永井荷風の遺品を眺めながら暮らしぶりを偲び、荷風の愛した街や川、食の嗜好を豊富な写真を交えて語る、「とんぼの本」の一冊。
荷風の人となりがそれなりに判る本と思ってペラペラと読み始めたのですが、「食の歓び、自炊の愉しみ」へ進むと俄然面白くなってきます。食の好みこそ、その人物の普段着の様子が一番よく判るものか
食べ歩きではなく、荷風の自炊する様子の写真を交えて語られる一人暮らしぶりにとにかく目を瞠らせられます。背広姿のまま部屋の中で七輪を使い、飯盒で炊いた「にんじん入り炊き込みご飯」を合理的だろうと自慢する辺り、とても愉快。
ふと気付くと荷風の食の好み、私と共通するところが多いのです(自慢できるようなものではありませんが)。
「断腸亭日乗」からの一部引用も、写真などと見比べながらじっくり読むと深い味わいがあります。
傑作だったのは「あてが外れた文化勲章」。税金で取られた分を年金で取り返したと喜んでいたら、偉い先生だと気遣われて踊り子たちとの付き合いにすっかり距離が空いてしまったという。そりゃあ、荷風のように有資産家であれば、年金より踊り子達との気安くワイワイガヤガヤした付き合いの方が余っ程良いのは間違いないところでしょう。荷風のがっくり肩を落とした様子がふと目に浮かぶようで笑いがこみ上げてきます。
独身で一人暮らし、父親が遺してくれた金融資産の利殖で生活費は十分賄えるという恵まれた状況。それがあって荷風らしさを貫けたのでしょうけれど、西欧的なダンディズムと日本人的な小市民さの両極端を一人で備えている点が荷風の面白さ、魅力だと思います。
荷風と並ぶ個性的な作家というと内田百が思い浮かびますが、百聞が偏屈一辺倒だった印象があるのと比べ、永井荷風のブレの大きさはとても愉快です。
なお、本書におけるの貴重な余禄は、未発表の晩年作品「ぬれずろ草紙」の一部が紹介されていること。終戦直後、戦争未亡人である絹子が、米兵を相手としたパンパンたちの奔放な性行動に刺激され、自らも米兵相手に性欲への渇望を一気に爆発させるというストーリィ。あらゆる種類の娼婦を描いた荷風が、最後に書いていなかったのがパンパンだったそうです。あの時代にここまで書いたのかという驚きと、よどみ無い書きっぷりに呆気にとられたというのが正直なところ。
「濹東綺譚」「断腸亭日乗」といい、作家・荷風、愛すべし。
ひとり暮らしの賑わい/食の歓び、自炊の愉しみ/散人、晩年に愛した街/好んだ季節の花々/コラム「日乗」の断片
水野恵美子:1967年福島県生、フリーランス編集者・ライター。食と暮らしをテーマにした執筆で活躍中。
坂本真典:1940年旧満州チチハル生。出版社写真部を経て独立。
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