縮刷版2000年5月中旬号


【5月20日】 渋谷へ。村上隆さんと東浩紀さんのトークショウは、前売りがすでに完売で当日券も30枚くらいしか出ないとかって聞いていたから、あるいは朝から「知性体ストーカー」なお姉さんお兄さんがズラリ並ぶかと心配ていたけれど、開店の10分も前に到着したパルコは、雨のしとしと降る中で並んでいる人なんか1人もいやしやがらず、そのうち三々五々と人は集まって来たけれど、開店と同時にエレベーターでギャラリーへとかけつけチケットを買ったら何と栄えある整理番号1番をゲットできてしまった、でも当日券立ち見の1番なんでまるっきり役には立たないんだけど。

 振り向くとそれでも10人くらいは朝の1番で買いに来た人らしく、「やあ奇遇ですねえ東さんのファンですか僕知り合いなんですよどうですか紹介しますよその前にお話しでも」と肩に手をやり昼日中から道玄坂へと繰り出すなんてことが出来るはずもなく、寂しく1人で週末のセンター街を歩いて「シネ・アミューズ」へと向かって塚本晋也監督の「バレット・バレエ」を見る。もち真野きりな目当て。

 張り出して合った記事によれば「死んだ魚のような目」をしているらしー真野きりなさんが、「がんばっていきまっしょい」とか「デュエット」のCMとかとは当然全然まるっきり違う都会のそれもアウトローな場所でしたたかに生きている女の子を演じてるとあって、さてどんな感じになっているのかと期待してたら冒頭から納得の「死んだ魚の目」でもって主演の塚本さんを通して観客の方を睨んでくれていて、ああいーなー自分がゴミ野郎に思えてくるよってな感慨を抱く。

 もっとも粋がってたチーマーな兄ちゃんたちが虎の尾を踏んで逆鱗に触れたあたりから、どんどんと女の子っぽくなっていってしまうから、Mな気分ではあんまりいられないけれど、代わりに今度は従属させたいってなSな気分も浮かんできて、かといって突っかかればかみつかれる可能性もあったりするから迂闊にはちょっと手を出せない。何言ってるんだか分からなくなって来たけど、とにかく真野きりなさん、良いですわ。

 新宿だか渋谷だかよく分からない街にたむろする若者の暴走する日常を描いてるっぽい映画だけれど、内実は言ってしまえばオヤジの挫折と探求と快復の物語で、多分広告の業界でスーパープロデューサーとして働いていた男が長年つき合っていた愛人に自宅で死なれて、「何故だ」と悩んだ挙げ句に故あってチーマーな奴等と良好ではない関係が出来て最後にはそれでも立ち上がる、ってな展開になっていて、マジなオヤジの格好悪いけど格好良い所が描かれていてオヤジな世代として見ていて嬉しくなる。黒沢清さんの「カリスマ」でも仕事に挫折した男が森で快復を模索する話が描かれているけれど、「バレット・バレエ」は「カリスマ」のような哲学的な装置を介している訳ではなく、屈折もなくストレートにオヤジのひたむきさが伝わって来る。

 こーゆー映画を単純に「ブランキー・ジェット・シティ」の人が出ているとか若者のギャングが出ているからって見に行った若い人って何を受け止めて帰ったんだろ? ちょっとそれ知りたい。音楽の格好良さは流石で細かいカットで小気味良くつないで見る人を飽きさせないところも娯楽性十分。東京では来週で終わりみたいだけど全国回るからとりあえず見ておこう、「がんばって……」のダッコのファンも当然見れ。

 戻ってトークショウ。椅子席が満杯になって立ち見もギッシリたぁ流石はストーカー大国、こんなにも「知性体ストーカー」が存在していたとは。うち約1名は大塚で河童黄桜かっぱっぱを演じているから来てはないけど、この人気ぶりだと村上隆さんと2人で全国を行脚しても結構稼げるかも、とか考える。まずは船橋西武の屋上とかでどうっすか。立ち見には辛い中を15分ほど押して始まったトークショウは富沢ひとしさんの「エイリアン9」に関する見方ととっかかりにしてあれやこれやと話が進む、というか東さんが思いついたことを滔々と並べてそれを聞いた村上さんが「素晴らしい!」と相槌を打つ展開で、キュレーションを担当して自分の感覚で「スーパーフラット」とゆーコンセプトのもとに大勢のアーティストを集めてみても、その理由を説明する時にはやっぱり言葉の人による補足を頼みにしてしまうあたり、村上さんって感性の人ってゆーか天然な人ぽい。

 3DCGによるアニメ制作が増えていることが例えば3Dのモデルを作ってからあとでカメラワークを決めるっぽい作業へとつながって、結果2Dの中で冒険と試行錯誤によって「らしさ」を出したエフェクトなり演出が、つまらなくなるんじゃないかってな指摘が村上さんとか東さん辺りからあったのは、実際に3DCG物なアニメの人工っぽさに触れつつ思っていたことだから納得は出来るけど、おそらくは日本の場合てまずは最初に2Dの絵コンテを描いてそれをなぞっているだろうから、省エネっぽい部分で3Dモデルを上から下から右から左から撮ってごまかしてはいても、メインの部分でまず3Dモデル先にありきって感じにはなっていないよーな気がしてるけど、僕も実際には知りません。

 せっかくの2Dでのスキルが失われる可能性については、例えば実写映画にどんどんと近づこうとしている作品だったら、3Dモデルを上下左右に動かして見るのもありで、その場合は佐藤嗣麻子さんが「バイオハザード」か何かの作品で演出を手がけたよーに、実写のスキルを応用していくことになるんだろーけれど、アニメの人は監督が絵についてしっかりした意見なりを持っていて、後にちゃんとつなげていければ、そうそうに弱体化するもんじゃないとは思うけど。パソコンでもCGでも、見せるための所詮は道具なんだから。

 毎秒で16だか24だか36だかのフレームでつなげて映像に見せかけているアニメの映画とは違う部分とかってな話はだってもともとアニメってパラパラ漫画の発達したみたいな奴だから絵の積み重ねなのが普通じゃん、とかってな固定観念に堕すことなしに想起したアイディアを即座に何らかの理由をつけて言葉にして紡ぐ東さんの「言葉使い師」的な資質(村上さんが言うには言葉のクリエーター)は、こーゆーライブな場だと良く分かる。書き物になった時にはさらに上澄みとなり下に巨大な根が張られてしっかと構築されてしまうから、勉強にはなっても思考のプロセスが見えにくいものだから。

 岡崎乾二郎さんのダム関連プロジェクトに対する憧憬と茫然の入り交じったよーなコメントとかもライブならではの楽しみで、褒めてるんだから呆れてるんだか分からないリスペクトの仕方は、つまりはそれだけ気になる存在ってことなんだろー。ほかにも見所聞き所のたくさんあったイベントだけど、相変わらずの脳弱症でほとんど何が話されたのか覚えない、ただ1つ言えることは、あのキャラクターが刺繍された開襟シャツは一体どこで買ったんだろう? ってことかな、ホントどこのシャツですか、俺も着て行きたいぜ、会社でも。

 あちらこちらに出かける割には初対面とか2度目とか3度目とか4度目程度の人と喋るのが苦手とゆーかどーせ覚えてないだろー的引け目でもって話しかけられない”アクティブなひきこもり”君だったりするからイベントもきっと来ていただろーどっかで関係している人もほとんど探さず見知った人と一言二言会話しただけで退散。まあ「出没」してみせるのが芸風なんで挨拶は二の次です、ちょっと義理欠いてます。

 その足で向かった「ロフトプラスワン」。竹書房の4コマ漫画雑誌「まんがくらぶオリジナル」が壮観から晴れて1周年を迎えたとかで、関係している漫画家さんがズラリと勢揃いするイベントがあるらしく、普段は滅多に4コマ雑誌とか読んでないけど、いったいどーゆー人がどーゆー感じに描いているんだろーかってことを勉強するために、知人の1人もいない中を潜入してはやっぱり一言も喋らずに退散して来ました、うーんこれもヒッキー?

 司会に「幕張サボテンキャンパス」を描いてて「ファミ通」でも仕事をしているみずしな孝之さんを迎えたイベントは、E3&シアトル帰りとかで羨ましくもアメリカ土産を持っての登場、ロスで名物とかゆー「マクドナルド」にアメリカでは人気とかゆー「エビアン水」にかつて佐々木投手の漫画を描いて居た関係で寄ったシアトル・マリナーズの佐々木選手と直に関係する「ベイスターズ」の帽子とか、流石はアメリカ帰りってなお土産を出しては客席に放り投げて掴みを取ってさあ本番だ。

 順繰りに登場して来た総勢で15人はいた漫画家のうち、実のところは見聞した記憶があるのが青木光恵さんだけで、顔と名前どころか作品も一致しない漫画家の話をだったら聞いて面白いのかと言われれば、それでも普遍に現実のビジネスな世界とは一線を画して己が才能の奔流に身をまかせて世を渡る人たちだけに、どんな話でも聞いて無駄なことはない。就職試験がすべてだめなくせに投稿では2戦2勝だったらしー小坂俊史さんとか、「キネマ旬報」で連載を始めるらしー日高トモキチさんとか、話を直接ナマで聞くと何となく後でどんな作品を描いてるのかを見たくなるから、人間ってやっぱりナマなお付き合いが必要です。やっぱ人とどんどん喋ろ、喋って来てくれたら(自分から喋れや)。

 しかし驚いた。司会のみずしな孝之さんを含めて総勢16人登場した4コマ漫画の作者のうち、みずしなさん小坂さん日高さんの3人以外は全員が女性だったとゆー目の当たりにして、今更ながらに4コマ漫画の世界ってどーなってんだろってな興味が湧いてくる。会場に集まっている客層を見ると明らかに男が大半で、だとすれば「まんがくらぶオリジナル」は男性向けの雑誌っていえるだろーものなのに、執筆者のほとんどが女性ってゆーこの錯綜した関係ってのは、どーゆー事情で生まれて来たものなんだろー。

 少女漫画の雑誌だったら女性ばかりで中に男性が数人でもよっく分かるんだけど。それとも男性誌ってゆー前提そのものが違うんだろーか、読んでる大半が漫画の内容にも近いOLさんとかだったりするんだろーか、コンビニで買ってガッハッハとか笑いながらビールのみながら読んでるんだろーか、他の4コマ誌もやっぱり女性が大半なんだろーか。これは夏休みの自由研究の課題だな。

