縮刷版2012年月上旬号


【2月10日】 選評が読みたくって買った「文藝春秋」の2012年3月特別号ではやっぱり石原慎太郎閣下の選評からまず開いて読んで仕方がないなあと理解。解ってないってことではなく、解ろうとしていないってことでもなくって自分の文学観に照らし合わせれば解る必要もないタイプの小説で、それをいくら理解したふりをしようとも、あるいは理解できる人がいるということを理解したとしても、自身に納得がいかなければそれはそれで戦うしかなく、そして敗れたのなら潔く身を引くといっただけのこと。騒ぐようなことでもないけれどもそれでも騒いでしまうのが石原慎太郎さんという人物の、バリューでありまた芥川賞というイベントのバリューなんだろうなあ、まったく。

 一方でたぶん一押しだっただろう川上弘美さんの選評が凄いというか、ほとんど円城塔論であり受賞作となった「道化師の蝶」論。冒頭から量子論における「シュレディンガーの猫」の問題についてまずは蕩々と解説をして「猫、死なないでほしいなあ……。死なない方に、一票……」と当時思ったことを書き連ねつつ量子力学の小難しさってものを披露してみせる。とはえいそこから「世界にはどうやら、日常の言葉だけでは説明しきれない現象が存在する」という認識を導き出し、敷衍して「日常の言葉では語り難いことを、どうにか日常の言葉で語ろうとしつづけているこの作者の作品は、読むことも大変に難儀」ながらも「あえてその難儀なこころみを続ける作者」に芥川賞を与えることで「行き止まりの道なんて、ないんだよね」ということを満天下に指し示した。

 ここから新しい芥川賞が始まる予感。それはだから石原慎太郎さんの芥川賞を置き去りにするものなんだろうけれども、一方に石原さんも「一番読みやすかった」という田中慎也さんもいたりするだけにここが別れ目、どっちに転ぶかそれともどちらかに収斂されるのか。石原さんが去り黒井千次さんも去って残るは川上さんにやっぱり円城さんの作品に関心を示す小川洋子さん、川上さんに負けじと言葉を書き連ねている島田雅彦さんとそれから新しいもの好きな山田詠美さんが残って、それから石原さんとは違って「私には読みとれない何かがあるとしたら、受賞に強く賛成する委員の意見に耳を傾ける」といって、己の文学観と戦うのではなく、大勢の文学観と照らし合わせる道を選んだ宮本輝さんも残る芥川賞の選考委員が、次に選ぶ作品がそんな芥川賞の未来を指し示す。まあでもやっぱり話題が先に行くんだろうなあ。次はどんな美人か。あるいは人工知能か。

 そんな「文藝春秋」2012年3月特別号で特集されている「テレビの伝説」で、タモリの凄さを「さらば雑司ヶ谷」の樋口毅宏さんが、作品で使ったオザケンの「テレフォンショッキング」出演時のタモリとの会話を枕にしてタモリの持つ凄さを語っていたりするコラムも面白かったけれど、それ以上に倉本聰さんが書いた「北の国から2011  つなみ」の草案というかプロットといえるものが凄まじかった。そこには、作品の生みの親である倉本さんにとっては、我が子にも等しい登場人物達が、大震災で津波による被害を受け、福島原発の被災を受けてさまよい土間取っている様が綴られている。

 それは多分映像にはできない壮絶さで、だからこそ言葉で語っていたんだろうけれどもそこには今という時間を着実に見据え、底に生きている人達を確実に捉えて、それをドラマという形で世に示そうとする、脚本家としての矜持であり、責任ってものが強く感じられる。「一生書き続けるつもりでいた『北の国から』シリーズの集結をテレビ局から告げられたのは、2002年のことである。それは、僕にとって、大袈裟に云えば、ひとつ生甲斐を奪われた出来事であり、それからの何年かを殆ど虚脱と放心の中でぼんやりと過ごすこととなった」とまで冒頭に書いて作品への思いをぶちまけ、テレビ局への不満をぶちまけた倉本さんだけに、ここに書いたプロットには本気の濃度がとてつもなく強く漂う。受け止め再び動く、なんて殊勝なことを今のテレビがやる訳もないだけに、あの作品を愛しそして今を憂う人たちは、読んで想像するしかない。「黒板一家は、とにかく生きている」というその生き様を。

 早川書房から毎年刊行の「SFが読みたい!」も2012年となって表紙絵にPablo Ucihdaさんが登場、メカと美少女の融合は淡いタッチともあいまって透明でいて深淵な雰囲気を醸し出す、とか。そんな国内ベストとか、いろいろな人の推薦とかを読んで気づく。やっぱり星海社FICTIONはあんまり取り上げられていないなあ。自分が推した犬村小六さんの「サクラコ・アトミカ」以外は乙一さんの「ベッドタイムストーリー」くらい? 癖がある犬村さんや朗読CD付きという形態の乙一さんはともあく、正統派スペースオペラの元長柾木さんによる「星海大戦」くらいは誰か関心を持ってくれていても不思議はない気がしたんだけれど、パッと見でまるでかすってない。

 ハヤカワ文庫JAから登場の瀬尾つかささん「約束の方舟」は13位に入って、五代ゆうさん「クォンタムデビルサーガ アバタールチューナー」は何と7位に入っているその支持されっぷりを見るにつけ、ハヤカワってレーベルに入ることによってSF読者には初めて存在が可視化されるんだって意を強くする。そうじゃないところにいっぱいいるんだってことを、頑張って伝えてきたんだけれども力足らず。というか「クォンタムデビルサーガ アバタールチューナー」なんてもっともっと上に行くとか思ったんだけれど。5冊という分量がやっぱり仇になったか。あとは上条明さんの「ルーシーにおまかせ」もあんまり取り上げられていないなあ。凄いのに。そんな覆面作家の第2弾「猫刑事」が出るみたいなんで注目注目。どんな話なんだしかし。

 そして購入した「鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星」のブルーレイディスクは豪華特典も入っていたけど見たのはやっぱり生フィルム。とりあえずエドワード・エルリックが映っていたから当たりかな。本当は巨大な胸のミランダさんが欲しかったけれども仕方がない、って何と贅沢な。今月はあと「とある飛空士への追憶」とそれから「蛍火の杜へ」といった劇場アニメーション映画のブルーレイディスクが出てそれから「アニメ文庫」としてリリースされる「ギョ」「百合星人ナオコサン」「みのりスクランブル!」が揃って発売となかなかの当たり月。それだけ出費もでかいってことだけれどそれぞれに意欲を持って造られた作品だけに買わずにはいられないので買うんだろうなあ、やっぱりなあ。「とある飛空士への追憶」では髪を切ったフィアナの前屈みシーンが当たりますように。


【2月9日】 そういや「ギフトショー」の新進クリエーターコーナーに出ている人が、夏にやっぱりビックサイトで開かれる「東京国際ブックフェア」の会場内に新しく設けられる「クリエイターEXPO東京」ってのに出るって話を聴いて、そんなものを始めるんだリード・エグゼビジョンってめざとさに驚きつつ関心したけど、どんな内容なのかは知らなかったんで調べたらこれが何というか凄まじいというか、出展見込み者に作家がいて漫画家がいて画家がいて書家がいてゲームクリエーターにウエブデザイナーまでもがいて、1人1つのブースを構えてそこでスカウトに来る人たちを待ち受けるんだそうな。なるほどブックフェアには出版社の人とか来て権利を売買したりはするけれど、でもそれは編集の人たちではなく画商の人でもないのにいったい、どこに向かってアピールするのか、ってところがひとつ気になった。

