縮刷版2008年2月上旬号


【2月10日】 一方で円卓の騎士ことナイトオブラウンズの男性メンバーはと言えばトップに君臨するナイトオブワンことえっと名前はまだないおっさんが顎割れ系統でむさくるしそう。「コードギアス 反逆のルルーシュ」じゃあディートハルトとダールドンと3人並んでヒートトリオとか呼ばれて暑苦しがられるんだ。きっと胸毛とかもじゃもじゃに生えてる違いない。でもって騎士の誇りを見せる戦いの時はきっとナイトメアフレームの中でシャツを引き裂き胸板をさらけだしてわはははははと笑いながら敵を真正面か迎え撃つんだ。でも1位ってことは実は沈着冷静な策謀家だったりして。出てきて見ないと分からないなあ。その意味でも開幕が待ち遠しい。

 明らかになってるキャラじゃあナイトオブテンが見た目からしてやんちゃっぽくってきっとやられキャラ。ゴールドセイントで例えるところのキャンサーのデスマスク。ひっかきまわした挙げ句にルルーシュの奸計にハマって命を落とすか、堂々としてない戦いブリからスザクに誅殺されるんだ。見た目でシュナイゼル殿下とタメはりそーなのがナイトオブスリーのジノ・ヴァインベルグで「月刊ニュータイプ」によればスザクにも親切そーだけれどきっと裏があるんだそーゆーもんだ。良い奴が円卓の騎士になんてなれるはずないじゃんあの国で。2とか4とか5がいないけどまあおいおい明らかになって来るんだろー。ところでナイトオブラウンズって強さでコーネリアよりやっぱり上なのかなあ。ギルフォードってあんなに強いのにラウンズに入ってないってことはやっぱり相当な手練れなのかなあ。

 そんな「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の予告編も流れ始めた「機動戦士ガンダム00」はトリニティが非道過ぎ。つかただの結婚パーティーをやっている屋敷に弾を叩き込んで周囲の2人の兄貴が誰も諫めないってあたりに3人の異常さがのぞく。どーゆー育てられ方をしてどーゆー使命なり信念を帯びているのかを明らかにしないと見ている方も納得できないんだけれどその辺ちゃんとする気はあるんだろーか。未だソレスタルビーイングだってよく位置取りが分からないし最終的に目指す世界って奴も示されていない中で新たな要素が加わってますます混沌。爽快感なきエンディングになりそーだけれどさてはてどー決着を付けるのか。「ジェネレイターガウル」なんかで昔を懐かしみつつ監督の手腕を見守ろう。

 これが山本弘さんだったら北アルプス山中に落下した隕石に付着していたバクテリアか発せられる放射線の影響でモンスターなんかが出来上がってしまったんだって展開に持っていきそうだけれど根がミステリーな北林一光さんの「ファントム・ピークス」(角川書店)はあくまで現実の範疇で屈指のモンスターを出現させては安閑とした人間世界に巨富って奴を喚起させる。山菜取りに山へ入った妻が何やら感じて鉈を抜いてそして疾走。翌春に遺体が発見されて事故死だったと判断されたものの夫はどこか納得できずにいいた。そこに起こる新たな事件。カップルの女性が突如疾走。らに親子連れの母親が消え娘だけが取り残された。恐怖に口が利けなくなった娘の気持ちがやや戻り、テレビを見ていたところで再びの絶叫。そこに映っていたものは……。

 やがて明らかになって来る敵の正体に、体長50メートルとかゆーモンスターを相手にした戦いなんかを見慣れている目には何てしょぼい相手なんだと見えそーだけれどこれがどーして、人間なんかを本能的に恐怖させるだけの偉容で誰にも手を出させないまま1人、また1人と犠牲者を積み重ねていく。さすがに無敵だったり不死身だったりはしなさそーだけれど、自然から遠く離れてしまっている人間にとって本当の自然が持つ驚異って奴を改めて思い知らせてくれる。そんな驚異が人間の身勝手さによって本来あるべきではない場所に生まれてしまう恐怖ってやつも合わせて感じさせる物語。作者の方は映画の世界に長くいて、そして執筆活動に映り数点を発表し本作で松本清張賞の最終に残ってそして仕上げて死去。自然の人間の戦いを関わりをハードボイルドな雰囲気の中に見せてくれそーな、その意味では稲見一良さんに近そうな存在だっただけに稲見さん同様の書き始めてからの早逝が惜しい。ハードボイルドじゃあ打海文三さんもそういえば映像世界から作家に転じて亡くなっている。破滅型じゃあ全然ないのにどーして。ハードボイルドはやっぱり都会でマセラッティを駆り葉巻をふかしてないと長生きできないんだろーか。

 神保町あたりで仕事をしてせっかくだからと三田線で千石に行き駄菓子屋みたいな本屋で「PLANETS」の最新号でも買うかと出向いたら日曜の夕方だってのに準備中で中でおっさんっぽい人たちが酒盛りか何かをしている風だった。何だそりゃ。そんな商売っ気よりも思想性が前に出ているよーに見える70年代的コミュニティ気質にやれやれと思いながらも千石の町をちょろりと歩いて路地で子供たちが遊んでいる後継に今時の東京っぽくない安心感を覚えて平静さを取り戻してから三田線新宿線と都営地下鉄を乗り継ぎ「紀伊国屋書店」で「PLANETS」を購入、とりあえず2冊買ったんで買うのも面倒って人に見せて差し上げよう。東浩紀さんとの対談というかインタビューしたものに手を入れ対談っぽく仕上げたゴージャスな記事とか大森望さんへのインタビューとか読む場所は多々。川上未映子さんも出ていてタイミングはばっちり。これで水着ピンナップでもあったら100万部は固かった。惜しいなあ。

 夜中にマンチェスター・ユナイテッドが試合をしていて「ミュンヘンの悲劇」から50年目の節目の試合で相手がマンチェスター・シティでオールドトラフォードにシティを迎えたホームの試合で首位アーセナルにちょい差をつけられかかっている状況の、これこそ“絶対に負けられない試合”って言うんだろーけどそこはそれ、ウェイン・ルーニーを出場停止で欠いてはクリスティアーノ・ロナウドがサイドに張って得意のドリブルであいてを翻弄しつつ中央でルーニーとテヴェスが突破を図り後ろからライアン・ギッグスが突っ込む試合運びが出来ず苦戦。そしてシティの鮮やかな2点獲得に追いつけず敗れてしまう。スタンドで見ていた「ミュンヘンの悲劇」を生き残ったサー・ボビー・チャールトンの思いはいかばかりか。しかしもしも悲劇がなくってダンカン・エドワーズが生き残っていたら1958年も62年もブラジルに良いようにはさせずペレの伝説も生まれなかったかあるいは生まれても脇へと追いやられていたかもと思うと歴史って奴は実にドラマチック。その辺りを改変しつつSF仕立ての小説を書く人とかいれば嬉しいんだけどなあ。改変されるのがナチとか二・二六事件とかばかりじゃあ飽きるもんなあ。


【2月9日】 木村貴宏さんだけあって「月刊ニュータイプ」2008年3月号の表紙に描かれた「コードギアス 反逆のルルーシュ」のC.C.はルルーシュにお姫様だっこっぽくされて下がったお尻がちゃんと丸くて素晴らしい。先月あたりから出回り始めたキャラクター表だとぞろりと長い衣装に脚がかくれてせっかくのお尻が見えなくなっていたんだけれど動けばスリットからのぞく脚の根本にちゃんと、立派に丸くついてたんだなあって当たり前だけど。減るもんじゃなし。「月刊アニメージュ」の2008年3月号も表紙こそちびっこシャナに譲ったけれど、中で背中の垂れた衣装の下からホットパンツか何かに包まれた丸いお尻を見せてくれてるC.C.。これがあれば日曜に時間帯が変わってファミリー向けにマイルドになったって満足できる。着いていきます最終回まで。

 懸念はキャラが増えすぎ悪のルルーシュに偽善のスザクの対立って軸がぶれてしまわないかって部分かなあ。いよいよ明らかになった円卓の騎士こと「ナイトオブラウンズ」の一部がニュータイプで詳細に紹介。ってもスザクを入れて7人で12人いる残りの5人が誰かは分からないけど出てきたスザクを除いた6人も3人が女性で「DARKER THAN BLACK」の銀(イン)みたく表情の欠けてるぺったんこ娘とおかっぱを長くしたよーなストレートヘアのお嬢様とそしてスレンダーな癖に出るところは出過ぎた激烈系って組み合わせでは、誰に決めたら良いのかってマニアの関心を集めそう。個人的には激烈バディなノネット・エニアグラムが一押し。何を言うなら谷間を見せないタイプの福ってところか。命じてくれルルーシュ。「脱げ」と。

 尻といえば「月刊アニメージュ」の方の51ページ、「ドラゴノーツ」のDVD紹介記事に掲載されてる第2巻に封入とかのポストカードに描かれたアキラのバック姿が実にボリューミー。シリーズでも屈指のぺたんこ系だと誹られ愛でられている娘ですでに本編からはご退場? なさってるみたいだけれども上のない分が下に集まり迫力の逆ハート形を構成していたとは恐れ入った。これでマキナの巨大超巨大な胸と合体すれば迫力のキャラクターも出来上がるのに。んでもって「月刊ニュータイプ」は67ページのゆうきまさみさん「はてしない物語」で我らがバーディが露出もたっぷりな衣装でこっちに立派なお尻を向けてくれてて実に愉快。叩いたら良い音がっそーだけれどもその瞬間に回し蹴りで吹き飛ばされるから命掛ける覚悟で挑め。冲方丁さんはそんなに子育てが大変かルルーシュをイラストにして嘆かせている。でも次は娘が良いとポツリ。そーゆーものか親になるって。

 あらゆる場所にうのつねが。サッカー関連の批評で何というか絶妙に微妙で巧妙な立場を築き上げている「サポティスタ」の人が「PLANETS」を出したばかりの宇野常寛さんにインタビュー。ジャンルミックスで持論にそぐう要素だけをピックアップして並べてどうだと見せてくれて、他のジャンルにあんまり興味を持たない人の関心をそうなんだねえとそっちに向けるポータル的な価値をなるほど持っているってことは分かったけれども、でも「オタク文化が好きな人間は、ジャニーズのドラマなんか絶対に認めないとか。携帯小説や昔のトレンディドラマとかが好きな人間は、アニメを絶対に認めないとか、そういう偏狭なセクショナリズム」に陥っている人ってそんなにいるのかなあ、まあ戦略としてそーゆー敵がいるってことにすれば反論の糸口になるし後から出す手なんで対策も立てやすいだろーけど。だから勝っているよーに見えるんだけど。