 スクープ。青木光恵さんがコブつきだけど美形と”再婚”したいとトークショーで喋ってました。あっけらかんとしてたけど事情はフクザツなんだろーか。あと「コンビニぶんぶん」を描いている藤島じゅんさんて方もやっぱり女性だったけど、スタイルはスラリと細身で見栄えもまずまずだった割には、喋りが幇間ってゆーか「よっ旦那」的な軽さで「っす」ってな語尾を付けて喋る「ぴたテン」系なノリの人で、喋っている姿がなかなかに楽しい。

 「電脳やおい少女」の中島沙帆子さんだったかなあ、自分は薄いんだけど巨乳を触るのが好きで自分から上着を脱いでキャミの下にパッド入れてるんだと自慢してた方は、見かけフツーの細面なお姉さんなのに、「やおい」の人ってこんなんなのか、それともこの人が特殊なのか。「ろりーた18号」のTシャツを来ていた人も見目の良さと喋りのぞんざいさのミスマッチがなかなか。名前は忘れた、誰だったっけ。

 不思議にもお笑いな人が結構来ていて、知らない間に解散していたとはちょと驚きだった元「フォークダンスDE成子坂」のツッコミ役だった背の低い方で「爆笑問題」て言えば田中の方っぽい人が何故か来ていて、トークの合間に話芸を1つふたつ披露して結構面白がられていたけれど、何せ「元」なんで今はフリーってことらしく、本当かどーかは知らないけれど来週の日曜日に二子玉川の駅の側の土手の上で相方とは違う人とトークショウをやるとか言っていたけど本当かどーかは知りません。

 それとこれまた不思議な青空トッポ・ライポも登壇してはこちらは現役だけあって迫力の漫才を披露、ちょっと下ネタ入って紹介は出来ないけれど、薄底サンダル(別名雪駄)の裏の「スォッシュマーク」は良かったです、仕込みはオッケー。4コマについて話しているのに、青木光恵さんとこいずみまりさんのリードもあって、なぜか水着のビキニのワイヤーの是非とか尻からはみ出る肉を戻す仕草の色っぽさとかに話が及んで場は大爆笑。この後は大抽選会もあったけれど、そーゆー華やかな場で商品なんかをあたってコメントを求められた時に「ずっとファンでした」なんて臆面もな言えるだけの甲斐性もないから、そーゆーことが実際に起こる確率なんてほとんどないにも関わらず退散する。しかし青木さんが、なあ、6月3日の渋谷コミックステーションのサイン会、のぞいてみよーかなー。


【5月19日】 やあこんなイベントが。横浜は千葉から見ると海の向こうの異人さんの国なんだけどせっかくなんで覗こう。脈絡はないけど写真な人ってことで「サイゾー」6月号のグラビアページの1人は確か飯島愛さんが撮影してるんだねー、あのAVとか有名な……じゃなくって最近写真家としてメリメリメリっと名前を広めて来ている女性の写真家で、個性をないがしろにしている事を承知で括ってしまえば長島由里枝さんとか花代さんとかHIROMIXさんあたりとも重なるスナップ風ボケブレ系な写真が得意の「ガールズ・フォトグラファー」ってことになって、他にも、同名の有名人が前にいるってことでの名前のアイキャッチ性に加えて、何ってゆーか作品に湿度が感じられて、ヒップでクールな写真だったりオシャレでキュートな写真だったりして近寄りがたい雰囲気がありそーな(勝手に思っているだけなんだけど)他の人たちに比べると、どっかフワフワとした暖かみがありそーな、そんな気がしてるけど実物はどんなんだったんだろー。「Nadiff」でも写真展とかやるんだったっけ、京橋での個展は作品の数も少なかったから傾向の把握があんまり出来なかったから、今度はじっくりと見てみよー。

 締め切りがあったんで評論本ばかりになった「電撃アニメーションマガジン」6月売りのレビューに入れられなかっんで7月売りに回そー「オタク・ジャポニカ」(エチエンヌ・ガラール、新島進訳、河出書房新社、2200円)は、日本に滞在して10余年とゆーフランス人ジャーナリストが見た日本の「おたく」の概説で、コミケからジャフコンからガレージキットからアニメから切通理作とり・みき岡田斗司夫ほか文化人物現象風俗にいたる様々な「おたく」について、それらが出てきた風土それらを好む心理それらがもたらす影響といった部分などを、鋭利かつ懇切丁寧に追っている。日本人だと当たり前すぎて気が付かないこととか、「おたく」の見方っぽい評論の人だと例え気が付いていても微笑みの美学で言わないこととかでも、構わず突っ込み韜晦も自虐もせずに身も蓋もなく言ってのけているのが目に新鮮に映る。

 アイドルの撮影に熱中するカメラ小僧とエスカレーターの下から鞄に隠した広角レンズで狙う盗撮野郎を同じ文脈の延長線上で書いていたり、いわゆるエロゲーとヌードCD−ROMの「イエローズ」シリーズを同じ「デジタル美少女」で括ったり、学校での暗記を中心にした教育の影響が情報量と記憶力によって優劣が決まる「おたく」の世界にもあると言ったあたりに「認めたくないものだな」的反応の1つ2つも出てくるけれど、当人たちが否定しようとあるいは内部で肯定しつつも表向きは無視を決め込もうと、著者の怜悧なフィルターを通して見たらみんな同じに見えるってことで、細部をあげつらって「本当のおたくはこうじゃない」と唾棄するよりも、「時間的・地理的条件を超えた現象としての『オタク』を考える」(訳者あとがき)ことで「他文化との衝突を通して初めて浮き彫りになる問題意識」(同)を抽出し、その上で的外れは糺し卓見は聞き入れて、いったいこの国で何が起こっているのかを考えてみるのも面白い。気にするフリをして慌てて見せつつその実強固に持論を挿入して意見を組み上げてしまう方が、黒船ガイアツに頼って権威化するよりも、また攘夷焼き討ち打ち払いとばかりに拒否するよりもよっぽど「おたく」っぽいからね。

 良く分からないけど「マインドスポーツ」って言うのかな、チェスとかバックギャモンとかオセロとか将棋とか囲碁とかブリッジとかいった思考型の対戦ゲームを総称する言葉だそーで、そんなゲームを種目に見立ててまとめてドカンと開催する「マインドスポーツオリンピアド」ってイベントが97年からロンドンで開かれているらしく、今度その日本版ってのも出来るそーで母体となる会社の発表会見に潜り込む。考えてみればそれぞれにリーグなり大会なりプロなりアマはあっても、まとめてやろうって発想はあんまりなかったから、1つの場で「チェック」「こみ」「コール」「ポン」といった声が飛び交って、それぞれに様々な思考の軌跡が立ち現れていく様ってのは、見ていてちょっと面白いかも。10月だかにウェブが立ち上がってネット対戦が出来るよーになるとかで、韓国タイシンガポールあたりも交えたアジアランキングってのも出るそーで、言葉はいらない盤が(駒が)(カードが)(卓と牌が)あれば通じ合えるんだってな共和の世界がネット上に出来上がるってのも興味深い、が何より興味を惹いたのは新会社の社長の人が元ANAとかの(スチュワーデスじゃあないだろーなー)若い(っても大台だけど)女性でそれなりにそれなりだったこと、むくむくな下心が取材を申し込めとか言ってるんだけど、これってじゃあなりすととして正しい衝動なんですか。なんですよ。そうですね。取材しよ。


【5月18日】 いろいろあったと風説が流布ってる「サイゾー」の6月号はなるほど20ページにミョーな余白があってまるで自分でそこに4コマ漫画でも描いてみろといわんばかりだったんで、裏から透けてる花くまゆうさくさんの漫画を写そうとしたけど手に職の無さが災いしたのか全然うまく写せない。あの気怠く癒し気味にデッサンを溶かしたテイストの絵が池上遼一あるいは大友克洋それとも江口寿寿的なシャンとした絵になってしまうなんて僕ってやっぱり絵が下手だなあ、って大嘘ですけど。しかしデッサンのしっかりしているよーに見える絵でも裏焼きにすると崩れてたりして絵の巧い下手が出るって聞いたけど、裏映りしている花くまさんの絵は裏換えしても全然もとの絵と大差がない、つまりは相当に巧い絵ってことになるんだなあ、拍手。

 にしても徹底してのネットベンチャー&渋谷ベンチャーいじめな「サイゾー」でも「アホの富士田の阿呆列伝」なんかや結構強烈、数あるビットバレー系の中でも割とイケてんじゃないのって新聞記者レベルで離していたりする会社が実は結構あれこれだったりしてて、新聞屋の知識の拙さがあらためて分かる。けど影響力だとそーゆー新聞の方が雑誌よりも格段にあって(中には雑誌以下の新聞もあるけどね)、金融機関とか投資家を動かしてしまうから困ったもの、よほど書く時に注意しないと後で罪悪感に眠れない夜を過ごしそーだけど、そーゆー罪悪感を抱くよーな人間はメディアなんかじゃ出世せず、今が旬なネットベンチャーなんてもたせてもらえないから大丈夫かも。神経の繊細な出世のおぼつかない記者は、せいぜいが大手シンクタンクに行って土地問題でどんどんと豪華なオフィスが出来てる状況を聞きながら「大型物件が出てきて、賃料は上がるんでしょうか」(133ページ)と頓珍漢なことを尋ねるくらいだから、あんまりイジめちゃ可哀想ですよー。

 おや復活してるじゃん。「とりあえず押さえておきました」がちょっとだけ復活したものの再びの沈黙に入って干されたか降ろされたか逃げたかとシンパイはしてなかったけど気にはしていた「成宮観音改め三坂知絵子」さんが、新しく「火星に代わって折檻よ」ってヒールで踏みながら言ってくれてもそれはそれなりに嬉しいかもしれないけれど、それはそれとしてやぱりメジャーな「天に代わってお仕置きよ」ってタイトルに落ちついた新コラムの連載をスタート。第1回目から何と東大の大学院に進学していたことが判明した(EXフラッシュにも出てたけど)「成宮観音改め三坂知絵子」さんが、よりによって進学先でも結構なチカラを持っていそーな月尾嘉男さんを大リスペクトしちゃってて、薄氷を踏みながらピンヒールで四股を踏むくらいのエキサイティングにしてスリリングな記事を書いていて読みながら脇に冷や汗がたまる。ここまでアカラサマに褒め讃えられると月尾先生もきっと嬉しくって怒髪天にも上る思いだろーなー、大学院生活楽しくなりそーですね「成宮観音改め三坂知絵子」さん、しかし長い名前だなー「成宮観音改め三坂知絵子」って(違う)。

