縮刷版2000年4月下旬号


【4月30日】 続くか潰れるか暗中模索で態度保留のまま催促のない原稿への着手を放り出してはいるものの続くとしたらネタだけは仕込んでおかねばと池袋のサンシャインへ。本当は開催された「ドールズパーティー」に入ろうとしたんだけど午前11時の開場時に外へと伸びる長蛇の列でちょっと後込み、仕方なく文化会館の4階だかで開かれていた「たれまつり」をのぞいて「たれぱんだ」尽くしの中を散策する。ブレイクしてからもう結構な期間が立っているにも関わらず、相変わらずの人気でそれもファンシーなグッズが狙うコアな層がちゃんと支持しているらしく、会場は幼稚園とか小学校の低学年といった層とその親とゆー一行でいっぱいで、中にはカップルもいて場内のラブラブカップルなコースで「たれぱんだ」の「すき」の格好を真似て抱き合っていやがって水でもかけてやりたくなったけど(つながってはないない)、大半が親子連れで入り口付近にある巨大な「めかたれぱんだ」の前とか中にある空気仕掛けで子供が浮き上がる「たかいたかい」の前とかで、記念撮影にいそしんでした。

 中にちょっと可愛い6歳くらいの(おいおい)女の子がいて、来ているエプロンドレスの生地がたれぱんだの模様で背中にも「たれぱんだ」のリュックを背負ってて、もう近寄って頬摺りしてあげたくなったけど母親連れだったんで断念して、遠くから写真を撮るだけにする。ほかにも背中にたれぱんだのマークの入ったシャツとか来た女の子とかが結構いて、某な電気ねずみのブロックバスター的人気に比べるべくもないとは言っても、ゲームやアニメが核となってブレイクするキャラクターの多々あるなかで、メインのコンテンツを持たないキャラクターがかくも巨大になってしまった背景に、どんな戦略どんな社会的状況があったのかを、誰かまとめて欲しいなー、ってお前がやれ? でもファンだと冷静な判断って出来ないからなー、「たれぱんだだからに決まっているじゃないか」って定説もかくやと思われる無茶な論理を繰り広げそーだし。

 ここまで人気が広がると話題が話題を呼ぶ構図が出てきそーで、そんな構図を成立させそーなのが7月25日だかに発売予定のOVA「たれぱんだ」。そーですいよいよ「たれぱんだ」も映像化されるのです、とはいえ別に「アニメ化」って訳じゃなく、1つは実写版「たれぱんだ」、ってもこれまた別にすあまを入れたジャムの瓶の裏にバターを塗って外に出られないよーにしたのを台所の隅に仕掛けて野生の「たれぱんだ」と捕まえて撮影した訳じゃなく、フィギュアを作って舞台を作ってカメラで撮影したってことみたい、イベント会場にはそんな映像に使われたっぽい「たれぱんだーびー」とか「すもう」とか「こたつ」とかのシーンやら登場たれぱんだ物の人形やらが飾られていて、レースのメインスタンドに鈴なりになった「たれぱんだ」なんかよく作ったもんだってな数があったりしてちょっと感心する。

 あとCG映像も入っているみたいでマックの上で動く場面とかを見せてくれていた。担当するのは「ロボットパルタ」とかを手がけた人とか、「ワンダースワン」でも動く「たれぱんだ」の絵を見られたけれど、ブラウン管の中を動き回る「たれぱんだ」はまたひときわ違ったまったり感を見せてくれるに違いない、でも「たれぱんだ」だしなー、秒間24コマ使っても半分は同じ絵になっちゃいそーなのろさだしなー。ゲームだと他に「ポケットステーション」対応の何かも出るみたいでバンダイちょっと頑張ってます。出口には「たれごよみ」(末政ひかる文・絵、小学館、1100円)に出てきた108の煩悩をすべて立体化したミニチュアのフィギュアがズラリと並べられていて壮観、加えて驚くべきことにこれがまとめて売られるってんだからちょっと凄い、いったい誰が買うんだろー、買ってもどこに並べるんだろー。

 しかし「サンシャイン」はキャラ尽くし。「「ドールズパーティー」は1日だけのイベントだけどゴールデンウィーク中は「たれまつり」のほかに「デジモンアドベンチャー」とか「セーラームーン」とかのイベントが開催中でほかにソニー・クリエイティブだかのショップでは「ポストペット」の「モモ」が兄と妹の2匹連れで来場してサイン会、常設でもナジャブが人気で町田康さんもうくくと言いながらのぞいて回った「ナンジャタウン」が鎮座ましまし、さながら「キャラクターの塔」と化している。例えばアミューズメントなりエンターテインメントから「キャラクター」とゆー要素を取り払って果たして成立するのたってのが考え辛くなってしまっている自分にふと気が付き、すべてをキャラクターに依存している状況が、あるいは遊びを創造する感性を狭めている可能性はないんだろーかと自問する。そうはいっても逆に「キャラクター」という価値を無から創造する感性は養われる訳で、それも1つの想像力なのかもしれない。キャラクター禁止令が出た近未来が果たしてユートピアかディストピアかってな話でも考えてみるか。

 「ドールズバーティー」は午後の1時になっても外に行列が伸びていたんで断念、本なんかを読みつつテケテケと帰る。海外の今っぽい小説を、ソフトカバーの軽装本で1000円とゆー値段で紹介していて、財布に軽く頭に楽しい角川書店の「BOOK PLUS」シリーズで、最初に手に取ったのが表紙がキッチュでポップな「ソフト」(ルパート・トムソン、雨海弘美訳)。用心棒上がりで真面目な床屋になろうそしていた男が昔の仲間から持ち込まれたヤバい仕事で標的にと支持された女性は、どう見ても一般人で実際にレストランでウェイトレスとして働く一般人だったけど、ちょっとしたアルバイトに応募したことからちょっとした仕掛けを施されてしまって、それが結局は命取りになろーとしていたとゆーシチュエーションが展開される。

 そこから次第に壊れていく女性の日常と、女性が壊れていくのとは対称的に地位を掴み階段を上ろうとしているソフトドリンクのマーケティング担当者の日常が描かれていく。救われないのか救われたのか、微妙な展開ではあるものの総じて金と地位のためなら何だってやる奴等の醜悪さはだけは正直頭に応える。SFとはいえないもののSFっぽさは感じられるからマージナルでボーダーな人でも読むが吉。何より安い割に格好良いから夏場のクリアーなショルダーバッグの中に入れておけばファッションアイティムにだってなりまーす、こーゆーあたり角川って旨い。格好良さでは「ビーチ」(村井智之訳、アーティストハウス、1600円)のアレックス・ガーランドの第2作目も「四次元立方体」(村井智之訳、1000円)とタイトルも装丁もなかなかにキャッチィ、でもこれだけ発行がアーティストハウスで発売が角川書店ってなっているのがちょっと違う。どんな事情があったのやら。


【4月29日】 実はちゃんと朝には起きてたから午前中の更新は可能だったんだけど、起きた時間が午前の8時ちょい前でこれなら間に合うと思ってしまったのが災いってゆーか今にして思えば幸運の元、更新はさておいてやっぱり言った以上は良かねばならぬと、酔っぱらって寝ていた椅子の上から立ち上がり着替えて京成電車に乗って上野へと向かい、今日が公開のガンドレス完全版を見に行く。偉いってゆーか根性がイヤらしいってゆーか。それでも到着すると開場から1時間前でおよそ40人くらいの行列が出来ていて、世の中にはやっぱり好奇心に満ち溢れた人間が多いってことを実感、まあ谷田部勝義監督が一体何を言うのかってのはアニメファンならずとも興味があるところだし、川上とも子さんの来場も声優さんのファンにはきっと嬉しいだろーし、何てったってアニメな映画に付き物の「セル画」がもらえるってのが大きい。デジタルな時代だからってやっぱセル画はファンにはタマらんのです、からデジタルな時代になってもセルが無理なら原画とかを、やっぱり配って欲しいです。

 しかし荒木経惟さんのポラロイドで当たりを引いてしまって運が抜けたか、もらったセル画は多分アリサの乗ってたランドメイトのドルチェとケイのクムガンが並んだ恐らくは冒頭の船でのバトルの1場面で、人気の女性キャラではなくってちょっと残念。前の座っていた男がアリサのシャワーシーンでのバストショットだっただけに悔しさも募る。でも警部のジュース飲みシーンとかが当たった人もいたから主役メカってことで納得しよー。そうこうしているうちに映画が始まって、久々に見た「ガンドレス」は完全版だけにもんじゃはヘラで掬うとちゃんと減り、ラーメンの無限ナルトは消えて口も顔からズレて行かない、もちろん声も口とはほとんどズレない。前回は「ドルビーのマークを土壇場で削りました」(関係者)ってくらいの音だったけど、今回のドルビーサラウンド化された「ガンドレス」はその辺での心配は全然なかった。あと絵だと後は行進するテロリストたちの肩はちゃんと上下して、セル画でもそーだったよーにメカの単色ベタ塗りは消えていた。なるほど完全版だー。

