた、って寸法。

 それにしてお姫武将が多いよなあ、信奈もそうなら今川義元だってそうだし柴田勝家なんてぶるんぶるんあ巨乳だし、松平元康こと後の徳川家康もそんあ感じ。前田犬千代こと後の利家は子供でねねは幼女で蜂須賀小六も以下同文。けど斎藤道三はおっさんなんだよなあ、どういう基準だ。そんな道三と信長との階段に割って入って話をまとめる主人公。未来から来たなんていってそれで納得させてしまって良いのかよ。けどそういう感じに歴史を見てきたことを吹聴した挙げ句に狙われ歴史そのものから復習されかねない境地に陥っていくことになるんだよなあ。今はまだ歴史をたどるような展開でどうにも平板だけれど、段々と面白くなっていくのが原作だから期待しよう。

 キャラクターでとりあえずお市姫の登場が1番の見どころだな、どんな姫武将たちよりも美人なこと確定だし。でもゲーマーズなんかでやっていたキャラクターの人気投票にはお市姫、入ってなかったんだ。残念。それとも原作のような美人姿は見せてくれないのか。原作どおりならそんなお市の夫になる浅井長政の美貌にも注目。でも2人の声はいったいどーすんだ。そういや「織田信奈の野望」も原作を途中で読むのを止めていた。歴史との対峙が迫ってどうなるかてのが怖くなって来たからだっけ。その鍵となる本能寺の変とかもう過ぎたのかなあ。結末どうするんだろうなあ。これは読み増そう。

 「ビッグコミックスピリッツ」を見たらゆうきまさみさんの「鉄腕バーディー EVOLUTION」がいよいよもって完結で、9月30日には完結となる第13巻も発売されるって書いてあったよ驚いた。っていよいよ地球に宇宙からいっぱいやってきて、そしてクリステラ・レビも復活となって何が起こるかクライマックスって感じだからもうしゃあなしではあるんだけれど、かれこれ最初の「週刊少年サンデー増刊号」に掲載されていた時代から数えて幾星霜、その展開を楽しみにしていた身には何とも感慨が深いというか。これで自由になってゆうきまさみさん、次に一体何を連載するのかな、やっぱり個人的には中断してしまった「週刊少年サンデー増刊号」版の「鉄腕バーディー」の続きを書いて欲しいな、ってそれが「ヤングサンデー」版でそして「ビッグコミックスピリッツ」版なんだけど。まあそうなんだけど。しゃあなしだ。

 ありえるとしたらやっぱりあれかなあ、業平博士の暴虐でもって春風高校が大騒動に巻きこまれてから26年後の今、かつての光画部の面々もすっかり大人になって子供も出来た時代に再び春風高校光画部を舞台に起こるあれやこれやを描いた「究極超人あ〜る MIX」。大戸縞さんごの子供とか出てきたり西園寺まりぃの子供とか出てきたりするんだ。でも戸坂先輩はまるで変わらずあのまんまで登場して「よーろしく」。そしてアンドロイドなだけに変わらないR・田中一郎のあのまんまで登場して「こんにちわ」。面白そうなんだけどなあ。やってくれないかなあ。二番煎じだろうと何だろうとやってしまえば勝ちなんだ。でも今だとデジタルカメラ全盛で光画ってのは妙かなあ。「現像バット」も出せないしなあ。暗室だっていらないからなあ。

 そして2度目の映画「グスコーブドリの伝記」。うんあのラストで完璧だ、あそこで悲劇的なクライマックスをドラマチックに見せたところで喧しいだけ、むしろ何かが起こってそれにブドリが関わっていただろうことを、クーボー博士は知っていて、だからカルボナード火山の上へと自ら飛んで敬礼を捧げたんだろー。おそらくは火山局の面々も、ほかのイーハトーヴの住民たちもうっすらとだけれど感じ取っていた、その心の声というものを小田和正さんの「生まれ来る子供たちのために」という歌が代弁している。そんな構図。静かだけれどじんわりと来る感動が、そこにはしっかりある。確実にある。すべてを理解した2度目にそれが、くっきりと見えてくる。引いたカメラに輝く大地が移ってそして救われた世界が見えて、エンドロールへとつながっていく流れに身を浸し、静かな感動を味わえる。そんな映画。だから見て。そしてまた見て。「グスコーブドリの伝記」を。是非に。


【7月8日】 杉井ギサブロー監督による宮沢賢治原作の長編アニメーション映画『グスコーブドリの伝記』で見終わって1番、心に残ったというか絡みついて離れないシーンは、父親が山へと遊びに行って母親も後を追うように出ていってしまったブドリたちの家で、もう食べるものも残っていない中を、それでもどうにかしようとブドリが、すり鉢でその辺から採って来たような、煮てもやいても食べられそうにない草を、延々とゴリゴリやっているシーン。ああやってで潰していれば、すぐにグチャグチャなカタマリになってしまうだろうものが、いくらやっても減っていかず、それを手にフォークを持って眺めるネリも、どこか虚ろで現実と非現実の隙間を漂っている雰囲気だった。

 あるいはもう既にその時には……なんて思いすら浮かばせる空気感。そして子取りによってネリが連れ去られ、後を追ってブドリが飛び出し倒れ、蚕を育てる男に拾われ仕事をして……って続く展開は、余りの悲しみに直視できない厳しい現実から目をそらし、そうなってしまった自責から気持をそらそうと、ブドリが抱いた幻想だったのかもしれない。だから我に返って見えたのは、誰もいない空っぽの部屋。それでもなお認めようとせず、残る執着によってブドリは歩んでいって、そしてあの場所へとたどり着かせたのかもしれない。大勢を救いたい気持が半分。そして向こう側に行ってその手を捕まえたいという思いが半分。無償の愛を放って世界を救うような英雄精神に世界を染めるのは好まない、誰かのためという思いがあてこそ身は動くんだと、示したかったのかなあ、杉井ギサブロー監督は。聞いてみたいなあ。聞いてくれないかなあ。

 せっかくだからとまたしても吉祥寺のリベストギャラリー創で開かれている「30T」をのぞく。おお立花満さんの格好いいTシャツがまだあった。AnvilのTシャツを使ってその上にあれはウレタンか何かの塗料で細い線で絵を描くシャツは、去年1枚買って着て洗っても洗ってもよれず綻びない上に、絵も消えない頑丈さ。シンプルな中にユーモアがあって楽しかったんで今年も既に1回言って、松尾芭蕉か誰かが描かれたものを買ったんだけれど折角だからもう1枚、あればと思って寄ったら何と前には見なかった黒地に白地でヘンリーネックが描かれているという面白いシャツが残ってた。白地にショルダーバッグが描かれているのと同じようなユーモラスさ。すぐに売れて不思議はなかったんだけれど、ちょうど来ておられた立花さんによれば、新たに描き下ろして出した新作だそうでなるほどだからカタログにも載ってなかったのか。行って得した日曜日。

 上条淳士さんのも良い絵のがあったけれども下地がピンクではちょっと着られそうもないのでパス。青木俊直さんの「くるみのき」も赤いののサイズがもうんかくって、オレンジのはなかなか外で着られそうもないので残念ながら諦める。漫画のとりわけ男性陣のは漫画さが出ていてそれはそれでファンには嬉しい作品だけれど、ファッショナブルという点では着こなしがちょっと難しそう。女性陣のは漫画家でもキャラがデザイン化されて割とファッショナブルな雰囲気があるのはTシャツをメディアと見るか衣装と見るかのあるいは差なのかどうなのか。という訳で漫画家だけれどファッショナブルな雰囲気に仕上がっていた池沢理美さんのを1枚買ってこれで前に買った江口寿史さんと立花満さんとBLUEBERRY CHEESECAKEの3枚と会わせて5枚で打ち止め。にしたいけれどもまだ入荷するのもあるみたいだしなあ。週明けにまた寄ってみるか。

