縮刷版2000年6月上旬号


【6月10日】 「ドリームキャスト」の正式発表があった日の夜に行って以来だから実に2年ぶりになるかもしれないカラオケで夜通しがなり立てても、声のいささかもかれていないのには我ながらその頑丈さに感動、とはいえ知ってる新し目の曲アニソンの曲の少なさは相変わらずで、本格的にカラオケの人になるにはやっぱり修行不足と判明したけど、勉強したって生来の徹夜嫌い(寝るの大好き)は如何ともし難いんで、披露する場所も機会も無さそーなんでこのまま80年代ニューミュージック&メジャー・アニメ主題歌あたりを21世紀にまで引きずって、オヤジの懐メロかよと顰蹙を買い続けることにしよー。その顰蹙すら買う機会のそれほどあるとも思えないんだけど、ほら出不精だし友達少ないし。

 そんなこんなで午前8時に帰宅して日記を更新してから4時間ほど寝て起きて本屋へ。前にノベルズで出ていた時には買わなかった麻城ゆうさんの「特捜司法官」関連の小説が文庫で再刊されてたんで購入、「ジョーカー外伝」ってのは道原かつみさんが絵を描いている「ジョーカーシリーズ」に出てくる特捜司法官でもトップクラスの実力を持ちながら、さらに上を行く「ジョーカー」にはかなわい薄幸の(ってイメージがどこか付きまとう、報われないってニュアンスもあるかな)「スペード・エース」が登場するシリーズで、言うなれば「エロイカ」に対する「Z(ツェット)」みたいなものだけど、「スペード・エース」はここでも脇を固める役柄で、メインはテレビ番組の「特捜司法官」シリーズで主役を張ってる俳優の秋津秀が務めてる。

 半ば特捜司法官制度の啓蒙番組として制作されているテレビシリーズで、主役の秋津には特捜司法局から唯一人工眼球をシルバーにすることが認められていて、本人のなりきり度合いが高いせいもあって一般の人からときどき本物の特捜司法官として間違われる例もあるみたい。でもって巻き込まれた事件の中で秋津自身が正真正銘の特捜司法官、「スペード・エース」と邂逅していく様が描かれる。残念ながら「ジョーカー」の登場はないけれど、漫画版ではその相方をやってる六道リィンが2話目に登場して冴えとボケぶり、かましてくれるのが漫画のファンにも嬉しい。話はよりリアルでシリアスに合成人間と人間の関係に迫っていて、一読ではその優越感と劣等感、愛情と憎悪の錯綜した関係が難しいけど、読みごたえはなかなか。イラストは道原さんだし、「ジョーカー」の愛くるしさが楽しめないことだけは残念だけど、コミックスのしばらく出ていない寂しさもこれで当面は埋めることが出来そー。でもやっぱ「ジョーカー」が見たいよー。

 ドラガン・ストイコビッチについて書いた東京新聞出版局から出ていた本とか、その作者が書いた続編とか別の人が書いた旧ユーゴスラビアのサッカー情勢について書かれた本とかが出て、もしかすると日本のどの知識人よりサッカーファンの分けても名古屋グランパスエイトのファンが、ユーゴスラビアの現況なりユーゴ問題について1番詳しいんじゃないかと最近つとに思う。背景にあるのはユーゴのサッカーに燦然と輝き今なお現役で活躍しているスター、ピクシーとこドラガン・ストイコビッチを結節点にしてのユーゴへの関心。彼ほどのプレーヤーが歩んできた苦難に満ちた道程を振り返る時に欠かせない、92年の欧州選手権への出場停止処分はそのままユーゴスラヴィアを舞台にして争った民族紛争の問題が巻き起こるし、今なお「プラーヴィ」(新ユーゴ代表)のキャプテンとして存在感を示すピクシーについて考えるとき、同様に今なお各地でくすぶり続ける民族紛争の状況を頭から消し去ることはできない。

 金丸知好さんの「ユーゴスラヴィアと呼ばれた国があった」(NTT出版、1900円)もそんなサッカーとりわけストイコヴィッチのファンだった人間がユーゴに行って見た民族紛争の痛ましさ激しさを、よくわからないけど小説風に描いてるっぽいストーリーで、かつて争ったクロアチア新ユーゴとの「ユーロ2000」出場をかけた激しい戦いをクライマックスに折り込みつつも、コソボをめぐるユーゴ系、アルバニア系住民の争いが発展して起こったNATOによるユーゴ空爆といった問題を盛り込みつつ、分かり合いたいのに憎しみ合ってしまう「民族」という存在のやるせなさ、暴力が更なる暴力を呼んでしまう状況の虚しさが描き出される。口では平和を唱えても、家族が殺されてしまった時に果たして同じことが言えるのか、という提示は小林よしのりさんの非戦を標榜する人たちへの懐疑とも合い通じる部分があって考えさせられるけど、それでも立ち直って平和に向けて活動する若い女性たちの姿からは、信念と貫き通す行為の尊さが浮かび上がる。小説っぽい部分のウェットさを受け入れられるなら、サッカーファンのみならずコソボ問題からユーゴ問題に関心のある人にとって、入り組んだ状況を整理する上での格好のテキストになるでしょー。

 カラオケの途中から来ては「どろろ」とか妙なアニソンを唄っては消えてしまって残念だった黒坂智子嬢が編集にあたった、アニソン界が誇る帝王ってゆーよりはやっぱりアニキと呼んだ方が相応しい水木一郎さんのすべがぎっしり詰まってその分値段も結構な、「アニキ魂」(アスペクト、3800円)の刊行を記念するサイン会が明日11日の午後2時から池袋の「パルコブックセンター」7階特設会場であるそーで、すでに先着100枚で整理券を出してはあるそーだけど、聞くと当日購入した人でもアニキなんでサインはオッケーになるらしーんで知らなかった人知っていたけど整理券あるかなーと心配してた人はゴー、ゴッゴー。本は「SPA!」の書評用に回って来たのがあるけれど、そーゆーアニキならではの心意気なら是非とも応えて差し上げねば。起きられたらだけど池袋にやっぱりゴー、ゴッゴー! だ。


【6月9日】 えっと詳しくまだ読み返してないんで何だけど例えば障子をこっちから指突っ込めばあっち側に破れて穴が開くだろーしもしかしたら向こう側に抜けた指の先っぽに紙の繊維が付着しているかもしれないと思うんだけど、そーゆーあたりってちゃんと調整とれてたっけうーん、まあそれがあったからといって、主旋律を奏でる「偉大なり存在との邂逅、その意義」ってな部分での描き込みの物足りなさもあって、だからこそオチの何とも拍子抜けぶりに呆然としてしまうのかもしれない。

 腕吹っ飛ばすとかいった割には会話が通じてしまうのもちょっと軽い感じを醸し出してしまうから、出来れば宇宙飛行士が宇宙から地球を見た時に感じるだろう何とも名状しがたい染み出るよーな畏敬の念、あるいは「ファイブスターストーリーズ」で描かれる星系どころか宇宙の絶対的な存在を具現化したものってなニュアンスを、のぞかせて欲しかった気もする。って何の話って詳しく書くと楽しみを奪ってしまうことになるからほのめかすだけに止めておくけど、それにしてもやっぱりはしゃぎ過ぎだなー音羽。シリーズっぽいんで立て直しに期待だ。

 届いた「電撃アニメーションマガジン」7月号は拍子が他誌の「アニメージュ」「ニュータイプ」「AX」と「ラブひな」が競合、それだけの期待を背負ったアニメってことを今更ながらに感じる割には最近あんまり見てない。でも良いフィギュア揃えるつもりでDVD買って見直すから、やるなあやっぱり音羽。付録も設定入ってアフレコルポの漫画も入ってまずまず、あと「ゲートキーパーズ」のポスターも水着で座った3人娘の真ん中のポーズに脳天を擽る「何か」(見れば瞭然説明無用)があるけど、残念にも無念にも折り畳んだセンターラインが真ん中の女の子の体操座りを体の正中線から分断していて辛さを感じた読者もきっと多かっただろー、ってそんな不純なことを考えるのは僕だけ?