 むしろ「クリエイターEXPO東京」を単体として、そこにわんさかと集まるクリエイターを見に来ることこそがひとつの目的といったところまでにしたいのかもしれないけれど、放っておいたって持ち込みがあって新人賞への投稿もあって忙しい編集者たちが、そこにいる作家を見に来るのかどうなのか。そもそもがわんさかと開かれているデザインフェスタやGEISAIや、文学フリマやクリエイティブマーケット東京やといった、まだ見ぬクリエーターが集っている場にすら企業も編集者も画商もあんまり姿を見せないっていうこのご時世。それだけ彼らの足腰がヘタっているって見方もできないでもなく、行くたびに楽しそうなクリエーターを見てどうしてスカウトしないんだろうって、歯がゆく思っていたりもずっとしてる。

 とはいえ、、現状がそんな具合なのに果たして、新しいイベントにどれだけの来場者があるのか。それが見込めないとちょっと不安で出展できないんじゃないかと思っていたら割に大勢が出展を希望している見たい。費用もそんなに安くないのに。それだけ羽ばたきたい人がいるんだなあ。ならば応えねばと思っても、アウトプットの術を持たないわが身では如何ともし難いので、気になる人はのぞいてみるのもあったりするかも。ずらりと並んだブースを歩いていたら意外な大物がそこに座っていたりすると驚きなんだけどなあ。ノーベル文学賞受賞者とか芥川賞受賞者とか、壁サークルの主とかスーパーフィギュアクリエーターとか。ちょっとワクワク。

 リーアム・ニーソンがデザインした、ってそんなことはない。デザインしたのはマーク・ニューソンって人でauの携帯電話なんかを確か1つくらい手がけていなかったっけ。そんな人がどういう経緯かPENTAXの新しいミラーレス一眼カメラの「K−01」をデザインしたからってんで、パシフィコ横浜で始まったカメラのイベント「CP+」をのぞきにいってPENTAXのブースに行ったらそこはRICOHのブースだったという。ちょっと前はHOYAのブースでもあったのに、PENTAXもいろいろと大変。それでもちゃんと新型機を出してくるのはそれだけRICOHにとてもコンパクトではない分野で、PENTAXの力量をちゃんと評価しているってことなんだろう。

 そんな「K−01」をプレスリリースで見たら何か玩具っぽい雰囲気があったけれど、実物は手に持つと案外な重さがあってこれなら構えて軽さに揺れるってことはなさそう。聞くと電池は「K−7」「K−5」と共通のものを使っているそうで、現在すでに「K−7」を持っている僕には電池が応用できてレンズもKマウントでそのまま使える「K−01」は、古く成ってきたキャノンの「G10」の代わりになるか、っていうとでもやっぱりちょっと四角いかなあ。それがグリップの確かさにつながっているとはいえ。あとレンズを付けるとぎゅっと前にも出てしまうから悩ましいところ。そこはセットで発表された40ミリでF2・8のレンズをそのまま使えば薄くて本体からの突き出しを気にしないでいけそう。ただ40ミリって部屋の中では多くを見られないからなあ。ポートレート用かスナップ用か。手軽に使えてパチパチ撮れる、って利用に良いのかな。

 そう思うとやっぱりちょっと物欲が出てきた「K−01」。新開発のレンズも「K−7」とか「K−10」に使えそうだし余裕があったら手を出してみるかどうなのか。色はやっぱり黄色混じりかジェフ千葉ファンとして。これから1カ月考えよう。そんなPENTAXのブースを出て眺めたOLYMPUSのブースでは、触れなかったけれども「OM−D」っていうこれもミラーレスなんだけれどやっぱりちょい飛び出た部分がある不思議なカメラのカタログをもらう。ペンタプリズムが入っている場所には液晶ファインダーへと繋がるカイロが入っているのか、後ろからならそれをのぞいてレイアウトを整えたり、ピントを見たりとかできそう。あの形で大きな液晶モニターを見ながらカメラを顔から話して写すのって結構間抜け。目に構えて取るそのスタイルを、整えたい人とあと「OM−1」とかに浸った人には、こだわりのその形も受け入れられるんじゃなかろうか。その意味では形をガラリと変えてコンパクトデジカメみたいな感覚で撮れる「K−01」とは正反対の位置づけ。受け入れられるのは果たしてどっち。

 オープニングに出てきたピッタリ真っ黒スーツをようやくまとった割には、オープニングにあるようにその突き出た胸元の下に謎の生き物が潜り込んでは頭をふくらみにグリグリとしてイチカ先輩がいろいろと困ってしまう描写は、かけらもなかった「あの夏で待ってる」。黒田洋介脚本ならそろそ大展開の上に大逆転もあったりするというのが虚淵玄さんの託宣なのに、相変わらず言いたいけれども言えない思いが行き交っては、甘酸っぱい空気を醸しだして見る僕たちをもじもじとさせる。挙げ句に女性からではなく、彼女を本当は好きな男性の月を介して、女性が好きな男性に女性の恋心が告げられ、それをひそかに男性に感心を抱いてたりする先輩が、陰で聞いていたりするという泥沼シチュエーションまで来てしまって、まるでもつれた恋の糸を、さらに絡めていくだけの展開にいったい、宇宙から来た女生徒の星を挟んだ恋という、主題に向かって解決まで行く余裕はあるのか。あのうふふな先輩はそもそも何者なのか。そんな謎も浮かんで消えないけれども次は沖縄、水着回、なので気にせず楽しもう、揺れたり揺れなかったりする胸たちを。


【2月8日】 アニメーションの未来を作るためにはやっぱり未来のクリエーターを育てなきゃだめだってことで、アニメーション制作会社のユーフォーテーブルが自社のクリエーターがやりたいこと、やってみたいことを受けて映像化する「アニメ文庫」ってのが立ち上がって、2月15日に3作品同時に発売されるってことになってたりするんだけれど、ほぼ完全に内部の若いチームで作り上げる努力を、ほぼ内部の資金だけでやってしまった先駆的試みからすれば、割に年輩の監督なりが上に立って、その下に若い原画の人なんかを何ヶ月間か張り付けて、いっしょに仕事をさせることで学んでもらう、その上に国から資金も提供される文化庁の若手アニメーター等人材育成事業なんか、ちょいヌルく見えてるんじゃないかなって気もちょっとした。

 けど、そこはアニメーションの未来のために、足を踏み出すことに躊躇のないユーフォーテーブル、徳島市に3月18日にオープンするユーフォーテーブル・シネマで何と、若手アニメーター育成事業の第2弾となった「アニメノミライ」の4作品をまとめて上映する挙に出た。素晴らしい。おまけにゲストで登場するのが「たんすわらし」の能登麻美子さんだというからもうファンはたまらないかもしれないけれど、場所が徳島なだけになかなか駆けつけられそうもないのが残念。とはいえユーフォーテーブルが運営している「マチアソビ」に来るのは1番は地元だけれど2番は大阪ではなく東京だとか。遠出してでもそこに浸る楽しみ、って奴を知り尽くしているからこそ足を運ぶんだろう。そんな人たちがわんさか押し寄せ徳島にちょっとした能登かわいいよ能登ブームが起こるのか。ちょっと興味本位。

 一方で上映される4作品は、東京とか大都市圏だって割に限られた期間しか上映されず、あとはテレビ放送とか、ニコニコ動画の放送でもって広めるしかないところを、遠く徳島の地ではそれが劇場でちゃんと見られる。地元と周辺のアニメーション好きにとってこれほど嬉しいことはなく、またアニメの未来を夢みる人にもいろいろ学べることがある試み。まずは広めること。伝えること。そこで育まれた気持ちが次に、アニメ業界を選びそして進んでいって豊穣が訪れる。ユーフォーテーブルの蒔いた種が芽を吹き花を咲かせて実を付けるのはずっと先になるし、それがユーフォーテーブルのためだけになるとは限らないけれど、それでもやるこの心意気を応援したい。そしてアニメ文庫も買おう。買わないと次のアニメ文庫もないからなあ。後に続くところはないのかなあ。

