バーナード・ショー作品のページ


George Bernard Shaw  1856〜1950 アイルランド・ダブリン生、シェイクスピア以来最大のイギリスの劇作家と言われる。16歳で事務員の職につき、以後は独学で学ぶ。作家活動に入った後は、イギリスの政治と社会の改造をめざす中産階級の社会主義グループ“フェビアン協会”の有力メンバーともなった。1925年「聖女ジョウン」によりノーベル文学賞を受賞。


1.ピグマリオン 「続編」の紹介付

2.聖女ジョウン

 


   

1.

●「ピグマリオン」● ★★★
 
原題:“Pygmalion”

 

1912年発表

  
1966年5月
白水社刊
(バーナード・
ショー名作集)

 

1977/10/24
2001/04/15

人気ミュージカル“マイ・フェア・レディ”の原作で、私の愛読書のひとつです。

「ピグマリオン」というのは、ギリシャ神話の主人公。自分が作った像ガラティアに惚れこみ、愛と美の女神アフロダイテに願って像に生命を吹き込んでもらい、結婚するという神話。
本書のストーリィについては今更紹介する必要もないと思いますが、音声学者ヒギンズが、同業ピカリング大佐と賭けをし、下層階級の花売り娘イライザ・ドゥーリトルに正確な英語と礼儀を仕込み、公爵夫人に間違われる位までに仕立て上げよう、というもの。
ミュージカルで観る限り、唄や踊りが素晴らしく、最期はイライザとヒギンズが結ばれることを示唆して終わる、ロマンティックなストーリィです。
でも、原作を読むと印象はちと異なります。前半は、イライザの使う下層階級なまりの英語が可笑しい。しかし、後半になると、イライザが気の利く良い娘であるのに対して、ヒギンズ、ピカリングがイライザを利用して自分たちの悪戯を喜んでいる、身勝手な男たち、という構図がはっきりしてきます。
最後は、イライザがヒギンズの求婚を拒み、男2人が勝手に思い込んだようなイライザ=人形ではない、イライザの女性としての見事な成長ぶりを認識させて、幕は下ります。

 ※「続編」について↓

  

●ピグマリオン「続編 Sequel1915 について

実は、ショーは「ピグマリオン」の続編を書いており、1916年出版の単行本に収録して発表しています。
ショーらしいところなのですが、イライザが必ずしもヒギンズと一緒になるとは限らないよ、というのがその内容。
要は、ヒギンズというのは身勝手な男であり、イライザが結婚を承諾したとしても、その姿勢は変わることはないだろう。また、母親ヒギンズ夫人にマザコンのところがあり、賢明なイライザはヒギンズを選択しない。自分を女性として讃美してくれるフレディとの結婚を選択します。
ところがこの2人、まるで生活能力を欠いています。その為、ピカリング大佐が後ろ盾となって花屋を開業。ところが、経営能力も実務能力も欠いていることから、度々ピカリング大佐に借金を請い、ヒギンズからは嘲笑される始末。遂にイライザとフレディの2人は夜学の商業学校に通わざるを得ません。ヒギンズも巻き込まれ、イライザに今度は美しいイタリア書体を教える羽目になります。
その後店が順調になっても、2人の生活は相変わらずピカリングとヒギンズ教授頼み。その一方、イライザはヒギンズ家の家事をずっと面倒みる関係にある、という具合。
一旦イライザを引き受けたヒギンズとピカリングの責任は、まるでくされ縁のように終わることがない、というのがショーの描いた3人の関係のようです。

 

2.

●「聖女ジョウン」● ★★      ノーベル文学賞
 
原題:“Saint Joan”

 

1923年発表

 
1966年5月
白水社刊
(バーナード・
ショー名作集)

 


1999/07/11

6場+エピローグからなる歴史劇。
佐藤賢一「傭兵ピエールの読了をきっかけに、再読しました。
英仏百年戦争における仏側のヒロイン、
ジャンヌ・ダルク(1412〜31)は、1920年 5月16日聖女の列に加えられました。そのことが、ショーをしてこの戯曲を書かせる ことになったようです。
ジョウンの登場、戦場におけるジョウンの振舞い、そして宗教裁判へと、順を追って劇は展開されます。
勿論、裁判での場がクライマックスなのですが、そこで問われているのは、魔女か否かではなく、異端かどうか、ということ。即ち、当時における教会の権威を認めるかどうかが最重要となっています。
イギリス側がとかくジャンヌを焚刑に処しようとするのに対し、フランス側の宗教関係者らは、むしろジャンヌに教会の権威を認めさせ、彼女を救おうとしています。しかし、彼女は最後まで肯くことはなかった。
敵味方の間に挟まれて、世間知をもたないジャンヌがいる、そんな構図が見えてきます。ジャンヌの裁判は公平なものだった、というのが本作品の特徴でしょう。
エピローグでは、ジャンヌや当時の関係者らが王シャルルの枕元に現れます。彼らはジャンヌを焚刑にしたことの誤りを認めますが、かといって再びその場に立てば同様のことをせざるをえないとつぶやく。
天才の出現によって、社会における指導者達の立場を失わせてもらっては困る、したがってジャンヌのことは歴史的必然性に基づくものとして肯定せざるをえない、というのがショーの考えのようです。

 


 

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