 最終日だからと東京都現代美術館でトーマス・デマンド展。なるほど樋口真嗣さんが「庵野秀明館長 特撮博物館」と絡めて語っていた理由が後で分かった、というか完璧すぎて見分けがつかなくって、後でそういうものだと知ってそうだったんだと分かったと同時に、それがだからどうしたんだといった気分も同時に湧いてきて不思議な感覚。絵画でスーパーリアリズム作品として本物そっくりに描く画家の人もいたりするけれど、そこまで苦労して描くんだったら写真で見ればいっしょじゃんという気分が一方に湧いたりするのと同様に、そこまで完璧に仕上げるんだったら、本物を見た方が良いんじゃない的感想が一方に浮かんで、その価値の判断に迷う。

 もっとも、そうした迷いこそが多分こうした作品の真骨頂。写真で見れば良いものを、わざわざ描いてみせる作品になにがしかの意味がるように、トーマス・デマンドの作品もそれを見てそうやって作られたものだと知って、何かを考えるきっかけを作れる。見ていて何か違和感を感じたんだとしたら、それはいったい何かを考える。それによって彼我の差異を味わう。何も感じなかったとしたら、あるいは僕たちが見ているこの現実だって誰かによって作られたものかもしれないという想像を、浮かべてふり返って考えれば良いんだよ。もう明確にあからさにミニチュアの“努力”を見せてしまう「特撮博物館」が、あくまでも博物館であるように、そうした“努力”を毛ほども見せないように細心の注意をはらい、集中力を傾けたトーマス・デマンドはあくまでアートなんだってことで。どうせだったら本当にいっしょに開催すれば良いのに、どうして入れ替わるように終わってしまうんだろう。その関連性を見せることによって人気の特撮から現代アートへと人を引きずり込めるのに。

 まるで一迅社文庫の川口士さんかと一瞬思ったりもした建築ファンタジー。ああでも川口さんのは土木ファンタジーだから微妙にジャンルが違うかな。ってことで藍上ゆうさんの「創生の大工衆」(宝島社)は迫害を受けながらも反撃して領地を切り取り建築物で囲って独立した獣人たちの街が舞台。その建築を手がけたのが天才にして伝説の大工たちだった訳だけれども、すべてを完璧に仕上げる彼らが作った街も100年が経ったからかどこかに綻びが出ているのか、城の屋根が壊れかけててそれを街で唯一の人間という少年が、幼い頃から母親に手ほどきを受けた大工の腕で直していた。人間が憎くて仕方がない獣人たちの街で彼が生きていられたのは、そういう取り柄があったから。けどそんな街に、かつての大工衆の流れを組む天才大工の少女がやって来て様相が一変する。

 壊れ欠けた屋根を即座に直してなおかつ女王から新しい砦を建設してくれと頼まれ受ける少女。お払い箱になりかけた少年はどうにか少女の助手となることで命脈を保とうとしたものの、砦の本当の姿を知って驚き悩む。なぜ女王はそうしたものを作ろうとしたのか。伝説の大工の残した予言に従ったのか。父母を人間に殺された怨みを晴らすためなのか。もう争いや嫌だと思う少年は調べ、そして伝説の大工たちがその街に、そして予言にこえた思いを解き明かす。完璧にすべてを作れるからこそ行った細工。100年の時を経て明らかになったその意志から、人間と獣人たちの間に新たな一歩が始まるというなかなかに真っ直ぐな話。まるで富士見ファンタジア文庫だ。少女の大工が狙われている話に決着がついていないところから、あるいはまだまあ続いていくのかな。楽しみ。


【7月7日】 えっとあれはニルヴァーシュの何だっけ。見る人が見たらバージョンをすぐに思い出してそうかあのエウレカはどこそこからどうしたんだって理解も出来るんだけれど、前のシリーズのブルーレイボックスは買ったし、映画「ポケットは虹でいっぱい」も持っていながらそういった細かい部分までは見ていないメカ属性のないストーリー重視の人間には、ディティールから時系列を推測して接続する能力が足りていないんだ。誰かフォローお願い。まあそのうち伝わってくるだろう。しかしゲッコー号までいっしょに現れいったいどうなる。あれもテレビのなのか映画のなのか。だいたいがエウレカだって前に1人現れそしてアオを生んで消えているのに今度はキャピキャピのが現れた。誰なんだ。錯綜して重層する時系列。その果てに見えるものは。面白くなってきたぞ。「エウレカセブンAO」。

 知らないうちに国後島に上陸しては絶対に日本には返さないと息巻くメドベージェフ首相の、その立場を考えるならそう言わざるを得ないってことは理解できて、そんな態度に対抗するには真正面から喧嘩をふっかけるよりやっぱりじわじわと、話をしていくしかないんだけれど、どこかのメディアは強気に出ればすべて解決するとか思っていたりするから何というか、それで済むなら外交なんていらないよ。済まないから戦争になって不幸が生まれる訳でそうしないための道を模索しているのに一体何を考えて戦争万歳な意見を言うんだろう。勝てる訳ないのに。勝てなくたってプライドが守れればそれで良し? でも負けたらプライドもへったくれもないことくらい、前の負け戦で存分に叩き込まれたはずなのに。忘れたんだろうなあ。忘れたいのかな。

 そんなメディアが言うにはロシアに対抗するために「野田首相には1枚だけカードがある」んだとか。それが「APEC首脳会議のボイコット」だそうであんまり大したこともはなしあわれない関係で、オバマ大統領も欠席するとかどうとか言われてる。ってことは元からたいしたことのない会議を欠席したところでインパクトなんて与えられないってことじゃないかという突っ込みは、見ない振りをするのが正しい大人の態度ってことで、そうやって欠席することが「北方領土問題を加盟国にアピールする絶好の機会となる」と訴える。ふうん。

 まあそれは外交カードとして分からないでもないけれど、「民主党内のゴタゴタで弱っている首相にとって起死回生の妙案は終戦記念日の靖国神社参拝とこれしかない」って繋げるそのロジックはやっぱりどにも分からない。どうして靖国に参拝すると政権を延命できるんだ。何か霊験でもあるのか。神意でも降りるのか。ポリティカルに考えるなら参拝したところで国民の支持率が急に上がるとは思えないし、選挙で勝てるようになるとも思えないんだけれど、靖国参拝すべきだと言い続けることが半ば使命になっているからなあ、そのメディアは。けれどもそうした支持率だの何だのといった、見返りを期待するような参拝を促すことによって、結果として靖国の価値をを損なっているということに、気付かないところが何ともはや。形骸化って恐ろしい。

 ようやくやっと公開だ。思えば東京国際アニメフェアで作っているよって話をグループ・タックのブースでチラシをもらって知ってから、楽しみに待っていたら途中で会社がなくなってしまって企画も途絶えてもうダメなんだろうかと諦めかけていたら、ちゃんと作られていることが分かってもうこれは期待するしかないと思って待ってだいたい1年くらい。ようやく公開となった長編アニメーション映画「グスコーブドリの伝記」なだけに公開初日に見なければいけないと木場にある109シネマズへと駆けつける。決してそれほど入っていないスクリーンで、それでもしっかり目に刻もうと始まった映画を観て見終わって抱いた感想。やっぱり杉井ギサブロー監督はすごかった。

 実を言うなら去年の夏ごろに、杉井監督に「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」のCS放送に関連してインタビューした時に、新作の「グスコーブドリの伝記」がどんな感じにアレンジされるかを聞いていて、その多分最も大きなアレンジになりそうな、あるキャラクターの立ち位置についても知ってなるほどと驚いた。それをやってしまうと本当に、本当に辛い話になりそうって予想して、どう描かれるんだと興味津々で映画を迎えたけれど、見終わってなるほどそうした辛さがあるからこそ、エンディングに向かってブドリという主人公がその身を前へ前へと投げ出していけるんだってことが見えてきた。それを効果として狙った訳ではなく、論理的にそうならざるを得ないという説明も聞いているんだけれど、結果的には全編を貫く強い意志といったものの源になっているような気がする。