 不純ついでに今年の目標をあれこれ。夏だ薄着だ谷間の季節の到来だ、ってことでTシャツでもブラウスでもカットソーでもセーラー服でも襟刳りの緩くなった上着の上から右から左から、のぞく胸の谷間をこの何年来深く強く観察して来た我が身を「タニマニア」と強調してきたのではあるけれど、いー加減同じキャッチで行動するのも藝がないと思ったんで今年はちょっと視点をかえて、より深くかつ幅広い概念で夏の美を捉えられるキャッチをここに繰り出しテーマとして観察・研究することを内心宣言します、だっておおっぴらに言ったら警戒されて半径5メートル以内立ち入り敬遠対象になってしまうからね。

 でもって何をキャッチにするかといえば、従来どーりの襟刳りから除く谷間ではなく、例えば前ボタンのブラウスのボタンとボタンの隙間から除く胸であるとか、Tシャツなり袖無しブラウスなりの開いた脇の隙間からのぞいたブラの線なり脇腹の肉とともに押し込まれた身であるとか、丈の短いTシャツを来て下はジーンズっな格好でしゃがんでやや前傾気味になった時の、上にずり上がったTシャツのすそからのぞいた背中から下へと流れるラインがジーンズのヒップ部分へと流れ落ちていく場面で隙間にのぞくアンダーウェアであるとかいった「隙間物」をちょっと観察していきたい、つまりは「スキマニア」ってことになりますね、そこ笑わない。あからさまに足の隙間の奥ってのもあるけれどこれは先方の意識も高いから難易度高い割に高級感に乏しいんで主体とはしない。別なシチュエーションでの「隙間物」の開拓にも余念をむけつつ、暑さに辛い街歩きをこれで楽しく過ごせそー。

 さらに不純ついでにペニスの生えた少女たちが子供たちを奴隷にして虐待する勢力と戦うとゆー壮大な物語「非現実の王国」とその挿し絵を20歳くらいから80歳くらいで死ぬまで描き続けたヘンリー・ダーガーの画集「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」(作品社)が発売になったのを記念した、訳者の小林由紀子さんと写真家で編集者の都筑響一さんが対談するイベントのために表参道にある「青山ブックセンター本店」へ。言ってしまえば引きこもり気味なオヤジお妄想の産物に関するイベントだから集まるのも特殊がかった目に光を讃えつつも発するオーラは暗黒色ってな自分を一例に上げられる人種ばかりかと思いきや、100人近い聴衆のおよそ8割が若い女性だったあたりに首を傾げる、あなたたちいったいダーガーの何に惹かれているんですかぁ。

 あるいは都筑さんの知り合い系の女性が集まったのかもしれないけれど、「セーラームーン」だって「ナースエンジェルりりかSOS」だって「神風怪盗ジャンヌ」だって何だって、男にだって受けてはいるけどメインなターゲットは女性だったりする訳で、つまりは「戦闘美少女」は元来女性のものなんだから女性が多くても当たり前ってな考え方は成り立つかも。その点でどちらかと言えば男オタクが愛でる戦闘美少女ってな視点にウエートがかかっていたよーな斎藤環さんの「戦闘美少女の精神分析」(太田出版、2000円)と補完関係にあるのかないのか未読なんで未定だけど、村瀬ひろみさんの「フェミニズム・サブカルチャー批評宣言」(春秋社、1600円)なんかを読んで女性も愛でる戦闘美少女なるトークショーで見た状況が、成り立つのかをちょっと考えてみよー。単純に綺麗な絵だったから、アートだったから、オシャレだったから見に来たのかな、うーんやっぱり分からない。

 イベントではダーガーについて研究している博士が出演した米国の「心の眼」とか何とかゆーテレビ番組のビデオが上映されて、ダーガーの紆余曲折あった青春時代に慎ましやかな青年壮年老年時代の境遇をたどりつつ、全能であるべき神に対する信仰が時に悲惨な現実を前にして崩れそうになったことから、非現実の王国を築こうとしたんじゃないかといった指摘もあって興味深い。とはいえ架空の世界を構築するのは作家だったら誰でもやっていることで、ことさらにその世界が王国世界を細部にいたるまで作り上げた執念と妄念のシロモノだったとしても、精神面での突出ぶりを挙げるのにはちょっと違和感を覚える。

 15000ページも書き続けるのは確かに不思議ではあるけれど、6000枚とかってな原稿をコンテストに出す人がいるご時世、それほど突飛じゃないのかも。スライドは見づらかったけど、元の絵からトレースして自分なりの美少女図へと変換していくプロセスが分かって面白かった。途中で抜けたんで良く見てなかったけど、ペニスはトレースした下絵の段階だとツルンとしたままで付いてないのもあったけど、だとしたら意識的に作品の方では描き足したってことになるのかな、それともやっぱり知らなかったんだろーか。その辺りも含めてやっぱり詳細な研究書が欲しいところ。「戦闘美少女」に入っている斎藤さんの文章や「アサヒグラフ」に掲載されてた四方田犬彦さんの文章や、前にダーガーを訳したこともあるってゆー都筑さんの文章なんかもまとめて読んでみたいところ、これだけ客が集まるんだから出版したってイケる、かな。
【6月8日】 なんか走り回った日。まずはJCイタショーって前に取材したことのあった、アメリカでアニメキャラとかのグッズのショップをチェーン展開していこうってな野望を持ってる日本人の板越ジョージさんが社長をやってる会社が、やっぱり日本人だけどラテンな社会にどっぷり使って日本語もたどたどしくなって来ている井関毅典さんて人が社長をやってる、すでにアメリカでのアニメ関連商品の販売ではトップクラスにあるらしーインテレグ・インターナショナルって会社を買収して、卸業とネット通販のノウハウを一気に吸収しては全米規模に打って出ようってな話を聞く。

 社長さんたちの座ってる机に並んでる人形が「エヴァ」で、プロジェクターの上に座ってるのが「魎皇鬼ちゃん」だったりするところがアメリカで受けてる&受けそーな「ANIME」を扱ってるってな雰囲気を感じさせつつも、5年遅れてるんじゃないかってな印象を日本人的な感覚で持ったけど、聞くとインテレグが販売している「魎皇鬼ちゃん」が登場する、言わずとしてら「天地無用!」が夏あたりかたカートゥーン・チャンネルで放送になるとかで、お茶の間非日常な先達「うる星やつら」に並んでアメリカな「OTAKU」層に受けてるっぽい「天地」が、さらなる観客層を増やして「日本人のハイスクールスチューデントは美女に囲まれてヘイシット、うらやましいぜサノバビッチ」と言わせるこになるのかならないのかってな微妙な時期にあるよーで、買収したイタショーにも何となく先がありそーな気がして、グッドタイミングだたと感心する。

 インテレグの部門を売ってさて、91年からアメリカにどっぷりと入り込んで仕事をして来た井関さんがこれから手がける事業もちょっと面白かったんで紹介すると、日本人では「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に続いてくらいラテンな人に知名度があるんだと自負だか他薦だかもらえるくらいに有名人らしい井関さん、ちょっと前から「ソース・トリビュート」って会社を立ち上げてラテンのアーティストをフィギュアにしたり各種のグッズを作る仕事に乗り出していて、今後はそっちに専念しつつJCイタショーがラテン市場向けに日本のアニメグッズを売りたい時なんかはコンサルテーション、アドバイスなんかを与えつつパートナーとして事業展開をしていくらしー。日本に居所を持たずアメリカで活躍する2人の若き日本人実業家の連携タッグによるアメリカ征服が始まった、って言うと情熱大陸っぽいかも。

 しかしホントにヒスパニックを中心としたラテンに詳しそうな井関さんによれば、今作ってるオルガ・タニオンって女性シンガーの人形を作ったところが2000円くらいの商品なのに予約で10万個もはけてしまったとか。日本じゃほとんど知られていないアーティストでも北米のヒスパニックでの人気ぶりたるや凄いらしく、リッキー・マーティンにサンタナとラテンなブームの上澄みを3年遅れで輸入している日本のマーケットを先取りする井関さんの活動に、音楽映像そしてフィギュアな人たちもちょっち注目、けど歌聞いたことないからどんな歌でどんなパッションがあるのかは補償の限りじゃないけれど。しかしなかなかにラテンなノリの人形ですなあ。ピカピカでアツアツで。

 ままソニー・コンピュータエンタテインメントの発表会に。噂にあったよーに内容は「プレイステーション」を小型化して腕時計の中にワンチップでソフト10本も最初からセットで落とし込めるよーにした「プレステウォッチ」の発表で、ユーザーはビデオレシーバーよろしくパカリとたてたモニターを見ながらイヤホンで音を拾いつつ接続した「デュアルショック」でゲームを……片手じゃ操作できねーぞ。いやまったくの冗談にもならずすいません、本当は予想どおりに「プレステマン」で大きさは「ディスクマン」だけど暑さが現行プレステなみとゆー100巻入りの蚊取り線香のケースのよーなボディを襷に肩から下げて、ヘッドマウンテッドディスプレーでゲームをやる、なんてことも全然なくって、ちょっとだけ小さくなったPSを、その名も真っ当に「PSone」として7月7日から発売するんだとか。「ファイナルファンタジー9」専用のマシンって訳ですか。

psone  見れば瞭然、小さくなって薄くなった「PSone」は将来CD−ROMを入れる蓋の上に同じ丸型の台座にはまった8インチだかのカラー液晶を取り付けられるそーで、持って歩いていって電源に差し込めば、すぐさまそこでプレステのゲームが出来てしまう環境は、さすがに「ゲームボーイ」ほどじゃないけど簡便性利便性携帯性の向上へとつながって、今までの「ゲーム」をより親しみやすくするって効果がありそー。一方でだったら「プレイステーション2」は、ってことになってこっちはこっちでハードディスクドライブとイーサネットのインターフェースを持ったユニットを別に売り出して「PS2」のPCカードスロットを介して接続する予定とか。

