縮刷版2003年5月上旬号


【5月10日】 幕張にあるナイキのアウトレットの店で拾った2002−2003シーズンのバレンシアオレンジをしたバレンシアのアウェイレプリカにアイマールでは2桁で高いからと代わりルベン・バラハのネームと背番号を入れて着ていた身にとって、リーガ・エスパニョーラでのバレンシアの優勝はやっぱり嬉しい限りでこれを機会に世間がもっと注目してくれると、偶然とは言えちょっとだけ早い時期にメンバーでも渋さ溢れるバラハ選手に着目していたってことを、自慢して遊べると思っているにわか欧州サッカーファンがここに1人。それはそれでまったく威張れることではないけれど、優勝した以上はあの死ぬほど派手なアウェイユニを着て平気で街を歩けるよーになった訳で、ひとつワードローブが確保出来たってことでワードローブに苦しむ身としては有り難い。次は「EURO2004」でポルトガルに優勝してもらいたいところ。パウレタのネーム入り代表ユニ(ワールドカップ2002仕様)が堂々着られるよーになるし。中村俊輔選手の背番号&ネーム入り代表ユニはM的快感を味わえるアイテムだから活躍しよーとしなかろーと無関係、なのだ。

 「日販週報」の2004年5月17日号にいよいよ三浦しをんさん「私が語りはじめた彼は」が新潮社から5月27日に発売になるとの情報が。「『彼』のなにを知ってるの。『私』のことさえよく知らないのに。闇を抱えつつ、世界は今日も朝を迎える。男女と親子の営みを描く、新鋭の連作長編」とかで紹介文からもこれまでの三浦さんのそこはかとない笑いが混じった作品とは雰囲気の違うものになりそーな気もしないでもないけど果たしてどーなのか。同じ日には竹内真さんも「自転車少年記」とゆータイトルで少年の青春と自転車レースのスピード感に溢れた作品にこれはなっていたりするのかな。ユーモア感覚に溢れた良作を目立たないけど着実に書き継いでいる人だけにこれで、ちょっとだけでもメジャーへの階段を駆けあがってくれれば幸い。でも直木賞の賞取りレースは三浦さんが入るから我慢して。あるいは芥川賞を三浦さん?

 同じ「日販週報」に挟み込みの文庫新刊ラインアップで6月に朝日ソノラマから岩本隆雄さんの新刊「夏休みは、銀河(1)」が出るとか出ないとか。延期になることもしばしばあるレーベルだから分からないけどこの時期にこーして書かれてあるって事は確報を認識して良いのかな。あとファミ通文庫からは木村航さん「ぺとぺとさん」に待望の続編「さよなら、ぺとぺとさん」が登場……ってさよなら? もう終わり? あのセクシー小学生も見納めになってしまうのかって心配だけどなあにきっと翌々月くらいに「かえってきた、ぺとぺとさん」が刊行されると信じつつ、どんな話になるのかを待とう。早川書房からは「トリス・ヘイデン文庫」なるものが創刊されて「シーラという子」に「タイガーと呼ばれた子」が刊行の予定。ハードカバーでだって売れてるっぽいのに文庫にしてしまってもったいない気も。ダニエル・キイス文庫って結局どんなだったんだろ。早川文庫JA。田中啓文さん「蹴りたい田中」が上旬に刊行。をいをい。小川一水さんの「復活の地」までもが駄洒落ユーモア小説に見えて来たよ。

 早売りの「週刊サッカーダイジェスト」2004年5月25日号がジーコ監督の是非を評論家に元選手にほかいろいろな人に訪ねた大特集を掲載。並んだメンバーだけ挙げると早野宏史さんに佐藤俊さんに清水秀彦さんに加部究さんに後藤健生さんに刈部謙一さんにマリーニョさんに福田正博さんに小林伸二さんに小齋秀樹さんに信藤健仁さんといった面々で、賛否両論あるけど怨念めいた言説から来る得も言われぬ悪い居心地を覚える例のアンチ・トルシェ評論家2人が入っていないこともあって、どの意見も総じてロジカルで読んでいて了解はできないけれど理解はできた。辛口な割に後藤さんがそれなりな点を付けているのに対して加部究さん佐藤俊さんが激烈。といっても加部さんは監督よりは日本サッカー協会のスタンスに話を及ばせて論じているからアンチ筆頭というのはちょっと出来ないかも。ともあれボリュームもあって中身も充分な特集。読んで「ナンバー」の巻末コラムでアンチ・トルシェな人が吠えてくれるか注目。それにしても村山文夫さんの4コマ「スーパーさぶっ!!劇場」は今回も苛烈で秀逸だなあ。

 ファイル交換ソフトの「Winny」を開発した人が逮捕されるとゆーとてつもない事態が起こっているのを横目に、ハンバーガーのモスフードサービスが連結決算を発表したことをことさら大事を見て大々的に記事にしよーとする”総合経済紙”とやらが存在することに心底よりの不思議を覚える今日この頃。けっしてとばっちりで記事をいっぱい書かされたから言うんじゃなくって、ものを作る上でそれがどう使われるかまでを考えないと開発すらできなくなってしまうよーな可能性を含んだ(スピードの出る車を作った自動車メーカーはスピード違反の幇助に問われるか否か、とか)今回の一件を、もの作りにいそしむ企業なり人たちを取り上げて食べている経済紙が危機感とともに記事化しないのは、とてつもなく問題だと思えて来る。

 そんな大括りな話はさておいて、範囲をファイル交換ソフトについて絞れってもやっぱり問題が多すぎるくらいに多いのが今回の逮捕劇。なるほど目先は違法コピーされたソフトを交換できなくなって著作権を持つ人たちにはとっても楽しい状況が訪れるんだろーけれど、いずれ来るだろー分散コンピューティングの時代に、ネットワークで繋がれた各地各家庭各個人のパソコンからデータを持ってきたり逆に渡したりしながらコミュニケーションを図っていくよーなP2P的行為と、これを実現する技術の誕生が大きく阻害されるよーな気がして仕方がない。ソニー・コンピュータエンタテインメントが次世代のプレイステーションで実現しようとしている「CELL」の技術って、それぞれのコンピューター間がネットワークで結ばれた世界を想定しているんじゃなかったっけ? データを共有することによって生まれるエンターテインメントの可能性に、ひとつのくさびが打ち込まれたってことにはならないんだろーか。未来を奪いかねない今回の措置は、コンピューター好きによる反権力的な行為だなんて文脈に、押し込めて語るべきでは絶対にない。

 もっともこれからの報道の流れを考えた場合、”著作権保護”を金科玉条のごときに位置づけて囲い込みに邁進している日本の大手メディアが、やっぱり”著作権保護”を錦の御旗にかかげてすべての可能性を潰しに回っているコンテンツ業界と結託して、権利を持たず権力もない一個人の暴走と、言って非難に回り一方で自らの権益はしっかりと守る方向へと、論調をリードしていく可能性も小さくない。すでに夜のNHKのニュースが、ファイル交換ソフトがもたらす可能性には一切触れず、警察発表を垂れ流すだけに終始している。一連の成人向け漫画の規制なり、プライバシーに踏み込んだ雑誌記事への圧力なりに見せた大手メディアの我関せず的な立場を思い浮かべながら、これからの報道ぶりを注視していく必要がありそー。戦うメディアは出て来るか? ファイル交換ソフトの使い方を喧伝したメディアに司直の手が及ぶよーな事態になってもやっぱり不遜なメディアの暴走と非難に回るのか? 回りそーだな、今のメディア状況では。

 しかしますます訳の分からなくなる某総合経済紙。すでにして日本料理とフランス料理の店が同じ屋根のしたに境目もなく同居しているどっちつかずの分裂気味な風体で、店を訪ねてきた人に不思議な印象を与えていったい何を食べるのが正しいんだろーと悩ませて来たけれど、それでもそれぞれに経験を持ったシェフが料理を担当していた関係で、どっちかを選んで食べればまあそれなりな味を楽しめた。けれども何を思ったのか、日本料理の板前にフランス料理のシェフをここに来て交換してしまうとゆー挙に出るとゆーからもう何がなんだか分からない。せっかくそれなりな味を出してたそれぞれの店舗が和風の味も薄いフランス料理を出してはフランス料理ファンから蹴られ、フランス風の和食を出しては味の濃さやしつこさでもって和食を食べに来た人を慌てさせかねないと思うんだけどどーだろー。あるいは混ぜ合わせることで生まれる奇妙な味わいを狙ったのかもしれないけれど、そんなものは所詮邪道。食べて腹痛を起こすのがおちでこの夏から世の中には、中毒を起こして倒れる読者がいっぱい出そーな予感。営業停止にならなきゃ良いけど。


【5月9日】 見上げると曇天に悩んだものの年に1度しか関東ではやらない「ジェフユナイテッド市原vs名古屋グランパスエイト」とゆー名古屋出身で千葉に住む僕にとってはどちらもホームチームの試合、言うなれば”俺様ダービー”を見逃しては一生の後悔と思いカバンにポンチョを詰め込み近所の「ファミリーマート」でチケットを確保して五井へと向かい1時間前には「市原臨海競技場」へと入って席に座って開始までの時間を待つ。最初はそれなりに降っていた雨も試合開始の頃にはほとんど上がって体や顔にはほとんど感じられないくらいになって、帰らずに意を振り絞ってやって来た自分の決断力の確かさを誉める。帰ろうかなんて思ったこと自体が臆病者の現れだってゆー意見は耳に届かないので却下。いやともかく行って良かったよ。

