縮刷版2004年5月下旬号


【5月31日】 「AERA」で野村総合研究所がシンクタンクの看板を下ろしかけてるって記事が載ってて某シンクタンク研究員の身分がどーなっているのかを尋ねてみたい今日このごろ。それはさておき「花右京メイド隊」は、新版になってお色気が減ったといろいろ叩かれ煽られ悲惨な状況でのスタートとなったものの、ここに来て微妙なお色気がちょろちょろと出てきて気持ちを擽って毎週を楽しませてくれるよーになった上に、お話の方がどんどんと謎めいて来ていて次もみないとって気にさせてくれて、そんな展開がこの4月に始まった作品でも結構な良作って位置づけへと引っ張り上げてくれたみたい。

 優しくって賢くって慈愛に満ちててひたすら花右京太郎に尽くしてたメイドのトップのマリエルが実は、ほかのキャラクターたちが本音をぶつける場面でもひたすらに「太郎さまのお望み」のことしか言わず言えない存在だったってことがにわかに浮かび上がってきて、しばらく前に見せた焦点の合わない目で太郎を見据えたシーンなんかも思い出されてシリアスな中に恐怖すら覚えさせられる。この辺の展開って前のシリーズでも描かれていたんだったけか。時々しか見てなかったんでそもそもの「花右京メイド隊」がどんな話なのかも知らないんだよね。先週登場したスポーツカーの女性が来週以降に再登場しては結構ど派手なことをしてくれそーな感じもあるんで、どんな大騒動が持ち上がるかも含めて来週の夜もちゃんとこの目で展開を確認しよー。コノエ隊長の活躍にも期待。春スタートのアニメでは好みで実はトップかも。

 久保すげえ。としか良いよーのなかった「アイスランド代表vs日本代表」の試合はマンチェスターのグラウンドがまるで去年の夏に見た女子サッカー「日本代表vsオーストラリア代表」みたく閑散としていて英国人にとって他国のそれもそんなに強くないチームが試合をしたってまるで興味のない、異国どころか異次元の出来事でしかないってことが分かってサッカーを応援するとはどーゆーことなのかを考えさせられる。これを見るとまるで無関係な国どーしの試合でも行ってばんばん応援していた「ワールドカップ2002日韓大会」での日本人の姿が世界基準で異様でありまた素晴らしく見えても不思議はないのかも。日本で「アイスランド代表vsイングランド代表」をやったらきっと超満員になっただろーし。

 それにしてもやっぱり久保すげえ。小野選手から入ったボールをゴール前でかわし近寄ってきたキーパーが触る寸前に浮かしてゴールへと叩き込むセンスの抜群さ、左にフリーで開いて小野選手のロングパスを呼び込み受け取ったら間髪入れずにシュートで放り込む素早さとそれから冷静さにただただ感動。かつても今も日本代表にこんなすっげえフォワードが存在したのかな。あとやっぱり小野すげえ。フリーになってる選手を見つけてボランチの位置から前線へとピンポイントに近い精度で放り込めるのは訓練の賜か。そんな彼らの間に入った背番号10番の彼が次にいったいどーなるのかにちょっとだけ興味。こねくり回しがいつしかキケンなシュートを打つ男へと成長しているのかいないのか。それとも腐ってイジけて髪を手でくるくるやっているのか。イングランド戦とそして本番のアジア最終予選のインド戦で観察だ。

 坂口尚のような福山庸治のような田森庸介のような諸星大二郎のような小田ひで次のようなあびゅうきょのような山本直樹のような不条理で不可思議な世界を筆致は込み入っていても語り口としては淡々と、けれども捻りと奥深さを持ったストーリーでもってつづったエピソードを重ねていく連作を何でも超久しぶりにまとめたらしー五十嵐大介さんの「はなしっぱなし」(河出書房新社、上下各1100円)を手にとってつらりつらりと眺めてああこれはさっき挙げた漫画家の人たちを思い出させられるのと同時に、杉浦日向子さんの「百物語」を今風にした世界観とか語り口に近いかもって考えさせられる。行商人のおばあさんが売りに来た人形が不気味だったんで裏のどぶ川に捨ててしまう話、あの杉浦さんのタッチで江戸時代風の絵になってても立派に通用するからね。

 老いたカエルが子供に目玉を貸してくれと言うエピソードとかも「百物語」風。そんな不思議でふわふわとした感じを今の時代にあてはめさっきあげたよーな玄人受けする先人たちの雰囲気を持って描かれた作品が95年とかそんな時代に講談社で出ていたと今さらながらに知って驚き、そんな作品を忘れもせずに今に蘇らせる、それも描き下ろしの作品を加えて大判で上下2巻で出してしまう大盤振る舞いを見せる河出書房新社の英断ぶり太っ腹ぶりにも心よりの謝意を送りたくなる。このテイストだったらかつて福山さんも坂口さんも作品を寄せてた「SFマガジン」に毎号、短編を描いてもまるで遜色はなさそーだけどさてはて、この時代から7年とか経ってる五十嵐さんの絵って今はどーなっているんだろー。描き下ろしの作品を見てもあんまり変わってないっぽいけどでもちょっと、記号化が進んでる気もしないでもないし。とにかく異色にして正統なファンタジー漫画の集大成。昼飯抜いても買って保存だ。

【5月30日】 ベルトをゆるめたジーンズの中に手を入れたザジ・ザ・ビーストが、支配蟲をいったいどこに仕舞っていてどこから引っ張り出したのかを知りたい今日この頃、なんてカマトトぶってみたのはそれとして「ヤングキングアワーズ」2004年7月号の「トライガンマキシマム」は6月号で真っ二つにされていたザジがどーやって真っ二つにされたかまでが描かれてあって復活を遂げたレガート・ブルーサマーズの最初に登場してバッシュ・ザ・スタンピードを震えさせた時以来になろーかってゆー凄みが存分に発揮されていて、これがやがてバッシュと出会ってどんな戦いを見せてくれるのかと今から先行きが楽しみ。だけどそれまでにだいたいあと1年はかかるのかな。2年かかったりして。

 けどまだ「ヘルシング」でアーカードが帰還を果たして「最後の大隊」の面々とロンドンを舞台にバトルを繰り広げ始める時が来るよりは早い可能性が高いかも。ベルナドットを喰らったセラスがメロンよりスイカより巨大な双球を張り出し震わせながら突っ走り敵を粉砕していく場面がたったの8ページしか描かれていなくってその間に倒した敵兵は1人? それとも何人かまとめているかもしれないけれどそれでも数人ってところで傭兵軍団を圧倒した彼らを全員退けるまでだと100人としたら1年2年じゃきかなさそー。アーカードが現れれば瞬殺だろーからこれからどーなるかを知りたい身として早いアーカードのロンドン帰投を願おー。けどいまいったいどこにいるんだアーカード。ってか一体もー何年見ていないんだアーカード。

 「ジオブリーダーズ」。そろそろサヨナラか桜木高見。「ワイルド7 魔像の十字路」だと真っ先にいなくなった八百の役回りを担わされるのか。「救急車、おせえなあ」に並ぶ名セリフを期待……してはいけないんだけど……どーなるんだろ。後書きで伊藤明弘さん。「周囲の本屋とCD屋がガンガン潰れていく」とコメント。綾金でそーなのか。景気は良いと思っていたのに。「エクセルサーガ」。表紙でメロンくらいのは見せてくれてるエクセルは本編には出ず代わりに岬が五条と逢い引き、している訳じゃないけど勘違いした連歌屋が呆然として滂沱となってちょっぴり可哀想。「にぶい子ね」。ごもっとも。「朝霧の巫女」。なんだかとってもシビアでシリアス。巫女委員会の明るいノリはいま何処へ。

 日曜出勤をしていたら丸石自転車が日曜日なのに会見とのことで東京証券取引所へカメラマン代わりに出向く。増資したはずの金が消えてしまって6月の持ち株会社の上場が延期になった件でどーゆー状況だったのかを説明する会見かと思ったらこれが大違い。まあ裏表の関係ではあるんだろーけどとりあえず会見は逃亡しているらしー前の社長が、どっかの会社を窓口に仕掛けていた健康関連事業でその会社に渡していた金が総額で70数億円とかに登ってあらかじめ設定していた枠をオーバーしている上に、渡った金のほとんどがどこかに消えてしまているらしーことが、この前に就任したばかりの新しい社長から明かされにわかに相当に裏があって奧も深い経済事件的な空気が浮かんで来た。

 その場で明かされた前の社長がお金を渡していた相手が鹿児島県国分市にある会社で、実態があるのかとゆーととりあえずはミネラルウォーターを発売している会社だそーで、それだけの会社に数十億円も渡してセカンドライフを送るための施設を作らせるってことだけでも不思議だけどあるいはそっち方面でそれなりな実績を残しているのかもしれないと、その場では思って帰って調べてみると東京事務所の所在地がしばらく前から丸石自転車の株を大推奨して話題にして来た相場師集団と同じ所在地で仰天。そこから浮かぶのは相場師として買い推奨してあおって株価をつり上げ増資をさせて金を集めてそれを鹿児島県の会社経由で掴んでドロンってゆー構図だけど、ネットで調べればすぐに分かるよーな構図で何十億円の金が消えてしまうほど甘い世界なのかって疑問も浮かんではっきりしない。

