屋久島で育った青年・三宅詠爾が、東京に出てきて名前も顔の知らない父親を探す、というストーリィ。
単なる父親探しという家族ドラマにならないのは、詠爾がまだ見ぬ父親との出会いにハード・アクション的な妄想を膨らませると思えば、まるで悪夢ともいうべきヤクザの抗争に巻き込まれる一方で、彼のことを親身に心配してくれる人々との出会い、恋人との出会いがあるというストーリィだから。
そのうえ、神様登場の物語があるかと思えば、作中人物の書いた山羊作家とコム夫人の物語が詠爾が読み進むという形で語られ、さらに突然現れた父方の祖父からは回天特攻隊だった大伯父の手記が手渡されてそれも読まれるという具合。真に本書は大部な物語なのです。
読んでいるとまるで国内小説という感じなのですけれど、英国人作家が書いた小説で、英国で出版され好評を得たというところが面白い。
主人公が住むアパートは千住ですし、束の間勤めた先は上野駅の遺失物保管所。レンタル・ビデオ店も出てくれば宅配ピザ屋も出てきて、さらに都心にある秘密クラブやヤクザの抗争も出てくるのですから、これはもう日本小説と言って間違いありません。
ただし、日本小説であると同時に世界の中でたまたま東京に舞台を置いただけという面もあるのです。その意味で、本書は普遍的な小説と言い得ると思う次第。
そんな理屈はさておき、本書は読む物語としてとても楽しいのです。
生みの母親は現在行方知れず、双子の姉は11歳の時海で溺死という過去があっての父親探し。古典的な親探し物語なのに、何なのでしょう、度々繰り広げられる妄想は? そのうえヤクザ同士の抗争に絡みとられ、詠爾は生命の危機に怯えます。
極悪人たちが登場する一方で彼を見守る善人たちもいるという展開は、まるでディケンズを思わせるようなビルドゥングス・ロマン的面白さです。
さらに、見惚れていた喫茶店のウェイトレスの危機を救って彼女と恋人らしい関係に進んでいく部分は、青春物語と言うべきでしょう。
そして最後、第9章のストーリィは、読者自らが紡ぎだすしかないらしい。
裏表の顔をもつ混沌とした世界である東京を舞台に、様々な物語が織り交じって展開するという長大な小説。この小説に、人に擦れておらず、人を信じやすい主人公像として屋久島出身の青年はなんと相応しいことか。
ひとつ残念に思うことは、図書館の借出期限という制約からついつい読み急いでしまったこと。本書をじっくり読んでいたら、この面白さはもっと満喫できたことでしょう。
なお、題名はジョン・レノンの同名曲が元になっているとの由。
1.パン・オプティコン/2.遺失物保管所/3.テレビ・ゲーム/4.埋立地/5.物語研究/6.回天/7.トランプ/8.山の言葉は雨/9.9
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