縮刷版2001年2月下旬号


【2月28日】 ♪聞いてアロエリーナ ちょっと言いにくいんだけど 聞いてアロエリーナ 岡田斗司夫さんの「TVブロス」の連載が思いっきり急激に最終回になっていて とかいって「モノマガジン」の日記にはさっさと打ち切りの話は出ていたけれど 人気があったかどうかはともかく 少なくともこれよりもっと面白くない連載は幾らもあって まあ世間一般のおじさんでも知ってる的浸透度だけなら岡田さんの100倍は超えてる人だったりするけれど そういう人たちも十把一絡げ気味に打ち切りになっていたりして いったい全体どういう基準があってのコラム入れ替えなんだろうかと邪推妄想が沸き起こって来たりして 思い出せばいつかの「ロフトプラスワン」で電話に出ると切ってしまってファクスを流してくる対人恐怖症の編集者という実に親近感の持てる人の話があって おまけに同人誌にまでそのことを紹介しちゃったりしていて そんなこんなで壁に耳あり障子に目ありなんだってことが分かったりして ともかくライターは辛いってことなのね けど大2枚が平気だなんて普通は幾らが相場なの 何かとっても羨ましいの 聞いてくれてあーりがと アロエリーナ♪

 しかしドラスティックだよなー今回の誌面改革は。岡田さんはこれで終わりで「真心ブラザース」の桜井秀俊さんも終わりで「PUFFY」の吉村由美さんも最後でライターの板井昭浩さんも最終回で神無月マキナさんはコラム集とはちょっと違うから関係ないみたいで岡田さんとは相打ちにはなっていなくって「スタダラパー」のシンコさんはあと2回みたいで松尾スズキさんが始まって「ロマンポルシェ」も入っているといった具合に異動が激しい激しい。芸能人だからって容赦ないところを見ると案外と新編集長って豪傑なのかもとか思えて来たけどどーなんだろー。別に言及がないところを見ると「ウェイン町山&ガース柳下」で1ページを確保している「アイちゃん雲に乗る」の柳下毅一郎さんに「まいっちんぐU.S.A」の町山智浩さんは続くのかなあ、あと川勝正幸さんも。芸能人の身辺雑記なんてどーても良いって思ってる口には岡田さん無きあともせめてこの3人は続いて欲しいんだけどどーなんだろー。案外と次号を開いて消えていたりするのかなー。関係ないけど柳下さん、サッカーはやると見るとでは大違い、足の親指の爪は割らないよー気を付けましょー、僕は2度割った。

 吸血鬼を襲う正義の吸血鬼とかがいて人類に禍をなす吸血鬼に戦いを挑んでいたりして、主人公は本当はとてつもなく強くってけれども普段は3枚目のふりをしていたりして、悪い吸血鬼は本当は良い奴だったりしてけれども人間に理解されなかった挙げ句に悪へとはまりこんでいって謎めいた勢力に利用されたりして、ヒロインの美少女は強くって運も良くって危険があっても死ななくって主役と因縁めいたものができてきっとこれからも主要キャラとして活躍していくって、まあそんな感じの物語は過去にまるごとまんまな例があるか無いかはともかくパーツパーツで割るならどこかで見たような設定だったりするけれど、だからといってつまらないかと言われると実は結構好きだったりするから困り者で、中でも自分を偽るヒーローって設定なんかは別に偽ってなんかなくって真正に3枚目なんだけど希望として実は2枚目だと思い込んでいたい世間一般の人にとってエバーグリーンな設定だからやっぱり惹かれてしまう。吉田直さん「トリニティ・ブラッド リボーン・オン・ザ・マルス 嘆きの星」(角川スニーカー文庫、540円)の話ね。

 THORES柴本さん描くところの耽美に流麗なイラストの良さも勿論あって、物語ではほとんどのシーンで3枚目なのに主役のバチカンのエージェント、でもって吸血鬼を襲う吸血鬼らしーアベル・ナイトロードはバッシュ・ザ・スタンピードもアーカードも超えるくらいにコート姿が似合ってて、女性のファンなんかを結構引きずり込んで来そー。でもって物語の中に次から次へと登場する美形に美女の競演を耽美に堪能した挙げ句、最後の最後で開かされる単なる歴史ホラーでもゴシックロマンでもバロックオペラでもない意外やハードだったりするかもしれないSF的な世界設定への糸口に気付いて驚くんだ、それが本当に糸口だったらだけど。雑誌「ザ・スニーカー」の中に連載されている物語を読んだ訳じゃないからはっきりした所はまだ分からないけど、そっちが「R.A.M」こと「レイジ・アゲインスト・ザ・ムーン」と月に絡んだ表題が付いていたりして、翻って文庫は「マルス」つまりは「火星」がタイトルに出ている辺りから想像するに、結構壮大で遠大な設定が背景を流れていそーな気がする、けど本当の所は今の所不明なんで、年内に出るとかゆー「R.A.M」と併せて改めて評価を云々しよー。今の所は新機軸の吸血鬼物として字で読む「ヘルシング」「トライガン」てな雰囲気を堪能しよー。


【2月27日】 あああああ。もう3週間早くこの本が出ていることを知っていたらきっと3月10日頃に出るまだ最後じゃないけどいろいろありそーな「電撃アニメーションマガジン」の書評コーナーでやる「バカ話特集」にきっと放り込んでは「激突カンフーファイター」(清水良英、富士見書房、580円)に「銀河帝国の弘法も筆の誤り」(田中啓文、早川書房)あたりと対決させたことだろー秋口ぎぐるさんの「ショットガン刑事 炸裂!リボルバー娘。」(富士見ミステリー文庫、420円)は、のっけから高校の中をショットガンを手に持って歩き回っては生徒による犯罪を摘発する生徒会刑事部殺人課(高校で殺人って……ってゆーか高校に刑事って何なに何?)に所属する「ショットガン刑事」こと宇野部虎雄。その凄腕ぶりは学園に巣くう犯罪組織からは恐れられ、同じ刑事部の中ですら持て余され気味で、常にひとり単独行動で犯罪組織に立ち向かっていた。