 さらに辿れば鹿児島県にある会社の代表として丸石自転車から前社長ともども特別背任の可能性ありってことで告発されよーとしている人が、これまた政治系の団体の南九州支部代表しているらしくってこの政治系の団体が過去にいろいろあって、威力業務妨害で逮捕者も出したことがあるから怪しさ抜群。なおかつ、委員会と関連したあるNGOがあってそこには政治家が何人も絡んでいたりするとゆー香ばしさで、これからすれば70数億円を健康事業とゆー名目で突っ込み突っ込んだ前社長も突っ込まれた相手先企業の代表も、ともに裏でうごめくブラックホールへと金を流し込む末端の蛇口程度の役所でしかないんじゃないかと思えてくる。

 だとするとどーしてそこまでアブナイ橋を渡って70数億円とかを突っ込む羽目になったのか、って所で疑問が湧くけど逃亡中で真相は不明。あるいは永遠に不明になる可能性なんかも想像できて空恐ろしくなる。消えた何十億円の行方を辿ればその先に広がっているのはもしかすると巨大な疑獄事件だったりするのかな。ちょっとドキドキ。住友銀行の磯田一郎頭取が退任した会見とか証券不祥事で時の証券界のドン、田淵節也に田淵義久の大タブチ子タブチが退任した会見に居合わせた時以来の経済事件の”現場”にいられたと、20年後に自慢できる経験に果たしてなるのかならないのか。司直の追求を期して待とう。司直だから追求しない可能性もあるけどね。

 それにしてもなぜに舞台が丸石自転車? ただの中堅自転車メーカーでその昔は「エンペラー」ってシリーズが中級くらいにあってランドナーの出来に結構憧れたものだったんだけど、マウンテンバイクが流行り始めた辺りから台湾とかアメリカとかいった海外のメーカーのが幅をきかせるよーになって日本のそーしたロード系の自転車にあんまり関心が向かなくなっているうちにこんなことになっていたなんで。宮田工業にナショナル自転車にブリジストンサイクルはそれでもそれなりな地位を保っているからやっぱり時代に乗れなかったってことなのかな。そんな焦りにつけ込まれたのかな。会見でまるで状況を把握できなかったことを吐露していた今の社長の人にこれから先、状況を打開するよーな画期的な経営が果たして出来るるのかって心配もこれありでそれも含めて成り行きが気になる所。開いたパンドラの箱から何が出てくるかを観察してみよー。今も「エンペラー」ってあるのかな。


【5月29日】 つまりサトエリはグラビアだと笑ってはイケナイってことでこれがあのぶりんぶりんあボディをぶるんぶるんとさせつつ素っ頓狂な声でもって喋りまくる映画だったらもーばっちりにカワイかったりするのだと初日だった映画「キューティーハニー」を見て実感。お風呂シーンからエサ、じゃなかったエネルギーが足りないと商店街を下着姿で疾走する”パンモロ”シーンへとつながるオープニングで目玉はスクリーンにもー釘付け。朝1番でかけつけたこともあってスクリーンのほぼ真正面から巨大なサトエリがパンツいっちょブラ1本で駆けてくる姿にこのままこのシーンだけで2時間が過ぎてくれても僕は全然構わない、むしろ是非にそーしてくれと振り向いて映写技師にお願いしたくなる。作らないかなそんなフィルム。

 でもって例の「うみほたる」での爆裂シーンへと続いて戦闘員の圧倒的にスタイリッシュで格好良い登場があり初代「キューティーハニー」のテイストを今風に見事に再現してくれているアニメ混じりのオープニングがあり片桐はいりさん超熱演のゴールド・クローとの戦闘がありその後のスペクタクルがあったりして、掴みの何10分かで映画のほんとどを見た気になっていたらある意味映画のほとんどだったのに後で気が付いた。つまりはアニメ的な演出のほどこされた戦闘シーンがここくらいだったってことで全編がこれ、迫力のバトルで埋め尽くされて目にもの見せてくれる映画って思い込んでいた頭をちょっと外された気がした。

 ってもそれは肩すかしではあってもがっかりではなくってそれとは別の、たった1人で記憶も曖昧な中でただ父親の敵を倒したいってゆー想いだけを持って一途に戦って来た心優しく純粋な女性が、やっぱりたった1人でプライドのために肩肘をはって仕事に生きてきた女性と出会ってお互いに、反発しながらも理解を深めて新しい生を進んでいく気持ちを持つよーになるドラマがちゃんと描かれてあって、圧巻のビジュアルの向こう側に流れるそんなドラマにいつしか気持ちを惹かれて最後までスクリーンを眺め続け耳をセリフに傾け続けることができた。コバルト・クローを倒すシーンでハニーが見せるど根性。全編がお笑いとズラしに溢れたコメディだと想って見に行くと絶対に驚くね。

 冒頭で圧巻のバトルを見せてくれたゴールド・クローとの再戦がなかったのはつまり段取り的な関係? 1人ひとりの大幹部を相手に戦うドラマを描いていたら5時間はかかってしまうから仕方がないか。それにしても圧倒的に強いはずの大幹部たちが割にあっけなく倒されていくのも意外とゆーかこれまた肩すかしとうーか。必殺技「口からバズーカ」(違う!)をひっさげ登場したピョコラ様、ではなくスカーレット・クローもなあ、あれだったらでじこの方が強いぞ、きっと。期待していたブラック・クローは回転しながら飛んでる姿が究極超人なR・田中一郎みたいでした、ってかこの漫画時代が特撮パロディみたいなものだからどっかにモトネタがあるのかも。アニメ版だったらブラック・クローは塩沢兼人さんに声をあてて欲しかったなあ。

 「デルプラドコレクション」の発表会で流された映画のダイジェストにも出てきてこれはすげーアングルだと感動した、サトエリがお尻からフロントガラスの上へと落ちてウィンドーを割って中のドライバーにガラス越しに大股開きで「ごめんなさーい」とやるシーンはなるほどあそこにあったか。角川書店から出ているムック「ハニースタイル キューティーハニー・ザ・ムービー コンプリートブック」(880円)によるとスタントでは割れなかったガラスがサトエリのハニーだとなぜか割れて当人、体重が問題だと悩んでいたとか。でも割れて迫力も出たんで怪我の功名って奴か。ちなみに中に乗っているのは永井豪さん本人。怪我したら大変だったけどサトエリのお尻に踏みつぶされての怪我なら僕なら本望だ。カメオ出演だとあとしりあがり寿さんが廊下を歩いていて吃驚。「流星課長」のつながりか。

 しかし女性陣が目立ってはいるけど男性陣もなかなかの頑張りっぷり。実はもしかしたらカラー級クローの面々よりも強かったかもしれないシスター・ジルの執事役の手塚とおるさんは最後まで雰囲気を崩さずに”執事”っぷりを見せてくれたし係長の松尾スズキさんもその係長っぷりを存分に演じて見せてくれていた。いや松尾さんの場合はその雰囲気がまんま中間管理職系だから地がまんま出たってことか。

 それよりやっぱり村上淳さんの早見青児が最高絶好調。全編が漫画テイストってこともあってか誰もが突飛な演技をしてそれが浮くことはなくストーリーに馴染んでいるけれど、早見青児の場合はそんな登場人物たちに輪をかけて漫画的な演技が要求されている訳で、気障で軽薄で剽軽ながらも裏のある役柄を村上さん、漫画的なセリフにポーズを完璧にキメていた。「○○なのさっ」ってセリフとポーズ、日常で使えばコロされかねない気障ったらしさだけどこれが「キューティーハニー」の中で早見青児の口と体から出ると、不思議と違和感もなければ不快感もないんだよね。これが村上さんの演技力による者かそれとも全体の演出との相乗効果によるものなのかは今後の村上さんの活動から判断しよー。それにしてもミッチーは「少女革命ウテナ」に出ても「キャシャーン」に出ても「キューティーハニー」に出てもミッチーでした。これもある意味凄いかも。

 あの屈辱から約2カ月。放映されなかった「R.O.D The TV」の21話以降をDVDで確認したけど案外に話が進んでなくってテレビで見たらきっと鬱な気分を3週間、引きずっただろーから見ないでDVDでまとめ見して正解だったかも。けど3倍増しの鬱を最終巻が出る来月まで1カ月引きずる方が余計に悲惨か。アニタの出自が謎だった以上に紙使い3姉妹のミシェールとマギーも結構残酷な秘密があってそれが明らかになって心にズンと来る。クリスマスでのエピソードでの心温まる描写があってのこの展開。ちゃぶ台ひっくり返された気分でちゃぶ台ひっくり返したくなったけどそれでもきっと今再びに、クリスマスの時のよーな結束を取り戻し明るく楽しい姉妹の姿を最終回へと向かう中で見せてくれると信じたい。ウェンディーはしかしどーしてあんなにヤサグレてしまったんだ。いろいろあったのよ。女のいろいろって何なんだ。


