堀江敏幸作品のページ


1964年岐阜県多治見市生。1999年「おぱらばん」にて三島由紀夫賞、2001年「熊の敷石」にて芥川賞、03年「スタンス・ドット」にて川端康成文学賞、04年「雪沼とその周辺」にて第8回木山捷平文学賞および第40回谷崎潤一郎賞、05年「河岸忘日抄」にて第57回読売文学賞、12年「なずな」にて第23回伊藤整文学賞を受賞。07年現在、早稲田大学文化構想学部教授。


1.
雪沼とその周辺

2.河岸忘日抄

3.めぐらし屋

4.アイロンと朝の詩人−回送電車3−

5.未見坂

6.なずな

7.燃焼のための習作

8.その姿の消し方

9.あとは切手を、一枚貼るだけ

  


    

1.

●「雪沼とその周辺」● ★★☆    木山捷平文学賞・谷崎潤一郎賞


雪沼とその周辺画像

2003年11月
新潮社刊

(1400円+税)

2007年08月
新潮文庫化



2004/11/09

雪沼は山間にある小さな町。町の小学校近くには町営のスキー場がある。そんな雪沼とその周辺に住む人々の静かな日常生活を描いた連作短篇集。

各篇の主人公たちは、いずれも人生の壮年期を過ぎた人々。
とくに変わり映えのしない日常生活ですが、人生の喜びも哀しみも一通り経てここに辿り着いたという、落ち着いた雰囲気が漂います。味わいある人々の味わいある生活がここに息吹いている、そう感じられます。
登場するのは、長年経営してきたボーリング場の最終日を迎えた老人、一人身のまま死んだ料理教室兼レストランを営んでいた老婦人、町工場主夫婦、子供の13回忌を過ぎた夫婦、古めかしくも懐かしいレコード屋の店主、中華料理店を営む夫婦、亡き友人との思い出を語る初老の男性。
比べるのは適切かどうか判りませんが、マクラウド「灰色の輝ける贈り物と同質の、小説の味わい良さが感じられる一冊です。
収録7篇中、冒頭の「スタンス・ドット」の静謐さは忘れ難い。また、「送り火」では、主人公たちへの愛おしさに胸がいっぱいになります。
最近ではあまり出会うことのできない、味わい深い連作短篇集。お薦めです。

スタンス・ドット/イラクサの庭/河岸段丘/送り火/レンガを積む/ピラニア/緩斜面

   

2.

●「河岸忘日抄」● ★☆       読売文学賞


彼岸忘日抄画像

2005年02月
新潮社刊

(1500円+税)

2008年05月
新潮文庫化

2005/04/14

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フランスらしい外国の川(セーヌ川?)に係留した船で暮らす日本人を主人公にした長篇小説。
何をするという目的がある訳でなく、船を住居にして日々を過ごす生活。音楽を聴き、本を読み、昔観た映画のことを思い出しながら日々を過す。
関わりを持つのは、時々やってくる西アフリカ出身の郵便配達人と謎の少女、日本からファックスを送ってくる元探偵の友人、そして船を主人公に貸してくれた大家である老人くらい。
第三人称にて散文的に描かれる小説です。

本来じっくりと腰を据えて読めばきっと味わい深いものがあったのでしょうけれど、あいにくちょっと気分が集中できない時期にぶつかってしまったため、物語の中に入り込めないまま読み終えてしまったというのが実態です。
この作品、正直に言って、物語の中に入り込めないと読むのがとてもシンドイ。
読むのであれば、急がずじっくり読もうと心しておくべきでしょう。
本来川を行き来するべき船が、動かないまま住居として使われている。本書の主人公は、時間、世界の流れに距離を置いて、静かな生活に安住している。河岸に繋留されたままの船というのは、きっとそんな主人公の現状を象徴するものであろうと思います。

      

3.