 試合についても見てとりあえずは良かった感じ。パナディッチが怪我で離脱してスリーバックの真ん中を秋田豊選手が務める個人的には珍しい布陣にどーなることかと思ったけれど、前半になだれ込まれて楢崎正剛選手がはじき上げた所をさらにつっこまれてヘッドされたもののゴール上へと抜けてしまった場面くらいしかディフェンスを突破されてのシュートシーンってあんまりなく、スリーバックで両脇を大森選手に古賀選手の慣れた2人が固めた効果もあった模様。後半に佐藤勇人選手にこぼれた球をミドルで決められた所は最初のクリアで楢崎選手が仕事をしてしまって戻れなかったことが大きいし。あそこで佐藤選手をフリーにしてしまったのは中盤からの戻りの悪さ、ってことになるのかな。

 そんな名古屋グランパスエイトの中盤を仕切っていた中村直志選手のキレが今ひとつに見えたのが前半で1点を取ってとの後も攻め続けた名古屋グランパスエイトが突き放せなかった一因か。ボールを持ってもすぐにはたくとかせず持ちすぎ挙げ句に切れ込んでは奪われ反撃されるパターンを1つの試合で幾度か見せられ、遠いイタリアにいる同じ中村姓の選手を思いだしてしまったよ。すぐに代えるかと思ったけど我慢してネルシーニョ監督、使ったもののどう見てもブレーキになってるよーに感じたよーで岡山選手を代えて投入。それでテンポを取り戻したものの時すでに後半も半ば過ぎで、それより早く林丈統選手ら2選手を入れてテンポを高めスピードを上げていたジェフに押し込まれる場面もしばしばで、互角の中にどちらかが抜け出ることもなく結局ドローで終わってしまった。

 上を狙うグランパスエイトにしても首位に食らいつきたいジェフにしても負けて残念な1戦だけど残りにかけることを考えると負けないで良かった1戦ってことになるのかどうか。いずれにしても残る試合は双方とも全勝が必須で疲れてきているジェフに、それが出来るかどーかはちょっと苦しく一方でグランパスエイトも勝ち切れなさがここに来て出てきているよーでやっぱり不安。しっかり勝って来たジュビロ磐田に1試合少ない状態で7点差を追う横浜F・マリノスがやっぱり第1ステージの優勝を争うことになりそー。浦和レッドダイヤモンズは肝心なところでエメルソン選手が出場停止になる可能性を勝手に想定して4位辺りに落ち着くと予測。会社があっなになっている時に派手なことをすると支援者の不興を買う、って流言の類もその予測に材料として加えておこー。最高益の日産にバイクがGPで快調なヤマハがやっぱり勝つってことで。だったらトヨタは? バレンシアのUEFAとリーガ制覇で運をすべて使い果たしてしまったとさ。

 上巻の冒頭に衝撃的な未来が明かされいったいどーなってしまうんだこのカップルは、と読み始めた「アリソン3(下) 陰謀という名の列車」は長い戦争が終わって仲直りした2つの国を結ぶ列車に乗り込んだアリソンとヴィルヘルムの幼なじみカップルに戦争終結の原因を発見した英雄に小国ながらも一国の王女さまを襲った列車の乗務員が殺害されるとゆー事件。どーやら狙いは列車に乗り合わせているVIPのよーで列車が向かっていた国から覇権されて来た謎めいたとこのろある少佐と一緒になって、4人は他の乗客たちを途中の拠点へと遺しVIPだけを連れて街へと向かったが、そこに次から次ぎへと追っ手が現れ一行を更なる危機へと陥れる。少佐は敵か味方なのか。その正体も明らかになってそして、アリソンとヴィルの運命にも大きな転機が訪れる……。

 とまあそんな感じで繰り広げられる展開はとにかく意外な所で意外な人が意外にお現れる意外性に溢れたストーリーで、ヤングアダルトってレーベルの殻とは無関係に、謀略小説に国際サスペンス小説に冒険活劇を読んでいる気にさせられる。とりあえずの解決の鮮やかさには目を見張らされ、と同時に国を背負って仕事をする人の覚悟のすごさも感じさせられる、あっけらかんとしているよーでなかなかに奥深い小説だったなってのが終わっての感想。それだけ途中を思いっきりすっ飛ばして上巻のプロローグとそして下巻のエンディングをいきなり出して来たのには、想像を働かせる余地を与えられたんだと思えば思えないこともないけれど、ちょっと唐突過ぎるって印象も持つ。それだけ政治ってのは、軍事ってのは残酷なものなんだろーけれど、そんな残酷さをまるで気にする様子もなく、相も変わらず傍若無人な暮らしぶりを続けるアリソンはやっぱり国家も政治も超越した存在だってことなのかも。だからこそあの長きに渡って続いた大戦を終結させられたんだろー。タイトルロールはそれだけに偉大、でした。


【5月8日】 思い立ったが吉日で銀座の山野楽器に入って棚に見つけてしまった「少女隊 TWIN BEST」をふらふらと購入しては家に帰ってHD/DVDレコーダーに叩き込んで聴きまくる夜。伏線的には大昔から好きだったのとそれから大地丙太郎さんが「十兵衛ちゃん」に声優さんとして起用して以降に大地さん周りで見かけるよーになって、ついほだされて中古のLPを何枚か買ってついでにプレーヤーも買って聴いたことが数年前にあって更に、この冬には引田智子さんに途中で代わっていなくなったチーコが復活してはレイコと並んで唄っている姿を目の前で見て内圧がちょっとだけ高まっていたことがあるけれど、お金もそれほど裕福ではないこの時期に見つけたからといって買ってしまったのはやっぱり嫌なこと下らないことつまらないことから逃避したい、あの若かった頃に戻りたいって願望が働いたのかも。新創刊して2カ月で刷新するくらいなら最初からきっちりマーケやって人員も揃えて作れやボケ経営者に編集幹部どもが!

 アイドルとしてはデビューの時から認識してたけどアーティストとしてはそう、なぜかタダ券が送られてきて名古屋市民会館の中ホールでコンサートを見た時からで意外な歌のうまさをパフォーマンスの良さにこれはなかなかなグループだと認知。でもって88年の名古屋人にとっては悔恨の「ソウル五輪」時にイメージソング的にピックアップされた「KOREA」って曲が入ったアルバム「FUN FUN FUN」をじっくりと聴き込んで並んでいる曲の良さ、とりわけ「ANNIVERSARY」って曲の心地よさに浸りきってた時代があってその2曲が「TWIN BEST」にはどちらも入ってて聴きながらあの頃僕は若かった、夢と希望を昨日に捨てずにひたすら前向きに生きていたことを思い出して涙ぐむ。とりあえずしばらくヘビーローテで聞き込む覚悟。あとは「少女隊」のライブ映像とかDVDで出れば最高なんだけど。

 ゆらゆらと「第19回デザインフェスタ」を見に「東京ビッグサイト」まで出向く。午前11時のオープンでしばらく前だと受付は閑散としていたものがだんだんと評判が広がって来ているよーで、ここ最近は入ろうとする人たちでそれなりの行列が出来ていてよくぞここまでメジャーなイベントに育ってくれたと全然関係ない身ながらも微笑ましい気分になる。コンペティションがあってプロへの登竜門ってゆー位置づけがより明確な「GEISAI」って村上隆さんが続けているイベントも回をちゃんと重ねてそれなりな出展者を集めているけど、こっちは誰が認めてくれるってものでもなく、ただ集まってくる人たちに向かってダイレクトに自分をアピールしたいってゆー、想いが溢れたイベントって言えそーでそれだけにそーゆー場が無くなることなく、大勢の支持者を集めて存在し続けるのはとっても喜ばしい。

 和気藹々としてほのぼのとして殺伐とはしておらずギラギラもしてない雰囲気の微温的な感じに、アートとしての覚悟やプロになりたいってゆー信念が出展している人から漂わない、その点で「GEISAI」の方が良いんだってってゆー意見もなるほど理解はできるけど、お客さんってゆーある意味プロよりも厳しい”審査員”たちにさらされるのが「デザインフェスタ」の出展者。その意味でちゃんと自分たちの作品がどう見られるのか、ってゆー覚悟や信念はちゃんとあるんじゃなかろーか。まあさまざまなタイプのイベントが並立するのはさまざまいるアーティストやデザイナーやクリエーターの人たちにとってはそれだけ選ぶ範囲も広いってことで、上を目指したい人はその人なりに、またお客さんにアピールしたい人はその人なりに「GEISAI」「デザインフェスタ」を選ぶなりどっちにも出てみれば良いでしょー。人によってどっちにも出てくれると年に4度とか見られて個人的には嬉しいかも。

偽t.A.T.uはブリーフで東京ドームに立つ、わきゃない  ウエイターにウエイトレスだか何かの制服姿の男女がブランスバンドを奏でて場内を踊りながら練り歩くパフォーマンスが今回も見られてラッキー。美人かどーかはともかく踊り飛び跳ねる女の子、ってゆーのはそれだけで眼福なのです僕にとっては。丸顔の女の子を描く大畑伸太郎さんは今回も出展していたけれどバスの車窓から外を見上げる女の子が描かれた好きな1枚が飾ってあってそれはそれて嬉しかったものの新作はなくやや残念。けど1枚の絵でもぐっと人目を惹き付けるんだよね、大畑さんんお絵って不思議と。Tシャツの「ちくわぶ」も出ていたけれど画期的でピンと来るTシャツはなく今回は見送り。「ドラえモン」のしずかちゃんと「ホンジャマカ」の石塚を掛け合わせて生まれた「いしづかちゃん」が描かれたシャツも悪くはないけどお風呂シーンのしずかちゃんをプリントしたシャツにインパクトで負けてるんだよね。ちょっと凝りすぎ捻りすぎ、かも。