【5月28日】 道化であり神。それが村上隆なのだ。小山登美夫ギャラリーで2004年5月24日から始まった「村上隆展『サトエリKo2ちゃん」』を見て日本では、おそらく多くの人がその活動ぶりを嘲笑したくなるに違いない。曰く「なにがアートなんだ」「サトエリのコスプレじゃないか」「またまた他人の褌で相撲をとってる」等々。なるほどギャラリーに掲げられた佐藤江梨子にさまざまな扮装をさせた写真作品を見れば、そう思いたくなる人が大勢出ても不思議はない。

 かつて「プロジェクトKo2」というものがあってそれは、村上隆が日本で独特の発展を遂げたアニメ絵美少女を3次元の人形に立体化してみせる「ガレージキット」に驚きつつもその技術と、そーしたものにファンがついて取引されている状況を取り入れこれをアートの分野へと引っ張れないかというもので、そーしたアプローチを面白がったガレージキットの側からも参加者を得てプロジェクトは進行し、やがてオタク文化とアート文化のラインが結節する場所に、3段階変形美少女フィギュアとゆー完成形を見た。

 もっとも当時はオタクはオタクで虐げられ、村上は村上でアート界にもメディアの中にも認知している人はそれほどおらず、どこか世界の片隅で繰り広げられている出来事と捉えられていた節があったが、これが一変するのが例のクリスティーズでの6500万円落札事件。海外で認められたアーティストとして逆輸入された話題からその後は、為すことすることのすべてが有名アーティストのお墨付き的なアート活動として認知されるに至った。

 けれどもメディアが煽ったブームの怖いところはそれがブームだから盛り上がっているということ。いったん躓けば、あるいはブームが下火になれば上へと向かっていたベクトルの矢印は縮み、水平方向へと伸びやがて下へと向かって伸びていくことになる。話題の「六本木ヒルズ」のキャラクターをデザインしたまでは良かったが、玩具菓子につけたおまけをアートと言い張り、アートずれした人を喜ばせた一方で「それはちょっと言い過ぎなのでは」とささやかな疑問を招き、また度重なる露出が見ている人たちに満腹感を覚えさせてしまっていた。そしてサトエリのコスプレ写真へとたどり着く。

 村上隆に佐藤江梨子。ネームバリューはそれぞれにそれなりのものがある2人が組んで何かをする。そのこと事態は悪くはない。が、方法がちょっとマズかった。かつて手掛けた「プロジェクトKo2」で制作したフィギュアそのままの扮装とポーズをサトエリにとらせて写真に撮るとゆーコンセプト。それは村上隆にとって「Ko2ちゃん」とゆーキャラクターに生身の人間のそれも有名人を起用し、アニメとゆー架空の存在が立体化し、実体化してしまった等身大フィギュアに実在する人間をあてはめ、これを写真とゆー架空の世界へと落とし込むタクラミによって、現実と架空の垣根をゆさぶりリアルとバーチャルの狭間に人間を叩き込んで惑わせよーとするものだったと想像できる。

 けれども現実、「Ko2ちゃん」の格好をして台に立つサトエリを撮った写真を日本人が見て覚えるのは「イメクラ?」といった感情だろう。コスプレを見慣れていない目に奇矯な格好をして台に立つサトエリはひたすらにグロテスクで、美や媚を覚えながらも一方で猥雑さを感じて目をそむけたくなる。サトエリとゆーモデル自身にも問題があって真摯な表情をした時の彼女は知性とクールさをはちきれんばかりの肉体に秘めた美の象徴となるのだが、笑って頬を引き上げると決して筋が通っているとは言えない鼻の横に、ふくらんだ頬が並んでクールさとは正反対の純朴さを醸し出してしまう。それがウェイトレスだかナースだか、悪魔だかの格好をして立っている。場末のイメクララの看板かと思い引いてしまう人も多いだろう。

 同じ会場にはかつて村上隆が仕掛けたBOME原型による「Ko2ちゃん」とそして新作の「ナースKo2ちゃん」のフィギュアも展示されているのだが、これらがとにかく素晴らしい。姿態に表情にポーズに色彩のどれもが完璧で一分一毛の隙もなく、これぞ日本が誇る美少女フィギュアといった凄味を秘めつつ場内に輝きを放っている。これを見て壁に貼られたサトエリのコスプレ写真を見た時に、隅々まで突き詰められた人造の美を前にしていかなサトエリでも及ばない事実を突きつけられる。埋もれた首。ゆるんだ大腿部。単独で見れば、目の当たりにすれば究極と思えた天然の美の至らない部分が次々に浮かび上がる。

 そんな作品を「アート」と言い張り「メジャーと組んでアートをメジャーにする」と言い張った時、返ってくるのは「これのどこがアートだ」といった率直な反応だ。サトエリに不細工な扮装をさせて撮ったイメクラ嬢のポートレートがまずアートには見えず、それをアートと言い張る男の滑稽さに苦笑が沸き立つことだろう。サトエリとゆー存在を存分に知り、イメクラといった風俗への知識があり、メディアで持てはやされ続けてきた村上隆の舞い上がり方を見てきた日本人の目にはもはや驚きや新鮮さは浮かばない。滑稽さ。可笑しさ。彼を道化といったのはそういうことだ。

 しかし、これが外国に持って行かれた時にはまるで評価が違ってくる可能性がとても高い。アニメとゆー素材を立体化してなおかつ等身大にしてみせよーとするコンセプト。その行為自体をアートと理解し評価し、6500万円なりの値段をつけて取引している外国の「アートシーン」においてはそれが場末のイメクラ的なポーズ写真に見えても、またモデルが日本でも屈指のタレントであっても、なおかつそのタレントが美のミューズと呼ぶにはいささか外れた表情をしていたとしても、まるで関係のないことだったりする。

 「あのムラカミがアニメをフィギュア化したコンセプトを逆にたどって人間をアニメフィギュア化して写真に収めた」と理解しそこに日本で独特に発達した「コスプレ」とゆー文化も盛り込まれていることを認識し、「なるほどアートだ」と考えられ購入されていく。彼のなすことを知覚し理解に務めて認知することを至福と任じる外国のアートシーンにおいてもはや村上隆は神なのだ。国内でいくら道化と嘲笑されても関係ない。そうした嘲笑を超えたところに広がる世界に向かって村上隆は作品を作っているのだ。サトエリ起用は国内向けにおどけてみせただけ。それで騒ぐ輩は目先足下しか見ていない。本当の事は別にある。行こう。小山登美夫ギャラリーに。見よう。村上隆の見ている遠くを

 なんつって。「村上隆展『サトエリKo2ちゃん』」を肯定するためのロジックってのとをあれこれ考えて見たけど本当にこーいったタクラミが背後にあるのか正直不明。単にやっぱり有名人好きで話題性優先なマインドが生んだパフォーマンスかもしれない。もっとも新聞なんかで話題になっていた割には夕方のギャラリーに人影はなく、言うほどあんまり村上隆さん、メジャーなんかじゃないのかもって思えてしまった。もっともすでにめぼしい作品は売れてしまっていたからやっぱり、特定シーンにおける人気はしっかりと持っているのかも。

 ちなみにサトエリが笑うとあんまり綺麗じゃなくなるのは前に「デルプラドコレクション」の会見で登場した時に、笑顔の写真を何枚か撮っていざ出そーとした時にあんまりサトエリっぽくないって思って以来ずっと抱いたことで、それが改めて確認できたこともあってパネルを見ていてあんまりグッとは来なかった。報道でなんか寸足らずって思えた首の部分も実際に見て再確認。フィギュアだと最高のバランスで作れても人間だとやっぱり限界があって巨大なバストの上にそのまま、丸い顔が乗ってる感じで目にノイズを感じさせた。デジタルで修正するってことは考えなかったのかな。笑っていない表情をしたナースの写真は格好のデザインの良さもあってベストな出来。これ見るだけでも行く価値はありそーだけど、でもBOMEさんの原型がさらに良い出来で人間はやっぱりダメでフィギュアはやっぱり最高と、バーチャルな恋路を確認する人が出ても僕は知りません。僕自身がそーだったんで。


【5月27日】 ナチュラルが基本の「徹底頭論」には登場していなかった枡野浩一さんによると「あたかも」はだれかの持ちネタらしくそれなりに以前から使われているそーだからそれがあるいは伝わって広まって神足裕司さんの所にまで流れて来たのかも。芸能の分野で使われているなら佐々木勝俊さんだって知っていそーだけど寄席で地回りで活動している芸人さんだといくらテレビ業界にいたって知らないこともあるんで詳細は不明。その持ちネタが「日本語の試験」と同じ例文なのかも不明なんで機会があったら調べてみよー。ちなみにこれに関する文章を枡野さんは毎日新聞社から出ている「日本ゴロン」に書いているのでこちらも確認、って買ったはずなのに当然ながら家のどこかにいってしまって出てこない。困ったこまった。