 その「成宮観音改め三坂知絵子」さん(だから違うって)も出演している「月蝕歌劇団」の春講演「家畜人ヤプー」のゲネプロが開かれたんで大塚の萬スタジオまで行ってカンサツする。行列を作って待っていると、前に福田和也さんの「罰あたりパラダイス」刊行記念トークショーにゲストとして登場していた怪物プロデューサーの康芳夫さんが現れて存在感を出していたけど、よりにもよってその康さんに小学館の編集者らしー女性が誰か別の人(大久保鷹さんかな)と間違えたらしく挨拶しよーとして康さんに訝られていたのが目に映る。よりにもよって本講演のプロデューサーでかつ、アリと猪木の試合を仕掛けてアミンと猪木の試合をプロモートする権利も持っているらしー、昨日が時代の詐欺師ならこっちは時代の山師とも言える大物を捕まえて別の人だと勘違いするのはマズいかも。今も平成と神保町あたりを闊歩していられるんなら大物さすがに心が広い。神田川に浮かんでいたりしたら……間抜けでしたねと言葉を贈ろう。しかし存在感あるなー、康さんって。

 さて「家畜人ヤプー」、実は読んだことないんです原作ってなものでストーリーをどう改変しているかは分からなかったけど、「40世紀の未来で日本人は家畜人になっている」とゆー基本設定は知っていて、かつ前にもらった宣伝用のスチルにボンデージなお姉さん方に虐げられる男とゆー場面が載っていたから、一応は猟奇とエロス、背徳と猥雑に傾いた舞台にはなるんだろーなと予想はしてはいたけれど、女の子たちがいっぱい出演していてファンにも女性が結構いて、最近の演題も”裏”宝塚的なものが多かったから、いくら戦後最大の奇書が元ネタとは言っても、そうそう派手なことは出来ないよねー、なんて舐めていたら甘かった。入るとすでに椅子に縛り付けられ床に頃がされて女たちの群れ。やがて登場した上半身裸の男たちが女たちを抱えて「男」の力を見せつけていた場面が一転し、女たちが解き放たれて逆に男たちを虐げる場面となってMへの予想をかきたてつつ本編へと突入する。

 軍人の息子として生まれた渡部麟一郎が婚約者のクララと乗馬を楽しんでいたら、何か落ちてきた物体があって乗り込んでみるとそこには女性が2人。これがもういきなりな体にフィットする衣装をまとって豊満にもぶるんぶるんと言わせちゃってくれていて、席をどーして最前列にしなかったのかと強く悔やむ。彼女たちが未来から来たイース帝国の貴族で、犬のよーにはい回る男たちを連れていて、その1人に噛まれた渡部は動けなくなり、クララといっしょに未来へと連れていかれる。原作もこんな感じ? さて冒頭のイース帝国の2人が着ていた衣装で驚いていたら、性具に改造されたヤプーを嗜む場面があり、雪隠に改造されたヤプーに向かって衣装を乗馬服から白いピチピチな衣装へと改めた一ノ瀬めぐみ演じるクララがアレをかける場面があったりともう大変。でもってやがて登場して着たレディ・ジャーゲンを筆頭とする一群の黒で統一されたボンデージな衣装、新月シホ演じる渡部百合枝のまくりあげられる着物の裾といった、ビジュアルな衝撃が目をガンガンと叩いて始終ぐいっと身を乗り出させ、「大丈夫かいな、ここまでやって」と顔をニヤつかせる。こりゃストリップよりも官能的だ、ストリップ行ったことはないけど。

 そんな目に嬉しい演出とゆーか原作どーりにやればこーなって当然なんだろーけれど、ビジュアルによってそそられる官能が、物語によって紡ぎ出される強烈な社会批判を耳にするにつれて、今度は「大丈夫かいな、ここまで言って」と背中に冷や汗を染み出させる。日本人が家畜へと身を落とした世界ならまだ自虐として受け止められても、日本人はもとより家畜として育てられる運命にあって、神とあがめて来たものの真の姿、元首と讃えて来たものの今の境遇がつまびらかにされ、あまりに衝撃的な事実に翻弄される。森総理の発言でも揺れる「神の国」とゆー日本人の奇妙な安心感、優越感を思いきり逆撫でするこのタイミングの良さ、先見なり高取英そして沼正三。

 けれども物語を見ていくうちに、あるいは本当は日本人ってそうだったのかもしれないと思えて来るから奇妙なもの。主体性に欠け我が身を案じアジアに向かっては居丈高に振る舞い欧米に向かっては弱腰に媚びる日本人の姿に、頭がだんだんとヤプー化してくる。そして何の疑問も抱かず、むしろ誇りを持って素晴らしい女性たちに奉仕させて頂けるヤプーたちの姿が、ちょっとだけ羨ましく思えて来る。舌人形? やらせてよ。雪隠? 最高だよ、黄金餅はちょっと嫌だけど。うーんM男養成セミナーにもなるなあ、この舞台。2時間程度の舞台の中で1人の人間がしっかり家畜人となってしまったからねえ。

 どこで登場するかと思っていた、超ベテランの大久保鷹さんのあまりにもハマりっぷりな演技は流石、淀みなく喋るとゆーよりは緩急をつけて喋る見栄の張り様が、他の人たちの流れる展開と微妙にズレて耳に強く余韻を残す。「鬼火」の望月六郎監督はまあ演技はともかく大切な役を務めてて目立ってました。衣装の嬉しさもあるかもしれないけれど、女優陣の演技の奔放さが清々しいしストーリーもよく分かる。今までに見た「月蝕」の舞台の中でもストーリーの分かりやすさ、でもってテーマが醸し出す危険性はトップかも、ニューヨーク公演決定らしーんで海外でどー思われるか、考えるだけでもわくわくする。

 しかしやっぱり全編と通じてもっともオイシい役なのはピューとミューピューの河童の兄と妹でしょう、格好演技は滑稽ながらもラストにかけてはほぼ出ずっぱりとなるし、何よりすべての配役の中でとにかく目立つ。美男美女の雑魚をストレートに演じて埋没するくらいなら、どうであれ目立つ役を大胆に演じた方がよほど人にインパクトを与えられるもので、「ヤプー」だと河童がまさしくそれに当たってる。家畜人の中でもエリート、という倒錯した設定がまさしく曖昧な日本の私たち、脱亜入欧と標榜してアジアのリーダーを任じてその実周囲を小馬鹿にし、かといって所詮は蔑みのレッテルでしかない「名誉」の文字付きの白人にしかなれない中ぶらりんな存在が、河童に凝縮されているよーにも見える。ヤプーの中のヤプー、日本人の中の日本人ってのを体現した、あるいは”裏”の主役かも、ってことでスパッツいっちょうで走り回る松本渉演じるピュー、スクール水着っぽい衣装がなかなかなミューピュー役の「成宮観音改め三坂知絵子」(違うー)は傑作です。月尾先生も見れ。


【5月17日】 笛吹けど誰1人として踊ってなさそーな「Will」のザマを見ると代理店っぽいってのがあからさまな仕掛けを世の中ってあんまり喜ばなくなってんじゃないって思えて来てて、中には企業なんかの仕掛けに意識して載って対象をイジくりたおす人もいるけれど、そーゆー行動も仕掛ける側のひたむきさを半ばリスペクトしての共同作業めいた部分があるから気持ちも納得できるんであって、マスをねらってムーブメントにしようってな意図スケスケの大事になると、もはや乗ってあげる謂れもないし乗って当たり前ってな奴等を喜ばしてやる義理もないんで、さすがにどうにも「Will」には乗れない。だったらこれはどうだってことで、電通系の電通テックってところが40代後半から50代とか60代ギリギリあたりの中高年層を新たにマーケットとして掘り起こそうって動きを見せていて、それに「hot・ty(ホッティ)」って名前を受けて明日から始まる「バラとガーデニングショー」の会場でお披露目しよーとしてるんだけど、メインな対象になる団塊世代って子育てに汲々しててローンは65歳まであっておまけにリストラの危機、でしょ、どこにマーケットの牽引役になるだけのポテンシャルがあるんだろうってな疑問が先に立って、ちょっと先行きに光明を見いだせない。

 まあそれでも人数が多いだけ分布も幅が広くお金を持ってる成功者だって多いだろーし、子供も巣立っていけば順次負担も減ってかろうじて貰える年金に余勢を託そうとするだろーから、他の世代よりも市場は確実にあるのかもしれない。働き尽くめで疎かったレジャーにだって行くかもしれないし。世代的に見ると戦後の混乱期に生まれてどんどんと近代化していく日本を見て育ち豊かな社会の中で流行ってのを生み出す原動力になり(数も多いしね)、学生運動で世間を舐めることを覚えた割には企業に入って出世争いを戦い中堅幹部になった頃にやって来たバブルでは現場で旗振り役を務めたよーな人たちだから、なるほど世の動きには敏感だろーからつついてやれば動き出す可能性は大。おまけに現時点ではパソコンの使えない人多数だったりするから、ここいらを情報武装してあげればネットを通じてコミュニケーション(連帯)を取ったり物を買ったりするよーになるかもしれず、そうなってからガンガンと餌を投げてやれば案外と食いつく確率は高いって見ているのかも。社会の最前線で踊っているように見えてその実、発達するメディアから流れる情報洪水に踊らされて来た世代なんだと見れば、ごたくをならべる若い世代より仕掛けて仕掛け甲斐もあるんだろー、いっそ「Will」もコンセプトを変えておっさんおばはんに仕掛けてみたら。

 時代の仕掛人、ってゆーよりは時代の詐欺師と昔自称していたこともある秋元康さんがCSKの大川功会長をまたまた騙くらか……じゃなくって説得したのかそれとも大川さん自身が乗り気なのか、インターネットを使ってエンターテインメントのクリエーターを要請するスクールを立ち上げるってんで記者会見に潜り込む。到着した会場のある表参道を歩いていたらジャケットスラックスネクタイの髭面なおっさんが歩いていて頭に野球帽みたいのを被っていて鈴木敏夫さんにそっくりだったんだけど違うよなあ、目付きちょいアヤしかったし。それはそうとして流石はテレビな世界の人気者&一族郎党あわせればひょっとしたらさらなる上位進出も可能だったかもしれない高額納税者が並ぶとあってテレビカメラが全局と、プレスも100人は越えて集まっていて、先週のたかだかインターネット電話事業を始めます程度の会見でも山とプレスを集められるくらいに、未だセガへの世間の関心は衰えていないことを実感する。最近は「PS2」絡みのニュースも底ついた感じだし、ゲーム関連だと情報戦ではセガの独り勝ちって感じ、それが実際のビジネス(大川流に言えば「実業」。前にソフトバンクと比べてどうよ? と聞いて以来しきりに自分ん家を「実業」と強調するよーになった、いっしょいしたのがマズかったかなあ)に結びついてくれば、セガもまだまだ滑走路を走っていられそう、飛ぶのはいつかは知らないけれど。

