縮刷版2004年2月下旬号


【2月29日】 4年に1度。日記だと3回目。我ながらよく続く。次に迎える時には一体どーなっているんだろー。それはそれととして読書を延々。加門七海さん「科戸の風の天の八重雲 囚われの媛神」(朝日ソノラマ、1000円)は封じられて祟り神にされてしまっていたお媛様に関わってしまったばっかりに、それを封印しよーとする勢力とそーした勢力によって現世で虐げられ来た一族ほかがくんずほぐれつの一大バトルを繰り広げるってストーリーだけど、面白いのは正義と悪とが二項対立気味に屹立してはどっちかに気持ちを寄せされるってんじゃない部分。

 封じようとする勢力も媛を守ろうとする勢力もどちらも正義だしどちらも悪、いやそーした正義とか悪とかって次元を超越した存在どーしの戦いの上で、ただ生かされている気味の人間として何ができるのか、それは誰のためにすることなのかって立脚点を考えさせられ、ならばどーやって生きていくべきなのかって悩まされるよーになっていて、読み終えた時に勧善懲悪のカタルシスとは違った、蒙を啓かれる感覚がわき上がる。まるで「もののけ姫」のよーな驚天動地のクライマックスを経てこれまた「もののけ姫」のよーなハッピーなんだろーけどハッピーと言い切れず、将来へと繋がる不安も抱かされながらそれでも進んで行くのだ、って気持ちにさせてくれるエンディングも良い。近年の加門さんの最高傑作、でしょう。近年何が出てたっけ?

 媛神を封印する一族を2重にしてそれぞれが牽制し合うよーな構図を作ってみたり、獣のよーな才覚を持つ者共として日常では追われ虐げられながらもいざ、国が歪んだときにその能力を求められる「裏綯い師」「気綯い師」って設定を作って持ち込んだりと考えぬかれた仕掛けも面白いし、そんな仕掛けの上で動き回るキャラクターたちも目に見えるよーな立ちっぷりが秀逸。とりわけ「裏綯い師」の役割を担わされたカガリこと加賀彦のビジュアル性格心理には、その属性を置いても、とゆーよりその属性だからこそ惹かれるものがある。山から降りてきたイヅナを使う修験者の澄影が存外に脇へと回りがちなのは気にかかるけど加賀彦相手じゃー仕方がないか。実体化したイヅナの物集女ちゃんを抑えて加賀彦、キャラ投票(総数1票)でトップです。

 優れた批評家が誰しも優れた創作者じゃないのはあるいは、批評に不可分な冷徹で理論的で真摯で時には疑り深さも持った眼差しが、構造に歪みを与え突き抜けるエネルギーを注いで読む人見る人聞く人たちに驚きを与えよーとする行動を邪魔するから、だったりするんだろーか。まだワイマールに出来たばっかりの美術学校「バウハウス」で美術の理論を教えていたヨハネス・イッテンって人の展覧会が開かれていて会期も終了間際ってことで見物したんだけど、並べられた色相とかコントラストとかイメージに合致した色の模索を示した図表やノートの実に理知的で精緻さに溢れている一方で、後半に掲げられたイッテン自身の創作は、例えばカンディンスキーだったりパウル・クレーだったりって具合に彼と「バウハウス」で同僚だった、後に創作家として世界に名を成した人たちに比べてどことなく遅れを取っている感じがあって「名選手かならずにも名監督ならず、逆もまた真なり」ってな原理の普遍性に思い至る。原理だったのか?

 1点、暗い世界の中央に拓けて輝く光の輪が輝く「光輪」って絵は構図とか、色相とかコントラストへの探求心を超えてまず目を見開いて見ねばって気にさせられて、創作でもちゃんとやれる人だったんだな、なんてことを感じさせるけど油絵では絶筆になった「スパイラル」って色が変わりながらアンモナイトみたく渦を巻く作品は理論的には正しいのかもしれないけれど見て、フォルムにも色彩にも目を惹く迫力がなくって(理論家であって創作者じゃないって思い込んでいた可能性はあるけれど)やっぱり無理だったのかも、って思わされる。

 同じよーな整然とした色彩の羅列でもフランク・ステラはもっとこう、言いたそーなことがそこに感じられるし、同じよーに色とフォルムのマーク・ロスコとかサム・フランシスっていったアーティストの絵の方が見ていてそこに何かを感じさせる”余地”があるからなあ。あるいは探求をほのめかす”思弁”とかが。とはいえやっぱり基礎として、形に色にリズムといったものについて本気で学習するなら避けては通れない人ではありそー。バックグラウンドにフォントの色遣いが破天荒な我がホームページの改善のためにも、その書籍を読んで勉強しよーかな。

 それにしても話題にほとんどなってなくって道を歩いていても「新たまごっち」の話題は聞いてもまるで聞かない3月1日創刊の「フジサンケイビジネスアイ」だけど、お仕事としてそんな新聞で微禄(謙遜でも韜晦でも卑下でもない真実)を食む身、なのでこの新聞を広く告知しノルマとしてえっと1人5部だったっけ、えっ25部! 覚えてないけどとにかく一杯、拡張しないといけないらしーんで、ここにしつこく「フジサンケイビジネスアイ」だの「Fuji Sankei Business i」(「i」は「ワン」じゃなくって「アイ」。人もイメージしているとか。「_| ̄|○」ではない)と題字を喧伝しては皆々様に、ご購読をお願い(=_| ̄|○)させてて頂きます。20人だか30人って少数精鋭の書き手で大日経に果敢に挑むチャレンジ精神に溢れた新聞です。

 購読の申し込みページもあります。「備考」欄に「日本工業新聞の谷口隆一から紹介されました」と書くと僕の点数になるのかな、ならなかったりして、まあ良いや、売れれば。あるいはメールでこっそり「助けてあげます買ってあげます」とご連絡を下されば鋭意手続きを致します。お礼は……愛ならいくらでも。愛の形はさまざまだけど。ちなみに1日は朝7時半から「三越前」でチラシ配りもやってまーす。見物に来て頂ければチラシとスマイルを差し上げまーす。雨降るなよ頼むから。

 そんな訳で長らくご愛顧頂いた当ページ、元になってるっぽい新聞が題字をその名を「フジサンケイビジネスアイ」へと変えて”消滅”してしまって、宙ぶらりんに客観的にはなってしまう訳だけど、主観的には「裏日本」すなわち日本海側の工業についてのリポートを日々、送ることを目的に解説されたものだったりしちゃったりするんで元ネタっぽいのがどーなろーと変えず、その”名”と”遺志”を継いで、4年後の2月29日が来よーとも40年後のアメリカ大統領選挙に宇宙から来襲したアンドロメダ聖人のベビーが成長して立候補しよーとも、続けていく所存ですのでよろしくどうぞ。辞めてたら流石に変えるけど。

 夕方から起き出して久々の「ロフトプラスワン」へと出向いて「夜のファウスト祭り」なんかを見物。山田さんに佐藤新さん西島大介さんをメインにいろいろゲストを呼んでトークとかしてた途中から東浩紀さんが「降りる自由」を標榜しながら壇上には上がらずマイクでいろいろと突っ込み話をエキサイトさせるアジテーターぶりに、やっぱりこーゆー生のイベントには欠かせない人材だってことを確認する。チャーリー鈴木謙介さんによるテレキャスターかき鳴らしソングの上ギリギリで微妙に震えるビブラっぷりに感嘆しつつ始まった後半でも、今度はちゃんと壇の上へと上がって電話で「ファウスト」の主役とも言える太田克史編集長を招聘しまったから、やっぱり得難い人ってことです東さん。

