縮刷版2000年9月上旬号


【9月10日】 モケイの国のイデオローグから届いた何でまた僕にってな原稿依頼をサクサクとこなす週末。とりあえずの1本目を土曜日から日曜日へと変わったあたりで仕上げてメールしてそれから読書なんかをジトジト、「学研M文庫」からそろったラインアップから実はハードカバー版も持っている「少女怪談」(東雅夫編)を買って山尾悠子さんの追加分の短編を読んだり、やっぱりM文庫から再登場の川又千秋さんによる何故か勇ましい「十二戦艦物語」を読んだり。戦後生まれで戦後民主教育にドップリと浸った川又さんが戦艦に詳しいのは架空戦記物を書くために勉強した成果なのか、それとももとから戦艦に興味があって勉強した結果を架空戦記にしたためたのかは分からないけれど、書かれている文章のトーンのちょっとした勇ましさには、人間のどこか内奥にはやっぱりナショナリズムが眠っているんだろーかと考えてしまう。

 それは元をたどれば負ければ悔しいという単純な心理なのかもしれないけれど、どうして負けたんだろうかと考え問題点を洗い出していくうちに、ガダルカナルに戦艦を突っ込ませて砲台にすれば占拠出来ただろう、とかレイテ湾に突入すれば戦況を一変させることは無理でも講話の可能性は生まれて戦力を維持出来たとか、そういった具合の思考がわいて出てくる。知らず「戦争」を遂行する側に立っていて、ゲームよろしく戦艦を動かし兵隊を繰り出していたりして、だから「日本は」という気持ちが浮かんで来てしまう。架空戦記やシミュレーションゲームが時に槍玉に上げられるのも、そういった部分が決して皆無ではないからだろうと思う。

 SFが可能性の文学で架空戦記もその範疇に含まれる以上は、どんな可能性を追究するもの自由だしまた意義深いことだろうけれど、すぐれたSFが可能性が決して一面だけを見せるものではなくってその上で繰り広げられる人間の思考や思想の部分まで含めて見せれくれるように、歴史について考える時もやっぱり当時の人間たちの、それも1つの国だけでなくあらゆる国あらゆる民族あらゆる家族の気持ちまでをも含めて多上で、どういじればどうなるのかを一切合切考えてみる必要があるんだろう。白地図を色で塗り分けるだけじゃない、その下に暮らす生命に対する想像力を欠いたナショナリズムはやっぱりあんまり好きじゃない。「十二戦艦物語」は単なる戦艦の栄枯盛衰の記録だけど、ここで得た思考を土台に川又さんがどんな架空戦記を書いているのかちょっと興味が湧いて来た。でも足がはやいからなー、まだ読めるのかなー。

 なんて明け方ハイな頭で益体もないことを考えつつ寝て起きたら正午、とりあえず食糧を仕入れ久方ぶりにソニー・マガジンズのアニメ雑誌「AX」を買って噂になっていた次号からの展開を確認する。CD−ROMマガジンとなって本文は70ページちょいしかなくなるってことは山岸真さんと水玉螢之丞さんのコラムとかってどーなるんだろーか。もしかして生の山岸さんがビデオでSFについて喋って生の水玉さんが水森亜土ちゃんよろしく白板にマジックか何かでイラストを描いていく場面をCD−ROMに収録するんじゃなかろーか(ないない、多分)。

 漫画の「HANDO MAID メイ」はパンツパンツパンツで良い感じだし「フリクリ」もちゃんとニナモリ大フィーチャーだしパイオニアLDCとのリンクが強いせいもあって「太陽の船ソルビアンカ」のキャラクターデザインと作画監督の恩田尚之さんにインタビューもしているし、独自色って意味であって決して損はなさそーな雑誌なんだけど独自色ってことはつまり普遍性が犠牲になるってことで、展開の変更もやむなしってことだったんだろー。だったら例えば1000円でも良いからパイオニアLDCの古い作品をまるまる収録してくれるとか、全部が駄目ならダイジェストを入れるとかしてくれたなら、でもってメディアがDVDならなおのこと買おうって気も起きたのに。さてはてどうなることやら。ビデオの山岸さんとか、期待しちゃおっかな。

 ををパイオニアLDCの広告に「戦国魔神ゴーショーグンDVD BOX」の発売が載っているぞ、ボックスアートは大張正巳さんだ。「宇宙戦士バルディオス DBD BOX1」の発売も告知されているぞ、ボックスはやっぱり大張さんだ。噂の12万円「うる星やつらDVD BOX1」の発売も載っているぞ、ボックスはこれも大張さん……だったらいったいどんなラムちゃんを描くんだろーかと興味があったけど、残念ながら違うみたい。「魔法のプリンセスミンキーモモ DVD BOX2」も例えば大張さんだったら、モモってやっぱり肩に力のはいった巨胸なポーズで描かれたんだろーか、太股からパンツとか見せて。

 ほとんど徹夜明けダウンな頭で下らないことを考えつつ暇があったんでゲームなど。石板がどーとかラーマ神殿で奥様インタビューが高田純二とかいったゲームじゃなくっていたって真面目なサッカーゲーム「リベログランデ2」(ナムコ)。フィールドのいるプレーヤーの1人になってゲームをするってゆー画期的な、とゆーかそれが面白いと誰も思わずどこも作らなかったんだろーゲームは、なるほど立っているだけではボールが来ず盛んにパスを要求しすれば飛んで来たボールの処理に戸惑う素人プレーヤー丸出しで、華麗なスルーパスも決定的なセンタリングも出せずに悩む。そのうちにいっそ自分でドリブルで持ち上がってシュートだったらパスなんて面倒なことをしなくて済むと思って「リバウド」もどきなブラジル選手でやったら何とハットトリック達成。とはいえ同じことをフランスの「ジダン」もどきな選手でやってもうまくはいかなかったあたり、これでなかなかに作り込んであると実感した次第。慣れればパスとか出せるよーになりそーで、1人の選手の視点で動く関係から目がグルグルするのは我慢して、ちょっとやり込んでみよー、その前にあっちの雑誌こっちの書評の仕事が山積みだったりするんだけど。素人には200時間コースの石板探しにハマってなくてよっと良かったかも。


【9月9日】 さらに「電撃アニメーションマガジン」10月号は、中の特集でラジオのアニメ関連番組大紹介、なかなかに良い企画&記事ですねえ。最近の番組については、ってゆーかここ15年くらいはほとんど聴いてもなければ関心もなかったりするんだけど(AMラジオもないし)、かつてアニメの情報が今ほど豊富じゃなかった時代にラジオは「タダ」で得られるアニメの生の情報源であり、かつアニメの番組を通してだけでは絶対に見られない声優さんたちの「生の声」に接することができる数少ない機会として重用してた。山田康夫さんなんてルパンみたいな顔してると思ってたもんなあ、実際「お笑いスター誕生」の司会で見た山田さんはルパンみたな痩身だったけど。

 今だと声優専門のグラビア雑誌が何冊も出て、番組も週にいったい何本だ? と数えるのも億劫になるくらい放送されていてイベントも全国規模で展開される最近の人を贅沢とも羨ましいとも思うけど、さてはて「顔出し」がそれほど前提ではなかったかつての時代に果たしてビジュアルマガジンに耐えられるだけの面子が揃っていたのかという、突っ込み出すと刺客が飛んできそーな疑問もあるから一進一退、どっちとも言えない複雑な感情に囚われる。もっともホント昔は「声優」さんって遠い存在だったんです、鶴光の「オールナイトニッポン」でで池田昌子さんや杉山加寿子さんがメーテルハイジの声でアヘアヘ言ってたよーな事を、今だと例えば三石琴乃さんがミサトは番組でやってるから良いとしてうさぎちゃんの声で、あるいは林原めぐみさんがあんまり色っぽくないけどリナの声でやってくれるとも思えないから、古き時代はある意味良き時代だったのかもしれない。