 ある日のこと。同じ学校に通う女生徒に一目惚れしたからと女生徒がやって来てはショットガン刑事にお姉さまを探してくれと依頼する。いろいろあって引き受けたショットガン刑事、犯罪組織との関わりも含めて調査に載りだした先に現れたのは、学園内を牛耳るマフィアも絡んだ恐るべき陰謀だった……って話のあらすじを聞いても未だにきっと納得し切れない人も多いだろーけど、そこいらあたりは読んで理解できなくても無理矢理理解いただくとして、学園に刑事にショットガンとゆー3題話にもならない組み合わせの無茶苦茶さ、主役のショットガン刑事の学生とは思えない学生なんだよ)傍若無人さを脇に置いた時に浮かび上がって来るハードボイルド的ミステリー的なお話しの骨子はなかなかに巧みで、設定さえ気にしなければそれなりに謎解きの楽しさも味わえるのがあたり、流石は富士見期待の秋口さんっていった所かも。

 しかし「ショットガン刑事」。設定の無茶苦茶さでは新世紀きっての話題作「激突カンフーファイター」とも通じるところがあって、且つ徹頭徹尾のボケがお腹に苦しい「カンフーファイター」とは対称的に「ショットガン刑事」の徹頭徹尾の突っ込み具合が面白いのがこの「激突!リボルバー娘。」。ってことは同じ富士見って因縁もあるし「ドラゴンマガジン」とは言わないまでもどっかのスペースを使って突っ込む「ショットガン刑事」にボケ倒す「カンフーファイター」の富士見が生んだ新世紀2大変態のバトルなんかを見てみたい、もしかしたらこれなら「マッスル日本vs正月仮面」の80年代を代表する2大変態のバトルにも優る戦いを繰り広げてくれるかもしれないって思ったけれど、さてはてどっかの雑誌とか企画しませんかしませんね仕方ない誰か同人誌でやってくれ。誰だ受け責めなんて言ってるのは。そーゆー企画じゃ……それもいーかも、「カンフーファイター×ショットガン刑事」、うぐぷっ。

 気を取り直して1人茨城県観光推進ペンクラブっぽい所もある爲我井徹さんの新刊「MaJiRi」(集英社スーパーダッシュ文庫、533円)は、爲我井さん原作で相良直哉さんが絵を書いて「すぱげってぃ」が大好きで「ぶーけがるに」は大失敗なカナちゃんが可愛いんだけど怒ると怖い顔になるバンダー級な漫画「KaNa」(ワニブックス)のシリーズにも連なる半ば外伝めいた所をもった作品で、「KaNa」の中では確か悪役として出てきたサトリの姉ちゃんとかがこっちでもやっぱり悪役めいたポジションで出ていて、どーゆーリンクを見せているのか調べてみたくなったけど、始末が悪くて「KaNa」の単行本3冊が出てこない、ちょっと哀しい。

 学生だった黒坂桐人がある人バイト先のコンビニで見かけた謎めいた美少女。実は彼女はオサギツネという種の妖怪で、桐人の中に眠ってる黒坂命の血を甦らせよーとして接触したらしー。けれども黒坂命にかつて滅ぼされたとゆー一族が襲いかかって来たから大変で、ちょっとだけ好意を持っていた同級生の高見涼子ちゃんも巻き込まれての激しい戦いの幕が切って落とされた、訳だけど涼子自体にもいろいろ曰くがあって且つ、黒坂命の記憶に何故か桐人が目覚めない理由が明らかになったりして話は愛憎の入り交じったなかなかに複雑な展開を見せていく。そのあたりの日本的な伝承を踏まえた書き込みぶりは流石に「Kana」の原作者だけあって緻密なもの。説明的過ぎる部分もあるけれど、血の因縁をめぐる戦いから未来へとつながる希望が示されるエンディングまでを一気に引っ張っていってくれる。

 なぜ一時にこーも目覚めが集中したのか、でもってそーした人たちが狭い場所で出会えたのかってな部分の小説的な展開もあるけれどまーお約束。表紙はちょっとばかり暗いけど口絵からイラストから見ていけば、反田誠二さんの描くイラストの巧さキャラクターの男は骨太で女は可憐な様を楽しめる。等身がギャグっぽくなる本分イラストのリュックに入り込んだオサギツネ香の仕草表情が何とも可愛いっす。これも記憶にないから不明だけど、新しく生まれた命って果たして「KaNa」とかに絡んでいたんだろーか、それともこれから絡むんだろーか。何しろ集英社の本なのに帯にしっかりワニブックス発売の「ガムコミックス」として「KaNa」の宣伝が刷られていたりして出版社の越境ぶりが見られるから、ありるいはこちらで黒坂のシリーズをやり「ガム」では「KaNa」をやりつつ同じ年表の上に両者のクロスポイントを設ける日だって遠からず来そー。楽しみにしてます。

 やっぱり凄い漫画家だよなーOKAMAさん。待望の「キャッツ・ワールド」(OKAMA、角川書店、960円)第2巻はテロリストによって人間が猫に買えられてしまった街でただ1人生き残った少女が復活して来た敵と戦う決戦ストーリーで、人が猫になった秘密や猫にならなかった少女カカが好きな男性サンと敵テロリストとの因縁めいたエピソードも明らかにされていてダイナミックな変化を楽しめる。人間の心についての問いかけや相手を好きとゆー気持ちの大切さなんかも語られていて、普段はなかなかに可愛くて(ナナちゃん最高!)美しくて(エチュカ様ぁ)優しくてポップな絵が、そーゆー場面だけ絵柄はまんまなのに雰囲気としてシリアスになる巧みさへの感嘆とともに、心がジンとさせられる。戦闘サイボーグめいた「OB」って存在の中身はともかく外見の美しい悪辣さが個人的にはたまらない。これまでエロでエロっぽくない物語を見せてくれていたOKAMAさんだけど、一般の分野でもよーやく世間から関心を持ってもらえて感心される作品が登場しては見事に完結したことを喜びつつ、次なる展開がどーなるのかを期して待とう。