 とは言え徹底的な描き直しがある訳はなく、全長で人間の3倍くらいはありそーなランドメイトが人間用の入り口から部屋の中へと平気で入ったり出たりするありの伸縮自在ぶりに、21型のテレビを入れるだけでタテにしたり横にしたりの苦労をした我が家の狭さを思い出しつつ天井は高い方が良いと思ったり、子供を殺すよーな奴には武器を売らないポリシーを持ちながら世界的な武器承認になれてしまったハッサンの常人には想像し難い商才に嫉妬したりと考えること多々。後でトークショーに出た谷田部監督によれば、最初のシナリオは「長くてヘソ(芯)がなくてどうしようかと考えた」ものらしく、それを「女の方が強く男はバカだったという点に絞った」とかで、「そういう意味ではまあまあ」な話になったそーだから、いったいどんな初稿が上がって来ていたのかをちょっと見てみたくなる。まあ細かいことを抜きにすれば、「まあまあ」と言うだけあって気恥ずかしいけど仲間の有り難さを見させてくれる内容で、それなりにちゃんと最後まで見ていられました。

 さてトークショー。登場した谷田部監督、のっけから去年の3月の初公開時にどーゆー訳だか予定されていた舞台挨拶がなくなってしまった事態に触れて、「社会面に載っちゃいましたからねえ」と軽くジャブ、それからDVD化がちゃんと進んでる話に関連して、「DVDってたくさん入るから、公開の時のを入れたら余計に売れるんじゃないでしょうか」と言ったらやっぱりな会場からの拍手が起こって大盛況。宣伝のキャッチコピーじゃないけど「世紀末伝説を目撃」するどころか自らがスタッフに名前を連ねて作り出してしまった傷も癒え、何とか笑い話に出来るところまで来たんだなってな印象を抱きつつ、逃げなかったスタッフたちのこの1年の苦労を思う。

 それから谷田部監督、ソフトな声で優しげな表情を浮かべつつ「前の時は初日に見にいったんですけど、さすがにこっそり見てたら、次の女の子2人のお巡りさんの映画の連中が劇場に来ていて『やなやつだー』と思って、こっそり帰りました(笑)」と苦労話を訥々と。「3年くらい前にあるプロデューサーの人から『やらないか』と言われて、士郎正宗さんとつながりのある人から話を聞いて面白そうだと思った」と、そもそもの関わるようになったきっかけを披露した後で、「これが間違いの元でした」と付け足す辺りにも修羅場のくぐり抜けた人ならではの達観が見える。大変だったんだなー「いろいろ勉強になりました。演出家は自分を守らないといけないということが分かりました、少し大人になれました」とも話してたし。

 しかしほんわかとして川上さんもなかなかなツッコミ。「スケジュールに『ガンドレス』の舞台挨拶ってあって1年時間が間違ってるのかと思いました」とか、「自分だけだったらどうしようと思ったけど監督と2人と聞いて安心しました」とかって話は、まんま去年の舞台挨拶が飛んでしまった事態への、意識しているかはともかく関係者にはチクリと突き刺さる言葉だし、「今日来ていた人は映画を気楽に楽しめたんでしょうね」とゆーのも確かに前よりは直ってはいるものの、それでも根本的な部分でのビミョーな雰囲気を味わった人が大勢いるだろー会場では、かえって傷口を広げる言葉だったかもしれない。でもって「今回はちゃんと絵も付いてタイミングもあって」でトドメだ、フツーだったら死にます。それでも流石は谷田部監督、「前のってカッティングしてないんですよ」と言って大爆笑の喝采を浴びつつ、「完成してないんでまさかそのままやらないだろうと思っていたらやってしまって、どうしようと思ったら仕事なくなりました」でオチまで自演。そうは言いながらもあくまでも徹頭徹尾にソフトな口調が、会場に(今日とゆー日が迎えられてよかったなー)とゆー連帯感を生み出して、和やかな雰囲気でトークショーは進行する。

 谷田部監督による「お金を出せば出来ると思った人たちがいたんですけど、キャパが無いのに本数だけがボロボロ出てしまって」といった感じの、「エヴァ」や「もののけ」の大成功が呼び込んだアニメバブルに伴う人手不足についての言及は、誰もが経験のある中でひときわ大変な事態に直面した人だけに説得力十分。遅れなんかが生じた時の「テレビシリーズだと建て直しには3カ月かかるね」との言葉もリアルだったけど、そこで返して「傷が大きくなることもあるから」で再びな笑いと取り、さらにそこに川上さんが「劇場だと盛り返すのに1年かかるということですね」とナイスなコメントで突っ込んで、笑いの大渦のなかでトークショーは終了する。蜜柑もポップコーンも最後まで飛びませんでした。帰りがけには韓国版のスチールなんかを購入、ハングルがなかなかポップです。ところで「ガンドレス」ってちゃんと韓国でヒットしたんだろーか、上映前に予告編が流れてた「シュリ」のアクションの迫力に、アニメがどこまで対抗できてたかって考えると、どーゆー受けかたを韓国でしてたのかにちょっと興味がある。調べてみよー。

 帰って昨日のイベントで買った「スーパーフラット」(村上隆、マドラ出版、CD付き、3300円)なんかをペラペラと読む。うーんうーん、例えば「スーパーフラット」とゆー言葉を例えば、偉い物偉いと思われている物偉くない物本当は偉い物を無関係に等価な物として感じてしまう現代人の感性なり、そーした感性を許容する社会なりを指す一種の概念だとするなら、自分自身も「好きな物は好き」的感覚でアカデミズムもビジネスも趣味も気分もまとめてオッケーだったりするから、何とはなしに理解できそーな気がする。展覧会の方の「スーパー・フラット展」も、日本画があって写真があってフィギュアがあって漫画があってアニメがあってってなセレクトになっているから、そーゆー意味での「フラット」と理解すれば気分は納得させやすい。

 ただ本によるとどーにも日本画の平面っぽさとか浮世絵のエフェクトだとかを持ち出して来て、アニメのエフェクトに北斎を見たりするやり口や、カタログに何点もの日本の作品を混ぜてしまっている当たりが、村上さんのお気に召さなかった高畑勲監督によるアニメの源流を絵巻物に見ようとするやり口に、やっぱり重なって見えてしまって、意図はなくても伝統による価値の嵩上げ的ニュアンスを感じてしまう。一方で展覧会に集めた人たちの多様さをもって「スーパーフラット」と言ってしまっている所には、今度は何をもってしてこれらの作品が「スーパーフラット」として選ばれたのかとゆーことへの想像が身を引き締める。言ってしまえば展覧会に出ている人ってだいたいが村上さんに近しい人、縁のある人じゃん、ってことですね。

 「スーパーフラット」な人たちだからこそ縁があるんだと言われればそれまでだけど、例えば名前が「HIROPON SHOW」であっても「Jアート」であっても「現代日本の作家たち」であっても、別に展覧会自体は成立しそーな感じがあって、横軸としての「スーパーフラット」とゆー概念が、展示されている作品や、カタログに収容されている作品を見ていてもなかなか気持ちに立ち上って来ない。キャッチフレーズとしては抽象的ながらも人間をピンと来させるフックがあって、世の人たちに受けそーだとゆーことはは分かるけど、博報堂生活総合研究所だかが毎年出す1年のキャッチフレーズとか、どっかが毎年付ける新入社員のタイプのよーに毎年コロコロと変えられるよーな物でもないから、やっぱり根底にある概念を固めてからかかる必要がある。

 何故森本晃司なのか、押井守ではないのか。何故竹熊健太郎なのかか、何故とり・みきではないのか。何故奈良美智なのか、何故326ではないのか。何故HIROMIXなのか、何故荒木経惟ではないのか。あるいは押井守もとり・みきも326も荒木経惟も「スーパーフラット」なのかもしれないけれど、だとしたら挙げられていないのは何故なのか。けどまあ、レッテルなんてものはモヤモヤとしたが概念だけがある段階で付け、それから仲間作りをして固めていけばいーんであって、彼ら彼女らは「スーパーフラット」である、から始めてだったら「スーパーフラット」とは? へと至って「だったらあれもこれもそれもどれもスーパーフラットなのだ」と進んで行くことで、より広範囲にニュアンスをかけられ、強い概念へと育っていくのかもしれないから、今から色分けとして考えるのはよそう、難しいことを考えるなんてちょっと柄でもないし。

 むしろ問題は「スーパーフラット」に世界がなろーとしている世に、同じく「SF」の頭文字を頂く「サイエンス・フィクション」と「サイファイ」とが、僕自身の好みを基準に「スーパー・フラット」的に解釈すれば同じ価値の物なのに、しのぎを削っている状況であって、どうにか折り合いが付けばと思っているけどなかなかに癖があってまとまらない。いっそ勝利者を決める意味でも、思弁な人に「スーパー・フラット」なのは「サイエンス・フィクション」か「サイファイ」かを選んでもらえば決着が付くかもしれないけれど、薄くて軽くて平たくってポップって意味だど「サイファイ」が勝ちそーで権威づけられて喜ばれそーで、これはこれで頭が痛くなりそーで迷う。ここは「スーパーフラット」な中にいるSF好きにサイエンス・フィクションとしてのSFを見方と認定してもらおーか、でも彼女半村良さんとか好きだしなー、伝奇だしなー、サイファイだしなー。