 しかし時代の詐欺師はなるほど20年経とうと依然時代の詐欺師であり続けられるだけのことはあって、8月1日開講のインターネットスクール、その名も「ドラゴンゲート」は居ながらにして有名人講師のアドバイスが受けられて優秀なクリエーターにはデビューできるかもしれない可能性が与えられて期間は3カ月と短く値段も3万円と中身さえ問わなければリーズナブル、だったりするからちょいプロに憧れちょい業界に惹かれている人たちをワンサと引きつけそー。並べた講師も金脈人脈フル活用っぽく「作詞家コース」には湯川れい子さん売野雅男さん康珍化さん森浩美さんに我らが秋元さんの5人が講師として参加。脚本家コースには鎌田敏夫さんとか今が旬な北川江吏子さんらがいて小説家コースには伊集院静さんに日本のビッグ・パパこと鈴木光司さんに秋元さんと親しさ抜群な林真理子さんが参画。ある種の人たち(オタクとか)にはまったくピクリともしない講師陣だけど秋元的に世間のトレンドをキャッチしたそーな自分探し中のヤングやヤング以上シニア未満のモラトリアムには、実に魅力的に映るだろー。

 恐ろしいのは漫画家コースで今のトレンドがどこいらへんにあるのかなんてお構いなしに、選んだ作家が弘兼憲史さんに柴門ふみさんの協力タッグと大和和紀さん水島新司さん里中満智子さんのマンガジャパン的重鎮たち。かろうじて江川達也さんんとしりあがり寿さんが今っぽいけど講師になって彼らが自分たちの成功体験を語ったところで、人それぞれに異なるメソッドを持つ漫画家たちが7人もあつまっててんでばらばらに自分たちの成功体験を語ったところで(そーゆーのが授業の中心らしー)、いったい何の役に立つんだろーか。偉い人の話を聞いている暇が合ったら1枚でも絵を描き1行でもネームを作っりそれから山ほどの漫画を読んだ方が良いよーな気がする。彼らの誰に漫画を褒めてもらって嬉しいの? ってのがあってそれは小説部門も同じだけど、しりあがりさんを唸らせてみたいって気持ちはちょっとあるけれど、ほかはなあ、ファンですとは言えても先生って読びたい人たちかい? 漫画やってる人たちにとって。

 プロを集めてプロの名前でプロへの道が開かれそうな「幻想」をふりまいて、「僕を見てよこんなに才能あるんだから」と1人で呟く他力本願的な半チクたち(それが圧倒的に実は多い)を吸い上げる場としてしか機能しなさそーな予感があるんだけど、そーしたフィルターをひっぱがすくらいに優れたプロがここから生まれてくれれば問題はない訳で、その意味でもスタートダッシュにどれだけのプロを生み出せるのかに興味が湧く。実績作りして次の羊ちゃんたちを集めなきゃいけないってこともあるだろーから、最初のうちは案外とプロへの壁とか低いかもしれないなー。しかし作詞脚本小説漫画は良いとして、「感性を磨くコース」ってのは何だ? 感性って磨けるものなのかって疑問はさておいて、講師が久石譲さんにまたでた秋元さん林真理子さん柴門さんの4人。それが「現在の自分を見つめ直すことから想像、表現の仕方まで」を教えてくれるんだそーな。何が感性かはこの最おいて少なくとも彼ら講師になれるくらいに持っているらしい「感性」なるものを身につければ、オカネモチにはなれるってことだけは分かる。ちょい心揺れるなあ。

 しかしこれだけの講師陣をもって何かやろうって意気だけは買いたい気分はあるから、いっそ応援する意味でどんなカリキュラムが組まれていて講師の人たちは何を言って現実的にどれほど役に立っているのかってことを、こちらからお金を払って体験させて頂いて広く布教してみませんか。作詞家コースには作詞家としも活躍している枡野浩一さんを送り込んですんばらしい授業の様子をリポートしてもらい、脚本家コースには堺三保さんに受講してもらってトレンディな脚本家さんたちのメソッドについて代表して勉強してもらい、小説家コースにはSFなんて狭いジャンルから羽ばたきたい人、漫画家コースも同様にオカネモチへの道を模索する人かあるいは編集者の人に潜り込んでもらっては、メソッドを聞いて「なるほどねえ」と思ってもらうと楽しいかも。でもって僕は「感性を磨くコース」で無粋を直して感性バリバリにしてもらうんだ。8月1日開講で3万円払って3カ月、11月の「京フェス」とか12月の「冬コミ」とかには感性の研ぎ済まされた新しい僕を披露できるはずです期待して。玉のよーに磨かれた感性が果たしてSFとか同人誌を眼中に置くのかは不明だけど。


【5月16日】 思い出すのは多分「UNヘビー級」のベルトに関わるアブドーラ・ザ・ブッチャーとの試合かな、とは言え記憶に真っ先に浮かぶのはジャンボ鶴田から死闘の末にベルトを奪取して涙を流して泣いていたブッチャーの顔の方で、翌週だか1カ月後だかに再選があってこんどは確か鶴田が勝ってベルトを取り返したんじゃなかったっけ、その時には前回のブッチャーの涙が頭に浮かんで鶴田がちょっぴり憎々しげに思えたんだよなあ。先に逝ってしまったブルーザー・ブロディが頂点へと一気に上り詰め、テリー・ファンクがヒーローやっててスタン・ハンセンは来るか来ないかでジミー・スヌーカ、リッキー・スティムボードなんてのが飛び回ってて海外からはNWAならハーリー・レイスにリック・フレアー、AWAならバーン・ガニアにニック・ボック・ウィンクルがトップを張ってた外国人レスラーがまだ優勢だった時代に、体型だけじゃなく迫力でも互角の姿を見せてくれた日本人レスラーを今でもずっと覚えている。

 ジャンピングニーパッドくらいしか目立つ技のなかった鶴田がリングの中で頭をかきむしって吠えるよーになって「へー怒って見せる事もできるんだ」と思っていたら今度はルー・テーズだかの仕込みによるヘソから落とすバックドロップを覚えてストロングな雰囲気を身にまとい、いよいよ真剣士への道を行くんだと喜んでいたら知らないうちに元タイガーマスクな三沢光晴なんてのがエースになってて「鶴田はどこだ」と訝っていたら体を壊して休養、馬場の死、程なくして引退、そして突然の死。1時間とかの死闘が終わって「さあ飲みに行くぞ」と言ったらしいタフぶりがファミリーっぽい雰囲気のある全日本じゃなく、今のガチンコっぽさ漂う興行で発揮されたらとも思うけど、当時だったからこその強さと優しさを合わせ持ったレスラーとして愛され続けたんだろーから、悼む気持ちはあっても哀しさに沈むことはない、ただ当時を楽しませてくれてありがとうと言っておこう、合掌。

 それにしても頑健なレスラーがどうしてこうも若死にしていくのか。ブロディは刺殺だったしケビンは事故だったっけ、ケリーは自殺だったっけ、デビッド・フォン・エリックは確か日本で試合を終えた後に急死したんだったかなあ、記憶にいささか怪しいところがあり過ぎるけど、ともかくもフリッツ・フォン・エリックの息子たちの不思議で奇妙な死に方といい、アンドレ・ザ・ジャイアントの急死と言いジャイアント馬場の平均寿命に比べるとはるかに早い病死と言い、トップレスラーに頻出する早死にを見ると「長生きしたければ体を鍛えなさい」なってことを子供たちにはちょい言えないよ。体が資本ということはつまり体を酷使する商売ってことで長生き出来ないってことなのかな。サッカー協会とか水連とかの長生きしている偉い人はつまりは体を鍛えてなくってそれはトップを張ってなかったってことで生き残ってトップに座り続けているのかな。なに猪木はまだ元気? あの人は別格だから、生物として。

 聞くところによると倉敷の「いがらしゆみこ美術館 新館」には「キャンディ・キャンディ」絡みの展示物がそこかしこにあるらしく、原作者と係争中であるにも関わらずな立ち回りはなるほど確かにマズいかも。本当にそのものズバリがあるのかそれともパンフレットに掲載されていたよーなそれっぽいんだけど顔の部分だけシルエットになっている不思議なキャラクターがいるのか、直に目で確認したい気もするけれどやっぱり遠いからよほどじゃなきゃいけないや。グッズの販売についてはまったくのオリジナルの物だったらまだしも、係争に関わる物を売っているんだとしたらやっぱりマズい。知名度では1番なキャラだけに売りたがるのも状況としてはうなづけるけど、状況を認識して探りを入れた上で押し切る態度はいただけない。どーなんだろ。

 最高裁で決着が付いてさてはてもつれた糸が戻ってかつてのような形に戻るのか。最高裁にまで行ってしまうくらいに強固で頑ななスタンスになってしまっている漫画家サイドの気持ちがかつての様に戻るともなかなか考えづらいけど、そこは納得して双方に良い形で終わって欲しいなあ、僕は個人的にはどーでも良いキャラなんだけど、あれが青春って言う人の多いからこそのここまでの問題の大事化なんだから。しかし何より話がここまでこじれる発端になったとも言えるフジサンケイアドワークの確信犯的突破ぶりは、まんざら無関係とは言えない会社とは言え呆れるなあ。まあ権利意識ってのが「著作権」よりは「利権」「金権」に寄りがちなのがビジネスの世界だけど、こと「著作権」を扱う会社でかつ、寄って立つフジサンケイグループが著作権あって成り立つ仕事をしている企業体である以上は、慎重にして適法に、でもって誠意を持って対応していくのが筋だろー。とは言えそんな著作権への意識がマスコミの場合「抱え込んだら離さない、あるもの全部頂きだ」的権利意識に直結していないとも言えないだけに、似たことはまだまだ起こるんだろう、成り行きに注視。


【5月15日】 怖がられている赤鬼を見かねた青鬼が、悪役を買って出て村で暴れてそれを赤鬼に止めさせて、「ホントは赤鬼いい奴じゃん」と村人たちに思わせるのが「泣いた赤鬼」の確かあらすじだったと思うけど、その意味だとやっぱり「青鬼」だった朝日新聞、今朝の紙面でも「小渕前首相」の訃報を伝える1面の記事の中身をほとんど青木官房長官に対して入院した小渕さんが何を言ったかどうかに費やしていて、他紙がまずは真っ当に今後の政局なり小渕前首相の功績なりをトップから流しているのとは対称的な紙面立てで、故人を悼む日本的な風土を逆なでしては結果として自由民主党側に同情の風が向くようにしているのは、自らが青鬼となって自民党=赤鬼を虐めてみせる役を演じて見せているんだと、どうして思わないでいられよう。

 そう言えば赤鬼と称されるサッカー日本代表のトルシェ監督が解任されるなんて1面でドカンとやって世間の耳目をトルシェへの同情を喚起して、結果としてトルシェ続投への下地を作ったって意味で。すでに立派に文字通りの「青鬼」役を務めてたんだね朝日新聞、「アカイアカイ」はもう古い、これからは「アオイアオイアサヒハアオイ」、社章の旗もいっそ赤に変えたら?

