縮刷版2005年8月上旬号


【8月10日】 ああやっぱり巧いなあ。日日日とかいて「あきら」と読ませる人の新作「うそつき 嘘をつくたびに眺めたくなる月」(新風舎文庫、658円)は先輩とかネクラな少年とかから告白されるんだけどそのどれもが好きじゃない、ってゆーか好きなのかが何だか分からない少女が、先輩をふりネクラな少年にも減らず口を叩いて嫌われてしまうって青春のドロドロを描いたストーリー。

 なんだけど、そんな「愛って下らない」って強がってる少女の言動の裏に、死んでしまった姉の存在があってそれから隣りに住んでいるちょっと格好良い拒食症の少年の存在も絡んだりして、想いを向けても届かない悲しみと想われても答えられない辛さのごちゃごちゃに揺れる多感な少女の心理を、まるで当事者になったかのよーな筆致で描いてあって読んでぐぐぐいっと引きずり込まれて引っ張られる。

 情景を描くために選ばれる言葉の実に生々しくって生き生きとしている凄さにまず吃驚。同世代の読み手たちの突っ張りたいんだけど突っ張れない、走り出したいんだけど走り出せないモヤモヤ感を組み上げ願望を形にして見せてくれるってことで中高生あたりの男子よりは女子にすっげえ支持されそー。先輩から殴られコクって来た野郎たちを放り出し先輩が好きだったとう少女をいなし、隣家の拒食症の少年には臆しながら本音をさらす少女の生き様が紡がれていく展開も流れ巧みで驚き連続。ありえないけどあれるかもしれない、とゆーよりはったら楽しいかもしれないけれど実際にあったら悩ましい事件の中にその身を入れ込んで浸りたいってこれまた中高生に想わせそー。

 「ちーちゃんは悠久の向こう」よりもリアルに寄って青春に近づいて、けれども「ちーちゃん」以上に内容で驚かせ、それを書いたのがまだ18歳とか19歳って新人だからって事実で驚かせること確実。読んで損なし、ってゆーより読まなきゃ損。表紙絵が高橋葉介さんってのは羨ましい限りだけど当人の趣味なんだろーか。「夢幻紳士」が流行ったのって僕が大学生だった20年くらい昔の話だったんだかなー、それともその後に人気の盛り返した時があったっけ。ちなみにカバーは裏にも表紙絵を拡張した感じの高橋葉介絵。心に引きずる姉への葛藤が表現されています。表紙絵に使わないのは勿体なかったけどカバー裏に残して印刷したのは新風舎、偉いです。

 書店にはいよいよ橋本紡さんの「猫泥棒と木曜日のキッチン」(メディアワークス、1260円)が出回り始めたよーで近所の本屋とか、渋谷にある「ブックファースト」なんかは一般文芸のコーナーに一般文芸のそれこそ癒され系なハードカバー作品と並べて置かれてあってそっち方面で面白そーな作品を探している大人(なんだけど中身は子供)の本好きの手を伸ばさせそー。そっち方面で火が着けば100万部だって夢じゃないからこれはちょっと橋本さん、先行きどーなるのかに興味が出てきた。

 援護射撃で北上次郎さんが「本の雑誌」の2005年9月号でもって紹介。物語の芯が弱いって書いてはいるけどそれなりにまとまり読める作品とも言っているんで一応は誉めているってことなんだろー。芯が出来ればライトノベルから出て来るかもとか言っているけどそーした核がないからこそ、サクッと物語を読んであれこれ癒されたり、考えさせられたりしたいって重厚な物語を読み付けてない新しい読み手たちに受ける可能性も大って想えば思えないこともない。北上さんを唸らせる文芸作品としての昇華にも期待しつつまずは一般文芸方面で受け入れられることを第一義に「猫泥棒と木曜日のキッチン」の応援に勤しもう。それにしても大量に仕入れたなあ、ジュンク堂の池袋店は。

 しかしもはや何を持ってライトノベルというのか悩む今日この頃。金髪に黒マントの少年が月をバックに手に銃を持って立ち、そこに金髪で白いドレスの美少女がすがりつく表紙絵の文庫があって、「真の眷属が跋扈する地ロンドン。ウィッチハンターの少年サニエルは、記憶を失った美少女を保護する。少女の背中にはある秘密結社を示す入れ墨が。そのころ警察は、ロンドン中を震撼させているふたつの連続殺人事件を捜査していた」っ内容だと知ったららそれは「電撃文庫」か「角川スニーカー文庫」か「ファミ通文庫」か「富士見ミステリー文庫」あたりの新シリーズの紹介だねって想う人が多いだろー。

 ところが。このあらすじは歴とした「創元推理文庫」の新刊の案内。クリス・ウッディングって人の「魔物を狩る少年」(渡辺庸子訳、1100円)って本で開けばそこは創元ならではのびっちりとした活字がページを埋めてライトノベルのよーにはさくさくとは読めない。けど設定としては過去に山とあるライトノベルのヴァンパイアハンターものの典型でなるほど表紙絵の構図はラステルを抱くアベル・ナイトロードに見えないこともない、ってゆーかアベルとラステルを描く「トリニティ・ブラッド」の表紙絵の方が圧倒的に格好良くまたお話だって面白そー。実際に「トリブラ」は面白かったし。

 そんな魅力がたっぷりのライトノベルに果たして勝るだけの魅力が「魔物を狩る少年」にはあるのか、それは展開なのか設定なのか、あるいは魅力はないのか、だったらライトノベルの方が今や上ってことなのか、等々考えることは多々あって、設定がチョロいとか読みやすさに配慮され過ぎとかいった部分から文芸的な上下意識をそこに介在させつつ「ライトノベルだね」と言って見下げるスタンスの悩ましさにも思いを馳せる。もっとも肝心なのは「魔物を狩る少年」が圧倒的に面白いかってことで冒頭、ハンティングをしていた少年が魔物だと想って近寄り倒れていた少女を保護する場面から(これまた”ライトノベル”的だよなあ)話がどう膨らみ、そこからどんな驚きが得られるのかに関心を抱きつつ最後まで頑張って読み通そう。イラストが入っていればなあ。その面でライトノベルのフォーマットってカスタマーサティスファクション的に偉大だなあ。

 あと1カ月早く決まっていればと歯噛みした川崎フロンターレの関係者もきっといたんじゃなかろーか。プレミアシップのボルトン・ワンダラーにセリエAのフィオレンティーナから中田英寿選手の移籍が確定、7月末に来日しては何試合かしたものの、かつての名門チームで西澤明訓選手が所属していたこともあったってだけでは1万人の客すら集められなかったチームだけにそこに中田選手がいればって想ったかもしれないけれど、一方でフィオレンティーナも中田選手を擁して来日して試合をしていただけに稼ぎのためには譲れない、って居続けさせたのかもしれない。

 しかしボルトンかあ。マンチェスター・ユナイテッドにはパク・チソン選手がいて下部組織には中国人の選手もいるってゆーのに、日本が誇る中田選手はボルトン。稲本潤一選手は同じプレミアでやっぱり成績は下位のウエストブロムウィッチだし、中村俊輔選手は人気はトップでもスコットランドリーグだし、小野伸司選手はオランダリーグから抜け出せないし、松井選手はフランスのリーグ・アンに上がったばかりのル・マンだし、大久保嘉人選手もやっぱりスペインで1部によーやく残留したマジョルカと、日本にツアーしてもらったって有り難く拝みに行こうって想わせてくれないチームばかりだったりする。ハンブルガーSVなんて高原直泰選手がいたってきっと埼玉スタジアム2002の最低記録を作っただろーなー。浦和レッズと高原、関係ないもん。

 日本人選手の実力がそれまでだって言われればそーなのかもしれないけれどそーとはみとめなくない大和魂って奴があって安眠できない。それを想うとフランスでも名門のオリンピック・マルセイユにいる中田浩二選手が実力ではなくチームの”格”って奴で日本人ではトップってことになるのかも。けどマルセイユは今年も弱そーだし。日本人が伊英独西仏&蘭葡あたりのリーグで優勝争いするチームのレギュラーを張る日が来るのは何時なんだろー。平山相太選手がおとなしくバレンシアに行っていればなあ。平山選手にはさっさとアヤックスでもアーセナルでも行って大活躍しやがって下さいな。


【8月9日】 まず見てこれは作画崩れの回だと思い目を皿にしてヤシガニの再来を堪能しよーとしたけどそれにしてはどこか違う。ちゃんとそれなりに動いている。でもどう見たってシリウスにもアポロにも見えず麗花なんて水着姿なのに寸胴でまるで可愛くない。ツグミも巨大な胸に視線が集まってるのに寸胴すぎて心が沸き立たない。上下にぶるんとしてもそれは同様。だからやっぱり作画崩れではないけれど絵描きの腕に拙さがあるんだろーと感じつつそのまま突入した本編で僕は更なる驚異を目にするのであった。つづく。

 つづきません。「創聖のアクエリオン」は異世界へと引きずり込まれたメンバーが目覚めるとそこは顔がデフォルメされて見える街で、まるで記号のよーなデザインにされた姿態をお互いに見ながらベクターマシンの搭乗者たちは街からの脱出を試みる。つまりは作画崩れに見えたのは作画実権だった訳で冒頭でのちょっぴり違ったキャラクターの絵をフリにして、異世界ではさらなるデフォルメの像を見せつけてそういう話なんだと見ている人を納得させてしまう。おまけにテーマは「自分って何?」。そんな存在に対する問いかけが、日常とはまるで違う自分の容姿への懐疑とも重なってあれやこれや考えさせる。