 ラジオ大阪の「アニメトピア」が名古屋で聴けたか聴いていたかどーかはボンヤリとした記憶の彼方に霞んでいるけど、「ラジオアニメック」の方はオープニングの雄叫び(誰だったっけー思い出せん)が鮮明に今も記憶に残っている。司会って長谷有広さんだったっけ? それとも長谷さんは違う番組だったかな、ともかく声優さんが出てきて喋ってくれる番組に、入らない電波を無理矢理遠くの方へと向けたアンテナで拾って聞き入った記憶がある。ああ懐かしい。けどこれだけ世間に雑誌とラジオと最近はテレビ番組も含めて声優さんが山と登場する時代になると、明確な「実力」でもってこなしていた「余技」に驚嘆させられた時代とは違って、別のモノサシが声優さんを見る尺度に入って来てそーでちょっと気になる。声の雰囲気とか質とか顔の造作といった「余技」よりも「本業」での活躍と実力にのみ目を向けたいのが本音だけど、それを図るだけのモノサシがこっちに欠けて来ていたりするのも事実。なので分かる人には是非とも声優さんの「本業」の、星取り表でも作ってやって頂きたい。すでに兆候の見えはじめているアニメバブル崩壊後の、それが生き残りに向けた作り手も受け手も含めた避けて通れない道なのだから。

 でもって「アニメージュ」の10月号、期待の袋綴じ「パンチラ企画」を見る……客ナメてんのか。中綴じになった表紙と裏表紙にあたる「まりんとメラン」のメランのブルマ風パンツなど刺身のツマにもならないのは承知としても、中に描かれている「パンツ」がたったの2人でそれも「パンツ」なんか最初から幾らだって魅せてくれている2人ってところが拙い。かつてセイラさんのヌードに興奮して、掲載した「OUT」が伝説になったのは原作ではアムロに抱かれてもアニメでは絶対に淫靡なところなど魅せなかったセイラさんがカメラ目線で胸に手をやり読者を誘ってくれたから。アニメでバンバンと白パンツを見せまくっている姉ちゃんに今さらながらのパンツを見せられたところで何ぞ興奮する余地があろう。やるんだったら桜&知世のパンツ、サクラの腰巻き、なるのパンツにぷちこのおむつでも見せんかい! いやすいませんちょっと趣味入ってしまいました。

 まあ良いそこが皇室御用達、自然を愛して煙草ぷかぷかのパヤパヤを抱く徳間書店は「アニメージュ」の良心と認めよう。本編のグラビアの「サクラ大戦」の裾野も広く量感たっぷりに描かれた紅蘭のバストは悪くない。設定資料の「HAND MAID メイ」の下着姿のメイはグラビアなんかよりよほどか読者の官能に働きかける。何よりあからさまな挑発よりも想像するビジョンにこそ興奮を覚えるのが2次元をこよな愛する「オタク」の本能にして得意技、なのでここではひたすらに、Aikaの白く輝くパンツ、まりんのブカブカに余ったパンツの、そのさらに下に存在するもじゃもじゃだったりつるつるだったりする「何か」を妄想しながら、今宵は官能に浸ることにしよー、ってつまりはパンツ特集オッケーなのね、はいそのとおりです。

 大森望さんの「わるものオーバードライブ」は「日本SF大会」に「コミケ」に「ワンフェス」が3大イベントに上げられたコラムになっていて、確か「ピュアガール」のみのうらさんのコラムもそこいらあたりがネタになってて、次回「TINAMIX」(載るのか続いているのかは不明、督促もなかったし)に同じネタを振った自分の出遅れがちょっと気になる。がそこは後出しジャンケンの小狡さで幕張へと伝染した「おたく」魂とも言える「任天堂スペースワールド」を拾っているから良としよー。しかしホントに続いているのかねえ。「SPA」で薄い髭を生やしたアヤシイ顔(薄いのが髭だけかどうかは写真を見た人の判断にお任せします、経験者より)を見せていた藤津亮太さんの書評コーナーは特集に合わせたかのよーに「太正」とも関わる偽史本ピックアップ、ほぼ新刊も3冊入ってなかなかのセレクトです。重なっているのも下の4冊を含めて3冊しかないんで、両方買っても本についてはいろいろ楽しめるはずでーす、でも先に買うのは「電撃」だにょ。


【9月8日】 うぷぉう! と思わず叫んでしまった「電撃アニメーションマガジン」10月号の付録ポスターは「ぷちこのやや等身大サイズポスター」。なるほど身長的にはB2ポスターに収まるサイズだろーけれど、あの等身がまんま再現されるとやっぱり顔がイヂョーにデカくなるよーで、顔を寄せて頬摺りしよーとすると自分の顔がまるまる「ぷちこ」のほっぺたに埋まりそーになる。だいたいこのバランスだったら持ち上げたら頭だけで相当な重量があるだろー関係で、絶対に頭が下に下がりそーな気がするけれど、そこはさすがに愛の力かムラタク毎度まいど胴体をちゃんと握って持ち上げてるのがエラい、ひょっとして見かけによらず腕力十分なのか。「ブロッコリー」から出る縫いぐるみは眼が離れすぎてる感がないでもないけれど、そこはイコンあるいは魂を写す鏡としてのしてのキャラクター、見ているとだんだんと慣れて来て、さらにはカワイく見えてしまうから怖い。「東京ゲームショウ2000秋」で先行発売、うーん買っちゃいそー、でもって「DASACON4」に持参してクラサカさん家のミーコちゃんと対戦させちゃいそー。

 実はまだ短編集しか読んでないけど阿智太郎さん、漫画版の「住めば都のコスモス荘」はタンポポちゃんの出番こそ少ないものの霧間凪と戦わせてみたくなるよーな強力娘の野菊朝香こと「ネルロイドガール」の登場でいささか薄いものの女っ気が加わって先への期待が沸く。「Zero−CON」だと「ドッコイダー」はいても「ネルロイドガール」も「タンポポ」も見なかったんで来年の幕張メッセには是非のご登場を願いたいところ、無理でも仕込め電撃。あと「カーボンハート」は何故かの北久保弘之監督ご病気で寺田克也画伯の登板、読むとなかなかに下半身にツラそーな状況だけど本当とも思えないんであるいは別の病気でも出たのかそれとも事故ったのか。前にご本人を見た時も腕とか折ってたし。「BLOOD」の上映も近いんだから体調万全にして是非とも舞台挨拶とかに出て頂きたいものです。

 廃刊へのカウントダウンをひた走る「アサヒグラフ」でやなぎみわさんの作品を見る、やっぱりいーねー。最初の引っかかりはやなぎみわさんってアーティストが作品に込めたがメッセージとかってよりも、単純にデパートガールとゆーセクシャリティを強調させられながらも個性を抑圧された存在からムンムンと発散される官能、且つそのエレベーターガールが何人も束になって立っていたり座っていたり寝転がっていたりするビジュアルのインパクトに惹かれたところが大で、まあ今もその印象が根強く残っていたりはするんだけど、新作として掲載された特殊メイクをほどこされた老女を様々なシチュエーションに置いて撮影したシリーズが放つ時に冷え、時に輝き時に燃えるエネルギーにはちょっと打たれる物があった。

 とりわけ「MIE」って女性が打ちっ放しのテラスに座った向こうの眼下に広がる湿地帯、その向こうに聳える摩天楼、そして薄曇りの空の間を縫って差し込む光線の眩しさに、発達から停滞と経て滅亡へと進む地球の長い午後の姿を見せられた思いになる。フロリダの湿地帯ともアルゼンチンのパンパともメコンデルタともナイルの三角州ともとれそーな大湿原のビジュアルをどこからとって来たのかは分からないけれど、摩天楼のビジュアルと重なることで浮かび上がるイメージがなかなかにSF的。そんな都市にんで人類の運命を諦観しながら「その時」を待つ気持ちに自分もなってみたい気がして来た。他の2枚も老女になって遠からず訪れる「死」という現実を感じつつもひたすらに、正直に、楽しく生きよーとしている人間のしたたかさ、強さが見えて面白い。これからも新作が出てくる予定で、果たしてどんな「地球の長い午後」のビジョンを見せて魅せてくれるのかちょっと楽しみ。しかしヘンな髪型だなあ。