 もちろん密室では一切の言葉のやりとりはなかったってことを、完膚無きまでに暴き立てて非難することは悪いとじゃなくって、仮にそれが事実だったとしたらむしろ積極的にやらなくっちゃいけないことだけど、前首相死亡後の記者会見で少なくとも青木官房長官に臨時首相代行を依頼しようとする意志の表示が出来たらしいことだけは、「よろしく頼む」程度の言葉は言えただろうとする医師団の言葉で裏付けられている訳で、なのにことさらに「有珠山噴火の心配もあり、何かあれば万事よろしく頼む」という「長文」が言えたか言えなかったかだけを問題にして、医師団から「困難と推測する」とゆー言葉を引きだして「嘘だったんだ僭称だったんだ」と言い切り、1面トップのタテ見出しにまで「青木長官説明、医師が疑問視」とあたかも何らかの意思表示のすべてが出来なかったかのような印象を与える言葉を持って来るあたり、体質とは言えその牽強付会ぶりが気になって仕方がない。

 場所が第3者のいない”密室”だった以上、もはや当事者の口を割るより事実を確認する方法はなく、それは絶対に無理だろうから追究のしようがない。下がって何かを論拠とするならば、簡単な会話は出来ただろうとする医師団の判断をもって「よろしく頼む」なりの意思表示はあったと推測するのが真っ当で、だからこそ他紙はおおむね「意思表示できた」ととりあえずの禅譲は可能であっただろうことは主張して、その上で本質を離れて上っ面に過ぎない「長文は言えた」「言えない」についての疑問を呈している。果たして長文が言えなかったとしても、青木官房長官の国会での答弁が虚偽だった、というこれも上っ面での批判は引き起こしても、それは置いても禅譲は可能だったという点は完全には否定しきれていない。

 問題はそういった言葉のやりとりだけで臨時代行が決まり次の首相が決まって行く構造自体が、果たして適切かどうかとゆうことであって、なるほど手続き的には問題はないんだろうけれど、新聞の中にはカッコ付きで「正統性」とやるくらいに、妥当性はあるんだけれど、やっぱりどこかに釈然としない違和感がある政権委譲のプロセスに、どうして正面から切り込もうとしないのかが分からない。長い文を言えた言わないなんて入り口部分でガシャガシャと争って、それをあたかも天下国家を左右する大事のごとく1面トップで掲げている姿は、愚劣というよりは滑稽で笑いさえ引き起こすけれど、まあそれも「青鬼」ならではの自虐・自己犠牲のスタイルなんだと思えば納得もできる。自らを笑い物にして自民党に風を向かせて、返ってくるのは「赤鬼(自民党)」の「涙(ネタ)」かな?

 「本の雑誌」の6月号を買って北上次郎さんの「新刊めったくたガイド」に出ている三浦しをんさんの「格闘する者に○」(草思社、1400円)の評を読む、なるほど「ちょっと変わってる」と言って「ユーモラスな箇所も少なくないのだが(中略)妙にリアルな箇所もあり、そのアンバランスがちょっとヘンだ」と読み心地の不思議さについて触れている。「該当する物」の読みは決して「格闘する者」と間違えた訳じゃなくって単純に正しい読み方を知らなかっただけで、その言葉の面白さを就職戦線で頑張る女の子の日常と掛け合わせて今のタイトルになったと思うし、面接がリアルなのも実体験に基づいているからで当たり前っちゃー当たり前。作文を冒頭に掲げた手法は僕的には猫ダマシのようにパチンとやられて後で意味を知って「そうか」と関心した方で、ここいらへんへの反応は単純に世代の差なのか作家本人を見た当方の邪(よこしま)な目のなせる技かは不明だけど、それでも「次作が出たら確実に読む」「数作読んでみたい気にさせられる」とは賛辞としては最大級、その意に応えてあちらこちらで動き始めているよーなので、きっと多分おそらくそのうち絶対に、ヘンさを引っ提げ登場してくれることでありましょう、しをん様、仕事先には「カクトウ」な会社も「該当」してますか。

 フラリと「三浦しをん」で検索して見つけた三浦さんの友人らしい人のサイト「また会う約束」の漫画とりわけ「りぼん」に関連する情報の充実ぶりにはちょっと感動、あと業界に関する分析リポートなんかもあってこれだけ勉強しておけば、あるいは自分だって出版社に入れたかもとか思ったけれどこの人がどこを志望しているのかはちょっと未定、もしかして「カクトウ」してるのかな。個人的にはあんまり「りぼん」の漫画って読んでなくって買った記憶にあるのが古い内田善美さんの古いコミックスとかちょい時代は下がって萩岩睦美さんの「小麦畑の三等星」とか、「ときめきトゥナイト」の最初の方とかそれくらい、「赤ずきんチャチャ」はここだったっけ? そうそう「怪盗ジャンヌ」も買ってました。「ぶーけ」はもちろん「週刊マーガレット」「別冊マーガレット」ですら満足に押さえている訳じゃなかったから、これよりも年齢層が多分低めに設定してある「りぼん」を主戦場に活躍している人をそれほど知っている訳じゃなく、アニメ化でもしてくれないとなかなか関心が向かなかったけど、ファンの声を聞くとなるほどそれは面白いかも、とか思える部分もあるものでちょっと注意してみよ、「銀曜日のおとぎ話」とか(それも古過ぎ)。

 少女漫画で言うなら女王様級ないがらしゆみこさんが名誉館長を務める「いがらしゆみこ美術館 新館」ってのが倉敷市に5月にオープンしていたらしく、案内状が届いていたから適当な記事にする。裁判も盛んな「キャンディ・キャンディ」絡みの展示があるかどーかは不明だけど、原画に原稿といったものを展示するギャラリーやらポストカードなんかを販売しているミュージアムショップとか、何がああるのか見てみたい気もする「いがらしゆみこ名誉館長室」「いがらしゆみこコレクション」なんかの部屋もあって、ファンならやっぱり詣でなくっちゃいけなさそー。倉敷弁で「おてんばさん」を現す「はちまん」って愛称の女の子が倉敷を舞台にかけまわって名所旧跡をバックにラブストーリーを繰り広げる新作(が漫画なのか絵物語なのかは知らないけれど)もあるみたいで、ネットでもちょい見られるけれど今時に昔風な「少女漫画の女の子」している主人公のキャラになかなか惹かれるところがあって、ファンじゃないけど機会があったらのぞいてみたい気がしてる、6月にここで結婚式やる人募集しているみたいだけど、これは流石に無理だなあ。

 「イングラム」って版権管理会社が「Soul」ってアメリカのストリートブランドを売り出す時に起用しているレスラーで格闘家(ガイトウカじゃないよ)の藤田和之選手を励ます会があったんであんまり関係ないけどのぞく。マーク・ケアーを破ったものの靭帯を炒めて試合を危険して優勝は逃した藤田選手はレスラーにありがちな腹ボタなアンコ体型では全然なくって、知っている人は知っている「ゴームズ」に出てくる岩男「ガンロック」みたいに全身これ岩ってな感じすらする筋肉の鎧をまとっているのが、Tシャツを着ていてもミリミリと伝わって来る。とこれで確か「ゴームズ」ってのはアメリカで正しくは「ファンタスティック4」って言ったんだったっけ、伸びる男に岩の男に燃える男に消える女にミスター念力の5人……違う念力は別のアニメだった、除いた4人だったよーに記憶しているけれど、「ガンロック」ってそっちだと名前は何だったんだろー、「ゴム」だからゴームズで「岩」だから「ガンロック」って日本人ながらフシギだなーと思ってたんだよね。閑話休題、藤田選手の迫力を見ると人間鍛えれば全身筋肉になるって孔子だかガンジーが言っていた意味がようやくもって理解できる。省みて融けたゴムのような腹に燃え尽きたカカシのような腕の我が身、夏に醜態をさらすのも考え物だしここいらで鍛えてみるか、「ボディブレードイ」で(まだ言ってる)。


【5月14日】 デビューしたてでベストセラーになるとかいった評価軸の示されないまま、小さな書評とか店頭で見かけた表紙のイラストやあらすじ、解説なんかにソソのかされて読んで「これは」と思いハマった作家は、以後の活躍停滞復活沈黙のいずれに活動の行き先が進んでも、やっぱり気になる存在であり続けるものなんだろう。ましてやそれを読んだ時期が、ちょうど本を自分で積極的に買って読み始めた頃にあたっていたら、おそらくは自分にとって永遠に「同時代的」な作家となって、強く惹かれ続けるものなんだろう。なんてことを、「闇色の戦天使 ダークネス・ウォーエンジェル」(アスキー、640円)の神野オキナさんが「魔術戦士6 冥府召喚」(角川春樹事務所、648円)に書いている解説の、「朝松健は初めて『自分で見つけた』作家なのである」という言葉を読みながら考える。

 解説の中で神野さんは、「そのころ、ソノラマ文庫には神がいた」という文句でもって菊池秀行さん夢枕獏さんに朝松さんが作品をガシガシ発表していた朝日ソノラマの「ソノラマ文庫」から喚起される強烈なイメージについて触れていて、「あの緑の背表紙を古本屋で見かけるだけで、今も胸がときめく」と言っておっさんなSFファンが「ハヤカワの銀背」に対して抱く感慨と似たものを、神野さんたちの世代は「ソノラマの緑背」に持ってるんだってことを話している。自分の場合だと、銀背は言うに及ばず青背だってしっかり数が出揃っていたから色への感慨はあんまりないし、「ソノラマの緑背」でも、「ガンダム」のノベライゼーションであったり「クラッシャージョウ」であったり読んではなかったけど清水義範さんの今は珍しいジュニアノベルだったりするから、唯一絶対の神を抱えて君臨する「ソノラマの緑背」ってゆー理解のフィールドにはちょっと立てそーもない。

 敢えて言うなら結局は未刊に終わった「新鋭SFノヴェルズ」シリーズの黄色い背表紙にはジンと来るけど、これってあんまり古本屋に並んでないからなあ。あるいは角川文庫の緑で統一された平井和正さんや小松左京さん、青の光瀬龍、赤の筒井康隆に黄色は豊田有恒で眉村さんは薄緑だったけ、そんな色で区別された今はもうない色とりどりな文庫本を古本屋で見かけるたびに浮かび上がる感慨が、「自分で発見した」のとはちょっと違うけど、あの読書が新鮮で仕方がなかった時代を思い出させるシンボルになっているよーな気はする。漫画だったら緑の格子が薄く入った「ぶーけコミックス」のシリーズがダイレクトにストレートに心臓に来るシリーズかも、内田善美さん吉野作実さん松苗あけみさん水樹和佳さん他多数の「神」がいたからなー、「ジュリエットの卵」とか復刊しないかなー。