 でもなあ。「現に僕なんかもクドカン褒めただけで『オタクの敵』扱いですからね」ってそんなにクドカン好きを叩かれたっけ。ってか「SFマガジン」ってジャンル向けの雑誌で「SF」に関係ないことを方って場違いだねってことを言われただけで、「SFの敵」認定なんかは別にされてない。そういうコテコテなジャンルの場であるってことを意識しつつああいったジャンルミックスというかジャンルアウトな言説を繰り広げさせてる編集長の、それは何かを狙ったタクラミのひとつなんだろーけれど、そのタクラミに乗って踊っているんだから少しは周囲で何だろうって目を向けるSFな人たちを引っかけ、説得するぐらいの言葉でもってクドカンを語ってくれれば嬉しいのに。ただの日常ドラマな「木更津キャッツアイ」じゃなくってSFも認めるしりあがり寿さん「永遠の弥次さん喜多さん」あたりをネタに使って。

 「あれだけ『コードギアス(コードギアス 反逆のルルーシュ)』や『(平成)仮面ライダーシリーズ』を持ち上げても、セカイ系的な自己正当化ロジックを認めないだけで敵認定です(笑)」ってそんな訳ないじゃん。たぶんだからそれは「ギアス」や「ライダー」を取り上げるロジックがあまりに恣意性にあふれてて、いちばん美味しいところだけを囓られちゃっているようで全部を好きな人たちからそうじゃないんだって思われているって感じじゃん。しかしまあ、見えない所に敵を想定してドン・キホーテよろしくロバにまたがり戦いを挑んで行くってのも戦い方のひとつのスタイル。それに歴史を紐解けば実戦にだって存在しない敵を作って武装するって手法は幾らだって出てきた。今だってこの国で周囲にそーゆー敵を作って自信を高めたがってる勢力が割とある。それを粋に感じる周囲はとっても高揚できるけれど、「だからそれで?」と現状の混沌を別に意識せず受け止めている大半は思い、受け流して行くことだろー。それすらも引き込み発憤させられるのか。振るう手腕を遠巻きに彼方からふんわりと眺めて行こう。

 神保町の「コミック高岡」で先週あたりに安彦良和さんの解説が気になって坂口尚さんの「石の花」の分厚い再刊版を選んでいる時にラジオで流れてた曲が気になって最後まで聴いて誰が唄っているかを確認してすぐさまメモ。でもって隣の「ディスクユニオン」に入っても見つからずおあずけになってた「SPECIAL OTHERS」ってバンドの出たばっかりのアルバム「QUEST」を買って聞いて流れてた曲が「Laurentech」だと知る。基本インストゥルメンタルでギターが旋律を惹きキーボードがペカペカと重ねバックでドラムがタタタタタンと鳴り裏でベースが響くシンプルな編成。それでドライブ感のある曲をなかなか心地良い旋律で弾いてくれたのがあの濃い「コミック高岡」の空気中でも耳に届いて来た。

 フュージョン、て昔だったら言われたんだろうけれども「カシオペア」みたいな超絶的なテクニックでもって聴かせるってよりはもっと軽く音を重ねて勢いと心地よさで引っ張るバンドって印象。音の鳴り方は何だろう、70年代的なフラワーでサイケさをちょい交えつつも80年代のカラリとした雰囲気も持ってるっていうのかな、山下達朗の「イッツ・ア・ポッピンタイム」のバックバンドだけ抜き出してリズムを抑えめにした感じって言うと誉めすぎかもしれないけれども、これって逆に言えばどことなくリズムが足りてなくって心地よさで聴かせても、気持ちにドカンと響かせるパワーにやや足りてないって言えるかも。もっとベースが響けばバンドっぽさも増してロック感も出るんだろうけれどそれをやったら「スペアザ」なライト感が消えてしまう可能性もあるし。うーんそのあたりアレンジャーにちょっといじってもらいたいなあ。でも良い感じ。出先のラジオで耳に留めて聞き始めたってのはいつかの「スキマスイッチ」以来か、あっちもその後に大爆発したってことは「スペアザ」も来年くらいに紅白出場? ないよなあ歌ないし。


【2月8日】 「Jam Films」で今をときめく妻夫木聡さんからブルマーでのハードル飛び姿を心底より憧れられた美少女だった綾瀬はるかさん。それが5年の時を隔てて「鹿男あおによし」じゃあ手酌でビールをがぶ飲みした挙げ句、玉木宏さんにおんぶされながらおしっこがしたいと言いだし慌てて左右に体をゆする玉木の上で、うぐうと我慢限界のうめき声をあげたり到着した旅館の玄関にぐでんと大の字になって寝転がったりしてしまうとは何と残酷なんだ時間とは、そして成長とは。もはやブルマー姿で飛んでもお笑いにしかならないよなあ。

 鹿が喋ると言った玉木の言葉を結局信じることにして奈良公演にいる鹿にのべつまくなし喋りかけては玉木かさ諭され、それでも懲りずに玉木が喋りかけた使いの鹿から山寺宏一声で「馬鹿じゃないのか」と言われてしまうようコメディエンヌになってしまった綾瀬さん。ぷりぷりと怒ったりにこにこと笑ったりする演技の幅の広さを見せるならこーした役柄がベストなんだけれどもでも、いつかの赤ブルマー青ブルマー緑ブルマーを思い出すとちょっぴり哀しくもなってくる。当時だったらマドンナをぶすと言い切ったとしても納得出来たけど今では……。

 そんな「鹿男あをによし」は始まった大和杯で珠ちゃん……じゃなかった堀田イトちゃん大活躍。テンポも出てきて話も動き始めてむちゃくちゃ面白いのに視聴率だけが振るわないのは何故なんだろー。でも今週のこの良さを知ればきっと見る人も増えるはず。そんなに柴本幸はアレなのかってのを確かめたい人とか含めて。サクラ先生がすっかりおばあさんいなっていると言ったら「うる星やつら」のファンも見てくれるかなあ。

 ぼたん死亡。椋の卵はそんなに殺猪的だったのか。それとも何か妙なものが混じっていたのか。朋也への愛情ってのは猪には良くないものだったのか。それにしては多分本当はそんなに憎からずな杏のお弁当を食べたってぼたんはきっと無事だったに違いない。姉と妹で現れるこの能力差。「らき☆すた」の似た色の髪をした双子の姉妹よりもきっと大きな差があるに違いない。運動神経とか積極性とかもまるで違うしなあ。どんな環境で育ったんだろう。でも実例として双子ってのに大きな格差が生まれることは身をもって知っている。きっかけはささいなことで一方が浮かぶとそれを卑下してやや沈み、そこから次第に差が広がっていくという寸法。お陰で未だに独り身のアパート暮らしだもう1人は嫁も子もいて1軒家住まいだ。うーん。椋頑張れ。

 なんて見てた「CLANNAD」だけどでもやっぱり姉で妹思いなんだけれども心はなかなか隠せない杏も可愛いもんだなあ。体育の授業でもやっぱりブルマー姿にオーバーニーの白いソックスを履いてたからあれがきっとデフォルトなんだろーけどでも、やっぱり暑くないのかなあ。そーやってしたたり流れて染みた汗の匂いが同じ体育倉庫に閉じこめられた朋也を興奮させて上半身を裸にさせた、と思いきやおまじない解除のおまじないを唱えるだけだった。この臆病者め。開いた瞬間にどーやって身を隠したのかは謎。すばしっこいのか。それにしてもうらやましいぞ岡崎朋也。杏にはうずくまってみをよじられながらもどこか誘われ気味な媚態を見せられるし、目覚めれば枕元に坂上智代が立っていてにょきっとした脚を見せつつ布団をひっぺがしてくれる。何て幸せな朝。てっきり踵が飛んでくるかと思ったけれどもあれで以外とかいがいしいんだなあ。

 でもきっと春原陽平には踵を落としたに違いない。そうする気はなくても朋也がけしかけないはずがない。目覚めていれば落とされる瞬間に見えるものもあるんだろーけど眠っているところに落とされては見えるのは回る星くらいか。それでもやっぱりうらやましいなあ2人とも。けど陽平のはた迷惑から智代に過去の因縁がふりかかりやって来たのは不良たち。すかさず現れた風子が必殺技の何だっけ、ひとでシュートだったっけ、見せようとしたけど相手はのらず寂しく退散。これで消えてから3回目の登場か、以外と数多く出てくるなあ、最終回あたりでは復活とかしてくれたら良いんだけれどそれだと普通の女の子になってしまうからなあ。あれはあれだから良いんだな。さて停学を喰らって渚は病気で椋も杏も浮いてしまって次回は智代が朋也に急接近? まあ見よう。杏に幸せになって欲しいよなあ。

 麻布十番までミニー吉野さんの展覧会を見に行ったらミッキー吉野さんが座ってた。んじゃない3月に去年に引き続いてアートっぽいコンサートを開く「ゴダイゴ」の活動に関連してリーダーのミッキー吉野さんにインタビューすることになって去年の秋に結婚して新聞なんかでも話題になったアーティストの奥さんの個展会場に毎日足を運んでいるってことで伺ったもの。もしもそれと知らず展覧会だと思ってはいると中にどこかで見た人が座っているから誰もが驚くんじゃんかろーか、っても流石にあのど派手に活動していた1978年前後を知ってる人って40歳から上だろーから、あんまり展覧会とか行きそーにもないけれど。

 しかし変わってなかったミッキーさん。笑顔が福々しくって話も楽しくってこれならコンサートもきっと良いものになりそー。去年がデビューアルバムの「新創世記」をモチーフにパントマイムや朗読やコーラスを付け加えたものだったのに対して今回はセカンドアルバムにして最高峰と言われる「DEAD END」をモチーフにして今の閉塞感を打ち、新たな未来を切り開くための音楽って奴を示してくれるとか。行きたいけれども仕事が入りそうだしなあ。でもDVD化されるんで出ればそっちを買おうっと。それにしても30年前にテレビで見ていた人が目の前にいて喋っているってのは何というか仕事冥利に尽きるというか。でもそーした年月を越えて現役で活躍し続けているからこそ成立するもので、昨今の復活ブームなんかも含めると70年代のアーティストって元より相当な強度があったってことになりそー。音楽性でもテクニックでも。

