ベルンハルト・シュリンク作品のページ


Bernhard Schlink 1944年ドイツ生、ドイツの弁護士・小説家。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、82年以降ボン大学、フンボルト大学等で教鞭をとる。87年ヴォルター・ポップとの共作「ゼルブの裁き」にて作家デビュー。92年「ゼルプの欺瞞」にてドイツ・ミステリー大賞を受賞。95年「朗読者」が独・伊・仏各国で文学賞を受賞し、世界的ベストセラーとなる。現在ベルリンおよびニューヨーク在住。


1.朗読者

2.逃げてゆく愛

3.帰郷者

4.週末

5.夏の嘘

6.階段を下りる女

 


       

1.

●「朗読者」●  ★★★
 
原題:"DER VORLESER"   毎日出版文化賞特別賞


朗読者画像

1995年発表

2000年04月
新潮社刊
(1800円+税)

2003年06月
新潮文庫化



2000/10/18



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すんなりと物語の中に入り込めたこと、昔馴染んだヘッセカロッサに似たドイツ文学の味わいがあること、終盤に至って静かな感動が胸の中に打ち寄せてきたこと。それらの点を考え合わせると、本作品が世界的な好評を得たというのも当然のことと感じられます。

主人公のミヒャエル・ベルクは15歳でギムナジウムの生徒。そして、その恋の相手となるハンナ・シュミッツは、21歳も年上の36歳、市電の車掌として働いている女性です。
ふとしたことでハンナを知ったミヒャエルは、そのままハンナと愛人関係になり、彼女に本の朗読して聞かせるようになります。しかし、突然に彼女はミヒャエルの前から姿を消してしまう。そこまでが本作品の前段階。
ミヒャエルが次にハンナを見たのは、彼が法律ゼミの学生として戦争犯罪者を裁く法廷に臨んだ時のこと。ハンナは、その被告席に連なる女性たちの内の一人だった。
何故ハンナは突然姿を消したのか、それはミヒャエルにとって忘れることのできない疑問だった訳ですが、法廷の彼女を見守る内にその点が明らかになっていきます。それはハンナにとって守るべき秘密であり、人間としての自尊心に関わる重大なことであった。

本作品は、ハンナとミヒャエルの間のことを明らかにしていくものでは決してありません。むしろ、お互いへの疑問は最後までそのまま残ける、と言って良いでしょう。
そしてその理由をつきつめて行くと、人の自尊心、自立心、という問題に行き当たるように思います。そのため、読了後も物語の余韻が、ハンナという女性への謎を感じる気持ちとともに残ります。
本作品は、2人の関係に絞ってストーリィが語られているのですんなりと読みふけることができます。
また、文学という香りを素直に味わえる作品。読書の秋に読むには、格好の一冊です。

※映画化 → 「愛を読む人

    

2.

●「逃げてゆく愛」● ★★
 
原題:"Liebesfluchten"     訳:松永美穂


逃げてゆく愛画像

2000年発表

2001年09月
新潮社刊
(2000円+税)

2007年02月
新潮文庫化


2001/11/28


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朗読者で名を高めたシュリンクの初の短篇集。短篇というより、むしろ中篇集と言う方が適当だろうと思います。
さて、「朗読者」と比較して本書はどうなのか。そんな気持ちがどうしても頁を繰る中にこもります。
読んだ印象としては、すんなり、気持ちよく読める作品集です。内省的なストーリィが基調となっている所為もあるでしょうし、シュリンク自身の作風と言えるかもしれません。そして、各篇ともそれぞれに味わいのある作品です。
収録されている各篇の内容は様々です。ややユーモラスなものもあれば、旧東独の秘密警察、ドイツ人vsユダヤ人といった、現代ドイツが抱える問題を題材にした作品もあります。それぞれ趣きの異なる中篇小説をこの一冊で味わえる、という点が本書の魅力です。
本短篇集の原題は“一連(群)の愛”といった意味だそうです。各篇の共通点をとらえようとすると、原題のとおり、愛の繋がりに関わるストーリィと言えます。
冒頭の「もうひとりの男」は、シュリーヴ「パイロットの妻を連想させるような一篇です(結末の方向性は違いますが)。
また、「甘豌豆」はユーモラスな味わいのある一篇。男性にとっては夢みたいなストーリィですが、その夢のような境遇を果たして喜んで良いのかどうか。ですから、その結末には微笑ましさと共に楽しさを感じます。
「朗読者」によって作者シュリンク自身に興味を持たれた方には、是非お勧めしたい一冊です。

もう一人の男/脱線/少女とトカゲ/甘豌豆/割礼/息子/ガソリンスタンドの女

   

3.