【4月28日】 埼玉だかどこだかかの「ブックオフ」に朝日ソノラマの「ネムキ」関係の単行本が大量に入荷していたとか、ああなんと羨ましい、まとめ買いしてみたい気分です、って言ってることが違うやんけ。まあ、たしかに出版社が在庫をゾッキ本として持ち込むケースが多々あって、そういった台所事情による結託が出版社とブックオフなり新古書店との間にはあるんじゃないかとは聞いていて、持ちつ持たれつなんだからいーじゃんとゆー意見を下支えする材料になっていたりするけれど、考え様によっては売れ残った在庫をいっぱい出してしまうよーな杜撰な出版計画だったため、いっぱいの損が出たのを少しでも回収したい出版社側の事情に過ぎなくて、そうしたロスは出版社の経営難から読みたい本が出なかったり出せたはずの本が出せなくなるといった結果を読者に、あるいは作家にもたらすような気がしないでもなく、持ちつ持たれつなんだからと現象面を見てだから新古書店の存在は正しいんだ、とも言い切れないフクザツさを抱えた問題だってことがますます深く分かって来る。まあ法律も知らずに無茶を言う横暴な漫画家とかときどきはいたりするから核ミサイルの起爆装置を持たせたりできない心配もあったりするけれど、依って立つのはやっぱり何かを生みだした権利は守られるべきなんじゃないか、ってあたりからいろいろとケースも考えつつ、何とか良い方策を立てて下さいな。

 「ウルトラワープ」の会見に行く、違った「スペシャルワープ」だったかな、うーん「スーパートルネードイーノワープ(STIW)」だったっけ、「ウルトラスペシャルローリングクラッチダイナマイトボンバーワープ」は長すぎるし……とゆーベタな冗談はさておき「スーパーワープ」の記者発表、かの「ワープ」がまたまた何かやらかしてくれると期待半分野次馬気分が半分のイヤーな客として潜り込む。予定を過ぎても開場しないあたりにまたまた何か凝ったことでも考えているのかを思ったら、のっけからいきなり何故かな和太鼓の連弾が始まりそれからやっぱり不思議にも和服姿の緒川たまきさんが登場、そーかこれはあの物議を醸した「東京ゲームショウ」でのお花見の再現でもするんだ「パーマン」をまた唄ってくれるんだ、とワクワクしたけど残念ながら始まったプレゼンテーションは極めて真っ当、センスの良い音楽となかなかなビデオクリップでもって新しく始める会社とその業務を説明してくれてた。

 そして登場の飯野健治さんは和服じゃなくっていつもながらのネクタイを締めずに襟をあけたシャツと黒いスーツ、そして長髪。音楽やビデオの格好良さの後にもったいぶった喋りをするでもなく、新しい会社がやることやろーとしていることを一所懸命喋り始める。目的は4つあってネットワーク上でのパーソナライズ可能な情報検索・配信みたいなことが1点、それからDVDのゲームを作ることが2つ目、さらには音楽配信じゃなくってプロダクションとかと組んでのアーティストのプロモページを作ったりファンとアーティスト、ファン同士の交流を促進するコミュニティづくりがあって、最後がオンラインゲームの提供となる。具体的にもDVDゲームだと秋とかに「ハンドレッド」とかゆータイトルを出すしネットゲーも来年あたりには登場とか。とにかくブチ上げては時間と労力のかけすぎで実らなかったり伸びたりする会社で眉唾気味に聞くのが常になってたりしたけど、今回の場合はビジョンが明確で技術も出来ててスケジュールも突飛じゃないあたりに、確か今年が30歳になる飯野さんの「大人ぶり」そして「ヤル気」が伺える。

 パートナーとしては、これまでのよな松下とかセガとかいったビッグな会社の人は出てこず、バックアップするのがエコシスにインフォシークにデジタルガレージで今はネオテニーなジョーイ伊藤穣一さん。企業規模では松下にもセガにも及ばないけど、ネットへの技術と思想については1日の長がある伊藤さんだろーから、ネットにフォーカスした会社に代わろうとしている「ウルトラ……」じゃない「スーパーワープ」には規模的にも内容的にもピッタリかも。加えてやっぱり世間のオジ様方には気になる人らしく、開場にはマイクロソフトの古川亨会長とかセガの人とかがワサワサといたから、流石に野次馬じゃないだろーからきっとどこかで何かが絡んでくるんだろー、あるいは「×箱」のキリフダに? プレスキットの派手なのはやっぱり相変わらずみたいでもらったパンフは写真集仕立ての豪華なもの、だけど冒頭のページが2頁切り取られているのがちょっと気になる、まあ資本金とかそーいった話なんだろーけれど、やっぱりバタバタしてるのかなー、まあ夏には「夏だ水着だスーパーワープだ」に本当はしたかったけど我慢して「スーパーワープ・サマー」と銘打ったイベントで、詳しい概要を発表してくれるはず、出来ればたまきちゃんが水着で出てくれると嬉しいかも、飯野さんの水着は……「それはそれでー」!?

 東京をさまよって表参道のギャラリー「Nadiff」で開催中のタカノ綾さんの個展をのぞく、行くといたいた京都にいるはずに作家が部屋の真ん中にいて作品の解説をしてくれてちょっとトクした気分。女の子の人物がいっぱい描かれていてそれが壁じゅうにはられているからちょっと壮観、大きな絵のうち花が刺繍してあった奴は仏画もと中国の年画とも見えてなかなかに壮観だったけど人気らしく売れていた。「リングワールド」とかル・グインとかグレッグ・ベアとかクラークとかの作品からインスパイアされた、らしい作品もあってSFな人でものぞくと面白いかも、とはいえタイトルと直で重なってなかったりするケースもあるからやっぱり解説者がいる時にのぞこー、6日のトークショーとか。「スーパーワープ」でもらった「タコさん人形」を置いてショップで荒木経惟さんの新作画集でポラロイド写真ばかりを集めた「ポラエヴァシー」(晶文社)の限定版の方を購入、1万円もするけれど、荒木さんの直筆サイン入り生ポラが入っているとかでこれは買うしかないでしょう、限定500部。何と撮影したって荒木さんなんだけど内的なランクでいったらハズレな食べ物とか物体とかおっさん辺りだったらヤかなー、と思ったら入っていたのは女性の裸でそれも緊縛とゆー役萬にドラが乗った感じの絵柄でラッキー、家宝にします。

 ハマさんイサオちゃんのコンビが登場のアスキーから分離独立した新会社「エンターブレイン」の会見をのぞいて出席していた人のシャツの色が濱村弘一社長だけがストライプながら唯一白だったほかは大川功CSKグループ代表の柄物を筆頭に鈴木憲一アスキー社長はいつもどーりなグレーだったし他の人たちもやっぱりグレーとか黒で、やっぱり世界の最先端を行くニッポンのゲームやエンターテインメントを扱う人たちのセンスは常人とは違うと感じ入る、こっちも頑張って今度は花柄でいきまする、似合わないけどね。パーティーをすっとばしてエレベーターで岡田耕二さんらしき人をみかけてまんま渋谷の「パルコギャラリー」へ。今日からスタートの村上隆さんキュレーション「スーパーフラット展」のオープニングに潜り込んで、ステルスよろしく村上さんが短パン姿で忙しそうに挨拶に回っている姿とか、あさのまさひこさんが写真を取っている場面とか、頭が葱坊主みたいになっていた森本晃二さんのスマートな格好とかを眺めつつ開場をウロつく。

 もちろん来ていた東浩紀さんと近況などを交歓、この日のために着ていった「えここTシャツ」を早速見て頂け奮発した甲斐があったと内心ほくそ笑む、次はどんなTシャツにしよー。伊藤剛さんとか竹熊健太郎さんといった「TINAMIX」な人たちと”いろいろ”話しつつまーじき(名古屋風)フリーにならっせる(同)藤津亮太さんあたりと適当に散策、お地蔵様っぽく鎮座ましましている人形の前にお金を払って裏の壁にあるお札をめくるおみくじみたいな作品では持ち合わせの100円玉がなかったんで500円玉(変造じゃないぞ)を砂に埋め込んでから挑戦、まんまと「主役」の座を勝ち取る。村上さんをプロモートしている小山登美夫ギャラリーの人は「凶」だった、コレってさい先がいーのか悪いのか。偉い人たちが2次会へと流れる列を見つつ開場を出て前に来た時も見かけた”なかなか”な眼鏡っ娘がいるセンター街入り口にあるニュートーキョーでビールなんぞを呑んで帰って寝てしまて更新が滞る、すいません。


【4月27日】 という訳で「デ・ジ・キャラット」の第2巻も見直す。自分の頭の中に成っている自問の言葉の「っす」とゆーー語尾が、途端に「にょ」とゆー語尾に変わる辺りに人間の軽さが見えるにょ。恥ずかしいからフツーに戻します。「ほかほかごはん」はなるほどでじこの案外と優しい所が出て来る屈指の傑作とゆー評価を変える必要まではないけれど、実際に寒くて布団が出たくないなーと身に染みて思っていた12月に比べると、平気で布団から出られる今の季節ではでじこの「偉さ」がちょっとだけ減殺されて感じられる所があるみたい。まあ冬になったら「ほかほかごはん」と「ぬくぬくおふとん」への憧憬が再び高まってシンパイシーの度合いもグン! と上がるんだろーけれど。