 「ムギナミです」って可愛い仕草で美人で巨乳なだけの少女をやっているかと思わせて老いて、裏でランちゃんが載ってたボートをひっくり返して溺れそうになったら助けてそれで親切だと思わせまどかに取り入ったムギナミだったけれども、その本性をラン相手には真正面から見せつけ、さあ優位に立ったぞと思わせておいて、後半にアプリポワゼしそうなおっさんだか兄ちゃんが現れて、ムギナミを思いっきり突き放してその立場を一気に不安定にさせたのには驚いた。っていうか攻めてくる奴らと守っている奴ら、そして現れたコート男の誰が敵で味方で仲間で関係者なのか、いまだに構造がはっきりしない「輪廻のラグランジェ」。分かるのはそうした複雑な関係にあって、まどかだけがまるで無関係に無関心を貫きひたすら人助けを基準に突っ走ってるってことか。その明るさが何もかも包んで打破していってくれることを信じて見続けよう。暗いのはいやだ。あともっとランのハイレグを見せろ。あれは良いものだ。

 書く場所もないアンエンプロイドだけれどそれでも現在を見ておかないと未来はないと、早起きをして東京ビッグサイトで始まったインターナショナルギフトショーを見物。まず目についたのは「アマールカ」ってアニメーションで、聞くと何でもチェコで作られていたものだとか。チェコっていったらトルンカだのシュバンクマイエルといった人形によるストップモーション・アニメーションが全盛で、最近でもイジー・バルタが「屋根裏のポムネンカ」なんかを完成させたりもしてそっちが本命、って思われがちだったけれどもちゃんと普通にこうした2Dのアニメーションも作られていたらしい。まあそりゃそうだ、ストップモーション・アニメーションよりはまだ普通に作れる訳だから。

 そんな「アマールカ」、日本でも一部には紹介されていたんだけれども、世に動くためには何か仕掛けが必要で、ただ映像を出すだけでは広まらないのは必定。過去にコロンビアだかからDVDを出してもあんまり知られなかった経験を生かし、今回はキャラクターライセンスの権利もまとめて取得して、広く展開していくことになったんだとか。すでにタワーレコードなんかと組んでグッズ類を提供していたりするし、DVDもただまとめてパッケージにするんじゃなく、映像の世界を説明し、補うようなブックレットを付けて値段も安くして何冊か提供してきたところ、それなりにファンも広がってきた様子。まとめたボックスなんかも登場してて、あとはそれを見た人がキャラクター展開をするとか、人気を背景にテレビ局が放送し直してみるといった動きがあれば、隣でブースを出していた「チェブラーシカ」みたいな海外初の人気キャラクターになっていけるかもしれない。応援しつつ見ていこう。

 新進クリエーターがブースを並べて商売に繋がる話を待っているコーナー、ってのがあってそこで興味深いクリエーターを発見。何しろ主題がSF。それもどこかレトロな雰囲気を持った、宇宙人とかロケットとかをモチーフにしたデザインを、テキスタイル風に並べたボードを作ったり、一つ目の宇宙人とかロケットのキャラクターを作ったりして並べてた。そのSF熱は活動名を「Between Planets」 っていしてるほどで、これはロバート・A・ハインラインの小説「栄光の星のもとに」の現代。それを使いロケットを描き、また映画「バーバレラ」をモチーフにして機械とロケットと美女の太ももなんかがデザインされた絵を描いたり、「夏への扉」を題材にして夏みかんかなにかが繁る森へと抜ける扉の絵を描いているからもう本気。見た目はスリムな長身の多分美女なのに、本気でSFにハマっている節が伺えてSFやるじゃんって思えて来た。

 さらには最近刊行が始まった「新☆ハヤカワSFシリーズ」の1冊目、「リヴァイアサン クジラと蒸気機関」の発売記念イベントに参加して、塩澤部長の驚くべき発現を耳にしたり、その表紙絵とか添えられたイラストとはまた違ったテイストのを描いてたりするくらいだから、本気の度合いも相当なもの。今時の萌えっとした絵とはまるで違った、真鍋博さんや和田誠さんが描いていたようなシンプルで懐かしい感じがして、それでいてしっかりとSF味を持ったイラストを提供できる才能は、この時期にある意味貴重かもしれない。もしもこんなシンプルな絵が表紙になった「SFマガジン」が店頭に並んだら、どんな印象を与えるかなあ。あるいは海外短編の挿し絵とか。いろいろチューンしてキャラクター絵も描けそうな人なんで、試してみてはいかがSFマガジンな方々は。

 SFといったらもうひとり、ATSUSHI IKEDAさんって人が描いていたロボット絵がまたなかなかの迫力。もうロボットしか描きたくないって感じに筆を走らせたドローイングは加藤直之さんが生みだしたロボットたちの雰囲気を、さらにゴツくしたような感じでもって画面に現れパワフルさを見る人に感じさせる。昨今のヒョロかったりモニャってたりするメカとは違った重厚さは、大河原邦男さん的DNAを受け継いだものだからか。今時ではないけれども逆に今にいろいろと目新しさを課にさせそう。ペインティング作品もあってこれもまた格好いい。それ1枚で目を引きつけるパワーとフォルムに溢れているんで、これもSFマガジンの表紙とか、あるいはヘビーメタルなCDのジャケットとかに使うと目立てて良いんじゃない?


【2月7日】 外見があれで中身が絶望先生ではなく島村ジョーならやっぱりジョーの方が良いと笹田純が靡いても当然だろうなあ「夏目友人帳・肆」。って井上和彦さんが島村ジョーをやってたのなんてもう30年以上も昔の話だから、今の人はせいぜいが斑さまであとはやっぱりニャンコ先生としか見ないんだろうか。でもキリっとしてた時の夏目の声はかつてのジョーに似ていたような。というわけで瓶詰めにされた夏目の代わりをニャンコ先生が化けて演じたエピソード。そのぶっきらぼうさがどこか卑屈だった夏目の様相を一変させ、眼鏡の笹田純を真っ赤にさせてた。あとでホントにどう説明するのやら。そしてエンディングとはならず続きがあるようで、謎めいた館に連れて行かれていったい夏目はどうなるのか。レイコに化けた先生たちの命運は。ああ楽しみ。

 見どころのひとつは第二秘書の島崎役で出ているワカパイな井上和香さんんの、ブラウスに突き出ているあれはミルクヘッドであるのかどうなのかといったところで、もうひとつは安倍なつみさんが演じるP子が、ぞろりとしたワンピースではなくブラウス姿で登場しているシーンで、割と大きいなって思えることとその下に透けてみえる、黒系統のアンダーザブラウスなそれの眩しさだったりするのは内緒の話にしておこう。劇場版「荒川アンダーザブリッジ」。加えるならば河童体操をしながら片足をもちあげ体を傾けるシーンでの、マリアさんのスカートの奥が見えないけれども見えそうな気持ちになることか。大画面で見たからこその素晴らしさ。かといってスクリーンの下に行ってのぞいたところで見えるものではないけれど。3Dだったらあるいは。

 そんな部分に行く目もなくはないけど、驚いたのはテレビドラマ版ではギャグの連弾めいていた「荒川アンダーザブリッジ」が、劇場版では驚くくらいに真っ直ぐな男子と女子の付いては離れてまたくっつく恋愛のドラマになっていて、そして離れても畏れつつそれでも離れて立ち向かう親子のドラマになっていたこと。笑える部分もあるけどそれは全然本質じゃなくって、河童なんて正体の見えない役に挑んだ小栗旬さんも、それで笑いをとろうとか、受けを狙おうって感じをまるで見せずに名バイプレーヤーっぷりを演技のみならず、役柄でもしっかり見せては美味しいところを持って言ってた。とあるネットのレビューにその本気っぷりが笑えないとか書かれたものの、即座に削除されていたように見えたのも、それがちょっぴり外してたって気づいたか、外れてるって指摘があったかどうなのか。いずれにしても凄かった。そして素晴らしかった。