 進んで絵はさらに崩れ合体シーンではもはや原型どころか人間の形すら留めているのか違うのか、ギリギリのところまで行ってしまってもう大笑い。押井守さんの「御先祖様万々歳」で演劇的なキャラを円劇的に動かし喝采を浴びたうつのみや理さんならではのデフォルメとアクションが極限まで引っ張り出された映像はもはや通常の「アクエリオン」ではなく、芸術の域へと高められたひとつの映像作品を見ているよーな気にさせられる。行動やセリフでのギャグは過去にもあったけど、絵そのものをギャグにして且つテーマにも関わらせる超高度な演出力。それがうつのみやさんの超難度な作画力に動画力とも重なり22世紀に残る1本のフィルムを生み出した。僕はそうだ歴史が生まれる瞬間に立ち会ったのだ。

 欲を言うなら水着の場面は普段の作画のそれも美麗な方でもってぼわんとしたつぐみなりスレンダーな麗花を見せて欲しかった気がするけれど、いったん異世界での超絶うつのみや作画な面々を見た後で現実世界のデフォルメはされていないけれど普段とはやっぱり違うキャラに戻ると、それがなぜか普段とあんまり変わらないキャラ作画に見えてしまうから人間の感覚っていー加減とゆーか適当とゆーか。虚心坦懐に見たそんなキャラクターは顔の立体感も目鼻の付き具合も崩れは寸分もなくしっかりとしたもので、さすがは半端じゃないキャリアの持ち主たちだとお見それする。とはいえ水着に関してはやっぱり太過ぎ。そこだけちょちょっと通常作画のボディを嵌めて異世界でのデフォルメキャラとのギャップって奴を大いに楽しませて欲しいなあ。でもってDVDには修正前の放映版も収録と。うーんそうでなくてもこれだけの冒険を見せてくれる作品、歴史を手にするためにもDVDを買う気がぐぐっっと沸いてきた。

 「ユリイカ」の別冊の「オタクvsサブカル!」の巻末にサブカルとオタクの90年代以降のトピックって奴が年表になって載っているんだけどざっと見ていわゆるCD−ROMのムーブメントって奴がずっぽりと抜け落ちていることに愕然とする。それは年表の作り手への異論ではなくってあれだけクリエーターや経営者や銀行や役所や大学教員が踊っていたにも関わらず、遂にCD−ROMってゆーか”マルチメディア”はサブカルにも、オタクにもなれなかったんだってゆー憐憫まじりの驚きで、それはそーゆームーブメントを取材して記事にもしていた自分への憐憫とも重なる。

 マッキントッシュに普通にCD−ROMドライブが搭載されてウィンドウズマシンにもCD−ROMドライブが付くよーになったのがえっと92、3年頃だったっけ。そんな頃にCD−ROMってメディアが持つ映像も音も収録できてそれらを自在に組み合わせられてなおかつCGって技術も勃興して来た中で生まれたのが”マルチメディア”ってジャンルで例えばアメリカだかカナダから「MYST」ってタイトルが来たり、「スペースシップワーロック」ってタイトルが来たりして映画を自在に楽しんでいるよーな感覚が味わえることから「インタラクティブシネマ」なんて言葉も生まれた。んでもってムーブメントは日本にも広がってシナジー幾何学が東芝EMIと組んで「Alice」を出しインフォシティとも協力して「L−ZONE」を出しそして歴史に名を残す、はずだと当時は誰もが思った「GADGET」が出た。

 それらはいちおうは通商産業省の所管の「マルチメディア」の団体から賞ももらって映画や音楽を統合した新しい文化の担い手になるんじゃなかってもてはやされた。近隣では紙の出版では不可能にされたヘアーヌードを収録したCD−ROMの「イエローズ」がデジタローグから出て荒木経惟さんの「アラキトロニクス」ってCD−ROM写真集も登場して電子出版への機運も盛り上がった。そこにはマッキントッシュに特注のハイパーカードの仕組みを土台にした「エキスパンドブック」って概念を使ってボイジャーって会社が電子出版をスタートさせた。ハイパークラフトってCD−ROMを専門に扱う店も出来てソニー・ミュージックエンタテインメントや東芝EMIにCD−ROMの専門部署も出来てSMEなんかはコンテストまで始めてしまった。そこからは「東脳」って佐藤理さんのタイトルが生まれ笹原組が合格し西島大介さんも名前を連ねていたらしー。

 んがしかし。ぶわっと盛り上がっていたよーに見えたそんなCD−ROMってジャンルが今はない。いやわずかにDVDの持つインタラクティブ機能を使ったタイトルなんかでシンフォレストって会社が自然をテーマにした映像コンテンツなんかをCD−ROMの時代から引き続いて出してはいるけれど、DVD−ROMを使って作られるのはパソコンで楽しむゲームばかりでかつてのよーな”インタラクティブシネマ”めいたものは作られない。アダルトCD−ROMも消えてしまった。DVDでビデオを見せることはあってもDVDのインタラクティブ機能やマルチアングル機能を使った”マルチメディア”なアダルトDVDは作られない。面倒くさいしねえ。

 かといって高度なCGを扱えるよーになった家庭用ゲーム機向けにもそーったタイトルは作られず、映画のよーな空間を自在に移動はできてもそこには必ず冒険とか、探索とか戦いといったゲームの要素が加えられたものとなっている。世界に浸りちょっとした謎を解きながら枝分かれするストーリーをおいかけていくよーな、緩いものはどーやらゲームのフォーマットの上では存在できないみたい。そーしたゆるさはさらに制約の多かったインターネットの方へと吸収され、かくして見渡せばシナジー幾何学は消えてデジタローグは主宰の江並直美さんの病気による撤退とともに名を鎮め、「ピーターとおおかみ」のオラシオンはハンズオンエンタテンメントの中に戻って本業だったコンサート事業の方に集中し、かろうじてボイジャーだけが変遷するデバイスの上で文字コンテンツを流し込む電子出版の分野に活路を求めて健在ぶりを見せている。

 この間、10年に満たない期間のなかで脇で眺めてた目にはそれなりに目まぐるしく映った”マルチメディア”だったけど、一般の関心を引くにはいたらずメディアに持ち上げられることもなく、当然にして文化と認知される暇もなく歴史から抹消されようとしている。庄野晴彦さんとか日下部実さんとかシナジー幾何学で活動していた人の名は今でも聴くしやっぱりシナジーで音楽なんかを提供していた上野耕路さんはゲルニカってバックボーンもあってちゃんと活動中で「ファンタジックチルドレン」で素晴らしい音楽を聴かせてくれた。

 だけどそれだけ。たぶんそれだけ。あの輝かしい”マルチメディア”のムーブメントの影響を受けクリエーターたちの格好良さに引っ張られ、新しいものを生み出し今を羽ばたくクリエーターって果たしてどれだけいるんだろー? そう考えると年表からまるまる抹殺されてしまうのも仕方がないのかもしれない。けどでもどうなんだろう、「GADGET」のあの空気感ってCGによるレトロフューチャーな表現に息づいてるって気もしないでもない。そんな漂う断片をたどっていけばどこかにあの時代につながるものがあって、案外に気づかないところで種になっていたかもしれない。

 10年前、日本には”マルチメディア”ってムーブメントがあったってことを、忘却と抹消の瀬戸際に来ている今、誰か拾い上げ指摘し記録として留めてやっちゃあくれまいか。くれないだろーなー、サブカルほどにもオタクほどにも影響力がないから誰も読まないよなあ。DVD−ROMに「GADGET」と「L−ZONE」と「イエローブリックロード」と「ピーターとおおかみ」と「銀河の魚」と「東脳」とピーター・ガブリエルとレジデンツと「スペースシップワーロック」が入った”マルチメディア丼”ってのがあったら泣くかもな。96年くらいの秋葉原でまだ見かけた「Alice」の限定版を買っておかなかったことが今はとりあえずの後悔。

 てらてらと本屋を回って橋本紡さんの「猫泥棒と木曜日のキッチン」(メディアワークス)が店頭に並び始めてるのを確認、ライトノベルの棚に置いてあるケースもあるけれど、別のフロアでは文芸書に並んでおかれているケースもあって表紙にアニメぽい人を使わずシンプルに猫の影絵(橋本さん自筆とか)を配してお洒落な感じの想定にして、猫とか子供とかって優しいものを求めている人の感性に引っかかりやすいキーワードを並べたことが、陳列の段階ですでに効果を発揮している模様。読めば内容もこれでなかなかに泣けて笑えてる作品で感動系を求める人、癒しの物語を求める人にだったら大受けすることほぼ確実。なんであるいはひょっとするとここから大ベストセラーなんてことになって橋本さんを旗手にライトノベルの中でも日常がテーマの作品群と作家たちが、世に出てもてはやされるムーブメントが来たりするのかも。ちょっと興味。んでもって先行きに大注目。


【8月8日】 また8月8日が来て僕は2つの悔しさを噛みしめる。ひとつは1984年だからもう21年も昔のことで、当時とっても心酔していた漫画家のかがみあきらさんがこの日の前後に没して後に「漫画ブリッコ」に訃報が載って愕然として滂沱した。もう1つが棋士の村山聖さんでその年の3月だかにしばらく棋戦から退き治療のために入院するって発表があって回復を願っていたもののかなわず、膀胱癌で死去したことがやっぱり前後して新聞に掲載されてこちらもやっぱり愕然とした。