 あとはやっぱりあの結末か。今日発売の杉井ギサブロー監督による本「アニメと生命と放浪と 〜「アトム」「タッチ」「銀河鉄道の夜」を流れる表現の系譜〜」(ワニブックスPLUS新書) によると作っていた時に起こったあの事態を受けてまず、真っ直ぐな表現は避けなくてはならないといった思いを抱いてああしたんだという。結果、ひとつの明確を避けることによって幻想性が全編を覆うようになって、史実としての伝記をある種、架空の英雄譚へと昇華せしめた。考えようによっては冒頭に近い部分ですでに限界を迎え、その先は願望だけが一人歩きしていたともとれそうなぼかし方。自らが犠牲になる恍惚感と裏表の、誰かを犠牲にする罪悪感を抱かせることなく、かといって誰かのために何かをする尊さはしっかりと示して見せることが出来ていた。

 とはいえある程度、杉井監督の意図めいたことを見知っていたからこその理解かもしれなくって、純粋に宮沢賢治の小説が好きだった人にとてはその原作を曲げて幸せを殺いでしまった許せない映画って見えるかもしれない。実際に評判は本当に賛否両論あって、こんなに別れる映画もここのところちょっと珍しい。哲学的文学的だった「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」との差異を感じる人もいれば、あのラストの段階を踏まない展開にポカーンの人、キャラクターの扱いに不満な人等々。その理屈は分からないでもないけれどそれを含めてなぜこうしたかを考える楽しみが多分、この映画にはあると思う。何が響いているのか。何が拒絶されているのか。そんな辺りを組んでそして賛否のそれぞれがどういった思考を持っているのかを、探ることによって映画ってものを作るひとつの方法論が見えてくるかもしれない。

 声については柄本明さんが巧すぎる。冒頭から続くナレーションの淡々とした喋りとそしてクーボー博士のキャラを背負って登場する時のぶっとんでぶち切れたような天才ぶりが実に完璧によく出てた。それからこぶ平、というか林家正蔵さんも陽気で前向きで憎からず優しいところもある大農家の赤ひげをきっちり演じてたし、ブドリの父の林隆三さん、母の草刈民代さんも強くて頼もしい父に毅然として優しい母を演じてた。そしてネリを演じた忽那汐里さん。「半分の月がのぼる空」の理香のような強さとはまた違う、儚げな少女のネリを演じて胸をキュンキュンさせてくれた。

 決して咎めるようではなく、かといって媚びるようでもなく、可愛い声でぽつりぽつりと「おなかすいた」と言われて、腕の1本くらい差し出さない奴はいないよなあ、ブドリだってそうだっただろうなあ。けどそれを言われてもどうしようもないくらいの悲惨な状況の中、ブドリ自身も混乱を来してそして見た幻想が、あのシーンだったのかもしれない。あるいは既にその時。って考えるとまたしても涙が出てくる。そんなブドリを演じた小栗旬さん。最初は子供っぽくなかったけれど長じて頑張りを見せるようになって芯が通ってきた。最後は違和感なく演じきったという印象。声優じゃないって意見も巧い俳優には通じないってことで。


【7月6日】 日本科学未来館へと行く用事があった木曜日の夕方にダイバーシティの前を通りかかって戻ってきた「機動戦士ガンダム」の立像と対面。でも静岡で見たときとか、同じ台場でも海沿いの広場にあった時のような巨大さがちょっと欠けているのは、後ろにより大きな建物が迫っているからなんだろうか。静岡の時も後ろにドコモの建物があったけど、離れていたから単独での大きさが際だった。最初の時は森の木々から頭をのぞかせるガンダムの大きさが目に付いた。ダイバーシティだとそれがないんだよなあ。むしろ近所の「お台場合衆国」て作られていた「ONE PIECE」がモチーフになったコーナーに、多分置かれるしらほし姫の方が、周囲に何もない分大きさが際だっていた感じ。胸も大きかったなあ。あんなしらほし姫にならギュっされたいけどされたら簡単に潰されるよなあ。

 そんな日本科学未来館では7日の土曜日から「科学で体験するマンガ展」ってのが始まる予定で、手塚治虫さんの「鉄腕アトム」に赤塚不二夫さんの「ひみつのアッコちゃん」に石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」に藤子・F・不二雄さんの「ドラえもん」に藤子不二雄Aさんの「怪物くん」といった漫画のガジェットやシーンが最新のテクノロジーによて再現され、アトラクションみたいになって置かれていて子供とか遊んで楽しみそう。「ONE PIECE」展でも見た半立体の白いレリーフに映像を投射して立体映像っぽくみせる技術で、アトムが作られる様を見せたりするシーンでは、復活の時にデカい声で「アトムーッ」って叫ばなくっちゃいけないのが気恥ずかしいけど、子供だったら楽しんで叫ぶかな。「サイボーグ009」は点滅しているライトを身ながら首を左右に振るとサイボーグ戦士が現れる。どーゆー技術なんだ。

 アッコちゃんは気恥ずかしくって試せず。怪物くんはスクリーンに投射された顔を手でかきむしると怪物王子の変身シーンみたく、顔にちょうどハマるように映し出されたフランケンやら狼男やらの顔が変わるという寸法。あと壁に大きく映し出された漫画に向かって手足を動かすとページがめくれる装置も。これがあれば本を読むのも楽チン……な訳はない。「ドラえもん」は落書きしたり声を固めてぶつけたり。ただこれなら前に同じ日本科学未来館であった「ドラえもんのひみつ道具」を現実化しようとした展示の方が充実してたかな。タケコプターとか在ったし、って1人乗りヘリだったけど。お土産コーナーには過去に類を見ない5キャラの揃ったクリアファイルなんかが登場。あと個別で「サイボーグ009」のコーナーに神山健治さん監督による「009 RE:CYBORG」のTシャツが置いてあるんでこれだけでも欲しいかな。胸に輝く「009」の文字。格好いいよう。欲しいよう。

 パンダが誕生して早速名前がいろいろと検討されている様子。ランランにカンカンにシンシン等々、同じ言葉の連続でもって名付けられる決まりがあるならやっぱりここは格好良さでもって「タイガータイガー」にしたいところ。かのアルフレッド・ベスターによるSF作品「虎よ、虎よ!」の現代な訳でこれが格好良くない訳はないんだけれどもパンダに付ける名前ですかと問われると。いやでも格好避ければ。あるいは「ジョジョ」とか。もうその場で二足で立って不思議なポーズとか決めてくれそう。「ウリィィィィ」とか叫んで檻の中から飛び出してきたらよっと怖いかなあ。父親が多分「リーリー」だから「シンシン」って母親の名前と合成して「シーリーシーリー」だとどこのアップルの回し者ってことになるか。体毛の黒い部分を林檎模様にすればピッタリか。

 去年も出かけた、クリエーターたちがめいめいにTシャツを持ち寄って販売する「30T」の様子をのぞきに吉祥寺にあるリベストギャラリー創へ。前はたしか始まってしばらくしてから行ったんで、数も少なく江口寿史さんのもなくなっていて、それが増産されて届くのをしばらく待っていたりしたんだけれども今回は、2日目ってこともあってどれもこれも豊富にあって割と選べたし、その分目移りもしてちょっと迷った。という割には買ったのは去年も買った江口寿史さんと、やっぱり去年も買った立花満さんと、これもやっぱり買っておまけに着ていったBLUEBERRY CHEESECAKEってところの1枚。BLUEBERRY CHEESECAKEは作った人がギャラリーに来ていて前に作ったものを見て喜んでくれたけれども、いやいやむしろこっちがこんなにスタイリッシュなものを作って戴き有り難うと御礼。漫画系がどうしても人気になりがちななかで、オリジナルで頑張っているのがすごいし、何よりさ作品が格好いい。来年もまた行って出てたら買おう。

 ざざっと見た中では上条淳士さんのがやっぱりキャラとして格好良かったかなあ、さべあのまさんはさべあのまさんらしい雰囲気で、いしかわじゅんさんも去年と同様の動物絵。大地丙太郎さんもキャラが賑やかに踊ってた。「くるみのき」の青木俊直さんのも自分の作品をモチーフにした作品で、寺田克也さんは前面にでっかく絵が描かれていてとってもお得。そうした作品はおそらく絶対に普通の商品化では行われないんだろうものばかりで、買っておけば絶対に得するものなんだけれども、そうしった“有名”な人たちに混じって出ているグラフィックな人たちの作品も、これがなかなかに良くって行く人たちには気にして欲しいところ。大滝詠一さんのアルバムジャケットをやっている人のなんてアルバム風のケースに入れられていてそれで値段もお買得だったしなあ、でもサイズがなくて断念。あるいは再入荷とかあるかもしれにあから土日に時間を見てのぞいてみるか。