 ファンがやるイベントに当事者として参加する太田さんの、批判が直接に向かって来て針の筵に座らせられがちな状況への心労を慮ったけどでもやっぱり、参加して頂き東さんと漫才でもなく馴れ合いでもあい、作家陣の作風対抗すべき雑誌のラインアップ狙わなくてはならない層といったあたりで丁々発止のやりとりを繰り広げてくれて、なかなかに見応えのあるもにになった。惜しむらくはどちらかと言えばネットサイドの「ファウスト」ファンてゆー、中核ではあっても全体ではない層にばかりに今日のやりとりが披露されたこと。もっと大勢いるだろーサイレントなマジョリティーの読者が何をどう思い「ファウスト」を読んでいて未来に何を期待しているのかを知りたいもの。それが分かってこその第3号の目も開けるってものだろーし。しまった仲俣暁生さんに挨拶し損ねたよ。


【2月28日】 高見ちゃんが高見ちゃんが高見ちゃんが高見ちゃんが……出血はなしに大サービス。「ヤングキングアワーズ」2004年4月号の「ジオブリーダーズ」、まやを救出しよーと化け猫相手に騙しのテクニックを使おーとして敢えなく見破られたもののそこは「神楽綜合警備」の1員だけあって2の手3の手を次から次へと繰り出し見事、まやの救出に成功する、そのアクションの場面場面でこれまで以上にスカートの奥を見せてくれちゃっていて、繰り出される大サービスぶりに手を合わせて拝み、鼻を寄せて香りを嗅ぐ。インクの匂いがする。

 田波くんが自分の仕事の善悪に悩み始めたのと呼応するかのよーに「エクセルサーガ」でも蒲腐博士のトンデモな正体が明らかになって彼が、作り上げていた「市街安全保障局」のメンバーの美咲たちも自分たちが何のために妙な格好をさせられ、不思議な場所へと潜入を命じられていたかを薄々じゃなくって本当に知るけれど、悩み多き田波くんとちがってそこは現代の若者らしくすべてを納得はしないけれども理解して、実に現実的な対応を見せるところにひょっとしたらこいつらの方が、「神楽綜合警備」よりも強いかもって思えてくる。けど田波くん高見ちゃん以外の社長をのぞく栄子ちゃん真紀さん夕ちゃんの3人は、お金がもらえたり銃が撃てたり運転が出来れば関係なし、って感じだからなー。やっぱり強さじゃとんとんか。

 パラレルワールドってのは物理学的な可能性として多分存在してるんだろーけど、それは行けないからこそのパラレルワールドであって、自在に行き来できるかってことをさて、物理学が証明していたかどーかは物理学の点数が悪かった僕には分からない。でもまあ「こことは違う世界」ってのがあってそこと自在に行き来できれば楽しいってこは分かるしだからこそ、そーしたパラレルワールド物の小説も後を絶たずにがつがつと登場して来るんだろー。現実では不可能なことを起こす話の設定作りに便利ってこともあるんだろーけど。

 なんてことで丘野ゆうじさん「パラレル・トラブラー」(集英社スーパーダッシュ文庫、552円)なんかを読書。女性に振られて火の見櫓に上って酒をかっくらってた二宮健二とゆー名の少年が突然起こった騒動に巻き込まれてそこに銀髪の少女が絡んでいることを知る。しばらくたって今度は池袋。そこでも突然に起こった得体の知れない怪物の暴走に巻き込まれて今度は命のピンチに陥ったところを健二は、またしてもリオンとゆー少女に助けられ、実はリオンは連邦捜査官で宇宙的な犯罪者のクリステラ・レビを追って……じゃない少女はトレジャーハンター(どろぼう)で、そんなリオンからお宝をかすめとった少女ロッソを追ってこの世界にやって来た、ってことが明らかになる。

 あとはお定まりの鉄腕バトル。言葉も性格も乱暴なリオンは健二を利用するだけ利用してポイって捨てても構わないよーなそぶりを見せつつちょっぴり気になったりするお年頃。そんな関係を逆手に取って挑んでくるロッソに果たして彼らは勝てるのか、って疑問もあっさり片づいた後に待っている、半ば腐れ縁的なこれからの活躍にはやくも興味は写ってて、哀れトーチと化した健二を守ってシャナは戦って行けるのか……じゃない現代を舞台にどんなドタバタを見せてくれるのか。続くんならとりあえずはチェックだ。

 といった感じなライトノベル系パラレルワールド物に続いてこっちは本格と名付けられたパラレルワールド物のSF「地球間ハイウェイ」(ロバート・リード、伊藤典夫訳、早川書房、940円)をぺらぺら、そーかこんなに分厚いのは字が大きいからか、読みやすいけど青背ってもっと字、小さくたって良いよーな。宇宙のあっちゃこっちゃを移動しながらいろいろ知識とか善政なんかを施しながら行く奴らの人間との齟齬だか何かが膨らんだ果てに立ち上がる人間の存在を問う物語になっているのか、あるいはさまざまな世界のビジョンを楽しむ物語になっているのかはまだ数10ページしか読んでないから不明。最近軽い話ばかり読んでるんでどこまで”本格”なSFを読み通せるかは分からないけどとっつき、良さそーなんで今日明日中には結論出せそー。字も大きいし。

 だから問題は監督経験の皆無なオールドタイマーが「個人」「個性」だなんてものにこだわっているのか単に授ける戦術がないのを誤魔化しているのか分からないけど、そればっかりを打ち出しては、かつてあったチームワークもコミュニケーションもガタガタにした挙げ句に今なおそれに気付かず、国内組のモチベーションを下げ海外組のコンディションを悪くして、デフレスパイラル的に代表チームを弱くしていることであって、だから必要なのは戦術を授けモチベーションを維持しコンディションにも気を配れる監督とそのスタッフなのは明々白々だったりする。

 にも関わらず我らがサッカー日本代表に対して施されるのは、監督の交代とゆー必要にして絶対な施策ではなくジーコとどっこいな監督経験の乏しい人材を送り込んでは、ジーコの感性から出る言葉と直感から出る戦術みたいなものを選手に伝えさせ説得させるとゆーもの。どーして何が問題になっているのか、サポーターや評論家が何を問題にしているのかに思いを馳せないんだろー。分かっててやっているんだとしたら何が狙いなんだろー。謎。ともあれ今は男子と女子の五輪出場権獲得へと一致団結して欲しいんで日本サッカー協会にはその後に、もー1度どよっく考えて欲しいもの。まずはとにかく応援せねば、酒井與恵選手を(ちょっと狭過ぎ)。


【2月27日】 時代が来た。小川一水さんの時代がやって来た。って「第六大陸」とか「導きの星」ですでに、盤石の人気を獲得してる人に対して失礼な物言いかもしれないけれど、かくも素晴らしい作品群を発表していても例えば「マルドゥック・スクランブル」の冲方丁さんの人気は上回れなかった訳だし、宇宙物だと先に野尻抱介さんってSFファンの間の巨星が燦然と未だ輝きまくっているだけに、”期待の新星”ってキャッチフレーズで語られるときのトップに小川さんの名前が挙げられるまでにはちょっと至っていなかった感がある。