 共通するのは共にもし存命ならば今の時代に確実に何らかの存在感を示していたってことで、例えばかがみさんだったらアニメ界の周辺でその名を轟かせる出渕裕さんなり河森正治さんなり美樹本晴彦さんといった辺りに互して何某かの作品を残していたに違いない。村山さんは存命ならば確実にタイトルを取って羽生佐藤森内といった同世代のタイトルホルダーの一角にその名を刻んでいただろー。その下の世代の台頭が遅れた可能性だってある訳でそーなると三浦弘之さんとか郷田正隆さんとか渡辺明さんといった世代にタイトルが回ることもなかったかもしれない。渡辺さんはそれでも出てきてるかなあ。20歳で竜王は羽生さん並みだし。

 こうやって想うと人間なんてやっぱり生きててナンボってことになるけれど、一方で亡くなられたからこそエバーグリーンに語られる存在感を勝ち得たってこともあるんでなかなかに難しい。もしも山田かまちさんが生きていたら凄いアーティストになっていたかっていうとこれは微妙。若さで表現した勢いはそこにあっても円熟した凄みが後まで続いたかどーかは分からないから。ただ既にしてA級8段の位にあった村山さんならその強さで確実に、タイトルの一角を占めていたことは確実でそれだけに死は惜しまれる。

 かがみさんについても同様。というより21年経って未だ「もしかがみあきら存命ならば」と語られることも少なくなかったりして、「ユリイカ」から出た別冊の「オタクvsサブカル!」にかがみさん、というかあぽの表紙絵の「漫画ブリッコ」1984年10月号が掲載されていたりするよーに、活躍していた媒体そのものが半ば伝説と化している状況下でその伝説のトップランナーだったかがみさんが沈没していたとは思えない。むしろともに活動していた大塚英志さんが、その後の編集から漫画原作や評論へと足場を移して今の立場になったかどーか、ちょっと興味ある。

 ずっと編集の仕事を続けてかがみさんや白倉由美さんや岡崎京子さんを担当していたりして。いかん昔語りを始めると長くなるけどともかくも今僕たちは村山聖さんもいなければかがみあきらさんもいない時代を生きている。その中で村山に、かがみに代わるものなり超えるものを見出し称揚しリスペクトしていくのが楽しいしい有意義なんじゃなかろーか。過去に浸っても過去を謗っても仕方ない。

 ってかそんな気持ちになった理由には「ユリイカ」別冊の「オタクvsサブカル!」特集もあったりする。なによりタイトルにひっかかる。「vs」って何だろー? そんなに対立しているのかオタクとサブカルは? 「クイック・ジャパン」の編集長なんかを務めた赤田祐一さんへのインタビューの冒頭に、そんな違和感が何によるものなのかがちょっぴり示されていた感じ。まず「今回は『オタクvsサブカル!』という特集でインタビューをお願いしたいんですが……」って赤田さんへの振りがあるんだけど、そこで赤田さん、「別に対決しなくてもいいんじゃないかって気がするけれど」って答えてる。まさに同感。ポイントはその後でインタビュアーの人が続けて曰く、「ぼくも仲良くしましょうっていうのが正直なところなんですけど(笑)」と言っている。

 はっきり言ってどうでも良くってやメインカルチャーがあってサブカルがあってそれらのぶわっとした大海の中の、トガったりシズんだりしているところにオタクがあって、だからオタクとサブカルは並立もしていなければ対立もしていないはずなんだって、大勢が状況を認識しているところに敢えて”対立”って概念を持ち込もーとしているよーなニュアンスを、この簡単に見えるやりとりから感じ取ってしまった。「仲良くしまよう」ってのはつまり前提として仲が悪い、対立しているって概念がある訳で、なんでそこまで対立のアングルを意識に堅持して言質を引き出そーとしているのかが分からない。

 そのあたりを答えてくれているのが前島賢さんの「僕をオタクにしてくれなかった岡田斗司夫へ 断絶と反復と」って一文で、「単にオタクがオタクとしてのアイデンティティを保ために作り出した仮想的に過ぎない」とサブカルを語り、けれどもだからといってそこで穏やかにはなれず反復されるオタクの上の世代から下の世代への抑圧に巻き込まれるよりは「そんな不毛な荒野を見つめるくらいなら、まだ誰かと戦っているという幻想にひたる方がマシだ」と言い、敢えて「守るべきオタクは厳然として存在する! そしてそれをまた阻まんとするサブカルもまた然り!」と言って対立に身を委ねる。

 もっともそれが意味を持つのは当然にしてオタクな側だけで、勘の良い赤田さんは「『オタクvsサブカル』とかいっても、オタクの人しかこの本を買わないじゃないの? オタクの人の方がこういう問題に関して、ちょっと自意識過剰なんじゃないの」と看過する。そこまで見透かされてなお対立のアングルを作る必要があるんだろーか。仮想的をつくり砦にこもって永遠に来ない攻撃から身を守っているうちに起こるのは内ゲバでしかないんじゃないのか。まあその戦端の一端が前島さんの”vs岡田”的文章にある訳なんだけど、これを読んで楽しめるのは第三世代(これも曖昧な言葉だよなあ)の同じ体験をして来た人たち。勇ましいけれど上の世代には「だから何?」ってことしか言われず続く世代には「お前らウザい」と言われるだけの、「断絶と反復」の一コマにしかならない。まあ「それこそがオタクだ」ってことを明快に示しているのかもしれないけれど。

 でもそれで楽しいの? って僕は思う。世代を語るのもルサンチマンに浸るのも結構だけど、だったら君たちは何が好きなの? ってことを思いっ切り脇目も降らずに語って欲しくて仕方がない。そりゃあ偉い人たちは「そんなものは過去にも云々」って言うかもしれないけれどそうじゃない大人だっているんだよ、何が今面白いのか、どーしてそれが面白いのかを知りたい貪欲な人たちは上にも下にも大勢いるんだよ、たぶん。

 同じ特集で、ばるぼらさんと対談した加野瀬未友さんの「オタクには、この作者たちはいずれ人気が出るだろうと、将来性で買うといった目利き的な行動をして、その人がメジャーになるのを楽しむ、という文化があったんですが、最近では、既に評価の定まった作者の作品を買うようになっています」って指摘があるけれど、そーした目利きの冴えっぷりを見せて欲しいのに出てくるのは外部との、あるいは異なる世代との対立のアングルだけ。はっきりいって勿体ない。

 「先物買いするのが楽しかったはずなのに、みんなが買っているから買うなんて、そんなのオタクじゃねぇ」と加野瀬さん。そうだよねえ。同世代の知のリーダーが紹介したからってそれがその世代の主流になるのって、ムーブメントが生まれる上で正しい流れかもしれないけれど、そればっかりってのも面白くない。新しい価値観が見られなければそれを提示して欲しい。凄くなりそうなものがあればそれを示唆して欲しい。メディアを大人の資本家が握っていた時代だったらそれも難しかったけど、今ならそれがネットで簡単にできる。ってか昔の雑誌の方が差異に走ろうとしてあれこれ掘り起こそうと頑張っていたくらいで、流行物に群がるなんてことの方が希だった。

 同じ映画をすべての雑誌が取り上げる? 気持ち悪いったらありゃしない。同様にネットで誰もが同じアニメを、ゲームを話題にして戯れ遭っているのもつまらない。俺はどうだったと語って世代の共通認識に浸るより、俺はこうなんだと語ってそこから何かを起こしてくれ。そういうお前はどうなんだって? だから語ろう「奥様は魔法少女」のエロい見かけの裏側にある大人になれない子供の悪あがきのやるせなさを。これは凄いアニメなんだよ、10年後まで語り継がれる作品なんだよ、たぶん。それにしても嬉子さん、体型がすっかりオバさんだよなあ、とくに下腹部のぽっこり感が。来週はさらにエロそーなエピソードがあるけれどその中でどんなシリアスなドラマが描かれるのかに興味。最初っから録画しておけば良かったなあ。DVD買おうかなあ。

 んでもってよーやく購入した「すたんだっぷ風太くん!」(写真・イッセイハットリ、文・桜庭一樹、富士見書房、800円)は予想どーりに人気を妬まれ象のチョークスリーパーとゴリラのニードロップとクマのベアハッグを喰らって半死半生になったレッサーパンダの風太くんがファンの子供たちの声援をバックに立ち上がって敵を倒すってゆー感動格闘アクション巨編……ではなかったよ。可愛いレッサーパンダのほの甘い恋の物語でフワフワでモコモコっとした風太くんの写真とも相まって心をほぐしてくれます。風太くんが悲惨な目に遭うこともないんで他の桜庭さんの作品を読んで風太くんの運命を懸念した人もご安心。しかしやっぱり何故この仕事を? 謎多い作家だなあ桜庭さん。


【8月7日】 東京国立霞ヶ丘競技場から帰って録画で結果を知らないままに見た東アジア女子サッカー選手権の「日本女子代表vs韓国女子代表」は韓国にどう見たってくりくり坊主の少年と、それから長身で鼻の大きな好青年がいたのはそれとしてもやっぱりフィジカルの圧倒的な相手に挑むにしては我らがなでしこジャパン、スピードが足りずサイドの崩しが足りない感じで永里優季選手をトップに置いてもそこにボールを入れることすら出来ずシュートチャンスへと持ち込めない。