 髯のおっさんが表紙よりはサトエリの、それもフラッシュした後のハニーが表紙の方が店頭で目立って良いかもしれないし映画公開直前ってことでタイミングもばっちりかもしれないと見てまず感じたけれど「総特集 庵野秀明」っ(「KAWADE夢ムック」、河出書房新社、1143円)は、開ければちゃんと庵野さんの写真があってこれは原宿だか千駄ヶ谷のビクターのスタジオ前の交差点? で撮られた庵野さんの写真に庵野さんが撮ったサトエリ佐藤江梨子さんの某アートとはまるで違って肉感質感躍動感もどんぴしゃなコスプレ写真があってこのまま本にまとめて欲しいを真剣に思った摩砂雪さんによる初期のプロモーション用絵コンテがあってと掴みは十分。

 あとはインタビューに関係者へのインタビューに「キューティーハニー」を見た人たちのコラムに「ハニー」以外の庵野作品に関する評論と過不足なく盛り込まれていて映画の関連本でありながらもこれまでの庵野さんを振り返って今につなげて考えることができる。目玉は安野モヨコさんへのインタビューかな、前にもテレビの「情熱大陸」でちょろっと喋ってはいたけどこれだけ、庵野さんについて喋ったのはあんまり読んだことがなくって、身近にいて同じクリエーターだけどジャンルは違うし作り出すものの雰囲気もまるで違う2人がどーしていっしょにいられるのか、ってあたりが伺えて興味深い。

 たとえばお互いに共通している部分。エッジなことをやって分野を切り開いてスタイルを作ってもそれを後から来た人たちが大予算とかネームバリューでまくって「同じようなやつを簡単に作」ってしまうってことにお互いが憤っている部分。ノロけとは違うし依存でもない”認め合ってる”ってことが大切なんだって痛感させられる。何にも出すものがない僕ではハナっから勝負にならないってこった。人気ヤングアダルト作家のヒモへの道、潰える。

 あと興味深かったのは庵野さんの取材好きが安野さんの作品へも影響して来てるって辺り。若い時代は感性ですっ飛ばしていても時代が立てば「簡単にマネを」する次の人が出て来るよーになってそれから、持っていた引き出しもすっからかんになってなかなかに苦労するものでそれでも経験と感性にこだわっていて、置いていかれることになりかねないけどそんな時期に取材を厭わなくなったことで、リアルさを出して作家の感性以外の部分で共感を抱ける人たちを呼び寄せて、より幅や深さや広さや大きさを持った作品なり作家へと進んでいけたってことになるのかな。「働きマン」とか読んでないから分からないけどこー聞くとちょっと読んでみたくなる。逆に庵野監督への影響はあったのかな。

 滝本竜彦さんとの対談は滝本さんが98%ファンモード。そんな中で出てきた「『エヴァ』は、オタクは恥ずかしいものなんだ、というのが実はテーマのひとつだったんですけど、大きくなりすぎて見えなくなった」って庵野さんのコメントは、あのブームの中でオタクはスタイリッシュで最先端でビジネス的にも最高峰なんだって勘違いした人が大勢出てしまった挙げ句に、「コンテンツ立国」とかいった、上っ面だけの政策が出てきてそこに業界の大立て者とか役人とかが集まってきては政治して経済している今の状況を見るに付け、とっても皮肉に思えてくる。

 「エヴァ」以降も何本も良いものが出てきたからブームはブームとして有り難かったけど、そんなブームを”永遠に独り占め”しよーとした偉い人たちによって妙な規制とかが保護の名目の下によって作られつつあるから困ったもの。これだったらアングラでひっそり虐げられながらも楽しんでいた時代が良かったよ、ってことにやっぱりなってしまうのか、なんてことを昼間のゲーム業界のパーティーで歓談する経済産業省の偉い人とレコード業界の超偉い人と出版界やら映画界やらヤングアダルト小説界やらを又にかける凄い人にゲーム業界の偉い人の姿を見ながら思ったり。ムックではあと藤津亮太さんが評論を寄稿。ムズかしいことを言ってるけれど差し込まれたアスカの甲板でのパンチラ寸止め画像がナイスなタイミングで読者を興奮と忘我の境地に誘ってくれます。


【5月26日】 「ある中国人が日本語の試験で『あたかも』というフレーズを入れて文を作りなさいという問題で『冷蔵庫に牛乳があたかも』って書いたという」。そんなうわさ話が一部で流行っているらしいと神足裕司さんが「徹底頭論」で紹介して「あれ、佐々木さんでしょう?」って聞いている。佐々木さんとは放送作家の佐々木勝俊さんで「タモリ倶楽部」とか「HEY! HEY! HEY!」とか有名番組を幾つも手がけている人で「タモリ倶楽部」なんかだとよく本人も出演している頭の禿たおっさんで、そのお茶目さから妙なうわさ話が業界で出てくるたびに神足さんは佐々木さんが作っているんじゃないかと思ってるそーだけど答えて佐々木さん、「いやあ、それは違いますね」。けど「外国人のジェスチャークイズで『私のおばあちゃんは従軍慰安婦でした』という問題は確かに作りましたけど」なんてホントか嘘か分からないことを言ってて(こんな問題が通るはずないじゃん)案外に、業界で流通しているブラックなネタの多くを佐々木さんが作って「こんな話聞いたんだけど」って流してそー。恐るべしTV業界。驚くべし佐々木勝俊。禿げた頭から今日も黒い噂が流れ出す。

 そんな「徹底頭論」は神足さんとゲストの対談集だけど神足さんがコータリさんなら対談相手はお尻評論の山田五郎教授に「泉昌之」の半分の久住昌之さんに扶桑社の杉田淳さんに日蓮宗僧侶で著作も多い上杉清文さんてゆー、写真を並べれば一目瞭然の”輝ける”人たち。「頭論」とはつまり頭の中身についての討論ではなく頭の外側について「わたしたちはいかにして輝きを共にしたか」ってなことを語り合った本で読めばなるほどな言葉たちに「ぼくは輝いていて良いんだ」って思えて……来る……よーな気が……したのかしないのか。したよーに思えるんだけど次の瞬間に「でもあったらもしかして」って思いも交錯するからまだまだ達観できてない。会議に遅れて行って入るなり「ハゲで悪かったね」って言って場を支配するだけの割り切りが早く欲しい。そのためにはやっぱり坊主にするしかないのかな。バリカン買おうかな。中島信也さんも使ってるらしー防水タイプのパナソニックの電バリを。

 ちなみに「日本語の試験」はそれなりに有名なうわさ話みたいで2、3年前くらいから出回っているよーで、ネットであちらこちらを当たると「どんより」を使った短文で「僕はうどんよりそばが好きだ」、「もし〜なら」を使った短文で「もしもし奈良県の人ですか?」って答えが出てきたって話がセットになって出回っているけど、他の問題と解答はどれも読みをあてはめただけで日本人でも言葉を知らないとやってしまいそーな間違いで、「あたかも」みたいに中国人の中国人っぽさをあげつらった感じの答えがないのが気になるところ。ブラックな奴だけ最初に出来て後でいろいろ付け加わって来たのかな。新作とか出て来てないのかな。

 そんな少ない頭髪も天を衝きそーな今日この頃。理由は謎だけど例えて言うなら大手自動車メーカーの傘下にあるトラックメーカーで自動車メーカーから送り込まれた社長がやりたいほーだいをやって例えば、ボンネットに自分の顔写真を張り付けたり大量に買ってくれたお客さんの名前をドアに刻んだりして一部は喜ばせても普通に買ってるお客さんは呆れ嫌がって敬遠するよーになって売り上げは大幅にダウンしたけど社長はならばと余計に顔を張り名前を刻み、それを取締役も現場の責任者の本部長も止めさせるどころか一緒になってもり立てて来たって歴史的な背景がまずある。

 でもってさすがにそれでは売れるはずもなく潰れそーになってよーやく思い腰をあげた自動車メーカーがトラックメーカーの社長に引いてもらって自分のところから人を送り込んだのは良いものの、今度はそこが質実剛健をのみ求められるトラックメーカーであるにも関わらず、オシャレが良いとボディをピンクに塗ったりシートを花柄にしたりと微妙なセンスでトラックを大改装するマーケティング無視のフルモデルチェンジを実施してはみたものの、身内にはウケても普通に売れるはずもない上にさらに自動車メーカーの偉い人のつぶやきを間に受けてボディにラーメン模様を描いたり、ドアに電子式のロックをつけたりと目立っても本当に求められているのかはっきりとしないマイナーチェンジを頻繁に繰り返しては製造ラインの人たちを疲れさせ呆れさせる。

 あまつさえそんな状況へとトラックメーカーが向かうきっかけになった、先代社長のやれボンネットに顔写真を入れろ、ボディに得意先の名を刻めといった”致命傷”となった命令に反対せず諾々と従って会社を傾かせた上に、新体制下でも残って今度はピンクだ花柄だってモデルチェンジマイナーチェンジをやっぱり止めもせず逆に旗を振っている人たちがそのポジションをしばらくは安泰なものにさせたって事実を目の当たりにして、果たしてトラックメーカーの製造ラインに立つ人たちにやる気は出るのか、ってことになる。去年までは親会社と同じ水準だった給料にも差が付けられ、文句を言えば「それはお前達が働かないからだ責任はお前達にあるんだ」と返される始末で考えれば売れないと分かる顔写真入りに花柄にピンクの作らせた人はなおもその立場で中華模様に電子仕様のお洒落な(お洒落か?)を作らせるよーとする。大丈夫かこのメーカー。ホントよくやってるよ製造ラインの工員たち。三菱ふそうの事なんて非難している場合じゃない。財閥じゃない分未来はもっと暗いぞ。

