縮刷版2000年7月下旬号


【7月31日】 「最終兵器彼女」(高橋しん、小学館、505円)の第2巻。最終兵器な彼女の唐突ぶりから本筋へとなだれ込んで演じられるシュウしゃんとちせほのぼのぶりが、それ故に残酷な現実とのギャップを生み出して読む手を止めさせなかった第1巻に比べると、圧倒的な転換が起こらずジクジクと進んでいく展開の本当はどうかは別にして先が見えてしまって意外感がそれほどなく、彼女とか先輩とかとシュウちゃんとの関係といったベタベタなエピソードがちょっぴり甘ったるく感じられてしまって、ページをめくる手がついつい早くなってしまう。

 もっとも、シュウと先輩との羨ましくももったいない関係の判明がその後のちせとの関係に何か影響を及ぼす伏線になっている可能性もある訳で、一方では説明不足だった敵めいた者の正体も見えて来たし、戦いもさらに日常を残酷な方向へと引きずり込んで激化しているみたいなんで、その中で死ねないちせとただの人間のシュウがどんなラブラブをどんなシチュエーションで演じてくれるのか、期待はまだまだあるから次の巻も読み逃せない。たとえ結末が予想どおりだったとしても、そこへと至るプロセスでしばらくは楽しませてくれそー。その意味でやっぱり旨いってことなんだろーなー、高橋しんは。

 30日付の産経新聞朝刊「斜断機」で大月隆寛さんが前に森総理大臣と険悪な関係になった朝日新聞の女性記者が新聞に綴った「わたしだって好かれたいけどなれあいはだめ」ってな記事に対して、記者なんだからまずは取材相手に信頼されなきゃどーすんだって突っ込んでいて、いたずらに揚げ足を取るよーなことばっかりが頻出する新聞報道に対するなるほど警句ではあるものの、今回の場合は総理大臣とゆー立場にある人間が、好悪でもって喋ったり喋らなかったりすることの問題性も一方にある訳で、メディアとしても本質を追究することなくいたずらにルーティンな仕事を権威を傘に着てこなすよーなことは改める一方で、それなりな立場にある人がその立場を自覚すべきなんだろー。

 そーは言っても、メディアと権力者のどちらが先に居住まいを糺すかって言うと、結局はどちらもプライドが高すぎて伴に相手を舐めてかかってるんで、一朝一夕どころか十年一日のごとく変化なく、21世紀になって22世紀になっても変わりそうもなかったりするのが、責任の所在であるべき中心のない日本とゆー国の形を現しているよーで、なんだか頭が痛くなって来た。どこをどういじれば真っ当に向かって動けるのやら、メディア論よりメディア産業論よりメディア業従事者心理論を、政治論より国家論より政治家気質論と重ねて研究してみたくなって来た、答えを想像するだに重苦しい気持ちになるんだけど。

 しかしいい加減こうも事件が続くと、警察も政府も「金属バット」を危険物に指定して警察かどこかで厳重に所在を管理するなりの規制が必要なのかもって思えて来る。免許制は大袈裟でも許可制にして、満18歳以上で精神面での健全さが国家公安委員会あたりから認定された人が警察署で安全な使い方の講習を受けて簡単な筆記試験に合格して、始めて運動具店へと行って金属バットを買えるようにしないと、まだまだ振り回してボールじゃなく人間の頭を粉砕する人が出てくるんじゃないかと心配で夜も眠れない。

 保有が許された人でも家では鍵のかかるロッカーへの保存が義務づけられていて、当然町中での使用は認められず、毎年10月1日から翌年3月31日までのシーズン期間だけ、山岳部とか人気のない所での使用が認められるってな具合。持って歩こうものなら銃刀法違反で検挙され、集団で持とうものなら凶器集合準備罪が適用されるって寸法で、そんなんだったら野球の試合に使えないじゃんとかゆー人がいるなら、これまでに少なくともおそらくは推定で3ケタの人間が殺害されているだろー金属バットを遊びに使うとは何事だと、警察庁は一喝してやるべきでしょー。

 ってのは冗談としても、皆さんよくもちゃんと金属バットを持っているもんだとちょっぴり驚いているのも事実。だって僕が子供の頃って金属バットどころか木のバットだって家に持っている子供って少なくって、子供会とか部活動とかでまとめて買って保管していたものだった。今回の事件は結構赤貧な家庭なのに、どこからいったい金属バットが出てきたのかちょっと謎、まさかメンズビギのセーターを買う代わりに近所のスポーツ用品店で買って来たんじゃなるまいな、父親がゴルフクラブを買ったのと同じ店で(意味分からなければ「御先祖様万々歳」を見よう、「MAROKO」でも良いけど)。

 前の岡山で起こって東北へと逃亡した事件の場合は野球部ってゆー金属バットに関わりのある人だったから分かるけど、今回のってそーゆー謂れって判明してたっけ。別に包丁だってゴルフクラブだって棍棒だて斧だって鉈だって良かったものが、何故に金属バットだったのかってあたりを考えると、あのラバーでくるまれたグリップのしっくり感、持った時の重さ長さの丁度良さ、振った時の壮快感が人間の心の奥底にある凶暴を、開放してくれるのかもしれない、それはテレビゲームなんてものが及びもつかないくらいに。うーん精神医学な見地から「金属バットの心理学」とかって本、誰か書いて来ないかなー。

 今のところ持っていたって犯罪じゃない金属バットを満員電車で乗客の全員が持っていたら? ってな絵柄を想像して苦笑しつつも案外とありそーで悩んでみたり。1つ買っておくか、禁止になる前に、1本幾らくらいなんだろー、でもってどこのメーカーのがカツンと良い音たてて粉砕しれくれるんだろー。いささか冗談めいては来たけれど、実際問題「金属バット」を取り締まる法律はない訳で、あるいは禁止したところで次はだったらドライバーを振り回す子供が出てくるだろうし、その次はリッケンバッカーのベースを振り回す子供も出てくる可能性があるから難しい。なるほど本能の奥底に争いへの衝動を秘めた人間が作った社会だけあって、あまりにも多くの凶器が見えているのに見えない部分に存在しているのかもしれない。当たれば本の角だって痛い訳だし。しかしやっぱり不思議な金属バットの同時多発的凶器化現象、ここはやっぱり社会学者に「郊外の金属バット」、哲学者に「金属バット的、衝動的」、シンクタンク勤務な人に「新金属バット主義宣言」とかって本を書いてもらいたいなー。


【7月30日】 ウイっすエクセルっす「エクセルサーガ」の連載は懐かしの「鳥人間コンテスト」を引き写しての展開に、相変わらずの勘違い男が乱入しては名実まったっくそのものな「鳥人間」を出場させよーとして大騒ぎ。ロボットだって作れてしまう天才科学者にはバイオテクノロジーだって品種改良だってお茶の子なんだろーけれど、鳥人間コンテストに”鳥人間”やはっぱ反則だよね、コンドールマンだった良かったのにって一緒か。背中にジェットを取り付けての六本松mk2は水着姿と薄ぺったい胸がなかなかだけどやっぱり落ちるわなあ、あの重心じゃ。ちなみに「ジオブリーダーズ」の双発ヘリの機種のバルカンの飛びながらの操作って重心的にはやっぱり非常識、なんだろーか、まあ元々が非常識な奴らのマンガなんで何があったって構わないんだけど、高見ちゃんガラス走ってるし。

 その「ジオブリーダーズ」が何故か「JAF・CON」会場に登場、もちろんブースは「綾金マルイ」だ、じゃなくって「東京マルイ」。ビデオを流して設定置いて宣伝しまくっておりました。「東京マルイ」のブースだと人気はやっぱり90式ラジコン戦車で山を越え地をはって迫った目標に向かってボタン1発主砲発車とばかりに打ち出したBB弾が、ペチペチと的を倒していく様にはお父さんも子供も萌えて燃えます。即売だと「トライガン」に登場したメリル・ストライフのデリンジャーが会場限定使用で売ってたけどメッキのペカペカぶりがまぶしすぎてちょっと断念。ガスのリボルバーのコンバットマグナムも7800円だかで安売りしてて欲しくなったけど次元じゃないんで背広のパンツの後ろには挟めないんでこれもパス。とゆーか買っても既にして家の中にはおけないし、持ち歩くのも物騒なんであーゆー場所で触って楽しむだけにしておくのが部屋が物置な人には吉かも。と言いつつ本や相変わらず山ほど買い込んでたりするあたりが言行不一致、こんなもんですオタクって。

 さて「JAF・CON」、一昨年だかに寄った時には午前中でもすんなり入れた記憶があって、11時頃なら大丈夫かと思ったら意外や入り口に大行列が出来ていて、待つこと30分くらいでどうに入り口までたどり着き、一般なんで1500円払って中に入ると良さげな奴はだいたいが売り切れで、かといってバンダイのホビー事業部限定物を整理券もらって買うだけの趣味も入れ込み度もないんでひたすら会場をぶらついて回る。オーラバトラーとかシーラ・ラパーナのキットとかエル・フィノとか「ダンバイン」絡みのがそれなりに散見されたのはDVDが発売されたりプラモデルが再販されたりと人気が盛り上がって来ている時期だからだろーか、「モデルグラフィック」でも大特集していたし。「でじこ」は複数が出展してて「エココ」転じて「アイスちゃん」(ベタな名前)も1体発見。あとはギレンの胸像、シャアのメット(バイザーにひびシール入り)とか。結構余ってたけどギレンの胸像どーすんだろ、学校に飾るか、エリート度高そーな東大の庭とか。独裁者気取りな社長のいる会社でもオッケー、だったらウチにもまず1つ……。

 「アルフレックス」もすっかり会場になじんでいた様子。数年前はアニメや特撮のキャラクターのフィギュアが全盛だった中にポツンと時代劇のドールってことでちょっとした場違い感もあったけど、流れてあらゆる物が、それこそ「モーニング娘」から「シャ乱Q」から藤原紀香までもがフィギュアやドールになる時代にリアルな時代劇人形なんて当たり前過ぎるくらいの定番アイティムになったって感。とは言え突っ走りぶりは先陣を切っ会社だけのことはあって、「七人の侍」の次になる「忍者 千葉真一」の実物とか、悪役シリーズってことらしー「悪代官 川合伸旺」とか新作もいろいろあって、まだまだ先が楽しみ。品切れ御免の勝新太郎は原型を利用して「兵隊やくざ」が参考出品してあったけど、聞くと今のところ商品化する予定のものではないとか。いつか出来ればってことらしーんで、勝ファンは期待して待とう。本当はやっぱり「座頭市」の復刻が良いんだろうけど、草鞋(わらじ)を編む人が嫌がってるらしーからなー、無理かなー。