 中盤では酒井與惠選手が小さいながらも激しい走りと当たりでボールを広い散らしては見るものの普段からプレーしてる日テレ・ベレーザだったら前に沢穂希選手がいて右に川上直子選手がいて左に近賀ゆかり選手がいてほかにも選手たちがサイドに開き前へと走り込んでいてそこにパスが渡るんだけど、なでしこジャパンでは右サイドに入った安藤梢選手とどうにも愛称が拙いのか、サイドから崩せず中央に放り込めず勝負できず得点には当然つながらない。ボールの収まりも悪くって足下に入ったボールのトラップし損ねたところをかっさらわれる場面も度々あって落ち着かない。

 一方で守備の方はといえばアテネ五輪での躊躇が失点につながった反省を1年かけてやってきた山郷のぞみ選手がゴールキーパーとしての仕事をきっちりと果たして得点を許さずこの2試合を無失点で乗り切った。さすがは守護神、まだまだ次には譲れないってところだろーけれどそれだけに攻撃陣の圧倒的なパワーにも、スピードにも至っていない拙さが目立ってしまう。これがもしも荒川恵理子選手だったらトラップ一発から振り抜き得点、なんて場面があったかもしれないし右サイドが川上直子選手だったら突破しクロスを何本もあげて永里選手のゴールにつなげていたかもしれない。

 ただまあ去年はアテネ五輪の選考に漏れて涙を呑んだ永里選手が国際舞台で経験を積み至らなさも自覚できたって思えばそれはそれで収穫だし、北朝鮮戦も含めてほとんど失点をしなかったディフェンスラインにもメドがついた。あとは中盤から前の組み立てを出来る選手が欲しいところで安藤選手を本来のトップ下に入れられるよーにするなりサイドを突破しクロスをあげられる選手の台頭なんかに期待したいもの。フリーキックの精度に関しては浦和レッドダイヤモンズレディースの高橋彩子選手がやっぱり圧倒的なんだけどそれだけではメンバーに入れられることはないんでもー少しだけプレーでも、貢献できるくらいに上がって来てくれればと願望。それかやっぱり小林弥生選手の復活か。最近はスタジアムでもあんまり見ないしなあ。夏痩せしてないかなあ。

 家にいると熱さに焼け死ぬんで本を手に持ち京成に乗って佐倉へと出向き「世界の呼吸法 アートの呼吸 呼吸のアート展」をまずは佐倉市美術館で見物。巨大な山のてっぺん部分だけが左右に移動するおかしくも重厚なアート作品をしばし眺めてそこから連絡バスに乗って本展とも言える川村記念美術館へと移動して、灼熱の中を散水機が芝生に水を撒く夏っぽい光景を横目にクーラーの利いた室内で作品を見物する。出展者には超絶的に有名なアーティストって人はいないんだけどそれぞれが中堅からベテランとして活躍している人たちで、何が呼吸法かは不明ながらもそれなりに息づかいの感じられるタッチの作品が並んで心安らぐ。

 中で面白かったのは佐藤時啓さんって人の写真の作品。本来は彫刻家らしーけどここではピンホールカメラを横に2つとか、3つ並べて風景を複眼的に切り取る作品を出しててそれが人間の目では絶対に見られないワイドな光景を見せてくれて世界の中心に自分がいるよーな気にさせてくれた。絞りが効いているのか写りはそれぞれにくっきりしているんだけど露出時間が長いってこともあるのかな、太陽の光が逆光で輝く様も写り込んでてそれが人間の目で世界を見ているっぽい、けれども人間の目では見られない光景をそこに現出させていて楽しめる。

 最高だったのが360度ピンホールカメラで撮影された光景で、上と中と下にそれぞれ8個づつ、円形に配したピンホールカメラによって作られた球形がとらえた光景はその中心から人間が世界を360度、同時に見た時に見える光景って奴を現出させていてそれが平面に展開された作品は左右に長いパノラマ写真が上下にさらにワイドになって世界の広がりって奴を見る人に認識させる。デジタル技術を使ってシームレスにつなげるんじゃなくデヴィッド・ホックニーみたく張り合わせて作り上げた点が断片の連なりとしての世界を感じさせてくれる。順光な光景と逆光の光景が同じ1枚のワイドな作品の中に収まっているのがアクセントになっている感じ。

 同じ手法で取られた江東区の工事現場は高速道路が一方は前へと向かい一方は後ろへと延びているはずなんだけど写真ではともに前へと向かっているから現実にはあり得ない感はより色濃い。こーゆー効果が得られる場所を選ぶのもアーティストのセンスって奴なんだろー。他にもどんな作品が考えられるのか、アーティストの人にはこれを手始めにいろんな場所でいろんな写真を撮って欲しいもの。でもって1冊の写真集にまとめてやって頂きたいもの。見ればそこにはありそうであり得ないビジョンって奴が広がるのだ。試合中のサッカースタジアムのセンターサークルから撮影した360度ピンホール写真、見てみたいなあ。

 阿部勇樹ってあんなに目立たない選手だったかなあ。守備に走り回ってるって感じもないし攻撃に走りまくってるって雰囲気もない。フリーキックの時には出てきて良いボールを蹴るけれどそれ以外の場面で何かゲームの貢献してるって印象を持たれない。中盤でたまにボールを持っても左右に散らして終わり。歩いてる場面が多くってこれがあのオシム監督の下で走るサッカーをやってるチームのキャプテンなのかって思えて仕方がない。肝心のフリーキックも韓国戦はトップにボールが収まらずファールされる場面が少なく出番なし。それも目立たなかった要因になってしまった。

 ジェフだと佐藤勇人選手あたりとコンビで前に出ることもあるからその当たり、周囲との連携がすぐにはいかない代表で、持ち味を発揮するにはしばらく時間がかかるんだろー。いっそセンターバックにしてみるとか、トップ下まで出すとかすれば守備なり攻撃に目立てるんだろーけどなー。ちょっと勿体ない。まあいい戻ればすぐにナビスコカップの2戦目があってシビアな試合で活躍は不可欠。なのでまあそこで調子を戻して年末あたりに向けた代表戦に1つ2つ呼ばれつつそこで本来の持ち味を出してくれれば北京五輪のオーバーエイジには間に合うだろー、って来年のワールドカップは無理ってこと? うーん今のFK専業ではやっぱり無理だろーなー。巻誠一郎選手はオッケーかな、高さはやっぱり武器だよな。


【8月6日】 挑発的なタイトルに珍しく「ダ・ヴィンチ」なんかを買って特集の「ライトノベル読者はバカなのか?」をまず開き、これはつまりはライトノベルなんぞ読んでる奴らはバカなんじゃない? って内容ではなく昨今話題のライトノベルを読まない奴らはバカでしょう? って話なんだと了解。したけれどタイトルだけ見てそう受け取る人は1万人に0・3人くらいでちょっと捻りすぎとの印象を抱く。けどライトノベルの読者ではない、いわゆる普通の本を読んでる人たちにムカって手前らバカじゃん! って挑発してるって受け取られたら雑誌が売れなくなってしまうから仕方がないのかも。その辺ライトノベルを読みつけている人はええええあたしらバカですよーだって自虐自嘲のユーモアを備えていらっしゃるからこれくらいで釣られません。ええ釣られませんてばよ。

 内容についてはそつなくまとまっていて悪くない。米澤穂信さんに桜庭”サンボマスター狂信者”一樹さんに冲方丁さん清水マリ子さん日日日さんと選ばれたインタビューイもとりあえず今を代表してるっぽいしそーした作品群をチャートにして分布させた作業にもまあ異論はない。あんまりライトノベルを読んでない女性のハイセンスな御方たちに「七姫物語」と「イリヤの夏、UFOの空」と「推定少女」を読ませて感想を聞く企画もできればそこに橋本紡さんの「半分の月がのぼる空」なんかも入れて欲しいかもと思いつつも、いきなり「撲殺天使ドクロちゃん」を読ませて米光一成さんみたくカルチャーセンターで袋叩きに遭うよりは真っ当と了解。んでもって「推定少女」の点数の高さに桜庭さんの作品が持つ同世代から前後10歳くらいの幅の女性に人気の作家となり得る可能性を見る。次のライトノベル出身直木賞作家は桜庭さんで決まりかも。

 そーした特集は三村美衣さんの監督もあってかまとまっているんだけど問題は外にあった。41ぺーjの「ランキング分析」で永江朗さんがトーハンのランキングの5位に西尾維新さんが入っていることを挙げて「5位の『ネコソギラジカル(中)』はライトノベルの旗手、西尾維新の新刊。ライトノベルは文芸界の台風の目、とはいえ文芸ファン以外にも広く認知されているとはいいがたい。書店でもあまり扱っていないところがあるほど。それにもかかわらず5位にランクされるということは、コアなファンをしっかりつかんでいるということか」って書いてる。だーかーらー。講談社ノベルズはライトノベルのレーベルの中核じゃないってば。

 もちろん西尾維新をライトノベル読者が読んでないって言う気はないし”ジャンル”として括ればライトノベルの一翼を担った重要な作家って言えなくもない。けどライトノベルの旗手として西尾維新を掲げるのってちょっと違う。むしろミステリーの新機種であってそれがライトノベル世代のマインドも掴んで下の世代に売れ行きを伸ばしたんじゃなかろーか。けど売れ行きだったらライトノベルの文庫に入っているトップクラスの人の方が多かったりする訳で、本来だったらライトノベルの文庫の売上ランキングと並べて語らなくてはいけないのに、ここで挙げられたランキングには新書は入っても文庫は入っておらずライトノベルの本流レーベルも当然入ってない。

 ライトノベルを扱ってる書店は確かに少ないかもしれないけれど、西尾維新さんの”戯言シリーズ”が入っているの講談社ノベルズを扱ってない書店なんてそんなにない。だからこそ売れて書店の売り上げランキングにだって顔を出すんだろーけれど、それがそのままライトノベルのトップとして西尾さんが抜きんでていることにはならない。並んでいる本を見れば、出版事情に詳しい永江さんのことだからいわゆるライトノベルのレーベルがそこにないことくらい気づいて同然なんだろーけれど、その辺には目をつぶって西尾さんのランクインを持ち上げたがるのは何故なんだろー?