 中盤までの大筋だけならテレビドラマ版とほぼ同様。ただし短いからシスターとマリアさんの関係とか、シロさんやビリーにジャクリーンの存在感なんかが吹っ飛んでしまっていて、河川敷にいるおかしな人のその他に入れられているっぽかったけれど、まあそれはドラマ版で補充すれば良いこと。あるいは仮に続編が作られるなんてことがあったらそこで語られれば良いことだけれど、すでに大道具も小道具も撤収された荒川(仮名)河川敷に、再び戻って同じセットを立ててもあの春のあの空気感はもはや出せないだろうからなあ。3月11日を挟んでそこに鎮座していたロケセットたち。囲むおだやかそうにみえて、どこかやっぱり引きずるものもあった空気の感じを、また出すのってやっぱり難しいだろうしなあ。だからやっぱり一期一会のあのドラマ、そしてこの映画。旬として味わい尽くすのが正解か。

 シリアスなドラマを引き立ててくれたのは、一之宮積ってリクの父親を演じた上川隆也さんのクールな演技もで、それに加えて彼の大学時代の親友で、今は国土交通大臣をやっている高屋敷を演じた高嶋政宏さんの豪快だけれど心はしっかりあるような演技も物語に厚みってやつを与えてくれてた。ケンタッキーフライドチキンでのリクとの邂逅の直後。起こる展開のひとつは予想の範囲だったけれどもそれを上回る不気味さって奴を見せてくれたのには鳥肌が立った。あれを撮るのにどれだけのテイクを重ねたんだろうなあ。いやあもう息ぴったり。だからこそ不気味。立ち返ってそこまでの権力財力がどこから出てきているのやら。アニメーション版でも不思議だったけれどもそれの中身があれだけに、さらに不気味さが加わって来た。いったい何者? それを描く続編、ってのもありなのかなあ。語らないのが粋なのかもなあ。

 毎日映画コンクールの選評が出ていたんで呼んだら何と受賞した「蛍火の杜へ」と最後に競るくらいのところに「とある飛空士への追憶」がいたって分かってあの映画が割と好きな僕としてちょっと嬉しくなった。人によってはあれやこれやな映画だけれども声だって初々しさと成長のプロセスがしっかり出てたし映像もストーリーもなかなかの迫力とシリアスさ。見ていて泣けない人なんていないと思っただけに審査した人にもきっと伝わったんだろう。あと山村浩二監督の「マイブリッジの糸」も争ったみたいだけれども結果的には「蛍火の杜へ」に決定。これも静かで切ないけれども前向きな映画だったから嬉しい。しかし東小金井はちゃんとエントリーしていたんだなあ。それでひっかかりもしないとは。良い映画だったんだけれどやっぱり、違う誰かだって先入観で見られたのかなあ。短編ではアニメ文庫の「ギョ」が競っていたとかでこれもこれで吃驚。最後は震災系に持って行かれたけれどもそれだけの作品だってことで見ようしっかと発売されるブルーレイを。グロいけど我慢だ。


【2月6日】 ゴールキーパーからどっかんとけり出されたボールに中盤が頭を合わせても、周囲に人がいないから拾えず奪われ攻められる。どうにかこうにかキープしたってサイドが前に来ず前線は開くばかりでそこに渡しても中央に誰もいないなんて状況がおこって攻めきれないまま、奪われ反撃を喰らう繰り返し。ピッチの状態が今ひとつで、パスをつないで攻めていくパターンがあるいはとれないって判断があったんだとしても、それなそれでパワープレーに即した動きを誰もがとるべきなのに、どこか傍観者然としていてそんな間隙を縫って相手に攻められ奪われた2点が致命傷となってたぶん、日本代表はこのアジア最終予選ではロンドン五輪に出られないってことになるんだろう。勝てる感じがしないんだ。

 なるほどアトランタ五輪でようやくどうにか五輪に再び出られるようになった日本が、その後のシドニーとアテネと北京に続けて出られただけでも幸運って言えば言えるのかもしれなけれど、まだプロが立ち上がったばかりの1996年に若い人たちが集まって、それも絶対的なエースだった小倉選手を大けがで欠いてなお予選を勝ち抜き五輪出場を決めたのと比べると、環境も整備されて選手のレベルだって上がっているはずなのになぜかどんどんと弱くなている雰囲気。アンダーな世代のワールドカップにも出られなかったりする世代はかつて呼ばれた谷間の世代すら下回り、地獄の世代とでも呼ばれることになりそうだけれどそれを選手だけに押しつけて良いのか、コーチ陣になにか問題があるのか、ちょっと見当が必要かも。もしも西野朗監督だったら何をしていたかなあ。とか。

 40万キロ後方から目測でビームを船にぶち当てるなんてことが出来るのかどうなのか。2キロ先の標的ですら銃で狙うのは大変だから相当に無理があるんだろうけれど、それでも何発も打てばいつかは当たるかもしれない可能性、そして当たってしまえばそれで宇宙の藻屑と消えてしまう宇宙における艦隊戦で、緊張感の中で対処法を考え出してそれを即座に実行に移したその決断力と行動力こそが、海賊船の船長に相応しいんだと世界も認めた「モーレツ宇宙海賊」の加藤茉莉香大活躍エピソード。でもまあ他にあれだけのクルーがいたからこそ、最初の電子戦でやられないで引っ張り相手に最後の手段をとらせたってこともあるからみんなの戦いであり、みんなの勝利ってことなのかも。

 横のチアキ・クリハラが妙に冷静だったのは、それだけ修羅場をくぐってきたってこともあるけれど、父親のケンジョー・クリハラが率いるバルバルーサが近くに来ているって感じていたから、なのかな。エンジン付加して赤外線をキャッチされたって、その間に駆けつけてくれるからと出した提案。でもそれすらも心配だからと退け自ら最善を選んだ茉莉香は世間によくあるドジっ娘ヒロインとは正反対。猪突猛進な熱血でもなく大勢の命を預かりその場その場で的確な判断を下せるリーダー像って奴を、定着させてくれれば妙に頭の悪いキャラクターが、失敗続きなのに最後は逆転なんてドラマばかりを見せられなくって済むようになるから。まあそれが等身大に映って嬉しい世代もあるから一概には言えないんだけれど。

 羽生善治二冠がA級順位戦で9連勝をしたってんで記事を読もうと久々に「週刊将棋」を買ってみたらB級1組の順位戦の結果も出ていて深浦康市九段がこれはいついらいなんだ、A級への昇格を果たしていたけど話題にもなっているように4勝5敗っていうほぼ絶対に残留できる星でもって頭ハネを食らって降格の憂き目にあったりした不運の持ち主。今回は果たしてどれだけの力を発揮してA級在位を固めていけるのかがまずは注目したいところ。それから金髪に紫色のシャツでもってヤンキーな雰囲気を見せ、人気者になっているハッシーこと橋本崇載七段もいよいよもって昇格でこれからはA級八段としてご活躍の模様。実力に疑いはないんだけれどもただひとつ、心配なのは「週刊将棋」に掲載されていた写真が、かつてのヤンキーから今はサンドウィッチマンの伊達みきおさんになっていたこと。つまりはそういうことなんだけれど、その体躯でもって凄みを聞かせてもお笑いと被ってしまうから、ここはかつてのように痩身へと戻して凄みを全身から発散させて欲しいもの。眼鏡も45度のを買おう。