 とか企業と経営について考えながら寝て起きて見た「チャンピオンズリーグ」の「ASモナコFCvsFCポルト」はモナコから前半に右の核となるジュリが消え、左の核のロテンが止められリズムを崩しキレのある突破も素早い判断からの正確なクロスもなりを顰めて攻撃できないうちに、反撃をくらう展開となってやがて1点、また1点と積み重ねられて最終的に3対0の得点差でポルト圧勝のうちに終了。コーナーキックやフリーキックではロテン選手、それでも早くて鋭いボールを蹴り込んでいたから決して調子が悪かったって訳でもなさそーで、そこを核と見て抑え続けたポルトの守備陣の仕事ぶりと、好機を逃さずカウンターに出て正確に素早くつないで得点へと結びつけるポルトの攻撃陣の冴えがモナコのそれを上回ったってことなんだろー。おめでとうポルト。

 これで今年はまだあるらしー「トヨタカップ」にはポルトが登場の予定で選手の多くが抜けてしまって様変わりするモナコよりは、「チャンピオンズリーグ」そのままのチームが来てくれることになりそー。印象は地味だけどあれでなかなか味のあって素早い試合を見せてくれると期待しよー。凄かったなー1点目。こぼれたところをダイレクトにボレーでゴールマウスにピタリ、だもんなー。南米からはどこが出るのか分からないけど南米に近い人たちってことで年末には日本では珍しい”南米サッカー”の饗宴が繰り広げられることになるのかな。頑張ってチケットを取って行って応援しよー。でもってゴール裏で唄おー。「俺達の名古屋、恐れること無いさ、さあ前を向いて行こう」って。だって聞こえたじゃん、テレビから。それにしてもみんな見ているこの番組に、どーして「せーろん新聞」はCMをしつこく流しても「オサレ経済紙」はCMを流さないんだ?


【5月25日】 サッカー雑誌でいくら女子サッカーの素晴らしさを喧伝したところでそれは同じ思いを共有してきた人に対する確認でしかありえず例え表紙になったとしても届く範囲は残念だけどそれほど大きくない。良かったね大変だったねで留まってしまってけれどもそれが女子サッカーを精神的だけじゃない金銭的に盛り上げて以降って方向には行きにくい。だから電通が出している週刊のメディア業界情報紙「電通報」2004年5月24日号の最終面「文化」で大住良之さんが「日本女子サッカー、苦渋と栄光」って書いてくれているのを見て、大勢の企業関係者やメディア関係者の目に届くメディアでの露出がもたらす、かもしれない精神的以上の影響に期待してしまう。

 文章は女子サッカーが五輪種目になった経緯を枕に女子サッカーの歴史を振り返りLリーグの隆盛からプロリーグとしての衰退を辿った上で「選手たちはアルバイトをして生計を立てながらサッカーに取り組む形になった」って現在の苦境を紹介。そしてあの感動のアテネ五輪予選北朝鮮戦で選手たちが見せたパフォーマンスの凄さ、五輪でのメダルの可能性を訴えてくれている。

 女子サッカーをずっと見てきた人なら今さらな内容かもしれないけれど今までまるで女子サッカーを知らずかろーじて五輪予選後のメディアフィーバーで見知った人にはなるほどそーだったのかと思える文章で、書く媒体の読む読者にあわせた内容面の塩梅に感心しつつもこれを読んだ人がなるほどメダルに期待が持てるか、そんなに素晴らしいチームなのか、けれども苦労しているのか、だったら何とかしてあげよーなんてスポンサーになってチームを支えたり、選手たちを選手としてベターな条件で雇用したりしてくれる企業なり何なりが、現れてくれればって思えてくる。

 代表好き五輪好きな日本だけに「日本代表を応援したい」って所が殺到する可能性もあるし企業としてはその方が手っ取り早く目立てるから”広告”の目的としては正しいけれど、願うのはそればっかりじゃない、もっと土台になる部分への支援だったりする。チームを丸が替えして欲しいとは思わないし翻弄された歴史を見ればそれがベストとは思えない。ただLリーグの試合会場への看板掲出とか、ユニフォームへのスポンサード、あるいはLリーグで活躍する選手たちへの雇用面での配慮といった部分であっても良い。小さい支援の重なりが、選手たち一人ひとりの精神的体力的な向上につながって、より素晴らしいサッカーを見せられるよーになり結果として代表の価値も上がる。それが翻ってリーグへの関心へと戻りスポンサーたちへの好感を生む。

 6月13日からは待望のLリーグが始まって、アテネ五輪での盛り上がりを受けて取材とかも殺到しそーだけど、そーしたブームをブームで終わらせない為に、3年後のワールドカップ出場と4年後の五輪出場&メダル獲得、そして何より女子サッカーを含むサッカー全体の100年の隆盛の実現につながるよーな支援を「電通報」の大住さんの記事を読んだ大企業の宣伝部とかメディアの事業部とかいった何億ってお金を右に左に自在に出来る顕現を持った方々にお願いしたいところ。僕にはスタジアムに通うことしか出来ないけれど(開幕は平塚競技場の「ベレーザvs大原学園」かな)、そこで見た支援には態度でちゃんと還元しますから。でも田崎真珠はお金がないから買えない。

 なんてことをいくら一般人が願っていてもなあ、取り仕切る日本サッカー協会自体が妙に浮ついているから困ったものとゆーかありがた迷惑とゆーか。何ですかこの「スーパー少女プロジェクト」は。体格に優れた人や意欲を持った人にサッカーを始めてもらいたいってゆー意欲はとっても分かるしそのために何かを始めたって事実は心より評価できる。けど数人のエリートを育てること、それを協会が率先してやることが女子サッカー全体の永久の隆盛に繋がるとはちょっとなかなか考えにくい。

 募集のページで協会は「日本の女子サッカーの強化における大きな課題のひとつは、U−15年代にあります。チーム数、選手数が非常に少なく、小学生年代ではおおよそ1万人いた選手達が、この年代では3000人へと減少してしまいます」って問題をちゃんと指摘している。だったら減らないよーな施策を採るのが普通なのに、何故か数人のエリート発掘・育成へと短絡的に向かってしまっているのが解せない。なるほどメディアの興味は惹きやすい。企業の関心も集めやすい。けどそーした”オーディション”で選ばれたエリートを見て、憧れて自分もサッカーを始めたいって少女が果たして増えるんだろーかどーなんだろーか。

 自分たちとそれほど変わらない。けれども頑張ってサッカー選手として大成した。だから自分も頑張ろう。って思えるからこそ選手層は厚くなる。155センチくらいしかない酒井與恵選手がセンスとスタミナで中盤を支配し続ける、その凄さに感動するんであって降って湧いたスターが大活躍したところでそれは別次元のおとぎ話、自分には無理なんだと思わせ逆にプレーヤーへの道から協会条件には合わないけれど有為な人材を引かせかねない。

 身長170センチ以上? それはつまりは山郷のぞみ選手も小野寺志保選手も足りないってことか。失礼な話だ。カンポスは女子サッカーではキーパーになれないってことか。勿体ない話だ。そもそもが選ばれたエリートはいったいどこのチームに所属するの? 所属したチームでうまくやっていけるの? 疑問はいくらでも湧いてくるけれど始まってしまった以上は仕方がない、そこからとてつもないスターが現れ女子サッカー界初の1億円プレーヤーとかになって世界の檜舞台で活躍して、日本なんて小さいことを言わずハリウッドスターなりセリエAのトッププレーヤーと浮き名を流すなりして女子サッカーへの興味を惹き付けそれがお金となって土台へと貫流して、下地作りにつながることを期待しよー。

 12歳のスレンダーなアメリカ人の女の子がレオタード姿で逆立ちや平均台や平行棒や床運動といった体操をしていて笑顔が可愛くて前歯がキュートで真剣な顔はコケティッシュで時々眼鏡っ娘だったりする姿を、100ページ近くにわたって収録した写真集なんてものがあったら5000円だって惜しくはないと思っている人がいたらヴァレリー・フィリップスって人の写真集「ワン・モア・ミニッツ・フォー・コートニー・プリーズ」は200%買い。だってまんまそーゆー写真集なんだから。

 六本木ヒルズであったコナミの会見の後で寄った青山ブックセンター六本木店で見かけた写真集をペラペラとめくって速攻購入。レオタード姿の美少女が体操するってゆーシチュエーションそのものも官能的で(そうなのか?)素晴らしいけれど、洗面台や食卓や庭や路上で写した日常と、ジムで写した真剣な表情で体操に打ち込む姿とで描かれる、12歳のアメリカ人の女の子の生活ってものが醸し出す生への実感が、ながめていて気持ちを穏やかに心地よくしてくれる。いろいろな人がいろいろな所でいろいろやって生きているってこと、だね。