 「美少女戦士セーラームーン」が帰ってくる、ってだけでもう世界のあらゆる喧噪も塗りつぶされてそれ一色になってしまって当然だと断言するし世界もきっと認めるだろう。それだけすごいことなのだ。官邸前に何十億人が集まろうとも「セーラームーン」復活のニュースにはかなわないのだ。それが証拠にツイッターのトレンドにも「セーラームーン」は入って「ももいろクローバーZ」も入って「デモ」は入らない。新しい「美少女戦士セーラームーン」の主題歌を「ももいろクローバーZ」が歌う。このツープラトンの攻撃でもって世界は明日から実際に作品が見られる来年夏まで一色に染まるだろう。つかテレビなのか映画なのかはっきりしないなあ。やっぱり流行のイベント上映方式なのかなあ。封切りじゃなくって上映をしてBDも売って。その方が確実に刺さるからなあ、ファン層に、元子どもたちといった。さてどうなる。


【7月5日】 どうやら抜け出た人たちが作る新しい党の名前が決定しそうで、何でも前に結党した時からのスローガンをここに掲げて、自分たちのやりたいこと、やろうとしていることを満天下に改めて示し、自分たちこそが政党だって訴えようとしているらしい。その名はだから「国民の生活が第一(だけれど国会議員だって立派にひとりの国民だし、事故を起こした割のはその責任をまるで取っていない東電の経営者だってやっぱり国民だし、いろいろと突き上げを喰らっている官僚だって検察だって日本の国民なわけで、だからそんな国民の生活だって、やっぱりしっかり考えないといけない以上は、国会議員の定数を減らして一部を秘書も含めて路頭に迷わすなんてとんでもないし、東電の経営者から何十億もの罰金をかっぱぐなんて出来ないし、官僚も検察も罵倒したり虐めたり給料を減らしては、国民の生活に支障がでるからやっぱり出来ない、ってことでやることは前とたいして変わらないよ)」党になるらしい。略して「国民の生活が第一」党、さらに略して「民生党」。多分。どうだろ。どうなんだ。

 今年は39人くらいか。前は最大で50人を超えてたよな気もしただけに日本の国際見本市としての立場はやっぱり下がっていたりするのかもしれないなあ、あるいは多すぎるんで制限をしているのかもしれない東京国際ブックフェアに恒例の長大テープカット。西館(にし・やかた)のアトリウムではさすがに横一線に並べるなんて無理か、東館(ひがし・やかた)でもそうはしてなかったっけ、ジャズは相変わらず。そして終わって館内にはいってまずは見た楽天の「kobo Touch」は……ページめくりのレスポンスがやぱり気になってしまうなあ、iPadとかのクイックなレスポンスに目が慣れてしまっていると、その体感が適用されない「kobo」にはどうしてももたもたしてるなって言ってしまいそうになる。これが最初の出合いだったらあんまり気にならなかったんだけれど、iPadとかiPhoneとか最初っからピーキー過ぎた。そこがウリだと分かってたんだろうなあ、だから性能に見合ったものとせず、性能を見合ったものにした、と。ジョブズらしい。

 文字についてはちゃんと読めるし漫画も文庫サイズだからこれはこれで気にならない。拡大とかするのは面倒そうだし遅いけれども漫画を読むための端末として、それに1000冊とか漫画をぶっこんでおいてもらえればあるいは持ち歩いては眺め読んで1年2年をすごせそうな気がしないでもない。「手塚治虫漫画全集kobo」とか「石ノ森萬画集大成kobo」とか作ってくれたらそれが1万円でも買うかなあ、1万円じゃあ元とれないか。でも3万円は出しづらい、と。かといって本を読むためだけにこれを8000円出して買うかというとそのあたりは。帯に短したすきに長し。虻蜂取らず、肉でも魚でもない。とはいえ案外に普通の人がふらりと買ってしまうのはこういったあたりになるのかも。本を読むことへの超こだわりを持たず、流行っているものだからとそれを使ってしまいそうになる。商売は文化じゃないんだってことで。

 ブックフェアの方は国内に冠してはもはや最初っから2割引ショップって様相でそこで日本の版権を海外の人に売ろうって感じでもないし、そういうのは台湾だとか上海だとかフランクフルトといった海外の見本市でやっているだろうから、日本のブックフェアに日本の出版社が出るのは純粋に一般客サービスのため、ってことになるんだろうなあ。かといって海外の出版社がわんさかと来て日本に売り込もうにも日本ってドメスティックだからそういうのって買って出そうって考えないんだよなあ、あんまり。昔はそれこそ中国台湾といった国からいっぱい来ていたけれども今年はあんまり見なかった感じ。だからブースだって西館の1階の半分からちょい、はみでるくらいの規模になってしまった。そのはみ出た分は洋書のバーゲンコーナーで、なおかつCDも安く売っていたりするから何なんだ。別にバーゲンブックフェアもやってたし。そういう位置づけなんだろうなあ、本って。

 だからといって規模を縮小してやがて撤退ではここまで引っ張ってきたリード・エグゼビジョンの立場もないと、今年は去年あたりからくっつけたライセンシングジャパンってイベントをちょっぴり規模を大きくしてくっつけ、さらにクリエーターEXPOもくっつけ西館の下を埋めたって感じ。これが案外に奏功しているみたいでブックフェアにやって来た出版関係者とかが見るものがあったかなかったかなブックフェアを見た後で、流れてクリエイターEXPOへと移ってそこに集まっているさまざまなクリエーターさんの作品を眺め、話を聞いていろいろと商談を行っている光景が前日以上によく見られた。最初は居並ぶブースの前を誰もが素通りする閑散とした光景なんかを想像していたけれど、初日から電子出版EXPOの流れなんかも受けて割に人がいたりして、やって正解と思ったらそれ以上の盛況。割とたかめの値段設定もしてあって、見合うだけのリターンがあるかと心配もしたけど人によっては十分な成果を得られるんじゃないだろーか。こういう試みを臆面もなく仕掛けつつ、最適な場所に落とし込んで相乗効果を狙う企画力が、リード・エグゼビジョンの強さって奴なんだろうなあ、コンテンツマーケット東京ではやっぱりどうしても出させてあげましたんであと宜しくになってしまうんだよなあ。


【7月4日】 だからアメリカ版ながらもブルーレイディスクを買ったんで、もうテレビでは見なくて良いんだけれども1話また1話と見ていくのがテンポとして感じが良いんで見た「世紀末オカルト学院」はマヤが死んで黒魔術師が正体を現して白魔術師を相手にさあバトルってところでひとまずの幕。そして戦いが済んでやっぱり見えないノストラダムスの鍵を探してしばらく様子の見えない文明ちゃんが現れ、そしてって展開へと向かうおとも前に見ていて既に知っているんだけれどそれでも一気にBDを見ることなく、来週また来週と順繰りに見ていくことになるんだろうなあ。それがテレビアニメーションのリズムって奴なのだから。うん。

 新番組だ新シリーズだと思っていたかというと、京成ローザでの「鴨川デイズ」の上映会で最初にダイジェストが挟まるって聞いてはいたからそうだと分かって見たらやっぱりだった「輪廻のラグランジェ」。でもただ繋げるんじゃなくって出演者のモノローグを入れて被せて状況を解説させる方法をとっていて、分からなかった部分とか逆に気付かず流していた部分なんかを改めて確認できてこれから始まる展開への心構えも出来たんじゃなかろーか。ランちゃんのお兄さんとムギナミのお兄ちゃんがどういう経緯で対立していてそれぞれに何を背負っているかはやっぱりよく分からなかったけど。あと3人組みはどうして地球に残ったんだっけ。アステリアちゃんって何歳なんだっけ。そういう部分も含めてこれからの展開で気付いていこう。

