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11.君たちは今が世界 12.翼の翼 13.ななみの海 14.ミドルノート 15.いつか、あの博物館で。 16.普通の子 |
【作家歴】、彼女のしあわせ、BANG! BANG! BANG!、憧れの女の子、あの子が欲しい、天使はここに、自画像、少女は花の肌をむく、人間タワー、みなさんの爆弾、人生のピース |
「君たちは今が世界 All grown-ups were once children」 ★★☆ | |
2021年07月
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小学6年生のクラスを舞台にした、小学生たちの連作ドラマ。 6年3組のクラスは男子、女子それぞれのリーダー格生徒が傲慢に担任を舐め切り、好き放題に女性教師を馬鹿にしている。 本来それを止めるべき立場の優等生は孤立させられ、誰もそれを抑えようとしない。 そしてついに、調理実習中に洗剤が混入するという事件が起き、担任する生徒たちを見切った幾田先生は、ある言葉を残して去っていく。 大人を馬鹿にし、誤ちを誤ろうともせず、逆に自分たちの有利性を主張する。その傲慢さ、身の程知らずには、嫌悪感を抱くばかりです。 しかし、彼らは本当にもう救いようのない子供たちなのか。 その子供たちの中に、あるいは子供たち同士の中に、葛藤や苦悩はなかったのでしょうか。 そうした問題があるかどうか、深く踏み込もうとせず、早々と生徒たちを見捨ててしまった幾田先生の行動は、教師とはいえやむを得ないものだったのか。 第一章の主人公は、友達といいながら、リーダー格生徒から格好のおもちゃにされているような男子生徒=尾辻文也。 第二章は、成績優秀だがクラスの中で身を縮めているような女子生徒=川島杏美。 第三章は、コミュニケーション障害のある生徒=武市陽太。 第四章は、傲慢・不遜な女王さまである前田香奈枝の隣にいることに、自分の位置を見出している見村めぐ美。 そして、それ以外にも、生徒たちの様々な姿が描かれます。 とにかく冒頭の「みんなといたいみんな」が圧巻。 息詰まるような展開、その迫力はもう言葉にはできない程。 子供であればこそ、多少の過ちを犯すのも仕方ないこと。 しかし、子供たちに一生取り返しのつかないようなことをさせてしまってはいけない、そんな状況に追い込んでしまってはいけない、それを留めるのが大人の役目、と思います。 それらを子供たち、先生たちと一緒に考えたくなる作品です。 ※幾田先生や山形先生と対照的に、「麦わらさん」「まっすぅのお母さん」が貴重な救いとなる存在と感じられました。 1.みんなといたいみんな/2.こんなものは、全部通り過ぎる/3.いつか、ドラゴン/4.泣かない子ども/エピローグ |
「翼の翼」 ★★ | |
2025年02月
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読もうかどうしようか、かなり迷った作品です。 内容が中学受験となれば、陰鬱で辛い展開になるものと予想されたので。 主人公は、専業主婦の有泉円佳。その息子である翼は小学二年生で、水泳が大好きな、明るく聡明な少年。 周囲の同学年ママたちからの話で、有名進学塾に入った翼はすぐ期待されるだけの結果を残す。 しかし、そのまま思いどおりには行かないのが世の常。 塾の成績が落ちると、母親である円佳の方が神経質になってしまう。そしてその結果は・・・・。 さらに父親である真治までが、何時の間にか教育パパぶりをエスカレートさせてしまう。いくらなんでもと思いつつ、翼のためだという真治の行動を円佳は止めることができない。 塾側の使嗾にも問題があるような気がしますが、円佳も結果だけに一喜一憂し、これまで翼の順調ぶりが周囲に知られているだけに、後に引けなくなってしまう。 そして、親の期待と実態の乖離を埋める為、翼は表面を取り繕うことを覚えてしまい・・・。 子供は競争馬か、と言いたくなるような展開。 そして何が大事だったのかも見失い、評判を、母親である自分の評価を落とすまいと、翼を自分の思うままに誘導し、鞭を振るい続ける・・・。 親としては、子供の良いところを育て、喜びとチャンスを与えることが役割であって、決して角を矯めて牛を殺すようなことがあってはいけない、と思います。 ただ、現実を思うと、その理想を果たそうとすること自体、難しいことではあると思います。 私の頃は、公立校進学が当たり前で、優秀な生徒は高校から公立校のトップを目指すという時代でしたから、単純なものでした。 最後の最後、何もかも失う前に留まれたことが、親子三人にとって幸せなことでした。 批判を覚悟で助言してくれた友人の存在も、胸に残ります。 1.八歳/2.十歳/3.十二歳 |
「ななみの海」 ★★☆ | |
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主人公は、児童養護施設で暮らす高校2年生の岡部ななみ。 母親の死後、祖母と2人で暮らしていたが、その祖母が認知症を発して施設に入所したという経緯。 今は、医学部進学を目指し、進学資金を貯めるためファミレスのバイトに励む一方、勉強も頑張っている。 高校ではダンス部に所属し、同じ部のみえきょん・瀬奈・ズミの3人と仲が良い。 施設暮らしというハンデを持ちながら順調に歩んでいる女子高生という印象でしたが、読み進むにつれ、ななみの抱えているものの大きさ、重さに圧倒される気がします。 バイトと勉強は共に進学に必要ですが、両立は難しい。そして、「寮」と呼ぶ施設内では年下の子どもたちのことも気遣う。 でも、自立というプレッシャーもあり、そう良い子ばかりでいられる訳もありません。 頑張りも、ストレスも、<家の子>と<寮の子>では全く異なります。