 「長ぐつをはいたネコ」ってアニメーション映画を観たけど主題歌が「びっくりしたニャ」でもなければ声がなべおさみさんでもなかった、ってそれを見ていた世代はとうの昔に大御所入り。今の若い人たちにとって長靴をはいているネコはそのまま「シュレック」に登場してアントニオ・バンデラスが声をあてているあの猫ってことになるのかどうなのか。実は「シュレック」見たことがないんでどれくらい活躍しているのか分かりません。ともあれそんな猫がスピンオフして主役として登場したのがドリームワークス版の「長ぐつをはいたネコ3D」。かつての東映アニメーション版を知る人も、見ればその脚本の巧みさとそしてドリームワークスならではの緻密でコミカルな3次元CG映像を堪能できます本当に。

 立体視の3Dってことで立体感のある映像に加えて猫のあのフワフワ感が実に絶妙に表現されてて見るだけでぎゅっと抱きしめたくなる。加えてあのつぶらな瞳。密めら得ると……って感じに猫が猫だからこその展開をしっかりと入れつつ壊れた友情をどう繕うのか、っていった主題もしっかり描かれた、楽しい作品になっていた。ちょっぴりマカロニウエスタンな映像とそして「ジャックと豆の木」をどちらかといえばメーンにしたストーリー。見終わると猫をギュッとしたくなる、かなならないかな。声は竹中直人さんも勝俣州和さんも巧みで確か。本田貴子さんも含めたトリオで楽しい時間をしっかりと演じきってくれるので日本語吹き替えでもご安心を。しかしキティー・フワフワーテちゃん、ヒロインなのに最初っから最後まですっぽんぽん、なんだよなあ、猫だけど、猫だけに。


【2月5日】 草薙絡、って人の書いた講談社ラノベ文庫の新人賞で佳作を取った「デッドエンドラプソディ」が出たんで読んだら深かった。通り魔に殺害された16歳の兄が目覚めたら10年経ってて6歳だった妹が16歳と同じとしになっていたという、それってどこの兄妹ラブコメ? って空気で始まり襲ってくるエクソシストを撃退したりそのエクソシストが転校してきたり、同級生に女装した子がいたりといったハーレム展開も用意してあって、もうドタバタで行くしかないって思わせておいてさらりとひっくり返して裏側にあるとげとげしい現実を見せつける。

 それは摂理に反した存在への世界の憤り。死んでなお生き返るという不条理に対して兄はなるほどそうだよねって受け入れるくらいの理知的なところがあるんだけれど、かといって自分で死を選べば、魔術師となって自分を甦らせるためだけに頑張ってきた妹の10年が無駄になるし、怒って世界だって滅ぼしかねない心配がある。本当だったら自分が死なずに幸せに平凡な家族でありたかったという悔恨も引きずりながら、そうなってしまった以上は今のギリギリの平穏を保っていたという思いもあって自分ですべてを解決しようと立ち向かう格好良さも見せてくれる。

 ひとまず落ちついたかに見せて置いて、その先にさらに不穏な展開を示唆しつつ閉じられた第1巻。続きでもやっぱりハーレムっぽい展開が続き、妹の兄思いっぷりが炸裂しながらどこか壊れた妹に、理不尽な魔術師たちを周囲に侍らせ楽しげな裏にめぐらされる謀略が描かれていくんだろう。ありきたりのパターンに見せてそうはさせない意志を持った作品。それゆえに読めない展開を期待していいのかな。キャラクターでは真面目なエクソシストで最初は攻撃してそれから監視役として同級生になってデートまでしつつやっぱりエクソシストとしての自分も貫こうとするエリシア・カラスも悪くないけど、やっぱり見た目美少女の吉本アツシが最高かなあ、ただかわいいだけじゃなく、眼鏡をかけると輪郭がぼやけて美少女っぽさが増すっていう戦略をしっかり考えているところとか最高。そんな感じに誰もが理知的で理性的、ただひとり妹だけがぶっこ割れているキャラの配置も他にないかも。興味深い作家が出てきたなあ。

 せっかくだからと上野まで出かけて東京国立博物館で中国の北京からやって来た国宝級の品々を見る。いきなり書の大展開に「とめはねっ!」の面々だったら嬉々として顔を寄せ字体を目に焼き付けようとしたかもしれないけれど、素人にはその字のどれだけ凄いのかが分からず遠巻きにして中国ってこれだけ偉大な漢字文化をよくもまああっさり放り投げられるもんだとか思ったり、でも漢字しか使わないとやっぱり日頃大変だろうなあと考えたり。平仮名片仮名漢字にローマ字数字なんかがごっちゃになってる日本語を操っている日本人が言うことでもないか。我ながらよくやっているとは思うし。

 部屋が移って清朝の皇帝が着ていたという五爪の龍がでっかく描かれた黄色い服なんかを見て、あのでっかい国土を統治した人が存在したっていう歴史の上での事実に、改めてて思いを馳せる。そんな人がそれこそ数千年にもわたって、入れ替わり立ち替わり現れて、あのでっかい国をさらにでっかく広げたりしつつ、書に青銅器に玉器に陶器にその他諸々の文化を生みだして来たんだね、って思うとこのたかだか100年にも満たない時間の中で、いったんは衰えそして今また土煙を上げて驀進を始めた中国って国が、これからの1000年に成し遂げるかもしれない何かへの畏敬ってものが、やっぱり浮かんで来る。それを乱暴とかいって押しとどめようとしたって、止まるもんじゃない。歴史が証明してきた事実をどう受け止め、どう合わせていくかってのを考えないと、ただ蹂躙されるだけになってしまうって、分からないのがそっちに寄ってしまった人たちなんだよなあ。むう。

 サントリー美術館でやってる、大阪の中之島にあって大阪に幾たびに立ち寄っている東洋陶磁美術館から持ってこられている、中国とか朝鮮とかから渡ってきた器類を見てもその完成度の高さとか、やっぱり相当なものをかつては持っていたんだって分かるし、それをこれからだってきっとやろうと思えばやれるんだろうと考えた時、ただ反目しているだけじゃあ収まらない時期がいずれ来るってことが見えてくる。その時にどう対峙する? どう立ち向かう? 考えておかないとその時がきたら動けない。けど考えることが何かイケナイことのように言って誹る声のデカい勢力を、抑えて果たしてこの国は何かを選び貫いていけるのか。そこが1番心配だ。来年だって見えない時に彼国々は、50年先100年先を見据えて国造りを行って居るんだから。頑張って中国語覚えるかなあ。

 ようやくやっと録画してあったテレビアニメーション版「ブラック★ロックシューター」を見たら何だ面白いじゃんアクションは斬新でスピーディーでスタイリッシュな上に日常パートは健全に見えて実は人の心にひそむ悪意って奴がにじみ出て、今はまだ純真なマトちゃんの心に刺さっては異世界での不思議な夢を見させる。それが思春期の少女が現実との折り合いの悪さを引きずって見るただの夢なのか。ハードな戦いの日々がむしろ現実であって、そこから逃げだそうと作ったて日常に見える虚構で平穏を得ようとしても得られない苦しみに懊悩しているのか。見えないけれども裏と表でシンクロし合った世界の行く末と、そこで戦う少女たちの姿を、かつてないほどスピーディーでスペクタクルに描かれるアクションともども楽しんでいけるんだからこんな面白いアニメはない。OVA版に負けないアクションを期待。そしてドラマにも。