 意図的なのかそれとも心底から講談社ノベルズはライトノベルで西尾維新はライトノベルの旗手で電撃文庫や角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫の存在は知りません、なんてことあるのかな。あったらそれはそれで面白いけど怖いなあ。妙に出版界の読書好きには発言が届く人なんでそこでこーゆー認識が蔓延ると後にいろいろ響きそう。周りの人の誰かそうじゃないよって言って差し上げて欲しんだけどもはやそーゆー諫言が通る立場の人じゃないのかなあ。まあいいやあっちはあっちの”ライトノベル”で盛り上がり盛り上げ過ぎて衰退してくれて結構、こっちはこっちの”ライトノベル”が波こそあってもそれなりに広がり浸透していく様を楽しみそこから生まれる豊饒な作品群に一生を楽しみ続けるから。

 暑いんで家にいると焼け死ぬんで外に出て電車で涼みつつ読書。「中央公論C☆NOVELS大賞」で本命の大賞を受賞した藤原瑞記さんの「光降る精霊の森」(中央公論新社、900円)も読んでこっちもそれなりに秀作で1回目からなかなかな人材を輩出している賞だと喜ぶ。辺境で森番をしているエリって名の若者がいて貴族の子弟かなんかなんだけど訳あって出奔して隠れていたところに現れたのがファティ少女の精霊。人間と精霊のハーフらしい半精霊って存在なんだけど疲れているよーで倒れていたとところをエリってその青年に助けられる。んでもってエリは少女の側にいた喋る猫でつまりは精霊か何からしー猫のゼッテの頼みも聞いてエリはファティとゼッテを異国の魔法使いの所へと、追っ手に捕まる心配を抱きつつも少女を連れて行こうと旅に出る。

 そして始まった冒険の度なんだけど艱難辛苦を乗り越えファティの秘密に迫る話になるかってゆーとむしろ青年が冒した過去の過ちの真相を暴き真犯人に迫るミステリー調な展開になって半精霊のファティが困っていた理由が何でそれが例えば世界の成り立ちに関わるのか、なんてファンタジックで壮大なドラマは起こらずどちらかといえば人間が人を信じる難しさってものを浮かび上がらせそれでも信じる大切さを説く物語へと帰結する。その辺のバランスに気持ちシンパシーが覚えられなくって特別賞に輝いた「聖者の異端書」が描いた聡明な少女の自立の物語を上とみたくなるけれど、どちらかといえばティーンあたりを対象にしたいレーベルでメタファンタジーをイチオシにするのもなんだって考えがあったのかも。まあそれでもとりあえずは楽しめる物語なんで読んでとりあえず損はないとだけ言っておこー。あと猫好きも。子犬くらいの大きさのある猫をリュックにいれて歩く主人公を大変と思うか羨ましいと思うかで貴方の猫好き度が測れます。そうなのか?

NAKAJIMAがやったぞ得点だ次も先発だレギュラーだ  韓国ではなでしこジャパンが闘っているけど東京は国立霞ヶ丘競技場でジェフユナイテッド市原・千葉が闘うとあってはそちらにいくのがにわかであってもジェフサポーターってことで、国立に出向きお金もないんでゴール裏の自由席に陣取って観戦。阿部勇樹選手に巻誠一郎選手を持っていかれて大変なはずなのに中島浩司選手を入れ林丈統選手を入れた布陣はサブに要田勇一選手も入ってそれなりの豊富さ。でもって試合も羽生直剛選手が中央で捌き突っ込みゴールをあげる活躍を見せて前半からジュビロ磐田を圧倒する。フリーキックから奪われ後半の終了間際にとられるヌケは見せたけど、先発した中島選手がフリーキックをヘッドでぶち込んだり、代わった要田選手がフォースを使って突っ込み得点したりとオシム采配もばっちりで、1点差を逃げ切りナビスコカップ準々決勝の初戦をまずはものにする。良かったなあ。

 何を置いてもストヤノフ選手の守備の確かさが素晴らしくって最後尾で守りトップへの攻め上がりも見せたりと文字通り縦横無尽に大活躍。彼が抜けた時にぐぐっと落ちる守備力をどーするか、ってのが今後の課題となりそーでその当たり、タイプは違うけど阿部勇樹選手がリベロとなって守りボランチを佐藤勇人選手と中島選手が組む布陣も試し確立させていく必要がありそー。トップは林選手にもーすこしの決定力があれば完璧なんだけど走り回るだけでも仕事をこなしてるんでまずは重畳、今が旬の巻き選手の帰国が果たされた次のアウェイ戦ではジュビロに負けず突き放して準決勝へと駒を進めて頂きたい。できるぞ今年は。


【8月5日】 はぐ目立ってない。録音にちゃんと成功した「ハチミツとクローバー」は山田をめぐる商店街のお兄ちゃん達の焦りと嘆きがあって山田のそれに対する悩みと葛藤があって真山の珍しく積極果敢な行動があって竹本の美術家には向きそうもない創作に花本先生のグッドな助け船が加わって青臭さに輝く場面があってと見ていて何だかそのまま10年昔の月9なトレンディドラマにシフトしたって構わないんじゃねーの、って思えて月9のトレンディなドラマをまるで見てこなかった目に痛い。

 救いはアニメならではの山田のうるうるとしてたりわらわらとしてたりする表情だけどそれだったら演技でカバーできる女優はいる訳で、ここはやっぱりアニメならではの森田先輩の捨て身でかます爆裂大爆発ギャグを戻しはぐみの天然天才少女っぷりを炸裂させてくれないと展開的にはつらいかも。でもきっと原作もこんな感じに新しくも懐かしい”セーシュンのいじわる”が続いてそれがそんなドラマに頭を染められた世代の気持ちにするりと忍び込んで受けてたりするんだろーから仕方がない。残るは二ヶ月。それなりの盛り上がりを期待したいけど、それも竹本の自転車旅行とやら? 厳しいなあ。森田かんばっく。

 軽く傑作だったよ「中央公論社 第1回C☆NOVELS大賞」で特別賞を受賞した内田響子さんの「聖者の異端書」(900円)は、のっけから女性に名前の与えられない封建チックな世界観が当の女性のヒロインでお姫様の口から半ば自嘲的に語られなるほどそんなことを自覚しているお姫様の聡明さを示しつつ物語は、彼女が結婚をすることになって相手の王子様が国元まで訪ねてきて婚姻の儀式を上げていたところに謎の落雷、そして王子様の消滅って事件が起こって聡明なお姫様が立ち上がるところから転がりを見せ始める。

 乳兄弟で騎士の家の次男坊ってことで永久に騎士にはなれない生まれを背負った(これも後で設定として効いてくるから凄い)少年と連れだってまずは母方の祖父を訪ねそこから北へと向かい、そこの王国の王子が王位継承の試練としてヒロインのお姫様に従い道を探せと魔法使いから告げられたことを受けて共にし向かうは王子さまをさらったらしいかつての皇帝の住まい。途中に狼を従えた少年が現れたり気持ちの良い盗賊が現れたりとさまざまな出会いに試練を経てたどり着いた皇帝の居城で一行が見たものは!? って感じに進む展開の速さ奇矯さ面白さに目を引っ張られ、お姫様のどこか冷静で淡々とした語り口に含まれる知性の高さに教えられるところも多くあって最後まで気持ちを引っ張られる。

 そし浮かび上がるのは神という存在への懐疑と理解であり、人の上に立つ者の資質であり他人を、他者を慈しむ心の大切さ。ともすれば勝ち気なじゃじゃ馬姫の冒険話に従うクールな王子と優しい少年って類型的なフォーマットに陥りがちな物語も、わき上がってくるそんな思弁的なメッセージによってひとつ次元の異なるフェーズへと様相を違えて読む者に不思議でそして心地よい読後感を与える。ファンタジックな世界を舞台にした物語にありがちなお姫様の立場や支配する神様たちの全能ぶりへの疑問とゆーか、そーした”装置”の存在をあからさまではなく示唆し指摘し考えさせる。

 なおかつそーした趣を持ちながらもパロディにも批判にもせず物語の中に吸収した上で続く道をさああなたならどうすると教え自ら屹立する必要性を感じさせる、若干のメタのかかったファンタジーの秀作って言えそう。豊富な読書歴はないけれど日本というより海外の70年代以降とかに欠かれた、ハヤカワ文庫FTなんかにも入っているようなメタっぽいファンタジーを読んでいるよーな気にさせられた。これはまああくまでも印象論だけど。キャラクター表めいたものをそのまま表紙と挿絵に使った地味さが派手な表紙絵の並ぶライトノベルの棚で目立たなくさせる懸念はあるけれど、なあに凄い話はそれだけで強いオーラを持つものなんで平積みの台の上でひときわ輝く葡萄茶色のノベルズがあったら逃さず買って読もう。教皇がラストに良い味、出してるなあ。ヒロインの人生にも憧れるけど教皇のこーゆー人生も格好良いなあ。