 それが変わる。最新作の「ハイウィング・ストロール」(朝日ソノラマ、629円)で確実に変わると、ここに断言しよー。面白い。もーとてつもなしに面白い。時代はいったい何時なんだろー? たぶん未来? の地球は重たい元素の雲が地表を覆って人はその上に突き出たかつての耕地、今は「島」と呼ばれる土地に住んで日々の暮らしを営んでいる。耕作も漁猟もままならない彼らを支えているのは「浮獣」と呼ばれる得体の知れない獣とも虫ともつかない静物から取れる油や肉といったもの。物語はそんな「浮獣」を駆るハンター、「ショーカ」たちを主人公にして紡がれる。

 若いながらも名うての「ショーカ」として活躍していたジェンカ。だが狩猟に出向いた先で強力な「浮獣」に乗機を墜とされパートナーだった後座に乗る撃手にも再起不能の怪我をさせてしまう。それでも「ショーカ」を続けるために彼女がとったのがギルドからの依頼で1人の少年を一人前の「ショーカ」へと育てる仕事。かくして街で暴れ回っていた少年、アルはジェンカに誘われ彼女の後ろで「ショーカ」としての修行をスタートさせる。そこからは反目ありライバルありの成長物語になって、登場してくるさまざまな「ショーカ:たちの個性たっぷりな姿も含めてキャラクター小説として存分以上に楽しめる。

 凄いのは、それとは別に物語を流れる世界の仕組みに関する設定の大きさ、そして設定が物語と絡んで人類の存在意義をも問う展開へと進んでいく筆裁きの巧みさで、読み終えた後に成長への賞賛と、練り上げられた設定への感銘を覚えさせられる。人類の未来や存在の是非をめぐって重く悩ましいものへと向かって不思議ではない設定だけど、それをある種スポーツ的なフェアプレーのフィールドの中に入れ込めて、いささかのひっかかりに留めている点もなかなか。日和見とか甘すぎるとか楽観的とか言われる可能性もあるけれど、真正面から人類の未来の深刻さ、生きることの難しさを考えされるより、嬉しさでいっぱいの物語を楽しみつつ、呈示された深刻なテーマにも気持ちを向けて考える糧にする方がかえって心に後々まで残りやすいってこともあるから、小川さんの書き方に異論はなし。気持ちよく読めて考えさせられもする極上のエンターテインメント。それもSF。読めば誰もが言うだろう。「小川一水の時代が来た」って。

 テレビでTOKIOの長瀬智也さんがリプトン紅茶のペットボトルのCMで、「ラムのラブソング」を口ずさんでいるのが耳に飛び込んできて仰天しつつも耳ダンボ、散々っぱら聞き込んだあの声に黙っていても心が反応してしまって目までぐぐっと引き寄せられる。声質はオリジナルの松谷祐子さんとはまるで全然違ってむしろ正反対の太くて渋い声なんだけど、あのメロディーとあの歌詞にはやっぱり反応してしまう。遺伝子レベルに刷り込まれてしまっているんだろーなー、シャアの名セリフなんかといっしょに。

 しかし何故に今さら「ラムのラブソング」が? なんて想像をしていろいろと考えてそうだ来週から始まる「イノセンス」の公開に合わせた押井守さんキャンペーンの一環として裏で鈴木敏夫プロデューサーなり宣伝を任された糸井重里さんが仕掛けたんじゃないか、なんて妄想へと至る。慣れ親しんだ曲を耳に聴いた人はそこから「押井守」の名前を想起してそーいえば新しい映画が公開されるなあ、なんてことで劇場へと行きまるで知らない人でもあの、長瀬くんが唄っている不思議な曲は何だろーと考えて「あれは『うる星やつら』の主題歌だよ」って教えてもらってそれってどんなアニメって聞いて「押井守さんって人が監督やってたアニメ。今度新作『イノセンス』が公開されるでしょ」ってことになってそこから映画へと関心が向かうって寸法。回りくどいなあ。でもあるいは本当にそーだったりして。次はだったら「愛はブーメラン」を唄わせてやってはくれまいか。

 こちはら本当に連動しているんだろー企画として登場した劇場番「攻殻機動隊」の豪華版DVDを「ゲーマーズ」で購入。その昔にアメリカに行ったときに英語版ビデオを買ったよーな記憶があるし今となっては何もかも皆なつかしい「G.R.M」の製作発表の時にビデオをお土産としてもらった記憶もある作品。もちろんちゃんと劇場でも見ていて最初は「恵比寿ガーデンホール」で開かれた試写で次はどこかの劇場、そしてビデオが大ヒットしたあとの英語版の凱旋上映を新宿で見た作品だから今さらって気もするけれど、「イノセンス」公開前にやっぱりちゃんと見返しておきたいって気もあるからちょーど良かった。これから1週間、見込んでいろいろと小難しい理屈が満載らしー「イノセンス」の初見に備えよー。

 ショップではあと「R.O.D The TV」の第5巻も購入。これで購入特典のスタンプが揃って張れてアニタちゃんのフィギュアを頂戴できて今日はとっても幸せな気分。増える仕事に開きかかった胃袋の穴がちょっとだけ塞がる。思っていたより大きくって出来も下手のDVDのおまけについてくる奴なんかよりも上々。できれば中学校の制服バージョンなんてのも欲しいところだけど変装したマギーちゃんも捨てがたくって迷う迷う。映像の方は香港シリーズにカタがついてウェンディーさんによる報告書制作とゆー名のOVA版の説明とそれから状況の解説が入る回。ジョーカーさん命なところはあってもジュニアに優しい顔も見せていたから、あれほどまでにウェンディーさんが悪い人になっているとは気付かなかったよ。

 そんなテレビ版は拳銃まで振り回す黒ウェンディーさんに読子・リードマンも危機一髪、なところを美味しい場面で登場のドレイクさんによって一同救われさてこれからどーするか、って展開へと向かっていく。敵は世界の超大国の政府すらねじ伏せる強力無比な奴ら。そんな相手に能力だけはバカ高くっても所詮は一介の紙使いに過ぎない3姉妹&読子リードマンと作家でしかない菫川ねねね、そして頭に損傷を負ってしまっているナンシー幕張だけで立ち向かうことなんて不可能じゃないか、って気になるんだけど果たしてどーやってハッピーなエンディングを迎えさせることやら。記憶を取り戻しつつあるアニタちゃんのハイパー化なんてことがあるのかな。巨大化したアニタちゃんを下から見上げたいなあ。


【2月26日】 何を見聞きしてたんだろー。サッカー「ワールドカップ2006独大会」へと向かうアジア第一次予選「対オマーン代表戦」。試合が始まってからとゆーもの会場の「埼玉スタジアム2002」に漂う空気は決して「ジーコ万歳」じゃなく、「勝ててよかった」なんてヌルいもんでも決してなくってむしろ「これで良いのか」って落胆が9割と、「それでも負けるよりは」ってな安堵が1割といった気温と同様に寒くて厳しいものだった。だからこそ数日が経って「U−23日本代表」が目も覚めるよーな活躍をしたことに刺激され、ジーコ解任デモの挙行なんて所へと発展していった。

