池田健太郎著作のページ


ロシア文学者。1979年逝去、50歳。

 


   

「わが読書雑記」● ★★

  

  
1980年10月
中央公論社刊
(1650円)

 

1991/07/18

約10年ぶりの再読。
当初読んだときは、名訳者・
神西清氏のエピソードに強く惹かれたことが第一だったと思う。
今回もまた、神西清氏の訳出の仕事振り、同氏と著者の交流に一番強く魅せられる。一行の訳のためにも数頁を読み直すといった神西氏の丹念な仕事振りは、あの名訳ぶりと比べて考えるとすべてはそれだけの苦労の賜物と感じ入る。
また、ロシア文学者という評価を著者が受けているものの、実態はロシア科中途でフランス文学に転籍、ロシア語は殆ど独学、曲がりなりに評価を得た後に初めてロシア婦人にロシア語の教授を受けた時の苦闘ぶりを読むと、著者の努力、そうまでして生活の糧を稼がなくてはならなかった苦しい事情が強く心に残る。

チェーホフについてもエッセイが多い。ロシア作家の中でとくにチェーホフ、プーシキンというところだったのだろうか。
しかし、チェーホフについての著者の考え方については、私としては賛否もなく、ただ読んでいくだけである。
ただ、チェーホフがプーシキンや
トルストイドストエフスキイの大作家たちに比べれば、その思想のスケール、物語自体のスケールにおいて大きく見劣りするものの、一方現実の日常生活への直視という面では、逆に優っていたということは疑いもない。
チェーホンテ時代の短編、
「桜の園」「かもめ」の代表的戯曲を改めてじっくりと読む機会があれば、もっとチェーホフを見直すだろうことは、当然のように思えるのである。

   


 

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