 本放送では見逃していた「PARTY NIGHT」もお話しの暖かさと展開の面白さでは全16話で最上級だったことが判明。ビデオクリップ風の展開のパートパートにギャグも挟まれ短いけれと中身が濃い。サムシング吉松さんのしりとり風アニメは唐突だけど繰り返し見るとやっぱり旨い。コスプレした武&喜美のコンビはビームが当然。これが最終回でも良かったかな、なんて話がライナーにあったけど、これを最終回にしてしまうと「でじこ」の狡猾で迂闊者な部分がスポイルされて「実は良い奴」的ありきたりエンディングを迎えて後に気持ちが残らなかっただろーから、やっぱり「うさだ大爆発」のよーな狡猾さと迂闊さが入り交じったキャラクターの「隙」を見せての終わり方で正解だったでしょー。いつ放映かは知らないけれど特番での再登場が今から楽しみ、硬軟剛柔織りまぜた尾篭な話で盛り飾って下さいな。

 ACCSに行って近況など。裁判とかゲームの頒布権の信託とかってな概況は脇において、気になったのは漫画家さんたちが、中古の本屋とか漫画喫茶が蔓延って単行本が売れなくなって困っているからどーにかしよーとアピールしたこと。言ってしまえば急速な台頭を背景にした「ブックオフ問題」で、ACCSなんかが一昨年辺りから言って来た「中古問題はゲームだけの話じゃない、ブックオフが増えて来たら出版社だって作家たちだって考えなきゃならなくなるんだ」とゆー指摘が、まさしく現実の問題になったことにはなるほどACCSの活動が、ゲーム業界の人が会員になってる組織である以上、活動にそっちの利益保護が優先されてはいたものの、土台にある思想が「文化防衛」であったとは素直に認めよー。文化的な所作の成果でもある著作物をどーやって守り育てていくのかとゆー力点に立ってのものだったとゆーことも。

 自分が新刊は本屋で買って絶版本は古本屋で探すといった具合に使い分けている人間で、「ブックオフ」にはそれほどお世話になっている訳ではないから言うけれど、今買える本が並び今買える本を「ブックオフ」のような場所で中古価格で買うという行為を、何の葛藤もなしにはちょっと出来ない。このお金のうちの1銭たりとも作者には還らないんだとゆー事実を噛みしめつつも、それでもお財布が寂しいからと申し訳なさそーに、まあそれでも結局は中古価格で買ってしまうんだから言い訳がましいのは承知の上で、心はかすかに痛む。ましてや作家の人から「『ブックオフ』の社長に会ったら殴っておいてくれ」、それも作家の人が所属している作家の団体の人数分(700発くらい?)とまで言われてしまうと、作家の側としても「新古書店」を決して歓迎してはいないことが分かって、ますます申し訳なさが増す。

 すぐに店頭から消えてしまい、いったん店頭から消えたらなかなか手に入らないという流通上の問題があって、だからこそ新古書店が利用されているんだというユーザー側の理屈も分かるし、クズなんだから売られて当然とゆー、中古ゲームソフトでも繰り広げられていたのと同じ理由での中古流通の発生も理解は出来る。クズ云々の問題については新刊で登場した時にその是非と代表して判断する「書評」を行う人間が背負う役割の大きさへと跳ね返る訳で、末端であっても本の紹介なんぞをやってる身として、反省すべき部分が皆無ではないことも承知している。褒めてばっかですいません。本が高すぎるのは出版社員の給料が高いせいかどーかは、やっかみになるから言わない。が、そういった構造的だったりテクニカルだったりする問題を超え、発起人になった人たちの漫画なんて中古でだって新刊でだって読まねーよ、とゆー茶々も納得できるけど本質の部分から外れてしまうから考慮からは除外して、やっぱり問われるべきは、著作物は作り出す人がいてはじめてユーザーが生まれる者で、作り出す人がいなくなったら結局はユーザーが困るという理屈に立った著作権者の「保護・育成」といった視点、だろー。

 今も書店には新刊として並んでいる本を、当の作家の目の前でオークションに出すこととか、今も書店に並んでいる本を、「ブックオフで買ったんですけどサインしてもらえませんか」と出すことが、当の作家に対してどんな印象を与えるんだろーかと考えると、気が弱いせいもあって単純に「安く手に入ったから嬉しい」とは思えなくなってしまう。まー中には「どうても読んでもらって次の新刊の読者になってくれれば」と鷹揚な作家もいるかもしれないけれど、次もまた中古で、その次もまた次もとなるとやっぱりなかなかに許しがたいものがあるんだろー。自分は著作者でも何でもないからそーゆー辺りの気持ちはちょっと分からない。どーなんですか作家の方々。

 ともかくも急激に大きくなってしまった新古書市場の背景に、そーいったものを求める人たちの需要があったという事実だけは作家も出版社も認識し、改めるべきは改め省みるべきは省みて、対策を講じなければたとえ筋が通った意見でも我侭に聞こえてしまうから注意は必要。その上でやっぱり自分たちは困っているんだとゆー訴えをしていった時に、頑迷固陋な「消費者は神様」的スタンスもやっぱりどっかで改めなくっちゃならなくなる。妥協点はあるのか。「本」とは、「著作物」とは、「情報」とはいったい誰のものなのか。頒布権のよーな法律で縛ったりできないため、中古ゲームソフト以上に解決は容易ではなさそーだけれど、我が身に立ち返って大好きな本、楽しませてくれた作品を送り出してくれた人たちによる、悲痛さもこもった真摯なで訴えである以上は、聞き捨てる訳にはいきそーもない。難しいにょー(戻ってる)。

 あちゃー。と一瞬思ったけれどコナミによるタカラの増資引き受けは22・8%と名目上は筆頭株主に躍り出るとは言っても、関連会社や個人株主を含めればタカラ側がイニシアティブを依然として保持したままとなっているから、かつてのセガによるヨネザワの買収とか、同じくセガとバンダイとの合併といったゲーム業界と玩具業界のガチャガチャした関係とは一線を画して、純粋にお互いのリソースを使って新市場を生み出そうとする前向きの提携だと考えておくのが筋だろー。もちろんタカラが財務的に弱まっていたことは事実でそこに振って来たお金の持つ意味は結構な重さがあるし、いつまた同じ事態が発生して第2第3の槍が飛ばないとも限らないけど。とりあえずは「フォトジェニクジェニー」にも使われている「スーパーナチュラルボディー」を持った詩織ちゃんとか希望、あと「ときめき人生ゲーム」とか。


【4月26日】 ういっす「ラブひな」っす、ってのはちょっと違うけど、原作を爆裂的に崩して編み直した上に本体よりも大きなおまけをくっつけた「エクセルサーガ」に比べると、原作のテンポやお色気やアクションといった良さをすべてスポイルした挙げ句にほんわかふんわりとしたセーシュンドラマに仕立て直してしまった感がありありなアニメ版「ラブひな」を見ると、感心はしなかったけどスピリッツは買う「エクセルサーガ」の冒険ぶりが懐かしく思えて来てしまう。パンチラなし、入浴シーンでは不自然にも全員がタオルを巻いてるなんて高千穂遥さんでなくっても怒りまっせ。ボーイ・ミーツ・ガールなセーシュンの王道シチュエーションはあってものっけからド突き合いが始まってどこに転ぶか分からない「フリクリ」とはテイストも緊張感も随分と違うなー。

 ってことで「フリクリ」2度目。橋の上でもマウス・トゥー・マウスの場面で3Dで回り込みバリバリの映像だけれど見た目は輪郭ありな2Dに見せるデジタルの使い方に気づいてアニメもデジタルの導入でずいぶんといろんな表現が出来るよーになったもんだと感嘆する、相手が立体でも平面でもカメラワークを頭でどう組み立てるかが大切なんだってことはあるけれど、どーなんだろー3Dだとカメラの走る位置を自由にかえて様子を見られるってメリットがあるのかな、いやいや何度でも実験できるってことは頭での創造力が弱体化するかもってなことを、秋に東京都写真美術館であったアニメ監督のパネルディスカッションで佐藤順一監督か誰かが言っていたよーな記憶があるから人それぞれ作品によりけりか。「ラブひな」もデジタルな撮影テクがあって見た目に新鮮ではあるけれど、でも見たいのはやっぱりパンチラに胸揺れ(除くしのぶちゃん)なんだから、そんなおそらくは大多数の視聴者の要求に答えない技術に何の意味がありましょう、ってことで残る話数なり規制無用なDVDではスカートの中を作り込み、デジタル技術でタオルを取り去るくらいのことはして下さいな。

 それにしてもやっぱり破壊力バツグンな「デ・ジ・キャラット」のCM。本放送では偶然にも残念にも見逃していた第15話のビデオクリップ風「PARTY NIGHT」から取ったよーに見えた唄と踊りの映像もさることながら、ボソリと喋るぷちこのナレーションの音速を突破する衝撃度にきっと脳天ヤられた人も多いことだろー、多いよな。放映時間が真夜中の1時過ぎってのが大半だった「ブロッコリー」スポンサードなアニメを見ていた人とは違う「ワールドビジネスサテライト」を見る前の一時をくつろいでビールでも呑んでいる中年サラリーマンにさて、どこまでのインパクトを与えたことだろー。ひょっとして仕事中の営業マンで秋葉原の「ゲーマーズ」が午後3時頃にごったがえす? 子供が生まれて「ぷちこ」「でじこ」と付ける親が出てきて来年の名前ナンバー1を競い合う? お楽しみはこれからだ。