●「帰郷者」● ★★☆
 
原題:"Die Heimkehr"     訳:松永美穂


帰郷者画像

2006年発表

2008年11月
新潮社刊
(2200円+税)



2008/12/20



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母ひとり子ひとりだった主人公ペーター・デバウアーは、編集の仕事をしていた祖父母の家で、見本刷りのある小説を読む。
それは、ロシアの捕虜収容所を脱走し、やっとの思いで故郷に帰りついた帰還兵カールの物語。彼がなんとか妻の暮している家を見つけて訪ねると、そこには彼女の背に手を回している男性と2人の子供の姿があった。
その物語には結末部分が欠落していた。長じたペーターはその結末部分を知りたいと著者を探そうとするうち、彼自身の父親を探すことになるというストーリィ。

結末が知れないまま、次いでペーター自身の父親のことが不明であることがはっきりしてきたことによって、まるでペーターは安着できる場所を失ったかのようです。その結果ペーターは、家庭ももたず、恋人と安定した関係を築けないまま、遍歴を繰り返すことになる。
それと対照的に、ペーターと祖父母の関係の温かさ、またペーターが元恋人の息子であるマックスに対する温かな思いやりが、尚のこと心に残ります。
本書は単にペーター自身の物語にとどまらず、敗戦後ナチス関係者への追求を逃れるため名を隠しあるいは名を偽って新たな生活を築き上げたドイツの多くの人の物語でもあり、東西分裂からベルリンの壁崩壊を経て統一ドイツに至るドイツそのものの物語でもあります。
また、帰還兵の物語は常に「オデュッセイア」と対比されます。それ故に本作品は、実に多構造であり、かつ複雑。

本書読了後心に残るのは、故郷に帰ることができた人の幸せと、故郷に二度と帰ることができなくなった人の不幸です。
長い人生における遍歴を経て、ペーターがやっと自分のいるべき場所に戻れた結末には、ホッとするような静かな感動が胸を満たします。
何を描こうとしているのかまるで判らないまま読み進み、最後になって漸く判ったという気分は、やっと故郷に帰りついたという気分に通じるようです。

※こうした物語を読むと、ドイツにおいては第二次大戦の、ナチスの贖罪が未だ終わっていないのかと感じます。大陸国のドイツと島国の日本では状況が異なるところ多いのかもしれませんが、そのことを思うといつも日本との違いを考えざるを得ません。

        

4.

●「週 末」● ★★
 
原題:"Das Wochenende"       訳:松永美穂


週末画像

2008年発表


2011年06月
新潮社刊
(1900円+税)



2011/07/21



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元テロリストのイェルクが23年の服役を経て、恩赦で出所してきます。迎えに立ったのは彼の姉=クリスティーナ
そのまま2人はクリスティーナの別荘へ。そこにはイェルクのかつての仲間や弁護士たち、また彼を利用しようと企む若者らが待っていた。

元テロリストと彼を迎えた知人たちがひとつ場所で過ごす、週末の3日間を描いた長篇小説。
イェルクを迎えるといっても、各人相互に入り組んだ関係があり、一人一人の心情はそれなりに複雑、一様ではありません。それが本作品の味わいを深いものにしています。
また、静謐な雰囲気に満たされている辺り、いかにもシュリンク作品らしい。
日本でも過去に連合赤軍事件があり、NYの9.11テロは未だ記憶に新しく、決して特別なストーリィではありません。

ミステリアスなのは、イェルクがテロリストだった過去を、23年間にわたる服役を、そして今度の人生をどう考えているのか不明のままであること。
かつての知人たちもそれについて関心がある筈なのですが、直截的にそれを質問しようとするのはたった一人のみ。
そのことが逆にイェルク以外の登場人物たちをして、各々の身について明らかにせざるを得ない状況に追い込んでいる、という印象があります。
しかし最後、唐突にイェルクの隠していた事実が明らかになります。これは読者にとっても衝撃的なこと。さすがシュリンクと、舌を巻く部分です。

これからの人生をどう過ごすか。それはイェルクだけの課題ではなく、登場人物各々にとっても同様の課題。
過去をどう整理し、どう今後に繋げていくか。それを描いている点で、本書は人生の深遠さに触れる物語と言えます。

           

5.