 西館の上へと回って車関係のパーツとかアイティムとかを売ってる「Tokyo Nostalgic Garage2000 vol.1」をチェック、別に車は持ってないんだけど昔乗ってた杵柄ってことで、スカイライン関係のパーツを見て歩く。入ろうとした横に特攻服っぽい白くて長くてぞろりとした衣装を着ている集団がいて、やべえなあホンモノが来てるなあと思って近寄っていったら何か違う、どうにもホンモノの迫力が無くってそうこうしているうちに集まって来たコスチュームプレイな人を見て、横の「ゲームコミケ」からの流れだったってことに気づく、紛らわしい格好はよしましょう、青少年の心臓に悪いです。

 山ほど積まれたマフラーとかシリンダーブロックとかインパネとかウィングとかフロントとかリアとかコイルスプリングとかホイールとかミラーとかシフトノブとかペダルを見ていると、こーゆーのを組み上げて1台の車を作るのも結局はホビーじゃんかと思えて来て、下でやってる「JAF・CON」のパーツを組み上げて美少女だかメカだかを作り上げる趣味とどこがどう違うんだって気持ちになって来る。特攻服とコスプレを間違えたよーに真っ当な目(自分が真っ当かどうかは別にして)から見れば一緒だったりする訳だし。なのに世間的には車は暴走族とかは別にして、割とモダンにクールで格好良い趣味だと思われているのに対してキットやドールやプラモデルは未だにアレだったりするのは、エンスーな人たちの歴史がなせる技かそれともオタクには区別されて当然な内在するマインド的な屈折があるからなのか。

 そーいった「違い」が厳然として存在する世間の中で、オタクが閉じこもるいしても理論武装して理屈をこねた挙げ句に、メタ的な意識あるいは卑下する意識つまりは自分をがハマっている状態を客観的に覚めた目で見るようになったのかもしれないってことを考えてはみたんだけど、暴走族だって世間的には忌避されつつも反抗心旺盛に主張して外へと爆発していった訳で(暴走族が家にこもっていたら暴走族とは言えないけれど)、ことさらにオタクの自意識を高級視するのも不味いのかも。いずれにしても今は別にフィギュアだガレキら美少女だ、はちょっと難しいけれどマンガにアニメにSFが趣味と言っても世間からパージされる可能性は少なくなっている訳で、無理無理に理論武装して自分を正統化する必要もないんだろー。屈折せずに「好きだから好き」と言えるのって何か羨ましい。素晴らしい物と言いたいがために褒める言葉や褒める方法ばかりを探していた自分と違って、批判する言葉や批判する方法ばかりを覚えていったって楽しめるんだから。

 回って東館でやってた「夢の技術展」を堂々とプレスで入る。子供が大勢いたのは夏休みだからってこともあるけれど、遊園地なんかに連れていくより簡単なパビリオンに簡単な出し物、遊びなんかが用意されてておまけに室内で冷房も効いているから、行楽に行くより安上がりに子供を遊ばせることが出来るってことなんだろー。出来合いの建物の中でやるから環境への影響も小さいわけで、いっそ日本中のこーいったイベントスペースを使って「万博」でもやれば、森を削るとか川を汚すとかってないんじゃないかと思ったり。まあ開発が目的化している万博のよーな大プロジェクトに、そーゆー発想ははなっからないんだろーけれど。

 ソニーのコーナーで「AIBO」を飼い慣らしているお姉さんも良かったけれど、個人的には「フランスベッド」のコーナーで介護ベットとか安眠ベッドの横に付き添ってくれるホットパンツなお姉さんたちが最高。さすがに恥ずかしくって体系を図ってもらった後でベッドに横になりカウンセリングを受けるなんてことはしなかったけれど、遠くで見ていると床にひざまづいてかがみこんでいろいろアドバイスをしてくれる姿があって、下から見上げるとさぞや壮観だろーなーと妄想に頭をふくらませる、ついでに……それ以上言ってはいけません。ホンダの「P3」は時間外ってことで可動しておらず、待っていれば動いたけれど動いたてテレビと一緒だと思うくらいだろーからパス。そのうちどっかで見るでしょー。

 来年開催らしー神奈川のロボット祭りみたいなコーナーに、玩具メーカーの”自称”ロボット玩具が勢揃いしていたんであれやこれやと遊ぶ。ガキなお子さまが「ウブラブ」の前の袋に「ジャレット」を押し込んむとゆー、「タカラ」的に正しい遊び方をしていたりしてなかなか、あとファービーを2つ向かい合わせにするガキなお子さまもいて、こっちは良い意味で正しく遊んでいるなーと感心する。ロボットでは絶対にないクレーン付きのリモコン車はバンダイで、プーチにAIBOもどきにネズミにいろいろ、いっぱいあったけどそれなりに子供がブースをグルリと取り囲んで食いついていた様を見ると、ちゃちで他愛がない品物でも、動きがあって手に取って遊べる「玩具」ってものの持つ「吸引力」はや っぱり強いってことが伝わって来る。こーゆーところから次代の科学者とかが出てくれば日本もまだまだ安心かも、玩具メーカーに言ってナノテク完全変形超合金とか、バイテク生きたガシャポンとか作ったりするかもしれないんだけどそれはそれでオッケーね。


【7月29日】 真夜中に「ブランキー・ジェット・シティ」とスガシカオのライブ連続、CDとかで聴くとオシャレで小粋な雰囲気があって掠れた声の耳障りもそれなりに心地よいスガシカオだったけど、ライブの迫力だとたったの3人でうねりはずむよーな音を繰り出しながら、浅井健一のどこか切なくそれでいて迫力のたっぷりなボーカルがシンプルに迫って来て、後から見たスガシカオのライブがひどくひ弱なものに見えてしまった、やっぱBJCカッコ良いわ。もちろんスガシカオタイプのライブもナマで見れば格好良いんだろーけれど(弾き語りっぽい部分とか)、比べられるとキツいかなあ、お仲間だったら山崎まさよしだったらボーカル力(ぼーかる・ちから)で並べたかも、NHKも結構酷な編成するもんだ。

 どうも「ポリス」以来、ギターにベースいドラムってゆーシンプルな3人編成が好きみたいで、先週だかにやっぱりNHKが流していた「トライセラトップス」も、ステージの上は飾りもなければ照明もショボい中を和田息子を含めた3人が、BJCほどのコワモテな雰囲気は全然ないのに演奏し始めた途端に目の前にパッと音の波とか光とかが見えて来た。ホーンとかキーボードとかパーカッカッションとかトライアングルとかチューバとかタンバリンとかカスタネットとか、いろいろな音を重ねていじくる音楽ってのが悪い訳じゃないけれど、年取ってくると人間どうやら取得して解析できる情報量が減衰するのかスッキリとしたものの方が好みになるみたい、女性もモジャモジカとかゴテゴテとかしてないシンプルな方が……ってそれは違う単なる趣味か。

 本屋へ。高速に画像まで出してくれるパソコンをお持ちでない身にはどうにも「bk1」はトップを見るだけでも辛いのです、あと家にいないしカード使うのも苦手だし(名古屋人なもんで)。岡田斗司さん田中公平さん山本弘さんの3人がアニメ界特撮界声優界の表話ウラ話を喋り倒す「至上最強のオタク座談会」の第3弾にして完結編となる「絶版」(音楽専科社、1500円)は「魔女ッ子アニメ」「ギャルゲー」「アニソン・特ソン」3本が舌鋒の標的になっているけど、相変わらずに話はタテすべり横すべりで「キラメキマン」をあればタツノコの倉庫から発見された未放映アニメだと言ってみたり(案外事実、だったりして)、連載されていた雑誌「hm3」の声優を写すグラビアの写真テクニック(後処理も含めて)を讃えて例えば池田秀一さんはフォトショップでタテに1・5倍すれば良いとか言ってみたりと、アニメ雑誌ではちょっと読めそーもない話が満載で楽しい。「アニソン・特ソン」の冒頭が何故か故・塩沢兼人さんに始まる業界酒飲み列伝。さらに滑って京王プラザホテルのロビーで立ちションした女性編集者話へと至る、けど女性でホテルのロビーで立ちションって……どうやるの?

 「パヴァーヌ」も復刊でサンリオ版を出た瞬間に定価で買った人間には悔しいとゆーか、でも実家にあって15年近く読んでないから嬉しいとゆーか複雑な心境、表紙は前の方がインパクトはあったなあ。離れた本屋へと回って買った「ヤングキングアワーズ」の9月号の表紙は目に嬉しいインパクトはないけど、「ジオブリーダーズ」から出演の夕も多分真紀ちゃんも立派な胸で目に楽しい。本編の方は新人の巳晴くんが高見ちゃん以上に見せてくれていて、これこそ原画サイズで見てみたいとか思ったけれど、72ページだけを特大サイズでプリントするなんて、そーゆーあざとい商売は流石に作者も出版社もしてはくれないだろーから、単行本サイズに落ちるよりは大きな雑誌サイズを永久保存としよー。おやおや72ページ右下の高見ちゃん、眼鏡かけとらんがね。「コミックマスターJ」のアレは富野?