 当面はアペンデッドディスクからのデータ移管とか、デジカメ画像の保管庫とかになるんだろーけど、将来のネット時代にガンガンと降ってきたり流れて来るコンテンツをため込んで、遊ぶ時のエネルギー源となることは必至。描ける絵はテレビの隣りでビットのコンテンツを差配するホームサーバーとしての「PS2」ってことになる。その上で1番よく使われるコンテンツは何? って考えた時に昔ながらの「ゲーム」の発展した、超スゴいCGがグリグリ回るゲームってゆーよりは、テレビ番組だったり映画ソフトだったりしそーな感じがあって、いわば「玩具」の延長にあって任天堂とセガが育てた「ゲーム」の市場は、むしろ「PSone」で命脈を保って行きそーな気がする。グリグリCGが駆使してあって超絶的な大作で、年に1本ソフトを買うよーなユーザーが蚊って遊ぶよーなメガヒット級のソフトだけが、「PS2」の上で遊ばれる「栄誉」を頂くってな構図、なるほど立派に棲み分けが出来ている。

kutasuzu  さて難しいのがソフト会社の選択で、無理目に「PS2」用のソフトを作るんだったら世界で8000万とかってな導入実績があってなおかつ今後も年間800万台も売って行くとゆー「PSone」あるいは先だって発表したライセンス供与の恩恵を受ける会社から出るコンパチ機的なマシーンに向けて、ソフトを作った方がノウハウもあるし市場もでかいのかなってなイメージがあるけれど、さてどーいった感触を発表を聞いて思ったんだろーか。売れないかもしれない、ハリウッドと戦わないといけないかもしれない「PS2」に向けて10億50億突っ込めるか、ってなあたりを分水嶺にソフト会社の二極分化はますます激しくなっていくのかなー。まずは実際の「PSone」と、楽しまれ可能性第1弾な「FF9」の売れ行きを見て、それから将来への影響なんかを考えよー。

 しかしこーゆー写真を見ると、あながち「PSone」が「FF9」専用機かもってな印象も高まるなー、我らがクッキィ久夛良木健SCEI社長の笑顔にこなた日本を代表するどころか映画ではハリウッドすら視野に入れよーとしているスクウェアの鈴木尚社長の笑う角には福来るの図。すでに来まくってる福がまだまだ集まって来たら2人ともきっとツブされちゃうよ、と思ったけれどいくら福が集まろうとも倉庫を山と作ってそこに放り込んでおくだけの、余裕のある人たちだから全然平気なんだろー。年々参加者が増加する「プレイステーション・アウォード」での1ショット、メールで誰の所に送りつけるのが「アイラブユー」よりも強いボムとなて怒髪天へと向かわせるのかな、羽田? 京都? それとも浜松?


【6月7日】 ダイエット中、なのでお昼はおにぎりにお茶にソーセージとゆー「スカ弁」(所属してたカブスカウト&ボーイスカウトで持って来て良い弁当の略称、ソーセージはサラミが人気だけど高いから滅多に持たせてくれないの)でごまかし、夜は酒かっくらいながらピスタチオをかじる生活を2週間くらい続けても一行に顎は見えず腹まわりの特に横の贅肉がぜんぜん落ちず、逆に栄養失調で目眩なのか肩こりなのかが体を蝕んで健康警報発令中。ときどきは晩御飯もちゃんと食べるけれど、豆腐主体にカツオのタタキを乗せてタレかけてがっついたり、せいぜいがマーボー豆腐ってんだからたかが知れている。そんなに痩せてどーすんのって問題はあって別に見合いの話もなければ況や「ジューン・ブライド」なんて厚かましくもあやかりたいイベントは控えてないんだけど、せめて去年買ったズボンくらいは履いていたいってのが金もない身の心境で、食費の節約もかねてのダイエットにボーナス支給までの残り10日弱を勤しむのであった。グウグウ。

 とか言いつつ夜の歌舞伎町散策が増えているのも事実で、ってべつにエッチな店とかエッチな店とかエッチな店とかエッチな店に……行きたいなあ、いやいや言ってる金も暇もなく、ひたすらコマ劇場前コンビニエンスストアのサンクス横のビルの地下2階にある「ロフトプラスワン」に通って人サマの講演なんぞを聞いては「ためになった」と思って帰る有意の日々、その実お坊さんの説教もしくは経文と同じで有り難い気にはなっても身になどならず、単なる自己満足に過ぎない時間を過ごすとゆー、ふりかえってみれば無為の日々だったりするかもしれないけれど、どうせ短い人生さ、その時良ければすべて良しと涅槃に死んだ沖雅也さんもナビもダーツも言ってないけど、ともかくも有り難い話をビールを飲み飲みチョリソー食べ食べ聞くのであった。パクパク。

 で今日はアニメのイベントにゴー。TBSとゆーCBCの系列局(名古屋史観)が真夜中のそれも「エクセルサーガ」なんてヘッポコ実験アニメがテレビ愛知の系列局のテレビ東京(平針史観)で放映された直後の早朝に近い時間に、何を考えてか放映していたその名も「ブルージェンダー」って意味だけとれば青春ポルノかフィービー・ケイツかってな番組にもとれる、けれども実はハードな未来SFアニメの放映もどーにか終わったんで、関係していた人が集まって最高に面白かったぜあのアニメ、視聴率もバンバンでDVDだって飛ぶよーに売れててウハウハだぜってな喜びに本当は打ちふるえたかったんだろーけれど、数字はともかく作品はマイナーなまま埋もれようとしている現状に、これはいかん何とかしてもう1度アピールする機会をと、スーパーバイザーとして関わっていた大畑晃一さんが立ち上がってイベントを開いたって訳、らしい。

 まずは登壇した元キングレコードで元ユーメックスで現在は東芝EMIにいる藤田さんてPDの人が大畑さんと内幕話をあれやこれや。割と性描写のあからさまなアニメだった理由を少年が成長していく過程での性徴、っていったらベタ過ぎるけどやっぱり避けては通れない性の問題をどうやって処理していくのかってところを、逃げず隠さずかといって無理にでもなく自然に取り入れたかったってな話をする。そんな性描写のセクシャルさと戦闘描写のバイオレンスさが今のアニメにしてはどギツかったのもTBSの真夜中とゆー、チェックほとんど無し状態なチャネルだったかららしく、だからこそ作画はボロボロだった回もあったけど内容ではそれなりに見るところもあった、にも関わらず実は途中からほとんど見なくなってしまって最終回がどーなったのかを知らずにいる自分がちょっともったいなく思えて来る。うーんやっぱりDVD買うかなあ。

 なぜかアドバイザーだか何かの肩書きでタイトルにクレジットされている高橋良輔さんが、それだけなのに登壇してのトークとなって話したのは「実はほとんど見たことない」ってコメント。だったら何をしてたんだろーてな話になって、どーやら大畑さんにロボットアニメの極意めいたことを語っていたらしく、そんな話から高橋さんと言えばな「装甲騎兵ボトムズ」の話へとなだれこんだ場面でいつ見ても感動のオープニングの上映へとつながり、当時は誰だか分からなかった主題歌を唄っているTESTUって人が、実は織田哲郎さん(いっつまーでもかわらぬあーいを、とか唄いつつおどるぽんぽこりーん、とか作ってる偉大なシンガー&ミュージシャン)だったことを披露、言われてみればなるほどあの、ノドにひっかけつつも格好よく軽やかに歌い上げる様は織田哲郎だと今更ながらに納得する、ってでもこれ、有名な話なのかなー。

 高橋さん曰くロボットのデザインは見た目の格好良さなんかじゃないってことらしく、事実ボトムズだって最初はケチャケチャに格好悪いと言われていたものが、実際に話の中で動き始めて格好良いと、同じ人から言われてほくそ笑んだとかしたそーで、曰く「まわりの影響を考えてデザインしてもらう」のが心情で、手の動きから指の向きまで実際にいたらどうやって使われるのか、どう動くのかを考え抜かれたデザインが、なるほど結果としての「機能美」に貫かれるのは当然って言えるだろー。関連で最近の「AIBO」とか「P3」の登場がロボットにどんな影響を与えるんだろーってな設問で、これまでは100%想像できたものが現実に動くロボットが出て来た以上はそこから次にどんな形になるのかを、やっぱり考えざるを得ないとか。これは実生活での利用を考慮する高橋さんならではのスタンスかもしれないけれど、とは言っても「P3」の動きをオヤジ臭いと言い切るあたりは現実の空想への追いつきぶりを決して過大評価している訳ではなく、自分の思う中できっとやりたいことをやりたいよーに、やっていってくれるんだろー。

 そんな高橋さんの現況はといえば案外とお寒い限りで、「ボトムズの続編は、自分の作品で1番金になる作品である以上、作りたいと言えば作れそうな気はしてるんだけど、今サンライズが儲かってて、どうしてもってことにはならないから」と言って待望のロボット系の話は未定、とはいえやりたい気持ちはあるよーなので大畑さんじゃないけど「サンライズにハガキ1万枚書け」と言っておこー。代わりって訳でもないけれど、高橋さんが現在取り組んでいるのがおそらくは集英社の「スーパーダッシュ文庫」あたりから出る作品らしく、確か監修だったと記憶しているけれど知人のシナリオライターなんかを使ってカメラマンが主人公になった話を書いて行くんだとか。ここでも曰く「アニメには5枚、良い絵があれば20分はもつ」そーで、そんな5枚の”決定的瞬間”をとらえて削り取るカメラマンの「絵」にかける情熱なんかを、自身の「絵」にかけてきた情熱なんかを折り込みながら、描いていくことになるんだろー。アニメ化もあきらめてはないよーだけど実現性はとなると疑問符、とは言え結構何でもありな今の業界、うまく良い蔓つかまえればトントトンと進んで行くのかも、ってーか行け、願望希望熱望切望。

 とは言え現実ともなると「ブルージェンダー」のセールスに限らず、あの「おじゃる丸」で「リリカSOS」で「十兵衛ちゃん」で「風まかせ月影蘭」の大地丙太郎監督も、自身のギャグセンスを封印して渾身の力で作った「今ここにいる僕」のセールスがもうひとつってな話を、何故か高橋良輔監督と並んで登壇しては喋ってくれて、アニメづくりが慈善事業なんかじゃ決してない以上はきっと、高橋監督の希望が適う日までは、それなりに紆余曲折がありそー。しかし「ブルージェンダーいまいちです」「いま僕いまいちです」といた具合に作った作品が決してセールス面で芳しくなかった場合でも監督の人はちゃんと次の仕事があるし制作会社だって仕事が回っている状況ってのは、アニメを見たい人間には嬉しいんだけど、どっかに歪みかしわ寄せが行ってないんだろーかと気にかかる。

 作品の内容への評価は別にして、慈善じゃないアニメが売れず儲からなかった事実が厳然とある以上、どっかで損した人がいるはず。それでも現状の回り続けている状況は、あるいは5年先のアニメ予算を先取りして食いつぶしているのかもしれず、今時点で名のある監督の仕事に影で5年先の前途有望なクリエーターの誕生が阻害されるってな可能性とちょっと考えてみたりする、が90年頃から「セーラームーン」が爆発してアニメ業界に似たものをたくさん送り出し、「りりかSOS」が生まれて大地さんが世に名を知らしめた訳で、95年には「新世紀エヴァンゲリオン」のヒットに勘違いしたスポンサーの遺産が今なお続いていたりする状況を鑑みると、先取りしても5年に1本は社会現象にまでなる作品が出ては、業界に慈雨を降らせるってなサイクルが存在して、誰も困ったりはしないんだろー。とか言いつつ2000年、その作品があった? それともこれから出て来るの?