 にも関わらず馳星周さんは「スポーツヤア」2004年」2月27日−3月11日号で「まだ気づかないのか」とジーコジャパンの不甲斐なさに目をつぶって勝った安堵にどっぷり浸るサポーターしかいかなったよーなことを書き、「大多数のサポーターの声を聞く限り、わたしの絶望はまだまだ続くとした思えない」と書いている。まるで自分1人だけがジーコジャパンの不甲斐なさに気付いて焦っているかのよー。でもって「わたしはジーコに監督失格の烙印を押す。はっきりと押す」と断言している。今さら。遅いよねえ。

 人によっては「コンフェデレーションズカップ」での選手交代をせずに3戦を戦って挙げ句に予選で敗退した采配をもって「失格の烙印を押」したし、そこで我慢した人でも年末の「東アジア選手権」で優勝できなかったことで「失格」を言い渡した。そもそも最初っから監督には向かないと言ってた人も少なからずいたくらいで、いよいよ本番となった「対オマーン代表戦」での戦いぶりまで待って「失格の烙印を押」したって別に驚きもしないし良く言ってくれたと感動もしない。「だから遅すぎると言ってるんだ」by後藤警部。戦争はとっくに始まってたんだよ。

 なおかつスタジアムの雰囲気がヌルかったとあの雰囲気を体感した上で批判するから何ともはや。「ブーイングを浴びせろ」。浴びせたよ。「格下の相手に対して終了間際の1点での勝利など、おれたちは認めないと連呼しろ」。してました。「こんなサッカーはおれたちが求めているものではないと世界に向かって叫べ」。とっくに叫んでたってば。何を見聞きしてたんだろー。「わたしにはあなたたちしかいないのだ」。そうでしょうけど「わたしたちにはあなたはいない」。そう思った読者も相当数いるんじゃなかろーか。解任を求めるデモは終わってしまったけど、再来日して明日にも会見に臨むだろージーコ監督の言動なんかを見てまた盛り上がるだろー解任の機運に乗って、馳さんも「国立霞ヶ丘競技場」から「JFAハウス」まで歩いてみては、如何。

 いや凄い。見た目は凄いイトーヨーカ堂の「ナノテク衣料」。コーティングするんじゃなくって繊維と繊維の隙間を分子レベルの繊維でつないで水が入らないよーにする技術でもって作られたジャケットに、女性がお茶をぶっかけるパフォーマンスを記者会見の席で見せてくれたけど、かけられたお茶は見事にジャケットの上で弾かれそれこそ玉垂れとなって下へと落ちてジャケットは染みもなければ水気もない、カラリと乾いたまんまの表面を保ってた。普通の靴は水でびしょびしょになっていたけど。靴下もぐっしょりだったかな。

 もっともいくら素材が良くっても、ブランドとして屹立している訳ではないのがスーパーが作る衣料の悲しいところ。今時のファッションも嗜好も多様化している時代に、スーパーがただ商品をアパレルメーカーから仕入れて売ったり、テナントとして「ユニクロ」を入れるんじゃなしに、自分たちで商品を企画しては店で売らないといけないんだろーか、って疑問もあって、素晴らしい商品だけど果たして売れるのかどーか判断に迷う。子供の時ですらスーパーの衣料品なんて買わなかった記憶があるだけに、今の人たちだとなおさら手を伸ばさないよーな気がするんだけどそこはそれ、新しい価値観を全面に立てることで突破できない訳でもないって判断なんだろー。ともあれインパクトはなかなかな「ナノテク衣料」。あとはデザインだな。シャツを着てみたけれどちょっぴりカタい気が……先入観?

 東京タワー横でイトーヨーカ堂の原稿を書いてから御成門を抜けて大門へと向かう途中で見慣れた「徳間書店」の看板を発見。そーかこんなところに引っ越していたのか。下がUFJ銀行で「東海銀行」時代からの御用達。近所には「らんぷ亭」があり「CoCo壱番屋」があり「ウェンディーズ」やら「讃岐そば」やら食い物屋さんがいっぱいあって、仕事をする上で実に快適そーな環境にちょっと羨ましくなってご奉公したくなる。けどそーゆーお店が開いてる時間に会社で仕事をしているって限らないのが出版業務のとりわけ編集業務の人。帰らず泊まり込んでいる人もいるくらいだし、近所の飯屋云々を言う僕にはきっとご奉公は務まらないんだろー。頑張ってください「SFジャパン」に「アニメージュ」。

 汐留の広告会社でTVアニメの仕事をしている人に取材。すでに世の中は「アニメのアサツー」から「アニメのデ○ツー」へとシフトしかかっていたことを知る、ってばればれじゃん。いや流石は世界の大手広告代理店だと関心したけど聞くと決してナンバーワンだから出来たって訳じゃなく、まだ10年なんって短い歴史の間に経験を積み上げノウハウを蓄積しつつ徹底して挑んだ結果がこの実績へとつながっているらしー。もちろんメディアを買うだけの力があったからこその数字って部分もあるんだろーけど、それを埋めて余りあるコンテンツを作り出せる力を備えてるってことでもあるからね。クリエーターがいなければアニメは出来ないけれどスポンサーがいなければやっぱりアニメはできないもの。そーした文化的精神的な見地からはネガティブな立ち位置で、頑張って仕事をして今のアニメ週100本時代を支えつつ僕たちに楽しい作品を送り届けてくれる会社に、感謝。


【2月25日】 誰も見たことのない戦い。になるのかどーか興味津々な3月7日開催の「SF乱学講座」はゲストにあの山形浩生さんが登場しては「私がこのごろ思うこと」について離すみたいで最近の動勢とかは知らないけれど乱学講座と言えばな大宮信光さんがホストだったらさぞや理論と討論のぐるぐるぐめぐりな激論が、交わされることになるんだろー。ああ見てみたい聞いてみたい。

 それにしてもいかにも山形さんっぽいお題な「私がこのごろ思うこと」。いったい何を思っているのか経済なのかSFなのかアートなのか建築なのか文学なのか上海のディスコなのかマラウイのホテルなのか隣の晩ご飯のことなのか、分からないけど行けばあのギッシリと詰まっていそーな頭の中身があふれ出しては会場となってる高井戸地域区民センターをぬちゃぬちゃにしてくれるだろー。当日は行きたいけれど社用で行けず。ファンやおっかけや知性体ストーカーな人のご報告に期待。

 そんな案内も載ってる「SFマガジン」2004年4月号。ベアかもとか思ったけどぐっと遡ってル・グィンだったタカノ綾さんのSF紹介マンガエッセイ(?)「飛ばされていく行き先」は裸の少年少女がいっぱい出て来るタカノさんっぽさあふれる絵で選んだ作品とのマッチングの良さがなかなか。ティプトリー・ジュニアの時も思ったけれどこれもタカノさん表紙で出し直すとかすれば結構良い感じになりそーかも。サンリオ文庫で竹宮恵子さん表紙とかってあったから漫画系が表紙でもル・グィンは合いそー。

 それいしても相変わらず渋いセレクション。「闇の左手」とか選べば山と有名な作品が並ぶル・グィンで短編集「風の十二方位」に入ってる作品を選んで来るあたりがなかなかで、どの辺がお気に入りなのかをいつか聞いてみたいもの。とはいえ僕が読んだのって海野螢さんの漫画「風の十二方位」(フォックス出版、952円)の方だから聞いてもそんなに分からないんだけど。買って積んである短編集を掘り出さないと。