 東京ビッグサイトで開催中の「ギフトショー」を覗くとバンダイのブースに見慣れぬ七色の頭をした犬のぬいぐるみ関係が。これが「たれぱんだ」のサンエックスが次に繰り出すキャラクター、「アフロ犬」かとしばし観察、そのトボけたキャラクターに相変わらずの「サンエックス調」を見て、ヒットの予感にうち奮える。サンエックスの場合、「たれぱんだ」の後の「ぶるぶるどっぐ」がイマイチで、そのあとの「こげぱん」は結構な人気を博したものの続く「にゃんこまつり」は「すしあざらし」とネタが被っているからなのかまだまだマイナーと、当たり外れに波が出る傾向があって、その習いに従えば「アフロ犬」は表目に出そー。キャラクター商売の巧いバンダイがグッズ関係でプロモーションをかけるみたいなんで、それなりな人気は出るんだろー、ほかに「ドレッド犬」「ちょんまげ犬」とかもあるみたいだし、占いブームとか性格診断とかと重ねてヒットさせるのかも。でも髪がポイントのキャラクターって基本的に「大嫌い」(理由は聞かないで)なんで半分ヒヤヤカに成り行きを見守ろー。髪は男の命……だったんだよ。


【9月7日】 続けて妹尾ゆふ子さんの「NAGA 蛇紙の巫」(角川春樹事務所、700円)を一気読み、西欧的な雰囲気のあるハイ・ファンタジーが持ち味の妹尾さんにとって久々の現代日本が舞台となった作品って聞いていたけど、登場人物こそ確かに高校生、でもってテーマになっているのが日本とゆーかアジアに結構残る蛇神信仰でも、描かれる物語の重厚さはなるほどやっぱり流石と言うか、半ば形式化してしまった神様に対する信仰の意味を原初に立ち返って問い直そうとする挑戦的で意欲的な作品に仕上がっている。

 冒頭に繰り広げられる、蛇神様を奉って繁栄して来た家に信仰への意識の希薄化が原因となって問題が起こるあたりのエピソードは、今市子さんの「百鬼夜行抄」にも描かれていて、蛇神のポピュラリティとは別に、信じられていた以上は何か意味のあった信仰が衰えることによってもたらされる何かがあるのでは、ってな心配も浮かんで来て悩む。さすがに「神国であるニッポンを弱体化させようとする米国の陰謀」なんて話には眉に唾したくなるけれど、かといって捨てておくのも怖い問題、ナショナリズムに走らずニヒリズムにも陥らないで解決していく道を素人なりに考えて生きたい。

 外国による日本封じ込め的な発想はまだ分かりやすくって単純で可愛げがあるけれど、世界中の指導者層が束になって1人の男の下に世界を何者かの魔手から守ろうとしているなんて発想は流石にこの人じゃないと出てこない、そう「京極堂」も師と仰ぐ「築地の先生」こと明石散人さんの奇想が炸裂して爆裂して最後はビッグバンまで起こしてしまった衝撃作「鳥玄坊」シリーズが漫画になってソニー・マガジンズから登場。その名も「鳥玄坊 根源の謎」(原作・明石散人、作画・うちやましゅうぞう、630円)は総動員された知識の奔流と天外な奇想によってどこに引っ張っていかれるのか分からない展開に、時に圧倒され時に悩み時に迷った原作に比べると、いたってシンプルに世界を陥れようとする徐福の謀略や世界各地から発見される謎の遺跡、南極の地下より現れた全長1キロにも及ぼうかとする巨大な竜「ウルトラモササウルス」とのバトルまでが描かれていて目が冴える。改めて原作を読んでみようかって気になって来たけど、相変わらずどこに埋もれているのか分からないんだよなー、部屋汚すぎて。

 「中禅寺秋彦=京極夏彦」だったり「犀川蒼平=森博嗣」だと考えたいのがファン心理ってもので、おそらくは「鳥玄坊=明石散人」だろーと考える人がいても不思議じゃないけれど、なるほど漫画版でもオフィスは中央区あたりにある古いビルがそのままのイメージで取り込まれているものの、扉を明けたオフィスの様子は「鳥玄坊」ではパソコンが並ぶ近代風、でもって登場する鳥玄坊先生もロマンスグレーの髪をバックになでつけ眼にはモノクルをかけたジェントルマンになっていて、もしかすると明石先生もこんなにダンディなのかなと漫画を読んでファンになる女性がいそーな気もするけれど、現実の明石さんのオフィスはちょい前に出た「IN・POCKET」にも紹介されていたよーに本がギッシリでアンティークな家具が無造作に置いてあってアヤシゲな護符の類も並んでる、ハイテクとは対照的な部屋なんで行ってがっかりするかも。もちろんそーゆー魔窟巣窟の類が好きな人には堪らない雰囲気なんですが。容姿については……謎の人なので秘密です。

 作画のうちやましゅうぞうさんについての知識が皆無なんで感じたことを言えば、真正面からの顔の描き方は大友克洋さんに始まる線種の流れにありそーな気がする。あと日本の土俗的なアイティムを放り込んだ画面の雰囲気に線種は違うけど飯田耕一郎さんなんかも思い出した、徳間の「メディウム」とかで描いてたなあ、懐かしいなあ。鳥玄坊の妹さんで内閣調査室に勤務している一条路マキさんが最初はちょっぴりツンケンしたキャリア風なのに富士山の下の洞穴へと降りていくあたりから元気な女子大生っぽくなってそれはそれで嬉しい。ロープにぶらさがって愚痴る描写とか良いですねえ。講談社ノベルズでは「ゼロから零へ」でオチついているシリーズだけど、漫画版では1巻じゃあ何にも解決しないんで、早く続刊とか出て欲しいところ。小気味よいアクションと魅力的なキャラクターで楽しませつつ、原作の哲学的なテーマや壮大なスケールを損なうことなく、むしろ純化させた形で見せて魅せてくれた萩尾望都版「百億の昼と千億の夜」に果たして続けるか。まあ待とう。

 ネット系のベンチャーなんかが山と出来ては新製品に新サービスの発表をしている昨今、FAXとか郵便とか持参とかで届くプレスリリースの量も半端じゃなくってよほど興味が沸くテーマ(アニメとかおたくとかサブカルとか社長が美人とか云々)がないと書いてあげよーとする順位が低くなってしまう。態度としては正しくないんだけど一度資料の山に埋もれてみると気持ちも少しは分かって頂けます。本が山と贈られて来てどの本を読んであげよーかなんて悩む身分にはまだまだほど遠いんだけど。しかしそーゆー状況を理解した上で記者をその気にさせるリリースをどうやって作れば良いんだってな企業の方にプロならではの視点を伝授、さあメモしなさい。

 例えば僕だったらこんな資料は絶対に捨てない。上質の木に高品質の漆が塗られたその上に沈金の技術で発表文が描かれているプレスリリース。沈金じゃなくてもらでん細工でも構いません、でも作るのに1年はかかりそーだなー、来年何かを発表しよーとしている人は今から準備しときましょう。あと手漉きの和紙に榊莫山先生が直筆で文章をしたためたプレスリリース、桐箱入りならなお注目度は高いです。武者小路実篤先生直筆イラスト入りリリースでも相田みつを先生直筆「にんげんだもの」入りリリースでも良いんだけど、すでに没した人なんで新しいのが作れないのが残念。代わりになるかどーかは難しいけど存命だから326(ミツル)直筆イラスト&文章でのプレスリリース限定10部だったら送られて来たメディアは必ず取りあげるでしょー、それごとまるまる、ってことは内容も掲載されてバッチリさ。値段だって1枚10万円で描いてもらえば10社で100万円で新聞広告全5段を出すよりきっと安い。どこかやらないかなあ、でもその場合送ってもらえる10社には入いりそーもないのが玉に瑕だなー。


【9月6日】 あなたのキスを最近は数えてもらっているのかどーか分からないけど相変わらず元気な角川春樹事務所に行って刷り上がって来たばかりらしーハルキ文庫の中で9月15日に”創刊”するSF関連文庫を見せてもらう。帯に「新世紀SF宣言」なんてでかでかと書いちゃっていーんですかー、なんて半ば自虐的な気持ちも浮かんで来たけど去年の徳間書店の「日本SF新人賞」誕生やら角川春樹事務所の「小松左京賞」創設からこっち、「SF」とゆー冠あるいは応募要項で「SF」がトップに来るよーな文学賞も幾つか出て(まあ2つか、エニックスのはどーだったかな)、「SF」が結構人々の眼前に踊るよーになって来ているから、ハルキ文庫の新刊はあるいは「中押し」としての役割を担ってくれるのかもしれない。チョーク引っ張って暖気が終わって踏みはじめのアクセルなのかもしれないけれど。でも寒いんでエンジン止まっちゃうとか(止まってどうする)。