 軽く怪作だったよ「チームアメリカ・ワールドポリス」。渋谷のシネアミューズでラストの上映を見てのっけから憧れのパリパーリをメッチャクッチャにして気勢をあげた直後にベタな映画よろしく告白シーンを入れたりする世界の警察「チームアメリカ」な人々の、中華主義的振る舞いを見せつけてくれるところで大笑いをしていたらこれが甘かった。次々に繰り広げられるエピソードはアメリカの現状を笑いアメリカの振る舞いを笑いついでにアメリカに反対する俳優たち映画監督たちの地に足の着いてない頭だけで動きがちな態度を徹底的に笑いのめす。

 敵はそのまま北朝鮮で金正日が出て来て世界を破壊し新帝国をうち立てようとする企みを巡らせそれを「チームアメリカ」が粉砕するってストーリー。分かり易すぎるって言えばそーだけどそーした敵の振る舞い以上に「チームアメリカ」の振る舞いも分かりやすすぎてそんな分かりやすい行動を世界に誰はばかることなくやってしまってイエイッ! ってガッツポーズにピースサインを決めて悦に入る帝国主義的スタンスへの、これまた分かりやすい風刺になっている、とは思うんだけどそこは帝国主義的で中華思想な国の人たちだけに「チームアメリカ格好良い!」って思い憧れ自らのバイブルと崇める人たちが出やしないかと心配になる。まさかとは思うけどでも、ねえ。アメリカが自らを相対化できていれば世界はこんな風にはなってないからねえ。

 人形劇ならではのギャグも満載。話題の人形によるセックスシーンは笑えないこともないけれど人形があまりに硬質ですぐ飽きる。これがボークス当たりの素体だったらちゃんと割れ目も入ってエロさも増したんだろーけどそれだと18禁どころか上映禁にだってなりかねないから仕方がない。笑ったのは人形が黒豹だかに襲われるシーン。っても黒豹にしてはもさっとして顔も大きくて良く見たら黒い猫ちゃんたちで人形を回る仕草の優美で可愛いことこの上ないんだけどそこに豹の咆吼が重なると不思議と黒豹に見えてしまうから人間の感覚って怖い。挿入歌の凄さも話題。AIDSの歌もあれだけど「パールハーバー」を虚仮にする歌も凄かった。ってかそんなに酷い映画だったのか「パールハーバー」って。これは見てみないとなあ。でもって唄うんだ。マイケル・ベイはどうして映画を撮り続けられるのか? って。


【8月4日】 名古屋市緑区の丘の上にパルテノン神殿の如く建っていた中身はどーでもいんなーすぺーすな高校に通っていた身にとって緑区を主戦場としていた人はそれだけで仲間だし、子供の頃から遊びに行っては筏を流したり鮒を釣ったり源流へと遡って歩いたりした天白川をタイトルに取り入れた曲を作ってレコードに入れた人はそれだけで同志であってだからスキマスイッチは、僕にとって仲間で同志で敬愛すべきアーティストであってなおかつその楽曲の素晴らしさに惚れ込んでしまっている僕は紛う事なき「スキマスイッチ原理主義者」なのである。

 しかるに小説家の桜庭一樹さんが、8月3日付けの日記でもって「狂信者の瞳(?)をして山口隆の才能について語る俺の『こないだ、スキマスイッチ原理主義者(←敵)に、サンボマスターの歌詞は青いって言われた!』を受けて彼女は……」と編集者の女性(漢らしい)のことを書いててそこで、我々「スキマスイッチ原理主義者」を「敵」と見なしててなるほどこれは闘わなくてはならない、闘ってスキマスイッチの素晴らしさでもって青さに膨らんで弾けそうなサンボマスターの熱さをくるみ冷やさなくてはならないと決意する。

 とはいえ闘うにしても「敵」はカラテの有段者にしてレッサーパンダすら直立させた「すたんだっぷ! 風太くん」の作者。貧弱な僕には肉弾戦で勝てる相手ではとてもないのでここはカラテならぬカラオケで、決闘を申し込みたいところではあるけれどただの読者でしかなくどこかで巡り合う機会もしばらくはなさそーなので、ここは怨敵退散とばかりにネットの彼方から、「スキマスイッチクールサンボマスター暑苦しいスキマスイッチアフロサンボマスターでぶちん云々」と、スキマスイッチの素晴らしさを讃える呪文を叫びつつ踊りながらサンボマスター原理主義者を呪うことにしよー。とりあえずカラオケでは「奏(かなで)」と「螺旋(らせん)」と「全力少年」を吟じて差し上げよう。そろそろ8年はカラオケってない我が喉に果たし吟じられるかは知らない。

 「どんなモンタナ」ことアメリカンフットボールのスーパーQB、ジョー・モンタナ選手の大活躍に世界が沸いてからかれこれ20年? その後もダン・マリーノやスティーブ・ヤングやジョン・エルウェイといった選手は数々いたけれど、一時の誰も彼もが「SF」と書かれた金色に赤のスタジアムジャンパーを着て手にヘルメット、は持っていないけどともかくアメフット絡みのファッションに市民権があった時代は昔に去って、日本におけるアメフット人気は前世紀末にはほとんど存在しないくらいになっていた。ちょっと言い過ぎ? まあそれに近い状態だったんじゃなかろーか。

 けど昨今、「週刊少年ジャンプ」に連載されてる漫画の「アイシールド21」がヒットしアニメ化もされる人気となる中で小学生から中学生といった層でアメフットへの関心も高まって来ているとゆーか、裏でNFLジャパンが連載に協力をしてアメフット人気の盛り上げを底辺から起こそうとしているってゆーか、そんなこんなでちょっとずつながら日本におけるアメフットの認知度に向上が見られる今日この頃に、そんな関心を惹き付けるNFLのチームの日本興行があるってんで「東京ドームホテル」へと赴きチアリーダーたちの巨大な胸囲や臀囲に目を奪われつつ、登場した巨大なクオーターバック2人のたたずまいに目を奪われる。

 1人はアトランタ・ファルコンズのマイケル・ヴィック選手で聞くところによると”史上最速”の異名をとるクォーターバックだそーで黒人にして髪はドレッド気味で黒いスーツに黒いTシャツとヒップにホップな格好をしていてアーバンなアメフット選手って雰囲気を感じさせる。もう1人はインディアナポリス・コルツのペイトン・マニング選手でMVPを2年連続で獲得した”史上最高”の異名をとるクォーターバック。白人で細面で長身でグレーにチョークストライプのシングルスーツをびしっと決めた格好はアメリカのビジネスマンって言われても通用する面もちで見た目からインテリっぽさが漂ってる。

 もっともしゃべり出すとやんちゃに見えたヴィック選手は訥々として真摯にスーパーボウルでの優勝なり、日本での活躍といった豊富を結構な時間語ったりする知的な感じがあって一方のマニング選手は長身に見合った太い声で試合に臨む姿勢を語るアスリートって雰囲気。スポーツ選手だからとか人種がどうとかいった”先入観”で人を見るもんじゃないってことは重々承知しているけれど、それでも残っていた期待混じりの偏見を、実在の人たちが見せる態度が壊し人をそれぞれの人として見る目を持つ大切さを強く植え付けられる。レブロン・ジェームズ選手だってそーいえば、真面目で頑張り屋っぽくて”問題児”扱いされてたアレン・アイバーソン選手とはまるで違った若者だったっけ。人は人。そうなのだと勉強させられる夏でした。清原選手はまんまキヨハラだけどなあ。

 エドガー・ダービッツ選手がインテルからトッテナム・ホットスパーに移籍が決定した模様で例のKAPPAの比較的ピタピタとしたユニフォームを手にして笑うダービッツの写真なんかが出回っていてゴーグルをかけていないダービッツの強面にこいつは怖い選手だって臆する気持ちが沸く。いえいえ人はみかけによりません、って言ったばかりだけどことダービッツ選手に関してはその強面がそのままプレーの”狂犬”ぶりにも現れているから仕方がない。ともあれリーグでは今ひとつだったりするホットスパーの中盤を蹂躙しては活躍を見せ、代表に復帰し来年のワールドカップ2005独大会にも出てファンだと言う我らが酒井與惠選手を満足させてやって下さいな。一方インテルにはフィーゴ先生がいよいよ移籍との話。エムレ選手も放出して開きつつはあるけれどそれでも山ほどのタレントがいるチームで果たしてどんな活躍を見せるのか。それよりあのネッラズーロのユニフォームがフィーゴ先生に似合うのか。ちょっと興味。


【8月3日】 すべてのアニメファン尾道ファン豆腐ちゃんファンを敵に回した巨人とテレビ朝日に呪いあれと怒り心頭の中で目覚め秋葉原へと回って「ゲーマーズ」で「交響詩篇エウレカセブン」の新しい主題歌になったHOMEMADE家族の「少年ハート」を購入して石丸で「ファンタジックチルドレン」のDVDの5巻を買ってDVDの「エウレカセブン」は見送って「アクエリオン」も悩んでやっぱり見送る。どーしよーかなー。けどでもこれから鬱々とした展開の中であれこれ新しい展開も見せてくれそーなんで「エウレカ」は揃えておくのがやっぱり良いかも。UMD付きはプレミアムにはなっても有り難みは少ないんでパスだ。