 「ロフトプラスワン」に来る度に羨ましく思う関係者が集っては談笑に耽るいわば現代のサロンとも言えるVIPルームに座る有名著名な人をガラス越しに観察、氷川竜介さんがいて、横は朝日新聞の小原記者? よくは見えなかったけど、そーだとしたらやっぱり背負ってる代紋のデカさマブしさには3流メディアの下っ端記者は及ばない、でもいーですイベントはフロアで直接見るから良いんです、うくく。帰りの電車で「文学界」の7月号なんかを読んで、坪内祐三さんが紹介するかつて「週刊朝日」での書評コーナーで繰り広げられた、大江健三郎さんの小説に対する誤読を大江さん本人から指摘された書評子が、潔くその場で辞任を申し入れたってなエピソードでの、実は平野謙さんだったらしー書評子の覚悟ぶり、かつ書評という仕事への自負に打たれまくってノックアウト寸前。書いてる坪内さん自身の覚悟も披露されてて、ますますハートに矢が刺さる、宣伝オッケー褒めるの普通な人間には、高踏な仕事は向かんのかもなー。書評に限らず批評を行う上で結構身に迫る話なんでとりあえず機会があったら目を通してみて下さい、「アイアンジャイアントはソ連のロボット」なんて書いた映画評論家の人とかも。


【6月6日】 に雨ざあざあ降って……来ないなあ。それはさておき9日は怪我のせいもあって横になっての珍しい格好での落語にも興味はあけれど、先に「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」(作品社)の刊行を記念する講演「やっと見えてきたダーガーの王 国」に予約を入れてしまってて、ダーガー本人からヴィヴィアン・ガールズのイラストを画集に描いてはもらえないけどスライドなんかが見られたりするし、ちゃんと続いてるWebなマガジン向けのネタをトークショウ系で固めたいって気もあるんで、そっちに出没する可能性大、でもって途中で抜け出して夜の雄叫び系な宴会にゴー! ゴッゴー!! ブロロロバーン! ギューンギューン! ゼーット!(意味不明)。

 それにしても青山ブックセンター、中上健次さん絡みのイベントもあれば、早く見に行かなくっちゃな「人狼」公開中の沖浦啓之監督のサイン会とマメなイベントの連打は大きい書店とはいえさすが。有料だったりどこかと組んでの開催だったりと費用面でのサポートが場合によってはあるとは言え、店員さんに手間暇のかかるイベントでもって本の啓蒙に勤しむ姿は、本の売れない時代でもなおいっそ売れそうもない本のセールスに、きっと少なからず貢献しているだろー。新古書店の話題なんかで本屋さんの品揃えとか売る努力とかの問題なんかもあげつらわれてるケースがあるけれど、レアとはいえ頑張ってるケースもあるってことで、そんな傾向の波及なんかを期待したいけど、でもやっぱレアだよなあ、「ダーガー」だもんなあ。

 前に音楽系CD−ROMタイトルの会社で見かけた三野さんって人がいつの間にか別の会社で仕事をしてたのがさらにそこから出資した別の会社に役員として名前を連ねていたのを発見し、赤坂で開かれた設立発表会見へと足を向ける。テレボウズって名前を聞いてピン、と来た人はよほどのデジタル業界通、野球通。引っかかったのは多分「ボウズ」って部分で、ご明察のとおり野球のデータを集めてコンピューターで分析しては球団なんかに提供しているアソボウズが1枚かんでて、そこにスポーツ番組の制作や中継技術の開発・提供なかで有名な会社が半分を出資して、さらに元オラシオンな三野さんの会社とか、海外番組の版権取得なんかで著名な会社の4社が集まった、何でもデジタルネットワーク時代に相応しい、新しいスポーツ・コンテンツを提供してく会社なんだとか。

 たとえば野球。BSデジタル放送で可能になるデータ放送と中継をリンクさせて、過去の配球打者の傾向なんかのデータを分析した上で、ピッチャーが次に投げる球を視聴者が予想して、それをコンピューターを競い合う「次の1球」なんてゲームが可能になるんだとか。テレビだと多分リモコンかなんかで升目に仕切った打席の画像に向かってチェックを入れてくんでしょー、でもって次の瞬間に予想のあたりはずれが分かるとゆー、ダイナミックにしてスピード感のあるゲームを楽しめる。ビール呑みながら「次はそこだっ」と叫ぶよりは1歩進んだ野球中継を堪能できる、をを新しい。

 可能ならば仮に打たれてしまったら、瞬間にCGへと切り替えて、ピッチャーになりかわって別のコースに投げて果たしてどーなるのかをシミュレートして絵にして見せてくれたらなお楽しいかも。将棋の「名人戦」「竜王戦」の中継で次の1手を予想してコンピューターを競い合ったり、途中の局面から相手をコンピューターに持たせて指し継いでみたりとかってな遊びも無理じゃなくなるだろーけど、途中の長考が2時間だったり、終盤の寄せで10秒、20秒、25秒と声が入ってパチパチとやり出す場面になったりすると、予想の結果が出る前に飽きたり予想がついていけないくらいに忙しいから無理かな。

 あと実際にパドックからパームなんかを使ってデータをモバイルで入力して、過去の情報につけ加えた上でCGでレースの模様をシミュレートして、予想の精度を上げて見せようとする競馬中継なんてのも計画中とか。直近だと10日、11日のゴルフ「フィランスロピートーナメント」の決勝ラウンドをインターネット中継して、絵だけじゃなくってデータもばりばりと見せて今どこいらへんに球があるの、とか別のコースの誰がいったい何位なの、ってなデータもあわせて配信して、ゴルフ中継で誰もが感じる情報へのイライラ感をなくそうってな試みをやるみたいなんで、「テレボウズ」の実力が分かるかも。

 こーやってスポーツの現場から映像とデータがダイレクトにリアルタイムに入ってくるよーになると、ファンなり視聴者なり国民の代表面してスポーツの現場と感染者との間に介在して、知ったかぶりを並べてくそつまらない情動に流れた質問をぶつけた挙げ句に、スポーツの選手や監督や関係者から莫迦にされつつ、それでも平気でオヤジ感覚の記事を紙面に並べて足れりとするスポーツ新聞系のマスメディアなんかが必要とされる場面が、ますます減って行きそーな気もするけれど、多分会場に来ていたスポーツ新聞な人たちは、どんな思いで発表会を見てたんだろー。自分たちが記事を書くのに便利なデータベースが出来たなあ、とか。

 もちろん後日談めいた選手のコメントとか、普段の密着しての調査・報道なんかは必要な訳で、そういった部分にまで「テレボウズ」のスタッフは入り込めないし、下手したらスポーツ記者会なんかが「テレボウズは報道じゃないから入るな」なんて主催者とかに働きかけて、会場から排除する可能性だってないとは言い切れないけれど、スポーツ選手の日々の鍛錬とか、悔しかった気持ちとかってなヒューマンな部分を求める人に向けて情報を送り出す「ナンバー」みたいな雑誌メディアへのニーズはまたまだ高い訳で、そんなメディアと、速報性重視でかつ楽しめる「テレボウズ」みたいなメディアとの、いっそうの棲み分けが始まっていくのかも。どっちにしたって速報性でも解説性でも中途半端すぎる紙メディアはなおのこと苦しいだけなんだけど。

 カプコンの戦略説明会へ。ちょっと前まで汲々としていた会社が立ち直って遂には赤坂プリンスホテルで盛大な発表会を開くまでに至るとは、ヒット作あって会社潤うコンテンツ企業の経営の王道をここに見たって感じ、先にすでに立ち直って覇権の掌握に走りまくってるコナミの存在もあるけれど、追随するのかやっぱり必要だからかカプコンもいよいよ秋から自主流通に手を染める方針らしく、会場には販売店の人も招いて新作のアピールとかに余念なく勤しんでいた。関西からも大手さんとか来場してたし。もっとも「鬼武者」「ディノクライシス2」とはじめ大型人気タイトルの目白押しで繰り出す球に不足なく、販売店もつき合わざるを得ないってところだろーから、良い時にはすべてが巧く転ぶってことの現れなのかも。