 なーに大丈夫、すでに「ビーケーワン」当たりでもそれなりに予約が進んでいるそーで(だそーです妹尾ゆふ子さん)少なくともガソリンが入っている間は車は走り続けることが出来そー。問題はだからガソリンの量と質ってことで、量ならハルキ文庫に限らず徳間のデュアル文庫に集英社のスーパーダッシュ文庫が相次いで創刊して学研からも毛色は若干異なるもののM文庫が立ち上がってハルキ文庫からは先にホラー文庫もスタートしていて書店も売場作りに困るほどのエンターテインメント文庫ラッシュ。そこではSFテイスト(ホラーもファンタジーもSFだいっ!)を感じられる本の含有率が結構高いよーに見えるから、従来からのヤングアダルトと合わせればその量たるや膨大の上に大が付くほろ。もしかすると今の子たち、10年前よりよほど「SF」に恵まれているんじゃなかろーか。

 では質は。これも大丈夫、だと思うけど僕が褒める人ってなかなか爆発しないのがニッチ好き隙間狙いな人間ならではの悪影響で、「動物のお医者さん」の漆原教授よろしくフカフカな三毛の猫がたくさんいて可愛くってしょうがないのに1匹だけ生まれた弱々しいブチ猫を貰って帰る「限定品好き」な眼がいくら褒めたところで、果たして正しいのかどーかは分からない。もっともこーゆー人間は世の中の極めて少数派だろーから、ネットも含めて真っ当な批評家たちの真っ当な眼にかなう本があるかどーかは、そーいった人たちの話で知って下さい。と言った口で褒めるのも何だけど、小川一水さんの書き下ろし「回転翼の天使 jewel box nabigator」(720円)はマジですげえです面白いです、いやほんとビックリです。

 旅客機のスチュワーデスを夢見た夏川伊吹、同じスチュワーデス予備校に通っていたお金持ちのお嬢様でちょっぴり高ビーな令子といっしょに国内線を多数運航している航空会社を受験したのは良いものの、持ち前の正直さがわざわいしてか会えなく失敗。令子はといえばそこはちゃっかり合格を決め、悔しさに枕をかんでいたところに当の令子から電話が入る。新聞に出ている航空関連の会社に行ったらどう? 友情かもと思って行ったそこは何と! オンボロのヘリコプターを1機だけ所有して広告から農薬散布から勝手な人命救助まで何でもござれの零細ヘリ会社だった。

 という訳でいやいやながらも勤めはじめた伊吹に高ビー令子の嫌味攻撃が猛虎硬破山。けれども純粋な気持ちで「ヘリコのパイロット」にしかできないことをやろうとしている弱小ヘリ会社の面々にいつしかほだされていったところ、やっぱり世の中は良く(物語的に)したもので、令子の務める会社から、伊吹と令子との諍いとはレベルが違うところでちょっかいが入り、そこから事態は急転直下に一転突破、まるで空を自在に舞うヘリコプターのよーに細心の注意がはらわれた大胆な展開へと進んでいくのであった。

 とまあ、就職にあぶれた女性が空を目指すってあたりで夏見正隆さんの「僕はイーグル1」(徳間書店、1300円)をふと思い浮かべたけれど、謎めいた展開になっている「僕イー」と違って「回転翼の天使」は、盛り上がり泣かせハラハラさせて楽しませる、王道的エンターテインメントの作法に乗っ取った先で見事な着陸を決めて見せてくれる。とにかく気持ちの良い話、です。「すべての離婚は、問題なく結婚したはずのカップルがやらかすんだが」なんて言葉、まだ若いのにいったいどこで仕入れて来たんだろー、いやホント達観し切ってます、それとも経験者?

 「イカロスの誕生日」の敵方のちょっぴり戯画化され過ぎた部分への疑問とか、「こちら郵政省特配課」のぶっ飛びなんだけどやっぱり走り過ぎてるなあと思った部分とか、真面目に楽しませようとしているんだけどどこか原色がカチ合ってるような印象があった小川さんだけど、「回転翼の天使」の場合は社会的なシステムの部分が郵政省の時も見せてくれたよーな持ち前の取材力、描写力でもってカッチリと描かれている上に、繰り広げられる人間のドラマの部分も「正義」「悪」の決して割り切れない部分を取り込みつつも、「だからといって曖昧なままでいいはずがない」という信念を貫き通しているから、正義ばかり叫ぶ輩とか、反対ばかり叫んで代替案を出さない輩から漂う胡散臭さのようなものが見えず、読んでいて実に納得できる。

 SFか、と聞かれるとこれが1番答えに窮する質問かもしれないけれど、プレートテトニクス理論を使って日本を沈めた小松左京御大の、後ろを続く人たちらしい理論でもって驚天動地なビジョンを見せてくれるとゆー意味で、SFと言って間違いはないでしょー。いやとにかく面白い、っても信じてもらえないだろーなー、「エンデュミオン エンデュミオン」(平谷美樹、角川春樹事務所、1390円)が好きっていう奴の言うことなんか(自爆)。

 とは言え平谷さんの「小松左京賞」を受賞した「エリ・エリ」はそれこそ「小松左京を取るしかない」(大森望さん)らしー話なんで来たいも十分。と言ったところで生の「エリ・エリ」を見に出かける。いったい何ってそれはこれ。コーエーの新作ソフト「決戦2」の発表会。だから何ってゲームに関係のある人ならもうお解りでしょう、「エリ・エリ」すなわち「襟川陽一・襟川恵子」の「エリ・エリ」コンビを見に行ったのです。喋りのたくましさは相変わらずとして、ソニー・コンピュータエンタテインメントを代表する形でソニー・ミュージックエンタテインメントの丸山茂雄社長が挨拶すれば、続けて音楽を担当するとかでエイベックスから依田巽会長が挨拶するとゆーレコード業界のトップ2を招いての発表会は、やっぱり襟川のどちからと言えば恵子社長の人脈の太さ濃さをあらわしえいるんだろー。業界団体のトップもいよいよ近い?

 中身の方はと言えばムービー部分のクオリティは向上するのが普通なんで気にはしないけど、蟻のよーに蠢く騎馬や歩きの兵隊たちを上空から俯瞰した時の緻密さ細かさは流石。それがそのままゲーム画面で動く訳ではないけれど、前作で好評だったらしい「群れシステム」も磨きがかかってさらに大勢の兵隊を「エモーション」があるよーに動かせるだろー新作は、きっと誰も見たことがなかった世界をモニター画面の中に現出してくれるだろー。しかし回転して兵隊の集団の上を美女が飛んだその跡に、一直線に兵隊が倒れているシーンとか、背中に背負った何やからパッと開いて羽根が出て、男が城の上空へと駆け上がって攻略をはじめるシーンとか、ケレンというべきなのかSF的と見るべきなのか、派手な描写もたっぷりあって赤影的ライオン丸「特撮忍法物」の雰囲気も味わえそー。音楽の演奏に来ていた中国の人とか京劇を踊った役者さんがどう思ったかは知らないけれど、「NIKE」のサッカーのCMで剣道の防具を付けたロボット警備員に日本人が喝采を贈ることを思えば、カッコ良ければ(それが善でも悪でも)受け入れてもらえるだろー。発売期待しています。

 で終わりかと思ったら実は「エリ・エリ・エリ」の日だったことが直後に判明してあまりな偶然ぶりにちょっと驚く、これもエリリンの力か。マーベラス・エンタ- テインメントって中山隼夫さんの子息の晴喜さんが経営している会社があって、何か「プレイステーション2」向けの新作ソフトを作るらしーんてんで発表会に言ったら、出てきた司会が「襟川クロ」。ダブルヘッダーはきついと六本木のベルファーレで「エリ・エリ」の挨拶に聞きほれていた、かどーかは分からないけど留まってパーティーなんかに出ていた人にでは見られない、貴重な「3エリ」を見せて頂きました。佐伯日菜子さんの出演までいられなかったのが返す返すも残念だけど、「エコエコ」のイベントで見たから我慢しよー。