【2月4日】 多数決で決まったからといってそれが必ずしも正義だとは限らないけれども、多数決で決まったことを守るのが民主主義って奴で、そんな民主主義を標榜する学校で何をするにも多数決が尊ばれるとしたらすべてが、衆愚といっては妙だけれども安易で安楽な方向へと流れまくるかっていうとそうでもなさそうなのがやっぱり、安易で安楽なことの中にはどこか人間の良心とか、理性とかに反意を訴えるものがあるってことなんだろう。もっともそんな良心とか理性って奴だって、時が変わり環境が変われば変化するもので、何十年か前だったらそれちょっとヤバいよねって事柄が、今だと割と平気にそうだそうだって連呼の支持を受けたりするから難しい。差別とか。国粋とか。かつてなら言われたことが今だと受けたりするもんなあ。

 そんな分かりやすそうで実は奥深くってなおかつ面倒くさい民主主義をテーマにしたライトノベルが登場。吉村夜さんの「スクール・デモクラシー1」(講談社ラノベ文庫)はマンモス校ですべてを投票によって決めるという民主主義が徹底されている学校に、お金持ちのお嬢さまが転校してきたもののそこで言うことは至極真っ当な生徒会からまず誘われて、雑誌の持ち込みなんて許可したらそれこそエロ本だの何だの持ち込んで酷いことになるますわよって生徒会長から説得され、反対しようかなって思ったものの投稿してくる時に側溝にはまった自動車を、その身ひとつで持ち上げてくれた巨漢の男子生徒がそんな真・生徒会とは対決姿勢を見せているカオス・生徒会の一員で、なおかつ雑誌の持ち込みに賛成の動議を出していたからお嬢さまは困り果てる。

 真・生徒会の言うことも分からないでもないけれど、親切な人にお礼はしたいし時分自身が雁字搦めの校則に嫌気して、自由を標榜する学園に転校してきたこともあってそこで自由を縛るような案に乗っかるのはやっぱり違うんじゃないかと思い直し、あれこれまよった挙げ句にカオス・生徒会に味方するという、まあ何というか至極真っ当な展開があってそれ事態にエキサイティングなところはないけれど、雑誌の持ち込みが許可されたからといってエロ本を持ち込むぞってほくそ笑んでる奴にはとりあえず、それは18禁だから持ち込む以前に所持が禁じられてるんじゃねーの? って突っ込みたい。そもそもがそれなんだから持ち込まれるはずもないって言えば誰だって安心したのになあ。やっぱり男は18禁でも持つし持ち込むって思われているのか。

 あとカオス・生徒会側のメンバーに与えられる二つ名って奴がぶっ飛びすぎててちょっと笑った。レズビアンで女子を風呂場に誘い籠絡する女生徒にニューヨークどうこうってつけるのは序の口。結果的に真・生徒会を寝返りカオス・生徒会に味方したお嬢さまに至ってはもう絶句の二つ名が与えられたんだけれどそれを果たして日常的に使うのか。それこそ18禁じゃないのか。まあそんなこんなで仲間に加わり始まったお嬢さまのカオス・生徒会生活。ただしやっぱり滴は強力でこれからもどんどんといろいろと攻めてきそう。それをいったいどうかわす。あとやっぱり正義面してどこか裏がありそうなカオス・生徒会の会長の真意なんかも知りたい。やっぱり狙いは世界征服? それもまた虚妄がよなあ。さてもどうなることやら。とりあえず見ていこう。

 せっかくだからと渋谷まで行って劇場版「ベルセルク」。実はテレビでやってたアニメーション版も見ていなければ単行本も読んでなくって、ガッツっていうでっかい剣を抱えた傭兵が大暴れする漫画、って事くらいしか知らなかったけれども映画はそんな最強の傭兵になる前のまだ粋がっていた時代をちょっぴりやって、グリフィスって超絶美形な割に剣も凄腕の鷹の爪、じゃなかった鷹の団って傭兵団を率いる兄ちゃんにこてんぱんにやられてそのまま配下になって3年後、それなりに功績も挙げて王様に取り入るくらいになってそしてやっかみもかいつつそれに対してガッツを暗殺者として派遣して、王の弟を殺したついでにその幼い息子まで手に掛けてしまったガッツが懊悩していたところに、グリフィスが時分の夢がない奴は俺の友達じゃないとかいったのを側で聞いて何かを思うといったところで次へ。

 スタジオ4℃が映像を作っている割にはCGっぽさを残しながらも全体に2次元のアニメーションをいった雰囲気を残し、絵も三浦健太郎さんの原作を恩田尚之さんが恩田さんらしいテイストを持たせつつまとめあげた感じになってて原作ファンには見やすく追いやすい展開。初見でもそんなに多くない配置から展開が読めてガッツってのとグリフィスってのが、たぶんここからいろいろあるんだろうなあって予想をさせてくれるけれども、調べるとこのあとグリフィス、とんでもないことになるみたい。どうやら映画は黄金時代編を3回に分けてやるみたいだけれども、なお続く「ベルセルク」って壮大なサーガのそんな一部だけをやってもやっぱりなあって印象。やるならそれこそ最後まで、10年かけてやってくれたらファンはついていくのかどうなのか。とりあえず毎回、キャスカのすっぽんぽんはあるのかな。

 時間もあったんで文化村ミュージアムをのぞいてフェルメールを何点か。実はファン・メーヘレンによる贋作、ってことはなくってちゃんと本物っぽかったけれどもそれを見分けるほどの目もないんでまあそういうものかって目で眺めるとそれっぽく思えてくるから人間ってなかなかに適当かも。修復されて青がくっきりとなった絵はなるほど作られた当時っぽさは感じさせるけれど、一方で名作っぽさは後退してしまっているところが悩ましいところか。他にもいっぱいいろいろとオランダ絵画もあったけれどもやっぱり全部フェルメールが持っていってしまうよなあ。せめてレンブラントが何点かあればそれでバランスはとれたけど、強烈さと繊細さの対比では食われてしまうから今回はフェルメール推しってことで。いつか本物のメーヘレンも見てみたい。

 渋谷公会堂へと向かい先週に引き続いてKalafinaのライブ。前に渋谷で見たときには音がくぐもって高音が鳴らず低音のドラムとベースがやたら鳴り響いて耳に厳しかった印象があったけれどもその反省もあったのか、今回はちゃんとボーカルの声がしっかりと聞き分けられるようになっているところに、ドラムとベースの低音が響きピアノが鳴ってバイオリンが抜けてギターが貫く絶妙のアンサンブルが出来上がっていた。中野サンプラザでの音に遜色ない出来。よく頑張って音をつくったなあ。これなら3月のFICTION JUNCTIONのライブもきっと大丈夫だろう。まだチケットとってないけどこれから買おう。

 中のパートが前とは違ってて「うつくしさ」をやらない変わりに「Gloria」から始まる幾つかを披露。中にはちゃんと「Magia」も入っていて去年に渋谷公会堂で聞いたときにはまさかあんな感じになるとはなんて予想もしていなかったことを思い出した。アンコール前のパートは中野と同じで「音楽」とかやっぱりやってくれてみんなで1本指立てた。楽しかった。そしてアンコール。何と「Fate/Zeroの」の第2期のオープニングに抜擢が決まったようでその曲「to The beginning」を初披露。アップテンポで迫力があって「Fate」のスペクタクルにマッチしてそう。それに合わせてウーフォーテーブルがどんな絵を作ってくるか。今から楽しみだあ。ライブは7月にまたNHKホールでやるそうだけれどその前に、見られるとしたら2月に越後湯沢であのSCANDALといっしょのセッションがあるんだよなあ、どうしようかなあ、見たいなあ。