 しかしプレイステーション2とドリームキャストとパソコン向けを出来る限り同時開発同時発売していこうってゆー、マルチプラットフォームでも究極すぎる施策を打ち出してしまうとは。コナミですらまだやってないことを出来るバックボーンにどんな技術力なり開発力があるのかは不明だけど、他のゲームも含めてネットワークへのシフトなりフォーカシングを行っているカプコンにとって、どんなプラットフォーム向けのゲームでも、同じタイトルならネットを介せば共通でっせ、ってなスタンスを見せて同時期ににあらゆる層に向けて一気に売り出せる体制を整えたいのかも。ここで問題はコアになるだろーPS2に現況ネットとの接続方法がない点だけど、タイトルが出てくる来年あたりまでには何とかなるんだろーから大丈夫か、DC版が売れない可能性はあるけれど。

 そのSCEIも近々新製品を発表とかで、アメリカの雑誌なんかに載ったミニPSなんかじゃなかろーかってのが会場に来ていた人のもっぱらの反応、でも今さらPSってか。形がマッチ箱大は無理でも小型のタッパくらいだったり、あるいはディスクマン並みに小さく薄くして「プレイステーションマン」なんて名前にして、外だとソニー開発の眼鏡型ディスプレーを付けて遊べるよーにしてるってんなら面白いんだけどこれも無理か。案外とネット対応への発表だったりするかもしれど、だとしたらカプコンの狙い目もズバリと当たって来る訳で、珍しくスーツ姿だった岡本吉起常務の神妙で鯱張ったプレゼンテーションでの意気込みも、キャラクターにははまってる大言壮語には終わらずに、有言実行3姉妹なせばなーるなにごともってな事態へとおさまることになりそー。コナミのばく進カプコンの追い上げスクウェアのFFエニックスのDQに比べてナムコ、ちょっと目立ってないぞぉ。


【6月5日】 真面目だったりリリカルだったりする文章のオン・パレードに、この悪逆非道なページと実は同じ人間がやっているんだってことを知らない人もいたらしい読書感想文のページがここんとこ妙に突発的大更新中なのは、何も読んでいる本が多いからじゃなくって、ほかにやるべきことがあって、かつ重いプレッシャーを感じてそこから逃げ出したい気持ちにかられた挙げ句の逃避行動であって、その分肝心の仕事の方は1行どころか1字も進まなかったりしていた訳だけど、遂にな督促も舞い込んで来たよーで、仕方なくワープロを立ち上げベキベキとキーボードを叩くこと3時間、何とか原稿用紙で15枚くらいにはなろーかとうー、分量だけで中身スカスカな文章をでっち上げてメールして、やれ安心を気も抜く間もなく次の締め切りが迫って来ていたりする訳で、そのプレッシャーから逃げるべく相変わらずの読書感想文連日更新となるのであった、って威張って言うこっちゃないな、すいません。

 明け方までサッカーの「ハッサン国王杯 日本vsフランス」を見ていたせーで眠くって仕方がないんで会社でキーボードを叩くふりして眠る、ぐうぐう。あのワールドカップ・チャンピオンのそれもベストどころかプラスアルファなメンバーを本気にさせてかつ引き分けに持ち込んだ試合を見て、ちょっと前までクビにするのしないのと騒いでいた日本サッカー協会の偉い人たちは、逆に自分たちのクビがあぶないんじゃないかって、それこそ眠くなるなんて暇もなかっただろーけど。とはいえチョロっとミスったボールをかっさらわれてのフランスの2点目と、外からピンポイントでロングを蹴り込んだところをボレーの日本の2点目から、ミスを逃さず得点に結びつけるフランスの凄みに比べて、瞬間の技はあってもパスで崩してフィニッシュへと持っていくテクニックなり攻め手にいま1つ日本が欠けているよーな気がしないでもなく、果たして本当に強くなったのかどーかを、ワールドカップ予選で敗退したジャマイカ相手の試合でじっくり見てみる必要がありそー、っても今度は深夜どころか早朝だからなー、会社にゃ悪いが眠らせて頂きます。

 神田の本屋に行くと「インターネットの女王」らしー田口ランディさんのエッセイ集評論集に小説なんかが平積みになっていて羨ましい限り、とは言え長くはやっていても、書いてる内容が屋久島でもひきこもりでも政治でもなくオタクにサブカルでは一般受けはしないのも仕方がない。こーなれば名前をちょい変え内容もガラリと変えて今日は政治明日は経済あさては社会に算数国語理科道徳と、真面目に立派な内容のエセーでも書き散らしてみよーかしら、そうね名前は谷口パンティなんてどう? なめんなよ。上遠野浩平さんの講談社ノベルズはまだみかけなかったけど、「本の雑誌」での北上次郎さんの紹介が効いたか三浦しをんのさんの就職戦線とてもヘン小説「格闘する者に○」(草思社、1400円)があちらの平台こちらのラックと山積みになっていて、目立つ表紙にピンクの帯でなかなかなオーラを発してた。とは言え未だに初版なのはブンゲーに厳しいこの状況で致し方のないところ、ともかくも就職シーズンたけなわなうちに、本意ではなくても絡めたアピールでもっと目立っはいかがでしょう。

 何だか知らないけれど大声でがなる演説を取り囲む大勢の人垣を船橋駅に見て、選挙も始まったなあ、自民党は相変わらず強いなあと思って近寄っていたら正反対、あの日本共産党の演説に船橋駅の南口を埋め尽くして通行人が聞き入っていて、志位書記局長とゆーエラいさんの演説だってことは割り引いても、共産党への奇妙な関心の高まりにあるいは今度の選挙、波瀾があるかもってな予感が浮かぶ。別段日本が急速に左傾化している訳じゃなく、去年から今年にかけての政府・与党がやって来たこと今の首相が滑らす口へのちょっちマズいかもってな気分が、雰囲気としての「ヤバさ」を国民の意識に浮かび上がらせていて、真面目で実直に見えてちょっちイイかもってな日本共産党へと、関心の先を向けているだけなのかもしれないけれど、気分が左右するのが選挙ってもの、うまく空気をつかんで流れを引き寄せれば共産党、一気に議席を増やして来るかもしれない。さてもどーなるか、投票日が楽しみだぁ。


【6月4日】 大当たりしてキムタクの乗ってるバイクから常盤貴子が使っていた車椅子までが人気となってしまったドラマ「ビューティフルライフ」で、音楽を担当した人が有名にならないはずもなく、3日に開催された溝口肇さんのコンサートはキャパが中ホールだったてこともあってか数日前に「チケットぴあ」の窓口に寄ったら前売りは完売、こんなことなら3月の発売時に買っておけばよかったと悔やむこと仕切り、きっと数年は即完売な状態が続くだろーから気合いを入れない限り生を見られる機会はしばらくないかも。菅野よう子さんの競演目当てで行ったアニメ音楽な人もいたのかな。もっともこれまでだって、3枚目の「パーティーダンス」が出た後の名古屋「ハートランド」でのライブに行ったのと、96年だかの銀座のギャラリーで写真展が開かれた折のミニコンサートで見た2回だけなんで、ステージワークの躍動感も悪くはないけどレコーディングの結果生まれる豊潤な音の重なりを、長くじっくりと楽しんで行こー。そうだ音楽担当している「人狼」見に行かなきゃ。

 って訳で発売になった初のベストアルバム「Espace」を買って聞く。劇伴以外のアルバムはたいてい持っているし劇伴もテレビで少しは耳にしたことがあって、冒頭の表題曲からCMでお馴染みな「世界の車窓から」、アフリカンな叫びが耳に心地よい「国境の朝」に劇伴「天国のKiss」と続いく流れを懐かしさ&素晴らしさを堪能していたら、いきなり流れ出して来た、沈んで重々しい、けれどもどこかで聞いた曲があって、これ何のアルバムに入ってたんだっけとタイトル「鳥の歌」を見てライナーをめくって納得、カザルスの「鳥の歌」でした。ステージではやったのかな、1人で弾くこれと大昔に「ピース・ライト」のCMでテレビに顔出しまでして弾いていた「P・e・a・c・e」の生はちょっと見たかったかも。

 思い返せばFMラジオに一週間、帯で登場して新譜を紹介した番組で耳にした「ハーフインチ・デザート」収録の「キリンと月」がミゾグチとの初接触だった訳で、今回のアルバムにはそれが新録で収録されていてこれまた懐かしさがわき上がる。80年代の終わりだったか90年代の頭くらいに、村松健さんとか日向敏文さんっていった人がニューエイジ・ミュージックと呼ばれるカテゴリーの中でめっちゃ有名になっていった中で、1人出遅れた感じが傍目にはあってレコード売場の扱いも良くなかった溝口さんに、スポットが当たるかなーと期待したテレビCMの出演だったけど、その後も決して表舞台には出て来ず、それでも地道にレコード会社もソニーからキティーから自主制作もあってビクター移籍へと至る10余年。コンサートが大人気となったことを喜びこそすれコンサートに入れないことを嘆いてはいけないのだ。でもやっぱり見たかったなあ。

 唐沢俊一さんの裏モノ日記に鶴岡法斎さんの「ロフトプラスワン」でのイベントのリポートへの所感が割と速攻で載っている。「壇上で鶴岡が伊藤剛系の悪口を言ったことをボカして書いている」のは、断片でもそれとなく当人たちに伝わるだろーからと端折ったからだけど、補足すればギブソン話ってのは伊藤剛さんがギブソンって何かを知らなかったらしーエピソードの紹介で、悪口を言い合っている状況については別段に子供っぽいとは思っていない。「クロスしなくても良いから並列される形で参照できるよーな環境が出て来たら個人的には嬉しい」と書いたのは、対立している2つの勢力ががイベントなんかをやっても、来るのはそれぞれシンパシーを感じている人ばかりで、そこでの情報が内輪にしか流通せず、傍目には論戦すら起こっていることも認識されないんじゃないかってな認識からの言葉だったけど、言ってる自分が互いの悪口を流通させないってのはなるほど言行不一致、ここに書いて糠味噌の熟成を促しましょう。