 さてマーベラスの会見には「クロ」以上に驚かせてくれる人が登場、それは「赤」、とゆーか「赤い会社の王子さま」。そうですマーベラスの新作ゲームは我らが広井王子さんのプロデュースだったのです。ゲームはと言えば別に大正浪漫も昭和の処女も関係はなくってもちろん「千腕」とか「卑弥呼」とかも無関係な一種の音ゲー。もちろん単純なボタンを画面の矢印に合わせて押していくよーなものじゃなくって、ミュージカルのスターを育てていく過程で音楽に合わせてボタンを押して画面のダンサーにうまくダンスを踊らせる、どちらかと言えば「バスト・ア・ムーブ」に近いもの。そこに一種の「コーラスライン」的な努力と友情と勝利のストーリーを入れ、かつ女性も子供も好みそーな「どーぶつ」の要素も取り入れる凄腕ぶり。登場するキャラクターは犬を擬人化した「名探偵ホームズ」ってゆーかもうちょっと人間っぽい「犬耳犬尻尾」キャラになっていて、顔の見えない「キャッツ」とは違って感情移入がしやすくなっている。後でミュージカル化した時のことも考えているんだな、きっと。

 それが証拠に集められた俳優声優はとりあえず歌も踊り、あるいは歌か踊りは大丈夫そーな人たちで、主役の犬(オス)を演じる涼風真世さんをはじめ本田美奈子さんに影山ヒロノブさんに桜井智さん、そしてやっぱりな横山智佐さんといった具合に「犬耳犬尻尾」を付けてまんま舞台に立たせてもオッケーそー。ゲームがどこまで人気が出るのかは分からないけど、そこいらあたりをコミでプロデュースしてメディアミックスなんかを考えてみたいゲーム会社の気持ちを惹き付けるあたりは流石に凄腕だなってな印象を受ける。ムービーのクオリティに比べてゲーム画面のキャラクターが輪郭付きだったりしてポリゴンも粗っぽくってちょっと謎、でも開発がCGではお手の物のタムソフト(浅草つながりかな)なんできっと仕上げて来るでしょー。ムービーはトリロジーだし。そのうち発売。


【9月5日】 悩んでいる。きっと日本中に1万人くらいは悩んでいる人がいそーだし、九州在住の猟奇作家で映画評論家の人も聞けばきっと悩むに違いない。何を悩んでいるのかってそれは「うる星やつら TVシリーズDVD BOX1」全25枚組12万円を買うか買おうか買っちゃおうかってこと。ここでは「買わない」とゆー選択肢はない。ようするに踏ん切りをどーやって付けるかってことで、ボーナスを回すか、とかパソコンをあきらめて、とかへそくりを潰すか、とかサラ金に走るか、とかいった手段も含めて資金繰りの算段に悩んでいるのです。さすがに中学生から巻き上げるって訳には行かないしなあ、中学生が「うる星」のDVDボックス買うとは思えないしなあ。

 かつて33万円払って全50枚組LDボックスを購入して、その喜びを「キネマ旬報」のコラムに書いてもしかしたらキティからお礼でも届くかな、と思ったら届いた封書は領収書だった、ってな話を九州在住の猟奇作家にして映画評論家、友成純一さんがエッセイ集「びっくり王国大作戦」(扶桑社文庫)に熱烈にしたためていたけれど(マイ・ベストテンなんてものまである、全部見返したのかな?)、おそらくは1と2を会わせて全50枚組にはなるだろーDVD版、値段も上下同じなら合わせて24万円と、33万円には及ばないまでも結構な価格になるけど、やっぱり友成さんは買うんだろーか、買ってDVDならではの高音質でささやかれる「ダーリン」ってなラムちゃんの声に背筋を震わせるんだろーか。やりそーだなー。あっと友成さんはランちゃんのファンだから「おんどれ何さらすんじゃい!」と叱ってもらって喜ぶのかな。

 中に友成さんが中野公会堂で開催されたキティ・アニメーション・サークルのためのイベント「もう待てないっちゃ、夏まつりだ!! <うる星やつら>復活、新作フィルムでラムちゃんに会えるゾ」に行った話があって、売ってたグッズ類をお金がなかったとか既に30過ぎていたからじゃなくって、欲しい物はあらかた持っているから買わなかったとゆーエピソードに友成さんの筋金入りを見た気がする。年は不明だけど87年くらい? イベントを終えて出てきたら「サークルの人たちが会場の外で、『うる星』放送再開のための署名運動をやっていた。法被に虎ジマ鉢巻のお兄さんたちが、何やら叫んでいる」ってあるけれど、中に東浩紀さんとかいたのかな。友成さんは書名がしたかったけど「そのほとんど泣かんばかりの怒号の希薄に、怖くに傍に寄れなかった」とか。あのヌトヌトでグチョグチョな友成さんをして寄せ付けなかったんだから、相当に迫力だったんだろーなー、東さん(だからいたかどうかは知らないってば)。

 倉阪鬼一郎さんの「屍船」(徳間書店、1600円)の冒頭の表題作だけちょろりと読む、美しい砂浜で死なない体になった人が繰り広げる残虐な饗宴、ってあたりで頭にビジョンがパッと浮かんで、いったい何で読んだんだろーかと、忘れっぽくなった頭の散らばった記憶をかき集めたぐり寄せて、山岸涼子さんのマンガにそんなのがあったなあってことを思い出す。確か流れ着いたのは男性で、そこに美しい女性がいて、食べ物はジャングルに果物が抱負で後は助けを待つばかり、なのに助けは来ず果物には食べ飽き肉が欲しいと鳥を捕まえようとしても捕まらず、銛で魚を確かに刺したはずなのに魚は平然と泳ぎ続ける。訝る男性の前に現れる女性の腕はなぜかいつも傷つき、精神的においつめられた男性が女性に襲いかかった時、そこがどんなで彼らが何になっていたのか明らかになる、って話。むしろ結末についてはタイトルどおりに展開されて強烈なビジョンを放つ 「屍船」の方に案外と救いがあるのかも。参考にしたのは別にあるみたいだけど、比べてみてはいかがでしょう。僕は白泉社から出た選集で読んだけど今は何に入ってるんだろー。


【9月4日】 三宅島から東京の秋川へと避難して来た小学生を撮った新聞各紙の写真が朝日以外は読売毎日日経産経といずれも同じ女の子なのはやっぱり1番美人だったから、なんだろーか。平面だったら何とか理由をつけて合否を判定できるけど、ナマはちょっと守備範囲外だったりする口先だけの似非ロリコンには、写っている何人かの女の子を見てもこれが1番だとはちょっと判断がつかない。出張った新聞社のカメラマンに共通のメンタリティーがあったとしたら、1社だけ違う朝日は朝日なりの審美眼があったってことになるけれど、比べてみても個人的にはどっちがどっちと判断できないだけに、プロなロリの人にどっちの審美眼が正しいのか、是非とも審判を仰ぎたいところ。まあ想像するにカメラ撮りの位置が決められていて、そこから見える範囲で切り取ったら同じになったとゆー可能性が大だから、写された子も「わたし綺麗かも」なんて勘違いして「モーニング娘。に入る」とか言い出さない方が良いでしょう。

 「ピピンの夢を再び」ってこと? そんな「悪夢」は2度と見たくないだろーから、「ピピン」の後始末みたいな形で発足したニュープロパティー事業本部の名前が変わったバンダイのネットワーク事業本部が独立して発足する新会社が、同じ道を辿るってことなないだろーと信じよう。にしても赤字に転落するくらいのダメージを受けた会社が数年経った今はちゃんと立ち直る、これが人気によって大きく左右されるキャラクター商売の強い部分、なんだろー。もちろん売れるキャラクターを仕入れなければ話にならないんだけど、そこは老舗の看板もあるし持ってるノウハウもあるから無問題、加えて受けた禍を転じて福にしよーとするしたたかさもあるからね。とはいえやっぱり王者「任天堂」に挑む携帯型ゲーム機市場の行方は気になるところ。参入して来た他社が落っこちつつある中で、任天堂に及びはしなくても2つあるブランドの1つとして認知させられれば生き残る道もありそー。さてどうなるか、12月の動向に注視。

 コナミの怒濤のよーな商標出願行動が巷間さまざまな異論を呼んでいるのは記憶に新しいところだけど、商標獲得が他社との差別化につながって商売になるってことが自明な以上は、コナミならずとも狙ってみたくなるのが営利企業の心情、ってことで特許庁の検索ページで調べてみたら、「ミステリー」と「ホラー」のとゆー最近話題のエンターテインメント小説の2大ジャンルで商標登録が出願されているのが判明、「ミステリー」では区分が「新聞・雑誌」で出願さてていたりして、認められたらちょっといろいろありそうかも。あと「トレーディング・カード・ゲーム」ってのもあるけどこーゆー一般的になっている言葉が認められる可能性ってどれだけあるんだろー。ちなみに出願している会社か「株式会社角川書店」です。うーん流石は商売人。