 桃尻語でどんな時でも喋ったり書いたりしているのかと思ったら橋本治さん、社会の問題に切り込む時の口調はいたって真面目でかつ真剣、真正面から切り込んでは何にもおもねらず思うところをズバズバと言っているのを「天使のウインク」(中央公論新社、1900円)で見てちょっと意外な感じにとらわれる。のっけから論じているのが神戸での酒鬼薔薇事件で、あの事件なんかも含めて最近の少年の心が分からず「怖い」と言う人がいるけれど、そー言って思考を停止してしまうことの愚かさを断じて「恐怖を克服しなくてなんの人間か。いかに世が混沌へ成り行こうと、それを直視する冷静を持たなくて、なんの人間か」とアジる決心の壮絶なことよ。「止めてくれるなおっかさん、背中の銀杏がないている」といった具合に、世を斜に切り下ろして来た橋本さんをして真正面から立たざるをえなくした社会の混沌ぶりも逆に浮かび上がるけど、それでもやっぱり冷静に、それでいて訳知り顔ではなく真摯に対象を向かい合っていこうとする態度には憧れる。今を見る上で書かせないテツガクの書。ますます混迷する社会にリアルタイムでの「天使のウインク」も欲しいぞー、どっかで時評、やってくれないかなー。

 椎名誠さん林真理子さん藤野千夜さん村松友視さん盛田隆二さんとゆー脈絡のなさもかえって混沌としたこの「東京」とゆー街を象徴しているのかもしれないと思ったのが、コリーヌ・カンタンとゆー多分フランス人がフランスで「東京」を紹介するために編んだアンソロジーに書き下ろしてもらった短編小説を集めた「東京小説」(紀伊国屋書店)。芥川賞あり直木賞ありSF大賞ありの所属も来歴も異なる作家を集めてしまう発想は、なるほど日本のブンダンな事情などお構いなしに本質を見極めることができる人ならでは。集められた各小説が、それぞれの「東京」を活写しているのもやはり眼力と言うのだろーか。火事出やけ出されたサラリーマンが勤めている会社のある雑居ビルの屋上にテントを張って住み始めるとゆー椎名さんの小説で、屋上から見上げた夜空に雄大さを視る展開に、騒然とした都会のド真ん中であっても荒野の真ん中に1人いて自然と対峙している気分を味わえるんだってことが感じられて楽しくなる。フランスでの評価も聞いてみたいし、逆にフランス人の今の作家が描くフランスの街の小説も読んでみたいところ、編者とか誰がいーのかなー。


【4月25日】 「フリクリ」を見る、登山電車で赤い火を噴くあの山に行く話、な訳はない、分からない人は置いてきまーす。絵的には実はほとんど見てなかった「彼氏彼女の事情」みたく唐突な展開突然のデフォルメ不埒な漫画が畳み込まれるよーに繰り広げられて画面を見る目を休ませず、声もどこかに不安感と違和感を漂わせるいわゆる声優の文脈からズレた人を起用していて聞く耳を馴染ませず、1回目、2回目あたりは見る側に結構な緊張感を要求するかもしれない、セリフもほんと観念っぽいし。かといって物語がないって訳でもなく、あちらこちらに手が掛かりを散りばめつつ、ちょっぴりとだけ世界や人間関係を垣間見せつつ、容易に全貌を掴ませないよーにして次巻への興味をかき立てさせるニクい作りになっている。

 冒頭からエンディングまでパートパートで鳴る「ザ・ピロウズ」の音楽がポップで得体の知れない世界にぴったり。ベスパとかリッケンとかってな小道具のセレクトも含めて、物語が大事な古典的伝統的なアニメとはちょっと違う、時にメタ言語的な印象を見る人に抱かせながらも、わき上がる全体の雰囲気がメタファーを超えた物語性を想像させて、脳味噌を鍛えさせられる。貞本キャラは凶悪っぽさの漂うハル子さんの目とか口がキュートでナイス、あと同級生のニナモリ・エリのにひゃらっとした喋りとかもいいっす。2700円とは大盤振舞な値段、売れなきゃマズいことになるんだろーけど、この値段が正規の3800円になっても物語的にも作画的にも声的にもメカ的にも松尾スズキ的にも(カッコ良いんだ不思議と)買う価値はあり、PS2ユーザーは走れゲーム屋じゃなくDVD屋へ。

 唐突に「人狼」なんてDVDが出ていたから劇場公開を諦めていきなりなパッケージ販売に切り替えたのかなと一瞬思ったら違って「スペシャル・プレビュー・ディスク」だった。チケット付きで4000円はチケット抜きだと2400円ってことで得か損かと言われれば、誰もが気になる「プロモーション映像」はトレーラーという位置づけだった映像の画質音質は素材のせいもあってDVDレベルではまったくなく、いわば「おまけ」的な楽しみ方をするのが正解かも。むしろメインは19分12秒にも及ぶ関係者へのインタビューで、御大・押井守さんに始まり監督の沖浦啓之さん美術監督の小倉宏昌さんは当たり前として個人的に貴重なのが音楽を担当した溝口肇さんへのインタビュー。主人公の気持ちや背負っているものを解釈しつつ音楽を合わせたってなことを言っていて、キャスティングとシナリオだけを見て数日間で書き上げるテレビドラマの劇伴でさえピッタリな出来と評判の溝口さんが物語を咀嚼した上でつけた音楽が、どんな感じに仕上がっているのかに興味が沸く。インタビューの背後でチラチラと聞こえる音楽だけをとってもまさにミゾグチ、もうサントラは買うしかない、ってもう出てたっけ? それより映画っていつからだっけ?

 「デ・ジ・キャラット」の第2巻も買ったけど見出すととまらないからこれは明日。何しろ鳥肌実さんの日本青年館での演説会「鳥肌近衛兵募集」に行って帰って来たばっかんだんで時間がない。それにしもて青年館へと近づいて驚いたのは、今でこそ露出もぽちょぽちょとあってそれなりに有名かもしれないけれど、かといって道ばたで合った10人のうちの1人でも知っていればじゅうぶんすぎる知名度しか持たない鳥肌さんの講演に、なぜか超満員の人がつめけ大ホールの入り口から伸びた行列が下の公園の脇を通って角を曲がってさらに次の角を曲がるくらいに伸びていて、一体どこでどーゆー経緯で「鳥肌実」なんてアブない芸風の人のイベントを知ってかつ、行ってみよーと思ったのかを1人ひとり聞いてみたい気にかられた。それより以上にどーして観客の半分が女性で埋まりますか、それも美女やら美少女で。ほんと女性の趣味ってのは分かりません。

 さて実は初見だったりする鳥肌さんの講演は、聞いていた情報から類推される右翼的・軍国主義的言動をトリックスター的に語り倒して笑いを取るってなパターンから逸脱することはなかったけど、そーした「決まり事」を期待どーりにやってしまうことがすなわち「面白さ」につながる芸風だから、舞台に突然のレーザー光線が踊り出し、奈落の下から花で飾られた演壇がせり上がって来て、上から90万円はかかったと後で鳥肌さん本人が言っていた、まるでガルマの葬儀でギレンが喋った時のバックにかかっていたよーな大きさの、鳥肌さんの顔写真が降りて来た時にも、これだよこーでなくっちゃってな気持ちの承認があって、気分を高揚させつつ本番へと繰り込むことができた。

 まずは着物姿で登場して演説をやらかし、合間に新宿駅のホームとか街頭とか電車の中で演説したりブツブツとつぶやいたりする、いかにもな芸風であるにも関わらずそれでいてやっぱり笑ってしまう芸の場面を収録したフィルムを見せられ、それからレクチャー形式でスライドを使って集まった近衛兵たちをいかに軍人として鍛えるかってなプログラムの解説が行われ、ヒトラームソリーニスターリン毛沢東に東条、さらには五十六やら阿南やら小栗やら歴史を学んでも教えてはもらえない日本の軍人たちも織りまぜて、教練の教官やらメシ炊きやら巣鴨のサンシャインのボイラー室上がりの人間やらに仕立て上げてしまう喋りに、面白さを覚えたもののさても集まった若い女性のどれだけが、バックグランウンドを「分かって」笑っているのかとゆー疑問も同時に浮かぶ。

 つまりはそーゆー事前の知識があってこそのギャグだと分かる芸なのに、鳥肌実とゆー人間が突飛な事を言ってるんだー、ってな受け止め方「だけ」で笑ってしまうのが良いのか悪いのかってことで、銀座や渋谷にあった吉本の劇場に若い女性がつめかけて、アイドル並みの嬌声でもって出てくる芸人たちを囃し立ててはみたものの、それが演目時代の面白さとは無関係だったことを考えると、そんな闇雲の歓声にも似た笑いを受けて、鳥肌さん自身がどーゆー感触を抱いたのか、ちょっと興味がある。嬉しいことだと思っていたのか、支持は有り難いものとして受け止めるけど自分の本質を理解しての支持ではないと醒めて見ていたのか。