 懐かしさってだけでもリバイバルはあるけれどもそれだと一瞬で終わってしまう。改めて聞かせてくれた音楽の深みに持ってるテクニックが当時は若くってそれとなく聞いていた人たちに対しても、今はたまった経験や知識をもってしてもやっぱり凄いと思わせるものがあるってことなんだろー。「フラワートラベリンバンド」しかり「クリエーション」しかり。続々の復活はあるけどでも途中にずっと活動して来た人たちばかり。この現役感の強さって80年代にむわっと出てきた今のJポップにつながる人たちにはちょっとないよーな気がしないでもない。

 ってかそもそも誰が残ってるんだろー。BOWY? やっぱりどこか懐かしさからのリバイバルだもんなあ。一風堂? 聞かないなあ。敢えてあげれば「筋肉少女帯」かあ。いやああれはカルトでアングラだから狭い範囲で圧倒的な強度を持っていた。だから今も熱く支持される。一般化した中で残っているのは? と考えると音楽ビジネスってものが90年代以降にどーしてベカベカっと崩壊していったかも見えて来るよーな気がする。アートがあってビジネスになってキャッシュが生まれるABCの順列を、崩してキャッシュから入りビジネスにしてアートと言い張ったって無理なんだ。アニメにもきっと同じことが言えるんだろーけど関わる人数の多さが音楽と映像じゃあまた違うからなあ。とはいえ「コードギアス 反逆のルルーシュ」みたくアート性もありビジネスにも乗りキャッシュだって生む三位一体でないと成立し得ない状況でもあるし。ミッキーさん含め現役感の強い70年代に学ぶ所が多そうだなあ。


【2月7日】 せっかくだから出ているらしい山形浩生さん翻訳の「ポル・ポト」を買おうとして本屋に行って分厚さに吹き出し値段みて吹き出しそっと棚に戻す。6800円なんて殺人的ですプノンペンからの強制移住的破壊力です子供にはちょっと買えません、いや子供じゃないけど今月DVDをあれこれ買ってしまったんでちょっと躊躇してしまった、あと部屋がまたぞろ狭くなりかけているってこともあったし。でもまあせっかくだからと訳者後書きを読んで雰囲気だけでも掴もうとペラペラっとめくってそうかそういった主張のことが書かれているのかとだいたい理解。さすがは「要するに」の人だけあって後書きでも「要するに」とばかりに解説してくれている。本を売るのに向いていない人だなあ。まあいつかそのうち買おう。でないと消えちゃいそーだし。

 んでもって言った会社に朝っぱらから釘宮ボイスの無限プチプチが出るという衝撃的なニュースが舞い込んできたので慌てて会社の中をこれは凄いこれは素晴らしいこれは100万個だって売れると叫んで歩いたら誰も反応してくれず絶望した。だって釘宮だよ。それがプチプチやってると「触んないでよ!」とか叫ぶんだよ。でもって分かったと触らないでいると「別に……寂しくないわよ」とか言うんだよ。もう最高。超サイコー。朝に夕に手にしてプチプチプチプチと潰してはボイスに精神をシャキッとさせてそしてドロンととろけさせる男子が続出して日本は経済活動が停滞するなかで、これが売れまくったバンダイを傘下に持つバンダイナムコホールディングスだけが株価を彼方へと上昇させたって不思議じゃない。

 昨日にアミューズメント施設の店舗を閉めるからってストップ安になったけれども釘宮ボイスのインパクトはそれ以上、いやその1万倍。ストップ高を1週間続けたって不思議じゃないくらいのバリューを持ってるニュースに対しておじさん社員はおろか若いアルバイトたちの誰1人として的確な判断を下せないんだからこいつは如何ともしがたい。それで経済新聞を作っているんだから中身の質もたかが知れてる。実際に知れてるんだけれどもそれはともかく釘宮と言えばなツンデレに加えて妹ありメイドあり幼なじみありと揃って登場の「∞プチプチ ぷち萌え」バージョン。3月8日の発売日まで刻々と刻まれる時計でも眺めながら手にして押して「ヘンタイ」と罵倒される瞬間を夢見よう。トップで報じたYAHOOは流石に分かっているよなあ、だから伸びるんだよなあ。

 というかだったらやっぱり欲しいぞ媚態の能登麻美子ボイスにお姉ちゃんの井上喜久子ボイス。あと「コードギアス 反逆のルルーシュ」シリーズ。ルルーシュバージョンは押せば居丈高な声で「合衆国ニッポン!」とか叫び触らないと「全力でプチプチせよ!」と言いだしユーフェミアバージョンは押せば「虐殺です」で触らないと「どーして触らないのかにゃー」とねだる。ああ愉快。C.C.バージョンはやっぱりナリタの洞窟で見せたような弱々しい声で「ぜんぜんだめだ」って言ってくれると嬉しいけれとおねだりするタマじゃあないからそっちの声はどーしよー。でもどれだけ揃えても釘宮にはかないそうもないよなあ。強烈だよなあ。やっぱりくぎみーは。

 開けて出そろったサッカー「日本代表対タイ代表」の戦評は「高原どーよ」ってのがやっぱり圧倒的。帰って見直したビデオでも眺めの放り込みを頭にあてて大久保選手に落とした場面があったもののそーゆーポスト的な役割はあんまり果たせずかといってトップに張って瞬時の動きでシュートを決めるプレーもなし。中盤にさがり触って入れて走って間に合わないフォワードでもミッドフィルダーでもない仕事に追われて試合にほとんど絡めない。まあこれは後ろから動いてサポートする人があんまりいなかったってこともあるのかもしれずたまにドリブルをしてそれが決め手にはなったものの山瀬選手のトップ下ってのも相手が守備固め的な時はちょっと考え走り回り崩しにかかる選手へと代えた方が良いのかもしれないなあ。大久保選手が2列目に下がっていい感じになったみたいな。しかしこれで東アジア選手権にも呼ばれたら高原選手、行くのかな。チームに溶け込む暇もないけどチームも半年は様子を見る覚悟が出来たのかな。

 尾張名古屋は芸所だけど三河豊橋は文所? 「小説すばる文学賞」を取った「桃山ビート・トライブ」でデビューした天野純希さんに続いてにまたしても愛知県豊橋市にある愛知大学文学部を出た作家の人がデビュー。井口ひろみさんって人で作品は「月のころはさらなり」(新潮社)。ちょっと前に「新潮エンターテインメント大賞」を獲得した作品であの宮部みゆきさんが絶賛してるってことはやっぱり相当に面白いんだろう。田舎の村に伝わるちょっと不思議な風習を都会から来た少年が体験する、って感じの話しでライトノベルにもありがちでその場合だと何となく先も見えるんだけどこれはちょっとどこに向かうか分からない。ハッピーエンドだと良いんだけど。宮部さん好きだからきっとちゃんとしてるんだろー。

 作者の人は1971年生まれで文学部西洋哲学科卒、というか多分正しくは文学部哲学科東洋哲学専攻卒ってことだから僕とはまるで重なってないけど年齢的には天野純希さんよりは近いかな。ちなみに年は2つ上だけど入学と卒業が同じだった酒見賢一あんは哲学科の東洋哲学専攻だから井口さんとは学科の先輩後輩か。面識とかはあるんだろーか、デビューしてからも酒見さんってしばらく豊橋に住んでいたみたいだし。今はどーなんだろう。ちなみに天野さんは出身は史学科っぽいけど東洋史ではなく日本史みたいだから僕とは専攻違い。今は改革されて東洋史日本史地理って専攻じゃあなくなっているっぽい。もあれ田舎にあってマイナーで入学希望者も減って元から卒業者数もそれほど多くない愛大文学部から20年で作家が3人も出るなんて珍しいというか面白いというか。その列に加われそうもない身では恥ずかしいけど精一杯に応援していこう。やっぱりあののんびりとして温暖な空気がじっくり創作する時に環境として良いのかな。また住みたいなあ、豊橋。


【2月6日】 大賞よりもそれ以外に惹かれる性格はこっちでも健在。第14回電撃大賞で大賞をとったイタチがどうこうって話を狐でもなく座敷わらしでもないから何だっていった感じから後回しにして手に取った銀賞の瀬那和章さん「異界ノスタルジア」(メディアワークス、570円)がもうことのほか面白くって、これにどーして大賞が行かなかったんだろうって気にもなったけれどもまあ、異能バトルも異世界人の同居物に並んで月並みなんでそれをそう感じる選考の人がいたって不思議じゃないんで仕方がない。その意味だと「コードギアス 反逆のルルーシュ」ばりにアンチヒーローを描いた「デビルズ・ダイス」は小説として目新しい方だったのかも。

 でもこれも大賞のイタチと同様にありそうだけれどなさそうな所が輝く作品。まずは主人公の少年がただの人間でそれが兄貴の学校への放火という犯罪めいた事件を経ての失踪によって虐げられて数年後、届いた兄貴からの手紙を読むと不思議なことが書いてあってそれを届けに探偵事務所へと出向いたら入り口付近に片目の縁に奇妙な入れ墨を施された女の子が座ってた。口調は乱暴になんだ手前的なことを行って来て驚きその少女が顔の半分を隠す猫のお面を被っていたことにも驚きつつ要件を告げるとどーやら目的の探偵事務所の子だったと分かって連れていってもらったらそこがとんでもない場所だった。

 何しろ浮気調査はしないし素行調査も猫探しも一切やらない。やるのは人間が死ぬと堕ちていく異界に絡んだ調査のみ。ふれると普通の人間なら即座に引きずり込まれてしまう異界の存在を相手に戦うのが仕事らしく少年はそこでお役ご免とされそーになる。ところが同級生の少女の親友が行方不明になった事件を頼まれ追ううちに前にたずねた探偵事務所に持ち込んだ、失踪した兄からの手紙に書かれてあった「キング」なる人物の暗躍とも関わった事件だと分かってきてかくして少年は闇を相手にした事件に巻き込まれ、そして行き過ぎた愛がもたらす悲劇の場面へとたどり着く。