 実は「ミステリー」と「ホラー」を出願しているんだったらあるいは「ファンタジー」もと思ってかけた検索で角川はなかったけれど別にひっかかった人物、らしい出願者の名前が、他のやっぱり割かし一般的な名前の品物でガンガンと引っかかって来て驚いた。「モバイル」「トッピング」「ソフト」「財務」「勘定」に始まって「アーケード」「プロセッサ」「レンズ」「カメラ」「コピー」「サロン」「エグゼクティブ」「ネット」等々。その数実に3017件が半年程度の間に同じ人物(なのかな組織なのかな)によって商標登録出願されている。これが認められるとは思いたくはないけれど、洗願権だけでも確保しておく意味とかもしかしたらあるのかもしれない。しかしこれほどまでに集中して取り組む姿には、やっぱり普通の人の常識を越えたところがあって、いったい背後に何があるんだろうかと興味津々。日本のあらゆる名詞をすべて使えなくする海外のタクラミ? まさかねえ、でもねえ、うーむ。

 果物屋のおやじが山と積まれた西瓜を前に「こいつは甘くねえから食うんじゃねえ」とは絶対に言わないだろうし、だいいちそんな西瓜を仕入れるようなら果物屋だって先が危ぶまれるってもの。同様に魚屋のおやじが「こいつはいけねえ」なんて傷んだサバを売るようなことをするとは到底思えないにも関わらず、本屋のおやじが平台に並べた本を前に「クズだ」と言って果たして大丈夫なのかと「ビーケーワン」でスーパーエディターにして編集長の安原顯さんが大沢在昌さんの「新宿鮫 風化水脈」(毎日新聞社、1700円)を大罵倒している文章を読んで思う。言ってることはなるほど当方も感じていたことで、それでも話の持っていき方まとめ方の巧みさにはベテランならではの味があるなあ、とフォローを入れておいたものが、そこは一切の妥協を許さないヤスケンさん、徹頭徹尾「愚作」「クソ本」「時間を返せ!」と悪罵の限りを尽くしている。

 だったら売らなきゃ良いのにってことになるけれど、ヤスケンさんほどの人がこれほどまでに痛罵する小説ってのは一体どんなもんだとゆー、下卑た関心が向く可能性もあるし、それより以前にヤスケンさんが痛罵しようが「新宿鮫」とあるだけで、かつそれなりにまとまっている小説である以上は何を言われようとも手を伸ばす人は確実に存在する。こうまでワルクチを言うよーな本屋では買うものか、なんて考える人はファンでも純度の高い人だろーから、売れ行きに大きく影響するってことはないのかも、いや本当はすごい影響があるのかもしれないけれど。

 ただ一方で書棚を作る店長さんみたいなことをしていて本を売ろうとしている人が、別の媒体で発表された文章を引っ張ってきて「こいつは読むな」と言って果たして大丈夫なんだろかってな心配は消えない。それだけ正直なんだと思って思えないこともないけれど、ただでさえハンディがありそーなオンライン書店に配本が回らなくなる、なんて影響も考えられない訳じゃなく、いろいろと将来に禍根を残しそう。そこいらあたりの動向も含めて、web書店やweb書評の影響力を聞かせてくれると面白いかも「DASACON4」で。


【9月3日】 原稿を仕上げて送ってヤレヤレと思って数日後に要求が変わってリテイクを頼まれてやれやれと肩を落としつつもそこは仕事で所詮はマイナーなライターと机に向かうのが、売れっ子ライターになるための通過点、どこでいったい話が変わって誰がいったい苦労しているのかなんてことは当方には一切関係ない。求められればそれを書く、書いてお金を頂戴する。でじこなんで(誰がだ)偉いんでがんばるにょ。しかし二転三転した経過ってのはやっぱり興味があるなあ。本の紹介に作者のプロフィルを添える話が作者の紹介に本の内容を添える話に変わって最後はオール作者話。1冊読めば何とかなったのが何冊か読まなきゃならなくなったんでちょっと大変かも、ってことでネットな仕事は週央あたりになりそーです、悪しからず。

 1歳違いってことは接した社会的な出来事も文化的な流行もほとんど重なっていたりする訳で、金子達仁さんのスポーツ絡みのエッセイ集「いつかどこかで。」(文芸春秋、1333円)で金子さんが阪神好きになったエピソードの、メキシコワールドカップへの出場を争っていた日本が85年10月26日に韓国に負けて1週間後にまた負けて出場を逸したその年その時期に、阪神が日本シリーズで西武ライオンズを破って日本一になった一連の流れを自分もまるで一緒に体験していたことを懐かしさとともに思い出す。当時は大学に入って2年目で、11月3日の「文化の日」の前後に開かれる学園祭の準備とか出店での売り子とかをしていた時期で、かけっぱなしのラジオから流れて来る日本シリーズの結果とか、ワールドカップ予選の結果とかに来店客ともども大騒ぎしていた記憶が甦って来る、多少模造記憶があるかもしれないけれど。

 学生会館前に陣取る「文学部史学科有志」による居酒屋「赤おに」が今も続いているのかどーか知らないけれど(どーなのA大生?)、それなりに伝統があったらしーい「赤おに」で出すために、秋深まる「佐藤ハイツ」の冷たい廊下に座り込んでモツ煮を仕込んだ「良き思い出」ともリンクしているだけに、虎キチでもサッカーフリークでもなかったけれど、結構記憶に染み着いている。金子さんはそこから発起してサッカーへの深化を深め阪神への傾倒を強めた結果、熱い文章で鳴るスポーツライターになったけど、集団行動とか熱血とか先輩後輩とかが苦手で「赤おに」への関わり方でもどこか醒めてた自分の場合、虎キチはもちろんサッカーも文学もSFも、周辺を周回しつつも決してハマり込まないある面卑怯なスタンスだったせいもあり、大成せずかといってあきらめきれない半端な引きずり男となってしまった。

 同じ文章で金子さんがオウムにハマった人々を引き合いに出して「もしサッカーと出逢っていなかったとしたら、小僧カネコは間違いなく同じ道をたどっていただろう(『幻魔大戦』や『ウルフガイ』シリーズだったというところまでそっくりなんだから)と書いているけど、「幻魔」も「ウルフガイ」もやっぱり愛読していたにも関わらず「最終戦争」とか「世界救済」とは考えなかったあたりに自分の醒め方、距離感が現れているよーな気がする。とか良いながらも平井さんが苦境にあると訴えれば心配になってしまうあたりの引きずりぶりは相変わらず、だったりする。

 それでもこうやって引きずっているからこそ、未来について熱く語っていた同級生連中が所帯を持って落ちついて、ここ7、8年は連絡すら途絶えてしまった年にも関わらず、何者かになりたいとこだわり続けて燃え尽きずにいられるんだろーから反省はしない。熱せずかといって冷えもせず、斜に構えているよーで案外と流されていながら流されている自分を空から見ている、2重3重の視点から世のうつろいを眺めあるいは巻き込まれて漂って行こう。それにしても「サクセス」だかのトニックに頼っていると書く潜在的禿頭者の癖に折り返し部分の写真のあのフサフサぶりはちょっと嫌味、1歳年上の1年前の僕はまるで「なかった」ぜ。

 牧野修さんの「病の世紀」(徳間書店、1600円)をようやく読了、黙示録めいた世界滅亡の予言をなぞらえるように、日本を襲いはじめた謎めいた病気に4人の医者が立ち向かう、ってな牧野さんには珍しいハードボイルドで冒険な話かと思ったら、そこはどこかメタ的にデンパが支配する非現実的な世界を描くことに長けた牧野さん、不思議な病気と戦う医者をある種の狂言回しに奇妙な病気がもたらす奇怪な患者の行動を描き、病気というものが持つ、異常さと裏腹の正常さを見せてくれる。世界を病気によって支配しよーと企む組織の陰謀なんてメタになってなきゃ恥ずかしくってちょっと読めません。