 DVDの「File−XX」は全4巻と前作の「ちび猫奪還」を収納できるボックス付きでボックスのジャケットの絵が最高、ボディコンに栄ちゃんがボディコンの真紀ちゃんんがボディコンの高みちゃんがボディコンの夕がボディコンにはならないけどしゃちょーとまやが。田波くんはなぜボディコンにはならなないか。前作品のLD3枚も持っている身として全7枚分を入るボックスを同じ絵で出してくれることを希望する、がその前に「File−XX」のLD発売を願わないといけないか。お話しの方は、まあ「ジオブリ」です、説明過剰な絵に説明不足な物語。本編どころか前作のOVAを見ていないと全然話しが分からないとゆーのは本編さえ読んでいれば何となしに分かった「ちび猫」よりも不親切さが倍増しってゆーか、テレビ塔の再建工事にはまだしも「Akie’s」入店拒否はねえ。

 まあ知ってる人は必ず買うだろーし、気になる人は前作も単行本も集めてそのままま「ヤングキングアワーズ」読者へとなだれ込むから大丈夫、ってゆーかそーならざるを得ないくらいの吸引力を持ち得ているから、堂々と内輪でやってしまえるんだろー。現に前作のOVAのCMを見て何だろーと興味を持って読み始めた人間がここにいたりするんで、証明はできます。絵は全体に柔らかくなった感じ、奈美子とか成沢が歪んでいるのか仕様なのかは不明。とはいえ、3枚なのに結構引っ張った前作の待っている間の渇望感を考えると、テレビじゃ見れない面白さを維持しつつも、あんまり凝らずにサクサクっとしたペースで出して行ってもらいたい気持ちも半分くらい。業界が全体に底抜けかかっているよーな雰囲気の中で、あんまり引っ張った挙げ句に売れ行き不振で打ち切りなんて事になるのが1番悲惨だからなあ。

 化け猫じゃないけど猫娘が主人公なOKAMAさんの「キャッツ・ワールド」(角川書店、960円)がリリース、「めぐりくるはる」(OKAMA、ワニマガジン社、505円)のエロなんだけど絵のポップな感じとか、ストーリーに込められた切なさとか哀しさとか楽しさとかが気になっていた人で、健全版でもエロこそないもののその分ポップさストーリーの淡さがクローズアップされていて、読んでほこほことした気持ちにさせてくれる。バイオ兵器によるテロで住民が猫にされてしまった街に唯一人間のまま残った少女が、テロリストと戦う話はOB(オブ)とゆー人間型の戦闘機械なんかも登場したりとSFチックな展開を見せつつ、1人残った少女の秘密から住民を猫に変えてしまったテロリストの正体なんかへと進んで行く、って所で以下次巻。猫耳少女って作れば作れるんだなー。


【7月28日】 中には「生えてても良い」(何が? あれが!)とゆーくらい大好きな人もいる広末涼子さんがグラビアで登場の「フライデー」をデフォルト買い、見るとなーんだマガジンハウスのあまりじゃんとか思ったけれど、白いTシャツ姿の1枚の白い胸元に透ける黒いシミみたいな部分にもしかしてアレかメラニンか色素沈着かってな妄想が膨らみ出してもうとまらない。女性に当然の凸部が光の加減で影になっているだけかもしれない可能性は大なんだけど、気になり始めればあとはそーなんだと決めてかかるのが健全な男の子って奴で、間近に見て離れて見て目を細めて見てはシャツが邪魔だと思って心の目によってシャツを好かして真実へと迫ろーと前頭葉に意識を集中したら代わりに血液が集まって2、3本血管が切れて目眩に倒れるバタン。しかしホントのところは何なんだろー、「生えてても良い」くらいなファンの人たちの分析を望みたい。関係ないけど内田由紀さんには本当に生えてると思うぞ。

 乙一さんのノベルズでの新刊「石ノ目」(集英社、900円)を読了して泣く、をーいをいをい。まるで涙腺を刺激するぞ刺激するぞ刺激するぞとでかいプラカードを掲げて歩いているみたいな展開なんだけど、予想が出来ても哀しくなってしまうのはそれが子供と子供だったことがある大人にとって共通の、気持ちにグサリと来るシチュエーションだからなんだろー、まるで浅田次郎さんだね、あるいは「幸福の王子」あたりと並び称して構わないくらいのマスターピースな100年単位の感動小説ってとこか。例えば「はじめ」って短編は、「はじめ」とゆー空想の少女を作り出した2人の小学生の言葉が2人には本当になってはじめは成長していって、けれども2人だけにしか見えず他の人には嫌われていて「はじめ」ちゃん可哀想。そんな「はじめ」も自分の曖昧な存在に悩みつつ、2人の想いといっしょに成長していったけど、遂に訪れる最期の場面に、誰もが成長とともになくしていった子供の頃の気持ちが甦って、涙腺を刺激して止まない。

 生きた布なんてホラーなテイストのネタを出しておきながら、繰り広げられるのは醜く生まれてしまったけれど心だけは純真な人形が、1人の子供の心を救いながらも自らを喪ってしまう哀しい運命を描いた「BLUE」と言い、妖怪変化との戦いを描いているように見えて、実は母親との愛憎入り交じった相剋を描いた表題作と言い、ありそうなネタなのに読んで目に新しく、ありきたりな展開なのに意外性を覚えさせかつ感涙にむせばせる腕前は完成の域に達している。これが21歳の技だとしたらやっぱり計算などではなく感性の賜なんだと訴えたい。ホラーとゆーには怖くなさが気にかかるしファンタジーとゆーにはメルヘンじゃなく初出が「ジャンプノベル」でヤングアダルトかと思ったら刊行は無印の新書、なのにイラストは可愛いってなあたりが曖昧として、誰が紹介すべきなのか、どこで紹介すべきなのかを惑わせるけれど、そーいったナワバリ争いを一切気にしないのが自分の悪くて良いところ、今年最大級の成果としてここに喧伝させて頂きます。これ抑えなきゃミステリーもファンタジーもSFさえも後世の人たちに叱られるぜ。

 「ルパン3世」のTVスペシャルを観賞、これはカッコ良いぜ良すぎるぜ、去年のがナベシンで期待したら案外とメロウに間延びした展開で目をしょぼつかせたけれど、今年はテンポ良しコンテ良し色調良しアクションよしチェイス良し美術良しクリカンの声良し、そして何よりシナリオ良しのオールAな仕上がりで、個人的には過去12本だかあるTVスペシャルの中でもトップに位置付けたいくらいのクオリティを誇っていると断言しても構わない。映画と並べたって「マモー」「カリ城」「DEAD OR ALIVE」と遜色ないかも、いや伝説の垢にまみれた「カリ城」よりも娯楽性先鋭性でもって上を行っているかもしれない、って言ったらちょっと大袈裟? いやもうとにかくラストまで息をも付かせぬ展開で、途中にはさまれたお約束(「またつまらぬものを」云々とか)を逆手にとりつつ嫌味にならない程度にサラリ流す距離感が心にとにかく心地良い。

 コンバットマグナムへのこだわりを女性になぞらえて表現する次元とルパンの会話と言い、次元が銃を落として代わりにルパンが愛用の「ワルサーP38」を貸すエピソードが後でそれなりな意味を持ってくる伏線と言い、サンディーって歌姫の存在感の希薄さ(筋には結構絡むんだけど)をのぞけば展開に対する無駄がまるでない。お宝をめぐる争いの決着をコインのコップ沈めでつける粋、でもってそのコインをラストにちゃっかりしっかり使ってしまうダンディさ。そうだよなルパンって決して女たらしなだけじゃない、時には非情になれてしまう天下無敵の大泥棒だったんだってことを思い出させてくれる。録画したビデオはDVD発売までのマスターピース、何度も観賞してはルパンと女頭取の揺れ動く甘辛い関係に胸トキメかせつつ、不二子の小憎らしい可愛さに次元の銃への思いルパンとの腐れ縁、五右衛門の純朴故にダマされやすい性分、そして忘れちゃいけない銭形のとっつあんのジェットコースターのよーに上下前後に揺れる立場を越えた一途な想いに感動の噴流を我が心へと起こさせよー。早期のDVD化をマジで希望。半年とかじゃ、ダメ?


【7月27日】 日本酒で10時間とはこれに向けての疾走だったんだろーか中津さん、ってことで角川春樹事務所から、すでにコミックスでは2巻までがワニブックスから好評にして個人的に絶賛発売中な「KaNa」(原作・爲我井徹、漫画・相良直哉)の小説版が、爲我井さん自身の筆でいよいよリリース。その名も「KaNa outedge リアルブラッド」(爲我井徹、1900円)は、漫画版の記憶によれば冒頭に出てきたエリザベスって女吸血鬼をメインに据えて、バビロンと呼ばれた古の血を引き狼と暮らす少女で漫画版では主役の哀(かな)との絡みなんかを描いているっぽいけれど、買っただけで未読なんで内容については詳しいところは不明。ただ漫画版より前の話ってことで、少なくとも哀ちゃんが「すぱげってぃ」を山盛りいっぱいに食べるシーンはなさそうで残念。イラストはもちろん相良さんが描いてまーす。

 それにしても同時発売の「エバーグレイス」(下村家恵子、1900円)と合わせて近所の書店への入荷が、見たところ1冊づつしかなかったのは角川春樹事務所が単行本の販売を委託から買い切り制に変えたからなのか。やっぱり角川春樹事務所から出た加門七海さんの「呪の血脈」(角川春樹事務所、1900円)も、今は「ビーケーワン」で東雅夫さんが大フィーチャーしたりして本屋で見かけることもあるけれど、出たての頃って案外と見かけなかった気がするからなー。本屋さんがリスクをとって自分の判断でもって仕入れて売るよーにする角川春樹事務所の行為のそれ事態は商売の常道に即していて非難はできないんだけど、一方に再販制度があって全国的に一物一価が課せられている商品ってことで、おそらくは目利きの甘さを見切りによって補えないんだろーから、一部には人気でも全国区的な知名度ではなかなかな作家を平積みに仕入れるのはちょっと根性がいるのかも。ファンタジーに伝奇ってことで、とりあえずはみかけたら手に取っておくくらいのことはしてみましょー。

 とは言え同じ書店で菅浩江さんの「永遠の森 惑星博物館」(早川書房、1900円)も1冊が平台の隙間に棚指し状態だったのは既に売れたからなんでしょーか船橋東武。絶大な人気があるとはいっても極めて限定された範囲だったりするSF系統の作家だけに、特定の場所でバカ売れしてしまった反動がリアルな部分にゼロサムゲームよろしく出ていないかと心配になったりもする。もちろんネットな書店でも売れてリアルな書店でも話題になってくれればそれはそれで嬉しいんだけど、SFに力を入れているネットな書店が出来たことはイコールSFの市場が広がることにはならないから難しい、「MYSCON」で井上夢人さんが「オルファトグラム」の既読率の高さを見て「この割合がそのまま一般にもあてはまったらミリオンセラーだね」と言ったように、ネットって情報が濃縮されやすいからなあ。野尻抱介さんの「ピニェルの振り子」(朝日ソノラマ、495円)は大丈夫、だろーか、ネットで100冊も売れちゃったし。

 まあ菅さんの場合は単純に配本の関係で分納になったのか(任天堂かい)ってな可能性も考えられるから、いずれ平積みになるんでしょーね旭屋書店。しかし連載中はナナメ読みしていた「惑星博物館」シリーズの、通して読んだ時にわき上がるピシッと通った「ラブストーリー」ぶりにただただ圧倒されっぱなし。新婚間もない家庭が旦那のワーカホリックぶりから崩壊へと至りそーになって、けれども実は優しい奥様純な心を惜しみなく発露して旦那ばかりかあらゆる人たちの心に花を咲かせてくれるってな展開を、それぞれが美とは何か、芸術とは何か、愛とは何かを考えさせるエピソードが入れ込まれた10編の短編を堪能させつつやりとげてしまう構成力、創造力に随分と凄い作家になったもんだって僭越にも思ってしまう。