 「自分で見つけた作家」って意味で今なお貪り続けている人ってことになると誰になるんだとうかと考えると、やっぱり神林長平さん火浦功さん大原まり子さん岬兄悟さん草上仁さんあたりが並ぶSF第3世代ってことになるんだろーか。新刊が出たらやっぱり絶対に買っちゃうし。今だとさしづめ「ブギー・ポップ」シリーズを筆頭に注目新人作家の人気シリーズを結構抱えてて、好きな作家を「自分でみつけ」甲斐のある「電撃文庫」なんかが、同時代的な共感を集めたりしそーだけど、ソノラマと違って緑に統一されてたりする訳じゃないから、「色」で喚起される甘酸っぱくって熱い想いってことにはならないのかも。神様たちと同じ作家ってフィールドで、背表紙への思い入れを惹起させる側に今いる神野さんにも、どこかで1つ派手にドカンとやってもらって20年たって「○○文庫には神がいた」って言われて欲しいもの、どうですか最近は。

 タイミングが良いのか悪いのか、朝日新聞が14日付朝刊で小渕前首相の入院時の容態について「意味ある会話困難」ってな見出しで1面トップを張っていて、「『何かあれば万事よろしく頼む』と小渕氏が発言したとすれば、医学的には奇跡に近いことのようだ」と言って暗に政権移譲に絡んだ会話のでっち上げっぽさを指摘しているけど、まるで図ったかのように死去した小渕さんの当時の状況について記者会見した医師団は、どうやら会話は困難じゃなかったらしーことを言っていて、これが与党からの圧力で言わされたものじゃないとゆー保証はないけれど、現時点では出したその日に誤報が判明するってゆー、新聞史上でも珍しいくらいに恥ずかしい状況に陥っていて今後の言い訳ぶりがちょっと楽しみ、「意味のある会話」の意味を巡って「意味があるとはてにをはがしっかりした言葉」とか「断片的でも意味が通じればオッケー」とかってな辺りで議論しそーな気もするなー。

 しかし新聞にしては恐ろしく憶測と推測と仮定に基づいた記事で、よくぞ載せたってゆー勇気を逆に褒めてあげたい。「その場にだれもいなかったので断定はできないものの、青木氏がしゃべったら、短い言葉が出て、うなずいたように見えたかもしれない」って、確かに状況としてはありえるけれど、そうじゃない可能性も否定できないなかでの一方向からの憶測は、主張したい「政権移譲の正統性への懐疑」を前面に打ち出したいがための強弁に聞こえる。もとより「よろしく」と言おうと言おまいと、順送りのよーに政権が移譲されていってしまった状況そのものを問題にすべきであって、中国の毛沢東が華国峯へと権力を移譲した際の「あなたがやってくれれば私は安心だ」なんかとは、意味も重みもまるで違う小渕氏間際の発言をめぐって議論した挙げ句に、結局は誤報だと言われてしまって紙価を下げてしまうのって、何だか酷くもったいない気がする。それとも小渕イジメの先頭に立って小渕前首相に同情する世間の反発を逆に煽り自民党を勝利へと導く、「泣いた赤鬼」作戦なのかも、うーん新聞報道って奥が深い。


【5月13日】 世代が違うとズッポリとハマってしまう作家って結構違うみたいで、自分の例で言うならSFの第3世代と呼ばれる人たちはリアルタイムでチェックしてたし伝奇バイオレンスな人でも初期の夢枕獏さん菊池秀行さんあたりはそれ依然の活動が頭にあったしメディアで名前もバリバリ出まくってた関係で割と押さえてはいたんだけど、80年代の末に就職して退職して再就職したのと同時に状況して忙しい仕事場に配属された関係もあって、何故か朝松健さんって人の作家としての活動が全然読書歴とかすってない。ヤングアダルトが雨後の筍のよーに出てきてノベルズもじゃんじゃん出てきた時期とだいたい重なっていることもあって、ほかにもヤングアダルトの分野で大御所になっている人たちや、卒業して一般書の方で頑張ろうとしている人たちとの接触が極端に少なくって、そーゆー作家さんたちにモロぶつかった恐らくは20代から上で30歳そこそこの人たちが神様と讃える人たちの、どこがどれくらい面白いのかを未だ知らずにいたりする。逆にここ3年くらいの方が良く読んでいたりするから、まだ10代の本好きな人たちとの方が理解の共通基盤があるのかも。でも「ジャンプ」読んでないからやっぱり話は合わないか。

 って訳で実は「夜の果ての街」(光文社、2400円)を含めて数冊くらいしか手に取ったことがない朝松健さんの、聞くところによるととてつもない位な奇跡らしー「魔術戦士」完結をお祝いするイベントが新宿は歌舞伎町の「ロフト・プラス・ワン」で開かれたんで相変わらずの好奇心から潜入、田中啓文さんに牧野修さんとゆー当代切ってのしゃべくり上手なホラー作家もゲストで登場とあって、場内はおそらく完結の滂沱にむせぶ熱烈なアサマチストな面々で埋め尽くされているだろーと思いきや、午後1時の会場時間をちょっと過ぎて中に入ったら誰もお客さんがおらず仰天、「開いてるんですかー」と聞いたら「開いてまーす」とのことだったから、時間を某某な方みたく「夜」だと間違えてはいないだろーとスケジュールを確認したらやっぱり正解で、あるいはどこかで大勢が決起集会でも開いてそれから乗り込んで来るんだろーかと考えたけれど、その割には10分経過しても30分経過しても一向に人で溢れる気配がない。

 そうこうしているうちに時間も過ぎて開演時間の午後2時が到来、この時点で場内は15人位入っていただろーかとゆー状況で、やがて登壇した朝松さん田中さん牧野さんに評論の笹川吉晴さん角川春樹事務所の編集の人の5人が壇上で脇のお座敷も角川春樹事務所の人が2人にこーゆーお目出たい席には実に似つかわしい飯野文彦さん、そして朝松さんの奥様でいらっしゃる松尾未来さんの4人とゆー、全体に占めるプロ律関係者律の異様に高い中でイベントはスタート、客の飲み代がギャラになるとゆーシステムに貢献しよーと幾ら頑張ってはみたものの、今週の頭からどーにも体調がよろしくなくって錠剤のビタミン剤を貪り食ってどーにか眼精疲労と不安にかられて手足が奮える症状を押さえ込んでいる身には、飲み物も食い物も喉を通らず胃袋にはいらず、なんだか申し訳ないよーな気分の中、熱心なファンが圧倒的な中でおそらくは唯一「魔術戦士」を未だかつて読んだことがなかったとゆー疚しさから来る気後れも感じつつ、イベントが進むのを見つめる。

 流浪の番組「タモリ倶楽部」も適わないくらいに流浪を続けた「魔術戦士」の流浪の旅についての話から始まって、その仮定で今はバリバリのサッカー評論家として新聞にコラムも持つハードボイルド作家でもある馳星周さんがまだ坂東齢人さんで編集者だった時代に仕事場にやって来ては朝松さんの原稿を見せられて上にかけあっても出せなくってハードボイルドらしく仕事場の机とかをガンガン叩いていった話とか、読売新聞の傘下に入ってしまうくらいに落ちぶれてしまった某文芸出版社に持っていって余所が断った物をうちが出すはずもないとあしらわれた記憶を掘り起こしつつわき上がる想念に血をたぎらせた話とか、大陸書房時代の豪傑編集者の良いとこ悪いとこいろいろ詰まった思い出とかを語り降ろして1時間があっとゆー間に過ぎていく。

 あまりの深い造詣によって記された魔術とかの描写がファンのみならず各方面に与えた影響も計り知れないらしく、その影響がもたらした可能性によって執筆活動に支障が出たらしー話もあってマジだとしたら出版業界ってこれでなかなかに慎重居士ってことなのかも、まあ公権力が相手だとやっぱり萎縮せざるを得ないのか。別に公権力でもないのに腰が引けまくっている出版社もあるらしくって、軒先を貸している「サイゾー」にプレッシャーをかけまくった関係で、発売日の18日に果たしてホントに最新号が刊行できるのか、刊行されてもページ白ばっかりじゃないかってなウワサが飛び交ってるけどこれホント? やっぱりとてつもなく霊験ありそーな倒産厄除けを飾っておかなかったのがタタったのかも、遅くないから今からでも網元とでも呼んであげたら如何、不自然に白抜きされた部分とかにドカンとPRなんか出ちゃうかも、「週刊朝日」「週刊慎重」の「本屋さん」ほどじゃないけれど。

 デンパな話はホラー作家でありかつラブクラフト&クトゥルー研究とか魔術研究とかでは日本でも有数の人らしく幾つもあって、例えばエルカンターレな人のブレーンとかゆー人がOとRのアルファベットのカバラ的な意味を知りたいと言って来たり、編集部気付で辺な手紙が届いたり、MIBらしき山田一郎なる胡散臭げな人が編集部を訪ねて来たり長髪でヒゲな松本さんとゆー人とすれ違ったり枚挙にそれこそ暇がない。真面目な話では、秋とかに編集者時代のエピソードを盛り込んだ私小説風の長編が出るとか、これから毎月角川春樹事務所で文庫が刊行されるとか、幻らしー「黒衣伝説」の再刊に向けた動きとかファンなら卒倒の話もいっぱいあったみたいだけど、にわか読者にはどれだけのバリューかは掴めなかったんで週明けにでも朝松さんのページに出るリポートを読んで何が話されたかを見て下さい、でもやっぱり人で埋め尽くされた会場を震わせるドヨメキが聞きたかったかな。

 何故か始まったビンゴ大会は人間が少ないから当たる確率は高いんだけど人間が少ないから配ったカードの枚数も少なくって該当する玉が出るまで時間が掛かるかかる。最初は朝松さんが回して田中さんが回して飯野さんが回してたりするうちに、最初に2人がビンゴをゲットして1人の女性はどーやら熱烈なファンらしく滔々とファンであることを告白しつつ朝松さんのサイン本をもらってえびす顔、もう1人は多分「Myscon」でも見かけたよーな気がする(違うかも)長髪金髪長身痩躯なお兄さんでこちらは朝松さんの中国語版だかをもらって喜んでいた。で次にビンゴったのが僕だったけど朝松さんのファンなら喉から手が出るサイン本より新刊より百足な本より角川春樹事務所から発掘されたとゆー某「REX」の小さなソフビ人形に「REX」の卵が開くと芯が出るボールペンに「ゴジラ」関連のグッズが1つの袋に詰め合わされた謎な景品へと目が吸い寄せられて、ご本人を前に失礼だったけどそちらを頂いて帰る。「夢の中で子供が出てきて今日言ったら良いことがあると言ってたんで来たら良いことがありました金槌ふりまわさなくってよかったです」とデンパな挨拶をしたけどデンパの度合いが低すぎて受けず。猫振り回さなくっちゃいけなかったかなー、でもこんなん眠ってるんなら角川春樹事務所また遊びに行きます。