 もっともあのキャラクターをメタであってもマジであってもアツく支持してノってしまう、例えば軍服を来て公演にやって来てしまうよーな人が1人もおらず、女性も男性も「笑い」であり「ギャグ」として理解した上でその突飛な(今の社会において、という意味での突飛で展開している論自体は案外と真っ当だったりするから錯綜しているよなー)言動を聞き、笑い飛ばしていることには安心感を覚える。キナ臭い風が吹く中で、個より公だといった情動的な主張に付き動かされて、お国のために立派になろーとする人が出ているけれど、大半の人は、そーしたお国を大事を主張する勢力の権化を演じている鳥肌さんを介して、右向け右な風潮を嗤い飛ばしている訳だから、若い人たちの物事を客観的に見る目も、これでなかなかに衰えてはいないんだと知って、ちょっとは嬉しく思う。まあ果たしてそこまでの理解があったかどーかは知不明。案外と「笑う」ことが目的化していて、何が何でも「笑って」いるだけなのかもしれないけれど。

 よりどころの無い不安定な社会を象徴するかのよーなイベント、次はさてどー変化するのかしないのかにも興味が湧く。しかし1360人が満杯になるだけの人になってしまった今後は、どこで聞くことが出来るんだろー。本人秋には「日本武道館」って言っていたけど言うのは事由で現実は困難なこと多々。せめてもう少しだけ広いホールを満杯に出きるだけの知名度を獲得してからの方が、メディアに消費されてアッとゆー間に消えるなんてことがなく、息の長い芸人として活躍していけるのかもしれない。ともかくも「日本青年館ソールドアウト」とゆー1つの「事件」を経てステップアップは確実。チケットがとれなくなる懸念もあるけれど(「武道館」なら大丈夫だろーけど)、それでもしばらくは様子を見て行こー。


【4月24日】 「完全」って一体何が「完全」なのか、あまりにあまりだったシナリオをどういじったところで「完全」になる訳もなく、だからといって作画が「完全」になったところでなあ、ってな気持ちを抱きつつも、「事件」にまでなったあのアニメーションが何を「完全」と言って出てくるのかをスクリーンの上で確認したいと思って29日からの上映に行こうと心に決めていたガンドレス完全版だったけど、「ぴあ」を読んで初日の11時25分から谷田部勝義さんが川上とも子さんとトークショーを行うってことが分かって、いったいどの面下げて、じゃないどんな晴れがましい顔をして舞台に颯爽と現れるのかを確認に行きたいって気持ちがムクムクと沸く、とゆーより行くのが義務だろー、アニメファンとしてもジャーナリストとしても。

 加えて初日先着50人に何と99年公開時のセル画がプレゼントされるとか、色がついていなかったり口がズレてたりもんじゃが口に入ってなかったりメカが単色ベタ塗りだったりする、かもしれないセル画はまさしく広告の煽りそのままな「アニメ世紀末伝説を目撃する」ための証拠品、手に入れて後世への家宝とするためにも、前日の「スーパー・フラット展」のオープニングパーティで長居せずに帰って寝て早起きして上野へゴーだ。それともパーティーから流れて上野へと行って劇場前に並ぶかい? だって立体物だろーと背景だろーと単色でベタに塗ってしまったセル画は「スーパー・フラット」そのものだし、遠近法を無視したかのよーに奥行きのない画面もやっぱり「スーパー・フラット」。傑作とか駄作といった価値判断を超えた場所でただそこに「在る」こと自体がトピックとなった「ガンドレス」はアニメにおける「スーパー・フラット」なんだと思えば、会場でムズかしい話するより一見に如かずだろーから。

 って適当に使ってしまっている「スーパー・フラット」とゆー概念が、もちろんアニメのセル画でも「ガンドレス」の存在そのものでもない、だろーことは容易に想像がつくけど、事象や状況をさもぴったりな言葉で括ってしまおーとするアカデミックなアプローチに意義を見出し興味を抱きつつも、我が身の学の無さをごまかす意味も込め、小難しい言葉を徹底的な誤用によって茶化し無化してしまいたくなるのが人情って訳で、「ウテナ」でも「ナデシコでも「アキ電」でもなく「ガンドレス」、それも不完全版「ガンドレス」こそを「スーパー・フラット」だと言って言い抜けよー。とかってな天の邪鬼的誤用の繰り返しが、やがて世間を包み込んで価値観を平準化して奥行きを無くしてしまうことも見越して今を「スーパー・フラット」と言ってるんだとしたら、こっちは釈迦の手で踊るひとまねこざるって訳なんだけど。

 電通の勉強会に出て「アジア・パシフィック広告祭」で入賞した作品を見せてもらう。最近日本の広告がカンヌとかクリオ賞とか言った欧米のメジャーなコンテストであんまり目立たないって話を前に聞いていたけど、「アジア・パシフィック広告祭」ではフィルム、プリントの両部門でグランプリを獲得したってことで、実力未だ衰えじってな印象を持つ。もっともグランプリを獲得した「WOWOW」の「走る女」(橋の上でラリアット喰らわす奴)とか銀賞のやっぱり「WOWOW」の「待たせたな覚悟はいいか」「これ夢じゃないんだ」が面白かった「カンフー」とかこれも銀賞で三輪車のドリフトが新鮮だったセガラリー2の「ドリフト」とかベスト撮影賞を獲得したサントリーの「ロボットバー」のいずれもが、いわゆるタレントの名前に頼らず絵の面白さだけで見せているって点で共通している。

 アジアとは言え言葉も文化も違う世界の国から人々が集まるコンペティションでは、「誰がやってる」んじゃなく「何をやってる」かが問われるんだってことを改めて認識させられる。これも前に聞いていた、タレントに頼ってばかりな広告が幾ら国内で人気を博して商品の売上に結びついても、カンヌとかいった場では評価もされなければ賞も取れないんだってことと符合する。実際、広告祭に上がって来ていた海外の広告を見た時に、誰がやってるかなんて分からなかったけど、何がやられているかってことは分かって存分に面白がれたからなー、例えばタイのサムスン洗濯機のコマーシャルは、美女2人がムチみたく渦巻き状の水のムチで青年のシャツを打つ内容で、SMチックな画面から洗濯機の強い洗浄能力が見事に伝わって来たからね。

 同じくタイのマクドナルドのバリュー価格キャンペーンでも、花嫁がベールの下でハンバーガーをかじり、別のCMでは水泳中のクロールの選手がハンバーガーを持った手を上げたまま息継ぎの度に1口また1口とかじり、別のCMではボクシングのインターバルで水とマウスピースの次にナゲットを放り込まれるって内容のCMが、画面から伝わるそこはかとないおかしさに紛れてどんな場所でも食べたくなるマックの美味しさを伝えてくれる。そーした秀作を押さえての「WOWOW」への高い評価は、あるいは次の世界のコンペティションの場での日本のCMの授賞なんかにつながるのかもしれないと期待が沸く。それでもタレントに頼って1発を狙うCMこそがと考えるクライアントの未だ多いだろーことは予想でき、盛り上がったクリエーティブの現場の意欲を殺いでしまわないかとの心配も浮かぶ。誰も彼もが使った結果のCM女王なんてものが生まれる風土は改めて、CMから後の芸能界の女王が生まれるよーな風土にしましょーよ。


【4月23日】 2箱に入った合わせて20個のチョコレートでは鞄がパンパンになって鬱陶しいと、熱海のホテルについて部屋に落ちついた時に8個ばかりを一気食いして中のカプセルだけを取り出した反動が今頃になって胸焼けにひいひい、しているにも関わらずついつい手を伸ばしては「チョコエッグ」を貪り食ってしまうのは、何が入っているのか見たいという気持ちに押されてチョコを割り、取り出したカプセルに入っていたものが月並みで、次こそはきっともっと良いものが入っているに違いないと再び三度と手を伸ばしてしまう、コレクターに共通の心理が働いている以外の何物でもない。

 ここで町田康が言う平気で食い物を捨てられる”快男児”らしく、中のカプセルだけを確保してチョコはごみ箱へと出来れば胸焼けも体重も気にしなくて良いものの、それができないのがチョコレートギブミーな世代の哀しさよ、しかたがないので欠き割ったチョコを集めてはマグカップに入れてお湯をかけてミルクココアと称し、白いマグカップの底が透けて見える程度に薄いチョコ湯をすすりこむのであった、うくく。

 「エコケット」へ行く。浅草橋の駅を降りたらいかにもな男たちといかにもな女の子たちがキャアキャアと会場に向かっていく姿が見えて、男女問わずに人気のキャラクターなんだなーと思ったらさにあらず、会場に到着してすでに入場が始まっていた女性ばかりの行列は別の何かの即売会に入る人たちだったと判明、世の中ってのはこんなものだ。それでもお台場で何やらでっかいイベントもあったみたいでバッティングして人数も少ないだろーかと高をくくっていたら、11時の会場時間で軽く100人は越える行列が出来ていたのにはちょっと吃驚、会場が超手狭だった関係でちょっとづつしか中に入れて貰えず30分くらいを外で並んで待つ。

 待ち時間にペラペラとながめた600円のパンフレットは、ブースの紹介はちょろりで後はパンフの販売なんかで協力してもらった「コミックとらのあな」と「メロンブックス」と「ブレインズタウン」の同人ショップ3店のイメージキャラクターに関する担当者へのインタビューと他の即売会の案内が中心で値段的にはうーん、でも裏表紙のあらいずみ涼さん描く「えここ」がなかなかなんで認める。あとショップの担当者に聞いたキャラクター戦略話も某「で○こ」への意識なんかも感じられて興味深く読める。「メロンブックス」が誇る「メロンちゃん」の秘密設定資料なんてもしかして貴重品? たしかにこれだけのバックストーリーがあれば同人にだって「最終的にアニメに」だってなるかも、なるかなあ。尻尾がコンセントの「メカメロン」ってのがちょと気持ちに外角高めの吊り玉で、手を出せばピッチャーの思惑に乗ってしまうと分かっていてもついついバットが出てしまいそー、ゼンマイ人形とか作ってくれたら買うかも。