 代わりに「赤兎馬」ってところのブースで「三国志」の英雄に美姫らを美麗なキャラ風にしてプリントしたTシャツを購入。「曹操」やら「関羽」「張飛」とかってメジャーなのがいたよーに記憶しているけれどおっさんがプリントされたTシャツを着る趣味はない(訳じゃないけど、スズキムネオTシャツとか前に着てたし)んで謎の美女「貂蝉」が描かれたのを1枚購入。普段は3800円とかするらしーけど「デザインフェスタ」では2800円で買えるんで「三国志」ファンは行って是非に何枚も購入を。「赤兎馬」なんて書かれたシャツを着てるときっと通だと思われるぞ。知らない人には「イタリアントマトの親戚?」って間違われるのがおちだけど。

 ほかにもいろいろいたけど個人的に目立ってた度では「ちくわぶ」ブースのそばにいたブリーフ美女が一番か。外国人でスリムなナイスバディを包んだジーンズの上からなぜかブリーフを履いて立っている姿があまりにもウツクシかったんでついつい何枚も撮ってしまう。女性にブリーフを履くファッションが何年か前から流行っているって聞いてはいたけどそれでも外で堂々と履く人はまだいなかっただけに、大きめでデザインの施されたブリーフをジーンズなり、パンツの上から着用して街を闊歩するファッションがここから渋谷新宿青山銀座六本木へと発展していったらちょっと面白いかも。スカートの上から履いて歩く女子高生とか女子中学生とかが出てくればなお楽しいかも。どっかの雑誌でやりません? 無理矢理トレンド作り。

1対1になれるだけでも凄いっていえば凄いけどでも点と取ってナンボのフォワード、なのでチャンスはキッチリきめろ  適当に切り上げてバスと電車を乗り継ぎ「国立西が丘サッカー場」で関東大学サッカーリーグの「筑波大学vs国士舘大学戦」を見物。Lリーグよりはそれなりな人数をもとから集めていたんだろーけど、平山相太選手の入学でその巨大さをひとめ見よーとガキのお子さまからギャルのお嬢様からおっさんおばさんカップルまでもが詰めかけなかなかの賑わいぶり。そんな中でピッチに立った平山選手はやっぱり大きくて、且つ試合開始早々にヘッドで1点をたたき込む大物ぶりも見せてくれて集まった人は来た甲斐があったと思ったんじゃなかろーか。ただその後となるとトップにデンと構えて左右からのクロスを待っていれば良いものを、巨大なだけじゃない所を見せよーとしてか左右に流れ後ろに下がってポストの役割を果たせず怖さも放たない。兵藤選手が1点をとって2点差にしたあとはどっちもどっちの膠着状態が延々と続いて、試合としての緊張感が殺がれていってしまった。

 ゴール前でキーパーと1対1になる場面もあったけど上に外して追加点はならず。後半に入ると国士舘大学の動きに冴えも出始め筑波大学と良い勝負を繰り広げる。4バックの左サイドに入って最前線へと駆けあがりボールを受け戻し受け直して素早いクロスを放り込むってよりは突き刺すプレーを見せてくれた、国士舘大学の背番号3番の選手で多分、国見高校で平山選手の先輩にあたる片山奨典がとにかく素晴らしく、この動きこのプレーならそのままプロへと進んで不足しまくっている代表の左サイドの位置に入ったって不思議じゃないって思ったけれどさてはてどーゆー評価を受けているのやら。Jの試合は見ても大学サッカーまでは平山選手が出ているからといってジーコ監督は来てなかったからなあ。五輪代表の山本昌邦監督は来てなかったのかな。でも今日の平山選手のプレーでは五輪では使いたくないだろーな。巧さを見せよーとしないでもっとがむしゃらさを見せて欲しいもの。大久保嘉人選手の3%でも自己主張があれば良い選手になれるのに。それなりな活躍が出来てしまう大学ではそれは醸成できないよーな気もするなー。やっぱり海外にとっとと出て自己主張を覚えて欲しいなー。


【5月7日】 ベスト4まで残ったうちの3チームが確かイタリアで決勝に残ったのはそのうちのイタリアの2チームだった去年の「チャンピオンズリーグ」をもって、イタリアサッカーの復権とか思ったのも束の間の夢か、比べる基準がちょっと違うけど「チャンピオンズリーグ」と「UEFAカップ」のそれぞれ決勝に残った2チームづつの計4チームのうち2チームが、オリンピック・マルセイユとASモナコだからってことでさあフランスの時代がやって来たぞフランス的な戦術眼の高いサッカーこそがこれからの流行だってことになるかってゆーと、これがなかなかにやっかいな問題を抱えていて難しそー。

 セリエAをことさらに持ち上げる大手マスコミに「4−2−3−1」を金科玉条の如くもてはやすスペイン命の評論家はゴマンといても、「リーグ・アン」を日々ウォッチして語ってくれている人ってあんまり見あたらないのが現実で、このままフランスサッカーのブームが来てモンペリエにいる広山望選手に注目が集まって、代表に招集されるなんてことにはならなさそーなのが寂しいところ。セリエAなら残留争いをしているチームの控えだって黄金と呼ばれて招集されるのに。

 メディアの伊西英蘭高仏低のおかげで(1ケタ背番号で安かったってこともあって)ポルトガル代表ユニフォームにネームと背番号を入れて応援することに決めたポルトガル代表の不動のワントップ、パリ・サンジェルマン所属のパウレタ選手の情報が日本に全然入って来ないのもつまらない所で、「EURO2004」で活躍するなり、リヨンを抜いて優勝を果たして来年の「チャンピオンズリーグ」で大活躍して大活躍して日本のメディアも注目せざるを得ない存在になってくれることを密かに期待。

 もっともフランスのサッカーの優秀性を持ち上げてしまった延長で、フランスが産んだあの監督にスポットが当たることを嫌ってフランスに関しては眼をつぶる評論家やメディアの人もいそーで、モナコが勝ってマルセイユが勝って欧州のカップを2つともフランスが取ったって、きっと無視されセリエAのA.C.ミランの優勝にリーガ・エスパニョーラのレアル・マドリッドの凋落(バレンシアの優勝はその次の次くらいのバリュー)が、今さらながらに日本のメディアに評論家のペンを支配しそーな予感。せいぜいが元レアル・マドリッドってことでモナコのモリエンテス選手が一人突出して取り上げられるってところかな。それでも取り上げられないよりはましか。「チャンピオンズリーグ」も「UEFAカップ」もどちらが勝ち残るのか分からないけど、個人的にはCLはモナコでUEFAカップはバレンシアが勝ちスーパーカップを戦って欲しいところ。これって屈指の好カードだと思うんだけど。日本でやってくれないかなあ。「トヨタカップ」は代わりにあげても良いから見たいなあ。

 手前勝手な思いこみで突っ走るキャラクターなり一群の行動や思考を代わる代わる描いていきながら最後は1つのストーリーへと収斂させる成田良悟さんの腕前だったらデビュー作の「バッカーノ!」でもって存分に発揮されているのを見て知っていたはずだったけど、最新刊の「ヴぁんぷ!」(電撃文庫、610円)でもってさらに一段と洗練されて来ているみたいで、いったいどうつながるんだろう? って思わせるくらいにてんでばらばらな集団の取る手前勝手な行動が、世界でも究極に変わった形態をした吸血鬼を中心に置いて繰り広げられる戦いのクライマックスとそしてエンディングへと繋がり結ばれる展開に、相変わらずだけど極上のエンターテインメント小説を読んだなあ、って気にさせられた。

 どっかの島を預かる吸血鬼が養子に迎えた男女の双子の子供吸血鬼がいて、吸血鬼を対峙して歩くハンターがいて、吸血鬼を食べてその才覚を自分のものいしてしまう食人鬼がいて、島を預かる吸血鬼に仲間の吸血鬼をけしかけこれを排除しよーとする半人半妖の吸血鬼がいて、って感じに重層的で多面的に重なり繋がるキャラクターがたちにそれぞれの持ち味を存分に発揮してもらいながらも、物語自体はキッチリとコントロール下に置いて暴走をさせず静かに、人死にとかあんまりなく心地よい感じに終わらせているからたいしたもの。これはこれで完結してしまって続きとかありそーもないけれど、「バッカーノ!」だって続きがあって結果としては楽しくっても最初は次があるのか微妙に感じたこともあるだけに、新シリーズとして立ち上げてもらいたいもの。けどその前に「デュラララ!!」の続編ってのも欲しいけど。

 サッカー女子日本代表に秘密兵器との報。あるいは上田栄治監督お得意の情報戦術かもしれないけれどスピードと突破力があって何より美少女系ってことだととりあえず、パッと思い浮かぶのが日テレ・ベレーザの山口麻美選手なんだけど170センチない人を女子とは言っても長身と読んで良いのか微妙だし、荒川恵理子選手(あらかわごーる、あっらーかーわごーる!)に大野忍選手(おーのしのーぶおーのしのーぶ!)の応援ソングを持つツートップを押しのけてレギュラーを確保できるかどーかって位置にいたし、今年は復活してメディアもスターシステム的に大注目の永里優季選手もレギュラー取りに来るだろーから、そんなお歴々を飛ばしていきなり日本代表ってのも考えにくいんで違うかも。でも去年末のLリーグの上位リーグ戦とか、1月の女子選手権では結構出場して実力の程を伺わせていたからあるいはそうなのかも。この山口選手とそれから同じベレーザにいて左サイドを切り裂く近賀ゆかり選手が、フィジカルも固めて代表に入って来たら前線のスピードもさらに上がりそー。期して続報を待とう。アテネ行きてぇ。