 敢えて言おう。スポーツの敵であると。フジレテビのページにある武田薫さんって人の「夏休みの過ごし方」ってコラム。夏のツアーにやって来たレアル・マドリードと東京ヴェルディ1969との試合で、ヴェルディが3対0で勝ってしまった挙げ句にベッカム選手を怒らせてしまったこをと伝聞で知ったか何かして、ヴェルディの態度にいちゃもんを付けている。曰く「何のための興行なのか、それをわからないプレイヤーはプロとはいえない。勝ち負け、そんなためにレアルを呼んだのだったか? 私はサッカーを取材していないが、おそらく、違うだろう。ベッカムとか、ロナウドとか、フィーゴとか、世界の有名プレイヤーの技をファンに見せようと高い金を払って招いたのだ」。なるほど確かにあれは興行だった。レアルのスーパースターたちの技を見てもらうための興行だった。

 けれどもだったらヴェルディの選手はただ突っ立っていれば良かったのか? 日本のファンはその周囲でボールリフティングでもトラップでもしてボール捌きの巧みさを見せつつ曲芸のごとくに抜いていくレアルの選手が見られれば良かったのか? 違うだろう。ヴェルディがチェックを入れディフェンスしパス交換から攻め立てようともレアルの守備陣がしっかりと守り、ヴェルディのチェックを鮮やかなパスでもってかわしヴェルディの守備陣を蹂躙しては面白いよーにゴールを決める、レアルのスーパースターたちのサッカーとしての技が見たかったはずだ。それを引き出すにはヴェルディがリーグで17位に沈んでいる実力を超えるパフォーマンスを見せる必要があったはずだ。そしてヴェルディは頑張った。レアルのサッカーの技を引き出そうと張り切った。

 けれどもその頑張りにレアルの選手たちが答えられなかった。リーグ17位のヴェルディに攻めあぐね、いらつき余裕をなくして自滅した。高い金を払って呼んだにも関わらず、そして相手がリーグ17で直前に大量失点を喫して監督が解任されたばかりのヴェルディであったにも関わらず、技をファンに披露することができなかった。疲れていたかもしれない。けれどもそんな状況でも最善を尽くして集まったファンを納得させることこそがプロスポーツ選手としての務めだろう。「それをわからないプレイヤーはプロとはいえない」。レアルの選手たちにこそ浴びせるに相応しい言葉だ。

 それとも何だろう。この筆者は棒立ちになって緩い守備をしているヴェルディをレアルのスーパースターたちが華麗な技で蹂躙することこそが”興行”であって、それをファンが待っていたと本当に思っているのか。だとしたらこれほどサッカーのファンを莫迦にした言葉はない。サッカーを冒涜した態度はない。真剣味から生まれるスポーツの美しさ、そしてそこに成立する興行としての価値を否定するスポーツにとって断固敵と認めて非難し排除すべき意識である。これがスポーツライターのトップクラスか。なるほど日本にプロスポーツの美徳が成立しない訳だ。

 代理店が勝利至上主義を持ち込んだ? とんでもない。代理店は観客が集まり視聴率が高ければそれで良いのだ。その為に必要なのは何なのか。別に勝ち負けにこだわることじゃない。勝ち負けにこだわるんだったらヴェルディは9人で守備を固めて守れば良かった。けれどもヴェルディはそれをしなかった。余裕すら持たせた。お互いに最善を尽くそうと張り切った。にもかかわらずレアルは得点できなかった。プロとしての、世界最高峰のチームとしてのパフォーマンスを見せることができなかった。だからファンは怒ったのだ。今のレアルは見たかったレアルではなく、見る価値はないと考えてスタジアムに足を運ばなかったのだ。

 去年まで売り出せば即完売だったチケットが今年は余った。5万人入るスタジアムで3万人強しか集められなかった。その事実が、レアル・マドリードというチームの興行価値が低下しつつあることを如実に語っている。それはヴェルディの責任でもジュビロ磐田の責任でもない。レアル・マドリードというチームの責任だ。にも関わらずヴェルディが勝ったこと、ベッカム選手が怒ったことを上げてヴェルディを非難する。ファンが出した答えも耳に入らないかのようにレアル・マドリードを擁護する。

 誰のための興行なのか。華麗な技が撮れなかったと嘆くカメラマンのための興行なのか。チケットを払って集まった観客こそが主役であり、そんな彼ら彼女たちが出した”否”の答えを否定するこのコラムの筆者は本当にスポーツの見方なのか。それともテレビ局や新聞社の見方なのか。まあ良いファンは利口だ。レアルの怠慢に”否”の答えを出したように、本質から目を背けた愚劣な見解にも確実に”否”の答えを出すだろう。それをさも正論の如くに掲載するメディアにも。「私はサッカーを取材していないが」。それは重畳。これからも近寄ってくれるなと言おう。取材されているスポーツにはご愁傷様と同情しよう。

 そうだよこれこそが「なでしこジャパン」のパフォーマンスなんだよ。中盤の酒井與惠選手と柳田美幸選手がしっかりと固めその後ろでディフェンス陣営が固い守備をし両サイドが度々駆け上がってフォワードが鋭いツッコミを見せる。ルーズボールをボランチが広い散らして左右から2度3度と中央に送り込む。これが北朝鮮戦でも出来ていたらあるいは得点の機会もあったんだろーけれど、緊張していたってこともあるし最終ラインが下がって相手にバイタルエリアを与えてしまったってこともあって普段のパフォーマンスを見せられず、痛い敗戦を喫してしまった。その反省から中国女子代表戦では素早いパス回しとフォアチェックで相手陣営に攻め込み幾度となくチャンスを作った。

 とはいえ相手はアテネ五輪のアジア最終予選を決める大会で優勝をした強豪チーム。そんな中国のキーパーのナイスなセーブと、高いディフェンスの壁に阻まれ得点こそ出来なかったけれど、パフォーマンスの凄さは存分に発揮出来ただろー。その攻めの華麗さと酒井選手の走りの質の高さに誰もが驚き感動しただろー。うんうんよしよし。勝てなくっても、勝たなくっても感動を招くことができた。ファンは喜び視聴者も喜び選手も喜び誰もがハッピーになる。これこそがプロの試合だ。プロの興行だ。ちなみに女子サッカー選手は1人として正規の意味でのプロではない。日本のリーグはプロのリーグではない。タダで入れる。それでいて給料をもらい入場料を取って試合をした世界最高峰の選手にできなかったことを、感度を呼ぶことをやってのけた。有り難う。本当に有り難う。次は勝てる。いや、勝てなくっても頑張っている姿が見られさえすればそれで良い。だから安心して最後の韓国戦に臨んでくれたまえ。フジテレビにコラムを書いてる人は取材には行かないで。


【8月2日】 大手町に行ったらサンケイビルの前の広場に象がいた。カルガモの親子が突然発生しては人気者になる街だから象の1頭や2頭が現れたって驚くようなことじゃなのかもしれないけれど、それにしてもあんなに大きな象が地下鉄の何線に乗ってやって来たのかに興味がある。半蔵門線だとあの深いホームからエスカレーターで上がる途中に転げ落ちてしまうから、浅草発の銀座線で上野動物園のある上野駅から乗って赤坂見附で乗り換えて丸の内線でやって来たに違いない。ご苦労様です。

このあと象は子供を引き連れお堀へと帰って行きましたとさ  そんなことはない。象はお堀から沸いて出た訳でもなければ上野動物園から来た訳でもなく市原市にあって「ジェフユナイテッド市原・千葉」と並ぶ名物「市原ぞうの国」からはるばるキャリーカーに乗って大手町へと到来。明日発売になる「ターザン2」のDVDの宣伝役としてパパイヤ鈴木さんを上に乗せ、菊川怜さんを脇に従え大手町のビルの谷間でパオーンと愛想を振りまいてはお昼に出てきたサラリーマンにOLに夏休み中の子供たちの目を一身に集めてた。小さいカルガモも可愛かったけど大きな象もあれでなかなかの可愛さ。可愛いって言葉の含むニュアンスの多義性なんかを思いつつも動物が持つ対人間の心理的な破壊力を強く激しく実感する。象使いになりたかった少年が主人公の「星になった少年」もペンギンが主役の「皇帝ペンギン」もヒットするはずだよまったくもう。

 それにしても偉いぞパパイヤ鈴木さん。象の背中に1度ならず2度まで乗っては自慢の「ターザンポーズ」を決めてゴリラの声優として出演しているDVDを売ろうと体を張ってくれました。どーせだったら菊川怜さんにも象の上にまたがって有史以来、象にまたがったのっとも偏差値の高い女優って称号を確かなものにしてほしかったけど、段差のある場所に上がろうとするだけで奥の白がのぞいてしまいそーなミニスカート姿での到来だったからまたがるなんてとんでもないってことで。ああ残念。そんなイベントのあとしばらく経ってから像は今度は台に乗ったり檻の中を歩き回って子供たちの注目を浴びるイベントにもご出演。昼の日差しが降り注ぐ中でよくぞ頑張ったってところだけどもとがインドだかタイだか暑い地域からの到来だから苦にもならないか。「ターザン2」にインド象の登場がマッチしているかは知らない。

 どーぶつ界最大の象を見たあとは人間界でも最大規模のレブロン・ジェームズ選手を見に「横浜アリーナ」へ。ナイキが実施した中高生とかを集めてバスケットボールを楽しんでもらうところに田臥勇太選手とかレブロン・ジェームズ選手とかが混じって教えるクリニックへの出席がメインだけどついでにマイケル・ジョーダン選手に並ぶ市場性を期待したがっている「レブロン・ジェームズ シグネチャー モデル」のPRも行おうって会見で、しばらく待って登場したジェームズ選手はまだ20歳ってゆー若さなのに聞かれた質問に対して「NBAで成功するには集中力が大事です」とか「バスケットボールがうまくなりたかったらチームで自分の役割は何かを考えよう。それから個人としてどこを伸ばしたら良いかを考えて練習しよう」って優等生みたいな発言をして、ここのところ乱暴者が多くなってるなって感じが強まっていたNBAプレーヤーのイメージを、綺麗さっぱりとしたものに引き戻してくれた。偉いなあ。