 何層にもなってより深くなればなるほど強烈さを増す異界を相手に戦う探偵事務所の面々の、それぞれが持つ能力がなかなかに特徴的で組み合わされ発揮されることによって得られる勝利ってものの感動がひとしお。猫の仮面を被る少女が手にルービックキューブを持って一所懸命に遊んでいるのにも理由があったりとキャラクター作りの細かさに新人離れした所を感じる。あとはやっぱり探偵事務所の女ボスが見せる迫力か、その正体ともども驚かされること仕切り。そんな状況に引っ張り込まれた少年が悲劇を乗り越え得た居場所から、続くだろう今後の新たな冒険に今は興味。どんな事件を描きそしてそれぞれのどんな活躍を描いてくれるか、楽しみにして待とう。ルービックキューブより剣玉の方がより集中力を得られるのかな。銃使いのノインは「けんぷファー」の紅音とどっちが強くて怖いかな。

 しかしいったいどういう理由からあんな地の果てでやるんだサッカーのワールドカップ南アフリカ大会第3次予選「日本代表対タイ代表戦」。そんな場所でやるから事前のチケットの売上も伸びないんだと憤りつつ、埼玉高速鉄道を経て浦和美園まで行く電車に乗ったらやっぱりというかいつもと違って青い代表グッズとかを見に付けた人たちでいっぱいっていった混雑がない。これは現地もガラガラなんだろうなあと到着した浦和美園駅を降りたらまあそれなりの行列が1・5キロだかある「埼玉スタジアム2002」への道を埋めていた。試合開始まで1時間を切ってる間際ってこともあったんだろうけれども代表戦がそれなりに未だステイタスと保ってる現れとここはひとまず理解する。

 もっとも実際にスタジアムに入るとメーンもバックもアッパー席はガラガラで、6万人は入るスタジアムなんでそれも仕方がないとは思ったもののホームのゴール裏ですら試合開始直前までちょっと空きがあったのには驚いた。アウェー側はなおのこと。親善試合のボスニア・ヘルツェゴビナ戦ならいざしらず、本番の試合でゴール裏を埋められないなんて日本代表もいよいよヤバい所まで来ていたりするのかも。3次予選だからこの程度だとか相手がタイだから仕方がないとかいった言い訳をしていちゃあいずれ気が付いた時には手遅れな所まで来ていそう。そこの部分だけはセルジオ越後さんの「週刊サッカーダイジェスト」での見解に同意見。だから料金安くしろよって。カテゴリー2で6000円はないって。

 着いた席は最前列から4列目のホーム側コーナー付近で、後半に遠藤保仁選手や中村憲剛選手がコーナーキックを蹴ったりサイドに寄せる阿部勇樹選手の姿を間近に見られて嬉しかったけれども屋根のある「埼玉スタジアム2002」にあってぎりぎり屋根がかかるかどうかって所で、おまけに異常に高い屋根なんでみぞれ混じりの天気では風に吹かれて水やら雪やらが吹き込んで濡れまくり。幸いにして代表仕様のポンチョを持っていったから被って雨露はしのげたものの、これだけ無駄な屋根ならさっさと改装してやって欲しいとお願いしたい。ってか当日に買ってバックとはいえ4列目が余っているのはいかがなものか。やっぱり落ちてるんだなあ代表人気。まあそれも試合を見れば半分くらいは分かるけど。

 その試合は高原直泰選手が相変わらずにポジション不明。フォワードなんだろうけれどもトップ下からサイドに流れ触って入れてといった動作を繰り返しては、肝心なところでシュートを打てず打っても右にそらしたりと決められない。トラップも大きく流れポストになり切れず相手にとられるばかり。かといって大久保嘉人選手が周囲を走って落としたボールを受けるかっていうとそうでもなくってサイドでゴリゴリやっていたりするから、センターにどうに枚数が足りず決め手となる攻撃に結びつけられない。前半にとった1点はセットプレーだし、後半の大久保選手の1点も相手クリアがはねかえってゴール前にいた大久保選手の足下に転がってきたごっつぁんゴール。そこにいたから取れたってものでもなく、いい形での攻撃って奴がまるで見られない。

 中澤祐二選手の3点目で相手も力つきて巻誠一郎選手による4点目も奪えたけれどもこれがしっかり固めてくるバーレーンだったら、あるいは攻撃の早いオマーンだったらどうなっていたかと思うとうーん、なかなかに鬱陶しい試合がこれからのアウェーの連戦でも続きそう。かといって東アジア選手権じゃあ真剣勝負には薄い中で民族風のあれやこれやが重なってエレガントな試合にはなりそーもなく、そこで改めて攻撃の形を組み立てるなんて事は難しそう。オシムが監督だったらもう割り切って選手も試したんだろうけど岡田武史新監督は早く自分のチームを作りたいって考えもあるからあんまり冒険はしなさそう。この3戦を戦ったよーな面子がこの3戦のよーな試合運びを見せてどうにか勝つ、ってシーンからやがて本番でもどうにか勝ち上がってそして南アフリカでいつか見た光景を繰り返す、ってことになるのかあるいは。様子を見守りたいけど見守る楽しみも薄そーだなあ。早くJリーグ開幕しないかなあ。

 要するに絶望気味ってことなのかそれとも絶望するほど希望も持ってなかったから泰然自若としているスタンスが他の悪目立ちの中で沈んで見えてしまっているだけなのか。90年代を疾走してネットやファイナンスや開発や著作権について発言しまくっていた山形浩生さんの当時ほどあんまり目立ってないなあって印象が最近ちょっぴりあったんだけれど文庫になった「山形道場」改め「要するに」(河出文庫、760円)の後書きなんかを読むと90年代のネットだのコンピュータだの経済だのの状況を見て想定していたことがところどころ下向きにズレてしまっていたりして、人間ってのはまたどうしてこうもお気楽なんだろうって感慨がいつかのような喧嘩っ速くて且つ親切な言説の速射砲へと身を至らせないのかもしれない。

 日本版「ワイアード」と後継の「サイゾー」に連載され続けているコラムやら「CUT」に連載されてたコラムやら、ネット雑誌やら経済誌やらに連載されていながら雑誌が廃刊になってしまって残念だったものが前の「山形道場」とは一部取捨選択を交えて集められたのがこの「要するに」。題名のとおりにこの世の不思議、でもないけれども起こるあれやこれやを「要するに」と分かりやすく、時には辛辣な言葉も交えて語っている文章なんで読めば時代の背景なんかを考慮する必要はあるけれど、ほら言った通りになってるじゃんとかこれはちょっと違ってしまってのかいった思考を喚起させる所もあるんで今読んでも別に大きな問題はない。むしろ今だからこそ見える部分をくみ取れる絶好の雑文集とも言えるかも。今がどうとかって今話されたって分からないこと、多いからねえ。

 解説を書いているのは稲葉振一郎さんって所がまた何というか「SFマガジン」のゼロ年代がどうとかいった文章の最新の奴が、「教養主義」なるタームを引っ張り出してそれを子供たちがあれこれ試行錯誤できる環境を整える大人の何ていうか下向き目線な態度として規定していて、その系譜に山形浩生稲葉振一郎を掲げていたりすることにタイミング的にドンピシャで苦笑い。その文章によるとこの2人はどっちかっていうと「海外の良書の翻訳や、基礎教養の平易で娯楽性に富んだ解説という、比較的地味な仕事」を選びこなしていて、それは作為的戦略的なものでだからこういう態度を山形浩生の著書になぞらえ「新・教養主義」と呼ぶことにしたそーな。

 んでもって「新・教養主義」は「あくまで自ら決断の(可傷性の)責任を負わずにすむ子供たちにしか通用しない態度」だそーで「互いに傷つけあい、同時に責任を負う性愛について、新・教養主義的な想像力は無力である」とホップステップ抜きのジャンプな結論を導き出し、重ねて「まだ決定的なものにアプローチする前の、子供の世界にのみ成立する幸福な環境に支えられた態度なのだ」と断じてるんだけれどもそもそも「新教養主義」ってのにはそんな意図がこめられていたのかが分からない。子供たちが知に逃避することを促すためなんかじゃなく、むしろ大人が間抜けになっているんでもうちょっといろいろ考えたら良くないんじゃないのってあたりを言ってたんじゃなかったっけと「要するに」を読んで改めて思った。

 少なくとも机上の知への逃避じゃなくって知を得て実践すべき何かを求めていたんじゃなかったっけか。だいたいが山形浩生さんのの本業は世界を飛び回っては道路をつくる橋をつくるといった事業の下準備のための調査とかって実施にあたって実にあれこれ決断しなきゃいけないもので、知だの理だのに拘泥していちゃ勤まらない仕事で、そのかたわらで翻訳もコラムも書いているんだけどこれだって実の仕事に絡んで必然として身に着けておかないといけなかった知識だったり、おかしな方に向かっている社会に釘を指したり、権威に棹を差すようなものが中心。良書というより必書で解説とかも娯楽性というより論壇プロレス性とも言えそうな棘をはらんだものが多く、そこから安全安心な子供の遊び場なんてものは出てこない。

 だから迷い込んだ子供も下手に触れば実社会の実経済や実政治と対峙する羽目となって、生半可なご意見じゃあおとといきやがれってことになりかねない。かくもいろいろありそうな「新・教養主義」を、するりと己が主張の対立項になり得るような内容にまるめて紹介して普遍化をねらうこのロジカルサーカス。今現在から情報を集め取捨選択をしつつ必然として結論へと向かう演繹的な方法しか採れない自分にはちょっと真似できないなあ。ともあれなかなか絶妙なタイミングで出た「要するに」。あとがきでの「今にして思えば、ぼくは世間のレベルの低さを見くびっていた」という言葉の前後につづられた慨嘆とも絶望ともとれそうな言葉を我が身になぞらえ自省しつつ悔い改めつつ、周囲の状況も見つつまもなく満12年を迎え13年目に突入する当日記の立ち位置を考え直すかっていうと多分しない。出来ないもんなあ。無教養だし。勉強しよう。