【2月26日】 せっかくだからと買ったばかりの冬馬由美さんサイン入り「ワイルド・エンジェルズ」(ソニー・マガジンズ、980円)を読む、うーむ、うむむむむむ、ほひー。他人がどー言おうと科学的に不可思議であろーと整合性が壊滅していよーと完成品として買えないものであろーと毛ほどであっても「意欲を買う」タイプの甘く怠惰な本読みだという前提を踏まえて聞いていただくならば、なかなかにセールスポイントのある小説でした、「冬馬由美さんが書いた小説である」とゆー1点において。銃器は確かにリアルなものが描写されてはいるけれど、使う段でのリアルさが描かれているかとゆーとそこは流石に火薬の臭いが漂い親指と人差し指の間が反動で痛むってな感じのリアルさには至ってなくって、劇場版の「バトルロワイアル」にも増して銃器が単なる”小道具”程度の意味しか持ち得ていないよーな気がする。

 「チャーリーズ・エンジェル」めいた3人組の女の子チームってのは転がせばなかなかに楽しい素材ではあるし、そんな彼女たちがペンタゴンに雇われている凄腕のエージェントで銃器の腕前もなかなかって部分も鍛えればそれなりな物語上の武器になる、と思う。ただなあ、基本線となる事件がどれだかはっきり見えないまんまに話が進んで狙われているのがヨーロッパから来た博士なのか謎の病原菌なのかテロ組織の女ボスなのかがいまひとつ見えて来ず、3人がそれぞれに特徴のあるはずの「ワイルド・エンジェルス」たちも名前だけでは誰が誰だか分からないまな持ち前の頭脳も銃器の腕前もそれほど発揮させることなく、つらりつらりと話が進んでいってしまう。よーするにメリハリがないってこと、まるで10時前の入浴シーンが存在もオープニングの掴みもエンディングの「聖母たちのララバイ」もない2時間ドラマのよーに。

 国際的なテロ組織が家族を持った女性で且つその女性が死んだ後は娘が継ぐことになっているとゆー展開の不思議に気持ちが落ちつかない感じをどう説明すればいいのやら(何か遠回しな表現)。結果見えてくる兄弟姉妹な愛憎の物語は本線と搦めれば何とか救える気もしないでもなかっただけに、その辺りを書き込まずにサクサクと流してしまった展開がやや惜しまれる。プロットを伸ばしたは良いけれどそれが単にプロットが倍になっただけ、って意見もあるいは出てくる可能性がありそー。まー何にしたって始めて書いた小説ってことでそれもこーやって出版されている以上は編集の人なり出版社の人なりが何かを感じたってことだろーから、彼ら彼女らが感じた原石がいったい何なのかを、この作品だけに限らず次もあるんだとしたらそれを含めて観察して行くことにしよー、期待してます(ほんとかい)。

 まあ病気なのは分かっているけどそこまで病気にはなれないなー、と「G・A・M・S」ってミリタリーのイベントでメガハウスって会社が作った6分の1ドール「子連れ狼」&「柳生列堂」が予約分完売になっていたのを見て思う、だって35000円に20000円だよ、同じ「子連れ狼」ならアルフレックスも作っているけどこちらは若山富三郎さんをモデルにした一連の時代劇シリーズの新作で値段はちょい高めながら23000円、もちろん乳母車も大五朗も付いている。それがメガハウス版だと乳母車付き大五朗付きとオプションは同じながらも例えば乳母車の塗りがリアルだったり乳母車にガトリング発射孔が開いていたりして、見た目のディティールの濃さが値段に跳ね返った感じがあって、そこまでのものを果たして求めるべきなのかと、病気とは言え外来で十分程度な人間として思ってしまう。

 聞くと素体なんかは別途開発しているよーで、お腹の部分とかのディティールがのっぺりとしておらず細工もしてあってそれなりな凝り様を感じさせる。もっとも路線にアルフレックスとは若干の違いもあって、アルフレックスが俳優のフィギュア化を推し進めているのに対してメガハウス版「子連れ狼」は小池一夫さん原作で小島剛夕さん絵の劇画版のイメージをまんま顔なんかに採用したもので、同じ時代物とは言っても人によって食指が伸びる方向が別れることもありそー。アルフレックスも水木しげる版の「悪魔くん」を出していたりするから場合によってはどこかでクロスする時もあるかもしれないけれど、いずれにしてもアニメ特撮なフィギュアとはちょっと違ったオヤジ受けする分野を開拓し、且つ海外でだってサムライジャパネスクな取りあげられ方をされて人気を博しそーな製品を送り出してるってことで、喧嘩なんかせず(別にしてないけど)に切磋琢磨して良いものを作っていって下さいな。メガハウスには小池原作ってことで「弐十手物語」の鶴(つるーっ)なんて作って頂きたいものです、あんまり劇画顔じゃないけど。


【2月25日】 たむら「ファンタスマゴリア」「クジラの跳躍」しげるさんの表紙絵があのドロリンとしたスティーブン・キングの世界とどうマッチするんだろーかと思いながら手に取った「ドラゴンの眼 上下」(雨宮泰訳、アーティストハウス、上下各1886円)だったけど、王様がいて王子たちがいて悪徳魔術師がいて実直官僚がいて友人がいてってなおとぎ話のよーな(おとぎ話だけど)人物配置の中で、王様が殺されて真面目な兄貴が次いだらやっかんだ弟に魔術師がスリ寄って兄貴を排斥してしまうってな童話のよーな(童話なんだけど)展開はなるほどたむらさんでもピッタリと納得、それでいて人間には強さだけでなく弱い部分醜い部分もあるんだけどそれでも真面目にまっすぐに生きていくことは大切なんだと教えてくれるあたりも、単なる古典にならないたむらさんの世界に近い部分があって選んだ人の慧眼になるほどと感服する。