 会場は来ていなかったけど実は天井からぶら下がっているかもしれないと言われていた井上雅彦さんから、控え室に居た朝松さんたちに電話があって気になっている「異形コレクション」の行き先がカッパな光文社に決まったとか何とかで一安心。まとめて移るんだろーか新刊からなんだろーかは不明、あろ「リアルヘヴンへようこそ」とかも。「SFバカ本」についても行き先が内定しつつあるそーだけど決まらなかったらコミケで出すか、なんて話があってそっちの方が売れそーかも、なって展開になってシンミリ。本当だたらゲストの予定に入っていた友成純一さんは航空券なし宿泊もなしでギャラもこの様子では韓国ノリ1枚くらいだったかもしれない「ロフト」のイベントに後ろ髪を引かれる思いで、チケットもホテルも完備したフランスはカンヌの映画祭へと出かけることになって会場に来れず、映画評の新刊とか出てたし是非とも話を聞きたかったけど、出没してればそのうちどこかで見かけるでしょー。

 そんなこんなで3時間ほど楽しんだ後でせっかくだからと本屋で「魔術戦士」(角川春樹事務所)を最新刊にして待望の7巻も含めて一気買いの一気読み。他の人が10年をかけてやきもきしつつ待ちわびた挙げ句に到来した至福を1日のそれもだいたい6時間くらいで味わえる、このズルさが遅れて来たファンの特権なのです。なるほど魔術に関する知識の豊富さ記述の正確さは流石なもので、闇の魔術的組織と正義の魔術戦士たちとのド派手なバトルを楽しめる、エンターテインメントとしてもなかなかな作品ってことが分かる。闇が胎動する1巻から闇が誕生する2巻あたりのおどろおどろしさは、日本の神様が復活する数ある伝奇系の話の中でも高い説得力を持っていて、日本が邪悪な神の吹き溜まりになっていたんだってな教授の説とも相まって、まさしく「邪心帝国」な日本を巡る聖と邪とのバトルの今後と、そんな展開を高次から見つめる宇宙的な存在への想像なんかが入り交じって3巻以降への期待を抱かせる。

 で、東京へと話が移った3巻以降も魔術描写の確かさにエンターテインメント性が強く加わりページをめくる手を止めさせない。続々とやって来る悪の魔術師たちのバラエティーに飛んだ造詣は漫画的ジャンプ的なヒーローバトルとも重なって、一方の魔術戦士たちのやっぱり同様な仲間登場も相まって楽しく読める。宗教的な力をバックに持って、とりわけキリスト教圏では国家元首に匹敵する力を持って政治にだって圧力をかけらえるだろー「国際宗教者平和協議会」がありながら、やすやすと悪の魔術師集団に魂を売り渡してしまう日本政府のふがいなさが気になったけど、日本の政治ってばこの程度じゃんと言ってしまえばなるほどそーで、だからこそ日本を舞台に闇のキリストの復活を願って人がいっぱい集まって来たのかも。怪獣が東京湾に集まるよりはまだ説得力がある。

 学者の唱えた日本は邪心の流刑地説をもっと前面へと押し出した「だから日本なんだ」とゆー理由付けで納得させて欲しかった気もするし、何やら大宇宙の意思(手は生えてないし声も水谷優子じゃない)めいた存在を示唆させる部分もあるから地上での絶対的な善と悪の戦いも、はるか高次から見れば相対的に過ぎないものだとゆー哲学めいた展開になっても面白かったよーな気もするけれど、自分が善か悪かについて悩んでしまう主人公ってのも結構いたりするから、聖なる役割をストレートに信じて猪突猛進するコマンドーが見せる容赦なく屈託もない戦いぶりを、これは読むべきなんだろー。

 さてもとりあえず終わった”第1部”、すべてを終えて成長した主人公たちに改めて襲いかかる、しぶとく生き残った悪の組織が志門に、レイに、魔術戦士たちに今度は世界規模での災厄となって襲いかかる中、この第3惑星・地球に生命が生まれて人間が発生して魔術によって霊界とのチャネルを確保しつつもちっぽけな場所で小競り合いを繰り広げる、その宇宙的な意味って何だろうってことを深く探求していく”第2”部の発売を心待ちに……って違うの? 7巻で完結なの? 甘いぞ甘いまだまだ絞れば絞り出せるぞ角川春樹社長様、キャラ立ちバッチリな魔術師軍団の再投入によってこの世が吹き飛ぶくらいの激しいバトルを、それこそ古橋秀之さんが「ブラックロッド」3部作で爆裂させた以上の世界を震撼させる物語を、UFOすら呼んでしまうとゆーデンパ力でもって朝松さんに書かせてやって下さいな。なあに本当は88巻あったって言えば良いんです、「太陽の世界」を越えるのが狙いです、とかって言葉も付けて(ちょっと自爆的)。


【5月12日】 レギュラーの記事にはなかく1回休みかなーとか思っていた「噂の眞相」の東浩紀さんネタだったけど、買って読んだら何としっかりミナコ・サイトウじゃなくって斎藤美奈子さんのコラム「性差万別」に堂々の登場で、おまけに「Jまごころ系」の教祖的存在な「326」さんと並べての比較とゆー、わるものをして「目からウロコ」と言わしめる大技で袈裟固めにホールドされていて、流石は「ウワシン」食らいついたら容赦がないと感嘆する、来月は高橋春男さんでその次がナンシー関さんで文芸誌で対談していた筒井康隆さんが救出したと思ったら最後がアラーキーによるヌード写真でトドメ、ってことになったそれはそれで凄いかも、前に記事でドーンとやられた岡田斗司夫さんだって1回コッキリで後に続いてないからなあ。ちなみに朝松健さんイベントinロフト・プラス・ワンは「昼」の企画です午後2時スタートの。夜は「ネガゲイ×ポジゲイ」の企画で間違えて行ったSFな人は目がセンス・オブ・ワンダーかも。

 積極的な自分語りって意味では珍しい文章だったかもしれない「Tripper」連載の「誤状況論」。とは言え、評論集の「郵便的不安たち」(朝日新聞社)に入ってるえっと「棲み分ける評論」だったっけ? 違うかもしれない埋もれちゃっててすぐに出て来ず確かめられないのが書誌家としては役立たずでレビュアーとしても失格なところだけれど、評論する場合の「立ち位置」ってところを気にかけているよーな文章をあちらこちらで見かけた記憶がある。哲学をやっててサイバースペースについても造詣が深くって昔は筋金入りのアニメファンで漫画もよく読んでてエヴァについて語れてドリルがルンルンとゆー、大手のメディアや権威を好む雑誌なんかが今の若者(オタク)トレンドをサクっといっちゃいたい時に使って便利な経歴知識に趣味嗜好があるってことを、自覚しつつやっているんだなーとその活動を眺めていたから、新連載のスタートを機に、改めて「立ち位置」についての考察をおおっぴらにやってみた、って程度の受け止め方しかしなかった。

 そこは流石ネガティブ・シンキング(だから違うって)な斎藤美奈子さん、自分を中心に自分はこう思うんだと主張する「自分語り」が、時に反論を回避しつつ自己を正当化しようとする卑怯なスタンスに代わりかねない危険性を察知しているからこその、「僕ちゃん語り」への揶揄だったんだと思うけど、ってゆーかホームページで日記を書いている当方の深層心理に、「僕」を主語にして自分はこう思ってるんだけどぉ……ってな感じで反発は許ず共感を求めよーとしている部分もやっぱりあるからそう思ったんだけど、そこは「立ち位置」に自覚的な東さんのことだから、ささやかな強制なんてことにはならず、斎藤さんのコラムに添えられたキャプションにある「人のふり見て我がふり直せ」を当てはめるなら、たとえ一見「自分語り」をしていても、それを反面教師にするなり症例と見るなりして、「でも俺はこう思う」ってな思考を喚起させて議論を巻き起こすことが狙いなんだと、勝手に「誤状況論」の意味を捉えているんだけど、ろくすっぽ喋ったことないから本当は天然系自分語りっな人かもしれないし、うーんちょっと僕には分かりません、と僕を使って逃げを打つ。気になる人は5月20日のパルコギャラリーにゴー、でもチケットまだあるのかな、僕まだ買ってないよ。

 「泣き虫野澤」と世界的に知れ渡ってしまった元山一証券社長が会長を務める「シリコンコンテンツ」って会社の発表会が「サンリオピューロランド」で開かれたんで新宿から電車でガタゴトと地の果てにある多摩センターまで出向く、でも新宿からだと京王なら特急橋本行きで3駅目で料金も330円で船橋より早く安く着くんだなー、こっちは地の果てにある海の果てって思われているかも。さて到着した「サンリッピューロランド」は日本人っぽい顔立ちなんだけど喋っていることばが日本語じゃない人がいっぱいいて、アジアでの死人も出そーなくらいの「ハローキティ」の人気を目の当たりに見せつけられる。金曜日とは言え平日の館内は少なくともお台場にある「ネオジオ東京」よりは混雑していて、一時はサンリオのお荷物とまで言われた「ピューロランド」も、今でも経営の面ではやっぱりお荷物かもしれないけれど、同じ位に看板になっていることが分かる。偉大なりキティ、偉大なりマイメロディ。

 その「ハローキティ」が、京都は伏見工業のラグビー部監督と並んで泣いている姿ばかりが世の中に印象づけられている野澤さんとどーゆー関係があるのかって言えば、野澤さんを迎えたシリコンコンテンツって会社がスタートさせるコンテンツ配信システムの提供先第1弾に、サンリオが名乗りを上げたってこと。ちなみに今出ている「プレジデント」でのインタビューだと、電車で見かけたキャラクターに「これだ!」と思った野澤さんが「あれいいね」と言ったら「あれはキティとゆー有名なキャラクターですっ」と社員に呆れられたとか。テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」でも放映されたよーに(僕も映ってたよー)、記者の質問にもちょっと頓珍漢な答えをしてたりして、流石にITのことはまだ分かってないよーだけど、それでも世間がスタートしたばかりのベンチャー企業のビジネスに注目してくれるのは、あの「涙の会見」で世間から恥さらしだと非難された野澤さんの人柄があってのもので、分かってなさも1つの看板、そこを糸口にプレゼンが始まれば、ビジネススキーム自体はそれなりにしっかりしたものだから、何とかなっていくんだろー。2度目の「社員は悪くありません」はやらなくて済む、かな。