 日本で三大ロボットと言った時の2つが「アトム」と「鉄人」なのか「ガンダム」と「マジンガーZ」なのか「ギンガイザー」と「ガ・キーン」なのかは人によって評価の分かれそーなところだけど残る1つがどーやら「ヤシガニ」で決まりらしー、って「ヤシガニ」なんて縁起の悪い名前を付けると稼働中に輪郭が崩れたり止まった絵が延々と続いたりするからやっぱり変えた方が良いのかも、でも「クァール」や「蛇王ザッハーク」や「トングザン」じゃあちょっとねえ、マイナー過ぎてまるで原型が思い浮かばない。おっと「ガン*レス」ならよく分かるぞ。

 そんなこんなで「自衛隊二士シリーズ」のラストを飾る吉岡平さん「二等海士物語」(アサヒソノラマ、495円)は機雷を掃海する部隊に入った東北の潜りが得意な兄弟(潜るのは弟だけ、それでギャラはおんなじ)と代々海女の家に生まれた少女が日本を狙うテロに立ち向かうって基本戦に絡めて前二冊の「二士シリーズ」と同様に、前述のよーなおたく的な知識と会話がぎっしりみっちり挟み込まれてて読みながら「あるあるこーゆー会話」って気にさせられる。こーゆー会話が続く場所って傍目には結構アレだけど。いや個人的には楽し過ぎるんだけど。こんなんだったら自衛隊って入って悪い所じゃないって思えるからなあ。

 だいたいが内閣官房長官からしてどっぷりハマってた人らしく、4つの名前を使い分けるテロリストの一番通りの良い名前を「シャア・アズナブル」ととらえ通り名の「カシム」とゆーなに名を「クリン」かと聞き返し、そうではなくって「カシム・ホサイン」であると知らされそれが最近使い始めた名前だと知って「クワトロ・バジーナ」と言い換えさらに本名に近い名前があると聞いて「キャスバル・レム・ダイクン」と呼ぶ。なおかつ成人前に使っていた名前を指して「エドワウ・マス」とまで言う、こんな内閣官房長官が本当に現実の内閣官房長官だったら、記者会見でのやりとりに20代の政治記者は内心で歓喜しテレビを見ている若者層は心よりの共感を贈ったんじゃなかろーか。へらず口ばっかりにああの官房長官じゃあなあ。防衛庁長官もミリタリー知識よりアニメで語れば好感度も上がったろーな。

 もっとも今回は「ガンダム」「ヤマト」といった古典ばかりじゃないのが吉岡さんの勉強熱心さの現れとゆーか。「ヤシガニ」なんて呼ばれそーな海中を動き回るパワードスーツを装着して海に潜る弟とサポートの兄を指して「鋼の潜水士」なんて名付けては「何かを犠牲にせねば、何かを得ることはできない……のか?」「自衛隊に入った時点で、命は覚悟してたけど−」なんて会話をさせるんだから吃驚とゆーか流行りをしっかり抑えているってゆーか。でも5年後に読むと「ガンダム」ネタは通じても「ハガレン」ネタは通じなかったりする可能性も。果たしてどこまでのスタンダードになれるのか「ハガレン」。ってかこの「ハガレン」って呼び名がスタンダード?


【2月24日】 読子さーん、まだまだ出番ですよー、って声に呼ばれ誘われ久方ぶりに登場となった小説版「R.O.D 第9巻」(集英社スーパーダッシュ文庫)はおばあちゃんとゆー名の少女といっしょに読仙社の総本拠地を抜け出したまでは良いものの、代わりに乗り込んだジェントルマンとゆー名のヤングマンが筋骨隆々の若い肉体をフルスペックで大披露して居残るメンバーを千切っては投げ千切っては投げと大暴れ。挙げ句に空から自分めがけて雷を落とせってなことまで言い出して、徹底的に読仙社を壊滅状態へと追い込んでしまう。若いって良いなあ。

 一方で読子はと言えばおばあちゃんとの逃亡も様変わりした状況から転進へ。再びたもとを分かって向かったジェントルマンの元でさてはてあんなこととかこんなこととか、されちゃったりしたらそれはそれで興味深い展開になったんだろーけど相手はすべてを超越した石仮面後のカーズみたいで、豊満であってもあんまり読子に興味は持たなかったみたいで描写としてはちょっぴり残念。けどまあ新しいバトルが始まる予感を感じさせつつ引かれたこの先、繰り広げられるだろー神の領域にまで入り込んだハイパーなバトルの中で所詮は人間でしかない”紙使い”がどこまで活躍できるのか。あるいは活躍をさせるのか。”神より紙”がウリな物語の行く末を、とりあえずは見守っていくことにしよー。だから続けて下さいな。

 そーかやっぱりカーニバル行きには流石にぶち切れたか。サッカー日本代表の「対オマーン代表戦」が終わって発売となった「週刊サッカーマガジン」2004年3月9日号の冒頭、伊東武彦編集長が書いた巻頭言の冒頭の言葉は「ブラジル人にとってのカーニバルの重みというのは、頭では理解できても感覚的にはわからない」。そんなカーニバルにいそいそと帰って「U−23代表対U−23韓国代表」の試合を見ないで帰るジーコに「これではいかにもお気楽過ぎないか」って苦言を真正面から呈してる。

 「創造性と自主性を言うのは、ジーコの哲学であり、戦術ではない。少なくとも言えるのは、18日の日本代表より21日のU−23代表のほうが遙かにクリエイティブな攻撃をしてきたということ」とまで良いながら、それでも結語を「日本にはまだカーニバルに浮かれている余裕はないということだ」って文章にして日本代表一般のことへとズラし、真正面から”ジーコ解任”を唄わないのは総合サッカー誌の編集長としての矜持かそれとも怯懦か。中では武智幸徳さんも「今回のように大半が試合直前にしか合流できないのであれば、個々の経験をチームの力として集積できないのであれば、別の方法を考えるしかない」と言いつつ別の方法が監督交代なのか、監督のスタンスの変更なのかを明言していないのが微妙な感じ。ジーコ絶対支持の牛木素吉郎さんは別にして国内組起用を提言する後藤健生さんともども、まだ様子見ってのが「サカマガ」ライター陣のニュアンスってことなのかも。あと半年は我慢、かなあ。

 特に登用もされず開発もおよそ1人で地道にしこしこやったって、イメージが先に立つ中村修二さんの場合は青色LEDの根本となる発明で200億円もらえるって判決が出てもまあそれなりに、分からないでもない部分があったけどこれが味の素の甘味料「アスパルテーム」の製法特許に関わった人が訴えていた裁判になると、「アスパルテーム」ってゆー甘味料を発明した訳じゃないってこととそれから、1000万円の報奨金をもらっていたってこととあと、会社でも関連会社の社長とか任命されてそれなりの地位に就いていたことなんかがあって、素直に良かったねって同情できないところがあって悩ましい。