 マイケル・クライトンなんかも読んでいて思うけど各章の終わりのどーしてアメリカ人作家ってこーも巧いんだろーと読みながらひたすらに感嘆、普通だったらあざとさに本を放り出したくなるところなのに、ついつい「次はどーなる」とページをめくってしまうんだよなー。巧みに場面を転換しつつ先への興味も失わせないで引っ張って行き、かつしっかりとした物語を織りあげる腕前があるからこそ万国共通に人気を博しているんだろー。時系列を行ったり来たりさせながらも説明的になり過ぎない程度にフォローして感心を失わせない配慮も立派、娘相手だってこともあったのかもしれないけれど、子供に読ませるんだってなスタンスをしっかり持っているあたりのプロ意識の高さは賞賛に値する、それが当たり前なんだけどね。

 面白いのは場面場面で果たしてこの選択は正しかったのか、この判断は正しかったのかってな問いかけをしている部分で、ハッピーエンドから帰納して途中途中をご都合主義的に配置せざるを得ないこーした童話の作法を逆手にとりつつ、人間には判断によってさまざまな未来があってそれはより悪いものかもしれないけれどより良いものなのかもしれないと暗示してくれて、ガッチリとしたレールの上を歩かされると感じ未来に閉塞感を抱いて「どーせ」ってなこげぱん風シニシズムに沈んでいる子供たちに、人間は決して定まったレールの上を歩かされているんじゃない、未来は自分で選び取って行くんだってなことを教えてくれている。さすがキング。それにしてもアーティストハウス、ここ数年でメキメキと翻訳出版の分野でのして来ていたのは知っていたけど、今回は新聞の全面広告と言いたむらしげるさんの赤に青の目立つ装丁と言い何よりキングの本と言い勝負かけてる感じ。出自をあんまり知らない出版社だけどすんげえ出版プロデューサーとか居るのかな、どっかで調べてみよ。

 「トイフェス」へ。赤いTシャツの岡田斗司夫さんん、らしき人がブース間を歩き回って熱心に商品に見入っている姿を背後霊のよーに観察する。何買ってたんだろ。出ているかどーか確信はなかったけど遠目に発見したのぼりに出店を確認して時代劇フィギュア・ブームの火付け役にして未だに先頭を突っ走ってるアルフレックスのブースへと駆けつけたら佐野さん間庭さんほか皆さんが崎陽軒の「シウマイ弁当」中だった、次は中華人形に進出か(そんな訳はない)。目的は1つ縞の合羽に三度笠、加えた楊枝もしっかり付いてる「木枯らし紋次郎 中村敦夫」で、ショーケースに入った実物の凝った衣装の格好良さに燻銀のよーな中村紋次郎の表情の凄さをしばし堪能、15000円だったけど即決で購入してしまう、ああ病気が。

 忍者じゃない「柳生十兵衛」版の千葉ちゃんも欲しかったけど流石にそこまで金はなく、当然ながら間もなく発売の「子連れ狼 若山富三郎」にもちょっと届きそーもない。うーん悔しい。思えば最初の「座頭市 勝新太郎」に「必殺 中村主水 藤田まこと」といった具合に、アルフレックスのフィギュアでも買っているのはマントにマフラーと二枚目とはちょっと違った表情を持って衣装に特徴があるものばかり。格好良すぎる三船に食指がいまひとつ伸びなかったのも道理で、紋次郎の場合も股旅姿に合羽の衣装の懲りように惹かれた部分が大きくって、今後も出るとしたら「桃太郎」とか「暴れん坊将軍」とかの二枚目じゃない路線になるんだろー。個人的には早く実写版「メフィスト」が見たいけどやっぱり版権難しいのかなー、あと「メディコムトイ」版とは違ったテイストの「工藤俊作」とか。二枚目でも「HEARO 木村拓哉」なんてちょっと見てみたい感じ、あのダウンジャケットは作るの難しそーだけど、そこは日本が世界に誇る1/6ドールドレス職人に頑張ってもらおー。

 ものはついでと西館で開催中の「G・A・M・S」とかゆーミリタリー関係のイベントものぞく。入ってすぐの場所に何でか「冬馬由美」って名前のディーラーが出店していてそれはつまり声優さんの冬馬由美さんその人のブースでありまして、ソニー・マガジンズから出たばかりの小説「ワイルド・エンジェルズ」(940円)を売っていて、未読だったんで物はついでと購入したら座っていた女性の人がページを開けてサラリサラリをサインを入れ始めて仰天、ご本人でありました、なんてお約束なボケは止めてどーしてミリタリーのイベントに冬馬さんがと思ったのも事実だけれど、表紙なんか見ると美女たちが割とリアルな銃器を持ってて、パラパラと本分を読むと出てくる銃器も結構リアルであるいは案外な「ミリタリーおたく」なのかもしれないと推測する。声優って奥が深い(ちょっと違う)。

 どーせだったら福田道生さん描く所のキャラクターみたく華麗な衣装でご登場も願いたかったけど、最初に通りかかった時にどーゆー具合かテーブル越しに相手を冬馬さんと知ってか知らずか「声優なんて来るんじゃねえ」とか怒鳴ってる、ウドの大木風な坊主頭をした了見の狭い人間としてどうよな感じのボクちゃんが居やがって、見ていて不愉快な気分にさせられたけれど、言われながらも怒鳴り返すなんてことなく「虫の居所が悪かったのかなあ」とか言って落ちついていた冬馬さんの姿を見るにつけ、歓迎されているのかいないのか曖昧な場所で目立つことをするのも良くないと認識していたのかも。

 それにしてもな迷惑野郎。あれがミリタリーなイベントに来る人のオレ様な性質を代表している訳では決してないことは、後で集まって来て嬉しそーにサインをもらっていた人たちの多かったこともあって分かっているけど、100の善行も1つの悪行で台無しにされてしまうのが世の常なんでちょっと心配、冬馬さんには気にしないでミリタリーなテイストあふれた小説を書いていって頂きたいと心よりの声援を送ろう、で面白いの「ワイルド・エンジェルズ」って。