 もっともそーゆー牧野流の系譜を知らない人が読むと、トンデモ組織のトンデモ陰謀小説かと思われ兼ねない部分があってちょっと心配、もっと思弁的な部分を膨らませて欲しかったよーな気がする。あるいは陰謀めいた部分をもう少しポリティカルに正しっぽくすればエンターテインメントとして冒険な人にも国際謀略な人にも多く支持される小説になったってな感じも。それは牧野さんの持ち味じゃないってことは知っているけれど、どこまで行ってもどこかカルト的な域から抜けない牧野さんが通俗的でもブレイクしてくれれば嬉しいから。「病気物」「医者物」のホラーってことで山田正紀さんの「ナース」(角川春樹事務所、571円)なんかと並べて考えてみると面白そう、どこかメタなスタンスも似てるし。


【9月2日】 とことこと池袋はサンシャインシティ。トレーディングカードのイベントが開催中ってんでのぞいたらサンシャインシティは手前で「トミカワールド」の展覧会、劇場で「セーラームーン」のミュージカルと玩具絡みのイベントが目白押しで、ゴールデンウィーク期間中の「デジモン」「たれぱんだ」「ドールショウ」にも並んでの賑わいに、完全に「おたく」とは言い切れないもののそれ系あるいはそっち予備軍の集う東京でも希に見るスポットになってるんだなーってことを実感、名古屋にいたころってそーゆー場所ってなかったから、東京ってやっぱり情報的にも空間的にも恵まれてるんだなー、そんなところで暮らせば人間やっぱり染まって行くんだなーとか思う。

 とは言え地方にいたからってプロの「おたく」は出ている訳で、むしろ度重なる機会でガス抜きしてしまうより、年に数回とかの晴れ舞台に向けて意識を集中させる方が熟成度も爆発度も高くなるのかと考えたり。ネットが個人の才能を世界につなげる役目を果たしている一方で、ネットでの細かなガス抜きが自分も含めて半チクばかりを大量に生み出す構造もあったりするからなー。大量の情報に接して濃い場所に出かけて行っては気分に浸っていられる東京って場所は、すでに一家言持ち一家を成した人はともかくとして、よほど自分を高めてやろうってな意識がないとすぐに飲み込まれ消費しているよーで消費されてしまう側に回ってしまう恐ろしい場所、なのかもしれない。難しい。

 とは言えパッと行ったら展覧会がやってる状況ってのは有り難いもので、名古屋で荒木経惟さんを見たいって言っても年に1度だって本物が見られた試しがないのに、東京だとどこかで必ず荒木さんの展覧会をやっているから不思議というかなるほどというか。新宿三井ビルで開催中の「ラブポートレイト」は花と女とゆー荒木さんにとって重要なモチーフを取った写真をエプソンの「ミュークリスタ・プリンタ」で出力して展示するとゆー、かつては「ゼロックス写真帖」なんてものを作って配って名前を売ったことがあり、今も東京都現代美術館に出展するよーな作品だってポラロイドだったりカラープリンターだったりしても平気な使ってしまう荒木さんらしー展覧会になっている。

 とは言え今時のプリンターで出力された写真は冗談も誇張のなく「写真画質」で、昔のよーな粒子の粗いモノクロ写真でもなければ目を寄せればドットが見えるインクジェットでもなく、実物と遜色がないどころか実物よりも鮮やかな色を出していて驚く。写真でも何枚だってプリントできるからてことで1点物の絵画に比べてアート的な価値の面でいろいろといわれていたのに、その場で何枚だって同じクオリティーのものが出来てしまうプリンターの場合だと、もはや「オリジナルプリント」とゆー概念すら崩れて、「プリント」として目の前に現存するものが「作品」ではなく、アラーキーが空間からカメラで切り取った「もの」がすなわち「作品」になるとゆー、言葉を帰ればアラーキーが「撮る」とゆー行為そのものが「作品」であるとゆー状況が出現する。アーティストじゃないしアートを専門に学んだこともないから分からないんだけど、1枚の絵を描いたり物を刻んだりするより、それって「アート」の神髄に迫っているよーな気がするんだけど、どーなんだろー。

 時間があったんで新宿三井ビルにある珈琲屋で大沢在昌さんの「新宿鮫 風化水脈」(毎日新聞社)を読む。鮫島の勤務している新宿署がすぐ側にあって、今回の話のメインになる場所も西新宿だったりしてロケーション的に最適な場所で読む「新宿鮫」も格別。「毒猿」はだったら新宿御苑で読んだかと言うと出張中の鹿児島で読んだ記憶があるから、単なる偶然です。で「風化水脈」、話は面白いしまとまっているけど、逆にまとまり過ぎの気もしないでもない。幾つかの事件が時代はともかく平行して流れて、それらの人物が関連しあって全体の絵になってエンディングへと抜ける展開の見事さは、エンターテインメントとして一級品だと確かに思う。新宿とゆー場所の成り立ちに関する蘊蓄があって、「Nシステム」とか中国人の進出とかいったトピックも折り込みつつ、しっかり「新宿鮫」しているあたりの筆の滑りには流石というより他にない。

 けど当初のピリピリとして世間の曖昧さに牙を剥くよーな緊張感があんまりない。派手な立ち回りも場所を変えての大追跡も晶との焼け付くよーな恋愛も見られず、新宿とせいぜいが歌舞伎町あたりを舞台にした、いつもながらの鮫島的日常のワンシーンが描かれているだけのよーな気がして仕方がない。あるいは「うる星やつら ビューティフルドリーマー」で言うところの「学園祭前夜」とも言うべき状況か。仕事の部分で前へと進めば否応なしに鮫島とキャリア組織との対立激化にならざるを得ないし、恋愛の部分で前へと進めばメジャーになりつつあった晶との腐れ縁にも終止符が打たれてしまう可能性がある。

 それは物語としてダイナミックな展開をもたらすけれど、墜ちたキャリア警察官とゆー「新宿鮫」ならではの設定が崩れてしまう可能性もあるわけで、長く楽しんで行くにはやっぱり「永遠の非日常」が繰り返され続ける必要があり、従って鮫島も桃井も晶も定位置に置いたまま、若干の波風に止めるしかないのかもしれない。初登場から10年が経過して歌舞伎町の雰囲気も代わりキャリア警察官への批判も強まったにも関わらず、桃井は定年間際だし鮫島も40代のナイスミドルにはならない、いつまで経っても「初々しくもないけれど切羽詰まってもない高校2年生」って感じ? ファンだからそれも悪くはないと思うけど、ファンだからこそ老いて行く鮫島と腐敗してくキャリア組織とのラストバトルも見てみたい気がして、されはてどこで大沢さんが踏み切るのかってあたりに今は興味がある。2025年の新宿をケイじゃない鮫島が歩く、なんてのだけはご勘弁。

 読み終えてから移動、真壁も王もいない歌舞伎町に行って「ロフトプラスワン」で開かれた世にも不思議なプロデューサー、康芳夫さんを囲んでのトークショーを見物する。世代的には「猪木vsアリ」も「オリバー君」もリアルタイムで見ていた口だし「家畜人ヤプー」の存在も澁澤龍彦編集による「血と薔薇」の存在も知っていたけど、その背後にこんな得体のしれない人物が常にいたってことを知ったのは福田和也さんの「罰あたりパラダイス」(扶桑社)に紹介されているのを読んだあたりから。以来「罰パラ」の出版記念トークショーへの出演とか(この時の福田さんの歌は凄かったなあ)、雑誌に登場するのを読んだり見たりしていたけれど、当人を大フィーチャーしてのトークってのは見るのがこれが初めてで、さてはてどんな裏話が飛び出すのかと期待半分恐さ半分で開幕までの時間を過ごす。

 あれだけの人なんだから開場もギッシリかと思ったら案外と余裕だったのは秋元某糸井某中森某と違って表で名前をバーンと出して「仕掛けてます」ってな具合に世間を誑かす最近のプロデューサーとはちょっと違って、やった結果そのことがバーンと活字になるよーなことをして来た関係から、表立って知られてなかったりするからなのかも。「作詞教室」でも「埋蔵金」でも「チャイドル」でも、ああこの人たちが仕掛けてやがんなとゆー部分まで含めて楽しませるエンターテインメントの方法も間違いじゃないけれど、誰がしかけようとも、あるいは仕掛けなんてなくても「猪木vsアリ」は凄いし「オリバー君」も面白かった。まあこれも「誰が仕掛人」って部分まで含めて宣伝なんかの材料にしてしまう、あるいはそーゆー部分をもって評価の一助にしてしまう、大量情報消費社会の弊害なのかもしれないけれど。