シグネチャーモデルも好調でジョーダン二世の称号は彼に決定、か?  まだ19歳なのにイングランド代表としてもマンチェスター・ユナイテッドでも中心選手として活躍して実績もしっかりと残しているウェイン・ルーニー選手といー、同じマンUの中心選手でポルトガル代表としてもなくてはならない存在になってる20歳のクリスチアーノ・ロナウド選手といー、18歳にして世界ランキングのトップクラスで成績を残すマリア・シャラポワ選手といー世界には20歳前後で世界水準の活躍をして世界水準の収入を得ているアスリートが沢山いるってゆーのに、人口1億4000万人でGNPは世界2位の日本から、なぜにティーンにして世界水準のアスリートが誕生したいのか。やはり人種に問題があるのかなあ、身長2メートル3センチで体重も109キロあるのに軽々とジャンプし走るレブロン・ジェームズ選手のよーなアスリートなんて日本には皆無だからなあ。

 否、ことサッカーだったらディエゴ・マラドーナ選手を筆頭に小さくっても巨大なアスリートは山といる。20歳でオランダに渡りフェイエノールトに入団も間近の平山相太選手にはだから、日本代表として活躍したくらいで「現役女子高生フォワード」と散々っぱらテレビで呼ばれまくったり、代表にすら入ってないのに「和製ロナウドの高校生Jリーガー」なんもてはやされているうちに、世界水準になるどころか日本標準の選手になってそのうちに消えてしまうことのないよーに、高い場所を見据えて頑張ってもらって頂きたい。後にできれば続いてくれよ大勢の諸君たち。

 おそるべし不動GEN。どんなコスプレーヤーだって内面をなりきり衣装も作り混んだところで決定的なところでどーしても真似になってしまうところを見た目も完璧に対象に鳴りきって勘の優れたアクエリオンのパイロットたちを欺くんだから凄まじい。なにしろ化けた対象はリーナで美少女で小さくて可愛らしい存在で、そんなリーナに大きくて毛むくじゃらの肢体をそのままに衣装だけ代えて完璧になり切ってしまうんだから怖ろしい。声をかけて珍しくも付き合ってくれたリーナを誘いベッドインしてふと見ると、そこに寝ていたのが不動GENだった恐怖を思って何だか眠れなくなって来た。こんな破天荒なシナリオを説得力たっぷりに見せてしまえるのもこれまでの無限拳等々の積み重ねがあったから、なんだろー。生ける伝説となった感すらある「創聖のアクエリオン」が残る2カ月でどこへと向かい何を導くのか。もー目が離せない。あるいは1部完で2部制作とかってなるのかなあ。

 やってくれるぜジーコジャパン。北朝鮮に苦杯を喫したことへの非難に腹を立てたかそれよりも珍しく長期的な視座から選手層の底上げに力を入れよーと思ったか、明日実施の「東アジア選手権」で先発メンバーを北朝鮮戦から全員入れ替え中国戦に臨む考えを見せたとか。川口能活選手は楢崎正剛選手で良いし使え無さ爆発気味のアレックス選手は村井慎二選手が代わりを務めてそのまま居座るから良いけど、ディフェンスラインで不動の中澤佑二選手とか、活躍ぶりはともかく中盤の要にさせられている小笠原満男選手とかを外すのはなかなかの勇気。すでにメンバーも明らかになってて4バックを茂庭選手に駒野選手に茶野選手に坪井選手がやり阿部今野のボランチでサイドを村井本山でトップを巻に田中達也が入るみたい。だけどせっかくだから3バックで阿部勇樹選手をスイーパーに茶野隆行選手と坪井慶介選手を並べボランチは今野泰之選手酒井與惠選手を入れ、右に本山雅志選手で左に村井選手でトップは巻誠一郎選手と田中達也選手が務めれば実に完璧な布陣が出来そう。トップ下? うーん迷うけどここは意表を突いて沢穂希選手でどーだ。2人違う? 大丈夫バレないって。


【8月1日】 大手町の池から消えたカルガモを追い掛け電話をかけまくり移った先を割り出し見張った警察官を讃える記事を社会面に掲載する一般紙を褒め称える気力はあってもそれを巨大なスペースでもって経済紙に掲載して悦に入る方々を果たして褒め称えるべきなのかと悩む今日この頃ってゆーか毎度お馴染みってゆーか。製品記事発表記事提携記事のひとつひとつが発表企業ライバル企業ユーザー企業に消費者の大きな情報となって流通することが本来的な役割であってそーゆー記事を期待して読んでいる経済紙の読者がカルガモの行方から何を得るのかまるで分からないんだけどそこは長くこの業界に携わってきた人たちのやることだから素人は黙って行く末を見守ろう。それほど長くもなさそーだけど。

 そーか結婚するか南海キャンディーズ。あんまりテレビで見たことはないけど去年あたりからぐんぐんと評判を挙げてきている男女の漫才コンビでとりわけしずちゃんって名前の女子の茫洋としたキャラクターに絶大な人気が集まっているって話で今年の年末に開かれる「オートバックス M−1グランプリ」でも優勝候補の筆頭にあげられているとかいないとか。もっとも男女のペアだからって決して夫婦ではないのが漫才の世界で南海キャンディーズも別に付き合っているとかいったことはなかったけど、人気も高まって来た中でいよいよ身を固めて宮川大介花子とかいった夫婦漫才の系譜にその名を連ねる決意を固めたってことでは……ありません絶対に。

 よーするに年末の「M−1グランプリ」で優勝して1000万円の賞金をもらったらどうする? って記者会見で聞かれて男の方の山里が「結婚します」って大向こうを狙って言ったらそれを拒否するかと思ったしずちゃんが茫洋とした声でもって「けっこんします」と言って既成事実化したってのが真相。事前PRのネタって言ってしまえばそれまでだけど公の場で記者団を前に公約として掲げてしまった以上はもはやその場限りのネタとして収まることはなく、年末までのイベントを盛り上げる機会がある度にこれを惹句に使われイジられることになるんだろー。金屏風もバックに「結婚します」といった、その場面を間近に見られたこれは記念すべき瞬間か。

 ある意味美味しいけれど一方で本来の漫才の内容そのものへの興味を弱まらせることにもなりかねない危険な大ネタ。それを超えて果たしてどれだけの中身を見せてくれるのか、ってところにも注目が集まりそう。会見に出ていた麒麟は同じことを聞かれてたとえ優勝しても栄誉はもらって賞金は南海キャンディーズに渡して結婚させるって言っていて、1位になろーが2位になろーが南キャン絡みのネタは尽きなさそう。一方で優勝できなかったら「解散する」と言い切った麒麟のネタにならない断言の収め所も気になるなあ。ところで南海キャンディーズってどんなネタやんの? マジ見たことないんです。一緒に来ていた麒麟もそれから去年の「M−1」覇者の「アンチャッチャブル」も。実は「笑い飯」すら見たことない僕って遅れてる? ちなみに鳥肌実は5回以上見ています。

 中盤がまるで作れてないところが男子と同じだと思ったサッカー「東アジア選手権」の「日本女子代表vs北朝鮮女子代表」はアジアナンバーワンを誇る北朝鮮が地の利も生かして早いプレスとワイドな展開でもって日本代表を攻め立て日本は防戦一方。クリアしたボールが中盤に収まらず相手に奪われ再び攻撃へと結びつけられ四苦八苦している間にサイドを割られ中に送られそれを巧みなトラップからきめられ先取点を奪われ苦しい展開を余儀なくされる。

 ここで普段の日本代表だったら中盤が左右に捌いてそこに走り込んでいた選手がさらにオーバーラップする選手をパス交換をしつつ開いた場所を斬り込み蹴り込んで人数も足りている中央で叩き込むなりこぼれたボールをひろい蹴り込む、っていった分厚い攻撃が見せられるんだけど男子代表の癖まで移ってしまったのか、足下でもらったボールを足下へと送り込むサッカーになってしまっていて、そんな送り込まれたボールをトラップミスして奪われ逆襲される繰り返しになっていていつまで経ってもリズムを作り出すことができない。

 これが相手が強すぎたからなのかそれとも技術優先で足下でもテクニックでもって買わせるだろうって大橋監督の考えの下でのプレーなのかは不明なんだけど、オーストラリアを相手にした試合ではそれなりに左右の散らしが出来ていたからやっぱりそーゆープレーをさせないよー、中盤でのチェックを速くした北朝鮮が実力どおりに1枚上だったってことなんだろー。そんな相手に徹底した守備でもって攻めさせず奪い返して1点に抑えたところは格上相手の試合にしてはよくやったってことになるのかな。とはいえ同じ低調さを次に見せられてはたまらないので出来ればサイドの駆け上がりを出来る川上直子選手を入れて彼女を使えるよーな攻撃を見せて頂きたいもの。安藤梢選手は得点力はあるんだけどどーも組織プレーに慣れていない雰囲気。丸山佳里奈選手はもっと長い時間見たいなあ、顔もプレーもゆっさゆっさなゆれゆれも。


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