 って訳では全然ないけど唐沢俊一さんが雑誌「創」に連載していた「酔狂読書目録」なんかを中心に、ちょっとヘンな本について話したコラムをまとめた本の第2弾「カラワサ堂変書目録」(ソルボンヌK子画、学陽書房、1600円)を購入、冒頭にある「印税がまた古本になるリサイクル」の川柳が本好き人間のカルマを言い表しているよーで頬が緩む。よくもまーこんな本がといったヘンな本のオンパレードなのは前作「カラサワ堂怪書目録」(学陽書房、1600円)と共通だけど、「変書」の方はパラパラとめくっていて、意外や1980年代とか90年代、中には99年なんて去年出た本の中にも本屋毎日通い歴20数年な人間が目にした記憶のない本があることで、例えばパンドラとゆー出版社から99年に出た「処女懐胎の秘密」(マリアンネ・ヴェックス、伊藤明子訳)なんて気がつきもしなかった、今でも店頭に並んでるのかなー。

 二見書房から90年に出た「怪奇 人面の呪い」(松田直樹)は、たぶん「人面犬」に「人面魚」なんかが話題になってた時期に乗っての刊行だろーけど、たった10年前の本なのに記憶の隅をつついても出て来ない。トンデモ本な人には有名すぎるかもしれないけれど、三交社から90年に刊行された「私は宇宙人にさらわれた!」(ジョン・リマー、秋山眞人訳)だって本屋に並んでいるのを見かけた記憶がない。原書房から98年刊行の「ヴィクトア珍事件簿」(レナード・ダヴリース、仁賀克雄訳)はさすがに見た記憶があるけれど、これも立派な「変書」だっとは気づかなかった。10年後になったらきっと忘れていただろー。

 まー20余年本屋に通い続けていると行っても、当時も今も当方の本への関心が小説(SF、ファンタジー、ミステリー)のそれも狭い範囲に限定されているから、よほどそーいった方面を意識していないと見つけられないし、瞬間目にしてもすぐに忘れてしまうもの。大量出版大量絶版の波間に沈んでしまう、ヘンだけれど時代を写してたり出版業界の約束が垣間見えたりといった本への探求を、珍しい本古い本も持ってます的な自慢に留まる訳じゃなく、単純に笑い飛ばすだけでもなしに、「われわれが生活している社会の、もっと大きく言えば文明の、断面がそっくりそのまま詰まっている」(まえがき)との認識を持って続けている仕事ぶりは、とてもじゃないけど5部屋の4部屋が手狭になるくらい本に場所とお金をかけられない身にとって、状況への目配りの方法なんかが分かって有り難い。とはいえやっぱり4部屋に詰まった本ってのは羨まし、この本の印税でもって更なる古本の山を作らせて、部屋をどんどん狭くしてやることで溜飲を下げよう、ってもこっちは1冊でもすでにキツい身だったりするから痛み訳にすらならずに敗北は必須、やっぱ部屋何とかしよー。

 その唐沢さんがプロデューする今月の「ロフトプラスワン」のイベントは13日の「いまあえてロリコンを語れ!」で出演は立川談之助さん。つながりでは7月6日に岡田斗司夫さんプロデュースの「日本のセバスチャン」があってこれは「TVブロス」連載コラムのライブ版とも言えるイベントで、フランスオタクのセバスチャンを題材にオタクにとっての自虐とも自賛ともとれる身にはイタいけど笑える話が聞けそー。6月7日の高橋良輔さんも出演してのアニメ「ブルージェンダー」に関連するイベントとか、7月3日と7月13日に立て続けな感じでもって宮台真司さんが登場しての少年による殺人の増加について語るイベントも興味深い。向こう1カ月に結構な数のおもしろそうな内容が目白押しで、周囲の呼び込みなんかに目もくれず夜の歌舞伎町を抜けてたどり着いた「ロフトプラスワン」でチョリソーかじりながらコロナビールをあおる日々が続きそー、金もたんがな。


【6月3日】 完璧に微笑ませることができるCGアイドルの案外とロボット的な味気なさに違和感を感じていた折もおり、「ゲーム批評」の7月号で表紙を飾ったテライユキでは全然なくって永瀬麗子でもないけどそれとなく永瀬っぽい雰囲気のCGで描かれた女性の大欠伸(あくび)をする表情にドキドキしてしまったのは、人間のアイドルだったら可能な、作り笑顔の合間にときどき見せる本音や地の部分があってはじめて親近感を抱ける親近感と同じよーな感情を、完璧ではないCGアイドルの表情に見られたから、なんだろーか。「トイ・ストーリー2」で活躍するバービー人形がエンディングのお遊びで笑顔を解除して溜息をつきつつ顔をダレさせる場面に抱いた面白さ、にも共通するなかなかに画期的革新的な試みです。ちなみに描いているのは永瀬麗子その人をデザインした元ナムコな由水桂さん。「批評」の表紙は名前のあるかないかは知らない初見のコだけど、CGには珍しい喜怒哀楽アイドルとして次はくしゃみの始まる直前とか、個室のトイレのドアを明けられた瞬間の惚けた顔とかってのでご登場願えばうれしかも。

 久夛良木社長も同情を寄せていたほどに、よくもあの人数で作れるもんだとゆー充実の7月号は、スーツのパンツの裾がパンタロンじゃないのに広がって、ジーンズじゃないのにシャギー入ってる様に迫力を感じた小野編集長の真面目さもあってか、「プレイステーション2」のソフトを既発売のものについてすべてレビューし、ご本尊のソニー・コンピュータエンタテインメントへの取材も慣行する、マイナーだけどアングラじゃない作りになっていて、裏話大好き業界通希望な人のニーズはあんまり満たしてはくれないけれどゲーム誌に比べて圧倒的な量感のあるレビューなんかはどうせほとんど売れてないPS2対応ソフトの中から玉を拾って石を捨てる上での1つの指針になるし、あわせてカウンターとして展開している「ドリームキャスト」の売れてなくても良いゲームを掘り出す役に立っている。役立たずはチョコレートに胸焼けしている快男児の話くらい? それにしてもこんな場所で顔を見らるとは福井健太さん、ゲーム作ってたんすかぁ。

 ゲーム業界以外限定ってことで解禁したのに1回しか入らなかった裏表紙にホロンの「Linux2000G」の広告が入って喜ばしい限り、2度ばかり取材に行った会社でその後音信不通(いや単に忘れてただけ)だった会社も設立から幾星霜、しっかりと頑張ってるってことが分かって嬉しいです、このまま「噂の眞相」裏表紙を永久獲得なビレッジセンターに負けないくらいの支援を「批評」にお願いしたい、だってこっちのフトコロにも影響してくるんだから。「サイゾー」でも中にドカンと広告を入れてプレゼント用の製品も提供しているホロンは、「SFマガジン」に聖咲紀さんに続いて破裏拳竜さんを登場させる予定なんかあるかもしれない恵比寿のアミューズメント・メディア総合学院と並んで、文化を支えるマイナー雑誌のカミサマです。

 人間の精神をより高見へ、より強靭なものへと押し上げるためには、人が月を拠り所として抱いている神への依存の念を破壊して、ひとりで歩いていく必要があるのだろーか。ってことを平谷美樹さんとゆー歳は結構行っていながらこれがデビュー作とゆー「エンデュミオン エンデュミオン」(ハルキノベルズ、1390円)を読みながら考える。ギリシア神話に出てくる月の女神から愛された牧童の名前をタイトルにして、表神もギリシアの神殿をバックに青年を抱える蒼い眼をした美少女のイラストってあたりにファンタジーかと思ったら、帯にもあった「滅びと再生の神話が奏でる本格SF」とゆー文字どおりに、30年ばかり未来の月開発が進んだ時代を舞台にした、発達する人間の精神が次に向かう場所を示した思弁的かつ科学的な物語に仕上がっていて、読み終えた後に大いなる開眼を得られる人もいるだろー。

 地球上の人間が発する精神の力が地球規模、宇宙規模で激震を巻き起こすってな展開は前に水樹和佳さん(当時)の「樹魔・伝説」(集英社、1000円)でも触れられていた記憶があって、重力の檻にとらえられた人間が閉塞感から抱く宇宙(そら)への想いの強さは20年が経過してますます増大しているんだろーかと思えて来た。神話を突き破る象徴となる「エンデュミオン」やその暗殺者の決定プロセスに科学的な説明はつけにくいけど、理性と本能の折り合いを付けために神話を作り出した人間の想念、あるいは前へと進むためには神を殺さなくてはならないと心の奥底で理解するに至った人間の想念の濃い場所、吹き溜まった場所に発生する人間の形をした精神の容れ物なんだと理解して納得しよう。非科学的と謗られようと人間の精神が生み出す力の作用はやっぱりあなどれない。