そこには「怖い」という感情もあるのですから。 そんなななみの、試練を経て逞しく、強く成長していく姿を前向きに、日々の生活から描いた長編ストーリィ。 施設での様々なルール、制約の数々、暮らしぶりを知ることができ、教えられることが多々あります。 そこでは本人のやる気も大事ですが、でも支援も欠かせません。 終盤、「いい大人になりたい」というななみの言葉。 その単純な言葉の中に、どれだけの思いが籠められているか。それを知るには、本作を読んでもらう他ありません。 親友みえきょんの「ななみんはなんでもできるよ。・・・だから海の先のずっと遠くまで、ななみんには行ってほしいんだよ」という言葉に負けず、ななみに対して心からエールを送りたい。 ななみがこれから歩む先には、可能性のある未来が広がっているのですから。 ※佐川光晴“おれのおばさん”シリーズも養護施設で暮らす子どもたちを描いたストーリィ。こちらもお薦めです。 |
「ミドルノート Middle Note」 ★★ | |
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題名からてっきり帳面の「ノート」かと思ったのですが、そうではなく香水のこと。無知でした。 香水をつけた時、最初の数分の香りを“トップノート”、その次にくるのが“ミドルノート”、最後が“ラストノート”と言うそうです。 さしずめ、勢いだけでやってきた20代が終わり、これからの自分をどう考えるか、それは自分の将来の姿を左右する、という時期にさしかかった4人の女性を主人公にした、連作風群像劇。 まず登場するのは、食品メーカーの入社同期である男女6人と同社に勤める派遣社員の岡崎彩子。 三好菜々は同期の拓也と結婚し、現在妊娠中。江原愛美は同期トップで課長昇進をはたしたものの、会社の宣伝代わりに過ぎなかったのかと疑心暗鬼、2人の子育てと仕事の両立にストレスが溜まるばかり。板倉麻衣は転職を重ね、相変わらず実家暮らしのWEBライター兼自称アロマデザイナー。 彩子が後日、新型コロナの影響で雇用打ち止めに遭い、「私、死ぬかも・・・」と思いつめる。 つまりは、四人四様。幾つかのパターンを、この4人それぞれが象徴しています。 仕事、結婚、出産、子育てという難しい問題を抱えている中で、コロナ感染による様々な制限、抑圧。 それぞれ、判るなぁ、と感じるストーリィ。 その中で特に難しい選択を迫られたのは、拓也との結婚に問題が生じた菜々、結婚について戸惑う彩子、でしょう。 でも、ここで頑張ってこそ、正しい道を選んでこそ次の道が開けてくると思います。4人の女性たちにエールを送りたい。 Before....../After....../With...... |
「いつか、あの博物館で。−アンドロイドと不気味の谷−」 ★★ | |
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中学生4人、一年生から三年生まで、3年間の成長を描いたストーリー。 安藤悠真は博識ですがオタク傾向、長谷川湊はサッカー部で次期キャプテン候補の人気者。 清水陽菜はバスケ部ですが、仕事に忙しい母親に代わって弟と妹の世話をしている。 市川咲希は大人しい性格で音楽部所属、フルート担当。 性格も状況もいろいろ異なる4人ですが、中一の校外学習で同じ班となり、「美しすぎる」アンドロイドの気象予報士がいる博物館を一緒に見学。 その折、お互いの意外な面を知ったことが、その後の4人の成長へと繋がっていきます。 好感の持てる、中学生たちの等身大のストーリー。 その点で、中学生向きの作品といって間違いありません。 教科書の出版社というイメージが強い東京書籍刊行の小説という点は意外でしたが、そう考えると不自然ではありません。 中学一年 アンドロイドと不気味の谷・・・安藤悠真/長谷川湊/市川咲希 中学二年 ドッジボールと僕らの温度差・・・長谷川湊/市川咲希/清水陽菜 中学三年 私たちが出会う新しい私たち・・・清水陽菜/安藤悠真/長谷川湊/清水陽菜 エピローグ ・・・ 市川咲希 |
「普通の子」 ★★ | |
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小学校におけるイジメ問題に真っ向から取り組んだ意欲作。 佐久間美保は共稼ぎ夫婦で、一人息子の晴翔は小学五年生。 ある日、その晴翔が2階の教室から飛び降り、足を骨折するという事件が起きます。 いったい何があったのか。もしや晴翔は学校でイジメにあっているのではないか。そして晴翔が事件について何も語ろうとしないのは、誰かを恐れているからではないのか。 美保の胸に去来するのは、自分が小学校の時、一人の暴君の存在によってクラスにイジメが蔓延っていた出来事のこと。 それから美保は、イジメがあったに違いないと決めつけ、他人の声に耳を貸そうともせず、学校や担任教師を突き上げる一方、独自に調べ始めますが、その挙句に判明したことは・・・。 美保の強硬姿勢には疑問、そして懸念を感じます。 まるで自分が晴翔を放っておいたことに引け目を感じ、自分は決して悪くないと自己正当化するように、他人に原因を求めようとしているかのようです。 子どもたちの心の中はとても複雑で繊細、大人の考え方で関係性を単純化して決めつけたりせず、絡まった糸をほぐすように状況を見ていくことが大切だと説いた、病院カウンセラーの女性の言葉が胸に刺さるようです。 <イジメ>が在ったか無かったか、それだけで一刀両断的に善悪を決めつけてしまおうという姿勢の怖さを、まざまざと感じさせられた思いです。 いじめという言葉は、むしろ解決を表面的な事実だけに留めてしまうものなのかもしれません。 大人はどこまで子どもたちの本当の声に、真摯に耳を傾けることができるのか、大人の覚悟も問われているような気がします。 |