【5月6日】 アニプレックスから届いていたリリースにフジテレビで途中打ち切りの憂き目にあった「R.O.D THE TV」が余りのことだからと一挙再放送されることに決定したそーで万歳……できません、だってCSチャンネル「フジテレビ21」での再放送だから。なるほど「DVD発売まで待てない」って声には応えているかもしれないけれど、「楽しみにしていたのにあんまりだ」って人の多くは真夜中の地上波を眠い眼こすりながら固唾をのんで見守っていたか機械任せで録画して朝の視聴を楽しみにしていた人たちで、そんな人たちが望んでいるのはたった1つ、地上波でも続きの放映であってアンテナがないと見られないCSでの放映なんて期待していない。

 いやそういう人もいるかもしれないけれどBSすら見られない環境にいる僕にはまるで関係ない。5月29日に14話までを6時間40分かけて流し翌30日に5時間40分かけて26話までを一気に流す英断は買ってあげても良いけれど、それを見られない僕はやっぱり5月のDVD8巻と、9月の最終巻発売を静かに待つしかないみたい。かくして墜ちた飛行機もろとも紙使い3姉妹の上2人と菫川ねねねの死亡状態はとりあえず今月26日のDVD第8巻リリースまで続くのであった。もしかしてほんとうに全員死んでいたりして。でもって残り6話は椅子に座ったアニタちゃんが回想の中を彷徨うだけだったりして。おめでとう。あたしはここにいていいんだ。ちょっと見たいかも。「ゲーマーズ」で売ってた「アニタちゃんマグカップ」は買うべきか?

 牛肉に「JASマーク」が付いて初めて発売されるってゆー会見と販売の模様を見物に青物横町から歩いて7分の所にある「ジャスコ」へ。つまるところ昨今の”食の安心と安全”とやらを尊ぶ風潮から、どこで取れて誰が育てたってことに加えてどんな餌を食べさせられ、どんな薬を投与され治療を受けてきたかまでがばっちり分かるよーになっている牛については、農水省が認める「JASマーク」を付けて発売できるってことで買う人にとってはまあ、ひとつの”お墨付き”にはなっている。

 ただこーゆー話を聞いて想うのは、昔は別に「JASマーク」とかなく生産者履歴なんか分からなくってもそれなりに、まっとうな食材を作り手も仕入れ手も売り手も取り扱おうって心意気にあふれてて、そんな心意気を買い手も信じて安心も安全も成り立っていたって気がするってこと。それが何時の時代からか、コストとか諸々の問題もあってか安心・安全に支障を来す可能性が生まれたり、商業至上で買い手の心意気を愚弄する作り手に仕入れ手に売り手が出てきてしまったり、逆に売り手らの心意気を買い手が逆手に取ったりと、どこかサイクルに躓きが出来てしまっているよーに思えて仕方がない。性善説の世界が性悪説になった感じ、ってことになるのかも。

 だからこそクローズアップされた”お墨付き”ってことでなるほど、これがあれば買い手は安心できるし売り手も誇れるんだろーけれど、問題は”お墨付き”が情報を開示して安心を与えることにはつながっても、その情報がすなわち安全かを確認し判断できるだけの知識も才覚も、買い手にはなかったりする訳で、結果”お墨付き”がいわゆる善し悪しを判断するための尺度として、松阪とか神戸といったブランドにも似て一人歩きしてしまう、なんて事態へと陥ってしまう可能性が懸念されて仕方ない。

 初めての「JASマーク」付き牛肉を作った人も、もちろん安全の面まで配慮して作った牛肉とゆー自信は今回の商品について確実に持ってはいても、別の場所で与えられる”お墨付き”の枠組みを超えず、判断停止、思考停止の材料に「JASマーク」なり国が定める規格がされてしまうことを心配してた。いくら仕組みを作っても、それが有効に運用されて初めて効果が上がるものなんで、認証制度が権益拡大の具として使われる恐れはないのかも含めて、制度がどう運用されていくのかを見極めたいところ。とりあえずTSアンガス宮下牧場が作った牛肉は赤身で味わい深いものでした。100グラム780円もするもんなあ。88円の豚コマとは違うよなあ。

 ナマズみたいなクラゲみたいな奇妙な生き物とそれから小さい少女を海辺で拾って10年。大学生となって下宿を始めた村上のところにその奇妙な生き物「ポー」とそして小さい少女の「モコ」はなぜか付いて来ていて、「ポー」はガラの悪い言葉遣いで村上に対して減らず口を叩きまくり、「モコ」はそんな「ポー」の上にしがみついたまま1言も喋らず村上に笑顔やさまざまな表情を見せては彼を和ませている。まるで天使とヤクザのよーな美女とヒモのよーな「モコ」と「ポー」のセットだけど、2つを引き離すとなぜかどちらも動きを止めて人形か縫いぐるみのよーになってしまうから、いくら「ポー」がうっとうしいからといって捨てられない。かくして今日もきょうとて「ポー」は村上に恩着せがましくも面倒見の良さを内包した減らず口を叩いては、村上を嘆かせている。

 そんなどことなく不条理っぽい始まりを見せた東城和実さんの「秘密のポー」(新書館、530円)は、動力もないのに動く「モコ」や喋る「ポー」を不思議に思ったロボットマニアの少年が現れては「モコ」や「ポー」を浚うべく、姿を変えて村上に近づき奇妙な関係へと陥ってしまうエピソードへと発展したり、かつて「ポー」たちと暮らしていたとゆー男が現れては「ポー」たちがいつか去ってしまう恐怖を村上に与えて悩ませるエピソードが描かれたりと、「モコ」や「ポー」の正体は一体何なのか、ってあたりはどちらかと言えば二の次三の次で、村上を中心に「ポー」と「モコ」を挟んで周囲の人たちを巻き込み繰り広げられるドタバタだったりハラハラだったりする物語が描かれる。

 見られちゃヤバい小さな女の子を侍らせている少年の葛藤、ってのは「南君の恋人」とか「美鳥の日々」なんかと共通なのかもしれないけれど、「モコ」の場合は喋らず意志も表さず、ただ笑ったり怒ったりといった表情を見せるだけの存在で、そんな「モコ」を媒介にして「モコ」の実は本当の姿なのかもしれない「ポー」が繰り出す言葉や行動が、村上を叱咤し引っ張り動かしてるって構図は目新しいし面白い。「モコ」はとにかく可愛さ抜群で、これまでの東城さんのキャラの中でも最強に近いところがあるけれど、その可愛さに引っ張られながらも溺れることなくストーリーとして読めるのも、「ポー」とゆー存在を置いて奇妙な三角関係を作って、その周囲にキャラクターとドラマを拡げていった構成の妙があったからなのかも。ともあれ傑作。快作。読めば一家に1セット、「ポー」と「モコ」が欲しくなる。それにしてもどんな田舎へと引っ込んだんだろー、東城さん。関西っぽいんだけど日記の写真とか見ると花咲き乱れてとてもじゃないが日本には見えないんだよね。デンマークとかフィンランドとかシベリアとか、そんな所だったりして。


【5月5日】 柏餅食べてない。明け方にかけてNHKで1990年の風俗と音楽を流す番組をやっててちょうと東京に出てきた時に見聞きした文化風俗がそこに映し出されて、まだ未来のあった当時を思い出してすでに未来どころか明日すらあやふやな今を思って悲嘆に涙ぐむ。誰を読者と想定しないまま鶴の一声で決まった休日刊行の挙げ句にキオスクにタワーとなって雨に濡れる新聞を見るとなあ、鹿児島新報がどうとか言ってられないもんなあ。発行部数3万より少なくなっても平気に赤字を垂れ流してた新聞をよっく知ってるし、累積赤字3億6000万円なんてどっかに比べれば全然少ないし……。売上はでもちょっと少なすぎるか。東京で店を広げてたからこその命脈だったってことなのかなあ。あと親会社の体面って奴。それもいつまで保つことやら。タワーすら作らせてもらえなくなって来てるし。

 起きて録画してあった「爆裂天使さまが見てる」を見る。じゃないただの「爆裂天使」だけどなぜか学園ドラマになっててお姉さまが出てきてお茶会に誘ってって「マリみて」もどきの展開に、今の旬を巧みに取り入れ視聴者を誘うエンターテインメントの神髄を見る。GONZOにそんな器用なまねが出来るとは。とはいえ「ダフネ」には露出で負けるものの迫力だけはたっぷりなガンアクションが売りの作品だけあって、今回の展開はやっぱりちょっぴり妙だと思ったもののそこややっぱり「爆裂天使」、なにやら犯罪の香り漂う展開の中で得たいの知れない怪物が登場してはこれまでどーりのバトルを見せてくれそーで、怪物の正体ともども来週への期待がかかる。白の多さではこれまでで最高。メグのウエスタンもどきじゃない格好を初めて見たよ。