 巻頭の言葉を翻訳した挟み込みの解説文を読むと女の子はコートニーって名前でオクラホマのノーマンに住んでいて、体操選手のバート・コナーとそれから彼の奥さん、ってゆーよりは10点満点で世界を仰天させたナディア・コマネチが運営するジムに通っている体操選手の卵らしー。ってか12歳ならそろそろ選手として目立ち始めて不思議はない年頃だけど大会とかで活躍していたりするのかな。解説文ではジムでも目立っている選手みたいであのバート・コナーとコマネチのジムでそれなりってことは、これからの活躍なんかもちょっと期待出来そー。五輪代表とかにはなっていないのかな。


【5月24日】 さらにファミ通文庫から扇智史さん「閉鎖師ユウと黄昏恋歌」(エンターブレイン、640円)は世界に突然開く異世界へとつながる穴を閉鎖して歩いている「閉鎖師」なる存在を半ば狂言回し的にして、行く先々で出会うさまざまな人たちのドラマを描いていくシリーズを意識していたりするのかな。まずは気弱な高校生の江崎和柾が登場して、彼を気にしている少女の那菜が登場して少女の遠縁で彼とも同級生の小倉という男が登場して腐れ縁的な関係を築き上げていたところに、普段はあまり人とコミュニケーションを取らず、奇天烈なことをいっては周りを引かせる涼宮ハルヒ的キャラクターの美少女、枝流が関わってきて妙な三角四角関係が繰り広げられる。

 そこに巻き起こる異世界へと繋がる「世界孔」の発生。小倉が消える事件が起こったにも関わらず江崎は馴染みの那菜ではなく、枝流といっしょになって事件に関わろーとして江崎のことが好きな那菜を迷わせる。「世界孔」を塞ぎに出てきた閉鎖師ユウも事件に関わるけれどそれが江崎と枝流と那菜の関係に割り込むことはせずあくまでも巻き起こってしまった事件の幕引き役として出る程度。メインは究極の選択に直面した江崎の揺れる気持ち、江崎をめぐる少女たちの葛藤といった所に置かれていて読む人に自分だったらどーするんだろー、ってことを考えさせる。

 それほど熱心に江崎のことを想っているよーには見えない枝流と、江崎のことが気になって仕方のない那菜とを天秤にかけてラストになかなかの悲劇を繰り出してくる展開は正直好きじゃなく、救われないエンディングも気になるところで閉鎖師と枝流に分裂気味な対抗馬を統合するなり、枝流にもーちょっと江崎と関わる動機を付けるなりしてくれた方が読んでて心にさらに深く刺さって来たよーに思えるけれどどーだろー。シリアスな話の中で、巨大なペンチを持って「世界孔」を塞いで歩くユウのビジュアル的な浮きっぷり(そんな奴が歩いていたら通報されます、普通)も気になるところ。この辺のシリアスとコミカルの塩梅を調整してキャラクターの立ち位置を整理して来れば、それなりに面白いシリーズになるんじゃなかろーか。よしずなさんのイラストは美麗でなかなか。

 新宿で窓際OLインタビュー。韜晦とか謙遜とか捉えていたけど頂戴した名刺に部署はあっても肩書きはなく正真正銘の窓際、かどーかはともかく一介の平OLだったと判明して、そんな人でも天下の「週刊新潮」にコラムを連載できたのはいわゆる”親の七光り”ってゆーか祖父に叔父も加えた”21光り”があったからなのかと思ったらこれまた違って、純粋無垢に「マカ」なんてものを大会社にあって積極的に売り歩く女性社員ってゆーキャラクターに興味を覚えての依頼だったと分かって「週刊新潮」の凄みめいたものを感じる。もちろん調べて作家の娘とも分かったことは後を押す理由にはなったけど、そーでなくても会社のことをセキララに書きまくった文章を読めば、頼んで正解だったってこともよく分かる。斎藤由香さん「窓際OL トホホな朝ウフフな夜」(新潮社、1300円)のことね。

 連載が始まった理由は分かったけれど、それにしてもこーまでセキララなことを書いてどーして会社をクビにならないのかって疑問は残ってそれはやっぱり作家の娘だからって考えたけれどやっぱりさにあらず。勤務している関西基盤のウイスキー会社が関西の会社らしー「オモロイかどーか」が全ての価値基準となっている関係で、オモロイことを書いているなら別に上司も役員も社長ですらも気にせずどんどんとやって宜しい、ってことになっている模様。何しろ社長の人がコラムを読んでそこに書かれた内容に「いったいどこのアホな会社だ」と笑って「手前の会社だ」と教えられたにも関わらず、その後もちゃんと続けられているんだからおおらかとゆーか素晴らしいとゆーか。こーゆー土壌がヒット商品を生むんだろー、ビールに発泡酒以外で。

 ちなみにコラムで有名になった「マカ 冬虫夏草配合」は作家先生のみならず経済界芸能界競馬界広告界ほかさまざまなシーンで偉い人たちに愛用されているそーで、そんな人たちを集めて座談会でもしたら経済から社会から芸能音楽スポーツに至るまで幅広い話題が飛び出しそー。でもやっぱり「効いた?」「効いた」「勃った?」「勃った」って身の下の話に終始しそー。だってやっぱりそれが男の興味の中心だから。しかし北方謙三さんも花村萬月さんも別に「マカ」とか採らなくたって絶倫に見えるに見えるんだけどなー。見かけと身の下ってのはやっぱり違うものなんだなー。

 オシャレを標榜してガラリと紙面を変えた際に旧態依然とした内容と唾棄されページを減らされ人員も削られた「IT」と「ベンチャー」のかつて柱と呼ばれていたカテゴリーをなぜか今ふたたび増強しよーとする動きがあってだったらどーして減らしたんだって疑問を抱きいったん潰しておいて急に復活させるなんて最初の刷新が無策だったを喧伝しているのも同様でそんな無策を打ち出し無駄なことをさせた、ってゆーか必要とされていたカテゴリーを潰して販売に多少なりとも影響を与えた偉い人たちの責任を問いたい気持ちだけれどそーゆー偉い人たちにそーゆー自責とかの気持ちがあるとも思えないから難しいところ。あったら臆面もなく復活なんかさせられないだろーから。

 まあしっちゃかめっちゃかにした挙げ句に刷新の原因を作って去った前の1番偉い人が辞める以外に責任を取ったって話はきかないし1番偉い人をもり立て勘違いさせていた偉い人たちに至っては今も偉いまんまだから責任なんて言葉が通用するとも思えないから仕方がない。ともあれ復活はさせつつ人員はとりたてて割かれず中途半端さに輪をかけた新しい紙面を読者の方々には大いに論議して戴きたいところ。書面で1番偉い人宛に送るとかすれば耳心地の良い話しか聞いてないよーに見える、だからこそオシャレとは正反対の所行がまかり通る現状の打破につながるんだけど。打破ってのが崩壊と同義語だったりする可能性もあるけれど。困ったなあ。


【5月23日】 滅んでいく地上でそれでも精一杯に生きる人たち、ってゆーとSFでは昔から結構に出ている設定だし最近でも有川浩さんの「塩の街」(メディアワークス、550円)なんて作品もあったけど残ってしまったのが人間ではなく人造人間で、滅んでいく滅び方が過去にあんまり見ない不思議なものって意味で今田隆文さん「フィリシェアと、わたしと、終わりゆく世界に1 ゆき、ふりつむ」(富士見ファンタジア文庫、560円)は注目を集めそー。その少女が目覚めると横には1人の美少女が立っていて彼女を学校へと連れて帰る。見渡した街は静寂に包まれていて時折降ってくる雪がバリアによって弾かれるだけ。そしてその雪こそが世界を滅ぼそうとしている存在だった。

 少女を見つけたという美少女の名はフィリシェラ。人造人間で人間たちが快楽物質漬けとなって眠りについたまま死んでいくようになってしまった世界に残り、人間たちが眠りについた後にどこからともなく降り始めては世界を徐々に”無”へと変えていった雪を相手に、他の人造人間たちといっしょになって戦い街を守る仕事をしていた。雪の正体はまるで不明。それでも降り始めてからはただ積もるだけでバリアによって弾くことも可能だったがある時を境に雪が”意志”めいたものを見せるようになってフィリシェラや、目覚めたヒヨリたちを襲い始める。

 人造人間たちはわずかに残った街を守ることが出来るのか、といった感じにヒヨリの正体も絡んで進んでいくだろー今後の展開が気になるところで、ほとんどが”無”へと帰ってしまった世界がそれでも機構に変化なく、荒れもしないで1部分だけがちゃんと残っている所がコンピュータウィルスか何かに浸食されつつあるバーチャルな世界っぽさを感じさせるけどそーゆー展開が用意されているかはまるで不明。なのでその辺も含めて2巻以降の展開を注目していこー。水上カオリさん描く儚げな美少女たちのイラストが美麗で良い感じ。口絵で銃を手にスカート姿で膝立ちするフィリシェラちゃん、最高です。フィギュアとかにならないかなー。