 まず登場のミニスカ右翼の雨宮処凛さんはミニスカでも右翼的な軍服風でもなく浴衣姿でご登場。映画「新しい神様」とかで見せるエキセントリックに歌ったり喋ったりする風もなく、紙にザラザラと千羽鶴の飾りを付けて喋る姿はその辺にいるちょっと変わった女の子って感じ。一緒に登場の「新しい神様」の監督の土屋豊さんは手足が異様に細かった。この2人って監督を主演女優って以上にむつまじいように見えたけどそーゆー関係、なのかなあ。並んでドキュメンタリー「A」とか最近だと快著「放送禁止歌」で知られる森達也さんも登場しては、康さんに関するあれやこれやのトーク。中身は……忘れた、とにかく時間が慌ただしくって自己紹介くらいで終わったよーな。

 15分も経たったあたりでゲストが切り替わって今度は作家の室井佑月さんにライターの石丸元章さんに編集者の人ライターの人とかが登壇、室井さん胸がはちきれんばかりで子供の生まれた女性はなるほど色っぽいとか思ったり、いやほとんど真正面だったんで目に毒って仕方なかったんっす。こっちの話は室井さんの昔の職場の客で来たとかゆー話から康さんの女性の趣味は知的な美人とかってな分かりやすい話になって、今ダンナ(高橋源一郎さんですね)と住んでるマンションから夜中コンビニに食べ物を買いに行って(作れよ、と石丸さんツッコミ)、帰って来たら康さんが女性とロビーで待っていて、家に上がって高橋さんが江川さんとのスポーツキャスター仕事で培った趣味で集めたワインを美味しいのから飲んでしまったってな暴露話がしばし続く。手古奈って店のママさん(有名人?)も登壇してもうしっちゃかめっちゃかの下半身話は、アリもアミンも手名付けた康さんを相手に怖い物知らずも良いところだけど、男性の尻尾を握った女性に怖いものなんてある筈もなく、あっけらかんと暴露に勤しむ2人の美女を前に「女はこえぇ」と首を竦めるのであった。婿に行くのがまたまた遅くなりそー(相手もいないが)。

 アリの話アミンの話ネッシーの話オリバーの話とあれやこれやの数時間。アミンの一件はかえすがえすも残念みたいだけど、だったら今はを聞かれると相手も爺さんなんでちょっと無理そー。審判を頼むはずだったアリも今じゃあ病気で動作も言葉もままならない状況だし。文壇絡みだと三島由紀夫さんとの交流、大江健三郎さんへの敵愾心がちょっと興味深かった。あの「家畜人ヤプー」の全権代理人を務める、反体制っぽい康さんが戦後民主主義の左側の奇形と大江さんのことを言う、その理由が知りたかったけどこれまた時間がなくって聞けず終い。再度の機会があることを切に願う。壇上では「月蝕歌劇団」の高取英さんに三坂知絵子さん鈴木邦男さんも交えたトークが11時くらいまで続いたけれどオウムの話が始まったあたりで時間も遅くなって来たんで辞去。トークそっちのけで座敷でザワザワと歓談していた森達也さんがオウムの話が始まった途端に康さんの方を向いて話に耳そばだてていたのはなるほど荒木広報部長をドキュメンタリーに取りあげた人らしー。


【9月1日】 星の子小松の子筒井の子である以上に平井の子だったりした中学高校時代。「ウルフガイ」「死霊」「幻魔」と続いた熱情と幻想の日々から幾星霜、最近は「月光魔術團」シリーズをぽちぽち読んでいた程度の平井和正さんが大変なことになっているとゆー連絡を受けていそいそと近況の8月31日付をのぞいたら、日付はちょっぴり古いものの何故か文豪・山本周五郎の扮装(眼鏡だけだけど)をして、平井作品をネットでデータ販売している「e文庫」が金銭的人員的にヤバいってな話を切々と訴えていて涙する、でもまだ僕買ってないや電子本。「webマネー」とかっていざ買うとなると結構体力使うんだよなー、ソネットの「smash」も。クレジット決済がやっぱり楽、なんだよなー。

 かつてパソコン通信のアスキーネット上でスタートした「ボヘミアン・ガラス・ストーリー」のデータ販売あたりから日本の商業的な電子本販売が始まったといっても過言ではなく、その流れをスタッフの人も含めて引き継いでいる「e文庫」はインターネット的にも電子出版的にも歴史的意義のあるサイトだと思うんだけど、大手資本による書籍のネット販売を凄いことだと騒いでも、あるいは村上龍さんのように押し出しの強い作家とゼロックスのよーな企業が組んだオン・デマンド販売を「ネット時代の云々」ってな惹句でもって持ち上げても、古くから地道に将来性を買ってネットでの書籍販売を手がけて来た「電子書店パピレス」とかこの「e文庫」とかってあたりには、とのと目もくれないのが日本のマスコミの事大主義ってゆーか。ネットの普及がマイナーな作家、カルトな作家にとって福音をもたらすなんて幻想で、結局は声が大きく情報を伝えやすい大手メディアと有名作家にしか利用できないってことなのか、だとしたらそれはなかなかに詮無いことだなあ。

 しかし最後のスパートにかける平井さんの意気込みたるやすさまじく、それを応援するファンの多さにもちょっと吃驚。テレビ版エコエコアザラクなんかにも絡んでるのを見た七月鏡一さんの名前とかもレスにあるし。起死回生の掘り出し物レア物オークションには幻らしー東邦図書出版社とかゆー所から刊行されて平井和正原作、桑田次郎漫画にして桑田のイラスト平井のサイン入り「エイトマン」なんてものがあって、欲しい気力もたっぷりだけど一方には幾らの値段が付くのかちょっと怖い。直筆原稿を綴じた「虎はねむらない」とか革装限定10部の「虎は眠らない」とかいろいろ出て来るみたいでヒライスト垂涎のオークションになりそー。いったい何時から始まるのか、さらなる激レア商品は出てくるのか、ちょっと楽しみ。「まんだらけ」とか傘下して来たらどーしよー。余湖「コミックマスターJ」裕輝さん所有のアルフレックス謹製「座頭市 勝新太郎」もついでに出せば数万円の値段は付くこと確実だけど、平井さん関連じゃないし宝物っぽいんで免除しよう。品切れに泣いている人にはこっちの方が喉手だろーけど。

 実はアラーキーの子でもあったりするんだけど、職業を同じくするとゆーことで正真正銘な「アラーキーズ・チルドレン」をフィーチャーした「H」(ロッキングオン)の第36号を購入、ホンマタカシさん撮影の寝転がったアラーキーがクールの淫靡です、手にしたミノルタのTC−1が良いなあ欲しいなあ。HIROMIXにホンマタカシに笠井爾示に佐内正史に長島有里絵だに野村佐紀子と、日本の若手(といってもホンマタカシさんとHIROMIXさんでは年齢で10歳以上の開きがあったりするけれど)写真家を代表するメンバーがずらりと揃ってなかなかに壮観。それがいずれもアラーキーへのリスペクトを公言してはばからない現実に、偉大の上にも偉大を重ねてもまだ足りない、天才・アラーキーの超偉大ぶりを改めて思う。6人を撮影したポートレートも見事にどれもアラーキー、だし。

 そんな6人が今度はそれぞれに仕事をした写真も掲載されていて、中のホンマタカシさんが広末涼子さんを撮影した写真が、皮脂の手触りとか腋臭の香りなんかが伝わって来そうななめまかしくも生々しくって思わず写真に頬摺りしたくなる。部屋の隅にごっろんと横たわった写真の胴回りの何とも重量感のあることよ。ふんわりひあひらなアイドル的写真集からは伝わってこない「人間ヒロスエ」の体臭がただよって来ますクンクン。同じ企画にHIROMIXさん撮影の伊勢谷友介さんが掲載されているのは何かの因縁かそれとも編集スタッフの作為か。ゴシップ的な事情はさておき「ワンダフルライフ」で突っかかるような演技、とゆーより生の姿を見せてくれた本業はアーティストの伊勢谷さんが、大島弓子さん原作の映画「金髪の草原」でどんな演技を見せてくれているのかに興味津々、試写の案内来てたんだけど時間が合わずに行けなかったんだよなー。9日から「銀座テアトルシネマ」で公開、大島ファンも伊勢谷ファンものぞいてみてちょ。ヒロスエとかコッソリ来てたりして。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る