 そのまま家を出て空を見上げて降る雨に「味の素スタジアム」で開催される「東京ヴェルディ1969vsジェフユナイテッド市原」を見に行くことを呆気なく断念。したら森本貴之選手がJリーグ史上最年少のゴールを決めたとかで歴史の瞬間を見逃してしまって慚愧が悔恨にまみれる憂き目に遭ったけど、それは夜のテレビで確かめることにしてここは日曜日の「フェフユナイテッド市原vs名古屋グランパスエイト」とゆー、名古屋で生まれて千葉に住む僕ならではの”俺様ダービー”に賭けることにしよー。どっちを応援したら良いのかが目下の悩み。ジェフには勝って上位に踏みとどまって欲しいしグランパスエイトにも勝って上へと上がって欲しいし。キング望月出ないかな。

 飛田給行きは諦めて木場にある「東京都現代美術館」で展覧会「YES オノ・ヨーコ展」を見物。ロビーにいきなり植木が並んでいてちょっぴりナチュラルって思って見たら植木が生えているのが棺桶で、それがロビーにぎっしりとゆー状況が意味することへの戦慄を覚える。死から生まれる生。死を吸って伸びる命。ある意味ではとっても前向きでエネルギッシュな作品だけど、別の意味ではとてつもなく残酷でペシミスティックな作品かも。そんな作品をそれと意識することなく、雨天とはいえガラス越しに差し込む光に映える観葉植物として眺める家族連れがいる状況の方が凄くって、ちょっと怖い。

 さてオノ・ヨーコ。世間的にはジョン・レノンの夫人って方が通りが良いしそーいった属性からその作品を斜めに見る人も多いよーだけど、ダコタハウスの前でジョン・レノンとゆー有名なミュージシャンが射殺されたってニュースでもって、「ザ・ビートルズ」とゆーバンドとその中心的な役割をポール・マッカートニーって”シンガー”と担っていたジョン・レノンって人物の名前を知った身にとって、価値観ではオノ・ヨーコと実のところ大差なく、後で「ビートルズ」のどれだけ凄かったかを見知ってもなお一方で、アートのことを知って「フルクサス」とか「ハイ・レッド・センター」とかの名前を見聞きする中で登場して来たヨーコ・オノの方が時としては大きかったりする関係で、ジョン・レノンの名前を意識することなくオノ・ヨーコがどんな活動をして来てそこにジョン・レノンがどう絡んだのかを、素直に見ることができた。

 「フルクサス」周りから言葉によって何かを指令してそこから生まれる行為全体をひとつの作品とみなすインストラクション・アートに自分の来ている服を切り刻ませてその姿をカメラや人々の前にさらすパフォーマンスとさまざまな活動が並べられているけれど、通じて感じるのはそのジャーナリスティックな視点で、同じ時期を活動して来た草間彌生さんが己の内に渦巻く衝動や幻視を様々な物や色として発散させて北野とは対照的に世界に漂うさまざまな事象をつかみ言葉や形の中へと封じ込めて見せた感じのある作品は、アートであると同時にジャーナルとしてのニュアンスを感じさせてくれる。

 加えてそこから放たれるメッセージが、時事性を帯びすぎておらずむしろ人類なり世界なりが抱える普遍的な問題に対峙しているってのも興味深いところ。反戦ソングなんかがベトナム戦争の終焉とともに陳腐化してしまうのと違って、いついかなる時代にも共通の死への畏怖、生への賛辞を含み人が人として生まれ育ち老い死ぬ中で覚える数々の出来事に対して、なにがしかの刺激を与えてくれているよーな気がする。深く聴いた訳じゃないけどジョン・レノンの曲が時代を超えて長く歌い継がれているのとも共通する部分があるのかな。それがどちらからどちらえの影響なのかは分からないけれど、展覧会を観るにつけオノ・ヨーコってアーティストの資質がそれなりに、ジョン・レノンへと及んでいたのではないかって思えて来る。

 作品的には吹き抜けの樹木にメッセージを書いた札を吊していく作品が好きかも。神社のおみくじを結ぶ木みたく白い札がぶらさがった木は遠目にも美しく、近寄ればそこにさまざまな想いがしたためられてエネルギーを感じさせられる。あと映像作品でヌードの女性の上を蠅が動き回る様を映すバックでオノ・ヨーコの叫びみたいな歌声が甲高く鳴り響く作品が印象的。何が凄いって女性の股間のつまりはもじゃもじゃとぷくぷくがスクリーンの大映しになるってことで前に観た「球体関節人形展」で割れ目がそこかしこに置かれていた以上のインパクトがあった。一昔前だとこれ自体がニュースとして取り上げられた可能性もあるけど今では話題にも上らない。それだけ文化度が増したってことなのか、それとも世間が淫靡なものに鈍感になってしまったのか。コンビニで毛まみれになれる時代だもんなあ。

 ざらっと秋葉原へ回って「ゲーマーズ」でよーやくやっと「東京ゴッドファーザーズ」のデラックス・ボックスをゲット。残り1つってことはもしかして売れているのかそれとも売れないんで入っていなかったのか。おまけで入っている絵コンテなんかは本当は、別にもっと大きな版形でちゃんとした刊行物として出して欲しい気もするけれど、味はあっても決して巧みとは言えない絵柄の押井守さんの「イノセンス」の絵コンテがフィギュア付きで刊行されても、レイアウトまで考え抜かれて観ればとても参考になる今敏さんの絵コンテはDVDのおまけでしか発行できないのが悲しい。この矛盾を果たしてどー考えれば良いのか。これで「アニメ大国」だなんて喜んでいるよーじゃー、日本の栄華も長くはないかも。藤津亮太さんがここでも仕事してる。どんどんと進んで行くなあ。


【5月4日】 ”輸入CD撲滅法”の反対集会に行こーとしたら到着した「ロフトプラスワン」は開場が通常の開演1時間前じゃなくって30分前になってて午後1時からの開演に先立つ正午ですでに上のコンビニを超える長さで行列が出来ていて、入れても結構混雑しそーだしこれだけ人がいれば後でリポートもたくさん出るだろーからとパスして新宿駅から電車を乗り継ぎ「コミティア」へと回ってざらりざらりと見物する。どこに何が出ているのかを事前にチェックしないと動くだけでも大変な「コミックマーケット」と違ってホールの1つだけを使った「コミティア」は人気サークルに行列する覚悟さえなければ隅から隅までずいずいっと回って気に入った絵柄のものを手にとって見ていけるのがなかなかに良さげて昔だったらあれを買い、これを買って1万円とか使ってしまった可能性もあったけど持ち帰っても置く場所がなくなった昨今は購入を自粛気味。いずれプロフェッショナルなフィールドへと出てきてくれる可能性を想像しながら記憶の片隅に唾を付けておくくらいに止める。

 ってもすでに「プロキシマ1.3」をFOX出版から刊行していて「九龍」にも作品を寄せてて「SFマガジン」が来月から起用したって不思議が無さそーな作風を持っている栗岳高弘さんとか幻冬舎コミックスから作品集も個人的に絶賛好評刊行中のあびゅうきょさんとかプロのフィールドで活動している人も見受けられて、そんな人たちと通路を流れる肉&汗のプレッシャーに押されることなく対峙出来るって意味でも貴重な即売会なのかも。もっともいい歳をしてファンですぅ、と話しかけるのも恥ずかしかったんで両名とも前で立ち止まり本をペラペラとめくって元に戻して歩み去った僕。勇気を下さい。

 なぜか出張して店を開いていたジュンク堂で忙しそうに働く書店員を遠目に観察。卓の上に新刊本をほぼ立ち読みできる形で並べてタダ読みあるいはタダ取りされかねないって心配したけど、そこは漫画を愛する人たちばかりのイベントだけあって山と群がり長時間立ち読みする人の数もそれほど見受けられず、かといって同人誌即売会に商業出版の本屋が来るのは邪道と排除することもなく、お気に入りの作品があれば買って帰る人も多くいて休む暇もない繁盛ぶりだった模様。まずは大成功だったって言えるでしょー。

 並べられていた本のラインアップはジュンク堂池袋店の地下漫画売り場をまんまダイジェストで持ってきた感じで、三浦冬さんの「とわにみるゆめ。」(ワニマガジン社、857円)もあれば西島大介さんの「凹村戦争」(早川書房、1300円)もあったり宮本福助さんの「拝み屋横町顛末記二」(スタジオDNA、552円)があったりと僕好み。買い逃している本もあって買おうかとも思ったけれど出没はしても接触はできない臆病者故に遠巻きにして引き上げる。けど「金魚屋古書店出納帳」をデザインしたブックカバーは欲しかったかも。買わずに持って帰るのも気がひけたんで見送ったけど持って帰って良かったのかな。

 「SF・アニメーション茨城研究所」だかいった所から出ていたコピー誌が見本誌のコーナーにあって読んで美樹本絵っぽい線の美少女とかラムちゃんっぽい(そのものラムちゃんだったかも)美少女とかが描かれ周囲を字が埋める造りで妙に80年代っぽさを覚えて買って帰ろーかと思ったもののやっぱり卓の前に行って「これください」と言う勇気が出せずい断念して今になってちょっと後悔。そんなこんなで帰宅して未読の文庫の読破にかかる。まずは電撃文庫から出ている水瀬葉月さん「結界師のフーガ」(電撃文庫、590円)は結界を張ることに長けて妖怪を逃がす仕事を生業にしている女性が助手の少年と連れだって、田舎の村へと乗り込みそこから1人の少女を救い出そうと頑張るストーリー。