 フィリシェラのコミュニティがほとんどを女性のアンドロイドが占めててタイプもよりどりみどりなら、葛西暢哉さんの「パメラパムラの不思議な一座」(ファミ通文庫、640円)で山間の町へと訪れる不思議な一座も女性ばかりでタイプも様々でよりどりみどり。新米でドジっ娘のフーノをはじめ妖艶なディーレンフェッセにボーイッシュなネイミに大人しいマーリムに同じ顔した赤のリアンと青のリアン、それから酒好き眼鏡っ娘のユアに普段はぐだぐだなまるで姫萩夕ちゃんながらも役を与えられると途端にしゃんとする看板女優のメイ=チェンほか、キャラクター揃いのパメラパムラ一座が目的にしているのもどーやら”世界平和”らしーけどそこはそれ、最初はそんなことはお首にも出さずに道に迷ったといってエウポリーの町に入り込む。

 そんな一座を迎えたエウポリーの町にに住むジェイは、父親が異民族で町の人たちに差別され続けたものの最後は英雄として死にジェイはそんな父への町の人たちの罪滅ぼしといった気持ちもあって町長の庇護で大切に育てられていた。けれどもどこかハレ物に触るよーな扱いに気持ちをいつもささくれだたせていたジェイを、パメラパムラ一座は町に滞在する際に1つ2つの伝説を教えてくれる人間が必要だといって見習いとして雇い新米のフーノに面倒を見させる。見たこともない食事を作り聴いたこともない場所の話をするフーノ。やがて2人に危機が襲い掛かった時、一座の正体が明かとなって読む人を驚かせる。

 が、そーした興味津々にして関心重々な設定もさることながら小説が狙っているのはもっと別の、包み隠されて忘れ去られようとしていた過去を今に蘇らせ、曖昧模糊とした中で誰もが心にもやもやを抱えて生きていた状態を晴らして、未来に向かって誰もが歩を進められるよーになる素晴らしさを描くこと。物語の力が凍っていた心を融かしていく様に読む方も心のわだかまりを晴らされ前へと進む勇気が沸いてくる。

 様々な場所に出没しては濁っていた空気を晴らし澱みを澄まして去っていく一座の物語ってことで、シリーズ化も出来そーで行く先々でどんな物語が語られそれをどう舞台へと持っていくのか、そこに一座の不思議でものすごい能力がどう絡むのか、っていった辺りに興味を置いて読んで行けそー。フーノとジェイのカップルにこだわらないでその場その場で新たな出会いと分かれなり、過去を捨てて一座に加わるエピソードなりを作っていった方が面白いのかな。その辺は作者の手さばきにお任せします。メイ=チェンって他に取り柄があるのかな。眼鏡っ娘ユアの取り柄は凄いけど前は一体何者だったんだろー?

 森橋ビンゴさん「三月、七日」(ファミ通文庫、640円)はボーイ・ミーツ・ガールの物語。同じ学校に普通科と進学科と芸術科とあと何かあった学校の女子寮に住んで普通科に通いながらも学校にも暮らすにも溶け込めないでいる少女・七日が学校でふと目にして以来、気になっていたのが三月という名の少年。2人はやがて出会いお互いに惹かれ合っていくが、そこに2人の生い立ちとも関わる問題が立ち上がって来る。本当にそーゆーシチュエーションが可能なのか、そもそも最初にどーしてそーしたのか、って疑問はやや残るけどそれがあったとして今、起こった出会いの物語はなかなかに切なくって心を揺らす。

 結末はそれなりに落ち着き所に落ち着いて、七日の友人で三月のことが好きらく、2人の間で宙ぶらりんになって怒り苦しむ真希も含めて大不幸な人が出なかったのが良かったとゆーか安心したとゆーか。普通に小学館とか河出とかからハードカバーか何かで出したら今時の切ない系ラブストーリーとして、今に悩んでいるティーンの少女とかに人気が出たかも。ファミ通文庫だとなあ、男どもから特定シチュエーション萌えの対象にされて終わりってなりかねないからなあ。キャラでは寮長で絵を描く東山操さんに関心。最初はレキみたいなキャラかと思ったら優しいクラモリの方だったか。

 東芝の「RD−X4」のハードディスクに異常。最初はそれでも動いててとりあえず「フランスvsブラジル」の100周年記念試合をDVD−RAMに落とせたけれど直後にすべてのデータが消えてしまってついでにハードディスクもいっぱいになってしまうとゆー相矛盾した状況となって治らず、仕方無しにHDDを全消去して再フォーマットする。「トヨタカップ」も「十兵衛ちゃん2」も「爆裂天使」も「忘却の旋律」も「女子サッカー北朝鮮戦」もこれで全部パーだよこれだからHDDって信用ならないんだよ。ビデオなら伸びてもちゃんと見られるからなあ、20年前に録音したカセットテープだってちゃんと聴けるしなあ、アナログはだから良いんだよなあ、とボヤいても時代はデジタル、今度からは逐次バックアップを取っていくことにしよー。


【5月22日】 「キリン淡麗」のCMがセリエAの”まぼろしレフティー(=滅多に見られない)”からブンデスリーガの”閉店間際の回転寿司ボンバー(=ネタがなかなか回ってこない)”へと代わっていたことを知る今日この頃、サッカー選手の広告的な価値がその活躍ぶりとは比例していない事実を僕たちはどう思えば良いのかについて考える。でも稲本選手に小野選手だとビールがあのふっくらとした頬を作ってるって思われてしまうからNGなのかな、シュンスケもタカもどちらかといえばスリムだし。なになに今度はナムコがサッカーゲームのシュンスケ起用? 「ワールドカップ2002日韓大会」を前に絶妙なタイミングでコナミのゲームから外れて中山隊長に譲って以来の復活か。ジーコ監督のいる限りは起用され続けるから夏のアジアカップまでは大丈夫、でしょー。その後は知らない。

 そんなキリンから今度新しい発泡酒が出るそーでその名前が「キリン小麦」だと聞いてこれはCMには絶対に「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」から中原小麦をCMに起用するのだームギムギと広報の人にプッシュしたくなったけど蔑まれ侮られると思うと怖くて言い出せず。絶対に売れると思うんだがなあ、夏の有明周辺とかで。限定でも良いから作らないかな。アニメにバンバン出して「エヴァ缶」を作った「UCC」ん時みたく「キリン小麦」の「小麦缶」をキリンに作らせてしまうってのの手だけどなあ。小麦ちゃん何歳だったっけ。未成年キャラに酒飲ませるのが拙いならリアル小麦ちゃんのモモーイにがぶがぶ飲んでもらえば良いか、ってモモーイって何歳だったっけ、20歳は越えてると思うけど。1977年生まれ? ならオッケーだ、がぶがぶがぶがぶと「小麦」を飲んでもらってあの魅力的な脚をさらに2周りほどワイドに、あのポヨンポヨンしたくなる顎をさらにタプンタプンにしてもらうのだームギムギ。

 パロディ、ではなかったか吉岡平さん「火星の土方歳三」(ソノラマ文庫、552円)は函館五稜郭で戦士した新撰組副長の土方歳三が火星へと転生して復活して、バローズ(「裸のランチ」じゃない方)の「火星シリーズ」の設定に乗っかって群がる敵を倒し美女を助ける展開で、出会わないでどジョン・カーター閣下もちゃんと火星にいてデジャー・ソリスと仲良しみたいでなるほどここでも土方歳三、トップに立つことはなく策士参謀裏方として火星を敵から守る運命にある模様。原作を詳細に読んでないけど展開に文体なんかもきっと本家バローズとそれから翻訳家のものをトレースしてたりするんだろー。ラストの言葉「そういうわけで諸君、待っている! わたしは土方歳三、火星の副長だ。」ってのもそのままなのかな、買って確かめなくては、ってか買ったはずなんだけど相変わらずの当然に出てこない……。実家に僕も本ごと引っ込むか、部屋なら貸すほど余ってるし。「そいうわけで諸君、待っている! わたしはジミー・カーター、火星の大統領だ。」って栗本薫さんは書いていたのかな。持ってるんだけどこれもやっぱり出て来ない……。

 ブラジル強すぎ。ロナウドがまるでシャッキール・オニールかチャールズ・バークレーを思い起こさせる巨体でありながらも走り受け出し走り込んで蹴る凄まじいばかりの動きを見せては、何本もゴールの枠なり枠の側へと送り込めばロベルト・カルロスが受けたと思った瞬間に蹴り込みポストにはじき返される惜しいシーンを繰り返したりと、フランスを相手に攻める攻める攻めまくっては好機を幾度となく作り出す。そんな相手のフランスだってジダンがピレスがトレセゲがアンリが束になって攻めるんだけど後半も半ば過ぎになるとあんまり良いシーンを作り出せず雰囲気として押さっ放しな感じになってしまう。ジュリにロテンのモナコ勢が「チャンピオンズリーグ」決勝も近いってことなのか出ていないのがあるいは影響があったのかもしれないけれど、総じて若い選手が次から次へと加わってきているブラジルに比べていつか見た名前っぽい選手が未だ中軸なフランスとの、体力差が現れてしまったのかも。ブラジルはやっぱりロナウドを超えるストライカーの登場がこれからの10年を支える上での鍵になるのかな。サントスのロビーニョって今何してたっけ?