 表題作の何ともいじらしい男の女への告白ぶりには泣けたし、「亨ける形の手」は至上にして絶無のダンスを再現できるとすれば映像なり漫画なりで見たい気分。ラストの「ラヴ・ソング」に描かれる動物も植物も等しく純粋な「愛」の素晴らしさには、未経験ながらも経験への欲求が高まって来る、けどこればっかりは1人じゃなあ。謎があって秘密があってそこに芸術なりの知識で迫っていく展開はミステリィ的な楽しみ方も可能。とは言え底流を貫くテーマに感心を惹き付けるための手段としての要素と考える方がSF好き、ファンタジー好きとしては喜ばしい限りで、読む人にはとにかく目先の小さなカタルシスに酔いしれることなく、通して流れる美と愛への賛歌に耳を傾けてもらいたい。20世紀最後の年に最大級の贈り物、「猫地」あたりとのナンバー1バトルが楽しみだぁ。

 リクルートがアメリカのポータル運営会社のアバウトと合弁を作るって発表会があったんで開場へ。何でもアバウトが展開しいるポータルは、山とサイトを集めてカテゴリーなりキーワードでサーチをかけて関連をヒットさせる類似あまたなポータルとは違って、「ガイド」と呼ばれるその道の達人なり通なりが、自分の感性なり情報網を駆使して選んだサイトうぃピックアップして関連情報もあわせて送るとゆー、いわゆる「編集」の入ったポータルサイトってことらしー。ある意味ネットの特定ジャンルにおける有名人が提供しているリンクページに近いのかも、関連掲示板付きの。

 日本だと「boook.com」ってところが確か、一般のユーザーからのセレクト情報を集めて編集してセレクトされたサイト情報を提供していた気がするけれど、そこは天下のリクルート、ずばり数百人規模で「ガイド」を集めてそれぞれに責任を持ってもらってサイトのセレクト、ニュースの発進、掲示板なりチャットの運営なりを任せてしまおうって計画らしく、すでに一部のエキスパートな方々には、「是非ともガイドになってちょーだい」ってな接触が始まっているらしー。発表を機に公募も始めるみたいで、例えば自分がウクレレの専門家だったら「ウクレレ」ってコーナーの「ガイド」になってウクレレサイトにウクレレニュースにウクレレ掲示板を運営してファンを集め、広告に誘導するなりECサイトに連れていくなりすることで、一定の報酬を得ることができるらしー、まるでネット上の1人情報誌編集(読者欄付き)って感じ。

 米国じゃー平均で10数万円の収入が「ガイド」にはあるそーで、これを日本では固定報酬プラス誘導した人の数なり広告収入なりに応じたインセンティブが支払われて、米国並みの収入を得ることができるらしー。本当に凄い「ガイド」だと、1000万円とかって収入があってそれだけで生活出来ちゃうくらいだそーだけど、し日本にそこまで客を集められる個人の「ガイド」がいるんだろーかとゆー疑問、そこまで個人の感性に依拠した情報を求める人がいるんだろーかとゆー疑問なんかが浮かんで来て、前途にいささかの疑念を浮かばせる。

 もっとも一人ひとりのリスペクトは小さくても、統合されたサイト全体のリスペクトがあればオッケーとゆー評判を作れば、後からマーケットが付いてくるがネットの世界。誰に書かせるかってゆー部分での、ここはリクルートの編集スタッフの力量が大きく問われることになる。まあ特定分野に秀でてない当方にはいささかの関係もない話なんで、せめて「ガイド」になった人には当方にもちょとばかりの御利益すなわち客寄せをやって頂ければ、別に商売の種が芽生えるかもしれないんで幸いです。

 発表会にはネット関連媒体の若い人が探偵団よろしく大集合して根堀葉堀聞いていく姿が目立ってたし、発表自体が様々なカテゴリーのメディアを個人の力でもって運営していこうってな内容で、そんなネットメディア時代の本格到来に、情報の流通速度が新聞もテレビすらも越えてアップしてるんだってことを改めて実感する。さっきの会見の内容が、みゃーひゃー(こんなに早)ネットに出とるがね(出ているじゃないか)って事態が度々どころか常態化している昨今、果たして新聞って必要なんだろーかとゆー懐疑心がむくむくと頭を持ち上げて来る。

 にも関わらず編集の偉い人たちは、編集とゆーともすれば相手に威圧感を与えてしまえかねない立場でありながら、むしろそんな立場を利用するかのごとく、取引先すなわち取材相手に商品すなわち新聞を取らるべしってなプレッシャーをかけてくるから不思議。朝にしか届けられない古い情報の掲載された紙の新聞をどの面下げて売れってんでしょーか、これほど様々なメディアがネットも含めて発達した時代に「知識を蓄えるのが社会人の務め、だから新聞を読みなさい」なんて臆面もなく言うなんて出来やしない。あまつさえIT革命なんてことを標榜してITを専門に取材する部署まで作った会社の、それが言うことなんでしょーか。紙の権威、紙へのこだわりからなかなか脱却出来ないんだねー、日本人って。

 いやいやそーゆーノスタルジックな感傷だったら笑いながらも理解はしよー。問題は本来は無関係な別法人の発行している媒体を売って来いってことで、これが自前の商品だったら「ええもんつくたきに読んでちょ」ってなことが言えるのに、自分たちの預かり知らない内容の、どちらかと言えば右旋回している新聞をどんな言葉で薦めれば良いのか分からない。かといってそんなことを言えば、大変なことになる、とんでもないことになるってな感じで、ILOに言質ととられまいとしているのか曖昧模糊とした言葉でもって、暗に陽にプレッシャーがかけって来ていたりするから難しい。大望を抱いて給料の安さにもめげずにブンヤになって精進して幹部へと上り詰めた挙げ句に待っているのが、良心にも時代の流れにも背くよーなスタンスを取らなくては許されない立場だったとしたら、若い人たちはどーやって日々のモチベーションを維持すれば良いんだろー。そうは言ってもサラリーマンは辛く経営幹部は強しな世の中、迫る「商売繁盛カード持って来い」の声に怯えつつ右翼正論好きな人はいねがと近所を触れて回るのであった、うくく。


【7月26日】 3通ほど寄せられたリポートから類推するに「そばめし」はヤングにナウな食べ物っぽい感じがあって、地域も西宮だか三宮あたりに限定されてて関西人でも知識に偏りがあるみたい。あるとゆー人は「お好み焼きやに行けば必ずある」と言うし「昔からメニューにあった」とゆー人もいて結構な浸透度だったりするけれど、歳を経るに従って帰京して始めて知って愕然としたとかってな反応もあったりするから、この10年くらいに急激に蔓延ったと見るのが妥当なのかもしれないけれど、実際のところは良く分からない。神戸でも垂水に住んでいる筒井康隆さんの日記とかには出てきた記憶がないのは地域差なのか年齢差なのか。やはり1度ちゃんと見に行かねばなるまい。

 もっとも名物と銘打っていても案外と歴史が浅いのは名古屋の「天むす」にも言えることで、少なくとも学生だった10数年前には「天むす」なんてタモリの冗談で言う「エビフライ」ほどにも有名じゃなかったし、知名度だったら知立は藤田屋の大あんまき(ホントにデカいぞ食べると1食は浮くぞ)とか、備前屋の「淡雪」(ふわふわしてる)とか、熱田名物「きよめ餅」とか、雲雀ヶ丘にある洋菓子フルールのケーキ(フルフラフールって歌、覚えてる?)とか、あさくまの学生ステーキとか、名古屋清水口「ウェディング美宝堂」(ロレックスが安い)(食べ物じゃない)の方がよほど高かったよーな気がする。

 それが森光子さんだかが「名古屋に行ったら天むす」食べてます的発言をして広めた結果、名物として考えられるよーになってしまったし、今じゃーおにぎりに天麩羅が入っていたって誰も不思議に思わなくなて、焼き肉とか唐揚とかハンバーグとかってなあらゆる食材を握ってしまうコンビニおにぎりへとつながる礎になった感もあるほど。つまりは名物に歴史や伝統は無関係ってことで、ならば「そばめし」が「神戸名物」になってたって良いのかも。雑然とした食い物なんでどこかに気取ってやがる「天むす」ほどメジャーにはならないかもしれないけれど(ちょっと名古屋ひいき)、せめてマウンテンの甘口抹茶小倉スパくらいには全国区になってもらいたい気がします、そうなったらほら、東京でだって甘口抹茶小倉スパが食べられるよーになる訳だし。個人的にはヨコイのスパゲッティのミラカン1半あるいはカントリー若しくはバイキング程度の知名度でも構いませんが。

 「そばめし」について貴重な情報を頂いた「星方武侠アウトロースター 雲海のエルドラド」がスーパーダッシュ文庫から好評発売中ぞな(エイシャ風)な堺三保さん脚本の「ラブひな」を見る。前回のミステリー仕立てだった回がインターミッション風な変化球だったのと比べると、瀬田との再開とゆーキーな話を軸に定位置を抑えつつひなた荘のメンバーをまんべんなく働かせる展開で役割とキチンと全うしているとゆー感じ、動きもデフォルメとかキメのポーズとか含めて小じっかりしてたし。バックの音楽の趣味が「うる星やつら」や「天地無用!」的なピコピコサウンドに慣れた耳には格調高すぎて、ドタバタの展開とバトルしている気がしたんだけど、監督の人の趣味なんだろーか。下からなるを舐めたシーンの期待をちゃんと外してくれるあたりがマンガじゃなくってアニメならではだったけど、しのぶちゃんのシャンプーハット姿とかあったんでオッケー。合間の「デ・ジ・キャラット」DVDのぷちこの声は相変わらず破壊力があるなー。

 デカい物が宇宙をやって来る話が好きなんだろーか、野尻抱さんの「太陽の簒奪者3 喪われた思索」(SFマガジン9月号所収)にしても、最新刊の「ピニェルの振り子」(朝日ソノラマ、495円)にしてもどこかに共通のテイストがあって、甘い話を書いても萌え萌えーな話を書いてもハードでもソフトでも、本質は宇宙SFでハードSFな人なんだってことが伺える。で新刊の「ピンェルの振り子」は萌え萌えーな対象になるだろー女の子が登場していることはしているんだけど、15歳の癖に冷静でクールで仕事一途な性格は、ともすれば(美人じゃなければ)ちょっとご遠慮したくなりそーな感じがあって、そんな彼女に一目惚れしてしまった少年も浮かばれないんじゃないかと可哀想になったけど、虚仮の一年岩をも通すってな諺にもあるよーに、頑張って頑張った挙げ句にちょっと良い感じになるところを見て、クールでも美人ならコナかけておくのが正しい男の勤めなんだとゆー結論に達する。