 トレンチコートにソフト帽、口を開けば男性っぽいトーンで喋る逆貫絵馬って「逃がし屋」の女性の造形は嫌いじゃないし、隠れ里的になった村で暮らす妖怪の末裔たちがめぐらす陰謀をひとつひとつ暴いていく展開も伝奇ミステリーっぽくって面白いけど、ヤングアダルトの文庫ってこともあって登場人物達の動機が割にストレートに行動へと結びついてしまう部分があって、分かりやすいものの分かりやすすぎて”まつろわぬ者”たちが持つ哀しみへの同情が起こりにくいのが悩ましいところか。一方で村で執り行われる儀式についてはいろいろ考えられていて、その辺りにかける熱情は評価したいところ。腐れ縁の烏天狗に妖怪の血を引く美少女までもが加わって賑やかさを増すキャラクターたちにはきっと次の舞台も用意されそー。とゆーかそーでなければもったい無いんで作者の人には是非に絵馬の飄々とした性格をはじめキャラクターたちの特徴を失わせず、考え抜かれた設定の上で深遠さも持ったドラマを描いてもらいたいところ。あとお風呂シーンも忘れずに。出来ればイラストもそこを。

 あかつきゆやの「輪廻ノムコウ」(電撃文庫、570円)を続けざまに一読。吸血鬼となってしまったものの人を危めることを良しとしない一族を抜けて逃げ出し人を殺め続ける者たちを追って日本へとやって来た美少年ブラザーズが見つけたターゲット。ところが思わぬ反撃にあいまた人間を巻き込んでしまって思うに任せない事態となる。迫害された魔女。吸血鬼の未来。輪廻の是非。姉妹兄弟の絆。ほかさまざまなキーワードが縦横に張り巡らされて厚くない割に盛りだくさんな印象で、読み応えはあるけどやや入り組んだ感じもあってこれまた悩ましいところ。居着いてしまうエンディングはシリーズ化とかを意識したものなのかもしれないけれど、とりあえずの目標が逃亡してしまった中で場所を変えずに続けるのってなかなかに微妙でその辺りを、「輪廻」とゆー主題でカバーしていけるのかどーかを注目したいところ。辻葵ってキャラの抜けっぷりにあるいは秘密があるのかな。


【5月3日】 「美鳥の日々」でお前ちゃんと握らせてやれよそれで喜ぶんだったらって突っ込みたくなる気持ちをそらしてNHKの教育でやってた謎のバレエを鑑賞。白いレオタードの女性と白いパンツの男性があれやこれや踊るだけのお遊戯みたいな舞踏みたいな舞台で、そんなにメジャーな出しものではないのかな、なんて思ったものの出てくるダンサーたちの全員がなかなか以上の踊り手ばかりで場所もNHKホールらしく、その規模の大きさにこれは一体何だろーと見続けて「ピンク・フロイド」の音楽に乗って踊るローラン・プティ振り付けの「ピンク・フロイド・バレエ」だと判明。プログレッシブに絢爛な音楽をバックに飾り気のないダンサーたちの肉体を隅々まで伸ばし曲げるダンスの不思議なコラボーションぶりに、知らず見入ってしまって時間が過ぎる。白いレオタードの女性の薄いながらも盛り上がった胸元に惹き付けられた訳じゃないよ。

 「ボレロ」の高揚していく音楽の中心で肉体を爆発させていくジョルジュ・ドンが圧倒的だったモーリス・ベジャールの「ボレロ」は見れば人目で誰でも納得させられる出し物だけど、「ピンク・フロイド」の音楽に合わせて何人ものダンサーがユニゾンで踊る姿のシンプルなんだけど迫力いっぱいのこの「ピンク・フロイド・バレエ」もなかなか。アンコールの「吹けよよ風、呼べよ嵐」の始まり部分でダンサー達がしゃがんだ格好から足をぱかぱかさせる動きの滑稽さのちょい吹きそーになったけど、それとで演じる上では腹筋胸筋に脚の筋肉を鍛え股関節を柔らかくしておかねば不可能な動き。あとに続く群舞の迫力と揃いっぷりはテレビで見ていても感じるものがあるだけに、実際の会場で見ればきっと飛び散る汗と舞台を踏む足音の喧噪ともども、圧倒されてしまうことだろー。どの扉からアブドーラ・ザ・ブッチャーが入って来るのか、ってことを考える暇もなく。もし今度どっかで演るよーなことがあったら見に行こー。

 続けて始まったバレエ「ザ・フォー・シーズンズ」の「春」は舞台ではなくテレビ向け映像作品向けって感じの演出でスタジオっぽい場所でヴィヴァルディの有名な曲にあわせて着衣の男性のダンサーがクラシックっぽいけど絢爛ではなく何かを意味しているよーな動きをしているその周囲を、ニンフのよーな女性ダンサーが時折囲んで踊るなかなかに美しい映像で、おそらくは綿密に着られた絵コンテか何かに沿って様々なテイクを様々な角度から撮った上で繋ぎあわせた編集の妙味とも合わさって、見ていて心地良い気持ちにさせてくれる。なかなかに良品。「春」ってことは「ザ・フォー・シーズンズ」ってことは「夏」「秋」「冬」ってのもあって揃って見られる機会とかあるいは映像作品とかがあるのかな。ちょっと見てみたい気が。問題はヴィヴァルディの「春」以外の「四季」がどんな曲か知らないってことなんだけど。学校の音楽で「春」しか聴かせてくれないんだよね。ベートーベンは5番の冒頭とと6番の冒頭と9番の第4楽章の合唱が始まった後だけだったし。

 市川妙典で「キル・ビル2」。逃げ出したのをよーやく探し当てて見つけた、エル・パソでの結婚式を控えてウエディング・ドレスを着たユマ・サーマンの美しさに老獪なビルがぶちキレて教会にいる奴らを皆殺しにしたくなるったのもよく分かる。そんな輝きを教会のシーンで放っていたと思ったら、中国かどっかの寺でパイ・メイって一体何年何百年生きているのか分からない伝説の拳法家だかに弟子入りする場面ではまだ汚れを知らない(と言ってもすでに虎鶴拳と日本刀の達人だから殺ることは殺ってたのかな)子供っぽい表情にしぐさもしてみせるユマ・サーマンは凄いかも。

 日本でこれだけの表情を見せられる役者ってと広末涼子さんはどこまでも天然だし顎のとがり具合に似たところを見た葉月里緒菜さんは綺麗だけど仏頂面しかできないからちょっと違うか、うーんちょっと思い浮かばない。舞台で鍛え上げられた達人達を横目にアイドルを女優に仕立ててネームバリューで売る日本の映画界では絶対、出てこない女優ってことなのかも。あるいは宝塚の卒業組に埋めて欲しい所なんだけど天海祐希移行に銀幕的女優感を持った人ってあんまりいない気もするし、ってか天海さんもあんまり銀幕向きじゃなかったし。

 その点、エル・ドライバー役のダリル・ハンナだったら日本人でも代わりはいそー。それなりな美貌で大きくてガサツなのを配置しておけば雰囲気だけは出せるし。ただやっぱり歳それなりでも維持され切ってる美貌にスタイルってなると日本人では難しいってのも事実であと、あれだけのアクションを見せられるってのもそんなにいそーもないからやっぱりハリウッドでなければ出来なかった映画ってことなのか。ともあれ1番の見所と言われていたハリウッド女優版「サンダ対ガイラ」のシーンは狭いトレーラーハウスの空間を巨大な女性たちが手に刀を持ちつつ蹴るは殴るわの大乱闘で迫力たっぷり。おまけにリューシー・リューが相手のラストを綺麗に(どこがだ?)飾った殺陣とは違って卑怯技も存分で、これがプロの戦いかと目を見張る。頭が河童なリューシー・リューと違う終わり方は次への余韻? エンドロールで「?」が被り最後にユマ・サーマンが「もう1度」って言っているのが気になる。あるのか「続サンダ対ガイラ対ミニラ対大魔人」?

 映画としては分けて正解って印象。あのど迫力の殺陣シーンからすぐに続いて割に回顧的なシーンが淡々と続き、闘ってもミニマムなフィールドで進んでいく展開に来られると、飽きて眠気も浮かんでしまった可能性が大なんでいったん区切った後で改めて、ビルとユマ・サーマンとの関係を主軸に据えつつ周囲に復讐の話を散りばめ見る人を惹き付け、最後を愛あればこその憎しみの物語で締め、幸福のなかにホロ苦さを覚えさせた2部制を結果論としてだけど支持します。いらないエピソードをつまんで1部性で畳みかけるって手もないではないからその辺を勘案したショートバージョンとか出てくるのにも期待。DVDは2が出た時に1部とのセット版が出る可能性にかけよー。とか言ってると3部の制作とか決まって買えなくなるんだ。

 美少女キャラに容赦がないねえ渡邊裕多郎さん。これが完結らしー「日出づる国の吸血鬼3」(ソノラマ文庫、495円)は前巻で美貌と強さを兼ね備えていた個人的にはシリーズでも一押しキャラだったデスちゃんが非道にも呆気なく粉砕されて激しく気落ちし作者に呪いの念を夜ごとみしみしと送る羽目になったんだけど、第3巻でもそれなりに重要な役割を持って登場した美少女キャラにやっぱり凄まじいラストを飾らせていて、その扱いの情け容赦なさに一体過去に美少女たちからどんな仕打ちを受けたんだって訝りたくなる。袖にされたか踏まれたか。踏まれたんならそれはそれで羨ましいことじゃないですか。