「夏の嘘」 ★★☆
 
原題:"Sommerlugen"       訳:松永美穂


夏の嘘画像

2010年発表

2013年02月
新潮社刊
(2000円+税)



2013/03/26



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ふと隠していたこと、特に問題だと思うこともなく吐いた嘘、それらが明らかになった途端、大切な相手との関係が一変してしまう。
何故相手へ正直に語ることが出来なかったのか。後悔先に立たずとは言いつつ、それで済んでしまっても不思議ないことではなかったのか。人が生きてきた中で吐いた嘘など、限りなくあると思いますから。
それなのに、ふとした小さな秘密、小さな嘘が、大切な相手との関係を一変させてしまうとは思いも寄らなかったこと。
何故かを考えてみると、その秘密や嘘が問題だったのではないのかもしれない。そもそも相手との間に潜在的な問題があり、その扉をこじ開けてしまっただけなのかもしれません。
人の人生とはある意味、嘘の積み重ねで成り立っているのではないかと思うのですが、突如としてそれに足を掬われることがあるのかもしれないと思うと、本書に収められている7篇はまさしく人生に潜む悲喜劇の一幕ではないかと感じます。
そんな悲哀と滑稽さが同居しているようなストーリィ、本短編集の魅力です。

中でも秀逸なのは、真実と嘘のかけ違いによる困惑を描いた「バーデンバーデンの夜」と、孫娘と共にかつて学生生活を送った町へ旅した老女を描いた「南への旅」。後者は映画「ジュリエットからの手紙とよく似たストーリイですが、本書では嘘が貴重なストーリィ要素となっています。
また
「森のなかの家」「最後の夏」は、ひとり取り残された男の空虚さに、憐れみと滑稽さが凌ぎ合っているように感じられます。

シーズンオフ/バーデンバーデンの夜/森のなかの家/真夜中の他人/最後の夏/リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ/南への旅

      

6.

「階段を下りる女 Die Fran auf der Treppe ★★


階段を下りる女

2017年06月
新潮社刊

(1900円+税)



2017/07/21



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主人公であるドイツ人弁護士の“私”は、出張先のシドニーのアートギャラリーでシュヴィント作「階段を下りる女」の絵に再会します。その絵は、全裸の女性が今まさに階段を下りようとする姿を描いた作品。
そこから、主人公の40年にまたがる恋の物語が幕を開けます。

40年前、新米弁護士であった主人公が依頼を受けたのは、作者である画家
カール・シュヴィントが、現在絵の所有者であるグントラッハから絵を取り戻そうとして揉めていた案件。
さらにそこに、グントラッハの若い妻
イレーネが絡んでいた。イレーネは絵のモデルであると同時に、現在はシュヴィントの恋人であるという複雑な状況が絡んでいた。
そして主人公自身もまたイレーネに恋してしまう。
しかし、主人公とイレーネの縁は、突然にして立ち切られてしまう。

ストーリィは三部構成。
第一部は、若き主人公とイレーネの出会い、そしてシドニーでの絵との再会。
第二部は、現在オーストラリアの海岸近くの家に住むイレーネとの再会が描かれますが、同時にシュヴィントとグントラッハとの再会にも繋がります。
第三部は、イレーネを介護しながら、主人公と彼女が2人だけで過ごす日々が描かれます。
シドニーでの絵の再会から、僅か2週間ほどの物語。

人生を賭けるような恋とは、長い時間を超えて成就するものなのか、と思うような恋愛ストーリィ。
その意味では作者の初期名作
朗読者によく似ています。
「朗読者」ではアウシュヴィッツが鍵になっていたのに対し、本書では介護問題が取り上げられているように思います。それは時代の変化の故、と言って良いのでしょう。

いつも通り肌触りの良い作品。読了後の余韻が何とも快い。

  



新潮クレスト・ブックス

     

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