 それにしても去年だかに突如として出現したローカルなキャラクターが、いくらその直球ド真ん中なコスチュームをもってしても1年を経ずしてここまでなキャラクターへと成長したのは、ネットってゆー迅速なコミュニケーションを可能にするツールの登場のお陰ってのは避けて通れない事実だろー、ネットで話題になってるって聞かなきゃ知らなかった可能性だってある訳だし。ただ伝わるスピードが速いってことはそのまま情報が消費されるスピードの速さにもつながりかねない訳で、「ああ流行ってるね」が「流行ってたね」となった主観に陳腐化して意識的に気持ちから除外されてしまいかねない懸念もはらむ、そこを越えて心の倉庫に殿堂入りできればいーんだけど、そーなるためにはもう1段の「メジャー」な場での活躍が必要、ってことでどーだいこのさい東京電力の「でんこ」とトレードして首都圏で大々的に展開してみては、ねえD通さん。

 会場は横長の会議室に無理矢理卓を詰め込んだ感じで動くに苦労、でも入場を絞ってた関係で死ぬほどじゃーない、ただし匂いはやっぱり、なあ、夏も近いし、なあ。すでに始まっているのに一所懸命ホチキスで製本している人もいたりと手作り感が漂っていて微笑ましい。待っている間の説明も行き届いていて血走った感じがないのもテーマが「えここ」ってファンが皆で育てて来たキャラクターだってこともあるのかも。とりあえず2000円だかで売っていたTシャツを1枚所望、アポロチョコをもらう。「スーパーフラット」に「えここ」が描かれたTシャツはまさしく「スーパーフラット展」のオープニングパーティーに着て行くに相応しい、でも渋谷のセンター街をこれで歩くのは勇気がいるから入って「パルコ」のトイレで着替えてから行こー、オシャレな渋谷に似つかわしくない「えここ」Tシャツなおっさんを見かけたらそれが俺だ(逃げる可能性あり)。

 巨大なマクラとかプリント入りのトートバッグとかグッズ系に目がいってしまって肝心の「えここ本」を買わなかったのはちょっともったいなかったかも。その割には「エココ中心イメージキャラクタONLYイベント」ってことで出ていた、「とりあえず(仮)」ってサークルの「にょ」って名前が現すよーに「でじこ」の本の1と2をまとめて購入するあたりに、「うえるかむとぅまいはーと」に洗脳されてるっぽさが漂う、会場でもBGMで流れてたしなー。次は9月3日の開催で夏のオタクイベント連発(キャラクターショー、ワンフェス、コミケ、SF大会他)を無事に越えられたら行って何か買おう。おっとその前に5月3日4日の「デジキャフェスティバル」もあるじゃねーか、夏までもたんな、これは。


【4月22日】 「ひらいしん」か、いー名前だなー。テライユキより当社比5倍はウツクしいアライユキコさんが編集している超豪華執筆陣が人気のフリーペーパー「カエルブンゲイ」第4号は、枡野浩一さんの「お名前売ります」で今月好評発売中の名前だけど、「平井信」じゃなくって「ひらいし・ん」ってところが新しく衝撃的。「こんにちわー、ひらいし・ん、でーす」と自己紹介すると驚かれること必至だけど、早口で続けて言ったら分からないからちょっと問題、やっぱりコラムで言うよーに「英語で自己紹介して初めて、人々はその名の斬新さに気づ」くのかも。「まいねーむいず・ん・ひらいし」って言われたら外国人だって吃驚するかな、でも「ル・グイン」とか「ダ・シルバ」とか「ジ・ガレガレ」とか外国人ってヘンな名前の人がいっぱいいるから大丈夫かも、って「ジ・ガレガレ」は外国人じゃないぞお化けだぞ。

 ふらふらと秋葉原。海洋堂の「ホビーロビー」に寄ったらシアワセにも「チョコエッグ」が山積みになっていて、あんまり山積み過ぎるせーか1人2箱まで購入可能になっていたんでこれから熱海まで出かけるってゆーのに買ってしまい鞄がパンパンになる。もらったチラシだと浅井真紀さん原型の「ブギーポップ」のコールドキャストは月内発売みたいで欲しい度120%だけど金がない、飾る場所がない踏んで壊して泣きそー、広い部屋が欲しい。東京駅へと向かって熱海へ新婚旅行、な訳もなくニフティのフォーラムが珍しく集まって合同大オフ会を開くってんで取材に行く。ネットで出逢ってオフで顔を見るってのは過去も今も変わらない行動パターンだけど、せっかくのミレニアムにそーいったフォーラムごとのオフを1つまとめてやってみるかってことで誰かが動いて実現したらしー。とは言え大勢あるフォーラムの全部が集まるはずもなく、個人的に親和性の高いオタク系は参加していなかったのがちょっと残念、まあそのあたりが来だすと数も質もハンパじゃなくなるから熱海のホテルにとっては良かったかも、エレベーターの扉が開くと肉のはみ出たラムちゃんとかどう見たって教祖様とかが乗ってたりする現場を見なくって済むから。

 レースクイーンを撮影する会とか利き酒とか温泉での鏡開きとかキックボードのレースとか夕方のオープニングまではそれほど大きなイベントもなく適当にのぞきながら半分眠りながら過ごす。エレベーターに乗ろうとすると教祖様でも大魔人でもない見知った顔があってよく見るとどーゆー経緯なのかコンベンションの実行委員長になっている浜野保樹さんだった。ほかのマルチメディア系イベントの選考委員とかになっている関係でそーいったイベントの発表会に行く度に顔を見ては、このマルチメディア時代におけるマルチメディア族な学者の忙しさを目の当たりにしてはいたけれど、政府は全然関係してない民間のそれもフォーラムの有志が実質的には仕切っているイベントにまで顔を出すアクティブさにはやはり感心、挨拶も短く切り上げ誰もが待ち望む食事へと突入する段取りの良さにファンになったニフティ会員もきっと大勢いただろー、でも来ている人の何割が「はまのやすき」を知っているかは疑問だけど、霞ヶ関では有名なのに。

 しかしもっと不思議だったのは突然登壇した神谷明さん、どーゆー経緯での参加なのかは不明だけど初めて見た時にショックを受けた里中くんとはあまりに違う顔立ちは今も変わらず、それでいてこれまたやっぱり変わらない美声でもって今日公開の「コナン」から毛利小五郎の声とか「キン肉マン」とか遼ちゃんとかをやってくれた、そのサービス精神の旺盛さに感動する。きっと歩けばネット世界の有名人とかいっぱい来てたんだろーけれど、ベテランたちでガッチリと固められたフォーラムに参加して挨拶して様子を見て仲良くなってリアルなオフ会で顔をあわせて幾星霜……な段取りに気後れしてしまって未だニフティのフォーラムに書き込めないでいる身としては、誰が誰だかさっぱり分からない。

 総じて年齢層が高いのが場としての成熟度の現れなのか新参者には入りづらい証明なのかは検証未定、あるいは参加しているフォーラムの属性が割と大人なだけでこれがオタクだったりする分野だと若い人たちが増えるのかもしれないけれど、SF大会とかの年齢の上がりっぷりを見ると何かに興味を持った人たちが集まってサークルめいたものを作るとゆー行動原理自体がどこか崩れているよーな印象もあるから分からない。家の玄関口とかに鎮座している電話器を親の目をかいくぐって使っている状況では難しかった、同好の士が集まって同じ趣味について話し合えるニフティとかインターネットが実現したコミュニケーション機能に衝撃を受けた世代とは違って、ちょー若い人は「ケータイ」とか「ピッチ」とかいったパーソナルなコミュニケーションをリアルタイムで実現するツールを駆使しているから、わざわざネットで話し外で集まるなんてことをしなくなっているのかも。検証した訳じゃないから何とも言えないけれど、気質とかツールの変化がネットのコミュニティなんかにどんな影響を与えているのか、気が付くうちは観察していこー。

 ジャンプの西村繁男さんマガジンの内田勝さんって社会現象にまでなった週刊少年マンガ誌を作り出した人たちを検証した本は過去に何冊も出ていたけれど、それより以前に日本中の子供たちを熱狂させた「少年画報」って雑誌についての検証をこれまで読んだことがなく、本間正夫さんって人が書いた「少年マンガ大戦争」(蒼馬社、1429円)に記された、「少年画報」や「少年キング」を生み育てた金子一雄さんて編集者の業績を知って、こーゆー編集者たちがいたからこその今のマンガ大国なんだと改めて感じると同時に、商業的に大きくなり過ぎた「出版社」にいる経済的に豊かになり過ぎた「編集者」たちによって「生産」されるマンガが行き着く先への不安なんかもじんわりと浮かぶ。もちろん全員が全員って訳じゃなく、優れた編集者あっての優れた作品が多々あることは承知で、それでも理念と眼力によって今なお歴史に残るマンガ家たちを発掘しては送り出して来た先人たちの偉績に触れると、流行のサイクルの短くなっている状況のなかでヒット作へのプレッシャーに押されて理念と眼力のすべてを発揮できない編集者の多いだろう現実がもたらす未来を、やっぱり楽観できそーもない。