【2月3日】 きっと遠くない将来に誰かイケメンの青少年が甘い声でもって「ジャージの男の子、前がもっこり、チャックを下ろしたら、何かはみ出るから」って歌いながら踊って脱いだりするニコニコ動画の「歌ってみた」「踊ってみた」がネットにアップされてそこからスターが生まれると期待。そんな「輪廻のラグランジェ」の主題歌になてる中島愛さん「TRY UITE!」がゲーマーズの秋葉原で最後の1枚だったんで買ってポスターももらいブロマイドももらいつつiTunesに落として聴いたらテレビで流れているバージョンとは違うラスマス・フェイバーがピアノを弾いたアコースティック番の「TRY UNITE!」がことのほか素晴らしかった。

 もちろんテレビ版もポップチューンにハウスなサウンドが重なって奥行きがあって広がりもあって聴いていてとっても心地よくって、それがフルバージョンで流れるCDはどこか寸詰まりになってお預けくらうようなテレビサイズよりも果てしなく音楽してたりするんだけれど、May’nさんの張り裂けんばかりのボーカルについていこうと必至になってた「マクロスフロンティアF」の頃の中島愛さんを聴いてたりするとそのどこか音に乗せようって感じにささやき? ではなくつぶやき? でもなくって楽しげに歌われる「TRY UNITE!」にあと少し、っていった思いも浮かばないでなかった。

 それがアコースティックバージョンだと、叩かれ奏でられ滲み出すラスマス・フェイバーのピアノサウンドにちょうどいい塩梅でもって乗せられた中島愛さんの歌が、もわもわっと立ち上ってはじわじわっと染みてくる感じがして喜びと、切なさのどこか混じった不思議な声として耳に届いてついつい聞き入ってしまう。アップテンポで張り上げるか、メロウなサウンドでつぶやくか。その声質を探り歌の特色を探って音楽を、歌を創り出す作業ってなかなかに難しいかも。それが可能性を持ったシンガーだとなおのこと、ベストを見つけるのって大変そう。今はまだ中島愛さんも発展途上。それがビッグになるかアニソン界隈で留まるか。プロデューサー次第なんで頑張って。それをいうならMay’nさんは最初っから完成しまくってるなあ。その奇跡が世に広がりだしてないのもまた今の音楽業界の限界なんだけど。

 岩波書店の編集者か著者の紹介持ってこいは厚生労働省の大臣が何か言いたかったりしそうな雰囲気になって妙な雲行き。民間企業が誰をどう採用しようとそんなもん勝手で雇用機会均等法の性別だとかによる差別はもってのほかとしてそうじゃないところで何を画策しようと国に言われる筋合いはないと、突っぱねるのが筋だしそもそも国だってそれはそれだから聞くメディアの方が阿呆だしそんなお前らだって縁故やってんじゃないのと突っ込み返すくらいのことをしたって悪くはないけど、そこは生真面目なのか言われたらそうしないと後が恐いと思っているのか律儀に持ち帰って見当とか言い出すからなあ厚生労働大臣。子供の使いじゃあるまいし。

 朝にコンビニでもって小さめの恵方巻を買ってくらい昼に近所の寿司屋の店頭に出ていた恵方巻を喰らったまでは良い物の、夜に総菜屋でタンドリーチキンとドライカレーの恵方巻とやらを見つけた時にはこりゃいったいどうしたものだと首をひねり頭を悩ませつつもしっかり食べた美味かった。まあ美味しそうな具材が巻いてあるんだから美味しくて当然なんだろうけれどもそれで恵方巻として正しいのか、そもそも正しい恵方巻って何なんだってところになるとさっぱり。海苔巻き、ってことだけ守られてれば良いんだろうか。トンカツ屋にもトンカツ巻きとか海老フライ巻きとかを買い求める長蛇の列が出来ていたからなあ。来年はだからチキンライスの卵焼き巻きとか出てくれれば。それはオムライスっていうんだよ。


【2月2日】 バンダイが軽井沢に作った「ワールドトイミュージアム」は今はもうなくって、そこにあった品々は今は栃木県にある「バンダイミュージアム」へと集約されているけれども、そんな「ワールドトイミュージアム」がかつて合った軽井沢プリンスショッピングプラザが、いったいいつごろからあったのかと調べたらオープンは1995年で、その当時はまだウエストだけだったのが翌々年にはイーストも出来て、ほぼ全容を見せるにいたった模様で、雰囲気から1997年とか98年とかそんなもんっぽい「あの夏で待ってる」で、海人がスポーツカーを駆る謎の美女に引きずり込まれ引っ張り回された先として、そこが登場してもとりあえず不思議はなさそう。とはいえ本当に時代設定がそんなあたりか決定されている訳じゃないんで、あるいは携帯電話が普及しなかった架空の日本が舞台になってたりするのかも。そういう世界ってちょっと素敵かも。

 そんな「あの夏で待ってる」は海人からのイチカへの告白がスルーされたことに対して海人は嫌われちゃったのかどうかと悩み、スルーしたんじゃなくって半分以上は固まってしまっただけのイチカは無言だったことに相手が怒ってないかを悩むというもう決定的なすれ違いシチュエーション。そんな合間にそれぞれの理想的な妄想を挟んで言い方向に導こうとして現実に引き戻されてぶちこわしという、典型的なラブコメが繰り広げられていて、虚淵玄さんの言によれば3話で思いっきり世界をひっくり返すという黒田洋介さんの脚本なのにいまだに世界は転じないまま、ベタベタな流れに身を揉まれてもうぐちょぐよ。宇宙人設定とかいったいどこでどう明かされて、そして海人の体の不具合なんかがどう破裂するのか。興味は尽きないけれどももうずっとこんなラブコメで良いじゃんて気すらしてきた。でもきっとひっくり返されるんだろうなあ。

 ヘイゼルの悲劇でも、ヒルズボロの悲劇でも、サッカーのスタジアムで大勢が死亡する事件、そのものは昔っからあって珍しいものではないけれど、エジプトのポートサイドで発生した、アルアハリとアルマスリとの試合で発生した大勢の人がなくなった事件は、前とは違って入りすぎたサポーターがぎゅうぎゅう詰めとなった挙句い押し潰されてしまったのとはまるで様相が違ってる。それこそ暴動とした言いようがない状況。イタリア当たりでもガチガチの警備に立て付き挑発するサポーターはいるけrど、エジプトではそんな警備が権力と結びついて捉えられ、そして反政府の流れがずっと続いて不安定になった人心に、版権力と言った気持ちを醸し出されて一気の噴出となったっぽい。だから暴れて襲い火も着ける。亡くなった人たちもだから圧死ではなく暴力の結果なんだろう。

 多すぎるサポーターの半ば不可抗力にも近い圧死ですら、リヴァプールは長く対外試合を禁じられ、イングランドのチームも国際的な大会から締め出された。増してや明らかな試合中の反権力的行動によって、暴動が起こり死傷者が出た今回の一件を、国際サッカー連盟は絶対に許さないだろうなあ、それこそW杯の場から締め出すことだってしかねない。少なくともアフリカチャンピオンズリーグからはエジプトのチームはパージされそう。アル・アハリなんて常連だっただけにその出場禁止はアフリカのクラブチームにとっていろいろと影響を及ぼすかも。そして最終的にはクラブワールドカップにも。願うならあくまでもエジプトでの突発的で偶発的な事態にとどまって、あらぶやイスラムの他の地域に広がるようなことだけは、避けて欲しいもの。W杯の予選もあればロンドン五輪の予選もあるから日本には。むう。