 多摩で多摩美のお膝下だからってこともあるのかもしれないけれど、駅前にあるビルの上にあった「くまざわ書店」でPOP付きで並べられていた絵本にちょっと目がひかれ、パラパラと読んでなかなかだったんで買ってしまう、Dって名前の女性アーティストでイラストレーターで漫画も描いてモデルもするらしー多摩美中退な人の「ファンタスティック・サイレント」(KKベストセラーズ、1500円)って本。巻末に写真が載っていて、見るとなるほどモデルでもやってそーな美人です、お近づきになりたいけれど会ったらドギマギしちゃいそーだから写真舐めるだけにしますペロペロ。お話は2話収録で退屈さにイラだっていたヤンキーな兎と熊のキャラクターが別世界に行って融合してしまう話は何となく「BH85」「月の裏側」風で、絵本調なのにキャラは凶悪な面構えってなフシギな絵柄と相まって、何とも奇妙な雰囲気を醸し出している。

 問題は2話目。病気で外に出られない熊って主人公の設定なんだけど、薄幸な可憐さとはほど遠く全身のボロボロ具合があからさまに描かれていて、その醜さに最初はギクリとさせられる。一緒に住んでいる兎に林檎が食べたいと言って取りにいってもらっている間に読んだ絵本の載っている、貴族の首に巻かれたヒダヒダ襟巻をシャンプーハットで真似たらどーだろーと考えたところから気持ちは異なる世界へと入り込み、そこで出逢ったフシギな人たちに連れていかれてしまう。しばらくして林檎を取って帰ってきた兎が見たものは……ってあたりであまりに単純過ぎるオチなんだけどあまりにストレートに心に来てしまって涙がジワッと浮かんでくる。客観的には病は酷く死は醜く、死体も決して美しくはないとゆー事実を明示しながら、それでも主観的な幸福への到達への共感を呼び起こし、同時に別離への哀しを喚起して心を打つ。見たら立ち読みでも良いから読んでみよう、買いたくなること必至、けど宮崎駿さんのコメントは謎だなあ。


【5月11日】 ああっクラヴィス様がっ! ってのは大嘘ですが、ああっ相沢耕平がっ!! ってのも同じ様に嘘で、「軽シン」にしてもR・田中一郎にしても風間真にしても、OVAとかが全盛な頃の作品って実家にビデオもなければLDなんてとんでもない時代だった関係でほとんどフォローしてないんですわ、あとゲーム関係も。世代的には思い浮かぶのはやっぱりブンドル局長に落ちついてしまうなあ、「美しい」って連発しては薔薇の木に薔薇の花を咲かせまくってた姿を今でも覚えています、カットナル、ケルナグールは印象薄いのに。しかしやっぱりすげえ名前だったなあ、分捕るカッとなる蹴る殴る、だもんなあ。

 リアルタイムで見ていた感じだと、どちらかと言ったらニヒルな悪役系だった人を無理矢理超絶美形なキャラにはめてしまい、セリフも大時代的に大仰にしてウケをねらったって印象が「戦国魔神ゴーショーグン」にはあって、それが思惑どおりにウケてしまったのがきっかけになって、以後の主役二枚目声での大活躍につながっていったよーな記憶がある、個人的な思いこみだけど。だってそれより以前に存在感を確認できたのってマ・クベ大佐だったからなあ「あれは良いものだ」な。 神谷明御大は別格として水島裕さん三ツ矢雄二さんみたいな少年系とは違って曽我部和行さんとか鈴置洋孝さんとか井上真樹夫さんあたりとも微妙に異なる独特の雰囲気を持った人だったなあ、合掌、塩屋翼さ……じゃなかった塩沢兼人さま、跡を継ぐのは三木眞一郎さんあたり?

 スポーツ新聞を4紙「サンケイスポーツ」と「日刊スポーツ」と「スポーツ報知」と「スポーツニッポン」のどれを読んでもトルシェの後任が決まったって話は載っておらず、ただただ釜本さんを筆頭とした強化本部の体たらくを詰(なじ)る記事ばかりってのは、あれだけ期待を持たせての会合突入だったってことを差し引いても、いったい新聞の人たちって何を基準に記事を書いてるんだってな気にもなってくる。だって当日の朝刊ですら「西野で行く!!」だったんざぜ「サンケイスポーツ」。

 慣れないスポーツ記事を1面でドカンとやってしまって、内実はともあれ世間的にはすべてが真実であり公明正大であろーと認識されている「朝日新聞」よりは痛手は小さいかもしれないけれど、トルシェ・ジャパンの課題を「決定力不足」と行って監督を切ろうとした釜本を「決定力不足」と書く新聞も同じように「決定力不足」に陥っていることだけは認識した方が良いかも。気配だけで書きとばして他と違っていないこで安心することばかりを繰り返し、責任の所在を明確せずに曖昧さの中で知らず前へと事態が進んでいってしまう、サッカーもマスコミも結局は「ニッポン」なんだなあと改めて実感させられた次第。

 しかし怒ってるなあ馳星周さん、えっと「スポニチ」だったっけ「日刊」だったっけ、どれかの新聞で金髪頭にマヨネーズのチューブみたくノペラっとした顔にサングラスをかけた写真が載っていて、5年前の加藤久さんがネルシーニョを推して入れられず辞任した事件を振り返りつつ「日本サッカー協会変わってねえ」とご立腹。サッカーに一家言あるってだけでスポーツ新聞で堂々とサッカーについて語れるってあたりがこれまた日本のメディアの有名人好き体質を現すところだけれど、作家な人にこーまで悪し様に罵倒されても動かない日本サッカー協会って方がなおのこと惨めなのは言うまでもなく、やっぱり何とかしてちょーだいってな気にもなってくる。

 ちなみに馳さん「ニュータイプ」のインタビューで「たとえば俺が、ワールドカップが見たいなあって呟くと、あっと言う間に旅行と席の手配としてもらえる。これって作家の役得だよね」なんて言って真面目なサッカーファンの羨望を買っている。これまた日本の権威好きなところを現していて気が滅入る、いくら「オリンピックが見たいなあ」なんてぼやいたって、サッカー好きな翻訳の人映画な人ゲームな人出没な人んところにゃチケットなんて届かねえ、やっぱ取るしかないか直木賞、大薮賞であーなら直木賞だったら飛行機はファーストだ。

 タカラのクリスマス商戦に向けた新商品の内覧会。会場に到着すると入り口でいきなりな「モーニング娘。」のビデオ&ポスターで一体何事かと思って中をのぞくと、何やら「モーニング娘。」の楽曲を使ったゲーム機が。丸いボタンが4つついたタップみたいなのを叩いている姿に「なるほど『ポップン・ミュージック』か、コナミとも提携したしなあ」とか一瞬思ったけど、この前の発表がすぐに商品に反映されるほど機敏な業界じゃないのも承知しているから考え直して商品を観察、何やらROMカセットみたいなものを出し入れしている様子が見えて、いわゆる家庭用ゲーム機と接続して遊ぶ周辺機器じゃないってことが分かって来る。

 何でもこの新製品、赤黄白のAVケーブルでテレビに接続するだけで遊べるゲームってことで、音楽にあわせて上から落ちてくるボールをピンボールの羽根よろしくボタンを押してはじき返すって内容で、タイミングを外すと上がらなかったり下に落ちてしまって減点となり、一定回数以上ミスするとゲームオーバーってことになる。ROMカセットで用途は単一だけどボールの挙動とかボタンとのシンクロ具合は家庭用ゲームに比べてそれほど劣るってものじゃなく、使っているチップの性能の結構良さそうってことを伺わせる。エポック社の野球ゲームで使っているのと同じチップかな、あれもリアルタイムで結構なCGを出してたし。

 同じシリーズでAVケーブルをテレビに接続するだけでカラオケが出来るマイク型の機器も出ていて、簡単な割にはそ「マメカラ」なんかとは比べ物にならないくらい画像でも音声でもしっかりとしたカラオケを楽しめるのに感動。カセットを入れ替えれば楽曲の追加は可能で、高い方のカセットだとカラオケでもボタン押しゲームでも楽しめるとか、「モーニング娘。」の曲はこっちの方のカセットに入ってる。汎用のゲーム機は何でも出来る割にはCDを入れるとか周辺機器を買い足すとかいった手間もかかって大変だけど、特化して機能を絞ることでより簡単に、かつ安価に遊べるよーになるってことなのか。「プレイステーション2」みたくハードもソフトもゴージャスになるか、タカラとかエポック社の”ゲーム機”みたく簡単で便利になるかの二極分化が起こっているのかもしれない、さてどっちが勝つ?

 日本語版の「ウブラブ」は睫(まつげ)が英語版の黒からカラーになっていて、これで米国的な派手さがなんくなるかと思ったら逆に派手さが増しているよーな気がしてちょっと妙、あのビラビラを小さくするって発想にどーしてならないんだろ、あろ紫色の地に青いハートとか黄色い地に紫のハートってな常識を無視した配色とか。社長の人に「買ったんですって、卵出て来ないんですって」って心配されたんで家に帰ってから電池を入れ直して遊んだら、ちゃんと「ひやかむべいびー」の後にガガガッと開いて卵が登場、でもってお母ちゃんから「ベイビー?」って声がかかって子供を出すと唄を唄い出す、会見で見たとーりの「ウブラブ」にちゃんとなっていた、「SFセミナー」ん時は揺すったりしたのがマズかったのかな、今度はちゃんと「ミーコ」ちゃんにも見せてあげます、でも声とかニギヤカだしなー、顰蹙物なんでおおらかなイベントに担いでいこー、コミケかな。

 「クラリィス」。ってあの声で言われるとなあ、やっぱり思い出すよな「カリオストロの城」はカリオストロ伯爵by石田太郎。「ナウシカ」はクワトロな家弓家正さんも登場していてテレビ東京で放映中な「羊たちの沈黙」の吹き替えは、甘く危険でイヤらしい男の声が大好きな人にはちょっと堪らない番組になっている。この辺の人たちってつまりは20年以上もずーっと艶っぽい声を出し続けている訳で、この間に山と出てきた男性の声優たちを持ってしても越えられない、独自にして最高の力量があるってことなんだろー、偉大なり。けど塩沢さんもそーだったし山田康夫さん富山敬さんといった余人をもって代え難いってな声優さんが、少なくなってはいてもそれほど増えてないよーな気がするなあ。20年後、どーなってるんだろ声優地図。


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