【2月5日】 待ち望んでいた甲斐があった。ライトノベルにしてはな異色作の「ミミズクと夜の王」( メディアワークス、557円)で世の読書家を驚かせた紅玉づきさんの最新作「MAMA」(メディアワークス、550円)は前作よりもエンターテインメントしていながら、前作にも増して真摯にあれこれ考えさせられる物語。イラストもちゃんとあるけれどもこれがokamaさんが天野喜孝さんのタッチで描いたように先鋭的でそこに感情を移入しながらストーリーを追うことを拒絶。むしろイラストから漂うシャープさが物語りの持つシリアスさを補完していて眺め読んでいてズキズキと心に突き刺さってくるものがある。

 魔法使いが政治とかの中枢を束ねる国で魔法遣いの家系に生まれながら魔法の能力をほとんど持たずに生まれてきたトトという少女が主人公。学校では能なしと邪険にされ家でも居場所を失い欠けていたトトが放逐されたくないと神殿の奥へと逃げ込むと、そこには禁断の間があって伝説の<人喰いの魔物>が眠っていた。何でも人を食べて人の姿になったものの魔よけの飾りがついていた耳だけは食べられず残してしまい、挙げ句に人間につかまり閉じこめられたとか。以来、魔物は近寄る人間から耳を奪おうと画策していて、そこにトトが迷い込んでしまったから大変。耳を奪われ魔物は復活。もっとも魔物は未だ繋がれたままでトトは耳を失った代わりに魔物の魔力を得てどんな国の言葉でも理解できるようになった。

 一転したトトへの評判。長じて妙齢の女性になったトトは、その力を外交に役立てて欲しいと外交官に抜擢される。トトによってホーイチと名付けられた魔物もトトに付き従う。ところがその強大な力を狙って魔術師たちがトトをつけねらう。起こる悲劇。そして変わるホーイチの運命。魔物と人間との間に通う信頼の尊さが浮かび上がって胸を打つ。同時収録の「AND」はそこよりさらに時が経ってからの物語で、ホーイチが食べられなかった耳についていた飾りを盗んだ青年が、異国より売られ流れ着いて魔物に喰われた少年の遺志に動かされてとある場所を目指す。離ればなれになっても通う肉親の愛の強さに涙。そして血はつながっていなくても信頼の通う間柄に生まれるつながりの強さに喝采。両方の話で立場にとらわれながらも信念を曲げず生涯を進む王女ティーランの強烈な存在感に惹かれます。

 「ギフトショー」が開幕したんで「東京ビッグサイト」へ。新木場から出ていたシャトルバスがなくなってしまったのは費用の関係からかそれとも当局の指導があったからなのか。看板に深川警察署の名前も出てたしなあ。何があったんだろう。でもまあいつもシャトルバスは使ってなかったんであんまり影響はない。んでもって到着してとりあえずタカラトミーのブースを見物、MAYちゃんがお臍を出してエアギターを弾いていたけど最初のセッションは客が僕1人でなんだか気恥ずかしさで顔が上気。しばらく見て回った後には来場者のおじさんたちがいっぱいいてまずは良かった。広報企画課員にしてエアギターの日本第8位ってのは立派にひとつの看板だもんねえ。残る日数も頑張れ、会場の外は寒いけどスポットの当たるステージは暑そうだったし、大丈夫でしょう。

 んで「たれぱんだ」が10周年だったりバンダイから生後4カ月のパンダのぬいぐるみが出ていたりと世はパンダブーム到来の模様。映画もパンダ物が溢れていたりする状況のいったいどこに原因があるんだろー、やっぱり北京五輪で中国への関心が高まっているのか、そーいや「このミステリーがすごい大賞」も受賞作は「禁断のパンダ」だったよ、恐るべしパンダブーム。これだと本当に食でもパンダブームが来るかもなあ、ステーキを食べさせたりする店が出たりして、ってさすがにパンダは禁断か、いや「禁断のパンダ」自体はそーゆー小説ではないんだけど。出展ではあとフジテレビkidsにガチャピンとムックの巨大なぬいぐるみが立ってて欲しくなったけれども5万円じゃあ手が出ねえ。これなら「おっきなガチャピン」のソフビの方がまだやすい。でも買わないけど、置き場所ないし。

 タカラトミーが出す2000分の1の東京タワーの模型なんかを見つつ展望台が今は白いけれども昔は赤かったんだよなあ、やっぱり赤い方が良いよなあって感想を抱いて退散して仕事してそれから「国立新美術館」で明日から始まる「文化庁メディア芸術祭」のプレスレビューを見物、をを「Kami−Robo」の安居智宏さんがいるじゃあないか、何だか選ばれていたそーで数年前ならまだしも今頃って気もしないでもなかったけれどもとりあえずは目出度い。伺うとバンダイが出してたプラスチック製のじゃなくってちゃんとした紙製のレプリカが出るそーで、中国でちゃんと手作業で作っているんで作者も満足のクオリティに仕上がったそー。本物は絶対に売らないだけにこれはちょっと貴重な品かも。幾らくらいになるんだろーなー。

 アニメ部門だと「河童のクゥと夏休み」が確かメーンでほかに「コードギアス 反逆のルルーシュ」なんかも受賞していたみたいだけれどもとりたててPOPが立っている訳でもなく監督も見あたらないんでその辺は適当に。アート部門も正直言ってセンサーとか使って人間の体を入力デバイスなんかに見立てたインタラクティブな作品ばっかりでちょっぴり飽きも来たけれど、そんな中にあって併催の「学生CGコンテスト」で最優秀賞を静止画部門で受賞していた人の作品が、フラクタルの「ジュリア曲線」によって表現される図形を2次元で描くのは月並みなんで3次元化してみましたって内容で1度じゃまるで訳が分からないんだけれど、緻密な計算が必要なカオスの数式を可視化してみせるってアイディアが、数学とアート、工学とアートの融合めいたものを感じさせてなかなかに愉快だった。

 こっちとしてもまさか「メディア芸術祭」の現場でアート的なタームではなく数学的なタームのフラクタルだのマンデルブロー集合だのっていった会話をするとは思わなかったし、向こうも聞かれるとは思わなかったんだろーけれど、越境によって生まれる新しいアートってものの可能性は、あるいはこーゆー所に潜んでいたりするのかもしれない。今は無理矢理なコンテクストばかりが重用しされてもてはやされる時代だけど、それも差異化のたこつぼにどこか陥っているって印象。これからは文系の曖昧さなんてみじんもない理系の厳密さから、なぜか生まれる神秘って奴が持っている、説明可能なのに説明が無意味に思える現象ってものを直感し、認識することをより先鋭的なアートって楽しむ風潮がやって来るのかも、って経済記者が感じる話しでもないよなあ。

 もう1つのインタラクティブ部門の最優秀賞もCG全盛な中にあってアナログチックな装置が目立った1品。シリコンオイルに微粒子を混ぜ込んだものをガラスの下に封じてそして、下にグリッド上に一定間隔に配置した熱源を操作するとオイルの中に対流が起こって粒子がその動きを可視化してくれて、目にもなかなかに不思議な光景が見えてくる。熱による対流をコンピュータで計算すればCGでだって描けそうな気もするけれどもカオスチックな計算をできるコンピュータなんてパソコンレベルじゃあなさそーだし、何より見ていて暖かみがない。デジタルは暖める熱源を指定する際に使う程度で後はアナログの作品だからこその不定要素って奴もありそーで、それが生まれカオス的に広がっていった果てに起こる計算とはまた違ったビジョンって奴を、これならしっかり楽しめそー。17日まで展示中。しかし静止画は慶大の院生でインタラクティブは慶大の学部生。なかなか優秀だねえ。


【2月4日】 2016年まで待てない! 今年すぐにでも北京に行かずにスポーツの祭典を楽しみたいなら「東京オンリーピック」のサイトでゴーだ。あの「スキージャンプペア」で一世を風靡した真島理一郎さんをリーダーに、北京では絶対に見られない抱腹絶倒の競技たちが、トップクリエーターたちの手によってCGアニメや実写映像として作り上げられ北京の盛り上がりに沿うように披露される。東京のクリエイティブパワーをネットを通して全世界に見せつけるとともに、東京への五輪誘致にも一役買おうとする試みが成功するかは、これを受け止め楽しむユーザー次第。オリジナルの競技も募ってネットにアップしてもらう試みも行って次代のクリエーターを発掘することも合わせて行う。

 冬の花形スポーツとして知られるスキージャンプは1人のスキーヤーがジャンプ台から飛んで距離や形を競う競技で冬季五輪でも人気スポーツのひとつに上げられている。この競技をフィギュアスケートのペアのように2人でやったらどんな面白い競技になるのかを、CGを使ったアニメーションで描いたのが「スキージャンプペア」という作品だった。作ったのは真島理一郎さんというクリエーターで、この作品をきっかけに大ブレークしてメジャーな映像ソフト会社からパッケージも発売され、実写映画化も確かされたっけ。現実と想像とが入り混じって浮かび上がる不思議な感覚を与えてくれる作品として今も人気が高い。

 「東京オンリーピック」はこの「スキージャンプペア」の方法論で新しいスポーツを”創造”してもらおうという試み。CGやCM、アニメーションなどの世界で活躍し始めているクリエーターを集めてアイディアを出してもらったところ、すでに珍妙にして抱腹な競技のアイディアが上がってきている。計画だとこれを10分から15分程度の映像にしてもらって「Youtube」の専用サイトで公開する。加えて自分ならこんな競技を作りたいという一般からの投稿も募って、双方向でサイトを盛り上げながら新しいクリエーターの発掘も行うらしー。さすが「やわらか戦車」をヒットさせたファンワークスが幹事になってるイベントだけのことはある。

 ファンワークスでは東京への五輪招致を行っている東京都あたりとも連携を撮って北京五輪期間中で五輪への注目が集まる時期にサイトを披露しながら、本当の「東京五輪」への関心を持ってもらおうとしていいるとか。北京での日本の成績が悪く惨敗続きなんて事態が起こればむしろネットのバーチャルな競技へと関心が向く、なんてこともあるかもしれない。それはないか。あと期間中のパブリックビューイングみたいなことお行いたいそーで会場なんかを選定中。さすがに「国立霞ヶ丘競技場」は無理かもしれないけれども五輪に関わりが深い「渋谷公会堂」あたりなんかを使ってみたら面白いかも。あれのどこが五輪かだって? 確か重量挙げの会場になったんだよね「C.C.Lemonホール」って。