 知り合いにもいないんで分からないけど上場企業で工場長とか研究所長とかやったら退職金だってそれなりだろーし、関連会社でも社長だったら年俸はきっと相当なもの。要求していた20億円には及ばないにしても生涯賃金はもしかしたら今回の判決に出た1億8000万円は超えてたって不思議じゃない。にも関わらずそーした”厚遇”を越えて裁判を起こした理由は? ってあたりに技術者の地位向上があるのかあるいは、訴訟の種をみつけては芽生えさせる米国流の手法があるのか原告側に聞いてみたいところ。ともあれ裁判はまだまだ続きそーで、その度に駆り出されては取材だ何だと引っ張り回されそー。27日のオウム裁判ほどじゃないから良いけどね。あれはきっと凄まじいことになるんだろー。これからも。

 そんなこんなで会社側の会見を京橋の味の素本社で聞いた帰りにふっと横を見るとしばらく前まで存在していなかった巨大で小ぎれいなビルがさってこれは何だとよく見ると、中央公論新社の超近代的なビルだった。北側に面して昭和30年代40年代的な地味さを放っていた前の建物がずっと頭にあって、そんな環境でも頑張って良書を出し続けている会社だってことでエールを贈っていたけれど、ガラスの向こうにひろびろとしたロビーが見える新しい社屋を見るとちょっとだけ気持ちにささくれが立つ、ってことは別になくって(本当かい?)、なぜか送ってもらった山崎マキコさん「声だけが耳に残る」(中央公論社、1600円)とか、超絶分厚いハードカバーから切り出されて外伝も加えられて早々新書になった宇月原晴明さん「平蜘蛛の妖し夢 黎明に叛くもの1」(C−NOVELS、900円)とかいった良書を読んでなるたけ紹介していくことにしよー。しかしあんなに綺麗になっていたとは。


【2月23日】 そーかやっぱりスポーツ紙でももてあましてたんだジーコ監督。黙殺するか報道しても「いかがなものか」と論評を付けて揶揄しつつJFA(=おかみ)の顔色をうかがう流れでまとめてくるかと想像してたけど、論評はなくストレートにニュースとしてほぼ全紙が、真正面から昨日の「ジーコ監督解任要求デモ」 を取り上げていたのに少し吃驚。上からのプレッシャーに身動きし難い状況の中で何とかサッカー日本代表に、それが例え”他人の褌(失礼)”であっても意見をつきつけたいと思っていた心境が、こーして小さくても記事としてしっかりと取り上げる行動へと現れたんだろー。

 とは言えテキはこれでなかなかにしたたか。最初こそストレートなニュースで取り上げることを許しても、「いかがなものか」ってな暗黙のプレッシャーを送っては編集委員クラスの署名コラムとか、あるいは匿名のコラムでもって”反撃”に出て来ないとも限らない。現に朝日新聞からは23日付けで中小路徹さんが「ジーコ監督の指導力に疑問符を付けるのは、まだ早い。日本サッカーを飛躍させるための方向性にはうなずけるものがあるからだ」と未だに言ってジーコ擁護の論陣を張っている。その論旨にうなずけるものがないのは末尾の「欧州勢を含めた攻めの連係を作る過程ととらえれば、オマーン戦は悪くない結果だった」なんて言ってること出も明らかで、次の試合まで間があるのにどーやって連携を作るのか、やっぱり2日前に来るだろー欧州勢との連携なんて作っている時間があるのか、そもそもがこれまでの1年半でどーして連携が作れなかったんだ、等々突っ込み所はあるんだけど、こと天下の朝日新聞にこーした論陣が載ってしまうことで、世間の人が「なんだジーコで良いんだ」と思ってしまう可能性がある。

 あるいはテレビの人気コメンテーターなりサッカー評論家の人たちに「いかがなものか」と言わせる方法だってある。でもってこれは効く、凄まじいばかりに強烈に。後出しジャンケンが強いのは周知の事実でそーした”反撃”がこれから怒濤の如く押し寄せて来るだろー中で、戦っていくのはなかなかに茨の道だけど、そこは自在なネットの世界、あからさまな後出しジャンケンには文字の声をぶつけ、ねじ曲げようとする論調を糺しつつ”その日”が訪れる時をたぐり寄せよー。んでいったい次は誰なんだ?

 ”萌えノベル”とはこういうものさ。とポルコ・ロッソが言ったかどーかは知らないけれど木村航さんの「ぺとぺとさん」(エンターブレイン、640円)は見れば直感読めば実感の”萌え”が心底からむわむわっと浮かんできて布団に体をごろごろさせながら「もえー、もえー」って叫びだしたい気にさせられる。まずもって表紙とイラストがYUGさんって、「電撃萌王」なんかでは先刻おなじみで確か「週刊わたしのおにいちゃん」にも関わっていたっけか、そんな”萌え”の神様仏様みたいな人を起用する一方で、中身の方でもふわふわとしてむにょむにょとした美少女たちがぞろりぞろりと出場してはくんずほぐれつの大騒ぎ。その言葉その行動のすべてが男子とそれから婦女子の”萌え心”を惹起して、イケナイ世界へと引きずり込んで離さない。

 主人公はシンゴってゆー中学生。彼が通う学校には普通に妖怪が通っていて、シンゴのクラスにも普段は現れない座敷わらしとか渡世者っぽさを漂わせる河童とか、ぬりかべとかあかなめの亜種とかが通ってはいっしょに授業を受けている。ぺと子もそんな妖怪の1人で何でも「べとべとさん」の種類に連なる「ぺとぺとさん」とゆー種族で、愛しい者と触れ合うと「ぺとっ」とくっついてしまうとか。その日もプールで授業中、プールに落ちようとしたぺと子を助けようとした途端にシンゴとくっついてしまったから羨ましい、じゃなかった困ったもので眠るまで離れないとゆーぺと子としんごは2人で夜を過ごすことになる。

 とまあ、そんな展開から人間と妖怪の相容れない恋物語へと発展していく、ことはいくんだけどそんな甘い話ばかりじゃなくって今の社会で決して妖怪が諸手をあげて歓迎されていない事情が語られ、貧乏しながらも決して落ち込まず明るくにこにこと学校に通うぺと子を励まそうとする話とかがつづられ萌え気分を越えたほほえましさが浮かんで来る。クライマックスは河童の少女とその妹との激しい確執がどー決着するのかって中でぺと子の真っ直ぐな気持ちが発揮され、そんなぺと子を思うシンゴやクラスのみんなの気持ちがひとつになるって展開で、心にちくっと来るところもあるけれど最期には気持ち良いエンディングを迎えられる。恐るべき7歳のちょちょ丸とか、シンゴの怒れる妹とか性格言動に凄まじさを保ちつつも見目はなかなかな美少女がたっぷりと登場するのも楽しみ所だけどこれ、物語でも今年読んだトップ10には入る小説になりそー。続刊、是非に。

 日本出版販売から届いた週報にいよいよ西島大介さんの「凹村戦争」(早川Jコレクション、1400円)が掲載。3月下旬に発売だってゆーからきっとちゃんと絶対に確実に3月下旬には出てくれるものと信じて待とう。説明は「携帯電話もラジオの電波も届かない隔離されたこの小さな村で、僕は生きている。世界の崩壊を待ちながら。書き下ろし長編コミック」。つまりはセカイ系? ともあれ楽しみ。ところでこれってやっぱろ「おーそんうぉーず」って読むのが正しいのかな。オーソン・ウェルズとは関係ないのかな。