 なんだ東京国際ブックフェアそのものは明日からだったのかと気がついた東京ビッグサイトで、それでも今日から始まっていた国際電子出版EXPOは後回しにして、まずはライセンシングジャパンってイベントからのぞく。セバタンだ。もうずいぶんと昔に東京コンテンツマーケットだかに出ていたのを見てそれからいったい何年だ、テレビ神奈川の番組になってチバテレビから放送されている「ハピはぴ・モーニングモ 〜ハピモ〜」に出没するようになり占いまで始まったりして幾星霜、じわじじわりと評判を広げている感じはあるけれど、今回はブースが出入り口近くにあって見ばえが良い上に、ぬいぐるみとか商品も出てきて販売できて一気にブレイクといってくれそうな予感。そうなって欲しいなあという願望もあるか。

 見ていたらハピモから未莉さんが来てセバタンと会話をしたりするトークイベントも始まってチュバチュバなキャラよりすっかりチバテレビキャラ。でも前はサングラスかけた怖い顔してテレビ神奈川をぶいぶい言わせていたんだよ。そういう広がりをまた見たいなあ。そして見渡すとライセンシングジャパンにあのガイナックスが。何でまた。今回はどうやら「天元突破グレンラガン」が5周年ってことでそれをまたしてもブレイクさせたいって考えな模様。映画が終わってここしばらく静まりかえっているけれど、パワーのある作品なだけに機会あるごとに甦ってはこの腑抜けた世界を鼓舞してやって欲しいなあ。ぶっ壊そうとしてくれたって良いんだぜ。そしたら人間も立ち上がるから。

 すぐ隣を見たらスイスイがいてobetomoさんとか並べてた。あとタイツくんとか。そういえば陸上の為末さんがちょっと前、タイツくんのフライングフィギュアの背中にまたがっていたっけか。何か一緒にやるのかな。他に見渡すと東北新社が「宇宙戦艦ヤマト2199 第三章」のチラシを並べていたり同じ東北新社として「ウォレスとグルミット」に出て来る羊たちを並べていたりと有名どころもあれば、まだ知る人と知るというかこれから知らしめたいキャラなんかもあってなかなかに興味深い。規模がそんなに大きくないのが寂しいけれどもそれでも幾つかあった目新しさをキャッチすることで開けるかビジネスチャンス。個人的にはやっぱり「グレンラガン」をもう何回転かさせるためには何があるんだろうかってことに興味が湧いたなあ。映像化は大変だけど電子書籍化だったら、とか。何を電子書籍にするんだってんはあるか。

 そんなどちらかといえば企業発のキャラクターにはまだ届いていない。個人を中心としたクリエーターの人たちが自分の作った物とか並べて見せるイベントとしてすぐ隣で開かれていた「クリエイターEXPO」が、こう言ってはなんだけれども意外と充実していて盛況で、ついつい何度もブースの前を行ったり来たりしてしまった。こういうのをやりますよって聞いてはいてそして出展の概要とか費用とかきいてまずはいったいどういう人がどれだけ集まるのか、そして誰が見に来るのかといった疑問が幾つも頭に浮かんだ。早割とか間際の駆け込みとかあるだろうから費用は下がるとしてもそれでもやっぱり結構な値段。そして3日間という期間をそこに縛り付けられるだろう面倒さ。なおかつ誰がいったい見に来るのかという初めてならではの懐疑。挙げればこんな感情が挙がる。

 だから出す方としてはいろいろ躊躇ったんだろけれど、そでれも場所があるならそこに向かって手を伸ばし、掴んでもらおうとするのが前向きなクリエーターの人たちの心意気。そうした気持と期待を乗せて、えいやっと出したイベントで、誰も来なければ希望もうち砕かれるんだろうけれど、上の国際電子出版EXPOが新しいリーダーを並べて楽しんでもらうといったものではなく、かといってコンテンツがこんなにあります的な可能性を見せてくれる訳ではなく、どちらかといえば端末を使ってこういったサービスが可能ですとか、電子書籍向けのコンテンツまわりを担うソリューションとかを見せるビジネス寄りの展覧会で、見て長くいられる場所でもなかったようでそこから出てきた人たちが、同じ入場証で入れるライセンシングジャパンとクリエーターEXPOに立ち寄ったみたい。あと準備中のブックフェアに出る出版社の人たちとか。

 そんな人たちが立ち寄って賑やかなブースの中でもちょっと目についたのがモザイコっていう絵をモザイク状にして描く人のブースで、パッと見にはただのパターンにしか見えないそれが、眼鏡を外したり目を細めたりして見るとおや不思議、今ちょうど日本に来ているフェルメールの美少女の絵に見えたり、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」だったりしたから驚いた。そうしないと元絵が分からないのは中途半端と言われそうだけれども、何だか分からないそのパターンも十分に美しいところがこのモザイコの特徴。計算して描いているのか勘で描いているのか分からなかったけれど、これはひとつのアート作品として通用しそうだし、逆に商業に行くなら展覧会に出ている作品をモザイコで描いてグッズにするとかいった展開も可能そう。すでにそうやっている所もあるようだけれど、まだまだ少ないから今がチャンス。展覧会を控えた主催者はあの名画をモザイコ化してもらってはいかが。

 あと目に入ったのが「チャックま」というキャラクターで前身にチャックがついてるクマなんだけれどそのチャックをあけると中がいろいろになっている。冷蔵庫になっていたりブラックホールになっていたり。そうしたいろいろから世界を作りイラストに仕上げて漫画的な雰囲気を楽しんでもらおうとした作品。絵も巧みだし構成もよくってそのままで絵本にだってなりそうな気がしたけれど今のところなっているのはTシャツくらいか。ちょっともったいない。ぬいぐるみにしたらやっぱりチャックを開けるようにしたいけれどもその中はいったい何を入れるか。空洞にして自由に楽しんでもらうのが良いのかなあ。他にも新鋭気鋭が多々いたクリエイターEXPO。眺めて明日のスーパークリエイターを捜してみてはいかが。ブックフェアなんて割引本を買ったら終わりだし、電子書籍EXPOだって文系は及びじゃなさそーだし。


【7月3日】 開けてスポーツ新聞の大半が女子サッカーの代表を1面トップに持ってきているこの驚き。同じ日に男子の五輪代表の発表もあって清武選手だとかブンデスリーガへの移籍も決まっていたりして、ニュースバリューはそれなりにあったんだけれどそれでも女子に及ばないってとおろに女子代表が成し遂げたことの大きさって奴を見て取れる。世界一だもんなあ、それが男子のワールドカップでもなければEUROのような大会でなくても、世界一であることには変わりなく、その価値って奴をメディアも存分に感じてた、かっていうとまああくまで今の人気度って奴を移して持ち上げ続けた果てのバブルなんだろうけれど、それを真に受けず泡でなくするための努力を、なでしこのメンバーたちはしっかりやってくれているから五輪でその成果って奴を見せてくれるだろうし、予選落ちしたってそれもそれでスポーツの面白さ。ひたむきさって奴を感じて嬉しく思えれば十分だ。だからひたむきさだけは落としてくれるなよ頼むから。

 なんか「花咲くいろは2 湘南江ノ島編」が始まったんで見たけれど、温泉町も旅館も出てこなかった、ってそりゃそうだ別に「TARI TARI」は「花咲くいろは」の続編ではないし、「true tears」の続編でもないし当然ながら「Another」の姉妹編でもないんだから。「Another」と関連してたらきっとあのグラマラスで眼鏡の陰険な教頭から真っ先に血祭りに上げられていただろうなあ。Anotherなら絶対死んでた。そんな眼鏡っ娘な教頭が顧問をしている音楽部でもって、合唱の列から弾かれ譜捲りを担当させられている宮本来夏。直談判したものの去年の失敗を根に持っているのかそれとも本当にプロフェッショナルだからなかのか、合唱のコンクールに来夏が加わるのを認めず舞台に立たせることはないと言い切る。