 とにかくスケールの壮大さには「太陽の簒奪者」と並び称せされるくらいの感銘を覚えたし、何万年とか生態系とかってなスケールの”事態”をかわす解決策をあっさりと決めてしまって動じないヴァカンティ伯爵の豪気っぷりには、いたく感じいるところがある。”プレイヤー”と呼ばれる謎めいた存在の設定が1冊では見え憎いところがあるけれど、どーやら19世紀に生きていた人たちをさらって人間が住める環境に改造された惑星へと放り出して育つに任せるってな前設定があることを認識しておけば、宇宙船を駆る癖に写真とかカラープリンターとかいった技術が発達せず、ために標本を描く「画工」のモニカが本筋に絡んでくるんだってことが分かって、展開も理解できるだろー。ともすれば「人間のエゴか生態系か」といった堅い問題に集積されそーなところを、ヴァカンティ伯爵ってゆー京極夏彦さんが創造した貴族探偵榎木津にも似た傍若無人ぶりを発揮している人が1人でお笑いをやっていて、堅苦しく重苦しい雰囲気になりそーなエンディングに明るさを出している。続編でもモニカちゃんとか出るのかな、今はそればかりが心配です夜も眠れません。お願いしますぅ。

 「まんだらけ」がマザーズに上場したけど売り浴びせられて初値がつかずてんてこまいだったりしたけれど、古川益蔵社長は「ベンチャー企業を育てなくっちゃいけないのに、その役割りを担っているベンチャーキャピタルが売りまくっているのは解せない」と、今の証券市場の不透明性不公正性を訴えている。決してメジャーにはなりそうもないとアナリストたちに判断された「まんだらけ」が取り扱っている数々の品物をしっかりと見れば、150万円とゆー公開値から今は株価がストンストンと下落していても、「まんだらけ」の将来性は決して暗くはないよーな気がしないでもない。あと商売に対する考え方とか。

 同じ古本屋ってことで世間的に話題の新古書市場、いわゆる「ブックオフ」の問題について聞いたところ、「新刊のマンガ本が店頭に出されもされずに返本されて許されるよーな新刊制度の弊害を省みずに郊外型古書店が悪いというのは間違っている」と前置きした上で、だからといって「ブックオフ」のよーな定価に連動して自動的に売値が決まるところは、「再版制度が撤廃された時点で便りとなる価格とゆー軸がなくなるから大変、その点まんだらけは120万冊ものデータベースを用意して、的確な仕入れと値付けができるんだ、大事なのは本の価値であって、それが分かるのはうちだけなんだ」と自慢していたあたりに、再販制度が撤廃されても頑張っていけるだけの自信が滲む。「新刊本が売れてはじめて中古も売れる」とゆー自覚がある限りは、郊外型多店舗展開のよーな無茶はせず、マニアには嬉しい品揃え根付けで「マンガ魂」を揺さぶってくれるだろー。オタクの殿堂、早く建てよ。


【7月25日】 ヤングなアダルト向けの小説について「SFマガジン」の9月号で喋ってるメンバーを改めて眺めて何っこった俺が1番歳よりじゃないかと愕然とする(日下三蔵さんは名前も書いてるジャンルも風体もすっげーいってそーだけど案外と若かったりするんだね)。それだけ”せーしんねんれー”がヤングにアダルトなんだろーかと思案しつつも、実際んとこ今んとこ、いっちゃんダイナミックに面白い小説って電撃だったりスニーカーだったりホワイトハートだったりソノラマだったりするから、イキの良いのを追っかけるだけの体力が歳に似合わず備わっているんだとゆーことで自分を慰める。ってことはさらに歳上の三村美衣さんや喜多哲士さんの「読書体力」はさらに若いってことになるってことで、上には上には上がいるもんだとSFな世界の奥深さを改めて強く認識する。SFは若さだ。

 僕が挙げた三雲岳斗さんの「アース・リバース」(角川書店、533円)と古橋秀之さんの「ブラックロッド」3部作を含めて小説で7作品・シリーズ紹介されているうちの実に3作品・シリーズが電撃文庫(「ブラックロッド」に秋山瑞人さん「猫の地球儀」に上遠野浩平さん「ブギーポップ」)だったりするのはよほど優れた書き手が揃っているってことの現れか、三雲さんも電撃での活躍が目立つ人だし。その三雲さんも含めた2作品が角川スニーカー文庫(「アース・リバース」に麻生俊平さん「若葉色の訪問者」)といった具合にやっぱり結構なSF度。ファンタジアでは吉村夜さんの「魔魚戦記」(富士見書房、520円)もファースト・コンタクト物なり宇宙クジラ物なり人智を越えたスケール物なり(対応する本格が思いつかないけど)で入れてみたかった気もするけれれど、漏れてしまったちょっと残念、続編っぽいのが来月出るみたいなんでそっちが盛り上がることを期待します、ふかしいもファンとして。

 「猫の地球儀」で入った秋山さんの遅ればせながら「鉄コミュニケーション」(電撃G’s文庫)が近所の本屋の1巻「ハルカとイーヴァ」2巻「チェスゲーム」と揃って売っていたのをこれまで気づかずにいたことを棚上げして購入して一気に読み終えて泣く、おーいおいおい。とは言え「猫地」の涙とはちょっと違ってホッとするエンディングが待ち受けていたのが幸いして、涙は微笑みと変わってほっこりとした気分で読了することができた。原作のコミックもWOWOWで放映されたアニメも見たことがなかったりするんで、小説のオリジナリティについては判断できないけれど、相変わらずの秋山節が炸裂する文体に乾いた展開ウェットな描写を見る限り、相当な部分で作家のオリジナリティが披露されているよーな気がする。

 人類が戦争か何かによって滅亡した、ザ・デイ・アフターな世界を舞台にした再開と別れ、人間と機械、羨望と嫉妬といった様々な対立軸を持った物語が、それぞれに深い思考を読者に与えてくれるし、ハードでスピード感あふれる戦闘描写にロボットどうしの会話描写の凝り具合もなかなか。本格ファンも読んで損なしの2冊だけど、確か絶版なんすねぇ、これ。「SFマガジン」の電撃フィーチャーがちょっとは出版事情の好転につながると嬉しいけれど、ことSF業界を離れた時のマイナーさでは同類っぽい部分もあるからなー、世の中やっぱりままならないものです。

 とは言えことSF業界に限って言えば電撃ブランドの力強さはなかなかみたいで、今日届いた「第39回日本SF大会」のスケジュール表を見るとしっかりありました「電撃SFの部屋」が。高畑京一郎さん中里融司さん秋山瑞人さん古橋秀之さん新木伸さん田中哲弥さん上遠野浩平さんとメインどころがずらり揃ったパネルは相当に面白そう。裏番組にケツだけ重なって三村美衣さんお「いまさら人にきけないYA講座」があってこっちには安井健太郎さん水野良さん笹本祐一さんとみなが貴和さんらが出演で聞いてみたい気もあるけれど、モロに重なる裏番組に「かがみあきら追悼会りたーんず」があったりするからそっちに顔を出す可能性が大。北上次郎さん椎名誠さんの部屋はいっぱい出るだろうからレポートはそっちに任せよう。本当はその日のその時間はエンターブレインの「エンタメ大賞」の表彰式が恵比寿であるんだけど、このスケジュールを見たらちょっとそっちに行ってられない。無理を承知で横浜の「インターコンチネンタルホテル」に会場、変えません?

 2日目も平行して面白そうな企画が続いて迷いそう。「まるいち的風景 」(白泉社、390円)の柳原望さんが出る「まるいち開発室」はロボットファン必見だったりするし、ハリウッド英語版「Gセイバー」の企画も見たいし神林長平さん森下一仁さん新井素子さんらの出演する「リレー座談会 SFの20世紀」関連企画「SF雑誌の創刊ラッシュ」もリアルタイムで経験しているだけののぞきたい。「僕はイーグル1」(徳間書店、1300円)の夏見正隆さんが出演する「がんばれ僕らの自衛隊」も興味があるなあ、自衛隊雑誌に執筆も多い米田淳一さんなんか出たいでしょ。ああ体が2つ、いやいや5つは欲しい。午後は「E.G.コンバットの部屋」なんてものもあるし、ここでも電撃は人気たっぷり。裏に草上仁さんのコーナーもあって、体は10でも足りないぞ。

 「モデルグラフィックス」の9月号に掲載されている8月20日開催の「ワンダーフェスティバル」で会場管理体制が大きく変わるとゆー記事を読んで、愕然とするプレスやゲストの顔が頭に浮かぶ。それこそ徹夜に近い体制で並んで午前10時の開場と同時に飛び込んだ一般参加者が目にする、人気ディーラーに並ぶディーラー参加者とプレスとゲストの行列に、いったい自分の苦労は何だったんだと呆然としたり、だったら自分もディーラー参加ってことにして、行列に参加しちゃおーかてな不届きな考えを抱いたりしていた状況が、プレスとゲストの受付が原則11時からとなったことで、劇的に変わることは確実だろー。

 前回、何故か来た招待状を休日出勤のために使えず、もちろんプレスとしても参加したことのない身として嬉しい気もするけれど、ガレージキットの発展に寄与して来たゲストの人には立場の不自由さに怒る人も出そうで今後の展開がどーなるのかにちょっと興味深々。あとディーラー参加者への厳しい態度も、ガレージキットが好きだからこそディーラーになったけど、ガレージきっとが好き故に有名な原型師の作品も欲しいとゆー気持ちのぶつかり合いの狭間で、やっぱり議論を巻き起こしそう。ともあれ万難を排して20日の休日出勤をズラしてもらってのぞむ「ワンフェス」、頑張って何か買おう、ちよちゃんとか(出るのか?)。


【7月24日】 歴史は夜作られる、って現地じゃ夜でも何でもないんだけど見ているこっちは真夜中なんで別に言っても良いでしょう、夜に歴史は作られたって。相変わらずの正確なショット完璧なアプローチ絶妙のパッティングの組み合わせで実に16番ホールまでを「ノーボギー」で通したタイガー・ウッズは魔の17番でセカンドをグリーンから外して旗までは近いのに間は人間の背丈より深い通称”トミーズバンカー”。ここでトーシロだったらピッチングか何かでバンカーを越えて旗の真下にズドンとか、マンガ好きだったらパシっと打って旗に包んで一気にカップインなんてものを狙ってしまいそうだけど、流石は真面目に超弩級の付くウッズ、バンカーを避けて旗から遠ざかるのを承知てまずはグリーンへのオンを狙い、そこから2パットで寄せて沈めるセオリーどおりのプレイを採用し、この日始めてで通算でも3つ目のボギーで切り抜ける、余裕があっても冒険をしないこの精神力、ほんとに24歳か。