●「めぐらし屋」● ★★☆


めぐらし屋画像

2007年04月
毎日新聞社刊

(1400円+税)

2010年07月
2020年12月
新潮文庫化



2007/05/29



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40代でしょうか、主人公の蕗子さんはビルの管理会社に勤める独身、一人暮らしの女性。
その蕗子さんが子供の頃に離婚したらしい父親が亡くなり、そのアパートで遺品の整理をしていると表紙に「めぐらし屋」と大書きされている大学ノートがみつかります。そしてちょうどその時に電話が鳴り、出ると相手は「めぐらし屋さんですか?」と呼びかけてきた。
なにやらミステリアスな紹介文になってしまいましたが、ストーリィはさておき、ともかく冒頭からとても気持ちが好いのです。温かい、というのとは違う。静かでゆったりと、時間が立ち止まってくれているような雰囲気。そして、今を大事にしてその今が積み重なっていくことで生活を営んでいるような蕗子さんのもつ雰囲気。いいですねぇ。

離れて暮らしていた父親がしていたらしい「めぐらし屋」とは何なのでしょう? 
蕗子さんがそれを知ろうとするのは、父親のことを知りたいという気持ちに他なりません。しかし、その言葉だけでは何の意味か戸惑います。
その発端は、造り酒屋の主人が浮気で夫婦喧嘩し、勢いで飛び出してきたときに2、3日の居場所を世話したことからだったらしい。
儲け商売に繋がるものでなく、頼まれたからそれに応じただけ。不器用なぐらいに実直だった蕗子さんの父親の人柄を偲ばせるようなエピソード。「めぐらし」とは、鬱積した血をめぐらす、という意味らしい。

自分の住まいとは別の父親のアパートで畳に寝転ぶのも気持ち良いこと。そしてかかってくる電話。
頼まれたから、それに応える。そこに人と人との繋がりが生じます。そんなささやかなことで人と人とが繋がっていくことを知るのも、また気持ちが好い。
そんな末に蕗子さんが「はい、めぐらし屋です」と電話に応えるのは自然なことのように感じられます。楽しそうな気配を感じるのは、そこから蕗子さんの生活に広がりが生まれそうだから。
雰囲気を楽しみたい方には是非お薦めしたい一冊です。

   

4.

●「アイロンと朝の詩人−回送電車3−」● ★★


アイロンと朝の詩人画像

2007年09月
中央公論新社

(1900円+税)



2007/10/31



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「回送電車」と名付けられたシリーズの第3弾。高尚かつ知的な味わいに充ちたエッセイ集です。

冒頭から古典的名作の作家名、作品名が次々と飛び出し、こりゃぁ私には手の届かない内容だなァと感じたものの、読んでいる気分はさして悪くない。
ちょうど外国の知らない街で朝早くから散策に出かけたような気分です。言葉が判らない故にどんな場所か、周囲に何があるのか見当がつかないのですけれど、それでも歩いている気分はとても好い、そんな楽しさがあります。
そう自覚してから後は、快く本書の味わいを楽しむことができるようになりました。読んでいる最中楽しい気分でいられるならそれで十分じゃないか、と。

刑事コロンボの話が出てきたり、昔懐かしいTV番組「がっちり買いまショー」、岩波文庫の★マーク時代、早稲田古書街との出会い等々の思い出話から、題材に制約なく日常の些細な事柄、作家や作品のことと、堀江さんの思いは自由に飛翔していく。
その中で、かつて私が読まずに終わった小説
オードゥー「マリー・クレール(孤児マリー)」のこと、読書および書評について書かれたエッセイは、心に残る嬉しい篇でした。

収録された数多いエッセイの中から2篇を紹介します。
・表題作の「アイロンと朝の詩人」
「彼女はスラックスのうえを行ったり来たりする」と学生は仏文を和訳。その瞬間、堀江さんの脳裏にはスラックスを平均台に見立てて演技する女性の姿が膨らんでいる。なんと心弾む空想であることか。それは再び学生が「彼女はスラックスにアイロンをかける」と訳し直すまで続くのです。
「スポーツマンの猫」
ある駅前のたまたま入ったカフェ。モーニングセットを勧められたところ、ハムエッグか目玉焼きか選択ができいずれもサラダとゆで卵付きなのだという。すぐに堀江さんは聞き返します。
「つまりセットの中に卵でできたものがニ種類ある、と解釈してよろしいんでしょうか?」と。その結果訪れた沈黙の深さはいかほどであったろうか。今の今まで考えたこともなかったと、おばさんはひどい狼狽ぶりだったという。
知的で難解なところはありますけれど、その分味わいも深いエッセイ集なのです。

 

5.