【2月22日】 2並びな今日は何の日? それはそれとしてそれにしてもサッカーA代表。インフルエンザで5人が先のワールドカップアジア1次予選「対オマーン戦」前にダウンしていたのに加えて「A3」とゆー国際試合を控えていた横浜F・マリノスの中澤選手まで発熱して試合に出られないとゆー事態に。ひいてしまった人にはA代表に選ばれるくらいの選手なのに個々人での体調管理がなってないぞと言えてもいったん、観戦者が出てしまった時にさてはてどーするのか、って危機管理のまるで取られていなかったことが露呈してしまった訳でこれで、単なる流感以上にさまざまな謀略もあるだろーアウェーでの予選に、真っ当に臨めるのかって不安がもわもわもわっとわき上がって来る。

 だいたいが驚きなのがテクニカルディレクターのジーコ兄、エドゥーまでもが風邪をひいて大阪で行われたアテネ五輪サッカー代表最終予選「対U−23韓国代表戦」の視察をパスしたってゆーから始末に負えない。ジーコ監督がカーニバル見たさにブラジルへと帰国したって、そこは一心同体少女隊、では気持ちが悪いけど表裏一体なことは間違いないエドゥーが見るから大丈夫、なんて声もあったかもしれないけれどそれも絵空事に終わってしまった訳で、選手だけでなくスタッフも含めてA代表、しっちゃかめっちゃかな状況にあるって断じられる。

 ビデオで見るから良い? ビデオですべての選手の動きが分からないのは自明のことで、にも関わらずそれを怠り2の手3の手すら打てない彼らに果たして任せておいていいのかどーか。イラクの死にそうな子供とかアメリカの横暴とか日本政府が強化する管理体制とかいったものに対してこそ本当は、立ち上がって欲しいとゆー気持ちはあるにはあるけどやっぱりジーコ監督への異議を唱えるデモンストレーション、支持したいって気になってきた。実際に行われたデモがどれくらいの規模になったかは分からないけど明日以降、スポーツ紙なりでどー取り上げられるのかに興味津々。けど「対オマーン代表戦」で起こったブーイングすら選手の立場に立って異議を唱えるメディア(「スポーツニッポン」2004年2月21日号2面コラム「十字路」とか)が逆に、ジーコ可哀想って論調を巻き起こしては世論を誘導しかねないからなー。やっぱりスタジアムでブーイングしかないのかなあ。

 面白さがいまひとつ分かりがたい「ふたりはプリキュア」をざらりと眺め「デ・ジ・キャラットにょ」の「偽ぱにょぱにょ」ぶりにこれを最初からやっていればと慨嘆してからサッカー五輪代表最終予選日本ラウンドのチケット争奪戦に突入、したけど10時半近くになってもまるで繋がらない状態にここでの奪取を諦めパソコンを抱えて家を出て、お台場で開催中の「ワンダーフェスティバル2004冬」に向かう駅のホームに電車中でネットにつなげて奪取を試みどーにかこーにか埼玉での「対バーレーン代表戦」と、そして最後の「対UAE代表戦」のチケット確保に成功する。間のレバノン戦はとりあえずパスしたけどここで出場が決まってしまうってことはなさそーだからなあ。Jリーグが始まるこれで3月もサッカーな日々が確定。紙面刷新で忙しくなる? 知ったこっちゃねえ。

 つー訳で「ワンフェス」には午後の11時ちょっと過ぎに到着。例年だとこの時間はほとんどフリー入場になっているのに何故か行列がまだ続いていて玩具菓子の人気とかで模型とか、キャラクターフィギュアへの人気も盛り返して来ているのかなあ、なんて思ったら何のことはない入場券なし入場者のためのチケット販売列だった。ちゃんと仕切ってくださいよお。でもってすでに購入済みのカタログを抱えて進入、即座に「リセヴィネ」の行列に並ぼーとしたものの遙か後方へと伸びる行列に恐れを成してその場で断念、即座に状況を観察する組へと鞍替えしては、受け渡される巨大な段ボールを1つのみならず2つ3つとカートに積んで帰る若人のそんなにお前ら儲けたいか? って出遅れた後悔の念とか嫉妬心とか脇において訴えてやりたくなる。

 好きだから買う、って行為は支持できる。でも売るために買う、って行為はやっぱり未だに支持できない。早起きできない人、行けない人のために買ってあげているんだ。それは良い。良いけれどだったら手間賃くらいで売り渡せ。同じ会場のすぐ上のフロアで行われている「東京トイフェスティバル」の会場で、早速1つが1000円とかで売り出されているのを見るにつけ、フィギュアへの愛より金への愛が先に立つ人たちの、収奪の場になり果てている「ワンフェス」での玩具菓子の販売に、「モケイへの愛が見えない」とか何とか言ってリセットした人たちが、どーして異論を挟まずむしろ積極的にやっているのか分からない。そーゆー行為も含めてモケイに対する熱情が、高まっているんだと言って言えないこともないからあるいは積極的に前に出て、やっているのかもしれない。そーした行為を入り口に、モケイへの愛を生み育む人がいる可能性にかけているのかもしれない。ちょっと聞いてみたいところ。

 ここんと続いた「東館(ひがし・やかた)」から戻って「西館(にし・やかた)」での開催に加えて「リセヴィネ」目当ての客、はだいたいがアトリウムに溜まって箱をまとめつつ中には入らず即座に帰るから別にしも、結構な人出で通路を歩くのが困難な状況に陥っていて、どこに何があるのかを確かめる気持ち的なゆとりを持てないまま1時間ばかりで退散して、上に上がってこっちはわりに通路も自在な「東京トイフェスティバル」で玩具なんかを観察。「アバレンジャー」だか何かに出ていた女優の人とかいろいろな人が来てトークにサイン会をやっていて、それなりに人が並んでいるほのぼのとした様に殺気だった下とは違った「愛」めいたものを感じて気持ちがほぐされる。これも僕が歳をとってしまった証拠なのかなー。昔だったら殺気を逆に放って行列にしがみつていたもんなあ。まあいいブームもいつまでも続くわけじゃないのは「エヴァ」後の状況を見れば分かること。そんな時にこそ試される「愛」の量をイベントにて放つことにしよー。そんな時には試す「愛」の向かうべき対象が消えてしまう可能性もあるけれど。

 そっちも1時間ばかりで抜け出して青海の「グランドーム」で来月の五輪アジア最終予選に着ていくためのサッカー日本代表の新しいユニフォームを購入してしまう。もちろんオーセンティックの方で入れる背番号をどれにしよーか悩んで例えば背番号の5番を入れて「SAKAI」を別注して、春に開かれる女子代表の五輪予選に出場する日テレ・ベレーザの酒井與恵選手を応援しよーとも思ったけど本当に背番号がそーなるか、保証もないんでその時はまた別に買うことにして、今回は「ワールドカップ日韓大会」前に買ったのと同じ「10番 中村俊輔」にする。苦手な選手なのに? って言えば言えるし実際、今の中村選手が代表に必要かどーかは悩ましいけどでも、「個」としての抜け具合はやっぱりピカ1、いつかの「コンフェデレーションズカップ」の対フランス戦の時みたいな献身性を発揮するよーになれば日本代表も相当に強くなるって期待を込めて選んだってのが建前。本音は前もそーだったから今回もって惰性。まあいずれにしても折角のユニが次も幻にならないことを祈ろー。