 ボギーで19アンダーへと落としてあと1つ落とせば18アンダーで過去の記録と並んでしまうところを18番で着実にパーセーブ。セカンドをピン奥に乗せてペアのデュバルはピンそばで、先にタイガーが打って普通だったらピッタリ寄せてお先に、と行くか敢えてマークするところを、不思議にもここだけ1・5メートルなんて妙な距離を残して先にデュバルに沈めさせ、シロウトだった結構嫌な距離を見事に1発で沈めてラストを飾って新記録とグランドスラムをゲット。まさかワザとじゃないとは思うけど、結末までをも見事に演出して見せてしまうとは、やはり「神」がついているとしか思えない。

 例えばモントリオールオリンピックの水泳でモンゴメリが始めて出した水泳の49秒99とか、カール・ルイスとかマイケル・ジョーダンとかジョー・モンタナとかベン・ジョンソンとか、アトランタでのブラジル撃破とかワールドカップ出場を決めた岡野のゴールとか、猪木対アリとかタイソン対ダグラスとかヒクソン対船木とか、スポーツの「記録」はいろいろと目にして耳にして来たけれど、最年少で最短で最高スコアでもってグランドスラムを決めたウッズの「記録」は今のところトップは揺るがない。あるいはシドニーで別のものすごい場面が見られるかもしれないけれど、ウッズを越えるっていったらいったい何だろう、サッカーの日本の優勝? うーんウッズのメジャー10連覇より可能性が低そー。せめて室伏のメダルに10分の1でも良いから興奮を期待しよー。

 ゲームの批評誌で玩具のレビューをしてみたり、アニメの雑誌で本の話を書いてみたり、サブカルっぽい場所でオタクにどっぷり浸ってみたりと、何だか「場違い」を専門にして「お呼びじゃない?」とニヤついて見せる癖でもついているかのよーな仕事が続いていたりして、考えてみれば本業ですら工業の新聞にゲームと玩具とアニメとSFの話を平気で堂々と連日のよーにたっぷり書いてたりするんだから今更って気もしないでもないけれど、本格SFの牙城でヤングアダルトを褒め称える仕事をしてしまう「場違い」は、ともすれば本格の怖い人たちからフルフラフルール、槍が降り犬が尾を振りワンダフル、ってな感じで鉄砲弾が飛んで来かねないからビクビクもの、だったりする。まあ6人もいる中の最もマイナーな人間なんで鉄砲玉も避けてくれるだろーとは安心しているけれど、ともかくも明日発売の「SFマガジン」には気をつけましょう。

 しかしどんな感じになってるんだろーとやってるうちは手探りだったけど、神保町の早売りの店で買って確かめてもて吃驚仰天。ヤングアダルトの人に本格を読ませるってな企画だったと思ったら、タイトルは「海外SFファンのためのヤング・アダルトSFガイド」でやんの、「場違い」より「勘違い」だったりする訳で、さてはて内容が果たしてタイトルに合致していたのかちょっと不安、読み返すのも怖いんで9月号の201頁以降は永久封印だ。ちなみに名前が載ったのは随分前にも2度ほどありまして、って言ってもその時はいずれも「リーダーズストーリー」の欄外紹介に名前と簡単な内容紹介が載っていただけだから、購入し始めてかれこれ20年目にしての真っ当な登場に、人間長生きはしてみるもんだと世界を滅ぼさずにおいてくれたノストラダムス様に感謝する。次は21世紀中の登場を目指そう。

 「夏と花火と私の死体」が読んでないけど評判らしい乙一さんのノベルズでの新刊「石の目」(集英社、900円)が出ていて「綾辻行人氏驚嘆」なんて帯がデダンとついていたんで慌てて購入、あとがきに福岡を出て愛知県豊橋市の某大学で学生をやってるってあったんで、同じく九州から豊橋の大学を出て今も豊橋在住らしい酒見賢一さんの後輩、ってことは僕と同窓だろーかと瞬間思ったけれど、あとがきに出てくる研究室の名前とか、僕のいた学校にはなかったSF研究会の文字を見つけて、同じ豊橋でも国立で理系の方で、渥美半島の根本あたりの畑の真ん中にそびえ立っていてウェブ日記では一種の殿堂とも言える学校なんだと理解する、ふーんなるほど。綾辻さんが「ある種の天才(あるいは天然か)なのだろう」という推薦の言葉は読んで納得、巻末に収録された「平面いぬ。」とゆー作品の、無茶無理無謀とも思える設定の中で描かれる恐怖と愛とが交錯しかかっているよーで実は全然クールにさらりと進んでしまう不思議なトーンが、「天然」っぽさを存分に現している。考えてたら書けません。


【7月23日】 とか言ってたら2番だかで初のボギーが出て「ノーボギー」の行列は崩れてしまい、珍しく2オンに成功した名物17番ホールではあろうことかの3パットを演じてこれまたボギーで、なんだタイガー・ウッズも人の子じゃんとか思ったけれど、他のホールでは前2日にないバーディーの連続を見せて2位との差をたちどころに5ホールくらい空けてしまうチャージぶり。ちょっとの茶目っ気は見せても要所はピタリとしめる技術力の高さと精神力の強さを見ていると、最終日のいつも通りな赤いシャツでのラストスパートから、一気呵成に最年少でのグランドスラム(全米プロ、全米オープン、マスターズに全英オープンの4つ、だったかな)を達成しそーなことは明白、なんで皆さん歴史をその目に焼き付けたいと思っているなら、今晩放映のテレビ中継は必見です、青木の親切さ炸裂なライとかターフとかマウンドの解説はちょっとウザいけど。

 間に録画してあった「重戦機エルガイム」の第1話を見てすっかり忘れていたオープニングがイントロ1発で甦る人間の擦り込まれた記憶の強さ恐ろしさを実感しつつ、冒頭の荒野を走るファンネリア・アムがチラチラ見せてて初放映時に脳味噌プルンだったんだよなってことを思い出しつつ、最終の1つ手前のボギーになってしまったウッズ17番ホールのプレイを見てから午前3時に就寝、したのも束の間の午前8時には目を覚まして向かうは「東京キャラクターショー」、朝の10時半から「美少女戦士セーラームーン」のミュージカルへの出演者によるステージを見るためには、ちょっとの就寝など気にしないのは言うまでもないこと、である、であろ? 朝イチだったんで舞台前はちょっとの余裕はあったけど、やっぱり同様の熱烈なファンが親子連れに限らず大きなお兄さんまで含めて陣取って、オープニングとテーマソングの2曲と間のトークショーに耳を傾ける。

 しかし始まった当初は単なるキャラショーのノリだった記憶があるセラムンのミュージカルも、8年が経って本編アニメもコミックも終了してしまった今もなお、唯一の関連コンテンツとして人気を誇り支持も集めている状況を見ると、もともとのコンテンツにとてつもないパワーとインパクトがあったんだってことが分かる。かつ放映の頃を知らない子供層が親に連れられてかそれとも単純に見た目でか、ファンになって来ている状況を見ると流行り廃りの上っ面を追いかけることなしに、作品として長く育てて来た制作者たちの気持ちの入れ様も伝わって来る。男の子(元も含む)にとっては、ど派手なセーラー服に足ニョッキリな女の子たちが踊ってくれる劇ってビジュアル面でのインパクトがあればそれはそれで十分なんだけど、マーズの足綺麗だったなあ、ヴィーナスはムチムチしてたなあ、とか。

 40分くらいでステージは終了で、これだけ見れば「東京キャラクターショー」の2日目は当然にして十分だったりするんだけど、せっかくなんで辺りを散策、昨日1人勝ちだった講談社は大資本の元に集め売って来た自前のキャラを商品にするとゆー、零細なキャラクターグッズ屋にとっては何ともイケズな戦略によって相変わらずの大人気を集めていたし、そう言う「ブロッコリー」だって「でじこ屋」「アクエリアン・エイジ」はそれなりの食いつき、「○角商店」なんて何が目当てか分からないけど行列は凄かったし「電撃屋」も繁盛のご様子、例の「ちよちゃんクッション(お下げ着脱式)」は受けてたのかなあ。唯一コナミの「こなみるく」が昨日の大行列から一転しての閑散ぶりだったのは限定アイティムの仕込みを間違えたからなのかな、それともコナミな人の別に大集会があったとか。ちょっと不思議。フルメタ賀東さんのサイン会とかもあったみたいだけど。仕事(セラムン)は終わっているんでとっとと退散、電車を乗り継ぎこっちも別の意味での”街ぐるみキャラクターショー”と言えそーな舞浜へと向かい、オープンなったショッピングモールの「IKSPIARI(イクスピアリ)」を散策する。

 エディバウアーのチノにメレルのサンダル、藤田和之愛用の「ソウル」のTシャツにギャップの帽子って格好は、ブランドだけ並べれば舞浜にだって決して間違ってはいないセレクトだと自認するけど、何せ着ている奴が奴だから、たとえ格好良い人が着れば高く見え格好良く見えるユニクロでも、宅八郎さんに着せればなるほどそれなりに見えてしまう(「サイゾー」掲載の勝手に会社案内参照)よーに、着ている人間が人間なってやっぱり幕張メッセかお盆時の東京ビッグサイトに見えてしまうのがちょっと哀しい、おっさん1人連れって行動パターンも含めて。それでも気にせず突っ込んで行くのが「出没魂」って奴で、気にせず入って写真を撮り商品をチェックして今時なお店の今時ぶりを研究する。

 入った瞬間に香る感じは去年の春にフロリダで散々っぱら浸った「ディズニーワールド」の「エプコットセンター」とか「プレジャー・アイランド」あたりにあるショッピング街と大差はないけど、あっちの広大な敷地と建物のサイズに比べると、チンマリしているのは狭いニッポン急いだところですぐに海、な環境ならではで仕方がないところ。その分通路状になった両脇に店を並べていく配置も、うねうねとして工夫があって、やっているのがオリエンタル・ランドってとこもあってショップのセレクトにも適度なエンターテインメント性があって、見ていてそれなりに楽しめる。お台場の「ヴィーナスフォート」だと男ってせいぜいが「ヴィレッジ・ヴァンガード」に逃げるくらいしかないけれど、こっちだとアウトドア系のショップとかキャラクター(ってもディズニーだけど)ショップとか雑貨屋小間物屋があって、廊下トンビに渡って歩いて楽しめるからね。