 どーせだったらユニクロあたりにお願いして公式ユニフォームなんかを作ってもらってクリエーター全員に来てもらって開会式、なんてことをやったら面白いんだけれど会場がないか。いやいやデジタルハリウッドが絡んでるってことでここん家ご推奨の「セカンドライフ」をここぞとあかりに使って開会式もやれば「オンリーピック」で行われる競技を真似てみたりとか、ネット上でパブリックビューイングを行ったりとかいろんな試みも行えそう。DVD化もそう遅れずにやりたいとか携帯コンテンツ向けにしたいとかいった点も参加している企業で展開していくみたいでこの夏は「オリンピック」と「オンリーピック」の似てまるで異なる2つの“競技”で感動したり爆笑したりできそー。問題はネットの映像を手軽に見られるブロードバンド環境がないことか。しかしいったいどんな競技が出てくるんだろう。熊の「サーモン投げ」じゃあ月並みだしなあ。つかあるよなすでにそんな競技。

 思いついたのは杉並を舞台にした「アニメーターマラソン」って競技で、マラソンと同じ42・195キロを好きなキャラクターが走る動画を背景なんかも時々交えながら描き続けて先にゴールまで描き切った方が勝ちという感じ。時々転んだり給水を受けたり飛び込んできた観客と接触したり立ちふさがる悪を倒したりといったおかずを入れればポイントが加算されて、一気に距離を稼ぐことが出来るとかすればアニメとしても単調にならず楽しめる。映像はそんな競技に勤しむアニメーターたちがひたすらに動画を描いている様を実写でおさえつつ、、描かれた動画を元にしたアニメも挟み込んで日本のアニメ技術の素晴らしさを世界にアピールするという寸法。見てみたいけど参加するアニメーターがやっぱりいないか。何時間かかるんだろうなあ。10秒フラットの100メートルなら手が早ければ数時間で描ききれるかな。そっちも悪くないなあ。

 莫迦のふりをしている天才と、天才のようでいて実は莫迦の見分け方ってものがあるかどーかは悩ましいところではあるけれども、自らを偽り真の姿を隠している人間ってものはやっぱり誰しもの興味を誘うようで林トモアキさんによる「ミスマルカ興国物語1」(角川スニーカー文庫)は割に平和理に王様が支配している王国に強大な帝国が迫っているって話が起こって王様は隣国へと助けを求めに兵士や家臣を引き連れ出立。残された王子が国を守るってことになったんだけれどこの王子が生まれながらの唐変木のお調子者で剣術は嫌いで馬術も苦手で勉強はさらにダメ。城を抜け出し城下を歩き回っては領民たちから阿呆と思われながらも慕われているその様は和田竜さんの「のぼうの城」ででくのぼうとあだ名されながらも慕われた成田長親を思わせる。見るからに切れ者っぷりをまき散らしていた「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュとは大違いって奴で。敢えて言うならプリン伯爵あたりか。

 シチュエーションも「のぼうの城」と重なっていて帝国からは武名が響く姫がやって来ては城を蹂躙しようとするから困った。迎えるは暗愚と見られる王子ひとり。そこは自分への信頼と王から頂いた権限でもって領民にも兵士にも戦の準備などさせず城下から外へと追い出し、総力を血腫しての真正面からの戦争を避けようとしたりする。考えてのことかそれとも別の魂胆があるのか。いったい何を考えているのかお着きの近衛騎士パリエルも王国では屈指の強さを誇る女剣士のエーデルワイスにも分からない。果たして王国の運命やいかに?

 ってまあそこは流れに従った展開へと至るんだけれども暗愚に見えて実はってまありがちな設定でも、その実わって実力を真正面から発揮しないで自らの信念に沿う形で発動するよーにし向けるあたりが並の昼行灯ではなさそー。回る知恵と封印された力が合わさった時にいったいどんな姿が現れるのか、興味が尽きないんだけれどもそーゆー恰好良さに彼の国の姫も憧れ婿にしたいって言い出した訳じゃないからなあ。おっちょこちょいだけれど筋の通った男性ってことで好いたみたいでそれはまたそれで物好きなんだけれども正体を露見させた後でも暗愚さに変化は見られなかったみたいだからいっと大丈夫か。

 何か急に斉藤歩が神園修に蹂躙されているシーンが見たくなって1話だけ収録だから安い「しおんの王」のDVDの第1巻を買ってしまってさあってこれから買い続けたものかと思案。単行本の方は最新の第7巻が出ていて表紙はかわいい歩ちゃんなのに出てくるのはオール兄ちゃん化して顎の角ばった歩くん。羽仁真名人から弟子にしてもらってさあこから再び男子の棋士へとなる修行が始まるみたいだけれどもしおんの両親を殺害した犯人についての情報は七転八倒の上に妙なところへと来ていたりして、果たしてしおんは、歩みは、胸の巨大な沙織は無事に棋士としての日々を全うできるのかって心配も浮かぶ。まあしおんは大丈夫か。沙織は神経に響きそうだけれど大きな胸で受け止める、と。歩かなあ。まあその時はまたもとの女流に戻って頑張れば良いか。顎だって鬘をかぶればすぐに丸くなるし。どういう顎だ。


【2月3日】 節分。旧正月。元旦じゃなくってこっちを正しい年代わりだと見てもこれで厄年からは晴れておさらばしてハッピーな日々が春の訪れとともにやって来る、とはやっぱりちょっと思えないなあ、偉い人たちが偉くないことを堂々とやらかして反省の色なしだったことが分かって絶望感もひとしおなだけに。載ってる情報の公明正大さ公正中立さなんてものがとうの昔に欺瞞で溢れているのは業界のどこを取っても割に似たようなものだけれどもそれはあくまでモラルの問題。司法立法行政な世界での決まりごとを踏み越えては流石にいない訳でそこを過ぎたらいったいどうなるかってことをもっと考えた方が良いんだけれど、考えられる頭じゃなくなっているのかなあ。未成年が煙草吸ってお目玉喰らうような程度じゃ済まないってことを分からなくなっているのかなあ。厄年はまだまだ続きそうだなあ。

 んで雪。せっかくだからと雪景色の秋葉原でも撮ろうかと向かうものの雪が強すぎて撮れず仕方がないんで石丸電器でかいのがしていた「げんしけん2」のDVDを2巻までポイントで仕入れついでに「こどものじかん」の第2巻も手に入れて退散。そういや木曜くらいに秋葉原の交差点を全身がうさぎのあれは着ぐるみっているかタイツみたいな衣装を着込んだ2人組の女の子の1人が背中に小さいランドセルを背負っていたなあ、あれは多分「こどものじかん」の第1巻についてたボックス代わりのランドセル。中に小さい荷物だったら入るサイズではあったけれども着用している姿は初めて見た。つか何でうさぎなんだ平日の夕方に。そういう輩もふくめてわんさかな秋葉原。この文化も果たしていつまで保つことやら。

 せっかくだからと出がけに西武百貨店で買って置いた太巻を秋葉原駅の千葉方面へと向かうホームのベンチに腰掛け顔をやや東へと振り「南南東」を向いてひたすらに黙々と平らげる。穴子と卵の入った奴でなかなかな美味。値段だけのことはある。本当は会社で囚人監視の中でやってこそのトリックスターなんだけれども日曜日じゃあ仕方がない。明日にも余った太巻きとが出ていたら買い込んで昼飯代わりにするか。福にはまるで関係ないけど。しかし今年はことのほか太巻き売りが多かった気が。近所の総菜屋も寿司屋も卓上が太巻きで占拠されてたし、別の総菜屋にはカツを巻いたロールなんてものも登場してた。コンビニについてはもはや定番。5年くらい前にはまるで見かけず風習も広がっていなかったんたのに。流行って恐ろしいなあ。これも果たしていつまで保つのやら。次はどんな風習が流行るのやら。

 電車の中では拓未司さんの「このミス大賞」受賞作「禁断のパンダ」(宝島社)を一気読み。グルメミステリーだと聞いていて、このタイトルならば浮かぶのは当然にパンダを食べるストーリーってことになるし、そうでなくてもどこかとぼけたタイトルからは中華な事態に絡んだユーモアたっぷりのドタバタミステリーって雰囲気が漂うけれどもこれがとってもミスディレクション。読み始めればほどなくこれが人間の食への本能とそして美食への欲望を鋭くえぐった惑乱の物語であることに気づくだろう。

 神戸で小さいビストロを開いて評判を取っている青年が身重の妻に頼まれ妻の友人という女性の結婚式に出向く羽目に。その教会が併設しているレストランがガイドでも取り上げられるほどの評判の店で予約をしても半年待ちという繁盛ぶりで、行きたくても行けなかったところに舞い込んだ披露宴の話に1も2もなく飛びついた。そして食べた料理はどれもマーベラス。自分ではとうてい追いつけないと打ちのめされながらも相席した新郎の母方の祖父で元料理評論家に気に入られ、食べに来られて誉められてちょっとばかり悦にいる。ところが、その影では新郎の父親が経営する運送会社の通関担当者が殺されそして父親が失そうする事件が発生。そしてさらに関係者が幾人か行方不明になる事件が起こって浮かび上がって来たもの、それは……。

 とまあそんな感じで途中から何とはなしに想像の付く展開が待っていて「パンダ」についての説明もあって落ちることは落ちているけどでもやっぱりありがちと言えばありがちではまりすぎといえばはまりすぎ。それのどこが悪いってことはないんだけれどもタイトルがタイトルなだけにもーちょっと、例えばパンダとの格闘戦みたいな荒唐無稽な展開なんかもあって欲しかった気分がかわされた感じがしないでもない。それでも関西弁がメーンであっけらかんと明るいキャラクターたちがいっぱいで陰惨な割にはするりと読めてしまうところが特徴か。作家の人のこれは人徳というか筆徳というか、得難い特性だと思うならば次に描くだろう物語に期待しておいて損はないかも。しかしこれを読んだ後であの「小笠原伯爵邸」でのパーティに出てきた料理を思うとあるいは……なんて浮かんでしまう。あの巨大なパエリアに入っていたものは? オードブルのパテに練りこんであったものは? 焼かれていた巨大な肉の正体は? パンダじゃねえ。いやパンダならまだ良いんだけど。