【2月21日】 ゴーカイな女性ってことなら「アンダンテ・モッツァレラ・チーズ」(小学館、1300円)の山口由香も海外放浪歴に全身タトゥーで替え歌好きとなかなかだったけど、身も蓋もなさなら山崎マキコさん「声だけが耳に残る」(中央公論新社、1600円)の結構なもの。恋愛美少女ゲームのシナリオをバイトで書いて大ヒットしたもののバイトなんで金は入らずやがて嫌気がさして退社して今は親から仕送りをもらって風呂なしアパートに閉じこもる日々。それでも社交性はまだあるよーで時々「閣下」と呼んでる男性に呼ばれてはSMのMとして縛られ吊されたりしてる。

 とはいえ決して閣下にひたすらいたぶられ続けるだけのか弱い人間って訳じゃなく、乳首をひねりあげられては「ギャー」と悲鳴をあげつつ「乳首だけは、男性のタマタマと同様、鍛えようがない。いまので何本かまた乳腺が切れたと思う」と夜に来る痛みの心配をしたり、風呂なしアパートに帰って尻を見て「切れてしまった。痔が、イボ痔がまた切れてしまった」と叫んだりと思考があっけらかん。あまつさえ「(今日の便秘はごっつい怖かった。先っぽまでで血得るのに1時間たっても出せなくて、このまま一生、クソばさみのまま生きていかなくてはならないのかと思った)」とまで。身も蓋もなってゆーかミがフタになってるってゆーか、そんなハズかしい情景描写を浴びせられているうちに、こちちまで気持ちがあっけらかんになって来る。

 そんなゴーカイ女性の細腕繁盛記、読めば下品のオンパレードに気持ちも楽になって来る物語、かと思いきや実はな展開になっていくのがこの作品の特徴でもあり凄いところ。彼女にはあからさまな性格の下には実は育った中で形成された痛くて辛い記憶があってそれが今の未来に希望を抱けない生き方につながっている。でもって彼女が知り合う男性も、やっぱり親との確執から心に痛みを負い、仕事に行かずガラクタに囲まれた部屋に半ば引きこもって生きている。表向きはゴーカイにウツウツと正反対なのに内側では重なってる部分も多い2人が、心通わせよーとする展開に共感反感が浮かび人間、感情にストレートに生きていくのって難しいなあ、なんて気持ちにさせられる。

 なおかつただ傷を舐め合う2人の描写に留まるんでなく、別の要素を入れて彼女の心理をさらにゆさぶり青年にも混乱を与えて単に欠けた2つのピースが1つにまとまってハッピーエンド、なんてお手軽さに逃げないのも凄いところ。とはいえ基本として主人公の女性のゴーカイさは保たせ続け読む人を笑わせ続けて、深淵へと引きずり込まれる手前で気持ちを押しとどめておいてくれるから、読み終えてガックリとする心配もなし。「生きよう生きねば生きるのだ」って帯にある言葉もそのままに、どーであっても地べたをはいずってでも引きこもったままでも「生きるのだ」って気分にさせてくれる物語。パワーは出ないかもしれないけれど栄養はもらえる、読むビタミンってよりは読むアミノ酸。しかし書いた本人もこんあ感じにゴーカイ、なんだろーか? ゴーカイなんだろーなー、経歴けっこう込み入ってるし。

 でもって神野オキナさん「あそびに行くヨ 作戦名『うにゃーんくん』」(MF文庫J、580円)。「うにゃー」「うにゃー」「うにゃー」「うにゃー」「うにゃー」とゆー連呼が「さいたまアリーナ」にこだまする冒頭がやがて猫耳猫尻尾を崇める教団「子猫の足裏」による宇宙からやって来た猫耳猫尻尾宇宙人エリスの奪取へと発展する、そこに陰で暗躍する犬型宇宙人の陰謀が絡む展開なんだけど今回はそこに更に「あろはおえー」なんて挨拶をする猫耳猫尻尾が絡み始めたからタマらない。そいつぁ誰だ? って神野オキナファンなら分かるよね。

 もっともそいつはまだまだ本格的に絡み始めたとは言い難く、本筋は「子猫の足裏」の代表を務める地球的な大富豪の少女と彼女の手下たちがエリスたちをさらい交流し戦うストーリー。とりわけ交流の部分では幼くして大富豪になってしまった少女の、何とかしてエリスたちと仲良くなりたいってゆー切実な気持ちが表れていて、寄って抱きかかえたくなって来る、けど抱きかかえられるサイズでもなさそーだけど。だいたいが中に少女なんて入ってないんだけど。どーゆー意味だ? ってこれも読めば分かること。とにかく新たな要素が加わり「悪運紅葉」こと双葉アオイの恋心にも火が着いて、さらに転がり始めたストーリーが次に向かうのはどんな奴らとの戦いか。宇宙人とのコンタクト派、猫耳美少女崇拝派とタマは揃っただけに作者の手腕が気になるところ。地底百合帝国? 海底メイド人? それじゃあ「アニレオン」だよ。

 5月に見た時にはまだまだぜんぜん、組織もなければ戦う意識にも乏しかった五輪代表が1年を経ずしてどーしてこれほどまでに規律を保って戦える集団になったのか。「すべては計画どーり」と言うなら山本政邦監督、これで碇ゲンドウをも上回る策士って思えて仕方がない。大阪は「長居スタジアム」で開催されたサッカー「U−23日本代表vsU−23韓国代表」の試合は日本が押し上げ中盤でボールをたんにつなぐんじゃなくパス交換で前へと運んでは深くサイドをえぐってセンタリングを入れるとゆー理想の展開に。ちゃんとゴール前には何人も選手が上がっていて、これで精度が合って来たら何点だって取れるんじゃないかって思わせるくらいに、早くて強い攻撃ができていた。

 でもって一つ覚えのサイド攻撃だけじゃなく、ゴール前の中央部分で細かいパスをつないで切り込む攻撃なんかもあってもー楽しい。そこではずれると昔だったら「ああやっぱり」って気持ちになったんだろーけど、某A代表の試合がそーした場面を作るどころかはるか後方、センターラインより下がった自陣でディフェンスとボランチがボールを回してはキーパーに下げる欲求不満たまりまくりな試合運びに終始している状況だけに、ゴール前に攻め込む場面の多さが五輪代表をすごく良いチームに見せてしまっている。まあミャンマー戦の頃に比べてはるかに良いチームになっているんだけど。

 試合後にインタビューで得点をとった森崎選手に松井選手が2人とも揃って「良いアピールができた」と言っていた辺りに秘密がありそーで、油断をしたり気を抜くとすぐに別の選手にとってかわられる不安が常にチームに漂っている現れで、だから誰1人として気を抜かずに練習や試合にのぞんでいる。1人で個人技を見せてもだめ。それでチームが崩れて負けたら責任が全部のしかかって来る訳で、個人で魅せられる場所は魅せつつチームとして戦える、まさに「個」と「組織」が絶妙に溶け合った状況が知らず出来上がっている。ここの「個」がやはり1頭抜けてるA代表海外組だったらどんなチームになったんだろう、って想像も浮かぶけど組織にかみ合わない「個」もあるから難しいところ。とりあえずは五輪予選を経てどこまで「U−23」が進化するかを見届けよー。しかしどーしてこの試合、見に来ないんだジーコ監督。次代の韓国A代表だって山といたのに。


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