 中に「東の王」と呼ばれる強大な吸血鬼の転生した魂をかかえて現代に生きる天草京四郎が「東の王」」を倒そうと寄ってくる吸血鬼やら妖怪やらの相手をして来たシリーズで、最後に来るのは「東の王」に殺されたとゆー「大野東風」とゆー吸血鬼の生まれ変わり。柔術を嗜む吉田とゆー少年の中に転生した東風はけれども妙に良い奴で、「東の王」は相手にしても普段は眠っている「東の王」を中に宿している京四郎とは闘わないフェアな態度を見せて京四郎を惹き付ける。もしかして育まれる友情ストーリー? かと思ったのもつかの間、「東の王」に従う少女「なりか」と関わりの深い別の少女が東風の配下として現れ落ち着きを見せていた京四郎と東風との関係に亀裂を入れる。

 裏切りと復活の物語の果てに来るラストバトルがもたらす数々の別離。その結果もたらされるどこか虚ろな気持ちを埋めてくれるのはこの先に再びみたびと繰り広げられるだろー闘いでしかない、ってことでせっかくの「完結」は「第一部」としてこの先にいまひとたびの「日出づる国の吸血鬼」を展開していって欲しいもの。「まだおわっていない」と「東の王」も叫んでいることだしね。まあ一応の完結ってことで、格闘技の蘊蓄の合間に吸血鬼たちのバトルがあり、そのバトルも情念がたぎりパワーがぶつかり合うなかに妙な理屈っぽさもあっていわゆる伝奇とはちょっぴり違った、軽妙さ剽軽さを持ったシリーズは他になく貴重。これを機会に読んでみては如何。あふれ返った知識とキャラクターたちを通して垣間見る実戦に、格闘技がちょっとだけ強くなった気にもなれるから。


【5月2日】 「ふたき旅館」で合宿でライトノベルが本屋で売られていなくて困ったって話。近所にライトノベルをほとんど完璧に揃えた本屋が2軒もあり30分で秋葉原まで出向ける環境にいるとなかなか、ライトノベルが買えずに困ったって経験はしないけれど年の終わりにベストなんかを組もうとする時に、初めの頃の奴が見あたらず買い直しに本屋に行ってまるで揃わない現実なんかを目の当たりにすると、バックナンバーを揃えられない書店に揃えさせない出版社の抱える問題めいたものを感じるだけにどうしたものかと首をひねる。でも雑誌なんかだとバックナンバーを置いてる書店はない訳で、一般的な文庫が毎月のよーに発売されては数週間で消えてしまう実状なんかも踏まえつつ、小説の文庫もそーゆーものと似た立場にありつつあると考えるのが状況を理解する上で正しいのかも。ライトノベルに限った話でははい、ってことで。

 アニメの部屋で春に始まった新作アニメの話。「ジオブリーダーズ」は入りませんか? あのオープニングの格好良さを見て貰ってもっと大勢の人にファンになってもらいたかったのに。でもテレビで放映されてるOVAを見たってまるで理解できないから逆に反発をくらったかも。けどテレビCMの格好良さに興味を惹かれて単行本をむさぼり読むよーになってそれから「月刊ヤングキングアワーズ」を見るよーになってOVAの第2期も買って真紀ちゃんにあこがれて「モーゼルミリタリー」のモデルガンを買うよーになる人を出して景気浮揚に効果を発揮する可能性もあるからなー。そーゆー人を1人知ってるだけに(僕だよ)ちょろりとでも出して頂きたかったところ。SFって認知されていなかったのかなあ。「恋風」よりはSFだと思うんだがなあ。

瓶に埋もれて倒れる人たち。議論し飲んで眠る嗚呼これが文化って奴なのか  3時間目は2年越しの「東浩紀vs浅暮三文」の夜通し対決。では本来なく西島大介さんの「凹村戦争」についての感想大会だったんだけど一般的に物語展開的に懐かしいとか普通とか、いった全体からの感想から次にどういう方向へと向かうんだ、って建設的な意見の中にとりあえず収束、したと思ったらSFに何を盛り込むかで2年前、エルサレムやパレスチナの問題について小説にどう書くかを訴えて実際にそーゆー小説を書いた浅暮さんがメールマガジンを始めて小説の世界に起こっている潮流をリアルタイムで世間にアピールするメディアを自分で持った東浩紀さんにそれは分かるがでは、どーゆー問題意識で、ってゆーか何を世界に伝えたいと思ってメールマガジンを始めたのかってことで意見をぶつけてそこに、ポリティカルなり何なりのメッセージがあってしかるべきってニュアンスの浅暮さんと既存のアカデミズムによる序列にまず異論を唱えたいとゆー東さんとでは、フェーズに違いがあって平行線を辿り最後まで交わらず2年前と同様に次々と崩れ落ちていく周囲の中で次回へと持ち越しそーな雰囲気で終わる。

 めぐりめぐって再び西島さんの「凹村戦争」に関する話となって徳間書店で漫画編集を長く経験した大野修一・アニメージュ編集長があの物語に対して今の西島さんのペラッとしたキャラクターが奥行きのある背景の中で動き回る絵柄が有効か、もっとぷにぷにっとしたキャラクターであった方が編集者として、つまりは商業的により成功するものを送りだそーと考えている立場として有効ではあったんじゃないかって意見を言ってなるほど、それは正しい意見として理解する。

 ものの一方で商業的に漫画作品を送り出していくことを義務づけられている出版社ではなく、小説のSF叢書の中に1冊漫画を紛れ込ませて世に問うことが既成のSFに対して刺激になるってニュアンスもあったよーに見える「凹村戦争」の場合、ストーリーの奇をてらわない流れがあってそれをエッジの効いた絵で表現することによって浮かぶ、適度な先鋭性とそれからノスタルジックな感じを覚えさせ、SFの人も漫画の人も気を惹かれつつ読んで納得と驚嘆を得られたのかもってパッケージングの上での特性もあってどちらがよりベターだったのかを問うのが難しい。

 仮にあの物語を高橋しんさんが「週刊ビッグコミックスピリッツ」誌上でやったとして好評は得ても西島さんと同じ読後感を得られたか、ってゆーと違うよーな気もするし。10年経って西島さんが萌えぷにっとした絵を自在に描けるよーになって再び「凹村戦争」に挑むってのも面白いかも。もっとも滅び行く田舎への憧憬を込めた物語だったおおのやすゆきさんの「ゆめのかよいじ」が、絵柄を変えて書いてもそれなりに感動を得られた(僕だけ?)のとは違って、今ある世界の閉塞感と世界への絶望感をあっけらかんとした中に描いているからこそ意味を持つ「凹村戦争」のメッセージ性が、10年後でも同様のメッセージを社会に突きつけられるか分からないからなあ。その時代のその瞬間に輝く物語とそれを伝える手段(絵なりメディアなり)の問題について考えさせられた夜でした。

 倒れ伏す人たちが大勢出る中で相変わらず舌鋒高らかに自作について話す浅暮さんを見つつ会場を辞して帰って眠って起きて「月刊ヤングキングアワーズ」の2004年6月号を買って読む。「ジオブリーダーズ」は続くピンチにいよいよ大きな展開の起こりそーな予感、はするけど”終わらない学園祭”の中でピンチになっても結局元どーりのただれた日常が続いていたこれまでの流れに収まって新しいエピソードへとつながるのか、それともここから本質へと迫っていくのか。とりあえず高見ちゃんの行く末に関心。「トライガンマキシマム」は中身はともあれボディはナイスなザジ・ザ・ビーストが再登場で快哉を叫んだ途端に酷いことになってて悲嘆。勿体ないもったいない。「ヘルシング」はセラスが復活。アーカードまだあ?

 「istD」はとりあえず快調。ロングで取っても画素数が高いため伸ばしてもそれなりな解像度で捉えられていて細かい場所まで霞まず描写されていて、玉は短くっても遠目の記者会見でも望遠を買わなくってもそれなりに使えそー。あとは手持ちの「ペンタックスMZ−5」に付いていた70ミリがどれくらいの大きさで写せるのか、動く被写体をどれくらいの鮮明さで写せるのかを実験してみたいところ。埼玉の東松山で開催中のサッカー「第1回SAITAMAフェスティバル」へと出向いて「日テレ・ベレーザ」の試合を撮りに行きたいところだけど東松山ってのが地の果てな上い会場が駅からめちゃくちゃ遠くって歩いては行けそーもないのが辛いところ。かといってバスはなさそーだし。乗り合いタクシーとか動いていないのかな。とりあえず明日の天気を見て決めよー。


【5月1日】 もちろんラクロスが男子は防具もヘルメットもきっちりつけたプレーヤーが10人どうしてフィールドを駆け回りぶつかりあってはボールをゴールに入れ合うのに対して、女子が1チーム12人でゴールキーパー以外は防具を着けずミニスカートで走りボールをゴールに入れ合うよーになっているのと同様に、サッカーの女子が男子に比べて人数がちょっとだけ多くなっているのは世界サッカー連合が決める規定にもあるよーに1820年頃から決まっていることで、各チームがフィールドプレーヤー13人でゴールキーパーは1人ながらゴールが男子に比べて50センチづつ狭く守りやすいよーになっていて、バックスは4人並べその後ろに1人スイーパーを置きディフェンスラインの前に3人のボランチが入りトップ下が2人いて3トップが構える布陣が一般的になっていることくらい上原浩治投手に「女子サッカーって、14人制なのって。男子は11人。ひとつ、勉強になったやろ(笑)」と言われるまでもないことで……

 って何かい冗談じゃなかったんかい。いやてっきり「(笑)」なんて入れているから知っていてボケをかましただけなんだと思っていたけど注記でわざわざ訂正を入れてきたってことは本性からのボケだった可能性も考えられてちょっとがっくり。 あるいは本当はジョークのつもりで書いたんだけど反響があまりにも大きくここは素直に謝っておけってことで注記を付けた可能性もあるけれど、それだって男子と同じ条件で頑張っている女子への半ば揶揄に近いニュアンスを含んでしまうから”如何なもの感”はつきまとう。同じことを女子野球やソフトボールの選手たちに向かって「男子と違って11人でプレーしてます」って言えるかい? たぶん言えないだろー。