 1番奥まった場所のシャッター前で集まって屋台の方に向かって銃を向けてサーチ・アンド・デストロイやってる一群のあれが「ハウンド」の面々かと観察、でもバラクータは連れてませんでした、当たり前か。たぶん成沢役な髪の長い女性もいたけど1人しか女性が見えなかったのはつまりチームで栄冠に輝けるのは1人しかいないってことなんだろーか、成沢への道は狭く厳しい。ミリタリーってジャンルは銃器とか軍装なんかが中心かと思ったら時代劇系な人もいて、確かに武士ってのは戦闘集団だからミリタリーなんだけど、一方ではアニメでも特撮でも戦闘の絡まない作品はほとんどなく、こーした部分も拾ってミリタリーと言って言えないこともない訳で、実際にそーいったアニメ系特撮系の出店なりコスプレも居てイベントが持つ意外な幅の広さ奥の深さを感じる。10月に2回目があるよーだけど、もしかしたら結構な規模になっているかもしれないなー。

 ナチスは難しい。軍服でも銃器でも兵器でもすべてに於いて格好良いスタイルに惹かれる気持ちは僕にもあるし、ミリタリーなイベントからそーした部分を除外するのは無理だとも分かっているけれど、本国でいっさいの讃美的な行為が認められていない状況に鑑みた場合に、単なるスタイルとしてどこまで許容できんだろーかってことを考えてしまう。まあ一切合切を禁止して闇に葬るからこそ溜まった負のエネルギーが暴発するんであって、あのマークを確実に不快だと思う人がいて、恐怖の象徴として記憶に止めている人も未だ現存していて、そーした人から何かを言われる覚悟を持ち、醒めた目線と冷静な判断力でもって過去を過去としてしっかり認識した上で、単なるスタイルとして見るなり一種キッチュな際物として眺めるなりすれば大丈夫なのかもしれないけれど、やっぱり難しいもんです、民族と歴史と戦争って。


【2月24日】 嫌だって言う被害者の人たちに向かってカメラを向けて挙げ句に怪我まで悪化させてしまった愛媛の宇和島水産高校実習船沈没に関わる報道の傍若無人ぶりを見ていると、この人たちに自浄作用とか自助努力とかを期待するのがそもそも無理なんだから法律だっていたしかないと世の中が思い始めているのも事実かもしれないけれど、そーした”神の鉄槌’にも等しい世論にこれはヤバいと遅蒔きながらも腰をあげたメディアの人たちがいるにも関わらず、それでも法律は作らなきゃいけないと言い続ける自民党の人たちの聡明ながらも底知れ無さには注意しなけらいけないなあ、けど功利的に視聴率を求めて扇情的にならざるを得ないメディアには結果として自浄作用は働かず堂々巡りを繰り返すのかなあ、岡留安則「噂の眞相」編集長は落ち着いてるなあ、PTAの代表の人は青年団っぽさが「きもさぶ」だなあ。

 なんてことを「朝まで生テレビ」を見ながら朝の4時まで考えながら寝て起きたのが午前7時。ご飯を食べて本紙編集の偉い人からこれもウオッチャーなら今さらな話を聞かされた後に会社を救う手だてを考えろってな討議があってチームになって考える。業界にドップリ浸って10年とゆー人たちが考えるよーなことを「そんなこたぁ分かってるよ」と思いながら好々爺然として聞き流すんじゃなく、もしも本当に参考にしよーなんて思ってるんだとしたらちょっと怖いなあ先行き暗いなあ、とか思ったけれどもちろん口には出しません。しかし同じ組分けになった人から「グループには経済専門の媒体がなくって」と言われたのには仰天、俺の媒体って一体何だったんだ7デイズ。ポニキャニ扶桑社あたりで知らない人がいるのわ分かるけどまさか本紙から言われてしまうとは何かトホホな気分。同じ屋根の下で知られてない媒体が外で売れる訳ないよなあ。

 とか自分の職場に対する世間の認知度を思い知らされながら研修を終了、新幹線に飛び乗って東京へと向かいそこから京葉線で「幕張メッセ」へと回って「アミューズメントエキスポ」を見物する。まずまずの人だかりで衰えつつあったゲームセンターへの人間の回帰も期待できるんだろーかそれともこの程度の人手ではまだまだダメなんだろーかと考えながらも見て回った各社のブースで目についたのは先鋭のビジュアルが繰り出す迫力よりもコンセプトの楽しさなり雰囲気のほのぼのさを味わわせる機械の多かったこと。その代表格は何と言ってもセガの「犬のおさんぽ」で、ランニングマシーン上にベルトコンベアのついたステップを歩くと画面の犬が歩き始めるって寸法で、可愛さの中に歩くってゆー健康志向なんかも取り入れていて、体を動かしたい人とかにちょっと関心を持ってもらえそー。スポーツクラブのウォーキングマシンを全部これに買えれば楽しみながらも運動が出来るんだけど、「ピープル」はやっぱ無理だろーなー。

 ナムコが和太鼓奏者ならコナミはコンガプレーヤーでコナミがカメラ小僧ならナムコはプロカメラマンといった具合に似通ったコンセプトの商品を出している様子に再びバトル勃発かも、とか心配したけど前だったら遠く会場の隅と隅に別れて設置されていたナムコとコナミのブースが今回は隣り通しになっていて、狭い業界でかつ厳しい状況の中を潰し合うよ似通ったコンセプトでも総体として業界を盛り上げるんあらオッケー、ってな風潮が芽生え始めてるんだろーかと想像を巡らせたけれど、さて。和太鼓を叩いてビートを刻むナムコのマシンは気分がスカっとしそーでコンガをトカトカ叩くコナミのマシンは気分がハイになりそーで、その時々の気分に合わせて遊び分けるのが良いのかも。カメラのはどっちが上かなあ、画面に登場するアイドルを撮った写真がそのままトレカになって出てくるコナミのアイディアはなかなか。ミノルタと組んでコントローラーの側が「αスイート」まんまなナムコも捨てがたい。頑張ってくださいお互いに。