 「コードギアス 反逆のルルーシュ」の影響かはたまは「DEATH NOTE」の余韻か悪を悪と知りつつ踏み込み敢行する若者の話が人気になりそうって考えてのことか「スニーカー大賞」で奨励賞を受賞したいとうのぶきさんって人が受賞作とはまるで違った「デビルズ・ダイス 1の目 神はサイコロを振らない」(角川スニーカー文庫、571円)でデビュー。考古学者だった父親が死んで後妻だった母親が経営するスナックの稼ぎでとりあえず生きてはいたものの母親の愛人になった男がろくでなしの穀潰しで、家にあがりこんでは姉に手酌をさせつつ色目を使って弟としては気が気でない。かといって家を出る訳もいかず苦悩していたところに降りかかったある事態が彼の運命を劇的に変える。

 急性の虫垂炎で入院した病院で体内から見つかったもの。それは不思議なサイコロで父親が残した遺品のノートからそれがただのサイコロではないことを知った少年は、すべてを言い当てるサイコロをつかって復讐へと打って出る。といった感じに進んでいくんだけれどもなるほどサイコロが見つかったことから即座にすべてを組み立て自分の都合の良い世界を作り出そうとする聡明さ、そして目的のためなら家族でもあっても親友であっても容赦のない苛烈さはルルーシュとかに通じるところはある。「DEATH NOTE」はあんまり熱心な読者じゃないんで分からない。

 とはいえルルーシュの場合は己らが置かれた境遇から最愛の存在を守るためにとった止むに止まれない行動だけれど、「デビルズ・ダイス」の主人公の場合はそこのところが今ひとつ分からない。手にした力によってもたらされる危険も承知してのことなら適当なところで切り上げることもできた。なのにそうせず諫めようとする存在すら蹴散らすその覚悟を、彼に抱かせる欲望の根元って奴が見えないとこがもどかしい。世界を1人で相手にするためのモチベーションが、己の栄達への欲望のみってのが正直読んでいて心に響かない。徹底した悪にも3分の理。そこを描かないまま単に悪事ばかりを連ねていくノワールに人は共感を抱けないんだけれどもさてはて続くらしいこれからの展開で作者はどう描いてくれるのか。ダイスがもたらした変心だとするのかそれともやっぱり人間性へと帰結させるのか。関心を抱きつつ先を待とう。


【2月2日】 何かの日。何の日かは知らない。ふと何か見忘れているよーな気がしてハードディスクレコーダーのインデックスを漁って発見、「君が主で執事が俺で」を忘れてたよすっかり。同じ高慢系でも「怪物王女」の姫と違って背負っている物のない森羅様ではお話に起伏が出るはずもなくって錬をからかい遊ぶ展開ばかりが続いて1回くらい見なくたって別に平気って思ってしまったからかすっかり番組の存在がデフラグされてしまってた。んで見たらまあ別にどーでも良かったけれども南の島で修行中に出てきた額にX印がある九鬼財閥の揚羽様ってのが出てきて何か偉そうで、久遠寺家内だけで進む微温なカブコメを蹴り1発で粉砕してくれそうな感じもあってこれからに期待。だから「う・ま・い・ぞー」は次の番組でやるべきだって。

 その「破天荒遊戯」は2週続けて録画分を見逃してたけど見たらやっぱり破天荒。てっきり姉と妹だけで暮らしてて姉は妹の天真爛漫さが気に入らないか逆に可愛がってて近づく存在を疎んじて暗い性格になっているだけなのかと思ったら何ですって両親が大学に行かせてくれないのを悩んでいたですって。あのショートな髪で眼鏡のキャラにまるで合わない設定。でもってぶつぶつと良いながら洞窟を進んでいく途中でくらう説教がいちいともっともに聞こえて実はまるで説得力のないってところがまた破天荒。漫画で読んでいると止め絵の美麗さと並ぶセリフについ納得させられてしまうのかもしれないけれどアニメーションだと喋るセリフに含まれる力や場の空気って奴がちょっとでもかみあわないと、浮薄なものになってしまうから注意が必要。どうせ破天荒なら唖然とするよーなことを喋ってくれないと驚けないし笑いも出来ない。そこを期待されての登用なんじゃなかったのか。まあ沈みかかった船なんでいっしょに乗って向こう岸を目指そう。着けばきっと良いことあるかも。

 大観まだやってたっけと思案しながら地下鉄に乗って竹橋の「東京国立近代美術館」へと行ったらもう終わってて朦朧。でもやってた「わたしいまめまいしましたわ 現代美術にみる自己」ってのがことのほか面白そうだったんで入ってながめてああ面白かった。基本的には自分の内面を見つめ直して他者との関係を探ったよーな作品を集めた展覧会で、普通だったら「東京都現代美術館」で開かれるべきラインアップなんだけれどもあっちは都営でこっちは国営。国が現代美術を称揚しーとした時に、箱代がかかりそーな六本木のガラス南瓜な「新国立美術館」では無理なんで、近代と着こうがこっちでやるしか他にないのかも。まあほら現代だっていずれ近代になる訳だし、そーゆーのを集めといて損はないってことで。

 んで展覧会では3分間写真に変装した自分を延々ととり続けていって木村伊兵衛賞を受賞した澤田和子さんの作品がまとめて張られていて見比べて全部いっしょの顔なんだけれども衣装や髪型やメイクに違いがあってそれで自分を主張しようとして、けれども群となれば結局は同じ人間で無理して上っ面を変えようとして変えられない内面って奴が逆ににじみ出ていて、妙な痛さって奴を感じさせてくれたりする。自分が思うほど他人って奴ぁ自分のことを気にもしてなきゃ意識もしていないんだよなあ、ってことをまるで鏡のよーに教えてくれる作品かも。いやこれが例えば沢尻エリカさんだったらまた違う感慨を覚えたかもしれないけれど。

 んで草間彌生さんの巨大なオブセッションに溢れた作品とかあってそして何故か舟越桂さんの「森に浮くスフィンクス」って作品があって両性具有の異形ぶりに加え頭のよこに耳を覆うように皮のベルトが垂れ下がっていたりするミクスドメディアぶりに、見始めた1990年代初等の頃のコムでギャルソン的なスタイリッシュさを感じさせる木彫の人物像から、ずいぶんと遠くへ来てしまったもんだと感慨。んでもその変貌がとってもアーティストっぽい。今はきっと内面に潜む情動やら本質ってやつを外見にどう表すかってところに腐心をしているんだろー。それが一段落したらシンプルなフォルムの中にさまざまな情動を感じさせるよーな作品へと、果たして回帰していくのかさらに異形ぶりに拍車がかかるのか。その進化も含めて見守って行こう。

 そして牛腸茂雄さんの「SELF AND OTHERS」の全品がプリントされて登場。前にも同じ会場で「牛腸茂雄展」ってのを見ているんで感想については特に代わらず、異形の己を野にさらして受けるさまざまな視線をとらえプリントした中に己を探ろうとした雰囲気が、一見とっても穏やかに見える構図の中からしみ出して来てついつい見入ってしまう。まさに自己と他者。もしかするとこのコレクションを紹介したいが為に企画された展覧会だったのかも。だったら並べてシンディ・シャーマンのセルフポートレート集も並べておいて欲しかったなあ、あんまり古いモリムラ的のじゃなくって異形さを突きつめたよーな割と当たらしめのを。

 愉快だったのがロンドンとカイロとラゴスとそしてメキシコシティの雑踏にカメラを据えてそこに直立する背中をさらして不動を続ける人物を撮影したキム・スージャさん「針の女」って作品で四角い空間の四方の壁に映し出さたそれぞれが歩く人も速度も背景も違う映像の中で1人代わらず佇み続ける女性の背中だけがいっしょという、見渡すと世界の4カ所が1つのレイヤーに重なりあって自在に行き来できるよーな錯覚に陥って来る。んでもそこからどこにも歩み去れないからあんまり力として意味はないんだけど。

 立っている人物への関心にも差があってナイジェリアのラゴスだと大人から子供から寄ってきて向こうを向いている人物の顔を壁のよーに連なりじっと見ているんだけれどロンドンはまるで無関心に誰もが通り過ぎていく。ああまた何かやってんだと分かって無視を決め込んでるって雰囲気。1人カメラで撮影していたのはきっとお上りさんの観光客か何かだろー。カイロではテレビカメラの取材が来ていたけれどもかついでいたのは西洋人で、チャドルを着たイスラムの人たちはやっぱり無関心に過ぎていた。こちらは理解の上ってより眼中にないって感じ。メキシコシティは関心無関心ってことよりも歩いて来る女性たちがどれも綺麗でグラマラスってとこに目が行きさっき通り過ぎた人をまた見たいを1回、クリアしてまた見始めてしまったよ。結局はそこかい。そこなんだよ人間は。

 そして会場を出てポスターの宇宙人が妙に気になった「工芸館」での「工芸の力 21世紀の展望」って奴をのぞいたらこれがまた見事に現代美術していて素晴らしい。例えばさ陶磁器を削ったかして不思議なフォルムのオブジェを作り出す猪倉志さんって人の作品なんかはまんま一種の彫刻だし、ガラスに金属部品をつなげたオブジェを作る高橋禎彦さんって人の作品も同様に素材の質感とフォルムが醸し出す繊細さと暖かさが混ぜ合わさった不思議な感覚を覚えさせる。けれども2人とも活躍の場は”工芸”ってところにあるみたい。一方で鉄を重ねて作った、巨木を整えた置物のよーな作品なんかを作る留守玲さんは出自もあってかコンテンポラリーアートの世界で活躍してるっぽい。

 これらがどーして純粋無垢に現代美術としてってんじゃなく、「工芸館」って日本の伝統的な工芸を作品化した会場でもって展示されているのかって辺りに、アートはアートでアートな人たちの感情爆発で、工芸は工芸で職人徒弟の中から冷静に生み出される製品っていった区分が制度的感情的になされていたりするのかもしれないし、そこに込められている魂に違いがあるのか見る人が見れば製品か作品かの違いも瞭然なのか、分からないけどでも敢えて区分する必要なんてなくって純粋にそれがどーかでこれはこーだと、思う気持ちが大切だってこも合わせて教えてくれているよーで勉強になる。