●「未見坂(みけんざか)」● ★★☆


未見坂画像

2008年10月
新潮社刊

(1400円+税)

2011年05月
新潮文庫化



2008/11/19



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雪沼とその周辺に連なる短篇集、とのこと。
実際、本短篇集の舞台となっているのは、雪沼に近く、未見坂という長い坂のある町らしい。
読み始めた冒頭から、ゆったり、温もりある世界に身を落ち着けたような安らぎを感じるのがとても心地良い。それこそが本短篇集の魅力と言って過言ではありません。

本書に描かれるのは、場所が田舎町らしいことを除けば、どこにでもあるような普段の生活の、あるひと時のこと。
その中で、特に少年の視線が印象的です。
滑走路を目指して自転車で駆った少年2人の父親への思い(滑走路へ)、祖母とその家に預けられた少年の思い(なつめ球)、母親が入院中に店の手伝いに年上の女性への思い(消毒液)、疲れ切った母親から田舎の伯父さんの家に預けられた少年の健気な思い、等々。
また、払い下げのバスで移動スーパーを営んでいた頃を思い出す「戸の池一丁目」、長く親しい間柄の母娘と彦さんが町のあれこれを語り合う「未見坂」も、しみじみとした愛おしさを味わえる得難い篇です。
どれも普段の生活の中のほんのひと時のことのようでいて、それなのにいつまでも忘れられない思い出として残るような、温もりと光景の色濃さがあります。
それらが忘れ難い理由は、人と人との関係にゆったりと、そしてじっくりと伝わり合うものがあるから、と思います。

静かでじっくりと心落着け、特段のストーリィ展開がなくても読んでいるだけで嬉しく感じられる、本書はそんな短篇集です。

滑走路へ/苦い手/なつめ球/方向指示/戸の池一丁目/プリン/消毒液/未見坂/トンネルのおじさん

     

6.

●「なずな」● ★★☆       伊藤整文学賞


なずな画像

2011年05月
集英社刊

(1800円+税)

2014年11月
集英社文庫化



2011/05/24



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主人公は地方誌の記者である40代独身男性、菱山秀一
ある事情から、弟夫婦の赤ん坊、生後2ヵ月の姪=
なずなの世話をすることになります。
すると菱山、なずなと一緒にいることによって、なずなの世話を通じて、それまで知らなかった世界が見えてくることに気づきます。
本書は、独身男性の“イクメン小説”とか。

ふと思い出したのは、山本幸久「ヤングアダルトパパ。中学2年生の男子が子育てに奮闘というストーリィなのですが、同じイクメン小説にしても中学生と40代男性ですから、共通するところもあれば、大いに違うところもあり。
当然本作品の方が現実的で、なずなとの毎日が、丁寧に丹念に描かれていきます。
世界の中心は今なずなの中にある、そんな主人公の思いは決して大袈裟でなく、読んでいて実感することしきりです。
日々、なずなには変化があります。体重が増え、ミルクを多く飲むようになり、表情が豊かになっていく。
生後2ヵ月から4ヵ月、睡眠不足になりながらもなずなの世話、なずなの成長に喜びを覚える日々。その何と貴重で、愛しいことか。
物言わぬ赤ん坊ながら、本作品でのなずなの存在感はとびきり大きくて、何とも魅力的な存在です。

その最中の育児は大変でも、子供が大きくなるのはあっという間。今思えば、折角の育児の機会、もっと関わって大切にしておけば良かったなぁと思うものの、時既に遅し。ただし、今だからこそそう思うのかもしれませんが。

赤ん坊の成長とその子育ての喜びを、主人公と一緒になって味わえる、得難い作品。お薦めです。

        

7.