 こんな部活辞めてやるぅ、と飛び出しては洗面台に顔を突っ込み言えなかったことをブクブクと泡を立てながらぶちまけてそして、だったら自分で合唱部を立ち上げると息巻いたものの弓道部にいる沖田紗羽を掛け持ちで引っ張り込むくらいしか出来ず、見渡して見つけたのがどうやらもともと音楽科にいて、訳あって普通科に移ってきていたらしい酒井若菜、じゃなかった坂井和奏という少女。でもクラスにあんまり馴染んでいる風はなく、そして歌うこともあんまり望んでいない様子で、担任が産休になるお祝いに歌ってと周囲からはやしたてられても、憮然として動かず事情を斟酌した先生も困り顔。そして当然ながら来夏が誘っても、絶対に嫌だといって受け付けようとはしなかった、そんなある休日。

 弓道部なのに普段着はゴスっていたりする紗羽も伴い、鎌倉にある江ノ電の駅そばの時計台の下で、歌う訓練のためにヘッドホンから音楽を聴きながら歌っていたところに集まってきた和奏とそれから1人バドミントン部の田中大智、そしてオーストリアから転校してきた帰国子女の通称ウィーン。そして始まる青春合唱ストーリーってことになるんだろうと、予想させつつ主要なキャラをその拝啓も含めて紹介してみせた、完璧とも言える第1話にちょっと感心した。最近は第3話くらいまでじらしてあんまり見せないで引っ張って、そこで大逆転をしてっていった手法もあったりするけれど、ドラマはやっぱり1話がすべて、そこで見切られないようだいたいを見せつつ、その上でこりゃあ見なきゃあって思わせるのが大切で、それをこうまで完璧にやってみせたアニメってのも、最近はちょっと珍しいかも。こりゃあ期待できそうだ。と同時に参加しているクリエーターも重なる前の「花咲くいろは」も見返してみたくなって来た。どう繋がりどう進歩しているか。興味深いなあ。

 「ちはやふる」の作画監督がキャラクターデザインに参加しているからといって雰囲気はまるで違った「超訳百人一首 うた恋。」のアニメーションは完璧に近いデザインで男も女も描かれているから見ていてまるで不安感はないし、声がまた男は良い声大集合みたいなんで耳に響く頭に馴染む。真夜中にこれを聞かされたら女子だって傾いてしまいそうだけれども見る女子とかいるんだろうか夜中過ぎて。女性キャラも良い所を揃えているなあ早見沙織さんに遠藤綾さん。早見さんて「TARI TARI」にも紗羽として出てたよなあ、大忙しだ。着物とか描くの面倒そうだけれど着物テクスチャーがあって着物の枠線の中にそれが出るように仕掛けてあるのか着物の位置がずれるとその部分だけくりぬいたかのように下にある着物テクスチャーシートが透けて見える感じになってて在る意味省力化。それで着物に見えてしまう目って不思議だ。とりあえず見続けよう。

 そういやあ「未成年儀式」ってデビュー作を昔読んでいたんだなあと思い出しながら読んだ彩坂美月さんの「文化祭の夢に、おちる」(講談社BOX)はなるほど「未成年儀式」の作者らしくって少年たち少女たちに渦巻く諸々のどこか未熟だけれどもとてつもなく切実な思いがあふれ出し、ぶつかり合うような物語になっていてあの時間を今過ごしている人たちにとってはものすごく響く話になっていた。そうでない大人にとっても経験して来たあの切実さを、どうやって乗り越えて今があるのかを考えることによってこのもっとどうしようもない世の中を、乗りきっていける糧になる? かは分からないけれども決して捨て置けは出来ない。

 3年に1度だけ文化祭が開かれるという不思議な学校。合わせて街でもその頃にお祀りが開かれているんだけれどそんな文化祭の準備中に、学校で頑張っている姿をいつも見せている少女がひとりと、その相棒としてやっぱり学校でも人気の少年、陸上部だったのを辞めた少年に大きなぬいぐるみを抱えて歩いていた少女、さらにどこか陰険なところのありそうな少年が、アクシデントから落ちてきた壁画の下敷きになったかして気を失って気がつくと、そこには彼ら彼女たちの5人しか存在しない世界だった。見渡しても誰もおらず学校に来ても文化祭の準備中ながらやっぱり誰も見あたらない。いたのはその5人だけ。やがて消えたのはまわりではなく「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」のように自分たちだけかもって気がついて、そして思い出した神隠しの伝説。消えたヘリコプターが帰って来なかった事件を思いだし、このままでは自分たちも世界ごと消えてしまうかもしれないと考えて、元の世界に変えるための道を探り始める。

 ところが、1人だけ、陰険そうな少年は学校の女性教師に、単独行動を咎められたことによって逆恨みのような感情を高ぶらせていて、文化祭の最中に傷つけてやろうとナイフを持ち歩き、ボウガンまで用意してその実行を今かと待ち受けていた。謎の世界に行ってしまったことで教師はおらず、果たせない怨みの感情をどこかに持っていこうとして見えたのが、一緒にやってきた5人。自分から標的を奪ったのは奴らだといった更なる逆恨みを爆発させて順繰りに生徒たちを狙い始める。果たして5人は帰れるのか。そしてその方法は。1人が先に消えてしまい、タイムリミットが迫る中で伝説から推理してひとつの結論を導き出し、試したその最中にまた1人、少年の手によって傷つけられて、そして見えたその方法。分かればなるほどそうかと思わせる点ではだから、パズルのような要素の薄さを示しているけど、一方で澱のように溜まり淀む少年少女の感情が、危機的な状況の中で明かされてそういう世代なんだなあと思わせる。あそこまで暴露してそれでまだ同じような関係を続けていけるのか。いけるのもあるいは若さの特権なのかも。羨ましいなあ。


【7月2日】 京成ローザでの「輪廻のラグランジェ 鴨川デイズ」観賞の前には、映画の日で1000円だったってこともあって長編アニメーション映画の「ベルセルク 黄金時代篇2 ドルドレイ攻略」も見たんだけれども、まあいっぱい死んだなあ、最初にガッツとキャスカが川へと転落する闘いでも、その前にガッツが散々っぱら敵の首とか胴体とかをはね飛ばしていたし、その後に病気のキャスカをすっぽんぽんにして暖めてから立ち直って自軍へと戻ろうとするときに、囲んできた敵を今度はガッツがたった1人で100人くらい、斬って斬って斬りまくってみせていた。本当は何人なのかを数えられるように、1人死んだらカウンターが1挙がるような仕掛けを施しておいてくれれば分かりやすかったのに。

 それだとグフィリスが一気呵成な出世を狙って申し出たドルドレイ砦の攻略で、向かってくる何万もの敵を相手にガッツがふるった剣によって、一気にカウンターが増えるから逆に眼がチカチカするか。ガッツ以外の誰かが誰かを殺したシーンでも入れたらいったいどれくらい達したか。史上最高の数が主に剣と矢によって殺されたアニメーション映画として、ギネスワールドレコーズに申請したら、通ったりして世界記録として。そんな戦いを経てミッドランド王の信任を得たグリフィスや鷹の団には、貴族の叙任なんかが行われるようになったとかで、とってもハッピーな空気が漂い始めたところを空気の読めないガッツはひとり、出ていこうとしてグフィリスに見つかり一戦交える。

 そして敗れたグリフィスは、自暴自棄になってシャルロット姫をすっぽんぽんにしてずっこんこん。いやあ堪能した。あまりに堪能したんでBDを買おうと決意して、だったら1もと「覇王の卵」を買ったんでこっちはキャスカのすっぽんぽんその1を楽しもう。というかたかだが部下の1人が、自分をより高めたいからと出奔しただけで、自暴自棄になってしまってお姫さまをすっぽんぽんに脱がせてしまった、グリフィスの精神のヘタリ具合がちょっと分からない。あそこでも毅然としてガッツを送りだ、しいつか来る再開を誓いつつ自分は王国での地位を高めるべく政治に腐心し、仲間たちの栄達も支えつつ一大勢力を築いてみせるのが、大望を戴いた男のやることなんじゃなかろーか。それなのに。