 ちゃっちゃっちゃっちゃらちゃらちゃっちゃ。って書いてもまるで分からないけどこれは「新八犬伝」の主題歌のリズム、って言えば少しは分かってもらえるかな、無理かなあ、だってもういったい何十年前? それこそ40年近く昔にNHKで放送されてた人形劇を、見ていたって記憶にある人は結構な年齢になっている。そんな人にとってはもう直撃の品が復刊ドットコムから登場。石山透さんが書いた小説版の「新八犬伝」が、当時の人形劇に使われていた人形なんかを表紙にあしらって重版されるというからこれはもう買うしかない。辻村ジュサブローさんが手がけた人形は、男でも色気があって女はもちろん妖艶で、そんな人形が名優たいの声にのって動き暴れるストーリーは、見たら次が見たくなるくらいに起伏に富んで面白かった。後に本物の「南総里見八犬伝」を読んだけれどもそれとは違ったオリジナルの面白さ。けど今はもう見られない。小説ももちろん読めなくなっていた。

 実は「新八犬伝」がNHKで放送されていたか終わった当たりで、その小説版を、近所に住んでた人に見せて貰って読ませてもらった記憶があるけれど、他人のものだったからどんな感じだったかは覚えてないし、そもそもストーリー自体を深くも強くも記憶していない。ただ「我こそは玉梓が怨霊」という恐ろしげな女のあやかしなんかが出てきて暴れ回ったり、船虫という女の悪人が出てきて跳梁したりといった記憶はあって、それらがいったいどんな感じに登場したのか、どんな役割を果たしたのか、それを今になって確かめられるのはただただ嬉しい限り。いったいどんな話だったんだろう。でもやっぱり映像で見たいよなあ、坂本九さんの名調子とともに。面白かったんだ。本当に。

 岩波書店が社員かあるいは岩波から本を出している人の紹介がなければ入社試験を受けられなくするそうで、門戸がぎゅっと狭まるかというとあれだけの本を出してきた歴史のある出版社なんだから、周囲を探せば同じ学校に岩波から本を出している教授の1人は2人、いたって不思議はなさそう。そこに頼んで紹介状がもらえるかは分からないけれど、妙な権益になって1通幾らとかって商売が流行らないことだけは願いたいもの。むしろそいういった卑俗な方向ではなくって、タイムマシンで過去にさかのぼってプラトンとか、トゥキディデスとか、ギボンとかいった人たちから推薦状をとってくるくらいのことをやって欲しいもの。それが難しいなら恐山に行ってイタコの人に呼び出してもらって一筆書いて貰うとか。それくらいの根性を見せたら果たして岩波、何か反応してくれるかな。それくらいのぶっ飛んだ発想があれば、出版業界のこの布教を乗り切れるに違いないから。


【2月1日】 もう2月。来月は3月でその次は。時は流れる。例のブシロードによる新日本プロレスの買収が、どれくらいビッグニュースかを確かめようとスポーツニッポンを買ったら普通の囲みの記事だった。共同電をそのまま使っているような雰囲気で、かつてはプロレスをもスポーツの範疇に絡めて喧伝していた時代から、随分と後退したものだと思ってサンケイスポーツも読んだらこっちは欠片も触れられていなかった。というか格闘技そのものの記事がない。かつては骨法の達人記者を擁して格闘技の世界をディープに伝えていた新聞が今は。そりゃあスポーツかどうかって言われれば迷うところではあるけれど、経済ニュースとしてすら取り上げないってのはやっぱりちょっと不思議な気分。感度が鈍っているんだろうなあ、どこもかしこも。

 でもって東京スポーツは1面こそ外したものの終面とそして中でもってキッダーニ男爵だか公爵だかな木谷高明社長をでっかく載っけて買収後のビジョンを喧伝、来年の1月4日の東京ドーム興業に向けていろいろとぶち上げてくれちゃっている。まず目立ったのはハンマー投げの室伏選手を呼ぶかどうかって話だけれどもとりあえずその前にロンドン五輪があるからそこで金メダルをとって満足してくれていたら出てくれたりするのかな。記事では別にバトルはしなくてもぶんぶん振り回してコーナーポストに放り投げてくれるだけで客は喜ぶって書いてある。喜ぶか? ってのはともかく見たい場面ではあるからなあ。まあ頑張って。

 あと新日本プロレスのレジェンドだちを招いてみたいってあったけれどもアントニオ猪木が来ると全部含めて持って行かれる可能性もあるから悩ましいところ。ドラゴン藤波辰己さんに長州力さん前田日明さんの名前も挙がっていたけどそれならやっぱり高田延彦さんも交えたUWF組と、そんな彼らが抜けたあとの新日本リングを守った闘魂三銃士、っていってもすでに橋本真也さんはなく、武藤敬司さんはライバル団体の取締役だから勢ぞろいはしないだろうなあ。蝶野さんがセバタンといっしょにご登場、ってのも面白いけどエコエコセバタン、いったいいつになったらパッケージ化されるのやら。見たいぞ男色ディーノの活躍を。

 初代タイガーマスクに獣神サンダーラーガーにストロングマシーンのひと揃え、そんな当たりで盛り上がったあの1980年代をもう一度、ってんならリングアナウンサーはやっぱり古館さんか辻さんか。そっちもやっぱり難しそう。今の、ストロングでもってそして明るくパワフルな新日本のリングがでっかく、見られるんあらそで良いかも。果たしてどんな手を打ってくるのかキッダーニ。やっぱり必殺技の「探偵オペラ ミルキィホームズ」を連れてくるしかないのか。棚橋に中邑にほか新日本のエースたちがミルキィホームズの姿をして戦うリング。見たい気もあり恐い気もあり。

 よくよく夏目は眼鏡っ娘に絡まれるというか。「夏目友人帳・肆」には新たな眼鏡っ娘が出てきてはいきなり階段を突っ走って車に跳ねられそうになるピンチに遭っていたけどなぜかひょいっと助け上げられそ無事に。そこから語り始めた思い出話はまだ暗かった夏目が転校してきてもなじめず妙な動きばかりしている姿をまだ眼鏡っ娘じゃなかった彼女が眺め見守るとう展開。相手もないまま振り払ったり逃げ回ったりする姿を見ればそりゃあ誰だって驚くけどそんな前半から一変、後半になるとそこにはしっかりと黒鎌を持った妖怪が描かれていて夏目が何に怯え何から逃げ回っているかが見えてくる。これが彼の(といっても第三者的だけれど)視ている世界。そりゃあ日々の暮らしもままならないって。

 そうえば個人的には4つあるオープニングでも1番好きかもしれない「弐」に重なって描かれていた映像が、まさにそんな大勢が視ている世界が後半に夏目が視てる世界に変わる感じに描かれていたっけか。盛り上がるサウンドにのって現れ動き回り飛び上がって取り囲むあやかしたちのその賑やかさを、見るとそういう世界も面白そうに思えるけれども視えることがなければ夏目だって黒鎌の妖怪に絡まれることもなかった訳で、それで騒動を起こすこともなかった。生きるって大変。とはいえそんな黒鎌も、半分くらいは能力をマイナスに考えている夏目に苛立っていた感じで本当は優しい親切な妖怪。口にボールをはめられたって怒らず、夏目に関わっていた眼鏡っ娘の危機を救ってあげた。妖怪って本当は……いやいや安心するのはやっぱり早い。そんな人とあやかしの難しい関係、これからも描いていってくださいな、漫画でも、アニメでも。

 ムギナミです。しか言わないのかと思ったら案外にいろいろ喋るし阿呆っぽさ炸裂って訳でもない。遠泳大会でこっそりしのびよってボートをひっくり返して大変なランちゃんを自分でやっておきながら助けたりする自制心はちゃんとある。それを親切と受け入れられてジャージ部に誘われたりするのは怪我の功名って奴だけれども裏とかまるで考えないてなさそうだからなあ。鴨女の先生もじっくりみたけどなかなかの豪傑。従姉妹にもまさる迫力でそんな2人がツインで来たら誰だってタジタジだろうなあ。おまけに脱げば凄いんです的赤ビキニ。もっと活躍して欲しいけれどもこれからも出番はあるのかな。やっぱり1度行ってくるか鴨川に。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る