 「トライガン」の新刊とか「エクセルサーガ」の新刊とか「カードの王様」の新刊とか買って読んで面白い面白い。今市子さんの「百鬼夜行抄」は8巻の登場で律がだんだんと鬼太郎だか陰陽師だかになりつつあるけど、いわゆる妖怪退治物とは違うのは美麗な絵柄とほどよいユーモアと、何より徹底的な強さで押さえつけるんじゃなく、妖怪の側にも立って事態を解決しよーとする展開の気持を暖かくさせる部分があるからなのかも。しかし律、妖怪にまで「半分化け物」と言われて母親からは「これを仕事にする」とも言われて散々だけど、1編30歳を過ぎた律が声だけなが登場するエピソードがある所を見ると、得体の知れないものになっている可能性もあるとして、それでも化け物退治な仕事を続けているらしー。少年編とか冒険編とは別に絵柄も変わった怪奇なアダルト編があった高橋葉介さんの「夢幻紳士」みたくおっさん律の活躍でも描いてくれるかな、そのちちに。律の爺ちゃんの蝸牛が久々に登場したけど痩せてて前とちょっと雰囲気違うっぽい、シリーズ長いと絵も変わるって奴か。


【2月23日】 「きもさぶ」なんて言葉がちゃんと流通しているのかそれとも咄嗟の判断で作られたは良いものの言葉どおりに「きもさぶ」な語感に誰も使わなかったのかは分からないけれど、女子高生言葉としてこの「きもさぶ」って言葉が登場したのが象徴しているよーな世の中のちょっとタガがはずれかかっている、とかあるいはすでにはずれてしまった状況を、萩原浩さんの最新作で言うも恥ずかしい”渋谷系ミステリー”なんてアオリとともに登場した「噂」(講談社、1700円)は実によく現していて、読んでなかなかに「きもさぶ」な気分を味わえる。それにしても”渋谷系”とはなあ、今時。

 タイトルにもあるよーに口コミが情報の伝播手段として有効なことに着目したある化粧品の宣伝を担当した代理店とか企画会社が女子高生を使って「その香水をつけていないと怪人に襲われて足を切られてしまう」なんて噂を流して79日、確かに香水は売れて来たけど一方では本当に女子高生が足を切られて殺害される事件が発生し、刑事たちが噂のでどころを求めて操作に乗り出す。奥さんに先立たれて娘と暮らす刑事が年齢不詳な本庁勤務の美人刑事と訪ねてあるく渋谷界隈。そこに巣くう少女とかの顔とケータイの番号しか知らない関係をたどっていき、やがて女子高生たちの間で「足を切る怪人レインマン」の噂が広まっていたことに行き当たる。

 あと広告に関わる人たちの罪悪感を抱いているのか抱いている暇なんてないのかそもそもが罪悪感なんて存在しないのか分からないままに社会的にどうだろうってなことでもやってしまう状況とか。足切り「レインマン」の噂を仕掛けた企画会社を率いるこれまた年齢不詳で可愛いんだけど超切れ者な美人社長の功利的で合理的な態度は読んで空恐ろしさと同時に割り切りぶりに清々しさも感じてしまって、消費社会で生きている人間なんだってことを自分自身が思い知らされる。噂が品物を売ることに使えるなら貶めることにだって使えるのは道理で、案外と街に知らず広まる猫肉ミミズ肉カエル半分の話とかもこーしたネガティブキャンペーンの仕掛けが裏にあったのかも、なんて思えてしまう。「噂を信じちゃいけないよ」とは良く行ったもんだねえ、昔の人は偉かった。

 明らかになる真相は真相としてミステリアスな雰囲気と強さを持っていた企画会社の美人社長の強さ悪辣さがあんまり描ききられていない所がちょっと不満で、「噂」が世の中の凝縮されたマイナスエネルギーが人間を狂わせたんだろーかと当然ながら考えてしまう事件の真相が実は……ってな部分の半ば安易さにちょっと肩すかしを食らった気分になるけれど、さすがに”渋谷系”と臆面もなく名乗ってるだけあって女子高生描写はリアルかはともかくリアルっぽく描かれていて使えるかはともかく勉強になる。刑事が女子高生と一緒になって事件に挑む少年探偵団ならぬ少女探偵団っぽい赴きもあってちょっとワクワクしてしまったけど、最後の最後で背筋がゾクリと来る描写に行き当たって「きもさぶ」な気分がわき上がる。「オロロ畑でつかまえて」のような広告の功罪よりも描きたかったのはこっちの世間のタガのはずれっぷりだったのかなあ、萩原さん。身の引き締まる1冊です。

 社員研修なんて柄にもない行事に参加するために小田原へ。像がいななく小田原城のある東口は前に行ったことがあったけど、初めて降りた西口の駅前っぽくなさぶりにちょっと仰天、真ん前までフツーの住宅があるもんなあ。あと巨大な北条早雲の像にも。競輪場に行く人しか見ないよーな西口に小田原を代表する人モノの人の方が押しやられてしまっているとは。ちなみにモノは小田原提灯、それをぶらさげたヤットコドッコイホイサッサな籠屋の像が東口にあるかどーかは知ったことではない。夢枕獏さんが世界に冠たる文豪になって代表作のキマイラの像とか建てられる日が来たらちょっと面白いかも。いっそ島根だか鳥取だかみたな「夢枕獏ロード」でも作って差し上げては、市民の皆さん。

 「アジアセンター」って所で今時の新聞業界とかが抱えている問題なんかを偉い人から聞かされて、そんなこと常識だろとか思っていたら案外と集まっていた10年目になる記者も含めた社員の人たちが案外ど驚いていたことに驚く、ってゆーか真面目に目の前の仕事に真面目に取り組んでいる人だとネガティブなイメージを業界に抱かず従って業界の問題に対して意識も向かず告発本から分析本から学術本まで山と出ているメディア関係の本にもあんまり目を向けないものなのかもと想像、ってことはつまりそーゆーことを知ってる奴ってのは不真面目な不満分子ってことなのかな、いやいやこれがメディアリテラシー、何ごとにつけても批判する意識と称揚する意識をバトルさせてこそ「噂」を真実と思わせるよーな情報操作の渦から一歩、距離を置いて世の中を見ることが出来るんだ、嫌な仕事から逃げてるっぽさも漂うけど。