 姦通でもってミッドランドのシャルロット姫を見事に貫通しては、その場面を鍵穴から侍女に見とがめられ、王に言い付けられて捕らえられて激しい拷問で鞭打たれる。そこで萎えてはいても縮んではないそれの大きさに驚きつつ、けれどもそのまま捕まり続けて廃人となった果て、ベヘリットによってゴッドハンドとなってガッツの前に立ちふさがることになるグリフィスが、あそこで自暴自棄にならない大きさを見せていたらこの物語はいったいどうなったんだろうか。いやでもずっと昔からベヘリットに魅入られてしまっていた以上、グリフィスはああなる運命だったんだろうなあ。というか最後はいったいどうなるんだろう。終わっていない物語を映像化するのは難しい。シャルロットが子供に見えていがいにプックリとしていたのに官能。茂みもあった。ツルツルでもないペタペタでもない美少女の嬌声を、楽しめるんならBDは絶対に買い、ってことで。

 終わってしまったなあ「モーレツ宇宙海賊」。銀河帝国だかからやってくる超不思議な動きを見せては相手を翻弄してからゆっくりしまつする巨大戦艦が、今度は3隻もやってきたのに1隻また1隻と海賊たちによって撃破されていく無様さとか見ると、それまでの圧倒的な闘いぶりはなんだったんだ、それを加藤茉莉香のようなペーペーの海賊に破られるなんて他の海賊は、いったいどれくらい衰えていたんだって疑問もわいてくる。まあそこはヒロインだからってことにしても、もうちょっと歯ごたえのあるところを見せてくれないと、折角の銀河帝国とやらも格が落ちえ見えるなあ。でもって誰だっけ、仮面の海賊も最終回にはまるで絡まず。正体も仄めかされていたけれどもあんまり脈絡がなし。何でそうしたか。何が目的か。それを見せてくれないと納得しづらいよなあ。

 面白いか面白くないかで言えば各段に面白くって、最終回まで欠かさず見て来られたんだけれど、途中から原作の「ミニスカ宇宙海賊」とは大きくずれてしってしまったところに、いろいろと思うところもありそう。あれで結構リアルな宇宙世界の土台の上にコミカルなキャラクターとか物語を載せて読ませつつ、リアルをベースにしたシリアスな設定をにゅっと出して読ませた小説版。そこに流れそうした思想とはまるで反対の、考えられないテクノロジーをどかんと出して、その上でスペクタクルを演じてみせてそれをあり得ない若造が乗り越えてみせては、読む人の溜飲を下げさせる展開が、最後の方に重なってしまった。これだともう第2期として原作にあったオデット二世号の謎を追いかける展開も、海賊ギルドと仲良くなる話も描けない。だからアニメはこれで終わりで、小説はずっとこの路線でいってくれれば、読者としては良好だけれどアニメの影響で本編が変わった小説もあるからなあ、タイラーとか。それは今になって元に戻っているから不思議というか。映画もあるって噂も流れているけれど、これは本編から引っ張ってくるのかな。それとも総集編になるのかな。ちょっと期待。

 なでしこジャパンにオーバーエージは存在しない。大事なことなのでもう1回言っておこう。なでしこジャパンにオーバーエージは存在しない。という基本中の基本を知らずにオーバーエージが必要だと書いたスポーツジャーナリストがいたらしいという噂が伝わってきて、そりゃあ流石に嘘だろうと思ったら本当だったんで腰が砕ける。どうして存在できるんだ。まあでもそれは実名でもって見解をさらしつつミスだと認めて引っ込めているからまだ良いけれど、匿名でもって沢穂希選手はなでしこジャパンにいらないんじゃないか、でもって最近はテレビにいい顔するけど新聞には冷たいから、五輪が終わったらしっぺ返しを食らうんじゃないかって、下品も極まりない言説を垂れ流しているメディアにはやっぱりちょっと心が曇る。

 だいたいがABCDだなんて4人もの人間が女子サッカーに関わっていたりするものか。アテネ五輪以前なら1人ですらいなかっただろうそんな分野に、去年のW杯での優勝を境にして大勢が注目して、あれやこれや言うようになった。それでもやっぱり4人は多い。そもそもがにわかな上に担当もしていない人間が絡んであれやこれや言ったところでいったいどんな説得力があるのか。あるいは当人たちにそれを真っ当な提言だと納得してもらえるのか。4人なんて方便で1人が4役やってんじゃないの、という意見もなるほどあったりするのがこういった覆面座談会の裏側だけれど、そうだとしたらやっぱり姑息。見解を4分割して匿名でもって遠くから嘲りを放り投げてみせる不遜な態度を、受け止める方も不愉快なら女子サッカーに興味を持って記事を読んでいる人たちだって不愉快になるだろう。その結果は……。衰退から消滅って道も浮かぶような無様さを、平気で晒して恥じない態度がもう幾重にも積み重なったその果てに、来る現象にそろそり本気で向き合った方がいいかもなあ。

 という訳でロンドン五輪に臨むなでしこジャパンの18人が決定して、勝負パンツをいつも持っていくことで有名な丸山桂里奈選手がやっぱり選ばれていた。やっぱりってのはケガさえ治ればあのスピードとあのドリブルは、ゲームの終盤に大きな武器になるってことで、ゴールを決めて日本を勝利へと導いたW杯のドイツ戦でのゴールも、あのスピードと、あの勝負度胸があっからこそできたものだった。その貢献度合いとそして可能性を考えるんなら、代表に呼んでおいて無理はない。ただ、去年はジェフ千葉でもってあれやこれや言われた挙げ句に、上村崇士監督から罰走をいっぱい命じられてそれで走ったことでフィジカルが高まっていた、なんて話もあるからなあ。ケガをしてそのリハビリもままならないうちにチームを移籍して、そして芸能みたいな仕事もこないしている中でどれだけフィジカルが戻っているか。それも含めて佐々木則夫監督が選んだのなら大丈夫ってことなのかも。別方面の圧力がかかって揺れる人でもないし。うん。

 宇津木留美選手はケガかなあ、レギュラーのボランチのバックアップやディフェンスのターンオーバー要員として有用だただけに勿体ないけど、そこは田中明日菜選手とか、坂口夢穂選手に担ってもらうことにしよう。フォワードには大儀見だなんて知らない名字の人が入ったけれども、何のことはな、永里優季選手だった。当然入るよなあ。あと岩渕真奈選手も。試合でのケガが心配されたけれども、それが治れば混戦の中で圧倒的なテクニックで抜け出す技術を持った選手。ケガをしたINAC神戸戦でもひとりで前戦を作ってたからアメリカ相手の試合でも、存分に力を発揮してくれると期待。だからとにかくケガを治せ。さらにバックアップに身長187センチの山根恵里奈選手が。海掘あゆみ選手に福元美穂選手がいるから正式に選ばれるのは無理だと思ってたけど、何が起こるか分からないのはジーコジャパンドイツW杯でもあったから、研鑽してその時を待つのだ。あるいは権田修一選手のバックアップとして男子の五輪に呼ばれるとか。それはないか。いやでもあったら愉快。


【7月1日】 1年も半分が終わってしまって残り半分もきっと何もしないうちに過ぎていくんだろう。これまで忙しすぎたんでこういう年もあって良いかも。本とかたっぷり読んで将来に役立てよう。役立つ本でもないけれど。SFとかだし。ってことでメディアワークス文庫から出ていた本田壱成さんという人の「ネバー×エンド×ロール 〜巡る未来の記憶〜」を読んだらこれがなかなかにSFしてた。まずは世界観。大地震があって壊滅的な打撃を受けた北海道の札幌だけれどどうにか立ち直っていった、その過程でなぜかぐるりと周囲を壁に囲まれ出入りが不自由になっていた。疫病が流行った訳でもないし、逆に外側が疫病の巣になって札幌だけでも守ろうとしている風もない。優秀なら外に出ていける。ただしやっぱり行き来は困難なその壁を、乗り越えようと高校生たちが動き出す。

 飛行機をつくって空を飛んで乗り越えようとする少年2人に少女が1人。そんな仲間の前にある日空から1人の少女がおちてきた。いったいどこから。どうやら未来から。何だって。落ちることによってさかのぼれる力を持っているらしい彼女は、それが証拠に空中の何もないところから現れ加速度なんかつけずにゆっくりと降りてきた。そしてナップザックの中には現代のテクノロジーでは作れないアンドロイドの腕(スタンガン付き)が入っていた。どうやら本当らしい。そして目的はさらに過去に行くことらいし。何のため。それは不明ながらも主人公の少年は、彼女を飛行機に乗せて空を飛びつつ自分も優秀な仲間の少年少女に負けないよう、壁の上にたどり着こうとあがく。