 分からないのは神を殺したよーに見えても、人間は決して果たして超越的な存在への信心を捨てられるのかって点。例えば物語のエンディングに示される輪廻の話なんかは、破壊されたはずの神話的なものへの依存心が未だ滅びず残っていることを現しているよーにも思えてしまう。なるほど人間が生命である以上、決して逃れ慣れない「死」とゆー運命への恐怖心を克服するためには、何からの「救い」を用意しておく必要があるのかもしれず、結局人間は「神話」を殺し切れなかったっってことになる。あるいは輪廻の思想が超越的な存在への単なる依存心ではなく、人間が自分自身を確立して何者にも頼ることなく生を真っ当していくための知恵なのだとしたら、それはそれで「神話」を殺して「人間」の存在を屹立させよーとした試みなんだとも取れる。

 死の恐怖を乗り越える上の、西洋的な天国極楽への往生とゆー思想ではなく東洋的な輪廻転生の思想の方が、人間に主導権を置いた進んだ考え方なんだとゆー提示なのかとも思えるけれどさてはて、飛ばし読みした本文を2度3度と読み返しつつ、作者のねらった意図なんかを探ってみたい。とにかくテーマの深淵さに考える所が多い本。師として仰いだ光瀬龍へのオマージュであり鎮魂歌ともとれる内容ながら、新たな作家の誕生をもたらす輪廻転生とゆーにはまだまだ力量を判断しきれない部分もあって判断は保留、それでも唯一絶対な存在として昇天してしまうより、受け継がれ成長していってくれた方がファンとしてはありがたい。その意味で東洋への贔屓ではなく純粋に輪廻転生の可能性の方をより信じたい。


【6月2日】 あれからどれくらい経ったのでしょうかってな感じで山口雅也さんの「垂里冴子のお見合いと推理」(集英社、1500円)の続編「続・垂里冴子のお見合と推理」(講談社、1700円)が出てたんで買う、買って考えてあれあれと思ったのは前のが確か集英社から刊行されて続編に収録の短編も集英社の「小説すばる」に掲載されてたはずなのに、何で単行本が講談社から出なきゃならないんだろーかってこと。文庫化する時に単行本から版元が移るってケースは結構あるし、短編集だと別の会社の刊行物から引っ張って来るってケースも多いけれど、続編をまるごそれも全てが別の会社の雑誌に掲載だった作品ってケースはそれほどない、よーな気がする。

 ノベルズが講談社から出たんでその流れで単行本の続編もってことになってるんだとしても、だったら講談社ノベルズ版を買った人向けに続編はノベルズで出してくれれば本棚に綺麗だったかも。けど前の単行本を買った人は版元が変わってもやっぱりハードカバーで並べたいって気持ちもあるんだろーから難しいところ。しかしやっぱりちょっと不思議な現象、何かが起こっているのだろーか、集英社の担当者がお見合で痛い目を見すぎたために編集にあたって心が痛んで出来なかったとか、冴子と同じ34−5歳あたりで未だ良縁のない身故にリアルな中身への忌避が働いたとか、ってな感じで他人の絶望ぶりを笑ってられる立場じゃ決してないんだけれど、そんな理由が思い浮かぶくらいに移籍が唐突なのが気にかかる、どーゆー展開があたんだろー。

 お話の方は前作で立てたキャラクターがどうでもやっぱりお見合に巻き込まれて殺人に巻き込まれる一種ルーティンとも定型とも言えるエピソードが大半で、読んで安心だけれど驚きがない。まだ全話を読み切ってはないけれど、あるいはちょっとだけ冴子がお見合とゆーか恋愛・結婚にポジティブな部分を見せたのに裏切られる的ドンデンでもあれば抑揚を楽しめるかもしれないけれど、一方では「具体的、的確、なによりも力強い所作を提供してくれるのが”型”なのだ」(富野由悠紀「ターンAの癒し」174ページ)だったりするそーだし、トラベルミステリーご当地ミステリーなんとかかんとか殺人事件のだって定型こそがベストセラーを教えてくれてるんだから、こっちがとやかく言うことじゃないのかも。7月にドラマ化だそーで主演を誰がやるのか興味津々、壇ふみ阿川佐和子だたら洒落にならないけどどっちも34歳じゃきかくなってるから起用はないからそれは安心、けど20代のアイドル系じゃ現役のミアイースト(お見合者)に失礼だからなー。どんなドラマになるんだろ。

 昨日の「ロフトプラスワン」での鶴岡法斎さんのイベントで見聞したことの思い出し書き。一峰大士さんの描いた「ウルトラマン」に登場する怪獣で「ガシャポン」を作るって案で、「ヤマトン」なんて戦艦大和の下にフジ壺のごとくへばりついた生物が大きくなって背中に戦艦を背負ってるっぽくなってしまった怪獣のデザイン的な異色さを、リアルに写したガシャポンを一峰さん描く眼鏡をかけてるみたいな丸目のウルトラマンともどもフィギュアにしたら面白いってな話をしてててこれが面白そうだったんで、是非ともご検討をお願いしますバンダイさま、って言ってどーにかなるもんでもないからここで出番はやっぱり「Tanomi.com」(たのみこむ)。「ちぎりこんにゃくちゃん」グッズとか「清水香里の香り」なんかも悪くはないけどガシャ系とかっての依頼だったら山とありそーでかつリーズナブルに実現出来そうな気がしない?

 忘れ物を取りに行った訳でも日にちを間違えていた訳でもなく連日の「ロフトプラスワン」は米光一成・平和島ミチロウによる「ファミコン1000本ノック2」を見物、6時半の開場時間でそこそこの人数だったのがあれよあれよと増えていつしか入り口付近にまで椅子が並ぶ満席状態に。世の中にかくも「ファミコン」ソフトを愛する人の大量に存在することにまず驚く。自分の世代だと「ファミコン」に浸ったって記憶があまりなく、かといって10代だと「ファミコン」よりは「スーファミ」から「メガドラ」「サターン」「プレステ」に行ってしまうだろう狭間で、1000本を超えるタイトルが登場した「ファミコン」のおそらくは全盛だった5年から7年って期間にピッタリ「子供」だった人が、ここにこうして集まっているんだろー。

 だったらちょい下の世代を相手に「スーファミ1000本ノック」「メガドラ1000本ノック」「プレステ1000本ノック」が成立するかってゆーと、雰囲気としてあんまり面白くなさそー。例えば「ファミコン」のファンの場合だと、それこそ月に何本もソフトを買ったり友人たちと遊び合ったりしたことで、出るソフト出るソフトを結構な割合でプレイできたと思われるのに対して、次世代のゲームになるとソフトの種類も増えてやり切れななかったり1本かぶりになって誰もが知っているって範囲が狭くなって、共通体験の思い出を喚起させにくいよーな気がする。まあこれも共通体験を語り合えるくらいに熱のあった「ファミコン」の時代に居られなかった我が身の不幸を嘆く愚痴なんで、10年後に「DC1000本ノック」なるイベントが開かれて賑わうなんてことがあるかないかってことへの予想なんかをしながら、様子をちょっとながめて行こー。

 どんなゲームが出たのかは何しろてんで疎いんで貴重さ有り難さも分からず猫に小判状態だったけど、時折上がる歓声なんかを聞くと相当に凄いゲームも見られたらしー。個人的には「なんとかグローリー」って今買うと数万円もするらしーソフトの女性キャラのドット絵なのに可愛く綺麗に描かれているテクとか、サミーの出した「ガンデック」(だったっけ)とかゆーゲームのミリタリー的バイオテクノロジー的サスペンス的ホラー的要素を入れつつ人間存在の意味について問いつつ、ドライビングにシューティングに格闘にアクションといった要素を楽しめる充実ぶりが気に入る。オセロみたく丸い顔をしたキャラが盤面に石を置いて開いてをひっくり返していく洋ゲーのキャラクターのバラエティー豊かな動きっぷり(飛んで進んだりムーンウォークで下がったり)とかにもちょい感動、でも何より「ミンキーモモ」の似てるっぷりとか「なかよし」を題材にしたゲームに登場する「セーラームーン」他セーラー戦士たちのそれなりっぷりに、ドット絵師の「良い仕事」を見てしまいました、やっぱ根っからのキャラゲーマー、なんだなあ。最近買ったソフト、「星界の紋章」と「聖戦士ダンバイン」だもんなあ。


【6月1日】 どうーなってるのか知らないけれど督促ないんでしばしうっちゃり。それはさておき会社に行くとソニー・コンピュータエンタテインメントが半導体の工場をまたまたドカンとぶっ建てるとかで会見をやるって案内があって、行くと九州にボコボコと工場を作ったりラインを増設して一部には売れてないんじゃないの出荷調整してるなじゃいの的揶揄もあった「プレイステーション2」は24日の時点で200万台の出荷があって(本人もその日に言ってた)、在庫はトラックに乗ってる分だけってくらいに売れまくってる(?)そーで、工場を建ててガンガンと増産するのはむしろ必要不可欠なことだとか。

 どうでも前のが9カ月でやっと200万台だったのが今度は2カ月で200万台なんだから、売れてないって言う方がちょっと無理かも。かたや「ドリームキャスト」は国内だけならようやく100万台前後ってあたりだけど世界レベルで1年半で500万台だからこれもまずまず、なのに何で「ゲームが売れてない」なんて言えるんだろ。もっとも実感としての「ゲームが売れまくってウハウハ」感ってのはショップの店頭とかゲームメーカーの人の顔を見てもあんまりなくって、話題の両輪のソフトの方の何とゆーか積極的前向きな話題の乏しさが全体にどんよりとした雰囲気を醸し出しているのかも。