 最奥にある「レインフォレストカフェ」は「ディズニー・ワールド」の「プレジャー・アイランド」とはショップもカフェも規模では全然差があって、置いてある品物の量はあっちのワゴン並みって感じがしたけれど、エッセンスは抽出されているからまあ参考に見て「エンターテインメント・カフェ」の雰囲気を体験する場にはなるでしょー。入り口にあるショップはカエルTシャツにカエル縫いぐるみなんかが売っていたんで、夏のシーズンに東京とかパシフィコ横浜とか西葛西とかに来るカエル好きな人は機会を見て寄ろう。個人的にはワゴンに積んであった帰る人形に惹かれるものがああり。雨蛙とか背中におたまじゃくしを背負った毒のある帰るとか、結構リアルに再現された世界のカエルのビニール人形が、ざくっと軽く11種類はあって1つ200円とリーズナブル、秋の京都旅行のお土産に最適かも、って誰へのだ。

 幕張メッセでは行列の果てに買ったトレーディングカードの中身に一喜一憂している少年&元少年の長蛇の列が出来ていたけど、「イクスピアリ」にも実はあったトレーディングカードのショップは、けれども扱っている品物の筋が全然違って、もっぱら外国製のスポーツカードとアート系のカードとコミックでもノスタルジック系の物が中心で、上品な入り口にこじんまりとした店内の雰囲気は、Tシャツ姿の男たちが群がるメッセの血走った喧噪とは対極をなす。「いまトレーディングカードがブームです」と言ってこっちの店へと取材に行って話しを聞くのは、間違いじゃないんだけれどやっぱりちょっと違うかも。アニメやコミックや特撮が好きってな人もプロレスファン鉄道ファンアイドルの追っかけも含めてオタクと言って言えないこともないんだけど、どこかしっくり来ないよーに。

 せっかくなんで真面目にサッカーのカードを買ったら16種類あるパズルカードの中の中田の1枚が入っていてちょっと嬉しく思ってしまうあたりは、アニメでもゲームでもアイドルでもトレカなら共通の心理なのかも、むくむくと頭を持ち上げている「コンプリート魂」がちょっと怖い、やっぱりサッカーカードのファンも立派にオタクだし、逆にオタク的な心理は普遍に誰でも持っているものなんだとちょっと安心する。そうなんだカード集めはアメリカでもヨーロッパでもごくごく普通のホビーなんだ、恥ずかしがることはなんだとゆー安心感に背中を押されついでに、アメリカ製の「セーラームーンカード」も購入する、別に普通でしょ? マーキュリーに水着の亜美ちゃんのカードが入っていたって喜ぶのもマイケル・ジョーダンにマグワイアのカードを喜ぶ心理に違いはないんでしょ、違わないよね、違わないんじゃないかな、きっと、たぶん、おそらく……ちょっと弱気。

 「朝日新聞」の読書欄で斎藤美奈子さんが田口ランディさんの「コンセント」(幻冬舎、1500円)評、釈然としなかったものの言うと何だかフェミニンじゃなくってモヤモヤしていたエンディングに突っ込んでくれているのがありがたい。例のまんまコンセントなエンディングについて「このオチだよね。怒っちゃうよ、この結末は」って言っていて、「ついでに個人的な彼の巣をいえば、今般の女性作家の作品は、パンツを脱ぎすぎ。エッチなし、オカルトなしの小説をたまには目指そうよ」とも。女性のセルフポートレート系の写真家にもあてはまりそうな分析だけど、男が言おうとしてもどこか口ごもる部分があって言えないし、かとって女性だって言うとやっかみに聞かれてしまうだろー言葉を、さすがはミナコサイトウ容赦がない。日曜版の求人広告は角川書店がノンフィクションと文芸一般書の書籍編集者を募集中、35歳までって年齢制限の緩さは魅力だけどスキルもないから無関係だけど例のツーショット写真を添えて送ったら何か反応があるかちょっと実験してみたい気も、とは言え案外と知らなかったりするかもなあ、ブース前に立ってたところを「どいて」と言った関係者もいたし(見ていてちょっとヒヤヒヤ)。


【7月22日】 にしても凄すぎるぞタイガー・ウッズ。「ノーボギー」なんてアマチュアの日曜ゴルファー(ゴルフ歴10年ハンディ17くらい?)がひとたび耳にしただけで、例えるならば天から太陽、地からダイヤモンドの輝きが目に飛び込んでは網膜を通り抜けて脳髄を爆発させるくらい、耳の奥底へと甘美な響きでを鳴り渡らせて熱烈な羨望と憧憬を生みかねない言葉を、あの世界でも最大級に難しいと言われている英国の「セントアンドリューズ」で、初日から2日続けてやってしまうなんてもう信じられない聞きたくない。前日はファーストで今回はセカンドをミスった魔の17番も、道と道との間にある細いラフへと打ってしまってさあどうする?

 越えたら目玉バンカーが待っている、ならば手前から慎重に、あわよくばチップイン、なんて欲とも焦りともつかない気持ちが起こってしまいそうなものなのに、そこはタイガー流石なもので、グリーンの奥にある山にあてて戻してカップに近づける技を披露し、返しのパットも沈めてパー4を見事にセーブしてしまう。見ればなるほどと思っても、やっている間は考えられないものなのよ。サッカーよりもテンポはトロくて知らない人には何が楽しいのか分からないゴルフだけど、なまじちょっとだけかじったことがあって(ちなみにベストは135だ、200ホールは回っているのにパーは1回だけだ)、その大変さは身に染みているだけに、ウッズのすべてが次のプレイを考え組み立てられ、ミスしても決して慌てず最善を尽くすスタイルの当たり前の凄さは分かる。

 ゴルフに興味がなくっても、「マリオゴルフ64」なんかを試したことがある人だったら、リングくぐりを全クリするのに必要な、狭い1点をねらった1打の、それも単純に「距離」だけじゃなく高さやバックスピンがかかっているか否かってな、ボールの「質」にも注意を払うスタイルを、すべてに置いて追究してはなしとげているって感じを、眼前にいる生身の人間のプレイから感じられるから、沈着な戸張に熱い青木の解説を聞きながら、見てみるとなかなかに為になる。ああ今夜も午前様。

 とも言ってられず、数時間も寝てからごそごそと起き出して幕張メッセで開幕する「東京キャラクターショー」へ。別棟になる9ホールと10ホールを使った会場に行くときはたいていバス停の「NTT前」で降りて歩くことにしてるんだけど、目の前にある陸橋まで行列が伸びているところこが見えて、去年までの東京ビッグサイト以上の行列客が遠方に移っても出来るくらいに、ニッポンのキャラクター市場はまだまだ堅調さを維持しているどころか伸びているんじゃないかってことが、照りつける熱い日差しとともに伝わってくる。

 彼等をマニアと呼ぶのかファンと呼ぶのかそれともオタクと呼ぶのかネーミングなんてどうでも良い、言葉探しは僕の趣味でも資質でもない、少なくとも現前として徹夜も辞さずに炎天下を何時間も並び会場に入っても並び1日中並んでも欲しい物に群がれる「ソウル(魂)」は存在するってことだけを、報告はしておかなくっちゃならない。後にコミケにワンフェス、マイナーだけど(御免)「SF大会」にカードゲームの大会「JGC2000」と続くイベントに、群れ集まり戦い癒し合う熱い「ソウル」の存在を、感じながら分析とか解釈とかして行きたい、それが私の生きる道、まあ単に舌っ足らずな直情バカってだけかもしれないけれど。

 9時から受付ってのにプレスのカウンターがある2階ロビーへと入るガラス扉が開かず、待っていた人が事務局に何度電話してもラチがあかず、なのにカウンターにいる事務局の人たちは近寄って状況を説明もせず、そうこうしているうちに9時半からのテープカットの時間が迫って来て焦る。どうやら無理な突破を防ぐために、扉の鍵が締めてあって所在が分からず明けられない状況だったけど、呼ばれて行っての仕打ちにただでさえ短期なマスコミなんでキレまくり、ようやく回って来た事務局の人をイジって遊ぶ、ついでに実行委員長にもゴショゴショと行っておいたんで、明日はきっと金色のゲートに「プレス様歓迎」なんて文字が描かれて、皆様のお出でをお待ちしていることでしょう。にしてもトップで入った「日本工業新聞情報開発」の名刺を出していた人、あんまり会ったことが無いんだけど偉い人なのかなあ、横で同じ会社の名刺を差し出した僕に話しかけてくることもなく、とっとと会場に消えていってしまったんだけど。

 うりゃうりゃと散策しているとメディアワークスのブースにトイワークスって関連会社が小さくコーナー展開をしていて、「あずまんが大王」の帯の人がいたんでのぞくと何となんと何と、かの「あずまんが大王」に登場する天才少女ちよちゃんの顔を象ったクッションが参考出品されているではないですか。おまけに例の両のお下げが、マジックテープで着脱式になっているとゆーファンの心理を痛く衝く凝り様で、販売されるとゆー「東京ゲームショウ」が今からわくわくと楽しみになる。今さらな感もあるけど「グインサーガ」絡みのグッズとか、「アイアンジャイアント」のフィギュアがついたストラップ(ネジも別にちゃんと付くよー)とか、「イグジステンヅ」のぶよぶよコントローラーとは対極にある流麗で華麗なフォルムを持った造形作品群で知られる、らしい「絶対少年プロジェクト」絡みの展示とかもあって、「電撃屋」に並ぶのが面倒だったら裏側へと回ってそっちをのぞいてみるのが良いかも。明日もあるかは知らないけれど、戸部淑さんって人のカード1枚くれました。

 表側では「シスター・プリンセス」って作品の立て看人形と一緒にポラ撮影してキーホルダーにしてくれるアトラクションがあって、会長の人ってつまりは角川書店の社長の人が1枚撮影している場面をながめていたら引きずり込まれてツーショット、ならぬ間にフィギュアを挟んでスリーショットを撮られてしまう、これは選挙に使えるかな。しかしほとんど寝て無い上に暑さで顔が上気していて頬はまるでたこ焼きのよう、チェックの帽子に髭面と妖しさ丸だしなんで、選挙に使ってもきっと逆効果になりそーなんでやめて家宝にしておこー。ニッポン放送の元DJカメちゃんとか(今は社長らしい)も歩いていたりと偉い人チェック、「コミケ」のカタログの巻末にドカンと広告を出しては「エロはやめて」と自分の名前でお願いを出したブロッコリーの社長の人も歩いていたんで「腰低いですねえ」と聞くと「買う人がいけないことだと思って少なくなってくれれば」との返事。コミケに出すのも来るのも主張と思考のある人たちだけに、そこに訴えていくことらしー、さてどうなるか。