 サビのラインの泣きそうになる心地よさが耳奥に残ってしまったんで近所のレコード屋で「mihimaruGT」の「帰ろう歌」を買って聴く。サビのラインを聴いて泣く、うーん僕はこーゆーセリ上がるよーなラインとか音の並べ方に凝ったラインがとことん好きなんだなー、だから盛り上がりが必ず入ってるアニメソングとかが好きなのかな、あと綺麗な女声ってのも好みの要因か。男声のラップ部分のバックがラヴェルの「ボレロ」になってるんだけどそこと女声のサビとのつながりが正直よく分からないんだけどこれって何だろー、あとでガッチャして作ったんだろーか、「んー」って女声のhirokoのリードでいきなり転じるから最初は違和感を覚えてしまったけれど、でも何度も聞いているけど耳慣れてどっちも好きになって来たから良いってことにしておこー、こーゆー時にCDを買う意味ってのを強く感じます。カップリングの「Air Grow」もまずまずで書いて書けるアーティストだと思うんで他のも機会があれば聴いてみよー。出来ればPV集が欲しいなあ。

 冲方丁さん「カオスレギオン03 夢幻彷徨篇」(富士見ファンタジア文庫、680円)を最後まで。いや凄い。前巻だかの2万人脱出行も凄かったけど今度はグッと内面へと降りて人間が悲しみも喜びも大切なことは心の奥底へと仕舞い忘れているよーでも決してそんな薄情なことはしないししたくない強さと優しさを持った存在なんだってことを教えてくれる。レオニスによって集められた香り使いに吸血鬼に悪魔彫刻家とゆースタンド、じゃない異能の存在からまず香り使いの女がジーク・ヴァールハイトへと迫り記憶を操り人間を操る香りを駆使してジークとその従士の少女ノヴィアの間を引き裂きお互いに刃を向けるよーにし向ける。背景にはジークが過去に行ったらしー従士の少女をその手で斬った事件があってその復讐として迫る危機にジークは絶体絶命となる。

 忘却を生業とさせられていた少女がただその仕事を信じて生きてきた所に現れたジークが教えた自分自身で考え進む生き方。その素晴らしさと怖ろしさの狭間に揺れつつもジークを信じたい少女の葛藤を間に挟みながら現在起こりつつある崩れよーとするノヴィアとジークの間の亀裂を重ねて過去と現在、2つのジークと少女との邂逅を描き人を信じ己を信じる大切さを浮かび上がらせる。香りの力に惑うジークがその呪縛に強い想いと冷静な思考を重ねて挑んでいく展開の瞬間が幾重にも重なって描かれていくシーンは、「マルドゥック・スクランブル」のカジノでの丁々発止なやりとりの背後に流れる心理ゲームを思い出させてくれる迫力。でもって描かれるテーマの実に人間存在に迫っていることか。読み終えた時に浮かぶロール(役割)から解き放たれる素晴らしさへの歓喜と、その素晴らしさを壊す存在への憤り、哀しみが身に迫って感銘を導き溢れさせる。まずもって傑作。これからのシリーズがますます楽しみになって来た。


【5月21日】 秋葉原へと寄って新刊のヤングアダルト文庫を仕入れたついでに近隣の家電ショップを回ったけれど「京ぽん」はどこも品切れ中。アプリだカメラだと携帯電話グループがよってたかって大攻勢をかけてくるのを、シンプルなのが良いんだと堪え忍びつつも内心羨望と嫉妬の念にかられいつか見返してやろーと内心に毒を溜めていたPHSユーザーが、ここぞとばかりに機種変更へと走ったと思われる。携帯電話でインターネットのウェブサイトがまんま見られるだけのPHSじゃんって言われれば言われかねないけれどだったらそれがこれまでの携帯電話で出来てたかってゆーとそーではなく、何を見るのも「月額情報量」とかがかかってそれが嵩んでいたのに対して「京ぽん」はポータルサイトにぶらさがってる地図だろーと天気予報だろーと株価だろーと何だろーと、月額固定のパケット通信費で見られてしまうんだから素晴らしい。

 いちいちパソコンを立ち上げてネットに繋がなく立って良いんだってのが惹かれる理由でこれはいち早くの導入をと思っても、完全に出遅れてしまったよーで秋葉原も有楽町もどこもかしこも「品切れ」「売り切れ」「入荷未定」の張り紙のジェットストリームアタック状態。無いと分かると余計に欲しくなるのが人情って奴で明日あたり西へ東へ行き来してどこかに落ちていないかを探していそー。問題は今のPHSに入ってるデータをパソコンに移さないといけないことなんだけど今時のパソコンショップに携帯電話のメモリーソフトはあってもPHS用のそれはどこにも置いてないんだよなー。手で全部メモして後から手で全部打ち込むのか。交友関係が少ないといっても取材先のは結構入ってるし。それもこれも「京ぽん」が早く出なくてPHSがマイナーの極みになってしまったからなんだ。せめて今こそ復活の狼煙を。店頭にPHS用周辺機器&ソフトの充実を。それにしてもなぜ「京ぽん」?

 あーインド戦チケが増えてしまった。それはさておき迫る「ワールドカップ2006ドイツ大会」への1次予選(まだ1次予選なんだよ)のメンバーが発表になってキャプテン兼監督兼ミッドフィルダー兼執行役員の中田英寿選手が怪我の影響で外れてしまってその勇姿を「埼玉スタジアム2002」で見られないことになってしまってちょっと残念。一方で柳沢選手中村選手と「セリエA」ではまるで活躍できなかった2人は活躍できなかったからこその回復した体と戻っていない試合感を持ってピッチに立つ訳で、そんな面々と今まさにファーストステージが佳境に入っている中でバリバリやってる面々とが、同じピッチで果たしてかみ合えるのかと思うとこれはなかなかに興味深い試合になりそー。もしかするとジーコ監督では滅多にお目にかかれない3バックとやらを見られるのかな。でも中田選手の代わりを藤田選手が埋めただけの4−4−2にこだわりそーな気もするなー。事前の欧州遠征での采配も含めてその辺りが見切りの分水嶺か。やっぱり生で見ておくべき試合になりそーだな。

 新聞を開いても昨日のスクウェア・エニックス決算発表で明かされたエニックス創業者の福嶋康博会長の取締役退任に関する記事は少なくどこもかしもが社長から会長に上がっただけでかきたてた日本マクドナルドの藤田田さんとの扱いの違いにゲームってやっぱりまだまだこの程度なんだなあと実感。バンダイの山科誠さんの取締役退任ですらほとんどが小さくしか取り上げなかったからなあ。こーゆーのを見るとこの国のどこが”エンターテインメント立国”なんだって思えてくる。

 それにしても福嶋さん、ゲーム業界でずっとやって来ての想い出が「ドラゴンクエスト」の大ヒットとかじゃなくって中古ゲーム訴訟で勝てなかったことだなんて、あの裁判に敗れたことが相当に禍根になってる様子。屈指の儲けっぷりなのにそれでも足りないと怒っているのか愛着のある自分の会社の商品が無価値でやりとされることに憤っているのかは不明だけど、ある意味ビジネスに徹した姿勢の現れって言えそー。退任してスクウェア創業者の宮本雅史さんのよーになるのかってゆーとそーでもないみたいで、かといってベンチャー企業を立ち上げる風もなくこれから何をやるのかに関心。趣味の麻雀に生きる? けどレートの半端じゃない「創業者利益麻雀」につきあえる人なんてゲーム業界にだって年齢が上がったか紆余曲折しまくったかでそろそろ少なくなって来ているし。

 手に墓掘り用のショベルをひっさげ戦場を行くたったひとりの男が、事あれば死者を地中よりよみがえらせてレギオン(軍団)を作って一言「暗行御史のお出ましだ」、ではなかった「ジーク・ヴァールハイトが招く」と叫んで戦いに臨む冲方丁さん「カオスレギオン」シリーズの最新刊「カオスレギオン03 夢幻彷徨篇」(富士見ファンタジア文庫、680円)が登場。敵に特異な能力を持ってジークの命を奪いに迫る殺し屋めいた人たちが出てきてまるで「GUNG−HO−GUNS」みたいだけど誰に忠誠を誓うでもなく己が欲望のために動く様は「トライガン」の殺し屋集団とも「ジョジョ」の第3部でディオに従ったスタンド使いたちともちょっと違うか。「新暗行御史」の最新第8巻に出てくる活貧党の面々とも。

 とりあえずは香りを扱うフロレス・アンブローシャが「その1」として登場して見せるなかなかの攻撃っぷりに、ジークの将来に危うさも見えるけれど主人公は死なず、ってゆーかすでに結論の見えている物語なんで負けることはないと理解しながらではどんな敵がどんな技でジークを窮地に追いつめそれをジークがどんな冴えある技でもって撃退するかを、興味深く見守っていくことにしよー。文章ではもっと殺伐とした容姿を想像していた彫刻名人のレティーシャ・ベルゼブベスが口絵だととてつもない美少女に描かれていて心動かされる、けどある意味3人の中で1番得体の知れない能力者だから安易な感情移入はキケンかも。まだ途中までしか読んでないんでレティーシャがどんな活躍ぶりを見せてくれるかも知らないんでその辺り、どう描かれるのかをこれも注目して読んで行こー。


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