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22.抱く女 23.路上のX |
【作家歴】、顔に降りかかる雨、天使に見捨てられた夜、OUT、柔らかな頬、ローズガーデン、玉蘭、ダーク、グロテスク、残虐記、魂萌え! |
東京島、女神記、IN、発火点、ナニカアル、優しいおとな、ポリティコン、緑の毒、だから荒野、夜また夜の深い夜 |
21. | |
「奴隷小説」 ★★ |
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2017年12月
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物理的あるいは心理的に捕われ、あるいは特定の行動を余儀なくされるといった状態に置かれた人々を描いた特異な短篇集。 架空の土地、架空の事件と設定された状況は様々ですが、人が捕われるという状況にはいろいろな形がありうるのだということをまざまざと感じさせられます。 架空の物語と言っていられないのが「泥」の篇。 決して絵空事とばかり言っていられない、いつ何時起きるかもしれないこと、生を受けた場所が異なればこうしたことがあったかもしれないと思うと、心底震え上がるような恐ろしさに捕われます。 |
「抱く女」 ★☆ |
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2018年09月
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1972年、学生運動に揺れる時期に、もがくようにして自分の生き方を求めた一人の女子学生の姿を描いた長編小説。 「この主人公は、私自身だ」という広告コピーもあり、桐野さんとしては力作長編だと思うのですが、共感を覚えたかと問われると、むしろ逆に遠いものを感じたというのが正直なところ。 私が大学に入学したのが1973年、本ストーリィの年代設定とは僅か1年の差。大学紛争の燃え滓が多少くすぶっていたものの、もはや大学紛争は終息したと言って良い時期でした。 とはいえ、学生たちの生態はそう変わるものではなかったと思いますが、私自身が送った学生生活は、本書で描かれた放埓な学生たちとは対極にあるものでした。当時の学生像は2極化していたということなのでしょうか。 いやいや、どんなものにも常に複数の面があり、たまたま対照的だったに過ぎない、ということでしょう。 ほぼ同世代であり、共感を覚えないところから出発してしまったので、本書主人公の行動は単にデタラメに過ぎず、「フリ」をしていた男子学生の真似をしてそれに乗っかかっていただけ、要は振り回されていただけと感じてしまいます。 本書中に描かれる、所詮“女”という見方も、「フリ」をしていた連中の間での見方に過ぎないのではなかったかと思います。 もっとも、私が送った学生生活自体が狭い世界であり、世間知らずでいただけのことかもしれませんが。 かつてそうした時代があったな、という感想に留まったというのが率直なところです。 1.1972年9月/2.1972年10月/3.1972年11月/4.1972年12月 |
「路上のX」 ★☆ | |
2021年02月
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平穏な家庭、日常に恵まれず、外の世界に飛び出すしかなかった女子高生たち。 ネグレクト、虐待、レイプ、JKビジネス等々、外の世界は女子高生たちにとって狂暴な野獣たちが手ぐすねを引いている危険な場所に他ならない。 それでも、居場所を失った女子高生たちは、あえてそうした危険地帯に足を踏み入れる他ない。 本ストーリィは、そんな世界と戦いながら強く生きようとしている女子高生3人の姿を描く、現代社会への問題提起と言うべき長編。 主人公の伊藤真由は高一、16歳。 借金があるから、いずれ迎えに来るからと突然言い残して両親は夜逃げ。真由は父方の叔父の家に、弟で10歳の亮介は名古屋に住む母方の伯母の元に預けられる。 しかし、狭く古い公団住宅住まい、娘2人の叔父宅で、真由は叔母の幸恵からろくに食事さえ与えられず、露骨に邪魔扱い。 叔父宅に居場所のない真由は、渋谷のラーメン店で必要な金を稼ごうとし、一晩中カラオケ店等外で過ごす日々。しかし、そんな日々も思いもしなかったことから破壊され・・・・。 そして、渋谷の街を呆然とさすらう真由は、心配して声を掛けてくれたリオナ、その友人ミトと知り合いになり・・・。 今では数多い、似たような女子高生たちのひとつの姿なのでしょう。しかし、まともな親に恵まれなかったリオナやミトと、これまではきちんとした家庭に育ってきた真由では、行動の仕方にやはり選択の違いが出るようです。 高校生たちの経済的苦境をルポした「高校生ワーキングプア」、そして平穏な家庭に恵まれない女子高生たちを描いた本書、現代日本社会における深刻な問題を突きつけられた気がします。 その一方、真由・リオナ・ミトという3人の物語になってしまい、もうひとつ普遍的なストーリィになり切れなかった印象を受けます。その点がちょっと残念。 1.真由/2.リオナ/3.監禁/4.破綻/5.家族 |
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