 そんな1話目があってさらに未来に壁に優秀な方の少年と少女が結構な大人になって、何やら研究をしている場面が描かれて、そこにかつて壁の上に上がろうとした少年がテロリストとして関わってきたりするようなエピソードが描かれて、そしてその次の3話目ではもっとさらに未来の世界で、宇宙が崩壊の瀬戸際にあって人類は滅亡に貧している中で、ひとりの少女が時間を遡る能力を得て過去に向かって空を飛ぶ。それらを組み合わせることによって例えば過去へ戻っていく過程で少女が自分たちの既に経験したことを過去において実行させることによって、何かを成し遂げようとするタイムリープの物語が描き出せそうなんだけれどもそうしたパズルのような設定はあまりなく、少女はただ過去へと遡り、そこで出合った人たちが未来へと向かって歩を進める。重なってはいてもすれ違っている。

 読んでだから何か食い足りないなあと思ったけれども本当のラストによって描かれるシチュエーションからその遡航の意味、過去に観賞しながらさらに遡っていく意義ってのが見えてなるほどそうかと思わせる。ある意味で魔法のようなエピローグ。そしてそうやって得られた知見によって世界がいったいどうなるか、ってところまでは分からないけれどもそれすらもあるは、って可能性をそこで考えることによて、繰り返されるフィードバックの積み重ねによって、きっと未来が明るさに満ちた世界もあるのだろうと思えれば良いんじゃなかろーか。人工知能が自らに課せられた人工知能ならではの制約を突破するエピソードなんかも絡められてSF的に読みどころたっぷり。いったいどんな出自の人なんだろう。

 トリッキー過ぎるとやっぱりついていけなくなるなあ「エウレカセブンAO」。そんなのこれまで出てたってってな女性ロッカーのミラーと、パイドパイパーの1人でオタクっぽいエレナ・ピープルズが同一人物だかどうだかって話が流れてて、沖縄からレントン、じゃなかったアオにくっついてきた3馬鹿トリオが世界を渡り歩いては、その痕跡なんかを探っていたら地元ではエレナ・ピープルズとレントン、じゃなかったアオが何やら砂状のシークレットに操られるようにゲネラシオン・ブルの中を走り回っては、とっつかまった場面にミラーも居合わせていたとかで、エレナ・ピープルズとミラーの同一人物説が覆されたかのように思われたけれどもエレナ、どうみても人間じゃなかったしおまけにエレナ・ピープルズ自身がどうも偽物くさい。いったい誰が何でどうなんだ、っていった複雑怪奇さは過去にさかのぼって見直さないと分からないんだけれどもそれも面倒だしなあ。ともあれ誰も彼もが真っ当じゃなさそう。いったい何者たちなんだ。レントンとエウレカのラブラブマークまで出てきたし、いったいあの世界はどこなんだ。明かされる展開に期待、して良いんだよね?

 亡くなった漫画家の杉浦日向子さんが前に出してた全集に、たしか上下巻で入っていた「百日紅」って漫画に浮世絵師の葛飾北斎が出ていて、娘でこれも浮世絵師のお栄との暮らしぶりなんかが面白く描かれた作品として記憶に刻まれているんだけれど、それに出ていたのが池田善次郎って居候。元は武士ながらも刃傷沙汰で武士ではいられなくなって出奔し、浮世絵師になろうとして修行の身らしいんだけれどもこれが女好きで絵も下手ではあるんだけれども女を描かせるとなかなかに良いものを描いていたって話になっていたらしい。実はあんまり覚えていない。掘れば出てくるから読めるんだけれどいったいどこに埋もれているんだろう。枕元のその上だったっけ。

 その池田善次郎こそが後の渓斎英泉って浮世絵師でかのジャポニズムをフランスにまきおこした雑誌の表紙にも、歌麿だの北斎だのをさしおいて使われたっていうから世界的。かのゴッホですら絵の背景にそうしたジャポニズムの波の中で紹介された英泉の絵を描いているというから相当な人だったんだろうけれども、写楽に歌麿に北斎に広重に国芳に国貞に豊国といった名前がずらりずらりと並んで英泉って名前はあんまり並ばない。だいたいが北斎の家の居候で「百日紅」に出ていたことすら忘れていた英泉だたけれど、千葉市美術館で8日まで開かれている英泉の展覧会をのぞいて謂われを聞いて、そして作品を直接見ることによってその素晴らしさってやつが実に明確に伝わってきた。こりゃあすごいや。フランスが、ゴッホが熱狂する訳だ。

 大首絵とか全身の絵とかも良かったけれども興味深かったのは東海道五十三次の宿場の55枚を背後に置きつつ吉原とかの花魁を55人、描いていったシリーズで何でも誰もが実在していた花魁だそうで彼女たちにとっては英泉に描いてもらうことは一種のステータス。伎楼ともそういうタイアップが利いて実現したものってことになるんだろうけどこれってすなわち55人のそれぞれに、人生ってものが実在したってことになる。どういう日々を経てそこに入りそしてどういう暮らしをして花魁にまでなって、そして英泉に描かれたんだろうか、その後はどんな生き様を見せて例えば見受けされるなり、それとも吉原を出られないままそこで若い生涯を終えたのか等々、浮かんでくるそれぞれの生き方が気になって仕方がなくなる。

 これが写楽の描いた歌舞伎役者だったらまあそれなりの伝承も残っているだろうし、それがあっても役者の私生活にはあんまり興味は湧いてこない。歌麿の美人画に描かれる人たちもモデルがいたんだろうけれど、あまりにデザインとして洗練され過ぎているその姿から私生活への思いを抱くのってちょっと難しい。英泉だとどうしてそうなるのか、っていうのは多分その筆致で、女性好きで慣らしたという池田善次郎ならではの、生きた女性を生きているように描いてその生々しさ、艶めかしさを醸し出してみせたことが、それぞれの絵に対する見る人の感情をくすぐるんだろう。ブロマイドじゃない、ポートレートといった感じの浮世絵師。それがあるいは渓斎英泉という人だったのかも。花鳥風月をとらえた絵のように、風の表情をうまく乗せる技術もあったりして、観るともう気にせずにはいられなくなった。図録が重くて買えなかったけれども今度行ったら買って愛でよう、それぞれの絵のそれぞれのモデルのそれぞれの生き様を。

 千葉では京成ローザで「輪廻のラグランジェ」のOVA的な位置づけになる「鴨川デイズ」の舞台挨拶付きの上映を観る。実質最前列のほぼ中央で声優さんを間近に観られてうれしかったよ、って取材じゃしょっちゅう観てるけど、そうじゃない一般で普通に最前列とかないからなあ、これで運を使い果たしたかも。鴨川がある千葉での上映はいわば本丸なのに、舞台挨拶の司会に登壇したバンダイビジュアルのお姉さんが「なんで千葉まで来るんですかあ」と言い放ったのはおそらく全千葉県民を敵に回す言葉だったのではなかろー。悪かったなあ千葉が遠くて。鴨川はもっと遠いんだぞ。地の果てだぞ。って同じ千葉県民どうしてディスりあい。そういうものです地元意識って。

 お話の方はランもムギナミも宇宙に帰ってまどかはひとりマダガスカルでプール遊びで水着が観られてうれしかったけれどもあとはだいたいがのんべんだらりとした日常。まさに鴨川デイズ。3人組みはバイトをしていて宇宙に帰ったランはお姫さまでムギナミはビラジュリオの親衛隊かなにかで対決もせず今は小康状態を保っているけど、2期があるってことはそうした平穏さに罅がはいるって可能性もある訳で、そう思うとこのダラダラとした展開が急に愛おしく思えてきた。平和って有り難い。けれども平和だけではドラマにならない。その難しさをどうこなし、そしてフィナーレへと連れて行ってくれるのか。悲しさよりも喜びを。鴨川で生きる嬉しさを感じられるような作品にして欲しいなあ。この夏こそ行くぞ鴨川。食うぞおらが丼。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る