 そんな最たる作品が北川宏人 さんって人の作品で、テラコッタに彩色したスリムでスタイリッシュな人物像の人を作る人で記憶を探ったら「東京アートフェア2007」で見ていて日記に記録してあったけれどもあの時は確か小さい作品が多かったんじゃなかったっけ、今回は人間よりやや小さいくらいの高さを持った人形が立ち並んでいてそれらが持つフォルムや質感、何より表情も含めて醸し出されるレトロで未来的という不思議な空気に気づかされた。素材が土だからなのか、ほのかな柔らかさを感じさせるけれけれどもフォルムとして形作られる痩身で、表情や衣装にエッジの立った人物たちから醸し出される雰囲気は、見る人を吸い込みつつ拒絶する。

 ぱっと見てそのどこを見ているか分からない胡乱なまなざしで引かせながらも、素材としての木が持つ温もりで引っ張り込んではなさない舟越桂とは、ある意味で裏表のような関係にあるって言えるのかも。直前に見た「スフィンクス」も両性具有の異形さでひかせながらも引き込む妖しさを放ってたし。あと北川さんはリアルな人物像の他にスリムなサイヤ人とでも言えそうなフォルムの作品も「ニュータイプっ」ってシリーズ名で作ってて、まとった体にピッタリの衣装や逆立った髪なんかはなるほどちょっぴりアニメっぽい。

 村上隆さんの「マイ・ロンサム・カウボーイ」はアニメ的フォルムの中にアニメが秘める性的な感情を重ねた異形さで文字通りに屹立していたけれどもこちらはそうしたストレートな思想性よりはテラコッタという素材の質感も活かしつつ独特の完成でもってアニメ的未来的なフォルムをそこに現出させたって意味合いか。あるいは突きつめればコンテクストもあるのかもしれないけれども、それがあんまり前面へと押し出されていない所に、作品よりもコンテクストこそが重要視されてしまう現代美術で村上さんほど爆発し切っていない理由があるのかな。

 でも何だから最近は売れまくっているみたいだし、遠からず1000万円でクリスティーあたりで落札されて話題になるだろー。この腕前で今時のアニメなキャラクターを独自の完成で作ってもらったら、キャラクターの持つどんな本質が浮かび上がるかにちょっと興味。「コードギアス 反逆のルルーシュ」だったら悪鬼に見えて寂しがりのルルーシュとか。親切に見えて内に鬼を抱えるスザクとか。強がっていて絶望を漂わせるC.C.とか。C.C.はあのお尻をどう造型するかを知りたいなあ。作らないかなあ。「.ANIME」あたりが「こどもの時間」の主役をフィギュアにして(「ゲーマーズ本店」に展示中で見たら履いててすごかった)DVDとセット販売しているよーに、第2期の特別限定品で北川さんの原型によるC.C.とかのレプリカを付けて売ってくれたら買っちゃいそう。ルルーシュだったらいらないけど。だからそーゆーもんだって人間は。


【2月1日】 あんなに健気でいたいけな妹が一所懸命に探し出してはキャリーカートに入れてえっちらおっちら運んできたんだから、春原は有り難く遮光器土偶を受け取るべきだと思ったんだけれどでもあんなのが部屋にずでんと立っていたら、やっぱり不気味だよなあ目とか夜中に光りそうだし、目覚めると腹の上に乗ってそうだし。っていうか土偶って春原妹が両手で掲げるくらいに大きいものだったっけ、呪術みたいなのに使われ手足を欠かれたものが割に発掘されているって聞くけどそういうのに使われるってことはもうちょいコンパクトなものなんじゃなかったっけ、って調べたら恵比寿田遺跡から出た遮光器土偶は全高が36センチもあったそうだからあれで割と正確なのか。今は東京の国立博物館にあるそーだから機会があったら見てこよう、あそこには火焔土器もあるのだ。

 そんな「CLANNAD」は坂上智代の鉄面皮な気持ちにブレが出始めて藤林杏が妙に焦ったりしていったい岡崎を好きなのは杏なのか妹の方なのか、突っ込みたくなったけれども野暮になるからやらない。というか春原を使いっ走りにして楽しむ2人の息なんて実にぴったりだし、演劇部の顧問を奪い合うためにやったバスケットボール部との3対3の試合なんかでも実に息ピッタリなところを見せていた。というかこの試合じゃあ言い出しっぺの春原も実に軽快。サッカー部の特待生で入ったってだけの運動神経を見せてはくれたけれどもでもそんなプレーぶりよりやっぱり目が行ってしまったのは杏の衣装。ブルマーにオーバーニーの白いソックスを履いた恰好でスポーツやってて暑くないのか一体全体。暑いんだろーけどそこを譲らないのは杏の杏らしさってことか。でもさすがに部活の試合じゃあユニフォームもショートパンツになるだろーからソックスは似合わないかなあ。でも履いてたりして。

 つか「ファウスト」はどーした佐藤友哉さんフィーチャーの「ファウスト」を作るって聞いてからかれこれ1年? 一向に出る気配もない中でいきなり「講談社BOX」から「パンドラ」なんて超分厚くって1800円もしやがる雑誌というか形式的には書籍ってことになるんだろーけその「VOL.1」って奴が出ていて「ともひ」さんって人のまっ赤な地に人形の操序が浮かぶ表紙を開けるとどかん、どかんと西尾維新さんの「傷物語」が280ページくらい載ってて続けて「流水大賞」なる賞を受賞した小柳粒男さんの「くうそうノンフィク日和」がこれまた280ページばかり掲載されてて、それぞれが単行本とかになったらそれぞれが1500円くらいはするから2本で3000円は超える上に「空の境界」に関連したインタビューとかも載ってて1800円はむしろ安いかもって思わせてくれる。ただし載ってる作品が肌に合えば、だけど。

 その辺でJこと太田克史さんのテイストが蔓延だったら読む前から何とはなしに雰囲気も掴めるんだけれどこの「パンドラ」については編集長は一応は北田ゆう子さんって人になっててJはあくまで1編集者として関わっている模様。その関わり度合いが西尾維新さん清涼院流水さん奈須きのこさんといった「パンドラ」でも核になっているだろう作家さんたちを中心にしているんだとしたらまあ、やっぱりJの雑誌って言えなくもないけれどもそーゆー隠れ蓑的な事を当人がきっと許さないだろーから、あくまで雑誌は編集長のものであってその方針の下でなにがしかの仕事をした結果が「パンドラ」だったって見てあげるのが真っ当かも。でもだったら北田さんテイストってどんななろー。

 あるいは小林エイさんの「はな*はな」って漫画がテイストなんだろーか、だとしたらちょっと心をひかれるかも、だってこの分厚さにどこから手を着けて良いのかまるで分からなかった中で、この3話まで入っている漫画が1番読みやすかったし1番楽しかったから。女子校なんだけれども来年からは共学になることが決まっている学校に、1人数ヶ月早く転校生として放り込まれた男子が女子ばっかりの中でいい目に合う、んじゃなくって割と大変な目に遭うってストーリー。元女子校だった共学校に野球部が出来て頑張りましょうって一色銀河さんの「そらいろな」に雰囲気で重なるところもあるし、男子ばかりの学校に女子がまだ3人って辺見えむさん「ビジュアル7」の逆だって言えそうな雰囲気もあるけれど、こっちは男子がたった1人ってところが他とは違うところか。

 でもって起こるだろう陰湿な虐めも淫靡な誘いもあんまりなくって、カラリとした正確の女子生徒から無体なことを押しつけられつつそれなりに、楽しんで過ごしている感じが読んでいてとっても心地良い。あとは絵柄があっけらかんとして明るいのも好ましい点かなあ、見ていていじいじっとしてじめじめっとしたところがまるでない点はアニメなんかで見ていて楽しかった「ラブ☆コン」に近いかも。いっきょに3話まで掲載ってのは面白い試みだけれど話はあんまり進んでおらず、3月下旬に早くも出るらしい「パンドラ」の第2号、というより第1号のサイドBにも3話くらいまとめて掲載されて、学校にひとり奮闘する男子が揉まれ疲弊しながらも頑張って生き抜く姿を見せて欲しいもの。でもやっぱり最後には女子たちの無体さに押しつぶされるという哀れな末路。男って……哀しい生き物……なのよね。

 海の向こうではマイクロソフトがヤフーに買収を提案とかで額も額だけれども果たしてヤフーを買っていったいどれだけのメリットを得られるのかが今ひとつ不明。ポータルが集客としてビジネスになったってのも印象としては以前の話で今は欲しい情報を検索窓に放り込んで出てくる1発からたどるってことの方が多いんで、カテゴリーとかセグメントから情報を探していくメソッドってのは正直使いにくく、だからヤフーってものもそんなに使われるとはあんまり思えない。向こうのヤフーがどーなっているかは知らないけれど。あるいは何かを買うなら最初っから、アマゾンみたくショップとしてのアイデンティティを前面に打ち出したポータルを使って探してアプローチする方が楽だし多い。情報量だけがいくらあってもそーした使い方から巧くそして正しく情報にアプローチできる道筋をマイクロソフトがヤフーを買収することによって確立できるのか。できないんだとしたらいつかのAOLとワーナーみたくデカいだけで中身はがらんどうの合併ってことになりかねないんだけれど、果たして。

 一方で海のこっちではスタジオジブリの社長業が鈴木敏夫さんから元ウォルト・ディズニー・ジャパンの星野康二さんにバトンタッチされたみたいで鈴木さんはこれではれて嫌々なった社長業からプロデューサー業に専念できる、って言っても宮崎駿さんをプロデュースしてその為にスタジオを維持し人材を集める仕事をするならスタジオジブリって名前はあっても実質的には宮崎駿と同一のそれを経営することと代わらない。だったら社長のまんまで良いんじゃないかって思うけれどもきっと何か事情があるんだろー。ちなみに星野さんはブエナビスタホームエンターテインメントだかの時代にジブリ作品のDVD化を成し遂げた人だからつき合いは10年以上。僕的にはまだビデオカセットが全盛だった時代に何度かアルコタワーの星野さんの所に話を聞きに行ったことがあるけど、それがよもやジブリの社長になるとは人間の運命って分からない。「コードギアス 反逆のルルーシュ」のルルーシュ以上に分からない。近況とか聞きたいけれども出てくれるかなあ。忘れられているだろうなあ。


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