 1家に1台でソフトが売れても1家に月1本でソフトが買われてないってゆーか、1家に1台に1本でとりあえずオッケー的な状況になっているのかもしれない。ネットが出てゲームもそこで遊べてネットも出来てってなDCが作り出した状況がより常態化してしまうと、そんな表で「売上ランキング」といった数字や「購入希望者が長蛇の列」といった社会ネタとして話題になるよーな事態は起こらず、裏でしっかりちゃっかりと売れる物は売れている構図が出来上がっていくんだろー。ネットならではの軽く薄く短く少なくっても楽しいゲームが賑わったり、ゲームっぽいけど実は映画だったりするよーなコンテンツが増えてなおいっそうの原ゲーム的な物がコア化タコツボ化した果てにはもはや、現状のあまりにゲーム機的なハードすら消えて行ってしまうのかもしれない。

 ってなことを想像させるよーに、半導体投資の発表と同時にSCEIの我らがクッキィ久夛良木健社長は「エモーション・エンジン」とか「グラフィク・シンセサイザー」とかのチップセットを外販する考えと、「プレステーション」ってゲーム機の規格ってゆーか仕様を広く別のメーカーなんかにもライセンスしていくってな考えを表明して、これまでクローズが原則だったゲーム・コンソールの世界にちょっとばかりの新風を巻き起こす。ってゆーかこれも実は去年の社長就任時のインタビューん時から「最終的には規格会社になる、仕様を決めるだけ、コンテンツはうちで作らなくっても良い」ってなことをクッキィ本人が言っていたし、その流れでソフト部隊をSCEJって形で分離して中野坂上に流したから、SCEI本体の規格会社化ってのは既定路線だったと言えそー。

 もはや赤字でコンソールを作ってソフトのライセンス料で稼ぐなんてんじゃなく、ハードそのものをソフト化してそのライセンスで稼ぐって時代になってて、だからこそ超強力なパワーを持ったCPUを開発し、「ファームウェア」という発想を導入したんだろー。岡本伸一開発部長が言っていたよーに、5年先10年先を見通した物作りをする人って事実にはなるほど間違いはなさそー。

 CPUの外販ってのは、ネットワーク家電とかデジタル家電とかってのがどんどんと広がっていた時にせっかくの「エモーション・エンジン」「グラフィック・シンセサイザー」といった技術が使い回せるってなニーズがあってのものだけど、これも半導体の集積化が進んでより小さい面積にぎゅうぎゅうと詰め込めるよーになったら当然生産量も増えて多少の余裕が出てくるからやれるよーになったってことがあるみたい。もとより「ホームサーバー」を指向しての製品だった訳で、無理に「PS2」本体をサーバーなんかに使うよりも、よりベターな形になおして組んでやれば用途も広がるってことなのかも。本気で「PS2」のチップが組み込まれたテレビとかセットトップボックスとかデジタルかAV機器とかがソニーに限らずあちらこちらから出て来そー。

 ソニーとゆー会社に縛られた、言ってしまえばエレクトロニクス事業本部長的なポジションでしかないソニー新社長の安藤さんより、広く事業を展開して「プレステーション」なるブランドの付加価値をどんどんと上げ続けられる久夛良木さんの方が、やっていることのデカさ予想される結果のスゴさは上なのかも。それでも旧態依然とした価値観でしか行動報道できない新聞とかってな大メディアは、大ソニーの社長だからと言って安藤新社長を持ち上げインタビューとかで久夛良木さんより上に考えるんだろーなー。そうこうしているうちにネットを使った情報のダイレクトなディストリビューションのチャネルがSCEIのPS2のパワーでもって構築されてしまうんだ。哀れなり大メディア、気づくなら今だぞ(気づいて変われるとも思えないけど)。

 別にサブカルな人脈に好き嫌いはあっても派閥があってそのいずれかに所属しているとゆー気はないし、そもそもが派閥なんぞを意識できるくらいの仕事もしてなければ知名度もないんで、興味があればどこへだって行って潜り込んで意見を聞いて勉強して頷いてしまう知識の海綿体野郎。同じテーブルに座るとかってな意識なんぞももとよりなく、純粋に「安永航一郎好きにヘンな奴はいても悪い奴はいない」とゆー思いこみで、「マンガロン」(イースト・プレス、1300円)を刊行して気合いの入る評論家の鶴岡法斎さんが登場した「ロフト・プラスワン」のイベントをのぞく。坊主に刈った頭と名前の古めかしさから怖くて暗くてとっつきにくい人かと思ったら、喋り始めるとそれはもう湯水のように言葉を使ってしゃべくり倒すタイプらしく、師匠の唐沢俊一さんを小ネタにしたりとギャグも間に挟みつつ、時に熱血に思った事を真っ直ぐに話して時間がどんどんと過ぎる。

 もっぱら自分の漫画暦について話した前半は、1953年前後に生まれた相対的には若い両親を持つ今年27歳の人間とゆー、親が漫画読んでテレビも見て育った世代の2世とゆーこれからどんどん増えて行きそーな文化環境を背後に持つ人間ならではの、漫画を敵とも悪とも言われずに育った豊かさなんかが語られて、羨ましいと思う一方でこれからこーゆー世代がどんどんと増えていく中で、さてはて文化の様相はどー変化していくんだろーかと考える。ゲームメーカーの社長は世界に冠たる企業なんかよりも下に見られるメディア内序列も例えば、ゲームで遊んで漫画に溺れてアニメにはまった世代が40代50代のデスククラスになった暁には、やっぱり変化するのかも、1面の記事がいきなり漫画になってるとか、ニュースが再現アニメになっているとか(ねーよ)。

 アニメ雑誌は「テレビ東京雑誌」と名前を変えるべきって言葉は、フジテレビとかテレビ朝日とかでゴールデンに堂々と放映されて数字も良いアニメが何故か雑誌だとほとんと取りあげられない状況への異論で、最近だとむしろ「WOWOW雑誌」とすらな名前を変えて頂きたい気持ちを衛星放送を見られない環境にある身として感じていて、なるほどと納得出来るところを感じつつ、いわゆるメジャー系の雑誌の人気作品を真正面から取りあげず、レアでマニアックな方向を掘る傾向のある漫画評論への異論へとつなげていく鶴岡さんのスタンスを垣間見る。「キン肉マン」に「シェイプアップ乱」に「ちょっとヨロシク」に「県立地球防衛軍」を真正面から取りあげる評論ってそーいやーあんまりなかったからなー。

 後半に入ってから始まった、一峰大二さん描く「ウルトラマン」を取りあげて、本編には登場しなかったオリジナルな怪獣「ヤマトン」の造形の不思議さとか、口からじゃなく地面から出ているよーにしか見えない怪獣の鳴き声の擬音の描き方とか説明的なセリフの多さを紹介するスタンスは、決して嫌いじゃないけれど、集まった人たちといっしょになって「笑って」いる様を見ると、紹介している本人には大変なリスペクトがあったとしても、全体の傾向が表層だけをつかんで「もっと笑える漫画探し」タコ壺掘りへと流れるよーな可能性も見えて、「マンガロン」での「メジャー=正解」路線との整合性なんかをどこでどー図っていくんだろーかってな興味が湧く。「エイリアン9」をエッジでスーパーフラットな人が好んで語る構図と、20歳代の人が「漫画ゴラク」が面白いと語る構図のはたしてどちらが「漫画論」っぽいのか、どっちもどっちに漫画論だと思うから、あとはそれらが別の異なるフィールドで我関せずと動くんじゃなく、クロスしなくても良いから並列される形で参照できるよーな環境が出て来たら個人的には嬉しいんだけど、やっぱ無理かなー、結構キツいコメントもあったからなー、ギブソン話とか。

 しかし前夜は田村信さんとり・みきさん唐沢なをきさんに江口寿史さんもまじえて飲み明かすとは羨ましい限り、ついでにノートにそれぞれの描く鉄人28号とか鬼太郎とかの絵も描いてもらって、冗談で言っていたけど売れば1年は無理でも1カ月なら食べられそー。これも冗談だろーけど江口さんの遅筆ぶりとかなをき・俊一兄弟の仲が良いんだか悪いんだか話とかも話の枕で飛ばしてて、本を出すくらいにまでなるとなるほどこれほどまでに相当に、漫画家さんと知り合いになれるんだなーと思う。自分なんて今もって名刺出して挨拶なんて出来ないからなー、とり・みきさんとはイベントで何度か顔を会わせてるんだけど、やっぱり会えば緊張するし、「バラの進さま」あたりからずっと読ん来たフェイバリットな人だから。

 「よく同業者諸氏が有名人に対して、遥かに自分より年上の作家に対して、何のためらいもなく自己紹介をして著作や名刺を渡すのを見るが、どういう神経をしているのだろう。恥ずかしくないのか。自分という人間が太陽の光を浴びるに値しているという保証があるのか。世界にとって自分が必要な存在だという鑑定書は誰に貰ったのか。もし貰えるならわたしも欲しい」(「マンガロン」129ページ)。「マンガロン」は立派に鑑定書の役割を果たしたみたい、うーん羨ましい。ネットでごにゃごにゃしているうちは鑑定書なんて貰えないのかな、やっぱ真面目に現実に返って地道に仕事にはげむべきなのかな、考えちゃう考えちゃう。前に「SPA!」で課題図書で来て紹介文を書いて今度は「電撃アニメーションマガジン」でも紹介しているのに、会場でサインが入るからと購入した「マンガロン」に墨痕鮮やかな「鶴岡法斎」の字を見つつ精勤に励もう。


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