 講義が終わって宴会も終わって寝よかと思いつつも気になっていた番組をついつい見入ってしまって午前様。「朝まで生テレビ」はテレビの俗悪番組を法律で規制しようとする人たちと業界の自助努力を訴える人たちに自民党が規制しようとしているのは実は自分たちに対する批判を封じ込めるためのファッショ的な手段だと主張する人たちがパイをつつきながらの大論争、僕はと言えば彼女に別れを告げられ……る訳ないか、そんなものいたこともないから。何かについて混ぜっ返して議論を単純化、図式化して白黒善悪な断定をさせよーとする田原総一郎のダメ司会っぷりも最初のうちだけで、煽る田原にマジ切れしたテリー伊藤に臆したか気持を切り替えたか、堂々巡りの中で収集がつかなくなるケースが多いなかでそれぞれの陣営がそれぞれに主張をちゃんと繰り出し、かつメディアをどう理解するのかってなメディアリテラシーについても触れて、ありきたりな講義を聴くよりもよっぽどメディアの立ち位置について勉強になる回だった。日テレ土屋プロデューサーの登場シーンはやっぱりあの音楽を入れて欲しかった気もしたけれど、そう「ダース・ベイダーは黒い、デス・スターは丸い」(ちょっと違うか)とか歌えそーなあの音楽を。


【2月22日】 法律云々を持ち出すんだったらこの日本で公営ギャンブルなり富籤なりを除いた賭事の一切が禁止されているのは百も二百も承知だけれど、立ち小便しようと高校生で煙草を吸っていようと目クジラ立てて法律をたてに厳罰を要求するよーな輩がいたとしたら、そいつは野暮の極みってことで逆に笑われるか蔑まされるかするものだろー。麻雀に行って卓を囲んではい何万点負けました、でも賭事は禁止なのでお金は出しませんじゃあフクロ叩きに合うか裸に剥かれて吊されるか100年は口を聞いてもらえなくなるかするに違いない、あと高校野球シーズンによく回される馬柱を引き裂くよーな輩とか。

 新聞記者といったら昔は記者クラブで暇な時には麻雀三昧、それで生活費を稼いでいた人もいれば毎月スッカラカンで給料日までどう過ごすのかってな思案に暮れた人もいたりと、半ば風物詩であり半ば芸事のよーになっていた。まあ最近では若い人の麻雀離れと横並び一線からちょっとだけ抜けたいってな世の中には全然影響力のない功名心の蔓延で、仲良く卓を囲むなんてことはなくなっているけどまったく誰1人として麻雀を、それも点数が行ったり来たりする緊張感に溢れた麻雀をしない新聞社なんてないだろー、テレビ局も多分。調べれば必ずほこりは出るし、それをほこりだなんて言ったら自分たちのやって来たことを非難されたと怒り出す超偉い人だっているだろー。

 だからなおのこと思う。あの森首相がプレイしていたゴルフに関連したチョコレート報道っていったい何? ゴルフでチョコレートと言えばもはや言わずもがなの賭けのこと、でもってチョコレートとはお金を指す隠語のこと、にも関わらずチョコレートと言うのは一応は法律で禁止されている賭事を、声高にやってますとは言わないための方便でもあり美意識でもある、あんまり美しくはないけれど。麻雀やってる人だって言うじゃない、○○ガバス買ったとか負けたとか、それとまあ似たものだろー。勿論報道する側だってチョコレートが何なのか知っているし、当然ながらチョコレートのやりとりをしていた意味が法的には×だけど人間として言うのは野暮に属する類のものだと認識している、少なくともクラブで麻雀卓を囲んだ経験のある偉い人たちは。

 それがどうだ。記者個人はともかくとして叩けばほこりの1つもでる人がいるだろーマスコミが、今回に限ってはこぞってチョコレートをやりとりしよーとした、つまりは賭けをしていたってことをさも極悪非道なことのよーに取りあげて、森首相の行いを叩いている。むろん一国を率いる人間としての脇の甘さはあっただろーし、範を垂れるべき人間にしてはお粗末過ぎる所業だろー。けれどもことの本質は外交に関わる大きな事態が起こったにも関わらず、バリューを判断できずにゴルフを続けたことであって、それが賭けだったかどーかなんて枝葉末節も甚だしい。

 そんなワイドショー的スタンスからの雪崩のよーな報道が、かえって事の本質を見誤らせることになりはしないかと心配するけど、あるいはそーやって間抜け総理の延命を図って話のネタにして、ニュースを払底しないよーにいしてるのかもしれない。いずれにしても志の低さでは報じられる側も報じる側も同根同類、偉ぶっているよーだけど実は間抜けだってことを頭の言い国民の皆さん知っています。たぶん書いてる側も自分たちがやっていることの間抜けさは認識していて、それでも余所がやるなら自分たちもと高潔さに踏みとどまれない体質が、実は最大の問題ななんだろー。政治もメディアも病根は深いなあ。

 すごいぞアルフレックス。時代劇シリーズでフィギュアの世界に参入してからえっと3年くらい? 最初に出した「座頭市」のインパクトでもって華々しくデビューしたのは良いけれど、なにぶん零細な世界だけに1発屋で終わりはしないかと心配したら「三船敏郎」に「中村主水」と着実に癖のある商品を送り出して確固たる地位を獲得し、トドメとばかりに「七人の侍」を出してマニアの世界ではビッグネームになっていたけど、今回はいよいよ「週刊文春」にも登場となってマイナーな新聞なんかもはやお呼びでないくらい、メジャーな域へと足を踏み出した。これで即完売の世界になるかなー、嬉しいけれど隠れ家を見つけられた気分もあって気分はちょっと複雑。

 もう発売になっていたらしー「柳生十兵衛」は「忍者」よりもやっぱり千葉ちゃん度が高く久々に欲しい一品、草鞋がちゃんと編んであったらさらに良かったんだけど。それは「木枯らし紋次郎」も同様で笠もやっぱり編み物だったら価値は一段と上がったかも、値段も当然上がったけど。まあそのあたりは手の器用な人に次作してもらうとして、もともとが雰囲気のあるキャラクターだけにグラビアの「紋次郎」もなかなかのそっくりぶり、ピンと背筋の立った姿は前屈みな「座頭市」とは対照的で、汎用だけどいろいろ細工も出来るオリジナル素体の優秀さがここにも現れているのかも。しかしやっぱりインパクトではトップな「座頭市」、記事を読んで欲しいと思っても「完売」とあって再版の要望がいっぱい出そー、「文春」読者なんで数も多いし。さてどーするか。して欲しい気持ちはあるけど自宅の奴の値段が下がるかもってな野卑な気持ちもあってこれまたちょっと複雑です。