●「燃焼のための習作」● ★☆


燃焼のための習作画像

2012年05月
講談社刊

(1500円+税)

2012/06/06

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登場する人物は3人。
探偵かと思えば要は何でも屋の
枕木。その事務所を訪れてきたのは、離婚して元妻に引き取られた息子の居場所探しを依頼しに来た熊埜御堂(くまのみどう)という男性。
もう一人は、2人が会話しているところに戻ってきた、枕木に遠慮ない口を利く
郷子さんという女性。
その郷子さんが事務所に戻ってきてから、会話は際限なく、繰り返し横滑りしていき、肝心の要件は少しも進まず、といった風。
雨で閉じ込められた部屋の中、3人の会話がとめどもなく続きます。会話の中身は脈略があるようでいて、やはりないのかも、というようにまとまりがない。まるで舞台劇のよう。
要はつかみどころのない小説作品なのです。

表題の「燃焼のための習作」は、ストーリィ中に登場するあるキットを指しているようなのですが、そのまま本作品の有り様を示していると言っても間違いではないように思います。
最初から完成することのない小説、そんな印象を抱きました。
その意味で、試験的な作品かも。
そうと思えば、それなりの面白みあり。

      

8.
「その姿の消し方 Paur saluer Andre Louchet 


その姿の消し方

2016年01月
新潮社刊
(1500円+税)

2018年08月
新潮文庫化

2016/02/17

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留学生時代、古物市で偶然に見付けた一枚の絵葉書。
1938年の消印のあるその絵葉書は、「アンドレ・L」という差出人から「ナタリー・ドゥパルドン」という女性に宛てたものであり、そこには詩句のようなものが書き綴られていた。

会計監査官であったアンドレ・ルーシェという人物は、いったいどのような人物だったのか。
長年に亘り、とくに有名な詩人ということでもない、アンドレ・ルーシェという人物の足跡を訪ね歩くという、小説ともエッセイともつかぬ作品。

一歩、一歩足を進める内に、思いがけぬ場所、思いがけぬ人々との出会いがあり、今まで通りだったら決して知ることのなかったような風景が主人公の前に現れてきます。

そうした面白さがあるということは感じられますし、理解もできるのですが、こうしたとらえどころのないストーリィは、正直なところ苦手です。


波打つ格子/欄外の船/履いたままおまえはどこを/デッキブラシを持つ人/ふいごに吹き込む息/黄色は空の分け前/数えられない言葉/始めなかったことを終えること/発火石の味/その姿の消し方/打ち上げられる贅沢/眼の葡萄酒/五右衛門の火

          

9.

「あとは切手を、一枚貼るだけ(共著:小川洋子 ★☆


あとは切手を、一枚貼るだけ

2019年06月
中央公論新社

(1600円+税)

2022年06月
中公文庫


2019/07/09


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過去に何らかの関わりがあったらしい、今は遠く隔たっているらしい男女間で交わされる、7往復、計14通という書簡からなる小説。

双方の手紙で語られるのは、今現在の出来事ではなく、ソローの「森の生活」のことだったり、「アンネの日記」のことだったりと抽象的なことや、思い出などが主。
せっかちなところがある所為か、私はどうもこうした内容が苦手です。
このやりとりの中に、何が隠されているのだろうか、というのが実は注目点なのでしょう。

女性側、最初の手紙で「まぶたをずっと閉じたままでいる」ことを決断したと言います。
それは単なる思い付きによる行動ではなく、何かの病気が原因、いずれ失明?という状況にあることが分かります。
一方、相手の男性は、子供の頃の不注意な事故で、片目、そして両目と失明するに至っていることも明らかになります。
それでもそれらは通過点。
2人の間に何があったのか・・・。

読み終えた時、何やら2人に取り残されたような思いがします。
 
一通目/〜/十四通目

   


  

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