 ”今さら感”のあったコナミも「ときめも2」の人気があるのか「こなみるく」には長蛇の列が。「でじこ屋」も「アクエリアンエイジ」も同様で両ブースが接しているあたりの混雑がなかなか。おまけにでじこうさだぷちこの着ぐるみコスプレも登場とか、マルチスクリーンへの新作情報の投射とかもあって、「さくら」に「女神」に「ラブひな」ほかなキャラ勢揃いで一気に「キャラショー」の人気ブースへと躍りでた講談社に続くくらいに人の密度が高かった。しかし謎だった新作らしー今冬登場とかゆー「デ・ジ・キャラット ファンタジー」とかゆー作品の宣伝は、アップテンポにアレンジされた「ウェルカム!」に会わせて等身の上がってちょいアダルトな「でじこ」やら、音楽に会わせてポーズきめまくる巫女さんやら坊主やら兄ちゃんやらがどやどやと登場の、見た瞬間に背筋に反射の速度でゾクリとくる映像で、これだけ売ってくれないだろーかと思わず交渉したくなりました。

 「SF大会」「コミケ」「ワンフェス」にも出展予定らしい夏は総出の「ナインライブス」前では元「快傑のうてんき」の人を見かけたり、角川書店のブースの前では初めて出した小説作品「星方武侠アウトロースター 雲海のエルドラド」(集英社、495円)が、アニメを見ていた人なら鈴にゃんの美しさエイシャのたくましさメルフィナの可憐さにジーンの痛快さジムのやれやれぶりが存分に楽しめること請負で、知らない人でも要点さえ押さえておけば西部劇にある街を支配するワルモノに囲われかけた保安官の復活を癖のある風来坊たちが助けるストーリーを楽しめる、会話良しテンポ良しの堺三保さんと話したり。いやちゃんと面白いです、とくに鈴にゃん(鈴にゃんはおやめなさい)とエイシャの掛け合いが。

 適当に時間も過ぎたんで「ヤングキングアワーズ」のブースに行って「ジオブリーダース」の複製原画集なんかを買って帰る。中の1枚をしげしげと眺めて、第4巻の「まや」が街中を化け猫に追われてさまよう場面に登場している「VAN」の看板が描かれているカットが、植田にある「ビレッジバンガード」の1号店前の歩道を植田一本松から島田の方を向いて見た(すげえローカル)場面だたってことに今さらながら気づいたりする。そんな複製原画が9枚にちょい前の紫がかった雑誌の表紙に使われてた奴だったっけ、栄ちゃんと高見ちゃんのツーショットのカラー絵が1枚入って2000円は安くない? 個人的にはカラーだけど小さいテレカよりは好きです、後はサインが入ってればなぁ、植田島田橋八事裏山塩釜口中根あたりに網張って作家さん探すか、ロケハンとかしてそーな。


【7月21日】 期待されてそれに潰れずむしろエネルギーにしてしまう、そういう人にワタシハナリタイ、なんて思っても並の心臓神経頭脳では無理なところを、そこは特上に松竹梅の松、ミシュランの5つ星、政の柏手に加えて究極至高の両お墨付きが付く強心臓にして強靭な肉体を持つタイガー・ウッズ、全英オープンでのやっぱりな活躍についつい見ほれて気が付いたら午前3時の東京ベイ、いやもう吃驚するくらいの活躍にまさしく「神を見た」。初日、圧巻だった名物17番の深いラフからアイアンをボールの増したへと打ち込み、そこで右足が跳ね上がるくらいの強い反動を受けても崩れず、ボールをグリーンに乗せてしまうナイスなリカバリーショットを、あろうことか打つ前にキャディとハイタッチをかわして「やったろーじゃん」ってな気分でやってのけてしまうとは。2日目も軒昂と活躍を続けている様子、伝説の瞬間に立ち会っている幸せを全世界の人は享受せよ。

 沖縄に米国の大統領が来たのが果たして伝説の瞬間か単なる通過点かは気の持ちようによって変わったりはするけれど、その当日に遠く東京の地で2500人の観衆の面前に立ってクリントンの巨大な写真に向かって刀を振り下ろしては顔を滅多滅多にしてしまった鳥肌実は果たして伝説になったのか、それともよくある汚職の度に出てきては愛想を振りまく月光仮面と同等か。日比谷野外音楽堂で開催された今年2回目の鳥肌ギグ「人間爆弾」は開場の1時間前にはすでにゆるゆると行列が出来始める盛況ぶりで、4月の「日本青年館」をも上回る熱気人気にいよいよ人気も本物かとチケットの今後の撮れ具合を心配しつつも、こうやって伝説は作られていくんだなーと感慨深げに思っていたけど、実際に始まった公演が瞬間のキラメキを放って終わった後に漂う空気は、何だから別の意味での伝説の瞬間を案外と見たかもしれないとゆー重苦しいものだったことは、ここに記しておかねばらなない。

 野音のステージの屋根部分から吊された垂れ幕は1枚が「皇国の興廃この一戦」とか「世界の日の本統一」とかったいかにもなもので、客席のあちらこちらに立てられたのぼりも「ラバウル海軍航空隊」とか「陸軍中野学校」とか「鳥肌近衛兵」とか「日本船舶振興会」とか「山崎パン杉並工場」とか「朝日新聞社」とか「日本共産党」とか「歩け歩け運動」ってな直接的な中にちょっぴりのズラしも効いた鳥肌的感性の賜で、なるほどうんうんと思いつついよいよスタートした公演で、冒頭のサミット絡みのクリントン処刑ネタからいつもどおりのフィルムによる演説シーン、今回は選挙絡みとゆーことであちらこちらの街宣車街頭演説をつなぐ映像で、前回のよーな道ばたでの話しかけなり電車の中でもつぶやきといった、会ったら気分が滅入りそーな印象を醸し出すことで与える緊張感はそれほどなかった、だって選挙ってもっとヘンなのいっぱ見て来たからね、象さん乗せていた人たちとか。

 持ち前の演説芸の方はなかなかな高密度で、どう猛っぽいドーベルマンが2頭入れられた(でも暴れず途中で欠伸して寝ちゃった)檻の上に立って背広姿で始めた演説は、立て板に水とばかにり右翼ネタ反共反公明ネタを繰り広げて観客をシンとさせる。「IT革命」(確かインターナショナルな天皇制革命だたっけ)とかってな時事用語の採り入れ方は絶妙、官庁街のド真ん中で隣りには憲政の殿堂「日比谷公会堂」を置くロケーションで、あまりに露悪的な演説を慣行してしまっては、集まっている人も二の句が継げられないだろー。このシンが例えば万雷の拍手だったら良かったのかもしれないと後になって思ったものの、1歩身を引いて笑うべきなのか友にハマって拍手喝采を送るべきなのかヤジの1つでもとばして紛糾させるべきなのか、間合いのとりかたがますます難しくなて来たとの印象を抱く。

 再びのフィルムの後で全身に竹ヤリをつけた格好で再登場しては繰り広げたナンセンス1言集のひとつひとつの切れ味は確かにあったけど、笑うに笑えず讃えるに讃えられない空気の中で高説を賜る格好になってしまったのがマズかったのか、それとももとより最後まで「気分」を押し通したのか、1回のアンコールに答えて登場したものの、「あんたたちにバカにされたくない」とかってな余りにナマな捨てぜりふを吐いて引っ込んだ後に高まったアンコールには応えず、あきらかに演劇的空気とは無関係の「スタッフ」が登場しては楽屋的空気をまとって「出たくないと言ってます」じゃあ、せっかくの本編での緊張感が演者の我侭への憤りと転化されてしまい、会場を出ても何となしに後味の悪さが残る。さてはてどいった意図があったのか、芸にくるまない本音を聞いてみたい気もするけれど、聞いたら芸じゃなくなってしまうから、想像の中で悶々としよー。さても今回の野音の公演は果たして伝説的芸人の誕生の1場面なのか、それとも1芸人凋落伝説の始まりなのか、もうしばらくだけ付き合ってみよー。

 一緒に見物していた人たちとは何か有楽町あたりで流れ解散になったんで電車で帰宅。途中に「Boiled Eggs Online」からデビューした新人作家、小滝橋トオルさんの「ショート・ラヴ」(新潮社、1300円)を読む。短編作家がデビューしづらく短編集も編まれにくくなっている時代に珍しい書き下ろしの短編ばかりを集めた短編集は、帯にこそ出身媒体の特徴を汲んでか「ネットから誕生したネット世代のための」と書かれてあるけれど、そーした文句が余計に思えるくらいに中身はストレートに都会に暮らしている世代も立場も違う男や女たちが出逢った様々な「愛」の形を描いた短編で、コンピューターのかけらも出てこずネットもメールも携帯すらもほとんど無関係な内容が、帯で誤解されやしないかとちょっとだけ心配になる、いわゆるネット物でしょ、メール恋愛みたいな、とかってな感じで。

 そういった誤解をまずは否定した上で、内容について若干触れるならば、収められている9つの短編は、あんまり読んだことはないけど、ってゆーか原文は英語なんでまるっきりあたったことはないけど「ニューヨーカー」にさらりと載っていそーな、心の機微をサクリとすくい上げ切り取り見せるストーリーで、1つ読んでは心にズシリと音が鳴り、2つ読んでは心がギクリと音を立て、3つ読んでは心がフワリと軽くなる、そんなさまざまなシーンを目の前に現出してくれて、読んでいるうつちについついハマってしまって、気が付くとさて次はいったいどんな感じに心を動かしてくれるんだろ=かと、作者の筆の冴えに期待している自分がいる。

 レイモンド・カーヴァーの短編にも似た、人間によって形作られる「風景」を描けるって意味で日本でも稀有な作家、ってことになるんだろーか、気取りを虚無的に見せて心を漠とさせる村上春樹さんに近そーでタイプは違う、もっとナマナマしいけど、それでいて乾いているって不思議な距離感がある。個人的にはカーヴァーの短編をモチーフに取り込んだ「とても短い愛のことなど」が登場人物たちの年齢が自分に近いこともあって好み、読み終えた瞬間に立ち登るとりあえずの安堵感が心のコリをほぐしてくれる。さてはてどんな評価が下されるのか、「伝説」になった風の歌を聴けなかった世代にとっての新しい「伝説」になりそーな予感はあるから、そんなに高い本でもないし、値段分の楽しさは与えてくれるんで、とりあえずゲット&リード、表紙もオシャレなんでビニール製の夏バッグなんかに入れて歩くとOLさんもコギャルさんもカッコ良いでっせ。


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