 日本テレビに移ったとは言え「日テレ・ベレーザ」はもとは読売傘下のチームで今だって広い意味では同じグループにいるいわば身内。にも関わらずこんなボケを見せてしまった上原投手には早速、東京は稲城の「よみうりランド」へと向かうゴンドラの下にあるジャイアンツ球場からランニングで階段を坂を駆けあがり、「よみうりランド」の正門前を通り抜けてプールも過ぎてゴルフ練習場の向こうにある「東京ヴェルディ1969」のグラウンドへと今すぐ出向いて土下座100回とフィールドの芝刈りと「ヴェルディーノ」での1日売り子をやってお詫びの情を示してもらわないと、当人たちもファンも納得できず逆にジャイアンツ球場まで乗り込んでは澤穂希選手によるシュートアウトの的にされてしまうかも。たぶん死にます。

 ふらふらと「SFセミナー2004」。場所が永田町なんて日本でも警戒の厳しさでは「東京国際空港」並みなところにあって地下鉄を降りると早速警察官が入り口に立っていて、不審な格好をしているからと呼び止められて目的を聞かれて「SFセミナーです」と応えて宗教団体の会合を間違われてしょっ引かれないかいかとびくびくしつつ笑顔で警官の前を通り過ぎて事なきを得る。「違うんです小説のSFの愛好家たちの集まりです」「SFとは何だ」「宇宙人が出てきてロボットと闘いタイムスリップしてインナースペースへと入り込んでは日本を沈没させてしまうよーな話です」「逮捕します」。それで捕まった参加者の数は国会議事堂前、永田町の駅で合わせて40人くらいいたよーで、どーりで会場には今回、半分くらいの空席が出来ていたのかと脳内だけで妄想する。いや実際には満杯に近い盛況でした。

 都立日比谷高校の真横ってゆーか同じ敷地内にあった学校会館に近い会場だったのが驚きで、グラウンドから地続きとなった2階ロビーからはグラウンドを汗とホコリにまみれて駆け回るラグビー部員にサッカー部員の姿があふれていて、5月の抜ける青空の下で青春を謳歌する彼らの姿のまぶしさに、この晴天を暗い室内で本について語り合っていて果たして良いんだろーかと自問はちょっとだけしたけど、根がアレなんですぐに気を取り直してどーしてグラウンドに女子はいないのかを憤りつつ、グラウンドの隅を首にタオルをかけ頭に麦藁被った女子マネージャーと言われる人たちが、駆け回っている姿を目の当たりにして「これが青春だ」と心燃え立たせ、その姿を深く脳裏へと刻みつける。300ミリ望遠を持っていかなかったことを悔やみつつ。

この笑顔の裏に潜む鋭い知性が日本の、人間の、宇宙の問題を鋭く衝く  さて始まった「SFセミナー」の1時限目は、そんな素晴らしい光景がすぐ外に広がっていることへの慨嘆をまるでお首にも出さず(出す訳ない)ゲストとして迎えられた山田正紀さんは静かに淡々と、対談相手尾山ノルマさんが語り続ける「私と山田正紀、あるいは哲学を学ぶといふこと」とゆー講演に耳を傾ける。10分近くが過ぎる。山田さん喋り始める。たぶん誰もがホッとする。緊張で気持ちが焦りのスパイラルに入ってしまうと修正したくても修正できないままドつぼへとはまり込んでいく経験ってあるからなー。心境お察しします。さて山田さんはごくごく普通に新進気鋭の作家と持ち上げられてデビューした後も注文は来ず中野でサンドイッチマンをして食べていた苦労を明かし、病気で危篤になった時に意識が暴走して自分がカルトに捕まっていると錯覚して暴れ先生の鼻を折った話を喋ったりと、その颯爽とした作風に似合わず飄々としたところを見せてくれて、集まったファンのハアトとやらをなおいっそう釘付けにする。

 面白かったのは妄想と現実の関係でいろいろ妄想し虚構にハマり込んでもかえってくる現実があるんだってゆー意見に対しての言葉で、信じているうちは妄想でも虚構でもそれが当人には唯一無二の現実であって例えば、カルトに捕まっていると思いこんでいたあの時に没したらそれを現実を思い続けた中で当人は死んでいくことになるんだってゆー、自分の意識の絶対性みたいなものを話してくれた。そこでだったら現実へと回帰させる話を書くってんじゃなく、読んでいる間はそれが現実だと信じもし、読んでいる途中で死んだらその物語を自分にとっての現実と認識したまま逝けるよーな話を書いてみたいといった辺りがさすが虚構の紡ぎ手であるとこの作家と納得。語ってくれた「神狩り2」への意欲とそして、出版社をまたぐらしーシェアードワールドの関わりなんかがどんな虚構を現実として意識させてくれる強さでもって、僕たちをその世界へと引きずり込んでくれるかに今は果てしなく期待したい。すぐ外にあって迸る青春の汗と女子マネージャーの躍動を超える”現実”を是非に。

 廊下では「モスコミューン出版部」が卓を並べて「クラスター」の最新刊を販売。横でインタビューイとして登場している西島大介さんが1冊に1つづつ、キャラクターを描いてサインを入れる大盤振る舞いが見られてそれも奏功してそれなりな冊数がさばけたみたい。「凹村戦争」が出たばかりの西島さんに今やSF界で重要な作家と認知されつつある秋山瑞人さんへの超ロングなインタビューも入った豪華絢爛な号にしては少ないかも、って思ったけれどそこはそれ、同人誌の編集をやってる人たちといっしょに「波状言論」のメールマガジンをやっている東浩紀さんが、「SFセミナー」の夜の合宿で2年前の「セミナー」とか、去年あたりの「京都SFフェスティバル」でSFの人たちと濃密きわまりないセッションを繰り広げてはコミュニケーションを高めたこともあるんで遠からず、SFイベントに欠かせないサークルとなっては長蛇の列に埋もれることになるだろー。岐阜での「日本SF大会」には行くのかな?

 2時間目のファンタジー企画は表紙絵をスキャンしたスライドが貴重。昔のサンリオ文庫の表紙絵だけを集めた本みたく、FT文庫の表紙だけを集めた画集とかを出して欲しいものだけど、内田善美さんの原画なんて果たして今手に入れられるのかどーなのか。3時間目の「日本漫画大会」に関するトークは同じグループにいるらしー青柳誠さんが30年の昔に仕切った幻の「日本漫画大会」を振り返りつつそこから流れ出る形も半ば持ちつつ「コミックマーケット」が立ち上がっていった様子を米澤嘉博さんが振り返る漫画ファンには貴重なトークだったかも。

 けど集まっていたのがSFファンを中心とした人たちだったのはちょっと勿体ないところで、漫画の歴史をもっと知りたい若い人たち向けのセッションとしてどっかオープンな場でもー1度、やって欲しいと思ったけれど実際問題、そーした知識を若い漫画ファンが求めているのかって辺りも微妙で、だからこそ「日本SF大会」みたいな集まり盛り上がるイベントが、漫画では成立し得なかった問題とも重なってその性癖の違いについて空想をめぐらせる。プラスしてアニメファンってのが台頭して来た70年代後半から80年代にかけてのファングループ活動を、漫画とSFとアニメの視点を織り交ぜて振り返ってくれる本とか希望。夜の出渕裕さんをアニメ代表として交えた米澤さんとのセッションでは、どんな話が繰り広げられたんだろー。こちらもリポート希望。

知性あふれるSFファンの魅力に横を行く知性に満ちた日比谷の女子高生もくらくら、したのか別の理由でのくらくらか  「SFは絵だねえ」と野田昌宏さんが言った流れを汲むのか汲まないのかは分からないけどSF雑誌の表紙絵なんかが華麗に配された表紙絵でもって東京創元社からSF雑誌の歴史を扱う本が刊行されることを記念する4時間目を聞く。前振りとか説明とかなく「アスタウンディング」「キャンベル」「ガーンズバック」って名詞が頻出するトークのストレートさに、初めて来た若いファンにはいったいどんな呪文なんだと思われ敷居の高さを感じさせたかも、とか思ったけれどそーうー一見さんが鍛えられ勉強してのしあがっていくのがSFファンの集まりってことで、「いったい何だ?」と思いつつも知ってるふりをしていた若い人にはこれからの精進を期待。いや出てくる名詞のこれくらいしか僕にも分からなかったんだけど。SFは知識だねえ。

 おわって日比谷高校を抜けて坂を赤坂見附方面へと下りていくSFの集団に混じって日比谷高校に通う現役女子高生の姿があってそのコントラストに思わず見入る。今は知性のエリートとして走るSFファンだけど、2年後あたりには東京大学法学部へと進み司法試験と国家公務員試験と外交官試験に合格して財務省へと入り事務次官へと上り詰めた後に政界へと転じて外務大臣から財務大臣から内閣官房長官を経て総理大臣になるだろー制服少女たちに、遠からず立場として逆転されるだろー未来を思い浮かべて今すぐに、そんな彼女たちの黒いハイソックスに包まれた足下へと跪いて借金を申し込みたい気持ちに駆られる。とか言って今の日比谷高校がそーゆーエリート養成学校だったかどーかは知らないけど。でも僕よりは良い人生を歩むんだろーなー。


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