【2月21日】 「なーるほど」(2月13日付)by鳥坂センパイ、でも「まーかせて」とは続きません、ちょっと意味不明。それはともかくなにが「なーるほど」かは3時間37分を3時間37分として感じ理解し耐えた柳下毅一郎さんの解説に詳しいから御覧になって頂くとして、小出しにしていく物語上の作法よりも画面なり動きなり音楽といった部分での意図してのことなのかそれとも直観で繋いだのかは知らないけれど完成した作品には現実にあったさまざまな仕掛けが、あの長大な時間を長大と感じさせない理由になっていたとは聞かされて驚きつつもやっぱり「なーるほど」と得心、そーなのか思考を止められトランス常態に引きずり込まれてたってことなのか。確認のためのもう1度見てみたい気にもなったけど、考えるな感じるんだってのが鉄則の映画で考え始めてしまった途端に3時間37分が5時間14分になってしまう可能性もない訳じゃないく、それだけの根性を据えられるかどーかが心配なうちはやっぱり遠慮しておくに越したことはなさそー。大人しく「ギャラクシークエスト」か「回路」見に行こ。

 つまりは「信じる者は救われる」ってことなんだねと、芥川賞を受賞した青来有一さんの「聖水」(文藝春秋、1333円)を読んで理解する、ちょっと端折り過ぎ? なるほどスーパーを1代で立ち上げた父親が癌で死に掛かっていて、宗教家めいたところがあって泉の水を「聖水」と言って病気が直ると吹聴して広めている父親の従姉妹に半ば折伏されて「聖水」を有り難がって飲んでいて、おまけにその従姉妹にスーパーの社長を譲ると言って役員から反発を買っていて、死に直面して現実が見えなくなってる様が滑稽で、人間の浮き沈みぶりについてあれやこれやと読ませるストーリーテリングの妙は確かにあるけれど、結局はそ怒り心頭だった末期を読経によって救われるエンディングに集約されてしまうじゃん、とか思うんだけど石原慎太郎さんは結論を組み上げる土台の部分の物語りぶりが気にいったのかな、確かにスリリングさし面白いし。

 最新号の「文学界」で堀江敏幸さんの言ってしまえば有りが迷惑に気付いてお呼びでないと去るコントみたいな(コントじゃ全然ないけど)「熊の敷石」のことを、エッセイの域を出ていないと言ってあんまり芥川賞には入れたくなさそーな態度を見せている石原さんだけに、論は論としてあった上で物語は物語としてあるべきだって立場なのかもしれない。なるほど形先行だったり雰囲気先行だったりする「J」が頭に付きそうなカタカナのブンガクが醸し出すニュアンスなり空気なりパワーに惹かれる時もあるけれど、根っからの「物語好き」な身からすると確かに「聖水」収録の作品は人生があって起伏に飛んでいて提言があってとなかなかに楽しい。

 二重人格めいたところのある叔父が癌の手術で声を失った甥に信仰を強要する「ジェロニモの十字架」の半ば心理戦めいた語り口の間に、青年の自律と快復といったテーマが立ち登って来る様が読んで気持ちにズバンと来る。ゲームのクリエーターから映画の監督になろーとしている男も出てくる「信長の守護神」は少年の目覚めに自立がテーマみたいだけど、映画に出演している素人集団の仕事ぶりボヤきっぷり活躍ぶりの描写は綴られた文章以上に迫力のビジュアルを脳裡に浮かばせてくれる。権威が張り付く芥川賞よりエンターテインメントの王を決める直木賞の方が個人的には気分だけど、カタルシスを与えることなく問題を浮き彫りにして明示してみせる腕前はなるほど”純文学”、物語なのかテーマなのかといったエンターテインメントにつきまとう問題とは離れて物語でもありテーマでもあるとうーどっちつかずながらどっちでもOKな存在として、揺れ動くジャンルの枠組みを超越した部分で活躍を期待したい。「信長の守護神」は面白かったなあ。

 何とゆーかあの「SCEI」のトレードマークがプロジェクターからスクリーンに投影されているすぐ下を、ちょっと前までは完全完璧に「敵」だったセガを実質率いるCO−COOがトコトコと歩いている姿を見ると、今さらながらに「セガは斃れたままだった」んだと分かってちょっぴり涙も滲む。それでもやる以上が頑張るんだと、こちらも一応は敵対関係にあるナムコといっしょに「プレステーション2」を高速回線で接続していろいろなコンテンツを利用できるよーにする実験を、冬とかにスタートさせる予定とか。ロジスティクスやお台場でのアミューズメント施設の共同展開なんかも始めるセガとナムコの関係もなかなかに興味深いけど、どーであれ何かが大きくグラリと変わろーとしている時代なんだってことなんだろー。

 セガのファンには心に忸怩たるものがあるかもしれないけれど、SCEIの会見場に「セガ」の偉い人がゲストとして呼ばれているこの状況を現実に照らして受け止めれば、谷底なのかマリアナ海溝の底なのかは別にして下編にギリギリなセガがここから少しでも前へ上へと進む上で必要にして不可欠な提携だっと見るしかないんだろー。同じ発表で携帯電話とPS、PS2をつなぐ話があってキラーコンテンツに「どこでもいっしょ」の続編を使うんだって久多良木社長だったけど、思うに今時まで「どこいつ」をPS上PS2上でアクティブに楽しんでいる人が果たしてどれだけいるのやら。サービスがソフトの売上に返って来るって期待もあるんだろーけれど、思い入れが行き過ぎて投入のタイミングをずらしてしまったりスキームを外してしまう恐れがないのかってことを、客観的な目に戻って確かめて見る必要があるのかも。まだひっぱれるのか「どこいつ」? 「でじこ」よりは普遍性はあるんだろーけれど。


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