 小学校を出て小学館に入った後で小学館を辞めた人が作った明々社、今の少年画報社に入ったとゆー金子さんの経歴は、超絶一流大学を出て霞ヶ関と商社と銀行にも合格したけど給料がいーんで出版社にしました的人間を、それでも入れてしまえるだけの度量を持つ今の出版社の採用情勢ではきっと実現不可能で、良い時代だったと言えばそれまでだけれど、現実に「赤胴鈴之助」やら「まぼろし探偵」やら「怪物くん」といった戦後日本の児童文化に輝く作品群、そして桑田次郎や森田拳次ぎ、望月三起也、水島新二といったこれまたマンガ史から削ることの出来ないマンガ家を送り出した手腕は、学歴なんか無縁の世界なんだってことを見せてくれる。

 もっとも梶原一騎を起用しながらマンガの原作者としては使えなかった点とか、石森章太郎のライフワーク「サイボーグ009」を「キング」から降ろし水島新二も今に繋がる野球マンガのヒット作を「キング」からは送り出せなかったあたりに、西村繁男さん内田さんといった面々ほどには金子さんが記憶されず、「少年画報」も「少年キング」も廃刊となってしまった理由があるのかも。「少年KING」って題字になって、「ワイルド7」やら「銀河鉄道999」やら「超人ロック」やら「龍一くんライブ」やら「湘南爆走族」やら「プロスパイ」(東京ひよこ!)やら、それなりな作品も結構出て、個人的には一時期「少年キング」を毎週買ってた時期があったりしたのに、やがて衰退していってしまったのは、時代を掴みつつも掴みきれなかったのは後代の編集長たちの責任だけど、そこにいわゆる「金子イズム」受け継がれていたのだとしたら興味深い。無関係だったとしたらそれでも衰退したのは何故なのかも含めて、誰かまとめてくれるとマンガ誌史の検証になって面白い。オヤジ(「少年画報」)が死んで長男(「少年キング」「少年KING」)が戦士したのに不良の次男坊の「ヤングキング」とちょっぴりオタクな3男坊の「アワーズ」が存命なのも他の出版社にはない現象だし。


【4月21日】 岡田芽武さんの「ニライカナイ」の最新刊になる第2巻はいつもながらの巨大な当て字が炸裂の決め技連発で見た目に迫力の戦闘シーンが立て続けなのは良いけれど、そんな合間に繰り出される会話なり挟み込まれる複数の場面で進むエピソードを読み解いていたかなくっちゃならないから理解に結構時間がかかる、第1巻だって3回は確実に読み返したし。緊張感にあふれる描写の連続の中で、水着姿で暴れまくった挙げ句に傷だらけになってしまったのにも関わらず、折角の沖縄ってことで海の塩水に飛び込んで案の定ゲショゲショの乱空の描写が妙にホッとする、あと言霊(ほつま)が好物の甘いお菓子を食べまくり薦めまくるシーンとか。沖縄名産らしー「ちんすこう」は聞いたことがあるけど「サーターアンダーギー」ってば何? あと室長も待ちわびる最高級ごまに沖縄黒糖使用の「黄金ごま飴」も、旨いのかなあ、サミット絡みで名産品展があったら探しに行こう。

 富樫倫太郎さんの新作「雄呂血」(光文社、1500円)をどーにか読了、読んでいる間の手を止めさせない文章の力は「陰陽寮」シリーズを経てますます上達しているよーに思うけど、最新にして最長となった「雄呂血」から繰り出される物語にどーにも乗り切れなくって読み終えて気分が抜ける。タイトルロールの「雄呂血」って存在が何とゆーかとにかく目立ってない。古くから続く血族の彼岸を成就できる強い能力を持った者だけが「雄呂血」の名前を名乗れるらしーんだけど、仰々しく提示された4つの奇跡が起こって雄呂血が世に出て活躍することはするものの、持って生まれた運命を悩む訳でもなく、諾々と仕事をこなして去っていってしまうからちょっと拍子抜け。次の世代へとバトンを受け継ぐだけの、トップランナーやアンカーは言うまでもなくアンカーにバトンをつなぐ第3走者よりも目立たない、リレーの第2番目の走者みたいな存在でしかないよーな人物を、中心に据えようとしたってやっぱちょっと無理だよねー、おまけにアンカーは最後は沈没する運命って分かっているから雄呂血のしたことって結局は無駄足だったってことになってしまう、今のところの状況では。

 局地戦としての権力争いに敵だ見方だと別れて戦い合いあるいは呪い合うなら物語も見えやすいし俗情が絡んでドラマとしても盛り上がりやすいけど、かれこれ1000年にはなろーかとゆー頂戴な歴史の中で常に対立してきた存在があって、そんな勢力の思惑にかき回される展開は合戦の活劇も歴史を物語として読む知的な楽しさも平準化してしまって敵あるいは見方への感情移入を許してくれない、これが読んでワクワクできない理由なのかも。とはいえおそらくは物語中で1番人気になるだろー鎮西八郎為朝を、その強さと気象の爽やかさを余韻として残しながら描いているのは後々の展開にとって楽しみかも。「修羅の跫」(富樫倫太郎、学習研究社、980円)の続編として、「陰陽寮」も含んだ「富樫サーガ」の全体像へと歩を薦める上での1エピソードだと位置付けるなら、こーゆー状況説明っぽい話もありなのかもしれない、その意味でまさしく第2ランナーな本と言えそー。60回もコンテストに落ちてなお粘って遂にデビューした、その鬱憤を晴らすかのよーに繰り出して行く小説群に、アンカーへと繋ぐ頑張りそしてアンカーの大活躍を期待してみたい、叶えてくれるね、富樫さん。

 SNKのお台場にあるアミューズメント施設に新アトラクション「アナザヘヴンLive」ってのが出来てそのお披露目をかねた記者会見があったんで除く、金曜日でおまけに雨ってこともあって「NEOGEOワールド」は客が極端に少なく、ただでさえ暗い屋内型テーマパークを歩いているとここは九龍城の中か何かと一瞬思えてしまう、暗闇に引きずり込まれてボコられた挙げ句にバラ肉にされて売られちゃう、とか。まあ外に出れば「ヴィーナスフォート」を含めたパレットタウンのお客さんたちでそれなりに賑わっているから暗黒街には今のところなってはないけど、このままお台場が発展して山のよーなビルが建つった後で寂れれば、まさしく海に浮かぶ廃墟として物語とかの格好の舞台となりそー、その時にあの観覧車は何に使われてたらそれっぽいんだろー、地中から水を組み上げるための巨大な風車? それとも繰り替えされた殺戮の証明となる髑髏を飾った巨大なモニュメント?

 会見に登場した新山千春さんは前に「HIP」の会見だかで見た時と顔立ちも声も大差はない。「せぶんいれぶんいーきぶん」とテレビで連呼している今は、一昨年の年末近くに記者会見で見た当時と比べてメジャー感も相当に高まっているはずなんだけど、発するオーラが深田恭子はもちろん優香とも違ってどこまで行っても庶民っぽく見えるのは、やっぱり顔立ちとか性格とか出身によるものなのかどーなのか、脳味噌ぶちまけなアトラクションを見た後で「スパゲッティ食べられませんでしたー」とあっけらかんと言っちゃうし。アトラクションは時間がなくって体験しなかったけど、新山さんによれば脳味噌ぶちまけな内容で見た後はスパゲティのミートソースとか食べられなくなるとか。とは言え見る前に食べるのも禁物だそーで、行く人は帰りがけのイタリア料理や肉料理は断念する覚悟で見ましょー、22日から一般公開の予定です。

 記念撮影もそこそこにビッグサイトは「東京国際ブックフェア2000」を再びのぞいてマガジンハウスの「MUTTS(マッツ)」とかゆー新雑誌の発表会見をのぞく。ネットで集めた様々な情報を土台に取材して書く情報誌、って感じで個人的な印象は80年代初期のまだアイビーやアメカジが全盛だった時代の街とかグッズとかファッションをゴチャゴチャと紹介していた時代の「POPEYE」に近いかな、しかし「マッツ」は情報を寄せてくれた人の9割が女性だったとかで一応は女性誌で行くみたい。おやじな編集長はさておきスタッフとして会見に出てきたのは編集の人が1人にフリーで参加しているライターさんイラストレータさんら4人のすべてが女性。1人なんぞは頭にバンダナで細い眼鏡に丸顔、でもって体型は容積がたっぷりあって喋ると不思議ちゃんな人だったりして、そんな彼女が担当するのが「オタク」とゆーからあまりにハマり過ぎだけどマガジンハウスの雑誌で「オタク」ってのにはちょっと吃驚。同人コスプレドールにフィギュアにやおお他、隠微に広がる女性の「おたく」文化を、オシャレちゃんなマガジンハウスの雑誌の中でどー紹介していってくれるのか。担当のキャラクター性も含めて創刊号への期待と好奇心が今から膨らむ。ハンパすっとお姉さま方のツッコミは怖いからねー。


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